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中編以上のネタの書き込み【架空戦記版】 その12

965yukikaze:2014/10/13(月) 14:55:54
こうした動きに、慌てたのがGHQであった。
軍事裁判所の無能によって、アメリカの国益は確保できたものの、だからといって東条を、英雄や
殉教者として祀られるまでになっては本末転倒である。
グルー長官はウェブ裁判長に対して「貴官は東条を殉教者にしたいのかね」と、彼らの無能ぶりを
糾弾する羽目になるのだが、本国の世論とGHQとの間で板挟みにあい、精神的に追い詰められた
ウェブは、東条の「天皇の意思に背いて戦争を行った」という証言を、強引に「平和に対する罪を
認めた」として、有罪にすることを決定した。
元々が近代国家として今まで先例のない無茶な要求なのである。毒を食らうならば皿まで食らって
しまえというのがウェブのたどり着いた結論であった。

「平和に対する罪」により死刑判決が下された時、東条は弁護団と、唯一死刑判決に反対していた
パール判事に深々と礼をすると、顔の引きつったウェブに対して、眼光鋭く言葉を放っている。

「貴官らは国際法において最悪の汚点を残すことで歴史に名を残すことになった訳だが、満足か?」

それだけ言うと、東条はウェブの返答を待たずに胸を張って退廷をした。
それはまるで凱旋将軍のようであったと、当時の新聞に記されることになる。

死刑執行の朝、看守が見たのは、割腹して息絶えた東条の姿であった。
東条の遺書には、敗北により天皇と国民に苦しみを与えた事への謝罪と、そして日本国民に罪を裁かれ
る事ができない以上、自らの手で裁くしかない事が綴られていた。
また、敗将である以上、靖国に祀られる資格はなく、無用にしていただきたいとの意思もあった。
連合国各国ではこの遺書をもって「東条は最後まで反省の色がない」と糾弾することになるのだが、
もはやそれは負け犬の遠吠えでしかなかった。
彼らは最初から最後まで東条に勝つ事が出来なかったのである。
彼らに残されたのは、勝者として振る舞おうとする見苦しい姿と、日本国民の侮蔑であった。
そしてそれを知るが故に、彼らは愚行を嵩ね、前述のように日本から手痛いしっぺ返しを受けること
になる。

最後に東条家について語ろう。
当初は戦争を敗北に導いた首相の家として嫌がらせを受けることも多かったが、裁判での東条の毅然と
した姿勢が世間に浸透されるにつれ、そうした空気は減り、一部の右翼団体から持ち上げられるよう
にもなっていた。
もっとも、東条家はそうした風潮を苦々しく思っており、一切の政治的活動には関与せず、静かに
暮らすことを望み、日本政府も彼を公的に英雄視することはしていない。
東条の3男である東條敏夫が空軍中将にまでなった時、一部の国や団体から抗議が来ることがあったが、
既に国連での敵国条項も削除され、東条が一切の政治的発言を行っていないことを、日本政府に突き付け
られ、歯牙にもかけなかった位が、政府が東条家に関与した位であろう。

「東条は確かに国を亡国寸前に追い込んだ。だが、家族にまでその罪を着せようとするのは
 文明国家として鼎の軽重を問われる」

ある雑誌のインタビューに対する吉田茂の返答は、この裁判に対する痛烈な皮肉であった。




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