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避難用作品投下スレ4

1管理人★:2008/08/01(金) 02:07:08 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

556十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:50:23 ID:WUwc3v1o0
 
胸にこみ上げる嫌悪感にえづきながら、柏木楓が身を捻る。
その身を両断せんと迫る巨大な刃を躱す、その深紅の瞳には波紋一つ浮かばない。
返すように振るわれる、瞳と同じ血の色の長い爪が、神像の腕に一筋の傷を刻んでいく。

刻んだその顔に笑みはない。
与えた打撃に思うところの一切はなく、それは暗い部屋で人形の手足を捻り千切るような、
枕に顔を押し当てて叫ぶような、ただ生きるために必要な、それは作業であるかのように。
淡々とした激情に身を任せながら、少女は足掻いている。


***

557十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:50:43 ID:WUwc3v1o0
 
変わっていく。
私は変わらされていく。

綺麗なところには、厭な汁の飛沫が散って染みを作るように。
やわらかいところには、じくじくと痛い水ぶくれができるように。

あの人のどろどろとしたものが伝染して、私は変わらされていく。
嫌だと泣いても、駄目と叫んでも、どれだけ肌を裂いて血を流しても、それは止まらない。

私のからだからは、きっといつか、甘い化粧の匂いが立ち込めるようになるのだ。
そうして鳥肌の立つような猫なで声で、誰かの名前を呼ぶのだ。

それはもう、私ではない。
柏木楓なんかでは、決してない。

それはきっと、街の人波をぎっしりと埋め尽くす、たくさんの柏木千鶴の、一人でしかない。
だから。

そういうものになる前に、私は、選ばなくてはいけないのだ。
どろどろとした厭らしく粘つくものを撒き散らすあの人か、変わらされてしまう柏木楓であるものか、

どちらを、殺すのか。


***

558十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:50:58 ID:WUwc3v1o0

ひどく陳腐で、切実で、迂遠で、真っ直ぐで、ありふれた幻想とでも呼ぶべき何かを抱いて、
少女は刃を振るう。
振るう刃の鋭さが、少女という存在の生きる意味のすべてである。

刻まれる傷は、少女が歩む上での犠牲に過ぎぬ。
抉られ落ちる神像の腕は、少女という歪みに巻き込まれた、哀れな盤上の駒だった。
少女の立つ場所を、世界という。

559十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:51:20 ID:WUwc3v1o0
 
【時間:2日目 AM11:49】
【場所:F−5 神塚山山頂】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:エルクゥ、軽傷、左目失明(治癒中)】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体16800体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:小破】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1045 ルートD-5

560十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:10:12 ID:McAJYwDI0
***


A−9。
初めて会ったときの、それが彼女の名だった。

流れる金色の髪がとても綺麗だと、そんな風に思ったことだけを、覚えている。


***

561十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:10:27 ID:McAJYwDI0
 
「覚えているかね、諸君―――」

響くのは、無数の蟲の這いずるが如き聲。
長瀬源五郎である。

「幼い頃に思い描いた、未来のかたちを。
 求め、挑み、膝を屈して涙した、あの日の夢を。
 手を伸ばせばいつか届くと信じていた無邪気な日々を、諸君は覚えているかね。
 私の夢、私の未来、私の思い描いた世界。そうだ、それは今、私の目の前にある。
 届くのだ、歩めば。一歩、一歩、見たまえ、もうほんの少しの先で、私の夢が叶おうとしている―――」

醜悪を練り固めたような粘りつく声に、天沢郁未が鉄の味のする唾を吐く。

『語ってんじゃねーっての……』

眼前、悪夢の如き堅牢を誇る槍使いの神像を睨み上げながら、郁未は立ち上がる。
ぜひ、という喘鳴が喉から漏れていた。
息が整わない。
痙攣するように胸が震える度にこみ上げてくるのは胃液と混じった鮮血。
激戦の中、折れた肋骨が内臓を傷つけていた。

『……不可視の力で傷も治せたらいいのにね。魔法みたいにさ』

冗談めかした呟きに相方の答えが返ってこないのを、郁未は怪訝に思う。
観客もいないサーカスの、愚かな道化とその頭に載せられた林檎を狙って飛ぶナイフ。
それは不文律。
それは暗黙の了解。
それは約束。
―――それは、誓い。
いつからかそうしてきた、これからもずっとそうしていくはずの、天沢郁未と鹿沼葉子の在り方。
それが崩れだしたのは、この島に来てからのことだ。


***

562十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:10:41 ID:McAJYwDI0
 
今はもうない教団の、あの誰もいない食堂の薄暗い片隅で。
私たちは、出会った。

私を変え、私の生き方を変え、私の明日を変えたそれをきっと、奇跡というのだろう。


***

563十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:10:57 ID:McAJYwDI0
 
迫る槍が、天を支える柱の落ちるが如く大地を抉る。
石くれと岩とを孕んだ風が爆ぜるように拡がり、それが消えるよりも早く次の衝撃が落ちる。

『右……? 分かってる、けど……っ!』

郁未の脳裏に閃くのは鹿沼葉子の送る視界である。
土煙に巻かれながら跳ねる郁未の眼には映らぬはずの、第二撃。
それを正確に回避できるのは、理屈はどうあれ意志と声とが繋がったらしき葉子の、声なき指示の賜物だった。

『これじゃ、近づけやしないっ……!』

戦況はいかにも苦しい。
打ち続く激戦に駆ける足は震え、手に持つ鉈も次第にその存在感を増しているように感じられた。
泥濘のまとわりつくように重苦しい身体を引きずりながら、郁未が跳ねる。
砕けた肋骨が細かな砂粒になり、肉体を動かす歯車に噛まれて軋むように、全身が不協和音を奏でていた。
今や槍の穂先は完全に郁未だけを狙っている。
傷を負った郁未の動きが重いことは、既に見抜かれていた。
先刻の突撃の失敗は致命的だった。
敵は無傷、こちらへの打撃は重く尾を引いて圧し掛かっている。
危うい均衡を保っていた天秤が、一気に傾こうとしていた。

「ち……ぃ、っ!」

それでも、天沢郁未は退かない。
今にも崩れ落ちそうな身体を引きずって戦う郁未の瞳には、不退転の決意があった。
自由への渇望もある。迫り来る死の刻限への抵抗も、無論のこと存在した。
しかし、それよりもなお郁未の心を満たし支えていたのは、他ならぬ鹿沼葉子の言葉である。
葉子があの少女たちを敵と呼んだ。
ならば、その少女たちを取り込んで生まれた眼前の巨神像群もまた、葉子の敵であると思った。
それが、ただそれだけのことが、天沢郁未の戦う、最も強い理由である。

564十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:11:20 ID:McAJYwDI0
見上げれば空を覆うような影。
突き込まれる巨槍は大気をも穿ち貫くように、直線の軌跡を描いて落ちてくる。
距離を詰めるように駆け出した、郁未の背後で岩盤が破砕される。
振り返ることはしない。
不可視の視界、第三の瞳が郁未にはあった。
振り返ることなく、郁未は駆けながら背後を確認。
落ちた槍は素早く引かれている。
引かれた槍が、再び突き込まれようとするのが見えて、
と、

「……!?」

その穂先が、割れた。割れた影は三つ。
否、軌跡が分裂したと見えるほどに連続した、それは神速の刺突。
流星の如き槍撃が狙い澄ましたように郁未へと迫る。
一つ目を躱し、二つ目を避け、そして三つ目は―――対処しきれない。

「が、ぁ……っ!」

直撃だけを回避し、しかし爆ぜるように巨槍が大地を粉砕する、その爆心地の直近から逃れることは叶わなかった。
咄嗟に張り巡らせた不可視の壁も僅かに間に合わない。
鋭く尖った石礫が幾つも郁未へと突き刺さる。
爆風が、流れる血と同じ速さで郁未の身体を吹き飛ばした。

『―――郁未さんっ!?』

悲痛に響く声に、薄く笑む。
笑んだ直後に衝撃が来た。
受身も取れずに叩きつけられた岩盤に、食い込んだ石礫と開いた傷口とが卸し金にかけられるように削られていく。
遮断した痛覚を無視するように目尻を流れるのは涙滴だった。
肉体の防衛本能が流させる、それは警告である。
ごろごろと転がった先で、しかし郁未はそれを拭いながら立ち上がる。
左の肘から先は奇妙に捩じくれて動かない。
動かないが、立ち上がった。

565十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:11:38 ID:McAJYwDI0
『はは……今のはちょっと、効いた……かも』

葉子に伝える軽口も、声にはならない。
ぱっくりと裂けた唇の間から漏れるのは、がらがらと血痰の絡む濡れた吐息のみである。

『けど、まだこれから……』
『―――もう、いい』

それは、静かな声だった。
底冷えのするような、低く、暗い声。
郁未がそれを相方の、鹿沼葉子の声であると認識するまでに、僅かな時間を要した。

『え……?』
『もう、いいと言ったのです。もう、いいです。もう、充分』

それは、

『葉子さ―――』
『これは、私の戦いです』

それは、拒絶だった。

『あれは、私の敵。……郁未さんは、もう下がってください』

繋がっていたはずの、手の温もり。
それが幻想であると告げるような。

『それが……光学戰試挑躰である、私の為すべきことなのですから』

伝わる声音の冷たさに、背筋が震える。
力が、抜けていく。
追い縋れない。
駆け出したその背に、手が届かない。
のろのろと、何かを言おうと口を開きかけて、

『―――ごめんなさい』

呟きが、世界を変えた。
それは、焔である。
暗く灯りの落ちた天沢郁未の奥底に横たわる、ゆらゆらと静かに揺れる水面に落とされた、微かな火種。
水面は、油だ。
炎が、一気に燃え広がった。
それは瞬く間に、失望を嘗め絶望を焼き拒絶という鉄扉を融かし尽くす業火となる。

伸ばした手は届かない。
届かない手は、乾いた血に塗れて赤黒い。
赤黒く血に染まった手指が拳を形作り、ぎり、と音を立てた。


***

566十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:12:00 ID:McAJYwDI0
 
あの場所で過ごした時間を、地獄と呼ぶ人もいるのかもしれない。
だけど、違う。
あれは分水嶺だったのだ。過去という監獄と、未来という荒野との。
或いは、

孤独と、そうでない温かさとの。


***

567十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:12:26 ID:McAJYwDI0
 
光学戰試挑躰。
相方が、鹿沼葉子が鹿沼葉子らしからぬ表情を垣間見せるようになったのは、
その単語を口にしてからこちらのことだ。
聞けば、葉子の身にはまだ隠された過去と、秘められた力があったのだという。
詳しいことは覚えていない。覚える必要もなかった。
その程度の、ことだった。

つまらないことだ、と思う。
何もかもが、つまらない。
葉子がそんな過去に拘泥していることも。
自分に隠し事をしていたことも。
それが、要らぬ迷惑を被らせまいとする気遣いであろうことも。
告げてなお、一人で何かの決着をつけようとしていることも。
二人で歩むこの先よりも、今この戦いを見つめていることも。
おそらくはその終わり方を、手前勝手に心に決めたのだろうことも。
―――なんて、つまらない。

何より一番に、気に入らないのは。
そんなことの全部に気付かないよう振舞う郁未が、本当は何もかもを理解しているということを。
そこまでを葉子は分かっていて。
分かった上で、葉子の身勝手を赦すと。
その決断を、認めると。
鹿沼葉子が一人で歩むことを、天沢郁未が肯んじると。
そんな風に、考えていることだ。

「……けんな」

伸ばした拳は届かない。
巨槍は迫る。

「……ざけんな、」

鹿沼葉子は謝罪を口にし。
背を、向けている。

「ざッけんな、鹿沼葉子……ッ!」

それが、どうした。


***

568十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:12:42 ID:McAJYwDI0
 
あの朱い月の夜を越えて。
私たちは、訣別したのだ。
過去と。亡霊たちと。私たちを縛る、私たち以外の、すべてと。

ならば。
ならば、私の手が。
夜を越え明日を歩む、私たちの伸ばす手が。


―――届かぬ道理の、あるはずもない。


***

569十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:13:04 ID:McAJYwDI0
 
一歩を踏み出す。
ただそれだけで、この身は鹿沼葉子に並んでいる。

「郁未……さん……!?」

思わず漏れた声も、驚いたような顔も、全部がすぐ、そこにある。
ただの一歩。
距離の如きが、天沢郁未と鹿沼葉子を隔てることなど叶わない。

「どうして……!」

叫んだ瞳に滲む涙が、きらきらと日輪に輝いて綺麗だと、そんなことを思う。
影が、落ちた。
陽光を遮る無粋な影は、巨神像の振るう剛槍。
足を止めた郁未と葉子とを襲う、地を穿つ流星。
告死の一閃が、迫る。

「―――ねえ、葉子さん」

その名を口に出して、微笑む。
掠れた声と息切れと、こみ上げる血と激痛と、そんなものを、無視して。

「私は―――」

轟々と風を巻いて迫る槍が、喧しい。
だから拳を突き出した。
まだ動く、右の拳の一本が。
血に染まった、傷だらけの細い腕が。
不可視と呼ばれる、無限の力を紡ぎ出す。
力は壁となり、力は腕となり、力は最後に、拳となった。
不可視の壁が、巨槍を防いだ。
芥子粒のような二人を前に、天を支える巨柱の如き槍が、その動きの一切を止める。
不可視の腕が、巨槍を掴んだ。
山を穿つ穂先が、大地を抉る長柄が、その主の意図に反して向きを変えていく。
最後に不可視の拳が、巨槍を、弾いた。
練り固め、押し潰された大気が爆ぜるような凄まじい轟音と共に、巨槍を持つ神像が大きく体勢を崩す。
弾かれた槍の一直線に向かう先には、刀を構えた巨神像が存在した。
槍の長柄が巨神像の刀を圧し砕き、穂先が巨神像の頭を、破砕する。
その一切を、郁未は目に映してすら、いない。

「―――私は、あなたのそばにいる」

瞳は、鹿沼葉子だけを、ただ真っ直ぐに見つめている。

570十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:13:17 ID:McAJYwDI0
 
【時間:2日目 AM11:51】
【場所:F−5 神塚山山頂 南西】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体15200体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:損傷】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:大破】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1045 ルートD-5

571乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:29:09 ID:gteZ9OEo0
 やぁ良い子のみんな、元気にしてたかい?
 この形で出るのも久々だな。そうです、わたしが高槻です。

 最近はシリアルな展開が長く続いて俺もこういうのを挟む余裕がなくなってきてるわけなのよ。
 まあ別にいいんだけど。これぞまさにハードボイルドって感じで少しは格好がつくってもんだ。

 なんだかんだ言っても俺にも面子というものがある。といってもあん時のような薄っぺらいもんじゃない。
 俺がしっかりと他人に誇れるようななにか。胸を張れるなにかのための面子だ。
 問題なのはその『なにか』が俺自身でも分かってないってことなんだよな。

 そりゃそうなんだよな。考えてもこなければ持とうとすることもなかったんだし。
 しかも今までと全然違う環境下で考え事をすることが多くなってしまったせいでなんか戸惑うことも多くなったし。

 ……藤林と再会したときもそうだ。
 離れ離れになって、だけどまた出会えれば嬉しいってもんだろう。ゆめみが飛び出してったのもそうなんだろうって思えるさ。
 だが俺にはその実感がない。再会したところでどんな言葉をかけたらいいのか分からなかったし、嬉しいと思う気持ちも無かった。
 それよりも男の方……芳野って兄ちゃんに気がいってたくらいだしな。

 つまるところ、俺は誰かとつるむことなく自分勝手にやっていた昔の癖が抜け切っていないんだ。
 他人のことなんてどうでもよくて、俺さえ良ければなんだっていいと思っていたあの時のように。
 クソ喰らえと思うが、そういう暮らししかしてこれなかったのが俺なんだって自覚もする。
 最低な野郎は所詮最低な気質のまま。屑は屑でしかいられない。
 何故か岸田の顔が頭に浮かんで、こちらを見下している。

 ああ、もう、クソ喰らえだ、本当に。
 悪態のひとつでもつきたいって気分だ。何もかもを一新したつもりでいても結局は過去に囚われたまま。
 責任を持ちたくない、無責任に生きられさえすればいいとしている俺がいつまで経っても洗い流せない。
 どうしてだろうな……いや、理由は分かってる。

572乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:29:27 ID:gteZ9OEo0
 楽だからさ。妥協して、流されて、何の責任も持たない生き方はとにかく楽の一言だ。
 そんなゆるま湯に浸かりきってきた俺だ。体は楽な方へ楽な方へ行こうとしている。
 慣れきった俺ってやつがそっちへフラフラしようとしている。

 駄目な野郎だ。全く、本当に駄目な野郎だよ。駄目すぎて苦笑いしか出てこない。
 郁乃がせっかく準備を整えてくれているのにな……ケツ引っ叩いて追い出してくれたってのに、そこから進む一歩をどうしても踏み出せない。
 ものぐさが過ぎる。もう一回くらいビシッと叩いてもらわなきゃ、ひょっとしたら何もしないままなのかもしれない。
 こんなだからよ、俺は何にも誰にも胸を張れないのかもな……

「高槻さん、船のことなのですが」

 すっきりしないまま歩いていると、不意にゆめみが話しかけてきた。
 そういえばこいつから話しかけられるのって多いような気がする。ロボットなのに。

 いや最近のロボットはそういうものなのかもしれない。命令を聞くだけ、なんてのはもう昔の話なのかもな。
 そのうち人権なんかもできたりするかもしれない。待てよ、ロボットだからロボ権か?
 いまいち分かりにくいな。機械人形権? 自動人形権? うーむ、自立稼動機械内における人口知能に対する権利の保護……長ぇ。

 などと横道に逸れかけた俺の考えを修正してやる! かのように頭に乗っかっていたポテト(雨避け)がぴこぴこと頭を叩く。
 わーってるよ白毛玉。……そういや、今の俺の姿ってモーツァルトみたいに見えないか?
 今のガキどもはモーツァルトごっこなんてやってないんだろうな。綿を頭に乗せてさ。
 何? 昔のガキだってやってないって? 俺はやってたぞ。

 ……いかん、どうもすぐに変なことを考えてしまう。こら毛玉、ぴこぴこ両手両足で叩いたり蹴ったりしてんじゃねぇ。鬱陶しい。
 分かってるっての。つーかお前、本当俺のことに関してだけは先読みが鋭いのな。以心伝心、いやニュータイプか?
 ララァ、私にも宇宙が見えるぞ。……はいはいはい、分かってるからしっぽ叩き追加すんな。

「どうしたよ」
「探した後のことなのですが……どうするのですか?」

573乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:29:47 ID:gteZ9OEo0
 そういや探す探すばっかり言ってて探した後のことなんざ全然考えてなかったな。
 まぁこの首輪があるからなんだけどな。だがそれも心配ない。外す当てが芳野の兄ちゃんから舞い込んできたし。
 仮に外せるのだとしたらもう残りは脱出だけ。そうなると俺達のやっていることも俄然重要な意味合いを持つことになる。
 ゆめみはそういうのを含んで言ったんだろう。先読みが鋭いのはポテトだけではないようで。

「取り合えずは船自体を見てみないことにはな。壊れているのか、そうでないのか、燃料はどうなのか、とかな。
 まず確認して、それから必要なものを探しに行くってことになるだろうさ。今は見に行くだけでいい」
「なるほど、そうですね。確かに船があるというのを知っているだけですからどうなっているのかも分かりませんし」

 頷くゆめみ。そういえばこいつの腕もどうにかしないと。岸田も死んで、残りも30人ほどの状況とはいえ、
 まーりゃんとかいう女を始めとして殺し合いに乗ってる連中はいないわけじゃないだろう。それに備えてゆめみの体調……
 というか調整をしておく必要がある。こいつだって立派な戦力だからな。

「お前も何とかして直してやらないとな。いつまでもその腕のままじゃあな……正直キツいぜ。はんだごてで直せるかねぇ」
「神経回路は普通の機械と同じ配線ですから、応急処置としては十分だと考えられます」

 そりゃ良かった。一応機械工学に関しての知識はあるからな。
 MINMESやELPODの調整を度々やらされていたことがこんな形で役に立つとはよ。
 どちらかというとデジタル的なデータの調整の方が多かったような気もするが、この際気にするまい。

 と、俺はふとゆめみのために行動している俺という存在がいつの間にか現れていたことに気付く。
 自分のためじゃない、純粋に人のことを思っての行動だということに。そこに多少の打算があったのだとしても……

「あの、ありがとうございます」
「……何がだ」

 急な言葉に多少詰まらせながらも俺はそう返す。ゆめみは寸分の打算もないやわらかな笑みを浮かべていた。

「わたしを直してくださることです。それは、きっとお医者様がひとを治すのと同じことだと思いましたから」
「なに、そんな大層なもんじゃない。……一蓮托生ってやつだ」
「一蓮托生……?」
「乗りかかった泥舟ってことだよ」

574乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:30:14 ID:gteZ9OEo0
 少しの間を置いて、ああ、という風にゆめみは頷き、同時に苦笑していた。俺も苦笑を返す。
 一蓮托生、か。

 自分でそう言っておきながら、今更のようにようやく理解している。
 この道を俺は選ぼうとしている。今までに経験したこともなく、何があるのかも不明瞭で不安だらけの道を。
 自分で決めたことだ。アドバイスやら何やらがあったとしても、決めたのは俺なんだ。

「あの、分かっていて申し上げられたのなら申し訳ないのですが」
「お?」
「乗りかかった船、ではないのでしょうか? ……泥舟だと、沈んでしまいます」
「……」

 ゆめみの苦笑が思い出され、そういう意味だったとやっと分かった俺は口をあんぐりと開けるしかなかった。
 ま、ままま間違えたわけじゃないぞ! あれだ、沈む船だとしても最期まで一緒ってことだよ! イッツタイタニック!

 なに? タイタニックでは片割れが生き残ったって? うるせー馬鹿! 細かいことを気にするな!
 これが一蓮托生ってことだ分かったかよ畜生!
 頭の中では真っ赤になって誰かに反論しつつ、表面上はクールを装って華麗に返す俺。

「ふ……ゆめみ、大人のハードボイルドジョークを分かっていないようだな。地獄に落ちるなら一緒ってことなんだぜ?」
「そうなのですか? すみません、わたしのデータベースになかった言葉だったので……」

 流石俺。流石クール高槻。見事な返しに思わずゆめみさんも信じるこの鮮やかさ!
 さらりと告白まがいのようなことを言っているような気がするがゆめみさんが空気読んでフラグ折ってくれました。
 決してゆめみさんがアホアホロボットだと言っているわけじゃないぞ?
 とにかく上手く誤魔化すことに成功した俺は大袈裟に咳払いをして話をまとめにかかる。

「そういうことだ。分かったらまずははんだごてを探すぞ。船が壊れていても修理に応用できそうだからな」
「了解しました。泥舟に乗船させてもらいますね」

 ……こいつ、分かっててやってないだろうか?
 だがにっこりと純真無垢に微笑を浮かべるゆめみを見るとそんな邪な考えもすぐに吹き飛んだ。

 代わりに、もし泥舟の話を誰かに聞かれでもしたらとんでもない恥さらしになるのではないだろうかという不安が頭を過ぎる。
 どうやら泥舟に乗っているのは俺も同じらしい。沈まないように祈るしかない。
 でもきっといつかバレるんだろうなあ……確信にも近い予感を抱きながら、俺ははんだごてがありそうな工具店を探すことにした。

     *     *     *

575乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:30:43 ID:gteZ9OEo0
 薄明るい密室の中、ひとりの少女が俯き加減に座っていた。
 頬は僅かに赤く、瞳の奥には戸惑いとある種の期待を込めた色が窺える。
 服は既にはだけられ、インナースーツの上半身部分だけが覗き彼女の柔肌を守っている。
 守られていない部分――すなわち、素肌が見えているところはほの暗い空間と対になるような白さがあり、
 落とされた服と相まって卑猥な雰囲気を醸し出している。
 眺められていることに気付いたらしい少女は少しの間を置いてから頷く。
 しゅるしゅるという衣擦れの音が聞こえ、ゆっくりと裸身が露になってゆく。
 少女らしいほっそりとした肢体と、控えめに膨らんでいる胸。以前見た事がある男だが、
 改めて見てみると思った以上に小さなものだと感慨を抱いた。

「あの……宜しく、お願いします」

 上目遣いに見上げる少女。ああ、と男は頷き、『道具』を持って彼女の背後へと回る。
 方膝をついて座り、ぴったりと体を密着させる。女の子特有の柔らかさが伝わってきた。
 ごくりと生唾を呑み込みつつ、男は少女の身体を――

576乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:31:10 ID:gteZ9OEo0

 んなわけあるか。
 ただの応急処置の風景だよ。
 賢者タイムだとか思った奴表に出ろ。

 ……とまあ、首尾よくはんだごて他回線やら何やらを入手してとりあえずゆめみの応急処置をすることにしたわけだ。
 部屋が薄暗いのは俺達が無防備になるから誰かに見つけられないための措置ってやつだな。
 密室にしたのも以下同文。オープンにそんなことやってたまるか。大道芸じゃないんだぞ。

 まあそもそも俺がゆめみに欲情することなんざ俺がポテトに恋することくらいありえん。
 ロボットだし、おっぱい小さいし。あっ、重要なのはおっぱい小さいってところだぞ?
 小さいのが悪いと言っているわけではないが、やっぱり大きいほうが色々と便利じゃん? 何がって? 大人になれば分かるさ。

 しかしまあ、本当にこんなので大丈夫なのかねえ。
 人工皮膚を鋏でジョキジョキ切って、切断された配線をはんだでくっつけ直す。
 ゆめみの電源は一時的に切ってある(スリープモード)に移行してあるから感電の心配はないんだが、念のためにゴム手袋で作業。
 さらにゴーグル装備。マスクもついでに。意味があるかどうかはこの際置いておこう。

 問題なのはゆめみに開けられた穴がちょうど胸のあたりを貫通してることなんだよな。
 奥のほうまでいくと流石に俺でもどうしようもなくなってくるし、どうなっているのかも見えない。
 つーか、科学の粋を集めて作ったロボット、しかも試作品のことが一発で分かってたまるか。
 繋ぎなおしだって色が同じ奴をくっつけているだけだしな。……寧ろ変なところをくっつけてしまいおかしくなりはしないだろうかと思う。

 だが作業は始まってしまった以上、今更止めるわけにもいかないし、ゆめみ本人も(多分と付け加えたが)大丈夫と言っている。
 いけるいける、絶対にいけるとお祈りしつつ手の届く場所までは直す。
 見た感じでは主な損傷箇所は胸部の、いわゆる肋骨にあたる骨格が破損していて、
 モーターだかバッテリーだか分からん箱のようなものも貫かれて使い物にならなくなっているようだ。
 ゆめみ本人なら分かるかもしれない。後で聞いてみよう。

「……よし、やれるだけはやったぞ……後は運を天に任せるか」

577乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:31:30 ID:gteZ9OEo0
 ゴーグルとマスクを外して一息。
 残りはジョキジョキ切ってしまった人工皮膚の繋ぎなおしだが、まあ糸でも通しときゃどうにかなるだろ、多分。
 でも糸なんて見つからなかったしなあ……そうだ、確か忍者セットの中に強力な糊みたいなのが入ってたはずだ。ん、トリモチだったかな?
 まあいい。とにかくくっつけられるなら大丈夫だろ。

 ごそごそとデイパックから例の糊みたいな何かを取り出し、ヘラで掬い取ってぺたぺた……と。
 小学生の工作の時間を思い出しつつ人工皮膚の切れ目に塗りたくる。
 どうやら見込みに間違いはなかったらしくぺろんと皮膚が剥がれることもなかった。

 取り合えず今はこれでいい。本格的な修理は後にでもやればいいさ。きっとメイドロボと同じレベルの修理なら出来るはず。
 試作品だからって何もかも違うってことはないだろう。

「よっしゃ、終わったぞゆめみ。起きろ」
「――システム再起動。各種機能をチェックします……一部にエラーが見受けられます。
 サポートセンターに問い合わせします……エラー。接続を中断します。稼動には深刻なエラーは見受けられません。
 よってこのままプログラムを起動します。……パーソナルネーム『ほしのゆめみ』、起動」

 抑揚のない無機質な声がしばらく続き、俯いていたゆめみの頭がようやく持ち上がる。
 普段はあんなに可愛い声なのにな。気が利いてないというか、システムボイスくらい気を配れというか。
 けど、やっぱりエラーはあるらしい。深刻ではないようなのでひとまず問題はないというところだな。

「――おはようございます」
「おう。どうよ、調子は」

 言われたゆめみは動かなくなっていた腕を動かそうとする。もし直っていれば腕は動くはずなのだが……
 一瞬緊張し、しかしそれも杞憂だと分かった。
 多少ぎこちないものの腕が動き、関節も曲がる。指も曲げられるようだった。

 ふーっ、案外簡単にいくもんだな。ひょっとすると、ロボットのハードウェアに当たる部分は案外いい加減なつくりなのかもしれない。
 繊細なのはプログラムだけ。……俺達と同じだな。
 死にたいと思っても中々死に切れず、恥を晒して、それでも体は動き、命が脈動して……

578乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:31:52 ID:gteZ9OEo0
「若干、関節面の動きが鈍いように思われます。それに腕も肩より先に上がらないみたいです」

 ギギギと腕を上げようとしたゆめみだが、不自然な部分で止まってしまっている。やはり不完全か。
 これじゃあ格闘は無理か。折角格闘プログラムをインストールしたってのに、勿体無い。
 まぁしかしちゃんと動くだけマシってところか。
 右足と左足が同時に出たりとか、指が常にわきわきしたりとか、そういう不都合が出なくてよかった。

 医者ってのもこんな気分なんだろう。自分のやったことに対して一喜一憂する。上手くいけば全力で喜べる。自分自身も患者も。
 俺がやっていることは絆創膏を貼るレベルなんだろうけどな。
 苦笑しながら、俺はまだ体の調子を確かめているらしいゆめみに「服を着ろ」と伝える。
 その、なんだ。いかに興味ないとはいえ半裸の女の子(ロボットだが)が男の視線を気にしてないというのも問題なわけで。
 全く。プログラマー出て来い。

 今更のように自分がそういう格好だと知ったように、あっと声を上げてゆめみが慌てて服を着る。
 手遅れなんだが。もう見てるんだが。色? 馬鹿野郎、そういう無粋なことを聞くもんじゃないの。
 もう少し大きかったら揉んでたね。空しくなったとしても揉んでたさ。男だからな!
 ……こういうとき、突っ込み役がいないと少し寂しいな。藤林と一緒に行けば良かったか。半殺しにされそうだけど。

「ぴこ」

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、ポテトがぴこぴこと叩いてくる。
 気持ちはありがたいが、もうちょっと刺激が欲しいな。全然痛くないし。

「……ぴこ」

 あ? なんだよその汚いものを見るような目は。変態?
 何を言うかこの駄犬。俺が求めているのは体を張った笑いなんだよ。ネタのために体を張る。男らしくていいじゃないか。
 つーかお前如きに変態呼ばわりされてたまるか未確認生命体め。
 頭からひっぺがしてイチローのレーザービームのように外に投げ捨ててやろうとしたとき、ズン! という低い音と共に地面が揺れた。

579乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:32:12 ID:gteZ9OEo0
「なんだっ!?」

 家屋の中にいてまで響いてくる上に、揺れたのだ。
 俺はポテトのことも頭から放り出して外へと向かう。まさか、別働隊の藤林と芳野の兄ちゃんがやられたんじゃないだろうな。
 服を着たらしいゆめみも慌てて荷物を持って俺に追い縋ってくる。

「何でしょうか、今の音は……」
「分からん。ヤバいことじゃなけりゃいいんだが」

 こうなると見つかりにくくするために閉めきっていたのが煩わしい。手早く扉を開け、外に出ると……
 なんじゃこりゃ、と俺は絶句したくなった。

 ここから海岸に沿った方向、およそ数キロほど先にある場所だろうか。
 夜に、しかも雨なのにもかかわらずもうもうと煙が上がり、空の一部が赤く切り取られている。
 キャンプファイアーにしてはあまりに大きすぎやしないかい? そんなことを言いたくなるくらいに激しく何かが『燃えていた』。

「海の方……みたいですが」

 ぽつりとゆめみが呟いたとき、まさかという予感が走った。
 あそこで燃えているのは、もしや、船――!?
 半分そうだと言っている自分と、そんな馬鹿なと騒ぎ立てている自分がいた。

 いや仮に船だとして、どうして燃やすような真似をする? あそこで戦闘でもしていたのだろうか?
 だがこの雨の中、そう簡単に船が爆発して燃えるなんてことがあるのか。
 火をつけただけじゃあんなことにはならない。もっと他の、専門的な知識と道具を使わなければ……

「畜生! 行くぞ!」
「え? あ、は、はい!」

580乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:32:35 ID:gteZ9OEo0
 考えていても始まらない。悪い予感が現実の形になっていくのを認識しながらも、確かめてみなければという思いが体を動かしていた。
 そう、もし燃えているアレが船だとして、わざわざ専門的な道具を使ってまで破壊し、尚且つ得をするような連中……
 そんなもの、脱出を是としない主催の連中に決まっているじゃないか。

 甘かったというのか。わざわざ現場に人員を送り込んでくるような真似をしてこないと踏んだ俺が間違っていたのか。
 万が一送り込んだ人員が捕まれば対抗する手立てを見つけられるかもしれないのに?

 くそったれ……!
 走りながら、俺は悪態をつくしかなかった。

581乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:32:54 ID:gteZ9OEo0
【時間:2日目午後22時00分ごろ】
【場所:C-3・鎌石村工具店前】

タイタニック高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光二個)、コルトガバメント(装弾数:7/7)予備弾(5)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:爆発の元へ急行。船や飛行機などを探す。爆弾の材料も探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ドラグノフ(0/10)、はんだごて、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。高槻に従って行動】

→B-10

582のこされたもの:2009/03/05(木) 23:16:32 ID:9452gkFI0
「ん……」

 目覚めるとそこは夕暮れの部屋だった。
 散乱する書類、何の目的に使うのかも分からないガラクタ、勢いだけで書かれた変な掟の数々。
 寝起きの頭で数秒ほど考え、ほどなくしてここが生徒会室なのだと思い至る。

 どうやら机にうつ伏せのまま眠っていたらしい。首は硬くなっていて、頬をなぞってみると制服の皺の跡が残っているのが分かる。
 自分の他には誰もなく、眩しいばかりの夕日が暖かな橙色を伴って自身の体と生徒会室を染め上げていた。

 綺麗だな、と思いつつ椅子から立ち上がり、夕日を差し込んでいる窓へと朝霧麻亜子は歩いていく。
 見下ろしたグラウンドもセピア調のトーンに揃えられていて、人気のない様子も手伝って物寂しいものを麻亜子に伝えた。
 いつもならまだ陸上部やらサッカー部やらが部活に勤しんでいるはずなのに。

 今日はどこも早く切り上げてしまったのだろうか、それとも自分が遅くまで眠りこけていたのだろうかと思って麻亜子は部屋の中に時計を探す。
 少し漁ると、書類の束に埋もれるようにしていたデジタルの時計が見つかった。
 あちゃ、と麻亜子は頭を掻く。時刻は六時を回っている。とっくに最終下校時間を過ぎているではないか。
 早く出なければ見回りをしている先生に見つかってお説教コースだ。もう手遅れかもしれないが。

 それにしてもどうして起こしに来てくれなかったのだろうと頬を膨らませる。
 最近のあの二人は仲も良さそうだったし、ひょっとしたら遊びにでも行ってしまったのかと想像する。
 自分を差し置いて楽しいこととは……いつか倍にして返してやろうと思いながら麻亜子は生徒会室を出る。
 扉を閉めようとしたとき、そういえば鍵は持っていただろうかと思ったが、すぐに「まあいいか」と気にせず、そのまま後にする。

 赤く染まる廊下に麻亜子ひとりの足音だけが続く。最終下校時間は過ぎているとはいえ、本当に静かで誰もいない。
 まるで世界に一人取り残されたような気分と、普段は騒がしいはずのこの場所が醸し出す、どこか静謐な、雰囲気の新鮮さを楽しむ気分。
 その両方を持ちながら、麻亜子はくるくると視線を動かす。いつもなら気にも留めないような景色にも目を配って。

 意外と清掃は行き届いている。
 うんうん、さーりゃんはそういうとこに気を配れる子だからねー。
 廊下の掲示板に張られている新聞やイベントに関するポスターもちゃんと節度を守った学生らしいものだ。
 うーん、ちと刺激が足りぬが、まぁさーりゃんらしいよね。これはこれでいい気分。

583のこされたもの:2009/03/05(木) 23:16:54 ID:9452gkFI0
 階段を下り、昇降口に出る。やはりというかなんというか、既に卒業してしまっている自分の下駄箱はもはや存在しない。
 つい数ヶ月前まで自分が使っていたそこには名前も知らない生徒の上履きが入っている。
 さて、自分はここに遊びにきているときどの空き下駄箱を使っていただろうかと思い起こそうとして、しかし思い出せなかった。
 今日立ち寄ったばかりなのに、もう忘れてしまっている己に失笑する。更年期障害にはまだまだ早いはずなのだが。

「……あはは、あたし、もういないんだよね、ここには」

 ここには何もない。自分の居場所は、どこにも。
 いつまで縋っているのだろう。自分を知るものはなく、残しているものもないここに何を求めているのだろう。
 一人で旅立つのが怖いから? 上手くやっていけるかなんて分からないから?
 いやきっと両方なのだろう。臆病で、昔にあったものしか信じられず、いつまでも居座ろうとする女。
 頭も良くなければへそ曲がりな体質で協調性、親和性にも欠ける。それが自分だ。

 知ってしまったからだ。落ちるかもしれない、そういうことがあると知って、羽を広げられなくなってしまったからだ。
 破天荒であったのは自分の居場所がまだあると錯覚するために過ぎず、明るく振る舞っていたのは現実を誤魔化すための手段に過ぎない。
 全て自分のためだ。友達のために行動していたのが本心だろうが偽りのものだろうが、結局は自分を安心させたいがため。
 利用していたとは思わない。貴明とささらは、いや新生徒会の面々は大好きで、いつまでもあり続ければいいと思っていた。

 だから……だから自分はあんなことをしてしまったのだろう。
 思い出す。麻亜子が行ってきた所業の数々を。
 人を殺したのも、騙したのも、裏切ったのも全部友達のため。つまりは自分のため。
 誰かを殺して友達のためになるのなら、殺している自分には居場所があると頑なに思い続けていただけだった。

 自分のしていることが友達にどう思われるかなど考えもせず、思考停止して居場所を得たかったがためにやっていたのに過ぎず……
 そうした時点でもう居場所なんてあるはずがなかった。
 自分の居場所は友達があってこそというのを忘れてしまっていた時点で、もう何もかもが失われていたのに。
 だからここには誰もいない。この学校には誰もいない。
 全員自分が追い出してしまったからだ。自業自得の一語が浮かび上がり、嘲笑だけを吐き出させた。

584のこされたもの:2009/03/05(木) 23:17:16 ID:9452gkFI0
「でも、今の先輩にはそれだけじゃないでしょう?」

 やさしい声が風に乗って運ばれ、麻亜子の耳へと届いた。
 昇降口の奥、廊下側から聞こえてきたのは河野貴明の声。振り向くと、そこには大きなダンボールを持ったままよろよろと歩く貴明がいた。
 どこかへと行く様子の貴明だったが、もう最終下校時間だとか、どうしてそんなものを持っているのか、そんな質問は浮かばなかった。
 さっぱりとして清々とした表情には、何の未練も感じられない、穏やかな雰囲気があった。

「俺達だって、いつまでも先輩に拘ってちゃいけませんしね」

 苦笑した貴明はそのまま奥へと進んで行く。それは明らかな別れだった。
 待って、とは言えなかった。引き止める資格はない。自分で追い払っておきながら、寂しくなったからなんて今さら過ぎる。
 仮に引き止めたところで、それは彼らを縛り付ける意味しかない。永遠に飛ぶ事を恐れる自分の我侭に付き合わせるだけでしかない。

 そもそも居場所を取り返そうというのが傲慢な発想だったのだ。
 そのために誰かの居場所を奪ったところで、取り戻せるわけなんてなかったのに。
 深い後悔が息苦しさとなり、胸を鋭い痛みとなって突き上げる。こうして苦しんで死んでいくしかないということか。
 永遠に苦しみ続け、憎悪を受け止めて。自分の居場所を求め続けた、これが結果なのなら……

「仕方ないな……先輩、俺の言ったことの意味をよく考えてくださいよ。それだけじゃない、って」
「今のまーりゃん先輩にしかないものがあるんです。……たとえそれが間違ったことの果てに見つけたのだとしても」

 遠くから振り向いた貴明の言葉に続けて、どうやら階下から降りてきたらしいささらの言葉が重なる。
 今の自分にしかないもの?
 自答してみて、だがそれは悲しみでしかないと答えようとしたが、本当にそれだけなのかと必死に思い出そうとしている自分もいた。

 思い出すべきなのだろうか。迷っているうちに陽が沈み、夕日の色は徐々に失われ、夜の帳に覆われていく。
 それと同時に、二人の姿もだんだんと夜の陰に埋もれていき、姿を隠そうとする。
 完全になくなってしまう前に結論を出さないといけないという思いが体を走り、開けることを躊躇っていた記憶の扉を押す。

「そうだ、あたしは、まだ……」

585のこされたもの:2009/03/05(木) 23:17:32 ID:9452gkFI0
 分かっていながら、それでも止められなかった自分に対して向けられた、「間違っている」という言葉。
 どんなに辛くてもその気があるのならやり直せると言って、手を差し伸べてくれたひとがいる。
 だがその道を本当に行くかは自分に委ねられた。強制ではなく、ただ選択肢だけを与えられていた。
 その手を取るかは、自分次第。

 麻亜子は暗くなりかけた風景の、橙と紺色が混ざり合い変わりゆく世界の中で静かに己の手を見つめた。
 血に染まった手であり、可能性を残した手。
 最後に残った太陽の光へと振り返り、麻亜子はそこにあるもの、この先にあるものの所在を確かめた。

 今の自分は自由だ。このまま夜を迎えるのも、朝日の昇る方向へ向かうのも、全てが委ねられている。
 楽になることはきっと、できない。いつまで経っても一度犯した間違いはリセットできない。どんなに後悔しているとしても。
 だがその先、歩いた先に何があるのかは不明瞭で誰にも分からない。そこにはどんな結末が待ち構えているのかも分からない。
 不幸か、絶望か、幸福なのか、希望なのか。言えるのは、そのどれもが在り得るということだ。

 けれども立ち止まったままではそのどれもを得ることは出来ない。
 皆が残していった欠片。想いの残滓を投げ出してしまう。

 そんなものは嫌だ。義務感からではなく、贖罪の念からでもなく、己の沸き立つ思いに従って麻亜子は太陽が完全に沈む様を眺めた。
 赦されるのかどうか、その資格があるのか……考えれば、普通はあるはずがないのだろう。
 だが儚くとも、ないわけではない。それに共に歩むひと達がいる。間違いを犯した者なりに掴めるものだってあるかもしれないから。

「行くよ、あたし。自分で考えて、自分で決めたことだから」

 見返した先、表情も見えなくなっていた二人の姿が揺らぎ、つい先程まで戦っていた二人の姿を代わりに浮かび上がらせた。
 夜になった世界を背にして、麻亜子は二人の元まで歩いていく。
 しっかりと、地に足をつけて――

     *     *     *

586のこされたもの:2009/03/05(木) 23:18:03 ID:9452gkFI0
 ぼんやりとした輪郭が映る。じっと無表情に、だが瞳の奥には心配を交えた色があった。
 あの子か……沈みゆく夕暮れの光景で見た、最後の人影と重ねて、麻亜子は微笑を浮かべた。

「起きた?」
「ああ、うん……夢を見てたみたい」

 どこかの民家にでも移動してきたのだろうか。
 視界は薄暗く、消えた蛍光灯と壁紙の白さ、無造作に置かれている家具の数々が、生活感よりもかえって不気味さを際立たせていた。
 窓から外を見れば先刻見ていたあの夕日の美しさはなく、茫漠としてどこまでも伸びるような闇が広がっている。
 これが自分の生きているところだという自覚を持ちながら、麻亜子はむくりと起き上がった。

 服はいつの間にか着替えさせられていたようで、今度は体操服のジャージ(上下)に、さらにその下は通常の体操服が着せられている。
 サイズも微妙に合ってなく、ジャージもぶかぶかな感があった。そして何より、デザインが地味だった。
 だっさいなぁと率直な感想を抱きながら、麻亜子は「何これ、こんなんじゃ萌えないなー」と言ってけらけらと笑った。

「動きやすそうな服がそれくらいしかなかった。サイズも合いそうなのがなかった……許して欲しい」

 すまなさそうな声の方を見れば、これまた彼女も剣道部の胴衣をきっちりと着こなしている。
 上下に黒を基調とした無骨なデザインと、少女らしい可憐な顔とがアンバランスにも感じられ、かえって不思議な魅力を出していた。
 くっそー、これだからおっぱいぼーん! は……

 胴衣の上からでもわかる大きな膨らみに若干の羨望を覚えつつ、麻亜子は普段の調子を取り戻してきていることに安堵する。
 或いは、体操服と剣道着という日常的かつ不恰好で可笑しな組み合わせがそうさせてくれたのかもしれない。
 こんな風に可笑しく笑えたのはここに来て以来初めてじゃないだろうか。その事実を噛み締めながら麻亜子は話を切り出す。

「あのさ……あたしは……」
「川澄舞」
「へ?」
「私の名前。初めて会う人と話すときは、まず自己紹介」

587のこされたもの:2009/03/05(木) 23:18:28 ID:9452gkFI0
 初めても何も、さっき戦っていたじゃないか。そんな言葉が浮かんだが、野暮だという思いですぐにかき消した。
 大体錯乱していて話もろくに聞こうとしていなかったのは自分だ。
 いかんいかん。こんなクールおっぱいぼいーんに手玉に取られててどうする。世界の美少女じゅうよんさいの名が折れるわ。

「うむ苦しゅうない。我輩は永遠の美少女ロリ、おっと(21)とは違うぞ。(21)とは違うのだよ(21)とは!
 ということでまーりゃんという者である。って、もう知ってるっけ? よしなに」
「よしなに」

 あ、クールにさらっと流した。
 表情を全く変えない舞にどことない敗北感と突っ込み人員の不足を嘆きながら、麻亜子はコホンと咳払いして仕切り直す。

「で、あたしは今どういう状況なのかな? さすがにあれから少しは時間、経ってると思うんだけどさ。
 あのやたらこわーい目つきのお兄さんもいないし、ね」

 目が覚めたと知ったなら、まずもう一人の連れを呼んでから改めて対話というのが考えられることだろう。
 まだ自分達は分かり合っていないことも多い。寧ろ拘束もせず、自由に動ける状況であるというのが(今さらながらに考えて)おかしい。
 逆に言えばそれほどまでに自分は感情をむき出しにして戦っていたということなのだろうが、それにしてもこの措置は緩いと思えた。
 それはともかく、もう一人の連れを呼ばない以上、この場にはいないと考えるのが自然だ。
 ならば何かしらの事件が起こったと考えるべきで、まずはそれを聞いておきたかった。

「往人はいまここにはいない。でもすぐに帰ってくる。まーりゃんは私がここに連れてきた。往人が戻ってくるまで、私が守るって約束したから」

 言葉から推測する限り、もう一人の連れ……往人というのがどこかに行ったのは確からしい。
 だが行き先を知らないということは、恐らくは正確な場所を告げずに出て行ったということだ。
 しかしそれよりも守るという言葉が麻亜子の心を打ち、内奥に強く反響させていた。

 約束したと言ったときに含まれていた強い口調から、その重要度は窺い知れる。
 けれどもなぜ、先程まで殺し合っていた相手にここまでするのか。確かに心情を吐露したとはいえ、何が舞を信じさせるのだろうか。
 そう、それを確かめるためにあたしは歩き始めたんだ。
 疑問を口に出そうとした麻亜子だが、その前に舞が話を続けた。

588のこされたもの:2009/03/05(木) 23:18:45 ID:9452gkFI0
「あなたはどうしたいの? 少し訂正するけど……私はあなたを守る。
 だけど、あなたがそうして欲しくないというのなら私は何もしない。押し付ける気はないから……」

 それは改めて突き出された選択肢だった。
 自由になった己が身への厳しい問い。夢の中で見た言葉の数々と同じ、覚悟を決める気持ちを問う選択肢だ。
 でも、もう決めちゃってるからね。自分で考えて、自分で決めたことなんだ。

「多分、あたしは君が思ってる以上の極悪人だよ。あたしのしてきたこと、知ってる?」
「知ってる」
「その上で、あたしと一緒に歩いてくれるの? そりゃ、赦されるだなんて全然思ってないけど……」
「けど、間違ったことを続けて、悲しみを撒き散らすこともしない」

 そのつもりなのだろう? と確信を含んだ目を向けられ、麻亜子は参ったなという感想を抱いた。
 もう向こう側は全て了解してくれているということか。決して赦せなくとも、それぞれのために、共に協力し合うパートナーとなることを。

「……罪を犯してきたのは、私だって同じだから。みんなを、貴明とささらを見殺しにしてしまったようなものだから」
「さーりゃんと、たかりゃんを……?」

 ぽつりと呟かれた舞の言葉に、麻亜子は思わずといった形で反応する。
 頷いた舞がひとつひとつ、これまでに起こったことを語っていく。
 疑心暗鬼の渦中にいながら誰も止められなかったこと、自分が楽になりたいがために己の命を絶とうとしていたこと……

「言い訳するつもりはない。でも、私は生きていくと決めた。
 死んでいなくなった人たちが救われるわけじゃないし、何より、私が生きたいって思ったから。
 それでどんなに辛い思いをするのだとしても」
「……そっか」

589のこされたもの:2009/03/05(木) 23:19:09 ID:9452gkFI0
 貴明とささらの結末。それを半ば見殺しにしたと自白した舞の言葉を聞いても、さほどの恨みは募らなかった。
 寧ろ羨ましくさえ思った。自分達の代わりに麻亜子を止めてくれ。そう言われるまでに信頼されていた舞の存在が。
 自分には出来ない。誰かを死後を託すことも、やってくれると信じきることも。

 同時に一抹の寂しさもあった。誰かを守り、託し、散っていった貴明の姿。
 それは自分が知っている、頼りなくて振り回されがちな少年の姿とはまるで違うものだったからだ。
 守りたかった友達は、既に自分の手に余るほど大きくなっていた……

 麻亜子は、夢の中の貴明の姿を思い返す。あの貴明も同じだった。さっぱりとしていい表情になった男の顔。
 己の中のしがらみ、これまで縛り付けていたものが緩む感触を味わいながら「あたしもそうだよ」と言葉を乗せた。

「生きたい、って思った。誰に言われるまでもなく、自分自身の気持ちで」

 無言で頷いた舞には、何の含みもない微笑だけがあった。しがらみの一つを洗い流した女の顔がそこにあった。
 胸の内がスッと軽くなる。その意味は分かりきってはいたが、すぐに理解したくはなかった。
 理解してしまうと自分らしくなくて気恥ずかしいものがあったからだった。
 代わりに麻亜子はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて舞へと抱きついた。

「ねぇねぇ、さっきさー、『私が生きたい』って言ってたけどさー、それって誰のためなのかなぁ?」
「……? まーりゃん、なに言って……か、顔、近い」
「まーなんというか、これはあたしの人生経験的による勘なんだけど、まいまい、ぶっちゃけ惚れてるっしょ往人ちんに」
「……!?」

 目をしばたかせた後、ぱくぱくと口を開閉させ顔を紅潮させる舞。
 分かりやすいなあと内心にやにやしながら麻亜子は舞の頬をぷにぷにと突く。
 ああ、やっぱ若人のほっぺたは最高やでウッシッシ。

「いやー、ビミョーに往人ちんのことを話すときに声が上ずってたからさー、胸のときめき☆を感じちゃってたのかねーとか思ってたんだけど。
 で、どーなのお嬢さん? 気にしてないことはないっしょ? ファイナルアンサー?」
「別に、私は……」
「あ、不自然に目を逸らした」
「……」
「だんまりモードかね。ならばゴッドハンドと呼ばれたまーりゃん様の指が火を吹くぞー! うりゃりゃりゃりゃさあ言えー!」
「〜〜〜〜〜〜!」

 何が起こってるかって? それはもう女の子のひ・み・つということで。
 こうして夜も更けていく……

590のこされたもの:2009/03/05(木) 23:19:42 ID:9452gkFI0
【時間:2日目午後21時00分頃】
【場所:F−3・民家】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)
(武器・道具類一覧)Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン、投げナイフ(残:2本)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン(34/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。往人・舞に同行。パヤパヤ?いいえスキンシップです】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

→B-10

591十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:07:46 ID:I5wwcrkg0
 
白と黒と、そして紅とに彩られた、それは裸身である。

さら、と。
夜を焚き染めたような短髪が、風に靡いて涼やかに鳴る。

「忘れるものかよ―――」

言葉を紡いだ唇は紅を差したように鮮やかで、湛えた笑みの冷ややかさを際立たせている。

「ああ、忘れるものかよ。あの頃にみた、夢の色を」

白は、静謐。
原初の脈動を秘めながら煌めく冬の日輪の如き、それは女であった。

「私はまだ―――夢の中にいる」

来栖川綾香が、立っている。


***

592十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:08:28 ID:I5wwcrkg0
 
それが生きた獣であれば、傲と吼え猛る声も聞こえただろうか。
人を容易く磨り潰す石造りの牙の間からは音もなく、ただ夜の森に泥を湛えた真黒き穴のような口腔が、
綾香を威嚇するように開いている。

「私にはわからない」

裸身が跳ねる。
寸秒を以て加速の頂点に達した白い弾丸が、石造りの獣を撃つ。
両の拳による連打は一続きの音を生み、その音の余韻が消えるよりも早く次の波が来る。
躍動する左腕、堅い拳胼胝に覆われてなお優美と映る拳が引かれたときには既に右の腕、
黒く変生した鬼の拳が獣の鼻面へと突き込まれている。
嵐の如き連打にもしかし、獣の巨神像はこ揺るぎもしない。
煩げに首を揺すった、その動作一つで綾香に距離を取らせている。
陽光の下、古代の職工が丹精込めて鑿を振るい彫り上げたようなその身には、傷の一つも負っていない。

「なぜ誰もが、歩みを止めるのか」

たん、と。
音を立てて銀の湖の淵、巨神像の立ち並ぶ辺縁に素足を着いた綾香に、獣が反撃へと転じる。
襲い来るのは爪である。
自らの足元に立つ綾香を薙ぐ軌道。
迫る剛爪を横目で見た綾香が、長くしなやかな脚に力を込める。
飛び退いて躱すか。―――否。
踏み込んだ右の脚が、踵を支点として回転する。
捻りながら後傾していく上体と腕とが体躯全体を使った遠心力を生み、体幹の筋力がそれを精密に伝達する。
打ち出されるのは、閃光とすら映る一撃。
希代の身体感覚と天性の柔軟な筋肉とが作り上げた、精緻な美術―――左上段回し蹴り。
格闘家、来栖川綾香の抜き放った伝家の宝刀が、自らに数倍する巨腕を、正面から迎え撃った。
切り裂かれた風が、万雷の拍手の如く爆ぜ、散った。

593十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:08:55 ID:I5wwcrkg0
 
「なぜ自らが腐っていくのを、じっと眺めていられるのか」

びりびりと耳朶を震わせる爆音の余韻の中、綾香が駆ける。
質量と物理法則とを無視して弾いた巨獣の前肢は、しかし無傷である。
対する綾香もその疾走の最中、深紅の染料で刻印する裸足の足跡が、一歩ごとに薄くなっていく。
蹴りの衝撃で割れ裂けた足裏の傷が、見る間に癒えていくのだった。
仙命樹、祝福と呪詛とを等しく齎す不死の秘薬の効果である。

「何かを学んだと、何かを得たと、したり顔で膝を屈し」

天空を駆けるが如き跳躍から獣の牙を目掛けて打ち下ろされるのは踵。
撓めた身体から流れるように繰り出された綾香の脚が、落下の加速を得て剛断の鎌と化す。
弧を描く軌跡が速度の頂点で巨獣へと吸い込まれていく。
刹那、躍動する来栖川綾香の肉体に存在したのは、美という言葉の意味であった。
斬の一字をその義と銘に打たれた白刃の見る者の悉くを惑わし蕩かすが如き、魔性。
それは、人という種の持つ力の具現である。

「歳を経て磨り減って、朽ち果てたようなものたちに囲まれて、曖昧に笑いながら腐っていく」

中空、連撃の華が咲く。
朱く散るのは鮮血の飛沫。
限度を超えた酷使に爆ぜる血と肉と骨とが織り成す綾である。
弾け、千切れた肉体が、しかしその端から癒えていく。
打撃の生み出す風が周囲を満たす朱い霧を散らし、轟音は響き、衝撃が大気を震わせる。
嵐の如き連打に巨獣の頭部が徐々に押され、しかしその表面には依然として損傷が見えない。
拳と足と、全身を裂けた皮膚の桃色と鮮血の赤とで斑模様に染めながら地に降り立った綾香が、
しかし表情を変えることなく疾走を再開する。

594十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:09:25 ID:I5wwcrkg0
 
「なぜ安寧を許容する。なぜ鈍化を肯定する。なぜ敗北を容認する」

転瞬。
颶風の如き打撃にも耐えきるかと見えた巨獣が、大きく身を捩った。
一瞬遅れて、その頭上を閃くものがある。
蒼穹を闇に染める稲妻とでもいうべき、黒の光。
それは巨獣の隣に位置する神像、黒翼の像と対峙する水瀬名雪の放つ、黒雷である。
流れ弾か、或いは何か他の意図があったものか。
いずれ哂ったのは、来栖川綾香である。

「何にもなれず。何者でもなく、何物でもなく、何処にも辿り着けず」

その眼が見据えるのは、唯の一点。
どれほどの打撃にも殆ど身じろぎすらしなかった巨獣の像が、揺らいだ。
黒雷が掠めたのは、獣の背。
巨獣に跨る、小さな影。
あどけない、少女の神像である。

「なぜそれを、生と呼ぶ」

595十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:10:05 ID:I5wwcrkg0
駆けたのは、ほんの二歩。
それだけを助走として、綾香の身体が宙を舞う。
大地の軛から解き放たれたように、高く。

「ああ、ああ。こんなにも、末期の聲が満ちるなら。こんなにも、こんなにも誰もが、生きることを忘れているのなら。
 応えよう。伝えよう。この彼岸に蠢くすべてに」

高く、高く。巨獣を飛び越えるほどに、この殺戮の島を一望するほどに高く。
日輪に、艶と雅の舞うように。

「止まっていけ。腐っていけ。友であったものたち。かつて美しく在れた、愛すべきものたち」

蒼穹を裂いて流れる、それは一筋の星だった。
空を翔る来栖川綾香の、紡ぐ言葉は糾弾ではない。
それは、世界の内でほんの僅か、幾人かだけがそっと首肯する、永劫と久遠とに響き渡る凱歌。

「私は、私たちだけは、走るんだ。走っていけるんだ」

それは夢から醒めずにいられる来栖川綾香の、
ただ綺麗なものだけに満たされた空を目指して羽ばたく女の、
振り切るべき死者の群れの全部、打ち捨てるべき腐ったものたちの全部に向けた、

「―――ここじゃない、どこかへ」

訣別の、宣言だ。


***

596十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:10:29 ID:I5wwcrkg0
 
穿ち貫かれた少女の像がさらさらと、やがて巨獣の像が轟音と共に、崩れ、風に散っていく。
どこまでも高い蒼穹の下、崩壊と廃滅の中に、白と黒と、そして紅とに彩られて、女が一人、立っている。

来栖川綾香が、立っている。

597十一時五十一分/綺麗:2009/03/06(金) 01:10:52 ID:I5wwcrkg0
 
【時間:2日目 AM11:53】
【場所:F−5 神塚山山頂】

来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体13800体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:大破】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:損傷】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1045 ルートD-5

598メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:34:13 ID:Rd8zP9jw0
場を満たす空気に変化はない。
訴えるマルチの意図を、巳間良祐は理解できないでいた。
巳間は目の前の少女が溢した言葉の意味の解釈を、思いつくことができないでいた。
故に、巳間は縋るようなマルチの声を冷淡なで瞳で一瞥する。
脅しが効いていない、目の前のか弱い少女が想像していたよりもタフだったことに巳間は内心毒づいた。
一度、巳間はマルチから煮え湯を飲まされている。
その件もあり、巳間は油断は禁物だと自身に言い聞かせ、改めて気を引き締めようとする。
マルチが下手に出ているだけでこちらを隙を窺っているという可能性が、巳間の中では沸き上がっていた。
仕掛けれられた罠にかかる程無様なことはないと、巳間は慎重にマルチの出方を窺おうとする。

一方マルチは、自分の言葉に対し何のアクションも返して来ない巳間にどう接すればいいのか、ひたすら困っていた。
巳間の片手は、相変わらず彼のデイバッグに突っ込まれたままである。
いつ彼がその中から武器を取り出し、攻撃してくるか分からない。それはマルチの作られた心にも恐怖を生む。
思えば人を殺すことに躊躇のない人間相手に軽率な行動を取ってしまったと、マルチの中では今更ながらに後悔をしている部分もあった。

しかし、それでも彼が人間であることには他ならない。
マルチのような人工物ではない、生命が宿る存在だった。

だからこその行動でも、あったはずである。
メイドロボという「物」と人という「者」の間に生まれている差は、絶対だった。
その差を巳間が理解していないということを、マルチは想像だにしていなかったのである。

巳間良祐という男は、彼女、マルチを「HM−12型」というシリーズに値する試作機、「HMX−12型」であるロボットだと認識していなかった。
FARGOという閉鎖された施設の中に捕われた巳間は、現実の世界から隔離されている。
その空間は、巳間に流行という言葉を忘れさせた。
巳間は知らない。
メイドロボという名の一般家庭向け作業ロボットが、額は大きいものの庶民が触れ合うことができるレベルにまで浸透しているということを巳間は知らないのだ。
巳間はマルチの苦悩に気づいていない。
人とは違う、生物ではないという事実が与えているマルチの苦しみそのものが何なのか分からないでいた。

599メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:34:55 ID:Rd8zP9jw0
「自分」を知らない人間がいるなんてことを、マルチは思ってもいないのである。
根本的なところで、マルチと巳間は噛み合わないでいた。
マルチは気づかない。
そこにマルチは気づかないまま、ぎゅっと拳を握ると沈黙を守り反応を返して来ない巳間に対し、自分の身に起きた出来事を語り始めた。

マルチの独白は、彼女の感情論も中に入りなかなかに長いものになった。
その間巳間は、彼女の言葉に一切の口を挟むことなくただ静かに耳を傾けていた。
理由は簡単である。
マルチがいつ何かを仕掛けてくるかと身構え、緊張の糸を始終張っていたからだ。
だが話したいだけ話したところで、マルチは一息入れると巳間に意見を求めるように彼女もその小さな口を閉じる。
巳間の予想していた奇襲の気配は、一切なかった。

マルチは本当に、ただのお人よしであったということを巳間が理解した所で、特に何かが進展する訳ではない。
むしろ巳間自身は他人の身の上話などに興味ないのだから、彼からすればこのような余興は幾許かの時間を無駄にしたに過ぎなかった。

(……くだらない)

攻撃の意図が含まれない溜息を吐くというだけの巳間の仕草にも、マルチはびくっと首を竦める。
そんなものでさえ巳間を苛立たせるには充分な動作であることを、マルチも分かっていなかった。

「それで、何なんだ」
「え?」
「それがどうしたと、聞いてるんだ」

巳間の刺すような物言いに、マルチはただでさえ小さな肩をさらに縮こませる。
こうしてみれば本当にどこにでもいるか弱い少女に他ならないマルチの姿に、巳間は自分が何に恐れていたのかと馬鹿らしくなってきた。

「他人を、しかもここに着いてからの知人を信じた結果がそれだったというだけだ」
「で、でも皆さんそれまでは本当に仲が良かったんですっ」
「結果はもう出ている。何を言っても、そいつ等が殺し合ったことに変わりはない」

600メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:35:21 ID:Rd8zP9jw0
言い切る巳間に、マルチは泣きそうな形で顔を歪ませる。
しかし涙は零さず、マルチはぐっと我慢するように唇を引き締めると再び巳間に視線を合わせた。

「私には……私には何か、できたことがあったと思いますか?」
「それを今言って、何になる」
「わ、私はただ……」
「同じ言葉を繰り返させるな。だから、今更それを言って何になるんだと俺は言っている。
 起きてしまった事柄を置いたまま後悔を引き摺るだけというのは、何も進んでいないと同じことだ。違うと思うか?」

先ほどと打って変わって、巳間は饒舌になっている。
憎憎しげな言葉であるが、やっと成り立った会話を繋ごうとマルチは必死に言葉を探そうとした。
しかしマルチの演算能力では、巳間にうまい答えを返すことが出来ない。
どうするべきかと、あたふたと視線を彷徨わせるマルチの態度に巳間は苛立たしげに舌を打った。

そうして一端視線を外した巳間が次にマルチへと目を向けた時、そこには微かな色の違いが生まれていた。
場の空気が変わるが、それどころではないマルチは気づいていない
一つ小さな溜息をつくと、巳間は再び開いた。

「……お前は、死ぬ恐怖というものが分かるか?」

威圧の意味を含まない巳間の声をマルチが聞いたのは、これが初めてかもしれなかった。
驚きで目を見開いたマルチに対し、巳間は続ける。

「具体的にだ。今正に絶命するだろうという瞬間が、分かるか」
「え、えっと……」

この島で晒されることになる無数の命のことを考えれば、それは想像しない方がおかしいかもしれない。
しかし巳間が言いたいことがそのような「想像の域」ではないことが、マルチも分かったのだろう。
巳間は続ける。

601メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:35:40 ID:Rd8zP9jw0
「お前が俺に襲われた時のことなんて、目じゃない。今俺が、こうしてお前に……」

言葉と共に、巳間はデイバッグの中に入れていた手をそっと出した。
握られたベネリM3が視界に入り、ひっと喉を鳴らしたマルチの眉間に巳間は躊躇なく銃口を突きつけた。

「この状態より先だ。俺がトリガーを引く、その瞬間……それをお前は、どう感じる」
「……」
「俺は怖い」

巳間の告白に、マルチの唇が震える。
マルチに向けた銃の照準にずれはないものの、巳間の瞳にはどこか迷いが込められていた。

「不思議なんだ。ここに来てから、俺は焦りにばかり追い立てられている気がする。
 殺らなくては殺られる、そうしていないと落ち着かないくらいに不安定なんだ」
「えっと……」
「ゲームに乗るのを止めた途端、死神が現れる気がするんだ」
「え、はえ??」
「俺だってどうしてこんな気持ちになるのか分からないさ。
 だがそんな予感が尽きないんだ……死ぬわけ、にはいかないんだ」

生にしがみつこうとする姿勢は、誰がとってもおかしくないものである。
巳間だってそうだ。
死にたくないという一心で消えた罪悪感が、巳間に殺戮行為という残虐的な行為に対するモラルを吹き飛ばしている。
ただ巳間はそれが顕著に出てしまっているだけであり、あとは他の参加者が秘めているものと同じものを持っていた。

マルチはそんな巳間の持つ不安に対し、どう返せばよいのかやはり分からないでいた。
考える。何か最善策があるはずだと、マルチは必死に頭を働かせる。

(……しゃべりすぎたな)

602メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:36:20 ID:Rd8zP9jw0
あたふたと慌しい動作を繰り返すマルチを、巳間はそんな冷めた目で見つめていた。
つい感情を言葉に表してしまったが、それでも巳間はマルチに対し慈悲という感情を見出そうとはしていない。
巳間の手にしているベネリは、相変わらずマルチの眉間へと向かって伸びていた。

(愚かな奴だ)

トリガーにかけた指を少しでも動かせば、発砲された弾が少女の額を貫くだろう。
崩れた姿勢を正し、巳間は少女の命を奪う決意をした……しかし。
襲った違和感は、巳間が想像だにしないものだたった。

「……っ!」
「はう! 大丈夫ですかっ?!」

突然巳間に走り抜けた激痛は、右足の傷を拠点としていた。
……今は手当てされているものの、それまでの長時間放置してしまった結果であろう。
言うことを聞かない自身の足に、巳間の中で焦りが積もる。

「くそっ、どういうことだ!」
「あ、あの、乱暴に動かしちゃ駄目ですっ」
「触るな!」

自身に向かって伸ばされたマルチの手を、巳間は即座に払いのけた。
しかしそれで崩れたバランスは、巳間を側面に転がそうとする。

「危ないですっ」

横から精一杯という様子が一目で分かる、少女の体が巳間に押し付けられた。
巳間の体重を支えるように、非力な少女は必死な形相で巳間にしがみついている。
先ほどまで、銃を向けられていた相手に対してこれである。
必死になっているマルチの表情が目に入り、呆れが巳間の心中を満たしていく。
それは結果的に、彼の中の闘争本能を削ることになる。

603メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:36:40 ID:Rd8zP9jw0
「えっと、あの、私……考えました」

何とか左足に力を込め体勢を整えた巳間の落ち着いた様子を確認した上で、マルチは口を開いた。
至近距離にある巳間の目をしっかりと見据え、その状態で自分の中の結論をこのタイミングで告げる。

「私があなたを、お守りします。
 私はメイドロボですから、人様のお役に立つために存在しているのです」

一体マルチが何を伝えようとしているのか、読めない巳間はぽかんとマルチを見返すことしか出来ない。

「ですから、もう巳間さんが手を染めることはないんです」
「おい……」
「死神さんが来ても、私が巳間さんをお守りしますから……ですからっ!」

ベネリを握ったまま下ろしていた巳間の右手に、マルチの手が重ねられる。
機械である真実を語らせないその柔らかさが、巳間を包む。

「もう人を殺そうとするのを……止めていただけ、ないでしょうか」

訴えかけてくるマルチの瞳の色には、確かな意志が存在していた。
汚れを含まない純粋なそれに、巳間は困惑の色が隠せなかった。

「……お前に、何ができる」

ぽそっと。
長くもない沈黙を破った巳間が、眉間に皺を寄せ深いそうに言葉を放った。

604メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:37:01 ID:Rd8zP9jw0
「武器も何も持っていないお前が、俺を守るだと? 笑わせるな」
「はう……」
「殺し合いに乗った連中が押し寄せてきた時、お前は本当にそれに対処できるというのか。できないだろう」
「で、でもお守りします! 何が何でもします、私のできることでしたら、何でも……」
「だから、お前に何ができるのかを聞いている」
「はう〜」

弱々しげなマルチの言葉尻に、もう巳間は苛立ちを感じていなかった。
限界まで大きくなった疑問が、彼の胸中を占めていたからである。

「何で」
「は、はい!」
「何でそこまで、俺のためにしようとするんだ。……俺はお前達を襲った側なんだぞ」

そう。
巳間は、マルチ達を襲った人間だった。
そんな相手に対し、何故ここまで必死になれるかが巳間は不思議で仕方なかった。

「私は……誰かに必要とされないと意味のないものなんです」

過ぎる雄二の言葉、それを消し去ろうと少し頭を振った後マルチはまた話し出す。

「それがメイドロボなんです。
 今私は、メイドロボとしての自分の在り方に疑問を持ち始めました。でも。
 でも、それだけじゃ駄目なんです……それがいけないことかいいことなのか、今の私には判断ができません。
 だからせめて、いつもの私でいたいんです。本当に正しいのは何か、見極める間は」

605メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:38:27 ID:Rd8zP9jw0
雄二の前からマルチは逃げ出した。
あそこで狂ってしまった雄二を見放したマルチは、メイドロボという観点で見るならば許される存在ではないだろう。
それでもマルチは雄二を押さえつけることも、諭すこともできない。
メイドロボだからだ。

間違っている人間を救ってあげたいという気持ち、それをどこまで押し通して良いのかの判断がマルチにはできていない。
できない。
雄二の件で負ったマルチの傷は、彼女の感情プログラムにも如実に出てしまっている。

「私はメイドロボですから、人様のお役に立つために存在しているのです。
 お願いです……傍に、傍に置いてください」

マルチの呟きの意味。
その詳細は、やはりこの段階では巳間に伝わっていないだろう。
それでも彼が、再び銃をマルチに向けることは……なかった。

606メイドロボとして3:2009/03/17(火) 18:38:59 ID:Rd8zP9jw0
マルチ
【時間:2日目午前6時半過ぎ】
【場所:I−7・民家】
【所持品:救急箱・死神のノート・支給品一式】
【状態:巳間と対峙】

巳間良祐
【時間:2日目午前6時半過ぎ】
【場所:I−7・民家】
【所持品1:89式小銃 弾数数(22/22)と予備弾(30×2)・予備弾(30×2)・支給品一式x3(自身・草壁優季・ユンナ)】
【所持品2:スタングレネード(1/3)ベネリM3 残弾数(1/7)】
【状態:マルチと対峙・右足負傷(治療済み)】


(関連・934)(B−4ルート)


ホワイトデーすら終わってしまいましたが、バレンタインイラスト用意していました・・・。
ちょうどバレンタイン当時に散った、彼女の勇姿に捧げます。よろしければどうぞ。
ttp://www2.uploda.org/uporg2095774.zip.html
(パス:hakarowa3)

607十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:39:34 ID:Yql.FpJE0
 
あの街には、いつも静かに雪が降り積もっていた。
そんな気がする。

わかっている。
そんな筈はないのだ。
春が来れば雪は融けて消えてしまう。
夏に降った雨はやがてせせらぎとなって、秋に色付いた木々の葉を乗せて流れていく。
いくら冬が長くたって、ずっと雪景色が続いている筈がない。
そんなことはわかっている。

ただ私にとって冬はあまりに長く、あまりに無慈悲で、だから子供の見る悪夢のように、
いつまでも明けない夜のように、この心をひどく責め苛む。
来ないでと泣いても、季節は待ってくれない。
秋は終わり、冬が来る。
黄金の野原は枯れ果てて、銀世界の下に隠されてしまう。
だから私にとっての冬とは、世界の終わりを告げる鐘の音だ。

あの少年は、今年の夏も来なかった。
去年も、その前も、更にその前の年も来なかった。
きっと、来年も再来年も、ずっとずっと待っていたって、来やしない。
冬は、そんな風に嘲笑って私を掻き毟る、長く暗い季節だ。

私は、世界を護れなかった。

だけど、と。
小さな小さな、声がする。
それはいつか、思い出せない時間の中のいつか、私に囁いた声だ。
きっと私の奥底の、胸を切り開いて取り出さなければ触れないような、生温かい筋肉や
ずっと同じように動き続ける肺や心臓や、そういうものに囲まれた奥にできた小さな傷の、
ほんの少しづつ血の滲む綻びの中に棲んでいる、意地の悪い顔をした蟲の声だ。
私の身体が、私に聞こえないように囁きを交わすのを、わざと触れ回る声だ。
だけど、だから、それは私の、本当の声だ。
その声が、小さく小さく谺する。

―――だけど、私が本当に護れなかったのは、何だっけ?


***

608十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:39:52 ID:Yql.FpJE0
 
打撃とは、具現した力の収束である。
川澄舞の変生した黒腕が一撃の下に砕くのは、鋭く割れた石礫だった。
獣の筋力、人智を超越した力をもって加速する舞の疾走は、その相対速度において
漫然と飛ぶ石塊を恐るべき威力を秘めた凶器へと変えている。
掠れば肉を裂き骨を容易く砕くその石くれを端から砕きながら、舞が走る。

向かう先には砂塵が陣幕を張っている。
薄く黄色がかった靄の向こうには巨大な影が横たわっていた。
石造りの巨腕。
舞の眼前、聳え立つ二刀の巨神像からたった今削ぎ落とされた、それは片腕である。
飛び交う砂塵と石塊とは、その腕の落ちる際に撒き散らされたものであった。

靄を切り割るように駆け抜けた舞が、巨腕を踏み台にして跳ぶ。
一直線に神像へと跳躍するその手には退魔の白刃が握られている。
陽光を凝集したように輝く刃は、舞の身体を薄く包む白い体毛と相まって、蒼穹の下に煌く白い軌跡を描く。
迅雷の、定めに抗って天へと昇るかのような、それは光景であった。

無論、見下ろす神像とて、ただ黙って接近を許す筈もない。
片腕を落とされながら身を捩り、残る隻腕で舞を迎え撃つ姿勢。
叩き落すような縦一文字の剣閃が、舞の跳躍と軌道を交差させようと迫る。
質量差にして数千倍。
厳然たる物理法則を前に、しかし表情を変えぬ舞がそれを捻じ曲げんとするが如く、白刃に黒腕を添える。
激突は覚悟と天道との闘争であったか。しかしこの神塚山において幾度も争われ、その悉くが
天の定めし法を覆してきた闘争の、何度めかの激突はその寸前において回避された。

介入したのは黒き弾丸とも見える少女である。


***

609十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:40:06 ID:Yql.FpJE0
 
鬼。
柏木楓はそう名乗った。
名乗って、私をそう呼んだ。
それは、古い記憶を呼び覚ます。
ひとつの欠片は他の欠片と繋がって、堤防から溢れる奔流のように私を押し流していく。

思い出すのは昔のこと。
あの、雪の降りしきる街に辿り着くよりも、更に昔。
ずっとずっと幼い頃、私は確かに、そう呼ばれていた。
懐かしさはない。
そこにあるのは私を囲む、嘲笑と畏怖と、侮蔑の視線だ。
冷たい視線に囲まれて、いつしか私も冷えていく。
私の中で囁く声はきっと、そういうものの冷たさに誘われて目を覚ましたのだ。
―――鬼子、鬼子、と。
私を呼ぶ声の、底冷えするような悪感情に誘われて。

ああ、いや。
ひとつ、間違えた。
懐かしさは、確かにある。
その声に誘われて思い出す光景は、ひどく懐かしい。
吐き気がするほどに、懐かしい。

私を嘲る者たちの、お母さんに石を投げる者たちの、愛おしい、もう動かない、白く濁った、
溢れる涙で赤く汚れた、湯気を上げるような、冷たい、眼。
懐かしい、屍の山の、臭い。

護りたいと思った。
護れると思った。
私には、力があった。
容易く奇跡を起こすだけの力が。

奇跡は、人を救わない。
そんな、簡単なことだけを、幼い私は、知らなかった。


***

610十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:41:30 ID:Yql.FpJE0
 
天へと昇る迅雷。
振り下ろされる、裁きの鉄槌。
交差する筈の二者はしかし、ついに交わることはなかった。
瞬間、真横からの狙い澄ましたような打撃が振り下ろされる鉄槌、巨神像の刃へと叩き込まれ、
その軌道を僅かに逸らしていた。
川澄舞と隻腕の巨神像、その振るう刃の激突へと介入したのは少女である。
名を、柏木楓という。

逸らされた巨大な刃の巻き起こす豪風が全身の毛並みを激しく波打たせるのを感じながら、
舞が空を駆け上がる。
文字通りの瞬く間に迫るのは巨神像の頭部。
向こう気の強そうな青年を象った顔面である。
一刀が、閃いた。

雷鳴の如き音と共に、巨神の顔が罅割れる。
刻まれた太刀傷はその顎から右の瞼にかけてを深々と切り裂いていた。
それが人であれば、絶叫と苦悶に身を捩っただろう。
致命傷となっていたかも知れぬ。
しかし舞が斬ってのけたものは、人ではない。
石造りの像である。
身を捩ることも、苦悶に声を漏らすことも、なかった。
代わりに繰り出したのは眼前、自らに傷を与えた存在への、反撃であった。

視界に影が落ちる。
斬撃直後の無防備な一瞬、舞を直撃したのはその身に数十倍する巨大な石像の、膨大な質量である。
脇を締め顎を引き、首と腕とで保持される槍の穂先は肩口。
ショルダーチャージ。人が獣であった昔より培われた、原初の突撃。
その衝撃は見上げる程の建物が雪崩を打って倒壊してくるに等しい。
瞬間、砂粒を磨り砕くが如き擦過音が舞を貫いていた。


***

611十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:41:45 ID:Yql.FpJE0
 
それは簡単なことだった。
お母さんの命を救ったように、私は奇跡を起こしてみせた。
私とお母さんとに、汚い言葉や、薄汚れたゴミや、そういうものを投げつける者たちが、
ほんの少し不幸になればいいと願う、その程度の奇跡。

果たして不幸は訪れた。
ほんの少しの不幸で人は死ぬ。
高い高い積み木の塔の、一番下のひとつを引き抜くような、ほんの少しの不幸。
音を立てて崩れていくそれは奇跡のように滑稽で、奇跡のように味気ない光景だった。

だから私はそれに何の感情も覚えずに、ただ当然のことをしたのだと、散らかした玩具を
元の箱に片付けるような、そんな少し面倒で、だけど当たり前のことをしたのだと、思っていた。
私だけが、そう思っていた。

投げつけられる石や罵り声や、そういうものは、それまでよりも増えていった。
代わりに減ったのは、笑顔だった。
何よりも大切だった、何よりも護りたかった、お母さんの笑顔。

それが消えてしまうまでは、本当に早かった。
今も忘れない。
割れた窓硝子の隙間から吹き込む風に震えながら、電気もつけずにほつれた髪を梳いていた、
冬の朝の水溜りに張った氷のように薄い微笑みが、私の見たお母さんの、最後の笑顔だった。

それきりもう、お母さんは笑わなくなった。
怒ることも、泣くことも、言葉を発することさえ、なくなった。
母は今も、生きている。
私が病から命を助けた母は今も生きていて、だけどお母さんはもう、どこにもいない。

もう、なくなってしまった。
私が、護れなかったばっかりに。

私のなくした、それが最初の、たいせつなもの。


***

612十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:41:59 ID:Yql.FpJE0
 
けく、と。
ひとつ咳き込んで折れた歯を吐き出す。
ぼたりぼたりと汗に混じって落ちる血は、どこの傷から流れてきたものか。
黒く染まった左の手で梳けば、慣れぬ爪の鋭さに切れた髪がはらはらと舞う。
風に散る一房の髪は白く、斑模様に赤黒い。

川澄舞は生きていた。
人を容易く挽肉に変える一撃から彼女を守ったのは、儚く舞い散るその白い毛並みである。
恐るべき打撃の、また文字通りの刹那を以て叩きつけられた落地の一瞬、本能的に身を丸めた舞の全身を
白銀の体毛が包み込んでいた。
森の王の名を冠する凶獣の身を覆っていた絶対の加護。
舞自身も由来を知らぬその力が日輪の下、彼女の命を繋ぎ止めていた。

見上げた空には刃がある。
足を止めた舞を屠るのに絶好の位置取り。
だが、いまや一振りとなったその刀を繰る神像はその切っ先を舞へと向けようとはしない。
隻腕の神像がそれでもなお美しい軌跡を描いて振るう刃が狙うのは、黒髪の少女である。
柏木楓。
中空に透き通る足場でもあるかのように身を捻り、回転し、自在の跳躍で刃を躱すその身のこなしは
奇と怪の二文字を以て形容される。
それは既に、人の成し得る動きではない。
揺らめく陽炎の、容となって道行きを惑わすような、妖の領域。
古来、鬼は帰なりという。帰、即ち人の魂である。
果たして鬼を名乗る少女の姿は妖しく揺れる魂にも似て、その幽玄を以て万象を侵さんとするように、
時折閃く紅の爪が神像に癒えぬ傷を刻んでいく。

見上げる舞の、何かを求めるように伸ばした手は黒く分厚く罅割れて、握り、開いたその中には何も残らず、
しかしその向こうには、神の形代と刃を交える少女がいた。
遠い空だ。
手を伸ばせば届くほどに、遠い。

身の内に流れる血と肉とは、獣の臭いに満ちている。
餓え渇き、牙を向いて涎を垂らす獣の臭いだ。
劫と吼えれば、大気が恐れをなすように震え上がった。

それは力。
見失った何かに手を伸ばすための、どこかに置き忘れてきた何かを補うための、力だった。
獣と鬼とをその身に秘めて、少女が静かに力を溜める。

空を見つめる瞳には、ただ星だけが瞬いている。
日輪の下、星が、流れた。
果てしない攻防の末、遂に柏木楓を捉えた巨刀が真一文字に振り抜かれていた。

転瞬、力が弾けた。
解放。悦楽にも近い感覚と同時、全身の筋繊維が咆哮を上げる。
加速は刹那。

隻腕の神像が一刀を振り抜いた、それは攻と防の狭間。
零に等しい、空白である。


***

613十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:42:09 ID:Yql.FpJE0
 
私の中にぽっかりと開いた大きな穴に詰め込まれたのは、透明でふわふわした、
軽くていがらっぽい何かだった。
それが悲しいという感情だと気付くまでに、何年かかっただろう。
そんなことを教えてくれる人は誰もいなくて、だから私は名前をつけることもできない感情に
かりかりと胸の中を掻き毟られながら生きてきた。
流れ着いた北の街の片隅の、黄金の野原で過ごした、あの夏の日まで。

それが本当に大切なものだったのか、今ではもうよく思い出せない。
もしかしたら、私は単に同情で差し伸べられた手を唯一無二のものだと錯覚しているだけなのかもしれない。
だとしても、構わなかった。
何も持たず、ただ身体の内側から血を流し続けるだけの日々を過ごしていた私にとって、
それは確かに、救いの手だったのだから。

私は、何かに縋りたかった。
それを恥じる気は、ない。


***

614十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:42:19 ID:Yql.FpJE0
 
白の少女が大気を切り裂いて空へと駆ける。
風に棚引く毛並みが手にした白刃の煌きを隠すように日輪を映して輝いた。
一刀を振りきった隻腕の神像はその無防備な懐を晒している。
柏木楓の爪に抉られた傷が幾重にも重なり罅割れたその上体へと飛ぶ舞を遮るものは何もない。
返す刃は到底間に合わぬ。
銀の弧が、閃いた。

巨砲から放たれた弾の炸裂したように、隻腕の神像が爆ぜた。
無数の石礫が落ちるのは神像が背を向ける銀の平原。
ぐらりと、巨大な像がその質量を保持できずに揺らぐ。
胸の下から右の脇腹にかけてが、失われている。
残った一刀を大地に突いて身を支えた、そこへ奔る影がある。

蒼穹の下、朱い三日月が昇った。
伸びきった隻腕を、その肘から断ち切ったのは柏木楓の爪である。
己が刻んだ幾多の傷を結びつけて一文字の線と成すように、刃が疾っていた。
ずるり、と断ち割れた石腕が凄まじい轟音と土埃を立てながら地に落ちる。
苦痛も苦悶も感じぬ石像が、しかし遂にはこの間髪を入れぬ波状の斬撃に屈するように、傾いだ。

皹が拡がり、割れ砕け、石くれが雨のように降り注ぐ。
その中心では赤黒い泉が水面を揺らし、幾つもの波紋を浮かべている。
鮮血である。無論、石造りの神像から流れ出る筈もない。
巨腕より僅かに遅れて大地に降り立った、柏木楓の全身から流れ出したものである。
傷は先刻、神像の一刀に捉えられた折のものであったか。
辛うじてその肢体を隠す襤褸の下には、ぐずぐずと泡を立てる桃色の肉が見える。
鬼の血が砕かれた骨を繋ぎ、爆ぜた肉と裂けた皮とを癒そうとしていた。

人ならぬ鬼の少女を射抜くのは獣の瞳。
川澄舞が、疾走を開始する。
頷いて、柏木楓が走り出す。
血は流れている。千切れた肉は風に晒されて無惨を誇示している。
しかし、足は止まらない。

楓は知らぬ。
川澄舞が、その振るう白刃が柏木耕一を討ったのだと、柏木楓は知らぬ。
黒く染まって鬼へと変じた舞の手が、如何なる数奇を経てそこへ至ったものか、少女は知らぬ。
楓が仇を知ることは、終になかった。

白と黒の少女が、同時に地を蹴った。


***

615十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:42:32 ID:Yql.FpJE0
  
大切なものは、金色に輝く何かでできている。
それはとても綺麗で、ひどく貴くて、だからいつも誰かがそれを掠め取ろうと狙っている。

私は大切なものを護ろうとして、ずっと近くでそれを見ていようと、決して離すまいとして、
そういう気持ちはきっと誰にとっても重荷で、だけど私にはそういうやり方しかできなくて。
結局また何もかもをなくしてしまうとしても、そうしていくより他に、生き方を知らなかった。

分かっている。
あの少年は、もう来ない。

あの黄金に輝く夏の日はもうやって来ない。
私は彼に私の全部を預けるように縋りつき、彼はそんな私から遠ざかるように、どこかへ行ってしまった。
それはもう終わったことで、全部が過去の出来事で、私はお母さんをなくしたように、
彼もまたなくしたという、ただそれだけのことだった。

ああ。
それはただ、それだけのことだ。
取り返しのつかない過去であるという、それだけのことだった。

何かが喪われたのは過去の出来事で。
過去は取り返しがつかなくて。
だから、なくしたものは取り返しがつかない。
永遠に。

―――それが、何だというのだ。

それでも決めたのだ。
抗うと。
認めず、抗い、勝利すると。

あり得べからざる喪失を内包する現実に。
確固として存在するという、ただそれだけのものでしかない、薄弱な過去に。
頑迷に幸福を拒む、あらゆる世の理に。

護れなかったすべてを、喪われたすべてを、それでもこの手に取り戻すのだと。
川澄舞が、そう決めたのだ。

それが、この世を形作るルールの、全部だ。


***

616十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:42:57 ID:Yql.FpJE0
 
神像に最早、力はない。
両の腕を落とされ、脇を大きく抉られて、己が膨大な質量を支えることもできず、
成す術もなく傾いでいく神像に、終わりの時が訪れる。
終焉を告げる使者は地を駆ける少女の姿で現れた。

川澄舞が、跳ぶ。
その手には退魔の一刀。
柏木楓が、迫る。
紅爪が大気を裂いて、小さな音を立てた。

両者の軌跡が瞬く間に近づいていく。
十字を描く、その交差点で。
二振りの刃が、閃いた。

小さな足音が二つ降り立った直後。
二刀使いの神像であったものの首が大地に落ちて、砕けた。


***

617十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:43:24 ID:Yql.FpJE0
 
思い出す。
鬼と呼ばれていた頃の力を。
あの、今はもうない、やがて取り戻されるべき黄金の野原に置いてきた力のことを。

魔物。

口をついて出た言葉は形となり、今もまだあの場所に揺蕩い続けている。
力は刃だ。
理を切り伏せ、この手にあるべきすべてを取り戻すための、私の刃だ。

今、認めよう。
今、赦そう。

あれは、嘘だ。
彼をなくすことを恐れていた私の愚かさが作り出した、妄言だ。

魔物など存在しない。
黄金の野原はなくなってしまった。
彼の帰ってくる場所は、もうどこにもない。

それを私は認めよう。
認め、捻じ伏せよう。
それがどうした、と。

川澄舞は取り戻すのだ。
喪われたすべてを。
喪われゆくすべてを。

なくすことを恐れる理由など、もうどこにもない。

迎えに行こう。
私の力を。
理を蹂躙する刃を。


 ―――ここで待ってる。夢から覚めたあなたが、いつかあたしに会いに来てくれる日を。


そう呟いて微笑んだ、あの少女の世界。
かつて私が護れなかった、黄金の麦畑に。

618十一時五十三分/変:2009/03/20(金) 16:43:34 ID:Yql.FpJE0
 

【時間:2日目 AM11:54】
【場所:F−5 神塚山山頂】

川澄舞
 【所持品:村雨、鬼の手、白虎の毛皮、魔犬の尾、ヘタレの尻子玉】
 【状態:白髪、ムティカパ、エルクゥ、軽傷治癒中】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:エルクゥ、重傷治癒中(全身打撲、複雑骨折多数、出血多量、左目失明)】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体12400体相当】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:大破】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1045 1047 ルートD-5

619Trust you:2009/03/23(月) 01:32:33 ID:cw9JXZvc0
 災い転じて福と成す。水瀬名雪が山を降りたとき、思ったのはその諺だった。
 レーダーを失っていたお陰で思ったように人は見つからず、また雨が続いているせいで足は鈍り、下山するのに手間取った。
 しかも降りたとタイミングを合わせるかのように山中から銃声が連続して木霊し、しばらくの間続いた後に鳴り止んだ。

 恐らくは戦闘が起こり、そして決着したのだろうと名雪は考え、同時に間に合わないという確信を抱いた。
 あそこから音が聞こえたということは、自分が見つけることは可能だったはず。すれ違っていたかもしれない。
 だとするならば好機を逃したというわけだ。何人か死んだというのは予想したものの、最悪一人は生きている。
 だが過ぎたことは仕方がないと思考をすっぱりと切り替え、山の麓、平瀬村に降り立ち、散策を開始する。

 以前名雪は平瀬村に留まっていたことはあったが主に移動していたのは西部から北部にかけての範囲で、東部や南部は来たことさえない。
 同じ村にいながら未知の風景である。さてどこから調べるかと周りを見回していると目の前を真っ直ぐに疾走する二人組の女がいた。
 さっと塀の陰に隠れて動向を窺ってみたが余程急いでいるらしく、わき目も振らずにどこかへと走っていく。
 目的など知りようもない名雪だが、これは好機であった。前しか見えていないというのは、同時に視野が狭いということ。
 すなわち、尾行するにおいて格好の標的であるということだ。災い転じて福と成す。名雪は静かに追跡を開始した。

     *     *     *

 昔から、自分は誰も憎みきることが出来なかった。

 母親からその存在を抹消され、『遠野みちる』としてでしか生きられなくなったとき。
 『みちる』がいなくなってしまったと分かったとき。
 自分が誰かを犠牲にして生きているとき。

 奪った者に対して、無力な自分にさえ悲しい以上の感慨を抱かない。
 優しいといえば、そうなのかもしれない。

 けれどもそれは表層に過ぎず、その実何もかもを諦め、自分では何も変えられないと思っているだけだ。
 実際、自分に何が出来る? 人に合わせることしか出来ず、従っていさえすれば上手くいっていた。
 自分でやろうとすれば寧ろ失敗していた。

 母を説得しようとしたときもしかり、渚を慰めようと考えたときもしかり。
 母に言葉は届かず、渚には却ってこちらのわだかまりを自覚させられる始末だった。

620Trust you:2009/03/23(月) 01:32:57 ID:cw9JXZvc0
 自分で為せることなど何も有りはしない。料理が出来るのだって、勉強が出来るのだって人がそれを求めたから。
 己の意思なんてひとつもありはしない。所詮は求められたものに合わせて動く操り人形なのだ。
 それでも良かった。それで、誰かの充足を得られるのなら……

 ルーシーに合わせたのもそれが理由だ。復讐を果たし、少しでも彼女のためになるなら反対なんてしなくていい。
 間違っているなんて言える説得力なんて持ち合わせていない。
 歪みだらけで、人なんて言えるべくもない自分がどんな言葉をかけられる?
 たとえこの思いが諦めきった結果だとしても、そうすることしかできないのが遠野美凪という人形なのだから。

 しかし一方で、それでいいのかと疑問の声を持ち続けている小さな存在が根付いていた。
 『みちる』と最後の対話を交わしたときから熱を放ち続け、今も尚溶かそうとしているなにか。
 飛べない翼にも意味はあると言ったそれが求められるがままの人形の糸を断ち切ろうとしている。
 自分の足で歩いてきたじゃないかと、搦めとった糸を解こうとしている。

 この思いこそが己の『意思』なのだと、そう言っている。
 昔とは違う、様々なものを乗り越えてきた自分なら今度こそ……
 人形でいることを肯定し、諦めている『遠野みちる』と、
 ここまで生きてきた己は何だと激しく言い寄る『遠野美凪』とが交錯し、争っている。


 どうせ今度だって何も出来ないんです。無力なのを自覚しているなら、その上で誰かに従って、少しでも役立つ努力をすべきです。
 確かにこれまではそうしていれば良かった。無力だったのも認めます。ですが、それは分かろうとする意思さえなかったから。

 そんなもの、いつまで経っても持てるはずがないです。
 いや、そんなわけがありません。でなければあのひとたちの死、あの犠牲は全く意味のないものだった。そういうことになります。

 ……その程度の人間だということです。私は、道具でもいい、誰かに使われればいい。
 ……では、使われた結果、間違ったことになって、それでいいのですか? いいわけがない。

621Trust you:2009/03/23(月) 01:33:23 ID:cw9JXZvc0
 間違っているかどうかなんて私に決める権利はありません。正しいかどうかは私を使う人が決めることでしょう?
 ただの思考停止です、それは。自分が責任を負いたくなくて逃げただけ。結局は保身でしかない。

 ――それに。
 ――どうせ人のためじゃない、自分のために何かするのなら逃げるより立ち向かう方がいい。そうは思わないのですか?


 そう。
 なんだかんだ言っても自分は自分のことしか考えられない。
 心の安寧を得られるなら人に依存し、その結果人が不幸になってさえ見過ごす。己の本質はそうなのだろう。
 いくら経験を積み重ねようと変わらない部分でしかないのかもしれない。

 だがどうせ人に縋るのなら心の一切を吐き出し、負い目も感じないくらい堂々としていればいいのではないだろうか。
 人のためだなんだともっともらしい理由などつけず、自分がそうしたいから、それが望みなのだからと言い切ってやるのもいい。
 それでぶつかり合い、傷つけあうことになろうとも望んだのは自分。責任は自分にしかないし、それで終わりにするかどうかも自分。

 誰にも責任を押し付けない、ある種我侭で孤独な生き方。
 ただ責任の代わりに、喜怒哀楽を分かち合うことが出来る。
 負の部分ではなく、共有して喜び合えるものを分け合う進み方だ。
 出来るかどうか、そうする資格があるのかなんてどうでもいい。望むだけでそれができる。
 これもまた、『諦めきった結果』なのだから。

 ひとつ、諦めの悪いものがあるとするなら……依存の対象たる友を失うことなのだろう。
 いなくなってしまった『みちる』、現在も隣にいるルーシー、離れてしまった渚。
 自分には全員が必要だ。自分を満足させるために必要としている。しかしそれが悪いことでは、決してないはずだ。
 語り合えば可能性は無ではない。要は、やるかどうかだ。

622Trust you:2009/03/23(月) 01:33:51 ID:cw9JXZvc0
 今の私なら、やれる……
 そう断じて美凪は横を走るルーシーへと目をやった。
 空白の瞳、復讐を見据えながらもその先は全く見えていない瞳がある。
 純粋といって差し支えなく、迷いだといえばそれも否定は出来ないものがある。
 分からない未来に対して途方に暮れ、立ち尽くすことも恐れている女の子の顔が映っていた。

「くそ、消えてしまったか……どこが出火していたのか分からん」

 雨に濡れ始めた髪をかき上げ、天を仰ぎながら苛立たしげに漏らす。
 明るい方向を目指して走ってきたはいいものの、次第に見えなくなり始めついには見失ってしまっていた。
 周囲には森と点在する民家、申し訳程度に整備された道があるだけで街灯もなく、暗闇に閉ざされたゴーストタウンといった様子だ。
 昼間の間はまるで気にならなかったのに、夜になった途端一寸先が闇という状態。

 だからこそ自分はまた諦めたのかもしれない。見えない闇ばかりを追うのも諦めた情けない人間になってしまった。
 でも諦めたからこそ見えたものだってある。考え方ひとつで得られるものだって自分達は持っている。

「……もう、よしましょう。るーさん」

 思ったよりあっけらかんとした、澄んだ声が出ていた。
 闇だけしか見ていなかったルーシーの目が外され、美凪へと向けられた。
 その色は呆然として、思ってもみなかった言葉に戸惑っているようだった。

 私だって信じられないです、と美凪は内心に困ったように苦笑した。
 何も考えてこなったツケを支払っているだけなのかもしれない。遅きに失した。
 こんなことをしなくてもよかったはずなのに。あの時言葉が出ていれば、もっと早くに『諦めて』いれば良かったのに。
 本当に自分は馬鹿げている。そう思いながら美凪は立ち尽くしたルーシーに言葉を向けた。

「戻りましょう。もう、いいんです、もう……」

 すぐに反論の言葉が返ってくるかと思った美凪だが、ルーシーはただ顔を俯け、ウージーを所在無く握り締めていた。
 裏切られたとも、理解できないとも言えない、どうしてという疑問だけがルーシーから出てきた。

623Trust you:2009/03/23(月) 01:34:14 ID:cw9JXZvc0
「どうしてだ……? ずっと、そうだったのか……?」

 ルーシーの指す『そうだった』というものの中身は分からない。美凪は首を縦にも横にも振らなかった。
 美凪の手がルーシーの肩に置かれる。
 自分の中にある真実。それだけを伝えようと口を開く。

「済みません、本当に……でも、私達はまだ戻れます。……もっと、早く言い出せば良かったというのも分かってます。
 今さらだってことも。また手を返したってことも分かってます。……恥を忍んで言います。戻りましょう、るーさん」

 後悔と羞恥とがない交ぜになり、いっそ死ねばいいと思えるくらいの苦渋が口の中に広がる。
 けれども目は背けない。いや、もう背けられない。ここが崖っぷちの腹切り場なのだから。
 ここで友達を失ってしまうかもしれない、と美凪は思う。それだけのことをしようとしている。

 だが、構うものか。やるだけやって嫌われてしまえばいい。
 自分が依存しているという事実、それは嫌われ、絶交されようがこの先も変わりないはずなのだから。
 そのまま分かたれて終わりになってしまうかどうかも自分次第。終わりなんて終わってみなければ分からない。
 終焉の果てに満足出来れば十分だ。その時間が、ほんの一瞬のものだとしても。

「だけど……だけど! あいつは許せない! そうだろう!?」

 悲鳴にも近いルーシーの声が弾かれるようにして飛び出した。
 口元は引き攣り、澱みを含んだ瞳が見える。美凪は体を強張らせながらも、その瞳が揺れているのを見逃さなかった。
 復讐心に駆られる己を認めつつも、自分ではどうしようもないと知っている目だ。
 同時にそれは諦めきって、尚助けを求めているようなものにも思えた。
 自分だって許せるわけがない。許したくもない。

624Trust you:2009/03/23(月) 01:34:41 ID:cw9JXZvc0
「……彼女は、目の前にいるわけじゃありません。見失ってしまったのならもう探すこともないと思います。
 それともるーさん、そこまでして成し遂げたいものなんですか? それだけの価値があるのでしょうか。
 もっと価値のある、やるべきこと……それは、私もるーさんも分かっているんじゃないですか?」
「そんなこと分かっている! でも分かっているからなぎーは『殺そう』って言ってくれたんじゃないのか!?
 なんで今さらこんなことを言い出すんだ! 遅い、遅すぎるんだ……! なぎーの決意はそんなものなのか!」
「全くです。遅いだなんて、そんなものじゃない、どうしようもない馬鹿だってのは分かっています。
 でもお願いします、恥を忍んで言います。土下座だってなんだってします。だから、戻りましょう。ここから」

 恥も外聞もない、ただ止めようと言い続ける美凪の姿を捉え続けていたルーシーの鉄面皮が割れ、
 ルーシーという人間を現す苦悩の形へと変わる。馬鹿だ、と罵る声が聞こえた。

「認めない、こんなの認めたくない……! 大体戻ってどうなる。私達が変われるものか……あいつらは変わって、前へ進んでいる。
 でも私達は違う、そこまで立派になんかなれない。だから一緒になんかいられないんだぞ、分かってるだろ?」

 その通りだと美凪は内心に肯定しながらも、しかし「変われることと分かり合うことは違います」と首を横に振った。
 誰もが渚になりきれるわけがない。現に変わることを諦めてしまった自分という存在がここにある。
 変わったとして、自分は、自分達はここまでだ。遥かな高みには到底辿り着けない、屑鉄に沸いた錆のようなものでしかない。

 けれども変わったひとと変われないひとが分かり合えないはずはない。
 道は険しく、隔たりはあまりにも広すぎるが、人間なら出来ないはずはない。目を背けさえしなければ。
 飛んでいけないなら翼を作る方法はあるのだし、地道に歩いてもいい。そうする力も私達にはある。

 微笑した美凪の顔を見たルーシーは一言、「いつからだ……?」と弱々しげに吐いた。
 どうにもならないと悟ったのではなく、全身の力が抜け切って弛緩したかのような弱さだった。

「……恐らくは、るーさんと会う、少し前からです。あのときからずっと、答えは見えていたはずなんです。
 でも変われないのが分かって、ダメだと思い込むようになって……いつの間にか、目を向けようともしなくなった」
「自縛霊、か」

 薄く笑って、ルーシーは呟いた。

625Trust you:2009/03/23(月) 01:35:10 ID:cw9JXZvc0
「じゃあ、あのとき私に言ってくれた言葉は……なんだったんだ。なんで、『殺そう』なんて」
「……自分の、ためです。信じている人の言う事さえ聞いておけば自分が楽になれると思ったから。最低、ですね……」
「どうせ自分が楽になれるなら、私に誰かと分かり合って欲しいと、そう願ったから手のひらを返したのか」
「その通り、です」

 認めるたびに心が痛み、ルーシーと離れていくのを感じながらも美凪は黙ろうとはしなかった。
 たとえ己のためにという打算があるのだとしても、ルーシーは友達だ。巡り会えた大切な友人なのだ。

 しかし、これで自分は完全に嫌われただろう。所業の一切を吐き出したところで許されるわけなどない。
 懺悔以下の見苦しい独白だ。その自覚は十分にあった。
 だが続けなければならない。断固として自分勝手を貫き通さなくてはならない。
 屑鉄に沸いた錆、価値の無い人間だとしても、私は……

「渚は許せるのか。これまでしてきたこと、がんじがらめにされてきたことにどうにか出来ると思っているのか」
「すぐにどうにかできるとは思ってません。ケンカの一回だってあるかもしれません。
 だけど本当の『楽』を、豊かさを手に入れられるかもしれないなら、目を背けるわけにはいかない。
 そう、思ったまでです」

 敢えて辛辣な言葉を持ち出してきたルーシーに、美凪は包み隠さず己のエゴの在り処を伝えた。
 どこにでもいる怠惰で愚かな人間の姿には相違ない。
 けれども嘘を嘘で塗り潰し、現実に対処するためと割り切って『楽』や『豊かさ』を見失ってしまうのは辛いだけだ。

 それに狭い範囲でしか人は分かり合えないというのは、あまりにも寂し過ぎることではないのか。
 自分とルーシーだって、元を辿れば出会うはずのない他人で、今は境遇を同じくしているだけで思想や理念はまるで違う。
 分かり合えないというのなら、ルーシーとだって分かり合えなかったはずなのに。

「なぎーが踏み出そうとしているのは、先の見えない不確かな道だ。
 何があるかも分からない、ただ突き落とされるだけの道なのかもしれない。
 なぎーの今が『楽じゃない』としても、このままの方が『よりマシな不幸』かもしれない」

 自分で決めた事です。誰に流されるでもない、強制されたのでもない、自分で選んだ道。
 もう一度それを伝えようと、傲慢な意思を伝えようと美凪が口を開いたとき「だから」と続ける声が聞こえた。

626Trust you:2009/03/23(月) 01:35:51 ID:cw9JXZvc0
 ぎょっとして今一度観察してみると、澱みを振り払ったルーシーの目が苦笑の色を帯びていた。
 自分と同じ諦め切った、だがやれるだけやってみようという何も恐れぬ諦めが浮かんでいた。
 我知らず美凪は「ルーシーさん……」と口走っていた。
 これから先、そうとしか呼べぬであろうと考えていた名前を受け止めたルーシーは「よしてくれ」と言い、照れ臭く笑った。

「るーさん、だろう? 友達じゃないか、私達は」

 ですがと出かけた反論は喉を通らず、極まった感情が代わりに飛び出した。
 涙だ。声の代わりに出たのは涙だった。
 エゴを通そうとするような人間についてくる必要はないのに。
 断ち切られてもしょうがないと思っていたものなのに。

 それでも、私を友達と思ってくれているのですか……?
 友達と言われた瞬間に見えた答えはぐるぐると回る思いに流され、再び沈んでしまった。
 しかし見つけることは出来た。一回は見つける事が出来たのだ、人が分かり合うための答えを。
 凡俗でも分かち合えることの証明を。後はもう一度、探し出せばいいだけだ。

「なんだ、泣いているのか? どうしたんだ、なぎー」

627Trust you:2009/03/23(月) 01:36:17 ID:cw9JXZvc0
 視界が滲んで、ルーシーの姿が見えない。
 大丈夫と言ったはずの言葉は嗚咽にしかならず、ただ平気な顔をして泣き笑いの表情を浮かべることしか出来なかった。


 ――だから、私は気付けなかった。
 やはり自分は、どうしようもない馬鹿でしかない。その事実に。


 雨の中に響いたのは反響する銃声。
 あまりにも軽く、そして短すぎる刹那の時間。
 口の中にツンとした鉄の味が広がり、己の口内を満たしてゆく。
 溜めきれず、口から溢れさせてしまう。それでようやく、遠野美凪は気付いた。
 ああ、これは血なのだと。感じている息苦しさは身体が命の体を成さなくなっているからなのだと。


 ――だから、私には見えなかった。
 ルーシー・マリア・ミソラが警告を発していたこと。危険を知らせてくれていたことが。


 体が崩れ落ちる。
 かくんと膝が折れ、前のめりに倒れた上半身を冷たい泥が打ち付ける。
 残っていた熱の残滓も奪われ、急速に世界が閉じてゆく。

 赦されようとした、これが自分の罰なのだろうか。
 傲岸であろうとした罪の、その制裁なのだろうか。
 所詮は儚い夢、出来損ないは出来損ないのまま、分相応に生きていれば良かったのだろう。

 きっと、そうだ。それが正しいことだったのだ。生きようと欲するなら。
 しかしそれで生き長らえた命など命ではないし、本当の自分、本当の勝利など得られようはずもない。
 そう考えるが故に、自分がやることはただひとつ……己を貫き通し、自分勝手であろうとする。それだけだ。

628Trust you:2009/03/23(月) 01:36:34 ID:cw9JXZvc0
「戦ってください! 自分の望む本当の勝利、生きる価値のある命を、掴む、ためにっ!」

 全身から発する声と共に命を吹き散らし、何もかもを出し尽くした美凪はその言葉を最後に、喀血して、命を空に返した。
 ようやく、長い時間をかけて、飛べない翼が自分の足で飛び立ったのだった。

     *     *     *

 目標はあっけなく達成された。しばらく追ってもまるで気付かれるそぶりも見せない。
 しかも雨による天候の悪さが足を遅くしているらしく早さも比較的ゆっくりだ。
 だがどこまで行くにしろ、とりあえずは相手が止まるまでは尾行を続ける。無論自分が気取られていないことを確かめて、だ。

 慎重に、かつ迅速に、横並びに名雪は二人を追い続けた。目は既に機械のそれ。
 殺戮遂行の機械となり余計な要素一切を排除した、人ならざるひとの形をとって。

 名雪はそれを不幸と思わない。
 そのような言葉は既に抜け落ち、殺害の手段を並べ立てることに使われている。

 殺人を哀しいと思わない。
 理解するだけのものは全て忘れ、代わりに浮かべるのは論理的に戦闘に勝利する方法。

 生きているとも、思わない。
 動かせるなら動かす。使えるなら、使う。
 どんなコンピュータより早く。どんな審判よりも的確に。
 辿り着くべきは殺人のための己。人間の形をした、ロジックの組み立て。

 ――ならば、機械に対して相沢祐一はどう思うだろうか――

629Trust you:2009/03/23(月) 01:37:13 ID:cw9JXZvc0
 名雪の根本となっているその疑問に名雪は気付かない。永遠に気付かない。
 だから、名雪は、幸福だった。
 目標、補足。

 道の真ん中。そこで二人は止まり、何事か話し合いを始めた。時に怒声を交えながら、声を擦れさせながら。
 内容は知らない。知ったところで、名雪の脳には蓄積されない。機械には何も教えられない。

 じっくりと、確実に狙撃できるところまで移動する。
 塀にはところどころ模様になった隙間がある。狙うのは、そこからだ。
 そして狙うのは、体の大きな方。
 理由は大きい方が当てやすいから。それだけだった。

 以前に遭遇したことも、そのときの北川潤の抵抗も、何も思い出さない。
 名雪の記憶は全て消えている。

 雪。そう、真っ白い雪、全てを覆い尽くす純白に埋まるようにして。
 記憶の中心、雪で埋まったそこには、雪うさぎを持ったまま待ち続ける――幼い少女の姿があった。
 少女の顔は、凍っている。

 『しあわせ』。『しあわせ』。何がそれかも分からず、ただ感じている顔だった。
 一発、撃った。横腹から血が溢れる。命中。外人風の少女が悲鳴を上げた。銃撃を続行する。

 防弾性のある割烹着も、横腹から後ろにかけては無防備だ。上手い具合に銃撃出来る位置に、名雪は移動していた。
 続けて連射。とすんと膝を落とし、倒れる。ここからでは止めを刺せない。だが戦闘不能にはなった。
 すぐさまもう一人も戦闘不能にし、完全な勝利を達成するべきだ。
 判じてすぐに塀から飛び出した瞬間、強い意志を持った双眸が名雪を出迎えた。

「貴様ァァァァァァァァ!」

630Trust you:2009/03/23(月) 01:37:34 ID:cw9JXZvc0
 既に敵はサブマシンガンを構えていた。反撃に移るのは不可能と考え、そのまま転がるようにして再び塀の中へと移動する。
 直後背面の民家の壁が弾け、塗料と共にセメント片が飛び跳ねた。

 名雪はすぐさま己の体をチェックする。異常なし。だが敵の対応が予想より遥かに早かった。
 奇襲による優位性はなくなったと断定して、現状の装備でどうするか考える。
 銃撃戦は相手に有利だ。凄まじい連射力を誇るサブマシンガンの前では撃ち負ける。
 ジェリコの残弾から言っても自分が勝てる確率は少ない。ならば銃撃させない、接近戦が妥当かと組み立てていると、声がかかってきた。

「何故だ……何故、なぎーを殺した! 理由を言え、水瀬名雪っ!」

 自分に利をもたらす情報ではないとした名雪は何も答えない。機械は範囲外のことは出来ない。
 名雪は移動を開始する。装備は薙刀に切り替える。声をかけているということは、そちらへ意識を向けているということ。
 つまり回り込んでの襲撃が有効だ。その有効性は先の行動の一連で証明されている。

「……そうか。お前が答えるわけがないか。いい、ならそれでいい。私も戦うだけだ。憎しみがないなんて言わない。
 これは私怨だ。絶対に忘れられない、地獄を這いずる戦いだ。……でも、それだけじゃない。
 本当の勝利を掴める、生き残る価値のある命にならなきゃいけないんだ! だからこれは、乗り越えるための戦いだ!」

 塀を乗り越え、側面に回ろうとした名雪の目の前。そこに立ちはだかるかのように敵がサブマシンガンを構えていた。
 読まれていたことを自覚し、即座に飛び降りようとするが後手に回ったツケは大きい。

「なぎーからお前が不意討ちが得意なのは聞いた。二度も通用すると思うなっ!」

 大量の銃弾が塀を、背後の民家を穿ち、削り取る。
 数発が名雪の体を貫通する、が痛みに顔をしかめつつもその程度にしか名雪は感じなかった。
 痛覚が麻痺してきていた。度重なる戦闘、極限にまで二極化された意識。
 それぞれが一体となり痛みを受けると動けない、その『常識』を覆すにまで変貌していたのだ。

 殺戮遂行の機械と化した名雪は薙刀を大きく振りかぶり、袈裟懸けに切り下ろす。
 バックステップして回避しようとした敵だが、薙刀の射程は意外なほど長い。
 避けきれずサブマシンガンを持つ腕に掠り、敵はそれを手放してしまう。
 下がるときに勢いがついていたからか手から離れたサブマシンガンは低く放物線を描くように飛んでいった。

631Trust you:2009/03/23(月) 01:37:50 ID:cw9JXZvc0
 敵に接近戦用の武器は持たせない。再び薙刀を振ろうとするが、刃が地面に突き刺さっていて、一度では引き抜けなかった。
 もう一度力を入れるとあっさり抜けたが、コンマ数秒の間に敵は体勢を整えていた。
 抜いたと同時、横薙ぎに払った刃を、二本の包丁が受け止める。弾かれた間隙を縫い、敵が包丁の一本で切りかかる。
 しかし刃は届かせない。柄の部分を持ち上げ、尻尾で突く。リーチの長さが幸いし、たたらを踏んだのは向こうだった。
 一歩離れ、改めて薙刀を構える。持ち直した敵も視線を険しくし、二刀流のように包丁を構える。

「今の私にはみんながいる……!
 お前には分かるまい、この私を通して出る、みんなの意思が。
 ひとと一緒になりたいという心の意思が。
 それも分からず、こうも簡単に奪ってしまうのは、それは、それはあっちゃならないことなんだ。
 ここからいなくなれぇっ、水瀬名雪!」

 何事かを叫んだ敵が雨の中、疾走を開始し迫ってくる。
 名雪は薙刀を前面に押し出し、リーチの長さを生かして突きで刺し殺そうとする。
 しかし敵は包丁をクロスさせ、刀身で薙刀を受け止め、続いて切り払う。

 男と女ならともかく、女同士の戦いだ。
 しかも名雪は連戦の疲労と本来筋力がそこまで高くないこともあって受け止められる程度の速度にまで速さが低下していた。
 瞬時に理解した名雪は腕力だけに頼らず、遠心力も用いられる横薙ぎに薙刀を振るう。
 更に体全体を回すようにして振るため勢いは段違いだった。

 また包丁で受け止めようとした敵だったが今度は薙刀の重さと勢いに耐え切れず、包丁の一本を手放してしまう。
 しかもまともに刀身で受けたために包丁自身も限界を迎え、刃が砕けて武器の体を成さなくなる。

「くっ! まだだ、まだ終わってたまるか!」

 舌打ちしたらしい敵は何とか懐に飛び込もうと周囲を散開しつつ移動していたが踏み込むと同時に名雪が横に薙刀を振るう。
 そのため退かざるを得なくなりじりじりと名雪が押していく。
 周囲は広いため壁際や袋小路に追い詰めることは出来ないものの、精神的に追い詰めていっている。

632Trust you:2009/03/23(月) 01:38:19 ID:cw9JXZvc0
 このまま何度か攻撃を繰り返す。そうすると敵はこちらが薙刀一辺倒だとして距離を取りにかかる可能性が出てくる。
 そのときこそ、ポケットに隠してあるジェリコで止めを刺す。これが名雪が組み立てた作戦だった。

 事実敵の焦りは目に見えており、飛び込もうとする行動も迂闊な隙が見え隠れしている。
 何とか回避してはいるものの、優位なのはこちらだ。そう名雪は判断する。
 踊るように体を捻り、上段から袈裟に斬り下げる。敵は飛び退くが、着地した場所が悪かった。
 ちょうどそこはぬかるんだ地面で滑りやすくなっていた。バランスを崩し、地面にもんどりうって転ぶ。
 焦りと疲労が生み出した結果なのだろう。好機と捉えた名雪はこの隙にとジェリコを取り出し、狙いをつける。

「甘く見すぎだ! そう思い通りには……いかない!」
「!?」

 構えた瞬間、敵も合わせるかのように『取り落としたはずの』サブマシンガンを構えていた。
 誘導されたのだと察する。接近戦を狙っているのを読み、サブマシンガンが落ちているところまで戦いながらおびき寄せていた。
 しかも自分が半端に有利になるように仕向け、油断をも誘った、二段構えの戦術。

 機械だったはずの心に動揺が走り、どうするべきか躊躇してしまう。
 これまで計算ずくで、ここまで完全に裏もかかれたことのなかった名雪には咄嗟の対処が行えなかった。
 コンマ一秒の隙。その時間を敵は見逃さなかった。

「私だけに気を取られていたのが間違いだ……もっと視野を広くするんだな!」

 トリガーが引かれ、ありったけの銃弾が撃ち込まれる。
 名雪はぐらりと体を傾け、仰向けのままに地面へと倒れた。

     *     *     *

633Trust you:2009/03/23(月) 01:38:42 ID:cw9JXZvc0
 走る。走る。得意ではない走りを続ける。
 十分も経っていないのに息は上がり、胸が激しい動悸を繰り返す。
 倒れないだけマシだ。熱で動けなくなったあのときに比べればなんということはない。

 まだ知りたいことがいくらでもある。知らなければならないことがたくさんある。
 自分だけの世界に閉じこもり、完結していた昔のままではいられない。
 夢がある。皆から託された夢が自分の中にはある。その中にはもちろん、自分の夢も。
 分かり合える友達。信じあえる家族。そんな彼らと共に『希望』や『豊かさ』を組み直し、作り上げてゆく。

 何もかも変わらずにはいられない。しかし変質したとしても本質は変わらない。
 壊れてしまった玩具を、丁寧に修理していくように、外見は変わっても中身までは変わらない。
 その中にこそ、その本質でこそ人は互いに理解し、手を取り合える。

 だからわたしはわたしをありのままに伝える。今はそうしたい。
 自分からこんなことを望むのは久しぶりだ、と古河渚は己に苦笑する。

 最後に我がままを言ったのはいつだっただろうか。
 記憶の引き出しを開けてみてもどこにも見当たらない。
 自分はこれでいい、このままでいいと思い込み妥協しかしていなかったことしか思い出せない。
 終わり続ける世界の住人でしかなかったから、そんなことをする意味がないとどこかで諦めていたのかもしれない。
 だが意味はあると知った。自分でも生きていけるということを知っている。
 我がままを言えることの意味も。
 難しいことは言わない。自分は何も知らなさ過ぎるだけだ。だから知る必要がある。幸福に生きていくために。

「わたしは……強くなれていますか?」

 誰にでもなく呟く。強さへの憧れは昔からあった。
 演劇部に入りたかったのも強さに憧れていたからだ。舞台の上を演じる役者は別世界の人間で、なりきらなければならない。
 役になりきるという責任を果たし、観客も楽しませるという責任も果たす。
 集団での形を取りながらも個人個人の強さがなければ出来ない演劇の役者は、渚にとって強さの象徴のように思えた。

634Trust you:2009/03/23(月) 01:39:00 ID:cw9JXZvc0
 誰かに支えられ、また自分も誰かを支え、バランスを保つこと。そうなりたいという気持ちがあった。
 だから探し出す。支えるべき人を、支えたい人を……

 ルーシーと美凪が向かったと思われるもう一つの火災現場がどこか探してみるが、既に火は消えてしまったのか空を見ても分からない。
 見失ってしまった。このままでは追いつくどころか、辿り着きさえ出来ない。
 大体の方向は覚えているとはいえ、このままでは合流も不可能だ。
 だが立ち止まっている暇はないと足を動かし続ける。今、このときだけは足は止めてはならなかった。

「……! これは……」

 そうして再び走り始めたとき、近くから雨音とは違う、何かが弾ける音が聞こえた。
 銃声ではないかという予感が走り、渚は音に耳を傾けながら体に鞭打って走った。

 渚は気付かない。
 雨に打たれ、体力も消耗し、普段なら倒れてもおかしくないはずの体がまだまだ動くということに。

 渚は気付かない。
 雨が降り注ぐ空の一端に、光の粒が漂っているということにも。

     *     *     *

 残弾が尽きるまで撃ち続け、さらに一本マガジンを交換してなお銃口を向けてみたが水瀬名雪はぴくりとも動かない。
 勝ったのかという鈍い実感と、夜陰に降り注ぐ霧雨の冷たさが徐々に内奥の熱を冷ましてゆく。
 銃口を下ろし、長いため息をついたルーシーはふらふらと立ち上がり、ある場所へと歩き出した。

 本当の勝利、生きる価値のある命。その言葉を教えてくれた、大切な親友のいる場所へ。
 どんなことが本当の勝利で、どんなのが生きる価値のある命なのかまでは教えてくれなかった。
 唯一分かることは、復讐心に駆り立てられるだけではそこには到底辿り着けないこと。それだけだ。
 いやそれで十分だ。最初から答えの分かっている問題なんてない。

635Trust you:2009/03/23(月) 01:39:24 ID:cw9JXZvc0
 この先、自分が満たされ、真実の豊かさを手に入れたときにこそ答えは分かるものなのかもしれない。
 未だ実態は見えないが、分かるようになりたい。そう、強くルーシーは願っていた。

 雨と泥で汚れた顔を拭い、横たわる美凪の遺体を見据える。
 ひどく血を吐き散らし表情も安らかとはいい難かったが、遠野美凪という人間の生き様を克明に映し出していた。
 分かり合えるかどうかも分からない者との対話を望み、なお理解し合えると信じた人間の渇望がそこにある。

「私ひとりになったとは言わない。私にはみんながいる。この服にはうーへいの思い出がある。
 だから、なぎー。一緒に行くために、これを貰っていくぞ」

 美凪の胸元にあるネクタイに添えられている銀色の小さな十字架をそっと外し、自分の髪にヘアピンのようにつける。
 少々大きく、髪留めには向かなかったがこれでいいとルーシーは微笑む。

「本当に覚えていられるなら、物なんてきっと必要ないんだろう。だが、私は所詮憎しみも忘れられない凡俗でしかない。
 だからこうしてでしか、なぎーのことも覚えていられない。でもこれがあれば絶対忘れない。
 どんなに離れていても、どんなに時間が経っても。
 私となぎーの心はつながってる。あらゆる物理法則を超えて、ふたりはひとつだ」

 いや、春原が贈ってくれた服も同じだから『みんなはひとつだ』の方が良かったかもしれない。
 そう思ったルーシーだったが、言い直すことはしなかった。まだ胸を張って『みんな』と言えるほど自分はひとと分かり合えていない。
 だからその時に使おうと考えたのだった。

「不思議なものだな……憎んでいた、あいつを、うーへいの仇を、なぎーの仇を取ったのに……
 こうしてなぎーと出会えた奇跡を、思い出してるなんてな」

 あれほどまでに自分を支配していた憎しみ、どろりとした濁りはなりを潜めている。
 代わりに思うのは自分にもこんな親友がいたのだという事実。失ってしまった哀しみだった。
 ただ、哀しみのいくらかはやりきれない怒りへと変質していたが、
 その大半は雨と共に己を洗い流し、がんじがらめにしていた過去を溶かしていた。

636Trust you:2009/03/23(月) 01:39:44 ID:cw9JXZvc0
 人と理解し合えるなんて思ってもみなかった昔。
 河野貴明との邂逅に始まり、様々な人間と出会いながらも、人間のような心があるはずはないと冷め切っていた過去の自分。
 それが今はどこか遠くのように思え、けれども親友の死に立ち会いながら涙のひとつも出せない自分が、根本は変わっていないと自覚させる。
 そういうものなのだろう。己の本質を変えることは不可能で、変えられるのはあくまでも表層の部分でしかない。
 身分や経験など関係はなく、生まれもった自分は最後の最後までそのままだ。
 それでも、私は……

 目を閉じて、美凪に黙祷を捧げる。彼女がいなければ引き返すことを学べなかった。
 親友というものの実際を知ることもなかった。
 知ってさえこんなにも短い間しか一緒にいられなかった。
 もっともっと、美凪とは話し合いたいことがたくさんあったのに……

 寂寥感が立ち込め、ふとルーシーの胸に陰が差し込む。
 こんな別れ方でいいのか、この雨の中に美凪を置いたままにしていいのかという疑問が持ち上がる。
 時間がかかってもいい、どこかに埋葬してやった方がいいのではないかという考えがルーシーの中に浮かんだ。
 親友をこのままにしていいのかという疑問に、ルーシーが手を伸ばしかけた時――

「ダメですっ! るーさん、離れてくださいっ!」

 突如として、死体であったはずの美凪が喋ったかのように思えた。
 驚愕したものの、だがこの声は美凪のものではないと理解していた頭が、声のした方へと振り向く。

「な……にっ!?」

 そこには。
 ゆらり、ゆらりと立ち上がり、腕や腹部から出血しながらも手に拳銃を持った水瀬名雪の姿があった。
 何故だという疑問は、改めて見えた名雪の姿を見たとき瞬時に解決する。

 腹部は確かに出血しているが、量はそれほどでもない。あれだけ大量の銃弾を撃ちこんだのにも関わらず。
 その事実から導き出せる答えは一つしかない。防弾チョッキだ。
 恐らくは気絶していただけだったのだ。己の失態に悪態をつくほかなかったルーシーだったが、名雪は既に銃を向けている。

637Trust you:2009/03/23(月) 01:40:06 ID:cw9JXZvc0
 最後の気力を振り絞ったものだろう。間違いなく、全弾を使ってでも殺してくる。
 ウージーは手元にあるものの構えて照準をつけるには遅すぎる。
 これまでかと思いながらも諦めることを知らないらしい体は動き、必死に狙いをつけようとした。

「くっ、間に合わな……!」

 声を遮るように、銃声が木霊する。思わず目を閉じたルーシーだったが、痛みはどこにもなく、銃声も一発だけだった。
 目を開ける。そこには、ぐらりと体勢を崩した名雪と……その後ろで、M29を構えている古河渚の姿があった。
 あの声は……古河のものだったのか?
 どうしてここにいる、という疑問と自分を助けてくれたという事実が頭の中を満たし、陰を吹き散らし、視界をクリアにさせてくれた。

 体勢を崩した名雪の隙。もう見逃さない。今度こそ決着をつける。乗り越えるために――!
 尚も無理矢理銃を乱射してきた名雪に応じるように、ルーシーもありったけの力で引き金を絞る。
 頭部を目掛けて撃ったウージーの弾は名雪の頭にいくつもの穴をこじ開け、今度こそ彼女を絶命させた。
 何を考えていたのかも、何を目指していたのかも分からぬ、悲しき機械の女が……ゆっくりと、ぎこちなく崩れ落ちた。

「……っ」

 同時にルーシーも苦悶の声を上げ、膝をついてしまう。名雪の最後の乱射はルーシーの脇腹を掠り、確かな傷を残していた。
 それを見た渚が慌てた様子でこちらへと駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫ですかっ」
「……問題はない。掠っただけだ。それより古河、どうして、お前はここに……」
「それは……え、えっと、その……心配になったから、です」

 勝手に離れていったのはこちらだし、放っておいてもよかったのに。思ったものの、口には出せなかった。
 代わりに自分の中に、光が差していくのを感じる。太陽みたいだな、という感想をルーシーは抱いた。
 陰を吹き散らしてくれる、決して近づけぬ存在でありながらなくてはならない存在。
 いつの間にか微笑を浮かべていたらしい自分に対して、渚も微笑を返した。ちょっとぎこちない、しかし暖かな笑みだった。

638Trust you:2009/03/23(月) 01:40:34 ID:cw9JXZvc0
「でも、わたし……間に合わせることが出来なかったみたいです……ごめんなさい、なんと言っていいのか……」

 だがすぐに表情が崩れ、骸となった美凪の方を向いた渚は、泣いていた。
 少しの自責と、たくさんの哀しみを含んだ涙だった。
 もう話すことが出来ない美凪に対して、これ以上ないほど哀しんでいた。

「もっと、話したいことがいっぱいあったのに……わたしは何も知らないのに」
「古河……お前のせいじゃない。こうなったのも私が、私達が何も分かろうとしていなかったからだ」

 寧ろ自分の方が情けない、申し訳ない気持ちで一杯だった。
 言葉の節々から、渚が自分達と関わろうとする意思、己が考えていることと同じことを思っているということが感じ取れる。
 なぎー、やっぱり、お前の言う事は正しかったのに……
 やりきれない思いが込み上げる一方、渚の分かり合おうとする意思に触れ、以前のようなわだかまりが溶けてきていることにも気付く。

 本当は誰かに認めてもらいたかっただけなのではないだろうか。
 善人になりきれない自分を「それでもいい」と受け入れて欲しかったのではないだろうか。
 身内からではなく、しこりを残した相手からの握手を。

 ちょっとしたきっかけ。完全には分かり合えずとも協力していけるきっかけが欲しかったのだ。
 そうして少しずつわだかまりを溶かし、長い年月が経って初めて……自分達を親友と認め合えるのだろう。
 憎しみに変わり、後に退けぬまま食い合う前に……美凪はとっくに分かっていたのに……

「――済まない」

 己の内にある全ての思いをその一言に集約し、ルーシーは静かに、だがはっきりとそう言った。

「ルーシーさん……いえ……」
「そういえば、警告してくれたのも古河だったのか。あのとき、るーさん、って呼ばなかったか」
「? い、いえ、ルーシーさんと、叫んだつもりでしたけど」

639Trust you:2009/03/23(月) 01:40:52 ID:cw9JXZvc0
 そうか、とルーシーは答えて、美凪の方へと向く。
 まさかな、と思いながらも、一方でそうなのだろうという確信があった。
 美凪の魂が、想いが、渚を通じて自分に呼びかけてくれた。

 私はこのままでいい、私に拘らず、るーさんはるーさんの今を生きて欲しい……そんな風に。
 他人に己を委託してでしか生きられなかったはずの美凪。それなのに、こうして最後は自分の力だけで想いを成し遂げた。
 だとするなら、やはり本質からひとは変われるのかもしれない……そんな感慨を抱かせた。
 少なくとも、その可能性は目の前にある――息を吐き出したルーシーは、ゆっくりと渚の肩に手を置いた。

「行け。どうせ奈須あたりとは別行動なんだろう? 追ってくれ。私は少し休んでから行く。ちょっと、疲れた」
「え? で、ですけど……」
「いいから行け。お前なら、きっとあいつだって助けられる。現に私がそうだった。だから、行くんだ」

 ぐいと肩を押し、渚を離れさせる。
 しばらく不安げにこちらを見ていた渚だったが、こくりと小さく、しかししっかりと頷いた。

「分かりました。必ず戻ってきます。あの、そのときには……あ、あだ名で呼んでも構いませんかっ」

 神妙な顔から出た言葉は、この場には不釣合いな、日常の欠片を含んだ言葉だった。
 思わず笑い出したくなるのを抑えつつ、ルーシーは「ああ」と応じた。

「そのときには、こっちもあだ名で呼ばせてもらうぞ。『古河』」

 恐らくは、いやきっとこれが最後の呼び名になるだろうという予感を得ながら、ルーシーは渚の返事を待った。
 はいっ、という元気のいい返事がすぐに返ってきて、今度こそ渚は駆け出した。
 気のせいだろうか、その後ろには蛍のような、小さな光の群れがついていっているように見えた。

 ルーシーは空を見上げる。雨は、少しずつ弱まっていた。
 いつか、きっとこの雨も上がり、空も晴れる。渚という太陽が共にある限り。
 銀色の十字架が同調するように、ルーシーの傍へと寄った。

640Trust you:2009/03/23(月) 01:41:54 ID:cw9JXZvc0
【時間:二日目21:00】
【場所:F-3】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 3/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

遠野美凪
【持ち物:包丁、予備マガジン×1(ワルサーP38)、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン】
【状態:死亡】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:たこ焼き友だちを探す。少々休憩を挟んだ後宗一たちと合流】 

水瀬名雪
【持ち物:薙刀、ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾0/14)、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:死亡】

【残り 18人】

→B-10

641十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:00:29 ID:QhWdeCLQ0
 
おぅろぅ―――、おぅろぅ―――と。
高く、低く、笛の音のような音が響いている。
砕かれた神像の残骸を、風が吹き抜けていく音だ。
それはまるで群れを見失った獣の哭き声のようで、物悲しさに水瀬名雪が口元を歪める。

駆けるその足は止まらない。
踏み出した傍から崩れ、瞬く間に小さな石の塊となって山道の斜面を転がり落ちていく大地を、
あたかも氷の上を滑るような鮮やかさで越えていく。
少女の外見からは想像もつかぬ体術、絶妙な体重移動のなせる業であった。
と、目の前の地面が、音を立てて割れる。
唐突に口を開いた断崖に、しかし名雪は驚愕の声一つ漏らすことなく跳躍。
断崖が空しくその背後に消えていく。

跳んだ名雪の、開けた視界が赤々と染め上げられる。
火球である。
人ひとりを飲み込んで余りある炎塊が空中、躱せぬ一瞬を狙い澄ましたように名雪に迫っていた。
事実、緻密な計算に基づいた頃合であったのだろう。
だが燃え盛る火に飲まれ骨まで焼き尽くされる未来を、水瀬名雪はただの指一本で回避する。
肉付きのいい指が迫る火球を指し示した、その直後には黒雷が閃いている。
名雪の背後から真っ直ぐに飛び、火球の中心を貫いて雲散させた黒雷が、蒼穹の彼方へと消えていく。
撃ち出したのは名雪の後ろに控える、大きな漆黒の置物である。
疾走や跳躍に正確に追従する、そのぎょろりと眼を剥いた蛙の置物を、称してくろいあくまという。

642十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:00:55 ID:QhWdeCLQ0
―――これは正しく、時間との戦いだ。

着地した名雪が冷静に分析を開始する。
敵、黒翼の神像は既に眼前。
残り時間は、と問えば間髪いれず、五分四十秒と答えが返ってくる。
時計の針と戦況とをじっと見比べる坂神蝉丸の渋面が見えるような、声なき声。
さしもの強化兵も焦りや苛立ちが隠しきれなくなってきている。
それでもまだ、前に出られない。
理由は単純だ。
この山頂に覆い被さるように拡がった巨竜の背、銀の平原。
半径数百メートルにも及ぶその銀鱗の敷き詰められた道は、いまや紅の森と化していた。
巨神像の斃れる度、巨竜の背から生える紅い槍はその数を増していく。
行く手を阻むように生え、蠢くその槍の森を越えるには、砧夕霧を抱え動きの封じられる蝉丸だけでは手が足りぬ。
先導し、突破するだけの火力。
それを蝉丸は待っている。
巨神像は既に半数が斃れていた。
残るは四体。槍、白翼、大剣、そして名雪の眼前に立つ黒翼の神像。
この内、左右の端に位置する槍と黒翼が落ちれば、戦闘は最終局面を迎える。
他の巨神像が全て沈黙している状況であれば、白翼と大剣を押さえつつ蝉丸とその先導が動き出せる。
紅い森の突破に集中させることができるのだ。

問題は、と。
黒翼の神像が放つ漆黒の光弾を、同じく日輪を侵すような黒雷で相殺した名雪が、
その手に小さな白い何かを掴み出しつつ、思考を展開する。
何もない中空から取り出したように見えたそれは、陽光を反射して煌く雪球。
否、雪で作られたそれは、小さな兎であった。
問題は突破に費やせる時間が、どれほど残せるかという一点に尽きる、と考えながら高く飛んだ名雪が、
叩き落そうと迫る黒翼の神像の一撃を躱しざま、巨大な腕に雪兎を乗せる。
兎の背にはいつの間にか小さな時計が据え付けられ、その針を動かしていた。
名雪と神像が交錯する度、雪兎の数は増えていく。

643十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:01:12 ID:QhWdeCLQ0
―――時間との戦い、だというのに。

優美な巨神像と季節外れの雪兎、そしてその背の小さな時計。
ひどく不釣合いな三者を結びつけた水瀬名雪という怪物が、苦笑する。
この山頂には、幾つもの声なき声が満ちている。
少女たちの、或いはかつて少女であった女たちの、声なき声。
隠す様子もなくびりびりと伝わってくるそれらは、どれ一つとして時間のことなど気にしていない。
身勝手で、視野の狭い、しかしどこまでも切実な声。
その瞳には、目の前の危機など映ってはいないのだろう。
遠い昔に水瀬名雪から剥がれ落ちていった激情が、老いさらばえた心を炙ってちりちりと焦がす。
灼かれて煙をあげた心に咽るように、名雪が口の端を上げる。
笑みに逃げたその貌が、母親のいつも浮かべていたそれとひどく似ているのだろうことには、
気付かないふりをした。

川澄舞は今も待ち続けている。
今も、そして、今回も。
漏れ伝わってくる思いと決意の強さ、その変わらぬひたむきさが、名雪には眩しい。
彼女は待ち人の名を知らない。
その存在の意味も、与えられた役割も。
恋敵、などと水を向けたところで反応が返らないのも当然だった。
それでも、だろうか。
或いは、だからこそ、だろうか。
真実を知ってなお、川澄舞は変わらずにいられるだろうか。
意地の悪い想像に含まれる妬みの色を、名雪は老いた笑顔で飲み下す。

644十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:01:48 ID:QhWdeCLQ0
相沢祐一。
繰り返しの果てに壊れた、機械仕掛けの神。
望まれるままに奇跡を起こす、哀れな案山子。
川澄舞が真に偶然の中で祐一と出会えたのは、もう遥か以前のことだ。
今の川澄舞が祐一と出会ったのは、単純に幼い彼女が救済を願ったからだろうと、名雪は推測する。
壊れた祐一に自由意志などありはしない。
孤独を恐れ、理解を求めた幼子の祈りに呼応して現れた幻想。
それが相沢祐一だ。
だから川澄舞は、ある意味で正しい。
祐一はもう、彼女の前には現れない。
与えられるだけの救済をはね除ける強さを、彼女が持つ限り。

それは悲しい自己矛盾だ。
彼女が祐一の帰る思い出の場所を守り続けるために強くあることこそが、祐一の降臨を阻害している。
だがそれは同時に、正しい人のあり方だ。
相沢祐一を求めるとき、人は弱く惨めで、その弱さは己を、己の周りにある世界を貶めていく。
祈りに応じて現れる祐一は愚かで浅ましい小さな世界を救い、その醜さを受け止めて歪みを増す。
存在が崩壊を内包する道化を呼び出すのは、人の醜さに他ならない。
だから、強くあろうとする少女はそれだけで正しく、美しい。
私と違って、と自嘲する名雪の手には、十数個めの時計仕掛けの雪兎がある。
カチカチと時を刻むその秒針が、間もなく頂点を指そうとしていた。

―――この島の一番高いところ、か。

ふと、青の世界で聞いた声を思い出す。
見上げれば、蒼穹には雲ひとつない。
悠久を繰り返す水瀬の知らない世界。
少女たちが、その強さのままに真実を求めるのなら。
もしかしたらその先には本当に、この世界の終わりを越える何かが見つかるのかもしれない。

ならば、と。
遠い空に目をやりながら、名雪が口元を緩める。
このどこか虚ろな戦いの終わりにも、幾許かの意味はあるのだろう。

浮かべたその微笑に、醜悪な老いの色はない。
祝福を授けるように、名雪が手の雪兎にそっと口づけする。
捧げるように手を伸ばし、伸ばした手から、白い兎が落ちた。

『―――まずは打ち破ろうか。この妄執を』

声なき声の、響き渡ると同時。
名雪の足が地を蹴り、空へとその身を投げる。
彼女が立っていたのは黒翼の神像、その肩の上である。
大地へと落ちゆく名雪が蒼穹に向けて指を伸ばし、小さく打ち鳴らした、その瞬間。
黒翼の神像の至るところに置かれた雪兎の、時計の針が一斉に零を指し示した。

白光と灼熱とが、黒翼の神像を包み融かし尽くすまでの一瞬を、待ちかねたように。
凄まじい爆音が、山頂を揺るがした。

645十一時五十四分/雲が晴れてても:2009/03/27(金) 15:02:20 ID:QhWdeCLQ0
 
【時間:2日目 AM11:55】
【場所:F−5 神塚山山頂】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体11000体相当】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:大破】

→1045 1053 ルートD-5

646十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:16:18 ID:ZjBIZIJY0
 
それは、曙光だった。
朦々と舞い上がり、まとわりつく砂埃を払いながら真っ直ぐに見つめてくる、天沢郁未の瞳。
鹿沼葉子の目にいつだって眩しく映っていた夜明けの色が、そこにある。


***

647十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:16:30 ID:ZjBIZIJY0
 
「冗談じゃない、って話」

掠れた声。
こみ上げる血と絡まる痰と不定期な鼓動と引き攣る横隔膜とで震える声。
炎や、地響きや、飛び交う光や稲妻や、そういうものの一切を無視して、郁未が言葉を紡ぐ。

「ああ、冗談じゃあない。これがあんたの喧嘩で、だから一人でやるっていうんなら葉子さん、それはいいさ。
 私はここで見ててやる。あんたが勝って、戻ってきて、澄ました顔でお待たせしました、って言うまで待っててあげる。
 けど、ならさ。ごめんなさい、は違うでしょ」

打ち鳴らされる鐘のように響く音は、巨神像の槍だ。
葉子と郁未とに向けて、何度も打ち下ろされている。
少女二人を容易く押し潰すはずの巨槍は、しかし見えない壁に弾かれるようにその穂先を空しく傷めていくばかりだった。
力と、技と、質量と、そのすべてが通らない。

「謝る必要なんかない。……違う、違うね。謝っちゃいけない。
 葉子さん、あんたはだから、そこで謝っちゃいけないんだ。
 私はここにいる。あなたの傍で待ってる。離れない。だから、謝るな」

不可視の壁を張り巡らせた、その中で。
外の世界の全部を遮って。
天沢郁未が、告げる。

「私はずっとここにいる。それを信じてるなら、信じてくれるなら、謝らないで。
 いつも通りの鹿沼葉子で、私に。天沢郁未に聞かせて。その声を。本当の声を」

世界を隔てて、ただ二人。


***

648十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:18:19 ID:ZjBIZIJY0
 
言葉を、探していた。
天沢郁未に返す言葉を。
その、赤面するほどに真っ直ぐな気持ちに応える言葉を、鹿沼葉子は探していた。

色々なことが頭の中を巡っていた。
色々なものが、色々な人が、色々な記憶が、葉子の中で言葉になろうとして、
しかし結晶する寸前で、天沢郁未という熱を前に、それらは空に溶けて消えていく。

怖かった。
立ち塞がる巨大な敵は、葉子の過去が具現化したかのようで、だからそれを打倒するのは葉子自身の役割で。
違う。恐怖の根源は、そんなところにはない。
言葉と共に、欺瞞も虚飾も、熱に煽られて溶けていく。
やがて剥き出しになった恐怖は、たった一つ。
ただ、失うのが、怖かった。
過去に敗れて、過去に呑まれて、現在が失われるのが、怖かった。
鹿沼葉子の過去に天沢郁未が呑み込まれるのが怖くて、だから独りになろうとした。
ひどく陳腐で、どこまでも甘ったれた、子供のような我侭。
誰が聞いても呆れるような、天沢郁未も呆れるような、だからそれを口にした。

天沢郁未は、笑ってそれを、殴り飛ばした。
赦さずに、いてくれた。

それは、嬉しくて、悲しくて、腹立たしくて、有り難くて、微笑ましくて、気恥ずかしくて、
全部の感情を集めて心の中で弾けさせたような、ひどく騒々しい、夜明けの鐘。
飛び起きた頭は混乱の中にあって、だから葉子は考える。
考えて、考えて。

だけど言葉は、見つからない。
見つからなくて、ぐるぐると回って、結局振り出しに戻った頭が、何も考えられない葉子の頭が、
ようやく言葉を搾り出そうとする。

「ご、ごめ……」
「だから、そうじゃない」

苦笑に、遮られた。
遮って、手が伸ばされる。
手を差し出して、天沢郁未が、

「そこは、これからもよろしく……って、言うとこ」

夜明けのように、微笑んだ。


***

649十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:19:08 ID:ZjBIZIJY0
 
それは、難問を答えに導く、たった一つの公式。
差し出された手と微笑みが、薄闇を打ち払い、冷たい夜露を煌めく珠に変えていく。

「……私、自惚れてる?」

明けていく夜の、昇る陽の眩しさと暖かさに、涙が滲む。
縋るように、その手を取った。

「……いいえ」

最初はか細く。

「いいえ、いいえ!」

やがて、雲間から射す光の、大地を照らすように。

「私は……私は、鹿沼葉子。國軍技術研究局、光学戰試挑躰にして、FARGOクラスA」

繋いだ手の温もりに、応えるような声で。

「だけど、だから私は今、天沢郁未の隣に立っている。……立てて、います。
 これからも……よろしくお願いします、郁未さん」

宣言と要請を、真っ直ぐな笑みが受諾した。

「―――よく言った!」


***

650十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:19:24 ID:ZjBIZIJY0
 
結んだ手から、光が伸びる。
伸びた光が道となり、その先には倒すべき敵がいた。
手を繋いだまま、光の道を歩き出す。

「不可視の力は無限の力」

二つの足音が、一つに聞こえる。
駆けるでもなく、止まるでもなく。
歩み続ける、足音。

「世界を塗り替える願いの力」

行く手を遮るものは何もない。
焦燥のままに何度も突き立てられる巨槍は不可視の壁を貫けず、光の道に触れることすら叶わない。

「ならば誓いは道となり―――」

光に射抜かれるように、巨神像の顔がある。
その見上げるような顔のすぐ前で、歩みが止まった。
繋がれた手には、いつしか何かが握られている。
天への供物のように掲げられたそれは、郁未の長刀。
魅入られたように動けない巨神像の眼前で、刃がその輝きを増していく。
やがて陽光を凝集したような燦然たる光となった長刀が、振り上げられる。

「―――絆は、刃となる!」

光が、奔った。


***

651十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:19:44 ID:ZjBIZIJY0
 
馬鹿だった。
自分はどうしようもない馬鹿だったのだと、鹿沼葉子はようやく気付く。

二つに分かれて崩れゆく巨神像を前にして、薄れゆく光の道から飛び降りて、
だけど離れない手を真ん中に、くるくると回りながら思う。

夜はもう、とうの昔に明けていた。
あの日、あの時、今はもうない教団の、あの誰もいない食堂の薄暗い片隅で。
誰にも気付かれないままに、夜明けは訪れていたのだ。

暗かったのは、ただ目を閉じていただけ。
一番鶏の鳴く声が聞こえなかったのは、ただ耳を塞いでいただけ。

離れられるはずもない。
いかに怯えようと、大切なものを飲み込む夜の闇など、もうどこにもありはしなかった。
目を開ければ、光の中にそれはあった。
笑って、いた。

だからもう、言葉を探す必要はない。
声に出す必要も、なかった。

ただそっと、繋いだ手に力を込めて。
微笑んで、想う。



―――これからも、ずっとずっと、よろしく。

652十一時五十五分/いつか一緒に:2009/03/31(火) 14:20:14 ID:ZjBIZIJY0

  
【時間:2日目 AM11:57】
【場所:F−5 神塚山山頂】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体9700体相当】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:大破】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】

→1048 ルートD-5

653名無しさん:2009/04/01(水) 02:31:09 ID:.RmBvSCY0
 
 
  ―――その死には、幾つもの真実が、足りない。


「駄目! 私に近づかないで、貴明さん!」
「草壁さん……どうして、どうして君がそっち側にいるの!?」


  何もかもが間違っている。


「わたしの運の悪さ……知ってるでしょ? ……だから、」
「だからその『凶運』を、僕が『転移』する。不幸は共有されるべきだからね」
「柊……くん……」


  誰も彼もが、救われない。


「あちきが間違ってる。そんなこたー、わかってらい」
「みゅー」
「お前ぇさんも、たかりゃん達にはついてけねえってクチだねえ」
「みゅー……?」


  生き長らえて、死んでいく。


「私にはっ! 『加護』なんて力、ないのに! なのに、どうしてっ!」
「仁科、今それを告げれば、我々は決戦を前に内部から崩壊する」
「智代さんが、そういう風に仕組んで! だから敵とか、味方とか! もう沢山なんです……!」


  混沌に隠された真実が、


「みずぴー……! あたしたちは……!」
「ダメだ新城! そいつを信じるな!」
「向坂……雄二……! 夕菜さんを見捨てたくせに、あなたって人は……!」


  ここに、明かされる。


「この時間の全部が消えても……もう一度、会えるかな?」


  その道の果てで、少女の恋が、終わるまで―――


 HAKAGI ROYALE Ⅲ  ROUTE D-5  episode:0

       ―――The Way to Void―――



 近世紀公開予定、ズガン。

654最終話 希望を胸に すべてを終わらせる時…!:2009/04/01(水) 03:30:20 ID:eDCqWgH20
高槻「チクショオオオオ!くらえいくみん!新必殺高槻最高斬!」 
郁未「さあ来い高槻イイイ!私は実は何の盛り上がりもなく死ぬぞオオ!」 

(ザン) 

郁未「グアアアア!こ このザ・エロスと呼ばれる四天王のいくみんが…こんなワカメに…バ…バカなアアアア」 

(ドドドドド) 

郁未「グアアアア」 
有紀寧「いくみんがやられたようだな…」 
名雪(ゾンビ)「ククク…奴は四天王の中でも最弱…」 
椋(ゾンビ)「人間ごときに負けるとは主人公の面汚しよ…」 
その他対主催「「「「「「「「「「「「「「くらえええ!」」」」」」」」」」」」」」
 
(ズサ) 

3人「グアアアアアアア」 
高槻「やった…ついに四天王を倒したぞ…これで主催のいる高天原の扉が開かれる!!」 
サリンジャー「よく来たなヘンな称号いっぱいの男…待っていたぞ…」
 
(ギイイイイイイ) 

宗一「こ…ここが高天原だったのか…!感じる…主催の力を…」 
サリンジャー「対主催どもよ…戦う前に一つ言っておくことがある 幻想世界だか宝石だかが重要なフラグだと思っているようだが…別に関係ない」 
渚&風子「「な 何だってー!?」」 
サリンジャー「そしてシオマネキは動かなくなったので処分しておいた あとは私を倒すだけだなクックック…」
 
(ゴゴゴゴ) 

国崎「フ…上等だ…俺達も一つ言っておくことがある 何だか壮絶にキングクリムゾンしているような気がしているが、別にそんなことはなかったぜ!」 
サリンジャー「そうか」 
浩之「ウオオオいくぞオオオ!」 
サリンジャー「さあ来い!」 

対主催達の勇気が世界を救うと信じて…! ご愛読ありがとうございました! 


【HAKAGI ROYALEⅢ RoutesB-10 END?】


【状態:俺達の戦いはこれからだ!】
【目的:名無しさんだよもんさんの次回作にご期待ください!】

655End of hypnosis:2009/04/08(水) 19:48:39 ID:4D5sJK1.0
「降っているな」
「降ってるの」

 きこきことペダルの音を鳴らしながら二人乗り自転車に跨いでいるのは一ノ瀬ことみと霧島聖。
 半ば無表情に、規則正しく早いスピードで進む二人の姿はどこか牧歌的であり、滑稽に映っていることだろう。
 実のところことみは周囲に人の気配がないか気を配りつつも、雨で滑らないようぎゅっとサドルを握りペダルも強すぎるほど漕いでいる。
 見た目とは裏腹にかなり緊張していて、体力もかなり使っていた。

 もちろんそんなことを聖に言えるはずもないので黙って漕ぎ続けているのだが。
 距離的にはかなり進んできたはず。ここは流石に二人乗り自転車の面目躍如と言うべきか、あっと言う間に灯台が見えてきた。
 気がする。どれくらい時間が経過してるのなんて分かりもしないし、果たしてここに目的の品があるのかなど知るわけもない。

 だがやるだけやるしかない。ここまで生きてきて何の役にも立てないまま死ぬのは嫌だ。
 妹を探索するのを後回しにしてまで自分についてきてくれた聖に対して申し訳が立たないし、
 自分を信じて協力してくれた友達に合わせる顔がない。
 所詮己にはちっぽけな勇気と、一歩踏み込むことも出来ない臆病さしか持ち合わせていない。

 きっとこれからも変わらず、変えられもしない部分なのだろう。
 だからこの勇気の残りカスを振り絞ってでもここから生きて帰る。
 それが一ノ瀬ことみの決意したことだった。

「そういえば、だ。今こんなことを聞くのは不謹慎と言うか、不躾かもしれないが」
「なに?」
「生きて帰れたら、何がしたい?」

 少し迷ったように、ゆっくりと声が吐き出された。ことみはつかの間目をしばたかせ、質問の内容を理解するのに数秒の時間を要した。
 黙っていて、相槌も返ってこないにも関わらず聖は何も言わない。じっと答えを待っていた。
 いやそう簡単に答えられるような質問じゃない。
 このような空白の時間でもなければ話題にも出せないような質問だ。今現在を生きるのに必死で、考えようもなかったことだから……


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