したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

雑談スレ

857名無しさん:2013/04/04(木) 00:14:15
日本が1932年にT-35重戦車がソビエトで極東軍向けに大量配備されているという誤報を受け、
日本軍は戦車や自走砲の本格的な開発を開始、その予算を海軍から調達おかげで日本海軍の空母の完成が遅くなってしまう。
海軍は制空権のない外洋での運用は難しいと判断、対米開戦した場合は中部太平洋での徹底抗戦と東シナ、南シナの制海権確保を主眼とする砲身を決定。
陸軍は後に誤報に気づいたものの、黙っておいた方が予算上得だと考え、日ソ中立条約を結ばせないようにした。
それが元で後に陸軍上層部の無能な指揮官は更迭される事になった。
その後、新たな陸軍指導層の指導のもと、戦術や兵器の運用法がかなり改善された。
1938年代には様々な車両を各部品を共有して作ったり、弾丸を共有するなどの工夫もなされていた。
また、大陸での運用なので重量を制限されず、かなりの自由な設計が行えた。
1941年4月、日本軍はドイツ軍との合同作戦と称し、(バルバロッサ)極号作戦を実施、
完璧な奇襲とは言いがたかったが、史実通りドイツ戦線ではかなりの効果があった。
日本軍はソビエト軍の兵器を大量に鹵獲。ソビエト軍の反攻は統制が取れず混乱状態でほとんどなかった。
日本軍は鹵獲したソビエト軍の兵器(主に砲兵部隊)を試験運用し、その射程の長さに驚いた。
日本軍は砲兵部隊の装備は軽く移動に適していてなおかつ摩耗が少ないように運用していたため射程が短かったのだ。
そして日本軍は8月9月に渡りソビエト沿岸地方を確保。少ないながらも資源と労働者と工場を入手した。
ドイツ軍は攻勢が早かったために冬将軍の攻勢も無くソビエト政府は降伏した。
スターリンは中央ロシアウラル周辺で臨時ソビエト政府を樹立し徹底抗戦の意思を示したが、部下の暗殺によりソビエトはドイツ、日本の占領下に置かれる。
シベリア鉄道はパルチザンなどの危機はあったものの、日本とドイツの貴重な運搬路となった。
日本軍はソビエト領バクー油田からドイツを経由し日本国に資源が運び込まれた。
1941年、日本軍はイギリス軍に宣戦布告
同時に中国戦線で大陸打通作戦が成功し、マレー半島、インドネシアを落とし、資源を確保。
また、欧州に送った義勇航空隊が航続距離の長さや練度の高さを持ってイギリス軍の海上戦力の殲滅に成功する。
イギリスは講話を申し込み、ドイツ軍と日本軍はそれぞれ英領アフリカ、インドからの英軍撤退を要求。これを受託させる。
それを傍観できなかったのがアメリカ軍、しかし国内は厭戦気分が漂い戦争を仕掛けられない状態。
しかしアメリカ軍部が暴走、偽の外交文書を偽造、日本政府から「宣戦布告」がなされたと発表。
日本政府はこれに対し抗議声明を出したが、同時期にフィリピンより飛来した航空機によりインドネシアの油田ルートが破壊される。
これに対し日本政府は正式に宣戦布告を発表、ドイツは日独伊相互防衛協定を破棄、ただし物資援助を約束した。
日本軍はフィリピンに総攻撃を仕掛け占領してしまう。
マッカーサーなどの駐屯軍敗残兵はオーストラリアから本国へ「陸軍部隊が優秀だ」と報告。
同時期日本は中国を一応ながら平定、軍が余ってしまう事態に。
陸軍はポスト維持のため「オーストラリア解放」を計画。
アメリカはオーストラリアを決戦の場として陸軍兵力を増派。
同時に海軍で中部太平洋を攻撃するも、ドイツ軍のレーダーなどを持った日本軍に敗退。
そして日本軍はオーストラリアに上陸、しかし砂漠地帯で予想外の抵抗に会い侵攻が遅滞。
砂漠で日米両軍が最新兵器を出し合い長期戦へと・・・。

っていう文章の最後の砂漠戦が書きたいがために思いついた設定ですがいかがでしょうか?


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板