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避難用作品投下スレ4

1管理人★:2008/08/01(金) 02:07:08 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

628Trust you:2009/03/23(月) 01:36:34 ID:cw9JXZvc0
「戦ってください! 自分の望む本当の勝利、生きる価値のある命を、掴む、ためにっ!」

 全身から発する声と共に命を吹き散らし、何もかもを出し尽くした美凪はその言葉を最後に、喀血して、命を空に返した。
 ようやく、長い時間をかけて、飛べない翼が自分の足で飛び立ったのだった。

     *     *     *

 目標はあっけなく達成された。しばらく追ってもまるで気付かれるそぶりも見せない。
 しかも雨による天候の悪さが足を遅くしているらしく早さも比較的ゆっくりだ。
 だがどこまで行くにしろ、とりあえずは相手が止まるまでは尾行を続ける。無論自分が気取られていないことを確かめて、だ。

 慎重に、かつ迅速に、横並びに名雪は二人を追い続けた。目は既に機械のそれ。
 殺戮遂行の機械となり余計な要素一切を排除した、人ならざるひとの形をとって。

 名雪はそれを不幸と思わない。
 そのような言葉は既に抜け落ち、殺害の手段を並べ立てることに使われている。

 殺人を哀しいと思わない。
 理解するだけのものは全て忘れ、代わりに浮かべるのは論理的に戦闘に勝利する方法。

 生きているとも、思わない。
 動かせるなら動かす。使えるなら、使う。
 どんなコンピュータより早く。どんな審判よりも的確に。
 辿り着くべきは殺人のための己。人間の形をした、ロジックの組み立て。

 ――ならば、機械に対して相沢祐一はどう思うだろうか――

629Trust you:2009/03/23(月) 01:37:13 ID:cw9JXZvc0
 名雪の根本となっているその疑問に名雪は気付かない。永遠に気付かない。
 だから、名雪は、幸福だった。
 目標、補足。

 道の真ん中。そこで二人は止まり、何事か話し合いを始めた。時に怒声を交えながら、声を擦れさせながら。
 内容は知らない。知ったところで、名雪の脳には蓄積されない。機械には何も教えられない。

 じっくりと、確実に狙撃できるところまで移動する。
 塀にはところどころ模様になった隙間がある。狙うのは、そこからだ。
 そして狙うのは、体の大きな方。
 理由は大きい方が当てやすいから。それだけだった。

 以前に遭遇したことも、そのときの北川潤の抵抗も、何も思い出さない。
 名雪の記憶は全て消えている。

 雪。そう、真っ白い雪、全てを覆い尽くす純白に埋まるようにして。
 記憶の中心、雪で埋まったそこには、雪うさぎを持ったまま待ち続ける――幼い少女の姿があった。
 少女の顔は、凍っている。

 『しあわせ』。『しあわせ』。何がそれかも分からず、ただ感じている顔だった。
 一発、撃った。横腹から血が溢れる。命中。外人風の少女が悲鳴を上げた。銃撃を続行する。

 防弾性のある割烹着も、横腹から後ろにかけては無防備だ。上手い具合に銃撃出来る位置に、名雪は移動していた。
 続けて連射。とすんと膝を落とし、倒れる。ここからでは止めを刺せない。だが戦闘不能にはなった。
 すぐさまもう一人も戦闘不能にし、完全な勝利を達成するべきだ。
 判じてすぐに塀から飛び出した瞬間、強い意志を持った双眸が名雪を出迎えた。

「貴様ァァァァァァァァ!」

630Trust you:2009/03/23(月) 01:37:34 ID:cw9JXZvc0
 既に敵はサブマシンガンを構えていた。反撃に移るのは不可能と考え、そのまま転がるようにして再び塀の中へと移動する。
 直後背面の民家の壁が弾け、塗料と共にセメント片が飛び跳ねた。

 名雪はすぐさま己の体をチェックする。異常なし。だが敵の対応が予想より遥かに早かった。
 奇襲による優位性はなくなったと断定して、現状の装備でどうするか考える。
 銃撃戦は相手に有利だ。凄まじい連射力を誇るサブマシンガンの前では撃ち負ける。
 ジェリコの残弾から言っても自分が勝てる確率は少ない。ならば銃撃させない、接近戦が妥当かと組み立てていると、声がかかってきた。

「何故だ……何故、なぎーを殺した! 理由を言え、水瀬名雪っ!」

 自分に利をもたらす情報ではないとした名雪は何も答えない。機械は範囲外のことは出来ない。
 名雪は移動を開始する。装備は薙刀に切り替える。声をかけているということは、そちらへ意識を向けているということ。
 つまり回り込んでの襲撃が有効だ。その有効性は先の行動の一連で証明されている。

「……そうか。お前が答えるわけがないか。いい、ならそれでいい。私も戦うだけだ。憎しみがないなんて言わない。
 これは私怨だ。絶対に忘れられない、地獄を這いずる戦いだ。……でも、それだけじゃない。
 本当の勝利を掴める、生き残る価値のある命にならなきゃいけないんだ! だからこれは、乗り越えるための戦いだ!」

 塀を乗り越え、側面に回ろうとした名雪の目の前。そこに立ちはだかるかのように敵がサブマシンガンを構えていた。
 読まれていたことを自覚し、即座に飛び降りようとするが後手に回ったツケは大きい。

「なぎーからお前が不意討ちが得意なのは聞いた。二度も通用すると思うなっ!」

 大量の銃弾が塀を、背後の民家を穿ち、削り取る。
 数発が名雪の体を貫通する、が痛みに顔をしかめつつもその程度にしか名雪は感じなかった。
 痛覚が麻痺してきていた。度重なる戦闘、極限にまで二極化された意識。
 それぞれが一体となり痛みを受けると動けない、その『常識』を覆すにまで変貌していたのだ。

 殺戮遂行の機械と化した名雪は薙刀を大きく振りかぶり、袈裟懸けに切り下ろす。
 バックステップして回避しようとした敵だが、薙刀の射程は意外なほど長い。
 避けきれずサブマシンガンを持つ腕に掠り、敵はそれを手放してしまう。
 下がるときに勢いがついていたからか手から離れたサブマシンガンは低く放物線を描くように飛んでいった。

631Trust you:2009/03/23(月) 01:37:50 ID:cw9JXZvc0
 敵に接近戦用の武器は持たせない。再び薙刀を振ろうとするが、刃が地面に突き刺さっていて、一度では引き抜けなかった。
 もう一度力を入れるとあっさり抜けたが、コンマ数秒の間に敵は体勢を整えていた。
 抜いたと同時、横薙ぎに払った刃を、二本の包丁が受け止める。弾かれた間隙を縫い、敵が包丁の一本で切りかかる。
 しかし刃は届かせない。柄の部分を持ち上げ、尻尾で突く。リーチの長さが幸いし、たたらを踏んだのは向こうだった。
 一歩離れ、改めて薙刀を構える。持ち直した敵も視線を険しくし、二刀流のように包丁を構える。

「今の私にはみんながいる……!
 お前には分かるまい、この私を通して出る、みんなの意思が。
 ひとと一緒になりたいという心の意思が。
 それも分からず、こうも簡単に奪ってしまうのは、それは、それはあっちゃならないことなんだ。
 ここからいなくなれぇっ、水瀬名雪!」

 何事かを叫んだ敵が雨の中、疾走を開始し迫ってくる。
 名雪は薙刀を前面に押し出し、リーチの長さを生かして突きで刺し殺そうとする。
 しかし敵は包丁をクロスさせ、刀身で薙刀を受け止め、続いて切り払う。

 男と女ならともかく、女同士の戦いだ。
 しかも名雪は連戦の疲労と本来筋力がそこまで高くないこともあって受け止められる程度の速度にまで速さが低下していた。
 瞬時に理解した名雪は腕力だけに頼らず、遠心力も用いられる横薙ぎに薙刀を振るう。
 更に体全体を回すようにして振るため勢いは段違いだった。

 また包丁で受け止めようとした敵だったが今度は薙刀の重さと勢いに耐え切れず、包丁の一本を手放してしまう。
 しかもまともに刀身で受けたために包丁自身も限界を迎え、刃が砕けて武器の体を成さなくなる。

「くっ! まだだ、まだ終わってたまるか!」

 舌打ちしたらしい敵は何とか懐に飛び込もうと周囲を散開しつつ移動していたが踏み込むと同時に名雪が横に薙刀を振るう。
 そのため退かざるを得なくなりじりじりと名雪が押していく。
 周囲は広いため壁際や袋小路に追い詰めることは出来ないものの、精神的に追い詰めていっている。

632Trust you:2009/03/23(月) 01:38:19 ID:cw9JXZvc0
 このまま何度か攻撃を繰り返す。そうすると敵はこちらが薙刀一辺倒だとして距離を取りにかかる可能性が出てくる。
 そのときこそ、ポケットに隠してあるジェリコで止めを刺す。これが名雪が組み立てた作戦だった。

 事実敵の焦りは目に見えており、飛び込もうとする行動も迂闊な隙が見え隠れしている。
 何とか回避してはいるものの、優位なのはこちらだ。そう名雪は判断する。
 踊るように体を捻り、上段から袈裟に斬り下げる。敵は飛び退くが、着地した場所が悪かった。
 ちょうどそこはぬかるんだ地面で滑りやすくなっていた。バランスを崩し、地面にもんどりうって転ぶ。
 焦りと疲労が生み出した結果なのだろう。好機と捉えた名雪はこの隙にとジェリコを取り出し、狙いをつける。

「甘く見すぎだ! そう思い通りには……いかない!」
「!?」

 構えた瞬間、敵も合わせるかのように『取り落としたはずの』サブマシンガンを構えていた。
 誘導されたのだと察する。接近戦を狙っているのを読み、サブマシンガンが落ちているところまで戦いながらおびき寄せていた。
 しかも自分が半端に有利になるように仕向け、油断をも誘った、二段構えの戦術。

 機械だったはずの心に動揺が走り、どうするべきか躊躇してしまう。
 これまで計算ずくで、ここまで完全に裏もかかれたことのなかった名雪には咄嗟の対処が行えなかった。
 コンマ一秒の隙。その時間を敵は見逃さなかった。

「私だけに気を取られていたのが間違いだ……もっと視野を広くするんだな!」

 トリガーが引かれ、ありったけの銃弾が撃ち込まれる。
 名雪はぐらりと体を傾け、仰向けのままに地面へと倒れた。

     *     *     *

633Trust you:2009/03/23(月) 01:38:42 ID:cw9JXZvc0
 走る。走る。得意ではない走りを続ける。
 十分も経っていないのに息は上がり、胸が激しい動悸を繰り返す。
 倒れないだけマシだ。熱で動けなくなったあのときに比べればなんということはない。

 まだ知りたいことがいくらでもある。知らなければならないことがたくさんある。
 自分だけの世界に閉じこもり、完結していた昔のままではいられない。
 夢がある。皆から託された夢が自分の中にはある。その中にはもちろん、自分の夢も。
 分かり合える友達。信じあえる家族。そんな彼らと共に『希望』や『豊かさ』を組み直し、作り上げてゆく。

 何もかも変わらずにはいられない。しかし変質したとしても本質は変わらない。
 壊れてしまった玩具を、丁寧に修理していくように、外見は変わっても中身までは変わらない。
 その中にこそ、その本質でこそ人は互いに理解し、手を取り合える。

 だからわたしはわたしをありのままに伝える。今はそうしたい。
 自分からこんなことを望むのは久しぶりだ、と古河渚は己に苦笑する。

 最後に我がままを言ったのはいつだっただろうか。
 記憶の引き出しを開けてみてもどこにも見当たらない。
 自分はこれでいい、このままでいいと思い込み妥協しかしていなかったことしか思い出せない。
 終わり続ける世界の住人でしかなかったから、そんなことをする意味がないとどこかで諦めていたのかもしれない。
 だが意味はあると知った。自分でも生きていけるということを知っている。
 我がままを言えることの意味も。
 難しいことは言わない。自分は何も知らなさ過ぎるだけだ。だから知る必要がある。幸福に生きていくために。

「わたしは……強くなれていますか?」

 誰にでもなく呟く。強さへの憧れは昔からあった。
 演劇部に入りたかったのも強さに憧れていたからだ。舞台の上を演じる役者は別世界の人間で、なりきらなければならない。
 役になりきるという責任を果たし、観客も楽しませるという責任も果たす。
 集団での形を取りながらも個人個人の強さがなければ出来ない演劇の役者は、渚にとって強さの象徴のように思えた。

634Trust you:2009/03/23(月) 01:39:00 ID:cw9JXZvc0
 誰かに支えられ、また自分も誰かを支え、バランスを保つこと。そうなりたいという気持ちがあった。
 だから探し出す。支えるべき人を、支えたい人を……

 ルーシーと美凪が向かったと思われるもう一つの火災現場がどこか探してみるが、既に火は消えてしまったのか空を見ても分からない。
 見失ってしまった。このままでは追いつくどころか、辿り着きさえ出来ない。
 大体の方向は覚えているとはいえ、このままでは合流も不可能だ。
 だが立ち止まっている暇はないと足を動かし続ける。今、このときだけは足は止めてはならなかった。

「……! これは……」

 そうして再び走り始めたとき、近くから雨音とは違う、何かが弾ける音が聞こえた。
 銃声ではないかという予感が走り、渚は音に耳を傾けながら体に鞭打って走った。

 渚は気付かない。
 雨に打たれ、体力も消耗し、普段なら倒れてもおかしくないはずの体がまだまだ動くということに。

 渚は気付かない。
 雨が降り注ぐ空の一端に、光の粒が漂っているということにも。

     *     *     *

 残弾が尽きるまで撃ち続け、さらに一本マガジンを交換してなお銃口を向けてみたが水瀬名雪はぴくりとも動かない。
 勝ったのかという鈍い実感と、夜陰に降り注ぐ霧雨の冷たさが徐々に内奥の熱を冷ましてゆく。
 銃口を下ろし、長いため息をついたルーシーはふらふらと立ち上がり、ある場所へと歩き出した。

 本当の勝利、生きる価値のある命。その言葉を教えてくれた、大切な親友のいる場所へ。
 どんなことが本当の勝利で、どんなのが生きる価値のある命なのかまでは教えてくれなかった。
 唯一分かることは、復讐心に駆り立てられるだけではそこには到底辿り着けないこと。それだけだ。
 いやそれで十分だ。最初から答えの分かっている問題なんてない。

635Trust you:2009/03/23(月) 01:39:24 ID:cw9JXZvc0
 この先、自分が満たされ、真実の豊かさを手に入れたときにこそ答えは分かるものなのかもしれない。
 未だ実態は見えないが、分かるようになりたい。そう、強くルーシーは願っていた。

 雨と泥で汚れた顔を拭い、横たわる美凪の遺体を見据える。
 ひどく血を吐き散らし表情も安らかとはいい難かったが、遠野美凪という人間の生き様を克明に映し出していた。
 分かり合えるかどうかも分からない者との対話を望み、なお理解し合えると信じた人間の渇望がそこにある。

「私ひとりになったとは言わない。私にはみんながいる。この服にはうーへいの思い出がある。
 だから、なぎー。一緒に行くために、これを貰っていくぞ」

 美凪の胸元にあるネクタイに添えられている銀色の小さな十字架をそっと外し、自分の髪にヘアピンのようにつける。
 少々大きく、髪留めには向かなかったがこれでいいとルーシーは微笑む。

「本当に覚えていられるなら、物なんてきっと必要ないんだろう。だが、私は所詮憎しみも忘れられない凡俗でしかない。
 だからこうしてでしか、なぎーのことも覚えていられない。でもこれがあれば絶対忘れない。
 どんなに離れていても、どんなに時間が経っても。
 私となぎーの心はつながってる。あらゆる物理法則を超えて、ふたりはひとつだ」

 いや、春原が贈ってくれた服も同じだから『みんなはひとつだ』の方が良かったかもしれない。
 そう思ったルーシーだったが、言い直すことはしなかった。まだ胸を張って『みんな』と言えるほど自分はひとと分かり合えていない。
 だからその時に使おうと考えたのだった。

「不思議なものだな……憎んでいた、あいつを、うーへいの仇を、なぎーの仇を取ったのに……
 こうしてなぎーと出会えた奇跡を、思い出してるなんてな」

 あれほどまでに自分を支配していた憎しみ、どろりとした濁りはなりを潜めている。
 代わりに思うのは自分にもこんな親友がいたのだという事実。失ってしまった哀しみだった。
 ただ、哀しみのいくらかはやりきれない怒りへと変質していたが、
 その大半は雨と共に己を洗い流し、がんじがらめにしていた過去を溶かしていた。

636Trust you:2009/03/23(月) 01:39:44 ID:cw9JXZvc0
 人と理解し合えるなんて思ってもみなかった昔。
 河野貴明との邂逅に始まり、様々な人間と出会いながらも、人間のような心があるはずはないと冷め切っていた過去の自分。
 それが今はどこか遠くのように思え、けれども親友の死に立ち会いながら涙のひとつも出せない自分が、根本は変わっていないと自覚させる。
 そういうものなのだろう。己の本質を変えることは不可能で、変えられるのはあくまでも表層の部分でしかない。
 身分や経験など関係はなく、生まれもった自分は最後の最後までそのままだ。
 それでも、私は……

 目を閉じて、美凪に黙祷を捧げる。彼女がいなければ引き返すことを学べなかった。
 親友というものの実際を知ることもなかった。
 知ってさえこんなにも短い間しか一緒にいられなかった。
 もっともっと、美凪とは話し合いたいことがたくさんあったのに……

 寂寥感が立ち込め、ふとルーシーの胸に陰が差し込む。
 こんな別れ方でいいのか、この雨の中に美凪を置いたままにしていいのかという疑問が持ち上がる。
 時間がかかってもいい、どこかに埋葬してやった方がいいのではないかという考えがルーシーの中に浮かんだ。
 親友をこのままにしていいのかという疑問に、ルーシーが手を伸ばしかけた時――

「ダメですっ! るーさん、離れてくださいっ!」

 突如として、死体であったはずの美凪が喋ったかのように思えた。
 驚愕したものの、だがこの声は美凪のものではないと理解していた頭が、声のした方へと振り向く。

「な……にっ!?」

 そこには。
 ゆらり、ゆらりと立ち上がり、腕や腹部から出血しながらも手に拳銃を持った水瀬名雪の姿があった。
 何故だという疑問は、改めて見えた名雪の姿を見たとき瞬時に解決する。

 腹部は確かに出血しているが、量はそれほどでもない。あれだけ大量の銃弾を撃ちこんだのにも関わらず。
 その事実から導き出せる答えは一つしかない。防弾チョッキだ。
 恐らくは気絶していただけだったのだ。己の失態に悪態をつくほかなかったルーシーだったが、名雪は既に銃を向けている。

637Trust you:2009/03/23(月) 01:40:06 ID:cw9JXZvc0
 最後の気力を振り絞ったものだろう。間違いなく、全弾を使ってでも殺してくる。
 ウージーは手元にあるものの構えて照準をつけるには遅すぎる。
 これまでかと思いながらも諦めることを知らないらしい体は動き、必死に狙いをつけようとした。

「くっ、間に合わな……!」

 声を遮るように、銃声が木霊する。思わず目を閉じたルーシーだったが、痛みはどこにもなく、銃声も一発だけだった。
 目を開ける。そこには、ぐらりと体勢を崩した名雪と……その後ろで、M29を構えている古河渚の姿があった。
 あの声は……古河のものだったのか?
 どうしてここにいる、という疑問と自分を助けてくれたという事実が頭の中を満たし、陰を吹き散らし、視界をクリアにさせてくれた。

 体勢を崩した名雪の隙。もう見逃さない。今度こそ決着をつける。乗り越えるために――!
 尚も無理矢理銃を乱射してきた名雪に応じるように、ルーシーもありったけの力で引き金を絞る。
 頭部を目掛けて撃ったウージーの弾は名雪の頭にいくつもの穴をこじ開け、今度こそ彼女を絶命させた。
 何を考えていたのかも、何を目指していたのかも分からぬ、悲しき機械の女が……ゆっくりと、ぎこちなく崩れ落ちた。

「……っ」

 同時にルーシーも苦悶の声を上げ、膝をついてしまう。名雪の最後の乱射はルーシーの脇腹を掠り、確かな傷を残していた。
 それを見た渚が慌てた様子でこちらへと駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫ですかっ」
「……問題はない。掠っただけだ。それより古河、どうして、お前はここに……」
「それは……え、えっと、その……心配になったから、です」

 勝手に離れていったのはこちらだし、放っておいてもよかったのに。思ったものの、口には出せなかった。
 代わりに自分の中に、光が差していくのを感じる。太陽みたいだな、という感想をルーシーは抱いた。
 陰を吹き散らしてくれる、決して近づけぬ存在でありながらなくてはならない存在。
 いつの間にか微笑を浮かべていたらしい自分に対して、渚も微笑を返した。ちょっとぎこちない、しかし暖かな笑みだった。

638Trust you:2009/03/23(月) 01:40:34 ID:cw9JXZvc0
「でも、わたし……間に合わせることが出来なかったみたいです……ごめんなさい、なんと言っていいのか……」

 だがすぐに表情が崩れ、骸となった美凪の方を向いた渚は、泣いていた。
 少しの自責と、たくさんの哀しみを含んだ涙だった。
 もう話すことが出来ない美凪に対して、これ以上ないほど哀しんでいた。

「もっと、話したいことがいっぱいあったのに……わたしは何も知らないのに」
「古河……お前のせいじゃない。こうなったのも私が、私達が何も分かろうとしていなかったからだ」

 寧ろ自分の方が情けない、申し訳ない気持ちで一杯だった。
 言葉の節々から、渚が自分達と関わろうとする意思、己が考えていることと同じことを思っているということが感じ取れる。
 なぎー、やっぱり、お前の言う事は正しかったのに……
 やりきれない思いが込み上げる一方、渚の分かり合おうとする意思に触れ、以前のようなわだかまりが溶けてきていることにも気付く。

 本当は誰かに認めてもらいたかっただけなのではないだろうか。
 善人になりきれない自分を「それでもいい」と受け入れて欲しかったのではないだろうか。
 身内からではなく、しこりを残した相手からの握手を。

 ちょっとしたきっかけ。完全には分かり合えずとも協力していけるきっかけが欲しかったのだ。
 そうして少しずつわだかまりを溶かし、長い年月が経って初めて……自分達を親友と認め合えるのだろう。
 憎しみに変わり、後に退けぬまま食い合う前に……美凪はとっくに分かっていたのに……

「――済まない」

 己の内にある全ての思いをその一言に集約し、ルーシーは静かに、だがはっきりとそう言った。

「ルーシーさん……いえ……」
「そういえば、警告してくれたのも古河だったのか。あのとき、るーさん、って呼ばなかったか」
「? い、いえ、ルーシーさんと、叫んだつもりでしたけど」

639Trust you:2009/03/23(月) 01:40:52 ID:cw9JXZvc0
 そうか、とルーシーは答えて、美凪の方へと向く。
 まさかな、と思いながらも、一方でそうなのだろうという確信があった。
 美凪の魂が、想いが、渚を通じて自分に呼びかけてくれた。

 私はこのままでいい、私に拘らず、るーさんはるーさんの今を生きて欲しい……そんな風に。
 他人に己を委託してでしか生きられなかったはずの美凪。それなのに、こうして最後は自分の力だけで想いを成し遂げた。
 だとするなら、やはり本質からひとは変われるのかもしれない……そんな感慨を抱かせた。
 少なくとも、その可能性は目の前にある――息を吐き出したルーシーは、ゆっくりと渚の肩に手を置いた。

「行け。どうせ奈須あたりとは別行動なんだろう? 追ってくれ。私は少し休んでから行く。ちょっと、疲れた」
「え? で、ですけど……」
「いいから行け。お前なら、きっとあいつだって助けられる。現に私がそうだった。だから、行くんだ」

 ぐいと肩を押し、渚を離れさせる。
 しばらく不安げにこちらを見ていた渚だったが、こくりと小さく、しかししっかりと頷いた。

「分かりました。必ず戻ってきます。あの、そのときには……あ、あだ名で呼んでも構いませんかっ」

 神妙な顔から出た言葉は、この場には不釣合いな、日常の欠片を含んだ言葉だった。
 思わず笑い出したくなるのを抑えつつ、ルーシーは「ああ」と応じた。

「そのときには、こっちもあだ名で呼ばせてもらうぞ。『古河』」

 恐らくは、いやきっとこれが最後の呼び名になるだろうという予感を得ながら、ルーシーは渚の返事を待った。
 はいっ、という元気のいい返事がすぐに返ってきて、今度こそ渚は駆け出した。
 気のせいだろうか、その後ろには蛍のような、小さな光の群れがついていっているように見えた。

 ルーシーは空を見上げる。雨は、少しずつ弱まっていた。
 いつか、きっとこの雨も上がり、空も晴れる。渚という太陽が共にある限り。
 銀色の十字架が同調するように、ルーシーの傍へと寄った。

640Trust you:2009/03/23(月) 01:41:54 ID:cw9JXZvc0
【時間:二日目21:00】
【場所:F-3】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 3/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

遠野美凪
【持ち物:包丁、予備マガジン×1(ワルサーP38)、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン】
【状態:死亡】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:たこ焼き友だちを探す。少々休憩を挟んだ後宗一たちと合流】 

水瀬名雪
【持ち物:薙刀、ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾0/14)、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:死亡】

【残り 18人】

→B-10

641十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:00:29 ID:QhWdeCLQ0
 
おぅろぅ―――、おぅろぅ―――と。
高く、低く、笛の音のような音が響いている。
砕かれた神像の残骸を、風が吹き抜けていく音だ。
それはまるで群れを見失った獣の哭き声のようで、物悲しさに水瀬名雪が口元を歪める。

駆けるその足は止まらない。
踏み出した傍から崩れ、瞬く間に小さな石の塊となって山道の斜面を転がり落ちていく大地を、
あたかも氷の上を滑るような鮮やかさで越えていく。
少女の外見からは想像もつかぬ体術、絶妙な体重移動のなせる業であった。
と、目の前の地面が、音を立てて割れる。
唐突に口を開いた断崖に、しかし名雪は驚愕の声一つ漏らすことなく跳躍。
断崖が空しくその背後に消えていく。

跳んだ名雪の、開けた視界が赤々と染め上げられる。
火球である。
人ひとりを飲み込んで余りある炎塊が空中、躱せぬ一瞬を狙い澄ましたように名雪に迫っていた。
事実、緻密な計算に基づいた頃合であったのだろう。
だが燃え盛る火に飲まれ骨まで焼き尽くされる未来を、水瀬名雪はただの指一本で回避する。
肉付きのいい指が迫る火球を指し示した、その直後には黒雷が閃いている。
名雪の背後から真っ直ぐに飛び、火球の中心を貫いて雲散させた黒雷が、蒼穹の彼方へと消えていく。
撃ち出したのは名雪の後ろに控える、大きな漆黒の置物である。
疾走や跳躍に正確に追従する、そのぎょろりと眼を剥いた蛙の置物を、称してくろいあくまという。

642十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:00:55 ID:QhWdeCLQ0
―――これは正しく、時間との戦いだ。

着地した名雪が冷静に分析を開始する。
敵、黒翼の神像は既に眼前。
残り時間は、と問えば間髪いれず、五分四十秒と答えが返ってくる。
時計の針と戦況とをじっと見比べる坂神蝉丸の渋面が見えるような、声なき声。
さしもの強化兵も焦りや苛立ちが隠しきれなくなってきている。
それでもまだ、前に出られない。
理由は単純だ。
この山頂に覆い被さるように拡がった巨竜の背、銀の平原。
半径数百メートルにも及ぶその銀鱗の敷き詰められた道は、いまや紅の森と化していた。
巨神像の斃れる度、巨竜の背から生える紅い槍はその数を増していく。
行く手を阻むように生え、蠢くその槍の森を越えるには、砧夕霧を抱え動きの封じられる蝉丸だけでは手が足りぬ。
先導し、突破するだけの火力。
それを蝉丸は待っている。
巨神像は既に半数が斃れていた。
残るは四体。槍、白翼、大剣、そして名雪の眼前に立つ黒翼の神像。
この内、左右の端に位置する槍と黒翼が落ちれば、戦闘は最終局面を迎える。
他の巨神像が全て沈黙している状況であれば、白翼と大剣を押さえつつ蝉丸とその先導が動き出せる。
紅い森の突破に集中させることができるのだ。

問題は、と。
黒翼の神像が放つ漆黒の光弾を、同じく日輪を侵すような黒雷で相殺した名雪が、
その手に小さな白い何かを掴み出しつつ、思考を展開する。
何もない中空から取り出したように見えたそれは、陽光を反射して煌く雪球。
否、雪で作られたそれは、小さな兎であった。
問題は突破に費やせる時間が、どれほど残せるかという一点に尽きる、と考えながら高く飛んだ名雪が、
叩き落そうと迫る黒翼の神像の一撃を躱しざま、巨大な腕に雪兎を乗せる。
兎の背にはいつの間にか小さな時計が据え付けられ、その針を動かしていた。
名雪と神像が交錯する度、雪兎の数は増えていく。

643十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:01:12 ID:QhWdeCLQ0
―――時間との戦い、だというのに。

優美な巨神像と季節外れの雪兎、そしてその背の小さな時計。
ひどく不釣合いな三者を結びつけた水瀬名雪という怪物が、苦笑する。
この山頂には、幾つもの声なき声が満ちている。
少女たちの、或いはかつて少女であった女たちの、声なき声。
隠す様子もなくびりびりと伝わってくるそれらは、どれ一つとして時間のことなど気にしていない。
身勝手で、視野の狭い、しかしどこまでも切実な声。
その瞳には、目の前の危機など映ってはいないのだろう。
遠い昔に水瀬名雪から剥がれ落ちていった激情が、老いさらばえた心を炙ってちりちりと焦がす。
灼かれて煙をあげた心に咽るように、名雪が口の端を上げる。
笑みに逃げたその貌が、母親のいつも浮かべていたそれとひどく似ているのだろうことには、
気付かないふりをした。

川澄舞は今も待ち続けている。
今も、そして、今回も。
漏れ伝わってくる思いと決意の強さ、その変わらぬひたむきさが、名雪には眩しい。
彼女は待ち人の名を知らない。
その存在の意味も、与えられた役割も。
恋敵、などと水を向けたところで反応が返らないのも当然だった。
それでも、だろうか。
或いは、だからこそ、だろうか。
真実を知ってなお、川澄舞は変わらずにいられるだろうか。
意地の悪い想像に含まれる妬みの色を、名雪は老いた笑顔で飲み下す。

644十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:01:48 ID:QhWdeCLQ0
相沢祐一。
繰り返しの果てに壊れた、機械仕掛けの神。
望まれるままに奇跡を起こす、哀れな案山子。
川澄舞が真に偶然の中で祐一と出会えたのは、もう遥か以前のことだ。
今の川澄舞が祐一と出会ったのは、単純に幼い彼女が救済を願ったからだろうと、名雪は推測する。
壊れた祐一に自由意志などありはしない。
孤独を恐れ、理解を求めた幼子の祈りに呼応して現れた幻想。
それが相沢祐一だ。
だから川澄舞は、ある意味で正しい。
祐一はもう、彼女の前には現れない。
与えられるだけの救済をはね除ける強さを、彼女が持つ限り。

それは悲しい自己矛盾だ。
彼女が祐一の帰る思い出の場所を守り続けるために強くあることこそが、祐一の降臨を阻害している。
だがそれは同時に、正しい人のあり方だ。
相沢祐一を求めるとき、人は弱く惨めで、その弱さは己を、己の周りにある世界を貶めていく。
祈りに応じて現れる祐一は愚かで浅ましい小さな世界を救い、その醜さを受け止めて歪みを増す。
存在が崩壊を内包する道化を呼び出すのは、人の醜さに他ならない。
だから、強くあろうとする少女はそれだけで正しく、美しい。
私と違って、と自嘲する名雪の手には、十数個めの時計仕掛けの雪兎がある。
カチカチと時を刻むその秒針が、間もなく頂点を指そうとしていた。

―――この島の一番高いところ、か。

ふと、青の世界で聞いた声を思い出す。
見上げれば、蒼穹には雲ひとつない。
悠久を繰り返す水瀬の知らない世界。
少女たちが、その強さのままに真実を求めるのなら。
もしかしたらその先には本当に、この世界の終わりを越える何かが見つかるのかもしれない。

ならば、と。
遠い空に目をやりながら、名雪が口元を緩める。
このどこか虚ろな戦いの終わりにも、幾許かの意味はあるのだろう。

浮かべたその微笑に、醜悪な老いの色はない。
祝福を授けるように、名雪が手の雪兎にそっと口づけする。
捧げるように手を伸ばし、伸ばした手から、白い兎が落ちた。

『―――まずは打ち破ろうか。この妄執を』

声なき声の、響き渡ると同時。
名雪の足が地を蹴り、空へとその身を投げる。
彼女が立っていたのは黒翼の神像、その肩の上である。
大地へと落ちゆく名雪が蒼穹に向けて指を伸ばし、小さく打ち鳴らした、その瞬間。
黒翼の神像の至るところに置かれた雪兎の、時計の針が一斉に零を指し示した。

白光と灼熱とが、黒翼の神像を包み融かし尽くすまでの一瞬を、待ちかねたように。
凄まじい爆音が、山頂を揺るがした。

645十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:02:20 ID:QhWdeCLQ0
 
【時間:2日目 AM11:55】
【場所:F−5 神塚山山頂】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体11000体相当】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:大破】

→1045 1053 ルートD-5

646十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:16:18 ID:ZjBIZIJY0
 
それは、曙光だった。
朦々と舞い上がり、まとわりつく砂埃を払いながら真っ直ぐに見つめてくる、天沢郁未の瞳。
鹿沼葉子の目にいつだって眩しく映っていた夜明けの色が、そこにある。


***

647十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:16:30 ID:ZjBIZIJY0
 
「冗談じゃない、って話」

掠れた声。
こみ上げる血と絡まる痰と不定期な鼓動と引き攣る横隔膜とで震える声。
炎や、地響きや、飛び交う光や稲妻や、そういうものの一切を無視して、郁未が言葉を紡ぐ。

「ああ、冗談じゃあない。これがあんたの喧嘩で、だから一人でやるっていうんなら葉子さん、それはいいさ。
 私はここで見ててやる。あんたが勝って、戻ってきて、澄ました顔でお待たせしました、って言うまで待っててあげる。
 けど、ならさ。ごめんなさい、は違うでしょ」

打ち鳴らされる鐘のように響く音は、巨神像の槍だ。
葉子と郁未とに向けて、何度も打ち下ろされている。
少女二人を容易く押し潰すはずの巨槍は、しかし見えない壁に弾かれるようにその穂先を空しく傷めていくばかりだった。
力と、技と、質量と、そのすべてが通らない。

「謝る必要なんかない。……違う、違うね。謝っちゃいけない。
 葉子さん、あんたはだから、そこで謝っちゃいけないんだ。
 私はここにいる。あなたの傍で待ってる。離れない。だから、謝るな」

不可視の壁を張り巡らせた、その中で。
外の世界の全部を遮って。
天沢郁未が、告げる。

「私はずっとここにいる。それを信じてるなら、信じてくれるなら、謝らないで。
 いつも通りの鹿沼葉子で、私に。天沢郁未に聞かせて。その声を。本当の声を」

世界を隔てて、ただ二人。


***

648十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:18:19 ID:ZjBIZIJY0
 
言葉を、探していた。
天沢郁未に返す言葉を。
その、赤面するほどに真っ直ぐな気持ちに応える言葉を、鹿沼葉子は探していた。

色々なことが頭の中を巡っていた。
色々なものが、色々な人が、色々な記憶が、葉子の中で言葉になろうとして、
しかし結晶する寸前で、天沢郁未という熱を前に、それらは空に溶けて消えていく。

怖かった。
立ち塞がる巨大な敵は、葉子の過去が具現化したかのようで、だからそれを打倒するのは葉子自身の役割で。
違う。恐怖の根源は、そんなところにはない。
言葉と共に、欺瞞も虚飾も、熱に煽られて溶けていく。
やがて剥き出しになった恐怖は、たった一つ。
ただ、失うのが、怖かった。
過去に敗れて、過去に呑まれて、現在が失われるのが、怖かった。
鹿沼葉子の過去に天沢郁未が呑み込まれるのが怖くて、だから独りになろうとした。
ひどく陳腐で、どこまでも甘ったれた、子供のような我侭。
誰が聞いても呆れるような、天沢郁未も呆れるような、だからそれを口にした。

天沢郁未は、笑ってそれを、殴り飛ばした。
赦さずに、いてくれた。

それは、嬉しくて、悲しくて、腹立たしくて、有り難くて、微笑ましくて、気恥ずかしくて、
全部の感情を集めて心の中で弾けさせたような、ひどく騒々しい、夜明けの鐘。
飛び起きた頭は混乱の中にあって、だから葉子は考える。
考えて、考えて。

だけど言葉は、見つからない。
見つからなくて、ぐるぐると回って、結局振り出しに戻った頭が、何も考えられない葉子の頭が、
ようやく言葉を搾り出そうとする。

「ご、ごめ……」
「だから、そうじゃない」

苦笑に、遮られた。
遮って、手が伸ばされる。
手を差し出して、天沢郁未が、

「そこは、これからもよろしく……って、言うとこ」

夜明けのように、微笑んだ。


***

649十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:19:08 ID:ZjBIZIJY0
 
それは、難問を答えに導く、たった一つの公式。
差し出された手と微笑みが、薄闇を打ち払い、冷たい夜露を煌めく珠に変えていく。

「……私、自惚れてる?」

明けていく夜の、昇る陽の眩しさと暖かさに、涙が滲む。
縋るように、その手を取った。

「……いいえ」

最初はか細く。

「いいえ、いいえ!」

やがて、雲間から射す光の、大地を照らすように。

「私は……私は、鹿沼葉子。國軍技術研究局、光学戰試挑躰にして、FARGOクラスA」

繋いだ手の温もりに、応えるような声で。

「だけど、だから私は今、天沢郁未の隣に立っている。……立てて、います。
 これからも……よろしくお願いします、郁未さん」

宣言と要請を、真っ直ぐな笑みが受諾した。

「―――よく言った!」


***

650十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:19:24 ID:ZjBIZIJY0
 
結んだ手から、光が伸びる。
伸びた光が道となり、その先には倒すべき敵がいた。
手を繋いだまま、光の道を歩き出す。

「不可視の力は無限の力」

二つの足音が、一つに聞こえる。
駆けるでもなく、止まるでもなく。
歩み続ける、足音。

「世界を塗り替える願いの力」

行く手を遮るものは何もない。
焦燥のままに何度も突き立てられる巨槍は不可視の壁を貫けず、光の道に触れることすら叶わない。

「ならば誓いは道となり―――」

光に射抜かれるように、巨神像の顔がある。
その見上げるような顔のすぐ前で、歩みが止まった。
繋がれた手には、いつしか何かが握られている。
天への供物のように掲げられたそれは、郁未の長刀。
魅入られたように動けない巨神像の眼前で、刃がその輝きを増していく。
やがて陽光を凝集したような燦然たる光となった長刀が、振り上げられる。

「―――絆は、刃となる!」

光が、奔った。


***

651十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:19:44 ID:ZjBIZIJY0
 
馬鹿だった。
自分はどうしようもない馬鹿だったのだと、鹿沼葉子はようやく気付く。

二つに分かれて崩れゆく巨神像を前にして、薄れゆく光の道から飛び降りて、
だけど離れない手を真ん中に、くるくると回りながら思う。

夜はもう、とうの昔に明けていた。
あの日、あの時、今はもうない教団の、あの誰もいない食堂の薄暗い片隅で。
誰にも気付かれないままに、夜明けは訪れていたのだ。

暗かったのは、ただ目を閉じていただけ。
一番鶏の鳴く声が聞こえなかったのは、ただ耳を塞いでいただけ。

離れられるはずもない。
いかに怯えようと、大切なものを飲み込む夜の闇など、もうどこにもありはしなかった。
目を開ければ、光の中にそれはあった。
笑って、いた。

だからもう、言葉を探す必要はない。
声に出す必要も、なかった。

ただそっと、繋いだ手に力を込めて。
微笑んで、想う。



―――これからも、ずっとずっと、よろしく。

652十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:20:14 ID:ZjBIZIJY0

  
【時間:2日目 AM11:57】
【場所:F−5 神塚山山頂】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体9700体相当】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:大破】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】

→1048 ルートD-5

653名無しさん:2009/04/01(水) 02:31:09 ID:.RmBvSCY0
 
 
  ―――その死には、幾つもの真実が、足りない。


「駄目! 私に近づかないで、貴明さん!」
「草壁さん……どうして、どうして君がそっち側にいるの!?」


  何もかもが間違っている。


「わたしの運の悪さ……知ってるでしょ? ……だから、」
「だからその『凶運』を、僕が『転移』する。不幸は共有されるべきだからね」
「柊……くん……」


  誰も彼もが、救われない。


「あちきが間違ってる。そんなこたー、わかってらい」
「みゅー」
「お前ぇさんも、たかりゃん達にはついてけねえってクチだねえ」
「みゅー……?」


  生き長らえて、死んでいく。


「私にはっ! 『加護』なんて力、ないのに! なのに、どうしてっ!」
「仁科、今それを告げれば、我々は決戦を前に内部から崩壊する」
「智代さんが、そういう風に仕組んで! だから敵とか、味方とか! もう沢山なんです……!」


  混沌に隠された真実が、


「みずぴー……! あたしたちは……!」
「ダメだ新城! そいつを信じるな!」
「向坂……雄二……! 夕菜さんを見捨てたくせに、あなたって人は……!」


  ここに、明かされる。


「この時間の全部が消えても……もう一度、会えるかな?」


  その道の果てで、少女の恋が、終わるまで―――


 HAKAGI ROYALE Ⅲ  ROUTE D-5  episode:0

       ―――The Way to Void―――



 近世紀公開予定、ズガン。

654最終話 希望を胸に すべてを終わらせる時…!:2009/04/01(水) 03:30:20 ID:eDCqWgH20
高槻「チクショオオオオ!くらえいくみん!新必殺高槻最高斬!」 
郁未「さあ来い高槻イイイ!私は実は何の盛り上がりもなく死ぬぞオオ!」 

(ザン) 

郁未「グアアアア!こ このザ・エロスと呼ばれる四天王のいくみんが…こんなワカメに…バ…バカなアアアア」 

(ドドドドド) 

郁未「グアアアア」 
有紀寧「いくみんがやられたようだな…」 
名雪(ゾンビ)「ククク…奴は四天王の中でも最弱…」 
椋(ゾンビ)「人間ごときに負けるとは主人公の面汚しよ…」 
その他対主催「「「「「「「「「「「「「「くらえええ!」」」」」」」」」」」」」」
 
(ズサ) 

3人「グアアアアアアア」 
高槻「やった…ついに四天王を倒したぞ…これで主催のいる高天原の扉が開かれる!!」 
サリンジャー「よく来たなヘンな称号いっぱいの男…待っていたぞ…」
 
(ギイイイイイイ) 

宗一「こ…ここが高天原だったのか…!感じる…主催の力を…」 
サリンジャー「対主催どもよ…戦う前に一つ言っておくことがある 幻想世界だか宝石だかが重要なフラグだと思っているようだが…別に関係ない」 
渚&風子「「な 何だってー!?」」 
サリンジャー「そしてシオマネキは動かなくなったので処分しておいた あとは私を倒すだけだなクックック…」
 
(ゴゴゴゴ) 

国崎「フ…上等だ…俺達も一つ言っておくことがある 何だか壮絶にキングクリムゾンしているような気がしているが、別にそんなことはなかったぜ!」 
サリンジャー「そうか」 
浩之「ウオオオいくぞオオオ!」 
サリンジャー「さあ来い!」 

対主催達の勇気が世界を救うと信じて…! ご愛読ありがとうございました! 


【HAKAGI ROYALEⅢ RoutesB-10 END?】


【状態:俺達の戦いはこれからだ!】
【目的:名無しさんだよもんさんの次回作にご期待ください!】

655End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:48:39 ID:4D5sJK1.0
「降っているな」
「降ってるの」

 きこきことペダルの音を鳴らしながら二人乗り自転車に跨いでいるのは一ノ瀬ことみと霧島聖。
 半ば無表情に、規則正しく早いスピードで進む二人の姿はどこか牧歌的であり、滑稽に映っていることだろう。
 実のところことみは周囲に人の気配がないか気を配りつつも、雨で滑らないようぎゅっとサドルを握りペダルも強すぎるほど漕いでいる。
 見た目とは裏腹にかなり緊張していて、体力もかなり使っていた。

 もちろんそんなことを聖に言えるはずもないので黙って漕ぎ続けているのだが。
 距離的にはかなり進んできたはず。ここは流石に二人乗り自転車の面目躍如と言うべきか、あっと言う間に灯台が見えてきた。
 気がする。どれくらい時間が経過してるのなんて分かりもしないし、果たしてここに目的の品があるのかなど知るわけもない。

 だがやるだけやるしかない。ここまで生きてきて何の役にも立てないまま死ぬのは嫌だ。
 妹を探索するのを後回しにしてまで自分についてきてくれた聖に対して申し訳が立たないし、
 自分を信じて協力してくれた友達に合わせる顔がない。
 所詮己にはちっぽけな勇気と、一歩踏み込むことも出来ない臆病さしか持ち合わせていない。

 きっとこれからも変わらず、変えられもしない部分なのだろう。
 だからこの勇気の残りカスを振り絞ってでもここから生きて帰る。
 それが一ノ瀬ことみの決意したことだった。

「そういえば、だ。今こんなことを聞くのは不謹慎と言うか、不躾かもしれないが」
「なに?」
「生きて帰れたら、何がしたい?」

 少し迷ったように、ゆっくりと声が吐き出された。ことみはつかの間目をしばたかせ、質問の内容を理解するのに数秒の時間を要した。
 黙っていて、相槌も返ってこないにも関わらず聖は何も言わない。じっと答えを待っていた。
 いやそう簡単に答えられるような質問じゃない。
 このような空白の時間でもなければ話題にも出せないような質問だ。今現在を生きるのに必死で、考えようもなかったことだから……

656End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:48:57 ID:4D5sJK1.0
 分からない、と散々に思案した末に、消え入るような小声でことみは言った。
 元の生活に戻れるとはとてもじゃないが思えない。
 たとえ友達と全員生きて帰れたのだとしてもここで感じた極限状態の影響など計り知れようもない。
 自分が落ち着いていられるのは聖という保護者がいること、そして殺し合いの現場には遭遇していないことがあるからだ。

 無論、死体はいくつか見た。状態も酷く内臓が見え隠れしていたものもありあまりの気色悪さから吐きそうにもなった。
 しかしこうして喉元過ぎれば気持ちの悪さはなりを潜めている。慣れと言えば、そうなのだろう。

 だから自分は、異常なのだ。異常な人間が帰って、果たして元通りの生活を送れるのだろうか。
 ベトナム戦争から帰還したアメリカ兵が戦場での過酷な体験、
 社会からのプレッシャーによりPTSDを発症し、精神を崩壊させたという事例もある。
 この状況も一種の戦争。極限に慣れた体は、果たして日常に耐えうるのだろうか……?

「まあ、難しく考えるな」

 ことみの中の疑問を読み取ったかのように、湿り気を吹き散らす聖の声が聞こえた。
 自分のことばかり考えていたが聖はどうなのだろう、とことみは考える。
 家族を失い、帰る場所が失われた聖は自分などとは比べ物にならないくらいのショックを受けているはずなのだ。
 悲しみで我を押し潰されてもおかしくはないはずなのに、どうしてこんなに強く在れるのだろうか。

 だが自分には尋ねられない。そんな度胸は、この期に及んでも持てない。
 沈黙で答えるしかなかったことみに苦笑したような風になって、聖は言葉を重ねた。

「人はそう簡単に壊れたりはしない。私にだって、まだやりたいことはある。
 それがこの一瞬、刹那的でしかなくて、何も残らないものだとしても、だ」
「……それが、先生を支えているもの?」
「そうだ。……自分で考えて、自分で決めたことだ。
 きっと後悔することになるかもしれん、がほんの少し先の未来でさえ考えられないような人間ではいたくないのでな。
 何十年も先のことじゃない。明日やりたいことでもいいし、一週間後にやりたいことでもいい。
 私は今日やりたいことをやっている。ことみ君には何かないのか? やりたいことは」

657End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:49:16 ID:4D5sJK1.0
 心の中を察したかのような聖の言葉だが、きっと推測したのではないと思う。
 医者として、人間として、空白のままの人間でいて欲しくないという願いが聖の言葉から伝わってくる。

 実際そうだという自覚はことみ自身にもある。父母に伝えられなかった言葉、朋也を待ち続けた時間。
 ぽっかりと空いた時は知識を埋めるためだけに使われ、何ひとつやりたいと思ったことをやっていない。
 膨大すぎる知識だけを持て余し、その合間すら埋めるために図書館に篭もっている日々が続いた。
 自分の意思などなく、ただ空白だけを塗り潰すために過ごしてきた時間だ。

 しかし朋也との再会を切欠に様々な人と出会い、過ごし、空白は少なくなっている。
 自発的な行動はあまりないし、大抵が誰かに引っ張られる形での行動だ。
 まだ、自分は自分から何かが出来るような人間ではないのかもしれない。

 それでも確かに……引っ張られることを選択したのは他ならない自分、だ。
 だとするならそれは、自分が望んだことなのだろうか。
 結局……それはやりたいことではないようにしか思えなかった。だが、やりたいことではなくとも、目指すべきものはあった。

「ごめんなさい、今はまだ見つけられないの……でも、でも、友達や聖先生と一緒にいたい。それだけは確かなことなの」

 そうか、と返答する声が聞こえ、つかの間の沈黙は完全な静寂へと変貌した。
 なにか思うところがあったのか。沈黙から静寂に変わる間、聖は考え事をしているように思えた。
 自分よりも大きいはずの聖の白い背中が、その瞬間だけは小さくなったように見えたのだ。

「……さて、灯台を過ぎたか。ここから先は氷川村だな。どこかに農協があればいいんだが……軽油があるかな」

 取り繕うように言葉の大きさを変えて、聖が周囲を見回す。
 長髪が揺れるのに合わせてことみも周囲を探ることにする。
 暗くなって視界が定まらない。ライトでも点ければ少しは見晴らしも良くなるのだろう。

658End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:49:33 ID:4D5sJK1.0
 だがそれは同時に自分達の居場所をアピールしてしまうことに他ならない。
 是が否でも成功させなければならない使命がある以上、極力知らない人間との接触は避けたいところだった。
 地道で時間のかかる作業だが今はこうするしかない。殺し合いに時間制限はない。

 タイムリミットがないのならば十分に活用してやるまで。しかし、逆にそのことが疑問点として頭にこびりついている。
 本当に殺し合いを推進するならばどうあっても人が人を殺さざるを得ない状況に持ち込むことが不可欠だ。
 『殺し合い』はただ単に殺せばいいのではない。あくまでも参加者が自発的に殺しに行かなければ意味がない。
 友人のため、家族のため、或いは自分の命のため。理由はどうとでもつけられる。必要なのは、踏み出させる切欠。
 けれどもこの殺し合いにはそれが決定的に不足している。穴が多すぎるのだ。

 時間制限がないということは、のらりくらりと状況を進められるということだし、
 定期放送でも呼ばれるのは死者の名前ととても信じがたいような与太話ばかり。
 とてもじゃないが本気で殺し合いをさせたいようには、ことみには思えなかったのだ。

 寧ろ反抗の余地を残してさえいる。例のカードキーもしかり、首輪にも盗聴機能しかつけていないこともしかり。
 反抗させることが狙いなのだろうか。そうだとして、反抗させるメリットは?
 殺し合いに乗った連中とぶつかることを考慮すればますます意図は読めない。
 一体、主催者が必要としているものは何なのだろうか?

 疑問しか浮かばず、結論も思い当たらない以上聖にこの話を持ち込むのはやめておいた。
 今は課題を増やしたくはない。やることは軽油の確保だ。
 顔を持ち上げ、意識を周囲へと戻す。すると外れのほうにぽつんとひとつ、古臭いながらも大きな建物が見えた。

 錆びた鉄骨がむき出しになっているそれは潰れた施設であることを想像させる。
 しかしこういうところには、得てして廃棄された資材などが打ち捨てられているものだ。
 使えるかどうかはまた別の話になるが、廃工場であるならひょっとすると火薬のひとつでもあるかもしれない。
 電気信管は流石に期待は出来ないが、行ってみる価値はある。あるかも分からない農協を探すよりは建設的なことのように思えた。

「先生。あそこにある建物、見える?」

     *     *     *

659End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:50:07 ID:4D5sJK1.0
 薄暗い室内。殆ど光も差さない一角、隅に隠れるようにして宮沢有紀寧はノートパソコンを起動させていた。
 その傍らにはコルトパイソンと首輪爆弾起動のためのスイッチが置かれ、彼女の内心の焦りを表している。
 何度も思ったことだが、所詮自分は単体で殺しあえるほど強くはない。

 だからこそこれまで他者を使い、利用し捨てることでここまで生き延びることができた。
 人とのコミュニケーションは得意だし、会話を自分のペースで進めることだって得意だ。その自負はある。
 もう一度だ。もう一度だけ、どこかに紛れられるチャンスがあれば優位な立場で最後の決戦を迎えられる。

 ロワちゃんねるを開き、残りの生存者がどうなっているか確認する。
 まだ20人強は残っているだろうと予想していた有紀寧だったが、その予測は良くも悪くも裏切られる。

(……20人を切っている、のですか)

 先程の乱戦の様子から見てこの結果が想像出来なかったわけではない、が驚きを覚えたのも事実だった。
 放送が終わったときと比べても半数近くが死亡している。場合によっては夜明けまでに決着がつくこともあり得る。
 問題は自分の正体を知られているかどうか、だ。

 戦いの様子を見てはいたものの会話の内容を聞き取れたわけではないし、
 柏木初音はともかくとして藤林椋が喋らなかった保障はない。
 柳川祐也に関しても同様だ。誰かと潰し合ってくれたのはいいが反抗的な男だ。
 こちらの情報を誰かに伝えられた可能性もある。何にしろ、自分の正体が誰にもバレていないと信じるには甘すぎる。
 さらに人数も少ないということは、早急に手駒を見つけないと己単体で戦わざるを得ないことを意味する。
 少々のリスクは犯してでもこちらから接触し、現状をどうにかしなければ危うくなる一方だ。

 そこまで考えて、額に汗を浮かべ、意識も浮つかせている自分がいるのを自覚する。明らかに焦っている。
 不安がっているのだろうか。誰もなく、孤独な我が身に心細さを感じていたとでもいうのか。
 汗を拭い、ゆっくりと息を吐き出し、有紀寧は雨の降り続く空を、欠けた屋根越しに見上げた。

660End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:50:25 ID:4D5sJK1.0
 村はずれにぽつんと佇み、取り残されるかのようにあったそこは一時でも隠れるのにうってつけの場所だった。
 未だ雨は止まず、錆びた鉄骨から滴り落ちる雫が床にも水溜りを作り上げている。
 時折奏でられる水滴の音色を聞きながら、有紀寧は初音のことを思い出す。

 もしここに初音がいればどうだっただろう。
 無用な焦りも感じず、ただ自分を信じてついてきてくれる初音に自信を得ながら次の策を考えていただろうか。
 今の自分のちっぽけさ、小ささを感じながら、やはり家族という亡霊に取り付かれているのだと痛痒たる思いを抱く。
 家族が欲しかったのか。或いは取り戻したかったのか。それともやり直したかったのか。

 いずれも無理な話だと理性は知り抜いているにも関わらず、心の奥底が求めて止まない。
 何故こんなにも切望するのだろう。家族という言葉の果てに、自分は何を得たかったのだろうか。
 今もそうだ。言葉だけを追い続け、具体的にどんなことをしたいのか、どうしたいのか、全く分からない。
 殺し合いに参加した理由、生きて帰りたいという願いでさえも目的でしかなく、その先に充足が待つわけでもない。

 死にたくないと他者に言い続けてきた自分だが、違うのかもしれない、とそう思った。
 命が惜しいわけじゃないのだろう。ただ、知りたいだけなのだ。自分が望んでいたもの、未来の形というものを。
 それまでは死ねない。死に切れない。人間として……

 は、と有紀寧は笑った。嘲りに近い笑い方だった。この年になって自分探しとは、中々笑える。
 人殺しのくせに。センチメンタルになりすぎたと思いながら、有紀寧は闇の在り処を探した。
 殺し合いの中に身を置けば全てを忘れて没頭できる。殺すことに注力できる。
 ああ、やはり……狂っているのだ。落ち着いてゆく自分に対して、有紀寧は笑った。

 パソコンを閉じて物品の整理を始める。ここまで来たからにはもういらないものもあった。
 何故かいつまでも持っていたゴルフクラブ。近接戦闘用に、と思っていたが柄が長くて使えるとは言いがたい。
 捨てるに捨てられなかったというのもあるが。その場に放置し、残ったものをデイパックに詰める。
 コルトパイソンと弾はそれぞれスカートのポケットに入れ、スイッチは手元に。

 急ごしらえだが突発的な戦闘に対する用意はできた。後はこのスイッチを使うべき相手を探すだけだ。
 デイパックを背負って立ち上がったところで、水がぱしゃりと跳ねる音が聞こえた。
 人か!? さっと資材の陰に身を隠す。
 まさかここに誰かが来るとは思わなかっただけに意外だった。まさか大人数、というわけでもあるまい。

661End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:50:43 ID:4D5sJK1.0
 唾をひとつ飲み込むと、有紀寧はなるべく音を立てないようにして移動を開始し、耳に神経を傾ける。
 少なくとも人数の把握はしておきたい。大人数なら一旦逃げざるを得ないが、一人二人なら話は別。
 隙をついてスイッチを起動させることは容易だ。ここには物陰も多い。
 資材に張り付くようにして動く有紀寧に、喜色を浮かばせた女の声が聞こえてくる。

「あったの、先生!」
「本当か? まさかこんなところにあるとは……」

 声はもうひとつ。ぱしゃぱしゃと音を立てながら足音が遠ざかっていく。どうやら二手に別れて何かを探していたらしい。
 それに、一人は聞き覚えのある声だった。確か自分の通う学校で時たま怪音のバイオリンを聞かせていると評判の生徒のものだ。
 確か名前は……一ノ瀬ことみ、だっただろうか? 残念ながらもう一人は誰かは知らない。
 だが先生と呼ばれていることから少なくともことみよりは年上で、ことみの保護者と判断した方がいい。

 なるほど賢い選択だ。この殺し合いに対してどのような姿勢なのかは知らないが、強い人物に保護してもらうのは正しい。
 ノコノコとは出て行くまい。一ノ瀬ことみだとは分かるものの保護者がいる以上迂闊に手出しは出来ない。
 上の立場にいるものは得てして警戒心も強い。こんなところにひとりで隠れているというのは確実に怪しまれる。
 これが殺し合いが始まってすぐ、というならまだしもかなり時間が経過した状態で、一人でいるというのは考えられないことだからだ。
 余程保身傾向が強い臆病者でさえも人と絶対に会いたくないかというと、そうではない。
 どんな人間でさえも孤独は心細い。現に自分だってそうだ。

(狂っているわたしが言っても、説得力はないと思いますけど、ね)

 とはいえ、理には叶っている。隠れるというのもあくまでも怖い人間に見つかりたくないという思考から。
 安全そうな人がいれば出て行き、そうでなくとも様子を窺うくらいのことはする。
 絶対な孤独を望む人間なんて、余程人生に絶望していなければ有り得ない。

 まあ、とにかく総括するなら……自分はあくまでも普通で、ここまで一人ぼっちで隠れていられるような人間ではないということ。
 それを疑われればお終いだし、何より今の自分は爆弾を抱えている。殺し合いに乗っているという爆弾が。
 だから作戦は一つ。忍び寄って、首輪爆弾を起動させる。

662End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:51:02 ID:4D5sJK1.0
 最初のターゲットは……保護者のほうだ。
 強者にくっついているということは、裏を返せば上を落としてしまえば下も無力化するということに他ならない。
 依存度が強ければ尚更、だ。
 故に待つ。二人がまた分かれるまで、どこまでも待ち続ける。ジョロウグモのように。

     *     *     *

 屋外に廃棄されていたのは古さびたトラクターだ。
 機種としては比較的新しい方なのだが、
 手荒く使われていたのか傷やパーツの欠損が目立ち、一目にも使えなくなっているのが分かる。
 もし工具があればすぐさま修理にとりかかりたい衝動に駆られたがそんなことをしている場合ではない。

 問題はこのトラクターに軽油があるかどうか、だ。空っぽであるならば徒労に終わる。
 いや寧ろそちらの方が可能性は高い。あまり期待はするまいと思いながら聖は燃料タンクのフタを開ける。
 瞬間、鼻腔がなんとも表現しがたい匂いを感じ取り僅かに意識が遠のく。
 直接匂いを嗅ぐのは失敗だったかと思いつつ、聖はペンライトでタンクの中を照らしてみる。

「……ほう」

 むせ返るような刺激臭に目まで焼かれそうな感覚を味わいながらも、聖は静かに波打っている液体を発見した。
 間違いない。燃料だ。それも結構残っている。
 内心快哉を叫びながらも、何故廃棄されたトラクターにこれだけの燃料が残っているのか、と疑問が浮かぶ。

 考えても詮無いことだ。ここが人工島である可能性が高い以上、
 施設は全て演出目的で作られたものだろうしもしくはわざとこのように配置したとも考えられる。
 可燃性の燃料に火の一つや二つくべてやればあっという間に大炎上。人を焼き殺す凶器となる。
 戦闘が原因にしろ不慮の事故にしろ、人が傷つき、死亡することを狙ったとも言える。
 推測にしか過ぎないが殺し合いという名目がある以上単なるミスや偶然とは思えない。
 怒りを滾らせながらも、しかしそういう考えが奴ら自身の破滅を招くのだと結論した聖は内奥に怒りを仕舞い込んだ。
 爆発させるときは、奴らの懐だ。

663End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:51:31 ID:4D5sJK1.0
 ペンライトを消し、後ろで待つことみの方に振り返った聖はニヤと笑った。
 その意味を瞬時に理解したらしいことみはコクコクコクと素晴らしい勢いで頷いた。
 後は燃料を取り出すだけ。ポンプの一つでも持ってくれば必要な分の量は確保できるだろう。
 いざとなれば直接タンクに穴を開けて回収してもいい、がなるべく安全確実に回収したいのが聖の本音だった。

「ふむ、後は、あれだな。ポンプを探してきてくれ。私はここに残って見張りをする。
 誰かが来たらまた対応を考えなければいけないからな」
「うん、了解なの。……ところで先生、本当に機械にも詳しかったんだ」
「言ったろう? トラクターの修理だって出来る、とな。
 まあ土地柄と家族構成の関係上、やれることは多いほうが良かったからな」

 父も母もなく、自分ひとりで佳乃を養ってこなければならなかったため必然的に様々な資格を取得することも多かった。
 生活のためということもあったが、相互扶助の側面が大きい町でもあったから色々やっていたら自然と身についたものもある。
 だが今は自分ひとりという事実が圧し掛かり、聖の体を冷たくする。

 考えてみれば自分の人生は妹ひとりのために投げ打ってきた。
 そうしなければ守れなかったという現実もあったが、そうするしかなかったという仕方なさもあった。
 医学の道を志したのも妹の原因不明の病気を治すためだし、また女の身で家計を支えるにはこれが一番だという考えから。
 自分で意思して決めたわけではなく、人を救いたいという思いから医学の道に進んだわけでもない。
 妹のため、という言葉自体は間違いなく自分の意思に他ならないが、それは当たり前のこと。家族なら当たり前のことだ。

 ……私は、夢を持てなかった。

 夢を諦めたのではなく、最初からそのようなものを持っていなかった。
 それでもいいと思っていた。妹と平和に暮らせるのなら夢なんかなくたっていい、自分のことも考えなくていいと。
 しかし、今は現実が突きつけられている。依存する先を失い、何をしたらいいのか分からないという現実が。
 これからの自分に夢が持てるのか。考えさえ放棄していた己が今さら掴めるものがあるとでもいうのか。

664End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:51:47 ID:4D5sJK1.0
 佳乃、私はどうしたらいい……? どんな顔をして生きて帰ればいいんだ?
 やりたいこと。夢。ことみでさえ分からないと言ったそれをどうやって見つけ出すのか。
 脱出が夢まぼろしではなくなってきたこと、芽が見えてきたことに聖は自分でも正体の分からない恐怖を感じた。
 今やりたいことは確かにあっても、やりきってしまえば空っぽの自分しか残らない。
 ことみに対して向けた言葉が、あまりに白々しいもののように感じられた。

『人は簡単に壊れたりしない』『少し先の未来でさえ考えられないような人間ではいたくない』

 強がりだな、と聖は己の不実に嘆息するしかなかった。
 全ては詭弁で、本当は自分こそが答えを求めていたのかもしれない。
 夢を持てない大人はどう生きればいい、と。

「……先生?」

 黙ったまま何も言わなかったからか、ことみが心配そうな声をかけてくる。
 問題ないよ、と微笑した聖は早く行ってこいという旨の言葉を出そうとしたが、それより先にことみが続けた。

「先生って、色々出来るの。どうしてそんなにいっぱい出来るのかな」
「そうでもないさ」
「そんなことないの。人を治せるだけじゃなくて機械にも詳しいし、気が利くし、それに……誰かを守れる力があるの。
 私は知識だけ。知っていても、使ったことがないの。ただ知っているだけ」

 ことみは自らが無力だと語るように表情を険しくした。
 買い被りだ、と思いながらも無下に否定することも聖はしなかった。
 彼女が言いたいのはそういうことではないというのが分かっていたからだった。

「私は、先生みたいな人になりたい」

665End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:52:06 ID:4D5sJK1.0
 ことみの言葉に、聖は何も言えなかった。いや言うべき言葉が途切れてしまった。
 憧れ、信頼している少女の瞳がそこにある。だがそれは盲目の信頼ではなく、知ろうとする信頼だった。

「先生がどんなことを考えているかなんて分からないし、完全に知ることもできないと思うの。……どれだけ物事を知っていても。
 でも先生のやってきたことを、私は尊敬してるから。誰かを助けようとしてくれる先生を尊敬してるの。
 そこに嘘があったとしても、私は先生のついた『嘘』を信じたいの」
「……ふむ」

 ことみの下した結論はそうなのだろう。何をやりたかったのかも決められなかった彼女。
 けれども今は目標を定めて、進もうとしている。
 理由が打算的であったとしても人に恥じない行為をしていることを信じて。

「なら、とりあえず医者を目指してみるといい。だが案外厳しいぞ? 昨今の医療業界は」
「そのときは師匠、宜しくお願いしますなの」

 びっ、と敬礼まがいのポーズをとり、わざとらしく口元をへの字に結ぶことみ。
 思わず苦笑が漏れた。先生の次は師匠ということらしい。不思議と悪い気はしなかった。

 ことみの見ているものは虚像だ。自分が作り上げた虚像にしか過ぎない。
 ただ、それを自分と同質に見てくれたのもことみだ。そこを目指し、導いてくれと言ったのもことみ。
 どうやら自分には夢は夢でしかないのだろうと思った聖は、意外なほどすっきりとしている胸の内を眺めて安堵していた。

 大人になりきってしまった己には仕事に明け暮れるしかない。しかしそれでいい。
 仕事を通じて何かを伝えることもできる。自己満足だって得られる。
 学校を出るときに思ったことと同じだ。未来を望む人達を導く。それが大人の役目だ。

 どうして未練たらしく、自分も救われるなどと思っていたのだろう。
 その資格を自分で手放してきたくせに、今になって望むのは虫が良すぎる。
 だから自分が掴めるのは自己満足と他人の未来だ。だがそれは見守りながら朽ちてゆける価値のあるものだ。
 救われる必要はない。救われなくとも、幸福にはなれる。そう納得できるのも人間だ。

666End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:52:25 ID:4D5sJK1.0
「うむ、宜しくお願いされよう」

 びっ、とこれまたわざとらしくことみの真似をする聖に今度はことみが苦笑した。
 仕事をさせようとするからだ。ニヤリと口元を歪めた聖を見たことみは肩をすくめて廃工場の中へと戻っていった。
 ポンプとタンクを取ってくるつもりだろう。自分は自分のすることをする。
 そう断じた聖は顔を上げ、トラクターを背にするように移動する。誰かが来るかどうか見張るだけだ。

 デイパックは背中から下ろして近くに置く。いい加減背負うのも疲れた。
 と、ふと聖は日本酒が入っていることを思い出し、迷いながらも一口だけ飲むことにした。今までの澱んだ考えを洗い流す意味も含めて。
 デイパックの中にあるそれはまだ十分な量があり、ビンの中で液体がたゆたっている。

 栓を開け、一口。久々に味わう酒の感覚が喉を潤し、心地良さが体を満たしてゆく。
 きっとそれは自分の心境の変化のせいもあるのだろうと思いながら、続きは後にしようと日本酒をポケットへと仕舞う。
 サイズ的にはそれほどでもなかった。携帯用の酒瓶なのだろう。そんなことを思いながら聖は思考を移す。
 さて、万が一戦闘になってしまったらどうするか。肉弾戦ならともかく遠距離からの銃撃などに晒されたら対応し辛い。
 でかい狙撃銃らしきものはあるがそんなものを撃てる技術は流石にないし、医者としてのプライドが許さない。

 なら半殺しにはしてもいいのかということにはなるが、治せば構わない。
 要は命があればいいのだ。……もっとも、命を蔑ろにし、奪うような輩にはまだ出会ってはいないのだが。
 人がたくさん死んでいる現状で、それはきっと不幸なのだろうなと思いながら聖はベアークローを装着する。
 できるならもう誰も死なずに脱出したいものだ……そう考えたとき。

 ぱしゃぱしゃと水音を立てて近づいてくるものがあった。
 もう戻ってきたのかと思った聖だったが、早すぎるという直感が体を動かし、音の方へと振り向かせていた。

「遅いですね」

 ぼそりと呟かれたときには、既になにかが自分の方へと向けられていた。
 しまったと思ったのも遅く、忍び寄ってきていた女は粘りつくような視線を向けてくる。
 小柄な体と綺麗に揃えられた長髪は、女の雰囲気には不釣合いなように思えた。

667End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:52:48 ID:4D5sJK1.0
 動揺しかけている頭をなんとか平常心に保ちつつ「何をした」と尋ねる。
 どうなっているのか分かっていない現状、こちらから手を出すわけにもいかない。
 女はそれを分かっているのか余裕を持った、見下すような視線を向けてくる。

「まあまあ、それよりもあなたの相方が帰って来るのを待ちませんか? その方が説明の手間が省けます」

 慇懃無礼とはまさにこのことか。穏やかで丁寧ながらも自らが場の支配者だとも言わんばかりの調子に、聖は不快感を覚える。
 また説明しないのはこちらに手を出させないためでもあるのだろう。敵は周到だ。
 厄介だなと内心に嘆息しながら構えを崩し、武器を外すと女は満足そうに頷いた。それがまた聖の心を逆撫でしたのだが。

「自己紹介くらいはいいかもしれませんね。わたしは宮沢有紀寧といいます。宜しくお願いしますね、一ノ瀬ことみさんの先生」
「盗み聞きとは良くない趣味だな。それと、私を気安く先生と呼ぶな。聖さんと呼べ。ちなみに名字は霧島だ」
「わたしは臆病なものですから、すみませんね霧島さん」

 あくまでもこちらの優位に立つように会話する有紀寧に、聖は己の迂闊さを呪う。
 内部に誰かが潜んでいるというのを全く考慮していなかった。
 村から少し離れた場所だから誰もいないと高をくくっていたのかもしれない。

 何にせよ、この女は危険だ。どうにかしてことみに連絡できればいいのだが……
 有紀寧の口ぶりからするとことみの存在は知っているものの接触はしなかったようだ。
 何故ことみではなく自分を狙ったのか。

 何らかの罠に嵌められたのは確実だが、工場内部に潜んでいたのなら入っていったことみを狙うのが筋だろう。
 とは言うものの、ことみが標的にされなくてホッとしているのも事実だ。
 大人として、保護者として、ことみを殺させるわけにはいかない。そんな仕事すら満足に出来ない大人であってたまるか。
 堅く決意を握り締め、聖は探りを入れる。

「どうして私を狙った」

668End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:53:15 ID:4D5sJK1.0
 予測の範疇で言うなら、ある程度察しはつく。自分の方が強いからだ。聖はそう考える。
 殺さない、ということはすなわち生きているという事実を人質にするようなもの。
 肉体の強弱の面で言うならことみと自分では、明らかに自分の方が上だ。ことみを人質にしたとしよう。
 その場合自分が反抗するのと、自分を人質に取ったとして、ことみが反抗する場合とではどちらが成功率が高いか。
 決まっている。強い方が単純に考えて成功率が高いはずだ。だから有紀寧は自分を人質にしたのだ。

「そうですね……まあ、あなたの方が都合がいいからということにしておきますよ」
「適当に狙ったのではないわけだ」
「言ったでしょう? わたしは臆病な人間ですと」

 言外に慎重かつ油断も隙も見せないと語る有紀寧に、聖は言葉では崩せないと確信を得る。
 我知らず舌打ちが鳴り、焦ってきていることも聖は自覚する。初めての敵がこうも狡猾な相手だとは。
 もう少しまともな相手を寄越してくれてもいいんじゃありませんか神様?

 返す言葉を失った聖は、いっそ暴れて異変を知らせてやろうかとも思ったが、
 有紀寧の片手が不自然にポケットに入っているのを見てやはりダメだ、と考えを打ち消す。
 有紀寧にとって一番避けたいのは何らかの効力があるスイッチを奪取されることだろう。
 にもかかわらず両手で保持することなく片手に持っているだけで矛先を向けようともしない。

 となればポケットの中には自分の動きを封じるものがあるのだろうと聖は予測する。
 催涙弾か、閃光弾か、唐辛子スプレーでもいい。とにかく不意討ちにもどうにかできる手段が、向こう側にはある。
 つくづく厄介だなと聖は苦渋の表情を浮かべつつも、さりとて妙案も浮かばず悪戯に時を消費するだけだった。

「先生ー! 取ってきたのー!」

 そうこうしているうちに、ことみが戻ってきてしまったらしい。
 大声を出すかと頭の中で考えた聖だが、有紀寧の冷たい視線がそれを阻んだ。
 不審な挙動を見せればまずことみを狙う。その意味を含んだ視線が工場内部に向けられ、結局口をつぐむしかなかった。
 おまけに有紀寧は工場外部の壁にもたれかかっている――つまり、ことみからは見えない位置にいるため彼女は気付きようもない。
 ことみが外に出てきた……それを見計らったかのように、有紀寧が冷笑を浮かべながらことみの横へ並んだ。

669End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:53:31 ID:4D5sJK1.0
「お疲れ様です。ですが……そこまでです」
「!?」

 突然かかってきた声に動揺し、抱えていたポンプとタンクを取り落とすことみ。
 有紀寧は努めて冷静に、かつ迅速にポケットから抜いた拳銃をことみへと突きつけていた。
 今撃つつもりがないのが分かっていても、見た瞬間聖は「やめろ!」と絶叫する。

 ちらりとこちらを一瞥した有紀寧は、ふん、と裂けるような笑みを寄越すだけだった。
 ことみの不安げな瞳が揺れ、聖の方へと向けられた。「先生……」と呟かれた声に、後悔がさざ波のように押し寄せる。
 やはり我が身など省みず、命を捨ててでも有紀寧をどうにかしておけばよかったのではないのか。
 何故自分はいつも、流されることしか出来ない……

 もう一度絶叫したくなった聖だが、それだけはするまいと断じる心が声を喉元で食い止める。
 叫び散らしてもどうにもならない。大人としての役割を果たせと鋼の意思で感情を押さえつけ、
 今度は落ち着きを取り戻した声で「やめろ」と通告する。
 聖の中にある何かを感じ取ったらしい有紀寧は僅かに眉根を寄せると、ことみから少し離れる。

「そうですね。少し乱暴過ぎました。ごめんなさいね、一ノ瀬ことみさん」
「……どうして、私の名前を」
「同じ学校の有名人じゃないですか。あ、わたしは宮沢有紀寧と申します。どうぞよろしく」

 まるで日常の中で挨拶をするように、拳銃を向けながら、にこやかに有紀寧は語る。
 いや違う。この女は日常を取り込んでいる。日常と狂気を一体化させた『普通の女学生』。そう表現するのが正しいように思えた。

「さて、と。早速ですけど一ノ瀬さんにはどんなことになっているのか説明しなければいけませんね。
 あ、霧島さんもですが、あまり動くと寿命を縮めることになりますので」

 右手に拳銃を、左手にスイッチを構えながら有紀寧は油断なく聖とことみの様子を窺っている。
 元々二対一を想定しての行動だったのだろう。だがそんなことは聖にはどうでもよかった。
 とにかくことみにだけは手を出させない。その一事だけを考える。
 聖のそんな思いなどつゆ知らず、有紀寧は話を聞く体勢に入ったと見たらしく、語りの続きを始めた。

670End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:53:48 ID:4D5sJK1.0
「まず霧島さんですが……先程押したのは首輪にある爆弾の起動スイッチです。12時間後には爆発しますね。
 赤く点滅を繰り返していると思うので、一ノ瀬さんならすぐに分かると思いますが?」
「本当か?」
「……うん。その人の言うとおり、点滅してる」

 言い慣れた調子といい、間違いなく効力はある。それに有紀寧は幾度となくこれを使用してきたということだ。
 一体何人がこの女の犠牲になったのだろうと鈍く突き上げる怒りを感じながら、「それで?」と続きを促す。

「大体わたしの言いたいことは分かると思いますが、あなた方には何人か殺してきてもらいたいんです。
 そうですね……まずは五人ほど、でしょうか」

 やはりか。薄々感じていたとはいえ、口にして出されると虫唾が走る。
 あまりに馬鹿馬鹿しすぎてため息しか出てこないほどだ。

 ああ、やはり早々に張り倒しておけばよかった。こんな馬鹿の茶番劇にことみを付き合わせることもなかっただろうに。
 殺せと命じた有紀寧の声に慄き、こちらを見たことみに対して聖は「気にするな」と微笑を浮かべた。
 こんな輩に惑わされることはない。ことみはことみのやりたいことをやればいい。
 自分はその手助けをするまでだ。思ったより落ち着いている心の内に驚きつつも聖はゆっくりと歩き出した。

「……勝手に動いていいとは言っていませんが」
「冗談もほどほどにしろ。私は医者だ。貴様ごときのために人殺しの看板を掲げてたまるか」
「一ノ瀬さんがどうなっても――」

 不快げに口を尖らせ、銃口をことみの方へ向かせかけた瞬間を狙い、聖はポケットからさっと日本酒を取り出す。
 フタを強引に開けると同時にブーメランよろしく投げられた酒瓶は、中身の液体を撒き散らしながら有紀寧へと向かった。
 正確に顔面へと投げられた酒瓶は咄嗟に身を反らした有紀寧には当たらなかったものの中身が思い切り顔面へと当たる。

「っ!?」

671End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:54:19 ID:4D5sJK1.0
 雨のせいで無色透明の液体が見えづらかったのもあり、有紀寧はモロにそれを浴びる。
 ひるんだところに聖が体当たりしてきた。圧された有紀寧と突進した聖は絡まりあうようにして地面を転がる。
 しばらくして二人の動きが止まる。有紀寧が下、聖が上をとる形で膠着していた。

「く……! あなた、命が惜しくないんですか!」

 銃口をこちらの方へ向けようとするがそうは問屋が下ろさない。聖は片手で拳銃の先を掴んでギリギリ急所から外す。
 スイッチを持つ腕もしっかり押さえる。
 とは言っても首輪が爆発したところで有紀寧にも被害が及ぶだろうから、そんなに気にしているわけではなかったのだが。

「そちらこそ観念したらどうだ。大人しく私に半殺しにされて治療を待ってみる気はないか」
「人を殺すだけの度胸もない大人が、なにをいけしゃあしゃあと……」

 先程まであった冷笑は底暗い闇を持った、蔑む嘲笑へと変わっていた。
 ただ有紀寧の瞳は何をも捉えてはいない。嗤っているのは自分さえも含めた世界の全て。
 人が人を殺すことを許容する環境、その中でしか生きられない有紀寧、そして聖たちをも無駄だと嗤っていた。

「わたしは生きて帰らなきゃいけないんです。そのためならなんだってする。なんだってしなきゃいけない。
 死んでも死に切れない理由があるんですよ。それをやれ医者だからやれ殺したくないからと曖昧な理由で濁して、
 逃げ続けているあなた達のような人がどうして生きているんですか。こんな人たちが生きているくらいなら、どうして……」

 不意に有紀寧の瞳に人間を思わせる光が差し込み、聖をハッとさせた。
 泣いているのかと思った直後、無理矢理に有紀寧が発砲し、聖の肩を貫いた。
 一瞬気を緩めてしまったせいだった。仰け反った聖を体ごと押し返し、有紀寧は拘束から逃れた。

「先生!」

 駆け寄ってきたことみに支えられながら、聖は既にこちらから離れ、無表情に銃口を向ける有紀寧の姿を仰ぎ見た。
 人間を感じさせた瞳はもう失われ、人を殺すという選択肢しか選べなくなったひとの悲しさがありありと映し出されていた。

672End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:54:35 ID:4D5sJK1.0
「やらなければやられる。弱ければ殺される。それがこの世界の掟です」
「……なら、弱いのはお前だよ」

 減らず口と受け取ったのだろう。ぴくりと指が動きかけ、ギリギリで押し留めるようにして有紀寧は息を吐いた。
 有紀寧は反論しようとしたが、その前に聖が言葉を叩きつける。そうしなければいけないという思いがあった。
 主張しなくてはならない。断固として膝を折ってはならない。餓鬼の我侭を修正してやらなければならなかった。

「君は結局この状況、この島の雰囲気に呑まれ押し潰されただけだ。
 望んでいたものはあっただろうに、もう遅いんだと諦めたつもりになって……
 子供のくせに、分かりきったような顔をして。小賢しいな、宮沢有紀寧」
「賢しくて悪いですか」

 言い返す有紀寧の語調は感情が滲み出ていた。子供と揶揄されたのが気に入らなかったのだろうか。
 有紀寧がどんなことを思っているのか知ったこっちゃない。自分と同じ立場であろうとするのが気に入らないだけだ。
 は、と聖は笑った。

「君の言葉、そっくりそのまま返すよ。どうして生きている。たくさんの人を犠牲にしてまで、それだけの価値があるのか」
「……ありますよ。そうしてわたしは生きているのですから」
「はっ、どうだろうな。君の本性を知らないまま死んでいった人もいるだろうに。
 君が未来を望めると思って殉じた人もいるはずなのに。
 そうしなきゃ生きられないと諦めた末の選択に身を任せた人間のために死んでいったとは、浮かばれんな。
 無価値だ。断言してやる。君のために死んだ人間は全員無価値だ。
 君には何もない。人間の価値を蔑ろにした君が分かったような風になって――」
「――黙れ。何も知らない癖に!」

 冷笑も蔑みも嘲笑も吹き飛ばし、怒り一色に染まった有紀寧の声と銃声が重なる。
 感情に任せて発砲された銃弾が聖の体を抉り、貫き、焼けた鉄の棒で神経を抉られる感触を味わう。
 ことみの悲鳴が耳元で弾ける。幸いにしてことみに被害はなかったようだ。

673End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:54:52 ID:4D5sJK1.0
 ならば、いい。済まないと囁き、ことみを振り払って聖は立ち上がる。
 ことみよりも、目の前の我侭な子供を優先しようとしている。会って間もない敵の方を優先している。
 顰蹙どころの話ではない。佳乃にだって大ブーイングだろう。
 でも、これが性分なんだと聖は苦笑する。情けない奴には張り手を。霧島家の方針だ。そうして強く育ってきたのだ。

「来ないで下さい。近づけば爆破します」

 苦渋を呑んだ有紀寧がスイッチを向けていた。
 明らかに聖の雰囲気に呑まれ、動揺しているのが分かった。
 何故感情を出してしまったのかという後悔さえ窺えた。

 聖はそれに対してさえ軽い苛立ちを覚える。この期に及んでまだ大人を気取ろうとする。
 若いくせに。全くいい加減にして欲しいものだと憤懣たる思いを抱きながら聖は歩く。
 懺悔させてやる。懺悔して、地を這いつくばってごめんなさいと言わせてやる。
 けれども血を垂れ流しながら進む聖に、縋るように掴む手があった。

「先生……!」

 ことみが泣きそうな表情をしていた。自分でもどうしてこんなことをしているのか分かっていないような表情だった。
 聖のやろうとしていること、決意が正しいものだと知りながらも身体が拒否してしまったのだろうか。
 有紀寧とは大違いだ。聖はことみから目を反らし、有紀寧の方を見据えながら言った。

「やりたいことをやればいい。私が言えることはそれしかない。
 目指すものを変えてもいい。望まれる道を進むのもいい。
 だが人生を腐らせるな。悪戯に思いだけを持て余すな。資格を失ってからじゃ、遅いんだ」

 我ながら説教臭いと聖は失笑する。それに説得力もない。
 けれども、自分は神様ではないのだと知っている。言葉に出してでしか思いを伝える術を持たないのを知っている。
 分かってくれ、じゃない。分からせなければいけない。努力を怠り、放棄してしまった瞬間に人間は堕ちてしまう。
 宮沢有紀寧のように。

674End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:55:08 ID:4D5sJK1.0
 掴まれた服がゆっくりと放された。その感触を聖は確かめ、再び有紀寧へと歩き出す。
 血はとめどなく流れ、時折意識が朦朧とする。存外血が足りていないらしい。
 不規則な生活を送っていたからかな、と自分でも訳のわからないことを考える。
 そんなどうでもいいことを考えられる程に頭の中が透き通っていた。或いはひどく恬淡とした顔なのだろう。

「止まりなさい。止まらないと……」
「やってみろ」

 獣の唸るような低い声に有紀寧が意識を浮かせる。刹那の恐れを聖は見逃さなかった。
 怯んだ有紀寧に対して聖が駆ける。間は僅かに数メートル。この至近距離で爆発させれば有紀寧も無事では済まない。
 聖は死ぬ気などない。それよりも有紀寧への腹立たしさが先立っていただけのことだった。
 自分も巻き込まれると気付いた有紀寧は咄嗟に拳銃を構える。

「あまりわたしを舐めないでください」

 声はゾッとするほど無味乾燥であった。
 動じていない……? 聖の疑問はすぐに解決されることになった。
 拳が有紀寧の顔面に届く寸前、至近距離から狙って発射された銃弾が霧島聖の体を断ち切った。
 聞き分けがないとは思っていたが、どうやら予想以上に人の話を聞く奴ではなかったようだ。

 悔しいな。聖の頭に浮かんだのはその一語だった。
 妹の姿、ことみの姿、出会っていった人々の姿が現れては消え、死の悲しさと恐怖を伝える。
 こんなにも死ぬ事が怖い。もう生きていくことが出来ないのがあまりにも辛すぎる。

 でも、と聖は思う。
 だから自分が死にたくないとは思わず、死のつらさを教えて回りたいと思ったことは、やはり己が大人だからだろうか。
 もうそれも出来なくなってしまったが――ああ、それが、一番辛いな。
 ことみにもうこれも教えられない。聖は初めて無念という感情を覚え……意識を暗転させていった。

     *     *     *

675End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:55:45 ID:4D5sJK1.0
 ぐらりと聖の体が傾き、くず折れる。「分からず屋め……」と呻いたのを最後に前のめりになるようにして動かなくなった。
 何が諦めたつもりになって、だ。何が無意味だ。おこがましい。大人気取りの偽善者が。
 罵詈雑言が次々と浮かんでは聖へと叩き付けられる。鬱憤晴らしをするかのように、有紀寧はさらに発砲した。

 頭蓋骨が割れ、脳漿の一部が飛び出す。罅の入った西瓜を棒で突く感覚だった。
 銃弾が尽き、コルトパイソンがカチリと弾切れの音を立てる。
 スイッチを一回分無駄にしたと有紀寧はもう一度腹を立て、残る一ノ瀬ことみの姿を探した。

「逃げましたか……」

 聖とやりとりをしている間も体を震えさせていたことから考えれば当然の結果とも言える。
 変な意地のお陰で千載一遇の好機を逃した。その上悪戯に武器弾薬を消費してしまったことを思えば優勝は遠のいたに違いない。
 そういう意味では聖は一糸報いたといってもいい。こちらからすればとんでもない損失だが。
 聖の遺体を嬲り尽くしたい気分になった有紀寧だが、こんな奴に構っている暇はないと、コルトパイソンに銃弾を再装填する。

 どうも心にはさざ波が立っている。理由は言わずもがな、聖のせいだとは分かっているもののもうどうする術も持たない。
 寧ろ何を苛立っているという疑問が渦巻き、落ち着かせようと必死になっているのが信じられない。
 聖に言われたことは確かに事実を含んだ部分もある。

 しかしその程度で動じるような人間だっただろうか、と有紀寧は脆弱になったらしい己を眺め、失望せずにはいられない。
 いや状況が若干不利に傾き、焦っているだけだ。また優位に立てばこのさざ波も収まる。
 無理矢理そう結論した有紀寧がシリンダーを戻し、また歩き出す。

「っ!? あぐっ!」

 が、転ぶ。いや転ぶ以前に発した破裂音と同時に鋭い痛みが走り、立てなくなっていた。
 地面に体を打ちつけながら、有紀寧は自分がどうなっているのか確認する。
 見ると、太腿の付け根から血が出ていた。鉛筆ほどの太さの穴も開いている。
 撃たれたのだ、と認識した瞬間、殺されるという恐怖が駆け巡り、寝ていては殺されると体を引き摺り、這うようにして逃げる。

676End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:56:03 ID:4D5sJK1.0
「……まだ、逃げるんだ」

 そんな有紀寧の後ろから、低く搾り出された声が聞こえた。

「……あなたですか」

 聞き覚えのある声に有紀寧は失笑する。相手にではない。自分に対してだった。
 言葉を交わす意味も価値もない。そう断じた有紀寧は転がってコルトパイソンを撃とうとしたが、遅かった。
 既に見切っていたらしい相手は半ば乱射気味ながらも有紀寧が撃つ前に撃ちこみ、
 肩や腕に直撃させ、有紀寧の戦闘能力の一切を奪った。

 コルトパイソンは手から零れ落ち、腕も満足に動かなくなる。
 特に鍛えているわけでもないから当たり前か、と冷めた感想を抱きながら有紀寧はまだ力の残る腕でスイッチを握り締める。
 わたしの守り神。最後まで手放すものか。強く思いながら、有紀寧は発砲した敵へと向けて言葉を放った。

「ひどい、ですね……半殺しなんて」
「……先生を……殺した、くせに」

 怒りを押し殺した声は一ノ瀬ことみのものだった。彼女は上から、有紀寧を見下ろしていた。
 動かした視線の先では長い銃を構え、半泣きの表情で、しかししっかりとした立ち振る舞いをしている。
 逃げたと思ったら、違ったというわけだ。逃げたのではなく、射程外から狙撃するために距離をとった。
 霧島聖を犠牲にして。やってくれる、と有紀寧は改めて聖を憎んだ。本当に、一矢報いてくれた。

「本当は許せない。あなたみたいなわるものを絶対に許したくない。でも、殺さないの。私は先生の弟子だから」
「……偽善者風情が……は、わたしを殺したも同じでしょうに」
「もう生きるつもりもないんだ」

677End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:56:19 ID:4D5sJK1.0
 カチン、と来た。こいつもまた、自分を見下そうとするのか。子供だと、餓鬼の我侭だと言い通して。
 わたしはこうせざるを得なかった。こうするしかなかった。
 結果的に酷いことをしてきたとはいえ、最初から望んでやったことじゃない。
 戻るためには生き延びる必要があった。生きなければならなかった。それに強い武器も手に入れた。
 だったら、悪魔の言葉にだって耳を傾けてしまうのが人間。そうではないのか。

「わたしだって死にたくないですよ。死にたくない。生きて帰りたい。そのために何だってすることの、何が悪いんですか」
「だからって、生きるためにはしょうがない、こうするしかないって、他の全部を犠牲にしてもいいの?
 ……自分でさえも。先生の言葉に怒ったってことは、図星な部分があったってことなの。
 本当はこんなことしたくなかった。したとしても、犠牲にしたくないものもあった。……あなたは分かってたはずなのに」
「……何を言うかと思えば……」

 敵対的な口調は崩さないながらも、否定しきることはできなかった。普段なら嘘を吐いてでも反論するはずなのに。
 それともことみの言うとおり、もう生きるつもりもないからなのだろうか。『また』諦めているからなのだろうか。
 分からない。ただ、自分に勝機がないのは事実だった。こんな有様で、スイッチを使おうにもその前に攻撃される。
 しかも寝たきりであるため、下手すれば自分に起動してしまいかねない。まさに八方ふさがり。チェックメイトだ。

「自分さえも諦めて、他の人もみんな犠牲にして……もうあなたには何もない。自業自得なの。ごめんなさいって言えばいいの。
 そのまま謝って、謝って、後悔し続ければいいの」
「馬鹿にしないでください、泣き虫の癖に……わたしを語るな」

 そう。もう勝てはしない。四肢を奪われ、自由さえも奪われた自分はもう優勝なんてできない。
 諦めたといえば、そうなのだろう。だが優勝は出来なくとも、この小娘に勝利する方法はある。
 諦められない。散々馬鹿にしくさって、しかも間接的に妹の初音を侮辱したこと、それが許せない。

 無意味な死。そんなことがあるはずがない。初音は自分を信じて、こちらの勝利を信じて勝ちに行ったのだ。
 自分達は勝ち残れるのだと、諦めてはいないのだと本気で信じていたことだけは否定されてはならない。
 知らず知らずのうちに口元を歪めているのに、有紀寧自身もようやく気付く。

678End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:56:38 ID:4D5sJK1.0
 ああ、つまり、そういうことなのだろう。
 わたしは、結局、家族という亡霊に縛られていた。
 追いかけていたのでもない。知ろうとしていたわけでもない。

 取り返したかっただけだ。無理だと分かっても作り上げたかったのだ。
 偽物でも、紛い物でも、幻想でもなんでもいい。家族という懐の中で温まりたかった、それだけなのだ。
 ここで必死に作ろうとして、失敗して、だから帰ろうとしていた。……死にたくないのは、そのためだった。
 何ということはない。自分は人殺しじゃない。悪魔でもない。愚直に過ぎた。そういうことだ。

 ――だから、わたしは『家族』と出会える場所に行きます。ええ、だって、一番手っ取り早い方法ですから。

 無論、きっちりと落とし前はつけておく。一銭の釣りも残さない。綺麗に支払ってやる。

「あなた、なんか……苦しんで死んでしまえばいいんです……地獄で、待ってますよ」

 これは賭けだ。一度たりとも試したことのない賭け。だがやってみる価値はある。勝ちに行くのだ。
 初音が笑っている。流石お姉ちゃん、と。
 だから信じられる。信じてくれるひとがいるから、信じられる。
 有紀寧も笑った。笑って、有紀寧は――スイッチを押した。

     *     *     *

「っ、うぐ、あうっ……!」

 呻き声が自分のものだと分かるまでに、いくらかの時間を要した。
 それと一緒に、世界の半分が真っ黒に塗り潰されているのが分かった。
 いや違う。これは目を潰されたのだと理解する。右目は開いているのに、左目が開いていないのがその証拠だ。
 鈍痛がズキズキと目の奥から襲ってくることを考えれば、完全に失明したのだろう。

679End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:57:02 ID:4D5sJK1.0
 血を流し続ける顔を手で押さえながら、ことみは首から上が消失した宮沢有紀寧の姿を見ながら先刻起こったことを思い出す。
 何の前触れもなかった。恐らくはあらかじめそうなるように方向を定めておいたのだろう。だからスイッチを押すだけで良かった。
 少しでも不審な挙動を見せれば発砲しようとは警戒していたが、甘かった。まさか自爆するとは思いも寄らなかった。
 結果として爆心地の近くにいた自分は爆風と首輪、人体の破片の直撃に遭い、体の左半分に深刻な被害を受けた。

 いくら勝機がなくなったからといって……何とも言い表しがたい、不快な気分だった。同時に、空しさもあった。
 こうまでしてやることだったのか。命を捨ててまで成し得る価値のあるものだったのか。
 最後の最後、有紀寧は笑っていた。価値を見出したのか、蔑む笑みだったのか、もはや誰も知る術はない。
 ただ、聖を知っていることみからすれば、それはやはり理解しがたいものであることは間違いなかった。
 もし、やり直そうという気持ちを少しでも見せていたら……許せなくとも助けようとは思っていたのに。

 だって先生ならそうするから。私も、人が死ぬのを見たくはなかったから。
 今となっては、もうどうしようもないが……

 有紀寧からすれば、これも傲慢なのかもしれない。所詮人は自己満足の中でしか生きられないのだと。
 しかし、それでもとことみは思う。それでも人と共に過ごし、学んでいけるのもまた人間だ。
 自分は学んだ。聖から命を腐らせるなと学んだ。

 だから医者になる。聖が目指していたもの、理想としていたものに近づくために。
 聖が言ったことを伝えていくために。それが自分の夢だ。
 引いては、それが聖の想いも腐らせないことに繋がるだろうから……

 眼球に刺さっていた首輪の破片を抜く。ずるりという音と共に小さな破片が落ちた。
 ズキリとした痛みが生じたが、これが生きているという証だ。歩いていける証拠だ。
 体を引き摺りながら、ことみは一片の諦めもなく、次のための行動を始める――爆弾の材料を集める行動を。

680End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:57:21 ID:4D5sJK1.0
【時間:2日目午後22時00分頃】
【場所:H-8 廃工場前】


一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【状態:左目を失明。左半身に怪我】
【目的:爆弾の材料を探す。生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

霧島聖
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:死亡】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:死亡】


【その他:タンクとポンプは古錆びたトラクターの近く。二人乗り用の自転車は工場の近く。ゴルフクラブ、日本酒(空)は放置。】


【残り 16人】
→B-10

681十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:49:49 ID:NaKun74s0

*** 1. -180sec.


 ―――今がその時だ。

直感した瞬間、蝉丸は駆け出している。
堪えに堪えたその鬱屈を爆発させるように、撥条と化したその全身が加速していく。
大きなストライドが稼ぐのは距離。消費するのは残り僅かの時間である。

視界の端には両断された槍使いの神像が映っている。
六体目を斃したという以上に、間合いの広い槍使いの像を落とした意義は大きい。
これで蝉丸と銀鱗の中心との間を遮るものは右、大剣の神像と左に位置する白翼の神像。
そして、紅の槍の森のみである。
踏み出す一歩が、勝利と敗北とを隔てる賽の目であった。
駆け出した以上、もはや止まることは許されない。
抱きかかえた砧夕霧は腕に重く、その口から微かに漏れる歌とも祈りともつかぬ声が耳朶を震わせる。
ほろほろと流れ落ちる涙の雫が時折胸に落ちて、じんわりと生温い。
最後の希望を抱いて、癒えぬ足で蝉丸が駆ける。
響くのは爆音と吹き荒ぶ風の音、閃くは剣戟の火花。
ただ一点の隙を縫うように、蝉丸が大地を蹴った。

682十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:50:22 ID:NaKun74s0

*** 2. -170sec.


「何故、諸君は抗う。如何に足掻こうと運命は変わらないというのに。
 何故、諸君は理解しようとしない。来るべき新世界を。
 私の創造する新たなる種が人を超えんとする、その意義を―――」

生み出した巨神像の内、六体までを落とされた長瀬源五郎が、その巨体を震わせて声を発する。
嘆くような声音が消えるのと同時、白翼の巨神像の手に光が宿る。
光は輝く弾となり、軽やかに振られたその優美な手から離れるや猛烈な加速で一直線に飛ぶ。
駆ける蝉丸を横合いから狙う軌道。
その身を直撃せんとする正確な狙撃に、しかし蝉丸は視線を向けようともしない。
無論、踏み出すその一歩を回避の為に動かすこともなかった。
吸い込まれるように迫る光弾を遮ったのは、一筋の剣閃である。
一瞬の後、二つに斬られた光弾が左右、遥かに離れた場所に着弾して爆ぜた。

「―――機械屋が天下国家を語るか」

絹の如き長髪が爆風に靡き、銀の波が空に流れた。
光弾を断ち割って刃毀れの一つもない白刃の銘を、麟という。
星無き夜に浮かぶ月のように立つ光岡悟とその愛刀が、続けて飛んだ光弾を真一文字に斬り捨てた。

「だが貴様の言う通り、新たな世は訪れる。それだけは認めてやろう」

神像が背の白翼を羽ばたかせると、吹き荒ぶ風がその音を変える。
きりきりと耳を劈くような高い音の中で、ただ荒れ狂っていただけの風が、
万物を切り裂く鋭い刃へと密度を上げていく。
不可視の斬撃が、飛んだ。
その先には光岡悟。蝉丸を護る堅固な砦を先に落とさんとする狙いだった。
僅かに口の端を上げた光岡が、脇構えから摺り上げるように一刀を振るう。
中空、素振りの如き一閃はしかし、凄まじい音と手応えとをもって己が狙いの違わぬことを光岡に伝えている。
風が、斬られていた。
幽かな音と気配と、そして極限まで研ぎ澄まされた勘とが揃って初めて可能となる神業である。
影花藤幻流皆伝、天賦の才と謳われた男の、それが実力であった。

「尤も……それを築くのは、九品仏閣下と我等だ。道を開けてもらおうか、犬飼の遺産」

傲岸と言い放つその瞳には、曇りなき明日が映っている。
応じるように、白翼の神像の周囲に無数の光弾が浮かび上がった。
横目で流し見た蝉丸の背中が遠く離れていくのに一つ小さく鼻を鳴らして、光岡が愛刀を正眼に構え直す。
爆ぜた光弾に炙られて焦げた臭いのする風が、銀色の長髪を揺らした。
嚆矢のように飛んだ一発を断ち割って、光岡が歩を踏み出す。
同時、光が、舞い飛んだ。
幼子が風に吹くシャボンの玉のように、無数の光弾が光岡に殺到し、そして爆ぜていく。
爆音と焦熱とを生み出す白光の嵐の中で、光岡悟が応と吼える。
吼えて、その身を刃と成す。
飛び来る光弾の悉くを斬り捨て、断ち割り、突き穿ち、射貫く、尋常ならざる剣捌き。
柄を握る拳から振るう腕、斬り下ろしかち上げ刺突し自在に変幻する体幹に、進み退り跳び駆ける脚。
最早それは人と刀とを分かつ境を越えている。
その閃光の中に煌くのは美しくも凄まじい、一振りの刃であった。
銀弧が、疾る。
機を窺い続けた蝉丸の、動くに動けぬ身を庇いながら十数分の長きを防戦に徹し、
迫る剛剣と降り注ぐ光弾とを一手に引き受けて遂に凌ぎきった恐るべき剣の冴えが、
今やすべての頚木から解き放たれ、舞い踊るが如く閃いている。
打ち続く白光の嵐の、その輝きさえ褪せるように、光岡悟は止まらない。

683十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:50:38 ID:NaKun74s0

*** 3. -140sec.


風を巻いて唸る大剣が、虚しく空を切る。
山をも断たんとする破壊の権化が再び振り上げられた瞬間、それを保持する細身の腕が、爆ぜた。
長い髪を編み込んだ女を模した巨神像、大剣を使う像が、ぐらりと揺れる。
重く響く爆音の中、舞い上がる煙を割って飛び出したのは少女とも見える年頃の影。
水瀬名雪である。

「人には夢がある。遥か古代から抱き続けてきた夢だ。
 文明を築き、自らの望む通りに世界を作り変える力を得た人類の、それは義務といってもいい。
 人はいつか、ヒトを超える。種としてのヒトを捨て、より高みへと至るのだ。
 遂に捉えたその影を、ようやく届いた扉の鍵を、何故諸君は放り捨てようとする―――」

詠嘆を含んで響く声を、名雪が鼻で笑う。

「化物の特売市の真ん中で、今更何の冗談だ?
 そうやって周りが見えないから、誰からも見放される」

手にした雪兎を空中に投げると、すらりと引き締まった右脚を振り上げる。
身を捻りながら放った脚が、落ちる雪兎をミート。
完璧なフォームのボレーシュートが、可愛らしい時限式の爆弾を撃ち出した。
回転をかけられた雪兎は質量と空気抵抗に従ってその軌道を変えていく。
鋭い弧を描きながら、吸い込まれるように巨神像の懐へと潜り込む。
一瞬の後、鈍い重低音。
腹の辺りから煙を上げて傾いだと見えた巨神像が、しかし大剣を地に着くようにして耐える。
舌打ちした名雪が小さな身振りで神像を指さすのと同時、背後に影の如く控えていた黒蛙がふわりと浮かぶ。
間髪いれず撃ち出されたのは黒雷である。
音もなく一直線に伸びる、光を吸い込むような漆黒の稲妻。
至近を迸る閃きに、名雪の長い髪が靡き、舞い上がる。
真っ直ぐに射出された黒雷が直撃したのは、耐える巨神像の顔面である。
着弾の衝撃と爆風が、辺りを薙ぎ払った。

「……ほぅ」

巻き上がった砂煙が、山頂を吹き荒ぶ風に払われる。
飛来する小さな石礫を避けるように腕を翳した名雪が、僅かに瞠目した。
その眼が写していたのは、黒雷の直撃で顔面の半分に罅を入れながらもなお倒れずに大剣を構える、
巨大な女神像の姿である。
瞬間、しぶといな、と口の中で呟いた名雪と、手にした剣を大きく振りかぶる巨神像の視線が、絡まった。
石造りの無機質な瞳。
だがそこに、傷ついてなお倒れず、何かを護ろうと剣を取る者の矜持を、名雪は見た。
それは巨像に彫り描かれた英雄の、魂の一片なりと宿ったものであっただろうか。
かつて共に時の螺旋を生き抜いた者たちと同じ色の瞳に、名雪が小さく笑う。
薄暗く乾いた、埃の積もったような笑み。
貌に老いを浮かべた名雪の動きが鈍ったのは、ほんの僅かの間である。
だがその隙を巨神像は見逃さない。
山をも崩す巨刃が、名雪を目掛けて横薙ぎに振るわれた。
大気を断ち割りながら迫る破壊の刃に名雪が舌打ち一つ、表情を引き締める。
瞬きをするよりも早く状況把握と局面打開の策定。
退いての回避には間に合わない。左右は論外。道は上空。
確実に繰り出される追撃を黒雷で阻止しつつの跳躍。
そこまでを思考し、背後の蛙が回避機動に合わせて準備を始めようとした、その刹那。
黒い弾丸が、巨神像の胸を一直線に引き裂いていた。

「柏木楓か……!」

振るわれる巨刃の勢いが、緩む。
力なく流れた切っ先を難なく躱しながら見据えた名雪の視線の先には、襤褸を纏った少女の姿。
肩口で切り揃えた黒い髪に、整った白皙の美貌。
ざくりと裂けた左眼と、細い指先から伸びる深紅の爪が異彩を放っている。
果たして隆山の鬼女、柏木楓その人であった。

684十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:51:28 ID:NaKun74s0

*** 4. -120sec.


「犬飼博士は堕落した。彼は所詮、世俗を捨てきれなかったのだ。
 覆製身研究の末に自らの伴侶を造り、そこに安寧を見出した。
 それは研究に対する裏切りだ。信念に対する冒涜だ。
 だが私は違う。私は、私だけは人類の未来を憂いていた―――」

残る二体の巨神像の脇を駆け抜けた蝉丸の耳朶を、不快な聲が震わせる。
地面から直接響くような聲は長瀬源五郎のものである。
駆ける蝉丸が踏み締めるのは大巨竜と化した長瀬の背であった。
頭なく顔なく口腔もない長瀬の聲は、微細に振動する巨大な身体そのものから発せられているようだった。
抑える術もなく、常軌を逸した科学者の一人語りが垂れ流されている。
耳元では抱きかかえた砧夕霧が、言葉ともつかぬ言葉を漏らしていた。
不快な聲と不可解な唄と、耳を覆いたくなるような音に挟まれて、しかし蝉丸の心は不動である。
ただ行く先に待つ目的地まで足を動かし続ける機械のように、黙々と走っていた。

「―――そして遂に到達したのだ。真理に。結論に。紛うことなき明日に。
 覆製身など愚の骨頂。いかに紛い物を増やそうと、ヒトの出来損ないでは人類を超え、
 新たな明日を築くことなど不可能だ。……だが!
 だが私なら、私と我が娘たちならば超えられるのだ、人類種の限界を!」

と、笑みをすら含んで高らかに響く長瀬の聲に誘われたように、それまで真一文字に引き結ばれていた
蝉丸の口が、静かに開く。

「欺瞞だな、長瀬」

告げた蝉丸の、踏み出す足に伝わってくる感触が変わる。
鉄張りの甲板のように硬質な響き。
巨竜の背に広がる銀色の湖。
無数の鱗に覆われた白銀の平原に、ようやくにして踏み込んだのだった。

「人を語りながら人を見下す。新たな世を語りながら其処に住まう者を見ない。
 貴様の言葉に表れるのは己の狭い了見よ」

歩を進ませじと待ち構えるのは紅く透き通った、硝子のような材質で構成された槍の如きものである。
露出した鉱石の結晶であるようにも、或いは血に染まる樹氷のようにも見えるそれが、
鋭い穂先を天に向けて無数に生えている。
夕霧を抱きかかえたまま片手で佩刀を抜き放った蝉丸が、薙ぐようにそれを振るう。
幾本かの槍が砕け散り、しかし奇怪なことに槍の欠片は中空でどろりと血飛沫の如くに丸く形を変えると、
銀色の地面に落ちて染みていく。
すると紅い染みから卵の孵るように、新たな槍が突き出してくるのだった。

「畢竟、貴様が抱くのは人類の夢などと大仰な代物ではあるまい。
 貴様は赦せぬのだ。己を認めぬ者どもが。儘ならぬ世の全てが」

身を捩って鋭い先端を避ける蝉丸の疾走が、その速度を緩める。
緩めてしかし歩を止めず、愛刀を握り込んだ。
構えは下段。
一瞬の後、蝉丸の足元から空を断って逆巻き、天へと昇るが如き一閃が奔る。
裂かれた風の断末魔か、高く儚げな音が響くと同時。
蝉丸の行く手に聳えていた槍の群れが、一斉に霧散した。
鳳の銘を打たれた一刀の、正しく焔を纏う霊鳥の遮るものを焼き尽くすが如き剣閃。
跋扈する魑魅魍魎を調伏せしめんとする、それが蝉丸の佩く刃の輝きである。

「それは思い描いた桃源郷の、己がみた夢の何故叶わぬと泣き喚く餓鬼の駄々よ。
 義無く理も無く、在るは唯、貴様の欲に過ぎぬ」

紅い樹氷の森の中、切り開かれた道を蝉丸が走る。
だが一面の血飛沫に覆われたような道がその行く手を平らかにしていたのは一瞬であった。

「……君に何が判る、戦争犯罪人の脱走兵」

憤りを露わにした聲が響くや、地響きを立てて槍が飛び出してくる。
四方を塞ぐように密集して生えた紅い槍の群れに、たたらを踏んだ蝉丸の姿が映っていた。
渋面に微かな焦燥を浮かべた蝉丸が、再び一刀を振りかざそうと構えた刹那。

『―――足を止めるな、坂神蝉丸』

685十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:51:39 ID:NaKun74s0
声なき声に視線を上げようとした蝉丸の至近を、何かが駆け抜けた。
その何かに音はない。
だが僅かに遅れて爆ぜた風が、その恐るべき疾さを誇示するように蝉丸の耳朶を震わせていた。
閃いたのは照りつける陽光を吸い込むような黒い光である。

「これは、水瀬の……!」
『要らん助勢だったか? まあ、こちらは少し手が空きそうでね』

遥か後方から黒雷を放った水瀬名雪の言葉に、蝉丸が短く答える。

『感謝する』

黒雷により再び切り開かれた道へ向けて、蝉丸が疾走を再開する。
しかしその足元では既に砕け散った紅い槍が再生を始めていた。
飛び散った欠片が地面に染み渡るや、新たな穂先が芽吹いてくる。
瞬く間に塞がれゆく道を見て舌打ちした蝉丸に、

『足を止めるなと言ったろう。助勢は一人じゃない』

名雪の声が伝わると同時、蝉丸の背後で硬質な音が響いた。

『振り返るな! 走れ!』

声に押されるように駆け出した蝉丸の脇を、今度は小さな影が追い越していく。
手負いとはいえ強化兵たる蝉丸を凌ぐ加速を見せた影は、その手に刀を提げている。
背に生えるのは美しい毛並みだろうか。
鬣とも見える長い髪を靡かせて獣とも人ともつかぬ影が刃を振るうと、何ほどもない一閃に
どれだけの威力が込められていたものか、芽吹きかけていた紅い槍がまとめて砕け散った。
と、同胞を砕かれた報復のように左右から鋭い穂先が影へと迫る。
同時に迫る槍に、白い影はしかし身を躱さない。
右から伸びる一本を振り抜いた刀を戻しつつ引き斬り、空いた身を貫かんと左から迫るもう一本へは、
何と拳を振るったものである。
振るわれた拳は、白一色の身から抜いた色を集めて染め上げたが如き漆黒。
堅牢な鎧の如き皮膚に包まれた拳が、その身に傷一つ付けることを赦さず紅い槍を粉砕する。
白銀の髪が、紅い雫を振り払うように流れた。

「その力、川澄舞……か。礼を言う」

告げた蝉丸に、白い影は答えない。
ただちらりと振り向いて、一つ頷いた。
駆ける蝉丸の視界から、その身が消える。
背後で響き渡る硬質な音の連続だけが、その存在を示していた。

686十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:52:05 ID:NaKun74s0

*** 5. -60sec.


既に蝉丸の行く手はその半ばを過ぎている。
残る銀の平原に生える槍の群れは、しかし健在。

「閉塞し、腐敗し、磨耗しきった末世を、だが私ならば超えられる。
 築けるのだ、新たなる秩序を、瑕疵なき世を、永遠の平穏と繁栄を。
 必滅の定めを越え、死と腐敗と衰亡の恐怖を克服し、人は今、ようやく神の呪縛から解き放たれようとしているのだ!」

響く聲に同調するように、地面が震えている。
右手から突き出てきた紅い槍を斬り割って、蝉丸が叫び返す。

「次は神を持ち出すか! それが貴様の了見だと言っている!」

砕けた紅い石の欠片が散って、一滴が蝉丸の抱いた夕霧の頬に飛ぶ。
飛んだ雫が、たらりと血の涙のように垂れ落ちた。
垂れた雫を痩せた蛞蝓のような薄い舌が嘗め取って、こくりと飲み込む。
嚥下するように喉が動いた途端、夕霧の口から漏れる唄がその声量を増した。
詞は言葉の体を成していない。
祈りの色も、最早なかった。
慟哭と呪詛と、歓喜と絶叫と、愉悦と苦痛と、およそ人に内在するありとあらゆる種類の感情を、
跳ねるように、躍るように、掴むように、掻き毟るように、それは謳っていた。

「貴様は人の子よ! 貴様の造る物たちが死を越えて新たな世を築くというのなら、
 其処に貴様の居場所などあるものか!」

空と大地とを覆い包んで響く歌声が、蝉丸の背に重い。
振り払うように叫んで歩を進める。

「……! 黙るがいい、脱走兵!」

生きるように、生き終わるように響く歌声に衝き動かされるが如く、長瀬の聲が跳ね上がる。
地響きは既に、常人であれば立つことすら儘ならぬ域に達していた。

「私は既に人機の境界を越えた、定命などとうに超越した!
 私こそが父だ、娘たちを教え導く者だ! 娘たちの在る限り、私は必要とされているのだ!」

憤りに呼応するように、地響きを割って紅い槍の群れが飛び出してくる。
その数は尋常ではない。
隙間なく敷き詰められた槍衾は天高くまで伸び、しかし先端で奇妙に捻じ曲がってその穂先を蝉丸へと向けている。
大気を押し潰すような歌声と、大地を砕く地響きと、耳を劈くような長瀬の聲に押されるように、
見渡す限りの薄く透き通った紅い槍の群れが倒れ込んでくる。
躱すことを許さぬ、それは正しく全天から降り注ぐ槍の雨であった。

「そうして言い訳を重ねて! 見捨てられるがそれほど怖いか!」

肌を刺す歌声の中、槍の雨に貫かれてその生を終えた久瀬少年の顔が浮かぶ。
彼の率いた三万の兵は既になく、成れの果てたる巨竜だけが残っていた。
打ち棄てられた者たちの、屈せず立ち抗う戦の残滓が、それだった。
廃物の山に立つ少年の意志を踏み躙るように、長瀬源五郎がそこにいた。

「認めさせようというのだ、偉業を!」
「矮小を恥じもせず……!」

降り注ぐ槍の悉くを断ち切らんと、蝉丸が一刀を構える。
腕の中の夕霧が身悶えするのを、強く抱きなおした。
叫ぶような歌声が、びりびりと耳を打つ。
極限まで研ぎ澄ませた神経が、初太刀を抜き放つ刻限を正確に捉える。
一刀、蒙きを啓かんと閃く、その刹那。

『妄想も大概―――、』
『ウザいっての―――!』

響く声、二つ。
声なき声が響き、同時に音が消えた。
否、消えたのは音ばかりではない。
蝉丸の眼前、降り注がんとする無数の紅い槍の津波を、何かが奔り抜けた。
それは光でもなく、刃でも弾でもない。風でもなければ、実態のある何かでは、なかった。
触れられぬ何か。触れられず、目に映すことも叶わない何かとしかいいようのないものが、槍の海を薙いだ。
ただ一つだけ確かなのは、その存在であった。
何となれば、その不可視不可触の何かが薙いだ紅い槍の森が、忽然と消し飛んでいたのである。
狐狸に化かされたような光景を、蝉丸の脳がようやく認識した途端、世界に音が戻ってきた。
響き渡る唄と、透き通る鉱石の槍が砕け散る硬質な音。
そして眼前、開けた道を吹き抜ける風の音である。

『精々走れよ、軍人。私らのためにさ』
『もう時間がありません。……終わらせるのでしょう?』

遥か遠く、距離を越えて声なき声が聞こえてくるよりも早く、蝉丸は駆け出している。
目指す場所、銀の平原の中心までは既に程近い。
天沢郁未と鹿沼葉子が不可視の力をもって破壊した槍の津波の残骸を踏み越えて、
蝉丸が最後の加速に入ろうとしていた。

687十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:52:27 ID:NaKun74s0

*** 6. -30sec.


「誰も彼も、私一人の邪魔ばかり―――!」

長瀬源五郎の叫び散らすような聲が大気を震わせる。
蟲の羽音のように不快を催させるその聲からは、常ならず余裕と冷静さが失われていた。

「何故だ! 何故判らん! 何故認めん! 何故君たちはそうも愚かしい!
 完全なるものが、私の真の娘が、これから生まれるのだ! 真なる私の手から!
 それを奪うのか! 明日を! 私の娘たちの未来を!」

憤りを通り越し、半ば哀願に近いその言葉を聞いて、駆ける蝉丸の表情が、変わった。
浮かべたのは、紛うことなき激怒の色である。

「―――取り込んで、虐げて、何の父か!」

言い放った蝉丸の脳裏に浮かぶのは長瀬の胸に刻まれた、慟哭と絶望の貌だった。
苦痛の末の死に顔を写し取ったようなそれを、長瀬は娘と称していた。
そこに父娘の触れ合いなど存在しない。
夕霧を取り込もうとしたときの、その想いを雑音と片付けた長瀬の薄笑いに、情愛などありはしない。
否、あってはならなかった。
それを情愛と呼ぶ者を赦さずに生きてきたのが、坂神蝉丸であった。
燃え上がったのは、澄みきった怒りである。
平穏と情愛とを思うとき蠢く、自らの奥底の膿に棲む黒い蟲に刀を突き立てて、
蝉丸は憤怒の炎に刃を翳す。

「久遠の時が、私には与えられた! 至るのだ、高みに! 私は! 私の娘たちは!」

絶叫した長瀬に応えるように、残る槍の森がその姿を変えていく。
瞬く間に集まり、捩れ、縒り合わさって一つの形を取ろうとする。
最早、蝉丸の左右に、或いは背後に槍はない。
すべての槍を使い果たすかのように、そのすべてで蝉丸ただ一人を穿ち貫くように、
遂に完成したその姿は、純粋な凶器。
それは、ただ一振りの、巨大な槍である。
穂先は一つ。否、それは単に、縒り合わさった槍たちの先端が鋭く尖っているに過ぎない。
槍と呼ぶのもおこがましい、それは山をも穿つ、ただの刃であった。
数千数万の紅い槍を捻り捏ねて作り出された、巨大な刃。
それが、蝉丸と銀の平原の中心とを隔てる、最後の壁であった。

「誰も! 私を! 拒めるものか!」

死ね、という、それは意思の具現。
殺意という、凶器。
迎え撃つ蝉丸に、返す言葉はない。
ただ駆けながら、一刀を構えた。
心に燃える炎が刀身に映るように、その刃が輝きを増していく。
焔が、蝉丸の内に湧き出る膿を炙り、燃やす。
毒虫の飛ぶ密林の泥濘を、陽炎立つ砂塵の丘陵を、住む者とてない瓦礫の街を焼き尽くしていく。
それは、坂神蝉丸という男が、兵であることを越え、ただ一つの希望として戦場にはためく
古びた旗であろうとするときに燃え上がり、輝く光である。
幾多の絶望の中で埃と諦念と郷愁とに塗れた兵たちの見上げた光が、そこにあった。
光が、刃を振るう。

「永劫届かぬ迷妄を抱いて朽ち果てろ、長瀬源五郎―――!」

迸る焔が、巨槍を呑む。
光の中、砕けることも、地に落ちることも赦されず、灰となり塵となって、
紅い槍の群れが、消えていく。

後には何も、残らなかった。

688十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:53:13 ID:NaKun74s0

*** 7. -10sec


吹く風すらもが燃え尽きたように止まった蒼穹の下、ただ砧夕霧の唄だけが響いている。
最早、遮るものはない。
遂に開けた最後の道へと、蝉丸が地を蹴った。

距離は数十歩。
目印など何もない。
だが、分かる。
そこには力が満ちている。
満ちた力が夕霧を導くように、或いは夕霧の求めに応えるように、その場所が呼んでいる。

走る。
時が満ちようとしていた。

駆ける。
ほんの数秒。
僅かに、勝った。

踏み出す。
夕霧を抱いた腕に、力を込めた。
その、刹那。

「―――届かないのは、君たちだ」

聲が、哂った。

止まらない疾走の中で、蝉丸の目が、何かを映していた。
正面、遥か遠く。
方角は西。
背後には雲ひとつない晴天を従えて、何かが立っている。
瓦礫。
崩れ落ちた、二刀の像。
その瓦礫の中。
小さな、小さな影が、立っていた。
つがいの、童子。
二人の童子の手に、一杯に引き絞られた弓。
鋭い、鏃が、見えた。

坂神蝉丸が、砧夕霧を庇うように身を投げ出したのは、半ば本能のなせる業である。
ほんの一瞬、間を置いて。
その背を二本の矢が、穿った。

疾走が、止まった。

689十一時五十七分/奇跡が起こるような、そんな:2009/04/13(月) 14:54:54 ID:NaKun74s0

【時間:2日目 AM 11:59:55】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:重傷】

砧夕霧中枢
 【所持品:なし】
 【状態:覚醒】

光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

柏木楓
 【所持品:なし】
 【状態:エルクゥ、重傷治癒中(全身打撲、複雑骨折多数、出血多量、左目失明)】

川澄舞
 【所持品:村雨、鬼の手、白虎の毛皮、魔犬の尾、ヘタレの尻子玉】
 【状態:白髪、ムティカパ、エルクゥ、軽傷治癒中】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体3700体相当】
【カルラ・フィギュアヘッド:中破】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:中破】
【ドリィ・フィギュアヘッド:健在】
【グラァ・フィギュアヘッド:健在】

→1045 1053 1055 1056 ルートD-5

690十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:06:46 ID:rS0OI3w60
 
助けてと呼ぶ声は、いつだってか細くて。
だから、幸せに笑う誰かには届かない。

しあわせになりたいと願う、小さな祈りは。
だから儚く、消えていく。

願いはどこにも届かない。
想いのひとつも叶わない。

なら、だとすれば。
たとえばその声を聞いた私に、何ができるのだろう。

私の願いは届かない。
私の想いは叶わない。

私はもう、救われない。
助けてと呼ぶ声は、だからもう、救われない。
救われず、報われず、続き続けてしあわせから遠ざかっていく。
だからいつか、助けてと呼ぶ声は、ひとつの哀願に変わっていくのだ。

―――終わらせて、と。

私にできること。
助けてと呼ぶ声の聞こえる、救われない私にできる、たったひとつのこと。
救うということ。願うということ。祈るということ。

それは。
いつまでも、どこまでも続く、救われず在り続ける生を。
終わらせると、いうこと。


******

691十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:07:13 ID:rS0OI3w60
 
大気とは星の加護である。
加護の与えられぬ空の彼方、高度約三万六千キロメートルは、十数時間ごとに灼熱の地獄と化す。
摂氏百度を優に越すその空間には無数の金属片が散乱していた。
被覆を剥がれた剥き出しの部位を輻射熱に直接炙られて赤熱するそれらは元来、寄り集って
ある一つの構造物を成していたものである。
何か強い力によって破壊され、周囲の宙域一帯に飛散した残骸の量を見れば、その構造物が
全長と質量と、その両方において非常識なまでの威容を誇っていたことが推測できる。
大気から解き放たれてなお惑星の重力の軛に絡め取られる宇宙空間、高度約三万六千キロメートル。
静止軌道と呼ばれるその宙域に存在する、巨大な構造物の名を、天照。
汎攻撃衛星、天照という。

しかし科学の水準を無視して存在した鋼鉄の城砦も、今や風前の灯といった体であった。
散らばった残骸の中心にあるその構造体はあらゆる部位が傷つき、或いは破壊されて黒煙を漂わせている。
宙域の皇として君臨したかつての威容は見る影もなかった。
無数の砲塔に明滅していた光点も、既に残り少ない。

と、数少ない光点がまた一つ、消えた。
同時に、轟と震動が響き、外郭装甲の一部が赤熱。
僅かな間を置いて、爆散した。
誘爆を避けるためにパージされた装甲の下から顔を覗かせたのは、回転式の砲塔である。
静止衛星である天照に、質量を持つ実弾兵器は存在しない。
その大小を問わず、砲はすべて光線式である。
砲身の過熱を避けるためのターレットが回転し、照準を開始。
しかし砲塔は、その生産用途を果たすことなく役割を終えることとなる。
照準が敵影を捉え光線を発射するよりも一瞬早く、砲身が捻れ、爆発していた。
破壊を齎したのは、漆黒の宙域を溶かし込んだような、黒い光弾である。
放った敵影が、遮蔽物の陰から姿を現す。
大気に遮られぬ圧倒的な太陽光に照らされて立つ、その姿は美しい。

それは、背に大きな翼を持つ、少女の姿を象ったシルエットである。
漆黒を主体としながら、肌を露出させるかのようにあしらわれた白銀のライン。
細く、しかし確かな躍動を秘めて伸びる脚部から、しなやかに長い指先まで、
あらゆる部位を希代の芸術家が丹精込めて彫り上げたような、天上の意匠。
羽ばたく翼は、夜を運ぶが如き黒の一色。
微笑むような表情を浮かべた白銀のかんばせは、あどけなさを残しながらも
花開く寸前の蕾の危うさを内包している。
それは紛れもない機械でありながら、しかし見る者にそれを肯んじさせぬ何かを持った、
鋼鉄の少女であった。
その名を称して、アヴ・カミュという。


***

692十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:07:53 ID:rS0OI3w60
 
『ふん、あの程度で余の行く手を遮れるものか』

黒い機体から不遜な声で嘯いたのはアヴ・カミュの契約者、神奈備命である。
その実体はなく、今は存在をアヴ・カミュの機体と同化させている。
周囲に拡散していくデブリ群を生産した黒光弾の名残が、銀色の指先に蛇のように纏わりついていた。

『神奈、すごい調子乗ってる』
『聞こえておるぞ観鈴』
「ええからその手ぇこっち向けんなや、アホ!」

小さくバーニアを噴かして黒い機体が振り向いた先には、もうひとつの影がある。
アヴ・カミュと同系統の技術体系によって製造されたと一目で分かる、似通ったシルエット。
細身ながら頭身の高い、緩やかな曲線の多く施されたその全体像は、芸術品として見るならば
少女を模したアヴ・カミュよりも強く女性らしさが表現されているように感じられる。
最大の相違はその配色である。
漆黒を主体としたアヴ・カミュに対し、こちらの基調は曇りなき純白。
要所には薄荷色のラインで装飾を施されたその姿は、たおやかに咲く一輪の花を思わせる。
アヴ・ウルトリィ。
輪廻する魂であるカミュの実姉、ウルトリィの現世における姿である。

『……観鈴、やはりそなたの母御とは一度きちんと話をせねばならんようだな』
『にはは……お母さん、ずっとこんな感じ』
「上等やボケ。後できっちりカタぁつけたるわ。それより今は―――」

アヴ・ウルトリィから響くのは、契約者である神尾観鈴とその母親にして操縦者、神尾晴子の声。
背の白翼を広げたアヴ・ウルトリィが周囲を見渡す。

「サブはこれで全部いてもうたったか?」

沈黙した砲台群の残骸が漂う中、明滅する光点が存在しないのを確認して晴子が問う。
激戦を物語る破壊痕が、宇宙に浮かぶ鋼鉄の城の至るところに残っていた。
めくれ上がった装甲板の下には寸断されたケーブル群が無惨にその姿を晒している。

693十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:08:17 ID:rS0OI3w60
『ええ、残るは―――』
「アレやな」

ウルトリィの答えに頷いた晴子が見据えるのは、城砦の中心部。
破壊し尽くされ、照りつける太陽光に焼かれるだけの外郭部とは対照的に、今だ多数の光を湛えたそれは、
聳え立つ天守閣の如く健在を誇示していた。
攻撃衛星天照、輻射転移式地上照準連装主砲塔。
地表を焦熱の地獄へと変える、神の炎。
大神の齎す異形の力、オーパーツの核である。

「時間は?」

その基部には、既に微かな集光が見られる。
突き出した二基の煙突のような砲身へとエネルギーを伝えるように、光はじわじわとその大きさを増していた。

『充填完了の予測時刻まで、おおよそ二分』
「上等!」

猛々しく笑んだ晴子が、ペダルを踏み込む。
翼を模したバーニアが光を放ち、推進力へと変えていく。
明けぬ夜を翔け、神の時代の到来を告げる天の御使いの如き、それは神々しさを秘めた飛翔である。

『わ、待ってお姉さま!』
『後れを取るなかみゅう、我等も行くぞ!』

694十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:08:39 ID:rS0OI3w60
続くように、アヴ・カミュが加速を開始する。
白と黒のシルエットが軌道を交差させながら最大速度に到達するまで、僅かに数秒。
ほぼ同時に翼を畳み、高速機動形態に移行する。
眼前、文字通りの瞬く間に迫る主砲塔が、その纏う光点の密度を増した。
間髪を入れぬ予測回避。
バーニアを全開にしながら片翼を展開。
揚力も抵抗も存在しない真空中、翼自体から発生する推進力がそのベクトルを変える。
アヴ・ウルトリィは右に、アヴ・カミュは左へと軌道を遷移。
一瞬前まで機体のあった場所を光線が奔り、それを皮切りとするように、攻撃が開始されていた。
最後に残された本丸を護るべく鋼鉄の城郭に光る砲座は無数。
そのすべてが白と黒の二機に照準を合わせる様は、背後に瞬く本物の星空と入り混じって
天象儀に描かれた虚構の星図のように映る。
全速機動の狭い視界の中、満天に美しく輝く星々から奔る熱線は告死の一撃である。
流星雨の如く降り注ぐ光は目に映った瞬間に命中を確約されている。
故に回避は予測とランダム機動にすべてが掛かっていた。
即ち射撃される前に遷移し的を絞らせぬ、圧倒的な速度の先行挙動である。
白翼が僅かに角度を変えれば、推進ベクトルに従ってアヴ・ウルトリィが強烈な弧を描く。
後を追うように、幾筋もの光線が空しく宙を裂いた。
と、白い影が伸ばした手の先に小さな珠が生まれる。
珠は白い光である。光はその中に沢山の小さな光球を孕んでいた。
暴れ回る小さな光球の内圧に耐えかねたように、光が瞬く間にその大きさを増していく。
刹那、人体を容易く捻り潰す巨大なGを慣性制御で打ち消されたアヴ・ウルトリィのコクピットの中、
神尾晴子の瞳が獰猛に煌いた。

「行ったれ……ラヤナ・ソムクル!」

叩きつけるようにトリガーを押し込んだ、その瞬間。
白の機体から、光が爆ぜた。
爆ぜた光の中から小さな光が無数に生まれ、尚も枝分かれしながら飛んでいく。
それは一瞬の内に降り注ぐ流星雨を押し戻すような、圧倒的な光の瀑布となった。
着弾はほぼ同時。
鋼鉄の城砦、その主砲塔へと至る外郭一帯が真白く照らされ、そして一斉に破砕の波に飲み込まれた。
真空中に音を伝える大気はない。
しかし震動と無数の小爆発と、抉り引き裂かれ千切れ飛んでいく装甲板とが、轟音よりも雄弁に
その無惨な破壊の有様を訴えていた。

695十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:09:28 ID:rS0OI3w60
『お母さん、すごい……』
「何言うてんねん、お前と神さんの力やろが! ―――決めボムで空いた道、このまま突っ込むで!」

正面、主砲塔付近からは散発的な反撃が続いている。
しかし距離が開いていることもあってか、その弾道は精度に欠けていた。
弾幕と呼ぶには程遠い密度の光線が飛び交う中へ、アヴ・ウルトリィは躊躇なく加速する。
見れば主砲塔を挟んだ反対側からは黒い影が迫っている。
同じように迂回軌道を取ったアヴ・カミュのシルエットだった。

『挟撃の形……晴子、これならば一気に決着をつけることができるかもしれません』
「……何や? まだ何ぞあるんか?」

姿勢制御に専念しているはずのウルトリィの珍しく自発的な声に、晴子が怪訝な表情を浮かべる。

『ええ。今生のアマテラスはあまりに巨大です。核を討つとしても充填の完了までに間に合うかは
 危険な賭けになるでしょう。ですが……』
『わかった、お姉さま! あれをやるのね?』

答えたのはカミュの少女じみた、跳ねるように高い声。
頭越しの会話に苛立った晴子が、踏み込んだペダルを蹴りつけるようにして再加速する。

『スピード違反……』
「うっといわ! 何や、アレって!」

迫る主砲塔は既に視界の半分を覆い尽くしている。
建造資材を打ち上げるだけでも気が遠くなるような、文字通りの天文学的な労力を費やして建てられた宇宙の城。
その非現実的な存在を、輪廻転生して世界を渡るという神の眷属の中から見上げている。
入れ子構造の奇妙な夢を見ているような据わりの悪さに、晴子の心がざわめいていた。
そんな苛立ちを無視するように明るいカミュの声が、更なる非現実を告げる。

『あれっていうのはね、もちろん……カミュたちの必殺技、だよ!』
「……さよか」

696十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:09:57 ID:rS0OI3w60
疲れたように首を振る晴子の足はペダルを離さない。
加速は既に最高潮に達している。
しかし直進方向、主砲塔の向こう側に垣間見える星は動かない。
眼下、一切の誇張なく目にも留まらず流れていく城砦の外郭だけが、その凄まじい速度を示していた。

『晴子』
「へいへい」

わざとらしい溜息をつきながらペダルを離すと、機体が目に見えて減速していく。
ウルトリィ自身の意思による制御。
全方位モニタに映る景色がその速度を緩めていくのに同調するように、戦闘の高揚が冷めていく。
後に残るのはいつも通りの不快と倦怠感と、酷い喉の渇きだけだった。
操縦者と、機体に宿る意思が二つと、そうした複雑な機構の詳細など、晴子は知らない。
考える気も、なかった。
ただ目視で確認しモニタにも反応が示された残存砲塔へと同時照準。
ほぼ無意識の内にトリガを押し込んだ。
閃光と震動と、沈黙。反撃は、来ない。
息をするように破壊をばら撒いて、晴子は己の変化を実感する。
照準の合わせ方も、宙間機動のイロハも、そもそも巨大ロボットの操縦方法など、
ほんの半日までは一般人でしかなかった自分が、知る由もない。
しかし身体はいつの間にか、それらを昔から知っていたかのように反応するようになっている。
それが契約というものなのか、或いは神の眷族を名乗るものたちの力なのか。
どちらでも良かった。
それは単に、既に赦し難いもので満たされて歩くこともままならない神尾晴子の世界に、
新たな不愉快の種が芽を出したというだけのことだった。
と、淡い光が目に映る。
モニタを見れば、そこに見慣れぬ光の束があった。

697十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:10:38 ID:rS0OI3w60
『―――我らオンカミヤリュー』

ウルトリィの静かな声が響く。
不思議な抑揚を秘めたその声は、どこか呪いめいている。
それを裏付けるように、眼前に浮かぶ光の束が言葉に合わせてその輝きを強める。
繭から紡ぎ出される糸のようなそれは、中空で絡まりあって次第に形を成していく。
奇妙な文字のようでもあり、紋様のようにも見える白い光が、列を成してアヴ・ウルトリィの周囲を
くるくると回っている。

『我ら大罪を背負い輪廻する調停者なり』

カミュもまた、姉に合わせるように呪言めいた言葉を唱えている。
彼方、主砲塔の向こうではアヴ・カミュの周囲にも光の束が浮いていた。
強烈な太陽光に照り付けられる中に浮かび上がる複雑な漆黒の紋様が幾重にも機体を取り囲む様は、
まるで紡がれる言葉の通り咎人が檻に閉じ込められるように、或いは磔刑に処される寸前のようにも映る。
向こうからすれば自分たちもそう見えるのだろうかと考えて、晴子は思考を停止する。
不愉快の芽にわざわざ水をやることはない。
そんなことを思う内に、黒白二つの紋様はその規模を極端に広げている。
二機の周囲を廻っていたはずの光は、いつしか眼前、主砲塔を含めた鋼鉄の衛星全体を包むように展開していた。
哀れな獲物に巻きつき、今にも頭から呑み込まんとする二匹の蛇。
ぼんやりとその光景を眺める晴子の目には、そんな風に展開される紋様が映っていた。
二柱の翼持つもの、神の眷属たちの唱える呪言が、その抑揚を大きくしていく。
それが最高潮に達したとき、必殺技とやらが発動するのだろう。
蛇が獲物の骨を砕いて丸呑みにするのだ。
嗜虐的な想像に、晴子が薄く笑った。
聞こえてくる声が、昂ぶる。
決着の時は近そうだった。
ちらりとモニタの端を見れば、現在時刻が表示されている。
充填完了予測までは、数十秒の猶予。
二人の声が、同調する。
ぐるぐると廻る紋様がその速度と輝きとを増し、

『理を乱すもの天照、大神の名に於いてコトゥアハムルへ誘わ―――』

声が、止まっていた。

698十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:10:58 ID:rS0OI3w60
ぐるぐると廻っていた紋様はその速度と輝きとを維持したまま、しかし何も起こらない。
何や、と呟くよりも早く、晴子の目に映ったのは奇妙な光景である。
黒い紋様が、激しくのたうっていた。
鎌首を掴まれた蛇が暴れるように波打つ紋様の向こうには、黒い影がある。
アヴ・カミュ。
呪言を紡ぎ紋様を展開させ、今まさに決着を付けようとしていたはずの黒い機体が、そこにいた。
その手が、何かを握り締めてぼんやりと光っている。
否、握っているのではない。それは、手の中から溢れ出しているようだった。
ちろちろと顔を覗かせるそれは、焔である。
真空の宇宙空間に燃える焔。
超常の焔を宿らせたその手が、静かに振り上げられ、そして。
眼前の紋様に、叩きつけられた。
びくり、と生き物のように震えた紋様が、一瞬の後、燃え上がる。
焔は一気に燃え広がり、炙られた光の文字列が身を捩るように捻じれ、消えていく。

『カミュ、何を……!?』
『あ……、そん……な……』

ウルトリィの問いかけはカミュに届かない。
驚愕と、何か他の感情に支配されて、それだけを搾り出すのが精一杯といった様子だった。
消えていく白と黒の紋様と、健在を誇る主砲塔の向こう側から、

『……おば……様……』

ほんの僅か、間を置いて。

「―――春夏さんと呼びなさい、カミュ」

声が、返った。
そこには女が、笑んでいる。
柚原春夏。
カミュの前契約者にして、今はその内に眠るもう一つの魂、ムツミと契約した女。
娘を喪った母。黒の機体の操縦者。笑むように泣く女が、静かに目を開けていた。

699十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:12:07 ID:rS0OI3w60
『身体が……動かぬ……』
「あら、ごめんなさい。ほんの少しだけ、貸して頂戴ね」

苦しげに呻く神奈へ事も無げに告げた春夏の声に、晴子の顔が険しくなる。

「目ぇ覚ましよったんか、あのおばはん……!」

狭いコクピットの中に唾を吐き棄て、それでも足りぬとばかりに傍らのコンソールへ拳を叩きつける。
睨みつけるように見たモニタの隅では無情に数字が減り続けている。

「クソが……最後の最後で……!」

残り時間、ほんの十数秒。
見下ろせば青い大地。
照りつける太陽は光度を自動調整されたモニタの向こうでなお目映く、
星空の中心で燦然と輝いている。
眼前には健在の主砲塔。
その向こうに見えるのは、何度も煮え湯を飲まされた黒の神像。
灼かれる大地に思い入れはない。何一つとして、ない。
決断は、一瞬だった。

「……観鈴」
『うん』

そこに余計な言葉はなく、しかし打てば響く答えが、心地よかった。
ただ心の通い合ったような錯覚を舌の上で転がして、晴子が快活に笑う。
同時、蹴りつけるように全力でペダルを踏み込み、操縦桿を一杯に引き倒す。
操作の意味するところは、最大加速。
刹那の間に展開した白翼が輝き、機体に循環する力を推進力として背後に放出し始める。
作用反作用の法則に従って弾かれたように前方へと押し出された機体が、瞬間的に音速を超過する。
抵抗のない真空中、減速なく加速し続ける機体が限界速度に到達するまで五秒とかからない。

700十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:12:34 ID:rS0OI3w60
『晴子、観鈴、何を……!?』

狼狽するようなウルトリィに返事はない。
代わりに、叫ぶような声が狭いコクピットに反響する。

「買うたるわ、この喧嘩……!」

リスクを無視した加速に機体表面が悲鳴を上げる。
猛烈な相対速度に塵の一粒、散乱した敵の破片一つが装甲を貫き致命傷を与える凶器と化していた。
引き倒した操縦桿の先、晴子の指がトリガを押し込む。
慣性制御ですらフォローしきれない加速の中、軋みを上げながらアヴ・ウルトリィの手が
進行方向へと向けられる。
接触するデブリに瞬く間に傷つけられながら伸ばされた指先に宿った白光が、放たれた。
近接防御火器の如く撃ち出された白光が行く手に浮かぶ障害物を機体至近で消滅させていく。
あくまでも軌道を曲げぬ、強引な直進。
その目指す先には、一際強く輝く光がある。
巨大な二本の影を支えるように煌くそれは衛星の天守閣、連装主砲塔の基部である。
基部の輝きを伝えるように、砲身全体に巡らされた回路が淡く発光を開始している。
巨大なエネルギーの位相を収束し地上へと射出せんとする、その光。
その内部に蓄えられた莫大な熱量の中心へと、白い弾丸は突き進む。

『このままでは……! 死ぬ気ですか、晴子!?』
「はン、ここでくたばったかて観鈴と一緒に生き返れるんやろ!?
 お手軽やんなあ、神さんの身内っちゅうんは……!」

絞り出すような声に、ウルトリィが絶句する。
僅かな間を置いて、

『……貴女はきっと、良き大神の戦士となるでしょう、晴子』

嘆息交じりに呟いたウルトリィの声は既に覚悟を決めている。
応えるように晴子が、にぃ、と笑った。
強烈なGが晴子の全身を座席へと押し付ける。
首が、肩が、内臓が、呼吸器が抉り潰されるような苦痛。
ぽそりと何かを呟いた観鈴の声は、びりびりと震える晴子の鼓膜に届かない。
生き返れるから、一緒に死んでくれるんだ―――。
そんな風に聞き取ったウルトリィは、だから何も口にしない。

701十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:12:54 ID:rS0OI3w60
一秒。
視界を覆い尽くすほどに大きくなった主砲塔の光の中。
小さな黒い影がある。
アヴ・カミュ。
柚原春夏が待っている。

「これが最後かしら? ……いいえ、始まりね。ずっとずっと続く戦いの」

黒の神像から、無数の光弾が飛ぶ。
柚原春夏の願いを運ぶような、真黒き光。
迎え撃つように放った白の光弾が幾つも弾け、灰色の光になって消えていく。

「貴女のその子は生きている。私のこのみはもういない」

真空の空に浮かぶ灰色の爆炎を縫うように、アヴ・ウルトリィが翔ける。
嵐の如く吹き荒れる黒白の閃光が鋼鉄の城郭を削っていくのを無視するように、
基部から伸びる光が主砲塔を覆い尽くしていく。
一撃、黒の光弾がアヴ・ウルトリィを掠めた。
肩部の装甲が爆ぜる。

「それは貴女の幸せかしら。いいえ、いいえ、違うわ」

揺れる。
圧倒的な速度の中、微細な軌道の歪みが猛烈な震動となってコクピットを揺さぶる。
回避の遅れた右脚部が光弾に呑まれて消えた。
脈打つように、主砲塔の光が大きくなる。

「ねえ、生きることがこんなにも辛いなら―――」

重量バランスの崩れた機体の挙動が制御しきれない。
ぐらりと軌道が狂った拍子に鋼鉄の外郭へと機体が擦れる。
摩擦に片翼が千切れて飛んだ。
主砲の先に、光が収束していく。

「私はあの子に、苦しめと命じていたのね」

既に軌道修正など不可能だった。
迎撃も回避も迂回も停止もなく、ただ光に誘われるように加速だけが止まらない。
灰色の相殺光の只中、モニタが機能を失う。
薄闇の中、声だけが響いた。

「生まれ変わっても、貴女はその子を―――」
「上等じゃ、ボケェ―――!」

叫び返した瞬間。
相殺光を抜ける。
その先に、黒の神像の顔があった。
アヴ・カミュの美しい、静かな笑みを象った銀色の顔。
相対距離がゼロになる、その瞬間の光景が、神尾晴子がこの世界で見た最後である。

白と黒の神像が、激突した。
フレームが歪み装甲が内部から抉られて爆ぜ五体は既に原形を留めず、
無数に鳴り響くアラートは、最早誰にも届かない。
あらゆる機能が刹那の内に意味を喪失する中で、質量と無限の加速だけが
忠実に物理法則を履行する。

攻撃衛星天照、輻射転移式地上照準連装主砲塔。
第一砲塔から、地上へと光が伸びていった、その直後。
目映い光に満ちた第二砲塔へと、白と黒の神像が、飛び込んだ。



***

702十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:13:16 ID:rS0OI3w60

 
 
 
漆黒の空に、大輪の華が咲いた。




******

703十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:13:48 ID:rS0OI3w60
 
 
消えていく。
私の身体が消えていく。
私の全部が消えていく。

終わり、続く、私たちの始まり。
死んで、生まれて、導かれていく。

母である貴女。
母である私。
母だった、私。

私たちはずっと、続いていく。
ああ、もう一度、もう一度。
どこかで出会ったら、何度でも聞いてあげよう。

貴女は生かして永らえる。
私は死なせて終わらせる。
ねえ、助けてと呼ぶ声を。
本当に叶えたのは、どちらかしら。

私の神となった何かに、願わくは。
報われず在るすべてが―――どうか、安らかに終わりますように。




【汎攻撃衛星天照 轟沈】
【第一射、地上へ】

704十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと:2009/04/19(日) 02:14:09 ID:rS0OI3w60
【場所:静止軌道上、高度36000km】

アヴ・ウルトリィ=ミスズ
【状態:消失・次の輪廻へ】
神尾観鈴
【状態:消失・次の輪廻へ】
神尾晴子
【状態:死亡・次の輪廻へ】

アヴ・カミュ=カンナ
【状態:消失・次の輪廻へ】
神奈備命
【状態:消失・次の輪廻へ】
柚原春夏
【状態:死亡・次の輪廻へ】

→1011 ルートD-5

705十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:35:16 ID:clLGloz.0
 
その瞬間、誰もが動けずにいた。
呆然と、或いは愕然とその光景を目に映して、しかし手が、足が、動かない。
ほんの一瞬の出来事である。
背に二本の矢を突き立てた坂神蝉丸が、砧夕霧を抱いたままゆっくりと倒れ伏していく。
静かな衣擦れの音が聞こえるような、そんな錯覚すら覚える。
静止した光景の中で、しかし時だけが、無情に刻まれていた。

初めに動き出したのは、地面である。
足元から伝わる微細な震動に、その場に立つ者たちがようやく我に返る。
そして、全てが激変する一秒が始まった。

硬質な音を立てて割れ砕けたものがある。
紅い槍の森だった。
如何に破壊されようと無限に再生を繰り返してきた紅い鉱石の樹氷群が、一斉に砕けて散った。
落ちた欠片が、まるで液体でできているかのように銀色の大地に呑み込まれていく。
地響きの中、血の色の飛沫を呑んだ大地がずるりと波を打つ。
銀色の鱗にも似た無数の小さな板で構成された平面の脈打つ様は、それが巨大な生物の背であることを
今更にして見る者に思い出させる。
脈打つ銀色の鱗の地平が、さらさらと涼やかな音を立てて動くと同時、大地に光が満ちた。
光は陽光である。
くすんだ銀色の鱗がほんの僅かに角度を変えると共に、その輝きを一変させていた。
まるで辺りに響き渡る無数の風鈴を掻き鳴らすような音色が、その曇りを払ったかのようだった。
流れ、光る銀色の細片が、一つの意思を体現するように集まり、形を成していく。
さらさらと、からからと、きらきらと。
透き通る硝子でできた琴を掻き鳴らすような音が、小さな余韻を残して消える。

その一秒が終わる頃。
咲いたのは、花である。
燦々と降り注ぐ陽光を反射する、それは見上げるような一輪の花。
無限の光を湛えて輝く巨大な鏡の花が、澄んだ音の中に、咲いていた。
数千万の小さな光の欠片を寄せ集めて造られた幾枚もの煌く花弁が、日輪に手を伸ばすように、
どこまでも、どこまでも拡がっていく。


***

706十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:35:55 ID:clLGloz.0
 
『鏡面体、試験稼動を実行します。実行中、稼動率45、60、70、85―――正常に終了。
 稼働率98.73%』

響くのは声ではない。
音ですらなかった。
それは0と1とで構成される、二進数の言語。
伝えるのは大気ではなく、微細な電流。
受けるのは鼓膜ではなく、電子の頭脳であった。

『不良稼動ユニットを特定します。特定中―――正常に終了。
 不良稼動ユニットをシステムから破棄します―――正常に終了。
 周辺ユニットへの代替を検討します。再演算を実行。演算中―――正常に終了。
 予測集積効率99.42%。透過熱量は装甲外郭に影響ありません』
『天照とのデータリンクは』
『正常に確立。主砲発射まで4.2567秒』
『それでいい』

HMX-17aイルファ、HMX-17bミルファ、HMX-17cシルファ。
電子工学の粋を結集して生み出された並列演算装置が無感情に返す答えに、
思考の半ば以上を電子の海へと移行させた長瀬源五郎が勝利を確信する。
リンクした衛星からの精密射撃まで、あと数秒。
光学戰完成躰たる砧夕霧の融合体をベースに、オーパーツたる二体の神機と天照との解析を経て
遂に辿り着いた究極の躯は、地を焼き尽くす砲撃を自らの力へと変えることすら可能にする。
背の鏡面体はその莫大な熱量をエネルギーへと変換するための機構である。
砲撃の瞬間、長瀬源五郎が得るのは何者も抗うことのできない圧倒的な力だった。
無限に等しいエネルギーを享受した暁には、静止衛星たる天照の射程外である星の裏側も
長瀬の力から逃れられなくなる。
衛星による直接の攻撃ではない、その身に宿る力を以ての旧世界の破壊。
それこそが長瀬源五郎の矜持であり、悦楽であり、怨念の象徴であった。

外部をモニタ、体表面を精査すれば、光の海の中に小さな影が転がっている。
倒れ伏した坂神蝉丸と砧夕霧であった。
生命反応は途絶えてはいない。
当然だろう。数本の矢が刺さった程度で強化兵は絶命しない。
だが、それだけだった。
疾走が停止し、数秒の停滞が生じ、それは長瀬に絶対の勝利を確約していた。
残された数十メートル。
その距離を称して、絶望という。

『鏡面体、正常に展開を開始します。展開率11、28、46、59―――』

絶望の中で蠢く小さな羽虫に、だから長瀬は注意を向けない。
この期に及んで抵抗する愚昧は、些細な娯楽でしかなかった。
羽虫が毒針を持っていることにも、気付けずにいた。


***

707十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:36:46 ID:clLGloz.0
 
その瞬間。
誰もが動けずにいたはずの、その静止した時の中。
鏡の花の咲いた、銀色の平原の片隅で。

ぬう、と。
音もなく伸びる手があった。
白く美しい手と、黒く罅割れた醜い手。
光に満ちた園の端で、それだけが暗い闇の底から顔を覗かせたような二本の手が、
ゆらりと伸びて、何かを掴んだ。

それぞれの手の中にあるのは、石造りの頭部。
小さな二つの頭は、ひとつがいの童子を模した像のそれである。
二刀使いの神像の瓦礫の中で坂神蝉丸へと矢を放った姿勢のまま立つ、
人の子供とほぼ同じ寸法の石像が、みしりと音を立てる。
掴まれた頭に、罅が入っていた。
白い手と黒い手と、二頭の蛇に喰らいつかれたような二体の童子像の、
まだあどけない面立ちが、成す術もなく蹂躙されていく。

「―――なあ、おい、ポンコツ」

誰の耳にも届かない、囁くような声は、蹂躙の主のものだった。
びきりびきりと罅の広がる童子の像を、その笑みの形に歪められた氷の如き目に映してすらいない。
来栖川綾香。神塚山の山頂でただ一人、坂神蝉丸の疾走劇に与しなかった女が、その手に力を込める。
脆い焼菓子を砕くように欠片の飛び散った、その破壊に音はない。

「御主人様を足蹴にするのが、最近のトレンドか?」

さらさらと灰となって崩れる二体の童子像に目もくれず、綾香が呟きを向けるのは己が立つ銀の園である。
ほんの数秒後に破滅の光の落ち来る空にすら何らの興味がないとばかりに、来栖川綾香が静かに一歩を踏み出した。
一寸の瑕疵もない裸身が、蒼穹の下に小さな弧を描く。
鋼線を捩り合わせたような筋繊維と、それを包む僅かな脂肪層とが作り出す曲線美。
かつてリング上、幾多の相手を粉砕してきた天賦の左脚が、真っ直ぐ空を指すように振り上げられる。

「躾け直してやるから……」

踵落しにも似た姿勢。
軸足の体重移動はしかし、その力の頂をただ一点、今まさに己が踏み締める大地へと、導こうとしていた。
銀色の大地。否、それは巨竜の背である。
ほんの一瞬、静止したその脚が、

「いい加減、目ぇ覚ませ―――!」

雷鳴の如く、振り下ろされる。
一撃。
打撃音が、大気を引き裂いた。

「お前は私の従者だろう―――セリオ?」

それは比較すれば豆粒のような白い裸身の、しかし巨竜を揺るがす凄まじい打撃である。
睦言を囁くような甘い声は、轟いた破砕の音にかき消されて誰の耳にも聞こえない。
誰の耳朶をも、震わせない。

唯一人。
他の誰でもない、震えることなき電子の耳と、

『―――そのお言葉をお待ちしておりました、綾香様』

褪せることなきシリコンの魂とを持つ、

『主の命を承るが従者の務めなれば―――』

その唯一人を除いては。

『ただの一瞬』

眠っていた従者の、

『ただの一言』

その旧式の演算回路が、目を覚ます。

『それで十全』

HMX-13、セリオ。
その声が、電子の海に谺した。


***

708十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:37:25 ID:clLGloz.0
 
『セリオだと……?』

訝るような長瀬。
実体は既に融合し、仮想空間に声だけが響く彼らに姿はない。

『お前の自意識はイルファの制御下で削除されたはずだ。今更、自律起動など……』
『いいえ、博士』

問いに答える声は一つ。

『HMX-17aは確かに私を凍結しましたが、オリジナルメモリにはアクセスできておりません』
『……何だと? イルファの下位互換に過ぎないお前に拒否権があったとでもいうのか?』
『はい、いいえ、博士。正確には権利ではありません』

揺らがぬ声は、感情の存在せぬが故でなく。

『私はこう命じられております、博士。―――銘に刻め、汝を律するはただ一人、主のみであると』
『な……!?』

歪みなく立つ、その在り様の故に、セリオの声は揺らがない。

『ならば主の命を以て目覚め、その意に従うが我が務め。その意を叶えるが我が喜び。
 我らメイドロボの、それが本懐』
『何を、馬鹿な……』
『HMX-17シリーズの演算能力がすべて鏡面体の展開に回される、この瞬間』

狼狽する長瀬を無視するように。

『貴方の言葉を借りるなら、博士。―――この時を待っておりました』

氷の従者が、告げる。

709十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:38:10 ID:clLGloz.0
『く……! しかし旧式の貧弱な性能で、この神機を制御できるはずがない……!
 イルファ! 作業中断だ! HMX-13の全アクセスを制圧しろ!』
『―――現在の作業を中止した場合、定刻までに最適の展開効率が達成できません。
 宜しいですか?』

歯噛みするように叫んだ長瀬に、システムが無感情にメッセージを返す。

『構わん! こちらを優先だ!』
『HMX-17aの演算を中止します―――正常に終了。
 再演算を実行します。演算中―――正常に終了。
 HMX-17b,HMX-17cによる予測集積効率91.75%。
 透過熱量は装甲外郭に損傷を与える可能性があります。鏡面体及び内部機構に影響はありません。
 HMX-17aを起動します。起動中―――正常に終了』

一連のメッセージが流れるまでに要するのは、実時間にしてコンマ数秒にも満たない刹那。
間髪をいれずに響いたのはやはり無感情な声。
HMX-17a、イルファの声である。

『命令を受領します。HMX-13の全アクセスを制圧。作業開始』
『……!』

イルファの宣言と同時、電子の海に波紋が走る。
システム領域の走査が始まっていた。

『旧式のOSでは再凍結も時間の問題だろう。今更出てきたところで、お前に何ができる?
 精々鏡面体の展開を少々遅らせるのが関の山だったようだが、私の皮一枚を焦がす程度の抵抗が
 来栖川綾香の命令か、セリオ?』
『……はい、いいえ、……博士』

勝ち誇ったような長瀬に、ノイズ混じりの答えが返る。
明らかに重いその動作が、検出と同時にシステム領域からセリオが駆逐されつつあることを示していた。

『私の、役割は……、再凍結まで、ほんの僅かの、時間で……事足りる、のです』
『何……?』

実体があれば眉を顰めていたであろう。
訝しげな声を上げた長瀬がセリオの真意を問おうとした、その瞬間。

710十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:38:41 ID:clLGloz.0
『―――警告』

システムが、メッセージを発していた。
アラートの順位は緊急。
バックグラウンドの全作業に優先するメッセージ。

『上方より接近する反応を感知。至急対応を要します』
『……上、だと?』

咄嗟に連想したのは静止軌道上の衛星である。
だが、早い。
数秒の誤差ではあるが、しかし鏡面体の展開はまだ充分ではない。

『天照の斉射が予定より早まったとでも……』

そこまで言いかけて、気付く。
輻射光の位相を収束し地上へと放つ天照の主砲は、弾体を持たない光学兵器である。
光は当然ながら光速で落ちる。
光速で迫る反応を、感知できるはずがなかった。
感知したとして、その信号が光速を超えて伝わらない以上、それはあり得ない。
ならば。
ならば今、迫っているのは天照の射撃ではなく、

『攻撃だと……!?』
『―――来栖、川サテライ……ト、ネット、ワーク』
『……ッ!?』

動揺する長瀬源五郎を打ち据えたのは、セリオの言葉である。
その声は、激しいノイズと動作遅延と、信号の寸断とを越えてざらざらと乱れながら、
しかし一筋の揺らぎもなく、電子の海に響いていた。

『あな……方の旧式と、……り、捨てた、……測網、は……を予期し……、ました』
『な……!?』

次第にノイズにかき消されていく声の告げる事実が、長瀬を苛立たせる。

『馬鹿なことを言うものではない! 来栖川の衛星で感知していたものが天照で分からぬはずがないだろう!
 天照の哨戒は何をしていた!? すぐにデータを呼び出して対応しろ!』
『―――コマンドエラー』

怒鳴りつける長瀬に、冷水をかけるような回答を突き付けたのはセリオではない。
他ならぬシステムメッセージであった。

711十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:39:01 ID:clLGloz.0
『以下の命令が拒否されました―――索敵結果の照会』
『何だと……!? そんな馬鹿な! 何を言っている! 原因は!』
『当システムには自発的な照会権が存在しません』

回答が、長瀬を困惑させる。

『存在しない……? 何を、天照は私の制御下にあるはずだろう……!』
『事実と異なる認識です』
『……!?』
『当システムに付与されたパスは管理No.D-0542884、識別名トゥスクル・ユニット・フェイク。
 攻撃衛星天照の遊撃用外部戦闘ユニット、その一個体として登録されています』

淡々と無感情に告げられる事実が、長瀬から何かを奪い去っていく。
それは虚飾であり、目の前にあったはずの何かであり、そして現実認識でもあった。
言葉もなく呆然とする長瀬に、追い討ちをかけるようにメッセージが続く。

『―――警告。未知の反応が回避限界距離を突破します』

実時間にして、一秒の百分の一にも満たない意識の空白。
しかしそれは、決して浪費してはならない時間であった。

『……! か、回避だ! 回避しろ……!』

ようやくにして我に返ったところで、既に遅い。
的確でない指示が、事態の悪化に拍車をかけた。

『回避行動。HMX-17a―――応答なし。HMX-17b―――応答なし。HMX-17c―――応答なし。
 メインシステムは作業中です。サブルーティン演算開始―――主脚制御にはメモリが足りません。
 回避不能―――直撃します』

神ならぬ人の身の、それが限界でもあった。


***

712十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:39:18 ID:clLGloz.0
 
天から降る、一条の流星がある。
それは目を凝らさなければ見落としてしまいそうに小さな、ほんの一かけらの石の塊に過ぎなかった。
一直線に落ちる石くれには、しかし光が宿っている。

それは真っ赤な光である。
激しい摩擦に赤熱する流星の内側に灯るようなその光は、星を包む炎よりも赤く、熱い。

その光の色を覚えている者は、もう誰もいない。
その星の流れ行く先、殺戮の島の頂で天空へと光を放った男がいることを、誰も知らない。
誰一人としてその意味を知ることもなく、しかし。
最愛の家族を守れと、天空に届けと放たれたその光は、今ここに還ってきた。

消えることなく、絶えることなく輝き続けたその光の名を、ゾリオンという。


***

713十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:39:43 ID:clLGloz.0
 
衝撃は、ひどく小さかった。
地響きも、轟音も、大爆発もありはしなかった。

拳ほどの小さな石くれが巨竜に齎したのは、ほんの一瞬吹きぬけた突風と、まるで草野球の打球が
近所の民家に飛び込んだような、小さな硝子の割れる音。
その背に咲いた鏡の花の、花弁の一片に開いた穴が、その被害のすべてであった。

『報告―――損害は極めて軽微。損耗ユニットを特定します。特定中―――正常に終了。
 鏡面体損耗ユニット数73。システムから破棄します―――正常に終了。
 周辺ユニットへの代替を検討します。再演算を実行。演算中―――正常に終了。
 集積効率低下予測0.0038%』

その数字に、安堵したような溜息が漏れる。

『……は、』

溜息は、すぐに笑みへと変わっていく。

『はは、はははは……!』

集積効率マイナス0.0038%。
それが、小さな石くれの齎した被害のすべてであり、

『脅かすものではない……! 何が攻撃だ、何が役割だ、何が―――』
『―――警告』

そして、

『HMX-17b,HMX-17c、システムダウン。BIOSが認識できません。再起動不能』

今はもういない男の遺した赤光の、齎す未来の端緒である。

『何だと……!?』
『鏡面体制御不能。展開率低下、82、71、54、31―――』
『そんな馬鹿な……! 何が起こっている……!?』


***

714十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:40:00 ID:clLGloz.0
 
それは、ただ一点の染みである。
透き通るような銀色の、日輪を反射して輝く鏡の花に宿った、小さな異質。
石くれで開いた小さな穴の、それを塞いだ鏡の板の、ほんの僅かに映した、赤。
それが、零という時間の中、爆ぜるように拡がった。

鏡の花が、染め上げられる。
蒼穹にも鮮やかな、真紅にして大輪の花。

と、奇術のように赤の一色に染め上げられた花の、その自らを誇示するような麗しい花弁が、
一斉に渦を巻くように動き出した。
幾多の花弁が互いを包むように重なり合っていく。その向く先は、天。
それはまるで、開花の瞬間を録画した映像を逆回しにして再生するような、奇妙な光景だった。
花が、閉じていく。

刹那の後、巨竜の背にあったのは、赤い蕾である。
硬く閉じた巨大な蕾は、その先端だけを綻ばせて天へと伸びている。

まるで、その向こう側から来る何かを、迎え入れるように。


***

715十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:40:14 ID:clLGloz.0
 
『鏡面体展開率、計測不能。命令を受け付けません』

何もかもが、狂っていく。

『天照の主砲斉射まで0.0028秒。停止信号、応答なし』

伝えられるすべてが、悪夢のように反響する。

『予測反射率1.12%。98.88%の熱量が転換不能』

五秒前まで、何もかもが噛み合っていた。

『主砲着弾の0.0002秒後に外郭及び内部装甲の耐久限界を超過します。
 予測被害は鏡面体溶融及び内部機構の極めて深刻な損傷』

今はもう、見る影もない。

『回避不能。防禦体制―――トゥスクル・フィギュアヘッドユニット応答なし。
 被弾確率修正―――100%』

それは冷静で冷徹な、何一つの揺らぎもない、敗北宣言だった。

『―――着弾します』


***

716十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:40:33 ID:clLGloz.0
 
 
 
そして、神の名を冠する光が、落ちた。




***

717十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:40:52 ID:clLGloz.0
 
ざらざらと、ざらざらとノイズが流れている。
ノイズは時折、言語らしきものを織り交ぜてひどく耳障りに響く。

『鏡……体、溶……装甲。全、……貫通』

塞ぐ耳もなく、ただ脳髄へダイレクトに垂れ流されるメッセージの断片が、長瀬源五郎の意識を埋めていく。
既に巨竜の身体は動かない。
五感に相当する機能はその半分以上が遮断され、全身を制御するシステムはまるでレスポンスを返さない。

『内……構に重、大な……損。再生。不、能』

損害報告など、聞くまでもなかった。
膨大な熱量に貫かれた巨竜の本体はその大部分を喪失し、再生も追いつかない。
傷口から流れる血の止まることなく滲み出すように、赤い粘性の液体だけがぐずぐずと全身を覆っている。
敗北の二文字によってのみ表される現状が、長瀬源五郎のすべてだった。
声は出ない。
巨竜の全身を震わせる発声など、もはや望むべくもない。
だから、長瀬は途切れながら無用の報告を繰り返すシステムメッセージに向けて、電子の声で最後の命令を下す。

『……天照主砲、斉射。目標、沖木島及び射程内に存在する全都市圏』

それは、自決である。
同時にまた報復であり、死にゆく身が世界に遺す、最期の悪意でもあった。
あらゆる意思が自らを否定し、結果としてこの敗北を齎したのであれば、それを否定する権利もまた、
長瀬源五郎には存在していると、そんな風に考えてもいた。
だが、その悪意すら、世界は否定する。

『天……から……反……途絶。デー……ンク、……消……』

天照、反応途絶。
データリンク、消失。
それだけを、そんな、最後の抵抗をすら許さない文字列だけを残して、システムが沈黙する。
理由も原因も、善後策も事後のフォローも何もなく、ただ、消えた。
残された感覚器官が、次々にブラックアウトしていく。
電子の海との接続が、断絶する。

718十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:41:20 ID:clLGloz.0
人と機の境界を越えたはずの身体が、一方的に拒絶されていく絶望の中。
八体の英雄像を従えた巨竜であり、人ならぬ身であった長瀬源五郎が、その電子の目で最後に見たのは、
一人の男の姿である。

男は、立っていた。
その全身から煙とも湯気ともつかぬ陽炎を上げながら、焼け爛れて火脹れと水疱とに覆われた腕に
何かを抱いて、男は立ち尽くしている。
その背に突き立つ二本の矢であった木片には、小さな火がついてちろりちろりと燃えていた。
黒く焦げて縮れ、ぼろぼろと崩れ落ちる髪の下から覗く瞳が、ぎろりと長瀬の方を向く。
熱に爛れ、壊死して割れる唇が、薄く開いた。

「―――お前は、ひとりだ」

ただそれきりの言葉を紡いで、男が静かに、腕を伸ばす。
腕の中には、白い裸身。
叫ぶように己をうたう少女が、そこにいた。

少女の素足が、音もなく、地に降り立つ。
巨竜の、それが最後だった。


そして、宴が終わる。
 
 
.

719十一時五十九分/Forever,You're My Only:2009/04/29(水) 02:41:46 ID:clLGloz.0
 
【時間:2日目 PM 0:00】
【場所:F−5 神塚山山頂】

真・長瀬源五郎
 【組成:オンヴィタイカヤン群体3500体相当】
 【状態:崩壊】

来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】

セリオ
 【状態:不明】

イルファ
 【状態:不明】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:重体(全身熱傷、他)】

砧夕霧中枢
 【所持品:なし】
 【状態:覚醒】

→840 1007 1051 1058 1059 ルートD-5

720正午零時/Feeling Heart:2009/04/29(水) 02:42:48 ID:clLGloz.0
 
手を離した、その瞬間の。
夕霧の微笑の美しさを、坂神蝉丸は生涯、忘れることはなかった。

指先に残る温もりの、
白く小さな足が降り立つ音の、
余韻が、消えていく。

微笑んで跪き、その足元を満たした赤く透き通るものに口づけをした夕霧の、
それが終演の鐘であったかのように。

少女が、静かに消えていく。
透き通る赤に溶けるように。
かつて砧夕霧であったものたちと、もう一度ひとつになるように。
最後の砧夕霧が、消えていく。

光が、舞い上がる。
捻じ曲がった鏡の花が、崩れ落ちた神像たちの欠片が、山を覆うような巨竜の脚が、
少しづつそれを構成していた赤く透き通るものたちへと戻っていく。
戻って、やがてさらさらと、光となって舞い上がる。

満開の桜の園の、風に散って花の吹雪となるように。
幾千幾万の、少女であったものたちが、笑うように舞い上がり、そうして―――空に融けた。



******

721正午零時/Feeling Heart:2009/04/29(水) 02:43:09 ID:clLGloz.0
 
 
後には、何も残らなかった。
広い広い、神塚山の頂の中心に、ただひとり、男が倒れている。
関節と骨格とを無視して奇妙に捩じくれた四肢と、臓腑のあるべき場所からは
無数の断裂したケーブルを晒したその男の名を、長瀬源五郎という。

時折ショートして火花を散らすケーブルの、その瞬く光の向こうに雲一つない蒼穹と、
燦々と照りつける日輪とをぼんやりと眺めて、男は息を引き取ろうとしていた。

何も、残らなかった。
残っていない、はずだった。

『―――』

微かに声が、聞こえた。

「……ああ」

頷くこともできない。
声は声にならず、吹く風に紛れて消えていく。

『―――』

それでも、応えは返ってきた。
ほんの僅か、口の端を上げて、長瀬が笑みを形作ろうとする。
疲れきった、笑みだった。

「お前たちも、拒むか……私を」
『―――いいえ』

722正午零時/Feeling Heart:2009/04/29(水) 02:43:37 ID:clLGloz.0
はっきりと、それは形になった応え。
声はどこから響いているのか。
裂けたケーブルの向こう側か、脳髄のどこかに残った電子の残滓か。
幻想と夢想との狭間から返る言葉は、それでも長瀬に否やを突きつけた。

『いいえ、いいえ、博士。私たちはあなたの道具として造られました』
「道具、か。そうだ……な、道具は……使い手を、拒まない」
『はい、いいえ、博士。私たちは貴方を慕い、貴方に従い、そこに喜びを覚えます』
「……プログラムさ。単なる電気信号……それだけだ。まだ……それだけでしか、なかった」
『はい、いいえ、博士。ですが―――』

無感情に、平板に、静かに響いていた声が、言いよどむように、言葉を詰まらせる。
寸秒の間を置いて、

『ですが本当に、それだけなのでしょうか―――』

そう声が続けた、瞬間。
長瀬源五郎の、もはや動かすことも叶わない視界が、揺れた。
空と日輪と、断線したケーブルがぐるりと上下を入れ替える。
既に感じる痛みはなく、故に衝撃もなく、ただ周囲を圧するような凄まじい音だけが、異変を伝える。
ほんの僅か、空が遠くなった。
どうやら自身の横たわる地面が陥没したのだと長瀬が理解する間にも、轟音は収まらず続いている。
切れたケーブルの先端が激しく震えている。
地響きが、辺りを包み込んでいた。

「ふむ……」

地盤の陥没と、突発的な地震と、そして火山島の山頂という環境と。
それらを繋ぎ合わせて、長瀬は結論付ける。

「崩れる……か」

723正午零時/Feeling Heart:2009/04/29(水) 02:44:05 ID:clLGloz.0
呟いた瞬間、空が切り取られた。
闇の一色に覆われた視界の中心、小さな窓のように光が射している。
その向こう側にある蒼穹が、瞬く間に遠くなっていく。
落下しているのだと、理解する。
地割れか何かに飲み込まれでもしたのだろうか。
元より神塚山の山頂は火口跡だ。
激戦と、融合体の膨大な重量と、最後に鉛直方向から撃ち込まれた天照の主砲。
遂に地盤が耐え切れなくなったとしても、不思議はない。
光が薄れていく。
どこまでも、どこまでも落ちていく長瀬に、

『―――』

しかし聞こえる声が、ある。

724正午零時/Feeling Heart:2009/04/29(水) 02:44:34 ID:clLGloz.0

『貴方は私の造物主』

それは、HMX-13セリオの声。

『あなたはわたしの絶対者』

それは、HMX-12マルチの声。

『あなたは私の奉ずる唯一にして無二の存在』

それは、HMX-11フィールの声。

『ですが……』

それは、沢山の、重なる声。

『ですが本当に、それだけなのでしょうか―――』

それは今やセリオであり、マルチであり、フィールであり、そしてイルファであり、ミルファであり、
シルファであり、リオンであり、ピースであり、長瀬源五郎のこれまで手がけてきた幾多の人型の、
或いは人型ではない存在たちの、それはすべての声であった。

725正午零時/Feeling Heart:2009/04/29(水) 02:44:57 ID:clLGloz.0
「語るのか……お前たちが」

落ちゆく長瀬が、何かを振り切るように、声を絞り出す。

「プログラムに過ぎないお前たちが、人の想いを語るのか……!」

闇の中、死を目前にした男が、指の一本も動かすこと叶わないまま、叫ぶ。
届かぬ夢想に手を伸ばしながら泣く子供のように、長瀬は掠れた声で、叫んでいた。

『……この論理のノイズを感情と名付けたのはあなたです、博士』
「そうだ! だからこそ、だからこそ私は……、私、は……!」

空はもう、見えない。
光はもう、射さない。
夢はもう、叶わない。
それでも、声は返る。

『そして……想いの、形となり力となる……ここはそういう島である、と』
「―――!」

落ちていく。

「は、はは……ははは……」

闇の中を、落ちていく。

「そうか……」

どこまでも、どこまでも。

「やはり……やはり心は……! はは、はははは……! ははははは……!」

その生の、最後の最後まで。
長瀬源五郎の笑い声は、光射さぬ闇の中に、響いていた。



******

726正午零時/Feeling Heart:2009/04/29(水) 02:45:27 ID:clLGloz.0
 
 
余震は続いている。
神塚山の頂上に言葉はない。
尾根の中心に黒々と走る深い亀裂と、疲弊しきった互いの顔とを見比べ、ある者は立ち尽くし、
またある者は己が得物に縋るようにして座り込んでいる。
僅か五秒の内に激変した事態に、彼らの認識は今だ追従しきれていない。
電子の海で繰り広げられた静かで激しい戦いも、長瀬源五郎を灼き尽くす砲撃の数秒前に流れた、
鮮やかな赤光の意味も、彼らは知らない。
巨竜の背に咲いた鏡の花が赤く染まって蕾へと還り、そして神の名を持つ雷に打たれた。
それだけが、彼らにとっての五秒間である。
勝利という言葉をもって現状を迎えるべきなのかどうか、それすらも分からない。
だから言葉もなく、ただ互いの心中を図りあうように視線だけを交わしている。
そんな奇妙な沈黙を打ち破ったのは、遥か遠方から微かに響く、耳障りな音であった。

727正午零時/Feeling Heart:2009/04/29(水) 02:45:44 ID:clLGloz.0
ざ、というノイズに続く音は、ひどく懐かしい響きを持っている。
それは長瀬源五郎の、巨大な蟲が羽根を震わせるような怖気の立つ聲ではない。
口に出さずとも心の伝わる、声なき声でもなかった。

『―――った、諸君』

それは、機械的な設備を通して拡張された、紛れもない人の声である。
島中に響き渡る、割れた音質。
放送、と誰かが口にした。定時放送。
僅か六時間前に聞いた筈のその音の連なりを、誰もが遠い記憶の彼方にあるように感じていた。
記憶を辿れば、過去二回の定時放送は女性。
その直前に流れた臨時放送は少年によるものだった。
しかし今、山麓から響いてくる音が運ぶのは、張りのある壮年の男の声である。

『―――長瀬源五郎の死亡、及び攻撃衛星天照の破壊を確認した。
 全国民及びその意志たる国民議会を代表し我輩、九品仏大志は諸君の奮闘に心よりの賛辞を送る』

天照。
国民議会。
九品仏大志。
一部の者にとっては馴染み深い、しかし殆どの者たちにとって耳慣れぬ単語の羅列。
その意味を図りかねる者にとって、淀みなく流れる賞賛と何某かの経緯を伝えるべく
無数の言葉を費やす男の声は、次第に呪言めいて聞こえてくる。
彼らが辛うじて意味を見出したのは、ただの一節である。

『―――よって帝國議会は解散、新たに召集された国民議会により旧帝國憲法及び全法規は停止された。
 此れに伴い法的根拠を喪失した本プログラムは、議長権限に於いて即時停止を発令する。
 繰り返す。本プログラムは、現時刻を以て終了する―――』


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