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避難用作品投下スレ4

1管理人★:2008/08/01(金) 02:07:08 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

487儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:10:47 ID:nKYEabcw0
 リサが柳川の素手の方の拳を弾き、一歩分の距離を取ったとき柳川が動いた。
 大きく鬼の腕を振りかぶり、本気の突きを繰り出す体勢を取る。
 懐に入り込むには足りない。防御できるような攻撃ではない。ならば避けるしかない。

「く!」

 大きく横へ跳躍して回避しようとする、がそれは柳川の読み通りであった。
 動きを一瞬溜めて突きを放とうとしたのはフェイントだった。
 跳んだのを確認した柳川は手を開いてリサの首を掴みかかるように腕を振るう。
 首を掴み、絞め殺そうというのだろう。あの腕に捕まれば逃れようがない。

 ……けどね、こっちだって考えなしに跳んだわけじゃないのよ!
 ニヤリと笑みを漏らしかけていた柳川に、リサも笑い返した。

「プレゼントよ、柳川!」
「!?」

 腕を振った柳川の前には、リサが着ていたジャケットが宙に浮いていた。
 当然のようにジャケットは振っていた爪に引っかかり、さらに柳川によって傷つけられ、
 ボロボロになっていたお陰で破れかかっていた箇所から爪が刺さり、激しく絡まり合う。
 その上視界をジャケットが遮っていたせいで腕を振り切れず、勢いを失ってしまう。
 再度リサが力を溜めて柳川に跳躍しかかったのと、完全に柳川が勢いを殺されたのはそのタイミングだった。
 柳川の回避動作は間に合わない。


「柳川ああぁぁああぁぁぁあぁああぁっ!」
「リサ……ヴィクセンッ! うおおぉぉぉぉおぉぉぉッ!」


 最後まで諦めまいとしてジャケットが刺さったままの腕を振り上げようとする。
 しかし、やはり早かったのはリサの方で。

488儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:11:04 ID:nKYEabcw0
 空中から全力の勢いで振り下ろしたトンファーが柳川の側頭部を打ち抜き、頭蓋骨を砕き、
 彼を戦闘不能へと落とさせていった。

「か、はっ……」

 呻き声が一つ。致命傷を与えられ血を吐き出した柳川は、意地の一撃も届かせることなく崩れ落ちた。
 リサは激しく胸を上下させつつ、額にはりついた髪の毛をかき上げる。
 何とか勝てた。本当に殺しに掛かるなら身動きさせずに絞め殺すだろうという読みが当たり、
 対応策を講じておいてよかった。もし突きをトドメにと考えていたなら、また違った結果になったかもしれない。

「く……」

 低く搾り出す声が聞こえた。まだ柳川は生きてはいるらしい。
 鬼の強靭な生命力ゆえなのだろうか。だとしても、痙攣するようにしか動いていないことから、
 もう時間の問題だろう。リサは息を整えながら柳川の元で腰を下ろす。

「俺にだって……俺に、だって、守りたいものくらい……」
「知ってるわ」

 目を閉じたまま、うわ言のように呟く柳川にリサは静かに答える。
 強かった柳川には確かにあった。だからこそ、リサは悔しくてならなかった。
 この男から何もかもを奪ってしまった沖木島の狂気と、島全体に今尚敷衍し続ける、
 恐怖を恐怖で支配する力の倫理を。

「だから……おれは、信じて欲しかった……こんなどうしようもない、
 屑だった殺人鬼の、おれでも、だれかと一緒に歩いていけるんだ、と……
 おれは、ひとごろしを楽しむ……悪魔なんかじゃ、ないんだっ……」

489儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:11:23 ID:nKYEabcw0
 雨などではなく、柳川自身から溢れ出る雫が彼の顔を濡らした。家族にさえ裏切られた無念と、
 最後の最後まで言い出せなかった自分に対する悔しさがない交ぜになったものかもしれなかった。
 信じて欲しい。ただそれだけを願い続けていたやさしい鬼。
 彼が生きていくには、ここはあまりにも残酷で過酷な場所だった。
 だから、せめてその最期は。想いを込めて、リサは柳川の手を取った。

「今からでもいい? 今からでもいいなら、私が貴方を信じる。本当の言葉で語ってくれた貴方を、信じる」
「……リサ……」

 信じられないという疑念と救いはあったのだと安堵するものを含んだ柳川の目が薄く開かれる。
 だが手を取り、しっかりと握っているリサの手を見て、ふっと柳川は微笑を浮かべた。

 すぐにそれも消え、目も再び閉じられる。受け入れまいと思ったのか、己に対する贖罪なのか……
 やはりリサには分からなかった。ただ、開かれたときの柳川の目は、
 虚ろな中にも安らぎがあったかのように見えた。

「宮沢、有紀寧……」

 ぽつりと出された言葉は、聞き覚えのない名前だ。何なんだろうと思っていると、
 今度は強く手が握られ、残った命さえ搾り出すような声で続けられた。

「宮沢有紀寧……奴を……奴だけは、必ず殺せ……あいつ、だけは許しちゃならないんだ……!
 奴は……ひとを、どこまでも、陥れる、あく、ま、だ……頼む……やつ、を……!」

 ぐっ、と一際強く握り締められたのを最後に柳川の手がするりと抜け、地面に落ちた。
 者が、物に変わった瞬間。ひとつの命が散った瞬間だった。

「柳川」

490儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:13:11 ID:nKYEabcw0
 思わず手を取りかけたリサだったが、すぐにそれを取り消した。
 柳川から力が抜けたのではない。柳川は自ら手を放したのだ。握っていては、邪魔になるから。
 宮沢有紀寧という名を伝え、意思を託したリサの邪魔をしてしまうから。
 故に……弔いは必要ない。言い遺した柳川の意思を確かめ、リサは崩れかけていた表情を戦士のそれへと戻した。

 行こう。さっと立ち上がると何事もなかったかのように自分と柳川の持ち物をかき集め、
 キッと車が走り去っていった方角を見据えた。雨に紛れているが時折銃声のようなものが聞こえてくる。
 間に合わないかもしれない。もしかすると、皆死んでいるのかもしれない。
 この先には絶望しか待っていないのかもしれない。

 だがそれでも、積み上げてきたものに恥じないために。今しがた己の一部となった柳川に恥じないために。
 どこまでも進む。どこまでも戦う。
 残った者たちに、翳りのない未来の在り処を教えていくために。

 限界だったはずの身体はまだまだ動く。柳川が己を支えてくれている。
 その思いが胸を突き上げるのを感じながら、リサは全速力で走り出した。

491儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:15:03 ID:nKYEabcw0
ここまでが前編となります

492儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:15:31 ID:nKYEabcw0
 ……まさか、もう一度ここに逃げ込むことになろうとはね。
 かつて神尾観鈴の応急処置のために駆け込んだ診療所の中で、痛みに喘ぐ栞を見下ろしながら英二は苦笑する。
 しかもご丁寧に状況までそっくりと来ている。

 リサと別れた後氷川村を一直線に走っていた英二だったが、全く予想外の追っ手が来た。
 何の前触れもなく猛スピードで走ってきた車が栞もろとも英二を轢き殺そうとしたのだ。
 派手にエンジン音を吹かせていたお陰でいきなり轢き殺されるという最悪の事態だけは避け、
 その後も幾度となく迫る車を回避しながら何とか診療所へと避難してきたというわけだ。

 しかも車は執拗に狙いを変えず、診療所の周囲をぐるぐると周回している。
 中に誰がいるかは逃げるのに必死だったので分からなかったが、余程性質の悪い人間であることは間違いない。
 学校で襲ってきた少女といい、向坂弟といい、自分は凶悪な連中に付け狙われる星にでも生まれたのだろうか。
 やれやれと思う一方、嘆いている暇はないと状況を整理する。

 栞の怪我は命には別状はなさそうであるものの、依然として動けぬ状態であるのには変わりない。
 それにリサは正体不明の男と交戦中。今までのリサを見た限りでは負けそうだとは思わないが、
 すぐに救援に来れるという風情でもない。立て篭もって救助を待つというのはあまりにも愚かだ。
 最悪、この建物に車ごと突っ込んでくるという可能性もないではない。何せ木造の診療所だ、
 あっけなく倒壊しそうな気がする。

 そうなると……やはり以前の方法を用いるしかない。
 上手く敵を自分が引きつけるという陽動作戦。実際、あのロボ少女とでは成功に近い結果を出した。
 しかし、その後の結末はどうだ? 逃がすことに成功したはずの相沢祐一と神尾観鈴は死に、自分だけが生き残った。
 放送のときのショックが影を落とし、今の情けないままに生きてしまっている。

 ひょっとしたらまた同じ結果になってしまうのではないか。
 自分は誰も救えないのではないかという不安が鎌首をもたげ、行動に足踏みを起こさせている。
 己の行動は全て裏目に出てしまう。ならばいっそ逆に立て篭もり続けるのも一手ではないかとさえ考える。

「くそっ、優柔不断だな、僕は……」

 やり通すとリサに宣言しておいて、今はこのザマか。
 自分への情けなさが胸を潰し、やりきれない思いばかりが体を重くする。

493儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:15:45 ID:nKYEabcw0
「英二さん」

 静寂を破る声が聞こえ、英二が振り向く。その先では痛みに耐えながら、どうにか意識を保っている栞がいた。
 脂汗を浮かべながらも笑みを湛えた栞の表情は、英二にひとつの疑問を抱かせる。
 なぜ笑える? なぜこの状況で……それも、こんなに力強い微笑みを?
 呆然としたままの英二に、栞は言葉を重ねる。

「私を置いていってください。大丈夫です、後で合流します……そろそろ、痛みも引いてきましたから」

 そう言う栞だが、明らかに体は震え、顔色は冷めている。
 冗談じゃないと思った英二は、沸き上がった感情のままに反論してしまう。何年振りかも分からぬ感情を出して。

「見捨てろというのか。僕は君を死なせるために……」
「分かってます。私だって、死ぬためにそんなことを言ったんじゃないんです。陽動……それが最善の作戦ですよね?」
「!? 何故――」
「分かりますよ。だって、ずっと外を見ていましたから」

 また力強い笑みを浮かべた栞には諦めの感情は一切無かった。
 自分が生きられることを信じ、また自ずから道を切り拓きその一因となろうとする強靭な意思があった。
 眩しすぎると思う一方、それに惹かれている己を感じながら英二は拳を握る。

「私は、リサさんや、英二さん……いえ、みんなの力になりたい」

 脇腹から未だにあふれ出す血を手で押さえながら、栞はたどたどしくも必死に、しっかりとした意思を以って話す。

「だから、やってみせます。英二さんの陽動に合わせて、私もやり通します。降りかかる火の粉は払いますし、
 それでも来るなら……撃つかもしれません。でも、私は生きたいんです。私にも大切なひとができたから……
 忘れてはいけないことがいっぱいできたから。諦めたりなんて絶対にしない」

494儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:16:01 ID:nKYEabcw0
 絶対に諦めない。その言葉が重く圧し掛かり、栞は自分と正反対の存在であることを自覚させられる一方、
 だからこそ自分は栞のためにやり通す必要があるという使命も感じていた。
 そうだ。自分の命は最後まで他人のために使う。今までがどうだったとしても今回は間違えないかもしれない。
 ただ己の節を曲げないために最後までやり通す。そう決めたはずではなかったのか。

「そうだな」

 応じた英二が浮かべたものは不敵な笑みだった。栞が自分に生き様を晒せと言っている。ならば無様な生き様を、
 見事晒して見せてやろうではないか。そうすることでしか、自分は何かを伝える術を持たないのだから。
 英二の中の化学変化を感じたのか、栞もこくりと頷いた。

「行ってください。私はなんとか隠れきってみせます。その後は……挟み撃ちにしてあげましょう?」

 冗談交じりの口調ながら、真剣な顔つきで栞は言った。
 生きたいという意志と、命の受け止め方を知った者の言葉だった。英二は頷き、ベレッタM92を取り出した。
 スライドを引き、チェンバーに初弾を装填する。これが始まりのゴングだ。

 ゲームスタートだ、緒方英二。
 駆け引きを楽しむ『プロデューサー』の姿がここにあった。

     *     *     *

 今の己を支えているのは妄執、ただ一つ。或いは愚昧とも言える感情にのみ衝き動かされているのかもしれない。
 過去を清算するためだけに。人間であった部分を捨て去るためにどこまでも追い縋っている。
 車で轢き殺すということは英二の反応の良さと悪天候による路面の悪さによって失敗したが、追い込んだ。

 後はどう料理するかを考えればいい。そう断じて診療所を見渡せるポイントからじっと観察を続ける篠塚弥生に、
 神尾晴子が開け放った窓から周囲の様子を窺いつつも、新鮮な空気を求めて首を外に突き出していた。
 本人曰く、「急に猛スピード出してめちゃめちゃな運転するから酔った」とのこと。
 シートベルトもつけていなかったので体がブンブン振り回されていたから当然といえば当然だろう。
 文句の一つも飛んでこないのは余程参っているか、何か考えあってのことか分からないがうるさいよりはいい。

495儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:16:29 ID:nKYEabcw0
 ただ戦闘のときに使い物にならないのは困るので、こうして晴子の体調復帰を待ち、
 車ごと診療所に突っ込もうという算段を立てている。見たところ木造の家屋だ、
 最大速でぶつかればひとたまりもないはずだろう。あわよくばそのまま押し潰して殺せる。
 何よりもこんな大胆な戦術をとり、敵の裏をかけるというところにメリットがある。
 建物は決して避難場所ではない、時によっては墓場となり得るのだということを教えてやる。

「篠塚、ひとつ聞いてええか」

 聞き慣れない呼び名にぎょっとして振り向いた先では、相変わらず晴子が窓から顔を出している。
 この人が自分を名前で呼ぶのは初めてだ。不思議な感慨にとられながら「なんですか」と努めて冷静に返す。

「勝てるんやろな?」

 低く敵意を含んだ声が弥生の頭を叩く。晴子がそう思うのも無理はない。
 目の前で戦っていた男と女を無視して突っ切り、英二と怪我した女の方を執拗に狙っている。
 自身を見失っているのではと疑念を持たれているかもしれない。なら不安要素は取り除けばいいとして、
 弥生は「勝ちます」と力強く言い、彼女にしては珍しく自身のことをとつとつと話し始める。

「最初の二人を無視したのはあの常人離れした戦いを見て、とても割り込んで勝てるような相手ではない。
 ましてこの貧弱な武装では……そう言いましたね? もちろん嘘ではないのですが、理由はもう一つあります」
「ほう」
「私が追っている方の……男の名前は緒方英二と言います。私の知り合いでもあり、
 緒方プロダクションのプロデューサーでもある人です。有名なので名前くらいはご存知かと思いますが」
「聞いたことはあるなぁ。なんや、えらい大物と知り合いなんやな」
「仕事上の付き合いが大半でしたが。……そして、私の弱さの象徴でもある」

496儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:16:48 ID:nKYEabcw0
 ずきりと古傷が疼くのを感じる。英二に一蹴され、屈辱と共に穿たれた傷だ。
 君のやり方は間違っている。
 由綺を失った自分に対して、英二も理奈を失ったにも関わらず彼はそう言ってのけた。
 現実を受け止め、夢も見ることも妥協することも許さない対極の存在が一度己を打ちのめした。
 それが今でも尾を引き、殺戮遂行の機械となりきれないまま嫉妬心、羨望の感情を残している。

「なるほど、なんやよう分からへんけど復讐っちゅうわけや」
「復讐ではありません。全てに決着をつけるための清算です」
「は、うちにはどっちも同じやねん」

 目つきを険しくしかけた弥生に「怒るなや」と晴子が手をひらひらと振る。
 「気持ちは分からんでもないからな」と続けて、彼女はVP70をまじまじと見つめた。

「汚点は消したいもんや、そうやろ? うちにも決着つけとうてかなわんクソガキがいる。
 まあ一人は死んだらしいねんけどな。ざまあみろって感じや、はは」

 愉快そうに笑う晴子の顔からは微かな憎悪と狂気が見て取れる。
 汚点、という言葉の中身を確かめるように弥生は口中に呟いた。

 晴子にとってのそれは己に潜む憎悪なのかもしれない。これを消しさえすれば、常に目的へと向けて動ける、
 任務遂行の機械となれるのを彼女は知っている。弥生にとってのそれは緒方英二だった。
 立場を同じくする大人でありながら存在するだけで自分を否定する、まさしく汚点。
 英二さえいなくなれば自分は強くなれる、そう信じて疑わぬ存在だった。

「ええわ、目先の利益に目ぇ奪われてんやないんやろ。ケリ、つけに行こうや」

 ニヤと口元を歪め、凶暴な雰囲気を晒し始めた晴子に「いいのですか」と弥生は尋ねる。
 見方を変えれば半分私怨で動いているとも取れる。
 晴子からすれば付き合う義理はないだろうに、と今更思いながら。

497儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:17:07 ID:nKYEabcw0
「篠塚が強うなればうちにとって利益にもなる。それに……勝てるんやろ?」

 信頼を含んだ強い口調で晴子は言い寄る。
 これは晴子にとってのテストなのかもしれない、と弥生は思った。
 パートナーとしての力を試すテストであり、晴子自身も汚点を消せるのかということを確かめるためのテスト。
 ハイリスクでハイリターンな計画だと考えながらも、こういう女だから仕方ないと内心に苦笑して言葉を返す。

「ええ、勝ちます」

 弥生の言葉に、満足そうに晴子が頷く。二人の間に改めて共闘宣言がもたれた、そのときだった。

「……あ! 男の方が出てきおったで」

 目ざとく気付いた晴子が窓から身を乗り出すようにして診療所方面のある一点を指す。
 確かにそこでは緒方英二が診療所から走り出していた。
 救援でも呼ぶつもりなのだろうか。それとも、怪我した女から目を逸らさせるための陽動か。

 後者だろうと弥生は当たりをつける。自分と正反対でしかない英二ならこうするはずという予感があった。
 乗ったところで特に問題はないと判断する。元々自分の狙いは英二一人なのだし、
 女の方も怪我の度合いを見る限りとてもじゃないが戦闘可能とは思えない。殺すなら、いつだって殺せる。

「神尾さん。作戦を伝えます。私の指示通りに行動してください」

     *     *     *

 今回は逃げるための戦いではない。犠牲になるための戦いでもない。生き延び、その先を切り拓くための戦いだ。
 最終的にはどうあれ、自分がその一員となっているのを実感しながら、英二は迫り来る車をちらりと見る。
 やはり悪天候のお陰で車内に誰がいるかは窺い知れようもない。いや、相手が誰であろうと関係ない。
 自分は自分のやるべきことをやり通す、それだけだ。強く意思した瞳を鋭く細め、英二は車を迎え撃つ。

 ベレッタを持ち上げ、撃つと同時に跳躍。まずフロントガラスを狙って視界を遮る作戦だった。
 地面に転がったと同時、速さと質量を兼ね備えた物体が英二の横を通過していく。
 掠ってさえひとたまりもないだろうなと思う。絶対に失敗が許されない、まさに背水の陣と言える。

498儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:17:46 ID:nKYEabcw0
 だが車だってそこまで運動性能が高いわけではない。引き返すときにUターンする瞬間、
 確実にその横腹を無防備に晒す。狙うのはそこだ。
 唸りと甲高い音を立てながら、車がこちらへと反転してこようとする。
 だが雨によってふんばりの利かない地面では、その挙動さえ時間がかかる。

「そこだっ!」

 続けて二発ベレッタを撃ち込むが、所詮は9mm弾でしかないからなのか強化ガラスなのか、
 さして大きな傷にもならず敵の視界を遮ることは不可能だった。構わず車は再突進してくる。
 ガラスを狙うのは無理だと英二は認識し、ならばタイヤを狙うかと一瞬考えてすぐにそれを打ち消す。
 銃の扱いに手馴れているならともかく両手でしっかり持ってでさえ大体の箇所しか狙えない自分が、
 器用に車のタイヤだけ撃ち抜けるものか。となれば、車から敵を追い出す作戦は一つだ。

 どこかの障害物に車をぶつけ、走行不能な状態に持ち込む……それしかない。
 問題はこの作戦を気付かれないように誘導しつつ障害物のある地点まで行けるかということだ。
 だが、やるしかない。車という鋼鉄の盾から追い出しさえすれば互角の戦いに持ち込める。
 栞からの援軍も期待できる。あわよくばリサの助けさえ見込めるかもしれない。

 自分次第ということか。今の僕になら相応しいと苦笑し、実行に移すため車から離れるようにして逃げる。
 当然のように車も追ってくる。そうだ、そのままついてこい。落とし穴に落としてやる。
 車は左右にくねりながら避けさせまいとしているかのようだったが、悪天候が味方してくれている。

 診療所から離れ、現在疾走している地点はアスファルト舗装もされていないむき出しの地面だ。
 そこに雨が降っていることにより若干ではあるが地面はぬかるみ、車の本来の最大速度を出させない。
 故に英二のような運動慣れしていない人間でもギリギリではあるが軌道を読み、避けることが出来る。

499儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:18:06 ID:nKYEabcw0
 また車はその性質上後ろをとられることにも弱い。完全に後ろを維持し続けることは難しいものの、
 側面や後方近くに回り、真正面にだけは出ない。
 こちらは小回りが最大に利くことを利用し、細かく回りながら移動し、スピードを出させない。

 直角に移動して突進させない、Uターンして車にも同じ行動を強要するなど、
 それなりに時間がかかりつつも、体力を消費しながらも器用に立ち回りながら、
 英二は氷川村の外れの雑木林近くまで車を誘導することに成功していた。

「く……っ、はっ、はっ……っ」

 息を激しく切らせ肺が必死に酸素を求めている。たかだか10分ほど運動しただけだというのに。
 やれやれ、帰ったら体力づくりに励まないとな。
 こんなときでも皮肉交じりの冗談を並べるのは自分のどうしようもない性であるらしい。
 本当に自分はどうしようもない。苦笑を浮かべ、英二は木を背にして目の前に立ちはだかる車を見据えた。

 ここが正念場、腹の決め所というやつだ。最後の突進を避けられるかどうかでこの戦闘は大きく変わる。
 もっとも、体力の切れかけた自分がこの先どうなるか……そう思いかけて栞の姿をふと思い浮かべた英二は、
 ああ、そうだなと諦めかけていた自分を叱咤する。
 諦めてたまるか。まだ自分は何もやりきってはいない。終わってもいいと思うのは為す事をやり通したときだけだ。

 澱んでいた血が今は正常に巡り、体の隅々にまで力を与えている。もう動けないと頭が思っても体が勝手に動く。
 ただの生存本能なのかもしれない。動物としての本能が死にたくないと勝手に動かしているだけなのかもしれない。
 だがそうだとしてもこの一歩一歩が確かに道を切り拓いていく実感がある。
 自分のものではなく他人のものであっても、雨が止んだ空のように晴れ渡っていく感覚がある。

 来い。胸中に絶叫したとき、車のタイヤが急回転してこちらに突っ込んでくる。
 ――その瞬間、緊迫した雰囲気に割り込んできた物音が英二の耳に入る。

「っ!?」

 遠くから数度聞こえたそれは、僅かに英二の意識を呆然とさせ、また隙を作り出すには十分過ぎる間があった。
 ハッとして意識を眼前に戻すと、そこには高速で突っ込んでくる巨大な車体が立ちはだかっていた。

500儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:18:24 ID:nKYEabcw0
「しまっ……!」

 全身を使って跳躍し逃れようとしたが遅かった。
 即死とまでには至らなかったもののボンネットからフロントガラスへ激しく体をぶつけ、
 そのまま勢いに飲まれごろごろと車上を転がった後トランクを伝い滑り落ちた。

 ごほっ、と激しく咳き込む。体を強く打ちつけた英二の体は思うように動かず、
 泥濘の地面を無様に転がることしかできない。一時的なものだろうがあまりにもショックが強すぎる。
 しかし自分に突っ込んだドライバーもただでは済んではいまい。思惑通り猛スピードで突っ込んだ車は、
 勢いを殺しきれぬまま木へと突っ込み見事にバンパーをへこませる形で走行不能状態に陥っていた。

 エアバッグが機能しているかは知らないが、状況的には相打ちといったところか。
 後は、少しでもここを離れないと……這いつくばるように移動しようとした英二だったが、
 車のドアがガチャリと開く音が背後から聞こえた。
 まさか、相手は無傷――!?

「くっ、冗談じゃない……!」

 寝転がったまま、痛みを押してベレッタを構えた英二の前に転がるようにして現れたのは。

「やってくれますね……緒方、英二」
「……弥生君かっ!?」

 よろよろと、英二と同じく地面に膝を付きながら、とても攻撃に移れる状態とは思えないのに。
 それでも銃をしっかりと掴んで放さない、篠塚弥生の姿がそこにあった。
 前々から冷然として感情を持たないはずの彼女の顔は、今は妄執と意地に取り付かれ般若のような形相になっている。
 以前逃がしたときとは似ても似つかぬ、落ちるところまで落ちてしまった女の姿だ。

501儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:18:44 ID:nKYEabcw0
「ですが、それもここまでです。貴方の死で、私はもう何も恐れることはなくなる」
「ぐっ……だが、この状況で君も、僕も撃てはしない。ここで死ぬ気がないならな」

 英二はベレッタを、弥生は機関銃らしきものを肩から吊り下げお互いがお互いへと向けている。
 弥生の願いは一度会って知っている。いやそうでなくとも十分に想像ならつく。
 どれだけ一緒にいたと思ってる。

 英二は吐き捨てつつ、ベレッタの銃口を弥生にポイントし続ける。
 由綺を生き返らせる。彼女をスターダムに押し上げる。どこまでも純真で愚直な弥生のただ一つの願い。
 そうすることでしか生きる術を持たない、哀れなほど小さく弱々しい弥生の願いだ。

 だがその願いを叶えるなら弥生は必ず生き延びて優勝しなければならない。
 今は二人で優勝できるだとか言っているが、コンビを組んだとして、片方だけ生き残っても由綺を生き返らせてくれ、
 などと言うはずがないと弥生は思っている。そういう人間なのだ、弥生は。
 だから彼女は絶対に死ねない。そうであるはずに違いなかった。

「そうでしょうか。私は、そうは思いません」
「なに……?」

 構えを崩さぬまま、弥生はニヤと口元を歪める。この状況こそが予定通り、そう語っているかのようであった。
 そう、英二は気付いていなかった。

 英二が動けぬ状況に仕立て上げることこそ弥生の思惑で……既に、英二にはチェックメイトがかかっていたのだと。

     *     *     *

 鎮静剤らしきものを見つけて、手探りのような感じで注射してみたものの痛みは僅かに引いただけで、
 全然効果らしいものはない。治療を施してもいない脇腹からは未だにだらだらと血が流れ続けている。
 現実ってやっぱり上手くいかないものですねと思いながらも、だからこそ抗いようがあると気合を入れ直す。

502儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:19:18 ID:nKYEabcw0
 英二が診療所から出ていって何分が経過しただろうか。外からは雨に混じってけたたましい爆音が聞こえてくる。
 向こうも必死に踏ん張っている。ここで寝ていては示しがつかない。
 美坂栞はよろよろと体を起き上がらせると、M4カービンを杖のように支えて立ち上がる。
 大丈夫。動ける。まだ動ける。何度も自身にそう言い聞かせ萎え切っている体を鞭打って動かす。

 まったく、本当に変わってしまったものだと苦笑する。ここまで自分が生きていることも奇跡なら、
 こうして体を動かせているのも奇跡。

 起こらないから、奇跡って言うんですよ。

 己を総括していたはずの言葉が今は馬鹿らしいものにしか思えない。ただ、奇跡の捉え方については変わった。
 奇跡は起こってなどはくれない。自分から何かをする意思がなければ奇跡は起こりようがない。
 ここに来る前の自分はただ望んでいただけだった。何もしようとせず、何も望まず、何も信じず、
 抜け殻のように過ごしていただけだ。それでは何も変わらない。奇跡だって起こせない。

 己が前に進もうとする意思。翳りのない未来を目指すのも、自己満足を成し遂げるだけでも、
 意思がなければ達成しようがないのだ。諦めだけに満たされていた自分に奇跡などあるはずがなかった。
 だから、今は自分自身で歩く。望んだ結末を目指すために、風の辿り着く場所へと行くために。
 ゆっくりと、しかし確実に歩みを進めて診療所から外への扉を開ける。

「ご苦労さん。ええ根性や。……が、ここまでやな」

 扉を開けた目の前。そこには銃を構えた傷だらけの女がいた。
 誰だ、という疑問が飛び出す前に銃の筒先が栞の体をポイントし、何の前触れもなく銃弾が栞を撃ち抜いた。
 すとんと体が崩れ落ち地面に突っ伏す。そこでようやく、栞は待ち伏せされていたのだと気付いた。

 恐らくは英二の言っていた追っ手。一人だけではなかったのだ。
 前のめりに倒れたせいかM4が身体の下敷きとなって、どうやら武器を奪おうとしたらしい敵はちっと舌打ちを漏らす。

503儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:19:38 ID:nKYEabcw0
「まあええわ……死体は動かへんしな。取り敢えずは邪魔な要素を排除できただけでよしとせな、な。
 後は篠塚が上手くやって、うちが男の方にトドメを刺す……か。ホンマいけ好かへんけど使えるわ」

 薄れてゆく意識の中、敵の立てた策にかかっていたのだと栞は自覚する。
 狙いは最初から各個撃破で、陽動を目論んでいることなど既にお見通しだったということか。
 元々ギリギリで動いていたところにさらに銃弾を撃ち込まれ、完全に力が抜け切っていた。
 視界も徐々に霞み、自分の命を支える砂時計が加速度的に落ちてゆく。

 ここまでか。もはやどうしようもない事態になっていて、自分ができることなどなくなってしまった。
 当然の帰結なのかもしれない。虚勢を張ったところで、訓練紛いのことをしたところで肉体的に弱いというのは変わらない。
 自分より強い存在に遭遇すれば為す術もない。現実はそんなものだ。

 ――だけど、このままでは皆が死ぬ。自分だけではなく、英二もリサも、皆死ぬ。それでいいのか?
 自分が死ぬからといって全てを諦め、投げ出してしまう程度の人間だったのか、自分は?
 嫌だという思いが衝動的に突き上げ、栞の指に力を入れさせる。

『ほら、しっかりしなさいよ。まったく、私がいないと全然ダメなんだから、栞は』

 ため息をつきながらもしっかりと栞の手を取り、銃に手を添えさせてくれる存在がいた。
 どこか冷めていて、でも頼りがいのある声は……自分の姉だ。

『いいか、思いっきりやれ。遠慮することはないんだ。雪合戦だ、やっちまえ』

 茶化すように煽りながらももう片方の手を添えさせてくれている存在がいた。
 ニヤリと不敵な笑いを浮かべている声は……相沢祐一だ。

『栞ちゃん、ファイトだよっ』

 羨ましすぎるくらいの元気さで両腕に力を入れさせてくれる存在がいた。
 かけがえのない友達で、自分にも元気をくれる声は……月宮あゆだ。
 それだけではない。たくさんの存在が自分に力を分け与えてくれている。

504儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:19:57 ID:nKYEabcw0
 気をつけて。ドジるなよ。しっかりやれ――砂時計の残りは僅かだったが、皆が踏ん張り、漏れ出すのを抑えている。
 後は自分だけだ。やるべきことをやり、為すべきことを為すために。
 血まみれの手でM4を握り、リサに叩き込まれたことを反芻する。

 頬と右肘でストックを固定する。右膝をついて、左足のつま先は目標に向ける。
 ライフルは右膝に対し約80〜90度開き、左肘は左膝の前方に出す。
 そして腿と左足のふくらはぎは出来るだけ密着させる事。体重は出来るだけ左足に多く掛け、
 左足は地面に平らにおき、前方から見て垂直になるようにする――

「まだ、勝負は、ついて……!」
「な……!?」

 栞の声を捉えた敵が驚愕に満ちた表情となって振り向く。死んだと思った相手が再び起き上がり、
 しかも銃を向けているのなら尚更だろう。必死に銃口を向け、こちらをポイントしているがもう遅い。
 敵が銃口を引いたのと同時に栞も最後の力を使ってM4の銃口を引き絞った。

     *     *     *

 けたたましい銃声と眩しいくらいの光が辺りを包む。
 晴子の放った銃弾は栞の胸部、心臓を撃ち抜き即死させていたが、
 栞がフルオートで放ったM4のライフル弾もまた晴子の肺や内臓をことごとく破壊し致命傷を与えた。
 かはっ、と血を吐きながら晴子はよろよろとよろめき、診療所の壁へと背中をもたれさせ、
 そのままズルズルと身体を落としていった。

 馬鹿なという驚きと信じられないという気持ちがない交ぜになり、晴子から闘志の全てを奪った。
 焦りすぎたのか。それとも弾丸を温存しておきたいという思考が仇となったのか。
 心臓を撃ち抜かれながらも満足げに微笑み、してやったという風情の顔になっている栞を見て、
 どちらでもないと晴子は確信した。

505儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:20:27 ID:nKYEabcw0
 執念が足りなかった。絶対に優勝してやろうと決意していたが、
 所詮夢物語だと冷めた目で見ている自分がいるのに気付けなかった。
 相手はそうではない。目前の敵を倒すためだけに全力を傾けていた。温存なぞ微塵も考えず、やるだけのことをやった。
 その結果が相打ちということか。そう結論した晴子はやはり弥生のようにはなりきれないと嘆息するしかなかった。

 そう、実際晴子には『まず重傷を負っている栞を殺せ。然る後に弥生の元へ駆けつけ、機を見計らって英二を殺せ』
 と言われて、栞を狙った時点である種の慢心があった。
 重傷だから拳銃一発で死ぬだろうという思い込み。
 また武器を温存しておきたいという思考がVP70を連発させなかった。
 そして何よりも、晴子が考えた通り、彼女には『現在』に対する執念が栞に劣っていた。

 観鈴を殺した連中への報復は考えていたもののそれは漠然とした参加者全体に対してでしかなかったし、
 また仮に優勝したとして本当にクローンとして再生できるのか。
 現実主義者の晴子にはここが疑念として残ってしまっていた。

 つまるところ、晴子は自棄にしかなっていなかったのだ。恨みと憎悪を撒き散らし、強い信念も持てず、
 子供のように暴れまわることしか出来なかった。
 弥生みたいになりきれないとはそういうことだった。くそっ、と吐き捨てた晴子はぼんやりとした意識のまま、
 娘の観鈴のことを思った。

 たとえ自棄になっていようが、晴子の母親としての気持ちは本物だった。ずっと一緒にいたかった。
 やり直して、二人で仲良く暮らしていきたかった。お祭りを一緒に楽しみたかった。花火を二人で見たかった。
 誕生日を祝ってやりたかった。髪を切ってやりたかった。抱きしめてやりたかった……

 もう叶わない。分かりきっていたことを今更思い知らされると同時に、
 やはり観鈴の死を受け止めている自分がいることにも気付く。
 晴子はどこまでも人間でしかいられなかったのだ。

 けれども、と晴子は思った。この部分だけはきっと娘も許してくれるはず。妄想や夢想でしか生きられず、
 そのために化け物に成り下がらなかったことだけは許してくれるだろう。……同じ天国に行けたらの話だが。

506儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:20:45 ID:nKYEabcw0
「は、はは……ああ、無理やな」

 天国など元より信じていない。仮にあったとしても地獄行きだろう。何せ人を殺している。
 それが母親をやってこなかった自分に対する罰なのだろうと断じて、晴子は目を閉じた。

 荒かった息が徐々に収まり、上下に揺れていた身体もゆっくりとその動きを止める。
 そして一滴、涙を雨に混じらせたのを最後に、神尾晴子はその生を閉じたのだった。

     *     *     *

 思い通りに行っていた。
 車で英二を追い回し、疲れたところで晴子が乱入し銃で射殺する。
 更にもう一人は自分が英二と戦っている間に殺すように言ったので援軍など在り得ない。

 戦いをわざと長引かせたのもそのため。晴子が十分に第一の使命を果たすための時間稼ぎをしていた。
 最後の最後、ブレーキをかけきれずに木に激突してしまい思わぬダメージを負ったのは計算外だったが、
 少し打ち身をしただけで重大な問題ではない。
 後はこうして互いに銃を向け合っているが、英二の身動きは封じたも同然。
 自分は晴子が撃ち殺しに来てくれるのを待てばいいだけだった。

 晴子はこの作戦を聞いた時「いいのか」と尋ねてきたが、誰が英二を殺したかに意味はない。
 英二が死ぬという事実のみが重要なのであって、自身で葬りたい気持ちはあったものの、
 敵討ち自体に執着はしない。自分が生き、英二は死んだ。そう認識出来さえすれば良かった。
 そう、睨み合うふりをしつつ待つだけで良い……そのはずだった。
 遅すぎる、と弥生は苛立つ。

 英二を殺してくれるはずの晴子がいつまで経っても到着する気配を見せない。
 どんなに周りを確認してみても静寂ばかりで、人影など微塵も見られないのだ。
 一体何をやっている? 片割れの殺しに手間取っているのか?

507儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:21:11 ID:nKYEabcw0
 だがそんなはずはないと弥生は考える。以前の戦い振りを見る限りではあっさりとやられるようなタマではないし、
 何より相手は重大な怪我を負っている。これだけ晴子に有利な状況で仕留め損ねるなど考えられない。
 では裏切ったのか? こうして自分と英二が共倒れになるのを待っているというのだろうか?
 いやそれもない、と即座に否定する。ここで自分を見殺しにしたとしてメリットがなさすぎる。

 まだまだ生き残りはいる。ここから先、怪我だらけの晴子一人で戦うにはあまりにも敵が多すぎる。
 武器を独り占めするという考えもないはずだ。そうして貴重な人的資源を失うデメリットは晴子だって知っている。
 自分と本質を同じくし、汚点を消すことに賛同してくれた晴子に裏切る要素などどこにもない。

 ではまさか、逆に殺されたとでもいうのだろうか。それこそお笑い話に過ぎない。
 戦闘になって苦戦するという想定以上に在り得ない話ではないか。
 ならば一体、何が起こっている、この状況で?

 弥生の構えるP−90が少しずつ揺れ、焦りが表面に出始めたときだ。
 己の瞳をずっと眺めていた英二が哀れむような、悲痛な表情を湛えながら、ぽつりと漏らした。

「無駄だ。もう君の援軍は来ない。どんなに待ったって、な」
「なっ」

 作戦を読まれたことに思わず声を上げてしまう。本当だとばらしてしまった事実に気付き、
 弥生は舌打ちをしたがすぐに平静を取り戻し「何故そう言い切れるのです」と注意を英二に向けた。

「……やはり、君には聞こえなかったみたいだな」
「……もったいぶらずに説明してくださるかしら」

 弥生の声に怒気が篭もり、スッと目が細められた。だが英二はそれに動じる風もなく、淡々と話し続ける。

「君が車で突っ込んできたとき、銃声が聞こえたんだ。それも複数の、何発もの銃声が」
「……」
「それで僕には分かってしまった。君の仲間と、栞君が相打ちになってしまったのだとね」
「あり得ません」

508儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:21:47 ID:nKYEabcw0
 ぴしゃりと撥ね付けるように弥生は否定する。弥生の想定では在り得ないはずなのだ。重傷者相手に、相打ちなど。
 英二はしかし「だがこの状況を説明するにはそれしかない」と続ける。

「君はまだここで死ぬわけにはいかない。二人で引き金を引いて心中、なんて結末にはしたくないはずだ。
 なのに君は交渉をするでもなく、打開策を練っているわけでもなく待ち続けている。どういうことか?
 簡単な話さ。君には援軍がいると分かりきっていた。だから待つだけで良かった。
 膠着状態にしさえすれば良かったのさ。僕を狙い撃ちにしにくる仲間へのお膳立てとして」
「下手な推理ですね」
「どれだけ君と付き合ってきたと思ってる」

 確信を含んだ英二の物言いに、弥生は歯を噛むしかなかった。この男は自分の全てを知りきっているとでもいうのか。
 鉄面皮で隠し、秘匿してきたはずの感情をも英二は読んでいるというのか。……在り得ない。
 だが最初もそうだった。結局はこちらの真意を読まれ、銃撃戦に敗北し、あまつさえ命を長らえさせる結果となった。
 今と同じ表情で、何もかもを見透かしているような透明な目つきで。

「……私が、貴方を殺したいと思っている。そうは考えたことはないのですか。
 貴方の推理では、私は他人に復讐の権利を譲ってしまったことになる」
「その質問が既に答えだ。君が拘るのは森川由綺、ただひとり……そうだろ?
 君はそうすることでしか生きる術を知らない、僕と同じ種類の人間だ。分かるんだよ、同種だからな」

 晴子と同じ言葉を英二は言ってのける。その瞬間、弥生の脳裏に形容しがたい悪寒が走った。
 この男が同種だというのか。由綺のために全てを投げ打てる自分が、妹の死さえ受け入れたこの男と同じだと?
 晴子はまだいい。自分の目的のためなら手段を選ばない強引さと合理性を併せ持ち、賢く生きているのだから。

 だが英二は違う。達成すべき目的も持たず、その場その場で方針を変え何が最初の目標だったかも忘れるような男だ。
 それゆえ英二は自分の汚点だ。相容れられず、さりとて下すことも出来ない存在だった。
 それが今、こうして、チェックをかけたはずなのに……また立ち塞がっている。

509儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:22:05 ID:nKYEabcw0
「……冗談ではない」

 耐え難い怒りが弥生の鉄面皮を破り、底暗い形となって滲み出した。
 この程度の存在が排除できず、優勝など狙えるものか。

 何が何でも由綺を生き返らせてみせる。今までレールの上を歩くようにして生きてこれなかった自分が、
 初めて持った目標。それをこんなところで邪魔されてたまるか。妄執が弥生の身体を衝き動かし、
 よろよろと、しかししっかりと二の足をつけて立ち上がらせる。
 打ち身も古傷の痛みももはや関係ない。ただ許しがたい想念だけが弥生の身体を動かしていた。

「貴方のような惰性で生きているような人が私と同種? そんなことがあるものですか。
 私は夢を諦めてはいない。絶対に諦めず、最後まで遂行し続けるだけです。一緒にしないで下さい」
「だがその夢はただの幻想だ」

 弥生に引っ張られるようにして同じく立ち上がった英二の口調も、聞き分けのない子供を叱る親のものへと変わっていた。
 全身を声にして、確かな感情をもって英二は否定の言葉を重ねる。

「何も変わらず、何も変えようとせず、それでいて自分の思い通りに事が進むと思い込んでいる。
 いや、思ってすらいない。一度思い通りにいかなかったからって思考停止して目を背けている愚か者だ!」
「私を同種と言うなら貴方だって同じだ! 本当に大切なものが何かを考えもしない癖に……!」
「そうだっ! だから『今』から考えようとしているんじゃないか!」
「御託は……もう聞き飽きた!」

 P−90の引き金を引き絞る。もう作戦などどうでもよかった。
 ただこの男が許せない。その一念に駆られて銃を乱射する。
 だが英二は飛び上がると、そのまま車のトランクの上をごろごろと転がり掃射を回避してみせた。

 ボロボロだったはずの英二にどこにそんな力が? 理解できない思いを無視して銃口を修正し、再発射しようとする。
 だが……銃口からは何も出なかった。
 弾切れ――そう認識した弥生の視線の向こうでは、英二が拳銃をしっかりとホールドしていた。

510儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:22:22 ID:nKYEabcw0
「……ゲームオーバーだ、弥生君」

 その表情はあまりにも辛そうで、苦しそうで。泣いているのではとさえ思ったが、
 雨に紛れているだけだと弥生は思い込むことにした。
 認めたくなかった。自分と同種であることも、涙を流しているかもしれないということも、勝てなかったということも。
 自分には運と実力が少し足りなかっただけのことだ。だから悲しんで貰おうだなんて思っていない。

 自分を悲しんでいいのは由綺だけだ。
 だからせいぜい苦しんでしまえばいい。自分を殺してしまった分、苦しみ抜けばいい。
 それが今の自分にできる最大限の反撃だろうから。

 ――でも、それじゃ寂しいですよ。

 いつか聞いた藤井冬弥の声がふと蘇り、ああ、そうかもしれませんねと弥生は苦笑した。
 それでも良かった。夢半ばで倒れる程度の人間にはそれで十分だった。

「寂しい、ですね……」

 そう呟いたのを最後に、篠塚弥生の意識は真っ白な雪に覆われてゆく――

511儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:22:52 ID:nKYEabcw0
ここまでが中編となります

512儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:23:24 ID:nKYEabcw0
「……英二」
「やあ、リサ君」

 疲れた、ただ疲れきった、そんな表情で英二がリサを出迎える。
 周りには一人の人間の体がうつ伏せに転がっており、恐らくは遺体なのだろうと判別できる。
 そして英二自身は車に背中を預けるようにしてもたれかかり、座っている。

 見た感じではどこからも出血はしていなさそうだが、ひどくぐったりとしていることからダメージは大きいらしい。
 いや、単にそれだけではないだろう。英二がひとりでいるということは、
 ひとつ失われてしまったものがあるということだった。

「……栞君は、残念だが、恐らく……」
「……そう」

 暗澹とした思いがリサを包み込む。いざこうして言葉で受け止めてみると辛い。
 間に合わなかったという後悔が胸を軋ませる。肌にかかる雨が冷たくなったように感じられた。
 結局言えなかった。家族のように大切に思っていたのだということも、
 もし帰れたら一緒に暮らしてみないかという提案も……全てが遅きに過ぎた。

「ボロボロだな、君は。だが、強くなった。そんな目をしているよ」
「そうかしら……? 英二は優しくなった気がする、そんな目よ」
「お互い、何か踏ん切りがついたようだな」

 そうらしいと微笑しながらも、それを伝えられる相手がひとりいなくなったしまったことを認識する。
 追いつく前に、肩を並べる前に栞は遥か遠くに行ってしまった。悲しさよりも寂しさの方が先に突き上げる。
 逆に言えばまだそれだけの関係でしかなかったということで、本当に取り返しがつかなくなったなとリサは思う。

 だがこうして自分も英二も生きている。この感情を共有できる相手がいる。それだけでマシなのかもしれない。
 そう考えてリサは英二に手を伸ばした。

「行きましょう。栞の最後、見届ける義務があるわ、私達には」
「……ああ。多分、栞君は診療所の近くにいたはずだ。そこで別れたからな」

 リサの手を支えにして英二はゆっくりと立ち上がった。その傍らの遺体には一丁の銃……P−90が落ちている。
 ついでに拾おうかと思ったが、英二がそれを阻む。

「弾は入ってない。予備弾もなかった。……武器はそれだけだった」

513儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:23:45 ID:nKYEabcw0
 どうやら調べはついていたらしい。あの車はまだ使えるだろうかと次に考えたが、歩いていく方が早いだろうし、
 今は車を走らせられる気分じゃない。栞の本当の最期を見届けたら調べようとだけリサは考えて英二の横に並んで歩き出した。

「ねえ、英二」
「ん?」
「以前レストランとかお酒なら話せる、って言ってたわよね」
「ああ……そうだな、それなりには」

 よかった、とリサは柔らかく微笑する。英二はというとまったく脈絡のない話題に目をしばたかせ、
 何を企んでいるんだという風に首をかしげている。別に他意なんてないのに。内心にため息を吐きながら続ける。

「私とディナーの約束をしてくれないかしら? お店は貴方に任せるわ」
「は? おいおい、何をいきなり」
「私じゃ不満?」
「そういうことではないが……」

 ここの殺伐とした雰囲気とはあまりに場違いな提案に戸惑っているのか、英二は考えあぐねているようだった。
 自分も口には出してみたものの実におかしなことを言っていると思う。
 そもそも生きて帰れるかさえ分からない状況で、今は仲間の死を確認しに行っているというのに。
 不謹慎だと思う一方、やりたいようにやればいいと思う自分もいる。後悔だけはしたくない。それは本心だったから。

「一度貴方とゆっくり話してみたいのよ。落ち着いた場所で、じっくりとね」
「……ふむ」

 英二は眼鏡を直し、まじまじとリサを見つめる。あまりにも真剣な目で見るので気恥ずかしいとも思ったが、
 じっと英二の答えを待つ。せかすつもりもない。思うに任せてやったことなのだから。

「了解だ。こんな美人の誘いをお断りするなど男のすることじゃない」
「光栄ね。褒め言葉と受け取っておくわ」
「あまり期待はするなよ、僕だってそんなに詳しいわけでもないからな……ん?」

514儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:24:02 ID:nKYEabcw0
 英二が声を上げたのと同時にリサも発見する。
 診療所の近くには『三人』の人間がいた。ただし一人はうつ伏せに、一人は壁にもたれて座りながら、
 そしてもう一人は様子を確かめるように倒れた二人の体を触っていた。

 髪型は栞に似ていて少しドキリとしたリサだったが服装が明らかに違う。
 そしてあの戦々恐々とした様子は、今しがたこの現場を発見したというところだろう。
 何にせよ、このまま好き勝手に仲間の遺体を弄らせるわけにもいかない。そのために自分達はやってきたのだ。

「そこの子、ちょっといいかしら」
「!? は、はいっ!?」

 思い切り動揺した裏声で応じられる。どうやらこちらの存在にも今気付いたらしく、リサと英二は顔を見合わせる。
 取り合えず敵意はないというように手を上げながら二人は近づく。

「この子はね、僕達の仲間だった子だ。……ちょっと悪いけど、席を外してもらえないか」
「え、え、は、はぃ……」

 緊張しながらも素直に言葉に従い距離をとってくれたが、どこか挙動がおかしい。
 常に視線を動かし、まるで何かに怯えているようだ。探ってみる必要性があると考えたリサは栞に近づくと、
 その額を撫でて、持っていたM4を取るとそれで別れの儀式を済ませる。
 僅かに温かさを感じる。最後に残した栞の余熱を覚えて、リサは立ち上がった。

「それだけでいいのか?」
「いいの。……それより、あの子、おかしい」
「おかしい?」
「何か落ち着きがない。それに見て、あの首輪。何かチカチカ点滅してる。……柳川と会ったときもそうだった」
「トラブルがあるということか。確かに、ここにあんな子が一人でいるというのもおかしな話だ」

515儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:24:22 ID:nKYEabcw0
 任せたという風に頷き、英二は荷物の回収を始める。栞への別れは後でするつもりなのだろう。
 或いはもう心中で終えているのかもしれないと思いながら、リサは「さて」と話をする相手を切り替える。
 わけありと見るのが妥当なところだ。……ひょっとすると、柳川のことも少しは分かるかもしれないと思いながら話しかける。

「自己紹介しないかしら? 私はリサ……で、あっちにいるのが緒方英二。貴女の名前は?」
「ふ、藤林……椋、です」
「なるほど、じゃあ藤林さん? ……その首輪について聞かせてくれないかしら? 何故点滅しているのかを、ね」
「!? そ、それは……」

 明らかに動揺した様子でうろたえている。やはり何かあるらしい。万が一のことを想定して油断なく気配を探りながら、
 リサは「落ち着いて。話せるならでいいから」と肩を叩く。余程怯えているのか呼吸するのもままならなさそうだったが、
 次第に平静を取り戻し、微かに聞こえる程度の小声で話し出した。

「実は、その……お、脅されて、いるんです」
「脅されている……?」

 不意に嫌な予感が駆け巡るがまずは話を最後まで聞こうとリサは考え、続きを促す。

「私、ずっとお姉ちゃんを探してて……それで藤田浩之さんって人と一緒に行動していたんです。でも、
 ある人と会って、出会い頭にリモコンを押されたんです」
「リモコン?」
「この、首輪の爆弾を起動させた、って……私も、藤田さんも」

 首輪爆弾を起動させるリモコン。そんなとんでもないものが参加者に支給されていたと知り、リサは戦慄を覚える。
 だとするなら柳川がああなったのは、実質あのリモコンのせいだということか?
 家族に裏切られた挙句、殺しを強要させられた。だとしたらあのようになっていたのも頷ける。

 この藤林椋も同じ境遇だと考えたほうがいい。解除してほしければ人を殺せ、などと言われれば頷くしかない。
 ましてや椋の怯え振りからすれば相当強要されたと言って過言ではない。
 いくつか怪我も負っているが……まあ、それについては大体想像はつくし、
 ここまで来れば戦闘に巻き込まれていない方がおかしいというものだ。それよりも大事なことを聞いておく必要がある。

516儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:24:42 ID:nKYEabcw0
「いつ爆発するの?」
「……12時間後です。それまでに三人殺せ、と言われました」
「貴女の相方は?」
「バラバラにさせられました。二人で歯向かわれても困るから、って」
「なるほど。じゃあどうして私達を攻撃しなかったの?」
「……それは」

 わざと回答に困るような質問をしてみる。首輪爆弾を起動させられたのは間違いないだろう。
 だが普通なら生存欲求が働き、こちらを攻撃してくる可能性が高いはずだ。
 無論そのときにはこちらも反撃していただろうが、彼女はそうしなかった。単に数の有利不利を見たのか、それとも……
 しばらく待ってみたが、椋は困ったように口を閉じて何も言おうとはしなかった。

「オーケイ。悪かったわね、変なことを言って。ちょっと試しただけ」
「た、試した……?」

 呆然とした様子で返事をした椋に、「ええ」とリサは笑いつつも悪びれもなく続ける。

「何か言い訳してくるようなら怪しい……って思ってたところよ。まあ殺しはしなくても縛るくらいのことはしてたかな。
 でも貴女は何も言わなかった。ならたとえ殺す度胸がなかっただけなのだとしても今こちらに危険はない。
 そう思っただけよ」
「……」

 何とも言えない表情をしているが取り敢えずは納得したのか椋は無言で頷く。
 椋がどう思っているにしろ、犯人の目星はついている。
 柳川が最期に言い残した人の名前……宮沢有紀寧が下手人だろう。

517儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:25:05 ID:nKYEabcw0
 そのやり方を見る限り、かなり狡猾で容赦がない。
 こんなことをしている時点で人の命を軽視しているとしか考えられないのだから。
 それに保身能力も高い。二人で組ませ効率よく殺させるメリットを捨てながらも二人をバラバラに行動させ、
 なるべく自分の身に危険が及ばないようにしている。

 更に柳川を裏切ったという家族の存在も気にかかる。宮沢有紀寧と一緒にいるのか、それとも単独行動なのか、
 或いは既に死んでしまっているのか……
 椋の口からは有紀寧は一人のように思えるが別行動していたことも考えられる。
 とにかく、最大限有紀寧の存在には注意を払わねばならない。

「リサ君、どうだ?」
「厄介なことになってる」

 荷物を回収してきたらしい英二があるものを投げて寄越す。M4のマガジンだった。
 まだ四本分きっちりと残っており、栞がこれを使ったのは最後の最後だったのだろうと思わせた。
 デイパックに仕舞うと他に何か物はなかったかと尋ねてみるも英二はいや、と首を横に振った。

「ハンマーが一つだけだった。銃の方は弾切れだ。……弥生君達の装備はかなり悪かったみたいだ」

 そんな状況でも、戦い続けるしか生きる術を知らない。言外にそう語る英二の表情は渋面だった。
 しかしすぐにそれを打ち消すと「そっちの話も聞かせて欲しいな」と椋の方を見る。

「ええ。でも一旦戻りましょう。あの車、まだ使えるかもしれないから。話は歩きながらするわ」

 二人も頷き、賛同の意を示してくれたようだった。
 同意を得たリサは歩きながらこれまでのあらましを説明する。

518儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:25:33 ID:nKYEabcw0
「リモコンの件だけど、恐らくは解除も出来るはず。そうでなければこのリモコンは使えない。
 だって、解除できないと分かったら自棄を起こして歯向かって来るかもしれないからね」
「だがその犯人が嘘をついていることもあるんじゃないか?」
「確かにね。でも万が一誤作動して自分の首輪が点滅したとしたら……必要でしょ? そういうものが」
「……本人が持っていないという可能性はあるが。確かに、理にはかなっているか。それと、椋君、だったか?」
「は、はい?」
「君のお姉さんに会ったことがある。君を探すと言って別れてしまったが……心配していた、君のことを」
「っ! 本当ですか!? 何もおかしなところとかはなかったんですか?」
「あ、ああ。まあ随分前の話……だが」
「そうですか……良かった」

 それまでの暗い表情から一転して華やいだ表情を見せる椋。
 へえ、とリサも興味を示す。英二が椋の姉と会っていたとは。
 別れているとはいえ、家族が心配しているのを伝えられれば少しは安心するだろう。

 そう、別れているよりは一緒の方がいいに決まっている。
 仕事の都合とはいえ会えない日々が続き、最後には物言わぬ形でしか目を会わせられず、
 一度は復讐の塊になってしまった自分という存在がいるのだから。
 なるべくなら、姉妹を無事に会わせてやりたい……そう考えながら車のところまで戻ってきたときだった。

 車の近くに二人の人間がいる。一人は男、もう一人は女だ。
 女の方はどこかで見た事がある髪型だ。一体誰だっただろうか? だがすぐにその疑問を打ち消すと、
 新たなる来訪者が来たことを英二と椋に告げようとする。今日は客が多い……そんな風に言おうとした。

「あ、あ……!」

 何故ここに――そう言って差し支えないほどに目を驚愕の形に見開いた椋が半歩後ずさっていた。
 同時、こちらに気付いたらしい二人組が叫びながらこちらへと走ってくる。その内容にリサも、英二も耳を疑った。

 『離れろ。そいつは、藤林椋は殺人鬼だ』――と。

 椋が殺人鬼? そんな馬鹿なと思いながらも決死の勢いで叫ぶ二人組にリサの勘がヤバいと警笛を鳴らす。
 何故出会った時点で攻撃してこなかった、何故こんなにもうろたえている?
 疑問はつきなかったが、嘘と断じるにはあまりにも証拠が足りなかった。

519儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:26:10 ID:nKYEabcw0
 混乱しながらもまずいと判断したリサは椋から離れようとしたが、予想外にも対応は椋の方が早かった。
 既に彼女は自身のデイパックからショットガンを取り出し、筒先をリサ……引いては、あの二人へと向けていた。
 その目は既に、怯えるだけのか弱い少女のものから凶悪さを含んだ殺人鬼のものへと変貌している。
 M4で応戦しようにも遅い――撃たれるのを覚悟したリサの体にぶつかってきた人間がいた。

「危ない!」

 英二だと分かった瞬間、耳をつんざくような発砲音が聞こえ、英二の片手を吹き飛ばした。
 至近距離で放たれたショットガン、ベネリM3の散弾がまとまったまま英二の手に命中し、
 肉や骨ごと根こそぎ吹き飛ばしたのだ。

「が……ぁっ!」

 激しく出血した英二だがショック死は免れたようだった。リサは英二を支えつつ、己の目測が外れたことを実感する。
 だが疑問は残っていた。演技だったということは分かる。分かるが、何故最初に会ったとき、
 いや遺体を調べているときに撃ってこなかったのだ? 奇襲をかけるなら絶好のチャンスだったはずなのに。
 二人とも殺せないと思ったからなのか? それとも本当に驚いただけだったから?

 ……違う。物音を立てたくなかったからだ。あの二人に見つかるのを避けたかったから。
 派手な戦闘はしたくなかったからというのが推論として浮かぶ。
 しかしそれだけではない気がする。自分はまだ何かを見落としている。決定的な何かを……

 とにかく安全な場所まで移動しようと英二を引っ張る形で移動し始める。警告してきた二人は攻撃を回避できたようで、
 それぞれ武器を持って椋と対峙していたようだった。
 椋は半ば乱射気味に二人の方へベネリを撃ち放すがショットガンは遠距離から狙い打つには向かない。
 二人はしっかりと回避し反撃の体勢を取る。
 勝てるか……? リサが三人の戦いに一瞬意識を向けたとき、支えられていた英二が叫んだ。

「リサ君ッ! 向こうに……!」

520儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:26:32 ID:nKYEabcw0
 手のない腕で椋の後ろ側を指す。そこにはまたしても新しい人影が現れていた。
 マシンガンを持った小柄な少女。恐らくはMP5Kであろうものを抱えて、こちらへと狙いを定めていた。

「計画がちょっと狂っちゃったみたいだけど……結果は同じだよ。皆殺しにしてあげる」

 計画、と少女が口にしたとき、リサの中で見落としていたパズルのピースが見つかった。
 周到に包囲していたのだ。藤林椋を囮に使い、彼女を誰かと出会わせた上でしばらく泳がせ、
 人数が増えてきたところを他の仲間の射撃と椋の内部からの攻撃で一網打尽にする。
 内と外からの同時攻撃。それが狙いだったのだ。だとするとこの近くには宮沢有紀寧がいる。

 これだけ大掛かりな作戦だ、指揮をとる宮沢有紀寧がどこかで見ているはずだった。
 だが、遅きに失したと言わざるを得ない。待ち構えていたのか少女の銃口は確実にこちらを捉えており、
 英二を連れたままの状態では掃射を回避することもままならない。
 何より、この作戦を見抜けなかった時点でこちらは詰んでいた。
 完全に出し抜かれた……そんな敗北感に駆られたリサの体を、叱咤するように英二が突き飛ばした。

「!?」

 片手を吹き飛ばされたとは思えない力は、恐らくは最後の力を振り絞ったものだったのだろう。
 力を使い果たした英二は口元に微笑を浮かべていた。
 直後、弾丸の雨が降り注ぎ、体を細かく跳ねさせる。
 銃弾の雨に貫かれ、身体中から血を噴出させながら、英二は首をゆっくりとこちらへ向けた。

「愚直に、過ぎたかな……?」

 微笑を含んだままの声で、彼は最後にそう言った。
 そうね、という返事が喉元まで突き上げ、しかしそれは言葉にならなかった。
 愚直に過ぎた。何も話していない。酒を酌み交わしてもいない。
 貴方は本当にそれでやり通せたのか。分からないじゃないか。
 私はまだ、自分の本当の名前すら教えてもいないのに……

521儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:26:50 ID:nKYEabcw0
 だが言葉にならない哀しみをすぐに怒りに変え、リサは眼前の敵を見据えた。
 泣いている暇はない。泣いていたら殺される。自分の何も伝えられないまま。
 それより何より……あの女は、私を本気で怒らせた。

 地獄の雌狐を出し抜いたことを称賛しよう。そして、後悔させてやる。
 全身の血液を猛然と沸騰させ、リサは限界の体を引き摺って戦い始めた。

     *     *     *

 また人が死んだ。
 ここに来たときには車の近くで一人死んでおり、今もまたこうして一人が命を落とした。

 一体何があったのかまだ想像もできないし、結論から言えば出遅れた自分達には当然の結果なのかもしれない。
 だがこれだけは分かる。恐らくは観鈴を殺し、みさきを殺し、珊瑚をも殺した藤林椋という仇敵が目の前にいる。
 性懲りもなく獅子身中の虫を気取って入り込もうとしていた奴がいる。

 これ以上誰かに後悔させてたまるかという気持ちを振り絞って自分と、傍らにいる瑠璃も叫んでくれた。
 後で問い詰められようと構わない。とにかく、あいつだけは倒さなければいけない。
 生かしておいちゃいけないという強い信念が体を動かし、一度は間に合わせたと思った。

 だが椋は周到さを増しており、今度は共闘相手まで連れてきた。
 あくまでも殺しに罪悪感を感じる気も、やめる気もないらしいと悟った浩之は、もう言葉もかけまいと思う。

 どんな理由があっても、どんなに大切な家族がいてもそれは悲しみや憎しみを撒き散らしてまで守るものなのか。
 人と人の繋がりを構成する命を断ち切って、まるで何も思わないのか。
 おれは許さない。奪ってまでしがみつこうとする奴を絶対に許さない。
 自分の未来はもう明るさを取り戻せないのだとしても、人の未来、翳りのない明るい道は守れる。
 だからそのために、ただ戦う。

522儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:27:23 ID:nKYEabcw0
「てめぇっ!」

 新たに現れた小柄な少女、柏木初音に対し浩之は火炎瓶を投げる。
 雨の中だったが小降りなお陰で威力はそれほど損なわれなかった。一気に膨張した炎が初音を包もうとするが、
 距離の長い投擲であったために初音は回避動作に移っており、炎から逃れ椋と合流する形でまとまる。
 一方の浩之と瑠璃にも金髪の女性、リサ=ヴィクセンが合流し、三人は遮蔽物となっている車の陰へと身を隠した。
 壁ができたことで銃撃の嵐は一旦なりを潜め、つかの間の静寂が辺りを支配した。

「助けてくれてありがとう。まず礼を言わせて。……リサ、リサ=ヴィクセンよ」

 そう名乗ったリサが差し出した手を、この状況でいいのかと一瞬躊躇しながらも浩之も名乗って手を取った。
 浩之の名前を聞いたときリサは不意に首をかしげたが、今は気にしなくてもいいと思ったのかそのまま瑠璃へと視線を移す。
 瑠璃も「姫百合瑠璃です」とリサの手を握ったが、表情は心なしか申し訳なさそうだった。

「でも、その……間に合わへんで、ごめんなさい……もう少しウチらが早かったら」
「そうね、間に合ったかもしれない。でも私にそれを責める気はない。英二は望んで私を助けた。
 ……それで満足に生きられたのかは分からないけど、一緒に死ぬはずだった私を生かしてくれた。
 だから私は何も言わない。何も言わず、ただやり通すだけ。今はそうしましょう?」

 ふっと大人の笑みを見せたリサに、まだ引け目を感じている風だったが瑠璃も応えて「そうやな」と笑った。
 強いな、と二人のやりとりを見て浩之は思う。恐らくは心を通わせあっていた仲間を失いながらも、
 自分の為すべきことを見失わずに目を逸らさず進もうとしている。リサにはそういう強さがある。

 羨ましいと思う一方、己には無理だと悟りきっている他人のような自分がいる。
 空虚になるのも是としているのだから……
 しかしリサの言う通り、今はただやり通そう。どうこう考えるのはそれからでいい。

「さて、一気にケリをつけるわよ。敵さんもそう考えているようだしね。そっちは何を持ってるの?」

523儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:27:43 ID:nKYEabcw0
 リサの持ち物はM4というアサルトライフル、接近戦用の木製トンファーだった。
 浩之はショットガン、瑠璃は小型ミサイルの発射装置を出してみせる。

「……そういや、そんなもん持ってたな」
「強力過ぎて使いどころが分からへんのやけどな。家一軒吹き飛ばせるらしいし」
「いや、それがあればもう作戦は決定よ。いい、耳を貸して」

 瞬時に戦法を組み立てたらしいリサに、浩之と瑠璃も真剣な面持ちで聞き入る。
 一通り聞き終えた浩之は、なるほどこれなら倒せると納得する。
 しかしこれだけの戦法を一瞬で考えられるリサという女性、一体何者なのだろうという疑問が浮かぶ。
 ここに来るまでの身のこなしもいいように見えたし、ただの外人金髪ねーちゃんというわけではなさそうだ。

「でも私と貴方……浩之が少々危険な目に会うわ。いや死ぬかもしれない。覚悟はいい?」

 リサの問いに「ああ」と浩之は寸分の迷いもなく返答する。うだうだ迷っている暇はない。
 手をこまねいていると向こう側から仕掛けられるかもしれない。瑠璃は不安そうだったが、
 浩之が自信に満ちた表情で応えると、心配を苦笑に変えてくれた。

「でも……そうだ、ちょっと時間をくれへんか?」
「何を?」

 ちょっとした御守りや。そう言ってデイパックの中身をひっくり返し、持ってきた缶詰をデイパックに詰めていく。
 なるほどね、とリサは感心したそぶりを見せ、ならその間少しでも牽制しようとリサは車から身を乗り出し、
 M4で射撃を開始した。浩之も続いて援護射撃に回る。

 隙あらば側面に回り込もうとしていたらしい初音と椋は、
 いきなり再開された射撃に慌てながらもしっかりと撃ち返してくる。

 車に銃弾が当たり甲高い反射音を細かく刻む。貫通する危険性は低そうだが、
 万が一燃料タンクを貫いてしまったらという不安が頭を過ぎる。リサもそう思っているのか、
 敵に行動を取らせないように細かく発砲を続ける。

524儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:27:59 ID:nKYEabcw0
 リズム良く、流れるような一連の行動は十二分に足止めの役割をも果たしていた。
 援護なんて必要ないんじゃないか、と思いかけた浩之の前に「出来たで」と瑠璃が少し重たくなったデイパックを差し出す。

「気休めかもしれへんけど……盾にして。ええな、死んだらあかんで、絶対や」
「たりめーだ」

 苦笑で返した浩之は肩にデイパックを抱え、ショットガンに銃弾を再装填し、己の準備が終了したことを伝える。
 頷いたリサもM4のマガジンを取替え、地面に転がっている持ち物から使えそうなものをいくつか見繕った。

「よし、それじゃ……ミッションスタートよ」

     *     *     *

「いい? 逃げ出そうだなんて思わないでね。あなたは最後まで戦うんだよ。最後まで、ね」
「わ、分かっています……」

 牽制的にライフルを撃ち放してくるリサの射撃を動きながら避ける一方、初音は椋の様子にも目を光らせる。
 椋はカタカタと震えながら仕方のないといった感じで初音について回っている。
 どうやら手持ちのショットガンはほぼ弾切れになってしまったらしく、残りが数え二発しかないらしい。

 他に射撃できる武器もなく、この距離から反撃できるのは初音だけという状況だった。
 だが初音のクルツは残弾十分でたった今もマガジンを交換したがそれでも残りは八本もある。
 長期戦に持ち込めれば勝てる。どこかで自分達の戦い振りを見ているであろう有紀寧の視線を想像しながら、
 初音は必ず仕留めると誓う。

 当初の予定ではまず椋を潜入させ、適当に人数が揃ったところでまずこちらが襲撃をかけ、
 向こうがこちらに気を取られた瞬間椋が内側から攻撃を仕掛けさせ、内と外からの二段構えの攻撃をする作戦だった。
 素早く殲滅できればそれでよし。失敗しかかっても外側にいるこちらが逃げればいいだけでそれほどリスクはない。
 椋が行った後にそう言った有紀寧の作戦は完璧で、流石は自分の姉、やることが違うと感心し、尊敬さえした。
 有紀寧の言う通りやれば上手くいく。全てが上手くいくはずだった。

525儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:28:43 ID:nKYEabcw0
 が、椋は何をトチ狂ったのかいきなり射撃を仕掛け、こちらが仕掛ける前に戦闘が始まってしまった。
 椋の勝手すぎる行動に初音は心底怒り、もう放って見殺しにしようと進言したが、
 有紀寧はまだ間に合うと断じ、一人くらいは殺せると舌打ちしながら現場に行こうとしたが、初音はそれを押し留めた。

「有紀寧お姉ちゃんが直接出ることはないよ。わたし一人で皆殺しにしてくる。
 あんなヤクタタズのために有紀寧お姉ちゃんがやることなんて、何もない」
「……いいんですか?」
「お姉ちゃんを危険な目に合わせたくないもの。だからわたしがやる。大丈夫、わたしはお姉ちゃんを信じてるから」

 そう言って初音はクルツを持って向かい、現にこうして一人を仕留めることに成功した。
 自分には有紀寧がいる。絶対的な守護神。どんなときでも守ってくれる敬愛する姉。
 だから死ぬわけがない。皆殺しにして帰ればきっと有紀寧が褒めてくれる。家族だった人達の仇も討てる。
 有紀寧に従ってさえいれば全てが上手くいくのに。言いつけを破ったばかりに窮地に立たされかけている椋を見て、
 初音はそれ見たことかと蔑みに満ちた感情を寄越す。

 だがまだ殺しはしない。殺していいのは有紀寧が用済みだと判断したときだ。自分は有紀寧の決定にただ従えばいい。
 初音の持っている感情は従属意識でも恐怖でもなく、純粋な思慕だ。
 この狂った世界においてなお初音に慈愛の精神で接してくれたのは有紀寧だけだった。
 全てを奪われ、寄る辺をなくしてさえ有紀寧は初音を必要としてくれた。
 そして一緒に堕ちよう、と。

 重なる悲劇の中で差し伸べられた手。たとえそれが悪魔の手だったとしても初音は迷わず取っていた。
 必要としてくれる。大事にしてくれる。それだけで有紀寧に全てを委ね、身を任せるには十分だった。

 いや、初音でなくとも誰もがそうしていただろう。
 本当に真っ暗な闇の中、手を差し出されれば縋ってしまうのが人だ。

526儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:29:03 ID:nKYEabcw0
 誰も初音を責めることなど出来はしない。
 初音は意思して悪を為そうとしたわけではなく、ただ心の拠り所が欲しかっただけなのだから……
 柳川と同じく、彼女もまたやさしすぎたのだ。

「……埒があかないね。ねえ椋お姉ちゃん、ちょっと特攻してきてよ」
「と、特攻って! 何を言ってるんですか、こんな状態のまま行っても死んじゃうだけじゃないですか!」
「それがどうしたの?」
「……っ、嘘をついてた癖に……お姉ちゃんを人質にしてるって嘘をついてた癖に!」
「ああ、そうなんだ。へぇ、流石有紀寧お姉ちゃん。誰がばらしたのか知らないけど上手い嘘をつくね」
「……悪魔です……あなたたちなんて、いつかお姉ちゃんが……」
「うるさいよ。そういえば面白いもの持ってたよね。あれ、吹き矢セットだっけ? まだ効果の分からない黄色のやつ、試してみようかなあ?」
「な……」

 ニタリと気味悪く笑った初音に椋はそれまでの怒りも忘れ、吐き気さえ覚えて顔を青褪めさせる。
 だが彼女は逃げられない。逃げたところで待つのは制裁、それも無残な死。

 いやだ、まだ死にたくない。姉と再会し、無事に脱出して平和に暮らす。そのためにもこんなところで死にたくない。
 選択肢は一つしかなかった。特攻して、その上で全滅させる。これしかなかった。
 行くしかないとカチカチ鳴る歯を必死で食い縛り、駆け出そうとしたとき、椋と初音の頭上に何かが投げられた。

「殺虫剤……?」

 呆然とそう呟いた初音は、しかし何かを予期して椋に「逃げて!」と叫び、自身も大きく飛び退く。
 次の瞬間ライフルの発射音が聞こえ、激しい爆発が起こり、爆風が椋と初音を襲う。
 爆発というよりは衝撃の塊だった。爆風に押されはしたものの初音も椋も地面に転がり反撃が出来ない。

 そこにリサと浩之が飛び出してくる。リサは車を乗り越えて初音に、浩之は車を回りこんで椋に。
 先手を取られたと思いつつ、初音はクルツで迎え撃つ。
 だがリサは車から高く跳躍すると初音の目の前へと接近する。

527儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:29:32 ID:nKYEabcw0
 速い。そして高い。咄嗟の機転でデイパックから鋸を取り出し振り回したがM4で受け止められ、
 更に手刀を叩き落されクルツを落としてしまう。
 拾おうとした初音だったがその前に蹴り飛ばされクルツは遥か遠くへと転がってしまう。
 歯噛みした初音だが懐に潜り込んでいるのは自分だと気付き、少しでも身軽にすべくデイパックを投げ捨て、
 鋸を振りかぶり、連続して斬りかかる。

 初音自身でも驚くほど俊敏な動作だった。リサも初音の意外な運動能力は想定外だったらしく、
 必死に受けに回るしかなさそうだった。
 本人さえ気付いていないが、初音も鬼の血を引く一族の末裔。命を賭けた戦闘を続けることで鬼としての意識が研ぎ澄まされ、
 徐々にその能力を高めていたのだ。

 初音はいける、と確信を持つ。意外と動ける上に相手は血だらけで満身創痍。雨でいくらか流されていようが分かる。
 何故だか、分かる。無意識に初音は哂っていた。凄惨な、悪鬼の笑みを。

 一方の椋と浩之は睨み合いが続いていた。互いに武器がショットガンであり、一撃必殺の威力がある。
 下手に先手を打てない。特に慎重かつ臆病な椋はショットガンの弾数上絶対に自分からは切り出せなかった。

「何だよ、仕掛けてこねえのかよ……」
「わ、私はまだ死にたくないんです。こんなところで死にたくないんです!」
「……そう言って、また殺すのかよ。言い訳したまま、同じ人間を……家族がいる人間を。観鈴や、みさき……珊瑚みたいにか」
「……殺さなきゃ、こっちが殺されるんです。騙さなきゃこっちが騙されるんです。他人同士で信じあうなんてないんです。
 そうやって私は、私は騙されてきたんですから……殺し合いじゃ、もう誰も信じられないから……」
「そうかよ……お前は『疑う』ことさえしなかったんだな。もういい。こちらから仕掛けるぜ!」

 浩之がショットガンを持ち上げ発砲する。だが狙いが浅く、散弾は椋の足元に着弾するに留まった。
 椋はたたらを踏みつつも己の身を守るべく撃ち返す。しかしこちらも軸がブレていたためか容易に避けられてしまう。
 不意をつく奇襲はできても、真正面からの撃ち合いはあまりにも不得手に過ぎた。

 元々運動が苦手なのにもそれに拍車をかけていた。続けて撃つも外してしまう。
 混乱の極みに達した椋はもう弾がないことも忘れて引き金を引いたが、当然出るわけもなく。
 弾切れだと読んだ浩之が確実にショットガンを命中させるために接近しようとする。

528儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:29:53 ID:nKYEabcw0
 死ぬ――現実となりつつある事態に泣き叫びそうになった刹那、椋はポケットに隠していたある武器の存在を思い出し、
 必死に手繰り寄せて遮二無二攻撃した。

「なっ……!」

 もたつきながらも取り出したのは小型の拳銃、二連式デリンジャー。驚きを隠しきれない様子で、
 咄嗟にデイパックを盾に使ったようだが、その程度では防げないと断じて容赦なく発砲。
 デイパックを突き抜け、腹部に致命傷を負った浩之は倒れ――

「危ねえっ……!」

 ――なかった。
 そんな馬鹿な、と今度は椋が呆気に取られる番だった。
 浩之の持っていたたくさんの缶詰入りデイパックは22口径のデリンジャーなどでは貫通できない。
 既に浩之は反撃のショットガンを構えていた。その心中では、瑠璃に感謝しつつ。

「ひ……っ」

 最早脇目もふらず一直線に逃げ出そうとした椋だったが、今回ばかりはいささか遅すぎた。
 発射された12ケージショットシェル弾が椋の腿を貫通し、瞬く間に足を奪った。
 悲鳴を上げ、痛みにのた打ち回る椋。
 それを聞きつけた初音がちっと舌打ちを漏らす。

「相打ちにすら出来ないなんて……本当、役立たずだよ!」

 この調子ではまずい。ここは一旦撤退するしかないと弾いて距離を取る。
 後はデイパックとクルツを回収し、有紀寧のところまで戻る。決着は後でつけよう……
 そう思っていた初音の耳に「離れてくれてありがとう。……チェックメイト」という声が届いた。

529儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:30:15 ID:nKYEabcw0
 思わず足を止め、リサへと向き直る。リサ、いや浩之までもが身を翻し、追撃することなく退いていく。
 どういうことだ……? 思わず考えてしまったのが、初音の命を奪う致命打となった。
 嫌な予感に駆られ、空を仰ぎ見たとき。

「……嘘」

 そこには高速で迫る、小型のミサイル砲弾があった。
 最初からそういう算段だったというのか。ミサイルが着弾するまで時間を稼ぐのが奴らの役目だったということか。
 有紀寧お姉ちゃん――初音は内心に絶叫する。

 早く引いておけば良かった。敵の行動をおかしいと思うべきだった。
 ごめんなさい。生きて帰れなくて、ごめんなさい。
 懺悔を頭の中に満たし、何故か涙が溢れ出て……しかしそれも、巻き起こった爆発の中に巻き込まれていった。

 初音と椋の間に撃ち込まれたミサイルはそこを中心にして小規模な火球と爆風を巻き起こし、
 初音の体を微塵も残さずに砕いた。

 椋は痛みに苦しんだまま、それでも姉と会いたい、助けて欲しいと愚直なまでに願いながら。
 だがその叫びも誰にも届くことはなく、爆発音にかき消されたのだった。

 柏木初音。藤林椋。
 沖木島の狂気に身を焦がされ、最後まで踊り続けるしかなかった彼女達も……ようやく、死を迎えたのだった。

     *     *     *

「くっ、これでは……」

 激しい爆発音が起こった後、一部始終を見届けていた宮沢有紀寧は初音達が完全敗北したと悟り、一人で逃げ出していた。
 椋の暴走から始まり、それでも人数を減らしたいと欲をかき、初音を行かせた結果がこれか。

530儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:30:29 ID:nKYEabcw0
 元々有紀寧は自身が行く気はなかった。自分が行くと言い出せば初音は止め、自らの身を差し出すだろうとして、
 それは思い通りに運んだ。一人二人殺して引き返してくれば上出来だとは思っていたが、
 よもやあんな切り札があるとは思いもしなかった。重要な駒を二つも失ってしまった……

 だが有紀寧の心には、それ以上に初音の死が重く圧し掛かっていた。
 なぜこんなにも心苦しいのか。なぜこんなにショックを受けているのか自分でさえ分からない。
 元々自分はひとりでこの殺し合いを生き残り、ひとりで帰るつもりではなかったのか。

 最初の予定に立ち返っただけではないか。
 まだリモコンの残りも三回ある。一人くらいを手駒に取り、殺しに向かわせれば後は己の独力だけでもどうにかなる。
 そうだと理解しているはずなのに。

「……家族……」

 亡霊を追っているに過ぎない自分を縛り上げる言葉だ。
 いつもこの言葉が自分を苦しめる。
 分からない。初音が死んでしまった今、初音が自分に抱いている感情の意味も確かめる術はなくなった。

「……いや、まだだ」

 有紀寧は放送で告げられた『褒美』の言葉を思い出す。
 褒美。それを使えば、もしかすると、また初音と……
 だが絵空事に過ぎないし、第一まだ殺し合いは続いている。

 考えるのは優勝してからでいい。無理矢理そう結論して、有紀寧は黙って逃げ続ける。

 その一事が有紀寧のしこりとなり、彼女の体を重くしているのにも気付かないふりをしながら……

531儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:32:25 ID:nKYEabcw0
【時間:2日目午後21時00分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷、疲労大】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【状態:絶望、でも進む。守腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】

532儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:32:43 ID:nKYEabcw0
美坂栞
【所持品:支給品一式】
【状態:死亡】

緒方英二
【持ち物:何種類かの薬、ベレッタM92(10/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:死亡】

柳川祐也
【所持品:支給品一式×2】
【状態:死亡】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り0)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:死亡】

篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(0/50)、特殊警棒】
【状態:死亡】

藤林椋
【持ち物:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×5:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【状態:死亡】

柏木初音
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:死亡】

533儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 01:33:03 ID:nKYEabcw0
【時間:2日目午後21時00分頃】
【場所:I-7】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×19、包帯、消毒液、スイッチ(3/6)、ゴルフクラブ、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(完治)、強い駒を隷属させる(基本的に終盤になるまでは善人を装う)、柳川を『盾』と見なす。初音と共に優勝を狙う】


【その他:車が完全に使えないかどうかは不明】

→B-10

534儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 18:08:38 ID:nKYEabcw0
感想スレで指摘がありましたので修正をば

>>523を以下に修正

 リサの持ち物はM4というアサルトライフル、接近戦用の木製トンファーだった。
 浩之はライフル、瑠璃は小型ミサイルの発射装置を出してみせる。

「……そういや、そんなもん持ってたな」
「強力過ぎて使いどころが分からへんのやけどな。家一軒吹き飛ばせるらしいし」
「いや、それがあればもう作戦は決定よ。いい、耳を貸して」

 瞬時に戦法を組み立てたらしいリサに、浩之と瑠璃も真剣な面持ちで聞き入る。
 一通り聞き終えた浩之は、なるほどこれなら倒せると納得する。
 しかしこれだけの戦法を一瞬で考えられるリサという女性、一体何者なのだろうという疑問が浮かぶ。
 ここに来るまでの身のこなしもいいように見えたし、ただの外人金髪ねーちゃんというわけではなさそうだ。

「でも私と貴方……浩之が少々危険な目に会うわ。いや死ぬかもしれない。覚悟はいい?」

 リサの問いに「ああ」と浩之は寸分の迷いもなく返答する。うだうだ迷っている暇はない。
 手をこまねいていると向こう側から仕掛けられるかもしれない。瑠璃は不安そうだったが、
 浩之が自信に満ちた表情で応えると、心配を苦笑に変えてくれた。

「でも……そうだ、ちょっと時間をくれへんか?」
「何を?」

 ちょっとした御守りや。そう言ってデイパックの中身をひっくり返し、持ってきた缶詰をデイパックに詰めていく。
 なるほどね、とリサは感心したそぶりを見せ、ならその間少しでも牽制しようとリサは車から身を乗り出し、
 M4で射撃を開始した。浩之も続いて援護射撃に回る。

 隙あらば側面に回り込もうとしていたらしい初音と椋は、
 いきなり再開された射撃に慌てながらもしっかりと撃ち返してくる。

 車に銃弾が当たり甲高い反射音を細かく刻む。貫通する危険性は低そうだが、
 万が一燃料タンクを貫いてしまったらという不安が頭を過ぎる。リサもそう思っているのか、
 敵に行動を取らせないように細かく発砲を続ける。

535儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 18:09:44 ID:nKYEabcw0
>>524を以下に修正

 リズム良く、流れるような一連の行動は十二分に足止めの役割をも果たしていた。
 援護なんて必要ないんじゃないか、と思いかけた浩之の前に「出来たで」と瑠璃が少し重たくなったデイパックを差し出す。

「気休めかもしれへんけど……盾にして。ええな、死んだらあかんで、絶対や」
「たりめーだ」

 苦笑で返した浩之は肩にデイパックを抱え、ライフルに銃弾を再装填し、己の準備が終了したことを伝える。
 頷いたリサもM4のマガジンを取替え、地面に転がっている持ち物から使えそうなものをいくつか見繕った。

「よし、それじゃ……ミッションスタートよ」

     *     *     *

「いい? 逃げ出そうだなんて思わないでね。あなたは最後まで戦うんだよ。最後まで、ね」
「わ、分かっています……」

 牽制的にライフルを撃ち放してくるリサの射撃を動きながら避ける一方、初音は椋の様子にも目を光らせる。
 椋はカタカタと震えながら仕方のないといった感じで初音について回っている。
 どうやら手持ちのショットガンはほぼ弾切れになってしまったらしく、残りが数え二発しかないらしい。

 他に射撃できる武器もなく、この距離から反撃できるのは初音だけという状況だった。
 だが初音のクルツは残弾十分でたった今もマガジンを交換したがそれでも残りは八本もある。
 長期戦に持ち込めれば勝てる。どこかで自分達の戦い振りを見ているであろう有紀寧の視線を想像しながら、
 初音は必ず仕留めると誓う。

 当初の予定ではまず椋を潜入させ、適当に人数が揃ったところでまずこちらが襲撃をかけ、
 向こうがこちらに気を取られた瞬間椋が内側から攻撃を仕掛けさせ、内と外からの二段構えの攻撃をする作戦だった。
 素早く殲滅できればそれでよし。失敗しかかっても外側にいるこちらが逃げればいいだけでそれほどリスクはない。
 椋が行った後にそう言った有紀寧の作戦は完璧で、流石は自分の姉、やることが違うと感心し、尊敬さえした。
 有紀寧の言う通りやれば上手くいく。全てが上手くいくはずだった。

536儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 18:10:54 ID:nKYEabcw0
>>527を以下に修正

 速い。そして高い。咄嗟の機転でデイパックから鋸を取り出し振り回したがM4で受け止められ、
 更に手刀を叩き落されクルツを落としてしまう。
 拾おうとした初音だったがその前に蹴り飛ばされクルツは遥か遠くへと転がってしまう。
 歯噛みした初音だが懐に潜り込んでいるのは自分だと気付き、少しでも身軽にすべくデイパックを投げ捨て、
 鋸を振りかぶり、連続して斬りかかる。

 初音自身でも驚くほど俊敏な動作だった。リサも初音の意外な運動能力は想定外だったらしく、
 必死に受けに回るしかなさそうだった。
 本人さえ気付いていないが、初音も鬼の血を引く一族の末裔。命を賭けた戦闘を続けることで鬼としての意識が研ぎ澄まされ、
 徐々にその能力を高めていたのだ。

 初音はいける、と確信を持つ。意外と動ける上に相手は血だらけで満身創痍。雨でいくらか流されていようが分かる。
 何故だか、分かる。無意識に初音は哂っていた。凄惨な、悪鬼の笑みを。

 一方の椋と浩之は睨み合いが続いていた。一方は武器がショットガンであり、一撃必殺の威力がある。
 対する浩之はライフル銃。貫通性能が高く人間の体程度ならほぼ確実に貫く。
 下手に先手を打てない。特に慎重かつ臆病な椋はショットガンの弾数上絶対に自分からは切り出せなかった。

「何だよ、仕掛けてこねえのかよ……」
「わ、私はまだ死にたくないんです。こんなところで死にたくないんです!」
「……そう言って、また殺すのかよ。言い訳したまま、同じ人間を……家族がいる人間を。観鈴や、みさき……珊瑚みたいにか」
「……殺さなきゃ、こっちが殺されるんです。騙さなきゃこっちが騙されるんです。他人同士で信じあうなんてないんです。
 そうやって私は、私は騙されてきたんですから……殺し合いじゃ、もう誰も信じられないから……」
「そうかよ……お前は『疑う』ことさえしなかったんだな。もういい。こちらから仕掛けるぜ!」

 浩之がライフルを持ち上げ発砲する。だが狙いが浅く、銃弾は椋の足元に着弾するに留まった。
 椋はたたらを踏みつつも己の身を守るべく撃ち返す。しかしこちらも軸がブレていたためか容易に避けられてしまう。
 不意をつく奇襲はできても、真正面からの撃ち合いはあまりにも不得手に過ぎた。

 元々運動が苦手なのにもそれに拍車をかけていた。続けて撃つも外してしまう。
 混乱の極みに達した椋はもう弾がないことも忘れて引き金を引いたが、当然出るわけもなく。
 弾切れだと読んだ浩之が確実にライフルを命中させるために接近しようとする。

537儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 18:12:04 ID:nKYEabcw0
>>528を以下に修正

 死ぬ――現実となりつつある事態に泣き叫びそうになった刹那、椋はポケットに隠していたある武器の存在を思い出し、
 必死に手繰り寄せて遮二無二攻撃した。

「なっ……!」

 もたつきながらも取り出したのは小型の拳銃、二連式デリンジャー。驚きを隠しきれない様子で、
 咄嗟にデイパックを盾に使ったようだが、その程度では防げないと断じて容赦なく発砲。
 デイパックを突き抜け、腹部に致命傷を負った浩之は倒れ――

「危ねえっ……!」

 ――なかった。
 そんな馬鹿な、と今度は椋が呆気に取られる番だった。
 浩之の持っていたたくさんの缶詰入りデイパックは22口径のデリンジャーなどでは貫通できない。
 既に浩之は反撃のライフルを構えていた。その心中では、瑠璃に感謝しつつ。

「ひ……っ」

 最早脇目もふらず一直線に逃げ出そうとした椋だったが、今回ばかりはいささか遅すぎた。
 発射されたライフル弾が椋の腿を貫通し、瞬く間に足を奪った。
 悲鳴を上げ、痛みにのた打ち回る椋。
 それを聞きつけた初音がちっと舌打ちを漏らす。

「相打ちにすら出来ないなんて……本当、役立たずだよ!」

 この調子ではまずい。ここは一旦撤退するしかないと弾いて距離を取る。
 後はデイパックとクルツを回収し、有紀寧のところまで戻る。決着は後でつけよう……
 そう思っていた初音の耳に「離れてくれてありがとう。……チェックメイト」という声が届いた。

538儚くも永久のカナシ:2009/02/08(日) 18:13:05 ID:nKYEabcw0
修正は以上です
まとめさんにはお手数かけますが宜しくお願いします

539十一時四十七分/全てを:2009/02/18(水) 00:02:52 ID:C6SXGSXs0
 
―――北西


一抱えほどもある岩塊が、雨粒のように降り注ぐ。
愉しむように目を細めた来栖川綾香が、真上から影を落とした一際大きなそれを拳の一振りで塵に変える。
降り注いでいるのは、祈るように手を組んでいた巨神の像であったものの欠片である。

「来栖川……綾香……!」

押し殺したような響きは長瀬源五郎。
物言わぬ石造りの神像の他には顔もなく、無論のこと口もない、胴から四肢のみを生やした巨躯を
微細に震わせるようにして声を発している。
薄気味の悪い蟲の羽音の如き、醜悪な声音だった。
そこに込められているのは憤怒の二文字。

「どうした、余裕が足りないな神サマ。取り立てられるのには慣れてないか?」
「死に損ないがっ……!」

吐き捨てるような叫びと同時。
綾香の足元が、ぐらりと揺れた。
否、正確を期すならば揺れたのではない。
綾香が立つのは神塚山の山頂を抱え込むような長瀬の巨躯、いまや七体となった巨神像の立ち並ぶ、
その途方もなく広い胴体の上である。
眼前には銀色の湖とも見える、燦然と光り輝く鏡の如き鱗状のものがどこまでも続く光景を臨む
綾香の足元は即ち、長瀬の身体の一部であった。
それが、ぐねり、と。
波打つように、歪んだ。

「……」

踏みしだくように退いた、その一瞬だけ後。
天を突き上げるように飛び出してきたのは、槍である。
透き通るように赤い、鉱石の槍。
赤玉から彫り上げられた樹氷の如きそれが何本も、一瞬前まで綾香のいた場所を貫いていた。
空を穿った槍がどろりと融け崩れるや新たな穂が生まれ、槍衾はまるで土竜の地を這うが如くのたくりながら、
綾香へと向けて迫る。
小さく舌打ちした綾香が更なる一歩を退いた、その刹那。
狙い澄ましたかのように、巨大な影が落ちてきた。

540十一時四十七分/全てを:2009/02/18(水) 00:03:13 ID:C6SXGSXs0
「―――!」

目に映ったのは、爪。
ただ一本で人の臓腑を丸ごと抉り出すようなそれが、五つ。
正確に綾香を叩き潰す軌道で落ちてくるのは、悪夢の如き巨大と凶悪とを兼ね備えた暴力の塊。
石造りの神像が一、獣の肢であった。
天から剛爪、地より迫るは赤玉の槍。
十死、一生を絶無と為す挟撃を前に、しかし女は哂っていた。
哂う女が、次の瞬間、消える。
否、それは跳躍である。
爆ぜるが如きその挙動は刹那の消失に等しい。
宙に身を躍らせた女の、文字通り紙一重を獣の爪が裂き削る。
地に落ちた爪が轟音を上げ槍衾を砕いたときには、綾香の影は既に中空、伸びきった獣の前肢を
踏み台とするように蹴りつけている。
一気に天空高くまでを跳躍した綾香の、右の拳が変化していく。
白い肌を覆うように、ごつごつと強張った黒い皮膚が拡がる。
整った爪の色は鮮血のそれ。
鬼と呼ばれた、それは星を駆ける狩猟者の拳である。
十二分の加速と鬼の力とを得た拳が迫るのは獣の神像、その頭部。
黒金の流星と化した一撃が、真っ直ぐに獣の顎へと吸い込まれていく。
轟、と弾けたのは風である。
直後、凄まじい音が響いた。

「―――」

かち上げるような、一撃。
女の像を砕いたそれよりも更に恐るべき威力を誇る拳である。
刹那の交錯で、勝負は決まったかに思えた。
獣の顎は砕かれ、綾香は哂い、岩塊が降り注ぐ―――その光景が繰り返されることは、しかし、なかった。
風が吹き去り、音の残響が消え、そこに獣の神像は健在である。
小さく頭を振った、その顎には皹一つ入っていない。

「硬い、なぁ……」

ただ、女の愉悦に満ちた笑みだけが、そこにある。
それだけは、変わらなかった。


******

541十一時四十七分/全てを:2009/02/18(水) 00:03:24 ID:C6SXGSXs0
 
―――西


唐突に背を向けた、それは好機か、或いは誘いの罠であったか。
二刀の神像と対峙する少女たちは迷わず前者と取った。
向かって左手、北西側から轟音が響くのを背景に、巨大な刃の舞う間合いへ躊躇なく踏み込む。
失策を悟ったように二刀の像が向き直ろうとしたときには既に遅い。
耳を劈くような甲高い音と共に二条の紫電が閃いたのはほぼ同時。
神像の巨大な石造りの背に、十字型の深い傷が刻まれていた。
短い残響が消える頃には、少女たちは再び距離を取っている。

痛覚とて存在しようはずもない石造りの像が、それでも憤りを乗せたかのように刃を振るう。
二刀の一は川澄舞に。
更なる一は柏木楓へ。
攻防を一体と為し自在の変幻を誇る二振りの刃を見据え、しかし少女の瞳に怯懦の色はない。
駆けるその身を、跳ねるその影を刃が追い縋り、そうして捉えること叶わない。

少女の振るうも刃である。
川澄舞の手には白刃、抜けば珠散ると謳われた退魔の一刀。
柏木楓が宿すのは深紅の刃、漆黒に変生した手指より伸びる妖の爪だった。
銀弧が閃き、紅爪が奔る。
最早、神像の傷は癒えぬ。
そのことを知ってか知らずか、激しさを増していく人ならざる少女たちの攻勢に、
神像の二刀がじりじりと押されていく。

しかし如何に押そうと、凌がれながら稼がれる時の一分一秒は、重い。
その重さを、事ここに及んで未だ、少女たちは真に理解していなかった。


******

542十一時四十七分/全てを:2009/02/18(水) 00:03:41 ID:C6SXGSXs0
 
―――北東


漆黒の光球が着弾する、その場所に衝撃はない。
現出するのはその場所に存在したはずの大地が、草木が消滅するという、ただその結果のみである。
万物を無に帰す闇に、応じるように飛ぶのはやはり黒の光。
直線の軌跡を描く、こちらは黒い稲妻とでもいうべき光線であった。
光球と光線と、蒼穹に染み出すが如き黒の応酬は止まらない。
黒翼の神像と、宙に浮く奇妙な黒蛙を連れた少女との無音に近い死闘は、いつ果てるともなく続いていた。

埒が明かぬ、と。
至るところで岩盤が抉られ、一面の痘痕模様と化した山道に立つ水瀬名雪が思考する。
このまま遠距離から互いに砲撃を交わしたところで、致命打は与えられない。
生み出される黒い光球の数と密度では、広い山道を自在に動ける名雪には直撃を受けない確信がある。
対してほぼ定位置を動かず、砲台と化している黒翼の巨神像はいい的である。
黒雷の命中率は十割に近く、しかし如何に当てたところで、打撃が通らなければ意味がない。
回復機能が途切れた今、数百、数千を当て続ければ或いは揺らぐのやも知れぬ。
しかしそれだけの猶予は無論、ない。
時を稼がれれば、それは即ち敵側の勝利である。
刻一刻と近づく敗北は死の概念を超越した女に恐怖こそ与えなかったが、だがそれを甘受するつもりもまた、
名雪には当然のこと、存在しない。

ならば、どうするか。
回答は、前進である。

砲撃が通らぬならば、直接の打撃を叩き込む。
水瀬名雪にはそれが可能であるという、それは無限に近い時間に培われた自負である。
磨耗した精神と引き換えに得たものが、名雪の全身を満たしていく。
大きく息を吸い込み、大腿筋に酸素が供給されると同時。
疾駆を、開始する。

目標は眼前、黒翼の神像。
一瞬で最高速まで加速した名雪を迎え撃つように、神像の両手に光が宿る。
光には、色があった。闇の珠ではない。
右手には灼熱を思わせる朱、左の手には荒涼たる大地の土気色。
神像の手から光が解き放たれる寸前、名雪が跳躍する。
直後、その足元の岩盤が、轟音と共に崩落した。


******

543十一時四十七分/全てを:2009/02/18(水) 00:04:09 ID:C6SXGSXs0
 
―――南西


熟練の槍術とは刺突にのみ依るものではない。
斬と打とをも兼ね備え、時に応じて千変し万化するそれは接近すら容易に許さぬ。

「……ッ!」

唸りを上げて迫る長柄を前に、天沢郁未が真横へと跳ねる。
岩盤が顔を覗かせる地面を、まるで子供が作った砂山のように削りながら石突が通り過ぎていく。
目の脇を流れる冷や汗を拭えば、ふやけた返り血がぬるりと滑って不快だった。
瞬きをするほどの間を置いて小さく息を吐いた郁未が、再び突進を開始しようとした、その刹那。

声はなかった。
ただ、ひどく背筋のざわつくような感覚と同時。
自身に迫る巨大な槍の柄を、郁未は見ていた。
一度は通り過ぎたはずの石突が、フィルムを逆回しにするように郁未を襲おうとしている。
方向は真後ろ。
完全な視界の外、郁未には見えるはずのない、それは光景。
相方、鹿沼葉子の送る視界だった。
見えたのは、一瞬という単位を更に幾十幾百に分割してなお足りぬ、寸秒である。

背筋を伝う寒気が延髄を通り過ぎるよりも早く、郁未は全身の力を脚に込める。
大地に身を投げるようにして、回避を試みる。
飛び退いた郁未が靴底に感じたのは爆風の如き大気の流れである。
直撃していればひとたまりもない、必殺の打撃。
それを間一髪で躱しながら、先の一撃目は誘いであったのだと郁未は痛感する。
飛んだ勢いをそのままに前転するようにして立ち上がり、更なる追撃に備える。
しかし対峙する巨神像の槍は郁未の想定するどれとも違う軌道を取っていた。
その穂先が向かうのは郁未の立つ位置から僅かに離れた場所。
長い金色の髪を振り乱しながら跳躍する女を迎え撃つ動きである。
薙刀を下段に構えて飛び上がる鹿沼葉子を、巨神像の槍が上から叩き落そうという交錯。

『―――今です!』

声が聞こえたときには、郁未は既に突進を開始している。
直後に響くのは硬質な音。
数千倍ではきかぬ質量差、正面から一合でも打ち合えば人を容易く挽肉に変えるその打撃を、
葉子の張り巡らせた不可視の壁が凌いだ音である。
ほんの僅か、巨神像の槍が動きを止める。
隙とも呼べぬその刹那、図ったように駆ける影がある。天沢郁未である。
針の穴を通すような連携の一撃。
狙うのは槍の持ち手、巨神像の左腕である。
不可視の力を刃に乗せて、郁未が鉈を振り上げる。
弾丸の如き突撃の成功を確信した郁未が、

「―――なッ!?」

驚愕に、思わず声を漏らした。
視界全体を覆うような、それは巨神像の腕。
今まさに刃を振り下ろそうとしていたその巨大な石柱の如き逞しい腕が、逆に郁未へと迫っていた。
莫迦な。近すぎる。目測を誤ったか。そんなはずがない。
戦慄と共に断片化した思考が脳裏を過ぎる。結論は一つ。
連携すら、読まれていた。
葉子への打撃を瞬時に片手持ちへと変え、空いた腕での狙い澄ました迎撃。
刃を振り上げたまま咄嗟に不可視の盾を構築しようとする郁未を、巨神像のかち上げるような肘が、撥ねた。

544十一時四十七分/全てを:2009/02/18(水) 00:04:28 ID:C6SXGSXs0
「―――」

視界が、白い。
白いが、しかしそれを認識できるならば、まだ命はある。
飛散しようとする意識を鷲掴みにして、郁未は瞳をこじ開ける。
見えたのは蒼穹の青。
感じたのは浮遊感。
そして最後に聞こえてきたのは、

『―――郁未さん!』

友の、声。

「……あああぁぁあッ……!」

応えるように搾り出した声は、喉で血が絡まって酷く掠れている。
中空、血痰を吐き捨てて息を吸った。
肺が膨らむのと同時、激痛が走る。
肋骨が数本、折れ砕けているようだった。
痛みが意識を覚醒させていく。
痙攣するように息を継ぎながら、郁未が空中で身を捻る。
鉈は手の内、五体は健在。
それだけを確認し、損傷は無視。
迫る大地に足から落ちる。
破滅的な音と砂煙。着地ではない。それはむしろ、墜落に近い。
それでも、天沢郁未は立ち上がった。

『―――生きていますか』
『ご覧の通り……ッ!』

流れ出るのは血か汗か。
吐き棄てるように答えた郁未が睨むのは拭った手ではなく、聳え立つ槍の巨神像である。

『どうやらこの敵……周りのものと比べても別格、といったところのようです』
『あたしら、貧乏籤ってわけ……』

だらだらと止め処なく流れ出そうとする命と気力とを乱暴に拭って、郁未が苦笑する。

『―――上等じゃない』

言って見上げた、その瞳には光がある。
闇が濃くなるほどに眩く輝く、それは光であった。


******

545十一時四十七分/全てを:2009/02/18(水) 00:04:39 ID:C6SXGSXs0
 
―――東


坂神蝉丸は堪えている。
抱えた砧夕霧の、声ならぬ声は続いていた。
孤独を憂い同胞を求めて彷徨う、それは迷い子の慟哭である。
岩をも切り裂く大剣の斬撃と、耳朶でなく心の中の薄い膜を乱暴に叩くような慟哭と、
その二つとに堪えながら、蝉丸は時の熟すのをじっと待っている。

光岡悟は白翼の神像の牽制に回っている。
山頂の西側で、或いは北で、南で打ち続く激戦の中、刻限という鎧が寸秒を経るごとに
削られていくのを感じながら、蝉丸はただ一瞬の好機だけを待ち続けていた。

―――正午まで、あと十二分を切っていた。

546十一時四十七分/全てを:2009/02/18(水) 00:04:59 ID:C6SXGSXs0
 
【時間:2日目 AM11:48】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:健康】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】
砧夕霧中枢
 【所持品:なし】
 【状態:覚醒】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】
来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】
水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】
川澄舞
 【所持品:村雨、鬼の手、白虎の毛皮、魔犬の尾、ヘタレの尻子玉】
 【状態:白髪、ムティカパ、エルクゥ】
柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:エルクゥ、軽傷、左目失明(治癒中)】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体16800体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:大破】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:損傷】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1042 1043 ルートD-5

547歪み:2009/02/18(水) 00:09:36 ID:JzhkGceQ0
「もうそろそろ、でしょうかね」

 モニターに映る光点と手元の名簿を見比べながら柔らかそうな椅子に腰掛けている男、
 デイビッド・サリンジャーはモニターの少し上にあるデジタル表示された時計を見る。

 放送から三時間しか経過していない。だというのに既に死者の数は十人を超えている。
 愚か極まりないものだと思いながらも思い通りに事態は進んでいることに笑みを漏らさずにはいられない。
 ただひとつサリンジャーには気になることがあった。

 この計画における唯一のイレギュラー的存在にして既に鬼籍に入っている男……岸田洋一、が乗りつけてきたものだ。
 彼が乗ってきた船は今も尚海岸のとある地点、正確に言うとD−1の海岸に打ち上げられている。
 懸念するのはそこだった。もしあの船を修理されでもしたら脱出路が確保されてしまう。
 一体どこから奪ってきたのか知らないがあの船は中々に大きく走行距離も長いだろう。
 首輪という枷はまだ厳然として存在するし、それを何とかできるであろうただ一人の参加者、姫百合珊瑚も死んでいる。
 外せるとは考えがたかったが、それでも不安材料なのには変わりなかった。

 しかも最近立て続けに殺し合いを積極的に進めようとする連中が減っている。今しがた数少ない鬼の柳川祐也も死んだ。
 比率から言う限りでは状況は殺し合い否定派の方に傾きつつある。もしも連中が結託し、玉砕覚悟で首輪をどうにかできたとしたら?
 在り得ないと考えつつもだがしかしと不安要素を絶っておきたいという小心者の性分がサリンジャーを惑わせる。

 後の作業を全て作業用アハトノインに任せ、自らは脱出して、という考えはないでもなかった。サリンジャーとて命は惜しい。
 だがその結果アハトノインを失い、夢が遠のいてしまうということにもなりかねない。そればかりか命を付け狙われる事さえ在り得る。
 篁財閥という後ろ盾を失くせばサリンジャーは所詮何の力も持たぬひとりの人間でしかなく、犯罪者に過ぎない。

 自分の今は篁財閥に守られているのであり、だからこそ戦闘用ロボットを作り出していることも、
 殺し合いを進めていることも咎められていない。サリンジャーは庇護されているだけに過ぎない。
 そう、故にサリンジャーは自らが権力となろうとした。篁財閥を掌握さえしてしまえばそのような小さな罪など取るに足らぬ。
 そればかりかこの世の富も名誉も全てが自分の思いのままになろうという日が目の前に来ている。

548歪み:2009/02/18(水) 00:09:55 ID:JzhkGceQ0
 まだ留まろう。そう思い直して臆病風に吹かれ掛けていた己を叱咤する。
 取り合えず現状の問題は岸田洋一が残していったあの置き土産だ。やはりこちらで早々に処分する必要性がある。
 たとえ一人にしてもここから逃がすわけにはいかないのだ。この島にいる人間には須らく死んでもらう。
 参加者達を煽ってきたのは単に人数減らしのための措置に過ぎないし、願いなど叶えられるわけもない。

 篁総帥が生きていればまた話は別だったのかもしれない。
 新たなる時代の扉。そう言いながら『幻想世界』について語っていた篁の姿が思い起こされる。
 願いの集まる場所とも言っていた。信じられるわけがないし信じるわけにもいかなかったが、篁の入れ込みようは尋常ではなかった。

 ひょっとすると、本当にそういう世界があるのかもしれない。噂にはそのようなものを研究していた科学者がいたと聞く。
 確か名前は……イチノセ、だったか? 聞き流していたのでよく覚えていない。
 まあ今となってはどうでもいい。取り敢えずはここにいる連中の殲滅が全てだ。サリンジャーはそれで考えを締めくくると、
 作業している一体のアハトノインに声をかける。

「おい、02を呼べ。任務だと伝えろ」
「了解しました」

 抑揚の無い声で答えてアハトノインはマイク越しに02――戦闘用アハトノインの二体目――を呼び出す。
 ここ管制室にもエコーのように声が響き渡り、程なくして02が姿を現す。
 見た目には作業用のアハトノインと何ら変わりなく、違うところはと言えば脚部に『02』というナンバーが書かれていることくらいだ。

 ただその実力は戦闘用に改造されただけあって他のアハトノインとは比べ物にならない。
 各種格闘技系のOSをインストール済みであるし、世界各地の銃火器系の用法、及び兵器の運用、
 更には米軍の特殊部隊をモデルにして小隊での行動パターンや罠の設置、簡易的な施設の造営ですらこなす。
 まさに天才と言える兵士だが、唯一戦闘に関する経験値だけが足りない。スペックが高くとも新兵であるのには人と何ら変わりない。
 人と同じく、ロボットもまた完全ではないということか。ため息を腹の底に飲み下しながらサリンジャーは任務の内容を告げる。

「今からある地点にある船を破壊してくるんだ。木っ端微塵に、跡形も残さずにな。データは作業している連中から受け取れ。
 武器は任せる。もし島の中の参加者連中と会ったら――殺せ。邪魔にならないなら無視して構わん」
「任務了解しました」

549歪み:2009/02/18(水) 00:10:16 ID:JzhkGceQ0
 大仰にお辞儀をして、02は作業している連中へと向かい、
 今しがた作成したらしいメモリチップをイヤーレシーバーの横にあるスロットへと差し込む。
 便利なものだ。ブリーフィングも事前に作成したデータを使ってものの数分で終わる。おまけに忘れない。

 これからはそういう時代になるのだろう。少数による精鋭部隊での早期決戦が主流となり、
 大部隊を展開し陣形を構築するという時代は既に過去のものになりつつある。
 そして新しい時代の先駆となるのが……神の軍隊というわけだ。

 恭しく頭を垂れ、しずしずとした足取りで管制室を後にする02。
 自動扉が完全に閉まるのを見届けて、サリンジャーはモニターへと視線を戻す。
 船が座礁したままの位置にあるとするなら今、その近辺には四名程の人間がいる。距離的に鉢合わせしないとも限らない。
 爆破作業なら尚更だ。物音を聞きつけられる可能性は高い。だが02が負ける要素は万に一つもない。

 それよりも興味深いのは、以前篁が送り込んだ『ほしのゆめみ』の存在だ。
 人間の心を追い求めて作られたロボットがどんな奇跡を生み出すのか――そんなことを言っていた。
 篁はHMX17a『イルファ』や『ほしのゆめみ』の方に興味を抱いていた節があった。まるで戦闘能力などなく、
 心の慰みでしかないロボット風情に一体何を期待していたのだろうか。

 正直なところ、アニミズムにも近い篁の思想は理解したくもなかったし己の設計思想を否定されたかのようで気に入らなかった。
 正確には篁は測っていたのかもしれない。心を追い求めたモノとスペックをひたすらに追究したモノ。
 どちらが上に立つのか、を見極めていたのかもしれない。ただ篁は『心』とやらにチップを賭けていた、それだけであり、
 それがサリンジャーには腹立たしい事だったのだ。

 もしアハトノインとほしのゆめみが出会うとするなら――サリンジャーは想像して、嘲笑を浮かべる。
 負ける要素などない。まずは一戦を交え、篁に己の思想が正しかったことを証明してやろう。そうなってほしいものだ。

『何より、日本のロボットは気に入らないんですよ……』

550歪み:2009/02/18(水) 00:10:33 ID:JzhkGceQ0
 日本語ではなく、母国語のドイツ語でサリンジャーは呟く。誰にも聞こえぬように、暗澹として底黒い自らの内を悟られないように。
 日本にはロボット開発の技術を学ぶために留学したこともある。日本語はそのとき身につけたものだ。
 だが日本の設計思想は何もかもが気に入らない。

 実用性も捨て、まるで傾倒するかのように人間らしさとやらを追い求め、不要なものばかり詰め込んでいる。
 所詮は紛い物でしかないのに。プログラムでしかないのに、何故あのように称賛されるのかサリンジャーには理解出来なかった。
 そればかりか自分の言葉も否定され、「ロボットの心を知れ」などというようなことまで言われた。
 ならば理解させてやろう。自分の理論……ロボットの行き着く先は兵器であるという言葉を実証してみせよう。

『神の軍隊でね……分からせてやるよ、黄色い猿ども』

 自分を否定した世界を否定し返すために。全てを屈服させるために。
 デイビッド・サリンジャーが一つ目の駒を動かす――

551歪み:2009/02/18(水) 00:10:54 ID:JzhkGceQ0
【場所:高天原内部】
【時間:二日目午後:21:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:殺し合いの様子を眺めている。頃合いを見て参加者を殲滅するためにアハトノイン達を会場に送り込む。このゲームの優勝者を出させる気は全くない】
【その他:Mk43L/e(シオマネキ)が稼動できるようになった】

アハトノイン(02)
【状態:D−1地点にある船を完全に破壊しに行く。任務優先で、妨害されない限り参加者には手を出さない】
【装備:不明】

→B-10

552十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:49:27 ID:WUwc3v1o0
 
柏木楓という少女の振るう刃に、憎悪はない。
彼女はただ、湯浅皐月という好敵手と、柏木千鶴という嫌悪すべき女と、そうして柏木耕一という
人生の拠りどころとの、その全部がいっぺんに目の前から消えてなくなった空白からざわざわと滲み出してくる、
高揚に程近い混沌とでもいうべきものを鎮めようと、眼前の敵とみなした存在へと刃を振るっている。
そこにあるのはひどく漫然とした殺意と、それと同程度の質量を備えた鋭角な害意である。
それが、かつて己が血統の祖が遠い星々の彼方で繰り返した行為と酷似していることに、彼女自身気付いていない。
柏木楓は、狩猟者である。


***

553十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:49:40 ID:WUwc3v1o0
 
すべてを忘れたかった。
何かに縋りたかった。
骸すら、残らなかった。

ああ。
あの人の、隙もなく爪を塗った手で作られた食べ物を、全部吐き出した後のような。
私に残されたのは、涙の滲むような苦味と、どうしようもない空腹感と、饐えた臭いだけだ。

振り払うように、走る。
走って、切り裂く。
切り裂けば、手応えがある。

音は聞こえない。
音はもう、聞こえない。
高鳴る鼓動も、耳元を吹きぬける風も、何も聞こえない。
聞きたくないものは、聞こえない。


***

554十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:49:54 ID:WUwc3v1o0
 
恣意的な無音の中で、柏木楓は刃を振るう。
深紅の爪の閃くたびに、二刀の像に傷がつく。
刻まれる傷は浅くささやかで、しかし少女は粘り強く、或いは偏執的なまでに執拗に、傷を増やしていく。
一文字は十文字となり、十文字は幾つも重なって瞬く間に複雑怪奇な紋様と化していった。

そこに、悪意はない。
ただ害意という膏薬に敵意という毒を練り、殺意という指で傷口に塗り込むという、それだけの話である。
女という種が笑みを崩さぬまま、息をするようにしてのけるそれを、少女は刃を以て行う。
傷から流れる血を見なければ己が害毒を確かめられぬ。
それが少女である。

血の通わぬ石造りの像に、際限のない傷だけが増えていく。


***

555十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:50:07 ID:WUwc3v1o0
 
考えるのをやめようとすればするほど、あの人が私を侵していく。
甘い化粧の匂いと猫なで声と、私を哀れむような、見下ろすような眼だ。
胸が詰まるような、臓腑を裂いて残らず掻き出してしまいたくなるような、どろどろと粘つくもの。
この膨らみかけた脂肪の固まりも、痛みと憂鬱しかもたらさない、汚い血を吐くだけの器官も。
全部を掻き出して挽いて潰して水で洗えば、この嫌なものは流れて落ちるのだろうか。
そんなことを思う。
裂いて流れるのは綺麗な赤い雫だけだと、知っているのに。

戻らない。
何も戻らない。
何をしても、どれだけ泣いても、なくしたものは戻らない。
そんなことはわかっている。
わかっているから、動かずにいた。
動かなければ、変わらなければ、何もなくさずに済むかもしれないと、思っていた。
そんな、馬鹿なことを、思っていた。

変わっていく。
変わっていくのだ。
私が止まっても、他の全部は動いている。
動いているから、変わっていく。
変わってしまって、なくなっていく。
私のたいせつなものはもう何も残らずに、変わらずにいる私だけが取り残されている。

それでよかった。
それでもよかった。
変わらずにいる私は、変わってしまったものたちを、なくしてしまったものたちのことを、
ずっと変わらない姿で覚えていられる。
それはとてもしあわせなこと。
それだけが世界を、私の大好きだったものたちを大好きなままで留めておく、たったひとつの方法。

だと、いうのに。
あの人の匂いを吸い込むたびに。
あの人の猫なで声が耳に入ってくるたびに。
あの人の眼が私を厭らしい色で見下ろすたびに。
どろどろとしたものが、私を這い登ってくるのだ。
ずるずると糸を引きながら、てらてらと濡れ光る跡を残しながら、それは私を這い回る。
そうしてそれは、私の中に染み透ってくるのだ。
私を、変えるために。


***

556十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:50:23 ID:WUwc3v1o0
 
胸にこみ上げる嫌悪感にえづきながら、柏木楓が身を捻る。
その身を両断せんと迫る巨大な刃を躱す、その深紅の瞳には波紋一つ浮かばない。
返すように振るわれる、瞳と同じ血の色の長い爪が、神像の腕に一筋の傷を刻んでいく。

刻んだその顔に笑みはない。
与えた打撃に思うところの一切はなく、それは暗い部屋で人形の手足を捻り千切るような、
枕に顔を押し当てて叫ぶような、ただ生きるために必要な、それは作業であるかのように。
淡々とした激情に身を任せながら、少女は足掻いている。


***

557十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:50:43 ID:WUwc3v1o0
 
変わっていく。
私は変わらされていく。

綺麗なところには、厭な汁の飛沫が散って染みを作るように。
やわらかいところには、じくじくと痛い水ぶくれができるように。

あの人のどろどろとしたものが伝染して、私は変わらされていく。
嫌だと泣いても、駄目と叫んでも、どれだけ肌を裂いて血を流しても、それは止まらない。

私のからだからは、きっといつか、甘い化粧の匂いが立ち込めるようになるのだ。
そうして鳥肌の立つような猫なで声で、誰かの名前を呼ぶのだ。

それはもう、私ではない。
柏木楓なんかでは、決してない。

それはきっと、街の人波をぎっしりと埋め尽くす、たくさんの柏木千鶴の、一人でしかない。
だから。

そういうものになる前に、私は、選ばなくてはいけないのだ。
どろどろとした厭らしく粘つくものを撒き散らすあの人か、変わらされてしまう柏木楓であるものか、

どちらを、殺すのか。


***

558十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:50:58 ID:WUwc3v1o0

ひどく陳腐で、切実で、迂遠で、真っ直ぐで、ありふれた幻想とでも呼ぶべき何かを抱いて、
少女は刃を振るう。
振るう刃の鋭さが、少女という存在の生きる意味のすべてである。

刻まれる傷は、少女が歩む上での犠牲に過ぎぬ。
抉られ落ちる神像の腕は、少女という歪みに巻き込まれた、哀れな盤上の駒だった。
少女の立つ場所を、世界という。

559十一時四十八分/あなたがいる:2009/02/20(金) 14:51:20 ID:WUwc3v1o0
 
【時間:2日目 AM11:49】
【場所:F−5 神塚山山頂】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:エルクゥ、軽傷、左目失明(治癒中)】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体16800体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:小破】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1045 ルートD-5

560十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:10:12 ID:McAJYwDI0
***


A−9。
初めて会ったときの、それが彼女の名だった。

流れる金色の髪がとても綺麗だと、そんな風に思ったことだけを、覚えている。


***

561十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:10:27 ID:McAJYwDI0
 
「覚えているかね、諸君―――」

響くのは、無数の蟲の這いずるが如き聲。
長瀬源五郎である。

「幼い頃に思い描いた、未来のかたちを。
 求め、挑み、膝を屈して涙した、あの日の夢を。
 手を伸ばせばいつか届くと信じていた無邪気な日々を、諸君は覚えているかね。
 私の夢、私の未来、私の思い描いた世界。そうだ、それは今、私の目の前にある。
 届くのだ、歩めば。一歩、一歩、見たまえ、もうほんの少しの先で、私の夢が叶おうとしている―――」

醜悪を練り固めたような粘りつく声に、天沢郁未が鉄の味のする唾を吐く。

『語ってんじゃねーっての……』

眼前、悪夢の如き堅牢を誇る槍使いの神像を睨み上げながら、郁未は立ち上がる。
ぜひ、という喘鳴が喉から漏れていた。
息が整わない。
痙攣するように胸が震える度にこみ上げてくるのは胃液と混じった鮮血。
激戦の中、折れた肋骨が内臓を傷つけていた。

『……不可視の力で傷も治せたらいいのにね。魔法みたいにさ』

冗談めかした呟きに相方の答えが返ってこないのを、郁未は怪訝に思う。
観客もいないサーカスの、愚かな道化とその頭に載せられた林檎を狙って飛ぶナイフ。
それは不文律。
それは暗黙の了解。
それは約束。
―――それは、誓い。
いつからかそうしてきた、これからもずっとそうしていくはずの、天沢郁未と鹿沼葉子の在り方。
それが崩れだしたのは、この島に来てからのことだ。


***

562十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:10:41 ID:McAJYwDI0
 
今はもうない教団の、あの誰もいない食堂の薄暗い片隅で。
私たちは、出会った。

私を変え、私の生き方を変え、私の明日を変えたそれをきっと、奇跡というのだろう。


***

563十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:10:57 ID:McAJYwDI0
 
迫る槍が、天を支える柱の落ちるが如く大地を抉る。
石くれと岩とを孕んだ風が爆ぜるように拡がり、それが消えるよりも早く次の衝撃が落ちる。

『右……? 分かってる、けど……っ!』

郁未の脳裏に閃くのは鹿沼葉子の送る視界である。
土煙に巻かれながら跳ねる郁未の眼には映らぬはずの、第二撃。
それを正確に回避できるのは、理屈はどうあれ意志と声とが繋がったらしき葉子の、声なき指示の賜物だった。

『これじゃ、近づけやしないっ……!』

戦況はいかにも苦しい。
打ち続く激戦に駆ける足は震え、手に持つ鉈も次第にその存在感を増しているように感じられた。
泥濘のまとわりつくように重苦しい身体を引きずりながら、郁未が跳ねる。
砕けた肋骨が細かな砂粒になり、肉体を動かす歯車に噛まれて軋むように、全身が不協和音を奏でていた。
今や槍の穂先は完全に郁未だけを狙っている。
傷を負った郁未の動きが重いことは、既に見抜かれていた。
先刻の突撃の失敗は致命的だった。
敵は無傷、こちらへの打撃は重く尾を引いて圧し掛かっている。
危うい均衡を保っていた天秤が、一気に傾こうとしていた。

「ち……ぃ、っ!」

それでも、天沢郁未は退かない。
今にも崩れ落ちそうな身体を引きずって戦う郁未の瞳には、不退転の決意があった。
自由への渇望もある。迫り来る死の刻限への抵抗も、無論のこと存在した。
しかし、それよりもなお郁未の心を満たし支えていたのは、他ならぬ鹿沼葉子の言葉である。
葉子があの少女たちを敵と呼んだ。
ならば、その少女たちを取り込んで生まれた眼前の巨神像群もまた、葉子の敵であると思った。
それが、ただそれだけのことが、天沢郁未の戦う、最も強い理由である。

564十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:11:20 ID:McAJYwDI0
見上げれば空を覆うような影。
突き込まれる巨槍は大気をも穿ち貫くように、直線の軌跡を描いて落ちてくる。
距離を詰めるように駆け出した、郁未の背後で岩盤が破砕される。
振り返ることはしない。
不可視の視界、第三の瞳が郁未にはあった。
振り返ることなく、郁未は駆けながら背後を確認。
落ちた槍は素早く引かれている。
引かれた槍が、再び突き込まれようとするのが見えて、
と、

「……!?」

その穂先が、割れた。割れた影は三つ。
否、軌跡が分裂したと見えるほどに連続した、それは神速の刺突。
流星の如き槍撃が狙い澄ましたように郁未へと迫る。
一つ目を躱し、二つ目を避け、そして三つ目は―――対処しきれない。

「が、ぁ……っ!」

直撃だけを回避し、しかし爆ぜるように巨槍が大地を粉砕する、その爆心地の直近から逃れることは叶わなかった。
咄嗟に張り巡らせた不可視の壁も僅かに間に合わない。
鋭く尖った石礫が幾つも郁未へと突き刺さる。
爆風が、流れる血と同じ速さで郁未の身体を吹き飛ばした。

『―――郁未さんっ!?』

悲痛に響く声に、薄く笑む。
笑んだ直後に衝撃が来た。
受身も取れずに叩きつけられた岩盤に、食い込んだ石礫と開いた傷口とが卸し金にかけられるように削られていく。
遮断した痛覚を無視するように目尻を流れるのは涙滴だった。
肉体の防衛本能が流させる、それは警告である。
ごろごろと転がった先で、しかし郁未はそれを拭いながら立ち上がる。
左の肘から先は奇妙に捩じくれて動かない。
動かないが、立ち上がった。

565十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:11:38 ID:McAJYwDI0
『はは……今のはちょっと、効いた……かも』

葉子に伝える軽口も、声にはならない。
ぱっくりと裂けた唇の間から漏れるのは、がらがらと血痰の絡む濡れた吐息のみである。

『けど、まだこれから……』
『―――もう、いい』

それは、静かな声だった。
底冷えのするような、低く、暗い声。
郁未がそれを相方の、鹿沼葉子の声であると認識するまでに、僅かな時間を要した。

『え……?』
『もう、いいと言ったのです。もう、いいです。もう、充分』

それは、

『葉子さ―――』
『これは、私の戦いです』

それは、拒絶だった。

『あれは、私の敵。……郁未さんは、もう下がってください』

繋がっていたはずの、手の温もり。
それが幻想であると告げるような。

『それが……光学戰試挑躰である、私の為すべきことなのですから』

伝わる声音の冷たさに、背筋が震える。
力が、抜けていく。
追い縋れない。
駆け出したその背に、手が届かない。
のろのろと、何かを言おうと口を開きかけて、

『―――ごめんなさい』

呟きが、世界を変えた。
それは、焔である。
暗く灯りの落ちた天沢郁未の奥底に横たわる、ゆらゆらと静かに揺れる水面に落とされた、微かな火種。
水面は、油だ。
炎が、一気に燃え広がった。
それは瞬く間に、失望を嘗め絶望を焼き拒絶という鉄扉を融かし尽くす業火となる。

伸ばした手は届かない。
届かない手は、乾いた血に塗れて赤黒い。
赤黒く血に染まった手指が拳を形作り、ぎり、と音を立てた。


***

566十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:12:00 ID:McAJYwDI0
 
あの場所で過ごした時間を、地獄と呼ぶ人もいるのかもしれない。
だけど、違う。
あれは分水嶺だったのだ。過去という監獄と、未来という荒野との。
或いは、

孤独と、そうでない温かさとの。


***

567十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:12:26 ID:McAJYwDI0
 
光学戰試挑躰。
相方が、鹿沼葉子が鹿沼葉子らしからぬ表情を垣間見せるようになったのは、
その単語を口にしてからこちらのことだ。
聞けば、葉子の身にはまだ隠された過去と、秘められた力があったのだという。
詳しいことは覚えていない。覚える必要もなかった。
その程度の、ことだった。

つまらないことだ、と思う。
何もかもが、つまらない。
葉子がそんな過去に拘泥していることも。
自分に隠し事をしていたことも。
それが、要らぬ迷惑を被らせまいとする気遣いであろうことも。
告げてなお、一人で何かの決着をつけようとしていることも。
二人で歩むこの先よりも、今この戦いを見つめていることも。
おそらくはその終わり方を、手前勝手に心に決めたのだろうことも。
―――なんて、つまらない。

何より一番に、気に入らないのは。
そんなことの全部に気付かないよう振舞う郁未が、本当は何もかもを理解しているということを。
そこまでを葉子は分かっていて。
分かった上で、葉子の身勝手を赦すと。
その決断を、認めると。
鹿沼葉子が一人で歩むことを、天沢郁未が肯んじると。
そんな風に、考えていることだ。

「……けんな」

伸ばした拳は届かない。
巨槍は迫る。

「……ざけんな、」

鹿沼葉子は謝罪を口にし。
背を、向けている。

「ざッけんな、鹿沼葉子……ッ!」

それが、どうした。


***

568十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:12:42 ID:McAJYwDI0
 
あの朱い月の夜を越えて。
私たちは、訣別したのだ。
過去と。亡霊たちと。私たちを縛る、私たち以外の、すべてと。

ならば。
ならば、私の手が。
夜を越え明日を歩む、私たちの伸ばす手が。


―――届かぬ道理の、あるはずもない。


***

569十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:13:04 ID:McAJYwDI0
 
一歩を踏み出す。
ただそれだけで、この身は鹿沼葉子に並んでいる。

「郁未……さん……!?」

思わず漏れた声も、驚いたような顔も、全部がすぐ、そこにある。
ただの一歩。
距離の如きが、天沢郁未と鹿沼葉子を隔てることなど叶わない。

「どうして……!」

叫んだ瞳に滲む涙が、きらきらと日輪に輝いて綺麗だと、そんなことを思う。
影が、落ちた。
陽光を遮る無粋な影は、巨神像の振るう剛槍。
足を止めた郁未と葉子とを襲う、地を穿つ流星。
告死の一閃が、迫る。

「―――ねえ、葉子さん」

その名を口に出して、微笑む。
掠れた声と息切れと、こみ上げる血と激痛と、そんなものを、無視して。

「私は―――」

轟々と風を巻いて迫る槍が、喧しい。
だから拳を突き出した。
まだ動く、右の拳の一本が。
血に染まった、傷だらけの細い腕が。
不可視と呼ばれる、無限の力を紡ぎ出す。
力は壁となり、力は腕となり、力は最後に、拳となった。
不可視の壁が、巨槍を防いだ。
芥子粒のような二人を前に、天を支える巨柱の如き槍が、その動きの一切を止める。
不可視の腕が、巨槍を掴んだ。
山を穿つ穂先が、大地を抉る長柄が、その主の意図に反して向きを変えていく。
最後に不可視の拳が、巨槍を、弾いた。
練り固め、押し潰された大気が爆ぜるような凄まじい轟音と共に、巨槍を持つ神像が大きく体勢を崩す。
弾かれた槍の一直線に向かう先には、刀を構えた巨神像が存在した。
槍の長柄が巨神像の刀を圧し砕き、穂先が巨神像の頭を、破砕する。
その一切を、郁未は目に映してすら、いない。

「―――私は、あなたのそばにいる」

瞳は、鹿沼葉子だけを、ただ真っ直ぐに見つめている。

570十一時四十九分/そばにいる:2009/02/27(金) 15:13:17 ID:McAJYwDI0
 
【時間:2日目 AM11:51】
【場所:F−5 神塚山山頂 南西】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体15200体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:損傷】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:大破】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1045 ルートD-5

571乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:29:09 ID:gteZ9OEo0
 やぁ良い子のみんな、元気にしてたかい?
 この形で出るのも久々だな。そうです、わたしが高槻です。

 最近はシリアルな展開が長く続いて俺もこういうのを挟む余裕がなくなってきてるわけなのよ。
 まあ別にいいんだけど。これぞまさにハードボイルドって感じで少しは格好がつくってもんだ。

 なんだかんだ言っても俺にも面子というものがある。といってもあん時のような薄っぺらいもんじゃない。
 俺がしっかりと他人に誇れるようななにか。胸を張れるなにかのための面子だ。
 問題なのはその『なにか』が俺自身でも分かってないってことなんだよな。

 そりゃそうなんだよな。考えてもこなければ持とうとすることもなかったんだし。
 しかも今までと全然違う環境下で考え事をすることが多くなってしまったせいでなんか戸惑うことも多くなったし。

 ……藤林と再会したときもそうだ。
 離れ離れになって、だけどまた出会えれば嬉しいってもんだろう。ゆめみが飛び出してったのもそうなんだろうって思えるさ。
 だが俺にはその実感がない。再会したところでどんな言葉をかけたらいいのか分からなかったし、嬉しいと思う気持ちも無かった。
 それよりも男の方……芳野って兄ちゃんに気がいってたくらいだしな。

 つまるところ、俺は誰かとつるむことなく自分勝手にやっていた昔の癖が抜け切っていないんだ。
 他人のことなんてどうでもよくて、俺さえ良ければなんだっていいと思っていたあの時のように。
 クソ喰らえと思うが、そういう暮らししかしてこれなかったのが俺なんだって自覚もする。
 最低な野郎は所詮最低な気質のまま。屑は屑でしかいられない。
 何故か岸田の顔が頭に浮かんで、こちらを見下している。

 ああ、もう、クソ喰らえだ、本当に。
 悪態のひとつでもつきたいって気分だ。何もかもを一新したつもりでいても結局は過去に囚われたまま。
 責任を持ちたくない、無責任に生きられさえすればいいとしている俺がいつまで経っても洗い流せない。
 どうしてだろうな……いや、理由は分かってる。

572乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:29:27 ID:gteZ9OEo0
 楽だからさ。妥協して、流されて、何の責任も持たない生き方はとにかく楽の一言だ。
 そんなゆるま湯に浸かりきってきた俺だ。体は楽な方へ楽な方へ行こうとしている。
 慣れきった俺ってやつがそっちへフラフラしようとしている。

 駄目な野郎だ。全く、本当に駄目な野郎だよ。駄目すぎて苦笑いしか出てこない。
 郁乃がせっかく準備を整えてくれているのにな……ケツ引っ叩いて追い出してくれたってのに、そこから進む一歩をどうしても踏み出せない。
 ものぐさが過ぎる。もう一回くらいビシッと叩いてもらわなきゃ、ひょっとしたら何もしないままなのかもしれない。
 こんなだからよ、俺は何にも誰にも胸を張れないのかもな……

「高槻さん、船のことなのですが」

 すっきりしないまま歩いていると、不意にゆめみが話しかけてきた。
 そういえばこいつから話しかけられるのって多いような気がする。ロボットなのに。

 いや最近のロボットはそういうものなのかもしれない。命令を聞くだけ、なんてのはもう昔の話なのかもな。
 そのうち人権なんかもできたりするかもしれない。待てよ、ロボットだからロボ権か?
 いまいち分かりにくいな。機械人形権? 自動人形権? うーむ、自立稼動機械内における人口知能に対する権利の保護……長ぇ。

 などと横道に逸れかけた俺の考えを修正してやる! かのように頭に乗っかっていたポテト(雨避け)がぴこぴこと頭を叩く。
 わーってるよ白毛玉。……そういや、今の俺の姿ってモーツァルトみたいに見えないか?
 今のガキどもはモーツァルトごっこなんてやってないんだろうな。綿を頭に乗せてさ。
 何? 昔のガキだってやってないって? 俺はやってたぞ。

 ……いかん、どうもすぐに変なことを考えてしまう。こら毛玉、ぴこぴこ両手両足で叩いたり蹴ったりしてんじゃねぇ。鬱陶しい。
 分かってるっての。つーかお前、本当俺のことに関してだけは先読みが鋭いのな。以心伝心、いやニュータイプか?
 ララァ、私にも宇宙が見えるぞ。……はいはいはい、分かってるからしっぽ叩き追加すんな。

「どうしたよ」
「探した後のことなのですが……どうするのですか?」

573乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:29:47 ID:gteZ9OEo0
 そういや探す探すばっかり言ってて探した後のことなんざ全然考えてなかったな。
 まぁこの首輪があるからなんだけどな。だがそれも心配ない。外す当てが芳野の兄ちゃんから舞い込んできたし。
 仮に外せるのだとしたらもう残りは脱出だけ。そうなると俺達のやっていることも俄然重要な意味合いを持つことになる。
 ゆめみはそういうのを含んで言ったんだろう。先読みが鋭いのはポテトだけではないようで。

「取り合えずは船自体を見てみないことにはな。壊れているのか、そうでないのか、燃料はどうなのか、とかな。
 まず確認して、それから必要なものを探しに行くってことになるだろうさ。今は見に行くだけでいい」
「なるほど、そうですね。確かに船があるというのを知っているだけですからどうなっているのかも分かりませんし」

 頷くゆめみ。そういえばこいつの腕もどうにかしないと。岸田も死んで、残りも30人ほどの状況とはいえ、
 まーりゃんとかいう女を始めとして殺し合いに乗ってる連中はいないわけじゃないだろう。それに備えてゆめみの体調……
 というか調整をしておく必要がある。こいつだって立派な戦力だからな。

「お前も何とかして直してやらないとな。いつまでもその腕のままじゃあな……正直キツいぜ。はんだごてで直せるかねぇ」
「神経回路は普通の機械と同じ配線ですから、応急処置としては十分だと考えられます」

 そりゃ良かった。一応機械工学に関しての知識はあるからな。
 MINMESやELPODの調整を度々やらされていたことがこんな形で役に立つとはよ。
 どちらかというとデジタル的なデータの調整の方が多かったような気もするが、この際気にするまい。

 と、俺はふとゆめみのために行動している俺という存在がいつの間にか現れていたことに気付く。
 自分のためじゃない、純粋に人のことを思っての行動だということに。そこに多少の打算があったのだとしても……

「あの、ありがとうございます」
「……何がだ」

 急な言葉に多少詰まらせながらも俺はそう返す。ゆめみは寸分の打算もないやわらかな笑みを浮かべていた。

「わたしを直してくださることです。それは、きっとお医者様がひとを治すのと同じことだと思いましたから」
「なに、そんな大層なもんじゃない。……一蓮托生ってやつだ」
「一蓮托生……?」
「乗りかかった泥舟ってことだよ」

574乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:30:14 ID:gteZ9OEo0
 少しの間を置いて、ああ、という風にゆめみは頷き、同時に苦笑していた。俺も苦笑を返す。
 一蓮托生、か。

 自分でそう言っておきながら、今更のようにようやく理解している。
 この道を俺は選ぼうとしている。今までに経験したこともなく、何があるのかも不明瞭で不安だらけの道を。
 自分で決めたことだ。アドバイスやら何やらがあったとしても、決めたのは俺なんだ。

「あの、分かっていて申し上げられたのなら申し訳ないのですが」
「お?」
「乗りかかった船、ではないのでしょうか? ……泥舟だと、沈んでしまいます」
「……」

 ゆめみの苦笑が思い出され、そういう意味だったとやっと分かった俺は口をあんぐりと開けるしかなかった。
 ま、ままま間違えたわけじゃないぞ! あれだ、沈む船だとしても最期まで一緒ってことだよ! イッツタイタニック!

 なに? タイタニックでは片割れが生き残ったって? うるせー馬鹿! 細かいことを気にするな!
 これが一蓮托生ってことだ分かったかよ畜生!
 頭の中では真っ赤になって誰かに反論しつつ、表面上はクールを装って華麗に返す俺。

「ふ……ゆめみ、大人のハードボイルドジョークを分かっていないようだな。地獄に落ちるなら一緒ってことなんだぜ?」
「そうなのですか? すみません、わたしのデータベースになかった言葉だったので……」

 流石俺。流石クール高槻。見事な返しに思わずゆめみさんも信じるこの鮮やかさ!
 さらりと告白まがいのようなことを言っているような気がするがゆめみさんが空気読んでフラグ折ってくれました。
 決してゆめみさんがアホアホロボットだと言っているわけじゃないぞ?
 とにかく上手く誤魔化すことに成功した俺は大袈裟に咳払いをして話をまとめにかかる。

「そういうことだ。分かったらまずははんだごてを探すぞ。船が壊れていても修理に応用できそうだからな」
「了解しました。泥舟に乗船させてもらいますね」

 ……こいつ、分かっててやってないだろうか?
 だがにっこりと純真無垢に微笑を浮かべるゆめみを見るとそんな邪な考えもすぐに吹き飛んだ。

 代わりに、もし泥舟の話を誰かに聞かれでもしたらとんでもない恥さらしになるのではないだろうかという不安が頭を過ぎる。
 どうやら泥舟に乗っているのは俺も同じらしい。沈まないように祈るしかない。
 でもきっといつかバレるんだろうなあ……確信にも近い予感を抱きながら、俺ははんだごてがありそうな工具店を探すことにした。

     *     *     *

575乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:30:43 ID:gteZ9OEo0
 薄明るい密室の中、ひとりの少女が俯き加減に座っていた。
 頬は僅かに赤く、瞳の奥には戸惑いとある種の期待を込めた色が窺える。
 服は既にはだけられ、インナースーツの上半身部分だけが覗き彼女の柔肌を守っている。
 守られていない部分――すなわち、素肌が見えているところはほの暗い空間と対になるような白さがあり、
 落とされた服と相まって卑猥な雰囲気を醸し出している。
 眺められていることに気付いたらしい少女は少しの間を置いてから頷く。
 しゅるしゅるという衣擦れの音が聞こえ、ゆっくりと裸身が露になってゆく。
 少女らしいほっそりとした肢体と、控えめに膨らんでいる胸。以前見た事がある男だが、
 改めて見てみると思った以上に小さなものだと感慨を抱いた。

「あの……宜しく、お願いします」

 上目遣いに見上げる少女。ああ、と男は頷き、『道具』を持って彼女の背後へと回る。
 方膝をついて座り、ぴったりと体を密着させる。女の子特有の柔らかさが伝わってきた。
 ごくりと生唾を呑み込みつつ、男は少女の身体を――

576乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:31:10 ID:gteZ9OEo0

 んなわけあるか。
 ただの応急処置の風景だよ。
 賢者タイムだとか思った奴表に出ろ。

 ……とまあ、首尾よくはんだごて他回線やら何やらを入手してとりあえずゆめみの応急処置をすることにしたわけだ。
 部屋が薄暗いのは俺達が無防備になるから誰かに見つけられないための措置ってやつだな。
 密室にしたのも以下同文。オープンにそんなことやってたまるか。大道芸じゃないんだぞ。

 まあそもそも俺がゆめみに欲情することなんざ俺がポテトに恋することくらいありえん。
 ロボットだし、おっぱい小さいし。あっ、重要なのはおっぱい小さいってところだぞ?
 小さいのが悪いと言っているわけではないが、やっぱり大きいほうが色々と便利じゃん? 何がって? 大人になれば分かるさ。

 しかしまあ、本当にこんなので大丈夫なのかねえ。
 人工皮膚を鋏でジョキジョキ切って、切断された配線をはんだでくっつけ直す。
 ゆめみの電源は一時的に切ってある(スリープモード)に移行してあるから感電の心配はないんだが、念のためにゴム手袋で作業。
 さらにゴーグル装備。マスクもついでに。意味があるかどうかはこの際置いておこう。

 問題なのはゆめみに開けられた穴がちょうど胸のあたりを貫通してることなんだよな。
 奥のほうまでいくと流石に俺でもどうしようもなくなってくるし、どうなっているのかも見えない。
 つーか、科学の粋を集めて作ったロボット、しかも試作品のことが一発で分かってたまるか。
 繋ぎなおしだって色が同じ奴をくっつけているだけだしな。……寧ろ変なところをくっつけてしまいおかしくなりはしないだろうかと思う。

 だが作業は始まってしまった以上、今更止めるわけにもいかないし、ゆめみ本人も(多分と付け加えたが)大丈夫と言っている。
 いけるいける、絶対にいけるとお祈りしつつ手の届く場所までは直す。
 見た感じでは主な損傷箇所は胸部の、いわゆる肋骨にあたる骨格が破損していて、
 モーターだかバッテリーだか分からん箱のようなものも貫かれて使い物にならなくなっているようだ。
 ゆめみ本人なら分かるかもしれない。後で聞いてみよう。

「……よし、やれるだけはやったぞ……後は運を天に任せるか」

577乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:31:30 ID:gteZ9OEo0
 ゴーグルとマスクを外して一息。
 残りはジョキジョキ切ってしまった人工皮膚の繋ぎなおしだが、まあ糸でも通しときゃどうにかなるだろ、多分。
 でも糸なんて見つからなかったしなあ……そうだ、確か忍者セットの中に強力な糊みたいなのが入ってたはずだ。ん、トリモチだったかな?
 まあいい。とにかくくっつけられるなら大丈夫だろ。

 ごそごそとデイパックから例の糊みたいな何かを取り出し、ヘラで掬い取ってぺたぺた……と。
 小学生の工作の時間を思い出しつつ人工皮膚の切れ目に塗りたくる。
 どうやら見込みに間違いはなかったらしくぺろんと皮膚が剥がれることもなかった。

 取り合えず今はこれでいい。本格的な修理は後にでもやればいいさ。きっとメイドロボと同じレベルの修理なら出来るはず。
 試作品だからって何もかも違うってことはないだろう。

「よっしゃ、終わったぞゆめみ。起きろ」
「――システム再起動。各種機能をチェックします……一部にエラーが見受けられます。
 サポートセンターに問い合わせします……エラー。接続を中断します。稼動には深刻なエラーは見受けられません。
 よってこのままプログラムを起動します。……パーソナルネーム『ほしのゆめみ』、起動」

 抑揚のない無機質な声がしばらく続き、俯いていたゆめみの頭がようやく持ち上がる。
 普段はあんなに可愛い声なのにな。気が利いてないというか、システムボイスくらい気を配れというか。
 けど、やっぱりエラーはあるらしい。深刻ではないようなのでひとまず問題はないというところだな。

「――おはようございます」
「おう。どうよ、調子は」

 言われたゆめみは動かなくなっていた腕を動かそうとする。もし直っていれば腕は動くはずなのだが……
 一瞬緊張し、しかしそれも杞憂だと分かった。
 多少ぎこちないものの腕が動き、関節も曲がる。指も曲げられるようだった。

 ふーっ、案外簡単にいくもんだな。ひょっとすると、ロボットのハードウェアに当たる部分は案外いい加減なつくりなのかもしれない。
 繊細なのはプログラムだけ。……俺達と同じだな。
 死にたいと思っても中々死に切れず、恥を晒して、それでも体は動き、命が脈動して……

578乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:31:52 ID:gteZ9OEo0
「若干、関節面の動きが鈍いように思われます。それに腕も肩より先に上がらないみたいです」

 ギギギと腕を上げようとしたゆめみだが、不自然な部分で止まってしまっている。やはり不完全か。
 これじゃあ格闘は無理か。折角格闘プログラムをインストールしたってのに、勿体無い。
 まぁしかしちゃんと動くだけマシってところか。
 右足と左足が同時に出たりとか、指が常にわきわきしたりとか、そういう不都合が出なくてよかった。

 医者ってのもこんな気分なんだろう。自分のやったことに対して一喜一憂する。上手くいけば全力で喜べる。自分自身も患者も。
 俺がやっていることは絆創膏を貼るレベルなんだろうけどな。
 苦笑しながら、俺はまだ体の調子を確かめているらしいゆめみに「服を着ろ」と伝える。
 その、なんだ。いかに興味ないとはいえ半裸の女の子(ロボットだが)が男の視線を気にしてないというのも問題なわけで。
 全く。プログラマー出て来い。

 今更のように自分がそういう格好だと知ったように、あっと声を上げてゆめみが慌てて服を着る。
 手遅れなんだが。もう見てるんだが。色? 馬鹿野郎、そういう無粋なことを聞くもんじゃないの。
 もう少し大きかったら揉んでたね。空しくなったとしても揉んでたさ。男だからな!
 ……こういうとき、突っ込み役がいないと少し寂しいな。藤林と一緒に行けば良かったか。半殺しにされそうだけど。

「ぴこ」

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、ポテトがぴこぴこと叩いてくる。
 気持ちはありがたいが、もうちょっと刺激が欲しいな。全然痛くないし。

「……ぴこ」

 あ? なんだよその汚いものを見るような目は。変態?
 何を言うかこの駄犬。俺が求めているのは体を張った笑いなんだよ。ネタのために体を張る。男らしくていいじゃないか。
 つーかお前如きに変態呼ばわりされてたまるか未確認生命体め。
 頭からひっぺがしてイチローのレーザービームのように外に投げ捨ててやろうとしたとき、ズン! という低い音と共に地面が揺れた。

579乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:32:12 ID:gteZ9OEo0
「なんだっ!?」

 家屋の中にいてまで響いてくる上に、揺れたのだ。
 俺はポテトのことも頭から放り出して外へと向かう。まさか、別働隊の藤林と芳野の兄ちゃんがやられたんじゃないだろうな。
 服を着たらしいゆめみも慌てて荷物を持って俺に追い縋ってくる。

「何でしょうか、今の音は……」
「分からん。ヤバいことじゃなけりゃいいんだが」

 こうなると見つかりにくくするために閉めきっていたのが煩わしい。手早く扉を開け、外に出ると……
 なんじゃこりゃ、と俺は絶句したくなった。

 ここから海岸に沿った方向、およそ数キロほど先にある場所だろうか。
 夜に、しかも雨なのにもかかわらずもうもうと煙が上がり、空の一部が赤く切り取られている。
 キャンプファイアーにしてはあまりに大きすぎやしないかい? そんなことを言いたくなるくらいに激しく何かが『燃えていた』。

「海の方……みたいですが」

 ぽつりとゆめみが呟いたとき、まさかという予感が走った。
 あそこで燃えているのは、もしや、船――!?
 半分そうだと言っている自分と、そんな馬鹿なと騒ぎ立てている自分がいた。

 いや仮に船だとして、どうして燃やすような真似をする? あそこで戦闘でもしていたのだろうか?
 だがこの雨の中、そう簡単に船が爆発して燃えるなんてことがあるのか。
 火をつけただけじゃあんなことにはならない。もっと他の、専門的な知識と道具を使わなければ……

「畜生! 行くぞ!」
「え? あ、は、はい!」

580乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:32:35 ID:gteZ9OEo0
 考えていても始まらない。悪い予感が現実の形になっていくのを認識しながらも、確かめてみなければという思いが体を動かしていた。
 そう、もし燃えているアレが船だとして、わざわざ専門的な道具を使ってまで破壊し、尚且つ得をするような連中……
 そんなもの、脱出を是としない主催の連中に決まっているじゃないか。

 甘かったというのか。わざわざ現場に人員を送り込んでくるような真似をしてこないと踏んだ俺が間違っていたのか。
 万が一送り込んだ人員が捕まれば対抗する手立てを見つけられるかもしれないのに?

 くそったれ……!
 走りながら、俺は悪態をつくしかなかった。

581乗りかけた……?:2009/02/28(土) 03:32:54 ID:gteZ9OEo0
【時間:2日目午後22時00分ごろ】
【場所:C-3・鎌石村工具店前】

タイタニック高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光二個)、コルトガバメント(装弾数:7/7)予備弾(5)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:爆発の元へ急行。船や飛行機などを探す。爆弾の材料も探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ドラグノフ(0/10)、はんだごて、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。高槻に従って行動】

→B-10

582のこされたもの:2009/03/05(木) 23:16:32 ID:9452gkFI0
「ん……」

 目覚めるとそこは夕暮れの部屋だった。
 散乱する書類、何の目的に使うのかも分からないガラクタ、勢いだけで書かれた変な掟の数々。
 寝起きの頭で数秒ほど考え、ほどなくしてここが生徒会室なのだと思い至る。

 どうやら机にうつ伏せのまま眠っていたらしい。首は硬くなっていて、頬をなぞってみると制服の皺の跡が残っているのが分かる。
 自分の他には誰もなく、眩しいばかりの夕日が暖かな橙色を伴って自身の体と生徒会室を染め上げていた。

 綺麗だな、と思いつつ椅子から立ち上がり、夕日を差し込んでいる窓へと朝霧麻亜子は歩いていく。
 見下ろしたグラウンドもセピア調のトーンに揃えられていて、人気のない様子も手伝って物寂しいものを麻亜子に伝えた。
 いつもならまだ陸上部やらサッカー部やらが部活に勤しんでいるはずなのに。

 今日はどこも早く切り上げてしまったのだろうか、それとも自分が遅くまで眠りこけていたのだろうかと思って麻亜子は部屋の中に時計を探す。
 少し漁ると、書類の束に埋もれるようにしていたデジタルの時計が見つかった。
 あちゃ、と麻亜子は頭を掻く。時刻は六時を回っている。とっくに最終下校時間を過ぎているではないか。
 早く出なければ見回りをしている先生に見つかってお説教コースだ。もう手遅れかもしれないが。

 それにしてもどうして起こしに来てくれなかったのだろうと頬を膨らませる。
 最近のあの二人は仲も良さそうだったし、ひょっとしたら遊びにでも行ってしまったのかと想像する。
 自分を差し置いて楽しいこととは……いつか倍にして返してやろうと思いながら麻亜子は生徒会室を出る。
 扉を閉めようとしたとき、そういえば鍵は持っていただろうかと思ったが、すぐに「まあいいか」と気にせず、そのまま後にする。

 赤く染まる廊下に麻亜子ひとりの足音だけが続く。最終下校時間は過ぎているとはいえ、本当に静かで誰もいない。
 まるで世界に一人取り残されたような気分と、普段は騒がしいはずのこの場所が醸し出す、どこか静謐な、雰囲気の新鮮さを楽しむ気分。
 その両方を持ちながら、麻亜子はくるくると視線を動かす。いつもなら気にも留めないような景色にも目を配って。

 意外と清掃は行き届いている。
 うんうん、さーりゃんはそういうとこに気を配れる子だからねー。
 廊下の掲示板に張られている新聞やイベントに関するポスターもちゃんと節度を守った学生らしいものだ。
 うーん、ちと刺激が足りぬが、まぁさーりゃんらしいよね。これはこれでいい気分。

583のこされたもの:2009/03/05(木) 23:16:54 ID:9452gkFI0
 階段を下り、昇降口に出る。やはりというかなんというか、既に卒業してしまっている自分の下駄箱はもはや存在しない。
 つい数ヶ月前まで自分が使っていたそこには名前も知らない生徒の上履きが入っている。
 さて、自分はここに遊びにきているときどの空き下駄箱を使っていただろうかと思い起こそうとして、しかし思い出せなかった。
 今日立ち寄ったばかりなのに、もう忘れてしまっている己に失笑する。更年期障害にはまだまだ早いはずなのだが。

「……あはは、あたし、もういないんだよね、ここには」

 ここには何もない。自分の居場所は、どこにも。
 いつまで縋っているのだろう。自分を知るものはなく、残しているものもないここに何を求めているのだろう。
 一人で旅立つのが怖いから? 上手くやっていけるかなんて分からないから?
 いやきっと両方なのだろう。臆病で、昔にあったものしか信じられず、いつまでも居座ろうとする女。
 頭も良くなければへそ曲がりな体質で協調性、親和性にも欠ける。それが自分だ。

 知ってしまったからだ。落ちるかもしれない、そういうことがあると知って、羽を広げられなくなってしまったからだ。
 破天荒であったのは自分の居場所がまだあると錯覚するために過ぎず、明るく振る舞っていたのは現実を誤魔化すための手段に過ぎない。
 全て自分のためだ。友達のために行動していたのが本心だろうが偽りのものだろうが、結局は自分を安心させたいがため。
 利用していたとは思わない。貴明とささらは、いや新生徒会の面々は大好きで、いつまでもあり続ければいいと思っていた。

 だから……だから自分はあんなことをしてしまったのだろう。
 思い出す。麻亜子が行ってきた所業の数々を。
 人を殺したのも、騙したのも、裏切ったのも全部友達のため。つまりは自分のため。
 誰かを殺して友達のためになるのなら、殺している自分には居場所があると頑なに思い続けていただけだった。

 自分のしていることが友達にどう思われるかなど考えもせず、思考停止して居場所を得たかったがためにやっていたのに過ぎず……
 そうした時点でもう居場所なんてあるはずがなかった。
 自分の居場所は友達があってこそというのを忘れてしまっていた時点で、もう何もかもが失われていたのに。
 だからここには誰もいない。この学校には誰もいない。
 全員自分が追い出してしまったからだ。自業自得の一語が浮かび上がり、嘲笑だけを吐き出させた。

584のこされたもの:2009/03/05(木) 23:17:16 ID:9452gkFI0
「でも、今の先輩にはそれだけじゃないでしょう?」

 やさしい声が風に乗って運ばれ、麻亜子の耳へと届いた。
 昇降口の奥、廊下側から聞こえてきたのは河野貴明の声。振り向くと、そこには大きなダンボールを持ったままよろよろと歩く貴明がいた。
 どこかへと行く様子の貴明だったが、もう最終下校時間だとか、どうしてそんなものを持っているのか、そんな質問は浮かばなかった。
 さっぱりとして清々とした表情には、何の未練も感じられない、穏やかな雰囲気があった。

「俺達だって、いつまでも先輩に拘ってちゃいけませんしね」

 苦笑した貴明はそのまま奥へと進んで行く。それは明らかな別れだった。
 待って、とは言えなかった。引き止める資格はない。自分で追い払っておきながら、寂しくなったからなんて今さら過ぎる。
 仮に引き止めたところで、それは彼らを縛り付ける意味しかない。永遠に飛ぶ事を恐れる自分の我侭に付き合わせるだけでしかない。

 そもそも居場所を取り返そうというのが傲慢な発想だったのだ。
 そのために誰かの居場所を奪ったところで、取り戻せるわけなんてなかったのに。
 深い後悔が息苦しさとなり、胸を鋭い痛みとなって突き上げる。こうして苦しんで死んでいくしかないということか。
 永遠に苦しみ続け、憎悪を受け止めて。自分の居場所を求め続けた、これが結果なのなら……

「仕方ないな……先輩、俺の言ったことの意味をよく考えてくださいよ。それだけじゃない、って」
「今のまーりゃん先輩にしかないものがあるんです。……たとえそれが間違ったことの果てに見つけたのだとしても」

 遠くから振り向いた貴明の言葉に続けて、どうやら階下から降りてきたらしいささらの言葉が重なる。
 今の自分にしかないもの?
 自答してみて、だがそれは悲しみでしかないと答えようとしたが、本当にそれだけなのかと必死に思い出そうとしている自分もいた。

 思い出すべきなのだろうか。迷っているうちに陽が沈み、夕日の色は徐々に失われ、夜の帳に覆われていく。
 それと同時に、二人の姿もだんだんと夜の陰に埋もれていき、姿を隠そうとする。
 完全になくなってしまう前に結論を出さないといけないという思いが体を走り、開けることを躊躇っていた記憶の扉を押す。

「そうだ、あたしは、まだ……」

585のこされたもの:2009/03/05(木) 23:17:32 ID:9452gkFI0
 分かっていながら、それでも止められなかった自分に対して向けられた、「間違っている」という言葉。
 どんなに辛くてもその気があるのならやり直せると言って、手を差し伸べてくれたひとがいる。
 だがその道を本当に行くかは自分に委ねられた。強制ではなく、ただ選択肢だけを与えられていた。
 その手を取るかは、自分次第。

 麻亜子は暗くなりかけた風景の、橙と紺色が混ざり合い変わりゆく世界の中で静かに己の手を見つめた。
 血に染まった手であり、可能性を残した手。
 最後に残った太陽の光へと振り返り、麻亜子はそこにあるもの、この先にあるものの所在を確かめた。

 今の自分は自由だ。このまま夜を迎えるのも、朝日の昇る方向へ向かうのも、全てが委ねられている。
 楽になることはきっと、できない。いつまで経っても一度犯した間違いはリセットできない。どんなに後悔しているとしても。
 だがその先、歩いた先に何があるのかは不明瞭で誰にも分からない。そこにはどんな結末が待ち構えているのかも分からない。
 不幸か、絶望か、幸福なのか、希望なのか。言えるのは、そのどれもが在り得るということだ。

 けれども立ち止まったままではそのどれもを得ることは出来ない。
 皆が残していった欠片。想いの残滓を投げ出してしまう。

 そんなものは嫌だ。義務感からではなく、贖罪の念からでもなく、己の沸き立つ思いに従って麻亜子は太陽が完全に沈む様を眺めた。
 赦されるのかどうか、その資格があるのか……考えれば、普通はあるはずがないのだろう。
 だが儚くとも、ないわけではない。それに共に歩むひと達がいる。間違いを犯した者なりに掴めるものだってあるかもしれないから。

「行くよ、あたし。自分で考えて、自分で決めたことだから」

 見返した先、表情も見えなくなっていた二人の姿が揺らぎ、つい先程まで戦っていた二人の姿を代わりに浮かび上がらせた。
 夜になった世界を背にして、麻亜子は二人の元まで歩いていく。
 しっかりと、地に足をつけて――

     *     *     *

586のこされたもの:2009/03/05(木) 23:18:03 ID:9452gkFI0
 ぼんやりとした輪郭が映る。じっと無表情に、だが瞳の奥には心配を交えた色があった。
 あの子か……沈みゆく夕暮れの光景で見た、最後の人影と重ねて、麻亜子は微笑を浮かべた。

「起きた?」
「ああ、うん……夢を見てたみたい」

 どこかの民家にでも移動してきたのだろうか。
 視界は薄暗く、消えた蛍光灯と壁紙の白さ、無造作に置かれている家具の数々が、生活感よりもかえって不気味さを際立たせていた。
 窓から外を見れば先刻見ていたあの夕日の美しさはなく、茫漠としてどこまでも伸びるような闇が広がっている。
 これが自分の生きているところだという自覚を持ちながら、麻亜子はむくりと起き上がった。

 服はいつの間にか着替えさせられていたようで、今度は体操服のジャージ(上下)に、さらにその下は通常の体操服が着せられている。
 サイズも微妙に合ってなく、ジャージもぶかぶかな感があった。そして何より、デザインが地味だった。
 だっさいなぁと率直な感想を抱きながら、麻亜子は「何これ、こんなんじゃ萌えないなー」と言ってけらけらと笑った。

「動きやすそうな服がそれくらいしかなかった。サイズも合いそうなのがなかった……許して欲しい」

 すまなさそうな声の方を見れば、これまた彼女も剣道部の胴衣をきっちりと着こなしている。
 上下に黒を基調とした無骨なデザインと、少女らしい可憐な顔とがアンバランスにも感じられ、かえって不思議な魅力を出していた。
 くっそー、これだからおっぱいぼーん! は……

 胴衣の上からでもわかる大きな膨らみに若干の羨望を覚えつつ、麻亜子は普段の調子を取り戻してきていることに安堵する。
 或いは、体操服と剣道着という日常的かつ不恰好で可笑しな組み合わせがそうさせてくれたのかもしれない。
 こんな風に可笑しく笑えたのはここに来て以来初めてじゃないだろうか。その事実を噛み締めながら麻亜子は話を切り出す。

「あのさ……あたしは……」
「川澄舞」
「へ?」
「私の名前。初めて会う人と話すときは、まず自己紹介」


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