したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

提督たちの憂鬱 設定スレ 艦艇編 その5

900ひゅうが:2011/11/14(月) 00:21:39
日本海軍 有人潜水調査艇「わだつみ5000」

全長 9.5m
全幅 2.7m
全高 3.2m
乗員 3名
最大潜行深度 5000m(設計上は1万3000メートル付近まで)
速力 2ノット
耐圧殻内径 2.0m
潜行限界 129時間(運用時は9時間ほど)
携行品重量限界 200kg
同型艇 3隻(予備含む)

【解説】――太平洋での潜水艦の行動の拡大を受け、海洋観測艦「拓洋」や潜水母艦、または砕氷艦「宗谷」型での運用を想定して開発された深海調査船。
それまで「潜水球」での活動を行って蓄積されていた海洋の深部における知見を広げるために自力での航行能力を持つ深海の調査用潜水艇として計画された。
もともと日本海軍は西村式潜水艇など、海底の調査には比較的熱心であった。
この傾向は昭和14年の「伊36沈没事故」(未測量であった海域の海山に衝突した)により加速され、海軍は「大鯨」型潜水母艦の整備を削減するかわりに海洋調査艦として就役していた「拓洋」を大改造し、本艦の運用を行うことにした。

開発にあたっては、それまでの主力であった1式救難潜水艇を改造して試験が行われ、それらの結果として「潜水艇本体の機械は油漬けとするも、人が乗る部分だけは耐圧性能を有した球形にする」という設計コンセプトが採用された。
また、このコンセプトにのっとり史上はじめてチタン合金を用いた耐圧球を採用した。
開発にあたっては艦政本部と東京帝国大学が協力し、新素材であるチタン合金については三菱造船の開発部において総力を挙げて試験が繰り返された。
それらの結果、1944年2月に就役。初の潜行は、浦賀水道の最深部だった。

計画時は地球上のいかなる海をも潜れるように設計されていたが、調査の過程でマリアナ海溝が少なくとも9000メートル以上の深さであったことが明らかになり、また研究開発と運用が海上保安庁と東京帝国大学に移管されたために後継である「わだつみ9000」シリーズの開発に着手された。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板