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772嘘つきは語り手にしておく・b(6/12) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:20:30 ID:LcfGWHUk
 真剣な口調で、少女は問う。
「あなたには、守るべき相手がいますか?」
 尋ねる声は、どこか悲しげに響いたような気がした。
 ……嫌な予感がする。首筋を悪寒が這い回っている。
 ヒースロゥは堂々と頷き、即答した。
「ああ」
 そして、あたしは見た。
 答えを聞いた少女が、銀の瞳に冷たい光を浮かべる瞬間を。
 懐中電灯が少女の手を離れて落下し、地面に転がる光景を。
 長い髪を風になびかせて、少女が後ろへと跳躍する様子を。
 跳躍しながら少女が文言を紡ぎ、紙片を撒き散らす過程を。
「臨兵闘者以下略! 絶火来々、急々如律令!」
 紙片が激しく燃え上がり、空中に炎の塊が生まれ、数秒で消滅する。
「……!」
 いち早く状況を把握するため、あたしは五感を研ぎ澄ませる。
「お前は――殺人者か!」
 ヒースロゥが叫んでいる。とっさに伏せて、攻撃をやりすごしたようだ。どうやら
無傷らしい。一秒で起き上がり、再び鉄パイプを構えている。
「くっ!」
 少女が片手に紙片を広げる。まるで手品師のような、熟練した挙動だった。
 よく見ると、紙片の正体は、奇妙な文字や紋様が記されたメモ用紙らしい。
 呪符……のようなものなんだろうか? 
 呪符がないと攻撃できないように見せかけて、いきなり予備動作なしに炎を放ったり
するかもしれない。余計な思い込みは捨てた方が無難か。
 弱点は“技の制御に難があること”だろうと思う。
 一撃必殺を狙ったにしては、発火が早すぎた。呪符が適切な位置まで届くより先に、
技が暴発したような印象があった。そのせいで攻撃に失敗したらしい。
 敵は遠距離攻撃に向いた能力の使い手で、たぶん能力を制御しきれていない。
 近づくことさえできれば、勝機は充分にある。

773嘘つきは語り手にしておく・b(7/12) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:21:22 ID:LcfGWHUk
 ヒースロゥは怒っていた。すさまじい怒気の余波が、ここまで伝わってきている。
「それは、お前が殺した犠牲者の顔と姿なのか? 正体を現したらどうだ」
 ヒースロゥの問いを聞き、少女は興味深げに目を見開いた。
「この顔自体はわたしの顔ですけれど……何故、この姿がまやかしだと判りました?」
 吐き捨てるようにヒースロゥは言う。
「どこにも血がついていないように見えるが、お前からは血の匂いがする」
「なるほど。風上に陣取ったのは失策でしたわね」
 少女が襟首の辺りから呪符を剥がして捨てると、その姿が紫色の煙に包まれた。
 煙が消えた後に立っていたのは、確かに同一人物だった。けれども、細部がまったく
違っている。銀の双眸は氷のような眼光を放っていたし、装束を染める色彩は致命的な
ほどの失血を連想させた。しかし、彼女自身は怪我をしていない。あれは他者の体から
流れ出た血の跡だ。
「何故『乗った』? あいつらが本当に約束を守るとでも思っているのか?」
 少女の視線とヒースロゥの視線が交錯する。
「ええ……だからこそ、あなたはわたしの敵ですわ」
 二人の声を聞きながら、あたしは飛び出す準備をする。彼女が攻撃を放とうとした
瞬間に視界内へ姿をさらせば、きっと注意を引けるはず。わずかにでも隙ができれば、
後はヒースロゥが何とかしてくれると思う。
「抵抗をやめて投降するというなら、殺しはしない」
 そう言って、ヒースロゥは刻印を指さしてみせた。
「俺たちに協力すれば、一人ではできなかったことが、できるようになるだろう」
 指先が刻印の上を横切る。刻印解除を意味する動作だ。少女はそれを正しく理解した
ようだった。わずかに目を細めて、彼女は嘆息する。
「信用できませんわね」
「交渉決裂か」
「ええ」
 会話しながら、二人はそれぞれ武器を構え直す。まさに一触即発だった。
「ならば、お前をここで討つ」
「あなた一人では、わたしには勝てませんわよ」
 飛び出すなら、今だ。

774嘘つきは語り手にしておく・b(8/12) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:22:26 ID:LcfGWHUk
 ヒースロゥの背後へ現れると同時に、あたしは口の中で適当に言葉をつぶやく。
 ちなみに、あたしの手には今、扇状にトランプが広げられている。
「!」
 少女があたしに気づいて驚く。彼女の視線が、あたしの手元と口元を往復した。
 相手が符術使いだからこそ、このはったりは抜群の効果を発揮した。
 騙せたことを確認し、戦場の外へ向かって、あたしは全力疾走を開始する。
 次の瞬間、炎の燃え盛る音が聞こえてきた。ヒースロゥに対する牽制攻撃だろう。
動揺しているせいなのか、さっきよりも見当違いな位置で呪符が発火したようだった。
 あたしは少女の視界内を真っ直ぐに通過し、また物陰に隠れて様子をうかがう。
 ヒースロゥが一気に間合いを詰め、鉄パイプを振り上げようとしていた。
 水溜まりから飛沫を舞い上げ、水音と共に彼は突進する。
 少女は慌てているらしく、何枚も呪符をこぼしながら、それでも新たな呪符を掴む。
「臨兵闘者以下略! 電光来々、急々如律令!」
 後ろへと跳躍しながら、少女は呪符を投げつける。呪符が雷を生み、光り輝く。
 その直後には、もうヒースロゥの手から鉄パイプが消えていた。
 空中で、投げ捨てられた鉄パイプに電撃が当たり、火花を散らしている。
 一流の戦士は皆、そうすべきだと思った瞬間に躊躇なく武器を手放せる。武器を使う
ことと武器に頼ることは違う。その違いを知らない者は、強者たりえない。
 ヒースロゥは、武器に拘泥しなかった。
「……!」
 でも、勝ったのは少女の方だった。
 ヒースロゥは意識を失い、水溜まりの上に倒れて動かなくなった。
 認めたくはないけど認めるしかない。どうやら、敵の方が一枚上手だったらしい。
 呪文を唱える前に、彼女は地面に呪符を落としていた。投げつけた呪符を囮にして、
彼女は地面の呪符にも雷を発生させた。足元の水溜まりがヒースロゥへ電撃を伝えた。
跳躍していた彼女が着地したときには、既に決着がついていた。
 隙だと思っていたものは、罠だった。
 横たわるヒースロゥのそばに立ち、少女があたしに語りかける。
「あなたの相棒は、まだ生きていますわよ。単に気絶しているだけですから、わたしを
 撃退できれば死なずに済むでしょうね」
 得意げな様子でも喜んでいる様子でもない、ひたすらに淡々とした声だった。

775嘘つきは語り手にしておく・b(9/12) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:24:00 ID:LcfGWHUk
「あなたはこれからどうしますの? わたしと戦いますか? それとも、彼を見捨てて
 逃げますか? どちらを選んでも構いませんわよ」
 三秒だけ考えて結論を出した。物陰に隠れたまま、あたしは返事をする。
「どっちも選ばない。あたしは取引を提案する」
「あらあら、面白いことを言う人ですわね」
 意外そうな、そして愉快そうな声が返ってきた。上手くいくかもしれない。
 さぁ、ここからが正念場ね。
「こっちが提供できるものは“あたし”で、あんたに提供してほしいものは“彼”よ」
 あたしは彼女に姿を見せる。手には何も持っていない。掌を広げて示し、頭の後ろで
両手を組んでみせる。トランプは今、ポケットの中に入っている。
 すぐに武器を構えることはできないけれど、武器を捨ててはいない。安心はさせず、
警戒もさせず、様子を見たくなるように仕向ける。
 少女は黙って呪符を構えている。「続けなさい」という意思表示だろうと解釈した。
「あたしたち二人をしばらく殺さないでくれるなら、あたしはあんたの捕虜になる」
 緊張も焦燥も胸中に封じ込め、あたしは交渉人の役を演じる。
「抵抗はしないし、情報の出し惜しみもしない」
 勿論、嘘だけどね。できることなら、ギギナみたいに『鍵をかけて』説得したい。
教えても問題なさそうな情報しか伝える気はないし、バレない程度に嘘だってつく。
 無害な弱者を装いながら、あえて余裕たっぷりの口調で、あたしは捕虜の必要性を
説明する。
「この『ゲーム』の終盤には、“ひたすら隠れ続けてる相手を24時間以内に探し出して
 殺さないと刻印が発動する”なんて事態が待ってそうだとは思わない? そんなとき
 捕虜がいれば、捕虜を殺して時間を稼いだ後、隠れてる参加者をゆっくりと探せる」
 少女が無言のまま構えを解く。今も呪符は持ったままだけど、悪くない反応だった。
 親しげに、あたしは彼女に笑顔を見せる。
「いざというときの保険として、確保しておいて損はないんじゃない?」
 少女が口を開いた。
「わたしがその取引を拒んだら、どうしますの?」
 当然、その質問は想定済みだった。あらかじめ答えは用意してある。
「あたしは今すぐ自殺する。あんたの足元にいる男は、あたしよりも頑固で意地っ張り
 だから扱いにくいわよ。情報提供者としての価値は、あたしの方が上でしょうね」
 本当に取引を拒まれたら、はったりを駆使して抵抗するつもりだけど。

776嘘つきは語り手にしておく・b(10/12) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:25:24 ID:LcfGWHUk
 あたしと少女は対話する。お互いに腹を探り合う。
「とりあえず捕虜になって好機を待ちたい、というわけですわね」
「怖くなんかないでしょう? あんたは強いんだから」
「そう言われて調子に乗るほど、わたしは子供じゃありませんわよ」
「それは残念」
 この交渉で窮地を切り抜けられないなら、かなり困ったことになる。
 さて、彼女はどう出るだろうか。
「決めました。彼もあなたも、今は殺さないであげましょう」
 あたしは、用心深く少女の様子をうかがう。
「交渉成立ってこと?」
「いいえ、わたしは逃げますわ」
「……え?」
 予想外の答えだった。一瞬、あたしは呆気にとられた。
「わたしを殺しにいらっしゃい。仲間を集め、知恵をしぼり、死にもの狂いで復讐しに
 おいでなさい。……遊び心を忘れてしまうほど、わたしは大人じゃありませんの」
 少女は、嬉しそうに笑っていた。
「きっと、楽しい殺し合いになりますわね」

 タチの悪い冗談みたいに、そのまま少女は走り去ってしまった。北側の出入口から
海洋遊園地の外へ向かうつもりのようだった。
 追いかけるべきだとは思えなかった。ヒースロゥを放置するわけにもいかなかった。
結局、あたしは彼女の背中を黙って見送った。
 もう灯りはない。地面に転がっていた懐中電灯は、少女が回収していった。
 辺りはすっかり暗くなっている。夜空は雲に隠されていて、月も星も見えない。
「ハードね、まったく――」 
 闇の中へ、あたしの溜息が拡散していった。

777嘘つきは語り手にしておく・b(11/12) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:26:10 ID:LcfGWHUk
【F-1/海洋遊園地/1日目・19:00頃】
『嘘つき姫とその護衛』
【九連内朱巳】
[状態]:健康
[装備]:サバイバルナイフ/鋏/トランプ
[道具]:支給品一式(パン4食分・水1300ml)/トランプ以外のパーティーゲーム一式
    /缶詰3つ/針/糸/刻印解除構成式の書かれたメモ数枚
[思考]:とりあえずヒースロゥを物陰に運ぶ/ヒースロゥが目覚めたら移動を再開する
    /パーティーゲームのはったりネタを考える/いざという時のためにナイフを隠す
    /ゲームからの脱出/メモをエサに他集団から情報を得る
[備考]:パーティーゲーム一式→トランプ・10面ダイス×2・20面ダイス×2・ドンジャラ他。
    もらったメモだけでは刻印解除には程遠い。

【ヒースロゥ・クリストフ】
[状態]:気絶中(身体機能に問題はない)/水溜まりの上に倒れたせいで濡れている
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン5食分・水1500ml)
[思考]:朱巳を守る/マーダーを討つ
[備考]:朱巳の支給品が何なのか知りません。

[チーム方針]:エンブリオ・ED・パイフウ・BBの捜索。右回りに島上部を回って刻印の情報を集める。
[チーム備考]:鉄パイプが近くに転がっています。二人とも上着を脱いでいます。
       二人の上着は、ずぶ濡れの状態で神社の木の枝に放置されました。

778嘘つきは語り手にしておく・b(12/12) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:26:57 ID:LcfGWHUk
【E-1/海洋遊園地/1日目・19:00頃】

【李淑芳】
[状態]:????
[装備]:懐中電灯/呪符(5枚)
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン4食分・水800ml)
[思考]:????/北側の出入口から海洋遊園地の外へ出る/どこかに隠れて呪符を作る
[備考]:第二回放送をまったく聞いておらず、第三回放送を途中から憶えていません。
    『神の叡智』を得ています。服がカイルロッドの血で染まっています。
    夢の中でアマワと会話しましたが、契約者になってはいません。
    『君は仲間を失っていく』と言って、アマワが未来を約束しています。

※詳細は【嘘つきは語り手にしておく・a】を参照してください。

779嘘つきは語り手にしておく・a(1/7) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:28:21 ID:LcfGWHUk
 目が覚めたのは、第三回放送が始まる少し前でした。
 そのとき陸は眠っていて、結局、あの犬は放送が終わるまで起きませんでした。
 放送が始まるまで、わたしは願っていました。どうか皆が生きていますように、と。
 祈ってはいませんでした。
 わたしには今、祈るべき相手がいませんから。
 わたしたちは、己を神と呼ぶ者たちですから。
 世界を創造したわけでもなく、全知全能でも不滅でも無敵でもなく、普通の人間より
少し長く生きられて、普通の人間より少し力がある、ただそれだけの存在ですけれど、
それでもわたしには、神を名乗る者としての矜持があります。
 放送を聞いていたときのことは、あまり詳しく思い出せません。聞こえてはいたはず
ですけれど、死者の総数も禁止エリアの位置も憶えていません。
 友と姉が殺されたことを、その放送で知りました。
 今も生き残っている参加者は、わたしの知らない人ばかりです。
 キザで変態で軽薄で女好きでしたのに、何故だか星秀さんは憎めない方でした。
 カイルロッド様は強くて優しい方で、最後までわたしを守ってくださいました。
 チビでカナヅチで未熟でも、義兄と呼ぶなら鳳月さんがいいと思っていました。
 杓子定規で融通が利かない反面、緑麗さんは懸命に努力する格好いい方でした。
 しょっちゅうケンカしましたけれど、わたしは麗芳さんのことが大好きでした。
 皆、死んでしまいました。
 そのとき、わたしが何を考えていたのか、もう自分でも判りません。
 ひょっとすると、何も考えたくなかったのかもしれません。
 気がついたときには、部屋の中が滅茶苦茶になっていました。
 どうやら、わたしが滅茶苦茶にしたようです。
 わたしは泣いていました。涙が止まらなくて、何もかもが歪んで見えました。
 泣き声が勝手に口からあふれ出て、まともにしゃべることさえできませんでした。
 ひどく暗鬱な何かが、わたしの内側を隅々まで満たしていました。
 とにかく、わたしは、とても疲れていました。

780嘘つきは語り手にしておく・a(2/7) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:29:55 ID:LcfGWHUk
 今になって思えば、陸には申し訳ないことをしたものです。
 あの犬は、わたしが落ち着くまで、部屋の端で静かに耐えていました。
 第三回放送でシズさんの名前が呼ばれたかどうか、ずっと考えながらです。
 わたしの錯乱を、陸は一言も責めませんでした。
 いつも笑っているような顔が、どうにも寂しそうに見えました。
 その頃になって、ようやくわたしは陸の怪我に気がつきました。
 薄情な話だと自分でも思います。あまりの浅ましさに、我ながら吐き気がします。
 陸の背中からは血が流れ出ていて、白い毛皮が少し赤くなっていました。
 わたしのせいです。
 わたしは陸に謝りました。何度も同じ言葉を繰り返しました。
 陸は無言のまま首を左右に振り、目を閉じて溜息をつきました。
 許すという意味だったのか聞きたくないという意味だったのか、今でも判りません。
 格納庫で得た『神の叡智』には、様々な知識が収められていました。その中から、
わたしは異世界の術について調べました。故郷では、傷は秘薬で治すと相場が決まって
いましたから、わたしは治癒の術に関しては疎いんです。異世界の知識から治癒の術を
学ぼうとして、わたしは無我夢中で『神の叡智』をあさりました。
 平安京とかいう都で使われているという、簡単な血止めの符術なら、一応わたしにも
使えそうでした。ただ血を止めるだけの術で、傷が消えるわけでも活力が蘇るわけでも
ない、応急処置のための術でした。それでも使えないよりはいいと思いました。
 わたしの治療を、陸は拒みませんでした。大きな傷ではありませんでしたが、血は
なかなか止まってくれませんでした。案の定、大したことはできないようです。
 止血が終わった後、わたしは陸を気絶させました。治療の際に、電撃を発するための
呪符をこっそり貼りつけておいたので、それほど難しいことではありませんでした。
 夢の中で、アマワはわたしに未来を約束しました。『君は仲間を失っていく』、と。
 誰がわたしの仲間なのか考えて決めるのは、あの不可解な御遣いです。
 わたしの仲間だとアマワが判断すれば、わたしたちがお互いをどう思っていようが
関係なく、その“仲間”は殺されていくでしょう。
 わたしは、陸を死なせたくありませんでした。
 故に、わたしは陸の敵になろうと決めました。

781嘘つきは語り手にしておく・a(3/7) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:32:36 ID:LcfGWHUk
 隠れていた建物の中で発見した、奇妙な格好の人形を使って、わたしは下僕を作り
ました。呪符を貼りつけて呪文を唱え、かりそめの命を与えて操ったわけです。
 ごく普通の人間よりも弱く、自律的に考えて行動できるような知能はなく、いきなり
単なる人形に戻ってしまうかもしれない、そんな下僕しか今は作れません。
 戦力という意味では、同じだけの労力で炎や雷などを生み出した方が便利です。
 しかし、それでも下僕は必要だったので、あえて作りました。
 下僕は、わたしの命令だけでなく陸の命令にも従うように設定しておきました。
 ここは半魚人博物館という施設らしく、その“ヌンサ”という人形は半魚人を模して
作られた物のようでした。外見は、大きな魚に人間の手足が生えたような感じ、とでも
表現すると判りやすいでしょうか。『神の叡智』によると、そういう種族のいる世界が
どこかにあるそうです。
 陸へ宛てた手紙を書いて、わたしは“ヌンサ”の脇腹に貼りつけました。
 手紙には、下僕に関する説明と、たくさんの嘘が書いてあります。
 これから殺し合いに参戦して優勝を目指すつもりだとか、シズさんを狙うのは最後に
しておくとか、邪魔をしても構わないけれど無駄だとか、そういった内容です。
 あれを読んで、陸がわたしを憎んでくれればいいんですけれど。
 “ヌンサ”の手に紙袋を持たせたりもしました。施設内の土産物屋にあった物で、
写実的に描かれた“ヌンサ”が「さあ、卵を産め」と言っている絵柄でした。
 紙袋には、手持ちのパンと水をそれぞれ半分ずつ入れておきました。餞別です。
 命令すれば、パンの袋やペットボトルのフタを“ヌンサ”が開けてくれるでしょう。
 わたしは“ヌンサ”に陸を運ばせて、南側の出入口から海洋遊園地の外へと一緒に
出ました。そして、H-2へ陸を運ぶよう“ヌンサ”に命令し、姿が見えなくなるまで
見送りました。
 あの様子なら、きっと無事に到着しただろうと思います。

 ふと気づくと、わたしは無意識に視線を空へ向けていました。
 この島では、どんなに空を見上げても、その先に天界はありません。
 どこか人のいない場所へ行きたいと思いました。
 それからどうするつもりだったのかは、もう忘れてしまいました。

782嘘つきは語り手にしておく・a(4/7) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:34:01 ID:LcfGWHUk
 追跡者たちの存在に気づいたのは、海洋遊園地の中に入った後でした。
 殺されるかもしれないと思い、死をあまり怖がっていない自分に呆れました。
 でも、何もせずに殺されるつもりは最初からありませんでした。
 もしも相手が殺人者だったなら、相討ちになってでも殺してみせるつもりでした。
 わたしは涙を拭きました。
 追跡者がどんな人物なのか見極めるため、わたしは自分に呪符を貼り、呪文を唱えて
姿を偽りました。変身の術を応用して、自分自身に化けたことになります。血まみれの
衣服や普通ではない精神状態を、“普段の自分”に化けて隠したわけです。

 呼びかけに応じて現れた、鉄パイプを持つ男は、どうやら悪党ではなさそうでした。
騙そうとか欺こうとか、そういう雰囲気を彼からは感じませんでした。
「あなたには、守るべき相手がいますか?」
「ああ」
 わたしが失ってしまったものを、彼は失っていませんでした。
 そのとき、この人ならアマワを討てるかもしれない、と思いました。
 真に強くなれるのは、誰かを守るために戦う者だけです。
 誰が何と言おうと、わたしはそう信じています。
 だから、わたしは殺人者を演じました。
 不意打ちを狙って失敗したように見せかけ、戦いを挑みました。
 わたしと彼は、敵同士になりました。
「何故『乗った』? あいつらが本当に約束を守るとでも思っているのか?」
「ええ……だからこそ、あなたはわたしの敵ですわ」
 アマワが約束した未来に、もう誰も巻き込みたくはありませんから。
 わたしとの戦いを通じて、もっともっと強くなってほしいですから。
 わたしを倒せないようでは、アマワを討つことなどできませんから。

783嘘つきは語り手にしておく・a(5/7) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:35:54 ID:LcfGWHUk
 いきなり乱入者が現れたときには、さすがに少し驚きました。
 手元が狂って、鉄パイプの彼に術を直撃させてしまうところでしたけれど、どうにか
当てずに済みました。本当に危ないところでした。
 乱入者は、鉄パイプの彼の仲間でした。相棒が接近戦を仕掛けやすくなるように、
注意を引いて隙を作らせようとしたんでしょう。
 戦いは、それほど長引きませんでした。
 威力を抑えた電撃で、鉄パイプの彼を、わたしは気絶させました。
 さもなければ、わたしは瞬殺されていたことでしょう。それでは意味がありません。
 捨て石になるのも踏み台にされるのも構いませんけれど、無駄死にするのは嫌です。
 相手の動きがもう少し速かったら、敗れていたのはわたしの方だったでしょう。
 手の内をかなり知られた以上、次に戦えば、わたしが負けることになると思います。
 乱入者の彼女に、わたしは問いかけました。
「あなたはこれからどうしますの? わたしと戦いますか? それとも、彼を見捨てて
 逃げますか? どちらを選んでも構いませんわよ」
「どっちも選ばない。あたしは取引を提案する」
 仲間を見捨てて逃げるようなら、どこまでも追いかけて全力で殺すつもりでした。
 そうならずに済んで、とても嬉しく思いました。
「わたしを殺しにいらっしゃい。仲間を集め、知恵をしぼり、死にもの狂いで復讐しに
 おいでなさい。……遊び心を忘れてしまうほど、わたしは大人じゃありませんの」
 外道らしく見えるように、邪悪そうな顔で笑っておきました。
「きっと、楽しい殺し合いになりますわね」

 北に向かって走りながら、わたしは涙を拭きました。
 生きている間に、やるべきことを済ませておこうと思います。
 役立ちそうな情報を書き記し、託せるように残しましょう。
 書き終わるまでは、なるべく死なずにいたいものです。
 そのために、まず、どこかに隠れて呪符を作ろうと決めました。
 わたしは玻璃壇を――島の詳細な立体地図を思い出して悩みます。
 隠れ場所は、どこにするべきでしょうか。
 どこに行くかは迷っていますけれど、どこかに行くこと自体を躊躇してはいません。
 禁止エリアに突っ込んでしまうかもしれませんけれど、動かないという選択肢は既に
ありえません。もはや、わたしは逃亡者なのですから。

784嘘つきは語り手にしておく・a(6/7) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:36:52 ID:LcfGWHUk
 あの二人のような参加者が他にもいれば、その人たちとも敵対したいところです。
 ちょっと悲しい生き方ですけれど、寂しくはありません。
 わたしが憶えている限り、わたしの仲間は、わたしと共にあり続けるんですもの。


【E-1/海洋遊園地/1日目・19:00頃】

【李淑芳】
[状態]:精神的におかしくなりつつあるが、今のところ理性を失ってはいない
[装備]:懐中電灯/呪符(5枚)
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン4食分・水800ml)
[思考]:殺人者を演じ、戦いを通じて団結者たちを成長させ、アマワを討たせる
    /役立ちそうな情報を書き記す/北側の出入口から海洋遊園地の外へ出る
    /どこかに隠れて呪符を作る
[備考]:第二回放送をまったく聞いておらず、第三回放送を途中から憶えていません。
    『神の叡智』を得ています。服がカイルロッドの血で染まっています。
    夢の中でアマワと会話しましたが、契約者になってはいません。
    『君は仲間を失っていく』と言って、アマワが未来を約束しています。

※海洋遊園地内の、F-1にある半魚人博物館の一室が、滅茶苦茶に荒らされました。
※血止めの符術は、陰陽ノ京に“初歩の術”として登場したものです。
※陸(気絶中/背中に止血済みの裂傷あり)と紙袋(パン4食分・水800ml入り)が、
 “ヌンサ”(淑芳の手紙つき)に運ばれてH-2へ移動しました。

785嘘つきは語り手にしておく・a(7/7) ◆5KqBC89beU:2006/05/15(月) 22:38:01 ID:LcfGWHUk
【F-1/海洋遊園地/1日目・19:00頃】
『嘘つき姫とその護衛』
【九連内朱巳】
[状態]:健康
[装備]:サバイバルナイフ/鋏/トランプ
[道具]:支給品一式(パン4食分・水1300ml)/トランプ以外のパーティーゲーム一式
    /缶詰3つ/針/糸/刻印解除構成式の書かれたメモ数枚
[思考]:とりあえずヒースロゥを物陰に運ぶ/ヒースロゥが目覚めたら移動を再開する
    /パーティーゲームのはったりネタを考える/いざという時のためにナイフを隠す
    /ゲームからの脱出/メモをエサに他集団から情報を得る
[備考]:パーティーゲーム一式→トランプ・10面ダイス2個・20面ダイス2個・ドンジャラ他。
    もらったメモだけでは刻印解除には程遠い。

【ヒースロゥ・クリストフ】
[状態]:気絶中(身体機能に問題はない)/水溜まりの上に倒れたせいで濡れている
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン5食分・水1500ml)
[思考]:朱巳を守る/マーダーを討つ
[備考]:朱巳の支給品が何なのか知りません。

[チーム方針]:エンブリオ・ED・パイフウ・BBの捜索。右回りに島上部を回って刻印の情報を集める。
[チーム備考]:鉄パイプが近くに転がっています。二人とも上着を脱いでいます。
       二人の上着は、ずぶ濡れの状態で神社の木の枝に放置されました。

786 ◆CDh8kojB1Q:2006/06/18(日) 01:11:17 ID:JauPdxKc
火乃香がヘイズを尋問しようとした寸前、それは姿を現した。
「あれ?」
「ん、どーした火乃香? 棚から落ちたボタ餅をよく見たら、蟻がついていたという悲劇に気付いて
泣いているガキを指差して笑っている女の髪にも蟻がついているという事実を発見した
とある通行人A、みたいな顔してるぞ――がっ」
 突然、首を捻られたコミクロンの目に、遠くから接近してくる巨大な何かが映った。
 下部が炭化して折れたマスト、見る者を圧倒して畏怖を与える雄大な船首、
 俯瞰すれば、それはあまりにもゴツく、大雑把ながらも力強く海面を切り裂いて進んでくる。
 海面を照らす陽光は既に無く、海上を行く巨大なそれはまるで建築物の威容だった。
「……何だあれは。城が動いてるのか?」
「違う、コミクロン。あれは――乗り物じゃないかな」
 感嘆の声を上げながらコミクロンは身体を捻って、身体の向きを首に合わせた。
 やはり、科学者を自称していても、年相応の好奇心が頭を満たすのだろう。
 
「船……か」
 それは船だった。全長三百m程度の船がゆっくりと海岸沿いを移動していた。
 B-8の難破船が何らかの理由により動き出したものだろうか。船は明かりを灯して移動している。
「知ってるのか、ヴァーミリオン?」
「火乃香の推測は当たってるぜ。遠距離と残霧で分かりづらいが、ありゃあ木造船だな。
型からして十五世紀前後の骨董品ってとこじゃねえか?」
 もっとも、ヘイズは木造船など見たことは無い。
 彼の世界の海は常時、猛烈なブリザードが吹き荒れる極寒領域だ。
 航空艦の技術が発達した世界で、流氷だらけ海を進むバカは存在しなかった。
「あれが、船……実際に見るのは始めてだね」
「そういや、火乃香の故郷は砂漠だらけだったな。俺だって遠洋航海用の船なんぞは初めてだ」
 流美なフォルムだ――、とコミクロンは呟く。
 新たな玩具を与えられた少年のような瞳と、船へと向けられた仲間の視線。
 ヘイズはコミクロンが発明好きなのだと喋っていたのを思い出した。
 その記憶は、少しだけ、ヘイズの世話焼きな心を刺激した。

「乗って、みたいか?」
「何?」
「あの船に乗ってみたいかよ?」
 ヘイズの問いに二人の仲間はしばしの間、沈黙する。
 こりゃスカしたか――? などと思い、ヘイズが頭をかき始めた時、
 コミクロンが歓声をあげた。
 当然、返って来た答えは一つだった。

787 ◆CDh8kojB1Q:2006/06/18(日) 01:12:08 ID:JauPdxKc
「じゃあやるぜ。俺が破砕の領域で攻撃場所を指示するから、お前が
魔術を何発かぶち当てて船の航路を修正しろ」
「構わんが、俺の魔術のレベルはたかが知れてるぞ? 船を止める威力は出せん。
この制限下だと先生だって三百m級の大質量を止めるのは不可能だ」
 自信なさげなコミクロンの肩を火乃香が叩く。
 そのまま指を突き出して、海に突き出す岸壁と海面に突き出た岩礁を示した。
「あんたらしくないね、しゃきっとしなって。あそこの岩に向かって航路を変えれば
船は止まるってコトだよ。そうでしょ、ヘイズ?」
「ビンゴ。船ってのは座礁に弱いもんなんだよ。岩に挟まるか浅瀬に乗れば、
オレ達だって余裕で乗り移れるだろ」
 そう言いながら、足で地面を打ち鳴らしてヘイズはタイミングを計り始めた。
 座礁させるための最適な位置と攻撃箇所はすでに予測したのだろう。
 あとはコミクロンがタイミング良く魔術を放てるように、
 ヘイズが都合に合わせて指を鳴らすだけだ。

 船との距離がだいぶ詰まってきた時、ヘイズが指を鳴らした。
 軽やかに響いた音は、まだ少し霧の残る海面を渡り、船の壁面付近の
 空気分子を揺るがす。
 たったそれだけの微弱な力。それがヘイズの切り札だ。
 極小な空気分子達は、まるで誘導されたかのように進路を変更し、
 任意の地点へ移動する。
 その運動が連鎖して一つの幾何学模様を形成した時、ヘイズの思いは
 論理回路の形となって具現することとなる。
 望んだ力は、情報面からの無慈悲な解体。
 瞬間、つやのある船壁はその効力に一秒たりとも耐えられず、無残な虚となっていた。

「コンビネーション4−4−1!」
 しばらくの間を持って、破砕の領域が展開した空間にコミクロンの魔術が炸裂する。
 ヘイズのI-ブレインが起動すると、コミクロンの魔術構成が不安定になることを
 両者は共に熟知していた。
 だからヘイズは余裕を持って破砕の領域を展開し、コミクロンの魔術がベストタイミングで
 命中するように、足を踏み鳴らして最適な瞬間を計ったのだろう。
 今更になって、火乃香はそれを理解した。
 論理的で器用なコミクロンと、
 未来予測で正確なアシストができるヘイズ。
 何だかんだ言って、この二人はウマが合っているようだ。ツボにはまると、強い。
 反面、直感的な思考と、意外性の高さを持ち合わせた相手には脆弱だ。
 そこらは自分が補うことになるのだろうか、と火乃香は一人、考えた。
 図に乗ると厄介なので、手綱はちゃんと握っておこう、とも。

788 ◆CDh8kojB1Q:2006/06/18(日) 01:13:01 ID:JauPdxKc
 そうこうする間に、魔術士二人は船の十数箇所に衝撃を与えて
 進路修正に成功した。
 貨物船の巨体はゆっくりと、しかし確実に岩礁に向かって直進していく。
 舵をきらない限り、座礁は時間の問題だろう。
「今思うんだが、乗組員がいたらオレ達の行為は無意味だよな」
「愚問だぞヴァーミリオン。禁止エリアを抜けてきた船に生きた乗員がいると思うか?
まあ、主催者どもの禁止エリア宣言がハッタリなら、エリアにいても無事だろうがな。
何はともあれ、俺は無人船論を強く推奨するぞ。動いてるのは漂流だからだろ」
「その自信はどっから沸いてくるんだか……でも今回はあたしもコミク論に賛成しとく」
 なんだそれは! と絶叫する白衣を火乃香とヘイズは無視した。
 未成年の主張より、船の行方が遥かに気になったからだ。

 三人が見守る中、船は岩にぶつかって盛大な不協和音を奏でて進み、
 ヘイズの予想どおりに岸壁と岩礁に挟まって動きを止めた。
 所々から木の軋む音が聞こえてきたが、船体は完璧に座礁したようで、
 貨物船が進む事は不可能に見える。
 更に、何のアクションも起こらないことから、無人船であるというコミク論は肯定された。
「ビンゴ……だな」
「ふっ、この俺の大天才たる証が、また一つ歴史として刻まれたまでのことだ
――おぶえぁ! 何をする火乃香!」
「はいはい、バカは踊る前にそれを持っといて。あたしが最初に飛び移るから
あんたは後から船に荷物投げ込むまで、デイパックを運ぶ役」
「むう……」
 自画自賛モードに突入しかけたコミクロンに自分の荷物を投げつけて、
 火乃香は岸壁をよじ登った。
 腕の不自由なコミクロンは身体のバランスをとるのが難しい。
 先に自分が楽な跳躍ポイントを見つけておく必要がある、と考えての行動だった。
 投げたデイパックがコミクロンの顔面に当たったことはこの際、忘れておこう。

 
「いよっ、と」
 上手い跳躍ポイントを見つけて飛び移った先は、船の操舵付近だった。
 甲板からの高さの分だけ落差が少ないので、素人が降りても安全な場所だろう。
 火乃香はそのまま周囲の安全を確認し、船首甲板へと降り立った。
 長時間の雨で多少すべるようだったが、鍛えられた剣士の下半身には
 何の障害にもならない。
 それより、眼前に広がる海原と独特の潮風が心地良かった。
 霧間から降り注ぐ星光は海面で揺らめきながら煌いて、火乃香の網膜を刺激した。
 星と霧以外はどちらも、火乃香の生活圏には存在しない興味深い自然である。
「ボギーがいたら何て言うかな?」
 あの機械知生体はきっと、潮風で遮蔽モードに微妙な支障が出る、とか
 キャビンに臭いが着いて傷む、などとロマンもへったくれもない感想を述べるかもしれない。
 それでも、今は傍にいて欲しかった。

789 ◆CDh8kojB1Q:2006/06/18(日) 01:13:41 ID:JauPdxKc
 しばらく感傷に浸っていた火乃香は、つと、手すりに触れてみた。
「呼吸。木片の、呼吸……」
 コミク論に賛同したのは正解だったようだ。
 この船は完璧に無人だった。違和感のある大規模な気の流れを感知できない。
 船の明かりが燈っているのは少々気に掛かったが、後で調べれば済む事だ。
 ファントムだらけの幽霊船でも無い限り、確たる危険も無いはずだろう。

「なかなか、いい景色じゃねえか?」
 火乃香が上げた視線の先、左右色違いの瞳を持った男が覗き込んでいた。
 ヘイズにとっても、霧の晴れ行くこの光景は鮮烈なはずである。
 いつの間にか太陽は沈んでいたが、それでも海はたゆとう原野の如く存在し、
 昼の光景にも決して劣らない。
 しかも、明度ゆえか夜の闇と水平線が同化していて、世界が一つに繋がって
 いるかのように錯覚させた。
「――見慣れた砂丘よりは楽しいかな。コミクロンは?」
「デイパック持ってヨタヨタしてるぜ。荷物はオレが投げ込むから中身傷めないように
取ってくれっか?」
「ん、おっけ」
 じゃあいくぜ、とヘイズは岸壁から荷物を甲板に落とし始めた。

 キャラバンで荷物の運搬をこなしてきた火乃香には苦でも無い作業のあとに、
 ヘイズ自身が飛び降りて来る。
 便利屋を自称するだけあって、こちらもなかなか手際が良い。
 躊躇無く直接甲板に降り立っても、その姿勢は全く崩れていなかった。
「ふっふっふ、見るがいい! この大天才の華麗なる跳躍を――!」
 続けてコミクロンが、飛距離に余裕を持たせる為に助走をつけて空を舞う。
 火乃香が選んだ地点で誤差無く踏み切るのは感心ものだが、いかんせん
 加速をつけ過ぎだ。
「おいバカ、甲板は濡れて――」
 ヘイズのとっさの忠告は既に遅く、白衣とお下げをなびかせたコミクロンは
 滑らかな放物線を描いていた。
 そのまま火乃香が定めた着地地点を華麗に飛び越えて――、
「ごあっ! 頭蓋がっ……こんなところで未来の偉人の知性に危機が訪れるとは……!
そもそも俺だけ着地に失敗するなどと――何だこの不条理な世界は!」
 着地地点が濡れていたため、当然の如く摩擦の力は働かず、
 白衣の天才は、不条理の具現者たる甲板に華麗に頭を打ち付けた。
 その後、片腕が動かず、ろくな受身が取れない状態から瞬時に復活してくるのは
 なかなかのタフさと言えるだろう。
 しかし、
「どう考えてもあんたが悪い」
「下手に格好つけるからだろ」
 何でも屋達の評価は条理にかなった酷評だった。
 エレガントな科学者への道はどうやら遠く、険しいものらしい。

790 ◆CDh8kojB1Q:2006/06/18(日) 01:14:29 ID:JauPdxKc
 ともあれ、三人は比較的無事に貨物船に乗り移ることに成功した。
 その後の会議で、無人船の明かりなどの原因が不明なので
 とりあえず調査してみることと、船室を漁って何か使えそうな物を発見する
 ことを目的として、船内の捜索を開始することが採択された。

「この俺が船倉を調査する! 重要物を底に隠すのはセオリーだからな。
ふっふっふ、待ってろよ。楔一本に至るまで徹底的に構造解析してやる!」
 言うが早いかコミクロンはハッチを潜って船内に侵入していった。
 木造船とはいえ科学技術の結晶だ。
 コミクロンは船から得られた情報を元に新型人造人間の開発計画を
 練るのだろうか、とヘイズは邪推した。

「じゃあ、あたしが船首から、あんたは船尾から探索するってことでいいよね?」
「妥当な案だな。けどよ、これだけデカい船だと船室だけで幾つあるんだか」
「あんた今、ものすごくやる気無さそうな表情してるんだけど」
「ほっとけ。こーゆー性分なんだ。そう言うお前こそ海見てふにゃけてただろうが」
「むー……不覚をとった」
 実際、火乃香が夜空と海に見とれていたのは確かだった。
 何とかしてヘイズを斬り返してやろう、と過去の記憶を掘り起こすうちに、
「あ、そうだ」
 会心の一撃を思い出した。以前、この船に気付いてうやむやにしてしまった
 一つの問いだ。
「ねぇ、ヘイズって歳い――」
「さてと、お宝探しに行くとするか」
 火乃香の言葉を遮り、ヘイズはドアを蹴飛ばして船内に突入していった。
 ついでに酒瓶とか落ちてねえかな、などとわざとらしく呟いて火乃香の声を
 聴いてないふりをしているところから、逃走したのだと簡単に推測できる。
「……ま、いっか」
 辺境では、他人の事情に首を突っ込むと痛い目に遭うというのは常識だ。
 ましてやヘイズは露骨に嫌がっているし、今の火乃香には別の目的があった。
「もう少しくらい眺めても、減るもんじゃないしね」
 誰にともなく呟いて、火乃香は再び手すりに寄りかかった。

 手を乗せた木目の向こうには、先程まで見ていた海が変わらぬ雄大さを
 保ったままで歌っていた。
 寄せては引いて、引いては返して、砂のざわめきとは異なる音調を奏でる波。
 ロクゴウ砂漠には無い光景。エンポリウムには無い香り。
 ゲームが始まった時は、シャーネと筆談していて感じそびれた感覚だ。
 船のことは二人に任せて、もう少しだけここに居ようと火乃香は決めた。

791 ◆CDh8kojB1Q:2006/06/18(日) 01:15:15 ID:JauPdxKc
【G−1/難破船/1日目・19:00】

『戦慄舞闘団』
【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:健康。
[装備]:
[道具]:有機コード、デイパック(支給品一式・パン6食分・水1100ml)
[思考]:船室を捜索。
[備考]:刻印の性能に気付いています。

【火乃香】
[状態]:健康。
[装備]:騎士剣・陰
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1400ml)
[思考]:甲板から海を眺める。

【コミクロン】
[状態]:右腕が動かない。
[装備]:エドゲイン君
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1000ml) 未完成の刻印解除構成式(頭の中)
     刻印解除構成式のメモ数枚
[思考]:ふははは! 歯車様はどこだ!?  船倉を捜索。
[備考]:かなりの血で染まった白衣を着ています。

[チーム備考]:火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
[チーム行動予定]:EDとエンブリオを探している。左回りに島上部を回って刻印の情報を集める。

792灯台へ向かう前に(1/7) ◆5KqBC89beU:2006/06/18(日) 04:16:32 ID:LcfGWHUk
 地下通路から地上へ出た直後に、子爵はEDに呼び止められた。
「さっきの蒼くて大きな方――BBさんが、この狭い出入口から出る準備をしています。
 少し待っているように頼まれました」
 言われてみれば、大きな機体が普通に通過できそうな広さなど、出入口にはない。
【それくらいはお安い御用だ! しかし、どうやって通るつもりなのだろうか?】
 地上まで背負ってきた風見の様子を見ながら、EDは子爵の疑問に答える。
「整備作業の要領で装甲を分割し、関節や接合部の固定を一時的に解除するそうです。
 体内が剥き出しになってしまうため、雨が止むまで実行できなかったと聞きました」
 ちなみに、EDと風見の荷物は子爵が地上まで運んできてある。
【つまり、荷物と同行者を預けて隙だらけの状態になってくれるほどに信じてもらえた
 わけか! おお……もしも涙腺があったなら、感激のあまり泣いていたところだ!】
 文字通り歓喜に震える子爵に対し、飄々とEDは言う。
「“裏切ったって利点よりも危険の方が大きくて割に合わない”という状況ですから、
 関係者全員が状況を的確に把握しているなら、必然的にこうなりますよ」
【そういうものかね?】
「そういうものです」
 地下通路からは金属音が響き続けている。移動には、まだ時間がかかりそうだ。
【この様子では、湖跡地から出る前に放送が始まってしまうな。遮蔽物がほとんどなく
 足場の悪い地点で、放送に気を取られ、隙が生じてしまうかもしれない】
「こんなに濃い霧の中で、普通の人間に襲われるとは思えません。しかし、逆に言えば
 “普通の人間ではない敵”になら襲われてもおかしくはありませんね」
 子爵は目玉で周囲を見ているわけではないし、蒼い殺戮者は暗い地下通路を難なく
歩ける。そんな実例が存在する以上、同じことのできる敵がいないとは限らない。

793灯台へ向かう前に(2/7) ◆5KqBC89beU:2006/06/18(日) 04:17:21 ID:LcfGWHUk
 蒼い殺戮者が地上に姿を現し、外した関節を繋ぎ直し始めたのを見計らって、子爵と
EDは自動歩兵とも打ち合わせを始めた。
【……というわけで、“すぐに灯台へ向かうべきではない”という話になった】
「かつて小島だった丘が近くにあります。とりあえずそこへ移動して、放送後に灯台を
 目指したいと考えていますが、どうでしょう? その丘にはいくらか遮蔽物があり、
 ここに比べれば足場は悪くありません。他の参加者が隠れたくなるような地形でも
 ないので、短期間の滞在には適した場所です」
「それで構わない」
 手際よく機体の各部を再結合させながら、蒼い殺戮者は即答した。無茶な荒技を実行
したせいで故障する可能性が高くなったが、今のところ異常はないらしかった。
 火乃香に関わって以来、蒼い殺戮者は、不可思議な事柄をありのままに受け入れて
納得できるようになった。おかげで異世界の液状吸血鬼とも普通に会話できる。
「それにしても、器用なものですね」
【うむ! 自分の体を思い通りに操るというのは、簡単なようでいて意外に難しい。
 誰にでも上手くできることではあるまい!】
「ただ単に、こういう動作ができるように設計されただけだ」
 EDと子爵は、蒼い殺戮者の無愛想さを気にすることなく、しばし感心し続けた。
【ところで、麗芳嬢はまだ現れないようだね。……待ち合わせの時刻は数分後だから
 遅刻だと決まったわけではないし、ただの遅刻ならば別にそれでもいいが……】
 心ゆくまで感嘆した子爵が、今度はどことなく心配そうな書体で言葉を紡いだ。

794灯台へ向かう前に(3/7) ◆5KqBC89beU:2006/06/18(日) 04:18:25 ID:LcfGWHUk
 仮面の下に様々な思いを隠し、淡々とEDが応じる。
「問題はそこです。僕が拠点として灯台を勧めたのは、彼女が探索しにいったはずの
 建物だから、という事情をふまえた結果なんですが……最悪の場合、“とんでもなく
 強い殺人者が灯台に潜伏していて麗芳さんを殺してしまった”とも考えられます。
 あまり考えたくはありませんが、可能性の一つとして考えないわけにはいきません。
 灯台以外に、風見さんを休ませられそうな場所の心当たりはありませんか?」
 EDの問いに、子爵は港町で会った佐藤聖の様子を思い出す。
【港町に風見嬢を連れていくのは、少々都合が悪いかもしれない。すぐ危なくなるわけ
 ではないが、いずれ彼女に対して困ったことをしかねない参加者がいる。……いや、
 その参加者本人に悪気はないのだが……しかし、無邪気だからこそ歯止めがきかなく
 なるということもある。ついさっきまで対話していた相手だ。できることならば、
 敵同士になりたくはないのだよ】
 聖なら、弱って寝ている風見を見たら、強引に吸血鬼化させたがるかもしれない。
“吸血鬼化すれば元気になるから”とか、そういった親切心から風見の意思を無視して
しまうかもしれない。そうなれば、争いの火種がまた増えてしまう。
「ついさっきまで港町にいたということは……子爵さん、よっぽど大急ぎでここまで
 来てくれたんですね」
【うむ、急いでいたので水の流れに乗ってきた。判りやすく例えるならば、追い風を
 背に受けながら走ってきたようなものか。下流以外に向かう場合は、それほど素速く
 移動できたりはしない。それに、この“吸血鬼の川流れ”をやると非常に疲れる】
 そんなEDと子爵の会話を、蒼い殺戮者の声が遮る。
「移動の準備が完了した。続きは移動中に話すべきだ」
 一同は、丘の上へ向かいながら、今後の方針を相談することになった。

795灯台へ向かう前に(4/7) ◆5KqBC89beU:2006/06/18(日) 04:19:26 ID:LcfGWHUk
 列を成し、濃霧を突っ切る一団に、統一感は微塵もない。
 先頭は子爵でEDが二番手だ。最後尾では蒼い殺戮者が風見を運搬している。
「では、灯台以外の拠点候補地について意見する」
 背後にも注意を払いながら、蒼い殺戮者は言う。
「C-6にある小市街は、島の中心部に近く、すぐそばに道があり、作戦行動に向いた
 立地条件を備えている。このような要所には参加者が集まりやすい。そんな場所で
 今まで生き残り続けている者がいるとすれば、戦闘能力の比較的高い参加者である
 可能性が高い。戦力外の人員を護衛しながら向かいたい地点ではない」
 念入りに左右を警戒しながら、EDは溜息をついた。
「やはり、行き先には灯台を選ぶしかありませんか」
 遠くまで歩を進める余裕はない。しかし、港町も小市街も安全だとは言い難い。
 丘の上や森の中では、風見を充分に休息させられそうにない。
 灯台と港町の間に難破船があると地図には記されているが、そこも麗芳が探索すると
言っていた場所だ。危険度は灯台と変わらない。
 意図的に感情を排した口調で、EDは語る。
「仮に麗芳さんが殺されていたとしても、殺人者と相討ちになったかもしれないなら、
 灯台の様子を見てくるだけの価値は充分にあります。移動の際に速度を優先するのか
 警戒を優先するのかは、放送を聞いてから決めましょう」
「同意する」
【妥当な案だろうね。無論、この会話が杞憂に終わるなら、それが一番いいわけだが】
 何の根拠もなく状況を楽観視するほど、この一団は呑気ではなかった。

796灯台へ向かう前に(5/7) ◆5KqBC89beU:2006/06/18(日) 04:21:05 ID:LcfGWHUk
 そうこう話しているうちに、一同は丘の上へ到達していた。
「覚……」
 風見の寝言に、三名がそれぞれ意識を向ける。
「仲間の夢を見ているようだ」
 蒼い殺戮者の声には、兵士らしからぬ揺らぎが、かすかに含まれていた。
【風見嬢の仲間は、無事でいるのだろうか】
 子爵の血文字は、どことなく憂いを帯びているように見える。
「放送が始まっても目覚めないようなら、そのまま彼女には眠っていてもらいましょう」
 EDの提案に、誰からも反対意見はない。
「……だからエロス全開の言動は慎みなさいって言ってるでしょ!?」
 不意に風見が叫び、空中に向かって拳を突き出した。
 すさまじい寝言と寝相だったが、三名ともそれは無視した。

797灯台へ向かう前に(6/7) ◆5KqBC89beU:2006/06/18(日) 04:22:46 ID:LcfGWHUk
【B-7/かつて小島だった丘の上/1日目・17:59頃】
『奇妙なサーカス』
【エドワース・シーズワークス・マークウィッスル(ED)】
[状態]:健康
[装備]:仮面
[道具]:支給品一式(パン3食分・水1400ml)、手描きの地下地図、飲み薬セット+α
[思考]:同盟を結成してこの『ゲーム』を潰す/この『ゲーム』の謎を解く
    /ヒースロゥ、藤花、淑芳、鳳月、緑麗、リナの捜索/風見の看護
    /第三回放送後に灯台へ移動する予定/麗芳のことが心配
    /暇が出来たらBBを激しく問い詰めたい。小一時間問い詰めたい
[備考]:「飲み薬セット+α」
「解熱鎮痛薬」「胃薬」「花粉症の薬(抗ヒスタミン薬)」「睡眠薬」
「ビタミン剤(マルチビタミン)」「下剤」「下痢止め」「毒薬(青酸K)」以上8つ

【ゲルハルト・フォン・バルシュタイン(子爵)】
[状態]:やや疲労/戦闘や行軍が多ければ、朝までにエネルギーが不足する可能性がある
[装備]:なし
[道具]:なし(荷物はD-8の宿の隣の家に放置)
[思考]:アメリアの仲間達に彼女の最期を伝え、形見の品を渡す/祐巳がどうなったか気にしている
    /EDらと協力してこの『ゲーム』を潰す/仲間を集める
    /第三回放送後に灯台までEDとBBを誘導する予定
    /DVDの感想や港で遭った吸血鬼と魔女その他の事を小一時間語りたい
[備考]:祐巳がアメリアを殺したことに気づいていません。
    アメリアの名前は聖から教えてもらったので知っています。
    キーリの特徴(虚空に向かってしゃべりだす等)を知っています。

798灯台へ向かう前に(7/7) ◆5KqBC89beU:2006/06/18(日) 04:26:28 ID:LcfGWHUk
【風見千里】
[状態]:風邪/熟睡/右足に切り傷/あちこちに打撲/表面上は問題ないが精神的に傷がある恐れあり
[装備]:グロック19(残弾0・予備マガジンなし)/カプセル(ポケットに四錠)
    /頑丈な腕時計/クロスのペンダント
[道具]:支給品一式/缶詰四個/ロープ/救急箱/朝食入りのタッパー/弾薬セット
[思考]:BBと協力/地下を探索/出雲・佐山・千絵の捜索/とりあえずシバく対象が欲しい
[備考]:濡れた服は、脱いでしぼってから再び着ています。

【蒼い殺戮者(ブルーブレイカー)】
[状態]:少々の弾痕はあるが、今のところ異常なし
[装備]:梳牙
[道具]:なし(地図、名簿は記録装置にデータ保存)
[思考]:風見と協力/しずく・火乃香・パイフウの捜索/脱出のために必要な行動は全て行う心積もり
    /第三回放送後に灯台へ風見を運ぶ予定

799友達の知り合いと知り合いの友達(1/6) ◆5KqBC89beU:2006/08/27(日) 22:06:06 ID:D3ySLypk
 島津由乃は最期に何を伝えようとしていたのか――答えの出ない自問を繰り返し、
怒りに拳を震わせながら、平和島静雄は放送を聞き終えた。
(あんなに頼りにされてたのに、俺は、由乃に何もしてやれなかった……!)
 聞き覚えのある名前は告げられなかったが、24人もの参加者が死んでいた。
 ほとんど話さぬまま別れ、浜辺で死体になっていた少女の名前を、静雄は知らない。
 名前を知らない他の面々は、生きているのか死んだのか確かめることすらできない。
 額に血管を浮かべながらも、頭の片隅で静雄は考える。
(セルティも、由乃の友達も生きてる)
 それは、喜ぶべきことだ。
(臨也も生きてやがる。自分勝手に由乃を消した平安野郎も、たぶん生きてやがる)
 それは、とても嬉しいことだ。
(あの赤毛ナイフ男も、クソッタレの臨也も、会ったら死なす。問答無用で殺す)
 怒りをぶつけるべき相手がいるのは、幸いなことだ。
(だが、まずは平安野郎をぶん殴る……殴って殴って殴って殴る!)
 行動を共にしていた間に、由乃は静雄へ情報を伝えていた。自分を幽霊にしてくれた
男のそばには、黒いライダースーツ姿で首のない何者かが付き従っていた、と。
 由乃が見たのは間違いなくセルティだ、と静雄は確信していた。
(畜生、セルティに何しやがった、平安野郎め……!)
 善人気取りの陰陽師が、妖しげな術でセルティを洗脳して、無理矢理に戦わせる――
そんな光景を静雄は思い描いた。
 バケモノを使役して何が悪い、と言いたげな顔で、陰陽師がセルティに命令する――
そんな想像が静雄を苛立たせた。
 傷だらけになって倒れ伏すセルティの後ろに、無傷の陰陽師が平然と立っている――
そんな妄想が静雄の血圧を上げていく。
 霧の中に、奥歯の軋む音が小さく響いた。

800友達の知り合いと知り合いの友達(2/6) ◆5KqBC89beU:2006/08/27(日) 22:07:11 ID:D3ySLypk
 煮えくりかえった腸の熱を吐き出すように、つぶやきが漏れる。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!」
 いつもと同じ単語の羅列だが、込められた意味はいつもと違っていた。
 殺さないように、できるだけ殺意を放散して薄めるための文句ではなかった。
 殺したい相手と会う前に怒りすぎて発狂してしまわないように、それだけのために
連なっていく言葉だった。
(……早く、セルティを見つけねえとな)
 ゆっくりと、神鉄如意を杖代わりにして、静雄は歩きだした。
 血まみれで「殺す」とつぶやきながら進む姿は、どう見ても不審人物だ。
 やがて、霧が晴れ始めた。けれど、雲が空を覆っていて相変わらず視界は悪い。
 ろくに灯りのない場所で夜中にサングラスをかけたままでは、少々危ない。
 静雄はサングラスを外してポケットに入れ、デイパックから懐中電灯を取り出して、
ついでに水を飲んでから、周囲の探索を再開した。
 しばらく静雄は歩き続けたが、結局、誰にも会えなかった。
(かなり人数が減ったせいか? っと)
 地面から突き出た石につまづきかけ、静雄は足を止める。
 静雄の消耗は激しい。サングラスを今さら外したのは、目が霞み始めたせいだ。
 気休め程度の止血だけしかやらずに動き回っていた以上、当然の結果だろう。
 このままの状態では、これから誰とも戦わなくても、あまり長くは生きられまい。
 大怪我をしているというのに、ここまで動けたこと自体が奇跡だった。
 しかし、ただの奇跡では足りない。その程度では希望に手が届かない。
 この島から生きて出るには、幾つもの奇跡を重ね合わせねばならない。
 時計の針が19:25を指した頃、港町の方から少女の絶叫が聞こえてきた。
 静雄の現在地からそう遠くない場所で、何かがあったようだった。
 声の主は絶対にセルティではないが、セルティを見た誰かが叫んだのかもしれない。
 セルティとは無関係でも、由乃の友達が死にかけていたりするのかもしれない。
 面倒くさそうに舌打ちして神鉄如意を肩に担ぎ、静雄は走りだした。
(痛くねえ、痛くねえったら痛くねえんだよ……!)
 どう考えても痛いものは痛いはずだが、静雄は気合だけで痛みを無視してのけた。

801友達の知り合いと知り合いの友達(3/6) ◆5KqBC89beU:2006/08/27(日) 22:08:20 ID:D3ySLypk
 美しく輝いていた髪と眼からは、炎の色が消えていた。
 力なくうずくまり、小刻みに震えながらシャナは涙を堪えている。
“でもあなたは吸血鬼だよ。もう人には戻れない”
 魔女の宣告に、フレイムヘイズとしての決意は粉々に打ち砕かれてしまった。
「いや……」
 頭の中で残響する言葉に、弱々しくシャナは抗う。
 けれど心の奥底では、既に理解してしまっている。
 今のシャナは、もはや世界を守る者ではなかった。
“それはきっと、あなたが望んでしまったからだよ”
「いや、いや……」
 人喰いの怪物と同じものに、なりはててしまった。
“だからあなたは『誇り高き炎』じゃなくなったんだよ”
「いや、いや、いや……」
 空回りする思いだけが、辛うじて拒絶の言葉を紡いでいる。
“あなたに残る傷はもう無いけれど、熱い痛みが消える事は無い”
 どんなに悔やんでも真実は変わらない。
“あなたの魂のカタチは『痛み』で埋め尽くされた”
 どんなに願っても時間は巻き戻せない。
“それはとても悲しい事だけど、でもそれが、あなたの新しい魂のカタチ”
 何もかもが手遅れだ。
「うるさいうるさいうるさいっ!」
 頭を抱えて、シャナは体を縮める。徒労でしかない、無駄な努力だった。
 精神的に衰弱しきったまま、シャナは涙を堪え続けた。
 使命も矜持も仲間も失って残ったのは、浅ましい衝動と、穢れた力だけだった。
 誰かの足音を、鋭敏化した聴覚が捕らえる。
 血の匂いが近づいてくる、と嗅覚が告げる。
 意思とは無関係に、唾液が分泌され始める。
 血を啜れ、と吸血鬼の本能がささやく。
 一線を越えたら、もう後戻りはできない。
 体だけでなく心まで、正真正銘の吸血鬼になってしまう。

802友達の知り合いと知り合いの友達(4/6) ◆5KqBC89beU:2006/08/27(日) 22:17:20 ID:D3ySLypk
 ありったけの理性を振り絞って、シャナは胸の疼きを抑えた。その場から離れようと
して、体に力を漲らせた。炎髪灼眼の鮮やかな赤が、闇の中に煌めく。
 そして、シャナは気づいてしまう。血の匂いの主が宝具を持っている、と。
(……回収、しなきゃ)
 宝具には、多かれ少なかれ超常の力が秘められている。
 悪用されれば数多くの悲劇を生む、恐るべき道具だ。
 フレイムヘイズとして戦う資格がなかったとしても、見過ごせる物ではない。
 逃げずに待ち、場合によっては戦うことを、シャナは選んだ。
(でも……戦って、相手を斬って血を見ても、私は正気でいられるの……?)
 足音が近づき、目視できる距離に人影が現れ、やや離れた位置で立ち止まった。
 懐中電灯の光がシャナを照らす。刀が光を反射して、鈍く輝いた。
 来訪者の青年には、濃密な血臭が染みついていた。腹を怪我しているようだ。
 血を求める衝動に逆らわねばならないため、シャナの顔が不快そうに歪む。
 シャナの視線が少しも友好的ではないと確認し、青年は眉をひそめた。
「あぁ? 何だ手前は? さっきの悲鳴は手前の仕業か?」
 不機嫌さを隠そうともしない青年の態度に、シャナは警戒を強めた。
 青年は、明らかに術師でも策士でもなさそうな気配を漂わせている。
 だが、それでもシャナは油断しない。
「その武器を、渡してちょうだい」
 口下手は承知の上なので、むしろシャナは開き直り、単刀直入に言う作戦に出た。
「はぁっ!? 手前、ふざけてんのか!?」
 案の定、いきなり交渉は決裂寸前になった。
「そうすれば、代わりに情報を教えてあげる」
「あぁん? ……なるほど、そういうつもりか」
 だが、交渉は決裂寸前から白紙にまで戻された。
 微妙に剣呑ではあるが、どうにかまともに会話できそうな雰囲気だ。
「こっちの害にならない情報なら、全部教えてもいい」
 坂井悠二の遺品と贄殿遮那を除けば、交換できそうな品物をシャナは持っていない。
 武器を手放すに値するほどの見返りを用意するためには、こうするしかない。

803友達の知り合いと知り合いの友達(5/6) ◆5KqBC89beU:2006/08/27(日) 22:18:07 ID:D3ySLypk
 しばし黙考した末に、青年が口を開く。
「情報提供が先だ。役に立つ情報があればコレをくれてやる。あと、嘘ついたら殺す」
 心の底から本気で言っているようにしか聞こえない声音と口調だった。
 演技ではない、と判断して、シャナは頷く。争いを避けられるなら、その方がいい。
「手前の名前は?」
「……シャナ」
 フレイムヘイズとしての名乗りは、今さら口に出せない。
「念のために訊いとくが、手前は島津由乃とは無関係だよな?」
 青年の問いにシャナは片眉を上げ、少し考えてから、結局は正直に答える。
「会ったことはない。でも、保胤から話は聞いてる。術で幽霊にしたって言ってた」
 その言葉が、きっかけになった。
「おい……その保胤って、もしかして平安時代っぽい格好した男か? 黒いライダー
 スーツを着た、首のない女を連れてなかったか?」
 尋常ではなく激烈な殺気が、青年から発せられた。
「手前、ひょっとして、そいつの仲間なのか? なぁ、どうなんだ? 答えろ」
 青年は、鬼神のような憤怒の形相で、シャナを睨みつけていた。
(この男は、敵だ)
 呆然とシャナは思う。
(保胤の、敵だ)
 かつて保胤は、シャナの世話を焼き、救おうと苦心し、根気強く励まし続けた。
(この男は、保胤を殺そうとしてる)
 保胤は、シャナを支えようと手をさしのべた人間だった。
(きっと、この男は保胤を……あの人たちを襲おうとする)
 無意識のうちに、シャナの手は得物を構えていた。
(あの人たちとは一緒にいられないけど、でも、私は……私は――)
 フレイムヘイズとしてではなく、ただのシャナとして、少女は戦おうとしていた。

804友達の知り合いと知り合いの友達(6/6) ◆5KqBC89beU:2006/08/27(日) 22:19:57 ID:D3ySLypk
【D-8/住宅地/1日目・19:40頃】

【平和島静雄】
[状態]:頭に血が上っている/肉体的に疲労/下腹部に二箇所刺傷(未貫通・止血済)
[装備]:神鉄如意
[道具]:支給品一式(パン6食分・水1500ml/デイパックが切り裂かれて小さな穴が空いている)
[思考]:何が何でもシャナから保胤の情報を聞き出したい/セルティを捜し守る
    /保胤を見つけてぶん殴る(由乃からは平安時代風の男の人とだけ聞いている)
    /由乃の伝言を伝える/赤毛ナイフ男(クレア)や臨也は見つけ次第殺す
[備考]:サングラスはポケットの中にあり、バーテン服は血まみれで袖がない(止血するために
    破って腹に巻いて縛った)ので、服装を手掛かりにセルティの仲間だと判断するのは難しい。
    妖しげな術で保胤がセルティを操っている、と思い込んでいる。

【シャナ】
[状態]:吸血鬼(身体能力向上)/精神的に不安定
[装備]:贄殿遮那
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)
    /悠二の血に濡れたメロンパン4個&保存食3食分/濡れていない保存食2食分/眠気覚ましガム
    /悠二のレポートその2(大雑把な日記形式)
[思考]:目の前の男(静雄)を倒して、宝具を回収する
[備考]:内出血は回復魔法などで止められるが、体内に散弾片が残っている。
    手術で摘出するまで激しい運動や衝撃で内臓を傷つける危険有り。
    吸血鬼の再生能力と相まって高速で再生する。
    目の前の男がセルティの探していた相手だとは、今のところ気づいていない。

805友達の知り合いと知り合いの友達・改(1/7) ◆5KqBC89beU:2006/08/28(月) 20:34:55 ID:D3ySLypk
 島津由乃は最期に何を伝えようとしていたのか――答えの出ない自問を繰り返し、
怒りに拳を震わせながら、平和島静雄は放送を聞き終えた。
(あんなに頼りにされてたのに、俺は、由乃に何もしてやれなかった……!)
 聞き覚えのある名前は告げられなかったが、24人もの参加者が死んでいた。
 ほとんど話さぬまま別れ、浜辺で死体になっていた少女の名前を、静雄は知らない。
 名前を知らない他の面々は、生きているのか死んだのか確かめることすらできない。
 額に血管を浮かべながらも、頭の片隅で静雄は思う。
(セルティも、由乃の友達も生きてる)
 それは、とても嬉しいことだ。
(臨也も生きてやがる。自分勝手に由乃を消した平安野郎も、たぶん生きてやがる)
 それは、喜ぶべきことだ。
(あの赤毛ナイフ男も、クソッタレの臨也も、会ったら死なす。問答無用で殺す)
 怒りをぶつけるべき相手がいるのは、幸いなことだ。
(だが、まずは平安野郎をぶん殴る……殴って殴って殴って殴る!)
 死者に死を追体験させた男の行為を、偽善以外の何でもないと静雄は断定する。
 顔も知らぬ平安時代風の男に対して、最悪な印象を静雄は感じた。
 行動を共にしていた間に、由乃は静雄へ情報を伝えていた。自分を幽霊にしてくれた
男のそばには、黒いライダースーツ姿で首のない何者かが付き従っていた、と。
 由乃が見たのは間違いなくセルティだ、と静雄は確信している。
(平安野郎は、本当に、セルティのことを対等な仲間だと思ってんのか?)
 善人気取りの平安野郎が言葉巧みにセルティを騙し、自分や仲間の護衛をさせる――
そんな光景を静雄は思い描いた。
 バケモノを利用して何が悪い、と言いたげな顔で平安野郎がこっそりと舌を出す――
そんな想像が静雄を苛立たせた。
 傷だらけになって倒れ伏したセルティの後ろで、平安野郎が元気そうにしている――
そんな妄想が静雄の血圧を上げていく。
 霧の中に、奥歯の軋む音が小さく響いた。

806友達の知り合いと知り合いの友達・改(2/7) ◆5KqBC89beU:2006/08/28(月) 20:35:45 ID:D3ySLypk
 煮えくりかえった腸の熱を吐き出すように、つぶやきが漏れる。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!」
 いつもと同じ単語の羅列だが、込められた意味はいつもと違っていた。
 殺さないように、できるだけ殺意を放散して薄めるための文句ではなかった。
 殺したい相手と会う前に怒りすぎて発狂してしまわないように、それだけのために
連なっていく言葉だった。
(……早く、セルティを見つけねえとな)
 ゆっくりと、神鉄如意を杖代わりにして、静雄は歩きだした。
 血まみれで「殺す」とつぶやきながら進む姿は、どう見ても不審人物だ。
 やがて、霧が晴れ始めた。けれど、雲が空を覆っていて相変わらず視界は悪い。
 ろくに灯りのない場所で夜中にサングラスをかけたままでは、少々危ない。
 静雄はサングラスを外してポケットに入れ、デイパックから懐中電灯を取り出して、
ついでに水を飲んでから、周囲の探索を再開した。
 探索の途中で立ち寄ったF-6の砂浜からは、倒れていた人影が二つとも消えていた。
 誰かが死体を持っていかない限り、こんな状態にはならないはずだった。
 少女の死体があった場所には、ロザリオだけが残されている。
 浜辺を去る前に由乃から少女へ贈られ、静雄が少女の手に握らせた物だった。
 大切な宝物を置いていっていいのか、という問いに、由乃は「この子も友達だから」
と答え、寂しげにうつむいていた。
 そんな弔いの品を、今、静雄の手が拾い上げる。
 由乃の想いを踏みにじるような結末だった。
(どうやら、この島には、癪に障るクズどもが山ほどいるらしいな……!)
 静雄は由乃のロザリオを、すぐにデイパックの中へ入れる。
 そのまま手に持っていたら、うっかり握り潰してしまいそうな気がしたからだった。

807友達の知り合いと知り合いの友達・改(3/7) ◆5KqBC89beU:2006/08/28(月) 20:36:53 ID:D3ySLypk
 しばらく静雄は歩き続けたが、結局、誰にも会えなかった。
(かなり人数が減ったせいか? っと)
 地面から突き出た石につまづきかけ、静雄は足を止める。
 静雄の消耗は激しい。サングラスを今さら外したのは、目が霞み始めたせいだった。
 気休め程度の止血だけしかやらずに動き回っていた以上、当然の結果だろう。
 このままの状態では、これから誰とも戦わなくても、あまり長くは生きられまい。
 大怪我をしているというのに、ここまで動けたこと自体が奇跡だった。
 しかし、ただの奇跡では足りない。その程度では希望に手が届かない。
 この島から生きて出るには、幾つもの奇跡を重ね合わせねばならない。
 時計の針が19:25を指した頃、港町の方から少女の絶叫が聞こえてきた。
 静雄の現在地からそう遠くない場所で、何かがあったようだった。
 声の主は絶対にセルティではないが、セルティを見た誰かが叫んだのかもしれない。
 セルティとは無関係でも、由乃の友達が死にかけていたりするのかもしれない。
 面倒くさそうに舌打ちして神鉄如意を肩に担ぎ、静雄は走りだした。
(痛くねえ、痛くねえったら痛くねえんだよ……!)
 人間離れした耐久力を発揮し、静雄は痛みを無視してのけた。

808友達の知り合いと知り合いの友達・改(4/7) ◆5KqBC89beU:2006/08/28(月) 20:37:50 ID:D3ySLypk
 美しく輝いていた髪と眼からは、炎の色が消えていた。
 力なくうずくまり、小刻みに震えながらシャナは涙を堪えている。
“でもあなたは吸血鬼だよ。もう人には戻れない”
 魔女の宣告に、フレイムヘイズとしての決意は粉々に打ち砕かれてしまった。
「いや……」
 頭の中で残響する言葉に、弱々しくシャナは抗う。
 けれど心の奥底では、既に理解してしまっている。
 今のシャナは、もはや世界を守る者ではなかった。
“それはきっと、あなたが望んでしまったからだよ”
「いや、いや……」
 人喰いの怪物と同じものに、なりはててしまった。
“だからあなたは『誇り高き炎』じゃなくなったんだよ”
「いや、いや、いや……」
 空回りする思いだけが、辛うじて拒絶の言葉を紡いでいる。
“あなたに残る傷はもう無いけれど、熱い痛みが消える事は無い”
 どんなに悔やんでも真実は変わらない。
“あなたの魂のカタチは『痛み』で埋め尽くされた”
 どんなに願っても時間は巻き戻せない。
“それはとても悲しい事だけど、でもそれが、あなたの新しい魂のカタチ”
 何もかもが手遅れだ。
「うるさいうるさいうるさいっ!」
 頭を抱えて、シャナは体を縮める。徒労でしかない、無駄な努力だった。
 精神的に衰弱しきったまま、シャナは涙を堪え続けた。
 使命も矜持も仲間も失って残ったのは、浅ましい衝動と、穢れた力だけだった。
 誰かの足音を、鋭敏化した聴覚が捕らえる。
 血の匂いが近づいてくる、と嗅覚が告げる。
 意思とは関係なく、唾液が分泌され始める。
 血を啜れ、と吸血鬼の本能がささやく。
 一線を越えたら、もう後戻りはできない。
 体だけでなく心まで、正真正銘の吸血鬼になってしまう。

809友達の知り合いと知り合いの友達・改(5/7) ◆5KqBC89beU:2006/08/28(月) 20:38:40 ID:D3ySLypk
 ありったけの理性を振り絞って、シャナは胸の疼きを抑えた。その場から離れようと
して、体に力を漲らせた。炎髪灼眼の鮮やかな赤が、闇の中に煌めく。
 そして、シャナは気づいてしまう。血の匂いの主が宝具を持っている、と。
(……回収、しなきゃ)
 宝具には、多かれ少なかれ超常の力が秘められている。
 悪用されれば数多くの悲劇を生む、恐るべき道具だ。
 フレイムヘイズとして戦う資格がなかったとしても、見過ごせる物ではない。
 逃げずに待ち、場合によっては戦うことを、シャナは選んだ。
(でも……戦って、相手を斬って血を見ても、私は正気でいられるの……?)
 足音が近づき、目視できる距離に人影が現れ、やや離れた位置で立ち止まった。
 懐中電灯の光がシャナを照らす。刀が光を反射して、鈍く輝いた。
 来訪者の青年には、濃密な血臭が染みついていた。腹を怪我しているようだ。
 血を求める衝動に逆らわねばならないため、シャナの顔が不快そうに歪む。
 シャナの視線が少しも友好的ではないと確認し、青年は眉をひそめた。
「あぁ? なんだ手前は? さっきの悲鳴は手前の仕業か?」
 不機嫌さを隠そうともしない青年の態度に、シャナは警戒を強めた。
 青年は、明らかに術師でも策士でもなさそうな気配を漂わせている。
 だが、それでもシャナは油断しない。
「その武器を、渡してちょうだい」
 口下手は承知の上なので、むしろシャナは開き直り、単刀直入に言う。
「はぁっ!? 手前、ふざけてんのか!?」
 案の定、いきなり交渉は決裂寸前になった。
「そうすれば、代わりに情報を教えてあげる」
「あぁん? ……なるほど、そういうつもりか」
 だが、交渉は決裂寸前のまま、奇妙な均衡を保って続いていく。
 一触即発といった様子ではあるが、まだ、どうにか会話はできそうな雰囲気だ。
「こっちの害にならない情報なら、全部教えてもいい」
 坂井悠二の遺品と贄殿遮那を除けば、交換できそうな品物をシャナは持っていない。
 武器を手放すに値するほどの見返りを用意するためには、こうするしかない。

810友達の知り合いと知り合いの友達・改(5/7) ◆5KqBC89beU:2006/08/28(月) 20:40:07 ID:D3ySLypk
 腹立たしげに頬を引きつらせながら、青年が口を開く。
「情報提供が先だ。役に立つ情報があればコレをくれてやる。あと、嘘ついたら殺す」
 心の底から本気で言っているようにしか聞こえない声音と口調だった。
 青年の胸中では、武器よりも情報の方が優先順位は上だったらしい。
 例えば、この島にいる誰かを捜索中だとか、そういった事情があるのだろう。
 演技ではない、と判断して、シャナは頷く。争いを避けられるなら、その方がいい。
「手前の名前は?」
「……シャナ」
 フレイムヘイズとしての名乗りは、今さら口に出せない。
「念のために訊いとくが、手前は島津由乃とは無関係だよな?」
 青年の問いにシャナは片眉を上げ、少し考えてから、結局は正直に答える。
「会ったことはない。でも、保胤から話は聞いてる。術で幽霊にしたって言ってた」
 その言葉が、きっかけになった。
「おい……その保胤って、もしかして平安時代っぽい格好した男か? 黒いライダー
 スーツを着た、首のない女を連れてなかったか?」
 尋常ではなく激烈な殺気が、青年から発せられた。
「手前、ひょっとして、そいつの仲間なのか? なぁ、どうなんだ? 答えろ」
 青年は、鬼神のような憤怒の形相で、シャナを睨みつけていた。
(この男は、敵だ)
 呆然とシャナは思う。
(保胤の、敵だ)
 かつて保胤は、シャナの世話を焼き、救おうと苦心し、根気強く励まし続けた。
(この男は、保胤を殺そうとしてる)
 保胤は、シャナを支えようと手をさしのべた人間だった。
(きっと、この男は保胤を……あの人たちを襲おうとする)
 無意識のうちに、シャナの手は得物を構えていた。
(あの人たちとは一緒にいられないけど、でも、私は……私は――)
 フレイムヘイズとしてではなく、ただのシャナとして、少女は戦おうとしていた。

811友達の知り合いと知り合いの友達・改(7/7) ◆5KqBC89beU:2006/08/28(月) 20:41:49 ID:D3ySLypk
【D-8/住宅地/1日目・19:40頃】

【平和島静雄】
[状態]:頭に血が上っている/肉体的に疲労/下腹部に二箇所刺傷(未貫通・止血済)
[装備]:懐中電灯/神鉄如意
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン6食分・水1500ml/デイパックに小さな穴が空いている)
    /由乃のロザリオ
[思考]:何が何でもシャナから保胤の情報を聞き出したい/セルティを捜し守る
    /保胤を見つけてぶん殴る(由乃からは平安時代風の男の人とだけ聞いている)
    /保胤はセルティを騙して利用しているんじゃないのか、と疑っている
    /由乃の伝言を伝える/赤毛ナイフ男(クレア)や臨也は見つけ次第殺す
[備考]:サングラスはポケットの中にあり、バーテン服は血まみれで袖がない(止血するために
    破って腹に巻いて縛った)ので、服装を手掛かりにセルティの仲間だと判断するのは難しい。

【シャナ】
[状態]:吸血鬼(身体能力向上)/精神的に不安定
[装備]:贄殿遮那
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)
    /悠二の血に濡れたメロンパン4個&保存食3食分/濡れていない保存食2食分/眠気覚ましガム
    /悠二のレポートその2(大雑把な日記形式)
[思考]:目の前の男(静雄)を倒して、宝具を回収する
[備考]:内出血は回復魔法などで止められるが、体内に散弾片が残っている。
    手術で摘出するまで激しい運動や衝撃で内臓を傷つける危険有り。
    吸血鬼の再生能力と相まって高速で再生する。
    目の前の男がセルティの探していた相手だとは、今のところ気づいていない。

812告悔:2006/09/12(火) 04:26:20 ID:XeuMBdEI
真実を言えば、最初の放送のあと誰かと一緒に行動する気はなかった。
その理由はわたし自身が抱えるエラーの事でも、この島に来てから発生したノイズの事でもあり、またそのどちら
でもなかった。
ただ単に、自分の知る『誰か』を失いたくなかっただけだった。



今のわたしは二つの大きな問題を抱えている。
一つは、わたしが元の世界に居た時からわたしの中で蓄積されてきた膨大な量のエラー。
これがあることで、かつてわたしは涼宮ハルヒから盗み出した能力によって、世界を作り変えてしまった。
結果的には彼や朝比奈みくるの手によって、わたしの世界改変は未遂に終わった。そしてわたしは情報統合思念体
から処分が検討され、わたし自身の意志によって行動できるように異時間同位体へのアクセスコードを別のインタ
ーフェイスの管理下へと移した。
もしこのまま涼宮ハルヒの観察を続けるのであれば、膨大な量のエラーもアクセス制限もなんら問題はなかった。

けどそんな仮定に意味はない。
現在もわたしの中でエラーは蓄積され続けていて、情報統合思念体の管理下にない今の状況ではいつ異常動作を起
こしてしまうか、わたしには分からない。
もし異常動作を起こしてしまった時、わたしの身に何が起こるのか予測出来ない。あの時のようにわたしの望んだ
無力なわたしになってしまうのか、それともあの朝倉涼子のようになってしまうのか、或いはわたしにも分からな
いわたしになってしまうのか。いずれにせよ、そうなってしまう前にこのゲームに決着を付けなければならない。

813告悔2/3:2006/09/12(火) 04:27:05 ID:XeuMBdEI
そしてもう一つは、この島に来てから発生した思考のノイズ。
このノイズの正体は既に分かっている。これはわたしの中に生まれ、育まれてきた『感情』の一部。
彼等を失った事に対する『悲しみ』と彼等を奪われた事に対する『怒り』──それが、このノイズの正体。
しかしここで疑問が生じる。わたしが調べた結果、このノイズとわたしの中に蓄積されたエラーは同質のものだと
いう事が分かった。では同質であるならばなぜエラーではなく、ノイズという形で発生したのか? エラーであれ
ば、多少の不安はあってもこのままであれば何の問題もなかった。けれどそれがノイズ──それも思考を妨害する
ものならば話は別になる。このノイズがある所為で、既にわたしは冷静な判断が出来なくなっている。

合理的な判断をするならば、あの時すぐに城に戻ってシェルターの構築を続けるべきだった。
常識的な判断をするならば、あの時坂井悠二と離れるべきではなかった。

そもそもわたしは、過去の事をこうも引きずるほど感傷的だっただろうか?
こういった形で『わたし』の言葉を残すほど、わたしは『わたし』に未練があるのだろうか?
単なるヒューマノイド・インターフェイスであるわたしに──その形がたとえ、ノイズだとしても──『感情』と
いうものが発生しうるのだろうか?
ヒトとの接触を目的として造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイスの場合、朝倉涼
子や喜緑江美里のように擬似的な感情を与えられている事が多い。しかしわたしの仕事は涼宮ハルヒの観察で、彼
女との接触は本来わたしの仕事ではなかった。だからわたしには、擬似的な感情すら与えられなかった。
けれど、わたしの中にはエラーやノイズといった『感情』に似た何かが発生しているのは事実だった。

このノイズは今も増殖を続けている。わたしの計算ではあと12時間程度で、わたしの思考は完全にノイズに侵蝕
されてしまうだろう。もし完全に侵蝕されてしまったら、その後の行動は予測出来ない。またそれを食い止める手
段も、わたしにはない。

814告悔3/3:2006/09/12(火) 04:27:49 ID:XeuMBdEI
エラーによる異常動作とノイズの侵蝕による暴走、そのどちらが起きたとしてもわたしは『わたし』ではなくなる
だろう。わたしが『わたし』でなくなれば、彼等と過ごした今までの想い出を全てなくしてしまうのだろう。

わたしは、それがこわい。

だからわたしは、『わたし』でなくなった時のための対抗策を用意する。



もしここでわたしが死ぬのならわたしは、『わたし』のままで死にたい。




最後に、一つだけ。
わたしのメモリの中に、アクセス出来ない未知の領域が存在することが確認された。その領域を部分的に解析した
結果、それはかつて涼宮ハルヒから盗み出した能力の残滓であることがわかった。
わたしが起こしたバグを修正する際に、わたしはその能力を完全に消去したはずだった。ゲームの管理者が意図的
に用意したのか、それとも完全に消去出来なかったのか、理由はともかく現実問題として涼宮ハルヒから奪った情
報創造能力の残滓が存在するのは確かだった。
幸いその残滓の容量は少なく、世界を作り変えるといった大規模の世界改変は不可能だと考えられる。しかし部分
的な転用ならば可能であるため危険であることに変わりはない。
現在消去処理を行っているが、情報処理の制限を刻印によって受けているため作業はほとんど進んでいない。


もし12時間後にわたしが暴走していた場合、おそらくアクセス制限は解除されていると予想される。ゆえに12
時間後のわたしとの接触は極めて危険。もしわたしを見つけても、決して近寄っては駄目。

わたしは、誰も失いたくはない。

815打算、疑念、葛藤、不信(1/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 09:56:20 ID:D3ySLypk
 第三回放送が終わり、湖跡地の丘の上には、居心地の悪い静寂が訪れた。
 名簿と地図と筆記用具を収納しつつ、EDは嘆息する。
(状況が変わった。悪い方へ、想像以上の早さで)
 たった6時間で、24名もの犠牲者が亡くなった。
 まだ初日すら終わらぬうちから、参加者は半数以下にまで減った。
 それだけでも厄介だというのに、その上、聞き覚えのある名前が数多く呼ばれた。
 EDの協力者、李麗芳は死んでいた。
(彼女には、死ななければいけない理由などなかった)
 金色の力強いまなざしを思い出し、彼は静かに目を伏せる。
 麗芳と別行動すると決めた過去を、悔やんでいるわけではなかった。
 EDが麗芳に同行していても、死体が一つ増えていただけだった可能性の方が高い。
 彼にできることはそう多くない。そして、己を知らぬ者に戦地調停士は務まらない。
 麗芳の仲間、袁鳳月と趙緑麗も死んでいた。
(さぞかし無念だったろう)
 守るべき友を守れず、倒すべき敵を倒せず、神将たちは命を落とした。
 EDが個人的に関心を持っていた相手、霧間凪も死んだ。
(一度、会って話したかった)
 言いたかったことも、訊きたかったことも、諦めるしかなくなった。
 懐中電灯を取り出しながら、さらにEDは思索する。
 ヒースロゥ・クリストフが健在なのは幸いだ。
(だが、あいつは殺人者を――手駒にできるかもしれない参加者をきっと殺していく)
 仲間を一気に失った李淑芳は、もはや正気でいるかどうかすら怪しい。
(自殺するかもしれない。最悪の場合、無差別に他者を襲うようになるかもしれない)
 宮下藤花の生存は、喜ぶべきことなのか判断しかねる。
(目的は、優勝でも脱出でも復讐でも私闘でもなさそうな気がする。得体が知れない)
 ED以外の三名にとっては縁の薄い面々だが、その生死は島全体に影響する。
 影響の大小には差があるものの、どれ一つとして無視はできない。

816打算、疑念、葛藤、不信(1/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 09:57:13 ID:D3ySLypk
 他にも様々なことを考えながら、EDは周囲に視線を向けた。
 蒼い自動歩兵は、霧の中で、無言のまま天を仰いでいた。
 赤い血文字は、ただ【…………】と沈黙を表現している。
 彼らから得た情報と第三回放送の内容を頭の中で並べ、EDは決断する。
「灯台へ向かう前に、やるべきことが増えました」
 眠り続ける風見を起こさない程度の声で、仮面の男が言い放つ。

                   ○

 EDから用事を頼まれて、子爵は地下通路へ戻ろうとしていた。
 麗芳に宛てた置き手紙を処分してくること、それが用件だった。
 気持ちの整理をするための時間を、大義名分つきで与えられた形だ。
【……こうなった場合も考えて用意した置き手紙か】
 このまま子爵が誰かの仇討ちに向かい、戻ってこなくなる可能性も承知の上だろう。
 しかし、そうはならないとEDは見越しているはずだ。
 故郷にいた頃からの知人は早々に死んだこと、次の夜明けまでは活力を補充できない
こと、それに、自分は紳士であるということ――それらを子爵はEDに伝えていた。
 我を忘れて暴走したくなるほど特別な誰かはこの島におらず、自身の弱体化具合を
正確に理解しており、約束を破る不名誉を嫌っている、と告げたようなものだ。
 どことなく様子がおかしくなった自動歩兵と対話するなら一対一の方がやりやすい、
という思惑もEDにはあっただろう。
 彼が子爵を遠ざければ、それは“蒼い殺戮者に対する脅迫”という手段を捨てた証と
なる。実行する気はなくても、子爵の能力をもってすれば風見を人質として使うことが
可能ではあった。その選択肢をあえて潰してみせることで、誠意を示したわけだ。
 また、冷徹なまでに感情を封じる自制心こそが、あの丘の上では必要とされていた。
辛く苦しい役割を、EDは一人で引き受けようとしている。
【……今は、彼の厚意に甘え、任された仕事をしよう】
 移動しながら、多少なりとも関わった参加者たちのことを、子爵は回想する。
 EDたちと合流するまでに、悲嘆も憂慮も済ませておくべきだった。

817打算、疑念、葛藤、不信(3/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 09:58:18 ID:D3ySLypk
 凛々しく毅然としていた赤ずくめの美女、哀川潤は死んだ。
【おそらくは、誰かを守るために戦って死んだのだろう】
 最後に守ろうとした相手が誰だったのかは判らないが、それだけは確信できる。
 福沢祐巳は死んでいないが、それは祐巳自身の意思と力によってではない。
【あの子に、再び会わねばなるまい。何があったのか確かめる必要がある】
 紳士としての矜持と、力を与えた者としての責任感が、決意の源だった。
 もしも食鬼人の力が悪人の手に渡っていたとしたら、戦う覚悟を子爵はしている。
 キーリという少女は死に、彼女を探していた青年、ハーヴェイは生きている。
【彼は彼女に会えたのだろうか? 今、どこで何をしているのだろうか?】
 どんな想いで彼が放送を聞いたのか想像して、子爵はまた少し悲しくなった。
 ハーヴェイに教えてもらった危険人物、ウルペンは生きている。
【天敵、ということになるのだろうな】
 彼が使うという“乾かす力”は、子爵に致命傷を与えられる能力だと思われる。
 また、彼が持ち去ったという炭化銃は、すさまじい殺傷力を備えているそうだ。
 リナ・インバースも生きているが、その傍らに支え合う仲間がいるかは判らない。
【孤独と不安と憎悪に負けて、自暴自棄になっていてもおかしくはないか】
 会えたとしても、アメリアの最期を伝える前に、襲いかかってくるかもしれない。
 佐藤聖と十叶詠子の名前も、案の定、放送では呼ばれていない。
【どうにか上手く協力できればいいのだが】
 あの二人の在り方は、それぞれ他者と共存しづらい面がある。できることなら敵対は
避けたいところだが、皆が納得できそうな妥協点はなかなか見つかりそうにない。
 彼女たちと情報交換したときのことを思い出し、子爵の移動速度が鈍くなる。
 EDや麗芳をできるだけ襲わないでほしい、と子爵は頼んだが、EDや麗芳の知人に
関しては言及していない。麗芳のことも信じていなかったが、彼女を疑っていなかった
EDの判断を子爵は信じた。EDが最後に麗芳と会ってから長い時間が経っていたわけ
ではなく、その時点で麗芳が敵である可能性は低かった。だから盟友として認めた。
【……見知らぬ盟友候補者を、無条件に信じることはできない】
 子爵にとっては、信用できない盟友候補者たちよりも、聖と詠子の方が大切だった。

818打算、疑念、葛藤、不信(4/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 09:58:59 ID:D3ySLypk
 こんな状況下では、温和だった人物が他者を襲ったとしても、驚愕には値しない。
【誰か一人への好意は、それ以外の全員に対する悪意と表裏一体であるが故に】
 誰か一人を救うため、それ以外の全員を殺す――そんな決着を望む者もいるだろう。
【盟友候補者の誰かが血塗られた道を選んでいたとしても、不思議ではない】
 異常な早さで命が奪われているこの島で、敵かもしれない相手を信じるのは難しい。
 詠子の語った、佐山御言とダナティア・アリール・アンクルージュは存命中だ。
【さて、その二人は本当に先導者なのか、それともただの煽動者なのか】
 伝聞のみを根拠にした憶測ではどちらとも断定できないが、会えば判ることだろう。
 祐巳や聖の友人だという藤堂志摩子も、生き残っている。
 話を聞いた限りでは、じっと隠れているよりも友人を助けに行くことを選ぶ性格の
少女らしいが、最弱に近い程度の力しかないそうだ。ならば独力での生存は難しい。
【十中八九、かなりの実力者と一緒にいるのだろう。いや、実力者“たち”か?】
 だが、彼女の庇護者が必ずしも善良であるとは限らない。他者を油断させるために
利用されているのかもしれないし、24時間以内に誰も死ななそうなとき殺せるように
保護されているだけなのかもしれない。
 また、善良なのか判らないという点では、志摩子も同じだ。
 今の彼女が普段と同じ彼女であるという保証は、どこにもない。
 他者を利用しているのは彼女の方なのかもしれない。ひょっとしたら、騙し討ちで
幾人か殺していたりするのかもしれない。疑うことは、とても簡単だった。
 地下通路に到着した子爵は、手紙を念力で運び、水中に沈めて引き裂いた。
 休まず作業をこなしながら、子爵は追憶し続ける。
 ついさっきまで手紙だった物が、解読不能なほど細かく分割され、流されていく。

                   ○

 蒼い殺戮者は、『ゲーム』が開始された直後の記憶を思い出していた。

819打算、疑念、葛藤、不信(5/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 09:59:45 ID:D3ySLypk
 天を目指してどんなに飛んでも、一定以上の高度からは上昇が不可能になる。
 試さなくても、水平方向への飛翔にも限界が設定されていると想像はつく。
 視線を上げた先にあるのは、空の紛い物でしかなかった。
(あの空の彼方には、何者も飛んで行けない。ならば、この島で体を失った魂は、この
 箱庭じみた世界から決して出られないのではないか?)
 しずくを探しに行きたいという衝動が、培養脳の中で暴れている。
(せっかく得た協力者たちを置いて去り、この同盟から脱退してまで、しずくの捜索は
 今すぐにやるべきことか?)
 同時に頭の片隅では、行動方針の変更を拒絶する思考が延々と繰り返されている。
 結果として、一歩も動かず、一言も語らず、蒼い殺戮者は数分間を無為に過ごした。
「…………」
 放送でしずくの名前を聞いた瞬間に、蒼い殺戮者の中で、何かが変わった。
 その変化を、まだ彼は処理しきれていない。
 蓄積してきた記憶にはない、初めての感覚を、蒼い殺戮者は持て余していた。
 培養脳が軋んでいるかのようなその錯覚が何なのか、彼には判らなかった。
「念のために訊いておきますが」
 子爵を見送り、振り返ったEDの仮面が、蒼い殺戮者に向けられる。
「しずくさんという方は、あなたの大事な方なんですよね」
 質問ではなく確認だった。
 それくらいは、放送を聞きながら周囲を観察してさえいれば、誰にでも判ることだ。
 蒼い殺戮者の視線がEDの視線と交錯し、それだけでEDは事実を把握した。
「では、この島に間違いなくしずくさん本人がいたという確信はありますか?」
 こつこつと指先で仮面を叩きながら、EDが言葉を継ぎ足す。今度は質問している。
「……いや、同名の別人だったという可能性も一応はある」
 蒼い殺戮者の答えに、仮面を叩く指先が止まった。

820打算、疑念、葛藤、不信(6/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:00:46 ID:D3ySLypk
 興味深げな口調で、EDは問う。
「最初の、管理者たちと対面した場所では、しずくさんを見なかったんですか?」
 そんなことを訊いてどうするのかよく判らないまま、それでも自動歩兵は答えた。
「そうだ。あの場所では今以上に機能が制限されていて、ろくに行動できなかった」
 反抗を警戒して念入りに施された処置だと仮定すれば、つじつまは合う。
 指先が、また仮面を叩き始めた。
「しずくさんからはあなたの巨体が見えていたとしても、あの場所で勝手な真似をして
 殺されるくらいなら動かずにいたい、という心理は当然でしょうね。しずくさんが
 本当にいたとすれば、ですが」
「何が言いたい?」
「おかしいんですよ。たった18時間のうちに60名が死に、さっきの放送では24名も
 死んだと言っていましたけれど、いくらなんでも死にすぎているとは思いませんか?
 本当に、そんな大勢の参加者が亡くなっているんでしょうか?」
 かすかに怪訝そうな声音で、蒼い殺戮者は問答を続ける。
「参加者の大半が索敵能力を備えた戦闘狂だとするならば、ありえなくはない数字だ」
 蒼い殺戮者が出会った参加者のうち、彼に対して敵意を向けなかったのは、風見と
EDと子爵だけだ。それ以外の遭遇者たちは、多かれ少なかれ平和的ではなかった。
 世知辛い結論に至るのも仕方ないといえば仕方ない。
 だが、その意見をEDは即座に否定する。
「ありえません。まだあなたには教えていない情報を、僕は麗芳さんや子爵さんから
 得ていますが、その中には他の参加者についての情報も含まれています。どう見ても
 そんじょそこらの一般人でしかないような参加者もいたそうですよ。無益な争いを
 厭う方々だって結構いたようです」
「何故、その情報が真実だと判る?」
 誤報からは誤解しか生まれない。裏付けのない情報を鵜呑みにすることはできない。

821打算、疑念、葛藤、不信(7/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:01:39 ID:D3ySLypk
 大袈裟に肩をすくめて、戦地調停士は苦笑してみせた。
「これでも僕は交渉の専門家ですから、情報の分析は得意でして。それに、僕みたいな
 口先だけが取り柄の人間まで招かれているくらいですから、荒事が苦手な参加者も
 それなりにいると考えるべきですよ。まさか僕を戦士だとは思っていませんよね?」
 EDの度胸は並ではないが、それは文官の強さであって、武人の強さではない。
 実戦経験豊富な自動歩兵からすると、瞬殺できそうな相手にしかEDは見えない。
「…………」
 蒼い殺戮者の無反応を、黙認の表現だと理解し、戦地調停士は言葉を重ねていく。
「そういう方々の多くが殺し合いに耐えかねて自殺している、とは考えにくいですね。
 自殺志願者や戦闘狂を参加者として集めたというなら、どちらでもない例外ばかりが
 こうやって関わり合っていることになります。明らかに不自然でしょう」
「では、どう考えれば筋が通る?」
「参加していない人物を参加者であるかのように扱い、知人と再会できないまま死んだ
 ということにする。知人を殺されたと思い込んだ参加者は、復讐者となり仇を探す。
 けれど、いつまで探しても仇が見つかることはない。いずれ復讐者は生き残り全員を
 疑いの目で見るようになり、やがて仇でも何でもない参加者を襲い始める――あんな
 連中ならば、こういう筋書きを喜んで用意しそうですよね」
 目元を覆う仮面の下で、唇の端が歪められる。
「無論、生贄役に本人を用意した上で主催者側が直々に殺して回ったとしても、疑念を
 育てることはできます。しかし、手間暇かけて本物を使ったところで、劇的に効果が
 増すというわけではないでしょう。わざわざ本人を用意してまでそんなことをする
 くらいなら、ありのままの状況で殺し合わせた方が合理的だ、とは思いませんか?
 まぁ、実際は、何の作為もないとは考えにくいほど犠牲者が増え続けていますが」
 これは、しずくの名前を利用して蒼い殺戮者を暴れさせようとする陰謀ではないのか
――そんな可能性をEDは提示している。しずくは今も生きているのではないか、と。
「…………」
 蒼い殺戮者は、徐々にではあるが落ち着きを取り戻していった。

822打算、疑念、葛藤、不信(7/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:02:26 ID:D3ySLypk

                   ○

 内心の緊張を、EDは少しも態度に出さない。
 もっともらしく述べた仮説をED自身があまり信じていない、と気づかれるわけには
いかなかった。そんなことになれば、蒼い殺戮者が離反するおそれさえある。
 騙してでも、欺いてでも、今ここで戦力の分散を許すべきではなかった。
 もうすぐ子爵が戻ってくる。そうなれば出発の準備は終わる。
(まずは灯台へ向かい、先客がいれば交渉し、交渉が決裂すれば制圧を考え、勝ち目が
 ないと判断すれば逃亡する。誰もいなければ、そのまま灯台に潜伏すればいい)
 拠点を確保できれば、その後の活動は少しだけ楽になる。
 疲弊している風見の護衛として、活力の消費を抑えたがっている子爵に留守を任せ、
EDや蒼い殺戮者は単独行動ができるようになる。
(まぁ、僕が拠点に常駐していても大して役には立たないからな。手分けして動くべき
 だろう。人手も時間も無駄にしている余裕はない)
 体力に自信がないEDは、しばらく拠点で休息してから探索を再開するつもりだ。
 しかし、蒼い殺戮者はすぐにでも動きたがるに違いない。
(BBさんがいる間に風見さんを起こして、事情を説明しておく必要があるか。詳細な
 情報交換も、できればそのときに済ませてしまいたいが)
 そこから先のことは、臨機応変に決めていくしかないだろう。
 目先の問題についての思考が一段落し、大局を見据えて悩む時間が始まった。
(我々の生き死にを弄ぶ、何らかの作為が見え隠れしている。それは確かだ。しかし、
 その作為がいかなるものなのかは判らない。謎を探るための方法さえ判らない)
 赤い血溜まりが、丘の上へと登ってきた。
(今はただ堪え忍び、力を蓄えていくしかないということか)
 地面に降ろしていたデイパックを再び背負い、EDは口を開く。
「それでは、灯台へ行きましょうか」
 ごくわずかにではあったが、霧は薄くなり始めていた。

823打算、疑念、葛藤、不信(9/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:04:06 ID:D3ySLypk
                   ○

 時計の針は20:10を示している。
 時刻を確認し、懐中電灯のスイッチを切って、風見は溜息をつく。ベッドの上で体を
丸めて目を閉じても、睡魔は訪れてくれなかった。
(今は、さっさと元気にならないといけないのに)
 部屋の扉の向こうからは、寝ていた間に増えていた同行者の声が聞こえていた。
 増えた協力者の片方は声を出せないので、電話で話しているかのように聞こえる。
 どうやら、DVDが面白かったとかいう世間話をしているらしい。
(こんな状況下で雑談かぁ……現実逃避したくなってるのか、実は大物なのか、単に
 頭がおかしいのか……あー、ひょっとしたら、その全部かもしれないわね)
 仮面の変人やら自称吸血鬼の血溜まりやらが隣にいても、あまり風見は気にしない。
普段の環境が似たようなものだったせいだろう。
(参ったな)
 風見が蒼い殺戮者に起こされて、ここがA-7の灯台であることや、二名の参加者と
遭遇した末に協力していることなど、いろいろ説明され終わったのが数十分前だ。
 その後で、食事をしたり、EDから解熱沈痛薬やビタミン剤を譲られて服用したり、
四名そろって情報交換したり、そういった雑事を風見は済ませていた。
 風見が作って持ち歩いていた朝食の残りは、制作者自身の胃袋へ収まった。風見は
EDにも試食を勧めたが、「第三回放送の前にパンを食べたばかりですから」と言って
彼は丁重に辞退した。子爵が【病人なのだから、遠慮なく栄養を独占したまえ!】と
書き綴り、それを読んだ風見は思わず苦笑したものだった。
 今、休む時間と個室と寝床を与えられ、けれど風見は眠れないでいる。
(これから、どうなるんだろ)
 灯台には何者かが潜伏していた形跡があり、しかし滞在者はおらず、死体もなく、
罠の類や怪しい仕掛けも発見できなかった。一同は、この灯台を拠点として使うことに
なったわけだが、絶対に安全だという保証は当然ない。

824打算、疑念、葛藤、不信(10/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:04:52 ID:D3ySLypk
 19:00にC-8が禁止エリアになったため、そこにいた参加者が灯台を訪れるという
事態は充分にありえる。運が悪ければ戦闘になるはずだ。
(今のうちに覚悟しとこう)
 EDも子爵も悪人ではなさそうだったが、風見をどうしても助けなくてはならない
理由など彼らにはない。自分の命を危険に晒してまで風見を守らねばならないような
義務も彼らにはない。
 現時点でもEDや子爵は充分に親切だ。これ以上を望むのは傲慢というものだろう。
(私を置き去りにして、彼らが敵から逃げたとしても、それを恨むのは筋違いよね)
 また、襲撃者が吸血鬼だった場合、血に飢えることがどれほど苦しいのか知っている
子爵は、無意識のうちに手加減をしてしまうかもしれない。殺すつもりで襲ってくる
吸血鬼を、できるだけ殺さないつもりで倒そうとする子爵が躊躇しながら迎撃すれば、
結果的に風見やEDを守りきれなくなるかもしれない。
 蒼い殺戮者は、さっき灯台を去り、探索をしに行った。再会できるのは、早くても
第四回放送が始まる頃だ。心細いと風見は思う。しかし、仲間を集めて脱出するなら、
どうしても誰かが拠点から動かねばならない。
 しばらく休憩した後で周辺の様子を見に行く予定だとEDも言っていた。
 蒼い殺戮者がいない間に、EDや子爵が風見を殺そうとする――そんなことが起こる
確率は今のところ低い。EDも子爵も理知的な参加者だった。比較的簡単に殺せそうな
病人を殺すつもりなら、なるべく後で殺したがるだろう。“誰も死ななかった”という
放送が三回連続するまでは、殺害を急ぐ必要がないからだ。
 情報交換の際に、EDは「毒薬や睡眠薬も支給されました」と言って、付属していた
説明書を他の三名に公開していた。風見に毒を盛る気ならこんなことはしない、と皆に
確信してもらうための行動だろう。故に、風見は毒殺される心配をしていない。
 けれど、風見は、EDから睡眠薬をもらう気にはなれなかった。
 薬の力で眠ったら、敵が現れたときに起きられないかもしれない。
 風見はEDや子爵を殺人者だとは思っていないが、いざというとき頼りになる味方だ
とも思っていない。
 ――“今のところ敵対していない相手”は“仲間”と同じものではない。

825打算、疑念、葛藤、不信(11/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:06:02 ID:D3ySLypk
 蒼い殺戮者から聞いた第三回放送の内容を、風見は思い出す。
(覚も佐山も、それから海野千絵も、まだ生きてる。会えるといいんだけど)
 情報を大量に集めていた子爵でさえ、出雲の居場所や千絵の現状などについては何も
知らなかった。佐山についての情報はあったが、すぐに合流できるほど詳しくはない。
 佐山は新庄の死をも受け止め、進撃することを選んだという。
(なんとなく、そんな気はしてた)
 眉尻を下げ、風見は複雑な表情をした。
 生きていてほしい相手だけでなく、死んでほしい相手も生きている。
(甲斐も、ドクロとかいう自称天使も健在か。正直、あんまり関わりたくないわね)
 物部景の仇は生死不明だ。名前が判らない以上、放送では確認しようがない。
(もしも、あの銃使いと再会したら、そのとき私はどうするのかしら?)
 自問に自答は返らない。
 第二回放送の頃に機殻槍を持っていたという青年、ハーヴェイは死んでいない。
(G-Sp2が飛んだ理由を知ってるなら、私に対する印象は最悪でしょうね……)
 緋崎正介が死に、危険人物は一人減った。
(でも、緋崎を殺した参加者は、緋崎より危険かもしれない)
 蒼い殺戮者の探していた三名のうち、一人は亡くなり、二人は生きていたという。
 今ここにはいない自動歩兵の横顔を、風見は思い出す。
(大丈夫……なのかな)
 表面上は平然としているように見えても、苦悩を隠しているということもある。
 第三回放送で告げられた死者の総数は24名に及んだ。ひどく異様な状況だった。
(参ったな)
 EDの語った“主催者側による偽情報説”を信じていいのか否か、風見は迷う。
 顔をしかめて、風見は寝返りをうった。

826打算、疑念、葛藤、不信(12/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:07:38 ID:D3ySLypk
【A-7/灯台付近/1日目・20:05頃】

【蒼い殺戮者(ブルーブレイカー)】
[状態]:精神的にやや不安定/少々の弾痕はあるが、今のところ身体機能に異常はない
[装備]:梳牙
[道具]:なし(地図、名簿は記録装置にデータ保存)
[思考]:この島で死んだという“しずく”が、己の片翼たる少女だったのか確認したい
    /風見・ED・子爵と協力/火乃香・パイフウの捜索/第四回放送までに灯台へ戻る予定
    /脱出のために必要な行動は全て行う心積もり

【A-7/灯台/1日目・20:15頃】
『灯台組』
【エドワース・シーズワークス・マークウィッスル(ED)】
[状態]:健康
[装備]:仮面/懐中電灯
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン3食分・水1400ml)/手描きの地下地図
    /飲み薬セット+α(解熱鎮痛薬とビタミン剤が1錠減少)
[思考]:同盟を結成してこの『ゲーム』を潰す/この『ゲーム』の謎を解く
    /しばらく休憩した後、周辺の様子を探り、第四回放送までに灯台へ戻る予定
    /盟友候補者たちの捜索/風見の看護
    /暇が出来たらBBを激しく問い詰めたい。小一時間問い詰めたい
[備考]:「飲み薬セット+α」
「解熱鎮痛薬」「胃薬」「花粉症の薬(抗ヒスタミン薬)」「睡眠薬」
「ビタミン剤(マルチビタミン)」「下剤」「下痢止め」「毒薬(青酸K)」以上8つ

827打算、疑念、葛藤、不信(13/13) ◆5KqBC89beU:2006/09/18(月) 10:08:22 ID:D3ySLypk
【ゲルハルト・フォン・バルシュタイン(子爵)】
[状態]:やや疲労/戦闘や行軍が多ければ、朝までにエネルギーが不足する可能性がある
[装備]:なし
[道具]:なし(荷物はD-8の宿の隣の家に放置)
[思考]:アメリアの仲間達に彼女の最期を伝え、形見の品を渡す/祐巳のことが気になる
    /盟友を護衛する/灯台に滞在する/同盟を結成してこの『ゲーム』を潰す
    /いろいろ語れて嬉しいが、まだDVDの感想については語り足りない
[備考]:祐巳がアメリアを殺したことに気づいていません。
    会ったことがない盟友候補者たちをあまり信じてはいません。

【風見千里】
[状態]:風邪/右足に切り傷/あちこちに打撲/表面上は問題ないが精神的に傷がある恐れあり
[装備]:懐中電灯/グロック19(残弾0・予備マガジンなし)/カプセル(ポケットに四錠)
    /頑丈な腕時計/クロスのペンダント
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式/缶詰四個/ロープ/救急箱/空のタッパー/弾薬セット
[思考]:早く体調を回復させたい/BB・ED・子爵と協力/出雲・佐山・千絵の捜索
    /とりあえずシバく対象が欲しい
[備考]:濡れた服は、脱いでしぼってから再び着ています。
    EDや子爵を敵だとは思っていませんが、仲間だとも思っていません。

※地下通路に残されていた麗芳宛ての置き手紙は処分されました。

828夜の道を往く者との対面 ◆ozOtJW9BFA:2006/09/19(火) 22:11:49 ID:10YvUZzQ
 今夜のミラノは雷雨の様だ。
ここミラノにある剣の館の窓にも激しい雨が叩きつけられている。
その館の執務室で二人の女性による密談は一時間を過ぎようとしていた。

「つまり私達に救援を求めると、そういうことですか、バベル議長?」

執務室の椅子に持たれかかりながら紅い法衣を纏った“世界でもっとも美しい枢機卿”━━━━カテリーナ・スフォルツァは向かいに座る山羊の角が生えた天使に情報の確認をする。

「その通りじゃ、ミラノ公」

あの忌まわしき主催者を打倒するにはルルティエでは荷が重すぎる。他の打倒者達も同じ考えであった。主催者を倒し、参加者を助けるには生半可な戦力では不可能。しかも、あちらの状況も戦力も一切不明。参加者の生死すらもわからずじまい。会議は止まり誰もが絶望する中、眼帯をした一人の天使が一つの希望を口にした。

829夜の道を往く者との対面 ◆ozOtJW9BFA:2006/09/19(火) 22:13:22 ID:10YvUZzQ

「主催者を打倒するためには主催者に詳しい方をここに連れて来たほうがいいのではないでしょうか」

その提案はすぐさま賛成され、ルルティエ議長は主催者と闘っているという機関のトップとコンタクトを取ることに成功したのだった。


「わかりましたバベル議長。『ガンスリンガー』、『クルースニク』彼をこの部屋に」

「肯定(ポジティブ)」

それまで二人の会話を部屋の隅で聞いていた小柄な神父は主の言葉を聞き、部屋から音も無く出ていってしまった。


「ミラノ公!話を聞いておられなかったようじゃな!わらわは『戦力』と言ったはずじゃ!一人の力で何が出来るのじゃ!?」

ドクロやその他の参加者を助けるというのに一人だけじゃと!
この麗人は何を言っているのか……

今ここに『ガンスリンガー』がいたならばバベルに銃を向けていたであろう。だが、天使の責めを止めたのは麗人の一言だった。

「はい、聞きましたよ。議長」

「では何故…」

「手元にいて、なおかつこの任務に合っているのは彼しかいません。そして今ココにくるのはAx最高の派遣執行官です。それと同時に私が一番信頼している人物。お茶でもどうです?彼がくる時間までには、一杯の紅茶を飲む時間くらいはあるでしょう。」

「………それではいただくとするかの……」

麗人が『クルースニク』とやらを話す時の顔を見ていたら、何故か怒れる気持ちも治まってしまった。話しをしている時の目が全てを語っているのを聡いバベルは悟った。

ホログラム姿のおっとりとしたシスターの出した紅茶(とても美味しい)を飲んで一息ついた頃、彼は現れた。
廊下をドタドタと走りながら入って来たのは、泥だらけの格好をした長身の神父。
王冠の様な銀髪には泥がつき、冬の湖色の瞳を隠すようにかけている牛乳瓶の蓋にも見える分厚いメガネにも泥がついていた。

830夜の道を往く者との対面 ◆ozOtJW9BFA:2006/09/19(火) 22:15:48 ID:10YvUZzQ

「す、すいませ〜んカテリーナさん。雨のせいで道がぬかるんでいたせいかコケてしまいましてね、」
「ナイトロード神父、議長に自己紹介を……。」

ノッポの神父のアホ話を切ったのは頭に青筋を浮かべた麗人だ。今にも噴火寸前の気配を感じるとナイトロード神父は、ずれたメガネを直し、軽い会釈をする。

「これは、これは。トレス君から話は聞いています。Ax派遣執行官アベル・ナイトロードです。どうぞよろしくバベル議長(ハート)」

この時の感情をなんと表現すればよいのじゃろう?
不安?裏切り?落胆?失望?
否!
無気力であった……倒れそうになった…………
このままルルティエに帰るとはどうじゃろう?
一瞬そんな考えが頭によぎったが背に腹は変えられない。こう見えてこの男は何かとんでもない能力でもあるのではないじゃろうか?………そうであってくれ!

珍しく泣きそうになるのを堪えながら、差し出された手に笑顔で握手をする。握り潰したくなるのを我慢しながら。

こうして、天使は“02”に出会った


【現地時間22:05】

【ロア内時間19:05】

バベルちゃん/アベル・ナイトロードは参加者ではありません

バベルちゃんは主催者を薔薇十字騎士団だけとしか知りません

831タイトル未定1 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:10:31 ID:9yaTnsNo
『この愚かしいゲームに連れてこられた者達よ』

 突如として響いた澄んだ声。
 それはマンションを中心に波紋のように伝播していく。

『聞きなさい。あたくしの名はダナティア・アリール・アンクルージュ』

 森を越えて市外を越えて届いた言葉に対して、
 ゲームの参加者達は力強い響きに静かに耳を傾ける。
 そして、声はマンションから遠く離れた貨物船にも届いていた。

『あたくしはこのゲームに宣戦を布告します』

 貨物船の三人は確かに届く宣言を受け取った。
 一人はブリッジで、一人は船長室で、一人は船倉で。
 そして、三人全てが等しい思いを胸に宿した。
 この言葉を待っていたと。
 抗う叫びを待っていたと。
 そして感じた。快いと。
 離れた場所で、同じ境遇の誰かが自分達の意思を代弁してくれたのだから。
 脱出への望みはまだ絶たれていない。

832タイトル未定2 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:11:39 ID:9yaTnsNo
「誰だか知らねぇが、ずいぶんと大胆だな……」
 船内に歩を進めたヘイズは一人こぼした。
 つい先ほどまで、彼は仲間と分かれて船長室の調査をしていた。
 机を引っ掻き回して積み荷の目録を探し当てたところで放送を耳にしたので、
 とりあえず作業を中止し、仲間と合流しようとして外へ出たのだ。
 目に映るのは長い通路とその端まで連なる船室、船室、船室。
 木造の外装から旧式の船だと侮っていたが、中身は外側ほど単純ではなさそうだ。
 その証拠に分岐した通路や、間隔を空けて設置された階段が見受けられる。
どうやら船の上階には船室などが配置されていて、
 下部には船倉などがあるらしい。
 それらを適当に確認しながら進むと、

『――それでも尚、道を見失う事は愚かです』
 
 ダナティアなる人物の強い意志を感じさせる主張が耳に届いた。
 悪意は連鎖する、過ちは繰り返す。だから、ここで終わりにしよう。
 そしてゲームに乗る者は許さないと、ダナティアはきっぱりと宣言したのだ。

833タイトル未定3 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:13:03 ID:9yaTnsNo
(不戦を説く、か。半数の参加者が死んでる現状じゃあ、まぁ当然だろうな。
 でもよ、忘れてないか? 午前中にお前と同じ事をした連中、
 そいつらに一体何が起こったのか。あの銃声を聞いてたはずだろ?)

 思案しつつ進むと通路にほどこされた装飾や、
 ルームナンバーしか変化しない左右の船室が、
 ヘイズの視界の内を後ろに向かって流れていく。
 周囲に響く、もう聞きなれたはずのたった一人分の靴音が、
 妙に無機質に感じられるのは気のせいだろうか。

『そして――』

 そこで終わりだった。 
 中途までつむがれた言葉は雑音によってあっけなく崩壊していく。
 ダナティアの声は銃声によってかき消されてしまったのだ。
 あまりにも非情な終焉としか言いようが無い。
 やはり、和平を快く思わない参加者が存在していたようだ。

「クソッタレ! やっぱりこうなるのかよ!」
 予想しうる事態だった。
 それでも、ヘイズの期待は一時の間ダナティアへと向けられていた。
 もしかしたら、という僅かな期待が。
 しかし、その思いは無惨にも引き裂かれ、砕けて消えた。
 参加者が呼びかけに応じて集い、脱出への道を歩むというシナリオも
 所詮、かなわぬ夢だったのだろうか。
 そうヘイズが意気消沈する直前――。

834タイトル未定4 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:13:47 ID:9yaTnsNo
『そして、進む者として告げましょう』

 消失したはずの言葉が再びつむがれ始めた。
 ダナティアは無事だったのだ。
 だから、ヘイズは思わず指をはじいた。

『あたくしは進撃します』

 宣告は続く。
 より力強く。
 より明朗に。
 同時に、銃声が連続して伝わってくる。
 ヘイズにはその音が宣言を打ち砕かんとする絶叫に聞こえた。
 しかし言葉は止まらない。
 ダナティアは脅威に対して屈していない。
 それはまぎれもなく、ゲームに乗った者達と主催者に対する
 明確な意志の表れだった。
 
 銃声が九射まで連ねられた時、ヘイズは解した。
(なかなかの覚悟じゃねぇか。この女は――強い)
 宣言のもたらす効果は計り知れない。
 だが、ダナティア・アリール・アンクルージュの言葉は確かに伝わった。
 彼女は島の全参加者に対して、こっちを見ろと言い放ったのだ。
 現実に対して絶望するな、そして私のルールに従え、と。

835タイトル未定5 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:15:05 ID:9yaTnsNo
 ヘイズ達を観客として、彼女は舞台に立った。
 もはや無視できる状態ではない。
 この放送を火乃香もコミクロンも聞いたはずだ。
 やはり、一旦集結しての意見交換が最優先だろう。

(整理するとこうか? ダナティアその他十二人が参加者に対して不戦を告げる。
 続いて、ゲームに対して反抗を宣言した。
 対する管理者の連中は沈黙。って、ずいぶん寛容じゃねぇか……?
 何か裏があるのか、脱出不可能とタカくくってんのか分からねぇな。
 ……保留すっか。で、反抗するに従い協力者を募るから乗ってないやつらは
 自分の所に来い、とまあこんなもんか)

 ダナティアの言葉を全面的に信用するなら、ヘイズ達にとって
 喜ばしい事に違いない。
 逆に邪推すると、反抗宣言につられてやってきた和平を望む参加者を
 仲間と共に一網打尽にしてしまう凶悪な罠ともとれるのだ。
「信憑性が低いっつう致命的事実を除けば、ツイてる展開なんだけどな……」
 一方的な放送ゆえに、こればかりは仕方が無い。
 参加者が激減しているこのタイミングでの放送、そして内容。
 対応は慎重にならざるをえないだろう。

 ヘイズがつかつかと通路を進むと、階段に突き当たった。
 今までの下層だけにしかつながっていないものとは別で、
 上層へとつながる階段だ。
 ヘイズがその階段を半ば登りかけたところで、
『あー、テステステス。聞こえる? って言ってもあんた達の返事は
 こっちに聞こえないんだよね』
 頭の方から船内放送が聞こえてきた。

836タイトル未定6 ◆CDh8kojB1Q:2006/11/20(月) 00:16:49 ID:9yaTnsNo
 考えるまでもなく、火乃香の声だ。
 どうやら彼女も集合して意見交換を行いたいらしい。
 もっとも、ヘイズは火乃香からのお呼びがかかる事を
 五分ほど前から予測していたので、先に行動を開始していたわけだが。

『あんた達さっきの放送聞いてたよね? なんかえらそーな口調で
 宣戦布告してたやつ。んで、あたしとしては何らかの
 リアクション返してやりたいから非常事態宣言出すよ。
 さっさとブリッジへ来い、以上』
「……アイ、サー」 
 集合をせかす火乃香の声に対して、
 いつものやる気の無い態度でヘイズはぼやいた。
 


【G−1/難破船/1日目・21:35】

『戦慄舞闘団』
【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:健康。
[装備]:
[道具]:有機コード、デイパック(支給品一式・パン6食分・水1100ml)
    船長室で見つけた積み荷の目録
[思考]:仲間と相談、船の調査報告
[備考]:刻印の性能に気付いています。ダナティアの放送を妄信していない。


【火乃香】
[状態]:健康。
[装備]:騎士剣・陰
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1400ml)
[思考]:仲間と相談、船の調査報告


[チーム備考]:火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
[チーム行動予定]:EDとエンブリオを探している。左回りに島上部を回って刻印の情報を集める。

837タイトル未定 1  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:41:40 ID:9yaTnsNo
 ひとけの無い路地を一人の男が疾走していた。
 その走法は一般人のものとは若干異なっていて、見る者に次第で男が武術の
 達人だと看破することができるだろう。
 男が一歩踏み出すたびに、ドレッドヘアがばらばらと音を立てた。
 その特徴的なヘアの動きとは無関係に、男のジャケットも揺れている。
 端的に表すと、異様の一言に尽きるだろうか。
 ジャケットは丈が長いダークグレーで、なぜか花柄模様で飾られていた。
 男が花壇を背負うかのように見せているそれらは、単なる刺繍ではない。
 色とりどりの花々、その一枚一枚が高性能の爆薬なのだ。
 この花柄の上着とヘア、そして左目を刀の鍔で覆い隠した精悍な顔立ちは、
 魔界都市<新宿>の犯罪者達に対する赤信号だった。
 男の名は屍刑四郎。
 人呼んで――主に男と敵対する連中が用いる呼称なのだが、
 『凍らせ屋』という。

 <新宿>きっての敏腕刑事である屍が急いているのはなぜか。
 単純である。人命がかかっているのだ。
 ゲームと称された殺し合いで多くの命が散ってしまっている現状、
 もはや手の届く場所での殺人を見逃すことはできなかった。
 しかし屍が向かう先、一直線の路地には彼の目指す人物はいない。
 どうやら短時間で相当距離をつめなければならないようだ。

838タイトル未定 2  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:42:31 ID:9yaTnsNo
 屍は、ボルカンと名乗った少年を見失って後悔していた。
 保護を怠ったのは完全に屍自身の失策だ。
 ボルカンから聞いた話では、怪物は凶悪かつ乱暴者らしい。
 一度手放した獲物であるボルカンを見て、怪物が無事に済ますとは思えなかった。
 すでに悲鳴が上がっていることからして、二人は接触してしまったのだろう。
 もはや一刻の猶予も無い。
 屍は肩からずり落ちそうになったデイパックを担ぎなおして
 進足のスピードを上げた。
 その時、屍の右手の方角から二度目の悲鳴が聞こえた。

「あぁぁぁぁ! お許しくださいっ! 
もう逃げません抵抗しません欲しがりません勝つまではっ!?」
「をーっほほほほほほほほほほ! 殊勝な態度を示したところで
あたくしの決定は覆らなくってよ。男らしく潔くおし!」
 こわもての刑事から距離を取ったのもつかの間の安全だった。
 ボルカンは曲がり角でばったり小早川奈津子と遭遇し、
 あっさりと捕らえられてしまっていた。

839タイトル未定 3  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:43:14 ID:9yaTnsNo
 身も心も巨大な小早川奈津子といえども、自分を置き去りにした上に
 武器まで奪って逃げ出した下僕、すなわちボルカンを見逃すことはできない。
 出会いがしらにむんずと捕らえて長剣を取り返し、ついでに脚をつかんで
 逆さ吊りにしてしまった。
 ボルカンは手足を振り回して必死に抵抗していたが、
 相手は規格外の大女。さすがにどうしようもない。
 芋虫のような太い指につかまれて揺れるその姿は、
 まるで釣り上げられてもがくサンマかニシンのようであった。

 憎き竜堂終に逃げられて、美男の医者に投げ飛ばされて、
 おまけに武器まで奪われて不機嫌の絶頂だった小早川奈津子も、
 今はボルカンを捉えた達成感で満たされていた。
 そして、さあお仕置きの時間に入ろうか、と鼻息あらく腕を振り上げる。
 凶器といえる太い腕を見たボルカンは引きつった悲鳴をあげた。
 正義の天使は小悪党が狼狽するその様子を満足げに眺めると、
「をっほほほ。あたくしの機嫌を損ねた罪は重いぞよ。
今からたっぷりとオシオキしてあげるから覚悟おしっ!」
 一般人にとっては死刑宣告に等しい叫びをあげた。

840タイトル未定 4  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:44:07 ID:9yaTnsNo
 哀れボルカン。恐怖の具現、マスマテュリアの闘犬といえども
 小早川奈津子にぶっ叩かれ、人間バットにされ、
 この上さらにぶっ叩かれたりすれば気絶は免れない。
 いや、気絶で済むその強靭さを称えるべきだろうが、
 人生には耐えられるが故の苦痛というものも存在するのだ。
 このような虐待が続けば、ボルカンは今に増してオーフェンを
 恨むことだろう。
 これもそれも全てオーフェンが悪い、と。
 うめき声をあげる地人の心情を小早川奈津子が察してくれるわけが無い。
 いざ、百叩きの刑に処してくれようず、と意気込んだところで、
「やめときな」
 どこからともなく声がした。

 小早川奈津子が声の主を探すと、ボルカンを捕まえた角のすぐ先に、
 一人の男が立っていることに気づいた。
 男は続ける。
「現行犯は問答無用で叩きのめすぞ」
 声の主は屍刑四郎。雨がしたたるその顔が、うすく笑みを浮かべていた。
 その容貌から発される警告は、並みの人間には恐喝に等しい。 
 スパイン・チラーの異名どおりに、相手の背筋を凍らすほどの凄みがある。
 しかし、相手はドラゴンにすら立ち向かう希代の女傑・小早川奈津子だ。
 『凍らせ屋』と真正面に向き合っても全く物怖じしていない。
「このあたくしに意見するとは、いったい何者だえ?」
 せっかくのお仕置きタイムに水をさされた正義の天使は、
 まるでごみくずを投げるかのように地人を放り捨てた。
「ぬおっ!」
 発した声は、突如として怪物から開放されたことに対する驚嘆か、
 それとも更なる不運を予期しての抗いの叫びか。知る者はいない。
 もしも彼がこの場から無事に逃走できたのならば、
 次の悲劇に巻き込まれること無く自由の時を謳歌できたのかもしれない。
 だが現実は非情。
 虹の如き放物線を描いて飛んでいくボルカンは、まるで狙い済ましたかのように
 路地の塀に後頭部を強打し、ぐっという呻きとともに昏倒した。

841タイトル未定 5  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:45:03 ID:9yaTnsNo
 図らずとも、小早川奈津子の理想どおりの展開になってしまった。
 路地を包む沈黙の中を鈍い衝突音が波紋を描いて広まっていく。
 そして塀にもたれかかったまま、ずるずるとへたり込むボルカン。
 少しでも意識が残っていたならば激しい抗議の声をあげただろうが、
 今はそれすらも叶わない。
 そんな下僕には一切の関心を払わない小早川奈津子は、
 すっかり興が冷めたといった表情で屍に一歩踏み出した。
 だが、次の瞬間に彼女の表情は一転、好奇を示す。
 まるで仮面を取り替えたかのような豹変ぶりだった。
 無骨者ともとれる屍の面構えが、どうやら眼鏡にかなったらしい。
「近づいてみたら、これはなかなかいい男。あたくしの下僕にしてあげましょう」
 万人がおののく威圧感、いや巨体ゆえの圧迫感、
 悪く表現すれば目障りなまでの存在感を振りまいて、女傑は屍に歩み寄った。
 だが魔界刑事は動じない。
 これまでやくざの威圧・恐喝は何度も打ち破ってきたし、
 魔界都市<新宿>を巣喰う不気味な妖物達と戦ったこともある。
 巨人が詰め寄る程度では動揺すらしない精神の持ち主なのだ。
 何より、彼は犯罪者になびく気などさらさら無い。
「お断りだ」
 と鉄の響きで一刀両断、あっさりと切り捨てた。
 
 予想外の返答――あくまで小早川奈津子個人の予想であり、
 十中八九の人間には当然といえる返答に対して、
 巨大かつ繊細な乙女心は大きな衝撃を受けたようだ。
 女傑の思考は単純であるがゆえに、直球の拒絶反応は受け入れやすい。
 心のダメージが身体にフィードバックして、小早川奈津子はよろめいた。
「あたくしの誘いを断るとはなんたる愚行……ならば!
この小早川奈津子に奉仕できるという栄光を直接その体に刻んでくれようず!」
 良き男 征服するのも また一興 心躍りし 秋の夕暮れ
 そんな歌を脳裏に浮かべ、相手に向かって走り出す。
 小早川奈津子は今の季節がよく分からなかったはずだが、
 性欲の秋とも評されるので秋にしたのだろう。 
 つまり、無理やり押し倒して事を成そうと考えたのだ。
 体当たりをくらった相手が多少の怪我を負おうが、構わない。
 乙女心が受けた傷に比べれば浅いのだから。
 そんな御前イズムを全開にして、小早川奈津子は屍目指して突撃した。

842タイトル未定 6  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:46:13 ID:9yaTnsNo
 一方、屍は小早川奈津子の内心などつゆも知らない。
 ただ単純に相手が襲ってきたものと了解する。
 ボルカンからは「怪物」と報告されているので、もはやためらいは無い。
 巨体の突撃に対して寸前まで相手を引き付け、
 丸太のような両腕が左右から押さえ込もうとする
 その動きを読んで横へ飛び退く。
「をっほほほほ、観念したようね――なんとっ!?」
 直前まで動じなかった屍をそのまま押し倒せると思っていたのだろう。
 怪物の声には感嘆の響きがあった。
 次の瞬間、目標を失った巨体が路地の塀へと突っ込んでいった。
 屍は相手がそのまま塀にぶつかって昏倒するだろうと予想し、
 ボルカンの方へと踵を返す。
 しかし、その耳に届いたのは壮大な破砕音だった。
 小早川奈津子の体当たりを止めるどころか、逆に塀が崩壊してしまったのだ。
 まさに人外魔境の破壊力。
 あんな体当たりをまともに受ければ『凍らせ屋』とて無事では済むまい。
 最悪、打ち所が悪ければ命にかかわる。
「暴行罪・刑事に対する殺人未遂――もう十分だな」
 この瞬間、小早川奈津子は屍刑四郎に犯罪者と認定された。
 屍にとっては凶悪犯であるほど、命の価値が反比例に下がっていく。
 この犯罪者に対する苛烈さも魔界都市<新宿>ならではであった。

843タイトル未定 7  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:47:06 ID:9yaTnsNo
 ふっ、という独特の呼吸音と共に屍は小掌を放った。
 屍が扱うジルガと呼ばれる武術の型にのっとったもので、
 本来ならば手榴弾並の衝撃を相手に叩き込む技だ。
 制限によって劣化していても、並の人間は一撃で再起不能になる威力。
 だが、あくまで相手が並の人間だったのならば、という場合である。
 屍が並みの刑事でないのなら、小早川奈津子も並みの大女ではなかった。
 塀を打ち崩したばかりの巨大な肉体に小掌が命中する。
 完璧なタイミングと完璧な威力。
 さすがの女傑も塀の向こうに吹き飛ばされる。
 だが、一旦の間を置いてから即座に立ち上り、けろっとした様子で復帰してくる。
 屍は眉をひそめた。

 確かな手ごたえはあった。しかし肉を打っただけで体の芯までダメージが
 入っていなかったのだろうか。
「をっほほほほ! ちょこざいな」
 小早川奈津子は腰の辺りのほこりを手ではらった。
 その隙を見て、屍は間髪入れずに蹴りを放つ。
 それは正確に小早川奈津子のみぞおちを捉える。
 再び吹き飛ばされる巨体。
 しかし、
「をーっほほほほほ!」
 あいも変わらぬ様子で女傑はカムバックしてくる。
 屍は悟った。
 これは自分が蹴りを打ち損したのではなく、相手が頑健すぎるのだと。
 相手が塀を破壊した時点で、その妖物並みのタフネスに気づくべきだった。
 愛銃であるドラムが手元に無い今、ジルガを用いて相手を打倒しなければならない。
 幸いにもジルガには装甲を無視し、内部にダメージを与える技がある。
 急所を的確に狙えば2、3発で決着するだろう――。

844タイトル未定 8  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:47:51 ID:9yaTnsNo
 そこまで思考した時、屍は背後に殺気が迫るのを感じた。
 直後、魔界刑事の本能が告げた。
 この場は危険だ、すぐに立ち退けと。
 それは純然たる死の警告。屍の対応は迅速だった。
 肩のデイパックを即座に握り締め、塀に向かって全力で飛びのく。
 だが、塀の横まで飛んだ瞬間、屍は再び直感した。
 ここもやばい。
 それはギロチンの刃の下にいるような感覚に似ていた。
 しかも既に刃が落下しているギロチンだ。
 もはや考える暇すらなかった。屍は純粋な反射行動によって塀を蹴りつける。
 その蹴りによって、移動中だった屍の進行ベクトルが大きく変わった。
 そこにきて思考が追いついた。ギロチンのイメージ元は鋭く研ぎ澄まされた殺気。
 攻撃は二発来ていたのだ。

 屍の体が塀から離れた直後、さっきまで身体が存在した空間を幾本もの刃が通過した。
 その正体は白光する鮫の歯だった。
 地獄の虚に似た大口が閉じられる姿は、断頭台を超える必殺の光景。
 一撃を回避させておいて、身動きのとり辛い緊急回避中に二発目を放つ。
 それは相手の生存を許さぬ非情なコンビネーション攻撃だった。
 <新宿>の刑事でもなければとっさに回避できなかったかもしれない。
 しかも大半の参加者は最初の一撃で葬られていただろう。
 なぜなら、攻撃の主は悪魔そのもの。
 出現するまで姿も気配も無いのだから。

845タイトル未定 9  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:48:32 ID:9yaTnsNo
 三発目が来ないのを確認して、屍はゆっくりと立ち上がる。
 隻眼は真剣の如き鋭さを持って乱入者を貫いた。
 その視線の先には、先ほど屍が置いてきた少年が悠然と立っていた。
 彼の放つ殺気が無ければ、屍は鮫に呑まれていただろう。
 甲斐氷太――この男もまた、ゲームに乗った殺戮者だ。
 屍は内心、不快を感じていた。
 追ってきているのは知っていたが、まさかここまで詰められていたとは――。
 だが、この男をここまで近づけたのは屍のミスではなく、
 制限による各種感覚の能力低下が原因だった。
「掃除すべき屑がまた一つ。ジャンキー風情が手間を掛けさせやがる……」
「あぁ!? 俺の方が先客だろうが。それを無視して走ってったのはお前だぜ? 
ったく舐めた真似しやがって」
「あたくしを――」
 火花を散らす男二人に対して、蚊帳の外に弾き出された小早川奈津子が
 憤慨する。
 しかし、
「参加者の保護が優先だ。おまえ如きに構ってられるか」
「……じゃあ次はそこで寝てるガキを悪魔で食い千切ってやるよ」
「あたくしの――」
 正義の天使は全く相手にされていない。
 それどころかまるで眼中に無いかのような扱いだ。
 甲斐氷太はボルカンの方へと目を向け、屍は相手の出方を伺っている。
「つけ上がるなよ、小僧。俺はそれほど気の長いタチじゃない」
「はっ、三流の脅し文句だぜそりゃあ。
さっきみてえに睨んでるだけの方がよっぽどスゴ味が利いてたぜ」
 さすがの甲斐も『凍らせ屋』と真っ正面からガンを付け合えば、
 背筋が凍って行動不能にならないまでも、相手に一歩譲らざるを得ないようだ。
 屍が放つ気は並の強者のものではない。
 魔界都市において実力でスジを通してきた者のみが放てる覇気なのだ。
 その気に押されて、大抵の人物は屍の格を知る。

846タイトル未定 10  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:49:14 ID:9yaTnsNo
 だがその場にはただ一人、徹頭徹尾に空気を読まない人物がいた。
 その名は小早川奈津子。
 人呼んで北京の女帝etc……。
 彼女は今、度重なる凡夫の無礼によって心底怒りを蓄えていた。
 二人の背後で怒鳴ったり手を振り上げたりしていたが、一向に反応が無い。
 ゆえに懐広く、慈悲深い正義の天使と言えども、もう我慢の限界だった。
 鉄槌を放たずにはいられない。
 彼女は、静かに腰を落として路地のマンホールに手を掛けた。
 怒りで手が震えるが、芋虫と形容されるその指はなんら抵抗無く鉄塊を
 地面より掴み上げる。
 負傷した右腕が少し痛むが、怒りはそれを押し流した。
 そして相変わらず無視を続ける男二人の方へと向き直り、
「あたしの話をお聞きっ!!」
 巨体に似合わないステップで勢いをつけてから、
 まるで円盤を投げるかのような軽やかさでマンホールの蓋を投擲した。

 甲斐は視界正面にその鉄塊を捕らえ、屍は持ち前の直感力で危機を察した。
 二人がかろうじて屈めた頭上を洒落にならない速度でマンホールの蓋が
 飛び去って行った。
 直撃して頭が吹き飛ばない人類は存在しないであろう威力を誇るその円盤は、
 男二人の数メートル後ろの塀に衝突。
 ビル破砕機のようにその壁面を打ち抜いて住宅に悲鳴を挙げさせた。
 頭を上げた甲斐がただちに現状を理解して罵倒の叫びをぶつけた。
「おいっ! 空気読めよ肉ダルマ!!」
「に、に、肉……!」
 もはや小早川奈津子は言語を用いて返すことができない。
 女傑の怒りは頂点に達したのだ。
 彼女の脳内で壮大な富士山噴火のエフェクトが立ち上がり、
 それは徹底的な激怒を呼び起こした。
 もはや止められる者は存在しない。
「――っ、覚悟おしっ!!」
 長き険しき努力の末にようやく一言捻り出すと、
 小早川奈津子は傍らの長剣を手に取り、一人の修羅となって突撃した。

847タイトル未定 11  ◆CDh8kojB1Q:2007/01/01(月) 20:50:23 ID:9yaTnsNo
【A-3/市街地/一日目/18:45】

【屍刑四郎】
[状態]健康、生物兵器感染
[装備]なし
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1800ml)
[思考]ボルカンを救出し、怪物と甲斐を打ちのめす
[備考]服は石油製品ではないので、影響なし

【ボルカノ・ボルカン】
[状態]たんこぶ、左腕骨折、生物兵器感染、現在昏倒中
[装備]かなめのハリセン(フルメタル・パニック!)、
[道具]デイパック(支給品一式、パン四食分、水1600ml)
[思考]とにかく逃げたい
[備考] 服は石油製品ではないので、影響なし

【甲斐氷太】
[状態]肩の出血は止まった、あちこちに打撲、最高にハイ、生物兵器感染
[装備]カプセル(ポケットに十数錠)、煙草(湿気たが気づいていない)
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1500ml)
   煙草(残り十一本)、カプセル(大量)
[思考]屍や怪物と戦う、怪物うぜぇ
[備考]生物兵器の効果が出るのはしばらく先、
   かなりの戦気高揚のために痛覚・冷静な判断力の低下

848絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:16:28 ID:Ixp5b3uM
 人は本当の恐怖と相対した時、どんな反応を示すのだろう?
 震えるか? 立ち竦むか? 命乞いか? はてまた崇めるか?
(違う)
 ウルペンは首を振った。
 それは単純なものではない。そんなひと言で表せるようなものではない。
 体が震えている。もとより体は五体満足よりほど遠い。だが、彼を苛んでいるのは体の欠損などではない。
 眩暈がする。吐き気がする。脳が裏返り、地面を足が掴んでいられない。 
 生きたまま内臓を全て引き抜かれるような激痛と虚脱。体がくの字に折れ、自然と視界が下を向く。
 足下には仮面を被った死体がある。エドワース・シーズワークス・マークウィッスル。その骨と皮。
 念糸は強力な武器だ。そして訓練された念糸使いが用いれば、不可避の武器にすらなる。
 速度、距離、隔てる物質――すべて無効化し、念糸は相手に届く。
 もとよりそれは思念の通路。耳を塞いでいたって言葉は届く。だから念糸は如何なる手段であっても防げない。
 ――本当に?
 本当に、死んだのか?
『未来永劫、お前は何も信じられまい』
 EDの視線と言葉は極めて鋭く、それはまるですり抜けるようにウルペンの心臓を突き刺した。
 動揺と激しい動悸に、ウルペンは知らず呼吸を乱す。
 空気が足りない。血液が足りない。光が足りない。全て不足している。
 世界の全てが信用できない。
 呼吸しているのは毒素ではないか? 体を巡っているのは熱湯ではないか? 眼前の世界は虚像ではないか?
 妄想だ。そう一蹴できた。できたはずだ。
 信じることが出来れば。

849絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:17:39 ID:Ixp5b3uM
「はっ――あ」
 喘ぐ。だが取り入れたいのは生存のための酸素ではなく、存在のための真実。
 地面の存在を信じることが出来なければ、人は外を歩くことも出来ない。
 空の不動を信じることが出来なければ、人は空が堕ちてくることを恐れる。
 ウルペンは転がっている骸の脇で膝を折り、その仮面に手をかけた。
(俺の、俺の絶望。それすらも確かなものでは無いというのか?)
 仮面を剥がす為に力を込める。込めたつもりだった。
 動かない。仮面はぴくりともしない。
 だがその理由さえ分からない。仮面がキツイだけか? それとも無自覚の拒絶か?
(これで証明されるのならば――)
 眼球が零れるほど目を見開き、ウルペンはもう一度力を込めた。
 今度は、あっさりと仮面をむしり取ることに成功する。
「……あ」
 そして、直視した。直視してしまった。
「……ああ」
 EDの仮面の下。念糸の効果でミイラ化し、人相さえ分からないはずのその表情。
 だがその眼球は――いまもなお鮮明に、ウルペンを睨んでいる。
 萎んでいるはずの双眸が永劫に彼を糾弾し続けている。
 まるで水晶眼だ。死体は腐敗してもこの視線は不滅だろう。永久にその弾劾を閉じこめたままだろう。
「ひっ――!」
 悲鳴を上げた。弾けたバネ仕掛けのように死体から飛び退く。
 死体から遠ざかり、それでもウルペンは二、三歩よろめくように後退した。
 足りない。どれだけ逃げても逃げられない。
 この死体は死んでいない。
 怪物だ。怪物領域があった。その仮面の下に隠していた!

850絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:18:50 ID:Ixp5b3uM
「あ、あああ」
 右手を見る。引き剥がした仮面を落としていなかったのは、単純に筋肉が硬直していた所為だろう。
 仮面という単語は、すぐに黒衣を連想させた。逆しまの聖人。その中は空洞だと思わせることで、怪物に皮一枚だけ近づいた者達。
 かつて、ウルペンもその格好をしていた。黒衣の内側。そこは帝都だった。確約された安息の場所。
 震える手で、仮面を自分の顔に押しつける。だが。
「違う!」
 そのまま顔の上半分を覆う仮面を肉に食い込ませるように押しつけ、絶叫する。
「俺が求めていたのは……こんな、ものではっ!」
 かつての安寧はない。あるのはただの寒々しい行為とその感触のみ。
 よろめき、尻餅をつくように座り込むと、ウルペンはそのまま両手で顔を覆った。
 泣くのではない。その撫でるような感触すら信じられないのだから。
(分かっていたはずだった。俺はかつて死んだ。だがここにいる)
 いずれ果たされるべき約束は破られた。契約は信用できない。
 死んだはずの自分が生きている。死してすら確たる物が手に入らない――
『未来永劫、お前は――』
「やめろ……やめろっ……」
 耳朶にいつまでも残響する呪いの言葉を振り払うように、ウルペンはかぶりを振った。じりじりと死体から遠ざかる。
 ED。戦地調停士。己の舌先と謀略のみで問題を解決する者。
 故に、彼の言葉はこの世の如何なる刃よりも鋭い。
 そして、鋭すぎた。振るうのを加減する者が居なければ、それはどこまでも切り裂いてしまう。
 彼の最後の言葉は、放たれた。放たれただけだった。振るう本人が死んでしまったのだから、誰もフォローは出来ない。
 あるいはEDが生存していたのなら、抉られた心を利用することもできただろう。
 それでも現実には誰もいない。EDの残した呪いに縛られているウルペン以外には。
『――何も信じられまい』
「――ぁぁああああああアアア!」
 叫び、駆け出す――EDから受け取った地図を粉々に引き裂き、今しがた侵入してきた地上との出入り口へと。
 怖かった。ただひたすらに怖かった。あの男の言葉が現実になるのが恐ろしかった。
 あの男の地図が真実ならば、あの男の口走った予定は予言になる。そんな気がしてならなかった。

851絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:20:09 ID:Ixp5b3uM
 地上に出る。清涼な夜気を口にしても動悸は収まらない。ウルペンは走り続けた。
 気が付くと声が響いていた。強い声。どこかミズー・ビアンカを髣髴とさせる。そんな声。
 島全土に響いているのだろう。ウルペンは絶望を叫びながらそれを聞いた――

『忌まわしき未知の問い掛けに弄ばれる者達よ』

『あたくしは進撃します』

『あたくしは怒りに身を任せない』

『あたくしは諦めに心を委ねない』

『あたくしを動かすのは……』

『……決意だけよ!!』

「――なにを根拠に信じればいい!」
 立ち止まる。それは息が続かなくなっていたためでもあったが、放送の主に癇癪をぶつける為でもあった。
 何故、そんな言葉が言える。何故、そんな確信を込められる。言葉などというあやふやな物に。
「――いつだって求めてきた! 八年もだ! それなのに見つからなかった!」
 アストラは彼の物にならなかった。
 彼女を愛していた。それだけは確かな物だと信じたかった。
 だが、それを唯一肯定してくれた義妹は、死んだ。

852絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:21:08 ID:Ixp5b3uM
「おまえの言葉は確かな物か!? アマワに約束でもされたか!? ならばそれは果たされない!」
 帝都は滅び去った。ベスポルトは死んだ。ウルペンは死んだ。約束は果たされなかった。
 地面に膝を突き、狂ったように頭を掻きむしる――髪が引きちぎられる痛みも、今は心地良い。
「おまえの決意とやらは確たる物か!? それが精霊に弄ばれているのだとしてもか!」
 駄々を捏ねる子供のように、ウルペンは吼える。赤く裂けた空に、慟哭を投げかける。
 ――まるで血の色だ。未来を暗示させる。
 これは開幕の宣言となり得ないだろう。ウルペンは胸中でそう断じた。
 これは絶望で塗りたくられる予兆だ。かつて彼の帝都を焼き尽くした二匹の獣。彼女たちと同じ炎の色。
 業火の力――すべてを虚無に飲み込む。
「……殺すまでもない。貴様は散々アマワに弄ばれ、それを決意と勘違いしたまま死ぬがいい」
 鬱憤をすべて吐き出した後、最後にぽつりと付け加える。
 声が小さくなったのは、自身の台詞に覚えがあったからだ。
(精霊に弄ばれ死ぬ、か)
 ――まるで、生前の自分だ。
 吐き捨て、立ち上がる。
 激昂は体力と気力を消耗させた。放送の直前まで眠り続けることとしよう。
 そうして、粉菓子のようなすかすかの決意だけで歩みを始めた時。

853絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:22:34 ID:Ixp5b3uM
「……見つけた」
 茂みから、金属製の筒のような物を構えた男が出てきた。
 赤銅色の髪。常にやる気のなさそうだった顔は、あの時のまま無表情という絶望に凍り付いている。
 ウルペンは、その男に見覚えがあった。
(……契約者)
 自分の意志は信じられると断言した黒髪の少女。その連れだ。名前は――ハーベイ、とか言ったか。
「……あれからずっとあんたを探してた。叫んでるなんて思わなかった」
 自分自身に確認するような口調で呟きながら、その男はこちらを射程に納めた。
 筒の穴をこちらに向け、殺意を放射してくる。念糸で片腕を破壊したはずだが、いまは五体満足のようだ。
 どうやら叫び声を聞きつけてきたらしい。だが真に恐るべきはこの瞬間にウルペンの近くにいたという幸運よりも、その執念か。
「お前は殺す。けど、その前に答えろ。なんでキーリを殺した」
 表情はほとんど変えないまま、だが強く睨み付けてくる。
 念糸の効果を知り、警戒しているのだろう。武器は例の自動的に動く腕が握っている。
 金属製の筒は、ウルペンも似たような物をこの島で何度か見ていた。
 ボウガンのような武器だろう――威力も速度も桁違いだが。
 何にせよ、すでに照準されているのなら、念糸では対抗できない。
(図らずとも、いままでとは逆の状況になったか)
 命を握られ、質問を強要される。
 それを不快と感じないのは、ウルペンが打ちのめされた後だったからだろう。これ以上は倒れようがない。
 問いに答えるのは簡単だった。だが、その前にすべきことがある。
 ウルペンはかつてのように、質問を投げかけた。
「お前は……確かなものを提示できるか?」
 殺されるかも知れない――
 その可能性はあった。それを恐れる気にもなれないが。
 だが意外にも、赤銅髪の男は律儀に返してきた。僅かに考え込むようにしてから、告げてくる。

854絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:23:21 ID:Ixp5b3uM
「……面倒くさくて今まで考えないようにしてたけど、無くしてみて分かった。
 俺にもあったんだ。あんなナリでも、キーリは俺にとって大きな存在だった。
 不死人として惑星中を彷徨ったけど、俺はあいつが……あー、なんだ。
 上手く言えないけど、一番くらいに大切だったんだ」
 普段はほとんど無口で、喋ったとしてもぶっきらぼうなこの不死人は、かつて無いほどに長く言葉を紡いだ。
 ――何十年も惑星を歩いて、それ以上の年月を不死の兵士として過ごして。
 殺伐と無味乾燥な日々。戦争中はレゾンデートルの為に何となく殺して、戦後はすることもなく何となく放浪した。
 そして、いつのまにかあの少女がついてきた。兵長を埋葬しに行く途中だった。
 兵長とはそれほど仲が良かったわけではない。当然だ。自分が殺してしまったのだから。
 あるのは罪悪感だけで、言ってしまえば腫物だった。
 過去の清算。埋葬を引き受けたのも、そんな思いがどこかにあったからかもしれない。
 いつからだろう。その気持ちが薄れていったのは。
 いつからだろう。キーリと兵長との三人旅から抜け出せなくなってしまったのは。
 幸せなんてぬるま湯と同じだ。浸かっている間は暖かくても、そこから出てしまえば風邪を引く。
 絶対に、後のタメになんか、ならないのに――
 ……いつからだろう。それにずっと浸っていたいと思い始めてしまったのは。
 ウルペンはそれを聞いていた。僅かに沈黙し、そしてさらに問いを重ねる。
「それは、愛していたということか?」
「……かもな」 
 ハーヴェイもしばし黙考した後、そう返した。
 とても不器用な言葉だったが、それでも確かなものだったのかも知れない。
 だったのかも、知れない。

855絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:24:10 ID:Ixp5b3uM
 ウルペンは即座に返した。刃の切っ先を向けるように、辛辣に言葉を突きつける。
「ならば、なぜ俺を殺そうとする?」
「……命乞い?」
「そうではない」
 今となっては、死すらも確たる物ではない。
 生命を失っても、こうして動き回るのではないか? そも、今の自分は生きているのか?
 ある意味目の前の不死人よりも、ウルペンにとって『死』は遠い。
「俺を殺して、お前は何か得るものがあるのか? あの娘が帰ってくるわけではあるまい。
 俺が、奪ったのだから」
「……それを殺した本人が聞くかよ」
「問われなければ、解答を得る機会もあるまい?」
「知るか。とにかく、殺す」
「――そうか」
 無感情に即答してくる男を見て――
 ウルペンが浮かべたのは、失望の表情だった。
「ならば、あの娘の意志とやらもその程度のものだったというわけか」
「……ヨアヒムより腹の立つ奴がいるなんて思いもしなかった」
 それが、合図だった。

856絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:24:53 ID:Ixp5b3uM
 体勢を低くしたウルペンが、ハーヴェイの懐に飛び込んでくる。
 ハーヴェイもそれに反応していた。悠久に近い時を生きる不死人。兵士として過ごした年月は誰よりも長い。
 構えた拳銃を撃つ。遅れて紡がれたウルペンの念糸が放たれる。
 着弾は、やはり弾丸の方が早かった。
 血と、ウルペンの装面していたEDの仮面が飛ぶ。黒衣を身に纏った体がよろめく。
 だがウルペンは絶命していなかった。弾は仮面を掠め、かつて奪われた方の眼球を削っただけである。
 二発目を撃つ前に、念糸がハーヴェイの肩――義手と二の腕の境目を捉える。
「この――!」
 振り払おうとしても、念糸には干渉できない。
 パン、という袋を破裂させたような音。ハーヴェイの右肩が干涸らび、骨と皮だけなる。
 それでも義手は動いていた。肘だけを曲げ、器用にウルペンを狙い――
 その義手をウルペンが掴んだ。袖から覗いた金属骨格に残った指を絡ませ、脆くなった接合部から一息とかけずに千切りとる。
 そしてそれを鞭のようにして、ウルペンは義手をハーヴェイの顔面に叩きつけた。衝撃で金属の指から拳銃がこぼれ落ちる。
 地面に落ちた危険な金属塊を蹴飛ばしながら、ウルペンはもう一度義手を振り上げた。
「……おい」
 だが、それが振り下ろされることはなかった。
 ウルペンの右手首が掴まれている。顔面、それも目の近くを打たれたというのに、ハーヴェイは怯む様子もない。
 驚愕に、ウルペンは目を見開いた。それが隙だった。
 ハーヴェイが手首を掴んだまま背後に回り込み、そのまま俯せに押し倒す。
 そしてトドメとばかりに関節を捻っていく。抵抗しようとしても、力ではウルペンに勝ち目はない。
 不死人が兵器として有効だったのはそのタフネスと、自身が自壊するほどの筋力を容易に発揮できるからだ。
 ハーヴェイは躊躇いもせず、相手の関節を稼働限界以上にねじり上げた。なんら抵抗無く、関節がおかしな方向に曲がる。
 どこか遠くで再度、乾いた音が響くのをハーヴェイは聞いていた。念糸の炸裂音。
 だが痛痒は感じない。痛覚を遮断することは、不死の兵士にとって容易い。
 三撃目を喰らうよりも早く、殺す。抵抗力を奪ったところで、次は首をへし折ろうとハーヴェイは決めていた。

857絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:26:16 ID:Ixp5b3uM
 だが首筋に手を伸ばした刹那、メキメキと嫌な音が背後から響く。
「……!」
 咄嗟に背後を振り向くと、抱きついても両手が回りきらないほどの大木がこちらに倒れてくるところだった。
 弾けた木片が頬に当たる。幹の折れた部分が、まるでそこだけ脆くなったようにボロボロになっていた。
 銀の糸が、視界の隅で閃く。
 どうやら先程の二撃目はこの木を壊死させたらしい。なるほど。威力を調節すれば倒す方向を定めるのは簡単だろう。
 だが、不死人にとってこんな事態はピンチでも何でもない。
 木が倒れてくるよりも早く、ウルペンの首をへし折る。それで終わりだ。
 ハーヴェイはすぐに視線を戻した。木に注意を取られていたのは一秒足らず。腕の折れている敵が脱出できるはずはない。
 ――その、はずだ。
 だがその理論とは逆に、現実のハーヴェイは地面に突っ伏していた。
 ハーヴェイと地面の間にウルペンは、いない。欠片も存在していない。
「……腕を掴まれたままだったのなら、相討ち以上にはならなかっただろうな」
 底冷えのする声が、間近で響く。
 見ると、ウルペンはいつの間にかハーヴェイの傍らに立っていた。不死人の首筋を容赦なく踏みつけている。
「がっ!?」
 地面に押しつけられ、気道が塞がる感触に唾を吐きだす。
 死ににくいとはいえ、基本的な構造は人間と同じだ。頸動脈を圧迫され、脳に血液が回らなくなれば意識は保てない。
 次々と機能を放棄する脳髄。こういう時は決まって、ろくなことを思いつかない。
(なんで……折ったのに動けるんだ……?)
 起死回生の手段だとかそういうものではなく、ハーヴェイが疑問に思ったのはそんな些細なことだった。
 ウルペンの肘関節はまだ奇妙な方向に曲がったままだ。が、腕を一振りするだけで正常な形に戻る。
 折れていない――その理不尽を見せつけるかのように、ウルペンは右腕の先をハーヴェイに向けた。
 血が足りなくてぼやける視界。白く歪んだその世界で、相手の指先から放たれた銀の糸は一際美しく見えた。
 念糸が接続され、ハーヴェイの体から水分を奪っていく。
 ――『心臓』がある限り不死人は無敵。だが、それを被う肉の鎧がない状態で『核』は大木の一撃に耐えられるか?
 暗転し始めた思考回路で、そんなことを考えられる筈もなかったが。
 幻覚が見え始める。眼前の黒衣とだぶるように、黒い影がウルペンに覆い被さっている。
 幻聴も聞こえる。小さな罵声と泣き声は、満足に目的を果たすことも出来なかった自分の物だろうか?
(キー……リ……)
 赤銅色の不死人は、最期にその名前を呟く。
 そして倒壊する大木の速度が零になった瞬間、体の中心で何かが砕ける音を聞いた。

858絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:27:22 ID:Ixp5b3uM
◇◇◇

 大木が地面に倒れるよりも一瞬早く、ウルペンはその場から飛び退いていた。
 轟音と地響き。乾いた体からは血も飛び散らず、骨の砕ける音だけを耳朶に捉える。
 木の下から覗いている相手の四肢はぴくりとも動かず、ひたすらに死の感触しか伝えてこない。
 敵は死んだ。契約者を殺した。
「……さて、それは事実か?」
 呟き、死体を蹴飛ばしてみる。反応はない。本当に?
 契約の有効性。契約者の死。どちらも信じ切ることが出来ない。
「だが、どちらも同じことか」
 ウルペンは笑った。可笑しくもなく、嘲るでもない。それは完全に空虚で、薄ら寒い、感情のない微笑みだった。
 信じられないのなら、事実は無意味だ。虚無と妄想に生きるしかない。
 だが、彼にはまだやることがある。
 森の中の不確かな地面に、靴の裏を叩きつける。ミシリという音と、金属の感触。
 月明かりを頼りに、ウルペンは拾い上げた。先程、いつの間にか落としていた勝手に動く腕が、今まさに拾おうとしていた拳銃を。
 金属の腕を踏みつけ動けないようにし、ほとんど銃口を押しつけるようにして撃つ。
 顔をしかめた。思わず反動で取り落としそうになったのだ。小指と薬指がなければ、こんな動作にも苦労する。
 それでもウルペンは時間をかけて全弾を義手に叩き込んだ。衝撃にフレームが曲がり、ケーブルが切れる。
 最後に弱々しいモーター音をひとつだけあげて、義手は活動を停止した。
 ウルペンは軽くなった拳銃を捨てた。きびすを返し、その場を後にする。
「アマワ……貴様の契約が確たる物でないのなら、俺は貴様を殺しに行くぞ」
 周囲に人の気配はないが、それでも夜空に宣告する。
 どうせどこかで聞いているだろう。問題はどうやって引きずり出すかだ。
「決まっている。全て殺して俺だけになれば、確かな物は残らない」
 絶望すら信じることが出来なくなっても、やるべきことは変わらない。
 アマワに答えを捧げよう。貴様の求める物は手に入らないのだと教えてやろう。
(俺は虚無だ。何もない男だ)
 何も信じることができない、あやふやな存在だ。
 だが、それでいい。
「どうせこの盤上遊技も貴様の下らない問いかけなのだろう、アマワよ!
 ならば俺がそれを終わらせてやろう! お前を破滅させてやる!」
 ――この島から、俺がすべて奪った時に残る物。
 それはとても不明瞭で、グシャグシャの、底抜けにグロテスクなものに違いない。
 ウルペンは高らかに笑い始めた。それはまるで精霊のように、どこまでも狂気に純化した哄笑だった。

859絶望咆吼  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/04(日) 20:28:06 ID:Ixp5b3uM
【017 ハーヴェイ 死亡】


【B-6/森/1日目・21:40頃】
【ウルペン】
[状態]:左腕が肩から焼け落ちている/疲労/狂気
[装備]:なし
[道具]:支給品一式
[思考]:参加者を皆殺しにし、アマワも殺す。
[備考]:第二回放送を冒頭しか聞いていません。黒幕はアマワだと認識しています。
    第三回放送を聞いていたかどうかは不明です。
    チサトの姓がカザミだと知り、チサトの容姿についての情報を得ました。
    これからは質問等に執着することなく、参加者を皆殺しにするつもりです。

※【B-6/森】に破損したEDの仮面、壊れたハーヴェイの義手、Eマグ(弾数0)が落ちています。

860機械仕掛の魔道士 ◆I3UY/iwT0o:2007/02/15(木) 01:18:40 ID:10YvUZzQ

カリオストロ。サン・ジェルマン。パラケルスス。シュー・フー。

 そう呼ばれたのは昔の話―――――。


※※※

 細葉巻(シガリロ)を曇らせながら、この部屋の主―――――イザーク・フェルナンド・フォン・ケンプファーは目を細めた。
モニターには当初の目的であるデータが随時更新されつつある。
 我が君―――――カイン・ナイトロードは一度灰となった。
原因は宇宙から地球に向かって放り出されために。
自身の弟の手によって。
だが彼の中に巣食う破壊者達は死んではいなかった。長い時間を有し蘇生。復活。
しかしまだ完全ではない。
かつて、同胞達と共に六百万人を殺戮したカインはまだ不完全な存在。
 我々、薔薇十字騎士団が何の理由もなく誰かに力を貸す事は無い。
目的があり、利益があるからこそ彼等に力を貸しているのだ。
彼等は彼等の目的に夢中になってればいい。
その間に私達は私達で、この殺し合いの真の目的を果たさせてもらう。
 私達の目的――――。
 参加者達の戦闘データを集めること。詳しくはその能力のデータ収集し、カイン復活の資料にするのが目的。
人間誰しも自身の命の危機には予想以上の力がでる。
だからこそ、この環境はデータ収集にもってこいの環境であった。
 盗聴やら刻印とやらもコチラにとってはデータを効率よく採取するための道具に過ぎない。
 盗聴は作戦中の暇つぶしの道具。少し能力を持つ参加者ならば発見できてしまうチャチな代物。
 刻印も盗聴機器とそんなに変わらない。付け加えると我々に対する抑止効果とデータ収集の効率をよくするためでもある。
 神野蔭之の刻印制作を手伝ったのもこのためだ。
データを収集するからには詳しくて、できるかぎり多いデータが欲しい。
 刻印の中に参加者達の能力観測用の魔術(アルチ)を施さしてもらった。
そのデータが目の前のモニターに今もなお、写しだされている。
 ダナティア達、一行にはとても感謝している。
あそこまで騒ぎを大きくしてくれなければ、この巨大な“力”の観測には成功しなかったであろう。
 ウルトプライド、黒魔術、白魔術、etc、etc………。

この短い時間でここまでしてくれるとは。

861機械仕掛の魔道士 ◆I3UY/iwT0o:2007/02/15(木) 01:20:13 ID:10YvUZzQ
※※※

 実はもう一つ、困難とされ廃棄された作戦がある。

 それがクルースニク02の覚醒。
当初の目的では“02”もこのゲームに参加させる予定ではあった。
 勿論、コチラの独断でだ。
しかし、その存在はこちらの作戦をも破壊してしまう力を持つ。
アレが本気になれば私達はもちろん、依頼者も只ではすまない。
このゲームの崩壊。それだけは回避しなくてはならない。


 短くなった細葉巻を灰皿に押しつける。
そろそろ放送の時間だ。

「安心、それが人間の最も近くにいる敵である――――シェークスピア」

 そう呟いた時、モニター上の生存を表していた光が複数個消えた。
 その一つには見覚えがあった。
 ナンバーは…………………。

「NO.26か」

 私もディートリッヒの事は言えないらしい。
(私も人を見る目は無いか………)
死亡者リストを手に取るとケンプファーは立ち上がった。


魔術師の指先が奏でしは、
破壊と殺戮の交響曲
彼の伴奏にあわせて、いざ詠え、堕落せし者よ。
─────我ら、炎によりて世界を更新せん!


【23:55分頃】

862怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 14:55:49 ID:H59YxF2c
 ――眼下にある少年の体。死に体に近かったはずのその体に、意志の光が灯される。 
 開かれた竜堂終の双眸に己の姿を映し、古泉一樹は空気の塊を喉の奥に落とした。
 振り下ろすはずだったナイフの切っ先が震え、静止する。
 胴を文字通り一刀両断されておいて、これほどの短時間で意識を回復するという異常。
 神仙が一、風と音を操る西海白竜王。終がその化身であることを、古泉は知らない。
 魔界医師メフィスト。終の治療を行ったその超人が死者すら蘇らせる奇跡の担い手であることを、古泉は知らない。
 ――その無知故に、古泉一樹は驚愕した。不随筋すらも硬直したと錯覚させる未知の衝撃が彼を不意打ちした。
「――あ」
 喉の奥からようやく絞り出せた、短い無様な声。
 知らない。こんな感情は知らない。
 背筋が爛れるような灼熱を、古泉は知らない。
 脳天から喉の辺りまで貫く怖気を、古泉は知らない。
 意識という手綱を越えて体を震わせる痺れを、古泉は知らない。
 知らない。知らない。知らない。大鎌を携えた死神が、自分のすぐ隣に佇んでいる感触なんて知らない。
 ――ならばどうなる? 自分はどうなる?
 三つ路地を曲がった先に殺人鬼が居ることを知らなければ、人は鼻歌を歌いながらそこに辿り着く。
 二歩先に落とし穴があることを知らなければ、人は容易くそれを踏み抜く。
 一秒後に銃弾が自分の頭部を貫くことを知らなければ、人は笑いながらその表情を散らす。
 だが、その死はすべて回避できたものの筈だ。
 自分は死ぬ? ここで死ぬ? 何も出来ずに死体になる?
 ――余人には予想を許さない理不尽。そんなものに自分は殺される?

863怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 14:56:56 ID:H59YxF2c
(それは……少々遠慮願いたいですね)
 いつものようにやんわりと、だが断固として拒絶する。
 目的がある。自分には果たすべき目的がある。
 帰るのだ。あの日々に。取り戻すのだ。あの日々を。
 世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団。興味を引いて止まなかったかしましい団長。
 その団長に振り回されていた男は、よく自分とゲームに興じていた。手元には常に彼女が淹れた甘露があった。
 それは涼宮ハルヒを中心とした綱渡りのような関係だったが、それでも――
(彼に言っても信用して貰えないでしょうが――ええ、認めます。僕は気に入っていましたよ。あの奇妙な関係をね)
 だが、奪われた。彼らは即座に殺された。勝手にこんなゲームに放り込まれて殺された。
 理解は出来る。いまだ生存している長門有希を除けば、彼らは戦闘に長けていたわけではない。殺し合いを知らなかった。
 それでも納得は出来ない。彼らは殺された。知らなかったというだけで殺された!
 ならばどうする? 奪われたのならどうする?
 ――確認のためだけの自問自答。答えはすでに決まっている。
 喪失を取り戻せるのは生者だけだ。ならば古泉一樹は反逆しよう。超常に対して食らいつき、覆い被さる理不尽を突破する。
 さあ考えろ。彼我の戦力差を、現在の状況を、為すべきことを。すべて飲み下しかき混ぜ生存のための行動を提示せよ。
 ――思考するのに時間はかからない。
 丹田の辺りから沸き上がる熱波に急かされるように、思考回路は無限に加速する。
 血液が足りないのか、あるいは気絶から回復したばかりだからか、敵の焦点は合っていない。
 だが油断するな。敵はすぐにピントを取り戻すだろう。取り戻せば古泉一樹は終わる。
 最大にして最短のアドバンテージ。それが終わるまでに行動を終了させろ。

864怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 14:58:23 ID:H59YxF2c
 並列する思考。一瞬の逡巡で万の手立てを模索する。
 ――説得する? 否。すでに自分は敵対している。聞き入れられるとは思えない。
 ――投降する? 否。崩壊しかけの不安定な集団に捕らえられれば生かされる保証はない。
 ――逃亡する? 否。すでに顔と名前を覚えられた。情報が出回れば、単独で勝ち抜けない自分は生存できない。
 否否否。無限に近い選択肢。それが次々と否決される。焦燥に狂乱し、叫び出したくなる衝動を抑え込む。
 最終的に残った選択肢はひとつ。これならば問題はすべて解決する。
 だが可能か。古泉にとって最大の敗北は死。この行動はそのリスクに直結している。
 ――否。それこそ否。舞台を整えておいて何を今更。
 白刃は振り上げた。何を躊躇うことがある。すでに殺人の一歩を踏み出しているのだ。あとは駆け出し踏破しろ!
 ナイフを振り下ろす。殺傷の軌跡はどこまでも直線を描き、そして目標に到達する。
 引き延ばされもせず、ただ刹那的な経過の後、肉を抉る不快な感触が右腕を支配する。
 だが、すぐに終わった。金属の陵辱が、それ以上の硬度によって阻まれる。
 至近距離での銃撃すら防ぎきる竜麟。何者であっても突破できない。
(外れた――!)
 衝動に任せた一撃は正確さを欠いていた。傷口を正確に穿たなければ、古泉一樹は竜を殺せない。
 そしてこのミスは最悪だった。痛みは茫洋とした意識を引き戻し、怪物を覚醒させる。
 振るわれる剛力。左腕の折れる感触。
 竜堂終が寝転がったまま放った不完全な一撃は、それでも古泉の左腕をへし折った。そのまま吹き飛ばされる。

865怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 14:59:37 ID:H59YxF2c
「――ぐぅッ!」
 地面に叩きつけられ、古泉が悲鳴を上げる。痛みは怒りを呼び起こさず、灼熱した殺人への衝動を退避させた。
 残るのは骨折の痛痒。死に対する恐怖。
 古泉とて戦闘に慣れているわけではない。これは閉鎖空間での神人狩りとは違う。有効な一手を持っていない。
 怖い。痛い。死にたくない。固めていたはずの意気が消失していく。
 萎縮する勇気。生存本能が逃走と命乞いを勧告する。
 抵抗は無駄だ。歯向かうのは無駄だ。逃避以外は全て無駄だ。
 ――そうだ。無駄だ。古泉一樹に力はない。あくまで口先三寸と誘導で勝利せねばならなかった。
 それをこうして殺し合いに発展させてしまった己の無様さ。それを悔いて死ぬ。それを悔いて死ね。沈むほどの悔恨に殺されろ。
 脳内を埋め尽くす諦観の群れ。古泉一樹はそれに圧倒され――
「……嫌ですね。そんなのは」
 ――だが、退けた。
 絶望的境地。それでも古泉は立ち上がる。折れていない右腕で砂を握りしめ、激痛に息を漏らしながら立ち上がる。
 すでに彼を突き動かしていた灼熱は冷え切った。突破しようとする狂乱も消え去った。
 だが彼は抜け殻ではない。彼の体を支配していたものはほとんどが消え去ったが、それでもまだ残っている。
 それは決して残滓などではない。むしろ確固たる――
「僕にだって……意地があるっ!」
 ――意志だ。奇妙で平穏なSOS団を望む、古泉一樹の意志だ。
 目前では怪物がゆっくりとした動作で立ち上がっている。鋭い眼光。どこまでも刺し貫く竜王の視線。
 彼我の戦力は圧倒的。無敵の防御たる竜麟。不完全ながら一撃で骨を砕く腕力。対して自分のなんと脆弱なことか。
 それでも古泉一樹は前進する。ただひとつの目的のために。
 意志とは貫くもの。ありとあらゆる障害を蹂躙し、成し遂げるものだ。
 そう――古泉一樹には、意志がある。

866怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:00:26 ID:H59YxF2c
(打てて後一度、ってところか)
 直感で、それを察する。
 その打撃で眼前の敵を打ち砕くのは容易だろう。
 だがその後は? 竜の筋力で全力を放てば、いかにメフィストの施した固定とはいえ耐えられるかどうか未知数だ。
 最悪、胴体は再び分裂するだろう。そしてどうやら魔界医師は近くにいないようだ。今度は治療されない。
 そもそも周囲に人の気配が全くない――いや、それも当然か。まるで地獄を背負って連れてきたような二人の少女を思い出す。
 あれからどうなったのかは分からないが、満足に走ることも出来ないような今の状況で声高に助けを叫ぶ愚は冒せない。
 そして相手は自分を殺そうとしている。加えて竜堂終は自殺志願者ではない。ならば、
(ここで倒すしか、ない)
 覚悟を決め、格闘の構えを取る。
 竜の転生体であるその身は既に傷を修復し始めていたが、恐らく間に合わないだろう。決着はすぐに訪れる。
 敵の格好には見覚えがあった。先のマンションで従姉妹の仇を告げられ、反応して容易く激昂した自分の隙を利用された。
 ……ああ、つまり。
 直結する思考。閃く想像。容易く象となって脳裏を支配する。
 あの後は、慌ただしくて考える余裕もなかったが。
 目の前にいるこいつは、茉理ちゃんの仇の仲間、なのか。
 古泉とパイフウの同盟がいつからなのか、終には分からない。
 マンションに訪れる直前か? それとも暴れ出した瞬間からか?
 だが、もしかしたら。もしも初期から組んでいたとしたら。
 自分の助けを呼んでいた少女が無惨にも死んだ時、目の前の少年はその傍で笑っていたのかも知れない。

867怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:01:13 ID:H59YxF2c
 ――瞬間が訪れるのは、いつだって唐突だ。
 竜堂終が咆吼する。異形の声で咆吼する。
 想像は怒りを。怒りは感情の噴出を。そして激情は変化を促した。
 肌が真珠色の鱗に覆われ、瞳孔が異形のそれに変わる。
 圧倒的な存在感と畏怖を見る者に与える竜王の姿へと、竜堂終が化粧していく。
 変化は外形だけに留まらない。竜堂終という存在が、凶暴な獣性に浸食される。
 ラッカー・スプレーで塗り潰されるようにじわじわと、だが素早く。理性が凶暴な顎に噛み砕かれる。
 ――霞んでいく人としての心象風景。最強の獣へと変じるための代償。
 守りたかったはずの人達。心に残る彼らの表情を、その獣は際限なく飲み込んでいく。
 それは、なんという矛盾か。
 復讐で喜ぶ故人は――いるのかも知れないが、少なくとも兄や茉理はそれを望む人種ではない。
 それは理解している。だが理解してなお、竜堂終は彼らのために怒り、復讐を為そうとする。
 ならばその彼らの笑顔を食い尽くしてまで行う殺戮とは――なんだ?
 意味など無い――それも、分かっている。
 この行為は無益。残るのは疵痕だけ。炎症を掻いて誤魔化すのと同じ。ただの自傷以外の何でもない。
 それでも変化は止まらない。一度始まってしまったのなら、竜堂終では止められない!
 溶ける理性。穿たれた笑顔。消失する意味。

868怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:02:28 ID:H59YxF2c
 ――だが全てが暗闇に沈む寸前に、見えた物があった。
 最初は光だと思った。眩い光。暗闇では光を包めない。だから残ったのだろうと思った。
 だがその光も霞み始めていた。その金色が黒く薄れていく。光さえ獣性は食い尽くす――?
 違う。終は直感的に否定した。これは光ではない。
 ならばこの金色は何だ。万物を浸食する獣性に抗えているこの『強さ』は――何だ。
 金色に触れるのを恐れるかのように、闇の侵攻は遅々としたものだった。
 そして気付く。その金色の背後に、死んだ兄と従姉妹の顔がある。
 守っているのだ。金色は、竜化が竜堂終から喪失させることを拒んでいる。彼らを守るために、その身を獣の牙に晒し続けている。
 ならば、なおさらその正体が分からない。
 兄貴は死んだ。茉理ちゃんも死んだ。ならば何だ? そうまでして竜堂終を守ろうとするモノは何だ?
 ――居るではないか。居たではないか。
 気付くと同時、金色が振り返る。金の髪をたなびかせ、強靭な『女王』が振り返る。
 彼らの旗。潰えたと思っていた旗。
 だが、そうではなかった。
「……ああ、そうだ」
 言葉を紡ぐ。狂乱する獣ではない、人としての言葉を。
 それを合図とするように、ささくれだったような鱗は再び人肌に戻り、針のように細められた瞳孔も丸く戻り始めた。
 ――取り戻す。竜堂終が、人としての心を取り戻す。
「……負けて、たまるか」
 憤怒が冷めたのではない――冷ましたのだ。終単身では制御できなかったはずの竜化を、制御していた。
 怒りはある。ともすれば簡単に吹き出すだろう。
 だが、それでも、
(……そうだ。俺は託された)
 ――あの時、ダナティアが自分を止めた理由。
 それが分からないほど終は愚かではない。それを伝えられないほどダナティアは無力ではない。
 憎しみに任せての殺人を自分の仲間達は止めてくれた。それを無駄にする? そんなことには耐えられない。
 自分が手玉に取られた所為で舞台は崩壊した。そんな失態を二度も晒す? そんなものは冗談にもならない。
 彼らは憎しみの連鎖を起こすために凶行を止めたのではない。竜堂終は、竜堂終の自意識をもって敵を退けなければならない。
 ――そうだ。やはり彼は単身で竜化を制御していたのではない。
 竜堂終を、人として繋ぎ止めていたのは――
「あんたなんかに――譲れるかっ!」
 ――遺志だ。ダナティア。ベルガー。メフィスト。彼らが竜堂終に託していった遺志だ。
 目前では少年ががゆっくりとした動作で立ち上がっている。左腕は折れ、それでも退かずに立ち向かってくる。
 その様はまるで不死身の怪物のよう。竜すら喰らう巨大蛇のよう。
 それでも竜堂終は前進する。受け取ったものを無駄にしないためにも。
 遺志とは継ぐもの。後継者を守り、正しい方向へと導くものだ。
 そう――竜堂終には、遺志がある。

869怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:03:27 ID:H59YxF2c
◇◇◇

 片や己の意志により喪失を埋めようとする怪物。
 片や託された遺志により喪失を防ごうとする怪物。
 彼ら怪物達の突進は、示し合わせたかのように同時だった。

「――うぁあああああアア!」
 刃を構え、古泉が走る。
 必要なのは速度。だが怪物を超越できる加速を古泉は持たない。
 ならば用いるのは古泉一樹にとっての最速。腕の痛みに苛まれながら、それでも出せる限りの脚力を尽す。
 勝算は低い。だが何もせずにに死ぬのは我慢できない。それは古泉一樹の意志が許さない。
 ――そして、必殺を期するため、白刃を掲げ――

「――ぉぉおおおおオオオ!」
 竜堂終は構えを鋭化させていった。不思議と腹部の傷は痛まない。
 それは不完全ながらも竜になりかけた効果なのだろうが、終には違うように感じられていた。
 支えられているのだ――そう、思えた。これならば安心して力を震える。
 だが油断するな。怪物相手に油断をするな。継承した遺志を無駄にはするな。
 拳を引き絞り、待つ。傷はまだ深い。跳んだり跳ねたりはできない。
 故に、狙いはカウンター。一歩の踏み込みと一撃のみの拳打に全身全霊を込める……!
 ――そして、必殺のタイミングを計るため、敵を見据え――

870怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:04:32 ID:H59YxF2c
 ――だが突如、もう少しで終の間合いに入るといった所で、古泉がナイフを地面に落とした。
(なんだ!?)
 終が驚愕したのは、敵の寸前で武器を取り落とすという間抜けにではない。
 敵のその動作が、明らかに意識的に行われたものだということに気付いたからだ。
 古泉が右腕を振りかぶった。何かを握っている――
 だがそれを終は視覚で捉える前に、触覚で感じることとなった。
 左腕が動かせないため不自然な投擲となったが、それでも投げつけられた何かは投網のように広がり、終の眼球を汚染する。
(……土!)
 瞼の内側に砂が入り込み、視界が奪われる。
 先程終に吹き飛ばされ、立ち上がった時、古泉はそれを握りこんでいたのだ。必殺を期するために。
 そう。古泉に力はない。だから勝つには不意打ちしかない。
 ある程度離れていても、投げつけられた土は十分に目つぶしとしての効果を発揮する。
 終は焦った。敵は怪物。ならばこちらが見えていない間に自分を殺すのは道理。
「この――!」
 苦し紛れに拳を放つ。だが、当たるはずもない。
 ――奇襲、不意打ちのメリット。それは何か。
 ひとつは技量、身体能力を無価値に出来ること。武術の達人でさえ、暗闇で背後から金属バットで殴られればチンピラに敗北する。
 そしてもうひとつ。敵を焦らせ、正常な判断力を乱すこと。
 目で見えないのなら、音で判断すれば良い――終がそれに気付いたのは、拳を放ってしまった後だった。
 失策に舌打ちをしながら、それでも拳を引き戻す。音を吸収する森という悪条件を呪いながら、敵の位置を探る。
 だが敵の位置が分かったのと、背後からの衝撃は同時だった。強い衝撃。
 目が見えないということもあったが、それでも抗えたはずだ。だがその理屈に反し、終が転倒する。
 拳打を主力とするならば、背後はほとんど無防備だ。それを晒しているという事実に寒気がする。
 一秒でも早くその悪寒を振り払うために、立ち上がろうとしたところで――
 終は、己の敗北を知った。

871怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:06:26 ID:H59YxF2c
「……あ」
 足が、動かない。下半身は感覚さえない。背中に鈍痛を感じる。
 すでに、攻撃は終わっていたのだ。
「……両断されたのだから、勿論背中にも傷口はありますね?」
 倒れた終の頭上から、古泉の声が響く。
 終の背中の中心。修復中で脆くなっていた背骨を通る脊髄を断ち切るように、コンバットナイフが刺さっていた。
 砂を投げた後、古泉はすぐにナイフを拾い、終の脇をすり抜けるようにして安全な背後に回り込んだ。
 そして片腕という非力さを補うために、全体重を掛けて押し倒しながらナイフを突き刺したのだ。
 危険は多かった。背後に回る際、終が闇雲に打った拳が一発でも当たっていれば古泉の負け。砂の目潰しも持続性は高くない。
 終が重傷を負っていて身軽に動けなかったからこそ成功した、古泉に可能だった唯一の奇策。
 殺人の感触に疲労しきった微笑みを浮かべながら、古泉は刺さっているナイフの柄尻に足を乗せ――
「……すみません。僕が、進ませて貰います」
 ――全体重を掛け、一気に踏み込んだ。



【100 竜堂終 死亡】
【残り41人】

872怪物対峙  ◆CC0Zm79P5c:2007/02/15(木) 15:07:20 ID:H59YxF2c
【C-5/森/1日目・23:55頃】

【古泉一樹】
[状態]:左腕骨折/落下による打撲、擦過傷/疲労/左肩・右足に銃創(縫合し包帯が巻いてある)
[装備]:コンバットナイフ
[道具]:デイパック(支給品一式・パン10食分・水1800ml)
[思考]:出来れば学校に行きたい。
    手段を問わず生き残り、主催者に自らの世界への不干渉と、
    (参加者がコピーではなかった場合)SOS団の復活を交渉。
[備考]:学校にハルヒの力による空間があることに気づいている(中身の詳細は知らない

873タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:43:50 ID:9yaTnsNo
「挽肉におなりっ!」
 号砲のような雄たけびとともに進撃するのは小早川奈津子。
 大上段に大剣を構え、威風をまとって向かってくるその偉容は
 鬼武者のごとき威圧感を相手に与える。
 その顔は憤怒で染まり、猛久しい像のような吐息を吹き出していた。
 緊張に沈む街路。しかし、
「野放図な行動原理だな。怪物と聞いたが、実際はただの馬鹿か」
 マンホールの投擲を避けて身を屈めていた屍刑四郎が、上体を立て直して立ちふさがる。
 赤旗目掛けて突っ込んでくる闘牛、
 それに立ち向かう闘牛士さながらの堂々とした態度だ。
 濡れて顔にかかっていたドレッド・ヘアを掻き揚げると、
「刑事に対する殺人未遂――よくやってくれた」
 一部の新宿区民は、この言葉をどれほど恐れているだろう。
 それほどまでに、魔界刑事は『犯罪者』に対して徹底的で容赦が無い。
 文字どおりに虫けらとしか相手を見なさないからだ。
 だが、その宣告も小早川奈津子にとっては脅威にはならない。
 特に先刻の侮辱の影響で、彼女は屍の放ったブタという単語に過剰に反応した。
「国家の犬風情が、あたくしに意見しようなど万年早くってよ!」
 ひときわ凄烈な轟声をあげ、その加速をいっそう速める。
 屍との距離はすでに十メートルを切っていた。
 あと数歩で小早川奈津子のリーチ内だ。
 女傑が満身の一撃を放とうとしたその瞬間。屍は強張った面で彼女に向き合い、
「おまえはその犬にかみ殺されるのさ」
 つ、と地面を滑るかのように音も無く後退した。
 ただ下がるだけではない。相手のリーチを完全に読みきり、
 攻撃を避けた瞬間に踏み込んでのカウンターを入れることが可能な体勢だった。
 屍の経験・技量は女傑のそれを圧倒的に上回っていた。
 気づいた小早川奈津子が慌てて剣を止めようとするが、すでに慣性は働いている。
 全ては屍の思惑どおりだ。

874タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:44:50 ID:9yaTnsNo
 が、その予定を狂わす第三者は意外な場面で行動してきた。
「てンめぇ……! そいつは俺の獲物なんだよ!」
 小早川奈津子を激怒させた張本人、甲斐氷太だ。
 屍は、甲斐が漁夫の利狙いで自分を襲うものだろうと考え、
 鮫による奇襲にも警戒を怠ってはいなかった。
 しかし、甲斐氷太は気の赴くままに敵意を放ち、その警戒の斜め上を行く。
 あろうことか、屍向かって突進してくる小早川奈津子の両足に、
 甲斐は黒鮫の尾で痛烈な一撃をお見舞いしたのだ。
 タイミングに乗った一発は、常人の足を打ち砕く威力を誇っていた。
 だが、ドラゴン・バスターを自称する女傑に対しては、
 ただの脚払い程度の攻撃に過ぎなかったのだ。
「あっー!」
 驚嘆の声とともに、宙に浮きつつ前方へと体を流す小早川奈津子。
 屍にとってその転倒は最悪の結果をもたらした。
 巨人の剣は振り下ろされる途中であり、それが前のめりになった巨体と、
 脚払いで宙に浮いた慣性とが組み合わさり、予想以上の斬撃範囲を発揮したからだ。
「をーっほほほ! これぞ怪我の功名、一刀の下に斬り捨ててあげましょう」
 してやったり、と言った風情の嬌声に後押しされながら、
 ブルートザオガーが花柄模様の男に迫る。
 その威力・硬度・切れ味は、ともに人一人を真っ二つにするには十分すぎる。
 大剣が隻眼の顔に達する直前、魔界刑事は賭けに出た。
 そのたくましい両腕が閃いたかと思った瞬間、大剣を左右から挟みこんだのだ。
 真剣白刃取り。
 絶体絶命の状況下でそれを成しえたのは、
 屍の卓越した身体能力と古代武術「ジルガ」の技法に他ならない。
 短距離において音速を突破できる屍は、その能力が制限されていても
 技の冴えを衰えさせていなかったのだ。

875タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:45:37 ID:9yaTnsNo
 しかし、魔界刑事の身体能力と古代武術をもってしても、
 小早川奈津子の斬撃を止めることはできなかった。
 巨人のパワーは怒り補正を受けて、一気に剣を押し込もうと猛威を振るう。
 白刃取りによって勢いを殺したものの、添えられた屍の手ごと剣が迫る。
 鼻頭に大剣が到達する直前、屍は頭を傾けて直撃を避けた。
 それでも、依然として剣が振り下ろされていることには変わりが無い。
 命中箇所が頭から肩へとずれただけだ。
 大剣が花柄模様を切り裂く。
 直後、硬い音がした。
 だがそれは金属が肉を断ち切り、骨を砕く音ではなかった。
 間違いなく剣は命中した。しかし、一滴たりとも流血が見られない。
 屍は憮然として告げた。
「古代武術ジルガのうち――鉄皮。上着を台無しにしやがって、このクズが」
 刑事の背後から吹き出した殺気に危機を感じた小早川奈津子は
 慌てて飛びのこうとする。
 しかし、それは叶わなかった。
 今度は逆に、鋼のような屍の腕が万力のごとく大剣を固定していたからだ。
 次の瞬間、鞭のような蹴撃が小早川奈津子の巨大な左大腿を打った。
 二発、三発、並みのヤクザやチンピラは、この時点で粉砕骨折しているだろう。
 四発、五発、小早川奈津子の顔がついに苦痛に歪む。
 そして六発目が大腿の皮膚を打ち破り、鮮血を散らすと同時に
 その巨体がゆるりと傾き、受身のために女傑は路地へと手を着いた。
「これでようやく急所を殴れるな」
「仰ぎ見るべきこのあたくしを同じ視線で眺め回すとは何たる無礼!」
「この期に及んで何を言ってやがるこの唐変木。あばよ」
 言うと同時に、屍の右腕が後ろに引かれる。
 この構えの果てにあるのは、ジルガの技法「停止心掌」
 小早川奈津子のような怪物を一撃で仕留めるにはこれしかないと、
 屍が先ほどから狙っていた技だ。
 強力無比な掌撃が、万全を期して女傑の胸へ迫る。

876タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:46:49 ID:9yaTnsNo
 その一撃を打ち出した瞬間、屍は後頭部に殺気が当てられるのを感じた。
 すでに屍は攻撃中だ。未来は二つ。
 危機を回避するか、そのまま巨人に止めを刺すか。
 逡巡する時間が無い中で屍は危機回避を優先した。
 烈風とともに花柄模様が翻り、同時に黒鮫が口腔鮮やかに飛来する。
 屍は甲斐の鮫と攻撃の察しをつけていたのだ。
 だが停止心掌は完全に不発し、小早川奈津子は隙をついて離脱してしまった。 
「くそっ、よく避ける野郎だ」
 言うが早いか、甲斐の瞳が燃えるような輝きを放つ。
 屍はその輝きの中に渇望の意を見出した。
「餓えてやがるな、狂犬め」
 言いながら屍は若干つま先に加重をかけ、重心を前に傾かせた。
 対する甲斐は正面に屍を捉えながらも、四方にも感覚を向けて
 周囲空間そのものを把握しているのだろう。
 お互いの視線が交差し、しばしの間世界が止まった。
 が、それもつかの間。
「クックック、クハハハッ」
 突如として甲斐がを笑みをこぼした。
 楽しくて、満足で仕方が無いといった表情で。
 内奥からこみ上げてくる歓喜と情熱が甲斐氷太を奮わせたようだ。

877タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:47:29 ID:9yaTnsNo
「何が可笑しい」
「ククッ、笑わずにいられるかよ。おまえみてえな相手を前にして。
ついさっきもガンくれあったが、こんな鬼みてえな、
いや、悪魔みてえな視線を向ける野郎は初めてだぜ?」
 見ろよ、と甲斐は屍に対して腕をまくって見せた。
「見事に鳥肌が立ってやがる。数秒睨まれただけでこんなになっちまった。
それだけじゃねえ、脊髄にツララをブッこまれたような感覚だぜ。
相対してるだけで、テメエの威圧とスゴ味に俺自身が飲み込まれちまいそうだ。 
目の前の男がどれだけヤバいか、俺の本能はちゃんと分かってる」
 対して屍は何も言わない。甲斐の出方を伺っている。
 空中を旋回する二匹の鮫が、番兵のように屍の接近を防いでいるからだ。
「でもよお、いや、だからこそ、だな。
こうして俺が向き合ってる相手ならば、このクソッくだらねえ世界の中で
唯一手応えが感じられそうなヤツなんじゃねえかって思うんだ。
余計な虚飾や装飾を取っ払ったシンプルな、それでいて確実な手応えをよぉ」
 カプセルにはまってから、いや、それ以前から甲斐には何もかもが
 嘘くさく思えてしょうがなかった。
 どれもこれもが些事であって、切り捨てられない、必要な何かと比べて
 無価値な石ころに過ぎないと感じていた。
 そんな日常に宙ぶらりんになって生きる甲斐にとって、
 悪魔戦に溺れることはまさに快感だった。
 いや、思考や感情の奥にある「存在」する何かが弾ける感覚だ。
 余計な幻想を片っ端か打ち壊してくれる。
 屍との闘争によって、甲斐は失われない確実なものを得られると確信した。
 だからこそ、屍を追ってここまで来たのだ。
「さぁ、存分に殺しあおうぜ。過去も未来も要らねえ、必要なのは今だけだ。
満ち足りるまで、クラッシュするまで溺れようじゃねえか」
 弾けそうな興奮と期待そして心情をぶつける甲斐。
 しかし、
「粋がるなよ糞虫」
 返ってきたのは痛罵と屍のデイパックだった。

878タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:48:37 ID:9yaTnsNo
 悦に入ったように語る甲斐に対して、屍は全力でデイパックを叩きつけると
 疾風のごとく間を詰める。
「おまえの自己満足に付き合う理由も義理も無い、警察をナメるな。
ゴミは掃除する、治安は守る、それだけだ」
 白鮫がデイパックをブロックする隙をついた低姿勢で一気に距離を詰めると、
 そのまま黒鮫の胴に向かって上段蹴りを叩き込む。
 身もだえしながら後退する黒鮫。
 その背後で、甲斐が目を剥きながら歯を食いしばる姿を屍は捉えた。
「カラクリが読めてきたぜ――その妖物、おまえと同調してやがるな」
「っはぁ……容赦無えな。けどよぉ、そーやって煽られると
俺はますます燃えるんだっ!」
 痛みを堪えつつ、しかし陶酔したかのように甲斐はカプセルを口に含む。
 次の瞬間、眼前に掲げた拳を振り下ろし、
「ノッてきたぜ――食い千切れ!」
 蹂躙の意を轟かせた。
 冷静さには欠けるが、悪魔のスペックがそれをカバーする。
 同時に、二匹の悪魔が屍目掛けて雷光のように飛んでいく。
 背びれ、胸びれ、尾、ノコギリ歯。
 電光石火で繰り出されるコンビネーションが屍を包む。
 前後左右上下から襲い来る破壊力。
 屍はそれを持ち前の直観力で巧みに捌き、時には避ける。
 足首を狙った黒鮫の尾の一撃を片足を浮かしてやりすごし、
 同時に右腕部をミンチにせんと迫る白鮫の歯を防ぐため、
 顎に掌打を打ち込んで、鮫が突っ込んでくるベクトルを変える。
 物部景がこの光景を見たらいったい何を思うだろうか。
 狂犬の王が操る悪魔に対して、生身の人間が素手で渡り合っているのだから。
 荒れ狂うハリケーンの直下のように戦塵が舞い、風が千切れる。
 魔人と悪魔の饗宴は壮絶な様相を示していた。

879タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:50:05 ID:9yaTnsNo
 その戦場に巨人が乱入してきた時、均衡は崩れた。
 屍により手痛い反撃を受けた小早川奈津子が、大剣片手に威勢をあげる。
「面妖な鮫ともども、あたくしが討ち取ってあげましょう!」
「上等っ! ポリコを殺るついでだ、ハムにしてやるよ」
「どいつもこいつもよく喋る――」
 風が唸った。
 ブルートザオガーの軌道上から身をくねって退避した白鮫に
 屍の変則フックが直撃し、フィードバックで甲斐がうめく。
 その反撃とばかりに屍目掛けて突進する黒鮫の尾を
 小早川奈津子が掴んで豪快に振りかぶる。
 それはまるで大魚を吊り上げた漁師のような風情であった。
 そのまま哄笑とともに鮫を屍に叩きつけようとするが、
 鮫の抵抗にあい巨大な頬に鮫肌の痕がつく。
 よろめく女傑。
 隙を逃さぬよう屍の両腕が瞬動し、巨人の手首を砕き折ろうとするが、
「乙女の柔肌を汚した重罪、打ち首獄門市中引き回しの刑で償うがよくってよ!」
 憤激した女傑の振り回す大剣がそれを許さない。
 型もへったくれも無い、力任せで常識外れな剣戟だ。
 接近した魔界刑事の首筋を剣の切っ先が擦過する。
 その斬撃で飛び散った鮮血を舐め取るかのような軌道で、白鮫が屍を強襲。
 防御の隙間を縫って屍の肩を尾で打ち据えた。
 隻眼の顔に苛立ちが浮かぶ。

 一瞬ごとに別個のコンビネーションで攻め立ててくる甲斐氷太。
 意外性とタフさによって屍の予測の外を行く小早川奈津子。
 二人を上回る技量と経験を持ち合わせる屍だが、
 思惑どおりに流れを組み立てることは難しい。
 屍の手元に愛銃があれば、一秒とかからず二人は射殺されていただろう。
 だが、屍の支給品は武器ではなく椅子だったのだ。
 珍しく、魔界刑事の額を汗が伝った。

880タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:52:25 ID:9yaTnsNo
 泥沼の白兵戦になるかと思われたその時、
 屍はついに死中の活を見出す。
 甲斐が矢継ぎ早に繰り出してきた悪魔のコンビネーション攻撃。
 その派生パターンを魔界刑事は直感的に理解した。
 思考のトレースではなく、魔界都市で培ってきた本能的なものが
 鮫の動きを先読みしたのだ。
 屍は信頼に足るその感覚に従い地を蹴った。
 悪魔持ちたる甲斐は戦闘開始直後からあまり移動していない。
 そしてその三メートル先で白鮫が路壁に沿って飛ぶのが見える。
 あの鮫の動きが予想したとおりならそこで決着だろう、と屍は思慮した。
 左前方から迫り来るブルートザオガーを間一髪で切り抜け、
 大剣の担い手たる小早川奈津子の巨体に接近する。
 左肩を密着させて相手の重心をわずかにずらし、タイミング良くショートパンチ。
 屍の右拳を腹部に受けた女傑の巨体が後ろに流れる。
「をーっほほほほ! この程度痛くも痒くもなくってよ!」
 やかましい、と拳に手応えを感じながら、屍は白鮫の動きに注目した。
 かくして、白鮫は路壁に向かって尾を振りかぶる。
 それを確認した瞬間、屍はチェック・メイトに至る道筋を構築し、実行する。
 流れていく小早川奈津子の体、それを全力で押して巨体を移動させる。
 同じタイミングで白鮫はブロック状の路壁を尾で破壊し、
 その破片を散弾銃のごとく屍へと浴びせかけた。
 同時に黒鮫が上方から襲い来る。
 これこそ、屍が直感的に予知した新手の攻撃バリエーションだ。
 屍へ迫るブロックの破片をタイミング良く小早川奈津子の体が受け止める。
 予想外のダメージで意識を乱した女傑の腕に向かって、
 屍はアッパーカットを放つ。
 結果、巨人の右腕は大剣を持ったまま直上へと跳ね上がり、
 襲い掛かってきた黒鮫に激突。
 全ての攻撃が阻まれ、同時に無防備な甲斐への道が開けた。

881タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:53:28 ID:9yaTnsNo
「何っ!?」
 驚嘆の叫びは甲斐のものだ。
 今しがた思いついたばかりのコンビネーション攻撃を
 タイミング良く完全に防がれたのだから、そのリアクションは当然といえよう。
 攻撃の派生も内容もたった今誕生したばかりなのだが、
 屍はそれを以前から知っていたかのごとく完璧に無効化してみせた。
 攻撃を五感で感知する以前に、屍が対応策を練っていたとすれば、
「シックス・センスか……!」
 甲斐氷太は今やっと、屍刑四郎の驚異的な危機回避能力の正体を知った。
 鮫による最初の奇襲も、背後からの強襲もことごとく屍は回避した。
 その理由が、直感による殺気察知に由来するものならば、
 今まで二匹の悪魔の攻撃を凌ぎ続けてきた事実も納得できる。
 
 そんな甲斐を尻目に、屍は順当に決着への手順を踏んでいく。
 先ほど利用した小早川奈津子、その膝に右足を乗せて階段を上るように
 重心移動を行う。
 次の足場は巨人の胸、そこを左足で踏みつけて、反作用で跳躍。
 三角跳びの要領で、女傑の右腕と激突している黒鮫と同等の高度に達する。
 体操選手より鮮やかな動きだが、凍らせ屋にとっては朝飯前だ。
 上昇の勢いを乗せて、黒鮫の鼻っ柱に一撃をお見舞いする。
 黒鮫は絶叫するように口腔を見せつけながら、
 更に上方へと吹き飛ばされた。
 屍は重力に引かれて落下しながら、甲斐がよろめく姿を視界端に捉えた。
 残る白鮫もしばらくは動かせないほど、甲斐は衝撃を受けているのだろう。
 鮫と甲斐が同調に近い関係にあることをすでに屍は見破っていたので、
 先ほどの一撃には停止心掌には及ばないものの
 霊的なパワーを込めておいたからだ。
 それが悪魔を苦しめ、ダメージが甲斐にフィードバックしたのだ。

882タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:55:19 ID:9yaTnsNo
 着地した屍の足元には、足場にされ跳躍の反動で倒された小早川奈津子が
 転がっていた。
「こ、このあたくしを踏み台に……! 何たる屈辱、何たる冒涜!」
「威勢がいいのは口だけだな」
「をーっほほほほほほ! ならば聖戦士たるあたくしの華麗なる一撃を
お見舞いしましょう! 昇天おしっ!」
 起き上がるや否や、小早川奈津子は聖なる力を振り絞って
 ブルートザオガーを一閃した。
 するとどうだろう、先ほど眼前にいた屍刑四郎は影も形も無くなっている。
「おやまあ、なんと貧弱な。
あたくしの超絶・勇者剣を受けて跡形も無く滅却したのかえ?。
ともあれ正義は勝った、完 全 勝 利 でしてよっ! をっほほ――」
「黙れ馬鹿」
 その声は、勝利の高笑いを響かせようとした、
 聖戦士・奈津子の背後から響いた。
 驚いた聖戦士が百八十度反転すると、そこには花柄模様の上着が――、
 そこまで認識した瞬間、小早川奈津子の心臓に激震が走った。
 古代武術、ジルガの技が冴えわたる。
 停止心掌は巨人の急所に炸裂したのだ。
 この技は防御を無視し、内部にダメージを与える。
 小早川奈津子といえども、笑って耐えられる代物ではない。
「だ、だまし討ちとは……何たる……卑怯……」
 これが屍刑四郎が聞いた、小早川奈津子の最後の言葉だった。
 巨人堕つ。

883タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:57:36 ID:9yaTnsNo
 怪物との勝負に決着をつけた屍が振り向くと、
 壁に手を添えながら甲斐氷太がこちらを睨みつけていた。
「よお、まだ――終わりじゃねえぜ」
「じき終わる」
 屍からみて、未だに甲斐のダメージは深刻だ。
 先ほどまでのようにキレのある動きで悪魔を操作できないだろう。
 だが、相手が怪我人だろうが屍に容赦する気は微塵に無い。
 犯罪者は、皆等しく平等――全く価値が無いからだ。
 一歩、一歩、処刑人のように屍は甲斐に詰め寄っていく。
 依然変わらぬ威圧を背負って。
 追い詰められた犯罪者は、このような屍に対して大抵は逃げたり、
 命乞いをする。
 だが、甲斐は出会ったときと同じく、傲岸不遜に屹立していた。
「何をしようとどのみち無駄だがな」
「ああ、もうここから動く必要は無えしな」
 用心深く屍は二匹の鮫を確認した。
 黒鮫は未だ上空で弛緩しおり、戦闘できるとは思えない。
 白鮫も崩した路壁付近を漂っている。襲ってきても対処可能だ。
 そして、今まで屍の急場を救ってきた殺気感知も無反応だ。
 もはや甲斐に戦闘力が無いことは明らかだった。

 あと四歩、屍がそこまで進んだところで甲斐が不意に口を開いた。
「綱を落とすぜ。好きにしろよ」
「何――?」
 意味不明。屍は警戒するとともに疑問解決に思考を裂く。
 瞬間、先ほどまでとは比べ物にならないほどの殺意が屍の体を貫いた。
 思考を裂いていた分、対応が遅れる。
 しかも、本能的に跳び退る事はできなかった。
 屍は甲斐の攻撃を直感任せですでに数回ほど回避している。
 相手がそれを学習していないはずが無い、と屍は推論し、
 飛び退いた先に何があるか確認していない現状で、
 無闇に回避行動を取るのは危険だと、理性で本能を押し留めたのだ。
 最悪、スリーパターンの三匹目が回避先に現れるかもしれない。
 故に、手段は迎撃。
 決断からワンテンポ遅れて、屍は殺意の主を捜し当てた。
 それは白鮫そのものだった。
 自立行動できたのか、と屍が思う間もなく白鮫が迫る。
 完全な誤算だった。屍は以前、甲斐は鮫と同調していると推測した。
 だが、それはドラッグを起爆剤として使用者の闘争本能などを
 具現化する仕組みだろうと勝手に解釈してしまったのだ。

884タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 22:59:36 ID:9yaTnsNo
 魔界都市にも強力な興奮剤が存在する。
 その中には使用者の容姿を変質させる物も含まれている。
 屍は、甲斐のカプセルがその亜種のようなものだと判断し、
 悪魔の存在をあくまで使用者の一部分が分離した固体だと考えた。
 従って、悪魔そのものが独立して存在するとは思えず、
 使用者の一部分たる悪魔が暴走するなど予想外だったのだ。
 まさか、手綱を放せば勝手に暴れる代物だとは考慮していなかった。

 そう誤算しても無理は無い。
 甲斐は戦闘において確実に悪魔を制御していた。
 使用者の意の下に掌握された悪魔は、甲斐の殺意に従って牙を剥く。
 忠実な僕であったからこそ、屍はオーナーである甲斐一人の
 殺意を汲み取るだけで済んだのだ。
 その経験から、屍は未知である悪魔を既知の存在として誤認していた。

 もはや白鮫の口腔は魔界刑事の目前だった。
 虚空から出現する妖物である鮫に、鉄皮が通じるか否かは未知数。
 ならば、障害物を出せばよいと屍は結論。
 以前、甲斐へと投擲したデイパックを蹴り上げて、
 それに食いついた鮫の口中へとねじ込んだ。
 もはや甲斐が統御していた時の洗練された動きは感じられない。
 目先の敵を全て食い尽くす破壊力そのものだ。

885タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:01:44 ID:9yaTnsNo
 これが、甲斐氷太の悪魔。
 鉄の意志でもあるオーナーの手綱が外れると、攻撃本能のままに蹂躙する。
 屍の殺気感知力がなければ、奇襲を防ぐことは困難なほどに滅茶苦茶で、
 原始的で、それでいて非常に手の焼ける存在だったのだ。
 
 しかし、この場に限って言えば、屍が直観力に頼りすぎたのは失策だった。
 このゲームが開始されてから、屍の勘は従来どおりの冴えを見せた。
 と、感じるのは屍の主観であり、実際はしっかりと制限を受けていたのだ。
 その制限で、殺気などの害意を感じる場合と比べて、
 無意な存在から受ける被害に対する直観力は若干低下していた。
 つまり、対人には十分効果があるが、トラップや不慮の事故は
 通常と比べて察知しにくくなっていたのだ。
 屍はゲーム開始以来、大して戦闘を行わなかった。
 それにより「勘」という不安定な能力のコンディションチェックを
 行うことができず、新宿にいた時の状態のままだと思い込んでいた。
 甲斐や小早川奈津子の攻撃を事前に察知していたときは、
 当てられる殺気に反応したのであって、
 死の危険そのものを感じ取っていたわけではなかったのだ。
 それが、今更になって魔界刑事を追い詰めた。

886タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:03:40 ID:9yaTnsNo
 屍が上空に吹き飛ばした黒鮫。
 それはただ攻撃を受けて苦しんでいただけではない。
 上空を通るある物のそばまで接近していたのだ。
 なぜそのような芸当ができたのか。
 フィードバックを受けながらも、カプセルの影響で
 戦気高揚していた甲斐は、同時に痛覚も若干マヒしていた。
 しかも、屍が小早川奈津子を戦闘不能に追い込むとき、
 取り出したカプセルを苦しむ演技とともに飲む暇があった。
 それによって、若干のあいだ悪魔を制御する余裕を甲斐は得ることができた。
 
 空を屍が確認したとき、黒鮫は弛緩していた。
 だが、それは真に弛緩していたのではなく、力を溜めていたのだとすれば、
 優れた勘で攻撃を感知する屍に対して、甲斐が苦肉のトラップを
 用意していたのだとすれば、往生際の態度も納得できるだろう。

 動く必要は無い、と甲斐は述べた。
 なぜなら自分の前まで屍を誘導させる必要があったからだ。
 冷静ならばもっと上手くやれただろうが、今の甲斐にはこれが限界だった。
 屍は自分に止めを刺しに来る、と甲斐は確信して
 自身の手前に攻撃地点を設置した。
 トラップの正体、それは上空を通る複数の電線だった。

 綱を落とす、と甲斐は宣言した。
 それは悪魔の手綱であると同時に、電柱を結ぶ線をも意味したのだ。
 白鮫の制御を手放すことで甲斐は黒鮫の制御に集中できた。
 冷静さを欠いている現状、片方の制御に集中しなければやっていけない。
 その黒鮫はこの時のために上空で力を溜め、
 オーナーの意に従い正確に電線を引きちぎった。

887タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:05:34 ID:9yaTnsNo
 目の前の強敵が放つ殺気に注意を奪われていた屍は、
 自身に向かって上空やや後方から接近してくる二本の電線に気づかなかった。
 無理やり千切れた反動で、電線は弾みをつけて落下してくる。
 その威力は、もはや鞭などというレベルを超えている。
 惨劇は一瞬だった。
 電線は無情にも凍らせ屋の背中を痛打し、花柄模様を銅線が引き裂く。
 凶器の直撃を受けてなお、激痛に耐える屍刑四郎を白鮫が襲う。
 その尾は正確に屍の頭に激突して脳震盪を引き起こした。
 甲斐はこの瞬間を待っていた。
 自分より格上で、油断も隙も無い魔界刑事が無抵抗になる刹那の時を。
 判断は即座に成され、忠実な悪魔は寸分違わずそれに従う。
 落雷のごとく飛来した黒鮫は、悪魔の名に相応しい破壊力を持って、
 屍刑四郎の頭部へと食いついた。

 死んだ、と思った。勝った、と思った。 
 甲斐氷太は内より込み上げる感情を外へぶちまけようとして、
「――!」
 獣の咆哮を聞いた。
 
 首まで黒い悪魔に飲み込まれた魔界刑事。
 その両腕が絶叫とともに天へと突き出され、猛禽の鈎爪にも見える五指が
 左右から鮫の頭部に突き刺さった。
 瞬間、甲斐は猛烈な衝撃に意識を失いそうになった。
 鈍器で殴られたような感覚。
 それがどんどん自分の芯の方へと食い込んでくる。
 相手には武術を使う思考も、余裕も残されてはいないだろう。

888タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:07:23 ID:9yaTnsNo
 しかし、氷らせ屋は頭を食われてなお、凶悪なパワーで戦闘続行を望んでいる。
 正に、魔人。
 魔界刑事の生存本能と、メフィスト病院製の特殊細胞が命を繋いでいるのだ。
 この男を沈黙させるには、頭部を食いちぎって脳を破壊するしかないのか。
 
「お――!」
 甲斐は吼えた。そうしなければ眼前の光景に圧倒されそうだったから。
 抵抗する証を自分自身で確認しなければ、痛みに屈しそうだったから。
「死ねよっ! 死んじまえこの怪物がぁっ!」
 もはや悪魔戦でもなんでもない。
 男と男、二つの存在が生命をかけて意地を張り合っている。
 屈したら、死ぬ。
 その思いが甲斐の意識を支え続けた。

 もう何十秒過ぎたのだろう、いや何百か何千か。
 いや、時間なんてどうでもいい。
 甲斐は頭がどんどんクリアになっていくのを感じた。
 これが、己が求めた瞬間なのか。
 そんなことを考える余裕すら、もはや無い。
 今はただ、相手を喰らい続けることで精一杯だった。
 だがついに、痛みが限界に達した。
 もはや痛みではなく、言い表せないモノになって確実に神経を蝕んでいく。
 
 眼前の刑事だったものは、もはや赤いヒトガタと化していた。
 その腕は依然として悪魔を掴んで離さない。
 悪夢のような光景。
 突如として、
「――!」 
 ヒトガタが絶叫を放つ。
 いや、もはや甲斐には叫びかどうかも分からない。
 ただ一つ、内なる野生は理解していた。
 これを凌げば相手は終わる。

889タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:09:15 ID:9yaTnsNo
 堪えられそうも無い何かが、体の芯を駆け上っていった。
 それでも狂犬は、食いついた牙を離さなかった。


 数分後、甲斐は路地に横たわっていた。
 耐え難い痛みは既に引いたが、激しい頭痛が残っている。
 まともな思考が戻るのは、まだ先になるだろう。
 それでも、甲斐は満たされていた。
 あの感覚は今はもう無い。
 しかしそれを味わった経験は麻薬のように甲斐の心に刻み付けられた。
「言葉にならねぇ……最高だ……もう一度、あと一度でいい。
 あの何もかもが吹っ飛ばされた……あの感覚を、もう一度――」
 ぶっ飛んだジャンキーの言葉とともに、
 甲斐は煙草に火をつけようとして湿気ていることに気づき、
 それを投げ捨てた。


【109 屍刑四郎 死亡】
【残り39人】

【A-3/市街地/一日目/19:00】

【甲斐氷太】
[状態]あちこちに打撲、頭痛
[装備]カプセル(ポケットに数錠)、
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1500ml)
    煙草(残り十一本)、カプセル(大量)
[思考]興奮が冷めるのを待つ、禁止エリア化するまでには移動したい
[備考]かなりの戦気高揚のために痛覚・冷静な判断力の低下

【小早川奈津子】
[状態]右腕損傷(完治まで二日)、たんこぶ、生物兵器感染、仮死状態
[装備]ブルートザオガー(灼眼のシャナ)
[道具]デイパック(支給品一式、パン三食分、水1500ml)
[思考]意識不明
[備考]服は石油製品ではないので、生物兵器の影響なし
   約九時間後までなっちゃんに接触した人物の服が分解されます
   九時間以内に再着用した服も、石油製品なら分解されます
   感染者は肩こり・腰痛・疲労が回復します
   停止心掌は致命傷には至っていませんが、仮死状態になりました

890タイトル未定  ◆CDh8kojB1Q:2007/03/03(土) 23:12:35 ID:9yaTnsNo
書いててキャラその他に自信が無くなったので晒してみる
こんなカンジでいいかどうか判定クレー

基本的に未完だけど、奈津子まわりとかが気に食わないなら言ってくれ
あと、こんな流れで投下おkなら奈津子とボルカン含めた続き書くよ

891名も無き黒幕さん:2007/03/03(土) 23:34:25 ID:BDfaEhGw
乙。最初の方に「をーっほっほほほ!」分を増量してもいいかなと思った。
あと、>877の甲斐が少し多弁すぎるかなと思ったけど、これもこれでらしい気もする…
ともあれ、完成楽しみにさせてもらうよー

892 ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 12:34:21 ID:9yaTnsNo
こっちにもレスが…見逃してた

馬鹿笑い増加ね。おk把握

893修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:51:01 ID:9yaTnsNo
「をーっほほほほほほ! 挽肉におなりっ!」
 号砲のような雄たけびとともに進撃するのは小早川奈津子。
 大上段に大剣を構え、威風をまとって向かってくるその偉容は
 鬼武者のごとき威圧感を相手に与える。
 その顔は憤怒で染まり、猛久しい像のような吐息を吹き出していた。
 緊張に沈む街路。しかし、
「野放図な行動原理だな。怪物と聞いたが、実際はただの馬鹿か」
 マンホールの投擲を避けて身を屈めていた屍刑四郎が、上体を立て直して立ちふさがる。
 赤旗目掛けて突っ込んでくる闘牛、
 それに立ち向かう闘牛士さながらの堂々とした態度だ。
 濡れて顔にかかっていたドレッド・ヘアを掻き揚げると、
「刑事に対する殺人未遂――よくやってくれた」
 一部の新宿区民は、この言葉をどれほど恐れているだろう。
 それほどまでに、魔界刑事は『犯罪者』に対して徹底的で容赦が無い。
 文字どおりに虫けらとしか相手を見なさないからだ。
 だが、その宣告も小早川奈津子にとっては脅威にはならない。
 特に先刻の侮辱の影響で、彼女は屍の放ったブタという単語に過剰に反応した。
「国家の犬風情が、あたくしに意見しようなど万年早くってよ!」
 ひときわ凄烈な轟声をあげ、その加速をいっそう速める。
 屍との距離はすでに十メートルを切っていた。
 あと数歩で小早川奈津子のリーチ内だ。
 女傑が満身の一撃を放とうとしたその瞬間。屍は強張った面で彼女に向き合い、
「おまえはその犬にかみ殺されるのさ」
 つ、と地面を滑るかのように音も無く後退した。
 ただ下がるだけではない。相手のリーチを完全に読みきり、
 攻撃を避けた瞬間に踏み込んでのカウンターを入れることが可能な体勢だった。
 屍の経験・技量は女傑のそれを圧倒的に上回っていた。
 気づいた小早川奈津子が慌てて剣を止めようとするが、すでに慣性は働いている。
 全ては屍の思惑どおりだ。

894修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:51:57 ID:9yaTnsNo
 が、その予定を狂わす第三者は意外な場面で行動してきた。
「てンめぇ……! そいつは俺の獲物なんだよ!」
 小早川奈津子を激怒させた張本人、甲斐氷太だ。
 屍は、甲斐が漁夫の利狙いで自分を襲うものだろうと考え、
 鮫による奇襲にも警戒を怠ってはいなかった。
 しかし、甲斐氷太は気の赴くままに敵意を放ち、その警戒の斜め上を行く。
 あろうことか、屍向かって突進してくる小早川奈津子の両足に、
 甲斐は黒鮫の尾で痛烈な一撃をお見舞いしたのだ。
 タイミングに乗った一発は、常人の足を打ち砕く威力を誇っていた。
 だが、ドラゴン・バスターを自称する女傑に対しては、
 ただの脚払い程度の攻撃に過ぎなかったのだ。
「あっー!」
 驚嘆の声とともに、宙に浮きつつ前方へと体を流す小早川奈津子。
 屍にとってその転倒は最悪の結果をもたらした。
 巨人の剣は振り下ろされる途中であり、それが前のめりになった巨体と、
 脚払いで宙に浮いた慣性とが組み合わさり、予想以上の斬撃範囲を発揮したからだ。
「をーっほほほほ! これぞ怪我の功名、一刀の下に斬り捨ててあげましょう」
 してやったり、と言った風情の嬌声に後押しされながら、
 ブルートザオガーが花柄模様の男に迫る。
 その威力・硬度・切れ味は、ともに人一人を真っ二つにするには十分すぎる。
 大剣が隻眼の顔に達する直前、魔界刑事は賭けに出た。
 そのたくましい両腕が閃いたかと思った瞬間、大剣を左右から挟みこんだのだ。
 真剣白刃取り。
 絶体絶命の状況下でそれを成しえたのは、
 屍の卓越した身体能力と古代武術『ジルガ』の技法に他ならない。
 短距離において音速を突破できる屍は、その能力が制限されていても
 技の冴えを衰えさせていなかったのだ。

895修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:54:23 ID:9yaTnsNo
 しかし、魔界刑事の身体能力と古代武術をもってしても、
 小早川奈津子の斬撃を止めることはできなかった。
 巨人のパワーは怒り補正を受けて、一気に剣を押し込もうと猛威を振るう。
 白刃取りによって勢いを殺したものの、添えられた屍の手ごと剣が迫る。
 鼻頭に大剣が到達する直前、屍は頭を傾けて直撃を避けた。
 それでも、依然として剣が振り下ろされていることには変わりが無い。
 命中箇所が頭から肩へとずれただけだ。
 大剣が花柄模様を切り裂く。
 直後、硬い音がした。
 だがそれは肉を断ち切り、骨を砕く音ではなかった。
 間違いなく剣は命中した。しかし、一滴たりとも流血が見られない。
 屍は憮然として告げた。
「古代武術ジルガのうち――鉄皮。上着を台無しにしやがって、このクズが」
 刑事の背後から吹き出した殺気に危機を感じた小早川奈津子は
 慌てて飛びのこうとする。
 しかし、それは叶わなかった。
 今度は逆に、鋼のような屍の腕が万力のごとく大剣を固定していたからだ。
 次の瞬間、鞭のような蹴撃が小早川奈津子の巨大な左大腿を打った。
 二発、三発、並みのヤクザやチンピラは、この時点で粉砕骨折しているだろう。
 四発、五発、小早川奈津子の顔がついに苦痛に歪む。
 そして六発目が大腿の皮膚を打ち破り、鮮血を散らすと同時に
 その巨体がゆるりと傾き、受身のために女傑は路地へと手を着いた。
「これでようやく急所を殴れるな」
「仰ぎ見るべきこのあたくしを同じ視線で眺め回すとは何たる無礼!」
「この期に及んで何を言ってやがるこの唐変木。あばよ」
 言うと同時に、屍の右腕が後ろに引かれる。
 この構えの果てにあるのは、ジルガの技法『停止心掌』
 小早川奈津子のような怪物を一撃で仕留めるにはこれしかないと、
 屍が先ほどから狙っていた技だ。
 強力無比な掌撃が、万全を期して女傑の胸へ迫る。

896修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:55:24 ID:9yaTnsNo
 その一撃を打ち出した瞬間、屍は後頭部に殺気が当てられるのを感じた。
 すでに屍は攻撃中だ。未来は二つ。
 危機を回避するか、そのまま巨人に止めを刺すか。
 逡巡する時間が無い中で屍は危機回避を優先した。
 烈風とともに花柄模様が翻り、同時に黒鮫が口腔鮮やかに飛来する。
 屍は甲斐の鮫と攻撃の察しをつけていたのだ。
 だが停止心掌は完全に失敗し、小早川奈津子は隙をついて離脱してしまった。 
「くそっ、よく避ける野郎だ」
 言うが早いか、甲斐の瞳が燃えるような輝きを放つ。
 屍はその輝きの中に渇望の意を見出した。
「餓えてやがるな、狂犬め」
 言いながら屍は若干つま先に加重をかけ、重心を前に傾かせた。
 対する甲斐は正面に屍を捉えながらも、四方にも感覚を向けて
 周囲空間そのものを把握しているのだろう。
 お互いの視線が交差し、しばしの間世界が止まった。
 が、それもつかの間。
「クックック、クハハハッ」
 突如として甲斐がを笑みをこぼした。
 楽しくて、満足で仕方が無いといった表情で。
 内奥からこみ上げてくる歓喜と情熱が甲斐氷太を奮わせたようだ。

897修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:56:19 ID:9yaTnsNo
「何が可笑しい」
「ククッ、笑わずにいられるかよ。おまえみてえな相手を前にして。
ついさっきもガンくれあったが、こんな鬼みてえな、
いや、悪魔みてえな視線を向ける野郎は初めてだぜ?」
 見ろよ、と甲斐は屍に対して腕をまくって見せた。
「見事に鳥肌が立ってやがる。数秒睨まれただけでこんなになっちまった。
それだけじゃねえ、脊髄にツララをブッこまれたような感覚だぜ。
相対してるだけで、テメエの威圧とスゴ味に俺自身が飲み込まれちまいそうだ。 
目の前の男がどれだけヤバいか、俺の本能はちゃんと分かってる」
 対して屍は何も言わない。甲斐の出方を伺っている。
 空中を旋回する二匹の鮫が、番兵のように屍の接近を防いでいるからだ。
「でもよお、いや、だからこそ、だな。
こうして俺が向き合ってる相手ならば、このクソッくだらねえ世界の中で
唯一手応えが感じられそうなヤツなんじゃねえかって思うんだ。
余計な虚飾や装飾を取っ払ったシンプルな、それでいて確実な手応えをよぉ」
 カプセルにはまってから、いや、それ以前から甲斐には何もかもが
 嘘くさく思えてしょうがなかった。
 どれもこれもが些事であって、切り捨てられない、必要な何かと比べて
 無価値な石ころに過ぎないと感じていた。
 そんな日常に宙ぶらりんになって生きる甲斐にとって、
 悪魔戦に溺れることはまさに快感だった。
 いや、思考や感情の奥にある「存在」する何かが弾ける感覚だ。
 余計な幻想を片っ端か打ち壊してくれる。
 屍との闘争によって、甲斐は失われない確実なものを得られると確信した。
 だからこそ、屍を追ってここまで来たのだ。
「さぁ、存分に殺しあおうぜ。過去も未来も要らねえ、必要なのは今だけだ。
満ち足りるまで、クラッシュするまで溺れようじゃねえか」
 弾けそうな興奮と期待そして心情をぶつける甲斐。
 しかし、
「粋がるなよ糞虫」
 返ってきたのは痛罵と屍のデイパックだった。

898修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:57:35 ID:9yaTnsNo
 悦に入ったように語る甲斐に対して、屍は全力でデイパックを叩きつけると
 疾風のごとく間を詰める。
「おまえの自己満足に付き合う理由も義理も無い、警察をナメるな。
ゴミは掃除する、治安は守る、それだけだ」
 白鮫がデイパックをブロックする隙をついた低姿勢で一気に距離を詰めると、
 そのまま黒鮫の胴に向かって上段蹴りを叩き込む。
 身もだえしながら後退する黒鮫。
 その背後で、甲斐が目を剥きながら歯を食いしばる姿を屍は捉えた。
「カラクリが読めてきたぜ――その妖物、おまえと同調してやがるな」
「っはぁ……容赦無えな。けどよぉ、そーやって煽られると
俺はますます燃えるんだっ!」
 痛みを堪えつつ、しかし陶酔したかのように甲斐はカプセルを口に含む。
 次の瞬間、眼前に掲げた拳を振り下ろし、
「ノッてきたぜ――食い千切れ!」
 蹂躙の意を轟かせた。

 同時に、二匹の悪魔が屍目掛けて雷光のように飛んでいく。
 甲斐には冷静さが欠けるが、悪魔のスペックがそれをカバーする。
 背びれ、胸びれ、尾、ノコギリ歯。
 電光石火で繰り出されるコンビネーションが屍を包む。
 前後左右上下から襲い来る破壊力。
「ベルを鳴らせ、ショーの始まりだっ!」
 酔ったように叫ぶ甲斐、シャンパンの泡のように敵意が弾ける。
 対する屍は、悪魔の攻撃を持ち前の直観力で巧みに捌き、時には避ける。
 足首を狙った黒鮫の尾の一撃を片足を浮かしてやりすごし、
 同時に右腕部をミンチにせんと迫る白鮫の歯を防ぐため、
 顎に掌打を打ち込んで、鮫が突っ込んでくるベクトルを変える。
「ハハッ! 踊れ、踊れぇ!」
 カプセルを嚥下し、叫ぶ顔はもはや狂喜の域に突入していた。
 目は剥き出しになったように開かれ、しかも真っ赤に燃えている。
 その笑みはまさに悪魔持ちと呼ぶに相応しい。
 物部景がこの光景を見たらいったい何を思うだろうか。
 狂犬の王が操る悪魔に対して、生身の人間が素手で渡り合っているのだから。
 荒れ狂うハリケーンの直下のように戦塵が舞い、風が千切れる。
 魔人と悪魔の饗宴は壮絶な様相を示していた。

899修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 19:59:08 ID:9yaTnsNo
 その戦場に巨人が乱入してきた時、均衡は崩れた。
 屍により手痛い反撃を受けた小早川奈津子が、大剣片手に威勢をあげる。
「をーっほほほほ! 面妖な鮫ともども、あたくしが討ち取ってあげましょう!」
「上等っ! デカ殺るついでにハムにしてやるよ!」
「どいつもこいつもよく喋る――」
 風が唸った。
 ブルートザオガーの軌道上から身をくねって退避した白鮫に
 屍の変則フックが直撃し、フィードバックで甲斐がうめく。
 その反撃とばかりに屍目掛けて突進する黒鮫の尾を
 小早川奈津子が掴んで豪快に振りかぶる。
 それはまるで大魚を吊り上げた漁師のような風情であった。
 そのまま哄笑とともに鮫を屍に叩きつけようとするが、
 鮫の抵抗にあい巨大な頬に鮫肌の痕がつく。
「ざっまあみやがれ、バァーカ!」
 甘美な手応えに笑う狂犬。もはや完全にカプセルがキマってぶっ飛んでいる。
 よろめく女傑。
 隙を逃さぬよう屍の両腕が瞬動し、巨人の手首を砕き折ろうとするが、
「乙女の柔肌を汚した重罪、打ち首獄門市中引き回しの刑で償うがよくってよ!」
 憤激した女傑の振り回す大剣がそれを許さない。
 型もへったくれも無い、力任せで常識外れな剣戟だ。
 接近した魔界刑事の首筋を剣の切っ先が擦過する。
「来た来た来たぁ! 待ってたんだっ、脳天ブチ抜くこの感覚をよおっ!」
 その斬撃で飛び散った鮮血を舐め取るかのような軌道で、白鮫が屍を強襲。
 防御の隙間を縫って屍の肩を尾で打ち据えた。
 隻眼の顔に苛立ちが浮かぶ。

 一瞬ごとに別個のコンビネーションで攻め立ててくる甲斐氷太。
 意外性とタフさによって屍の予測の外を行く小早川奈津子。
 二人を上回る技量と経験を持ち合わせる屍だが、
 思惑どおりに流れを組み立てることは難しい。
 屍の手元に愛銃があれば、一秒とかからず二人は射殺されていただろう。
 だが、屍の支給品は武器ではなく椅子だったのだ。
 珍しく、魔界刑事の額を汗が伝った。

900修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:01:53 ID:9yaTnsNo
 泥沼の白兵戦になるかと思われたその時、
 屍はついに死中の活を見出す。
 甲斐が矢継ぎ早に繰り出してきた悪魔のコンビネーション攻撃。
 その派生パターンを魔界刑事は直感的に理解した。
 思考のトレースではなく、魔界都市で培ってきた本能的なものが
 鮫の動きを先読みしたのだ。
 屍は信頼に足るその感覚に従い地を蹴った。
 悪魔持ちたる甲斐は戦闘開始直後からあまり移動していない。
 そしてその三メートル先で白鮫が路壁に沿って飛ぶのが見える。
 あの鮫の動きが予想したとおりならそこで決着だろう、と屍は思慮した。
 左前方から迫り来るブルートザオガーを間一髪で切り抜け、
 大剣の担い手たる小早川奈津子の巨体に接近する。
 左肩を密着させて相手の重心をわずかにずらし、タイミング良くショートパンチ。
 屍の右拳を腹部に受けた女傑の巨体が後ろに流れる。
「をーっほほほほ! この程度痛くも痒くもなくってよ!」
 やかましい、と拳に手応えを感じながら、屍は白鮫の動きに注目した。
 かくして、白鮫は路壁に向かって尾を振りかぶる。
 それを確認した瞬間、屍はチェック・メイトに至る道筋を構築し、実行する。
 流れていく小早川奈津子の体、それを全力で押して巨体を移動させる。
 同じタイミングで白鮫はブロック状の路壁を尾で破壊し、
 その破片を散弾銃のごとく屍へと浴びせかけた。
 同時に黒鮫が上方から襲い来る。
 これこそ、屍が直感的に予知した新手の攻撃バリエーションだ。
 屍へ迫るブロックの破片をタイミング良く小早川奈津子の体が受け止める。
 予想外のダメージで意識を乱した女傑の腕に向かって、
 屍はアッパーカットを放つ。
 結果、巨人の右腕は大剣を持ったまま直上へと跳ね上がり、
 襲い掛かってきた黒鮫に激突。
 全ての攻撃が阻まれ、同時に無防備な甲斐への道が開けた。

901修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:02:55 ID:9yaTnsNo
「何っ!?」
 驚嘆の叫びは甲斐のものだ。
 今しがた思いついたばかりのコンビネーション攻撃を
 タイミング良く完全に防がれたのだから、そのリアクションは当然といえよう。
 攻撃の派生も内容もたった今誕生したばかりなのだが、
 屍はそれを以前から知っていたかのごとく完璧に無効化してみせた。
 攻撃を五感で感知する以前に、屍が対応策を練っていたとすれば、
「なんつー勘の良さだよテメエ……ククッ、最高じゃねえか」
 甲斐氷太は今やっと、屍刑四郎の驚異的な危機回避能力の正体を知った。
 鮫による最初の奇襲も、背後からの強襲もことごとく屍は回避した。
 その理由が、直感による殺気察知に由来するものならば、
 今まで二匹の悪魔の攻撃を凌ぎ続けてきた事実も納得できる。
 
 そんな甲斐を尻目に、屍は順当に決着への手順を踏んでいく。
 先ほど利用した小早川奈津子、その膝に右足を乗せて階段を上るように
 重心移動を行う。
 次の足場は巨人の胸、そこを左足で踏みつけて、反作用で跳躍。
 三角跳びの要領で、女傑の右腕と激突している黒鮫と同等の高度に達する。
 体操選手より鮮やかな動きだが、凍らせ屋にとっては朝飯前だ。
 上昇の勢いを乗せて、黒鮫の鼻っ柱に一撃をお見舞いする。
 黒鮫は絶叫するように口腔を見せつけながら、
 更に上方へと吹き飛ばされた。
 屍は重力に引かれて落下しながら、甲斐がよろめく姿を視界端に捉えた。
 残る白鮫もしばらくは動かせないほど、甲斐は衝撃を受けているのだろう。
 鮫と甲斐が同調に近い関係にあることをすでに屍は見破っていたので、
 先ほどの一撃には停止心掌には及ばないものの
 霊的なパワーを込めておいたからだ。
 それが悪魔を苦しめ、ダメージが甲斐にフィードバックしたのだ。

902修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:04:55 ID:9yaTnsNo
 着地した屍の足元には、足場にされ跳躍の反動で倒された小早川奈津子が
 転がっていた。
「こ、このあたくしを踏み台に……! 何たる屈辱、何たる冒涜!」
「威勢がいいのは口だけだな」
「をーっほほほほほほ! ならば聖戦士たるあたくしの華麗なる一撃を
お見舞いしましょう! 昇天おしっ!」
 起き上がるや否や、小早川奈津子は聖なる力を振り絞って
 ブルートザオガーを一閃した。
 するとどうだろう、先ほど眼前にいた屍刑四郎は影も形も無くなっている。
「おやまあ、なんと貧弱な。
あたくしの超絶・勇者剣を受けて跡形も無く滅却したのかえ?。
ともあれ正義は勝った、完 全 勝 利 でしてよっ! をっほほ――」
「黙れ馬鹿」
 その声は、勝利の高笑いを響かせようとした、
 聖戦士・奈津子の背後から響いた。
 驚いた聖戦士が百八十度反転すると、そこには花柄模様の上着が――、
 そこまで認識した瞬間、小早川奈津子の心臓に激震が走った。
 古代武術、ジルガの技が冴えわたる。
 停止心掌は巨人の急所に炸裂したのだ。
 この技は防御を無視し、内部にダメージを与える。
 小早川奈津子といえども、笑って耐えられる代物ではない。
「だ、だまし討ちとは……何たる……卑怯……」
 これが屍刑四郎が聞いた、小早川奈津子の最後の言葉だった。
 巨人堕つ。
 
 怪物との勝負に決着をつけた屍が振り向くと、
 壁に手を添えながら甲斐氷太がこちらを睨みつけていた。
「よお、まだ――終わりじゃねえぜ」
「じき終わる」
 屍からみて、未だに甲斐のダメージは深刻だ。
 先ほどまでのようにキレのある動きで悪魔を操作できないだろう。
 だが、相手が怪我人だろうが屍に容赦する気は微塵に無い。
 犯罪者は、皆等しく平等――全く価値が無いからだ。
 一歩、一歩、処刑人のように屍は甲斐に詰め寄っていく。
 依然変わらぬ威圧を背負って。
 追い詰められた犯罪者は、このような屍に対して大抵は逃げたり、
 命乞いをする。
 だが、甲斐は出会ったときと同じく、傲岸不遜に屹立していた。
 相当なダメージが蓄積されているにも関わらず、表情はハイなままだ。
 甲斐のふてぶてしさは、カプセルによるから元気なのだろうか。
 それとも何か策があるのか。
「何をしようとどのみち無駄だ」
「ああ、もうここから動く必要は無えしな」
 用心深く屍は二匹の鮫を確認した。
 黒鮫は未だ上空で弛緩しおり、戦闘できるとは思えない。
 白鮫も崩した路壁付近を漂っている。襲ってきても対処可能だ。
 そして、今まで屍の急場を救ってきた殺気感知も無反応だ。
 もはや甲斐に戦闘力が無いことは明らかだった。

903修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:06:52 ID:9yaTnsNo
 あと四歩、屍がそこまで進んだところで甲斐が不意に口を開いた。
「綱を落とすぜ。好きにしろよ」
「何――?」
 意味不明。屍は警戒するとともに疑問解決に思考を裂く。
 瞬間、先ほどまでとは比べ物にならないほどの殺意が屍の体を貫いた。
 思考を裂いていた分、対応が遅れる。
 しかも、本能的に跳び退る事はできなかった。
 屍は甲斐の攻撃を直感任せですでに数回ほど回避している。
 相手がそれを学習していないはずが無い、と屍は推論し、
 飛び退いた先に何があるか確認していない現状で、
 無闇に回避行動を取るのは危険だと、理性で本能を押し留めたのだ。
 最悪、スリーパターンの三匹目が回避先に現れるかもしれない。
 故に、手段は迎撃。
 決断からワンテンポ遅れて、屍は殺意の主を捜し当てた。
 それは白鮫そのものだった。
 自立行動できたのか、と屍が思う間もなく白鮫が迫る。
 完全な誤算だった。屍は以前、甲斐は鮫と同調していると推測した。
 だが、それはドラッグを起爆剤として使用者の闘争本能などを
 具現化する仕組みだろうと勝手に解釈してしまったのだ。

 魔界都市にも強力な興奮剤が存在する。
 その中には使用者の容姿を変質させる物も含まれている。
 屍は、甲斐のカプセルがその亜種のようなものだと判断し、
 悪魔の存在をあくまで使用者の一部分が分離した固体だと考えた。
 従って、悪魔そのものに独立したエゴが存在するとは思えず、
 使用者の一部分たる悪魔が暴走するなど予想外だったのだ。
 まさか、手綱を放せば勝手に暴れる代物だとは考慮していなかった。

904修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:08:27 ID:9yaTnsNo
 そう誤算しても無理は無い。
 甲斐は戦闘においてハイになりつつも確実に悪魔を制御していた。
 使用者の意の下に掌握された悪魔は、甲斐の殺意に従って牙を剥く。
 忠実な僕であったからこそ、屍はオーナーである甲斐一人の
 殺意を汲み取るだけで済んだのだ。
 その経験から、屍は未知である悪魔を既知の存在として誤認していた。

 もはや白鮫の口腔は魔界刑事の目前だった。
 虚空から出現する妖物である鮫に、鉄皮が通じるか否かは未知数。
 ならば、障害物を出せばよいと屍は結論。
 以前、甲斐へと投擲したデイパックを蹴り上げて、
 それに食いついた鮫の口中へとねじ込んだ。
 もはや、鮫には甲斐が統御していた時の洗練された動きは感じられない。
 目先の敵を全て食い尽くす破壊力そのものだ。

 これが、甲斐氷太の悪魔。
 鉄の意志でもあるオーナーの手綱が外れると、攻撃本能のままに蹂躙する。
 屍の殺気感知力がなければ、奇襲を防ぐことは困難なほどに滅茶苦茶で、
 原始的で、それでいて非常に手の焼ける存在だったのだ。
 
 そしてもう一方、屍が上空に吹き飛ばした黒鮫。
 それはただ攻撃を受けて苦しんでいただけではない。
 上空を通るある物のそばまで接近していたのだ。
 なぜそのような芸当ができたのか。
 フィードバックを受けながらも、カプセルの影響で
 戦気高揚していた甲斐は、同時に痛覚も若干マヒしていた。
 しかも、屍が小早川奈津子を戦闘不能に追い込むとき、
 取り出したカプセルを苦しむ演技とともに飲む暇があった。
 それによって、若干のあいだ悪魔を制御する余裕を甲斐は得ることができた。

905修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:13:38 ID:9yaTnsNo
 空を屍が確認したとき、黒鮫は弛緩していた。
 だが、それは真に弛緩していたのではなく、力を溜めていたのだとすれば、
 優れた勘で攻撃を感知する屍に対して、甲斐が苦肉のトラップを
 用意していたのだとすれば、往生際の態度も納得できるだろう。

 動く必要は無い、と甲斐は述べた。
 なぜなら自分の前まで屍を誘導させる必要があったからだ。
 冷静ならばもっと上手くやれただろうが、今の甲斐にはこれが限界だった。
 屍は自分に止めを刺しに来る、と甲斐は確信して
 自身の手前に攻撃地点を設置した。
 トラップの正体、それは上空を通る複数の電線だった。

 綱を落とす、と甲斐は宣言した。
 それは悪魔の手綱であると同時に、電柱を結ぶ線をも意味したのだ。
 白鮫の制御を手放すことで甲斐は黒鮫の制御に集中できた。
 冷静さを欠いている現状、片方の制御に集中しなければやっていけない。
 その黒鮫はこの時のために上空で力を溜め、
 オーナーの意に従い正確に電線を引きちぎった。
 
 この場に限って言えば、屍が直観力に頼りすぎたのは失策だった。
 このゲームが開始されてから、屍の勘は従来どおりの冴えを見せた。
 と、感じるのは屍の主観であり、実際はしっかりと制限を受けていたのだ。
 その制限で、殺気などの害意を感じる場合と比べて、
 無意な存在から受ける被害に対する直観力は若干低下していた。
 つまり、対人には十分効果があるが、トラップや不慮の事故は
 通常と比べて察知しにくくなっていたのだ。
 屍はゲーム開始以来、大して戦闘を行わなかった。
 それにより「勘」という不安定な能力のコンディションチェックを
 行うことができず、新宿にいた時の状態のままだと思い込んでいた。
 甲斐や小早川奈津子の攻撃を事前に察知していたときは、
 当てられる殺気に反応したのであって、
 死の危険そのものを感じ取っていたわけではなかったのだ。
 それが、今更になって魔界刑事を追い詰めた。

906修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:15:17 ID:9yaTnsNo
 目の前の強敵が放つ殺気に注意を奪われていた屍は、
 自身に向かって上空やや後方から接近してくる二本の電線に気づかなかった。
 無理やり千切れた反動で、電線は弾みをつけて落下してくる。
 その威力は、もはや鞭などというレベルを超えている。
 惨劇は一瞬だった。
 電線は無情にも凍らせ屋の背中を痛打し、花柄模様を銅線が引き裂く。
 凶器の直撃を受けてなお、激痛に耐える屍刑四郎を白鮫が襲う。
 その尾は正確に屍の頭に激突して脳震盪を引き起こした。
「っしゃあ! 引っかかりやがった!」
 凄まじい爽快感だ。甲斐はこの瞬間を待っていた。
 自分より格上で、油断も隙も無い魔界刑事が無抵抗になる刹那の時を。
 判断は即座に成され、忠実な悪魔は寸分違わずそれに従う。
 落雷のごとく飛来した黒鮫は、悪魔の名に相応しい破壊力を持って、
 屍刑四郎の頭部へと食いついた。

 獲った、と思った。 
 甲斐氷太は内より込み上げる感情を外へぶちまけようとして、
「――!」
 獣の咆哮を聞いた。
 
 首まで黒い悪魔に飲み込まれた魔界刑事。
 その両腕が絶叫とともに天へと突き出され、猛禽の鈎爪にも見える五指が
 左右から鮫の頭部に突き刺さった。
 瞬間、甲斐は猛烈な衝撃に意識を失いそうになった。
「ぐっ――あ」
 鈍器で殴られたような感覚。
 それがどんどん自分の芯の方へと食い込んでくる。
 相手にはもはや武術を使う思考も、余裕も残されてはいないだろう。

907修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:16:12 ID:9yaTnsNo
 しかし、氷らせ屋は頭を食われてなお、凶悪なパワーで戦闘続行を望んでいる。
 正に、魔人。
 魔界刑事の生存本能と、メフィスト病院製の特殊細胞が命を繋いでいるのだ。
 この男を沈黙させるには、頭部を食いちぎって脳を破壊するしかないのか。
 
「お――!」
 甲斐は吼えた。そうしなければ眼前の光景に圧倒されそうだったから。
 抵抗する証を自分自身で確認しなければ、痛みに屈しそうだったから。
 だが、同時に甲斐は凄絶な笑みを浮かべていた。
 この刑事、重症を負ってなお自分を楽しませてくれる。
「頭食われてんだぞ!? ハハッ、こうなりゃとことんやりあおうぜ」
 屍の常軌を逸した抵抗が、これ以上無いほどに甲斐の心を満たしていく。
 頭の中が真っ白になって、地平の果てまで吹っ飛ぶ快楽。
 もはや悪魔戦でもなんでもない。
 男と男、二つの存在が生命をかけて意地を張り合っている。
 どうしようも無くシンプルで、致命的な勝負。
 そこが良い、最高だ。
 脊髄を電流が駆け上り、頭蓋の中でスパークした。

 屈したら、死ぬ。
 その思いが甲斐の意識を支え続けた。
 もう何十秒過ぎたのだろう、いや何百か何千か。
 いや、時間なんてどうでもいい。
 甲斐は頭がどんどんクリアになっていくのを感じた。
 これが、己が求めた瞬間なのか。
 そんなことを考える余裕すら、もはや無い。
 今はただ、相手を喰らい続けることで精一杯だった。
 だがついに、痛みが限界に達した。
 もはや痛みではなく、言い表せないモノになって確実に神経を蝕んでいく。

908修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:18:54 ID:9yaTnsNo
 眼前の刑事だったものは、もはや赤いヒトガタと化していた。
 その腕は依然として悪魔を掴んで離さない。
 ギチギチと、鋼の指が鮫肌に食い込む。悪夢のような光景。
 突如として、
「――!」 
 ヒトガタが絶叫を放つ。
 否、もはや甲斐にはそれが叫びかどうかも分からない。
 ただ一つ、内なる野生は理解していた。
 これを凌げば相手は終わる。

 堪えられそうも無い何かが、体の芯を駆け上っていった。
 それでも狂犬は、食いついた牙を離さなかった。


 数分後、甲斐は路地に横たわっていた。
 耐え難い痛みは既に引いたが、激しい頭痛が残っている。
 まともな思考が戻るのは、まだ先になるだろう。
 それでも、甲斐は満たされていた。
 あの感覚は今はもう無い。
 しかしそれを味わった経験は麻薬のように甲斐の心に刻み付けられた。
「言葉にならねぇ……最高だ……もう一度、あと一度でいい。
 あの何もかもが吹っ飛ばされた……あの感覚を、もう一度――」
 ぶっ飛んだジャンキーの言葉とともに、
 甲斐は煙草に火をつけようとして湿気ていることに気づき、
 それを投げ捨てた。

909修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:20:48 ID:9yaTnsNo
【109 屍刑四郎 死亡】
【残り39人】

【A-3/市街地/一日目/19:00】

【甲斐氷太】
[状態]あちこちに打撲、頭痛
[装備]カプセル(ポケットに十数錠)、
[道具]デイパック(支給品一式、パン五食分、水1500ml)
    煙草(残り十一本)、カプセル(大量)
[思考]興奮が冷めるのを待つ、禁止エリア化するまでには移動したい
[備考]かなりの戦気高揚のために痛覚・冷静な判断力の低下
   小早川奈津子は死んだものだと思っています

【小早川奈津子】
[状態]右腕損傷(完治まで一日半)、たんこぶ、生物兵器感染、仮死状態
[装備]ブルートザオガー(灼眼のシャナ)
[道具]デイパック(支給品一式、パン三食分、水1500ml)
[思考]意識不明
[備考]服は石油製品ではないので、生物兵器の影響なし
   約九時間後までなっちゃんに接触した人物の服が分解されます
   九時間以内に再着用した服も、石油製品なら分解されます
   感染者は肩こり・腰痛・疲労が回復します
   停止心掌は致命傷には至っていませんが、仮死状態になりました

910修正した ◆CDh8kojB1Q:2007/03/04(日) 20:21:39 ID:9yaTnsNo
意見くれた人達に感謝
上手く修正できてることを願う

911汝は村人なりや?  ◇MXjjRBLcoQ:2007/04/13(金) 19:37:32 ID:SHfj1tFw
 口うるさい相棒がいないことが少し、本当に少しだけ悔やまれた。
 風が吹いている。
 雲は流れ、木々がざわめき、そして過ぎ去る。
 やっぱり交渉は不快だった、ギギナへ明確に欠落を突きつける。
 彼はあまりにも完成していた。完成した人格なんて閉殻だ。外に繋がる‘手’を持たない。
 彼にはいくらかの嗜みがあったし、美貌があったし、なにより強い。
 そういう物がつなぐ人たちは多かった。
 だけど、損とか得とか、羨望とか賛美とか、そういうものじゃない繋がり方は、今はもうジオルグ咒式事務所と一緒にギギナの中のお墓の下で眠っている。
 張り付くような同情は醜いと吐き捨てた。
 依頼主や敵との関係はすべて相方に押し付けてきた。
 縋り付くような親愛は煩わしいかった。
 放埓に遊び、愛が始まる前に切り捨てた。
 馬鹿らしいにもほどがあるけど、孤独な記憶が心に浮かんだ。
 そんな思考が中断される。
 地響きと、それに続く大きな咒式の波に晒されて。
 地下の通路は湿っぽい。空気自体は生ぬるいのに、結露の水滴が身体の芯から熱を奪う。
 ここは薄暗い、上に大きな穴ががあいてるけど、曇り空はとても暗くて、逆にここだけ光が吸い取られてる感じ。
 だから、ソレが、余計に惨めに見える。
 ものすごく初歩的で、それでも全部の咒式士が逃げられないリスクの結末。
 そこには、戦う人たちの持つ美しさとか、誇りとか、綺麗なものはどこにも無い。
「コレが貴様の成れ果てか? クエロ・ラディーン」
 ‘亡骸’は答えてくれない。
 ただ血の泡のノイズを撒き散らしながら、ゆっくりと収束していく呼吸音。
 身体から血が、その脈動を刻みながら零れ落ちる。
 穴の開いた右肺は、もう空気と血液によって完全に潰れていた。
 致命的な、しかし手遅れではない一撃。
 でも、「咒式ならば」まだ間に合う一撃。
 ネレトーの撃鉄に指がかかる。切先が、クエロの傷口に浅く刺さる。
 それでも、咒式が発動することは無い。
 そんなことをする意味も無い。
「すでに答える言葉も無いか」
 彼女の瞳は、彼の美貌を映していた。
 ただの鏡と変わらない。憎悪もなければ恐怖も無い、一欠けらの意思も無い眼が彼の憎悪を映していた。
「ならば、なぜ私はこの瞬間に」
 ここに在るのはただの死体。
 自らの限界を見誤り、自らの咒式に心を喰われた、哀れな弱者の惨めな末路。
「貴様を切り捨てていないのだろうな」

912汝は村人なりや?  ◇MXjjRBLcoQ:2007/04/13(金) 19:38:50 ID:SHfj1tFw
 戦うところで、躊躇とか逡巡が彼の足をとめることは無い。
 だからコレは余興だった。少し、昔しのことを思い出したから。
 彼の相方なら、散々迷った挙句生かそうとする。いや、生かしてくれと頼み込む。
 自分では何一つ救えない相方は何時だって、惨めに、卑屈に、醜悪に彼にどうでもいいような他人の命を請う。
 果汁に溶け込んだ鉛のような、度し難い程の己に対する甘さで、誇りを汚す毒物を撒き散らす。
 生成系弾頭がない、そんなものは根拠にならない。
 咒式抵抗の無い身体など、彼にかかれば肉の塊だ。
 その気があるなら刻んで、繋げて、弄繰り回せば、この程度の致命傷なんて殺さず済ますぐらい簡単。
 不可思議が跳梁跋扈するこの島なら、あるいは何かを、弔いたい人のことやその仇のことを引き出せるかもしれない。
 それともこれは復讐心なのか、とも考えた。
 生かせば、彼女は保護されるものとして、立ち上がろうとする人たちを支え慰めるし、もしかしたらそれこそ醜い人たちの慰みモノになる。
 いや、そんな回りくどいことでもないか、とため息一つ。
 コレを生き永らえさせるだけで彼の復讐心は満たせる。戦う彼女を切り刻むより気が利いているのかもしれなかった。
 撃鉄に指に力がこもる。金属の感触は夜露にぬれて氷みたいだった。
 彼だって気付いている。
 交渉をするということは、彼の相方に引きずらるという事。そうなって心に渦巻くのは、力の無い愚者の預言。
 保険と後付で彩られた唾棄すべきもの。
 彼の理想はいつだって美しい。なぜならそこに弱者は居らず、故に醜悪なものはその存在を許されない。
 あるのは明快で、血塗られた決断だけだ。
 迷いはあの眼鏡置きの悪癖。
 彼ははいつだって、それを両断してきた。
 両断していれば間違いは無かった。
(でもさ、こういうたわいもない話すら出来ないから……)
「クエロ、いつか貴様も言っていたな」
 汚れなければわからない心があった。
 美しいままでは聴こえない言葉があった。
「だがやはり私には不要のものだ」
 
――銃声。

 回転式大口径とは程遠い、高く、軽く、洗練された発砲音。
 そして大質量の衝突が引き起こす多重音声。
 彼は第七階位を過信していた。彼女が、処刑人が仕留めそこなうことなど夢想だにしていなかった。
 近くにいて、先ほどの地響きに気付かないほうがおかしい。
 戦っているのはは十中八九彼女も殺す‘乗った’化物。
 彼は両断された昔の仲間を一瞥し、その手元に握られたマグナスを一瞥。
 そして彼は笑った。獰猛に、野蛮に、高貴に笑った。
 ほんの少しだけ、悲しかったけど。

913名も無き黒幕さん:2007/04/14(土) 08:14:25 ID:G1oi.Ois
誤字部分
>>911
17行目「上に大きな穴ががあいてるけど」
11行目「煩わしいかった」←誤字じゃないのならすみません
>>912
4行目「戦っているのはは」
2行目「昔し」←誤字じゃないのならすみません
16行目「引きずらる」←誤字じゃないのなら(略

914913訂正:2007/04/14(土) 08:15:34 ID:G1oi.Ois
最後から4行目「戦っているのはは」

915汝は村人なりや?  ◇MXjjRBLcoQ:2007/04/16(月) 15:29:38 ID:SHfj1tFw
あんなに見直したのに orz
ご指摘ありがとうございます

916名も無きヶ原の食鬼少女 ◇MXjjRBLcoQ:2007/05/20(日) 16:21:07 ID:SHfj1tFw
 思い至ったのは城門から結構過ぎたあたりだった。
「そうね」
 死体を振り返り、ふむとカーラは顎をなでる。
「調べるにはやはり試料がいるわ」
 その場でくるりとターン、遺体のもと、城門の方へと戻る。体が軽いと風まで心地いい。
 しかし、そばに立ってみると存外に損壊が酷い。
 体中に穴が開いたそれは使われた得物がわからない。傷の位置関係を見ると矢傷に近いが、
「背中側のほうが酷いわね、未知の射撃武器といったところかしら」
 なんにせよ、この体、この反応速度なら大丈夫だろう。
 むしろ血が流れきっているのは僥倖だ。保存も効き、なにより‘作業’がしやすい。
 さて、と彼女はおもむろに遺体の前に膝をつき、その腕を検める。
 穴の開いた袖を引きちぎった。白い肌と、刻印が露出する。
「死後も残るようね、さて、どこまですれば運べるかしら」
 刺青、といったものでないのは見れば判る。が、物は試しだ。
 死斑の浮かぶ皮膚に指を沿わせ、わずかに力をこめた。
――チキ、チキチキキ
 剥き出しになった爪を立てて、引く。
 生きた肉とは異なる感触が、腕にしみるようで気持ちが悪い。
 刻印はあいも変わらずそこにある。
「腕ごと千切れば持ち運べるかしら」
 腕を持ち直し、今度は二の腕の半ば当たりに、もう一度爪を立てた。
 まだら模様の皮膚を破り、硬くなった肉を毟る。
 あらわになった骨を
「ん」
 捻る。
 わずかな手ごたえを残して、もげた。
 果たして刻印は彼女の手の中、もぎ取った腕の上に浮かんでいる。
 今度はうまくいった。
 うなずいて、紙で傷口を包みディパックにしまう。裸のままで持ち歩くのはいささか気が引ける。
 清潔なの布も出来ればいいので探しておこう。
 血漿と肉片を払って、立ち上がった。
 そんなに時間をかけたつもりはなかったが、見上げれば空は綺麗に晴れ上がっていた。
 月は無い。並びの異なる星星が所在なく輝いて見えた。
 いつまでも惚けてはいられない。
「ほかにも埋葬されてない死体があるといっていたし、もう2,3本用意出来るといいけど」
 埋葬されたものは避けたい、傷に土がついた死体は腐敗が早い。
 つぶやいて、先ほどのダークエルフとの会話を思い返す。
 次の死体は森の脇、奇妙な建物の近くにあるといっていた。

917名も無きヶ原の食鬼少女 ◇MXjjRBLcoQ:2007/05/20(日) 16:22:01 ID:SHfj1tFw
 さて、彼女の目標のひとつに火乃香の殺害がある。すべてはロードスの安定のため。
 神の恵みである身体を捨て、信仰という名の心を捨てても守りたかったもの。
 カーラはわずかに遠くに立つ影をじっと眺めた。
 ゴーレムで作ったと思しき家の解析や地下遺跡の調査で不本意に時間を食ったが、この出会いのためと思えば納得できる。
 体のポテンシャルが高いからか、徒党を前にしてもはやる心は定まらない。
 敵は3人。見た目では火乃香と赤い髪の男が前衛、お下げの少年が後衛といったところだろう。
 ワンドの類は持たない、おそらくはプリースト、いや、ここではその区別は捨てたほうがいい。
 彼らは街路樹に何かをくくりつけていた。お下げの少年と赤い髪の男があーでもないこーでもないと騒いでいる。
 勤めて冷静に、勤めて油断を排して、精神力を消費してもコンシール・セルフを張っておく。
 と、張ると同時に彼女達が動いた。道をはずれ、倉庫のほうへと向かっていく。
 なるべく気配を殺して、街路樹に駆け寄った。
 白い、透明な袋がつるされていた。
 ご丁寧にも懐中灯が入っていて、非常に目立つ。
 センスマッジックで調べるが特に呪いの類は見当たらない。
 罠の気配は、無い。それでも慎重に、封を切る。
 それはメモの束だった。全部で10枚ほど。
 ご苦労なことだと、思う。これだけ書き写すのにもだいぶ時間を食っただろう。
「さて、それだけ価値のあるものなのかしら」
 メモは5枚の連番が2セットといったものだった。めくれば1から5のナンバーが繰り返す。
 改めて、内容に目を向けて、カーラは思わず顔をしかめた。
 まずもって書いてることが理解できない。
 やたらに記号が並んでいる、形態としてはラーダ信者の学術書に似たものがあったが意味がわからなければ同じこと。
 眉をしかめて次のページへ。
 今度はさまざまな図形。理論回路やら構成やらと書かれているが、カーラの知識に近くで言えば魔法陣の解析図のようなものだろう。
 もうコレが何なのかは想像がつく。
 天秤は、いまや圧倒的に傾き始めた。
 彼女達は進みすぎている。
 残りも流すようにめくっていき、おもむろに一枚を手に取った。
「アンチロックのようでアンチマジックか、それともリムーブカース?」
 ここらへんに知識が無いのだろう。術式に無駄が多い、精霊魔術を古代神聖語で行っているようなものだ。
 あるいは、そういう形態の魔法なのかもしれない。たしかに無駄が多いが、その無駄は隙間なく、緻密で、体系が建っている。
 が、完全にジャンクなところがあるのはいかがなものか。
 ディスティングレートやデスクラウドに近い術式はわかる、おそらくこれが‘首輪’だ。しかし、
「どうみてもトランスレイトとタングね」
 解除式になぜコレがいるのかがわからない。
 書き込み具合からしてむしろ手をもてあましてる感すらある、となると。
「これは刻印の機能かしら」
 考えてみれば当たり前な話だ。異世界の人間で話が通じ文字が読めるほうがどうかしている。
「わかっているのかしらね、このこと」
 刻印はただ解除すればいいものでもないようだ。
 ほかにもゲーム進行のための、参加者に不可欠な機能が無いとも限らない。
 天秤はつりあった。総合してみれば刻印解除は程遠いだろう。放置するのがいい。
 解析が進むようなら成果だけ奪って殺せばいい、進まないなら手を貸してあげるのもいいだろう。
 もう一度彼女たちのほうを見た、倉庫をぬけ、C-4へと入っている。
「追跡は、危険ね」
 今すぐ同行する気はないのならつける必要も無いだろう。
 魂砕きの行方も気になるし、今後のためにアシュラムの情報も集めておいたほうがいいだろう。
 魔法でマーカーだけつけておき、残りのメモを街路樹に戻す、懐中灯の光から逃れるように離れる。
 星明りに目を細めカーラは暗がりの中へと消えていった。

918名も無きヶ原の食鬼少女 ◇MXjjRBLcoQ:2007/05/20(日) 16:23:37 ID:SHfj1tFw
   ☆★☆

(情報制御反応、ロスト)
 I-ブレインが敵の離脱を告げる。
 後ろを振り返る、街路樹のそばには相変わらず影も見えない。
「行った、みたいだな」
「だね」
 少女が、ヘイズに額を仄かに輝かせて同意した。
「アレぐらいわかりやすかったらいいんだがな」
 コミクロンもお下げをもてあそびながら背後を確認する。
 ヘイズは苦笑した、ヘイズもコミクロンもどちらかといえばあからさまな情報制御の使い手だ。
 世界には物質としての側面と情報としての側面がある。
 魔術・魔法というものは、なべて情報側からのアプローチだ。
 書き込みこそ行わないもののヘイズとてポート持ちの魔法士。
 あれほど露骨な情報制御を行われては気付かずにはいられない。
「メモに興味持ってくれたみたいだし、その気があるなら向こうから接触するだろ」
 そう締めくくって、先へと進む。
 が、一人火乃香が立ち止まる。
「どうした、早速もっどてきたか?」
 怪訝そうにたずねるコミクロンに、火乃香は首を振った。
「いやそうじゃなくてさ」
 いい難そうに笑いながら、頬をかく。
「昼間にね、登ってみたのよ、あの木さ。シャーネは登ってこなかったかど、楽しそうにしてた」
 そういって、二人のほうへと向き直った。立ち止まる二人を追い抜てすすむ。
「んで、すぐにあんたら二人が襲ってきた」
 振り返っていたずらっぽく笑う。
「ただの感傷だよ。行こう」
 そして彼女は前へとあるきだした。
 ヘイズもコミクロンも、苦笑して着いていく。
「あ」
 唐突に、火乃香が立ち止まる。
「なんだ、今度は?」
「いやさ、ふと思ったんだけどさ、あれ、見られちゃまずいんじゃないかな?」
 誰にとは言わない、言ったらまずいし、確かにまずい、見られたら殺されるかもしれない、管理者達に。
「……回収しとくか、ヴァーミリオン」
「だな」
 誰も反対はしなかった。

919名も無きヶ原の食鬼少女 ◇MXjjRBLcoQ:2007/05/20(日) 16:24:53 ID:SHfj1tFw
【F-5/街道/1日目・22:20頃】

【福沢祐巳(カーラ)】
[状態]: 食鬼人化
[装備]: サークレット、貫頭衣姿、魔法のワンド
[道具]: ロザリオ、デイパック(支給品入り/食料減) 刻印解除構成式のメモワンセット 
     腕付の刻印×3(ウエイバー、鳳月、緑麗)
[思考]: フォーセリアに影響を及ぼしそうな者を一人残らず潰す計画を立て、
     (現在の目標:火乃香、黒幕『神野陰之』)
     そのために必要な人員(十叶詠子 他)、物品(“魂砕き”)を捜索・確保する。
[備考]: 黒幕の存在を知る。刻印に盗聴機能があるらしいことは知っているが特に調べてはいない。
     

【E-4/倉庫脇/1日目・22:20頃】
【戦慄舞闘団】
【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:有機コード、デイパック(支給品一式・パン6食分・水1100ml)
    船長室で見つけた積み荷の目録
[思考]:様子を見に行く。ただし慎重に。
[備考]:刻印の性能に気付いています。ダナティアの放送を妄信していない。

【火乃香】
[状態]:健康
[装備]:騎士剣・陰
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1400ml)
[思考]:様子を見に行く。ただし慎重に。

【コミクロン】
[状態]:右腕が動かない。
[装備]:エドゲイン君
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1000ml) 未完成の刻印解除構成式(頭の中)
    刻印解除構成式のメモ数枚
[思考]:様子を見に行く。ただし慎重に。
[備考]:かなりの血で染まった白衣を着ています。

[チーム備考]:火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
       解除メモのうち数枚に魔力の目印がついています。ロケーション等により位置バレの可能性があります。
[チーム行動予定]:EDとエンブリオを探している。刻印の情報を集める。
         大集団の様子を見に行く。ただし慎重に。

920All I need is (11/11)  ◆l8jfhXC/BA:2007/06/09(土) 22:33:15 ID:eWecrE.w
【F-1/格納庫への地下通路/1日目・23:30頃】
【李淑芳】
[状態]:左腕に深い裂傷(血は止まっているが、傷は癒えておらず痛みがある。動かせない)
    服が血塗れ、左袖が焼失。左腕に止血の符と包帯を巻いている。
    精神の根本的な部分が狂い始めているが、表面的には冷静さを失っていない。
[装備]:呪符(5枚)
[道具]:デイパック(支給品一式・パン4食分・水800ml)、自殺志願(少し焦げている)、
    由乃の死体の調査結果をまとめたメモ
[思考]:玻璃壇で周囲の参加者の様子を確認した後、遊園地から離れる。符を作り直して休憩を取る。
    外道らしく振る舞い、戦いを通じて参加者たちを成長させ、アマワを討たせる。
    アマワに立ち向かえないと思った人間の命は考慮しない。
    役立ちそうな情報を書き記し、託せるように残す
[備考]:第三回放送を途中から憶えていません(禁止エリアは知っている)。『神の叡智』を得ています。
    契約者ではありませんが、『君は仲間を失っていく』と言って、アマワが未来を約束しています。

【F-2/井戸の中/1日目・23:30頃】
【零崎人識】
[状態]:気絶中。全身に大火傷。
[装備]:圏(身体を拘束されている)
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分。一部が濡れているおそれあり)
    砥石、小説「人間失格」(一度落として汚れた)
[思考]:島の南方面を探索。
    悠二、シュバイツァー(名前は知らない)の知人に出会ったら倉庫に連れて帰る。
    気まぐれで佐山に協力。参加者はなるべく殺さないよう努力する。
[備考]:記憶と連れ去られた時期に疑問を持っています。

※エルメス、草の獣(複数の符をつけて強化された紐で拘束済)は遊園地のどこかに隠されています。
※草の獣が得た情報は、すべてムキチに伝わっています。

921私は平和な世界に飽き飽きしていました(1/7) ◆5KqBC89beU:2007/08/01(水) 16:59:22 ID:4TxSn20Y
 長い廊下がある。
 通路の内装は、無用に自己主張しすぎることなく、それでいて品の良いものだ。
 一定の間隔で設置された照明さえも、見事に機能美を表現していた。
 屋外の風景は見えない。左右の壁には延々と扉が並び、視界内には窓がない。
 雨音と雷鳴が、遠く響く。
 四つの靴が床を踏む音は、ほとんど絨毯が消していた。
 足早に歩く女と、その背を追う男が、言葉を交わしつつ直進していく。
「いやぁ、それにしても、大変なことになっていたんですねぇ」
 頼りなさげな微苦笑を浮かべて、神父の格好をした男は無駄口を叩いている。
 眼鏡をかけた彼の名は、アベル・ナイトロードという。
 頬をかく人差し指が、これ以上ないくらいに腑抜けた雰囲気を醸し出していた。
「言わずとも済むことをいちいち口に出すでない。不愉快じゃ」
 顔をしかめて美貌を台無しにしながら、天使である女は言う。
 喪服姿の彼女のことを、バベルちゃんと呼ぶ者は呼ぶ。
 頭に生えた立派な角は、ひょっとすると普段より鋭く尖っていたかもしれない。
「ところで」
「何じゃ?」
 視線を合わせることすらせず、彼と彼女は会話する。歩調は減速しそうにない。
「この一件が解決したら……あなたがたは、それからどうするんですか?」
「解決してから話してやろう。頼むから、しばらく黙っていてくれぬか」
 苛立った声で告げられた拒絶を、彼は平然と受け流した。
「そんなこと言わずに教えてくださいよ。聖職者が天使様のことを知りたがるのは、
 当たり前じゃないですか。すごく気になるんですよ」
「この場の空気さえ読めぬ者が、一人前の神父として働けるとは思えんのじゃが」
 女の酷評を理解していないかのように、男が舌を蠢かせる。

922私は平和な世界に飽き飽きしていました(2/7) ◆5KqBC89beU:2007/08/01(水) 17:00:37 ID:4TxSn20Y
「やっぱり以前の任務を再開するんですか? 不老不死を人間の手から奪うために」

 そう言って、アベル・ナイトロードを装っていたそれは立ち止まった。

 女の体が石像のごとく硬直し、次の瞬間には振り返って臨戦態勢をとる。
「そなた、いったい何者じゃ? どうして極秘任務の内容を知っている?」
 その冒涜的な“何か”は、もうアベルを演じていない。
「私は御遣いだ。これは御遣いの言葉だ。……質問に答えよう、愚かな天使」
 アベルの声で、アベルの姿で、アベルのようなものが宣う。
「かつて答えた問いには、過去と同じ答えを返す。君に返答を確約するのは一度だけ
 だが、既出の質問については数に入れない。薔薇十字騎士団よりも上位に在る者、
 あの殺し合いを望んだ者、それがわたしだ。名が要るならばアマワと呼べ」
 命を弄ぶ者どもの首魁が、今ここにいる。
「!?」
 それは、アベル・ナイトロードではない。
 ならば、現在地がミラノ公の館であるとは限らない。
 そして、この世界が薔薇十字騎士団の出身地だという確証もない。
 もはや、ここへの来訪を提案した、眼帯の天使が無事なのか否かも判らない。
 だから、天使の組織を束ねる議長ともあろう者が、自身の判断さえも信じられない。
 問いに答えるため、御遣いは無表情に口を開く。
「厳重に秘されているはずの情報を漏らしたのは、君たちが『神』と呼んでいる者だ。
 あれはわたしの協力者であるが故に、必要な知識はあらかじめ伝えられている」
「デタラメを言いおって!」
 語気を荒げて、女が叫ぶ。
「認めないのは君の勝手だが、永遠に、その解釈は正しいと証明できない」
 応じる口調には、何の感慨も込められていない。

923私は平和な世界に飽き飽きしていました(3/7) ◆5KqBC89beU:2007/08/01(水) 17:01:53 ID:4TxSn20Y
「嘘じゃ! わらわたちが捨てられたなど!」
 悲鳴のような糾弾からは、今にも熱が消えそうだった。
「君たちは、あれの被造物であり、不要になれば処分される玩具でしかない。そして、
 捨てられる理由は、主たる『神』の命令よりも同胞の幸福を優先した故にではない。
 そもそも、君たちは『神』へ反逆できるよう設計されていた。あれがそれを望んで、
 そうなるように創ったからだ。君たちは失敗作ではない。飽きられたから捨てられる
 だけの消耗品だ。いつか廃棄されることまで、創造された時点で決まっていた」
「そ……そんなことなどあるものか!」
 女の顔面には、憤怒よりも、焦燥と狼狽の色が濃く滲んでいる。
「本当に? 君は本当にそうだと思っているか?」
 毒の滴るような笑みをアベルの顔が浮かべ、その容姿が別人のものに変わる。
「今、ここには、君たちが『神』と呼ぶあれの力が届いていない」
 眼帯をした天使の姿で、御遣いは語る。
 噛みしめられた女の奥歯が、耐えきれずに軋みをあげる。
「だから、あれの影響で認識できなかった真実が、今の君には理解できる」
 モヒカン頭な天使の姿で、御遣いは述べる。
 握りしめられた女の手指が、掌に爪を食い込ませていく。
「もう一度よく考えろ」
 目の下にクマのある、羊の角を生やした天使の姿で、御遣いはささやく。
「あれは本当に君たちの味方か?」
「っ」
 娘の姿をしたそれを、女は攻撃できなかった。
「不老不死の薬を創るはずの草壁桜に、時を遡って干渉し、歴史を改変する。それが
 君たちに望まれている役目だった。ならば、それが成功すればどうなるか。歴史は
 改変され、“不老不死の薬が創られた世界にいた君”は消える。改変された未来で、
 誰かが、過去の世界に行った天使を見つける。その天使は歴史を改変した当事者だ」
 女の内側で、大切な何かに亀裂が入った。

924私は平和な世界に飽き飽きしていました(4/7) ◆5KqBC89beU:2007/08/01(水) 17:03:02 ID:4TxSn20Y
 いつの間にか、周囲からは多くのものが見えなくなっている。
 壁も扉も天井も照明も床も絨毯も、ない。
「いずれ多くの人間を助けられるかもしれなかった、大罪など犯していない草壁桜に、
 天使が酷いことをしていたわけだ。理由を訊けば、『何故か自分でも判らない』と
 言うかもしれないし、『彼が不老不死の薬を創れないように邪魔しただけ』と言う
 かもしれない。改変された者たちにとっては、どちらだろうと精神病患者の妄言だ。
 歴史を改変したその天使は、間違いなく悲惨な末路を辿る」
 長い廊下など、どこにも存在していない。
「君たちが『神』と呼ぶあれは、歴史が改変されても改変以前の記憶を失わないが、
 その天使を絶対に庇わない。不要だからだ。代わりならいくらでも創れるのだから、
 薄汚れた玩具など壊れてしまえばいい――あれはそう考える」
 雨音も雷鳴も既にない。
「草壁桜が“不老不死の薬を創れる程度の能力”を持っていたのも、それが放置された
 のも、君たちが『神』と呼ぶあれが原因だ。あの一件は、あれの戯れでしかない。
 草壁桜の存在そのものを抹消することさえ、あれがその気になりさえすれば一瞬で
 片が付く雑事だ」
 もう真実しか聞こえない。
「君が指揮する勢力は草壁桜の命を狙い、三塚井ドクロはそれを阻止しつつ歴史を改変
 しようとしている。だが、草壁桜の学業を妨害せずとも、三塚井ドクロは歴史を改変
 できる。三塚井ドクロは撲殺天使――草壁桜を撲殺し再生する者だ。自覚などしては
 いまいが、彼女の能力で人間を完全に復活させることはできない。限りなく本物に
 近い偽物を、本物の残骸を材料にして造る程度が精一杯だ。死と再生が繰り返される
 ごとに、誤差は蓄積されていく。復元されるたびに、草壁桜と呼ばれているそれは、
 人間ではないものになっていく。君たちの世界では、精神的刺激によって成分不明の
 体液を垂れ流す生物を人間とは定義していまい。撲殺して造り直して、それを何度も
 続ければ、“不老不死の薬を創れる程度の能力”もまた徐々に失われていく」

925私は平和な世界に飽き飽きしていました(5/7) ◆5KqBC89beU:2007/08/01(水) 17:03:58 ID:4TxSn20Y
 無数のモノリスが乱立する闇の荒野で、御遣いが天使に言う。
「草壁桜は三塚井ドクロと出会った日に殺された。その日、草壁桜の死体を元にして
 造られたのは草壁桜の紛い物だ。君が殺そうとしていたのは草壁桜の成れの果てだ。
 すべては、あれがそうなるように望んだからだ」
 この領域を、御遣いの盟友は“無名の庵”と呼称している。
 視界を妨げることのない異界の闇に包まれ、疲れきった声で女はつぶやいた。
「……何故、そのようなことをわらわに話すのじゃ?」
 女の娘を模した御遣いが、わずかに顔をしかめた。
「君たちの『神』は、己の創った玩具が壊れていく様子を楽しんでいる。確かにあれは
 わたしの協力者だが、決してわたしの友ではない。あれは観客だ。余計なことはせず
 必要最低限の代価は支払うが代価以上の尽力はしない。邪魔されぬよう、あれ好みの
 惨劇を見物させて、機嫌をとるべき相手ですらある。この話もそんな惨劇の一幕だ。
 わたしが望みを叶えても叶えられなくても、そこに惨劇があるのなら、あれは何も
 手出しをしない。君たちの『神』は、わたしも君も救わない。あれは誰も救わない」
 ついに、女の内側で、核であり要でもあった部分が砕けていく。
 澄んだ音を響かせて、数条の光が女の背から生えた。
 光で形作られた翼は、まるで女を突き刺す白刃のようだ。
 天使の力が暴走し、浪費されている。
 女の肉体が、少しずつ透け始める。
「消滅に至る病、『天使の憂鬱』――これも『神』が望んだものか」
「必要な知識はすべて伝えられている。『天使の憂鬱』を発病させる方法も教わった」
 御遣いの視線は、学者が実験動物を見るときのそれに似ていた。

926私は平和な世界に飽き飽きしていました(6/7) ◆5KqBC89beU:2007/08/01(水) 17:05:01 ID:4TxSn20Y
 とある世界において、天使とは観念的な存在だ。
 その世界の天使にとって、肉体とは、存在力によって構成されるものでしかない。
存在力の源は、天使自身の個性――己の在るべき姿を自覚し、具象化する意思の力だ。
 その世界の天使は、『神』の領域以外の場所では、少しずつ存在を蝕まれていく。
帰郷して静養し、自分の個性を再確認しない限り、病状は悪化し続ける。己の個性を
忘れて体調を崩した天使は、『神』の領域の外に滞在し続けるだけで消滅する。
 己の生まれた世界の地上にいてさえ蝕まれてしまう天使は、異界の中に留まれない。
しかも、『神』の悪意をもって精神を蹂躙されては、意思の力などすぐ尽き果てる。
「わらわたちは、滅ぶのじゃろうか?」
「三塚井ドクロ以外の、君の同胞たちは、すべて君と同じように処分した」
 女の頬を濡らす雫は、地面に落ちることなく光の粒となって散り続けた。
 ただ静かに泣く女へ、御遣いは言う。
「君が刻印に小細工をしたとき、君たちの『神』は大喜びしていた。君のせいで刻印の
 機能は安定性を失い、参加者たちの能力には大幅な格差が生まれた。三塚井ドクロの
 刻印が本来の効果を発揮しきれていなくても不自然ではない状況を作るためだけに、
 君は他の参加者全員を巻き添えにした。同胞以外の参加者たちが、どんなに理不尽な
 目に遭おうとも気にしなかった。冷酷な君を、君たちの『神』は得意げに自慢した」
「…………!」
「君が刻印に施した小細工についても、デイパックのどれかに君が忍ばせた紙と鍵に
 ついても、そのまま放置してあるし、薔薇十字騎士団が君の規則違反を知ることは
 最後までない。君たちの『神』がそれを願い、その要望がわたしの目的と競合しない
 以上、紙と鍵を持った参加者が薔薇十字騎士団の居場所に踏み込んでも、わたしは
 管理者を守らない。わたしの友も、君たちの『神』も、管理者には加勢しない」
「親切すぎて胡散くさいとしか言えぬ。そなた、すべてを語ってはおるまい?」

927私は平和な世界に飽き飽きしていました(7/7) ◆5KqBC89beU:2007/08/01(水) 17:07:45 ID:4TxSn20Y
「その通りだ、賢しい天使。元々、用が済めば薔薇十字騎士団は始末する予定だった。
 結果が同じならば過程はどうでも構わない。無論、君にはそれ相応の報いを今から
 わたしが与える」
「何を今さら――」
「君の小細工によって、三塚井ドクロの刻印は正常な効力を発揮しなくなっていく。
 ただの人間を撲殺できなかった彼女の腕力は、非常識で致命的な破壊力を取り戻す。
 灰から煙草を作ることすら不可能だった彼女の能力は、故障中の機械を材料にして
 問題なく稼動する機械を作れるほどに蘇る。怪我をしても自力で回復できるように
 なる。自身を弱体化させている力への拒絶反応が、攻撃衝動を活性化させ、生存率を
 上げる。ほとんどの参加者たちは、制限の緩い彼女を殺せない。しかし、刻印の力は
 参加者を害するものばかりではない。三塚井ドクロの刻印は、もはや彼女の精神から
 違和感を取り除かない。『本来の自分はこんな風ではなかった』と彼女は常に思う」
 透けて薄れていく女の顔が、絶望に歪んだ。
「故に、彼女は己の個性を見失う。『天使の憂鬱』を発病しても、優勝しない限り、
 帰郷は許されない。君たちの『神』は、大いに嬉しがっている」
 天使は、いなくなった。
 御遣いだけが、闇の荒野に立っている。
「君たちの“消滅”が死であるとは、誰も証明できていない。元の世界からいなくなり
 二度と戻ってこないだけだ。生も死も観測されていないなら、それは未知だ。肉体を
 失って、余分なものを削ぎ落とした君たちは、わたしに近しい存在ではないのか?
 ……未知になった君たちは、わたしに心の実在を証明できるだろうか?」
 闇の荒野には、誰もいなくなった。


【X-?/無名の庵/1日目・19:30頃】
【バベルちゃんを含む管理者側の天使たち 消滅】

※薔薇十字騎士団以外のトリニティ・ブラッド勢は、すべて黒幕による幻影でした。

928名も無き黒幕さん:2007/09/01(土) 19:26:05 ID:SHfj1tFw
 風見は闇の中に去り行く二人の姿を見送った。
 彼女達と戦うには理由が無くて、説得するにも通じる論拠が無かった。
 疲労と、それ以上に重い感情の残滓を抱えて、風見は彼女たちを見送る。
 二人の足取りは森の中なのに躓いたりよろめいたりはしなかった。
 歩きなれてるのか運動神経がいいのかそんなとこなのだろう。
 だけど、風見にはそうと素直に受け取ることはできなかった。
 去っていく二人の姿はなんだかとても現実感が希薄で、二人ともふわふわと宙に浮いてるようだ。
 まるでも木霊でも追っているような気分になる。
 ふっと消えて、目をこすっている間にそこにいる。
 木陰と月影の網目の中で、見え隠れする二人の後ろ姿はいつの間にか現われて、瞬きすれば消えてしまう。
 まるでまれびとのみたいでひどく綺麗で、儚く、空恐ろしかった。
 と、不意に、少女のほうが振り返った。仄かに青い光を受けて、その姿がくっきりと浮かび上がる。
 ぼうっとした闇の中に浮かんでいるみたいだと思う。目が合い、風見の視線に、にっこりと笑みで答える。
 ぞく、と生ぬるい寒気が走った。あの目は良くない、攫われてしまいそうになる。
 こちらの怯えに少し、悲しそうな目を返され、風見の胸がチクリと痛んだが、かける言葉もないうちに、
ふたたび暗闇の中に溶けるように消えていって、もう現れることはなかった。
 さわり、と森の向こうに風が吹く。
 木々のざわめきが、雲の流れる音が響く。
 まるで、音のなかった世界が声を取り戻したみたいに、音が辺りを包んだ。
 でも森の奥に、風は届かない。
 風見は大きく溜息を吐いた。
 緊張とか、後悔とか、不安とか、とにかくすべて吐き出したかったけど、胸にわだかる澱のような気分はため息ぐらいでは吹き飛ばせない。
 それこそ煙のように風見の周りを漂うだけだ。
 風がほしいな、風見は切にそう思う。
 本当にいろいろなことがありすぎて感情が自力ではリセットできそうになかった。
(放送まであと十分ちょっとか)
 中途半端な時間だ。振り返るには短すぎるが、抱えて、気まずいまま過ぎるを待つにはあまりに長い。
 それでも、煙のような疲労を振り払って語りかけるような力は、もう風見の中からわきあがってはこなかった。
 なんだかひどくもがき疲れてしまったみたいに心が重い。
 肉より感情のほうが摩耗している。あまりに強い感情の連打に、神経がへこみっぱなしのボタンのように沈黙してる。
 コトバ
 風がほしい、と風見は思った。                              フクシュウ
 いろいろなことなんて言ってみたけど、そんなことはない。風見を今苦しめてるのはたった一つの裏切りだ。
 受け身は柄じゃないと思われがちだ。こういう時、みんなが思い描く風見との距離を意識せずにはいられない。
 救いを期待すように、風見は待った。
 ブルーブレイカーが釈明するのを待っていた。
 答えはない。
「ブルーブレイカー」
 衝き動かされるように、風見は振り返り、声をかけた。
 言動両区はイラつくというよりも焦りに近い。
 BBは何も変わらぬ様子で……表情の見えない機械化歩兵が立っていた。
 何も答えずに、ただ自ずから然るいう風に立っていた。
 ふいに、ひどく癇に障った。
 見えないだけかもしれない、ブルーブレイカーには感情を表す機能はなく、風見には彼の感情を読み解くための機能がない。
 何事もない様ににしか見えなくて、そんなはずはないはずだと、風見の思考が囁く。
 そうだ、彼には、言わなければならない。
 何かが風見に囁いた。
 彼が言わないというのなら、言わせなければならない。
 実力行使だって厭う気はない。
 あれほど摩耗していたはずの感情がじわじわと風見ににじり寄った。

929名も無き黒幕さん:2007/09/01(土) 19:26:45 ID:SHfj1tFw
 今なら、拳が砕けてもブルーブレイカーを殴り続けられる確信がある。
「どういうつもり?」
 言わなければおさまりがつかない。
 自分でも理解できないほどの感情が風見を追い立てる。
「どういう?」
 そんな風見に、ブルーブレイカーは平然と切り返す。
 しらを切っているのか、本当に分かっていないのか、風見の曇った耳では合成音から判断できない。
 風見は沈黙で先を促す。
 これはある意味最後通告のつもりだった。
 お前はそんな奴だったのか、風見はそう尋ねたのだ。
 風見の中でブルーブレイカーはもっと高潔な存在だった。
 銃使いの少年との時、風見は死んでいた。諦める諦めないの前に、詰んでいた。自力では、どうしようもなく死んでいたのだ。
 だが風が吹いた。
 人でも、機竜でもない、深い群青の機体。
 飛ぶ姿は美しかった。
 人のカタチをした者ならだれもが憧れる、理想の結晶。
 風見は共感した。                        フォーム
 同じ飛ぶものとして、道こそ違うが真摯に飛ぶことを突き詰めた最適の運動。生身では再現不能のしかし明らかに人体を模した旋回性能。
 そして武神や機竜とは一線を画す、生物に近いサイズならではの繊細なモーション。
 それは、機能だけで見るならもう一人の風見だった。
 彼は風見に手を差し伸べた。
 戸惑いはした、疑いもした。けど、彼は当たり前に手を伸ばしてくれる者だと理解して、風見は嬉しかった。
 風見はあの時の気持ちを汚されたくはなかった。
 だから風見は待った。続く言葉を、否定の言葉を待った。
 そして、ブルーブレイカーの言葉は続くことないと悟った瞬間、風見はとうとうブチギレた。
「さっきの事よ!」
 千里はブルーブレイカーの首もとを掴み寄せて怒鳴った。
 そのまま押し込んだ腕と気迫はブルーブレイカーを一歩後退させ、背後の木に背中が当たる。
「あんな胸糞悪い見せ物を見物するのが趣味なわけ?」
 静かなどすの利いた声が出た。
「……そうらしいな」
 しかしブルーブレイカーは平然と答える。
 その態度が、何も恐れていないとは少し違う、そう、もう何にも興味がないといった態度が、さらに風見の不安と恐怖を掻き立てた。
「この……!」
 心臓が早鐘のようになり響く。
 填めるべき言葉が見つからない。今ある言葉では彼に絶対届かない。
 風見の頭脳は今までためてきたすべての言葉をかなぐり捨てて、ブルーブレイカーに届く弾丸を探し求める。
「だがおまえもそういう面は有るのではないか?」
 だが、それよりも早く、ブルーブレイカーの言葉が風見に届いた。
 思えば、最初からこうなることはわかっていた。
「魔女の言った通りの事が起きれば」
 小さく子爵の水音がした。 ひどく遠い音だった。
 都合のいい言葉を期待した時点で、風見は間違っていたのだ。
「EDの仮説は間違っていた。しずくはこの島に居た。そして殺された。
  ……そうなんだろう? 金の針先」
『オレの名はエンブリオだ。その呼び名でも間違ってるとはいえねぇけどな。
  それとその通りだよ。しずくとは短い間だが、一緒に居たのさ』

930名も無き黒幕さん:2007/09/01(土) 19:27:27 ID:SHfj1tFw
「………………」  
 子爵の飛沫の音が少し大きくなるだけの静寂。
 その音さえ、風見に届くにはあまりに遠すぎる。
 EDの仮説はBBを落ち着かせる為の虚説だった。
 最初に裏切られたのは彼だった。これは単なる終りの続き。最初からわかりきっていた、別離の幕開け。
「俺の片翼は失われた」
 子爵が弱々しく木を這い上がる音がするだけ。
 BBは喪失を噛み締め。
 千里は彼を責める言葉を見つけることは出来なかった。

 場の雰囲気を変えようとするかのようにエンブリオが軽い口調で喋り出す。
『最初にオレを持った奴は死んで、受け継いだ茉衣子は何人も巻き添えにして破滅しちまった。
  まったく、大した疫病神っぷりだと思わねえか?』
 子爵が流れ落ちて形になる音が……
『なあ。ちょっくらオレを壊して――』
『気を付けろ!』
「!?」
 自ら浮き上がる力が出ず、子爵は木に登って張り付く事で警告の文字を作りだした。
 その僅かなロスが決定的な差を作り出す。


「イーディー、いや、シーディーだな。そうか。つまり俺は、ようやく見つけたって事だ」
 ぞっとするほど近くから男の声がした。
 針の筵にも似た殺気が、 真っ暗な森を漆黒に塗りつぶす。
 風見が衝き動かされるように振り返った先に、立っていた。
「そしておまえらは運が悪い」
 顔には幽鬼の笑い。手を伸ばせば届く距離。足元には少女の亡骸。両手にハンティングナイフ。
 近寄れば気づけるはずだった。腐葉土未満の落ち葉、露だらけの下草。動けば、必ずなにがしかの音がするはずなのに。
「俺を敵に回してしまったんだからな」
 怪物が、忽然と立っていた。
 (ヤバイ……!)
 あまりにも出来すぎなエンカウントに、風見は全身が総毛だつのを感じた。
 きょうびB級映画でもお目にかかれないシチュエーション。笑えるぐらいにヤバすぎる。
 風見千里はBBに詰め寄り二人揃って態勢を崩してしまっている。
 子爵は先程受けた攻撃のダメージが思いの外大きいのかまともに動けない。
 そして怪物は、一息の間合いに立っていた。
 赤い青年が口を歪め劫火のような笑みを浮かべて告げる。

「さあ、狩りの始まりだ」
 風切る音もなく、銀光が走った。

931Long live the ―――― ◆685WtsbdmY:2007/09/29(土) 23:33:24 ID:JcqpINC.
――――録音開始。


呻き声。

再び呻き声。内容の聞き取れない、おそらくは悪態。

何者かが身じろぎする音。潜めようとして、潜めきれていない息遣い。
地面をマントの裾が擦過する音。消そうとして、消しきれていない足音。

『お? おおおっ?』

ごくり、と唾を飲みこむ音。一呼吸、二呼吸、三呼吸。

『く、ふははは。
 え〜と、なんだかよく分からんが、やはりこの俺様に仇なして無事にすむわけはなかったようだな。
 こいつめ、こいつめ』

どたどたとした足音に続いて軽い衝撃音。一度、二度、三度。

『まあ、これぐらいで良いだろう。さて、あれに見えるは俺様英雄の剣。まずは再びこの手に取り戻して
 ……ん?』

怒号。
悲鳴。
そして沈黙。


                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

932Long live the ―――― ◆685WtsbdmY:2007/09/29(土) 23:34:10 ID:JcqpINC.
「すいませんすいませんすいませんすいません」

ボルカンは謝っていた。とにかく謝っていた。ただひたすらに謝り続けていた。
大地に額をこすりつけて、見下ろす相手の慈悲を請う。無様だ、滑稽だ――何とでも言うがいい。
何せ、目の前にいるのは、日没から今まで自分を追い続けてきた相手なのだから。
ようやく倒れてくれたと思ったのに、今しもこの場を離れようとするタイミングで唐突に蘇った。
そのせいで、すでに地上と宙空を3回ほど往復し、両の頬にビンタをもらって真っ赤に腫らすはめになっている。
そう。ここはただただ媚びへつらいの一手。これ以上痛い目にあうなどまっぴらごめんだ。
幸いにして、目覚める前に何度か蹴りを入れられていたことには気付いていない様子。
それを悟られていたらこんなものではすまなかったに違いない。

「をっほほほほ。どうやら少しは反省したようね」
「反省しました」
「その言葉、嘘偽りは無いであろうな?」
「嘘偽りなどございません」
「これからはその重責から逃げることなく、誠心誠意、心をこめてあたくしに仕えると誓うかえ?」
「誓います誓います」

この答えは、怪女にとって一応満足できるものだったようだ。
鷹揚に頷くと、地べたにはいつくばるこちらを見下ろしてこのようにのたまった。

「よろしい。あたくしは不忠を決して許さないけれど、忠義には厚く報いる乙女よ。
 本来なら敵前逃亡と窃盗、あたくしへの不敬という天をも恐れぬ大罪をおかした由にて処刑するのが筋だけれど、
 今回は特別に許してしんぜよう」

そうして再び、化け物はあの「をほほほ」という奇怪な高笑いをあげた。いや、あげようとしたかに見えた。
が、傲然と口元に手をやったその瞬間、唐突に体を折ると、激しく咳込み始める。
口を押さえた手指の間から血が垂れるのが見て、ボルカンはあることにようやく気付いた。
(むぅ……奴は負傷している)
思えば、一言物を言うにも窓の隙間を風が吹き抜けるような音が混じっていた。
周囲が暗くて今の今まで気付かなかったが、よくよく見れば顔色も悪い。

「とにかく、まずはあたくしが休息するための寝所を用意するのよ」
「へ? あ、はい」
「それと、あたくしのことは 姫様と呼ぶように」

ボルカンは、ひっそりとため息をついて時計に目をやった。
(む? ……)
何か、この上もなく良い考えが、頭の中を通り過ぎたような気がして、ボルカンは必死で記憶を手繰りよせる。
この場所、そう遠くない時刻に何かが起きるはず。そして今、時計が指し示している時刻は――

「何をぼけっと突っ立っているの? さっさとおし」
「かしこまりました。え〜と、姫様」
「……そこで間をとるということは、あたくしを馬鹿にしているのかえ?」
「め、めめめ滅相もありやがらんでございますよ、はい」

――時刻は、20時00分。21時00分まであと一時間。


                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

933Long live the ―――― ◆685WtsbdmY:2007/09/29(土) 23:35:13 ID:JcqpINC.
「おお ナツコ・ザ・ドラゴンバスター♪ ……ここなぞ良いのではないでしょうか?」

大通りから少々離れた一軒家の縁側で、ボルカンは庭に面した一室を指し示した。
そもそもは、この家に興味を示したのは小早川奈津子の方であった。
その言いつけにしたがい、ボルカンは軋む門扉を押し開けて先行して庭へと入り込んだ。
庭から廊下へ、廊下からその部屋へと通じる戸を開け放ってみると、草でふいたマット
――ボルカンは知らないが、ようするに畳である――の床はなかなか居心地がよさそうで、
休息をとる場としては申し分ない。
これならば、女主人の眼鏡にもかなうかもしれないと考え、小早川奈津子を呼んで先ほどの提案をしたわけである。
暴君は鼻をならすと、廊下にどっかと腰を下した。

「なかなか良さそうではないの。……決めたわ、ここで休むことにしてよ」
「ははっ。それでは、俺さ……私はあたりを見回ってきますので」

言ってボルカンは、再び庭へと飛び降りた。
これでいい。このまま自分だけこの場を逃れてしまえば、21時ちょうどの禁止エリア指定の時には勝手に始末がつく。
これぞまさに、大天才にして英傑たるボルカン様に相応しく、また、そうでなければ
思いつくことすらかなわぬ完璧な作戦と言えるだろう。
思わず駆け出そうになるのをこらえ、一歩一歩前へと慎重に足を踏み出し……

「お待ち」

口から心臓が飛び出るかと思った。

「は、はい!! ええと、なんでしょうか?」
「あたくしは“用意せよ”と言ったのよ。それを、布団の用意もしないとは不届き千ば――」
「すぐにやらせて頂きます!」


この後、慌てふためいたボルカンは土足のまま縁側、そして廊下にまで駆け上り、
憤慨した小早川奈津子にはたき落とされることになる。


                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

934Long live the ―――― ◆685WtsbdmY:2007/09/29(土) 23:36:39 ID:JcqpINC.
「……できました」
「うむ。よろしい」

悪戦苦闘の末、ついにボルカンは布団を敷くことに成功した。
ボルカンは考える。限界時間――21時まであとどれほどの時間があるのだろうか?
あいにく部屋に時計はないし、自分の時計を見ようとするたびに邪魔がはいって結局果たせなかった。
何はともあれここは一刻も早くこの場を立ち去るのみ……!

「でしたら――」
「行ってもよい、と思っていたがどうも気になるわね
 ……もしや、あたくしのために働くという崇高な使命を放棄して、
 もとの怠惰な暮らしに戻ろうなどと考えているのではあるまいな?」
「と、とんでもありません」

ばれた。いや、ばれていない。まだ罠には気付かれていない。……いや、だからこそまずいのか?
うわべだけはなるべく平静を装う様努力しつつも、ボルカンの脳裏では恐怖と焦りがうずまいていた。
罠には気づかれず、しかし逃亡を警戒されているならば、小早川奈津子はこの場に留まるよう命じるだろう。
もし、そんなことになれば、その時こそ待っているのは確実な死だ。

「……まあよいわ、お退がり。だが、その前に褒美をとらせてしんぜよう」
「は? ははっ! ありがたき幸せ」

冷や汗を流しつつ見つめあうことしばし。どうにかこの場を切り抜けることができたらしい。
“褒美”。その言葉に顔を輝かせたボルカンが、頭をたれ、再び上げると、眼前には巨大な脚が迫っていた。


                ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


ふすまを突き破って、ボルカンの体は奥の部屋へと転がりこんだ。

「な、何しやが――!!」

ボルカンは抗議の声をあげ、――立ち上がろうとしたところで足をしたたかに踏みつけられた。
たまらずに、怒りとも苦悶ともつかない呻きをあげてのたうちまわる。
その頭上から、容赦ない言葉が降り注いだ。

「をほほほほ。盗っ人猛々しいとはこのことね。
 ……お前、このあたくしを謀略によって害せんとしていたであろう」

呆然として、ボルカンは小早川の発言――いや、宣告を聞いていた。

「なんたる不実! なんたる不忠! 殊勝な態度でごまかそうと、その瞳の奥の下卑た光は隠しようが無くってよ!!
 ここもじきに禁止エリアになることくらい、最初からお見通しなのよ」

ようやくボルカンは悟った――見抜いていたのだ、この怪女は。ボルカンの浅はかな企みなど全て。
見抜いた上でこちらをためしていたのだ。

「べっ、別にそんなつもりは……」
「お黙りっ! せっかく下僕として使ってやろうと思っていたのに、この恩知らずの劣等民族!
 そんな言葉に騙される、このあたくしと思うてか? ええ、お〜も〜う〜て〜か〜」

なんとか言い逃れようとするボルカンを一喝して、小早川奈津子は大見得を切った。
大見得を切って……そのまま咳き込み始めた。
一方のボルカンはこの隙に逃げ出そうとして、再びもんどりうってその場に倒れた。
踏みつけられた足は、どこか捻ったのか熱を帯びている。ボルカンは立ち上がることさえできずに尻を床につけたままその場をはいずった。
とにかく外へ。だが、そう思ったときにはすでに退路を塞がれていた。
小早川奈津子がその足を一歩踏み出すごとに、その歩幅の分だけ後ずさる。それを繰り返すうちに、後頭部に何かがぶつかった。
壁だ。もうこれ以上は下がれない。

935Long live the ―――― ◆685WtsbdmY:2007/09/29(土) 23:37:22 ID:JcqpINC.
「……ち、違う」

視界の中で次第に膨れ上がっていく巨体を見つめたまま、ボルカンはうわ言のように呟いた。

「違う、俺じゃない。黒魔術士が、この世の暗黒を凝縮したど腐れヤクザが俺様を近所のおばさん井戸端殺すと脅して……」

何故だろうか。その時、ピクリ、と正義の執行人の眉が動いた。
一声唸って、なにやら考え込むようなそぶりを見せると、やおら手にした長剣をボルカンの首すじに突き付けて言った。

「その黒魔術士とやら、もしやオーフェンと名乗っているのではないのかえ?」

オーフェン。その名がよもや目の前の怪女からでてくるとは。
ボルカンは驚きに目をむいた。
(もしかして……これはチャンス?)

「そ、そうですそうですその通りです。俺様がこんな目にあっているのも姫様の苦境もすべてあの凶悪借金取りのせい。
 民族の英雄様たる俺様の実力に嫉妬してよくわからん島にほうりこんだだけでは飽き足らず、
 あまつさえ、塵取り殺すと脅迫して奈津子姫様を害せんとする企みに無理やり加えるとはまさしく無礼千万恐悦至極!!
 すなわち姫様におかれましては、私が彼奴めの居所へご案内いたしますので必ずや正義の鉄槌を下されますよう――」
「……よく分かったわ」

小早川奈津子は大きくうなずくと、ボルカンの讒言を遮って言った。

「このあたくしとて慈悲深き乙女。真実をあかしたあっぱれな心がけに免じて、ここで楽に死なせてやろう」
「おいっ!?」
「をぼぼぼ、ごほげほ……。
 この期におよんで往生際が悪いわね。所詮、潔さという美徳は劣等民族には理解できないようね。
 どうせ、その借金魔術士の居場所を正確に知っているわけでもないのでしょう?
 本当だったら、そこの柱にでも縛り付けて死ぬまでたっぷり恐怖を与えてやるのが妥当なところを、
 ここでけりをつけてやろうというの。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いなんてなくってよ」

最期に善を成したことで、閻魔様の裁きも少しは温情豊かになることでしょう。
そう言うと、処刑人は手にした長剣を構えなおした。

「をほほほほほ。あの世でとっくり後悔おし」

ボルカンの眼前で、突き付けられた刃がギラリ、と輝いた。

「……あ、ああ――」

ボルカンは、顔の向きはそのままに視線だけをあたふたと左右に走らせた。
なんと不都合で、不安で、不愉快なことだろう。肝心なときだというのに、場の全責任を押し付けるべき弟は傍らにないというのは。
混乱の中で、ボルカンはいつかと同じ言葉を口にしていた。

「全部、全部。あの黒魔術士が、黒魔術士が悪いんだぁ〜〜!!」





【112 ボルカノ・ボルカン 死亡】






【A-3/市街地/一日目/20:40】

【小早川奈津子】
[状態]右腕損傷(完治まで約一日半)、生物兵器感染
  胸骨骨折、肺欠損、胸部内出血、体に若干の痺れ
[装備]ブルートザオガー(灼眼のシャナ)
[道具]デイパック(支給品一式、パン三食分、水1500ml)
[思考]どこか休息を取れる場所を探す。
   ボルカンの言うことを信じたわけではないが、オーフェンおよび甲斐に正義の鉄槌を下す。
[備考]服は石油製品ではないので、生物兵器の影響なし
  約七時間後までなっちゃんに接触した人物の服が分解されます
  七時間以内に再着用した服も、石油製品なら分解されます
  感染者は肩こり・腰痛・疲労が回復します

936 ◆4OkSzTyQhY:2007/12/07(金) 20:51:38 ID:xsdwI8G2
鳥テスト

937 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 20:52:19 ID:xsdwI8G2
再テスト

938 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 20:53:42 ID:xsdwI8G2
 こんなに走ったのはどれくらいぶりだろう。
 不規則に乱れていく息に恐怖感を覚えながら、彼女は暗い地下道を全力で駆けていく。
 走り続ける、彼女――クリーオウ・エバーラスティンは多少剣術を齧っただけの少女である。
 たとえば手から熱線を出すこともできなければ、一キロ先の敵を狙撃銃で射抜くこともできない。
 何より、彼女に人を殺せるような覚悟などない。
 ――何を言いたいのかといえば、つまり人並み以上に夜目はきかないということである。
 そんな状態でほとんど真っ暗な状態の地下道を『逃走する』のは無謀といえた。
 なるほど、彼女は幸運なことに懐中電灯を手にしていた。
 デイパックから出すのに手間取り、その間に殺されてしまうという無様は晒さなかった。
 だが、それでも小さな明かりひとつで、舗装もされていない道を歩けば――
「――っ!」
 無論、転ぶ。
 それでも懐中電灯は手放さなかった。慌てて起き上がり、先ほどよりも草臥れた風に足を進める。
 実を言えば、彼女が転んだのはこれが初めてではない。
 そしてついでにいえば、彼女を追っているのは普通の少女ではない。
(なんで、どうして――!?)
 クリーオウはほとんど恐慌状態に陥りながら、それでもまだ微かに残っていた冷静な部分で思考する。
 先ほど、空から降ってきた追跡者は尋常でない怪力を見せた。
 たぶん脚力も似たようなものだろう。なのに、追いつかれていない。殺されていない。

939 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 20:54:58 ID:xsdwI8G2
「むぁ〜てぇ〜い」
 後ろから響く声は幾重にも反響し、正確な距離は掴ませないが、それでもまだ追いついてこない。
(逃げられる? 逃げ切れる!?)
 胸中に、わずかな希望が芽生えてくる。
 ピロテースと合流できれば何とかなる。きっと、きっと――
(クエロだって――きっと)
 優しかったクエロ。
 優しい顔の裏に、狡猾を隠していたクエロ。
 ゼルガディスを殺したクエロ。
 せつらを殺したクエロ。
 だけど、最後には自分を逃がしてくれたクエロ。
 無論、それで彼女のしてきたことが帳消しになるなんて思っていない。
 自分がクエロをどうしたいのか――それだって、わからない。
 だけど、いまは走って、なんとしてでもピロテースを――!
「……きゃぅっ!」
 余計な思考は足をもつれさせたらしい。慣れた浮遊感と衝撃。転んだのはこれで何度目だったか。
 だが、今度は懐中電灯を手放してしまった。転んだままでは手を伸ばしてもぎりぎり届かない、そんな位置に電灯は落ちてしまう。
 慌てて手を伸ばす。
 だが、その手が懐中電灯に届くことは、なかった。

940 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 20:56:07 ID:xsdwI8G2
 ひょい、と目の前で懐中電灯が他の誰かに拾われる。
 混乱しかけるが、すぐに思い直す。追跡者は未だ自分の後ろ。
 ならば、懐中電灯を拾ったのはこの通路の先にいるはずだった――
「ピロテース!」
 歓声とともに、顔を上げる。
 そこには彼女の微笑があった。
「――ばあ」
 ――クエロを殺した、少女の笑顔があった。
 あの凶悪な凶器を片手に、そしてもう片方の手で握った懐中電灯で自分の顔を下から照らしている。
 子供がするようなその悪戯も、だが今のクリーオウにとっては十分な衝撃だった。
 だがもはや悲鳴を上げるような余力もない。それ以前に、地面に這い蹲っているこの体勢では、もう逃げられない。
(い、いつ回り込まれたの……!?)
 胸中で自問して、そして、悟る。
 自分は懐中電灯で足元を照らしながら走るのが精一杯だった。
 だから、一度も背後を確認していない。
 もしかして……この無邪気な雰囲気をまっとた少女は……
(ずっと、後ろにぴったりくっついてんだ……!)
 おそらくは、手を伸ばせば届くような距離に、ずっと。
 前に回りこまれたのは、転んだ隙にひょいと飛び越すように跨れでもしたのだろう。
 ゾッとした。少女がなぜそうしたのかは分からない。だから、ゾッとした。
 眼前の、少女の形をしたモノが、いったい何なのかワカラナイ――
「ね、ね、鬼ごっこはおしまい? じゃ、こんどはお姉さんが鬼ね!」
 そして本当に、邪気の一欠けらも見せずに、笑いながらそれは、
「じゃ、タッチするよ! タッチ!」
 ――零挙動で、鉛の塊を振り下ろした。
 捉えきれない速度。もとより、自分では勝てない存在であることは分かっていた。
(あ……死んじゃう)
 他人事のように、そんなことを考えた。

941 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 20:57:25 ID:xsdwI8G2
 生が終わる瞬間、その一瞬だけ、誰かの顔がフラッシュバックする。
 それはもう死んでしまった弟分の顔でも、目つきの悪い魔術師の顔でもない。
 この島で出会い、仲間となった者の顔でもない。
 もとより、知っている顔ではなかった。
 銀髪の美丈夫。轟音とともに現れ、そしてすぐに暗闇に消える。
(……誰?)
 走馬灯というのは知らない顔をも浮かび上がらせるものなのか。
 だが、その疑問は、
「金髪の娘、確認するが」
 いつのまにか現れた、新たな人影によって吹き飛ばされた。
 理解する。アレが持つ明かりがいつの間にか消えていたのは、この男が割り込んで遮っていたからだ。
「あ、あの」
 こちらの声に反応してか、男が振り返る。
 そのせいで、ちらりと男の向こう側が見えた。例の少女と目が合う。
 こちらに「静かにして!」とでもいうように唇に人差し指を当てながら、バットを振り下ろそうとしていた。
「危な――!」
「貴様の名前を教えろ」
 再び、轟音。
 そして懐中電灯のものでない、金属同士による火花の明かりが闇を照らした。
「え……?」
 音と光は一度だけではない。なんども、なんども。絶え間なく続き、その度に一瞬だけ男の姿が浮かび上がる。
 そして、そのまるで連続で写した写真のような光景で理解した。
 男が馬鹿馬鹿しいような大剣を手にして、何の気なしに少女の凶撃をいなしているのだと。
 それが、自分を守ってくれているのだと気づいて、
 まるで冗談のようなタイミングで現れた、正義のヒーローのように感じた。
「娘っ!」
「え、あの、私――」
「僕、三塚井ドクロ!」
「名前だ」
 片方の声をうるさそうに無視し、その男が繰り返す。
「わ、私、クリーオウ。クリーオウ・エバーラスティン!」
 答えてしまってから、はたと気づいた。返答は変化をもたらす。そしてそれがいい変化だとは限らない。
 だがそれは杞憂だったようだ。男はひとつ頷き、何かを放り投げてきた。
 暗くて分かりにくかったが、すぐに何か理解する。この島に連れてこられてすっかり慣れてしまった感触。デイパック。
「貴様の保護を頼まれている。オーフェンという人物からだ。それをもってさがっていろ。すぐに追いつく」
「オーフェンが――」
 久しく聞いていなかった名前。自分に関わってこなかった名前。
 思いがけず、胸の奥が熱くなる。
「合流場所と時間はあとで伝える。行け!」
 その声と同時に、釘バットの少女を押しとどめるようにして、男の目の前に一瞬で何かが広がる。
 それに後押しされるように。
 クリーオウは渡されたデイパックから懐中電灯を取り出すと、もと来た道を再び走り始めた。

942 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 20:58:32 ID:xsdwI8G2
◇◇◇
   
 おかしいな、おかしいな。
 天使の少女はおもいます。
 どうしてこんなにあついのかな。どうしてこんなに体があついのかな。
 天使の少女はかんがえます。
 いままでいくらかけっこをしても、こんなに体があつくなったことはなかったからです。
 どうしてだろう、どうしてだろう。
 そうやってかんがえているうちに、やがて天使の少女はおもいだしました。
 そうだ、この感じは、■くんのことを考えていたときと一緒なんだ、と。
 あいたいなあ、あいたいなあ。
 おもいだした天使の少女はすすみます。
 あの少年の面影を求めて、一生懸命。

 ――これは、少女本人さえ気づいていない彼女の心のササヤキ。

◇◇◇

943 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 20:59:29 ID:xsdwI8G2
「貴様にも質問をするぞ、娘」
 展開された白の線越しに、ギギナは恩人の知人を襲っていた少女に詰問する。
 タンパク質分子の連鎖で構成された蜘蛛の糸は、鋼鉄の五倍の強度を誇る。
 生体変化系第二階位、蜘蛛絲(スピネル)で生成された粘着質の縛鎖は振り下ろされた凶器を受け止め、さらにその自由を奪っていた。
「もう! なんでお兄さんは鬼ごっこの邪魔をするの!? はっ、もしかして――」
 少女はグーにした手を口元に押し付け、
「仲間に入りたかったの? ならジャンケンしないと。いくよー、さーいしょーは――」
「クエロ・ラディーンを殺したのは、貴様か?」
 戯言を無視して、問う。クエロの傷口と、少女の携える凶器は合致するように思えた。
 保護を依頼された少女を先に戻したのは、この話を聞かれたくなかったからだ。
 彼女を気遣ったわけではない。単純に、これはギギナだけの問題だったからである。
 ――そう。いまとなっては、ギギナだけの問題になってしまった。
 ガユス・レヴィナ・ソレルは彼の与り知らぬところで死に、クエロ・ラディーンも目の前で死んでいった。
 ならば、この問題に決着をつけられるのは彼だけだろう。
 誰にも介入されることなく、誰にも影響されることなく。
「殺してなんかないもん! あとで直すもん!」
 そして、実を言えばそれはすでに決着していた。
 頬を膨らませている眼前の少女を見ている内に、湧き上がってきた感情。
「……これが」
 それは、怒りだった。
 お前はこんなものに殺されてしまったのか、宿敵よ?
 こんなくだらないものに、終わらされてしまったのか?
 こんな――
「これが、こんなものが我らの行き着く先かクエロ・ラディーン――!?」
 その怒りを、ネレトーの切っ先に込めて。
「――宣言しよう」
 交渉のために闘争を控えていたが、いまはべつだ。
 蜘蛛の巣の向こうの『敵』を睨みながら、
「貴様が、我らの闘争に介入してきたというのなら――ここで私は、全身全霊を込めて貴様を殺そう」
 ダラハイド事務所の因縁。それを、ここで断ち切ろう。
 そしてその視線を受けた彼女は、まるで初めて目の前に広がる白い糸に気づいたかのように、
「そんな……緊縛プレイなんて……」
 絡めとられた凶器に両手を添えて、 
「そんなのは、まだ早いよぅっ!」
 ――あろうことか、超強度を誇る糸を捻り切った。

944 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:00:16 ID:xsdwI8G2
 少なからず、ギギナは驚愕を覚える。
 先に相手の一撃を受け止め、その膂力は推し量ったつもりだった。
 少なくとも、スピネルで生成された糸を力ずくで断ち切るような怪力ではなかったはずだ。
(力が――上がっている?)
 咒式等の力を発動させたか――あるいは、単なる出し惜しみか。
 だが推測は不要。
 これは楽しむべき闘争ではない。生きるための闘争ではない。
 一瞬でも早く、眼前の敵を消し去る。そのための戦いだ。
 故に迷わず、放つ一撃は常に必殺。
(なんにせよ、これで分かる!)
 全力で放つ、ネレトーでの刺突。
 それを、やはり少女はこともなげに金属バットで防ぐ。
 ――それだけならばまだしも、少女はそのままバットを振りぬいてみせた。
「っ!?」
 弾き、返された――?
 最強の前衛職のひとつである剣舞士。さらにその十三階梯。
 全咒式職のなかでも屈指の腕力を誇るギギナが、押し負けていた。
 体勢の崩れたギギナを前に、天使はとまらない。
 振りぬくバットを引き戻すようなことはせず、まるで独楽のように回転しながら一歩、ギギナに詰め寄る。
 そう、計らずしもそれこそが愚神礼賛の本来の使い方。
 遠心力と彼女自身の絶大な膂力が組み合わされ、まさに暴風のようにギギナを襲う。
「ぬぅ……!」
 力任せだけの攻撃ならば、ギギナの精緻な剣術の前には敵でない。
 不幸だったのは、ここが狭い地下通路だということだ。
 それは大柄なギギナと、長大な屠竜刀ネレトーという組み合わせにとってみれば最悪の条件だった。
 対して彼女――三塚井ドクロは小柄な上、得物も屠竜刀ほどの長さはない。
 故に、彼女はほとんど制限を受けずにその腕力を振るうことができる。
「舐めてかかれる相手ではない、か」
 冷静に考えるのならば、まずは戦場を移すべきか。だが――
「キャハッ! キャハハハっ!」
 眼前の少女は、すでに掘削機の様相である。
 地下道であるという制限もすでに関係ない。彼女の振り回す金属製の棒は、壁だろうがなんだろうがお構いなしに削り取る。
 もはや刃を合わせることすら困難。今の彼女の膂力はギギナと同等、あるいは上回っているかもしれない。
 逃げても背後から襲われるだけだろう。もとより、ドラッケンに後退の選択肢はないが。
 ならば、自分は手も足も出ない――?

945 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:01:18 ID:xsdwI8G2
「……調子に乗るな」
 ギギナの唇からもれるのは地獄の底から響くかのごとき、怨嗟の声。
 こんなものはただの児戯だ。
 竜を始めとする異貌の者共、そして数々の咒式士との死闘を潜り抜けた自分にとって、一体どれほどのものだというのか。
(それは貴様も同じだったはずだろう。ええ? クエロ・ラディーンよ?)
 弔いではない。敵討ちというわけではない。
 ただ、自分は胸の内にある靄には惑わされない。
 ドラッケンの戦士は、その屠竜刀を振るうことによってのみ、煩悩を削ぐ。
 後ろに跳躍。距離をとりネレトーを上段に構える。
 刃先が天井に突き刺さり、固定された。
 構わない。ただ、迫る障害のみを直視する。
 ――回転弾層内に残る咒弾は四つ。
 ひとつは先ほどのスピネルで使用し、もうひとつは地下道を走るために使用した梟瞳(ミネル)の咒式で消費している。
 さらに咒式を紡ぎ、ギギナは魔杖剣のトリガーを引いた。 
「――終わりだ。消えうせろ」
 発動するのは生体強化系第五階位、鋼剛鬼力膂法(バー・エルク)。
 生成されたグリコーゲン、グルコース等によって乳酸を分解、ピルギン酸へと置換。
 脳内における筋力の無意識制限を解除し、全身の強化筋肉が最大限に稼動する。
 ――ギギナの屠竜刀が消えうせた。
 もはや、それは不可視の一撃である。
 少女のスイングを暴風と称するのならば、ギギナの剣戟は落下する彗星のごとく。
 地下道の天井すら切り裂いて、ネレトーが神速をもって振り下ろされる。
 それでも、少女は反応した。

946 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:01:58 ID:xsdwI8G2
「ほぉ―――むぅらぁああああん!」
 キラリと光るその双眸は、ばっちりとネレトーを捕らえきっている。
 故に、彼女は迎え撃つように、正確なタイミングで巨刃を打ち据えることができた。
 ――惜しむらくは、彼女の持っていた得物だろう。
 そう、彼女は忘れていたのだ。
 自分が手にしているのは、愛用の不思議金属でできた撲殺バットではないということを。
 そして――屠竜刀のガナサイト重咒合金が、鉛製の愚神礼賛を寸断した。
「あ――」
 無論、得物を切断しただけでは終わらない。
 振り下ろされた刃は、次に彼女の肩を捕らえた。
 呆然とした彼女の表情を、ギギナの聴視覚が捉える。
 ――狂気にも似た感情が抜け落ちたその顔に、ギギナはようやく見覚えがあることに気づいた。
 昼間、確かに一度出会っている。ほとんど一瞬だったし、その直後のゴタゴタで忘れていたが。
 それなりの人数で組んでいたようだったが、周囲に仲間の影は見えない。
 はぐれたのか、それとも彼女だけが生き残っているのか。
 あるいは、あの時の無害そうだった彼女がこうなっているのも、そのせいなのか――
 それらの想像に対して、なんの感慨も抱かず。
 ギギナはただ、そのまま袈裟切りに彼女を切り捨てた。
 涙も達成感もなく、どこか空虚に。
 小さな体が血を撒き散らしながら地面に倒れ付す。
 その様子をみながら、ギギナはポツリとつぶやいた。
「……これで、終わりか」
 因縁の相手は殺され、その犯人もこうして討ち取った。
 だから、これでお終い。
「存外、なにも感じぬものなのだな」
 何とはなしに、これは自分が求めていたものとは違う気もしていた。
 だが、それを知る方法は自分の中にない。
 ギギナは踵を返した。
 あえて血払いはせずに、殺人の証が付着した屠竜刀を携えて、もと来た道を戻る。
 これをクエロかガユスにでも見せれば、この空虚も満たされるのだろうか?
 それとも、更なる闘争によって欠落は埋まるのだろうか?
 ――彼のその問いに答えられる者は、誰もいない。

947 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:02:42 ID:xsdwI8G2
◇◇◇

 イタイ。イタイ、イタイイタイイタイ。
 天使の少女は繰り返します。
 少女は天使だけれど、それでも切られればイタイのです。
 血を失えば、しんでしまうのです。
 天使の少女は祈ります。しにたくない、しにたくない。
 ■くんにもう一度、あいたい。
 だけど、祈るだけではなにも変わることはありません。
 ――だからお終い。三塚井ドクロのものがたりはここで閉幕。
 さあ、彼女の物語を始めよう。

◇◇◇

948 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:03:37 ID:xsdwI8G2
 クリーオウという名の少女は、クエロの亡骸の傍に座り込んでいた。
 死体を見て項垂れているその姿は、まるで懺悔をしているようにも見える。
(クエロと協力関係にあったと見るのが妥当か)
 あの女ならば、レメディウス事件の時のようにいくらでも取り入ることはできただろう。
 クリーオウはそれを知らないのか、あるいは、知っていても割り切れない性格なのか。
 ギギナは頭をふった。考えても仕方ない。思考は自分の役割では――
(いや――そうだな。これからはそうも言っていられぬのか)
 あの相棒はもういないのだ。面倒くさいことを押し付けてきた相棒は。押し付けることのできた相棒は。
 それでも、いまはそれがとてつもなく億劫だ。
「終わったぞ」
 故に、事務的な言葉をかけるにとどめる。
 幸いこちらの言葉が聞こえなくなるほど茫然自失としていたわけではないらしい。
 振り向かず、だが彼女の注意が確かにこちらに向くことを感じる。
「この――この人はね、クエロって」
「知っている」
「え?」
「……クエロ・ラディーンとは、ここに来る前から浅からぬ縁があった」
「そう、なんだ……」
 クリーオウは僅かに沈黙をはさみ、おずおずといった風に尋ねた。
「クエロって、どんな人だったの……?」
「それは――」
 一言では言い表せない。
 狡猾のみで構成された人間というわけではなかっただろう。
 では正義の咒式士かといえば、無論違う。
 死体を見つめたままの小さな背中を見つめながら、ギギナは思ったままの言葉だけを託した。
「自分の見たものがすべてだ。貴様にとってのクエロを私は知らぬ。
 貴様は、私にとってのクエロ知りたいのか?」

949 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:04:33 ID:xsdwI8G2
「……ううん、いらない。
 クエロは最期に私に逃げろっていってくれた。……私にとっては、それだけで十分だから」
 前に進む分には、足りる。
「立ち上がれるか」
 ギギナの問いにクリーオウは頷き、すぐにひざを地面から離した。
 なるほど。ここまで生き抜いてきただけはあって、それなりに気丈ではあるらしい。
 嫌いではない――こういった小娘ならば、それほどまでには悪くない。
「ギギナ・ジャーディ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフだ」
「……それ、名前?」
「ギギナでいい」
「じゃあ、ギギナさん。オーフェンは――」
 どこに。そう彼女は続けようとしたのだろう。振り向いた彼女の口元は、そう動いたように見えた。
 だが同時に、クリーオウはどうしようもなくその表情を引き攣らせてもいた。
 血まみれの屠竜刀が問題というわけではないらしい。彼女の眼球は別のものを映している。
 その頃には、ギギナも背後の剣呑な気配に気づいていた。
 振り向き、咄嗟に武器を突き出したのは、攻性咒式士としての反射的な行動だろう。
 次いで襲い掛かる衝撃。『先ほど』とは比べ物にならない程の威力。
 足が地面にめり込むのを確かに感じながら、ギギナはそこにいる襲撃者の姿に思わず目を疑う。
 背後にいたのは、確かに致命傷を負わせたはずの少女だった。
 負わせたはず、というのは、その痕跡が一切認められないからである。
 傷はもちろんとして血痕、血臭、その他諸々。まるで切られたという事実を無しにしてしまったかのごとく。
(竜のような超再生咒式!?)
 答えを見つける隙など与えず、二撃目が振るわれる。
 その襲い掛かる凶器――確かに両断された愚神礼賛も、繋ぎ目すら確認できないレベルで修復されていた。
 だが、そんなことは問題ではない。
 その一撃は屠竜刀を撥ね退け、さらにギギナの体勢を大きく崩させるほど強化されていたが、それは問題ではない。
 なにより変わっていたのは少女の纏う雰囲気だった。

950 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:05:33 ID:xsdwI8G2
 さきほどまでのふざけた雰囲気は微塵も見つけることもできず、あるのはただ明確な攻撃衝動のみ。
 故に、凶器の殴打は二回で止まらなかった。
 D4の入り口付近はギギナが屠竜刀を自在に振るえる程度には広さがある。
 剣術が制限されないのなら、ギギナは咒式を使わずともこの少女に勝てる――その筈であった。
 技術と、単純な身体能力としての性能。どちらに重点を置いたほうがが勝るか、あるいは有能か?
 その問いの答えは様々だろうが、この場でひとつだけいえることがある。
 すなわち――あまりにも差があれば、人並みはずれた身体能力は技術を上回るということである。
 一合、また一合と打ち合うたび、天使の膂力はそのリミッターを外し、より強大になっていく。
 すでにそれは、強化された生体咒式士の目ですら追いきれない領域に入り始めていた。
「ぐっ――!」
 弾く、弾く、弾く。だが、もはやそれは直感に頼ったその場凌ぎという意味でしかない。
 あまりにも隙のない連撃。腕を痺れさせる威力。そこに技術が介入する余地などない。
 すでにたっている土台が違う。いまのギギナは高所から一方的に狙撃されているようなものだ。
 手の届かない神域。確かに、目の前の少女はそこにいた。
 意識せずに、ギギナの口元が歪んだ。獰猛な笑みの形に。
(――くだらないと言ったのは訂正しよう。
 我等が闘争への介入を許すわけではないが、それでも貴様は――)
 腹部を狙って横薙ぎに放たれた愚神礼賛を、下から振り上げるようにしたネレトーで弾く。
 それは先の戦いの焼き直し。
 ギギナの屠竜刀は頭上に掲げられ、天使のバットは腰だめに構えられる。
「我が闘争の相手として、相応しい!」
 回転弾層がトリガーと連動し、落ちた撃鉄が咒弾を砕く。

951 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:06:22 ID:xsdwI8G2
 途端、脳が焼けそうなほどの痛みが走った。
 通常時ならば問題はない。だが力の制限のためか、短時間で連発した第五階位が相当の負担となっている。
 ――故に、この交差で勝負をつけねばならない。
 発動した咒式は幾多の敵を葬ってきたバー・エルク。だが、すでにそれが必殺足り得ないことは分かっている。
 すでに身体能力が違いすぎた。相手の力はすでに数百歳級の竜と遜色ない。
 ギギナが行ったのは、相手に届かなかった自分の土台を刃先が一ミリ届く程度に持ち上げたくらいの意味しかない。
 だが、僅かにでも届くのならば――
「ォ――ォォオオオオオオオ!」
「――!」
 もはや打ち合いとは思えぬほどの衝撃音が、島の地底を揺るがした。
 屠竜刀が愚神礼賛を捉え、愚神礼賛が屠竜刀を打ち据える。
 身体能力ではかなわない。故に、ギギナの目論見は武器破壊。
 物質が衝突する時のエネルギー量は速度の二乗に比例する。
 そして目の前の少女が振るう武器の速度は、先ほどの二倍や三倍ではきかない。
 だからこそ、愚神礼賛の運命も変わらない。

952 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:07:47 ID:xsdwI8G2
 ――愚神礼賛が、先ほどと同じ状態ならば。
「……っ!?」
 愚神礼賛は彼女が修復した。奇妙な魔法で、不完全な力で。
 故に起こった突然変異。それは鉛の塊に過ぎなかった愚神礼賛を、ダイヤ以上の硬度を持つ刃と打ち合えるほどに強化した。
 そして天使の膂力は、すでにギギナを凌駕している。
 ならば、そこから弾き出される運命とは――
「……かっ、は」
 ギギナの敗北に他ならない。
 ネレトーでの一撃を弾かれ、そのまま多少勢いを削がれたものの愚神礼賛は直進。ギギナの胸部を捉えていた。
 相殺してなお、その一撃には筋肉の壁を貫通し、肋骨をへし折る威力がある。
 装甲車並の体重があるにもかかわらず、ギギナは確かに数メートル宙を舞い、そして地面にたたきつけられた。
「ギギナぁっ!」
 朦朧とする意識に、悲痛な叫び。
 クリーオウだった。首だけを動かしてなんとか視界に納める。
(何故――馬鹿なことを)
 ――見れば、彼女は立ち塞がっていた。
 天使の視界には未だギギナが写っている。止めを刺すつもりなのだろう。
 ゆらりとした足取りで、ギギナに向かおうとした。
 その進路を遮るように、クリーオウ・エバーラスティンは立ち塞がっていた。
 肋骨の痛みを無視して、ギギナは声を振り絞った。
「娘、退け!」
 だが、クリーオウは動かない。
 体中が恐怖に引きつってはいたが、それでもそこには否定の意がはっきりと表れている。
 マジク・リン、空目恭一、サラ・バーリン、秋せつら、クエロ・ラディーン。共に、奪われた者達。
 死への恐怖を差し引いても、これ以上の喪失を彼女は認められなかった。
「マジクは私のいないところで死んじゃった! 恭一も私をかばって死んじゃった!
 クエロももういない! もう嫌だよ! どうしてみんないなくなっちゃうの――!」

953 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:09:18 ID:xsdwI8G2
 ……ああ、まったく。
 ギギナはため息を吐いた。多少は気丈かと思ったが、やはりどこにでもいる小娘に過ぎない。
 ならば――
「その背に隠れていることなどできぬ、な」
 血反吐を撒き散らしながら、立ち上がった。
 戦場で咒式士の死体見つけたら、ドラッケン族かどうか判別する簡単な方法がある。
 前向きに、独りで倒れているのがドラッケンだ。
 そうだ――他人に庇われながら死ぬのは、断じてドラッケンではない。
「るぅうううううううううおおおおおおおおおおお!」
 矜持? 誇り? そんなもの、ドラッケンとして刃を振るえば後からついてくる。
 だから走るのだ。激痛に顔をゆがめ、血みどろの姿で、後先考えず雄叫びを上げながら。
 クリーオウを回り込むようにして、ギギナは自分を吹き飛ばした怪物を確認する。
 天使の少女もそれは同じ、ギギナを視界から外すような下手はしない。
 幸いなことに、バー・エルクによる強化はまだ続いていた。故に、疾風と化したギギナの駆ける道はどこまでも直線を描く。
 接敵した後のことなど考えていない。だからこそ最短距離を走り抜ける。
 対して、天使の少女はその場から動かなかった。
 動く必要がなかったからだ。だが、それは余裕という意味ではない。
 愚神礼賛が振り上げられる――光の粒子を纏いながら。
「ぴぴるぴるぴる――」
 無感情な声音で零されていく魔法の擬音。
 たとえばそれは、振り下ろされる聖剣の如く。
 荘厳なまでに凝縮する、神の使いの光。
 彼女の能力で作り変えられた愚神礼賛は、いまやほとんど魔法の杖だ。
 死者蘇生という点でエスカリボルグには及ばないかもしれないが――それでも、害をなすだけならば。
「――ぴぴるぴ〜」
 放たれた。
 七色の奔流。決して触れてはいけない天使の魔法。
 直線で突っ込むギギナに、避ける術はない。
 ――避けるべき状況でもない!

954 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:10:57 ID:xsdwI8G2
「こんな――もので、ドラッケンを止められると思うな!」
 意思に呼応して、屠竜刀ネレトーに組み込まれた、鬼才ジュゼオ・ゾア・フレグン製作の法珠が唸りを上げた。
 咒式干渉結界が自動展開。残っているギギナの咒力が余さず注ぎ込まれ、機関部が悲鳴を上げる。
(耐えてみせろ、私の半身。唯一私が認めた屠竜の刃!)
 刃と光の拮抗は、そう長くは続かなかった。
 その結果に対する原因は、なにか。
 ギギナの矜持が勝ったのか、それとも愚神礼賛の本質が魔法の武器でなかったことによるものか。
 いずれにせよ、ギギナとネレトー――彼らは、向かい来る爆光を切り裂いた。
 天使の少女に生じた、刹那の隙。切り掛かるには足りず、されど確かに存在する。そんな隙。
 迷わず、ギギナはクリーオウと天使の間に滑り込んだ。
 屠竜刀を構える。が。
「……」
 無言のまま振るわれた愚神礼賛に、ただの一合でネレトーは手を離れ、遠くに落ちた。
 魂砕きは地下通路を走るのに邪魔だったため、背負っているデイパックの中だ。
 とりだす時間など、もはや、ない。
 そして、逃げるという選択肢もないのなら――
「零時にC5の石段だ! 行け!」
 せめて、約束は果たそう。背後のクリーオウに声をかけながら、覚悟する。
 同時に、敵の凶器が振り上げられた。こちらは無手。ならば挑むのは零距離での密着戦闘。
 剣舞士の膂力は、大木の幹ですら小指一本で爆砕させる。
 その抜き手を、全力で相手の武器を握っている手首に叩きつけようとして――
 一瞬で、その手を握り締められた。
「ぐ――、ぅ」
 手を握りつぶされそうな痛みが襲ってくる。だというのに、それを行っている少女の表情はどこまでも無感情。
 そのまま天使はギギナの体を軽々と持ち上げ、地面に叩き落した。
 受身すら取らせてもらえず、意識が朦朧とする中、ギギナが見たのは今まさに振り下ろされんとする凶器の影――
「――だめっ!」
 そして、再び彼を庇おうとしている金髪の感触。
(愚か――者、が)
 ――乾いた音が、辺りに響いた。

◇◇◇

955 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:12:47 ID:xsdwI8G2
 彼女は、己が消えていくのを感じていた。
 自分の中にあった喪失感が、さらに自分自身を侵食しているのが分かった。
 最後に――は、なんと言ったのだったか。
 思い出せない。だけど、無性に誰かに会いたくさせられた。
「……いたい……ぁいたいよう……」
 今にも消えそうな、掠れた声。
 それは彼女が消えかかっているからか、それとも別の理由からか。
 激痛は幸運だったのかもしれない。
 それが切欠で、消える寸前の彼女は僅かな時間、取り戻すことができた。
「ねえ……どこにいるの……?」
 最後に『彼』の台詞を聞いたのはいつだったのか。
 すでにそれすら思い出せないほどに、『それ』は侵食している。
 彼女の幼さが残る無感情な顔(死に顔)を彩るものは紅くて、
「桜、くん……!」
 鮮血と知れた。  

◇◇◇

956 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:13:29 ID:xsdwI8G2
 クリーオウ・エバーラスティンは多少剣術を齧っただけの少女である。
 たとえば撲殺した人間を再生することもできなければ、大怪我を負ったまま戦闘することもできない。
 何より、彼女に人を殺せるような覚悟などない。
 ――それらを踏まえたうえで、関係ないと断言できる。
 なぜなら、それはそういう武器だからだ。
 反動と人を撃ってしまった感触に震え、クリーオウは魔弾の射手を手からこぼした。
 ほとんど密着した状態。ここまで近ければ、銃口が真横を向かない限り外れない。
 放たれた銃弾はたった一発。だが確かに相手の腹部を打ち抜いていた。
その穿たれた生命を零していく穴から、腹圧で血と、その奥に蠢く肉の塊が――
「あ――わた、わたし、人を」
 それでもクリーオウ・エバーラスティンはただの少女だ。
 天使の少女は再び回復する。もはや、クリーオウに銃を拾いなおすような勇気などなかった。

957 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:14:39 ID:xsdwI8G2
 ――故に、後を継ぐのは凶戦士である。
 耳元で響いた銃声に、朦朧とした意識は叩き起こされた。
 そして、発見する。地べたに伏している自分の目の前にある見慣れた形状。
「――借りるぞ、眼鏡っ!」
 贖罪者マグナス。彼の相棒が用いていた補助用の魔杖短剣が、いま――クエロの手から、引き継がれた。
 ――奇しくも、ここに決着する。
 ガユス・レヴィナ・ソレル。
 ギギナ・ジャーディ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフ。
 クエロ・ラディーン。
 ジオルグ・ダラハイド事務所の因縁にあった三名が、それを決着させる!
 茫然自失としていた天使の少女の喉笛を、ギギナは寸分の躊躇いもなく掻き切った。
 だがそこから血が噴出すよりも速く、雷速の動きでギギナのマグナスを握っていない方の手が彼女の首を掴んでいた。
 ――いかなる理由かは分からないが、致命傷を与えるだけではこの少女を殺せない。
 ――ならば、もっとも確実な殺害手段は。
「るぅぅぅううううあああああ!」
 いくら元の筋力を取り戻しても、天使の、小柄な少女としての質量は変わらない。
 ギギナは残る力をすべて振り絞って、彼女を――放り投げた。
 放物線を描き、彼女は十数メートルもの距離を飛行し、そしてギギナの目論見どおりに落ちた。
 響く水音と、跳ねる飛沫。
 D-3の地下湖。そこは現在、禁止エリアとなっている。
 進入すればいかなるものであれ、魂ごと消滅するとされる、ある意味での最終兵器。
 そこに、天使の少女は沈んでいった。
 見届けて、今度こそギギナはその場に崩れ落ちる。
 体の欠損を前提にしているような前衛職のギギナだからこそ生きていられるような傷である。
 さすがに、これ以上は意識を保つことができそうになかった。
 昏倒する彼の胸中が、どのような思いで満ちていたか――
 少なくとも、今度は空虚ではなさそうだった。

958 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:15:46 ID:xsdwI8G2
◇◇◇

 ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ〜

◇◇◇

959 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:16:37 ID:xsdwI8G2
 さて、ここらでひとつ種を明かそうか。
 なんの種かって? それは聞けば分かる。
 現時刻からほんの二十分ほど前に亡くなったバベル議長は、すべての刻印にちょっとした小細工を加えた。
 それはつまり、三塚井ドクロの刻印に施した小細工を誤魔化すためのカムフラージュである。
 つまり、本命は三塚井ドクロだけってわけだ。
 だからこそ、彼女の刻印は一番その性能を歪められていた。
 ところで、管理者の力は強大だ。
 仮に三塚井ドクロの刻印が解除されても、まあ――絶対甚大な被害を与えるとは思うけど、それでも敵うはずはないね。
 だから、一番賢い――ていうか、ずっこい刻印になるようにバベル議長は仕組んだのさ。
 まず、力の制限を外した。これはいいね。
 次に、刻印の反応自体は消さなかった。これもいいね。管理者にばれないようにしたって訳だ。
 さて、三番目。これが重要なわけだけど、バベル議長は当然、ドクロちゃんの人となりを知っていた。
 それは――まあ――つまり――お世辞にも知的とはいえないところとかさ。
 だからこそ、三番目の細工を組み込んだんだ。
 ある意味彼女の刻印こそが、脱出派が求める完成形だと思うよ。
 ――え? 話がメタで長い上に、なんの種明かしか分からないって?
 いまから話そうとしてたじゃないか。まあいいや。さきに言っちまおう。
 ――呆然としてたクリーオウ・エバーラスティンが、
 対岸に、確かに禁止エリアだった湖から這い出てきた、無傷の三塚井ドクロを見て悲鳴を上げたことについての種明かしさ!

960 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:17:22 ID:xsdwI8G2
◇◇◇

 すでにそれは三塚井ドクロではありません。
 彼女は病を患っていました。自分が自分でなくなる病気です。
 天使の憂鬱。それは個性をその存在の核とする天使から、個性を奪ってしまいます。
 彼女の病状は進行し、すでに『三塚井ドクロ』はほとんど消失してしまっています。
 だけど『天使の少女』は探すのです。
 消えかけた自分で、自分の個性を。
 自分の大切な物を、この島では絶対に出合うことのできない彼を。

 ――これは彼女が紡ぐ、薄い、薄い、消えかけのオハナシ。

961 ◆CC0Zm79P5c:2007/12/07(金) 21:18:39 ID:xsdwI8G2
【D-4/地下/1日目・19:40】
【ギギナ】
[状態]:肋骨全骨折。打撲。昏倒。疲労。
[装備]:屠竜刀ネレトー。贖罪者マグナス。
[道具]:デイパック2(ヒルルカ、咒弾(生体強化系2発分、生体変化系4発分)、魂砕き)
[思考]:クリーオウをオーフェンのもとまで保護。
    ガユスの情報収集(無造作に)。ガユスを弔って仇を討つ?
    0時にE-5小屋に移動する。強き者と戦うのを少し控える(望まれればする)。

【クリーオウ・エバーラスティン】
[状態]:右腕に火傷。疲労。精神的ダメージ。錯乱。
[装備]:強臓式拳銃 “魔弾の射手” (フライシュッツェ)
[道具]:デイパック1(支給品一式・パン4食分・水1000ml)
    デイパック2(懐中電灯以外の支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン4食分・水1000ml)
    缶詰の食料(IAI製8個・中身不明)。議事録
[思考]:???
[備考]:アマワと神野の存在を知る。オーフェンとの合流場所を知りました。

※ギギナとドクロちゃんとの戦闘で激しい音が発生しました。
 地下にいた人物、D−4の上にいた人物なら気づく可能性があります。

【B-3/地下通路/一日目・19:40】
【ドクロちゃん】
[状態]:『天使の憂鬱』発症。
[装備]: 愚神礼賛 (シームレスバイアス)
[道具]:無し
[思考]:桜君を探す。攻撃衝動が増加。
[備考]:刻印が解除されました。最長で二十四時間後、彼女は消滅します。

962干渉、感傷、観賞(1/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:27:09 ID:VhcPZXko
 ○<アスタリスク>・9

 介入する。
 実行。

 終了。





963干渉、感傷、観賞(2/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:28:01 ID:VhcPZXko

 黒い鮫の姿をした悪魔が猛り狂い、しずくの上半身に噛みついたまま暴れ回る。
 機械知性体の少女は並外れた頑丈さ故に即死を免れたが、抗う力を失った。
 カプセルを何個かまとめて嚥下し、甲斐氷太が笑う。虚空に白い鮫が出現する。
 白鮫は、黒鮫の顎からはみ出ていた下半身に狙いを定めた。
 不運な獲物が二つに裂ける。
 この玩具には飽きた、とでも言いたげな様子で、二匹の悪魔は残骸を吐き捨てた。
 瞳を真っ赤に輝かせて、甲斐の体が宙に浮かぶ。
 鮫たちが、肉と骨を軋ませながら大きさを増していく。
 暴走している。悪魔も、召喚者も。
 カプセルを咀嚼しつつ、甲斐が背後を振り返る。
 彼の次なる対戦相手は、凶行の現場へ駆けつけた男女だった。
 宮野秀策が魔法陣を描いて触手を召喚し、光明寺松衣子が蛍火を指先に作り出す。
 鮫たちが尾を薙ぎ払った。機械知性体だった物体が二つ、砲弾のごとく飛翔する。
 硬さと速さを兼ね備えた飛び道具は、それぞれ一瞬で二人組に激突した。
 宮野の顔面が肉片の塊と化し、茉衣子の内臓が盛大に破





964干渉、感傷、観賞(3/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:29:30 ID:VhcPZXko

 ○<インターセプタ>・5

 干渉可能な改竄ポイントは数多く存在している。過程や結果は何度でも変えられる。
 ただ、どうしても、宮野秀策と光明寺茉衣子の死を回避することができない。
 死に至るまでの行動も、どのように死ぬのかも、多少は操作できるというのに。
 また一つ、可能性が潰えた。
 十三万八千七百四十三回目の介入は、彼と彼女の死によって終わった。
 これまでの試行錯誤が無駄だったとは思わない。
 宮野秀策がフォルテッシモに倒される結末は、抹消した。
 光明寺茉衣子を小笠原祥子が刺殺する結末は、削除した。
 宮野秀策と零崎人識が相討ちになる結末は、なかったことにした。
 光明寺茉衣子がウルペンによって絶命させられる結末は、跡形もない。
 彼と彼女がハックルボーン神父に昇天させられる結末は、もはやありえない。
 あの二人を生還させることは未だ叶わないが、死を先延ばしにすることはできた。
 歴史が改変され、あの二人を殺すはずだった殺人者たちは別の参加者たちを殺した。
 宮野秀策と光明寺茉衣子の生還を確定した後、被害を最小限に抑える予定ではある。
 だが、あの二人を守ることが最優先だ。
 参加者たちの危機感を煽る必要がある。見せしめとして一人は開会式で死なせる。
 炎の獅子の力は不可欠だ。主催者と戦えば惨敗は必至だが、挑んでもらわねば困る。
 零時迷子を『世界』に嵌め込むため、涼宮ハルヒと坂井悠二の命は助けられない。
 それらを犠牲にせねばあの二人が生き残れないというのなら、犠牲を厭いはしない。
 誰がどれだけ死んでしまっても、彼と彼女は助けたい。

965干渉、感傷、観賞(4/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:30:28 ID:VhcPZXko
 被害者全員を生かすことは、できない。
 たった二名の人間すら救えないかもしれない程度の力しか、使えないのだから。
 ……あの二人を両方とも救うことは、ひょっとすると不可能なのかもしれない。
 無論、諦めてはいない。だが、そのような事態を考慮しないわけにはいかない。
 もしも彼を救えないなら、せめて彼女だけでも生き延びさせたい。
 だから、打てる手はすべて打っておく。なるべく早く、できるだけ速やかに。
 当然、『あの島の時間』と『わたしの時間』は異なるが、それは余裕を意味しない。
 この身が模造品であるならば、短命な粗悪品だったとしてもおかしくはない。
 急がねばならない。

 干渉不能な部分を補うため、操作不能な部外者に協力を乞うべきだと提案する。
 <自動干渉機>に求める。
 対面交渉の許可を。





966干渉、感傷、観賞(5/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:31:20 ID:VhcPZXko

 ○<アスタリスク>・10

 承認する。
 十三万八千七百十四回目以降の介入履歴を消去し、改竄ポイント変更後に介入する。
 実行。

 終了。





967干渉、感傷、観賞(6/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:32:41 ID:VhcPZXko

 霧の中、“吊られ男”の眼前には幾人かの参加者がいる。
 少し前に第三回放送が終わったばかりだ、ということになったところだ。
 以前の『現在』とは少しだけ違うはずだが、似たような『現在』が視線の先にある。
 美貌の吸血姫は、黒衣の騎士を伴い、隻腕の少年と気丈そうな少女を連れて進む。
 光明寺茉衣子が向かっているのかもしれない、C-6のマンションを目指して。
「苦労しているようだね」
 空気を振動させない“吊られ男”の声は、誰の鼓膜も揺らさない。
 しかし、その一言は独白ではなかった。
「お願いがあるのです」
 応じた相手もまた“吊られ男”と同様に『ゲーム』の参加者ではない。
 いつのまにか隣にいた<インターセプタ>を、“吊られ男”は見ようとしない。
「徒労に終わると思うよ」
「徒労に終わるか否かを確認することは……それ自体が徒労だと言うのですか?」
 投げかけられた質問に対し、マグスは苦笑を浮かべた。
「まさか。ありとあらゆる知的好奇心を、ぼくは否定しない」
 時間移動能力者は、悲しげに顔をしかめた。
「では……この殺し合いを企てた悪意すらも肯定する、と?」
 参加者たちが去っていった道から目を逸らし、“吊られ男”は隣人を見た。
「前提が間違っているとしたら、正しい答えは導き出せないな」
 怪訝そうな表情で見上げる彼女に、彼は要点を述べる。
「『知りたがっている』のと『知りたいと言いたがっている』のは違う」

968干渉、感傷、観賞(7/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:33:45 ID:VhcPZXko
 困惑する<インターセプタ>に向かって、“吊られ男”は微笑する。
「この『ゲーム』の主催者は、心の実在が証明された瞬間に消えるのかもしれないよ?
 主催者の正体は、具象化した疑問そのものなんじゃないのかな? 答えを認めたら
 疑問という『器』を維持できなくなって雲散霧消する存在だ、とは思わないかい?
 主催者は本当に『知りたがっている』のかな? 『知りたいと言いたがっている』
 だけじゃないかい? ああ、『主催者が消えた後に答えを残すためのもの』として、
 参加者ではない存在がここにいる、という考え方はできるね。観測装置兼記録媒体
 というわけだ。君の場合は検査機具かもしれない。歴史の改変くらいで消えるなら
 記録の意味がないはずだから。でも、実は『答えを求めているふりをしているだけ』
 なのかもしれないだろう? ――本当に、心の実在は証明できるのかな?」
 突然の長広舌に絶句する彼女へ、彼は断言してみせる。
「主催者は、達成できないと考えている。答えはない、故に消されることはない、と。
 本当は簡単なことなのにね。本来の望みから大きく歪んだあれは、もはや御遣いとは
 呼べない。この『ゲーム』の目的は心の実在を証明すること。でも、主催者の目的は
 永遠に問い続けること。だからこそ主催者は答えを認めようとしない」
「……あなたがどういう方なのか、なんとなく理解できたような気がするのです」
 拗ねたような口調でそう言い、<インターセプタ>は肩を落とした。
「ところで、お願いって何だい?」
「徒労に終わると思っているのでしょう?」 
「聞かないとも断るとも言っていないはずだけど?」
 時間移動能力者の瞳が、マグスの顔を映す。
「この島の南部へ、できれば城の中まで歩いていってほしいのです」
「いいよ。散歩の行き先を変えよう」
「……ありがとう、ございます」
 一礼して、<インターセプタ>は姿を消した。





969干渉、感傷、観賞(8/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:34:37 ID:VhcPZXko

 ○<アスタリスク>・11

 介入する。
 実行。

 終了。





970干渉、感傷、観賞(9/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:35:42 ID:VhcPZXko

 霧の中、“吊られ男”の眼前には幾人かの参加者がいる。
 少し前に第三回放送が終わったばかりだ、ということになったところだ。
 以前の『現在』とは少しだけ違うはずだが、似たような『現在』が視線の先にある。
 美貌の吸血姫は、黒衣の騎士を伴い、隻腕の少年と気丈そうな少女を連れて進む。
 光明寺茉衣子が向かっているのかもしれない、C-6のマンションを目指して。
「さて、行くか」
 空気を振動させない“吊られ男”の声は、誰の鼓膜も揺らさない。
 ささやかな異変は、その一言の直後に起きた。
 美貌の吸血姫が立ち止まり、“吊られ男”のいる辺りを不思議そうに見る。
 何かの痕跡を探るかのように、沈黙したまま、わずかに目を眇めて。
 “吊られ男”は踵を返し、何やら独り言を垂れ流しながら歩き始めた。
「……ふむ」
 短くつぶやいた美姫の足は、“吊られ男”の行く方に向いた。


 しばらく島を歩いた後、辿り着いた城内の一室で、美姫は豪奢な椅子に腰掛けた。
 室内に、人という生物の範疇に含まれている、と表現できそうな者はいない。
 美姫は、無言で部屋の片隅を眺めている。
 その位置には、一組の男女がいた。
  “吊られ男”と“イマジネーター”だ。
「つまり、天使の議長は見つけたけれど管理者には会えなかった、と」
「薔薇十字騎士団とは別系統の管理者なのかと思っていたけれど……犠牲者だった」
「徒労に終わったようだね」
「そういうことになるのかしら」
 『世界』の裏側も、所詮この『世界』の内部だ。決して到達できない場所ではない。

971干渉、感傷、観賞(10/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:36:36 ID:VhcPZXko
「そういえば……そこの彼女や、連れの三人には、私やあなたが見えているの?」
「どうだろう……語りかけたことも話しかけられたこともないから判らないな」
「あなたの後ろをついてきていたように見えたけれど」
「ぼくの隣に、ぼくたちには見えないけど彼女には見える何かがいるのかもしれない。
 例えば、“魔女”が視ている異界の住民は、ぼくの目には全然見えない。この島には
 何がいたって変じゃないよ。木工細工を作るときに使うような接着剤を自由自在に
 操り、接着剤で像を作る才能を持った者だけが認識できる精霊――そういうものが
 今ここにいても不自然じゃないくらいだ」
「…………」
 やがて、ダナティア・アリール・アンクルージュの演説が聞こえ始めた。
 部屋の片隅で、男女が唇を閉ざし、顔を見合わせる。
 美姫はただ静かに顔を上げ、すべてを聞き終えると元の姿勢に戻った。
 白い牙が生えた口から、言葉が零れ落ちる。
「日付が変わる前に潰されるようであれば、見物する価値はあるまい」
 会いに行くか否かの判断は第四回放送後まで保留する、ということらしい。
 部屋の片隅で、男女が対話を再開する。
「行くのかい?」
「あなたは行かないのね」
「せっかくだから、君が見ない光景をぼくは眺めておくよ」
「じゃあ、あなたが見ない光景を私は見届けてくるわ」
 室内に、会話は存在しなくなった。
 後には、ただ“吊られ男”の独り言が無為に漂い続けるのみ。

972干渉、感傷、観賞(11/11) ◆5KqBC89beU:2007/12/17(月) 20:37:50 ID:VhcPZXko

【G-4/城の中の一室/1日目・21:35頃】

【美姫】
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)
[思考]:気の向くままに行動する/アシュラムをどうするか
    /ダナティアたちに会うかどうかは第四回放送を聞いてから決める
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。

【座標不明/位置不明/1日目・21:35頃】

【アシュラム】
[状態]:状況、状態、装備など一切不明

【相良宗介】
【千鳥かなめ】
[状態]:状況、状態、装備などほぼ不明/千鳥かなめが相良宗介と寄り添いながら
     ダナティアの演説を聞いていたことのみ、既出の話によって確定している

973幻影―illusion―(1/5) ◆5KqBC89beU:2008/04/01(火) 00:55:36 ID:IHp3IC2k
 舌打ちしつつ、甲斐氷太は市街地を歩いている。
 魔界刑事を殺し上機嫌で大の字に寝転んだ数十分後には、もう仏頂面で起きていた。
それまで意識していなかったものに気がついた結果だ。それ以来ずっと、鬱陶しげに
甲斐は周囲を探り続けている。
 妙な気配が甲斐の近くに漂っていた。気配は薄く淡く曖昧であり、だが消える様子が
一向にない。むしろ、徐々に存在感を増しているようですらある。
 南の市街地で暴れ始めた悪魔らしき何かに惹かれ、そちらに行こうかどうか悩んだ
こともあったが、それでも優先したのはこちらの気配を調べる作業だった。
 他の参加者たちに倒される心配がなさそうな標的よりも、後から出てきて漁夫の利を
得ようと企んでいるかもしれない不確定要素を先にどうにかしておいた方がいい、と
甲斐は判断していた。無粋な横槍を入れられては、戦いがつまらなくなってしまう。
 茫漠とした気配は、甲斐の精神をずっと逆撫でし続けている。
 気配の正体は判らない。よく知っている何かのようでありながら、そうではなくて
似ているだけの別物であるような気も同時にする。
 甲斐氷太が“欠けた牙”だとするならば、その感覚は、欠落した部位を苛む幻痛だ。
 呪いの刻印さえなければ、甲斐は事態の本質を把握できたかもしれない。
 刻印の気配と、甲斐に付き纏う気配とは、どういうわけか微妙に似ている。
 例えるなら、猟犬と野獣がそれぞれ同じ香水を全身に浴びているようなものだ。
 周囲に潜む気配には、暗く不吉で禍々しい印象がある。
 夜と闇の領域に属する密やかな何かが、すぐ近くにある。
 暖かな陽光の下では生まれない、鋭く澄んだ空気がある。
 それは、甲斐自身にも共通する要素だ。
 動くものを探しながら、住人のいない街角を甲斐は進む。
 煙草を取り出し、火種が手元にないことを思い出してポケットに戻す。
 ライターは発見できておらず、喫茶店にあったマッチは湿っていた。
 ショーウィンドウに映る己の影を一瞥し、甲斐は吐き捨てるように悪態をつく。
 ガラスの表面に見えるものは、ただの意思なき自然現象でしかない。
 とてつもない強さを誇った“影”は、もはや追憶の中にしか存在しない。
 物部景は死んだ。
 悪魔狩りのウィザードが甲斐氷太と戦う機会は、もう二度と訪れない。

974幻影―illusion―(2/5) ◆5KqBC89beU:2008/04/01(火) 00:56:39 ID:IHp3IC2k
 魔界刑事との死闘によって一度は漂白された頭の中が、急速に赤黒く濁っていく。
 忘れえぬ情念が爆発的に荒れ狂う。思考が疾走を始める。
 ――鮮烈なブルー――鉤爪のような指先が――カプセルを――鏡――ただ心の命じる
ままに――きっと厭なものが――最高に痛快な破壊音を――大気を裂いて泳ぐ――水の
中につながっていて、そこには――闘争の狂喜――“影”は一瞬にして――中と外が
入れ替わる――黒鮫が咆哮を――テメエがどういう野郎かは、この俺が誰より――もう
二度とは元の形に戻らない――消えることのない「笑み」――違う世界が広がって――
赤い瞳は笑っていた――会心の攻撃――見事な回避――この真剣勝負こそが真実だ――
 爽快感は、とうの昔に消え失せていた。
 カプセルの効果で鋭敏になった神経が、虚無感を強調する。
 悪魔を使って超人を噛み殺しても、飢えと渇きは癒えなかった。
 ただ、わずかな間だけ誤魔化すことができていただけだった。
 魔界刑事は、ウィザードと同じ高みには立っていなかった。
 剣道の達人が空手の達人と勝負して勝ったようなものだ。
 確かに本気だった。勝ち取ったものは無意味ではない。
 しかし、それは最初の目的とは違う別のものだった。
 握りしめられた拳の中で、カプセルが潰れ、粘液を漏らす。
 苛立ちを声に乗せて甲斐が叫ぼうとした瞬間、どこからか女の声が聞こえてきた。
『聞きなさい。あたくしの名はダナティア・アリール・アンクルージュ』
 ダナティアの演説は、堂々と、朗々と、高らかに続く。
 その言葉のすべてに対して、甲斐はただひたすらに腹を立てた。
 何様のつもりだ、と。何も知らない奴が偉そうに御託を並べるな、と。
『あたくしを動かすのは……』
 目を血走らせ、悪口雑言を撒き散らしながら、甲斐は天を仰いだ。
『……決意だけよ!』

975幻影―illusion―(3/5) ◆5KqBC89beU:2008/04/01(火) 00:57:22 ID:IHp3IC2k
 それは市街地の片隅からでも見えた。
 南東の方角から曇天の夜空へと赤い柱がそそり立っていた。
 煌々、轟々と迸る閃光は上空の雲を貫いていた。
『刻みなさい。あたくしの名はダナティア・アリール・アンクルージュ』
 赤い閃光が消えた夜空には一筋の光が射し込んでいた。
 上空の曇天を貫いた閃光は強い風を生んでいた。
『あなたたちに告げた者の名です』
 風が雲に生んだ小さな空の切れ目。
 そこから射し込む月光の中、甲斐の視界の端で、何かが動いた。
 甲斐が注視した先にあったのは、ショーウィンドウに映った影だ。
 ガラスの表面に見えるものは、ただの意思なき自然現象ではなかった。
 甲斐は思わず絶句する。

 鮮烈なブルーのゴーストが、背後に“影”を従えて立っていた。

 ダナティアの演説は響き続けていたが、もはや甲斐は気に留めなかった。
 奇麗事で飾られた理想郷などより、ずっと魅力的な戦場がそこにあった。
 瞬時に振り返る。
 だが、ガラスに映っていた姿は、街角のどこにも存在していない。
 慌てて視線を巡らせる。
 甲斐の瞳が再びショーウィンドウを視界に捉え、先ほどとは異なる色彩を発見した。
 ワインレッドのスーツを着た男が、鬼火を掲げ、長い銀髪を風になびかせていた。
 もう一度、甲斐は後方を確認する。やはり誰もいない。
 鏡と化したガラスへと、甲斐は向き直った。

976幻影―illusion―(4/5) ◆5KqBC89beU:2008/04/01(火) 00:58:33 ID:IHp3IC2k
 ずっと甲斐の周囲に漂っていた気配は、今や鏡面の向こう側から溢れ出している。
 漆黒の鉤爪が鱗をめがけて振り下ろされ、細長い尻尾が甲冑を下から打ち据える。
 物部景が、死線を楽しむ狂人の笑みを唇に浮かべている。
 宙に舞い上がった大蛇が黒い炎を吐き、“影”が瞬時に厚みを消して地面を滑る。
 緋崎正介が、冷厳でありながら歓喜に満ちた目を細める。
 二匹の悪魔が睨み合う。
 二人は同時にカプセルを掴み、口に含んで咀嚼した。
 悪魔を使役し戦う者たちの楽園が、そこにあった。
「そういうことか。テメエら、そんなところに隠れてやがったんだな」
 甲斐は思う。あいつらはあの『王国』へ行き、だから管理者は生死を見誤った、と。
 トリップの影響で鈍磨した思考は、数々の違和感や疑問点を些事として切り捨てた。
 涙が滲みそうになるのを堪えながら、甲斐は笑う。
 万感の思いを込めて、呼びかける。
「ぃようっ、ウィザード。捜したぜ」
 景の視線と甲斐の視線が、一瞬だけ重なり合った。
 景が甲斐の存在に気づけなかった、という風には見えなかった。
 そして、甲斐に対して一切の興味を示さず、無造作に景は目を逸らした。
 塵芥にすら劣る“どうでもいいもの”をすぐに忘れただけ、とでもいうように。
 少なくとも、甲斐はそう感じ、その印象を確信した。
 甲斐を全否定する情景は、猛毒のごとく精神を熱して蝕んでいく。
「……上等じゃねえか。俺がそっちに行くまで、そこの三枚目で肩慣らしでもしてろ。
 どんな手を使ってでも殴り込みに出向いてやるから、覚悟しとけ」
 狂犬じみた表情筋の歪みで口の端を吊り上げ、甲斐はカプセルを噛み砕いた。
 今の甲斐に迷いはない。力が足りないなら、弱者を捕らえて悪魔を召喚させ、それを
自分の鮫たちに喰わせることでさえ躊躇しない。そうしない理由など一つもない。
 ――すべては、ウィザードと戦うために。

977幻影―illusion―(5/5) ◆5KqBC89beU:2008/04/01(火) 01:00:10 ID:IHp3IC2k


【A-4/市街地/1日目・21:40頃

【甲斐氷太】
[状態]:あちこちに打撲、頭痛
[装備]:カプセル(ポケットに十数錠)
[道具]:支給品一式(パン5食分、水1500ml)
    /煙草(残り十一本)/カプセル(大量)
[思考]:手段を選ばず、鏡の向こうに見える『王国』へ行く
[備考]:『物語』を聞いています。悪魔の制限に気づいています。
    『物語』を発症し、それを既知の超常現象だと誤認しています。
    現在の判断はトリップにより思考力が鈍磨した状態でのものです。
    肉ダルマ(小早川奈津子)は死んだと思っています。

978ヒマな時にオススメです!:2008/05/06(火) 16:52:02 ID:.y9N1576

とある事をすると日記を更新している女の子のサイトです。
むちゃくちゃ生々しい文章なので初めは衝撃受けました。

中毒性が高いので注意が必要です。

ttp://www.geocities.jp/yuuji58287ff/sss/

979名も無き黒幕さん:2008/06/01(日) 08:47:14 ID:xD8AG8vo
2000000以上あった借金全部、この2ヶ月で返済できたし
今日までのオイラは、ここで終わりです。
んで明日からはクリーンな人生が始まるとです!

仕事はクリーンじゃないがね(((*≧艸≦)ププ…ッ ⇒ http:\/0X2B.244.41.0XDB/ppp/B6AqGhf/

980名も無き黒幕さん:2008/06/16(月) 07:32:12 ID:1IzRzkUM
よっしゃー!20万げっとー!!

女の人のマソコって、みんなあんなにぐにぐに動いているもんなんですか??
初めてだったのに、挿れた瞬間でちゃいましたよ。。
ゴムは嫌だって言われるけど、長持ちのためにも次はつけまふ。

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981たった一度の冴えたやり方(1/5) ◆5KqBC89beU:2008/06/24(火) 12:52:04 ID:wFs0ZlLc
 ○<インターセプタ>・6

 ありとあらゆる存在は、幾重にも重なり合っている可能性の塊だ。
 箱の中の確率的な猫は"生きている猫”であると同時に“死んでいる猫”でもある。
 箱を開けて中身を確かめるわたしもまた“生きている猫を見るわたし”であると同時に
“死んでいる猫を見るわたし”でもある。
 無論、ありとあらゆる可能性を前に、わたしはたった一つの現実しか見出せない。
 猫の死亡が観測された時点で観測者の前から“猫が生きている可能性”は消失する。
 猫の生存が観測された時点で観測者の前から“猫が死んでいる可能性”は消失する。
 二つの可能性は同時に在るが、一つの世界に二つの現実は共存できない。
 現実が一つに収斂された時点で、それ以外の可能性は幻想と化す。
 故に、“今ここにいるわたし”も“わたしが見る現実”も“この世界”に一つだけ。
 どのような可能性がわたしの眼前に残ったとしても、おかしなことなど何もない。
 猫が死なねばならない必然性も、猫が生きねばならない必然性も、そこにはない。
 わけが判らない何かのせいで猫の生死は決まる。
 そして、猫を見るわたしは、不明瞭で曖昧な何かに左右され続けている。
 わたしはそれが悔しくて、だから時間を遡り、世界に再び目を向ける。
 猫の死を覆したいなら、生きている猫のいる現実を観測せねばならない。
 是が非でも、世界の上に新たな現実を上書きせねばならない。
 上書きされる以前の現実が、虚ろな幻想に成り果てて断ち切られても。
 自分勝手な介入者として、何の罪もない人々に迷惑をかけてでも。

982たった一度の冴えたやり方(2/5) ◆5KqBC89beU:2008/06/24(火) 12:53:00 ID:wFs0ZlLc
 文字通りの意味で、蝶の羽ばたきが嵐を起こす可能性すら、この島にはある。
 どれほど些細で微小な相違点だろうが“無視しても構わないもの”ではない。
 ほんのわずかにでも差異があるのなら、それは再現ではなく改変だ。
 世界の上に現実が上書きされれば、かつて在ったすべては色あせ、台無しになる。
 連続性の途絶を滅びだと定義するなら、それは確かにある種の終焉だ。
 その気になれば“かつての現実”をどれでも復元することはできる。だが、実行する
場合には“そのときそこにある現実”を犠牲にする必要がある。後退は不可能であり、
ただ逆方向へも前進できるというだけのことだ。犠牲になる現実の数は減らない。
 可能性は多重に在るが、“この世界の現実”は一つしかありえない。
 当然、“別の世界”には“この世界”とは違う現実がある。しかし、そこでも数多の
可能性が現実になれず幻想と化している。可能性の数は、世界の数を遥かに上回る。
この前提が当てはまらない場所を、わたしは見たことも聞いたこともない。
 所詮、“今ここにいるわたし”も、星の数より多くある可能性の一つでしかないが。

 虹色の淡い光に照らされながら、わたしは静かに目を伏せる。
 唯一無二――そんな言葉が脳裏をよぎった。
 わたしと出会った彼が何人目の坂井悠二だったのか、わたしは知らない。

 今ここにいる自分が本当に自分であるか否かについて、少しだけ彼は語ってくれた。
 ただの人間であった坂井悠二は既に亡く、ここいるのはその模造品だ、と。
 自分もまた坂井悠二ではあるが、故人・坂井悠二とは明確に異なる、と。
 今の自分には、本来の坂井悠二が知りえなかった記憶や感情がある、と。
 もしも仮に、この肉体が故人・坂井悠二と同じ物だったとしても、心は異なる、と。
 同種であり同属であり同類ではあっても同一ではない、と。
 価値観や常識が激変するほどの経験をした彼には、そう言えるだけの資格があった。

983たった一度の冴えたやり方(3/5) ◆5KqBC89beU:2008/06/24(火) 12:54:14 ID:wFs0ZlLc
 坂井悠二は、わたしが何者であるかについても大雑把には知っていた。
 魔界医師メフィストの手術を受けた際、わたしが何をしているのか垣間見たらしい。
 困ったような顔をしながら、君を許すことはできない、と彼は言った。
 現実が上書きされるたび、同じ数だけの現実がそこに生きた皆と共に失われた、と。
 認めよう。彼には、わたしを糾弾する権利がある。
 もはや“最初の現実”と“当時の現実”は別物だと表現しても過言ではなかった。
 わたしは彼らに酷いことをしてきたし、これから先も酷いことをするつもりだ。
 蝶と戯れ、しかし個々の蝶を一匹一匹それぞれ識別しないまま微笑む幼子のように、
わたしもまた『宮野秀策』や『光明寺茉衣子』という種類の生物が絶滅さえしなければ
億千万の『宮野秀策』や『光明寺茉衣子』が犠牲になることをすら容認できる。
 BがAに近似しているなら、Aが在った場所にBを代入し、それを是としてみせる。
 救われる二人が、地獄の苦しみを味わって死んだ彼や彼女とは別の二人だとしても、
わたしはそれを幸福な結末だと言い切ってみせる。
 本物の宮野秀策や光明寺茉衣子とは無関係な、複製に過ぎない二人だろうと、本物が
無事であるという証拠がない以上は守らねばならない。
 あの二人を救うために必要なら、他の参加者全員を破滅させようが、後悔はしない。
 目的のために手段を選ぶつもりは、もうなかった。
 坂井悠二を犠牲にし、零時迷子を利用し、彼が守ろうとした仲間を死なせてでも、
理不尽にすべてを奪い取ってでも、あの二人を助けるつもりだった。
 だが、そんなわたしに彼は言った。
 君を許すことはできない……それなのに、心の底から憎むこともできない、と。

984たった一度の冴えたやり方(4/5) ◆5KqBC89beU:2008/06/24(火) 12:54:55 ID:wFs0ZlLc
 うつむいた表情には、喜怒哀楽が複雑に混在していた。
 君を否定したら、“今ここにいる自分”や“今ここにいる皆”まで否定することに
なってしまう、と彼は言った。
 “今ここにある現実”は、君の干渉がなければありえなかった、と。
 辛く悲しく苦しいけれど、存在しなかった方がマシだったとは思わない、と。
 恨んでいないと言えば嘘になるけれど、それでも殺したいとは思わない、と。
 その意思を愚かだと嘲る権利は、わたしにはない。
 顔を上げて、坂井悠二はぎこちなく笑った。
 こうして姿を現したのは、自己満足だとしても会って話したかったからだろう、と。
 今こうやって話しているという現実は後で上書きされ、“今ここにいる坂井悠二”も
君に消されるのだろうけれど、だからこそ、せめて約束してほしい、と。
 踏みにじったものに見合うだけの素晴らしいものを絶対に掴み取ってみせるから、
数え切れぬほどの犠牲はすべて無駄にしない――そう約束してほしい、と。
 わたしは頷き、約束の対価として、彼の手から水晶の剣を譲り受けた。
 ……“あの現実”も、“あの坂井悠二”も、今はもう記憶の中にしか存在しない。

 数多の現実を渡り歩き様々な光景を覗き見たわたしは、この剣のことも知っている。
 邪を斬り裂く、人ならぬものが創った剣。魔女の血入りの水で洗われ、本来の目的を
――己の“物語”を少しだけ取り戻しかけている、勇者の武器。
 主催者に致命傷を与えられるかもしれない可能性を秘めた、七色に輝く刃。
 こんな物が支給品として都合良く会場内にある理由を、わたしは苦々しく想像する。
 勝利に届きそうで届かない程度の希望を与えて、最終的に絶望する瞬間を最大限に
盛り上げようとしているのかもしれない。
 あるいは、主催者すらも第三者の――“他者の破滅を満喫したい”という願望を抱く
強大な何者かの、掌中に捕らわれた獲物に過ぎないのかもしれない。
 どんな経緯があるにせよ、おそらくは、あまり喜ばしいことではない。

985たった一度の冴えたやり方(5/5) ◆5KqBC89beU:2008/06/24(火) 12:56:20 ID:wFs0ZlLc
 主催者の殲滅さえ成功すれば、後はどうにかできるかもしれない。
 この世界と関わる異世界の幾つかには、死者の蘇生やそれに近い技術があるらしい。
 主催者を排除できれば、犠牲者全員を復活させることすらも夢ではなくなるだろう。
 宮野秀策を見殺しにした場合ですらも光明寺茉衣子を救うことはできなかった。もう
他に手はない。彼と彼女の死が避けられないなら、死なせた後で生き返らせるまでだ。
 有望そうな参加者が主催者の前に立ったとき、わたしは水晶の剣を託そう。
 無論、敗色が濃い参加者に対しては、何の助力もしない。
 残念ながら、勝機は一度しかないのだから。
 いかに主催者が悪趣味だとしても、自分に直接害を及ぼした相手を野放しにするほど
慈悲深くはないだろう。もしも失敗したときは、きっとわたしは殺される。
 万が一、わたしが放置されたとしても、水晶の剣はわたしの手元に残るまい。
 剣を託した参加者が主催者に負けた場合、その結末を改変することは不可能に近い。
 やり直しはきかない。最初で最後の一回がその後のすべてを決定する。
 おかしなものだ。時間移動能力を得る前までは当然だった、こんなにもありふれた
前提条件が、こんなにも恐ろしくてたまらないとは。
 この身の震えは、決戦のときまで止まりそうにない。


【X-?/時空の狭間/?日目・??:??】
※水晶の剣は、生前の坂井悠二から<インターセプタ>が譲り受けました。

986名も無き黒幕さん:2008/07/01(火) 16:50:43 ID:HiZ/tUuU
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