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尚六SS「永遠の行方」

1名無しさん:2007/09/22(土) 09:45:00
シリアス尚六ものです。オムニバス形式。

757永遠の行方「遠い記憶(40/57)」:2017/04/03(月) 19:31:17
 何しろこの世界の国の常として、雁も平野は少ない。多少なりとも起伏のあ
る土地が大半だから一般的に水の流れも速く、仮に小川であっても、地形や季
節によっては警戒を欠かせないのだった。
「それでも梟王が切った堤の補修が最優先か。どうせ重要な場所を切ったんだ
ろうから」
 六太がそう言うと、白沢も「にしても思ったより数は多いのですなあ」と
唸っていた。
「これではさすがにすぐには予算を割けないのは理解できます。どこから着手
するかについても利害が絡む上、優先度についてはほうぼうから異論が出てく
るでしょう。これはまた調整が難しいですな」
「前王朝末期から空位初期に残された資料では数ヶ所に過ぎなかったはずです
が、状況的に混乱していたのか数は当てにならないようです。もしくは天候不
順のせいで急速に荒れてしまったか」
「何しろ民も自分たちで堤や自然の岸辺を壊しましたからね」
 六太らの会話に、曠世がしれっと口を挟んだ。六太はもちろん、他の者も驚
愕を隠さずに曠世を見やった。
「……何か?」曠世はいつものように笑みを浮かべていたものの、表情はどこ
か挑戦的だった。
「その。また大学での話か?」
 六太が恐る恐る問うと、曠世は首を傾げるようにして「いいえ?」と答えた。
「単に放置の結果、状態が悪化した箇所はともかくとして、壊された堤などが
全部梟王の仕業のはずがないじゃないですか。民も自分たちの手でやったんで
すよ。身に覚えのある里廬では公然の秘密になっていますし、処罰を恐れて役
人には必死に隠しているだけです」
「ど――う、して」喉がからからになったような思いで六太が問う。
「もちろん自分たちが助かるためです。洪水の恐れがあるときに対岸の土手を
崩してそちらに水を逃がすやりかたは、昔から繰り返されてきましたからね。
そりゃあ大罪ですが、洪水に押し流されて里廬が全滅するよりはましです。も
ちろん壊した土手の方向に別の里廬があろうと知ったことではありません」

758永遠の行方「遠い記憶(41/57)」:2017/04/03(月) 20:10:01
 何しろ王師に攻められた元州師だって、同じことをやろうとしたそうじゃな
いですか、今さらですよ――曠世はそう事もなげに言った。
「そんな!」
「曠世。それは根拠のある話なのか?」
 六太が悲鳴じみた声を上げ、白沢が強く問いただした。曠世は笑みを絶やさ
ないままうなずいた。
「これは昔、大伯母に聞いた話ですが、空位の時代、漉水の支流で続けて二ヶ
所ほど民が自分たちで堤を壊したそうです。私が育った里廬でも幼いころ大人
たちが内々にそのことを話していて、いざとなったら里廬の近くの河川も、こ
ちら側より高い対岸を同じように壊せないかと相談していたのを知っています。
さすがに主上が践祚なさってからは天候が安定してきていますから、そういっ
た事例は減ったでしょうが、それでも皆無ではないでしょうね。
 ちなみに件の二ヶ所をやったのは幼子をかかえた若い母親で、もちろんあと
で罪に問われて処刑されました。遺された子供は所属する里でちゃんと面倒を
見たそうですが」
「ちょっと待て。二ヶ所?」混乱した六太は額に片手を当て、もう一方の掌を
押しとどめるように曠世に向けた。「若い母親がひとりで堤を壊した? 一ヶ
所だけでも無理だろう!」
「ええ。無理ですね」
「じゃあ、それは……」
「もちろん真実は里に属する廬の男手が総出でやったんですよ。そして里廬で
もっとも不要とされたひとりに罪をなすりつけて口をつぐんだ。遺された子供
を皆で育てたのは、罪人とされた女――夫を亡くして困窮していたようです
――と話がついていて罪を被るのと引き換えだったのか、単に罪滅ぼしをした
かったのか。どちらかまではわかりかねます」
 言葉もなく黙り込んだ面々に、曠世は追い打ちをかけた。

759永遠の行方「遠い記憶(42/57)」:2017/04/03(月) 23:06:13
「念のために申し上げておきますが、こんな話は元州だけではないと思います
よ? 主上に申し上げたところ、もともとご存じだったようで、ここも蓬莱も
変わらないなと嘆息をついておられました。元州ではない別の州におしのびで
いらした際に、親しくなった民自身から、梟王がやったことにして堤を壊した
里廬があると耳打ちされたこともあったとか。おかげで同じ河川の岸辺が複数
箇所荒らされていた場合、流れが変わりかねない以上、補修の順番も熟慮しな
ければならず大変だとも頭を痛めていらっしゃいました」
 六太にとってあくまで民は弱者、庇護すべき存在で、責められるべきは必ず
為政者の側だった。まさかその民らが自衛のためとはいえ、氾濫の恐れがある
河川の対岸をみずから壊していたなど思いもよらないことだった。ましてや罪
をひとりに押しつけてのうのうとしていたなど。
「ですから私は常々思っていたのです。もちろん堤の補修は大切でしょう。し
かし空位の間、民自身もあちこちで岸辺を壊して状態を悪化させていた以上、
どうしたって手が回らないのは当然です。壊された箇所の周辺に至っては、他
の部分より崩落しやすいでしょうしね。なのに一方的に主上を責めて対応を急
かすのは違うのではと」

 その日、内殿の執務室は尚隆と冢宰、女官がいるだけで閑散としていた。先
ほどまではもう少し人がいたのだが、それぞれ書類を受け取って辞去していっ
たからだ。
 最後に冢宰も書類のいくらかを渡されて立ち去ったあと、尚隆は女官に供さ
れた茶を飲み、ようやく大きく開け放たれた窓枠に行儀悪く座りこんでいる六
太のほうを見た。
「何か用だったか?」
「別に」
 六太は不満げに答えてから、なあ、と問いかけた。
「おまえ、曠世と――白沢が連れてきた下吏といろいろ話してるんだって?
大学の聴講の許可も与えたんだよな」

760永遠の行方「遠い記憶(43/57)」:2017/04/03(月) 23:11:12
「なんだ。気になるのか?」
「気になるっていうか……」
「あれもあれでまじめすぎるな。もっと気を抜いたほうがいい」
 軽い口調だった。六太と異なり、別に辛辣な言葉を投げられているわけでは
ないのだろう。
 もっとも仮に何か言われたとしても尚隆は気にしないだろうが。何しろ普段
から側近に――特に帷湍には遠慮のない言葉で罵倒され慣れているのだから。
 六太が「斡由の被害者遺族らしいな?」と探るように言ってみると、尚隆は
肩をすくめただけだった。
「あいつ、おまえに心酔してるらしーぞ」
「ほう? 物好きなやつだな」
「……そうだな」
 それだけ返したものの、話が続かない。堤の話をしようかとも思ったが、今
さらだという気もした。きっと尚隆の頭の中では、とっくにいろいろな段取り
がつけられているのだろうし。
 尚隆が茶杯を卓に置いた音に、六太はふと思い出してまた、なあ、と言った。
「おまえさ、いいかげん『不満は俺を選んだ六太に言え』とか何とかで官を煙
に巻くのをやめろよ」
「うむ。いろいろ些末事を言われても面倒なだけだからな。あとはおまえに任
せる」
 にやにやした顔を向けられ、六太は眉をしかめた。
「だいたい玉座がほしいって言ったのはおまえだろうが。望みどおりにして
やったんだ、いちいち俺に押しつけるな」
「阿呆。俺に国がほしいと言えと迫ったのはおまえのほうだろう。半身なのだ、
面倒ごとぐらい、分かち合ってみせろ」
 苦笑した尚隆の抗弁に、六太は声もなく固まった。尚隆が玉座をほしいと
言ったから王にしたのではないか、何のことかわからないと考えて――。

761永遠の行方「遠い記憶(44/57)」:2017/04/04(火) 01:03:38
(違う)
 六太は愕然としながら、すっかり忘れていた記憶をようやく引っぱり出した。
(違う。尚隆は自分から玉座がほしいなんて言わなかった。まず俺が聞いたん
だ)
 そもそも蓬莱に生まれた尚隆は、当然ながらこちらの世界の存在も王の意味
も知らなかった。何より小松の民を逃がすために戦って死ぬつもりだった。
 それを助けてこちらの世界に連れてきたのは六太だ。確かに尚隆は「玉座が
ほしいか」と問われて「ほしい」と答えた。だが六太のほうも「国がほしいと
言え」と強く迫ったのだ。
 玉座の責任はどちら一方のみが負うべきものではない、両人がともに負うべ
きものだった。
 ずっと「尚隆が玉座をほしいと言ったから王にした。だから俺のせいじゃな
いし、そもそも天意が不満なら文句は天帝に言え」と周囲に減らず口を叩いて
きた六太は、反論の言葉を口にできなかった。
 ――台輔はすぐ人のせいになさるんですね。
 曠世の言葉が脳裏によみがえり、六太は暗い顔を伏せて唇をかんだ。
「六太?」
 急に黙りこんだ六太に、さすがに様子がおかしいと気づいたのだろう。尚隆
は席を立って、六太が座る窓に歩み寄ってきた。
「どうした」
 気遣うように頭に手を置かれる。そのぬくもりに、六太は泣きそうな目で見
上げた。
「なんだ、また拾い食いでもしたのか」優しい声だった。
「そう――かもしれない」
「困ったやつだな。腹が減っているなら、今日は正寝で一緒に飯を食っていく
か?」
「……うん」
 一瞬だけ顔をそむけてさっと目元を拭ってから、六太は必死に笑ってみせた。

762永遠の行方「遠い記憶(45/57)」:2017/04/04(火) 01:08:20

 斡由の乱以降、特に深刻な事件は起きていない。だから心穏やかに過ごして
も良いはずだが、最近の六太はこんなことを考えるようになった。
 なぜ尚隆は白沢を太保に任じたのだろうか、と。
 宮城に置いていろいろ見聞させるためなら、別に三公である必要はない。謀
反の中枢にあった人物なのだから、何なら本人が当初乞うたように下官として
勤めさせても良かったはずだ。
 だが尚隆は太保にした――六太の下につけた。
 もしや白沢の思いの変遷と反省のさまを間近で見せることで、六太に誤りを
悟らせるためかとも疑う。何をしてもいいが俺の足は引っ張るな、おまえが不
用意に動けば逆に民が害される、と言外に牽制しているのか。
 元州から宮城に帰還したあと、尚隆が六太の使令に命じたことがある。それ
は万が一また六太が狙われるようなことがあれば、誰を人質にされ、何を六太
自身に命じられようと、即座に六太の身柄を宮城に連れ帰れというものだった。
 あのとき更夜にも言われたように、本当に戦乱の到来を防ぎたいなら更夜を
殺すべきだったし、人質の赤子を犠牲にしても逃げるべきだった。でも六太に
はできなかった。だから尚隆が命じた。
 六太のあざなを馬鹿とした尚隆の心の一端が見えたような気がした。考えす
ぎかもしれないが、彼の苛立ちを示していないとどうして言えるだろう。
 白沢が尚隆に深謝した際、尚隆は「間違いを犯さない人間などおらぬ」と
笑って赦したという。さらには「何も失わずに生きていける人間もおらぬ」と
言って慰めもしたらしい。
 驪媚や亦信を喪わせた六太を、尚隆は本当に許してくれたのだろうか。何も
失わずに生きていけるはずはないのだからと、達観しているのだろうか。
 それでも相変わらず憎まれ口しか叩けない六太を、尚隆はどう思っているの
だろう。
 ――なぜ台輔はいちいちに主上を軽んじられるのですか。
 ――台輔が主上を褒めたりかばったりするお言葉を一度も聞いたことがござ
いません。
 最近では、六太は曠世と目が合うのを恐れるようになった。

763名無しさん:2017/04/04(火) 01:23:32
怒涛の更新で嬉しい・・・・
次も楽しみにしてるよ!

764永遠の行方「遠い記憶(46/57)」:2017/04/04(火) 19:45:29
 もちろん曠世は、内容はともかくとして言葉遣いは丁寧だ。だが、おそらく
それは敬意からではない。
 あれは拒絶だ。言葉そのものを丁寧に取り繕うことで、彼は六太との間に
きっちり線を引き壁を作っている。
(たぶん……憎まれてもいるんだろうな)
 諦めの心境で考える。曠世にとって更夜は親族の仇。更夜をかばう六太もそ
れは同じなのだろう。六太が更夜の肩を持つ以上、歩み寄りはあり得ないとい
うわけだ。
 傍で見ているかぎり、白沢は着実に尚隆の信頼を得、白沢に侍る曠世も、
けっこう便利に尚隆に使われてもいるようだった。それにどうやら曠世が辛辣
な言葉を突きつけるのは六太だけらしい。何しろ尚隆に心酔しているわけだか
ら、六太が更夜をかばうだけでなく尚隆に減らず口を叩くのも気に入らないの
だろう。その割に帷湍たちが言うぶんには大して気にしていないように見える
ので、よほど六太が嫌いらしい。
 あるとき仁重殿に帰る途中、たまたま曠世がひとりで書類を運んでいたとこ
ろに行き合ったため、六太は声をかけてみた。
「よう。がんばってるようだな」
「おかげさまで」
 いつものように張りつけられた笑みさえ、六太に対する壁と思われた。
「その、さ」立ち去ろうとした曠世をあわてて引き止める。「そろそろ普通に
話をしないか?」
「はい?」
「これだけけなされ続けると、さすがの俺も気分が落ち込むんだ。でももう知
らない仲じゃないんだし――」
「そうですか? でも拝見しているかぎり、台輔はずっと主上をけなし続けて
おられますよね。となれば当然、同じ行ないがご自分に返っても文句を言えな
いのでは?」
 小首を傾げるさりげない態度の割に、言葉は相変わらず辛辣だ。六太は口元
をこわばらせたが、何とか笑顔を保った。
「いやあ、尚隆は気にしてないしさ。それに帷湍なんかもよく尚隆を罵倒して
るだろ」

765永遠の行方「遠い記憶(47/57)」:2017/04/04(火) 20:06:28
「ああ。他の者がやっているからご自分もやっていいと思われているわけです
か。なるほど」
 六太は言葉に窮した。感情をそのまま相手にぶつけるという意味では、曠世
も六太のことを言えないほど未熟なのだろうが、だからこそ六太には反論でき
なかった。
ちなみに曠世は二十代前半らしいので、六太や更夜より年下なのは確かだ。
「実際のところ、はなから主上を軽んじている台輔と異なり、あれで帷湍どの
は主上にかなり敬意をいだいておられます。しかし奸臣は違います。玉座の根
拠である麒麟が王を軽んじるさまを見て、彼らはそれに正当性を見いだして主
上をないがしろにしています」
 つまり、と曠世は続けた。かつて元州城に留まったことで斡由の反乱を認め
たと見なされたと同様に、奸臣らは六太の態度を見て、王は軽んじてしかるも
のと思っていると。だから宮中の秩序の混乱は、六太の態度が一因でもあるの
だと。
 黙り込んだ六太に、曠世はくすりと笑みを漏らした。
「ご存じでしたか? 主上は相手の水準に合わせて対応を変えておられますよ」
「え……?」
「頭の良い、主上の意図を察することができる者にはそれなりの答えを、そう
でなければ適当にあしらっておられます」
「それは、おまえにはいろいろ話しているという意味か?」
 愚かな六太に何も話さないが、曠世には話しているのだと。
「まさか。私のような者に主上の深遠なお考えがわかるはずもございません」
 急に顔つきを正した曠世は、その言ばかりは本心から口にしたようだった。
「単に主上が意図を明かす相手は限られるということです。なのに表面だけで
判断して主上を悪しざまにおっしゃるのはいかがなものでしょう。奸臣らはい
まだに主上が怠けていると非難していますが、主上は実際には、ご自分が定め
た優先度と方法とで順次物事を処理しておられます。単にそれが官の考える対
応や優先順と異なっているがために、政務を放擲していたように見えるにすぎ
ません」
「それは……」

766永遠の行方「遠い記憶(48/57)」:2017/04/04(火) 20:24:02
 六太が口ごもると、曠世はひとつ溜息をついてから話を変えてこう言った。
「主上がこう言っておられたことがあります。『人は正義の名のもとに、簡単
に相手を追いつめるものだ』と。『自分が正義だと確信したときの人間の残虐
さは本当に恐ろしいぞ』と」
 自分は正義だからまったく悪くない。相手が悪いのだから何をしても良いと、
簡単に相手を傷つけて正当化してしまう。曠世は淡々とそう語った。
 六太のことか、それとも六太を責める自分を自覚してのことなのか。そう
思って困惑していると。
「勘違いしていただきたくないのですが、別に私は自分を正義だとまでは思っ
ておりませんよ。私は台輔は嫌いですが、無礼打ちにされても仕方がない態度
だということも承知しています。
 それでも台輔にこういったことをお伝えする人間も必要でしょう。でなけれ
ばこれまで同様、誰もが台輔を庇護して甘やかすだけなのですから。いくら台
輔の安全が主上のお命にかかわるとはいえ、そしてお姿が子供のままとはいえ、
ここまで甘やかすのはどうかと思いますね。何しろ台輔の考えなしの言動が主
上を貶め、それによって主上のお身の回りの危険を増大させているのは確かな
のですから」
 立ち尽くす六太に、曠世は一礼した。そうして踵を返して去っていく。
 その姿が見えなくなってから、六太はのろのろと歩き出した。仁重殿に戻り
ながら欝々と考える。確かに言われるまでもなく、六太の態度は王を軽んじて
いて、それが宮中の乱れの一因なのかもしれない。
 だが。
 仕方ないじゃないか、とも泣きたい思いで言い訳する。
 なぜなら――。
 なぜなら本当は尚隆にもっとかまってほしかったのだから。だから言い合い
もしたし、文句も言った。そうすればそのときだけは尚隆の気を引けるから。
六太には尚隆が耳を傾けたり意見を求められるほどの政治能力はないから。
 幼い子供みたいだ、と六太は自嘲した。あるいは好きな女の子の気を引くた
めに髪を引っ張っていじめたりして、逆に嫌われる男の子か。
 六太は尚隆を見る。いつも――見ている。だが尚隆は六太を見ない。

767永遠の行方「遠い記憶(49/57)」:2017/04/04(火) 21:23:37
 あいつは本当はけっこう優しいんだけどな、と半ば諦めの気持ちとともに、
仕方がないとも理解している。なぜなら尚隆にとって六太は、曠世に言われる
までもなく役立たずなのだから。

 それから数年が経った。
 未来の雁を担う官は順調に育っているようで、表面上はまだ奸臣が幅を利か
せていたものの、尚隆の手足となって実務を担う人材は着実に増えていった。
特に元州の州官出身者は、徐々に、だが確実に復興していく国を目の当たりに
して、自分たちの何がいけなかったのか、国府が本当は何をしていたのかを
悟ったらしく、完全に王に帰順した。
 三公六官は白沢を除けばまだ光州出身者のままだったが、数年のうちに首が
すげかえられることは確かだろう。朱衡などは明らかに法務関連の重要な案件
もかかえるようになったから、いずれは小司寇、もしかしたらいきなり大司寇
に抜擢されることもありえた。
「国内が安定していないのに、今度は荒民か。相変わらず頭の痛いことだ」
 周辺国がきな臭いという情報を持ってきた成笙に、後宮の執務室で尚隆が嘆
息を漏らした。
「大半は雁を素通りしていくとは思うがな。まだ雁の民自身が食っていくのが
やっとなのだし」
「まあ、いい。引き続き状況を探らせておけ」
 うなずいた成笙が麾下に指示を下すために退室する。それを見送った六太が
ふと口を出した。
「なあ。何なら俺がさっと行って様子を見てこようか?」
「うん?」
「宮城にばかりいたら息が詰まるし。おまえの命令で国外に出るなら勅命って
ことで言い訳できるじゃん」
 六太は大きく伸びをしたあと、にやりとしてみせる。
「なんだ、退屈していたのか」
「そりゃそうさ。おまえだって相変わらず外に出歩いてるんだ、たまには俺に
も口実を与えろよ」

768永遠の行方「遠い記憶(50/57)」:2017/04/04(火) 21:26:34
「なるほど。使令もいるし、考えてみれば適任か」尚隆はくっくっと笑ってか
ら「よし、台輔に命じる。適当にいろいろ探ってこい。だがあまり遊びすぎる
なよ」
「任せとけって」
「そうだな。うまくやれたら、そのうちどこかに連れていってやろう」
 六太は一瞬目を見開いてから、「楽しみにしとく」と笑った。
 嬉しかった。六太は名目上の靖州侯でしかなく、宰輔としても、何しろ尚隆
が六太の助言諫言を必要としていない。だから国が整いつつある中で、尚隆の
側近周辺が皆尚隆に頼りにされて忙しく働くさまにどこか焦っていた。置いて
いかれる、自分も何かしなくてはならない、と。
 だからとっさに申し出たのだが、尚隆の出奔に誘われるとまでは思わなかっ
た。
 思わず、ぐっと拳を握る。尚隆の目となって命じられるままに国の内外を探
れば、もっと気にかけてもらえるかもしれない。さすがに危険な場所には行か
せてもらえないだろうし、六太自身も不安があるが、使令さえいれば大抵の場
所なら何とかなる。
 六太は頑張って勅命をこなした。傾きつつある外国で民の暗い顔を見るのは
つらかったものの、そういうとき尚隆は、次は穏やかな地域の視察を命じて気
遣ったり、周辺に緑の増えた関弓の散歩に誘ってくれるようになった。おまけ
に使令を人目につかせるわけにはいかないとあって、一緒に騎獣に乗せてくれ
るのだ。
 騎獣の上で体を安定させるためなら、尚隆に後ろからぎゅっと抱きついても
言い訳はいらない。騎獣が小さめだと六太が前方に乗り、尚隆が後ろからかか
えるようにして手綱を取ることもあった。
 幸せだった。そんな自分の感情を分析するまでには至らなかったが、これが
麒麟の本能なのだろうと、深く考えることもなかった。
 相変わらず減らず口を叩くのまではやめられなかったが、尚隆自身は気にせ
ずにあしらってくれたから、曠世に呈された苦言を忘れ、これまた深く考えな
かった。むしろ一緒に過ごす時間が増えたことで積極的にわがままを言って、
どこまで許容してくれるのかと無意識に量っていたところがある。

769永遠の行方「遠い記憶(51/57)」:2017/04/04(火) 22:03:13

 そうやって日々が過ぎていき、あるとき六太は来年には三公六官が刷新され
る予定だと聞きつけた。
 まず朱衡の元に赴いて事実を聞いてみる。必要な人材がかなり育成された今、
今度こそ尚隆は改革を敢行するつもりらしく、朱衡は大方の予想通り大司寇に
抜擢される旨を内々に伝えられたとのことだった。帷湍は大司徒の予定だし、
白沢に至ってはなんと州侯だ。ただし元州ではない別の州だが。
 忙しそうな朱衡に祝いを告げ、ひとしきり話をしてから次に帷湍のところに
行く。禁軍左軍将軍になるはずの成笙の元へも。
 最後に白沢の元を訪れると、他の三人と違って実権のない三公だったぶん時
間もあるのだろう、引き止められて和やかに話をした。
「元州じゃなくて残念だったな」
「さすがにそこまでは望みません。むしろ宮城に来たときのように、遠く離れ
ていたほうが元州のことも客観視できて良いでしょう」
 白沢はそう言って朗らかに笑った。
「これは主上もおっしゃっていたのですが、斡由の政治的手腕自体は見るべき
ものがありました。見習うべきところは見習い、正すべきところは正してよく
治めよと、そう激励をいただきました」
「……うん。がんばれよ」
「まあ、実際に就任するまでまだ数ヶ月ありますので、これから初心に帰って
学ばせていただきますが。もっとも現在の冢宰らに漏れないよう注意も必要で
すな」
 何しろ尚隆が目論む改革はまだ極秘だ。現在の官位にふんぞり返っている奸
臣らに抵抗する隙を与えず、一気に畳みかける計画なのだから。同時に、これ
まで奸臣らが不正に蓄えてきた財も没収されることだろう。
 年が変わり、しばらくして現実に諸官に辞令が下ると、宮城はにわかに慌た
だしくなった。それでも尚隆の息のかかった下官がこの三十年でじわじわと組
織に浸透し、実務の要所を仕切るようになっていたとあって、上が刷新されて
ももはや混乱は起きない。捕縛されるべき者は捕縛され、または仙籍を剥奪さ
れて放逐され、代わりに今度こそ尚隆の認めた人材が冢宰および三公六官の座
につく。

770永遠の行方「遠い記憶(52/57)」:2017/04/04(火) 22:05:48

 六太があらためて白沢に挨拶に行くと、任地の州に向かうため、太保の官邸
は整理の真っ最中だった。さすがに十年近く過ごしたとなると、なんだかんだ
で荷物も増えたのだろう。
「元気でな。がんばれよ」
 六太はそう言って激励した。ついでに、最後かもしれないので曠世を呼びだ
して、久しぶりにふたりだけで言葉を交わした。もっとも曠世の冷ややかな笑
みは変わらなかったが。
「いろいろあったが、おまえもがんばれよ」
「お気遣い感謝いたします」
「その、俺もいろいろ浅慮だったのは認める。うん」
「そうですか」
「でも当の尚隆が別に気にしてないんだし――」
「それでも主上が失道なさるとしたら、きっと台輔のせいでしょうね」
 最後の最後で突きつけられた鋭利な言葉の刃と毒に、油断していた六太は絶
句した。ややあって震える声で問いかける。
「なん、だって?」
「只人でも、毎日身近な人間に罵倒され続けていればひねくれてしまうもので
しょう? なのにしっかり統治しておられる主上の手腕に、何かというと未だ
に難癖をつけていらっしゃるのですから、さすがの主上もいずれは倦んでしま
われるのではと」
「それ、は」
「もちろん不敬な想像ですし、主上が雁を繁栄に導いてくださることは疑って
おりません。しかしながら王というものは昔から、いずれ玉座に飽くものだと
言われます。なのにもっとも身近にいる麒麟が支えたり慰めるのではなく日ご
ろから罵倒していたら、さすがの主上もやがてはうんざりして『もういい』と
すべて投げ捨ててしまわれかねないとは思いませんか?」
 その論理には穴があったかもしれない。しかしいきなりのことで六太には否
定できなかった。
 六太自身、曠世にきつい言葉を浴びせられるのは嫌だったし、誤魔化しては
いたものの彼と顔を合わせるのは怖くもあった。いい加減、うんざりすること
もあったし、そろそろ態度を改めてくれないかとも思っていたのは事実だ。

771永遠の行方「遠い記憶(53/57)」:2017/04/04(火) 22:08:18
 だがそれを自分と尚隆の関係に当てはめられようとは思わなかった。
 思えば六太の意識は、言うなればずっと被害者のものだった。自分が加害者
になるなどありえないと無意識に確信していたから、他者を害している可能性
に至っては微塵も考えたことがない。顔では笑っていても、ほんの毛筋ほどで
も尚隆が傷ついている可能性、当人が自覚していなくても塵が積もるように鬱
憤が降り積もっている可能性などまったく想像していなかった。
「以前台輔は、王は王だ、民とは違うから民を踏みにじりかねないとおっ
しゃっていたことがありますね。私はそれを伺ったとき『世に言われる麒麟の
慈悲というものは、ずいぶん底が浅いのだな』と思ったことを覚えています」
「……」
「なぜなら、はなから信じずに疑ってばかりいたら、普通なら疑われたほうは
心が歪むものだからです。それは王であれ変わらないでしょう。臣が最初から
疑って信じなければ、主君の感情をみすみす負の方向へ向けかねません。
 台輔がどう思われようと、主上も人間ですよ。実際、どの国のどの王も、最
後には失道して過ちを犯してきたではありませんか。それは人間だから、どう
しても心の弱さを完全に克服するには至らないのでしょう。世に終わらない王
朝はないと言われるのはそういうことです。
 ならば主上もいつかは玉座の重責に耐えられなくなります。そんなとき半身
とされ、もっとも身近な麒麟にさえ罵倒され続ければ、立ち直れずに転落する
しかないではありませんか」
 六太が黙っていると、曠世は話が終わったと判断したのだろう、「それでは
お元気で」と一礼して立ち去った。六太はぼんやりとしたまま、その後ろ姿を
見送った。

 既に元州と光州は治まっている。改革で宮中にも秩序が戻り、さらに白沢の
治める州が完全に王に帰順すると、国内の状況は急速に安定した。むろんまだ
盤石とは言い切れないため油断はならないが、このまま地道に治め続けていけ
ば、雁の全土はおのずと復興を遂げるだろう。
 この頃には既に、以前曠世が口にしたような現王の意図、つまり治水を含め
た勅令の目的についても解釈が広まってきていて、十年、二十年経って結果が
誰の目にも明らかになると、もと元州の州官もあらためて王の慧眼ぶりに感服
して褒めたたえた。

772永遠の行方「遠い記憶(54/57)」:2017/04/05(水) 21:21:02
 白沢は新年の慶賀には必ずみずから宮城に足を運び、尚隆や六太はもちろん、
朱衡や帷湍らとも親しく歓談した。その際、いつも曠世を伴っていたが、それ
も十年が過ぎるまでだった。
「もともと元州に帰るのが本人の希望でしたのでな。いろいろと経験も積んだ
ようなので、先ごろ元州侯にお願いしてあちらの州官に戻していただきました」
 その年、白沢の随行に曠世の姿が見えなかったため六太が尋ねると、白沢は
そう答えた。六太は「そうか」と言ったものの、ほっとしたような、逆に寂し
いような、複雑な思いだった。
 以来、それとなく探ったところ、曠世は元州でよくやっていたらしい。それ
から何十年かを真面目に勤め上げ、後進を育ててからあっさり仙籍を辞して市
井に下ったという。
 その頃には内朝六官のひとりとして宮城に戻っていた白沢から、曠世が結婚
したらしいとの噂も聞いていたのだが、官でなくなった者の消息はすぐにわか
らなくなるものだ。さらに数十年を経るころには、おそらく既に没したのだろ
うなと思い、六太は不思議な寂寥感を覚えた。
 きつい言葉を浴びせられたのはもちろんだが、確かに六太の周囲には彼のよ
うに嫌悪とともに惨い事実を容赦なく突きつける者はいなかった。嫌だったし、
今度は何が口から飛び出すのだろうと思うと怖くもあったが、あれはあれで得
がたい経験だったのかもしれないと、今なら思える気がした。
「どうした」
 もう尚隆は後宮で密かに政務を執ることもない。内殿の王の執務室で六太が
何となくぼんやりしていると、書類の吟味が一段落したようでそう声をかけて
きた。
「なあ、曠世って覚えているか?」
 尚隆は少し考えこんだものの、すぐに「昔、白沢の側仕えだった者か?」と
正解を口にした。
「うん、そう。実はあいつがいた頃、けっこうきついこと言われ続けててさー」
ふいと視線を逸らして窓の外を見やる。「でも今となってみると、妙に懐かし
いっていうか。不思議なんだけどさ」
「ふむ」
「仙籍を辞して長いから、もう亡くなってるんだろうけど、何だかふと思い出
して。どうしてかな」

773永遠の行方「遠い記憶(55/57)」:2017/04/05(水) 21:32:40
 席を立つ気配がして視線を戻すと、尚隆が歩み寄ってくるところだった。首
を傾げてその様子を見ていると、たまにやるように尚隆が六太の頭に手を置い
た。
「誰であれ、置いていかれるのは寂しいな」
 変わらないその手のぬくもりに、不意に六太は泣きたくなった。曠世なんか
好きではなかった。自分すらも誤魔化していただけで、本当は話をしたくもな
かった。
 でも。
「そう、だな」
 誰であろうと置いていかれるのは寂しい。いっときとはいえ近しくしていた
者であれば特にそうだ。
 無造作に頭をなでてくる尚隆を見上げ、六太はごく自然に思った。尚隆が好
きだと。
 それは春になって草木が萌えるような、雪が融けて水になるような、ごく当
たり前の感情の開花だった。
(――そうか)
 ぼんやりと尚隆を見上げながら、六太はようやく自覚した。自分は尚隆が好
きだから、あれほど減らず口を叩いてまで気を引こうとしたのか、と。
 それは主君への敬愛ではない。友愛でもない。その手を余人と分け合わずに
自分だけのものにしたいと願う独占欲は恋情に他ならず、だからこそ報われる
ことはないだろうとも同時に確信した。
 にっと笑ってみせると、尚隆も笑顔を向け、またひとしきり頭をなでてくれ
てから椅子に戻った。
 その様子を眺めながら、六太はみずからの滑稽さに笑い出したくなった。
 なんて哀れなんだろう。尚隆が六太を麒麟として以上に見ることはないし、
そもそも男としての欲求は普通に市井で女を買って済ませている。雁でもこれ
まで美男美童を後宮に集めた男王はいるらしいが、少なくとも尚隆にそんな性
癖がないことは、長く接した六太自身がよく知っていた。
(気づかなければ良かったなあ)
 頭の後ろで手を組み、くつろいだふうにまた窓の外を眺めやる。尚隆の治世
が長く続くことを望んではいたが、それが自分の片思いの歴史になることを考
えれば、溜息しか出なかった。

774永遠の行方「遠い記憶(56/57)」:2017/04/05(水) 21:44:36
(長いなあ。長く続くんだろうなあ。まあ仕方ないか)
 心中で苦く笑う。感じるのは最初から諦念しかなかった。それでもこのとき
はまださほど実感がなかったせいか、どちらかと言えば穏やかな気持ちだった。
 期待はしない。夢も見ない。それでも想うだけなら許してほしいと、凪いだ
心で慈悲を乞う。
 しかし季節は過ぎる。その長さに応じて想いも降り積もる。ときに尚隆と馬
鹿騒ぎをし、ともに出奔して楽しく諸国を巡りながら、六太の恋情はより深く
真剣になっていった。それゆえに、この想いは絶対に知られてはならないと心
に銘じてもいた。
 王と麒麟は一蓮托生、いわば夫婦よりも固い絆で生涯を共にする。だがそれ
は国主と臣下の関係であって、決してそれ以上のものではない。尚隆が六太に
向けるのは、あくまで身内に対する親愛の情に過ぎなかった。
 そんな相手に自分の想いの深さを知られたときの惨めさを思うと死ぬよりも
つらい。離れるわけにはいかない相手となればなおさらだ。
 呆れられるかとも思うが、意外に優しい尚隆のことだから、知ればむしろ困
惑や哀れみの目を向けてくるのではないだろうか。ときにはあまりにも思いつ
め、宴席で酔ったはずみに笑い話として臣下に話されるかも知れないと、尚隆
の性状からしてありえない状況まで想像して恐怖することさえあった。尚隆で
はなく他の者にばれたとしても、もし哀れみや嘲りの目で見られるなら毎日が
針のむしろになるのは変わらない。

 だからなのか、それから長い時を経て晏暁紅に、六太が身代わりになれば王
は助かると告げられたとき、おかしなことに実質的な死を迎えることについて
の動揺はなかった。むしろこれが自分の生に用意されていた結末だったのかと、
すとんと胸に落ちるものがあった。振り返ってみれば、こんな不自然な想いを
いだいたままいつまでもいられるはずがないと、どこかで覚悟していた気がし
た。
 かつて使令は尚隆に、六太が狙われたなら誰を人質にされても六太を宮城に
連れ帰れと命じられた。だが今その王が危険にさらされ、翻って六太は眠り続
けるだけで生命に障りはないという。六太の影の中、どちらの命令に従うべき
か混乱した使令を、六太は双方の生命を守る唯一の方法だとしてなだめる。

775永遠の行方「遠い記憶(57/E)」:2017/04/05(水) 21:48:45
 きっとこれは天帝の慈悲なのだ。決して報われることのない想いを秘めつつ、
これ以上主のそばで苦しい一生を過ごさなくても良いのだ。誰よりも恋しい相
手が、六太のことなどまったく意に介さず、今日はこちらの女、明日はあちら
の女と渡り歩く姿をもう見なくて良いのだ。
 そう考えると、六太はやけに静かで落ち着いた気持ちになった。そして身勝
手な思いながら長いこと苦しんでいた暁紅に対して、心の底から哀れに思った。
州侯の美貌の寵姫にまでのぼりつめておきながら、ここまで落ちぶれてしまっ
たとは。
 それに尚隆が道を失ったとき、きっと六太には何もできない。かつて曠世が
六太の心に打ち込んだ楔は今でも鮮やかに生きていて、自分はむしろ追い打ち
をかけることしかできないだろうと思った。
 これまで国政で役に立たなかったように、結局は手をこまねいて、王と民の
双方の苦しみを見ていることしかできないに違いない。そもそも国政に有能な
麒麟がいた試しはないと聞く。それくらいなら、生きているだけの木偶になっ
ても同じこと。むしろいざというときに官が六太の命を絶つことで王の暴虐を
止めやすくなるかも知れない。
 ならば眠り続けるのも悪くはないと思った。どうせ麒麟のものは何もない。
生命すら自分の自由にならない。この想いさえ、もしかしたら王を慕うとされ
ている麒麟の本能なのかもしれない。ならばいっそ。
 ――ただの木偶になってしまえばいい。
 麒麟の生命さえ続いていれば、王の健康には何の差しさわりもないはず。む
しろ慈悲の繰り言を聞かされずに済むぶん、尚隆にとっては好ましいことかも
しれない。
 ――それでも。
 少しは悲しんでくれるだろうか。少しは哀れに思ってくれるだろうか。何年
かに一度でも、何かの折りに思いを馳せてくれるだろうか。長い時が経ち、王
から人に還る最期のとき、一瞬でも懐かしく思い出してくれるだろうか……。
 六太は安らかだった。そうして暁紅が呪を唱える中、不思議なほど澄んだ気
持ちで、尚隆への愛情を宝石のように胸にいだきながら目を閉じたのだった。

- 「遠い記憶」章・終わり -

776書き手:2017/04/05(水) 21:54:08
結局ぎりぎりまで往生際悪く推敲していたため少しかかりましたが、
やっと「遠い記憶」章が終わりました。

当初の構想ではほぼ地の文だけでさらりと書いて六太の覚醒につなげる予定だったところを、
説明だけに終始しても説得力がなさそうだと、結局普通に描写することにしたらこの体たらく。
これでもかなりのネタを入れ切れずにボツにしたんですが。
おまけに最後の六太の心情描写を書いたのは、昔書き逃げスレに投下したより前とあって、
今回書いた部分とうまくつながってないかもしれません。

元州に頑なに治水工事を許さなかった尚隆の意図については、原作を読み込むかぎり
ああいう感じだったのではと本作としては断言しちゃったのですが、実際にはどうでしょうねー。
民も自分たちで河岸を荒らしたとか、いつもながら勝手に設定を作っているし。
荒れた巧にいた頃の陽子の「ここは神だのみをしない国だ」あたりの描写から推して
空位であちこちが危険になれば、民は生き残るために手段を選ばなかったろうと想像しました。
現実の歴史や言い伝えなんかでもほうぼうで類似の話はある上、
雁は折山の荒廃と言われるほどすさまじく追い詰められたわけなので。

ともあれ次章「絆」はようやく、書きたかった尚六的本論です。

777名無しさん:2017/04/05(水) 22:12:40
お疲れ様でしたー
尚六的本論、楽しみにお待ちしています!

778永遠の行方「絆(前書き)」:2017/04/10(月) 21:13:50
―――――――――――――――――――――――――――――――――
 無事に呪の眠りから目覚めた六太。
 しかし呪に囚われている間、夢すら見ず、唐突に意識が戻った六太と、
 長らく苦しんだ尚隆とでは、その心情に温度差があった。
 主従は誤解し合い、すれ違いながら、それでも絆を深めていく。
―――――――――――――――――――――――――――――――――


やっとこの章までたどりつきました……長かった。

この「絆」章は尚六的本論、つまり承転結に当たり、
主に六太、または尚隆の視点で進みます。
たまに他のキャラの視点も入るかもしれませんが、
焦点がぼけるのでさらりと済ませ、舞台もあくまで宮城が中心。

基本的にはちょっとした誤解とすれ違いの話で、六太がやたら乙女です。
本格的に投下するまで、またけっこう間があくと思うので、
あとでとりあえず最初の2レスだけ落としていきます。

779永遠の行方「絆(1)」:2017/04/10(月) 22:23:36

 それは不思議な感覚だった。日も射さぬ深い深い水底から、唐突にぷかりと
浮かび上がったような。
 六太はなぜか、熱い、と思った。
 体が熱い。顔も熱い。そう――口元が熱い。何か熱いものが押しつけられて
いて、さらには口腔内に割って入ってくる。味わったこともないおかしな感覚
なのに、それがまったく不快ではない。
 何だろうと夢うつつに思いつつ、やがてその熱が離れたときは訳もわからず
寂しく思った。
 それと意識せずに、ぼんやりと目を開ける。思いがけず、呆然とした表情の
尚隆の顔が間近にあった。
 何が起こったのかわからず、そのままぼうっと眺めていると、男の目から一
筋の涙がこぼれ落ちた。この男が泣いた顔など、これまで一度たりとも見たこ
とはない。六太はあっけにとられて、まじまじと見つめた。声をかけようとし
たが、口がうまく動かなかった。
「……どうして……泣いている……」
 やっとのことでかすれた声を絞り出すと、尚隆はほんのりと微笑して「どう
してだろうな……」と静かに答えた。
 優しく頬をなでられて嬉しく思いながら、引き続き尚隆の顔を見るともなく
見ていると、徐々に記憶が蘇ってきた。
(そうだ、俺は暁紅に呪をかけられて――)
 そこまで思い出してはっとする。六太は王が目覚めることと引き換えに、覚
めない眠りに落とされたはず。尚隆が無事だったのはわかったが、こうして自
分まで目覚めたのはおかしい。
 そう思ってみれば尚隆の顔は、今まで見たことがないほどやつれていた。
 やつれ、というのとは違うかもしれない。何しろ仙は病にもならず怪我もし
にくい。死線を潜り抜けるようなことをしたのでないかぎり、そうそう面立ち
は変わらないものだ。ただ雰囲気が――妙に疲労の色が濃いというか。
 他に何か事件があったのだろうか、とめまぐるしく考える。この房室は静か
なようだけれど。
 六太はここが仁重殿の自分の牀榻でないようだということにやっと気づいた。
だが大きく開け放たれていた折り戸の向こうの様子に見覚えはある。牀榻の内
外にやたらと花が飾られているのが不思議だが、この装飾はおそらく正寝。そ
れも正殿たる長楽殿の王の臥室のひとつ、のような……。

780永遠の行方「絆(2)」:2017/04/10(月) 22:37:49
 六太は、まさか自分が眠り続けていたことで思わぬ悪影響があったのだろう
か、と焦った。
 靖州の令尹は優秀な男だから、靖州侯の不在が確定すれば、王の権限で承認
の押印まで全面的に任せるのに支障はなかったはず。それとも宰輔としての政
務のほうだろうか。あるいは祭礼とか他国の賓客を迎えるなどで、宰輔がいな
いと格好がつかなかったのかもしれない。それとも五百年の治世を誇る王とは
言っても、宰輔が実質的に不在であることに苦言を呈する輩でもいたのか。確
かに王の傍らに麒麟がいないとあれば、傍目には不安定この上ない。それとも、
それとも――。
「あの――さ。おまえ、随分やつれてるみたいだけど、何かまずいことでも
あったかな。いちおう呪者にはおまえに害がないって確認したんだけど……」
 かすれた声を出すたびに痛む喉を無視して、懸命に言葉を紡ぐ。
 自分がここにいるのは、頼んだとおりに鳴賢が国府に連れていってくれたか
らだろう。当然、経緯も詳しく説明したはずだ。だがそれ以上のことはさっぱ
りだった。牀榻はもちろん外の臥室の様子もほの暗いことから、せいぜい夜だ
ろうことが推測できる程度だ。
 尚隆の目が大きく見開かれるのを見て、当たりかな、と沈んだ気持ちになる。
昔の斡由の乱のときのように、自分が良かれと思ってしたことが、結果的に事
態を悪化させたのだろうか。
「ごめん……。俺、莫迦だからさ。やっぱり何か騙されたかな。王には何も悪
影響はないって、しつこく確認したつもりなんだけど」
 尚隆の唇がきつく結ばれ、眉に険が寄った。ここに至って臥牀の上に腰かけ
た尚隆に、衾にくるまれて抱き寄せられていたことに気づく。そうやってすっ
ぽりと腕の中に納まっていたものだから、六太にも相手の身体の震えがまざま
ざと伝わってきた。六太の目の前で固く衾を握りしめた拳には筋が白く浮いて
いた。
 ああ、怒っているんだ、と萎えた心で考える。大抵のことには鷹揚な態度を
崩さず対応してきた尚隆が、こんなに憤りをあらわにするのもめずらしいけれ
ど。
(じゃあ、本当に何か問題があったんだ。もしかして――今度こそ殴られるか
な)
 だが尚隆はふいと目をそらすと、六太をそっと臥牀に横たえてから立ち上
がった。臥室を出て、そこにいた護衛の臣にだろう、「六太の意識が戻った。
黄医を呼べ」と命じている声が聞こえた。
 尚隆はそのまま臥室に戻っては来なかった。

781名無しさん:2017/04/11(火) 12:11:41
一区切りお疲れさま&更新有難うございます
昔通ってましたがもう動いてないと思ってたのでサロンのスレで動いてた事を知り
他スレとあわせ全ログ一気読みさせていただきました
出来上がるまでのもだもだやスレ違いや追い詰められる系が大好物なので
脇まで丁寧に描かれ一歩一歩前進してる本作には引き込まれました
呪のくだりは蠱毒に似た禍々しさにゾクッとさせられ成長しながら真相に近付く鳴賢や
よくぞ言ってくれた!な陽子を応援し尚隆の気持ちが自然と六太に傾いていく様と
その憔悴っぷりをハラハラドキドキ見守りようやくと萌え死に…
でもこの先もまだもだもだしそうで楽しみでなりません
続きもゆっくり気長にお待ちしております

782書き手:2017/04/11(火) 22:46:28
ありがとうございます。
エタだけはないので、また何かの折にでも覗いてください。

前章でろくたんをかなりいじめてしまったので
早く尚隆とラブラブにさせてあげたいものです。

783名無しさん:2017/04/12(水) 22:28:46
絆の2スレだけで既に萌える、出て行った尚隆が切ない・・・
続き楽しみに待ってます!

784名無しさん:2017/04/15(土) 21:11:12
あぁぁほんと最高です!
待ってます!

785書き手(尚隆語録):2017/04/18(火) 21:05:22
長らく放置状態だったのに見てくださってありがとうございます。

実は投下してなかった間も「尚隆の台詞はこんな感じ」と随分ためてたのですが、
前章は六太視点に終始したし、あれ以上オリキャラをクローズアップするのも
「なんか違う」とほとんど使えず全部ボツに。
でもせっかくなのでそれも、全部ではなくごく一部ですが、合間に落としていきます。
ファイルごと削除するのもなんかくやしいので見逃してくださいw

 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

曠世が白沢に命じられて初めてひとりで尚隆の元に使いにやられた際、
むろん最初に白沢が「この者に使いをやらせます」と境遇を含めて紹介&予告した上での話ですが、
気安く声をかけてくる尚隆に、曠世は極限まで緊張しながらも思いきって
「あの! 不心得な元州をお見捨てになろうとは思われなかったのですか?」と問い。

片眉を上げてにやりとした尚隆、
「どうせ救うなら国を丸ごとだ。どちらにしろやることは大して変わらんのだからな」

もともと元州政府に恨みをいだいていたこともあり、
自分の親族を殺した更夜の肩を持つ六太の態度に衝撃を受けたこともあり。
それらとの対比から、曠世はこのたった一言でやられて心酔してしまったのでした。

……この台詞、先のどこかで使えるといいなあ(未練)。

786永遠の行方「絆(3)」:2017/04/18(火) 22:32:58

 六太が状況を理解できないまま待っていると、ほどなくあわただしい気配が
近づいてきた。
 足音、話し声。ずいぶんと大勢に思える。
 臥室の扉が開く音がして、衝立の陰から黄医が仁重殿の女官を数人伴って現
われた。
「おお、台輔、本当に……!」
 黄医は感極まったように叫んだ。女官たちは喜びというよりはむしろ顔を歪
め、泣きそうな表情で臥牀にまろび寄った。
 黄医は震える声で「失礼をば」と言って六太の片手を取った。そうして脈を
見、女官に差し出された手燭を六太の顔近くにかざして注意深く診察する。
「えっと。何があった?」
 とりあえずこれだけは聞かねばなるまいと思って尋ねると、黄医は目を瞬い
てから「おお」とうなずいた。
「台輔は一年半近く、意識がなかったのでございます」
「一年半……」
 たった、と意外に思った。たったの一年半。少なくとも何十年かは眠り続け
るだろうし、場合によっては眠ったまま命を失うことさえ覚悟していたことを
思うと、何だか拍子抜けした。
 言われてみれば確かに、呪にかけられたのは真冬だったはずなのに、気配は
既に初夏のものだった。
「呪が……」
「解けたようでございますな。理由はわかりませんが。主上が何かなさいまし
たかな?」
「さあ?」
 六太には何の自覚もないとあって首を傾げるしかない。ただ口元の不思議な
熱を思い出したとき、話に聞く接吻のようだったとふと思い、滑稽な連想にす
ぐ我に返って切なくなった。
 喉の痛みが本格的につらくなってきたところで、声調子からそれと察した黄
医が制止し、いろいろ疑問に思っているだろうことを簡潔に教えてくれた。
 今回の謀に関わった者は全員が死んだと思われること。したがって今度こそ
二百年前の光州の謀反は幕をおろしたはずで、後顧の憂いは何もないこと。
 犯罪者とはいえ、慈悲の麒麟にその死を伝えて喜ぶべきではなかったろうが、
王と麒麟の命が直接脅かされたのだから仕方ない。

787永遠の行方「絆(4)」:2017/04/18(火) 23:31:51
 六太を国府に運んでくれたはずの鳴賢がどうなったかについては、そもそも
彼の存在すら黄医らの意識になかったらしく、六太が必死で「め、けん、は」
と尋ねるなどしてやっと知ることができた。
「さて、やはりだいぶ四肢が衰えておられますな。神仙とはいえ、こればかり
は少しずつ動かして地道に訓練することで回復させるしか手がございません」
 重い身体にそうだろうなと六太も納得したものの、上体すら起こせないと
あって溜息しか出ない。女官は毎日六太の体勢を変えたり関節をゆっくり動か
したりと丁寧な世話をしてくれたらしいが、やはり自分で動かさないと体調は
戻らないのだろう。
「喉が乾いてはいらっしゃいませんか? 何かお飲みものをご用意いたしま
しょう。お食事についてはすぐには無理でしょうから、まずはごく薄い重湯の
ようなものから始めることになります」
 確かに長らく絶食していたのだから無理はない。
 用意された温かな小杯を口元にあてがわれる。ほんの一口か二口で充分と
思ったのに、さらりとしていながら芳醇で甘い風味に、気づけば六太は小さめ
の杯をあっさり干していた。
 しかし意識のない間も、なんと飲みものだけは少し摂っていたという。それ
も尚隆の口移しで。
 六太は目を白黒させ、ついでようやく状況を理解して真っ赤になった。体が
動いたなら、羞恥のあまり頭から衾をかぶったところだ。
「湿らした綿を台輔のお口にあてがって水分を流し込む案もございましたが、
窒息の可能性を考えるとどうしてもふんぎりがつきませんでした。かと申して
私どもが口移しさせていただくなど畏れ多いことでございます。そう申しまし
たら、主上が笑ってお引き受けなさって」
 六太の羞恥をよそに黄医は朗らかに笑い、女官たちも互いに見交わしてほほ
えんだ。
(――ああ。そうだったのか)
 不意に六太は悟った。
 目覚める直前の、あの熱い感覚。口元に何か熱いものが押しつけられていて
――。
 あれは単に何か飲み物を口移しされていたのだろう。まるで接吻のようだと
思ったけれど、半分は当たっていたわけだ。
 そこまで考えてから、六太は勝ち誇ったような暁紅の宣告を思い出した。
 ――最も望まないことではなく、おまえの最も望むことがかなったとき眠り
から覚めるようにしてあげよう。おまえの最大の願望の成就が、昏睡の呪縛を
解くようにしてあげよう……。

788永遠の行方「絆(5)」:2017/04/18(火) 23:35:24
 どきり、と鼓動が鳴った。自分の最大の望みなど、六太自身にはよくわかっ
ている。それは絶対に報われるはずのない、許されざる望みだ。だが。
 まさか、と思う。まさか自分の体はあれを誤解したということなのだろうか。
ただの口移しを接吻と勘違いして想いが通じたと思い込み、呪が解けた……?
 真相などわかるはずもない。だが実際に眠りから覚めた以上、それが一番可
能性がありそうな気がして、六太の全身を冷たい震えが走り抜けた。
(なんて――なんて滑稽な)
 いったい泣けば良いのか笑えば良いのかわからなかった。あまりにもあっけ
ない解決に、本当なら拳を振り上げて臥牀を叩くところだ。
(暁紅も可哀想に)
 あんな姿になってまで長いこと画策して必死に準備していたのに、そんなこ
とで呪が解けてしまっては浮かばれまい。しかも死んでしまったなんて。
 でも永遠に呪が解けないと思いこんだまま死ねたのなら、それはそれで幸せ
だったのかもしれない……。
 それともこれも天帝の慈悲なのだろうか。天帝は麒麟にあるまじき愚かな想
いをいだいた六太を憐れんで、その想いを密やかにかかえて生きることを許し
てくれたのだろうか。
 ふう、と諦念の吐息を漏らした六太は、心の奥底でこごった固いしこりの感
触に自分を戒めた。単に偶然がうまい具合に転んだだけなのに、調子に乗って、
もしかしたらという可能性を模索することなど許されないと思った。
 何しろ王というものは、失道して天に見放されないかぎりは天運を味方につ
けている存在だ。あっさり解決しても不思議ではないのかもしれない。
 こうなったら、残りの生はすべて天帝の恩寵と割り切って過ごすしかない。
麒麟にとって、もともと自分のものとは言えなかった生が、さらにはっきりし
たというだけ。偶然の結果で恩寵を賜ったに過ぎない六太が、おのれの欲を満
たすことなど決して許されない。尚隆への想いはこれまで以上に固く封印し、
心の奥底に閉じこめるしかないだろう。
 そんな六太の様子を勘違いしたらしく、黄医は「さて」と話を切り上げた。
「意識が戻ったばかりで疲れやすいのでしょう。しばらくご無理は禁物です。
今はまだ夜ですから、少しお休みくださいませ。明朝にまたまいります。女官
をひとり牀榻に控えさせますので、何かあればお申しつけを」
 六太は身体的には別に疲れてなどいなかった。しかし精神的な疲労は感じて
いたため、ありがたく目でうなずいた。

789名無しさん:2017/04/19(水) 08:17:21
こここ更新が…乙です!
零れ話も尚隆らしい台詞で素敵だし口移しを知ったろくたんにはニマニマせざるを得ない
グルグルしてるのがいじらしいやら切ないやらこのもどかしさも最高です
続きも楽しみにお待ちしていますー

790名無しさん:2017/04/19(水) 23:43:43
更新されてる!
二人の想いあってるのにすれ違いに私もニマニマしてしまう・・・・
この伝わりそうで伝わってないのって本当たまらんね

791永遠の行方「絆(6)」:2017/04/21(金) 19:34:19

 いろいろと考えながら目を閉じた六太が、次に気づくと既に外は明るいよう
だった。黄医の診察を受けてから、背に靠枕を当てられて軽く上体を起こされ
る。小杯をあてがわれて、昨夜と同じような甘みのある飲みものを摂った。
 女官によると宰輔覚醒の知らせを受け、まだ早朝だというのに官が続々と見
舞いに訪れているらしい。むろん長楽殿への昇殿を許されている官だけだが、
それでもけっこうな数にのぼるという。
 しかし六太を疲れさせないため、当面は六太が認めたごく親しい数人に限っ
て面会を受け付けるということだった。
「台輔……」
 許しを得て牀榻に入ってきた朱衡は、普段の彼にはまったくそぐわない、お
ずおずとした声調子だった。
 六太は本当は人払いしたかったのだが、何しろほとんど体が動かないとあっ
て、心配した女官が片時も離れない。仕方なくそのまま話をすることになった。
本音では尚隆の姿が見えないうちに、いろいろ尋ねて認識を合わせておきた
かったのだが。
 少し休んだからか、はたまた薬湯の一種だろう先ほどの甘い飲みもののおか
げか、多少喉の調子も良くなったのが嬉しい。それでも負担をかけないよう、
なるべく喉を使わず小声で話すようにした。そうすればごく近くにいる者にし
か内容が聞こえないから都合が良いというのもある。
 六太は朱衡に笑って「よう」と声をかけてから、こう尋ねた。
「何が起きたんだ?」
 小さな声を聞き取るために耳を六太の口元に寄せた朱衡が首を傾げる。
「何、とおっしゃいますと……?」
「俺、尚隆に迷惑かけたみたいなんだけど……。これでもいちおう呪者には、
王に悪影響がないってことをしつこく確認したんだ。でもあいつがあんなにや
つれてるってことは、実際には影響があったんだよな?」
 朱衡が愕然とした顔で黙り込んだのを見て、六太はいよいよおかしいと眉根
を寄せた。尚隆もおかしかったが、この男がこんな様子を見せることもめずら
しかった。
「台輔、それは」
「麒麟が生きてさえいりゃ、王には何の影響もないと思ったんだけど。考え違
いだったかな……」
「それは」いったん言葉を飲み込んだ朱衡が、やっとというふうに声を出す。
「麒麟とか、そういうことではなく。台輔の意識が戻らないとなれば、主上が
心配なさるのは当然かと」

792永遠の行方「絆(7)」:2017/04/21(金) 19:38:09
 今度は六太が首を傾げる番だった。だが確かに、ずっと身近にいた者が昏睡
状態に陥ったとなれば普通は心配するか、とようやく考え直す。
 にしても尚隆の様子がおかしいのは変わらないが、朱衡も知らない事情だっ
たとしても不思議はない。白沢も面会を希望しているとの話だから、そのとき
に白沢にも聞いてみようと六太は思った。
 そんな六太の様子に、朱衡はふたたび何かを言おうとして口を開きかけた。
しかし結局何も言うことはなかった。どこか悲しそうな表情をした彼は「台輔
を疲れさせてはいけませんね……。お顔も拝見しましたし、本日のところはこ
れで失礼いたします」と退出していった。
 釈然としない気持ちで見送る。傍らの女官が背の靠枕を取って寝かせ、臥牀
に広がる六太の長い髪を整えながらほほえんだ。
「主上も大司寇も、本当に台輔を心配なさっておられたのですよ」
 六太が疑問を呈してぱちぱちと目を瞬くのへ、その女官は幼子に言い聞かせ
るかのように穏やかに続けた。
「主上は何かと台輔を見舞ってくださいましてね。大司寇などは私どもにまで
お気遣いくださいまして、本当にありがたいと思ったものでございます」
 官の中には六太を見捨てるべきだとの意見もあったこと。六太づきの女官た
ちがそれをどんなに憤ったか。見舞いのために訪れる尚隆の姿に、どれほど励
まされたことか。六太が正寝にいるのは、景王からの助言に従ったためである
こと。尚隆が自分で六太をこの牀榻に移して、朝に晩に面倒を見たこと。それ
でもなかなか意識が戻らない六太に、心労のあまり今まで見たこともないほど
やつれたこと――。
(本当、に……?)
 六太は驚いた。正直、そこまで心配されるとは思わなかったのだ。
「お目覚めになって本当によろしゅうございました」
 しみじみと言った女官に、六太は今度こそ理解した。目覚めた直後のやりと
りにおける尚隆の反応の理由を。
 尚隆は本当に六太を心配してくれていたのだ。なのに当の六太がそれを認め
ず、他に理由があるはずと決めつけて尋ねたのだから、相手の真心を頭から否
定したも同然だ。尚隆を、情がないと、その程度の人間だと見限ったようなも
のであり、憤りを向けられても仕方ないだろう。
 仮に麒麟だから、王の半身だから心配されたのだとしても、六太は素直に嬉
しいと思った。それだけで十分だ、とも。
「尚隆には悪いことしたな……」
 女官に世話をされながら、さすがに済まない気持ちになる。勘違いで怒らせ
てしまったようだが、次に顔を合わせたときにはきちんと謝ろうと、六太は心
から反省したのだった。

793書き手(尚隆語録):2017/04/21(金) 19:41:22
これで一区切り。
結局、それでもろくたんはあまりピンときていない感じですが。
この後は尚隆視点と六太視点が交互していきます。
……が、しばらくお待ちください。

 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

尚隆
「王と言えど、自分の手でつかめるものなど、ほんの一握りだ。
 手から零れ落ちるもののほうが圧倒的に多い。
 なのにすべてを救えるなどと思うのは傲慢だろう」

ちょっと疲れたような感じでシリアスに。

794名無しさん:2017/04/22(土) 19:06:04
お疲れ様です!
すごく素敵です!
何度も読み返して待ってます!!!

795名無しさん:2017/04/22(土) 21:25:03
最近更新多くて嬉しい!
でも無理はせず頑張ってください、すれ違い尚六美味しい

796名無しさん:2017/04/23(日) 06:43:01
更新乙です!ろくたんイマイチわかってないのが本当美味しい
こうなると尚隆サイドが気になりますね
影ながら応援しております

797書き手:2017/04/23(日) 13:12:59
いろいろありがとうございます。
更新頻度については、書き溜めぶんはもっとあるので多分大丈夫です。
むしろ問題は以前の章を忘れてしまっていることによる矛盾なので
さすがにそろそろ一度読み返さないとまずいことぐらいですかねw

いずれにしろ今まで長々と書いてきたのは
この章以降を書くためなので頑張ります。
忙しさは一段落したので、多少間が空いたとしても
年単位で放置する羽目になることはもうないはずです。

798名無しさん:2017/04/24(月) 20:24:15
何の気なしに立ち寄ったら更新されてて大歓喜ですお疲れ様です!
原作の読み込み考察凄すぎて目から鱗の連続な上
ネガティブ六太が可愛くて可哀想でたまりません…
尚隆視点も楽しみにしてます!
はああ信じて待ってて良かった…!

799書き手:2017/04/26(水) 19:28:10
ありがとうございます。
ちょっとろくたんはいじめると癖になりそうでw
きっと尚隆もおもしろがってからかうのだろうなぁと勝手に思ってます。

800永遠の行方「絆(8)」:2017/04/28(金) 00:05:22

 六太が目覚めた昨夜、尚隆は六太を黄医らに任せて他の臥室で眠った。
 どこの王宮でも王の臥室の予備はいくつもあるものだ。特に不安定な王朝初
期は、暗殺を警戒して寝所を固定しないことが多いし、清掃や改装といった管
理面での都合に対応するためもある。
 もちろん玄英宮の長楽殿にも王の臥室は複数あった。ただし雁ほどの大王朝
になると、移動するのは警備上の理由というより大半は清掃等の都合だから、
頻繁に他の房室に移ることはない。実際普段の尚隆も臥室を固定している。六
太を寝かせていたのはその、主たる臥室だったが、他の臥室とて不意の王の要
求に応えられるよう、常に整えられていた。
 実際のところ、内心ではかなりの者が既に諦めていたし、宰輔がいなくても
政務上の支障はないようになっていたとはいえ、六太が目覚めたことはむろん
重大事であり慶事だ。夜ではあったが尚隆は三公六官に急使を出して報せた。
だが同時に「すべては明日の朝議で」とも添えておいた。翌日の朝議では久し
ぶりに皆が晴れ晴れとした顔を見せ、尚隆に祝いの言葉を述べた。尚隆は微苦
笑を浮かべて、ただうなずいておいた。
 尚隆が六太を心配していたことを、六太がまったく信じていなかったことな
どどうでもいいだろう。大事なのは事件が解決したという事実だ。
 その日の午後は政務を取りやめ、尚隆は長楽殿に戻って昼餉を摂った。その
後に広い露台にしつらえた卓に酒を運ばせる。穏やかな初夏の風を頬に感じな
がら、しばらく無言で酒をあおった。
 そのうちに女官が衣擦れの音をさやさやとさせて近づいてきた。
「主上。大司寇がお越しでございます」
「通せ」
 やがて何とも微妙な顔の朱衡が、どこか疲れたような足取りでやってきた。
「先ほど台輔のご機嫌伺いに行ってまいりました」
 それだけ言って、わずかな溜息とともに黙り込む。その原因に見当がついて、
尚隆はふと情けない笑いを漏らした。大の男ふたり、どうやらどちらも落ち込
んでいるらしい。

801名無しさん:2017/04/28(金) 00:26:12
うわあああ、続きが気になる
王と腹心落ち込ませるなんて、六太罪作りだ・・・・
早く幸せになって欲しいけど、このもだもだしたすれ違いが堪らんです

802名無しさん:2017/04/28(金) 11:44:53
落ち込む男二人の図いいなぁ

803永遠の行方「絆(9)」:2017/04/28(金) 19:31:55
 尚隆は「少し付き合え」と言って女官に席を作らせ、朱衡にも酒を勧めた。
普段あまり酒を嗜まない朱衡だったが、このときばかりは素直に応じた。
「六太はどうだ」
「意識もしっかりとしておいでです。黄医の見立てでは、神仙ですから、おそ
らくさほどかからずに元の生活にお戻りになれるのではと」
「そうか」
 それだけ言って尚隆は、穏やかな園林の風景を眺めやった。
 しばらく酒杯を口に運んでいた朱衡は、ずいぶん経ってから再び口を開いた。
「先ほど台輔に聞かれました。主上がおやつれになったのは何か問題が起きた
せいか、呪者には主上に影響が及ばないことを確認したはずなのに、と」
 尚隆は頭が痛むような気がして、持っていた酒杯を卓に置くと、しわの寄っ
た眉間に指先をやってもみほぐした。疲れたように吐息をつく。
「まったく……。自分が心配されていたとは思わんのか。俺は俺なりにあいつ
を大事にしていたつもりだったが、まったく伝わっておらんかったようだな。
確かにあれの反応がおもしろくて、からかったことも多いが」
 朱衡は何やら考えていたが、やがてこう言った。
「どうも台輔はあれで、ご自身を非常に軽んじられるところがおありのようで
す。拝察するに、ご自分が麒麟であること以外に尊重される理由はないと考え
ておられるようで」
「そういえば蓬莱で親に捨てられたという話だったな。その生い立ちが影響し
ているのか」
「わかりませんが……」朱衡は少し沈黙してから続けた。「主上が台輔を大切
になさっていることは、皆よく存じております。しかし当事者である台輔はそ
うではないようです。半身同士の王と麒麟といえど、いえ、だからこそ、しっ
かりと言葉で伝えなければ通じないこともあるのかもしれません」
「なるほど。耳に痛いな……」
「――それにしても」
「なんだ」
「どうして呪が解けたのでしょう。朝議では原因はわからないとおっしゃって
いましたが、主上が何かなさったのでしょうか」

804永遠の行方「絆(10)」:2017/04/28(金) 19:36:32
「ふむ。そうだな」
 尚隆は顎をなでながら、あのときのことを思い起こした。
 だが彼自身にもよくわからなかった。何しろ特別なことをしたわけではない
のだ。むしろこれまで何度もやっていたことしかしていない気がする。
「正直に言えば、よくわからん。変わったことをしたつもりはないのだが……。
直前に露台の上から雲海を透かして関弓の街を見せたが、どうだろうな。あれ
の体を傾けたとはいえ、仮に目を開いていたとしてもあの角度では視界に入っ
たはずもなし」
 その後、遠い未来を約すように接吻をした。さすがにいざとなれば六太を殺
す決意をしたなどと言うべきではないから黙っていたが、しかしあれとて、こ
れまで何度も口移しで水分を飲ませてきたのだ。そう考えれば新しいことをし
たとは言えないだろう。
「以前陽子が言っていたように、これまで毎日積み重ねてきたものが、たまた
まあのときに結実したのかもしれん。麒麟である六太を俺のそばに置くことで、
多少なりとも術が解けやすくなる可能性はあると、そうなればふとした拍子に
目が覚めるかもしれないと、それで六太を長楽殿に移したのだし」
「ああ、そういえばそうでした。景王は蓬莱の事例を引いておっしゃっていた
んでしたね。夫や妻が毎日欠かさず与えた地道な刺激で伴侶が目覚めたと。世
の中にはそういう奇跡もあるのでしょうねえ……」
 朱衡の声音は感慨深そうにしみじみとしていた。尚隆はふっと笑い、気合を
入れて「さて」と立ち上がった。
 いつまでもこうしていても仕方がない。いい加減で六太の顔を見に行かねば
ならないだろう。
「俺もまた、いちおう様子を見に行くか。それにあやつが眠っていた間、おま
えにも女官たちにも約束したからな、六太の望みがあれば、それが何であれ、
すべてかなえてやらねばならん」
「はい。どうぞ、いってらっしゃいませ」
 朱衡は微笑んで尚隆を見送った。

805書き手(尚隆語録):2017/04/28(金) 19:40:26
とりあえずここまで。

尚隆、普通気づくだろ!って感じですが……すみません、まだ気づきません。

尚隆視点はあと2〜3レス、六太視点はその後です。


 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

尚隆
「人間、一度注意されたぐらいで改善できれば苦労はない。
 次までにひとつでも改善されていたら大したものだと思わねばならん」

なんだろ、曠世に六太のことをほのめかしてちょっと愚痴られて
笑いながら弁護する感じかも。

806永遠の行方「絆(11)」:2017/04/30(日) 21:05:23

 六太が使っている臥室に赴くと、すっかり明るい顔に戻った女官たちが、臥
牀で体を起こした六太の世話をあれこれ焼いていた。
 尚隆の来訪に気づくなり、六太が「尚隆!」と嬉しそうな声を上げる。昨日
の今日だからか、まだ声はかすれていたし、それで大声を出すのを控えている
ようだったが、話すのにつらいというほどではなさそうだった。尚隆も穏やか
な笑みを返した。
「おまえが眠っている間、おまえの近習に、目覚めた暁には王を守った功績に
よる褒美を与えると約した。望みがあれば何でも言うがいい」
「へ?」
 六太はきょとんとして尚隆を見、それから周囲に侍る女官らに視点を転じた。
彼女たちは笑顔で大きくうなずいている。
「褒美……褒美?」と瞬きながら首を傾げている。
「どうせおまえのことだから、だいたいは食いもののたぐいになると思うがな」
「あー、なんだよ、それ」
 六太は頬をふくらませた。それからハッとしたようにあらためて尚隆を見る。
「あの、さ」
「なんだ」
「ごめんな。その、俺を心配してくれてたんだよな? 俺、うっかりしてて、
ちょっと誤解というか考えが及ばなくてさ」
「……ああ」
 どういう顔をしたものやらわからず、尚隆はただ相槌を打った。それから
やっと「気にするな」と言い添えた。
「いろいろ大変だったのだろう? おまえも必死だったのだから、他のことに
考えが及ばずとも仕方はない」
 六太は不思議そうな顔をした。尚隆の反応が、過去にないほど妙に物わかり
の良い様子だったせいかもしれない。
「何にしろ、とりあえずは体を治すのが先だな。あとのことはすべてそれから
だ」
「わかった」
 陽子が来訪したことも、女官たちに教えられて既に知っていたようだ。六太
が陽子や鳴賢、帷湍のことを気にしているので、ちゃんと使いをやって六太が
無事目覚めたことを報せることも約束した。陽子の名が出たときに内心でどき
りとした尚隆は、さりげなく反応を見守ったのだが、六太は陽子よりも鳴賢の
ことを気遣っていた。

807永遠の行方「絆(12)」:2017/04/30(日) 21:08:12
「回復したら会いに行けばいい」
「うん。そうだな。やっぱ直接会って話とかしたいや。何しろたくさん心配か
けたからなあ。まさかあんなことになるとは思わなかったからだけど」
 六太は溜息まじりに言ってから「そういえば」とこんなことを聞いてきた。
「目が覚めたんだし、俺、そろそろ仁重殿に戻ったほうがいいんだよな?」
「……なに?」
「おまえがいつも使ってる臥室を占領しちゃってるわけだし。あ、でも何ヶ月
も仁重殿を空けてるわけか。うちの主な女官たちも今こっちにいるってことは、
俺の臥室が整うまで少し待ってもらう形かな?」
 そう言って小首を傾げる。六太としては当然のことを本当に何気なく聞いた
だけなのだろう。それに確かにここは尚隆の臥室であり、そもそも長楽殿は六
太の御座所ではない。
 以前、陽子や景麒が来訪したとき、麒麟は王のそばにいると嬉しいものだと
いう話をした。だが六太の無邪気な様子は、尚隆から離れることを何とも思っ
ていないようだった。
 昔からいつもそうだったと尚隆は思い起こし、もやもやとしたものが胸にた
まるのを感じた。
「もともとは陽子の気遣いだ。せっかくだから、もうしばらくここにいれば良
かろう」
「え、でも――」
 六太は戸惑って何か言おうとした。だが尚隆はその言葉を遮ると、再び陽子
の名を出して強引に話題を変えた。
「陽子と言えば、見舞いに来たときおまえに手紙を置いていったぞ。あとで読
んでやるといい。ただ疲れないよう、返事を返すのはまだあとにしておけ」
「うん」
 六太は釈然としない顔だったが、それでもうなずいた。
 やがて女官たちが大きな肘掛椅子を運んできて、掃き出し窓のすぐ外の露台
に据えた。六太に日光浴という名の気晴らしをさせるためだ。六太が眠ってい
る間も彼女らは幾度となく運んだものだが、今ちょうど尚隆がいるので、彼が
六太を軽々と抱き上げて椅子まで運んでやった。
 六太がわたわたとあわてたが、何しろまだ自由が利かないとあって抵抗とい
うほどのものはない。尚隆はあるじに無関心に見える六太に意趣返しをするか
のように、無駄口を叩きながらゆっくりと運んだ。
「もし厠に行きたいなら、そちらも俺が運んでやるぞ」
「いや、マジで勘弁だって」
 六太は辟易したような顔をすると、大声で笑う尚隆に疲れた声を返した。

808書き手:2017/04/30(日) 21:10:44
尚隆視点はここで一区切り。
次はしばらく六太視点ですが、割とまたすぐ尚隆視点に戻ります。

809名無しさん:2017/05/01(月) 00:25:14
二人のやり取りに胸がきゅんきゅんする・・・・
読んでて顔がにやけてくる、続き楽しみにしています!

810名無しさん:2017/05/01(月) 03:22:36
投下されてることに数日前に気づいて、きちんと整えて丁寧に読める日までまって、やっと追いつきました。
投下の直前まで覗きに来てたのに、出遅れてチクショーと泣き叫びたい気持ちと、ヒャッホーって泣き叫びたい気持ちとでいっぱいです

両片思い超萌えるのでこの展開三年ぐらい楽しめます。萌える��!
尚隆の部分がやはりキュンキュンきます

811名無しさん:2017/05/01(月) 11:33:31
誤解を地味に引きずっちゃってるのいいですね
しっかり自室に引き留める強引さも尚隆らしくてにやにやします
あと抱っこ!驚いて咄嗟に尚隆の腕か衣をキュッて掴んでたらと妄想してさらに萌え
抱っこいいですよね〜お世話尚隆がツボです

812書き手:2017/05/03(水) 00:08:07
抱っこ、いいですよね、抱っこ!


さて、やっと以前の章を全部読み返しました。

……些細な部分を含めると、いろいろと矛盾もありますね。うむぅ。
すみませんが、細かい部分の矛盾は、気づいてもスルーするか脳内変換でお願いします。

あと、とにかく早く尚隆と六太をいちゃこらさせるのが自分的至上命題なので、
鳴賢や帷湍といった宮城にいないキャラは言及のみで、
彼ら視点はあとでまとめてやります。

813永遠の行方「絆(13)」:2017/05/03(水) 00:11:50

 体の回復に専念すること、六太の仕事はしばらくはそれだった。政務に就く
必要もないとあれば――問題はあまりにも暇すぎることだった。本当なら下界
にでも行きたいところが、まだ歩くのもままならない以上、諦めるしかない。
女官たちは大量の見舞いの品を開けて見せてくれたが、物欲の乏しい六太はほ
とんど、本当に見ただけだ。せいぜい範の精巧なからくり人形をおもしろく
思ったぐらいか。六太が眠っていたときに語り聞かせてくれたという物語も聞
いたものの、大半はもともと海客が書いた話だから六太は知っていたし、悪い
と思いながらもすぐに飽きた。
 心尽くし自体はありがたかったが、そもそも六太は本来行動派なのだ。仕方
がないとはいえ、こうして臥室に引きこもっていること自体、おもしろくない。
身体を動かす訓練も、皆がやたらと心配するからわずかずつだし、話相手の女
官のおしゃべりを聞いたり、ぼうっと窓の外の景色を見ているだけの生活とい
うのは本当につまらなかった。
 だからと言って別の景色を見るために、尚隆に抱きあげられて運ばれるとい
うのはどうなのだろう。
「なんだ、不満か」
「そうじゃないけど……」
 最近いつもそうであるように、薄い衾ごと抱きあげられて移動する。後宮の
園林にある百日紅(さるすべり)の小道を散策すれば、見事な紅白の花は確か
に目を楽しませてくれた。しかし六太の正直な気持ちを言えば、いったいどう
してこうなった、と頭をかかえたいぐらいだった。
 何しろ衣類や衾ごしとはいえ、尚隆の体温を感じるのだ。力強い腕にしっか
りと抱えられ、見上げればすぐそこに尚隆の顔がある。息づかいさえ聞こえて、
どういう拷問だ、と内心で愚痴っても仕方がないだろう。
(こいつ、こんなに面倒見が良かったっけ?)

814名無しさん:2017/05/03(水) 04:34:36
単に抱っこされてるだけなのに六太ったらフヒョヒョ

815名無しさん:2017/05/03(水) 12:04:03
抱っこ移動良いねえww
尚隆って目線合わせるために自分がかがむより、持ち上げそうなタイプだ

816永遠の行方「絆(14)」:2017/05/03(水) 22:33:22
 頭上に疑問符を大量に浮かべながら、まかり間違って尚隆にしがみつくよう
なことをしないよう気をつける。だが足よりは手の回復が早かったせいか、尚
隆に「しっかりつかまれ」と言われてしまった。
 だがそうやって一緒に移動しても、これまでこんなにべったりと過ごしたこ
とがあるわけではないから、大して話すこともない。それでも尚隆がつらつら
と、六太が眠っている間のことを話してくれたので耳を傾けた。
「帷湍にも悪いことしたな……」
「おまえが回復するまでは遠慮するそうだが、いずれ関弓にやってくるそうだ」
 そんなふうに光州の現状も聞いた。
 夜はといえば、女官が付き添っていたとはいえひとりで過ごしたのは目覚め
た最初の夜だけ。その次の夜からは尚隆がやってきて、同じ臥牀で寝(やす)む
ようになってしまった。もともと尚隆の臥牀なのだから当たり前かもしれない
が、被衫に着替えた尚隆の姿を見たときの六太の混乱ぶりと言ったらなかった。
 おまけに女官を下がらせ、尚隆みずから六太の世話をするのだ。手足をむき
だしにしてはゆっくりとさすったり、膝の関節をゆるやかに動かしたり。被衫
を脱がされて湯に浸した布で体を拭かれそうになったときは本気で焦った。さ
すがに王にそんなことをさせるのを、湯を運んできた女官が「とんでもない」
と恐縮しきりで止めたから助かったものの、本当にどうなることかと冷や冷や
したものだ。
 なのに混乱する六太に、尚隆は「おまえが眠っていた間もこうしていたのだ
ぞ」とからかうような声を投げたのだ。
(いやいや、さすがにそれはまずいって)
 片思いの相手に脱がされ、じかに肌に触れられて世話をされる。尚隆の意図
まではわからないが、確実に自分の精神が削られていっている。嫌がらせでも
あるまいに、と、妙な考えさえ脳裏に浮かぶ。それともまさか六太の反応をお
もしろがっているのだろうか。

817永遠の行方「絆(15)」:2017/05/03(水) 22:43:30
 王の臥牀はやたら広いため、眠る際は体が触れあわないのと、そのときはさ
すがに六太に背を向けてくれるのだけが救いだった。だが背を向けられればそ
れはそれで寂しく感じてしまうのが厄介だ。あんなに近くにいるのに却って離
れた気がしてしまうのだから。
(だいたい、俺の膝を動かしたりする時は遠慮なく触るくせに、寝るときは離
れて背を向けるってどういうことだ)
 おかしい、とさすがに六太も思う。そしてひやりとするのだ、本当はあんな
ことをしたくはないのではないかと。なんだかんだで、内心では鬱陶しがって
やしないかと。
(俺が暁紅と取引したおかげで尚隆が助かったのは事実だ。それでさすがのあ
いつも余計な気を回してるんだろうか。そういえば仁重殿から来た女官たちは、
俺を見捨てるべきだって進言した官にかなり憤っていたみたいだ。尚隆は俺に
配慮してることをちゃんと近習に見せて不満をそらす必要があると判断したと
か?)
 もしそうなら寂しいと六太は思った。自分は別に尚隆の邪魔をする気もない
し、今回のことで何か要求するつもりもない。放っておいてくれればいいのに、
と思う。でもそういえば褒美がどうとか言っていたっけ……。
 尚隆と同じ臥室、尚隆と同じ牀榻。ここまで近い場所で長く生活したことは
今まで一度もない。六太にはずっと不相応な望みをいだいているという恐れと
自覚があった。だからこそ自分の心を守るためにも警戒してしまう。嬉しいの
に切ない。幸せなのに悲しい。これ以上一緒に暮らしたら、近さと裏腹に絶対
に報われ得ない現実をまざまざと見せつけられる気がして耐えられそうにない。
 尚隆に運ばれるたびに、何気ない様子を装ってちらりと頭上の顔を見上げて
しまう六太だ。目をそらし続けても不自然だし、かと言って至近距離でずっと
見つめていたら、こちらの精神がどうにかなってしまう。もちろん尚隆だって
不審に思うだろう。

818永遠の行方「絆(16)」:2017/05/03(水) 22:59:28
 後から振り返ればきっと、はかない泡沫のような、ごく短い夢の時間に過ぎ
ないだろうに。六太にとって一生の思い出になったとしても、尚隆にとっては
すぐに忘れて二度と思い出さないような。
(これって転変したらどうなってるんだろう。やっぱり立てないのかな)
 ふと六太は疑問に思った。
 もちろん宮城にいる限りは獣形で過ごすことなどできない。だがもし転変す
れば動けるなら、尚隆に特別に許可してもらってしばらく獣形で過ごせないだ
ろうか。だが萎えているのが人形である以上、人形のままで治さないと回復で
きないだろうか……。
(とにかくまず歩けないってのがまずい。こうやって尚隆に何をされても逃げ
られない)
 尚隆の腕の中、またちらりと彼の顔を見上げながら、何とかしないと、と六
太は切実に思った。

 さすがに尚隆も六太を朝議に連れて行くようなことはしなかった。だからそ
の日、六太は彼がいないときにひそかに歩く練習をしようと考えた。少し眠り
たいからと、尚隆の代わりにやってきた女官を遠ざけたはいいが、扉の前には
護衛もいる。音を立てて注意を引かないよう気をつけなければならない。
 臥牀の上で上体を起こした六太は、何とか這って臥牀の縁まで行って座り、
足を床におろした。やはり腰から下の力が入りにくかったが、臥牀に手をつい
たままゆっくり慎重に立ち上がると、何とかいけそうな気がした。最近の訓練
で使っている杖は普段どこかにしまわれているようで、今、手元にはない。仕
方ないので手を伸ばして牀榻内の壁や開き戸につかまりつつ、そっと脚を動か
していき――ちょうど牀榻の入口を出たあたりで、つい逸ってしまった気持ち
に足先がついてこられず、変な方向にひねって体勢が崩れた。そのまま床に倒
れ込みそうになったところを、床から浮上するようにさっと出現した悧角が背
で支えてくれたので助かった。

819永遠の行方「絆(17)」:2017/05/03(水) 23:07:26
「ありがとな」
 六太はほっとして、大きく吐息をついた。悧角にの背に覆いかぶさる体勢の
まま、いったん休憩する。
(まだ無理か……。でも何とか自力で立ててはいるんだし、杖さえあれば、
ゆっくりとなら。というか今、さっさと仁重殿に帰ってしまえば良くないか?
そうすればさすがに尚隆も、わざわざここに連れ戻さないだろ)
 このまま使令で窓からひそかに仁重殿に帰るほうがいいか、それとも試しに
転変してみるかと思案していると、不意に悧角が「主上がおいでです」と言っ
た。
「へ?」
 六太は焦ったが、取り繕う暇もなく、臥室の扉が開く音がした。王や麒麟の
命に危険があるとか、よほどのことがあればともかく、原則として宮城におい
て使令が姿を現わすことはない。現わしたとしても、すぐに姿を消すものだ。
 六太が転ばないよう、悧角がゆっくりと床に沈むようにして姿を消すのと、
尚隆が衝立の陰から姿を現わしたのは同時だった。
「六太!?」
 尚隆が叫ぶなり駆け寄って、床に倒れている六太を抱き起こした。
「何をしている!」
「いや、ちょっと、歩く練習を、さ」
 あわてて言い訳したものの、「まだ無理だろうが」と強い調子で叱り飛ばさ
れた。
「おとなしく寝ていろ!」
 そう言って抱きあげられ、強引に臥牀に戻されてしまった。
「だって、あの、そろそろ仁重殿に戻りたいっていうか」
「……なんだと?」
「ほら、やっぱ自分の臥室じゃないと落ち着かないっつーか。おまえにも悪い
しさー」
 焦りを隠して、あはは、と笑って見せる。だが尚隆はむっとしたように六太
を見ているばかりだった。

820書き手:2017/05/03(水) 23:10:30
次からはまた尚隆視点です。

821名無しさん:2017/05/04(木) 03:19:00
どぎまぎする六太に萌える
はぁー、むっとする尚隆のこれからのターン、超wktk

822名無しさん:2017/05/04(木) 05:59:40
抱っことどきどき添い寝祭りには萌え転がるしかないw
切ないろくたんも最高すぎますね〜続きお待ちしております

823名無しさん:2017/05/04(木) 19:13:46
むっとする尚隆たまらん
結ばれた後の関係ももちろん良いんだけど、思いが通じる前のこういうやりとりめっちゃニヤニヤしてしまう

824永遠の行方「絆(18)」:2017/05/05(金) 21:35:08

 六太が目覚めたあと、折を見て冢宰白沢を始めとする三公六官も順次見舞い
に赴いた。疲れさせないよう、ほんの暫時話をしただけという白沢は、あとで
尚隆に報告した際こう言った。
「使っていなかった四肢が長い間に萎えてしまったのは仕方ないとして、主上
がおっしゃっていたとおりお気持ちは別段暗くなることもなくお元気そうでし
た。黄医も特に問題はないとの見立てです。毎日少しずつ訓練していけば、そ
うかかることなく日常生活に戻れるだろうと」
「そのようだな……」
「ただ台輔のご体調次第ですが、解呪に携わっていた諸官に報せて調査する必
要はあるでしょう。完全に呪が解けたのかどうか。万が一、悪い影響が残って
もいけませんので」
「その辺は黄医の判断に任せよう。特に問題はないと思うが」
「かしこまりまして」
 そんなふうに言葉を交わし、当分は六太に政務をさせないことも決める。も
ともと靖州の政務は令尹が取り仕切っており、六太の不在を考慮して承認印も
任せるようにしていたから何の問題もない。ただし早くも六太本人が退屈して
いるのと周囲に安心を与えるため、しばらく様子を見てから、体調を考慮しな
がら朝議を始めとして官府などに連れていくことを検討することにした。
 そうして諸官が晴れやかな顔を見せる裏で、尚隆自身はあまり気が晴れな
かった。表面上は喜んでいるふりをしているし、実際に喜んではいるのだが。

 その夜、長楽殿の居室のひとつで、尚隆は人払いをした上で酒を飲んでいた。
六太が目覚める前まで増えていた酒量は減ったが、それでも時折、こうして飲
まねばやっていられない気がした。
 ――俺、そろそろ仁重殿に戻ったほうがいいんだよな?
 六太が小首を傾げながら無邪気に放った問いが脳裏によみがえる。ここに―
―王のそばに――留まることに何の執着も窺えなかったそれ。麒麟は王の傍ら
にいるのが嬉しい生きものではなかったのかと、目覚めたのは王たる尚隆のそ
ばにいて無意識に嬉しがっていたからではないかと、何となく思っていた尚隆
は虚を衝かれた。

825永遠の行方「絆(19)」:2017/05/05(金) 22:00:27
 ――おまえ、随分やつれてるみたいだけど、何かまずいことでもあったかな。
 尚隆の心配などはなから想定していないことが明らかな問い。あとになって、
これまた無邪気に謝られたが、六太の中を占める自分の存在の小ささを示すよ
うで、尚隆は少なからぬ衝撃を受けた。
 本当に心配していたのだ。あの接吻をした際の、他人の手にかけさせるくら
いなら、そのときはこの手で六太を始末するという約束も、彼としては相当な
決意の表われだったのだ。
 なのに。
 まだ体の自由が利かないため、眠っていたときと同様に世話をしてやろうと
すれば、体をこわばらせて嫌そうな顔を向けてくる。することがなくて「暇だ。
暇、暇」とうんざりしているようなので、抱きあげてその辺を散策してやれば、
「えー……」と不満の声を漏らされる。おまけに先日は、ひとりで勝手に歩く
訓練をしようとして派手に転んでいた。あわてて助け起こせば「そろそろ仁重
殿に戻りたい」「やっぱ自分の臥室じゃないと落ち着かない」と平気で口にし
た。
 ――すり抜けていく。
 ふと感じた、奇妙な予感。まるで手の中から砂がこぼれていくような。六太
が尚隆の手をすりぬけてどこかへ行ってしまうかのような。
 あるじに似て出奔好きの六太が、実際には尚隆の手の内に留まっていたこと
などない。そもそもこれまで尚隆は、危険なことさえしなければ自由にさせて
いた。それでも不思議にそう感じたのだ、今ここでつかまえておかなければ、
いずれ手の届かないところへ行ってしまうと。
 王と麒麟は半身同士。命さえつながっているというのに、そう考えてしまう
のはおかしなことだった。その妙にはかなく、それでいて確固たる予感は、意
味がわからないだけに尚隆をいらだたせ、彼は勢いに任せて次々と酒杯を傾け
た。
 もともと尚隆の臥室なのだからと、ついそんな六太に対する鬱憤晴らしの意
図もあって、これまでと同様に同じ臥牀で寝(やす)もうとすれば、広さには問
題ないというのにやはり嫌そうな顔をされた。そんな様子を見たくなくて背を
向けて寝ているが、一番最初の日、時間が経って既に尚隆が寝たと思ったのだ
ろう、「……まったく」というつぶやきを六太が漏らしたのも知っている。

826永遠の行方「絆(20)」:2017/05/06(土) 08:33:05
 六太が呪の眠りに囚われている間、尚隆は孤独だった。六太が陽子に懸想を
している可能性を思いついてからはなおさらだ。それでも六太が目覚めさえす
ればそれなりに孤独も癒されると、どうやら無意識のうちに考えていたらしい。
だがその期待が叶えられることはなさそうだった。
 王と麒麟というものは、これほど遠かったろうか、と尚隆は今さらながらに
思いを馳せる。六太の気持ちがわからない。尚隆の世話に、せめてほんの少し
でも喜んでくれればいいものを、いつも向けられるのは驚きか、そうでなけれ
ばどこかこわばった表情と迷惑そうな目だ。
 六太を横抱きにして歩くと、ときどき六太の視線を感じた。周囲を眺めるの
ではなく、気づかれないようそっと尚隆を見上げていることがある。これまで
はああやって長時間をともに過ごしても話題が尽きないほどべったりした関係
でもなかったし、どうして良いやらわからないらしい。聞かれていないと思っ
ているのだろう、たまにごく小さく溜息をつき、そうしてまた見上げたりする。
妙に尚隆の心をざわめかせる、揺れるまなざしで。
 まだ政務をさせるつもりはなかったのだが、後宮の園林ばかりを散策しても
飽きるし、かと言ってまだまだ不自由な様子なのに、官位の低い者たちの興味
本位の視線にさらすのもどうかと思われた。それでまずは靖州府のある広徳殿
に連れていったところ、六太は呪に囚われる前は身近に接していた靖州府の高
官らと和やかに挨拶を交わし、久しぶりに会ったせいかとても楽しそうだった。
それどころか「承認印なら、もう押せるぜ!」とやたら張りきってしまい、急
きょ政務をさせることになってしまった。完全に盲判(めくらばん)だったが、
傍らで苦笑いしていた令尹の検分は通っている書類のようなので問題はないだ
ろう。
 翌日も特に疲れは残らなかったようなので試しに朝議にも連れていったとこ
ろ、それまであまりにも暇だったせいか、いつになく六太は喜んだ。自由に喋
るわけにいかない場とあって、事件が起こる前は大抵つまらなそうな顔で控え
るのが常態だったのだが。そのため、常にというわけではないが朝議には連れ
ていき、体に負担を与えないようゆったりとした椅子に座らせておくことにし
た。

827永遠の行方「絆(21)」:2017/05/06(土) 09:01:10
 だがいずれにしろ六太の興味は尚隆の上になく、いつも六官や別の者たちと
話を弾ませていた。
 何とか気を引けないかと、尚隆はふと思いついて鳴賢の元にも連れていった。
 鳴賢には朱衡経由で六太の覚醒を知らせていた。回復するまで、しばらくか
かりそうだとの見通しも。そのため、実際に会うのはそう急がなくても良いだ
ろう、むしろ六太がちゃんと回復して自分の足で会いに行ったほうが安心させ
てやれるかと思って控えていたのだが。
 ちょうど六太から鳴賢のことを心配する話題が出たとき、尚隆は「じゃあこ
れから会いに行くか」と言って悧角に命じ、大学の宿舎に鳴賢が在室か見に行
かせた。悧角はすぐ戻ってきて在室だと告げたので、散策するときのように衾
で六太をくるんだだけで悧角に乗り、そのまま出かけた。以前から楽俊に対し
てやっていたように、宿舎の窓から訪れる形だ。
 もちろんかなり驚かれたし、実際には鳴賢だけでなく彼の学友もいて、隠し
ていなかった六太の金髪に愕然とされたが、結局そのことに対する深い追求は
なかった。ただ尚隆が持参した酒を皆で飲み、少々語らっただけだ。
 悧角に乗って宮城に戻る途中の短い時間、六太は上機嫌で、尚隆に「ありが
となー」と礼を言った。そして「そのうち陽子のところにも行かなきゃな。景
麒の顔も見てやらないと」と嬉しそうに続けた。
 ――すり抜けていく。
 尚隆の手の中から。
 もともとその程度の関係だったのかもしれない。六太にとって尚隆はただ雁
の王で、雁を平和に治めてくれさえすれば良いだけの存在なのかもしれない。
 麒麟は本当は王の半身ではないのかもしれない。
 ――そろそろ仁重殿に戻りたい。
 ――やっぱ自分の臥室じゃないと落ち着かない。
 床に倒れていた六太をあわてて抱き起こしたとき、六太は嫌がって身を引こ
うとし、尚隆の手を振りほどくように強く上半身を揺すった。そうまでして自
分から離れたいのかと、あのとき尚隆はひそかに傷ついたのだ。

828永遠の行方「絆(22)」:2017/05/06(土) 09:13:23
 そもそも六太は他国の麒麟とはまったく違う。日頃から主君のはずの王を罵
倒するのに遠慮はないし、泰麒捜索のときもそうだったように、場合によって
は他国の王にさえ平気で同調する。そういう変わった麒麟なのだから、王を
慕っているとは限るまい。だいたい一年半もの間、つらい気持ちだった尚隆の
ことを最初はまったく信じていなかった上、一度謝ったあとはそのことをすっ
かり忘れて、もうどうでも良いように見えた。
 ――すり抜けていく。
 自由な六太は、尚隆の手の中に留めておくことなどできないだろう。こうし
て抱きあげてあちこち連れていけるのも今だけだ。呪に囚われていた間、尚隆
の手が届かなかったように、いつかまたこの手をすり抜けてどこかへ行ってし
まうだろう。それは不思議と確かに思える予感だった。
 呪が解けても、それ自体は何の解決でもなかったのだろうか。あれはもとも
と遠くにあった六太の心が具象化したような事件だったのかもしれない。
 そうしてしばらくまた酒杯を傾けていた尚隆は、やがて、ふふ、と自嘲の笑
いを漏らした。
 誰しも心は自由ではないか、と我に返ったのだ。国が荒れ、財もなく命から
がら逃げ出した荒民でさえ、心だけは何を思おうと自由だ。ならば王の半身た
る身を天帝に強制されている麒麟とて、心は誰にも縛られず自由であってしか
るべきだろう……。
 仮に麒麟が王のものだとしても、六太は尚隆のものではない。最初から尚隆
は考え違いをしていたのだ。心を得られるのは、当人がみずから捧げた場合だ
け。ならば六太の心は最初から尚隆が得られるたぐいではなかっただけなのだ
ろう。
(心を得られないなら)
 ――いっそ。
(体、だけでも)
 ふとさまよいこんだ思考に我ながら呆れて、尚隆はふたたび自嘲して酒杯を
傾けた。今まで決して頭にのぼらなかった発想に、自分が無自覚にどれだけ落
ち込んでいたかわかる気がした。

829永遠の行方「絆(23)」:2017/05/06(土) 09:20:34
 だが不思議なことに、いったん頭にのぼってしまえば妙に魅力的な考えに思
えた。何しろ王には、宮城の――正確には自国民の――誰であれ寵愛して後宮
に入れる権利がある。官位の低い者が見初められた場合は、やっかみから本人
がいろいろ言われることも後宮入りを邪魔されることもあるが、最終的に物を
言うのはやはり王の意向だ。まさか神獣麒麟にその法や慣習を適用する王が現
われるとは、誰も想定していなかったろうが。
 心をつかまえておけないものなら、せめて体だけでもつかまえておけないだ
ろうか。普通、体をつなげば情が湧くものだ。
(無理やり体を奪った相手になど情は湧かぬだろうに)
 尚隆は頭を振って、酔いとともについ思考を占めかけた妄想をも振り払った。
だがいったんさまよい出した思考は、酒の力もあってふらふらとあちこちを行
き来する。
 これまでの六太との良好な関係が壊れることになるだろうか。それとも慈悲
の麒麟は、それゆえに尚隆にも慈悲を垂れてくれたりするのだろうか……。
(莫迦なことを)
 そんなことをして何とする、六太に軽蔑されるだけだ。そもそも相手が自分
を何とも思っていないのに、抱いても空しくなるだけだろう。商売女を買うの
とはわけが違う。何しろこちらがほしいものは本当は心なのだ。
 そもそも麒麟とて相手を憎むことは知っている。ならば軽蔑よりは憎まれる
だろう。
(憎む、か)
 それはとてつもなく強い感情だろう。負の方向へとはいえ、そんな感情を向
けられるのは果たして悪いことだろうか。
 六太は衝撃を受けるだろうか、はたまた失道するだろうか。
(――いや)
 尚隆はふたたび力なく首を振ると酒杯を干した。六太は尚隆さえも憐れむだ
ろうと思ったのだ。今回の事件の呪者を憐れんだように。そしてふたりの距離
は永遠に縮まらず、むしろより隔たって、尚隆は自分がどこまでも孤独だとい
う、王たるものの宿命を知るだろう。
 だがもともと六太と自分はそんなつかず離れずの淡泊な関係だった。ならば
この際、その事実を決定的に思い知るのもいいかもしれない……。

830書き手:2017/05/06(土) 09:23:23
次は六太視点です。
ただし、割とすぐ尚隆視点に戻ります。

831名無しさん:2017/05/06(土) 10:22:07
大量更新乙です!
思ってた以上に尚隆が孤独で切なくてキュンキュンしっぱなしです
尚隆って手に入らないと見定めたらスパッと切り替えるイメージがあるけど
切り替えても体だけな方向にいってもろくたん失道→雁国の危機でどきどきw

832名無しさん:2017/05/06(土) 13:35:52
尚隆思考の振り切りが凄まじいよ……!たった一人でいる孤独より、隣に目覚めた六太がいるから味わう孤独のほうが、
より苦しくて思いつめるのだね……

833名無しさん:2017/05/06(土) 18:57:56
いつも飄々としてる尚隆が難儀な六太に翻弄されてるのがすごく素敵です!
思いのすれ違いで切ないけど尚隆が悩んでる所って本作で読めないから楽しいw

834書き手:2017/05/07(日) 00:04:17
尚隆……酔ってたんだよ……。

とりあえずGW中に六太視点は投稿しときますね。

835永遠の行方「絆(24)」:2017/05/07(日) 00:06:30

 六太が立ちあがって、ゆっくりながら歩けるようになるまでは意外と早かっ
た。とはいえ呪で眠っている間に体力も落ちて疲れやすくなっていたため、本
人がやりたがっても周囲が訓練のしすぎを気にし、慎重に段階を追っていった。
そのため六太自身はなかなか調子を取り戻せないという認識でおり、かなりの
不満をためる期間となった。
(早く仁重殿に帰りたいのに)
 相変わらずそう考えて焦る六太だったが、微笑を浮かべた女官たちが「主上
のお許しがありません」と頑として聞いてくれないのだから仕方ない。しかも
こっそり訓練をしようとしていたことを尚隆に見つかって以来、彼女たちは絶
対にひとりにしてくれなくなった。政務から尚隆が戻ってくるまで、必ず誰か
がそばにいる。
 尚隆と一緒ならさがっていてくれるが、それは要するに尚隆に抱きあげられ
てあちこちを散策しているときであって。
 もしこれが両想いの相手で、ゆったりとふたりの時間を持てたとでも言うな
ら話は違うだろう。だが何しろ六太には、ずっと不相応な望みをいだいている
という自覚がある。その時間は切なさしか生まなかった。
 それでも幸せだと自分に言い聞かせなければならないのだろうか。きっと一
生の思い出になるから、と。
 だが休み休みではあるが、やっと朝議にもかなりの距離を歩いて向かえるよ
うになった。途中で疲れて結局尚隆に抱きあげられることもあるとはいえ、徹
頭徹尾、横抱きであちこちに運ばれていたころを思えば進歩したものだ。数日
に一度は広徳殿に顔を出して、令尹や州宰と雑談を交わしてもいる。
(よし。ここまで来たら、尚隆もそろそろ仁重殿に戻っても文句言わないだろ。
なんか妙に過保護になったけど)
 それほど心配をかけたのだと思えば罪悪感も覚える。だが、それ以前に六太
自身の精神状態が持ちそうにない。尚隆の匂いを感じながら、同じ臥牀で仲良
く並んで眠るのはもうごめんこうむりたかった。どうせなら蓬莱の抱き枕よろ
しく抱きしめて眠ってくれればいいものを、逆に背を向けて寝られるなんて。
 もちろん現実にそんなことをされたら眠れないどころか、いっそう精神力を
消耗するだけだろうとは思うのだが、ついつい夢見るように妄想してしまう六
太だった。

836永遠の行方「絆(25)」:2017/05/07(日) 00:10:42

 あちこちに置かれた灯が放つ、温かな黄色の光に照らされた臥室。その夜、
被衫姿の六太は座っていた椅子から立ちあがり、ほんの数歩、歩いただけでふ
らついた体を支えるために目の前の小卓に両手をついた。頭をめぐらせて、半
分ほど開いている大きな框窓を見やる。填められている大きな玻璃の板は、都
度、蓬莱から技術や文化を容れてきた豊かな雁ならではだ。その先の露台も、
穏やかな夜の中でいくつかの灯に照らされて、光と影が織りなす美しい姿を見
せていた。露台では尚隆が雲海のほうに視線を投げ、立ち尽くしたまま、先ほ
どから何やら物思いに沈んでいる。
 ふと彼の目がこちらに向き、静かに歩み寄ってきた。そのさまがなぜか獲物
を視界に捕らえた猛獣のように見えて、六太は知らず、ぶるりと震えた。
「尚隆」
 六太は努めて普通に装い、明るい声を出して呼びかけた。
「なんだ」
「俺、そろそろ仁重殿に戻るわ。もうだいたい良くなったし」
 戻りたい、ではなく、戻る。六太はこれで自分の意志をはっきり伝えたつも
りだった。
 だが尚隆は露骨に顔をしかめた。臥室に戻り、掃き出し窓を閉めてから遮光
と目隠しのための垂れ幕まできっちり引いて向き直った。
「莫迦なことを言うな」
「え?」
 尚隆は大股に歩み寄ってきたと思うと、卓に両手をついたままの六太の後ろ
に立ち、長い金色の髪を愛でるように手にすくった。そんな彼の仕草を、六太
は首をめぐらせて不思議な思いで眺めた。尚隆は今まで六太にそんな仕草をし
たことはない。直に身体に触れられるより逆に官能的な気がして、それに気づ
いた六太は内心で少しうろたえた。
「俺は、またおまえと離されるつもりはないぞ」そう言った尚隆は、後ろから
六太の両肩に手を置いた。「身体が良くなったというのなら、もう待つ必要は
ないな。来い」
「……へ?」

837名無しさん:2017/05/07(日) 02:44:05
(��ぉぉぉぉぉぉっっ!)(息を潜めて○年分の感激を胸に心は全裸にネクタイで正座待機)

838名無しさん:2017/05/07(日) 08:41:03
(と…とうとう!???ドキドキドキ)

839永遠の行方「絆(26)」:2017/05/07(日) 09:54:55
 六太は我ながら間抜けな声を上げたと思った。しかし続いて尚隆の口から飛
びだした言葉に凍りついた。
「おまえを抱く」
 六太は呆然とした顔で、何度もまばたいて尚隆を見上げた。ようやくのこと
で意味を理解したあと、強がるように「そんなに飢えてんのかよ?」と返した
ものの声は震えていた。
「何とでも言え」
「俺、男なんだけど」
「知っている」
 呆気に取られた六太は声もなかった。
「おまえこそ、男同士でも契れるのを知らんのか」
 尚隆はふと、先ほどまでの張りつめた気配を消して、からかうように言った。
 この男はいったい何を言い出すのだ、と六太は混乱した。もしや何かの拍子
に自分の気持ちがばれてしまったのだろうか。あるいは話の種に、単に麒麟と
いうめずらしい生きものを抱いてみたくなったのか。どちらにしても、六太に
とっては悪夢でしかなかった。
 尚隆はそんな六太の恐慌を知らぬげに、後ろから抱きしめてきた。そのまま
頭を押さえるようにしつつ顎を上げさせ、無理やり口づける。ようやく我に
返った六太は何とか抵抗すべく、体をひねって尚隆の胸を押し、必死に逃げよ
うとした。だがもともとおぼつかない足元が動揺でもつれ、力が入らない。
「お――まえ、空しくないのかよ!?」
「何がだ?」
「き、麒麟なんか、抱いたって、おもしろいわけないだろっ」
「おもしろいかどうかなど知ったことか。おまえがほしいからおまえを抱きた
いと思う、それがなぜ空しいことなのだ」
「ほ、ほし――冗談、きつい」
「なぜ冗談だと思う」
「麒麟なんか――麒麟なんか、ただの器だ。すべては天意を受けるためのもの
で、自分の気持ちなんてない。王を慕うのは本能で、そんなの抱いたって空し
いだけじゃないか」

840永遠の行方「絆(27)」:2017/05/07(日) 10:06:12
 六太はもう涙声だった。いったいなぜこんな目に遭うのかわからない。
 だが尚隆は不意に優しい目になった。六太を押さえつける力は緩めないなが
ら、「王を慕う、か」とつぶやいた。
「ならばおまえも俺を慕っておるのだな?」
 六太は顔をそむけた。動揺しきりの彼は、普段ならばそれでも言わなかった
ろうに、ついに震える声で自棄のように「王を嫌いな麒麟はいない」と言った。
「それならばそれでも良い。ほしいと願った相手に慕われているとわかれば十
分だ」
 ふたたび強引に口づけてきた尚隆に、六太は「離せ!」とあくまで抵抗した。
だが強い力からは逃れきれず、とうとう「嫌だ」と泣き出した。
「は――話の種にでもするつもりかよ!?」
「おまえがほしいと言ったろう。――いや」
 尚隆はいったん言葉を切った。そうしてすぐに「そうだな、これも惚れてい
るということなのかもしれんな」と、どこか自嘲するように続けた。
 六太は愕然として、泣きぬれた目を尚隆に向けた。
「嘘だ……」
「嘘ではない」
「嘘だ」
「何が嘘だ。王が自分の麒麟に惚れて、どこが悪い」
 開き直ったように言う尚隆に、完全に恐慌をきたした六太は、泣きながらう
わごとのように「嘘だ」「ありえない」と繰り返した。奥底からわきあがって
くる恐怖に、というより理解できない事態に、六太の神経は完全に許容量を超
過した。ぶるぶると瘧(おこり)のように震えつつ、必死に相手の腕の中から逃
げようとする。衝撃のあまりいつもの仮面ははがれ、表情も言葉も態度も、何
ひとつ取り繕うことができなかった。
 だって慈悲の繰り言ばかりの自分はいつも尚隆のお荷物だったのだ。六太は
混乱の中で、そう過去を振り返った。これまで呆れられたことはあっても、特
に大事にされた記憶はない。むしろいつまでも困った子供だと苦笑いされてき
た気がする。要するに首をすげ替えれば良い官と違って、麒麟である六太は遠
ざけるわけにもいかず、尚隆は王として仕方なく付き合ってきただけだ。その
はずだった。

841書き手:2017/05/07(日) 10:10:02
全裸待機はやめてww


場面は変わりませんが、このまま尚隆視点に移行します。
しばらくはずっと尚隆のターン!
(ただ投下までちょっとお待ちください)

あ、でも強○はないです。
期待してた人がいたらごめんなさい。
泣いてるろくたん可愛いし、ついついいじめたくもなるけどw

842名無しさん:2017/05/07(日) 10:23:41
おおっ続けて更新が…パニくってるろくたん可愛いですねー泣かせたくなるのわかりますw
和○大歓迎ですしわくわく待つのも楽しい時間なのでご無理なさらず

843名無しさん:2017/05/07(日) 13:06:46
やめてといわれても、全裸待機せざるをえない
待ちわびた展開で続きが待ち遠しいよ!

844名無しさん:2017/05/07(日) 13:11:40
ついに何年も待っていた場面が読めるのですね!
ちょくちょく覗きにきててホント良かった!!

845名無しさん:2017/05/07(日) 14:19:33
お疲れ様です!!うわああいっぱいいっぱいな暴走尚隆たまりませんなあ…
>>837
靴下も忘れないで下さいね

846書き手:2017/05/10(水) 23:08:39
推敲しつつ、平日はニ、三レスずつ落としていきます。

847永遠の行方「絆(28)」:2017/05/10(水) 23:11:00
 一方、尚隆も驚いていた。
 先ほど露台から六太を見たとき、室内の灯の淡い光に照らされて金の髪がき
らきらと光る姿は、光でできた彫像のようだとも、幻のようにはかない姿だと
も感じて、妙に不安に駆られた。まだ以前のように自由に動き回れるわけでも
ないため、卓に両手をついてひっそりと立つさまに、ただ静かに眠っていた姿
を幻視する。そうして尚隆は、二度と離してたまるか、と内心で決意したのだ。
 だが本当に関係を無理強いすることはないだろうとも、どこかで諦めていた
気がする。おのれの醜さを六太に突きつけ、それに対する嫌悪を目の当たりに
し――おそらくそれで自分の心は萎えるだろう。そうしたら詫びの代わりに六
太を遠ざけてやろうと思った。きっと六太は安堵するに違いない。本人が望む
なら理由をつけて、陽子のところにしばらく滞在できるよう計らってやっても
いい。
 ――なのに。
 尚隆を嫌悪するのではなく、嫌悪から拒否するのではなく。恐慌の中、頭を
ふらふらと揺らして定まらない視線をでたらめにさまよわせ、それでも尚隆に
だけは目を向けようとせず、泣きながら幾度も幾度も「嘘だ」と繰り返す。そ
の様子に、これではまるで……と呆然としながらも訝しんだ。
「ありえない、ありえないんだ……」六太は泣きながら、しきりに首を振った。
「何が、ありえない」
「ありえない、嘘だ、嘘だ、ありえない……」
 また力なく首を振り、ひたすらうわごとのように繰り返す。足元がよろめい
て既に危うい。なのにやたらと首を振っては、混乱のあまりおぼつかない手で
尚隆を押して遠ざけようとするものだから体が傾き、今にも床に倒れこみそう
だった。尚隆が強引につかまえているから、結果的にかろうじて立っていられ
ているだけだ。
(これではまるで――まるで……)
 先ほどの「嘘だ」「嘘ではない」という応酬は、ほとんど反射的に言い返し
たに過ぎなかった。尚隆にしてはめずらしいことに、ほぼ感情に任せた台詞
だったと言っていい。「自分の麒麟に惚れて、どこが悪い」と言い放ったのも
同じ。何しろ内心では恋情のような甘いものではなく、よりたちの悪い「執着」
だとはっきり自覚していた。

848永遠の行方「絆(29)」:2017/05/10(水) 23:29:41
 だが今、彼は突如としてひらめいた可能性に動揺していた。尚隆自身を拒む
のではなく、あくまで尚隆の告げた想いが嘘だとして抵抗する六太。尚隆の脳
裏を、何年も前の廉麟の言葉が不意によぎった。
 麒麟は王のもの、王がそばにいなければ生きていられない、と。廉麟は確か
にそう言った。あのときは、ならばうちの麒麟は規格外だな、とひそかに思っ
たものだった。
(ああ)
 尚隆の心の中で、嘆声とともに何かがゆるゆると形作られていった。これま
でずっと見誤っていたそれ。いろいろな材料を得てなお、正しく組み立てられ
なかったひとつの絵。
 ばらばらに散っていた断片が、今度こそはっきりと正しく結びついていく…
…。
 ぴたりとはまった断片の数々が、ようやく尚隆の目にすべての真実を明らか
にした。長い長い時の中に埋もれ、最後に人知れず朽ちていくだけだったろう
真実を。
 わかってみればいちいちうなずけることばかりだった。なのに、自分は。
(――どうして)
 どうしてこれまで気づいてやれなかったのだろう。あまりにも深い後悔の念
に尚隆の心が激しく震えた。どれほどの間、必死に隠してきたのだろう。百年
か二百年か、あるいは。
(では、あの呪が解けたのは)
 雷に打たれたかのように天啓が訪れた。
 何も変わったことはしていないつもりだった。だがそうではなかった。なぜ
なら――尚隆は六太に接吻をしたのだから。
 確かに純粋に行為だけを見れば、それまで幾度となくやってきた口移しと何
ら変わらなかったかもしれない。だがあのときは水や果汁を飲ませていたわけ
ではない。
 陽子は言っていた。王子や王女の接吻で相手の呪いが解けるというのは、童
話でよくある類型のひとつだと。だからそれで目覚めたのなら、幸運な偶然と
思うことはできるかもしれない。
 だがあれはむしろ、思い人である尚隆からの接吻で六太の望みがかない、解
呪の条件が満たされたということではないのか……。

849永遠の行方「絆(30)」:2017/05/11(木) 23:19:21
(では、最近の六太が俺の世話を拒んでいたのは。驚いたり嫌がったりしてい
たのは)
 呪者の確信は、潜魂術により六太の認識を引き継いだがゆえだ。それほどあ
りえないと固く信じて解呪の条件としたほどの事柄。あさましい願いだと言い
切り、天地がひっくり返っても成就しないとまで思い込んでいたのなら、その
相手に触れられて親しく世話をされるのはむしろ苦痛だったのではないか。そ
こでこれ幸いと逆に距離を縮めようとするほど図太かったら、そもそもあのよ
うな卑怯な呪にかけられることもなかったはずだ。
(すべては誤解……?)
 六太は尚隆の世話を嫌がったのではなかった。ただ絶対に叶えられない望み
を目の当たりにすることを恐れただけだったのだ。
 尚隆は狼狽しつつも六太を見おろした。現金なことに先ほどまでのどこか追
い詰められた気持ちは、すべての断片と断片が明確に結びついたとたん、霧散
するように消失していた。今は何か救われたように感じ、むしろ動揺の中にも
優しい気持ちが芽生えはじめていた。まだ恐慌に駆られている六太を支えなが
ら、慣れない感情に途方に暮れる。
 ――愛(いと)しい。
 そんな気持ちが、みるみるうちに大きくなった。これだけ長い間そばにあり
ながらよくも気取らせなかったものだと思えば、いじらしくてたまらない。そ
んな頭の片隅では別の尚隆が、まったくもってやっかいな餓鬼だ、と、ようや
く復活した余裕の気持ちをにじませて苦笑していた。
「……信じられないならそれでも構わん。麒麟は王の命令には逆らえないのだ
ろう。おまえは命令に従っただけだ。自分にそう言い訳しておけばいい」
「いやだ……いやだ――」
 まだ完全に体調が回復したわけではないせいもあるだろう、混乱のあまり、
却って六太は抵抗の力を失っていた。尚隆の胸を押すように置かれた手には既
にまったく力が入っておらず、ひたすら泣いて首を振っている。
 気づけば、季節柄薄い被衫のせいもあって、夏場とはいえ涼しい雲海上の宮
城のこと、六太の体は明らかに冷えてしまっていた。あるいは混乱の極みにあ
る精神状態が何らかの症状として現われたのかもしれないが、いずれにしろ尚
隆はあわてた。

850永遠の行方「絆(31)」:2017/05/11(木) 23:36:32
(まずいな)
 さすがに我に返って牀榻に入れようとすると、六太は力の入らない手で、そ
れでも必死に抵抗しようとした。
「まだ何もしやせん。おまえ、足元がふらついているではないか」
 尚隆は強引に牀榻に連れこんだものの、寝かせるとさらなる恐慌に陥りそう
とあって、臥牀の端に腰かけさせた。臥牀から薄い衾をはいでそれですっぽり
とくるみ、衾ごと抱きしめる格好で同じように横に腰かける。恐慌から来る反
射か、ぶるぶると体を震わせたままの六太が落ち着くまで、何度も「大丈夫だ」
「何もしない」と声をかけつつ、これ以上相手の恐慌をあおらないよう、しば
らくじっとしていた。
 尚隆自身の気持ちとしても、罵詈雑言を浴びせられるならまだしも、こんな
ふうに恐怖に駆られているさまを見れば哀れさが先に立つ。どうやら両想いの
ようだとわかっても、さすがに無理やり抱く気にはなれなかった。ただでさえ
こんな様子の六太を見るのは初めてなのだから。
 そうやって時おり静かに声をかけつつ、ひたすら待っていると、長い時間が
経って、ようやく六太の反応が落ち着いてきた。尚隆に腕の中で身を硬くした
まま、がっくりと頭を垂れている。そのさまは荒れた国でよく見かけてきた民
らの無気力を彷彿とさせた。
 尚隆はせっかく落ち着いてきた六太を刺激しないよう、何とか相手の気持ち
をほどくための糸口がないかと穏やかに話しかけた。
「……そういえばおまえも蓬莱で生まれたというのに、向こうでの話を聞いた
ことは一度もなかったな……」
 ささやくような低い声に、六太はぴくりとも反応を示さなかった。
「生まれはどこだ」
 返ってきたのは無言だけ。だが尚隆が辛抱強く待っていると、ずいぶん経っ
てから消え入るように小さな声が「京」と答えた。
「帝のお膝元か。親は何をしていた。商いか。農民か」
「何も」
「何かしていたろうが」

851名無しさん:2017/05/12(金) 12:13:17
気持ち通じたー!尚隆良かったね、嫌われてるんじゃないよ
にまにまして続きお待ちしています!

852永遠の行方「絆(32)」:2017/05/12(金) 22:27:18
「……元は商家で下働きしてたみたいだけど、そこの主人が殺されたから。西
軍の足軽に」
「そうか……。家は?」
「そんなもん。燃えたよ。大きな寺も公家の屋敷も、民の家だって、全部燃え
た――燃やされたんだ。侍たちに。大名たちに」
 かぼそくも淡々とした声だった。何もかもを諦めたような。
「そうか……。それで食い詰めた親に捨てられたのか」
 ぎくり、と六太はいっそう身体をこわばらせた。やがて「仕方なかったんだ」
というつぶやきが漏れた。
「俺、まだ四つだったから……。働けずに食うだけの餓鬼で、役立たずだった
から……。仕方なかったんだ。家族が生き延びるために」
 千を生かすために百を殺す。百を生かすために十を殺す。そんな論理を嫌悪
する麒麟なのに、殺される側が自分であるならばまったくかまわないのだ。尚
隆は不憫に思った。六太自身は、普段から尚隆が唱えているその論理を自分が
肯定していることにまったく気づいていないようだが。
 尚隆は強いて、六太を慰めるような言葉をかけた。
「親はつらかったろうな。腹を痛めて産んだ子を捨てるとは」
 だが六太は力なく頭を垂れた姿勢のまま、身じろぎもしなかった。
 ふたたび長い長い時間が経って、小さなつぶやきがぽつりと漏れた。
「気味が悪いって、言われた」
 震える声。
「聡いから恐いって」
 かぼそい声に嗚咽が混じった。顔は伏せられたままだったが、六太がくるま
れている衾の上にぽたりぽたりと涙が落ちた。
「どこかから下されたみたいで、死なせたら祟りそうだって!」
 感情があふれたのだろう、不意に、声に力強さが蘇った。その声は血の色を
していた。五百年を経ても、その記憶が褪せることはなかったとでも言うよう
な。いまだに楔のように心臓に突き刺さっているとでも言うような。
「でも――でも、戦がなかったら、都が燃えなかったら、それでも捨てられず
に済んだんだ。俺はいてはいけない子供だったけど、役立たずだったけど、そ
れでも育ててもらえたんだ!」

853永遠の行方「絆(33)」:2017/05/12(金) 23:28:09
 血を吐くような悲痛な叫び。六太の体はふたたび瘧(おこり)のような震えを
発しはじめていた。
「だから俺は大名が嫌いだ。将軍とか、人の上に立って戦をする奴らが嫌いだ。
王だって大嫌いだ。だから、だから――」
 何かの発作を起こしたかのようにがくがくと激しく震えている六太を、尚隆
はあわてていっそう強く抱きしめた。赤子をなだめるように、優しく揺すって
やる。
「――俺は王なんか選びたくなかった。おまえは麒麟だって言われて、蓬山で
王を選べって言われて――吐き気がした。王がいるから民は殺される。王がい
るから民は搾取される。なのに王を選べって。だから蓬山を逃げ出したんだ。
逃げ出して戻ったんだ、蓬莱に」
 王を選びたくがないために蓬山を出奔した。いちおう鳴賢の証言で知っては
いたものの、初めて自分の耳で聞く告白に尚隆は驚かざるを得ない。確かにそ
んな麒麟の例は他にないだろうから。
 だが幸いにも哀れな興奮は長く続かなかった。尚隆が何も言わず、ただ励ま
すかのようにぎゅっと抱きしめては時おり揺すってやっていると、六太はほど
なく静かになった。相変わらず頭をがっくりと垂れたまま、震える声で続ける。
「――なのに。なのに、気の赴くままに旅をしていたらおまえに会った。一目
でわかった。おまえが王だって。王を選びたくなくて蓬莱に帰ったつもりだっ
たのに、天帝の掌で踊らされているだけだった。自分の意志で出奔したつもり
だったのに、そうじゃなかった」
 もちろん尚隆は蓬莱で六太と会ったわけで、彼が蓬莱に赴いていたことは了
解している。ただその理由については、何となく王を見つけるためだったろう
と思っていた。昔のおぼろな記憶をひっくり返してみても、天勅を受けるため
に蓬山に逗留していた際、女仙たち自身もそう言っていた記憶がある。むしろ
他には考えられないとして、その理由を信じ切っていたようだった。
 いずれにせよ、自分の意志で成したと思っていた行動が、すべて他者によっ
て仕組まれていたと知ったら、確かに衝撃を受けるだろう。
 何とも声をかけづらい内容に尚隆が黙っていると、六太はようやく泣きぬれ
た顔を上げた。泣きすぎて腫れた瞼の奥、ぼんやりとした目が無感動に尚隆を
見つめる。

854永遠の行方「絆(34)」:2017/05/13(土) 10:01:07
「麒麟には何もないんだ。この命も、感情すら自分のものじゃない。俺の気持
ちは全部天帝に仕組まれたものだ。だから、だから――」
 六太の目からふたたび涙があふれた。そうしてからまたぐったりと頭を垂れ
る。
「俺を、放っておいてくれ」
 かぼそくも乾いた声。何も望まず、何もかもを諦めたかのように力のないそ
れ。
「前みたいに妓楼にでも行って、姐ちゃんたちと遊んで憂さ晴らしして――俺
のことは捨て置いてくれ」
 それだけ言うと、六太はぱたりと黙り込んでしまった。今回の事件で鳴賢に
告げたことを除けば、これまで誰にも明かさず秘めていたのだろう重く真剣な
告白。尚隆は考えあぐねていたが、やがて「なあ、六太」と静かに呼びかけた。
「なぜそう決めつける。俺とおまえの年齢差からすると、おまえの前の雁の麒
麟が生きた年月も、俺が王とされた時期と被っていたのではないか。だがそい
つは俺を見つけられずに天寿尽きて亡くなったのだろう。それまでにも胎果の
王はいたというのに、崑崙や蓬莱に渡って探すという考えは浮かばなかったよ
うだな。ということは、おまえが向こうで俺と出会ったことはどうか知らんが、
蓬莱に戻ったこと自体はおまえの意志ではないのか? その後のことは、たま
たま俺が胎果だったためにうまく運んだだけかもしれんぞ」
 そこまで言って様子を窺ったものの、六太の反応はなかった。
「それに俺たちは既に五百年ともにいるのだ。これだけ長い間寝食をともにす
れば、麒麟であろうがなかろうが、相手を好ましく思っても不思議はあるまい。
それに俺もこの長い生の中で何度か考えたことがあるが、王を慕うという麒麟
の本能は、あくまで忠義に留まるように思う。宗麟や供麒を見るかぎり、嫉妬
という感情とは無縁のように思えるのでな。あの氾麟でさえ、氾王の寵姫たち
に別段妬くふうもない。というより寵姫たちの美貌やさまざまな才覚を自慢し
ていたくらいだから、むしろ王の幸いとして本心から喜んでいると言えるだろ
う。つまり独占欲ではないのだ、麒麟の、いわゆる王への思慕は。だが思い返
してみると、おまえは俺が妓楼に通うと不機嫌になったな」

855永遠の行方「絆(35)」:2017/05/13(土) 10:13:24
 思わず、といったふうに、六太がパッと頭を上げた。驚愕に彩られた顔で叫
ぶ。
「だ、誰が! それはおまえが真面目に働かないで、遊んでばっかりだから―
―」
「ならば後宮に女人を入れたいと言ったら、おまえはどう思う」
 六太は叫んだ形に口を開けたまま絶句した。次いで、頭を垂れるのではなく
顔を横にそむけて吐き捨てるように言った。
「勝手にすればいいだろ。俺には関係ない」
 そのまろやかな頬に、ふたたびあふれた涙が幾筋も伝った。
 実を言えば尚隆は、深い考えがあって言ったわけではなかった。六太の頑固
な態度に、つい反射的に口に出してしまったというか。
 だがそんな六太の反応に胸を衝かれた彼は、不用意な言葉を吐いてしまった
ことを心から後悔した。愚かな言葉を詫びるかのように六太を抱き寄せ、涙で
濡れた顔を自分の胸に押しつけた。
「莫迦、泣くやつがあるか。ただのたとえ話だ。俺はおまえに惚れていると
言ったろう」
 小柄な六太は、衾にくるまれていてさえ尚隆の腕の中にすっぽり納まってし
まう。もっと早く気づいてやれていれば。そうすればこんなふうに自分の翼の
下に入れて守ってやれたのに、と慙愧の念が心をさいなむ。
 いずれにしても、五百年以上をともに過ごしていながら、ふたりがこんな話
をしたのは初めてだった。知り合って何年も経たない鳴賢と交わした熱い話を
思い出しながら、尚隆は内心で、本当に俺はこいつのことを何も知らなかった
のだな、とひとりごちた。
「……ああ、そっか」
 尚隆の胸から頭を起こした六太が、不意に自嘲の声音を漏らしたので、尚隆
は「うん?」と問いかけた。
「俺、蓬莱でもここでもずっと役立たずだったしな。後宮でなら、俺でも役に
立つかもしれないって?」
 思いがけない言葉に、尚隆は呆気に取られた。
「おまえ……。もしかしてずっと自分を役立たずだと思っていたのか?」

856永遠の行方「絆(36)」:2017/05/13(土) 10:51:38
「役立たずじゃんか、実際」
「一口に治世五百年と言うが、おまえが俺の麒麟でなければ、最初の百年もも
たなかったと思うぞ」
「俺はいつもおまえの足を引っ張ってただけだ」
「なぜそう思う」
 とっさに理由を言えなかったのか、六太は口ごもった。だがすぐにこう答え
る。
「い――いつも、うるさそうにしてたじゃんか。慈悲の繰り言ばかりだって」
「それは否定せんが……。しかしそもそもそういう進言をすることこそが宰輔
の重要な役目だろう。それに俺の手足となって諸国の実情を見聞してくれてい
たろうが」
「そんなもの。麒麟なら誰だってできる」
「他の麒麟は、そもそも内乱状態やら空位で荒れているやらの他国に足を踏み
入れるのも嫌がると思うがな……。それにおまえほど機転が利かず、あっさり
と正体を見破られそうだ」
「宰輔の政務だって誰でもできる。訴状や陳情に目を通して、官から上がって
きた書類を決裁して……。靖州侯の政務もそうだ」
「だから、自分が意識不明になっても何の支障もないと考えたか?」
 六太は押し黙った。
「確かに表面的なことだけ見ればそうなのかもしれん。しかし心はどうなる。
おまえが呪にかけられたことで、鳴賢は心配のあまり相当に憔悴していたぞ。
命に別状がないとわかっていてもだ。おまえを何とか目覚めさせられないかと、
随分と力を尽くしてくれた。おまえと歌や曲を作っていた海客たちは、おまえ
が麒麟だとは知らないが、少しでも症状が改善すればと、関弓の民ともども何
十人も集まって演奏会を開き、眠ったままのおまえに歌を聴かせたのだぞ。覚
えてはおらんだろうが。それに俺はどうなる。おまえがいなければ俺は独りだ。
官だろうが女だろうが、俺と真に添えるのはおまえだけだ。蓬莱での俺、すな
わち俺の根を知っている唯一の存在、それがおまえなのだぞ。おまえがおらね
ば、俺は自分の根を失う。国を治める気力も失う。それがわからんのか」




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