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日本大陸を考察・ネタスレ その153

298ホワイトベアー:2019/08/14(水) 22:37:17 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
余談であるが、この時に初めて投入された二九式回転翼攻撃機は史実アメリカのAH-1を下に三菱が開発した世界初の攻撃ヘリコプターであり、固定武装として20mm電動式3砲身ガトリング砲1基を有し、さらに四連装空対地ミサイル発射筒2基、19連装ロケット発射筒2基を搭載可能な機体であり、従来の航空機とは違い、その場にホバリングできる事からより長く、より効率的に地上部隊を支援することができた。

そして、この戦いやその後の戦いで戦闘ヘリコプターの対地攻撃での有意性を世界に知らしめる事になり、列強各国がジェット戦闘機の開発と同様に力を入れて開発していくことになる。

話を元に戻して、第2師団が敷いた包囲網の突破に失敗し、逆に包囲を狭められたソ連赤軍第163狙撃師団であるが、彼らに更なる困難が神より与えられる。冬将軍の到着である。これによってフィンランドの気温は急激に低下していき、12月24日には気温が-40℃を下回る急激な寒さがこの戦場を支配する。これによってろくに暖が取れず、風を遮るものもないスオムッサルミでは、負傷者や体力の無いものから順に凍死してき、そこに容赦のない砲撃や空爆も合わさり第163狙撃師団は完全に戦闘能力を喪失、フィンランド軍に対して降伏する。

一方、第163狙撃師団救援の為に急行しているところを包囲された第44機械化狙撃師団は装甲戦力を先鋒に包囲の突破を図るものの、携帯式対戦車兵器である一八式携帯型無反動砲を装備する歩兵部隊により突破作戦は失敗、クリスマスには日本空軍がありったけの砲弾と航空爆弾がプレゼントとして第44機械化狙撃師団に撃ち込まれ、さらに第163狙撃師団を襲った寒波にも襲われた。

なんとしても包囲の突破を行う必要に迫られらた第44機械化狙撃師団は包囲網全方位に陽動を兼ねた牽制攻勢を開始、そして本命のラーテ街道沿いの封鎖部隊を排除し、包囲を突破するために第25狙撃連隊が戦車中隊の支援の下に攻勢を開始する。

この時、同街道沿いの封鎖に当たっていたのは第1山岳師団第38山岳連隊の第2大隊と第3大隊であり、数的には圧倒的に不利であった。さらに、第25狙撃連隊は優秀な指揮官に統率され、精強な兵士達によって編成されている部隊であもあった。彼らはそれまでのソ連軍とは違い分散して果敢に攻撃を敢行、兵士達は銃剣や手榴弾で止めを刺されるまで戦い続け、第2大隊を敗走させることに成功する。しかし、第3大隊指揮官が日本軍史上初の全力航空支援要請(※2)を発令、これを受けた洋上の日本海軍空母機動艦隊からの攻撃隊が近接航空支援を開始した為に包囲の突破は失敗してしまう。

幸い、兵員への損害は第25狙撃連隊が半壊する程度で済むが、この攻勢で第44機械化狙撃師団が備蓄していた砲弾が包囲開始時点から比べると1割にまで減少しており、降伏か森への撤退の二択を迫られる事になる。師団幕僚や連隊長達は北の森林地帯への脱出を主張するが、史実と違い帝政時代に一時的にフィンランドで生活していたヴィノグラフ中将はフィンランドの森の危険性を理解しており、自らがNKVDに粛清される事を承知で降伏を決断する。

ここで余談だが、ヴィノグラフ中将の先の事を話そう。粛清を覚悟して降伏した彼だが、冬戦争後の赤軍再編成に忙しいソ連は高級将校をあの世やシベリアに送る余裕がなく、敗北の責任を取って二階級降格と言う非常に甘い処分で終わる事になる。

話を元に戻して、ヒルヴァスヤルビィとスオムッサルミにて完全な勝利をものにしたフィンランドの戦いは雪中の奇跡と呼ばれる事になり、これらの戦果を見たイギリスやフランスはフィンランドの救援を名目に北欧を押さえ、自国の思惑から外れて動こうとするドイツ帝国に戦略物資の面で首輪を付けようと介入の準備を開始する。ドイツ帝国もこの動きは察知しており、これを回避する為に先制的なノルウェー侵攻も含めた対応策の検討を開始した。

また、その他の多くの国々でフィンランドへの支援運動が高まっていき、様々な物資がフィンランドに送り込まれていく事になる。特に強固に反共産主義を掲げるイタリアのムッソリーニはフィンランドに大規模な支援を表明し、MC.200を80機、SM.81を30機を提供することを提案する(無論、フィンランド側が提供に断った)他、OTO M35型手榴弾などの手榴弾やカルカノM1938などの銃器など兵器を少量と、乾燥パスタと寒冷地用保温容器を大量に供与する(※3)。

さらに、この頃にはアメリカ軍の2個師団が膨大な物資と共に到着、フィンランドの砲弾事情はアメリカが義勇軍と共に運んできた日米の砲弾が使える155mm榴弾砲を大量("まず"800門)に供与するという力業を使って安定化させた。




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