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【伝奇】東京ブリーチャーズ・玖【TRPG】

1那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 14:55:01
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。

――だが、妖怪は死滅していなかった!

『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!



ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:一週間(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)

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【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
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番外編投下用スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1509154933/

東京ブリーチャーズ@wiki
https://w.atwiki.jp/tokyobleachers/

405多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/20(木) 23:58:02
 再びヘリポートのコンクリートを蹴って、突進を仕掛けてくるアンテクリスト。

「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
 三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」

 アンテクリストの攻撃に、
今度は叩き込んだ左拳を腕ごとへし折られながら、そんな風に祈が宣う。
 敢えて仲間の存在を示唆したのは、アンテクリストの動揺を誘うためであった。
 祈が視界の端に捉えたところ、今、仲間たちはノエルによって武器を授けられている最中だ。
神獣たちを下した東京ブリーチャーズが強化されるのを厄介と思えば、そちらを攻撃しようと気を削がれる。
逆に、東京ブリーチャーズが集結していない今こそ祈を屠るチャンスと思えば、気が焦る。
 どのみち付け入るだけの隙が生まれるのだ。
 完全体となったアンテクリストの強さは、祈を遥かに凌駕する。
しかし信頼する仲間が集ったなら勝機はあると、祈は信じて疑わない。
だからこそ、仲間たちが強化されるまでの僅かな時間、どのような手を使ってでも持ちこたえる必要があった。

>「祈!!」

 精神的に負けていないとはいえ、
両腕がおしゃかになった祈は、見た目に完全に圧されている。
ズタボロで戦う祈に向けて、さすがにレディベアの心配そうな声が飛んだ。

「っ、あたしは大丈夫! そんなことより時間稼ぐぞ、モノ! 加勢頼んだ!」

 そう言いながら祈は、心配させまいと、砕けた両腕を瞬く間に再生させて見せた。
『そうあれかし』の黄金の光と、龍脈の力を過剰に引き出すオーバーロードの相乗効果だった。
 祈の呼びかけに応じて、レディベアがサポートに入る。
 祈はアンテクリストに劣るとはいえ、それに次ぐ強さと、
肉体の損傷を瞬間的に再生するほどの高い回復力を備えている。
そんな祈がアタッカーをこなし、
瞳術とブリガドーン空間による回復能力を有したレディベアが祈のサポートに回るなら、
一糸乱れぬコンビネーションもあり、そう易々とは負けることはない。
 実際には祈の回復能力は有限であったし、
レディベアが狙われれば終わりという、綱渡りの戦いではあったものの。
どうにか二人は、仲間たちが戦線に戻ってくるまでの僅かな時間を稼ぐことができた。

 先に戻ったのは、ノエルだった。

「お?」

 打ち合いの最中、どうにかアンテクリストから距離を取った祈。
その元へとノエルが現れ、祈の拳を両手で包んだ。

「御幸!」

突如出現したノエルに、アンテクリストが警戒の色を示し、その場に留まった。

>「知ってる? ノエルって救世主の生誕をお祝いする日なんだ。僕の救世主は……君だ。
>聞こえたよ、将来の夢。君ならなれるよ、名探偵!」

 ノエルが祈の手を離すと、
祈の両手には氷で作られた手甲――呪氷のガントレットが装着されていた。
 これ以上傷付かないように、少しでも戦いが楽になるようにと。
 言いたいことはいくつも浮かんで、祈は言葉に詰まった。
ノエルが救世主の生誕を祝う日を意味する単語であり、祈を救世主であるといったことに対し、
『つまりあたしの誕生日祝いに来てくれるってこと? むしろ誕生日教えろ。祝いにいくから』とか。
名探偵になれると言ってくれたことに対し、
『ちょうど、名探偵の助手役が空いてんだけど?』だとか。
 
「……情報量が多いんだっつの。とりあえず、助けられてばっかなのはあたしの方だよ。ガントレットありがと」

 そんな中で祈が言葉にできたのは、呪氷のガントレットをくれたことに対するお礼であった。
素直になりきれない性格も手伝って、言いたいことは戦いが終わってからでも十分言えるからと、色々後回しにしたのである。

406多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:08:56
>「好きだ……君と出会ったこの街が。みんなと出会ったこの星が」

 そこにきて、格好よくアンテクリストへ向き直りながらの、ノエルの宣言である。
 シンプルに考えればどうということはない、戦う理由を明らかにしたに過ぎない。
 だが深読みをすれば意味が変わってくる。
例えば『おいしいプリンを置いている、あの店が好き』という文では
おいしいプリンを置いているという条件を満たしていなければ、あの店は好きとはいえないわけで。
この街が好きというのは、君という存在あってこその文であって。
 君、即ち祈に対する遠回しな告白とも捉えられなくもなく――。

「バカ!! あたしを今混乱させんな!!
ターボフォームは維持すんのに結構集中力要んだから!」

 わーぎゃー騒ぐ祈。そんな祈とノエルを見て、
ノエルが加わったところで脅威足りえないと感じ取ったらしく、
アンテクリストが炎の翼を広げ、再び祈へと迫る。

「それに今は最終決戦の――」

 再度振るわれるアンテクリストの右拳。

>「ギシャアアアアアアアアアアア――――――――――――ッ!!!!」

「――途中だろうが!!」

 それを今度は、踏み込んで両拳を突き出して、祈は受け止める。
 拳二つに威力を分散したから、という言葉では説明できない。
頑強な呪氷のガントレットによって、祈の拳は砕けることがなかった。
ぶつかり合いによって生まれた暴風が、髪の毛を激しく嬲っていっただけだ。
霊的な攻撃力も高まっているのか、アンテクリストの右腕を逆に押し返してもいる。

 とはいえ、アンテクリストの攻撃はそれだけ終わりではなかった。
アンテクリスト・ペルフェクトゥスの尾が、身体の影から槍のように伸びる。

 祈がこの場面で拳も使う戦闘スタイルに切り替えているのは、
手数の不足を理由としているところが大きい。両手両足を自在に攻防に使うアンテクリストに対し、
攻撃を足、防御を手に頼る祈の攻撃方法では、手数に劣る。
隙が生まれやすく、読まれやすいという側面もあった。
 故に、単純に両手を使うことで手数を増やし、
アンテクリストの4つの攻撃手段、両手両足に対応できるようにしておこうという算段だった。
そこにきて尾は5つ目。意識外という死角からの一撃だ。
 視界に捉えた時には既に防御が間に合わず、焦る祈だが、
ノエルの傘から鎖が伸び、レビヤタンの尾を絡めとって軌道を反らした。

>「……ちいい……!」

「おー! ナイス!」

>「みんな! 力を貸して! 雪華の舞《スノウプリンセス・ダンスパーティー》!」

 ついで、畳みかけるように、ノエルが技を放った。
半透明な雪ん娘や雪女の幻影が無数現れて、アンテクリストに攻撃を加える。
優美さのある舞、だが苛烈にアンテクリストを攻め立てていった。

407多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:12:50
>「邪魔だ――消え失せろ!!」

 だがアンテクリストは取り囲む彼女たちを、背の炎の翼を広げて迎え撃った。
あまりの高温に雪女たちが怯み、圧される。
 さらに高温の炎を吐き散らかして一蹴すると、
アンテクリストは苛立たし気に自らの尾を切り落とした。
鎖による呪縛を解くよりも、千切った方が早いと判断したのだろう。

>「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」

 そして再び祈へと向かってくる。
 ジズを喰らったことで生やした鋭い爪で、祈の胸を貫こうとする。
伸ばした腕が祈に突き刺さり、ドッ、と音がするが。

>「おめでとさん。大ハズレだ――――『幻装白景』」

 貫いたのは本物の祈ではない。

>「……祈ちゃんには指一本触れさせませんよ。師匠」

 それを阻むのは黒尾王。即ち、尾弐と橘音であった。
 アンテクリストが貫いたと思ったもの。
それは、ノエルが授け、黒尾王が放った氷の盾であった。
ノエルが放った雪華の舞《スノウプリンセス・ダンスパーティー》が
アンテクリストの目を逸らしているうちに、祈の眼前に放ったのである。
 氷の盾に映る祈の虚像は、橘音が幻術で本物の実感を与えたもの。
まんまと騙され、貫いてしまったというわけである。

>「『反転・幻想発勁』」

 そして、尾弐が氷の盾に仕込んだ技が炸裂する。

>「ッ!!ぐお……」

 その技は氷の盾に打ち込んだアンテクリストの攻撃の威力をそっくりそのまま返したらしく、
アンテクリストは大きく吹き飛ばされ、祈との間に大きな距離が開いた。

「尾弐のおっさん! 橘音! 助かった!」

 黒尾王が放った氷の盾は、アンテクリストへの騙し討ちだけでなく、
高温の炎に晒される祈とノエルを守ることにも一役買っていただろう。

>「チッ、やっぱし足りねぇか……」

 黒尾王の中から尾弐が言うように、攻撃を返すだけでは致命の一撃にはなりえないらしかった。
 肉体に損傷を与えているが、即座に回復されてしまう。

>「羽虫どもが……どこまでも神の行く手を塞ぎに来る!
>消え失せろと言ったぞ、ゴミども!!!」

 黒尾王を忌々しげに見て、圧縮された妖気の砲弾を飛ばすアンテクリスト。
仲間たちが続々と集い始めて、祈だけでなく、黒尾王にも気を散らし始めた。
相変わらず祈を狙うのは変わらないが、祈の負担が減り、格段に戦いやすくなっている。
 そこへさらに。

>『狼獄』

 ポチの声が、ヘリポートのさまざまなところから聞こえたかと思えば、
黒尾王に気を散らしたアンテクリストに、無数の攻撃が加えられた。
ヘリポートには既に、ポチが血を撒き散らしたことで縄張りが築き上げられていた。
ポチはこの縄張りのどこにでもいるし、どこにもいない、ということができるようである。
 だからこそ可能な、一瞬に百発もの攻撃を加える『狼獄』。
縄張り内にはシロもいるようだから、実際には百発以上の攻撃となっているであろう。
しかも二人もノエルに武器を授けられ、強化されている状態にある。
 意識の外から喰らわされる絶技。その威力に、アンテクリストは圧される。

「ポチもシロもやるじゃん!」

 これで東京ブリーチャーズが全員揃った。
みんなでかかればアンテクリストなんて倒してしまえるのだと。
祈はそう思い、歓喜の声を上げた。

408多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:19:44
 しかし。
『雪華の舞』、『反転・幻想発勁』、『狼獄』。
アンテクリストは数々の必殺技を受けて、僅かに圧されることがあっても、
何事もなく回復するだけの力を持っていた。
 加えて。

>「弾け飛べ!!!!」

 東京ブリーチャーズが揃って尚、アンテクリストの強さの方が上回っていた。
 アンテクリストが、神気を周囲に迸らせる。
まるで核が爆ぜたような、メルトダウンでも起きたような、激しい神気の爆風。
 吹き飛ばされる東京ブリーチャーズの面々。
 このままではジリ貧。攻撃を加え続けても埒が明かないと、誰もが攻めあぐねていた。

「くそっ――。まともに喰らっちまっ――がはっ」

 そして祈はといえば、はいつくばった状態にあった。
 神気の爆発は、アンテクリストの背後に回った祈が、蹴りを叩きこもうとした瞬間に放たれている。
爆心地でまともに神気を喰らった祈は、細胞組織からズタズタに引き裂かれたのである。
 回復力も徐々に弱まりつつあった。

 そんな中、活路を開いたのはシロだった。

>「……まだ……、まだ……やれます……!
>こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

 おそらく東京ブリーチャーズの中で、最も力不足なのはシロだろう。
だが、そのシロが、打ちのめされながらも立ち上がって言うのだ。

>「私……嬉しいです。
>今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
>ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」

 呼吸も乱れ、足元もおぼつかない様子のシロ。明らかに限界だった。
 祈のような回復能力があるわけでもない。
下がらせるべきだというのに。そんな風に言われたら、下がれなんて言えない。
 祈の目には、シロの背に己の役目に殉じるローランの姿が重なってみえていた。

>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
>私がここにいることを、無意味と思われないように……。
>私は……私の役目を!果たします!!」

 そして、シロが構える。

>「役目だと!
>笑わせるな、貴様らに役目などない!貴様らは所詮、私の手のひらの上で踊る木偶人形に過ぎんのだ!!」

 そんなシロを標的にして、アンテクリストが拳を振るう。
音速を超えて熱を帯びる右拳を、寸でのところで掻い潜り、懐へ潜り込んだシロ。
そこに合わせるようにポチが『狼獄』を再度発動させる。
二人が狙っているのは、アンテクリストの右膝だった。
 翼から放たれる業火を、尾から放たれる激流を躱しながら、右膝を狙い続けるシロとポチ。

>「死ね、犬ころども!!!!!」

 業を煮やしたアンテクリストが、凝縮した妖気を炸裂させ、波動として放つ。
神気が爆発したときも、狼獄は解除され、ポチもシロも吹き飛ばされていた。
素早く捕えにくい相手をいちいち狙うよりも、そうした方が手っ取り早いと判断したのだろう。
しかもその波動は、先程の神気よりもあるいは強力で――。
 破壊の奔流が大地と空を揺らし、世界を歪ませる。
それでも二人の狼は、攻撃を止める気配はない。
 歪んでいく世界の中で、
>「……勝とうね、祈ちゃん」祈は気のせいか、そんな声が聞こえたような気がした。

「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」

 どうにか肉体を動かせる程度に回復した祈が、その光景に絶叫しながら立ち上がる。
危険だから逃げてほしいという気持ちはあったが、
二人に負けてほしくない、二人なら勝てるという気持ちの方が勝ったゆえの叫びだった。
 そして、破壊の奔流が収まり、視界が戻ったとき。

 ガオン!!!

 膝をついていたのは、アンテクリストの方だった。
その右膝は大きく抉れている。

>「この私が、転倒しただと……?
>ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

 瞬く間に破壊された右膝を回復させ、何事もなかったかのように立ち上がるアンテクリスト。
決死の攻撃にすら、まるで意味がなかったかのように吐き捨てて。

>「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」
>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
>それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」

 だが、無意味ではないと。 黒尾王の中から橘音が言う。

>「何だと……?」

 アンテクリストが黒尾王を睨むように目を歪めた。

>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
>作戦は――『ありません』!!
>後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」

 もう攻撃は効くのだと。作戦なんてなくても、みんなで攻撃すれば倒せるのだと。
そう橘音は言うのだった。

409多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:34:38
>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
>この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
>世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
>舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

 激昂し、再び向かってくるアンテクリストへ。

「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」

 ちら、とレディベアを見遣った後、先に向かって行ったのは祈だった。
 祈が見るアンテクリストの動きは、
先程と比べると緩慢で、そして隙だらけに見えた。
橘音が言う通り、アンテクリストは自身の無敵を支える『そうあれかし』を失ったのだろう。
そして今までと違って攻撃が効くのだとすれば。ここが使い時なのかもしれなかった。
――己の命の。

 加速する思考の中、祈は考える。己が何を選択すべきかを。
 ここまで戦って、祈はアンテクリストの精神力の強靭さを嫌というほど思い知った。
数千年もの悲願に裏打ちされた精神力は、祈以上に諦めが悪い。
 おそらく優位性が失われたのも一時のことだ。
唯一神の『そうあれかし』を失っても立ち上がってきたように、必ずなんらかの策を用いて復活してくるだろう。
 万策尽きていたとしても油断はならない。
アンテクリスト・ペルフェクトゥスには、三神獣を喰らって獲得した驚異のタフネスがある。
東京ブリーチャーズの総攻撃で倒しきれないことも当然の想定の範囲内だ。
 そして倒せなかったとき、赤マントの時に獲得した結界破りの移動能力や、
賦魂の法など、あらゆる手で強引に逃げられてしまうかもしれない。
 そうすれば振り出しだ。
祈から奪った龍脈の因子も持ったままであるし、いずれ再起を図られてしまうだろう。
しかも今度は、より入念に準備をした上で。結果としてより多くの人の血を流すことになるだろう。
 それを防ぐためにも、ここで確実に倒しきらなければならない。
そのためには『運命変転の力』で、その運命を固定してしまうのが手っ取り早いのだ。

(だからあたしは……今、ここで使う――!)

 運命変転は可能性を代償とする。しかも使えてあと1度。
使えば己の死すら考えられる。
 生を捨てるように戦ってきた祈でも、死は怖い。これから先の未来を夢見てきたから。
 だが、祈は知っている。
 『運命なんてものは、自分でいくらでも変えられるもの』だと。
これまでの戦いが、友達が、仲間が、敵だった存在が教えてくれた。
 ここで運命変転を使って命が尽きるなら、その運命そのものを変えてやればいい。
 そう思うからこそ、迷わない。
脳裏に蘇るのは、これまでのアンテクリストの戦い方だった。

 踏み込み、アンテクリストに駆けた――ように見えた祈。
その姿は瞬間的に完全に消え、課と思えば次の瞬間にはアンテクリストの眼前に迫っている。
 ターボババアの都市伝説。
その中には、ターボババアは瞬間移動能力を備えているというものがある。
龍脈によって強化された祈だからこそ、ターボババアのその能力をもフルに使うことができているのだ。
必殺の一撃を当てるために、温存していた技の一つである。
 そうして、不意打ち同然に繰り出した、空中で回し蹴り。
しかしアンテクリストは、脅威の反射神経で対応して見せた。
祈の右脚がトップスピードに乗る前に左手で掴んで止めようとしている。
 攻撃が効くように弱体化したにも関わらず――。

「風火輪! 形態変化!」

 祈の呼びかけに応じ、風火輪のウィールがチェーンソーの如く変化する。
 これも、温存していた技の一つ。
 風火輪は大陸産。
日本に渡ってきてからも長い年月を経ており、とっくに付喪神化していた。
 多甫颯はそれにいち早く気付き、協力関係を築いたからこそ、並の妖怪以上にその力を引き出して戦えたのである。
 風火輪は、意思が弱く自己主張に乏しいが、認めた主人の命令は良く聞き、支えてくれる。
本来の主人である??太子が、斉天大聖を幾度も助け、支えたように。
祈は意思があることすら気付かず、認められたのはごく最近である。
 チェーンソーと化したウィールがアンテクリストの左手の指を切断する。
そして阻むものがなくなった空中で、祈はさらに回転を加えた音速の蹴りを放ち、

「だぁあああああッッ!!!」

 アンテクリストの頭を打ち砕いた。
 同時に祈は、己の内側で何かが砕け散った音を聞く。
それは、紛れもなく己の可能性を失う音。運命変転の力で相手の運命を捻じ曲げた音。

410多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 01:03:54
 そしてその音は。
――アンテクリストの内側からも響いていた。

 バギバギバギィッ!!

 たたらを踏み、半壊した頭を再生しながら、
アンテクリストは自身の内側で何かが砕けていった音を聞くだろう。

「――おかしいと思ってたんだよな。ミサイル消したり攻撃無効化したり。
あれ、あたしと同じ『運命変転』だろ。なのに、まるで何も消費がねーみてーだった」

 着地しながら祈は言う。
 理と法則を捻じ曲げる現実改変能力、『運命変転』は、本来どうあっても己の運命を代償とする。
だが――。

「ブリガドーン空間の中だからか? それとも自分がなんでもできるって『そうあれかし』があったからか?
おまえは、相手の可能性を奪って『運命変転』を使ってたんだ。
……ま、あたしみてーな半妖じゃ、マネできても一回が限界だな」

 想いが実現し、現実へと成り代わるブリガドーン空間の中で、
自身ならなんでもできるという強い想い込みを持ったなら、可能なのだ。
相手の可能性を奪っての運命変転も。
 それなら自身の可能性を消費しても、相手から補充できるから痛くも痒くもない。
元々神の右腕と称される天使であり、唯一神と呼べるほどに高みに上がった、
アンテクリストのような存在でもなければ使えない大技なのだろう。
死ぬ気で生にしがみつき、己を信じた祈でも、できたのは偶然に過ぎない。この一度が限界だった。

「アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな」

 だが、それで?ぎ取った結果は大きい。
この場からアンテクリストを逃がさず、必ず倒せるように算段を付けられたのだから。
 悪魔の行う契約のように、拡大解釈すれば抜け道も探せるかもしれないし、
アンテクリストはまだ龍脈の因子を持っている。
運命変転でさらに強引に運命を変えるだとかできたりするかもしれない。
 しかしどうあれ。
 ポチとシロが決死の覚悟で切り開いた勝利への道。
それをより確実に勝てるように祈は舗装した。
 あとは、倒しきるだけだ。

411御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:38:09
>「ったく、お前さんは相変わらず自由だな――悪ぃがその約束は守れねぇぜ色男。橘音には嬉し泣きして貰うって野望があるんでな」
>「――――勝つぞ、ノエル」

>「当然!幸せになるに決まってるじゃないですか!
 名探偵の物語は、ハッピーエンドって相場が決まってるんだ!見事、この難事件を解決して――
 物語を締め括ってみせますよ!!」

>「僕は、僕が――僕らが幸せな未来を掴むよ。大事なのは、それだけだ」
>「……いいね、これ」

>「……はい。必ず……。
 私の未来は、狼の王と共に」

>「……ふふ。楽しみにしておりますわ」

仲間達は、それぞれの反応を示しながらノエルの加護を受け取っていった。
その内容は様々だが、全てに共通しているのは、未来への希望。
いかにも最終決戦といった言葉を返してみせた他の仲間達とは違い、祈だけは言葉に詰まった様子で。

>「……情報量が多いんだっつの。とりあえず、助けられてばっかなのはあたしの方だよ。ガントレットありがと」

最終的に言葉として出てきたのは、一見いつも通りの調子のお礼。
その裏にある様々な想いを知ってか知らずか、いきなり(解釈次第では)爆弾発言をするノエル。
もちろん自分が爆弾発言をしたことには気付いていない。

>「バカ!! あたしを今混乱させんな!!
ターボフォームは維持すんのに結構集中力要んだから!」

「混乱……? えっ、あれ!?」

何故か祈が焦っている。ノエルとて、自分が間接的に祈を好きと表明したことになるのは分からないわけではない。
が、別に今までノエルが祈を嫌っている様子はなかったわけで、今更好きと表明されたところで動揺するだろうか。
例えば先ほど、みゆきが橘音に直球で最高のともだちと伝えて、橘音も直球で応えた。
何故祈とはそうはならないのだろうか。
一瞬何かに気付きかけた気がしたが、今はそれどころではなかった。

>「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」
>「それに今は最終決戦の――」
>「――途中だろうが!!」

再びぶつかり合う拳と拳。
今度は祈の拳は砕けずに、アンテクリストの拳を見事受け止めて見せた。
が、アンテクリストもさるもので、ノエルの拘束を尾を自切することで逃れると、鋭い爪で祈を貫かんとする。

412御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:41:19
>「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」

>「おめでとさん。大ハズレだ――――『幻装白景』」
>「……祈ちゃんには指一本触れさせませんよ。師匠」

が、貫いたのは氷の盾。
黒尾王が、先ほどノエルが授けた加護を見事に使い、アンテクリストを出し抜いて見せた。
それだけにとどまらず、そのまま攻撃に転じる。

>「『反転・幻想発勁』」

>「ッ!!ぐお……」

自らの攻撃を返され、ひるむアンテクリスト。

>「羽虫どもが……どこまでも神の行く手を塞ぎに来る!
 消え失せろと言ったぞ、ゴミども!!!」

アンテクリストは妖気を収束され、黒尾王に向けて呪詛の砲弾を撃ち放つ。
予備動作の長い遠距離攻撃となれば、当然ノエルが放ってはおかない。
放たれた呪詛の砲弾の前に何層もの氷のバリアーが現れてゆく手を阻むが、バリアーを砕け散らせながら砲弾が突破していく。

「そんな……!?」

黒尾王が回収した氷の盾でなんとか凌いだのを見て、ひとまず胸をなでおろす。
が、連発されたらどうなるかは分からない。

>『狼獄』

ポチにより、アンテクリストに無数の攻撃が加えられる。
しかし、いくらダメージを与えても瞬時に治癒してしまうのだった。
更にアンテクリストは、膨大な神気を放出し、一同を圧倒する。
祈はアンテクリストの背後に回って蹴りを叩き込もうとしているところだった。

>「弾け飛べ!!!!」

「祈ちゃん!」

氷の盾の生成も至近距離過ぎて間に合わず、祈はうつぶせに地面に叩きつけられた。
一方の後衛組では、危険を察知したハクトが防御妖術を展開する。

「危ないッ!! 月暈《ムーンヘイロー》!」

光のバリアーが現れたのは、ハクトではなく祈の援護のために少し離れていたレディベアの前。
ハクト自身は、ヘリポートの縁まで吹っ飛ばされてボロ雑巾のように転がった。
いくらノエルに怒られても玉兎の性質は抜けないようだが、戦略的にも間違ってはいない。
ブリガドーン空間の器として膨大な力を秘めているレディベアを失うわけにはいかないのだ。

「……乃恵瑠が言ってた。君は祈ちゃんと幸せにならなきゃいけないって……。
だから君に何かあったら困るんだ……」

別に間違ってはいないのだがこの言い回しは祈に言わせると若干ニュアンスが違うらしいが、
ハクトは乃恵瑠の忠実なペットなのでノエルの言ったことを素直に受け止めているのであった。

413御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:44:16
>「くそっ――。まともに喰らっちまっ――がはっ」

「レディベアちゃん……! 祈ちゃんの回復を!」

祈は龍脈の力による回復力も落ちているようだった。
ノエルは辛うじて致命傷を逃れているレディベアに回復を要請する。
そう言うノエルはというとノイズが走ったように姿が消えかかっている。
膨大な神気の爆発により、冷気そのものである存在を吹き散らされそうになっているのだ。
今畳みかけられたら、消滅してしまうだろう。

>「ぅ……ぐ……ッ」

シロもまた、大きく吹き飛ばされて大ダメージを受けていた。

>「……まだ……、まだ……やれます……!
 こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

「シロちゃん!?」

シロが立ち上がっている。とても立ち上がれそうな状況ではないというのに。

>「私……嬉しいです。
 今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
 ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」
>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
 私がここにいることを、無意味と思われないように……。
 私は……私の役目を!果たします!!」

>「はああああああッ!!!」

アンテクリストの下肢に一点集中で攻撃するシロ。
そこに再び『狼獄』を発動したポチが加わる。

>「死ね、犬ころども!!!!!」

アンテクリストが二人に向かって神気を爆発させる。
それでも二人は立ち上がり、果敢に向かっていく。

>「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」

先ほどまで倒れ伏していた祈が立ち上がっていた。
ノエルも姿が安定している。なんとか存在を繋ぎとめたようだ。
永遠とも思える攻防の末、ついにアンテクリストが膝を突いた。
そう、下肢を一点集中で攻撃されて転んだだけで、戦闘不能になったわけでも何でもないのだが……。

414御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:46:51
>「この私が、転倒しただと……?
 ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

>「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」
>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
 それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」
>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
 作戦は――『ありません』!!
 後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」

これまで様々な策を駆使して強敵との戦いを勝利に導いてきた橘音が、作戦は無いと言い放つ。
作戦が無いのが作戦――小難しいことは考えずに全力攻撃する方が良い結果になるということであろう。

>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
 この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
 世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
 舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

>「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」

祈は音速の蹴りに乗せて、運命変転の力をアンテクリストの頭部に叩き込んだ。

>「アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな」

「運命変転の力を使ったの……!?」

もちろんノエルは、これが命にかかわる最後の1回、などということは知らない。
が、歴代の龍脈の神子が破滅に至ってきたのは、変革を急ぐあまり力を使い過ぎたからと考えられる。
ノエルは都庁に突入してから祈が運命変転の力を使う現場を直接には見ていないが、
立て続けに使ったのだろうということは想像に難くない。
何しろ赤マントの洗脳を受けていたというレディベアが正気を取り戻したり、
どうやっても意識不明だったのが目覚めた上に進化したりしているのだ。
ノエルは祈の身を案じると同時に、小さな違和感を感じた。
これまで運命変転の力は、絶対の宿命を覆したり、流れを決定的に変えるために使われてきた。
すでに出来た流れを確実にするために使われたのを見たのは初めてだ。
“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”
もちろんその言葉の通りかもしれないが、もしかしたらそれ以上の何かがあるのでは――

415御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:50:10
「ま、いいか。お前を倒して奪われた分の因子を取り戻せばいい!」

アンテクリストを倒して現在奪われている分の神子の因子を取り戻せば、破滅までの残り回数のようなものが増えるのではないかと思い至った。
そうだとしたら猶更、倒すしかない。

「返してもらうよ。みんなの……祈ちゃんの未来を!」

ノエルの姿が掻き消え、傘がアンテクリストの目の前に付き立つ。
正真正銘の全力攻撃のため、イメージ映像を維持する力すら惜しい、ということだろう。

――絶対零度領域(アブソリュートゼロサイト)!!

どこからともなく声が響き、傘を中心に凄まじい吹雪が巻き起こる。
領域内のあらゆるものの運動性を奪い停止の世界を作り上げる、絶対零度の結界術――
結果的には時間停止にも等しい技だが、アンテクリストは恐るべき精神力でもって未だに動いていた。
が、その動作は目に見えて緩慢になっている。まるで超高粘度の液体の中に放り込まれたように感じていることだろう。

「ふーん、この中でまだ動いてるなんてやるじゃん……でもッ!」

イメージ映像すら消してしまったノエルの代理のように、ハクトが不敵に笑いながら立ち上がる。
先刻まではボロ雑巾だったが、レディべアに回復してもらったのだろうか。
ところでこちらは絶対零度の領域内で、何故普通に動けているのか――
先ほどノエルが全員に加護を付与した意味は、単なる強化だけではない。
祈が雪山に修行に行った際に雪の女王に施されたのと同じ、冷気の影響を受けない秘術が込められているのだ。
これにより仲間達は、恐るべき停止の世界の中でも、自由に動くことが出来るだろう。

「やあっ!!」

ハクトが跳躍して戦槌を横薙ぎにアンテクリストの翼に当てると、翼は砂が風化するように崩れ去った。
別にハクトが特別なことをしたわけではなく、絶対零度の結界に捕らわれた時点で、炎の翼は存在を維持できなくなっていたのだ。

「炎って水や大地と違って物質じゃないんだって。
燃焼という極めて動的な現象が目に見えているだけのものらしいよ」

いかに本体は気合で動こうとも、動的な現象そのものである炎の翼は流石に存在し続けることはできなかったということらしい。
アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力の源たる三神獣――その無敵の加護の一角が削ぎ落された。

416尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:00:39

戦いは一進一退を繰り返している。
――けれどその拮抗は偽り。
このまま戦い続ければ何れ敗北するであろう事を、尾弐黒雄の勝負勘は正確に認識していた。

現状のアンテクリストの状態を言い表すのであれば

『無敵』

その言葉が相応しいだろう。
東京ブリーチャーズの猛攻をものともしない超硬度と超再生。
そして、一撃与えれば即座に相手を叩き潰すであろう超攻撃力。それらは脅威という他ない。
それに対する東京ブリーチャーズの戦力は有限。
連携と技巧によって無敵相手に同等の戦いを繰り広げているものの、戦いが長引けば消耗し倒れる事は明白だ。

有限では無限を打ち破れない。
最強では無敵に届かない。

それは、絶対の法則だ。
……それでも、尾弐達は大物食いを果たなければならない。己が未来の為に。
無敵を、無限を打ち倒さなければならないのだ。
此処でアンテクリストを倒さねば、僅かに灯った希望の灯は掻き消え、残るのは絶望のみ。
その為に求められる行動。それは、奇跡を待つ事でもなければ神に願う事でもない

>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
>私がここにいることを、無意味と思われないように……。
>私は……私の役目を!果たします!!」

必要なのは、泥臭い程の執念。
喰らい付き離さないという覚悟。

無敵と戦う為に無敵になる必要はない。
無限と戦う為に無限になる必要はない。
敵が天上に居るのであれば、そこから引き摺り下ろしてやればいい。

無敵を強者へと零落させよ
無限を有限で上書きせよ

敵の盤上を叩き壊して、別の盤面を押し付ける。それこそ勝利への布石。
そして、今この場でその役目を最も上手く果たせるのが――――ポチとシロ。弐匹の獣。

あらゆる罠を食い破りあらゆる悪意を掻い潜った偉大なる狼王ロボ。
その顛末を知る彼らは、高みから引きずり落とす事の恐ろしさ(つよさ)を最も良く知っている。
そして、新しい世代の彼等だからこそ、その強さを乗り越え――使いこなす事が出来る。

>あの子にも、君にも、巡り会えた。きっとソイツも見つけ出して……転ばせてやるさ
>「……愛しいあなた。私の狼王。
>あなたと一緒に戦えて、私……幸せです。
>だから……最後まで。一緒に、やらせてくださいね」

アンテクリストの放つ、神罰とも体現出来る威力を程る妖力の波動。
それは黒尾王ですら介入が出来ぬ恐るべき一撃であったが、それを受け尚倒れず。
弐匹の獣は、未来の為にその心を燃やす。

「――――負けるな、ポチ!シロ嬢ッ!!」
>「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」

そして吼える様な祈の叫びと同時に、弐匹の獣の執念が偽神を撃ち――――アンテクリストは、地にその膝を付かされた。

絶対たる神が、唯一たる神が、全知全能たる神が
たった弐匹の獣相手に、転ばされたのである

417尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:01:36
>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
>それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」
>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
>作戦は――『ありません』!!
>後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」

そうあれかしは、万能に見えるがその実極めて不安定な力である。
それは、その根底が『想い』から生まれる力であるが故の事。
アンテクリストは、これまでその力を上手く利用してきた。
恐怖を植え付け絶対を演出し、自身が万象を超越した神であると世界に認識させ、ただでさえ膨大であった力を『絶対』の域に昇華させた。
恐らく、これまでの歴史において最も『そうあれかし』を使った存在であると言えるだろう。
だが……アンテクリストの恐怖に屈さなかった人間達が居た様に、その力を完全に支配する事など出来ない。
ポチとシロの攻撃によって転ばされた。ただそれだけの事だが、それこそが神を騙るアンテクリストにとっての致命傷となる。
真実を突きつける探偵が如く、橘音が叩きつけた言葉の通り。

アンテクリストは失った。
『獣』の牙が届くという事を自ら証明した事で
絶対、唯一、無敵、完全――――神。その概念の全てを失ったのだ。

>「……これは、クロオさんの。クロオさんだけの縁(えにし)です。
>ボクがしゃしゃり出ていいものじゃない……。であるのなら、やっぱり。黒尾王の姿じゃいけません」

「ああ、分かってる。随分昔に手前が売られた喧嘩だ――――なら、ケリを付けるのはテメェの拳じゃねぇとな」

今こそが好機。ポチが死力を尽くして上げた大金星に答えなければ嘘になる。
黒尾王から元の姿へと戻った尾弐は、己が因縁を果たすべく拳を握る。

>「さあ……行ってきてください、クロオさん。
>千年間の因縁に、ケリをつけてきてください。
>新しい未来を、ボクと一緒に。創っていくために――」

「―――あいよ」

笑みを浮かべる橘音の瞳に微笑を返してから、尾弐黒雄は橘音の方をポンと叩いて歩を進める。
一言に万感の思いを乗せて。それでも足りない言葉は、また後で沢山話そうと。そう思いながら。

418尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:02:38
>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
>この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
>世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
>舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

絶対性を失っても尚、アンテクリストは強大な力を持つ。
だが、それだけだ。もはや凶星は地に堕ち、人の手が届くものとなっている。
荒れ狂う暴威の前にまず立ち向かったのは多甫 祈であった。

>「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」
>「風火輪! 形態変化!」

祈はこれまでの戦いを共に戦い抜いてきた相棒とも言える風火輪を繰り、都市伝説を由来とする瞬間移動を以ってアンテクリストへの強襲を行う。
チェーンソーが如きウィールはもはや無敵ではないアンテクリストの指を刈り取り、次いで、加速した蹴りがアンテクリストの頭を撃ち抜いた。
それは完璧な打撃で――――それ以上の意味を秘めた攻撃であった。

>「アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
>“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな」

そう、祈は『運命変転』の力を用いて、アンテクリストの運命を捻じ曲げて見せたのだ。
恐らく、赤マントとしての謀略はこの場で敗北しても、逃げ永らえる手段を有していたのだろう。
アンテクリストの妄執に果てなど無い。何れ再起し、必ずまた野望へと手を伸ばす。
それを防ぐ為に、祈は運命を変える力で、アンテクリストが手札として持っていた運命を破壊してみせたのだ。
無論、そんな神の如き芸当が何の対価も無く行えるわけがない。彼女は、己が有していた大切な物を支払った。
だが、祈本人が語らない以上、尾弐を含めた東京ブリーチャーズ達にその対価を知る術は無い。

>「返してもらうよ。みんなの……祈ちゃんの未来を!」
>――絶対零度領域(アブソリュートゼロサイト)!!

けれど、ノエルはその可能性に辿り着いた。
直観か、或いは自然霊に近いその在り方か。
それとも多甫祈という少女を、ずっと慈しみ眺めてきたが故の帰結か
普段は緩やかなその精神性を氷柱が如く尖らせ、文字通り渾身の一撃を――――生命の存在を許さぬ絶対零度の領域を創りだす。
其れはアンテクリストをして逃れえぬ程の御業であり、ある種の到達点と言っても良いだろう。

祈が退路を塞ぎ、ノエルは羽を捥ぎ取った。
ならば――――次は尾弐の番だ。

419尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:05:19
極寒の中を加護を纏い尾弐は歩を進める。
一歩進むごとに闘気と妖気を練り上げていく尾弐のその様はあまりにあからさまで、当然、アンテクリストもその接近には気付く。
運命を破壊され、動きを阻害されたとはいえ、されど唯一神を名乗った存在。
莫大な妖力は健在であり、身体が動かなくともそれらを術に変えて尾弐へと放つ。

複数の目玉の付いた槍が放たれる。
赤色の雷が空間を迸る。
多数の強酸の鞭が翻る。
具現化した呪詛の弾丸が掃射される。

それらは全て物質ではなく概念に寄った攻撃。
故に、絶対零度の静止の中でも動きを止める事無く、尾弐へと叩きつけられていく。
槍は尾弐の胸を貫き、雷が臓腑を焼き、酸の鞭が肉を溶かし、呪詛は肉体に孔を明ける。

致命傷――――その筈なのに、尾弐の歩みは止まらない。
纏う妖力はその強さをどんどんと増していく。

そうして、満身創痍の様子で尾弐黒雄はアンテクリストの前へ立ち、その口を開く。

「よう、赤マント。こうやって近くから面合わせるのは初めてか?」
「テメェに会ったら色々と言ってやりてぇ事もあったんだがなぁ……考えてみたら、言葉で言い表せるモンじゃねぇんだよな。この気持ちは」

尾弐の言葉を聞く様子も無く振り抜かれたアンテクリストの腕が、尾弐の左肩から胸の半ばまで食い込む。
その一撃に尾弐は口から血を吐くが、それでも一向に倒れる様子は無い。

「そうだよなぁ。外道丸と俺にした事への恨み、橘音への仕打ちへの憎しみ、祈の嬢ちゃんの両親やノエルの姉への行為」
「テメェが無辜の人間達に与え続けた悪意に対する感想が、言葉一つで伝えられる訳がねぇよなぁ?」
「だから――――テメェに全部の気持ちが伝わるように、一つの言語を用意したんだ」

尾弐は左腕で力任せにアンテクリストの手刀をはぎ取ると、凄絶な笑みを浮かべる。
書に綴られるバベルの塔。それが齎した言語喪失以前の共通言語――――それよりも更に昔から存在する、最古の意志疎通手段。

「因果応報――――復讐するは我に有り」
「他の連中にさせられねぇ分まで、俺が存分に語ってやるよ。暴力って言語をなぁ!!!!」

尾弐の右拳が、先ほど祈が蹴りつけた頬を撃ち抜く。
下からの蹴り上げが股下を叩きつけ、返す勢いでの踵落としが肩に叩きつけられる。
更に、掌打は眼球に放たれ、脇腹に回し蹴り、鼻面に頭突き――――

それは止まらぬ嵐だった。
もっとも原始的な暴力に対し、アンテクリストも迎撃を行うが、怯む様子すら無い。
そして、恐るべきは――――尾弐が攻撃を行う度に、その身に負った傷が回復し、攻撃の威力が上がっていく事だ。
始めは然程の痛痒も覚えていなかったアンテクリストであったが、やがてその威力は彼が脅威を覚える程にまで上昇していく。

復讐と暴力。
神より古いその言語は、尾弐が受けた傷と痛みをアンテクリストに押し付ける。
勿論、本来であれば単純である復讐という呪いにそこまでの力は無い。それを可能にしているのは――――

「よう、見えてきたか? テメェに挨拶してェって連中の姿が!!!!」

アンテクリストが今まで利用し、殺してきた人間や妖怪達。
彼らがこの地上に遺した恨みつらみ呪い――――負の想念。
悲劇の中で積み上げられてきた無数の憎悪は地上をさまよい続け、今このブリガドーン空間の中で形を成した。
彼らが望むのは、アンテクリストの死。

おぞましいこの力。負のそうあれかしは、けれど尾弐黒雄にこそ力を貸す。
それは尾弐が人の世の悪を具現化した存在。同じ憎しみを抱く悪鬼であるが故。
詰まる所――――アンテクリストは、世界の正負の両面を敵に回したのだ。

「……さぁて、それじゃあ仕上げと行くかね」

暴力の嵐を一度止めた尾弐は、右手を大きく振りかぶる。
外装を纏うその右腕には、先ほどまで宙を漂っていた負の想念が吸い込まれていき、やがてその形を変える。
その姿を例えるならば――――竜。即ち、神の敵。

構えも無い。技術もない。
弓を放つように打ち出された力任せの一撃は


「―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!」


アンテクリストの迎撃を正面から破砕し、その鳩尾を撃ち抜いた。

死を願う負の想念。おおよそ正義とは言えない一撃が齎すのは、即ち『不治』の呪い。
命を弄んできた対価が如く、アンテクリストの超再生能力は阻害される。
偽神を守る盾が、また一つ剥がされた。

420ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:45:09
アンテクリストの周囲に血霧の結界を展開。
一瞬の間に百の打撃を打ち込む。
結界が晴れる、或いは破られる。
反撃を躱し、息継ぎをして――再び結界を展開。

その繰り返し。
僅かな動作のぶれ、反応の遅れが死を招く、綱渡り。
失血と過剰な運動量から来る疲労、消耗が募っていく。

そんな緊張の中で、ポチとシロの動きは完璧だった。
息継ぎのタイミング一つでさえ獣の本能によって最適化された、一糸乱れぬ連携。

>「弾け飛べ!!!!」

その連携が――単なる無軌道な神気の爆発によって吹き飛ばされた。
アンテクリストはただ、その無限にも思えるほどの神気を全身から放出しただけ。
たったそれだけでポチの結界は掻き消され、更にはポチ自身も宙へと跳ね上げられる。

「がっ……」

結界と一瞬百撃の乱用により積み重なった消耗。
そこに叩き込まれた極大の反撃。
摩耗した思考回路を、全身を打ち付ける衝撃が塗り潰す。
痛みを感じる事すら出来ない。

ほんの一呼吸ほどの時間だが――ポチの意識は飛んでいた。
気がつけば、ポチはヘリポートを見上げていた。
そして一瞬遅れて気づく。自分が今、頭から真っ逆さまに落下している事に。

「くっ……!」

次に空中で体をよじろうとして、全身が恐ろしく痛む事に気づく。
牙を食い縛り、なんとか不完全ながら受け身を取る。
すぐに体勢を整え、立ち上がり――どことなく、だが確かに、据わりの悪さを感じた。
獣の本能が告げていた。自分が今、不完全な状態にあると。

何だ。何がおかしい。体は痛む――それだけだ。
骨が何本かヒビが入ったり折れたりしているかもしれない。
だがその程度の負傷はもう慣れっこだ。動きが鈍ったりしない。

そして――気づいた。
己の最愛のつがい――その気配が在るべき場所に、己の隣にない。
振り返る。シロはヘリポートの端で膝を突いていた。立ち上がれていない。

当然と言えば当然の事だ。
『獣』の甲冑を纏ったポチですら一瞬、意識の飛ぶほどの攻撃を受けたのだ。

ポチの心臓が動揺によって、強く跳ねる。
だが――ポチは何も言わない。その場から動かない。
ただ、シロが立ち上がるのを待っている。

>「……まだ……、まだ……やれます……!
 こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

今更つがいの覚悟を見誤るポチではない。

421ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:45:29
>「私……嬉しいです。
  今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
  ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」

>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
  私がここにいることを、無意味と思われないように……。
  私は……私の役目を!果たします!!」

「……それさ。少しだけ、違うよ」

極度の失血、全身に負った打撲と骨折――ポチの体はぼろぼろだった。
だが、そのぼろぼろの体の奥底から沸々と力が湧いてくるのを、ポチは感じていた。

「いてもいい、じゃないよ」

この戦いに、この戦場に、逃げ道はない。
自分が死ねば、シロも死ぬ。どこか遠くへ逃げ延びてくれるなんて事はあり得ない。
やれるだけやった、なんて思える時は絶対に来ない。

「少しだけ……だけど、全然違うんだ」

だからこそ、強く思う事が出来る。
絶対に生き残ってみせる。勝ち残ってみせる――シロと一緒に。
その決意が、かくあれかしが、ポチの力になる。

「君が、ここにいてくれて良かった」

そう言ってポチは笑った。
戦場にはおよそ似つかわしくない、晴れやかな微笑みだった。

>「役目だと!
 笑わせるな、貴様らに役目などない!貴様らは所詮、私の手のひらの上で踊る木偶人形に過ぎんのだ!!」

アンテクリストが怒声を上げる。
振りかぶった右拳が伸長し、摩擦熱から生じた炎を纏い、唸る。
ポチとシロをまとめて打ち砕かんとする偽神の拳。
それが己の無防備な後頭部を叩き割る、その直前――ポチはこの世から姿を消した。

そしてアンテクリストの懐へ潜り込む。ポチの姿が再びこの世に現れる。
展開される血霧の結界。先行したシロの後詰を務める形。
一瞬の間に放たれる百の打撃が、アンテクリストの頭部を――

>「はああああああッ!!!」

捉えなかった。
シロが拳を叩き込んだ先はアンテクリストの頭部ではなく、右膝だった。

「え……」

それは、ポチにとっては予想外の出来事だった。
アンテクリストの再生能力を前に、狩人の戦技は通じない。
なのに何故――戸惑っていたのは、ほんの一瞬。
だが、アンテクリストの繰り出す必殺がポチの行く手を阻むには、一瞬あれば十分過ぎた。

シロを狙って放たれた業火と激流。
しかしそれらは余波だけでも十分にポチを殺め得る。
必然、ポチは一手遅れを取る。

>「クズめ!こざかしい!!」

眩い紅蓮に、荒ぶる飛沫に、シロの後ろ姿が塗り潰される。
辛うじて直撃はしていない。だが完全に避けきれてもいない。
命を削るような超至近距離。シロは執拗にアンテクリストの右膝を狙い続ける。

422ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:47:03
>「あなた……!!」

シロが己の名を呼ぶ。
彼女が何をしようとしているのか、ポチにはもう分かった。
シロは――アンテクリストを転ばせようとしている。

それは単にアンテクリストの思考を阻害するよりも、遥かに困難な試みだった。
アンテクリストには無尽蔵の再生能力がある。
どんな手傷を負わせても一瞬の内に塞がってしまう。
一瞬の内に百を超える打撃を浴びせても、次の瞬間には傷一つ残っていない。

だが――ポチはそんな事は、考えもしなかった。
シロが己の名を呼んだのだ。
どんな事実も、最早惑う理由にはならなかった。

「……いいよ。やろう、シロ」

アンテクリストの懐、その奥深くへとポチは飛び込む。
血霧の結界が広がる。一瞬百撃――狙いは、アンテクリストの右脚。
ただの打撃音が炸裂と化して幾度となく響く。
そのリズムが――徐々に、早まっていく。

傷つき、血を流し、全ての力を振り絞ろうとしているからこそ――ポチの動きを、野生の本能が研ぎ澄ます。
疲労が動作から思考を削ぎ落とす。狩猟本能と生存本能だけがポチを衝き動かす。
無意識のままに身を躱し、視界が霞んでいく中で打撃は鋭さと正確さを増していく。

>「死ね、犬ころども!!!!!」

アンテクリストが両手を突き出す。神罰の如き妖力の波動がポチを襲う。
宵闇の中、ポチはどこにでもいて、どこにもいない。
それでも――どこかにはいる。

妖力の波動が血霧の結界を塗り潰す。
結界もろともポチの全身を灼き尽くす。
『獣』の甲冑のあちこちから、鮮血が噴き出す。
おかげで、かえって血霧の結界が破れる事はなかったが。

とは言え――それも、いつまで持つかは分からない。
アンテクリストの妖力は底なしだ。
いつかは、ポチの血が底を突く。

朦朧としつつある意識で、ポチは考えていた。
一度この場から退くべきだと。
戦いが始まった直後、ヘリポートのあちこちに振り撒いた血痕。
偏在化の力で自分とシロがそちら側にいる事にして、妖力の波動から身を守らなくては。
それが己の能力を活かした、安全で合理的な判断。

>「く、あ、あ、ああああああああ……!!」

にもかかわらず――シロは妖力の波動に塗り潰されながら、更に一歩前に出た。
ポチもそうだった。頭では一度退くべきだと考えている。
しかし何故だか、獣の本能はむしろポチの足を前へと運ぶ。
シロの隣に並び立つように。

半ば無意識のまま、左手を視界の外へと伸ばす。
根拠はない――だがシロも同じ事をしている確信があった。
指と指が触れ合う。絡め合う。互いに引き寄せ、握り締める。

左手が伸びるその先へと振り向く――シロの、満月のような金眼と目があった。

423ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:47:24
>「……愛しいあなた。私の狼王。
 あなたと一緒に戦えて、私……幸せです。
 だから……最後まで。一緒に、やらせてくださいね」

穏やかな声、微笑み。ポチがシロを見上げるように首を傾げて、目を細めて笑った。

「……僕も今、すっごく幸せ。だから……ずっと、一緒にいてね」

シロと繋いだ左手から、力が湧き立つ。
散々に痛めつけられた肉体は、痛みにもう慣れてしまった。
それでいて全身には力が漲る。ロボ、アザゼル――彼らの、獣たちの未来を願う、「そうあれかし」が。
朧げな意識を、愛と、誇りだけが満たしていく。
肉体と精神に活力が溢れる。

>「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」
>「――――負けるな、ポチ!シロ嬢ッ!!」

すぐ近くにいるはずのアンテクリストの咆哮が、遥か遠くに聞こえる。
それでいて仲間たちの声援は、波動に掻き消される事もなく耳に届く。
今、ここには在るべきものだけがある。

「行こう」

ポチはゆっくりと、前へ踏み出した。
獣の本能がそうさせた――鋭い踏み込みを選ばなかった。

獣の本能はもう気づいていた。ポチの全身に刻み込まれた事実に。
アンテクリストの力は無限でありながら、しかし完全なる無限ではないと。
もし正真正銘、アンテクリストの力が無限ならば、この戦いはとうに終わっている。
アンテクリストが無尽蔵の力を自由自在に扱えるなら、ポチはとっくに死んでいる。
そうでなくてはおかしい。

つまり――偽神の「そうあれかし」は無限の力を秘めているかもしれない。
だが――アンテクリストという器は、その無限の全てを汲み取れる訳ではない。

故に、ポチの歩みは緩やかだ。待っているのだ。
アンテクリストの放つ波動が更に、最大限激化する、その瞬間を。
そして――

「ここ」

ポチとシロの姿が消えた。
宵闇の中、ポチの意識はもう何も見えていない。何も聞こえない。
自分の矮躯にどれほどの体力、妖力が残されているのかも鑑みない。

ただ眼前の敵を転ばせる為だけに研ぎ澄まされた、無我の境地。
響く、一際大きな炸裂音。破砕音――ポチの意識がそこでやっと、一つの感覚を認識する。
己の拳が、何かを打ち砕いた感覚を。

「……げはは」

一瞬の間に放たれた千の打撃が、アンテクリストの右膝を跡形もなく粉砕していた。
アンテクリストが膝を突く。傾くその巨体を右手で支える。
そして血霧が晴れる。ポチは――アンテクリストからやや離れた位置で、仰向けに倒れていた。
自身の一瞬千撃が生む反動に、踏みとどまる事が出来なかったのだ。

それだけなら、まだしも――ポチはそのまま動かなかった。

ポチは狼の化生だ。妖怪でありつつも、血肉を持った生物でもある。
故にポチは生物に付き纏う「そうあれかし」から逃れられない。
この場合は――どんな怪物も、血を流すなら殺せる、死ぬ――そんな「そうあれかし」から。

424ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:47:48
>「この私が、転倒しただと……?
  ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

アンテクリストの右脚は既に再生した。
一方でポチは――未だに、立ち上がれないまま。
いつも相手を転ばせた時に身に纏うような、爆発的な妖力の上昇はまるで見られない。
転ばせた者を獲物として殺める送り狼の「そうあれかし」が、満足に機能していない。

それどころか『獣』の甲冑も液状化して、体内へと戻ってしまった。
これ以上滅びの傷を開けたままにしていては死に至ると、『獣』が判断したのだ。

ポチは、その場から動かなかった。
もう戦えるだけの力が残っていないのは明白。
なのにアンテクリストの間合いから逃げようとする素振りをまるで見せない。

だが、その口元には牙を剥くような笑みがあった。

>「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」

頭上から聞こえる橘音の声――そうだ。獣の本能は言っている。
自分の仕事は、もう終わった。自分はやり遂げたのだと。

>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
  それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」

「あー……そう、そういう事さ。お前は僕にまんまとしてやられたんだ……げはは」

ポチが戯言を抜かす。今のポチに出来る事はそれくらいだった。

>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
  作戦は――『ありません』!!
  後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」
 
ポチは倒れたまま、なんとか顔だけを持ち上げて、周囲を見渡す。
シロは己のすぐ傍にいた。深い手傷も負っていない。安堵の溜息が零れる。

>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
  この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
  世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
  舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

絶叫が聞こえる。

「……まーだ、そんな事言ってるのかよ」

あれほど憎かったアンテクリストの、赤マントの声が心地よかった。

「やっちゃえ、みんな」

そう言って、ポチはヘリポートに頭を預けた。

>「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」

半分以上が空に占められた視界に、炎が踊る。
その紅蓮の幕の向こうに祈が見えた。
アンテクリストの間近に飛び込んで、その頭部を強烈に蹴りつける。

「……祈ちゃん」

ポチの意識は朦朧としている。思考の取り留めが緩んでいる。
戦場に在りながら、戦闘に不要な記憶ばかりが脳裏に蘇る。

425ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:48:32
祈がいなければ今のポチはなかった。
ロボの時も、陰陽寮の時だって、祈がいたからポチは今に向かって進んでくる事が出来た。
ポチだけじゃない。祈は自分と関わる全ての者にそうしてきた。
そのくせ、祈はいつだってそれを自分のおかげだとは思わない。
思わないだけならまだしも、そう伝えても認めてくれないのだ。
それが祈の良さだと納得はしている――それでも、

「……今度は、伝わるといいけどなぁ」

ポチが殆ど無意識にそう呟いて――ふと、周囲が急激に吹雪き始める。
ノエルの妖術だという事は分かる。
だが今のポチにはそれがどういった術なのかを考察する事までは出来なかった。

ただ視界は真っ白で、風は心地よい涼しさ。
ポチは戦いの最中だというのについ、早く帰りたいな、なんて事を思った。
テーブル席の下で寝転んで、傍を通った誰かの脛をこする、いつもの日常に。

そんなポチの視界の中で、影が揺れる。
その視覚への刺激がポチの意識を今に呼び戻す。
影は一歩、また一歩と、ゆっくりとアンテクリストへと詰め寄っていく。

「……わお。今までで一番、おっかないかも」

尾弐だ。尾弐がアンテクリストを、赤マントを己の拳の間合いに捉えた。
ポチは――自分がこれから起こる事にわくわくしている事に気づいた。

>「因果応報――――復讐するは我に有り」
>「他の連中にさせられねぇ分まで、俺が存分に語ってやるよ。暴力って言語をなぁ!!!!」

尾弐の拳が、蹴りが、頭突きが――思いつく限りの打撃がアンテクリストを打ちのめす。
いっそ、このままアンテクリストにとどめを刺してしまうんじゃないかと思うほどの暴力だった。
実際には、アンテクリストはそんな柔ではない。
それでも、そう思ってしまったのは――ポチにとって尾弐がいつも、頼りになる存在だったからだ。
尾弐の過去を知って、自分が『獣』の力を使いこなせるようになった今でも、それは変わらない。

>「―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!」

尾弐の渾身の一撃がアンテクリストの鳩尾を撃ち抜く。

「……それは、困るよ尾弐っち」

そして――ポチが立ち上がった。

「まだ、僕の番が残ってんだからさ」

ついさっきまで、ポチは死にかけていた。
それこそ走馬灯めいた幻覚を見るくらいには。
それでも――この機を逃す事は出来ない。

皆が戦っている間、横になって、微睡み、夢心地でいたのだ。
体力は僅かにだが回復した。
肉体が死の淵から脱した事で――機能不全を起こしていた送り狼の悪性がやっと目を覚ます。
妖力が溢れる。ポチが再び『獣』の甲冑を纏う。

「シロ」

ポチがつがいの名を呼び、そちらへ振り向く。

「やろう。これで最後だよ」

もう一度、手を握ってと左手を差し出す。

「見せてやろうよ。アイツに……ううん、みんなに。僕らの力を」

426ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:54:55
周囲に渦巻く吹雪に、赤が混じる。ポチの血と妖力が。
血が渦巻き、円を描く。縄張りを成す。
送り狼の縄張りという概念が、周囲を薄暗く塗り替える。
ポチの姿がその場から消えて、

「一瞬千撃」

声だけがどこからともなく響く。

「……なんて生ぬるい事、言ってやらないぜ。お前には」

宵闇の中、ポチはどこにでもいて、どこにもいない。
故に一瞬の内に百でも、千でも、同時に打撃を放つ事が出来る。

「『無間』」

その気になれば――つまり多重同時打撃の反動と消耗を度外視すれば、それ以上でも。

「『狼獄』」

狼獄の中。ポチは一瞬の間に何発もの攻撃を繰り出す事が出来る。
だが、どこにでもいてどこにもいない肉体をどう動かして、一瞬の間に千の打撃を放つのか。
そのからくりは獣の本能にある。本能的な動作制御。つまりポチ自身も分かっていない。
だから――この無間狼獄もそうだ。
ポチは今から、自分が何発の打撃の繰り出すのか分かっていない。

「がお似合いだ……なんてね」

分かっているのは、ただ一つ。
自分がこれから力の限り、アンテクリストを殴り続けるという事だけ。

直後――雷鳴のような、無数に重なった打撃音が響いた。

ポチの後ろ回し蹴りがアンテクリストの顔面を再三、破壊する。
右手が大振りの弧を描く。牙を模した甲冑の指先がアンテクリストの喉を引き裂く。
閃く、両手で同時に放つ五本貫手。肋骨の隙間から肺を貫き、指先で抉る。
無数の打撃がアンテクリストの急所を襲う。

そして、一瞬が過ぎた。

辺りを包む薄暗闇が砕け散る。暗闇の破片が宙に舞い、現実に溶けて消える。
結界が破れた。アンテクリストの反撃によってではない。
一瞬の中に圧縮された無間の連打の反動に、ポチ自身の結界が耐えかねたのだ。

「――よう。なかなか良い眺めじゃないか。え?」

暗闇が完全に晴れると、アンテクリストは血塗れだった。
全身の急所を貫かれ、引き裂かれ――更には両脚を完全に砕かれ、その場に膝を突いている。
その状態から倒れる事を拒みたければ、手を突いて体を支える他ない。
ちょうど、王の御前でそうするように。

「まだ、少し頭が高いけど……これくらいで勘弁しといてやるよ」

嘘だ。単に、もうパンチ一発放つほどの体力も残っていないだけだ。
『獣』の甲冑は再び体内に戻ってしまったし、
送り狼の悪性から溢れる妖力も、無間狼獄によって使い果たした。

それに――仮にまだ余力があったとしても、やはりポチはこれ以上アンテクリストを攻撃しないだろう。

かつてロボと戦った時、ポチは彼を終わらせるのは自分の役目だと思った。
あの時と同じ感覚だった。
アンテクリスト――赤マントにどんな結末を与えるにしても、それを為すのは自分じゃない。
それは、あの子の役目だ――何の根拠もないが、きっと間違いないと確信があった。

427那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:05:27
ポチとシロ決死の攻勢がアンテクリストの右膝を破壊し、終世主は転倒した。
格下の妖怪でも、死力を尽くせば無敵の偽神に有効打を与えることが可能だと、ポチとシロが実証したのだ。
何者も絶対神を打倒することはできない――アンテクリストの纏っていた『そうあれかし』を、
東京ブリーチャーズの『そうあれかし』が打ち破った、それは証明だった。

「ガアアアアアアアアアアッ!!!!」

しかし、アンテクリストはまだ無尽蔵の体力と憎悪、憤怒をその身に纏っている。
仮に無敵という特性をポチたちに奪われたとしても、無力化とは程遠い。

>――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな

そんな咆哮を上げながら突進してくるアンテクリストの前に最初に立ちはだかったのは、祈だった。

「死ねエエエエエエエエエッ!!!!」

アンテクリストが紅蓮の焔に包まれた右拳を振りかぶる。無敵の特性を喪おうとも、その攻撃力・破壊力には僅かの衰えもない。
まともに喰らえば祈の肉体は砕け、即死は避けられない。
が、当たらない。祈はアンテクリストの真正面数十メートル先から忽然と姿を消したかと思うと、
次の瞬間には両者の間にあった距離を無かったものとし、その眼前に出現していた。
祈が空中で回し蹴りを繰り出そうと身体を最大限に捻る。
常人であれば成す術もなく喰らっているだろう。しかし、アンテクリストは常人ではない。
この世界において最高の身体能力、感覚、そして妖力を有した、ありとあらゆる生物の頂点に君臨する存在なのだ。
アンテクリストには祈の動きがまるでコマ送りのように見える。
だから、祈が繰り出そうとしている蹴り足が最大限加速するその前に掴んでしまおうとした。
後は祈をコンクリートの床に叩きつけるなりすればいい、簡単な話だ――

>風火輪! 形態変化!

キュィィィィィィィィィン!!!

祈の言葉に反応し、風火輪が急激に変化してゆく。バシャッ!と音を立てて靴裏が一瞬開き、
内部から細かくパーツ分けされた装甲が展開してウィールとその固定具を覆ってゆく。
4つのウィールに戦車の無限軌道めいた鎖鋸が装着され、甲高い音を立てて回転を始める。
複雑な変形機構を経て形態を変えるその様子は、まるで車や飛行機が人型ロボットに変形して戦う映画のCGのようだった。
祈がこれまでの戦いにおいて絆を結んだのはレディベアやコトリバコ、姦姦蛇羅たちばかりではない。
富嶽がかつて母親の使っていたものだと祈に譲渡した妖具・風火輪。
対ロボ戦以来ずっと一緒に戦ってきた妖具もまた、祈の心に感応してその真の姿を解き放っていた。
風火輪の高速回転する刃が、アンテクリストの左手の指をまるでソーセージか何かのように斬り飛ばす。

「な……」

バラバラになって宙に散らばる自身の指を見て、アンテクリストは瞠目した。
祈の攻撃はまだ終わらない。さらに祈は空中で自身に回転を加え、強力無比な蹴りを偽神の頭頂に叩き込んだ。

>だぁあああああッッ!!!

ひどくスローモーションな空気の中、祈の爪先がアンテクリストの頭部を粉砕する。
頭蓋が陥没し、眼底が砕ける。頭を半分以上胴体にめり込ませ、偽神は巨体を大きく仰け反らせると、よろよろと後退した。

「ゴ、バ……」

今までにない痛み。感じることのなかった衝撃。
だが、アンテクリストの感じたのはそんな肉体表層のダメージだけではなかった。

>――おかしいと思ってたんだよな。ミサイル消したり攻撃無効化したり。
 あれ、あたしと同じ『運命変転』だろ。なのに、まるで何も消費がねーみてーだった
>ブリガドーン空間の中だからか? それとも自分がなんでもできるって『そうあれかし』があったからか?
 おまえは、相手の可能性を奪って『運命変転』を使ってたんだ。
 ……ま、あたしみてーな半妖じゃ、マネできても一回が限界だな

着地した祈が告げる。
そうだ。それが今まで敵対する者すべてを圧倒的な力で捻じ伏せ、無力化させてきた唯一神の力のからくりだった。
祈から龍脈の神子の因子を掠め取り、レディベアからブリガドーン空間の支配権を奪い取ることによって、
アンテクリストは他者の運命に干渉し、それを改変するという唯一無二の力を手に入れていた。
しかし――祈の使った最後の運命変転の力とアンテクリストの運命変転の力が相殺することで、
もう偽神がこれ以上他者の運命を弄び、自儘に変転させることはできなくなった。

>アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
 “おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな

「ゴボッ……、莫迦な、莫迦な……莫迦な……ッ!
 この!この神が……神になるべき私が!なぜ、力を奪われる……万能の力を喪わねばならん……!
 間違いだ……、こんなことは!何かの間違いだ……!!
 ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――――――――――――ッ!!!!!」

ゴボゴボと血泡を噴き出しながら、アンテクリストが頭部を復元させる。
が、その獣じみた表情に絶対神、唯一神たる余裕はない。
運命を変えたという祈の言葉が単なる強がりの虚言ではないと理解したのだろう。
自らの中にあった『神の力』が祈の干渉によって確かに砕け散ったのを、アンテクリストは感じていた。
ただし、それは同時に祈が龍脈の神子としての力を使い切ったことの証でもある。
この後祈の身に何が起こるのかは、誰にも分からない。

428那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:08:57
「まだだ……!まだ、私はやられてはいない……!
 神が下等な妖怪どもに敗北するなど、あってはならない……!そんなはずはあり得ない……!!
 貴様らさえ……貴様らさえ、殺せば……!私はまた、絶対的な……力、を……!!」

祈の渾身の一撃によって自身を神と定義づける最大の要素を喪ったにも拘らず、アンテクリストの心はまだ折れてはいなかった。
どころか、なおも東京ブリーチャーズを殲滅しようと全身に禍々しい妖気を充溢させる。
アンテクリストの最も恐るべき力とは、他の追随を許さない莫大な妖力でも。他者の運命を変転させる力でも。
世界最高最悪と言われる智謀でもなく――その執念にあるのかもしれなかった。
二千年の刻を超え、自らの悲願をどんな手を使ってでも結実させようとする、強い想い。
それがアンテクリストの力を支えている。『そうあれかし』となっている――。

しかし。

どれほど強い願いであろうとも、それが当人以外に不幸を齎すのならば、挫く以外に選択肢はない。
今まで多くの者たちと戦い、多くの想いに、『そうあれかし』に触れてきた東京ブリーチャーズだからこそ。
偽神の野望は、完全に粉砕しなければならないのだ。

「ゴオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

アンテクリストの巨大な炎の翼が一度羽搏く。水で構成された長大な尾が蠢く。
取り込んだ三神獣の力は、まだまだ健在ということだ。
鋼の棒が幾重にも絡み合って構成されているような、強靭な四肢に力が籠もる。
運命変転の力を使い切ってしまった祈には、アンテクリストの攻撃を避けるのは難しいだろう。
が、それは祈がひとりで戦っていたとしたら――だ。
祈は孤独ではない。その周囲には、何より頼れる仲間たちがいる。

>返してもらうよ。みんなの……祈ちゃんの未来を!
  
次に飛び出したのはノエルだった。今にも祈へ飛び掛かろうとするアンテクリストの前に、大きな傘が立ち塞がる。
そこから猛烈な風雪が迸ったかと思うと、瞬く間に偽神の巨躯を覆い尽くす。

>絶対零度領域(アブソリュートゼロサイト)!!

「小賢しい……!こんな、雪妖の妖術ごときが……!!」

アンテクリストが抵抗する。万物を瞬間的に凍結させる絶対零度の吹雪さえ、
偽神の行動を完全に停止させることはできない。
が、その肉体は冷気に覆われ、動きが急速に鈍ってゆく。

「ぐ、ぉ……!
 わ……忘れていた……、こいつは……アスタロトが死んだとき……力を暴走させた、災厄の……魔物……!
 こいつも……もっと早くに、殺しておきさえすれば……。
 私があの子狐に目を付けたとき、さっさと……始末しておいたなら……!
 こんな、こと……には……!!」

吹雪によって体表を凍り付かせながら、アンテクリストは呻いた。
かつて、ごんの憎しみや怨念に凝り固まった魂を腹心の回復に利用しようと画策した赤マントは、
ごんの墓に縋りついて泣くノエル――みゆきの姿を確認していた。
ごんの魂を手に入れたい赤マントとしては、墓に取りすがって何日も泣き叫ぶみゆきをさっさと排除してもよかったのだが、
妖力を暴走させ村を氷雪に閉ざすみゆきの姿を見て、面白いと敢えて放置していたのだ。
親友を喪った絶望の慟哭が、吹雪によって死んでゆく村人たちの怨嗟が、心地いいと感じたから。
自身の目的よりも、目先の快楽を優先してしまったから――。
その結果が百年以上の時間を経過し、今。巡り巡って我が身に降りかかっている。
二千年来の計画を挫く脅威のひとつとして。

>ふーん、この中でまだ動いてるなんてやるじゃん……でもッ!

吹雪の中、それでもノエルの大傘に攻撃を加えようと紅蓮の焔を右腕に纏わせたアンテクリストであったが、
その偽神の目の前に小さな白い影が現れる。
白い影、ハクトは身軽に跳ねると、アンテクリストの燃え盛る翼へ戦鎚を叩きつけた。
途端、それまで勢いよく噴き出していた翼の炎がその形を失い、ザラザラと砂のように崩れて消えた。

「ぐ、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!!!!」

>炎って水や大地と違って物質じゃないんだって。
 燃焼という極めて動的な現象が目に見えているだけのものらしいよ

三神獣の力のうち一つを打ち消され、アンテクリストは絶叫した。
吹雪は依然周囲に荒れ狂っており、まともに身体を動かすことが出来ない。
それでも、自らの絶対性を信じることによって前に進む。
恐るべき執念の力で、東京ブリーチャーズを根絶しようとする。

だが――そんな唯一神の前に、今度は尾弐が立った。

429那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:12:37
荒れ狂う猛吹雪の中、尾弐がゆっくりとアンテクリストへ向けて歩を進める。
全身には膨大な闘気と妖力が満ち、それは尾弐が偽神へと距離を詰めるごとに鋭く、強く研ぎ澄まされてゆく。

「次は……貴様か……!
 ……はは!私は貴様のことをなんでも知っているぞ……!忘れたか!?
 私が外道丸を妖壊に堕とし!貴様を嵌めて牢獄に捕え――酒呑童子の!外道丸の心臓を啖わせ!
 貴様に千年の呪いを施してやったことをな……!
 私にはわかる!貴様の恐れるものも、苦手とするものも――!!!」

ぎゅばっ!!!!

哄笑するアンテクリストの全身から、悍ましい妖力の凶器たちが放たれる。
それらは槍の、雷霆の、鞭の、弾丸の姿を取った『概念』であった。
『当たれば腐る』『受ければ死ぬ』そんな呪詛そのものの攻撃が、尾弐の肉体に容赦なく命中する。
むろん、普通の妖怪に受け切れるものではない。待っているのは死、ただそれだけだ。
アンテクリストは獣面をにやり……と笑みに歪めた。
かつて運命を弄び、呪い、一匹の悪鬼に変容させてやった尾弐ならば、祈やノエルと違って与しやすいと思ったのだろう。

だというのに――

「な……、なぜ死なん……!私の呪いを、神罰を受けて、何故貴様は生きている……!?
 どうして平然としているのだ……!!!」

尾弐は死なない。肉体を穿たれ、臓腑を侵され、魂にさえダメージを負っているはずなのに。
アンテクリストは驚愕した。

>よう、赤マント。こうやって近くから面合わせるのは初めてか?
 テメェに会ったら色々と言ってやりてぇ事もあったんだがなぁ……考えてみたら、
 言葉で言い表せるモンじゃねぇんだよな。この気持ちは

「黙れ!!」

びゅおっ!!と音を立て、偽神が間近に到達した尾弐へ右の手刀を袈裟に叩きつける。尾弐の左鎖骨から胸骨がへし折れる。
まず間違いなく即死級の一撃だ。しかし、それでも尾弐は斃れない。平然と言葉を紡ぐ。
 
>そうだよなぁ。外道丸と俺にした事への恨み、橘音への仕打ちへの憎しみ、祈の嬢ちゃんの両親やノエルの姉への行為
 テメェが無辜の人間達に与え続けた悪意に対する感想が、言葉一つで伝えられる訳がねぇよなぁ?
 だから――――テメェに全部の気持ちが伝わるように、一つの言語を用意したんだ

「ヒッ……」

尾弐の背で、何かが陽炎のようにぼんやりと蠢く。唯一神は一瞬、喉に物の詰まったような引き攣った声をあげた。
まるで、大津波が押し寄せてくる前触れのような。大地震の予兆のような、恐るべき力の到来を感じる。
そして。
まさしく悪鬼と言わんばかりの兇悪な笑みを浮かべると、尾弐は千年の怨恨をぶつけるかのように攻撃を始めた。

>因果応報――――復讐するは我に有り
 他の連中にさせられねぇ分まで、俺が存分に語ってやるよ。暴力って言語をなぁ!!!!

それはまさに暴力の嵐と言っていい乱打だった。
今まで尾弐が激戦の中で開眼し、会得し、身に着けた闘争技術のすべてを結集し、復讐の名の許に叩きつける攻撃の暴風。
ただし、それも神の力の前には微風に等しい。

「ハハ!ハハハハハハハハ!!
 それが貴様の全力か!?下らん!実に下らんな―――!!
 この程度の攻撃!どれほど受けようと、この神の肉体に……は……!?」

そう。神の肉体の前には、尾弐がどれほど全力を振り絞ろうと無力――のはずだった。
だというのに、尾弐が攻撃を続けるたび、その一打が重くなってゆく。神の肉体に、その臓腑に響く。
いつしか満身創痍であったはずの尾弐の肉体は完全に回復していた。
左頬を鉄拳で殴り抜かれ、牙が数本纏めてへし折れる。上顎と下顎の噛み合わせがずれ、よろりと巨体が傾く。

「……な……に……?」

尾弐の攻撃は止まらない。その拳が、脚が、削岩機よろしく偽神の無敵であるはずの肉体を削り取ってゆく。

「ギ……ギャアアアアアアア――――――――――ッ!!!!」

堪らず偽神は絶叫した。

>よう、見えてきたか? テメェに挨拶してェって連中の姿が!!!!

尾弐が吼える。
そして、アンテクリストは確かに見た。今までは陽炎のようにぼんやりとしか見えなかった、尾弐の背に蠢く何か。
その正体を――今まで自分が為してきた悪逆の犠牲となった無数の存在達が抱く、怒りと憎しみの『そうあれかし』を。

「そ、そんな……そんなはずがない……!
 私は、貴様の何もかもを……知って……。なのに、こんな……お、怨念だと……?
 こんな虫ケラどもの恨みなど、何千何万集まったところで、なんの痛痒もないはず……!
 なのに……なんだ、この力は……こんな、こんな力は知らない……分からない……!!」

>……さぁて、それじゃあ仕上げと行くかね

尾弐の右腕に怨念が集まってゆき、鋭い爪を備えた何かの腕を形作ってゆく。
かつて天魔ヴァサゴの尾を一撃で刈り取った異形の腕、その何百倍もの力を秘めたそれは――竜の腕。

「お……おのれ、おのれ……おのれェェェェェ――――――ッ!!!!
 貴様、ごときがァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

アンテクリストもまた右腕を繰り出す。目にも止まらない速度で撃ち出される、神の鉄槌。
が、尾弐の竜腕と真正面から激突した瞬間、偽神の右腕はその上腕までヒビが入ったかと思うと粉々に爆裂した。

>―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!

尾弐の、そして今まで赤マントの犠牲となった者たちの念が籠もった拳が、アンテクリストの鳩尾を痛撃する。
そして、その瞬間。
神を構成する不死性、その要素はアンテクリストの肉体から跡形もなく揮発していた。

430那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:17:46
「ご……ェェェェ……」

尾弐の竜腕に鳩尾を穿たれ、血ヘドを吐いたアンテクリストは3メートル近い巨躯を深い『く』の字に折り曲げて悶絶した。
祈によって運命変転の力を奪われ、ノエルの手で背の翼ジズの力をもぎ取られ、
尾弐の拳でレビヤタン由来の超回復能力を揮発させられた。
しかし、まだアンテクリストは無力化してはいない。
だから――

>……それは、困るよ尾弐っち
>まだ、僕の番が残ってんだからさ

次は、ポチの番だった。
瀕死の重傷であったはずのポチの肉体が、再度獣の甲冑を纏う。つがいの名を呼ぶ。

>シロ
>やろう。これで最後だよ」
>見せてやろうよ。アイツに……ううん、みんなに。僕らの力を

「……はい、あなた」

ふたりの手が繋がれる。
深い愛情で結ばれたその行為は、しかし。狩りの符丁、処刑の合図だった。

>一瞬千撃

血に染まった吹雪が赤黒く縄張りという名の結界を構築する中、ポチの声がどこからともなく響く。
ポチの縄張りの中では、ポチはどこにもいないと同時にどこにでもいる――ゆえに、その攻撃は不可避。
アンテクリストはいわば、ポチの腹の中に落ちたも同然であった。

>『無間』
>『狼獄』
>がお似合いだ……なんてね

無間狼獄。狼獄を超えた、それは究極の狩りの姿。
そして、そんなポチの結界の中で一筋の光が眩く輝く。
シロだ。シロは夫が攻撃を繰り出すのに合わせ、ブリガドーン空間の中でのみ可能な自らの奥義を繰り出そうとしていた。

「絶技―――真氣狼(しんきろう)!!!!」

ぶあっ!!!

ポチの縄張り内に、百体以上のシロが現れる。
今までのシロは十一体の影狼を出現させるのが精一杯であったが、
ブリガドーン空間と愛する夫の縄張りの中では、自分の限界以上の力を発動させることが可能であるらしい。
そして――結界内に耳を劈く轟音が鳴り響くと同時、ポチの攻撃がアンテクリストへと叩きつけられた。
その拳が、蹴りが、アンテクリストの巨体へ吸い決まれるように突き刺さる。
と同時、ポチのラッシュに追い打ちをかけるように、百体以上のシロが全方位からの突進を仕掛ける。
アンテクリストは成す術もなくすべての攻撃を喰らい、悲鳴を上げることさえ許されずか細い呻きを漏らした。

「ぁ……が……」

アンテクリスト――赤マントにとって東京ブリーチャーズは最初から脅威たりえない、玩具のような存在であったが、
中でもポチは欠片ほども興味を引かない存在であった。
直弟子である橘音や親の代から因縁のある祈、千年前に呪いを与えた尾弐。
手駒のひとりクリスの妹であったノエルなどと違い、赤マントとポチの関わりは薄い。
偶々そこにいるだけの、なんの価値もないちっぽけな送り狼の仔。それが赤マントの評価であったのだ。
そんな矮小な獣がまさか狼王ロボや山羊の王アザゼルといった錚々たる獣の王たちを斃し、未来を託されるなど思いもよらなかった。
ポチにロボやアザゼルを焚き付けたのは、紛れもなく自分だ。赤マント自身がポチの成長する余地を与えてしまった。
赤マントは完全に読み違えた。ポチを侮り、軽んじすぎた。
そのツケが、今回ってきている。

「そん……、な……。
 私が……間違えた……?私は……どこで……どのあたりから、道を……間違えた、のだ……?」

つがいの狼たちの攻撃は一瞬。だが、その一瞬の間に圧縮された無間がある。
ふたりの攻撃の前に耐久値を超え、結界がガラスのように砕け散る。
そこにはポチとシロ、そしてそのふたりの前に両手をついた血まみれの偽神の姿があった。
それはあたかも、王前で民がこうべを垂れるような――。

>――よう。なかなか良い眺めじゃないか。え?

甲冑を解除したポチが告げる。
シロがその小さな身体を支えるように傍らに寄り添う。

>まだ、少し頭が高いけど……これくらいで勘弁しといてやるよ

そう言うと、ポチとシロはアンテクリストの前から退いた。
ポチとしてはガス欠を誤魔化す減らず口に過ぎなかったかもしれないが、アンテクリストからすれば情けをかけられたも同然だ。
ベヘモットを由来とするアンテクリストの頑健な肉体は、狼たちの攻撃によって今や見る影もなく朽ちかけている。
ボロボロと土くれか何かのように肉が崩れ落ち、獣じみた面貌の中から元のアンテクリストの顔が覗く。
肩で大きく息を吐き、アンテクリストは東京ブリーチャーズをねめつけた。

「ハァ――――……、ハァッ、ハ……ハァ……。
 わ……私は……神だ……絶対の……神となる、存在なのだ……!
 私よりも……強い存在など……いては、ならない……あるはずがない、のだ……!」
 
完全に砕かれた両脚に、ぐ、ぐ、と力を込める。
偽神は尚も立ち上がろうとしていた。

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432多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 17:22:48
 アンテクリストとの最終戦。ポチとシロが開いた血路。
それに続き、祈は打ち下ろすような縦回転の蹴りで頭蓋を砕き、運命変転の力で敗北の運命を与えた。
 ノエルは凄まじい吹雪で動きを止め、ハクトとの連携で、ジズの与えた炎の翼を奪う。
 尾弐は連打と強烈な呪いを込めた一撃で、レビヤタンの与えた不死性を失わせた。
ポチとシロが放った『無間狼獄』と『絶技真氣狼』が、ベヘモットの与えた強靭な肉体を打ちのめした。
 両手と膝をつき、ボロボロのアンテクリスト。
 完全な、アンテクリストの敗北だった。

>「ハァ――――……、ハァッ、ハ……ハァ……。
>わ……私は……神だ……絶対の……神となる、存在なのだ……!
>私よりも……強い存在など……いては、ならない……あるはずがない、のだ……!」

 だがそれでも。アンテクリストの心は折れなかった。

>「グ……、グォォォォォォォォ……!!」

 打ち砕かれた肉体を立ち上がらせようと、砕かれた膝を再生させて、ボロボロの肉体に力を込めていく。
アンテクリストの体表で血がボコボコと泡立ち、アンテクリストの体を紡ぐ。

「……どっから来るんだその執念。しつけーにもほどがあんだろ!」

 二千年もの間抱き続けたという執念は曲がることはない。
 その根源に何があるから立ち上がるのか、
唯一神になってこの世界を悪に染め上げることがなぜ彼の悲願となったのか。
そんな疑問が祈の脳裏をよぎった。
 こちらの言葉など聞こえていないように、敗北の運命を与えても倒せない怪物は、体を起こし終えた。
敗北したところでそれが終わりではないとでも、示すかのように。

>「ギィィ……、ギィィィィィィオオオオオオオオオオオオオ……!!!
>私は……私ハ……神……!最強無敵、世界最高の……すべての頂点に立ツ……カ、ミィィィィイ……!」

 ただ。その肉体は、無理やり再生させたからなのか、酷くバランスに欠けていた。
目の前の敵を上回ろうとした結果なのだろう。
 失った炎の翼の代わりにノエルの冷気を取り込む算段か――樹氷を背に生やしたが、
ノエルに対抗できる熱の力を失っているし、精霊のノエルほどの冷気を扱えるかどうか。
 ポチやシロに転ばされまいと、下半身を血や筋繊維、血管などでできたものへと変えたようだが、
機動力は完全に削がれただろう。
 尾弐を腕力で上回るべく肥大化したであろう右腕は、魔人か竜かという爪をも備え、
当たればすべてを破壊し切り裂くに違いなかった。
しかしそれを支える肝心の下半身があの不安定な有様では、その拳と爪を当てることはできまい。
 体長はさらに数メートル延びつつあるが。それはまるで。
 破れかぶれのでたらめだった。

>「……これが、二千年の間求め続けた願いの果て……。
>多くの人々を、妖怪を、生きとし生ける者たちを不幸にしてまで手に入れた力の結果なのですわね……」

 レディベアが、憐みに似た視線をアンテクリストへと向けながらそう呟いた。

 深刻なダメージ。精神への負荷。妄執。無理やりに再生させた肉体。
さまざまな要素が絡み合い、アンテクリストはもはや理性を失い、暴走状態にあった。
 眼もまともに見えていないようで、ブリーチャーズの幻影を倒そうとがむしゃらに振り回す右腕は、
周囲を破壊はしても、祈たちに届くことはない。
 いっそ哀れにすら思える有様だが、ある意味この暴走状態こそが、
アンテクリストにとっては最善手と言えるのかもしれなかった。
 このブリガドーン空間において、【自分が最強無敵の神であると思い込んだ狂人】ほど危険なものはない。
目の前の現実を受け入れず、精神の殻に籠ったアンテクリストは、
こちらの行動や言葉の影響を受けない。
肉体的なダメージも通らないのなら、文字通りの無敵だ。
 ノエルが放った「絶対零度領域《アブソリュートゼロサイト》」によって、成長速度は遅くなっているが、
自身のそうあれかしで自己強化を続ければ、今度こそ手の付けられない状態にまで成長してしまうだろう。
 そして最後の、世界を終わらせるほどに強力な必殺技も一発分残していたと思われる。
いつ爆ぜるともわからない巨大な爆弾のようなものなのだ。
 かえって追い詰められたのは、ブリーチャーズの方なのかもしれなかった。
 だが、これだけの攻撃を浴びせて完全に倒しきれない相手をどうすればと、祈が思案していると。

433多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 17:26:10
>「祈。次の攻撃が、きっと最後となるでしょう。
>今までの、長い長い戦い……そのすべてに。あらゆる宿命に、因縁に、決着をつける終焉の一撃――。
>一緒にやりましょう。あなたと、わたくしと……ふたりの力を合わせて」

 レディベアが祈に、そう言葉をかけるのだった。
それはつまり。

「っ! 龍脈とブリガドーン空間の力の融合……そのやり方がわかったってことか!?」

 ポチが提案した、アンテクリストのやり方を模し、首を絞める作戦。
それを実行するには、二つの力の融合が必要不可欠だった。
 運命変転さえも叶える莫大な星のエネルギー『龍脈の力』と、
そうあれかしをダイレクトに影響させ、想像をも実現できてしまえる『ブリガドーン空間の力』。
それらを融合させれば、アンテクリスト同様に、全知全能のごとき力を発揮できただろう。
だが結局、そのやり方がわからないために、祈とレディベアでは実行できなかったのだ。
 このブリガドーン空間にあっても、二人が意思を一つにするだけでは足りなかった。
 レディベアの言葉は、そのやり方がわかったと、暗にそう告げていた。
 そういえば、「今なら攻撃が効く」といって、アンテクリストへの集中攻撃の号令をかけた橘音が、
アンテクリストへの攻撃に参加していない。
 このままではアンテクリストを倒しえないと見て、
皆が攻撃を加えている隙に、策をレディベアに授けたのかもしれなかった。

>「それなら、コイツを使いな」

 祈にとっては聞きなれた声と――ひゅんひゅんという風切り音。
風切り音はやがて、ドッという、東京都庁屋上のヘリポートに突き立つ固い音へと変わる。
 そこに突き立っていたのは、柄から切っ先までが鉄でできた、旧い片刃の直剣。
 神剣――天羽々斬。
 そしてそれを運んできたのは。

「ばーちゃん!!?」

 多甫菊乃であった。ヘリポートの非常階段から上ってきたらしく、その脇に佇んでいる。
祈はそちらに目を遣って、驚きの声を上げた。
 橘音はもしかしたら、再び東京都庁を上る前には既に菊乃に話をつけており、
必殺のタイミングで呼び出せるように手配していたのかもしれない。
 祈は、天羽々斬に視線を落とし、呟く。

「……そうか。二人の力を合わせるって、“そのままの意味”なんだ」

 天羽々斬をはじめ、神剣や妖具といった類のものは、
使用の際に必ず生命力や妖力といった力を込めなくてはならない。
 祈が天羽々斬を使おうとすれば、祈を通じて龍脈の力が天羽々斬に流れ込む。
レディベアが使おうとしても、ブリガドーン空間の力が取り込まれるだろう。
つまり二人で使えば、天羽々斬の内側で、『二つの強大な力が混ざり合う』。
 祈とレディベアは半妖で、未熟な器。
どちらかに妖力を預けても、その強大な力に耐えきれず致死もありうる。
 神の右腕として創造されたベリアルだからこそ、
掛け合わせれば無限にも成りうる二つの力を、その体に同居させて使えたのだろう。
 だが神話の時代から語り継がれる神剣・天羽々斬なら、
龍脈とブリガドーン空間の力を受け止める器となり得る。
 二つの力を組み合わせて使うことができる。

>「使い方は覚えてるだろうね、祈?
>戦いの決着にゃお誂えの武器だろう、最後の最後だ……思いっきりやってやんな」

 それに、祈が使い方を知っている数少ない神剣。この場においてこれ以上に適した武器はない。

「――わかった!」

 祈は天羽々斬に駆け寄り、床から引き抜く。
握った柄の硬い感触に懐かしいものを覚えながら、
同じように駆け寄ってきたレディベアにも掴ませ、二人で構えた。

434多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 17:32:02
>「ゴオオオオオオオオオッ!!!!!
>多甫……祈ィィィィィィィ!!!!レディベアアアアアアアッ!!!!」

 狂気を帯びたアンテクリストの眼が、偶然にも幻覚でなく、
本物の祈とレディベアを捉えた。
 あるいはこちらの攻撃の意思を読み取ったのか。
血だまりと化した下半身をうねらせながら、祈とレディベアへと向かってくる。
 それを見たレディベアが、祈の手を軽く握った。
恐怖からではない。
 祈がレディベアを見ると、温かい気持ちの込められた隻眼と目が合う。

>「温かな手。優しいぬくもり。冷え切っていたわたくしの心は、魂は、祈……あなたのこの手に救われました。
>わたくしはこれからも、ずっとずっとあなたと一緒にいたい……ふたりで未来を歩いてゆきたい。
>大好きな祈、わたくしの大切なおともだち……。
>この手をずっと、離さないでいて下さいましね」

 そんな言葉を放つレディベアに、祈も微笑み返した。

「……あたしらはニコイチ。ずっと変わんねーよ。心配しなくてもな」

 なにせ、祈が運命変転の力を使えたのは、レディベアを信じていたからだ。
 アンテクリストを逃がさずに確実に倒すためには、
アンテクリストの運命を敗北で固定する必要があると思われたが、
自身に残された可能性を使うのは祈も惜しい。
 祈の中には、
『アンテクリストは、相手の可能性を利用することで運命変転の力を代償なしに使っているのだろう。
自分も同じことができれば死ぬことはないはずだ』という仮説があったが、確証はなかった。
それでも命を賭けられたのは、ここがブリガドーン空間で、レディベアがいたからだ。
 この空間で『そうあれかし』と自分を信じればなんとかなる、
どうにかならなくてもレディベアがきっと自分を助けてくれるだろうと、そう思ったのだ。
 実際に仮説が当たっていたのか。アンテクリストから可能性を奪いきれたか。
そして奪った可能性を自身に充てて、代償なしに運命変転の力を使えたのかはわからない。
祈が無事と思っているだけで、実は可能性は消費されていて、いっそ運命変転の力を失っている可能性すらある。
 だが、祈の命は少なくともここにまだ残されている。
それはきっとレディベアが祈との未来を望んでくれているからというのも大きいだろう。
 それに、この賭けに出たことでわかったことがある。
 それは、“可能性を分けてくれる人がいれば、再び運命変転の力を使えるかもしれない”ということだ。

「あたしとおまえならアイツを消し去れる。
でも、もしあたしに運命変転の力が欠片でも残ってて、モノが可能性を分けてくれるんなら。
 モノがそう願うなら。きっとアイツの命だけは救ってやれる。
やるかどうかは任せるし、できるかどうかも確証はないけど……やるか?」

 それは、この世界から跡形もなくアンテクリストを消滅させるのではなく。
たとえば、『意図的に誰かを害することができない約束と、
自分が殺した数と同じだけの人を救わない限り解けない封印を施された、
喋るしか能がない赤い布の付喪神に生まれ変わらせる』だとか。
 救った人数をカウントするのは所有者となった者なので、ズルはできず、
力を取り戻すためには地道に人を救い続けるしかない。
 あるいは、アンテクリストとしてのすべての記憶と力をなくし、無害な人間に生まれ変わらせるだとか。
 そういう提案だった。運命変転の力が失われていればもちろんできはしないが。
 悪しきものとはいえ、憎き敵とはいえ、祈にとってはこの世界に生きるものの一人。
そしてレディベアにとっては、自分を育てた父でもあるから。
 祈はレディベアの返答を聞いた。

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436多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 18:07:45
 東京の街は半壊し、人々は大いに傷付いた。
首都がこの有様なのだから、日本はこれから長い間、酷い停滞期を迎えるだろう。
オリンピックなんて考えられないほどに。
 祈は寝転がったまま、レディベアが展開した目の一つに顔を向けて、視線を合わせた。

「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」

 さて、これは蛇足だ。
尾弐がかつて抱いていた願いから着想を得た、単なる悪あがきだ。
 祈はその目の先で、こちらを見ているであろう誰かへ声をかける。

「タマちゃん」

 タマちゃんこと、玉藻御前に。
 おそらく現状で、この東京を元通りにできる可能性のある、唯一の人物に。
 かつて尾弐が御前に望んだものは、別の世界線への移動だった。
御前の駒として働く代わりに、
『外道丸が酒呑童子にならなかった世界線に移動し、自身の存在ごと消去すること』。
それが尾弐の望みであり、御前はそれを叶える約束をしていたという。
 五大妖とはいえ、たった一人の妖怪にそういう力があるというなら。

「なー。タマちゃんならこの世界を、
『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

 世界線の移動により、東京を元通りにすることも可能なのではないかと祈は考える。
 スカイツリー内での尾弐の口ぶりでは、
世界線を移動させるためには茨木童子や酒呑童子の部下たちを殺す必要があったようだった。
おそらく世界線を移動するにあたり、消したい事柄の根幹に関わる者を消すことは不可欠なのだろう。
その存在が楔となって、世界線の移動ができないのだと思われた。
だとすれば、アンテクリストという楔をこの世界から消した今なら、それが叶う。
 力が足りないというなら、ここには「そうあれかし」が集っているから、それを使えばいい。
 御前に頼ることはできれば避けたかったが、祈もレディベアも力を使い果たしている。
だとすれば、一番交渉してはならない存在とでも、交渉するしかなかった。

「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
メリットもいっぱいあんだぜ。
東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」

 祈は少し悪い笑みを浮かべていった。

「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

 御前はこの世のバランスを保つ立場にあると、祈は聞いていた。
 今回の事件で、偽神や悪魔といった存在が表に出た。
 さらに人類を守る側に立っている祈が、
悪魔や妖怪、神、陰陽師といった存在を暴露したことで完全に認識を補強してしまったのである。
 幻想でしかなかったはずの存在がいるという事実は、
今まで科学を信奉してきたこの世界の在り方を変えるだろう。
妖怪を不可思議な力を持った隣人として受け入れ、共存できればいいが、
危険なものとして排斥される未来もあり得る。
 世界のバランスが大きく崩れるのが簡単に予見できる。
だからこそ、世界のバランスを保つ立場にある御前は、祈の要求を呑まざるを得ないはずだ。

 世界線が移動してアンテクリストの引き起こした事件がなかったことになれば、
偽神や悪魔が現れたことも、祈の発言も当然チャラだ。
アンテクリストに深く関わった者ぐらいしか、世界線が移動前の出来事は覚えていないだろう。
 祈たちはもはや世界中に顔も名前も知られているので、普段の生活になんて戻りようもないし、
世界線の移動で、記憶も記録も全て消してしまった方が都合も良い。
 祈が配信者に向けてわざわざ妖怪やらの存在を明かしたのは、
人々の協力を仰ぐためだけでなく、いざとなったときにこの要求を御前に通すためでもあった。
 この要求を通したところで、世界を救った祈たちを罰することなどできない……と思いたいが、
御前のことだからまた何か無茶な要求を突き付けてくるかもしれない。
 それはそのときに考えるしかないだろう。

「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

 そう言い終えて、祈は少し目を閉じた。
 祈は不良と蔑まれても、路地裏や暗がりをパトロールし、困っている人や妖怪を助けてきた。
そういった面を見て、心優しい少女だ、いい子だと思うものもいるだろう。
 だが祈は、決していい子なだけの少女ではない。
誰かの命を救うためなら、アンテクリストを倒したように暴力だって辞さないし、
御前に要求を呑ませるべく、そうせざるを得ない状況だって作り出そうとする、悪の側面もある。

 きっとその側面は、祈のことを見てきた教師たちがよく知っているだろう。
『私も手を焼いているんですよ。あの悪童には。ほら、路地裏からよく出てくる……』
『ああ、路地裏の!あの悪童ですな!いくら注意しても聞かない』などといった文脈で使われる二つ名。

(忘れたなら教えてやるよ。あたしの二つ名……ってね)

――『路地裏の悪童』。それが、祈のもう一つの名前なのだ。

437御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:49:01
>「―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!」

>「『無間』」
>「『狼獄』」

>「絶技―――真氣狼(しんきろう)!!!!」

「これは流石に終わりでしょ……と思いたいけど……」

自身の飼い主とは対照的に肉体派な必殺技を繰り出す面々にハクトは感嘆しつつも
警戒を怠らずアンテクリストの方を見遣る。

「まだみたい……」

>「……どっから来るんだその執念。しつけーにもほどがあんだろ!」

>「ハァ――――……、ハァッ、ハ……ハァ……。
 わ……私は……神だ……絶対の……神となる、存在なのだ……!
 私よりも……強い存在など……いては、ならない……あるはずがない、のだ……!」

敗北の運命を決定づけられ、三神獣の加護を全てはぎ取られたアンテクリスト。
だが、まだ終わらない。身長5メートルにも及ぶ次なる形態に変化する。

>「ギィィ……、ギィィィィィィオオオオオオオオオオオオオ……!!!
 私は……私ハ……神……!最強無敵、世界最高の……すべての頂点に立ツ……カ、ミィィィィイ……!」

その外見は見るからにアンバランスだが、その脅威は決して減衰したわけではない。
どころか、更に危険度が増したとも言えるだろう。
そんな中で、レディベアが力強く宣言する。

>「祈。次の攻撃が、きっと最後となるでしょう。
 今までの、長い長い戦い……そのすべてに。あらゆる宿命に、因縁に、決着をつける終焉の一撃――。
 一緒にやりましょう。あなたと、わたくしと……ふたりの力を合わせて」

>「っ! 龍脈とブリガドーン空間の力の融合……そのやり方がわかったってことか!?」

驚いて問い返す祈。そこでタイミングを見計らったかのように、菊乃が現れる。
地面に突き立ったのは、天羽々斬。

>「それなら、コイツを使いな」

>「……そうか。二人の力を合わせるって、“そのままの意味”なんだ」

>「ゴオオオオオオオオオッ!!!!!
 多甫……祈ィィィィィィィ!!!!レディベアアアアアアアッ!!!!」

怒り狂ったアンテクリストが、二人に突進してくる。

>「温かな手。優しいぬくもり。冷え切っていたわたくしの心は、魂は、祈……あなたのこの手に救われました。
 わたくしはこれからも、ずっとずっとあなたと一緒にいたい……ふたりで未来を歩いてゆきたい。
 大好きな祈、わたくしの大切なおともだち……。
 この手をずっと、離さないでいて下さいましね」

438御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:51:52
>「……あたしらはニコイチ。ずっと変わんねーよ。心配しなくてもな」
>「あたしとおまえならアイツを消し去れる。
でも、もしあたしに運命変転の力が欠片でも残ってて、モノが可能性を分けてくれるんなら。
 モノがそう願うなら。きっとアイツの命だけは救ってやれる。
やるかどうかは任せるし、できるかどうかも確証はないけど……やるか?」

レディベアはどう答えただろうか。
どちらにしても祈に、耳元で囁くような、あるいは直接頭の中に響くような声が聞こえてくる。

『君達はずっと一緒にいなきゃ……だからあの契約は終わり』

それは極限の結界術のために今は姿を消しているノエルの声。
頭に付けた髪飾りが受信装置となっているのかもしれない。
祈にはレディベアという唯一無理の一番の相手がいるから、身を引くという意味だろうか。
――いや、違う。

『今この時をもって更新するよ。苦しいときも、死の淵に瀕した時も――未来永劫、君”達”の味方だ!』

二人が決して離れないのなら、二人まとめての味方になればいいというあまりにも単純明快な結論。
思い返してみればノエルはずっと前からとっくに、二人の味方だったのだ。
学校に潜入して、どう見ても敵組織のリーダーに祈が篭絡されているとも取れる状況を目の当たりにしても、
そっくりさんと思い込むことにして黙って見守っていた。
祈がレディベアを助けてほしいと仲間達に頼んだ際には、一緒に頭を下げた。
レディベアが祈によって救出された際は、そこにいるのが当然とでもいうように自然に受け入れていた。
フリーダム過ぎる精神性を持つノエルと、数多の縁を繋いできた祈の性質を考えると、こうなるのは必然だったのかもしれない。
更に、姦姦蛇螺の中で祈に与えた時と同じように、レディベアの頭に祈とお揃いの髪飾りが現れる。

『あげる。お守りだと思ってつけていって』

天羽々斬を使っての八岐大蛇退治にあやかった櫛型の髪飾り――
今は戦闘域全部ノエルのため、このようなことも出来るのだろう。
もちろん理由は単に祈とペアルックにしてみてみたかったから、等ではない。
これで二人は、冷気の影響を受けない加護を、二重に受けていることになる。
たとえ至近距離で絶対の停止の余波を受けようとも、決して動きが阻害されることはないだろう。

『大丈夫、僕達がついてる』

2人は冷気の風に、背中をそっと押されたような気がしたかもしれない。

>「征きましょう――祈!!」

>「ああ!!」

床を蹴る祈とレディベア。ついに決着の時が訪れるのだ。
さて、ノエルは先ほど「僕が付いてる」ではなく「僕”達”が付いてる」と言った。
ハクトは地面に突き刺さっている傘を引っこ抜いて回収し、アンテクリストに向けながら言った。

439御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:54:21
「2人にチャンスを作らなきゃ……! みんな聞いて!
乃恵瑠が使ってるこの技は本当は敵の動きを鈍らせるなんてもんじゃない。
時間停止といっていい技だ。つまりまだアイツが動いてるのは乃恵瑠がヘタレだからだ!」

ハクトは身も蓋もなく言い放った。このウサギ率直すぎである。

「だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!」

そもそもそういう結界術の術中であるが、気合が足りないために完全には効果が出ていない状態。
ここはブリガドーン空間内であり、使っているのは戦闘域全部ノエルな術。
よって応援する側に妖術の素養などなくても、気合で後押ししてやればどうにかなるという理屈らしい。
ハクトも分かっている。別に自分達が何もせずとも祈とレディベアは必ずややってくれるだろう。
だから、これはただの保険。ウサギは用心深いのだ。
傘を持つハクトの手に、何人の手が重なっただろうか――膨大な妖力が収束していく。
眩い光を散らしながら、呪詛の弾丸や氷の礫を掻い潜りアンテクリストに迫る祈とレディベア。
ついに剣が届く距離に肉薄せんとしたとき、その巨大な右腕を振り降ろし二人を叩き潰そうとする。

「――絶対漂白領域《アブソリュートブリーチワールド》!!」

ハクトの持つ傘から特大の冷気の矢のようなものが放たれ、アンテクリストに命中した。
その瞬間、アンテクリストの動きが完全に停止――時が止まった。
祈とレディベアも、もしかしたらアンテクリスト自身もそのことに気付かなかったかもしれない。
何故なら止まっていた時間はほんの一瞬。
しかし再び彼の時が動き出した時には――二人の少女が持つ剣の切っ先はすでにアンテクリストの胸に到達していた。

>「これで終わりだっ!!」

凄まじい光の奔流が、偽りの神を飲み込む――
その奔流がおさまったとき、アンテクリストの姿は跡形もなく消え去っていた。

――ヒトが神に勝とうなど最初から不可能なこと――なだめすかして鎮めるしか道は無いのだ

――いくら人の振りをしたところで人と共に歩むことなどできぬ。
――我々はこの世で最も人の考えが及ばぬ者として定義されているのだから。

これはかつて姦姦蛇螺の中で深雪、つまりノエル自身が言った言葉。
しかし、人の子である祈が見事に神を打ち倒すのを目の当たりにし、前者の言葉は覆された。
ならば、後者も覆えせるのだろうか。
きっとこれで東京は平和を取り戻し、東京ブリーチャーズの仕事は終わりなのだろう。
今までずっと先延ばしにしてきたけど、今度こそ雪山に帰って、雪の女王を継がなければならないのだろう。
だけど、もしかしたらずっと、人の都にいられる未来もあるのだろうか……

440御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:55:28
>「やった……勝った……」

天を仰いで呟く祈には、青空が見えている。
ということは、ノエルも結界術を解除したらしく、姿を現す。
祈が、何かに向かって語りかける。

>「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」
>「タマちゃん」
>「なー。タマちゃんならこの世界を、
『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

「ちょっと!?」

ノエルはタマちゃんに対して、第一印象が第一印象なので、苦手意識がある。
が、殺されかけた祈張本人がこうして積極的に話しかけているのであった。

>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
メリットもいっぱいあんだぜ。
東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
>「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

「ちょーっと待った! アンテクリストって人類の歴史の最初から影響を及ぼしてきたわけだよね?
あまりに影響が大きすぎない?
例えば、昔アンテクリストのせいで死ぬはずだった人達が死ななくなったら
もしかしたら今いる人達の殆どが最初から生まれてなかったことになる、かもしれない……」

祈の提案に対して、異論を唱えるノエル。
太古の昔から暗躍していたアンテクリストが世界に及ぼしてきた被害、
つまり影響を無かったことにするのはリスクが大きすぎるのではないかと。

「だから、間を取ってこの最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線、とか
出来ればもうちょっと遡ってここ最近のアンテクリストに起因する騒動が起きる前に倒された世界線とか……無理かな……」

これは異論というより補足というべきか。
結局のところ14歳の祈が言う”アンテクリストの被害に遭わなかった世界線”とはこういう意味なのかもしれない。

441御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:57:42
>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
メリットもいっぱいあんだぜ。
東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
>「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

そう言って笑う祈は、龍脈の神子というよりも、路地裏の悪童だった。

>「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

疲れたのだろう祈は、目を閉じた。ふと、重大なことに気付いたハクトがノエルに尋ねる。

「ところでそれ……元に戻れるの?」

打倒アンテクリストのために実体を捨てて真の力を解放する技を使ったノエルは、まだ実体ではないのであった。

「さあ……戻り方が分からないんだけど」

「さあって……!」

元より死と隣り合わせの危険な大技である。
それってブリガドーン空間が終了したら消えてなくなるのではないか、
それなのに何故に本人はこんなに能天気そうにしているんだろうか、とハクトは頭を抱えた。

442尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:14:43
例えるのであれば、戦艦の主砲が正面衝突でもしたかの様な。
或いは遥か空の向こうから神の杖が墜ちてきたかの如く。

黒より尚暗い光映さぬ龍鱗を纏った尾弐の右腕と、超常の魔力を纏った唯一神を名乗る男の右腕は此処に激突した。

ノエルの張り巡らせた絶対零度の中にあるにも関わらず、衝突の余波にって二人の足元の地面は数メートルに渡り陥没し、辺りに転がっていた巨大な瓦礫さえも粉々に砕け散った。
悪鬼と偽神。
原初の時代に謳われる神と大悪魔の激突をすら凌駕する凄絶な拳の撃ち合いの結果は

>「お……おのれ、おのれ……おのれェェェェェ――――――ッ!!!!
>貴様、ごときがァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

今回は、悪鬼(ダークヒーロー)に軍配が挙がった。
竜腕はアンテクリストの拳を文字通り破砕し、肉の上から心臓を撃ち抜き――神の永遠(ぜったい)を殺し切ったのである。

>「ご……ェェェェ……」

だがしかし――尾弐の拳を受けて尚、アンテクリストは倒れない。どころか、戦意の炎はより激しく燃え盛って行く。
それは、尾弐が殺したのは神としての不朽であり、アンテクリストの命そのものにまでは届かなかったからだ。
撃ち抜いた尾弐の竜腕は濃縮した怨念と絶大なる負のそうあれかしにより焼かれ黒い煙を挙げており、暫くの間使用する事は出来ない。
仮にアンテクリストが勢いのままに尾弐に逆襲を仕掛ければ、尾弐は危機に陥った事であろう。

――けれど、そうはならない。
そうはならない事を、とうの昔に尾弐は知っていた。

>……それは、困るよ尾弐っち
>まだ、僕の番が残ってんだからさ

東京ブリーチャーズにはまだ彼がいる。
誰よりも気高く勇敢で……そして優しい、獣の王とその番。

「カカ、そりゃあ悪かった――――それじゃあ改めまして、お二人さんの出番だぜ」

ポチとシロ。
2匹の獣が尾弐の横を通り直ぎ、アンテクリストの前へと立ちふさがる。


>『無間』
>『狼獄』
>――よう。なかなか良い眺めじゃないか。え?
>まだ、少し頭が高いけど……これくらいで勘弁しといてやるよ

それは嵐の様な。或いは大波の様な。
無限の様な刹那の中。
ポチとシロ。弐匹の獣の『狩り』が、圧倒的な暴威を以てアンテクリストを裂き砕いた。

443尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:15:32
もはや偽神は脚をも砕かれ、かつての不遜な姿は見る影もなくその両膝を地に付けている。
敗北だ。誰が見ても間違いようも無く敗北だ。哀れで惨めで、無様な敗者の姿だ。
なのに。だというのに。

>「ギィィ……、ギィィィィィィオオオオオオオオオオオオオ……!!!
>私は……私ハ……神……!最強無敵、世界最高の……すべての頂点に立ツ……カ、ミィィィィイ……!」

それでもアンテクリストは諦めない。
失ったモノを埋める様に氷の翼を生やし、尾弐の模造品の様な巨腕を生やし、砕けた脚を血液で無理やり固め。
神の如きであった知性を狂気で焼いて尚、東京ブリーチャーズ達に立ちん向かわんとする。

>「……これが、二千年の間求め続けた願いの果て……。
>多くの人々を、妖怪を、生きとし生ける者たちを不幸にしてまで手に入れた力の結果なのですわね……」 
>「……どっから来るんだその執念。しつけーにもほどがあんだろ!」

何かを願って願って願って願って願って――――成り果てた。
その『何か』の正体を尾弐は知らないし、知るつもりもない。
アンテクリスト。赤マント。べリアル。
名を変え顔を変えて来た彼は尾弐にとって憎むべき敵で、滅ぼすべき悪で、討ち砕くべき宿命だ。
それはこれまでも、これからもずっと変わらぬ事実。
……けれど此処に至り尾弐はアンテクリストに初めての感情を抱いた

それは――――哀憫。

或いは……もしも自分が那須野橘音という存在と出会わなければ。
出会わないままに願いを追い続ければ……遠い未来の果て、願いに呑みこまれ、今のアンテクリストの様になっていたのだろうか。
そんな考えが尾弐の脳裏をよぎった。
非業の死を遂げた者達のそうあれかしと共に憎悪の拳をアンテクリストへ叩きこんだからこそ、僅かに晴れた感情の隙間に生まれた思考。

「……は。俺らしくもねぇ」

しかし尾弐は直ぐに首を振る。
詮無き事だ。全ては尾弐の妄想に過ぎない。
アンテクリストの過去がどうであれ、己が――自分達が為すべきことは一つ。

>「それなら、コイツを使いな」
>「征きましょう――祈!!」
>「ああ!!」

駆け付けた菊乃と、彼女が持ってきた天羽々斬。
それを手に持った祈とレディベア。
今、守りたい者達に尾弐は視線を向ける。

>「だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
>みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!」

「応、って言いたいとこなんだが……いやすまねぇ。生憎、オジサンの妖力はさっきので殆ど残ってねェんだ」
「その僅かな残りも鬼の瘴気と負のそうあれかしで呪いみたいになっててなぁ……多分、ノエルに直接渡せば腹痛起こすだろうぜ」

最後の一押しをするべく支援を求めたハクトへ無情にもそう告げる尾弐だが、しかしその口元には微笑が浮かんでいる。
那須野橘音の居る方へと歩みを進め、左手を彼女の頭に乗せてから尾弐は告げる。

「だから――――俺の残りの妖力は橘音に預ける。こんな俺の力でも工夫して使いこなせるのは、帝都一の名探偵くらいだろうからな」
「橘音。悪いがお前さん経由で色男に俺の力を貸してやってくれねぇか。それから」

そこで尾弐は、那須野橘音だけに聞こえるように小さく言葉を掛ける。

444尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:16:18


「アンテクリスト……いや、べリアルに何か言ってやれるのは、きっとこれで最後だ」
「俺にとっちゃ、不幸をばら撒いた最低最悪の敵だが……一応は、アスタロトにとっての師匠だった男だ」
「恨み節でも、罵倒でも、親愛でも、友愛でも。興味がねぇなら挨拶だけでも良い。何か言葉を掛けた方が良いと思うぜ」
「奴さんにどれだけの理性が残ってるかは知らねぇが、それでも何も言わずに別れちまえば、それは必ず心残りになる」
「もしそれで辛い思いをしても……俺が存分に甘やかして慰めてやる。だから、想い切ってみたらどうだ?」

半ば無理やりに妖気を受け渡し終わった尾弐は、那須野に一方的に言葉を掛けてから数歩後ろに下がり、腕を組み静かに結末を見届ける姿勢を固める。
……余計なお世話だったのかもしれない。要らぬ気遣いだったのかもしれない。
幾ら尾弐が橘音を想っているとはいえ、那須野橘音の心が全て判る筈はないのだから。
だから、つまる所これはエゴなのだろう。
尾弐黒雄という男が那須野橘音という女に出会えたという事に対しての、ただ一点だけある赤マントへの貸しを返すというエゴだ。
そうして、自身に出来る事を全てやり遂げた尾弐の視線の向こうで。


「ああ――――本当に、綺麗だ」


祈とレディベア。
二人の少女が辿り着いた光(答え)が、虹を纏って闇を貫いた。


―――――――――

445尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:21:43
―――――――――

戦いを終えた祈の元に尾弐は歩を進める。
どんな言葉を掛ければ良いかは判らないが、とにかくその努力を誉めてあげたくて。良くやったと言ってあげたくて。
そう思いながら歩いていた尾弐の耳に、声が届いた。

>「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」
>「タマちゃん」
>「なー。タマちゃんならこの世界を、
>『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

尾弐の歩みが止まる。
祈が口にした事――――『無かった事にする』。
それは、かつて尾弐黒雄という男が抱いた願いに他ならなかったからだ。
己の無力によって親しい者を酒呑童子という怪物にさせてしまった事を悔い、己を含めた全てを呪い。
そうして最後には疲れ果て――歴史から酒呑童子の伝承を抹消する事で、己と外道丸という存在そのものを無かった事にしようとした。
今でこそ、東京ブリーチャーズの皆と過ごして来た時間の中でその願いよりも輝くものを見つける事が出来たが、そうであったが故に尾弐は危惧をする。
祈が、自分と同じ間違った道を進もうと考えているのではないかと――――けれど。

>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
>メリットもいっぱいあんだぜ。
>東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
>「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

祈に対して、そんな心配は無用であった。
彼女の願いは、自分の為と――それから沢山の誰かの為に。
英雄的な評価と称賛よりも、誰にも知られぬ平穏を。
きっと、正義や倫理という側面から見れば祈は良い子ではないのかもしれない。
だけど、赤子の頃から尾弐がその成長を見てきた少女は……とても優しい子だった。
だからこそ、尾弐は額に手を置いてから一度息を吐いて告げる。

「……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ」
「人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ」
「どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ」
「過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ」

尾弐は、険しい表情で学校の教師の様に昏々と淡々と正論を述べていき……最後に。

「よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ」
「ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ」

そう言って笑みを浮かべた尾弐は、拳と掌を合わせて包拳礼の姿勢を取ると中空に向かって声を掛ける。
「――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!」
「しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!」
「つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!」
「そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!」

どこかで聞いているであろう御前に堂々とそう言ってから、口元を邪悪に歪める。

「もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!」

綺麗なモノを尊ぶ御前にとって、自身が不快な者とされるのは……数多の人間からそんなそうあれかしを擦り付けられるのは、堪えがたい事だろう。
祈が悪童を示すなら、尾弐は大人の汚さを示そう。

「帳尻合わせついては心配すんなよノエル。あの大妖怪は、キレェ好きで凝り性なんだ」

小声でノエルにそう言った尾弐は、何処か清々しそうに差し込む陽光を見つめるのであった。

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447ポチ ◆CDuTShoToA:2021/07/05(月) 07:54:13
>「2人にチャンスを作らなきゃ……! みんな聞いて!
  乃恵瑠が使ってるこの技は本当は敵の動きを鈍らせるなんてもんじゃない。
  時間停止といっていい技だ。つまりまだアイツが動いてるのは乃恵瑠がヘタレだからだ!」

>「だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
  みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!」

>「応、って言いたいとこなんだが……いやすまねぇ。生憎、オジサンの妖力はさっきので殆ど残ってねェんだ」

「……ノエっちは元気だなぁ。僕はもう、あと一滴でも血を流したらそのまま死んじゃいそうだよ」

ヘリポートに倒れ込んだまま、ポチはぼやいた。

「残念だけど……僕に出来るのはもう、信じる事だけさ」

ポチが頭を床に預ける。

「……だけど、僕らにはそれだけで十分だ。でしょ?」

その口元には穏やかな――やれる事はもう全てやったと言いたげな笑み。
そうだ。ポチは死力を尽くした。持てる全ての力を出し尽くした。

これ以上、パンチ一発とて繰り出す事は叶わない。
これ以上、僅か一滴でも血を流せば意識を失う。
正真正銘、ポチは死の寸前まで力を振り絞った。

それでもまだ、ポチに出来る事があるとすれば――それは、信じる事。

「そうさ……祈ちゃん。レディベア。二人なら、きっとやれる」

それはつまり――祈とレディベアに望みを託すという事。
祈とレディベアに、「そうあれかし」と願うという事。
戦いの最中、ロボとアザゼルに獣達の未来を託され、ポチとシロが力を得たように。
ポチもまた自分の未来を祈とレディベアに託した。
ただ信じるだけ――だが、それこそが妖怪にとって最も重要な力の根源。

>「これで終わりだっ!!」

白金色の光がポチの視界を塗り潰す。
眩しい。何も見えない――それでも不安はなかった。
そして、その光が徐々に薄れ、収まると――アンテクリストの姿はどこにもなかった。

ポチは少しだけ体を起こして、周囲を見回す。
祈の事だから、赤マントの力だけを奪って赤い布切れの付喪神にするとか、そんな結末を望んだんじゃないか。
はたまた何かの小動物にされたりしているかもしれない。
そんな事を考えたのだが――見当たらない。

それでも、少なくとも赤マントの気配はもうどこにも感じ取れなかった。

>「やった……勝った……」

祈の声が聞こえる――ポチが倒れたまま安堵の溜息を零す。

「……あー、疲れた」

ポチが隣のシロを見つめる。

「当分の間は、のんびりしたいね。一緒に」

戦いは終わった――しかし、ポチは一向に立ち上がろうとしない。
立ち上がれないのだ。もう本当に指一本動かせる気がしない。

448ポチ ◆CDuTShoToA:2021/07/05(月) 07:54:26
「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」

仕方がないから尾弐に手を貸してもらうか、橘音が仙丹を残していないかなどと考えていると、ふと祈が声を上げた。

>「タマちゃん」

「……祈ちゃん?」

>「なー。タマちゃんならこの世界を、
  『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

「……ええと。アンテクリストのした事を、なかった事にするって事?」

それは――多分、良い事なんだろうなとポチは思った。

>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
  メリットもいっぱいあんだぜ。
  東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
 「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

壊れた物が元通りになる。死んだ人が帰ってくる。
それは良い事に決まっている。とても、良い事のはずだ。

>「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

なのに何故だか――ポチは奇妙な違和感、据わりの悪さを感じていた。

>「……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ」
>「人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ」

違和感の正体はすぐに分かった。

>「どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ」
>「過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ」

結局のところ、生きていれば辛く苦しく、悲しい事は何度でもある。
アンテクリストが悪さをしなくても人は死ぬ。日常の中で、いとも簡単に。
その全てを無かった事にする事は出来ない。
それでも一度その願いが叶ってしまえば――次が欲しくなるかもしれない。
一度限りの救済が、その後の生全てを侵す毒になるかもしれない。

>「よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ」

「……ま、結局はそこだよねー」

そしてポチは自分が抱いていた違和感を、くしゃくしゃに丸めて頭の外に放り捨てた。
なんて馬鹿馬鹿しい事を考えていたんだ、と。
祈なら、もし二度目が欲しくなる時が来ても、その時々の正解を見つけていけるに違いない。
それにもし何か勘違いをしてしまったとしても、祈の傍には橘音が、ノエルが、尾弐が、数え切れない親しい人達が――ついでに、自分もいる。
何も心配する事なんてなかったのだ。

>「ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ」

「……わー、そりゃすごいや。全然気づかなかったなー」

ポチはくつくつ嗤って、嘯いた。

449ポチ ◆CDuTShoToA:2021/07/05(月) 07:56:29
>「――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!」
 「しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!」
 「つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!」
 「そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!」
>「もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!」

「オッケー。そういう感じね」

尾弐の嘆願を聞いたポチが、悪戯っぽく笑う。

>「帳尻合わせついては心配すんなよノエル。あの大妖怪は、キレェ好きで凝り性なんだ」

「綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?」

ポチが空を見上げて、首を傾げ、人差し指を唇に添える。

「こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー」

ポチは『獣(ベート)』だ。災厄の魔物だ。送り狼という名の、闇への恐怖の象徴でもある。
その存在には、良くない発想を生み出す為の思考回路が深く根付いている。
良くない発想とは例えば――悪魔どもに殺された人間に成り代わる形でなら、妖怪達は今なら簡単に、深く人間社会へと潜り込めるとか、そういう事だ。
ようやっと東京漂白を成し遂げたというのに、再び、今度は目に見えない穢れがあちこちに散らばるのは、御前にとっても好ましくないはず。
要するにこれは――どうせ御前にとっても必要な事なんだから、あの時みたいなぼったくりは勘弁してよね、という値引き交渉だった。
加えるなら、あの時の意趣返しがてら御前を困らせてやりたいという気持ちも多分にあった。

450那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:41:35
極端に肥大化した右腕を闇雲に振り回しながら、アンテクリストが祈とレディベアのふたりへと迫る。
至高の神であったもの。悪魔の長であったもの。今や神でも、悪魔でもなくなってしまったもの。
アンテクリストはもはや正気を失い、完全な暴走状態にある。
ただ自分の計画を滅茶苦茶にしたふたりの少女を憎悪するだけの、狂ってしまった何か――

しかし、今更そんな化け物に怯む少女たちではない。

>あたしとおまえならアイツを消し去れる。
 でも、もしあたしに運命変転の力が欠片でも残ってて、モノが可能性を分けてくれるんなら。
 モノがそう願うなら。きっとアイツの命だけは救ってやれる。
 やるかどうかは任せるし、できるかどうかも確証はないけど……やるか?

「……わたくしの想いは、あなたと同じ。
 わたくしたちの運命を狂わせ、多くの人々を欺き、たくさんの妖怪たちを不幸にしてきた憎い相手ではありますけれど。
 それでも。彼もまた、この地球に生きる生命のひとつ……なのですから」

祈の提案に、その顔を見つめるレディベアは小さく、しかしはっきりと頷いた。
アンテクリストは――ベリアルは絶対悪だ、更生不可能な罪人だ、滅ぼしてしまった方がいい。そう言う者もいるだろう。
けれども、ふたりの意見は違う。
どんな悪人であっても、憎い仇であっても、命を奪ってしまいたくはない。
それを偽善と蔑まれようと。綺麗事だと罵られたとしても。
ふたりはそれが正しいことだと信じた。

>君達はずっと一緒にいなきゃ……だからあの契約は終わり

どこからか、ノエルの声が聞こえる。

>今この時をもって更新するよ。苦しいときも、死の淵に瀕した時も――未来永劫、君”達”の味方だ!
>あげる。お守りだと思ってつけていって

ふわりと雪華を纏ってレディベアの髪に現れたのは、祈のものとお揃いの髪飾り。
ノエルからの贈り物だ。それは単純な妖術による強化にとどまらず、それ以上の意味を持つ。
それはふたりの絆を、結びつきを永遠不変のものにする証。
髪飾りにそっと触れると、レディベアは花の綻ぶように笑った。

「ありがとうございます。……ストラップの他に、もうひとつ。お揃いが増えましたわね、祈」

今でも大切に持っている、鎌鼬のストラップ。ふたりの絆の原点。
それを思い出して、嬉しそうに微笑む。
大切に大切に育んできた、培ってきた、ふたりの友情。
これからもずっと、それを慈しんでゆくために。未来へと繋げてゆくために。

今、偽神を討つ。

>2人にチャンスを作らなきゃ……! みんな聞いて!
 乃恵瑠が使ってるこの技は本当は敵の動きを鈍らせるなんてもんじゃない。
 時間停止といっていい技だ。つまりまだアイツが動いてるのは乃恵瑠がヘタレだからだ!
>だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
 みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!

ハクトがそう叫び、ブリーチャーズに協力を要請する。
確かにそうなのだろう。アンテクリストに完膚なきまでのとどめを刺すためには、
きっと少女たち以外のメンバーもさらにもう一歩力を尽くす必要があるのだろう。
しかし。

>応、って言いたいとこなんだが……いやすまねぇ。生憎、オジサンの妖力はさっきので殆ど残ってねェんだ
 その僅かな残りも鬼の瘴気と負のそうあれかしで呪いみたいになっててなぁ……多分、ノエルに直接渡せば腹痛起こすだろうぜ

尾弐は、その要請に応じなかった。

>……ノエっちは元気だなぁ。僕はもう、あと一滴でも血を流したらそのまま死んじゃいそうだよ
>残念だけど……僕に出来るのはもう、信じる事だけさ

ヘリポートの砕けた床に仰向けに倒れているポチもまた、尾弐に同調する。
ポチの傍らで跪くように寄り添っているシロも、無言でかぶりを振る。夫と意見は同じだというように。

>……だけど、僕らにはそれだけで十分だ。でしょ?

「ま……ハクト君の気持ちは分かりますがね」

橘音が軽く肩を竦めて笑う。
もう既に、自分たちは託したのだ。この戦いの決着を、世界の趨勢を、未来の行く末を。
ならば、今更横槍を入れるなどという行為は蛇足以外の何物でもないだろう。
ポチの言うとおり、自分たちに今できることがあるとするならば――それは信じること、それだけだった。
腕力に物を言わせなくても。牙や爪を振りかざさなくても。妖術を発動させなくても。
『そうあれかし』。祈とレディベアの勝利を願う、それが何よりの力となる。

「ここは彼女たちふたりの見せ場。野暮は言いっこなしですよ?」

そう言うと、橘音は茶目っ気たっぷりに白手袋に包んだ右手の人差し指を口許に添え、ウインクしてみせた。

451那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:42:21
と、思ったが。
尾弐の言葉はただ、ハクトの協力要請を断るだけでは終わらなかった。

>だから――――俺の残りの妖力は橘音に預ける。
 こんな俺の力でも工夫して使いこなせるのは、帝都一の名探偵くらいだろうからな
 橘音。悪いがお前さん経由で色男に俺の力を貸してやってくれねぇか。それから

尾弐が大きくてぶ厚い手のひらをぽふん、と学帽の上に乗せる。
不思議そうに、橘音はその顔を振り仰いだ。

「……クロオさん?」

無骨な手のひらが触れたところから、尾弐の妖力が流れ込んでくる。
それは尾弐の言うとおり、確かに鬼の瘴気と負のそうあれかしによって澱み穢れた呪詛めいた妖力だった。
どろどろと濁ったコールタールのような、ヘドロのような妖力。
そんな妖力をまともに受ければ、ノエルでなくとも汚染され戦力増強どころの騒ぎではないだろう。
禍々しい呪詛を力に変えられる者がいるとしたら、それはこの場に橘音しかいない。

>アンテクリスト……いや、べリアルに何か言ってやれるのは、きっとこれで最後だ
 俺にとっちゃ、不幸をばら撒いた最低最悪の敵だが……一応は、アスタロトにとっての師匠だった男だ
 恨み節でも、罵倒でも、親愛でも、友愛でも。興味がねぇなら挨拶だけでも良い。何か言葉を掛けた方が良いと思うぜ
 奴さんにどれだけの理性が残ってるかは知らねぇが、それでも何も言わずに別れちまえば、それは必ず心残りになる
 もしそれで辛い思いをしても……俺が存分に甘やかして慰めてやる。だから、想い切ってみたらどうだ?

「…………」

尾弐が囁く。
きっと、尾弐にとってはノエルに力を貸すことよりもこちらの方が本命であったのだろう。
その声を聞き、橘音は顔を前に戻すと学帽のふちに軽く手をかけ、軽く俯いた。

――まったく、敵わないなぁ。
  このひとったら、なんでもお見通しなんだ。ボクの気持ちも、ボクの隠していることも。
  ボクがもう無理なんだって、すっかり諦めてしまったことさえも――。

尾弐にとってアンテクリスト、否ベリアルは千年来の仇敵だ。殺しても殺し足りない、不倶戴天の怨敵のはずだ。
当然、那須野橘音――アスタロトとベリアルの特別な関係についても、好ましいものではないだろう。
だというのに、話をしてこいという。
きちんとけじめをつけて来いと。このまま、何も伝えられない有耶無耶の別離を果たすなと。
ふたりの関係において心残りのないようにしろと、そう言っている。

「……そう、ですね。
 じゃあ……お言葉に甘えて。そうさせて頂きます」
 
ほんの僅かな逡巡の後、橘音は顔を上げ晴れやかな笑顔でそう言った。

「でもね。辛い思いなんて、しやしませんよ。
 ずっとずっと前から覚悟はしていたことです。いつか必ず訪れると分かっていた刻が、今やってきた。
 ただそれだけの話ですから……。
 なので。辛い思いをしなくても、いっぱい甘やかして。愛してくださいね」

尾弐が離れると同時に、橘音もまたマントを翻して前を向く。

「それじゃ……ボクたちの新しい、千と一年目の未来のために。
 ちょっと行ってきます、クロオさん!」

そう良く通る声で言い放つと、橘音はかつての師へと一歩を踏み出した。

「ギィィィィィィィオオオオオオオオオオッ!!!!
 死ネ……死ネェェェェェェェェェェェェェェェ―――――――ッ!!!!」

骨組みだけしかない氷の巨翼を羽搏かせ、どろどろに溶けた血だまりと化した下肢をうねらせながら、
アンテクリストが最後の抵抗とばかりに暴れ狂う。
龍脈の神子とブリガドーンの申し子が共に天羽々斬を握りしめ、
手に手を取って流星のように白く輝く尾を引いて突進してゆく。
ハクトが床に刺さっていた傘を引き抜き、アンテクリストへと翳す。
そして、祈とレディベアが偽神の懐へ到達し、天羽々斬の切っ先がその胸元へと迫ったとき。

>――絶対漂白領域《アブソリュートブリーチワールド》!!

ハクトとノエルの妖術が発動し、時間が停止した。
それは一秒にも満たない、ほんのコンマ数秒ほどの時間であったかもしれない。
だが祈とレディベア、そして橘音には――それだけで充分であったのだ。

452アンテクリスト ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:42:53
神である。

私は、神である。絶対無比にして永劫普遍の神である。
至善である。合法である。不滅である――正しき者である。

誰もが私を崇拝し、誰もが私に拝跪し、誰もが私の齎す救済を望む。
私を価値ある者、尊貴なる者、いと高き者と評価する。

だというのに。
我が前の、この小さき者どもは何故唯一神たる私に刃向かう?何故惑星の頂点たる私を害さんとする?

何故私は、この小さき者どもに敗北しようとしている……?

何故。
何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。
何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故―――

「……それはね。アナタが強すぎたからですよ、師匠」

誰だ……?

「いやだなぁ、そんなことも忘れちゃったんですか?アナタの可愛い弟子、アスタロトですよ。
 尤も、今は狐面探偵・那須野橘音ですがね」

……アス……タロト……?
ナスノ……キツネ……。

「神の隣に座す者。神の長子。天魔七十二将の首魁。
 すべての天使の兄にして、すべての悪魔の先達……“無価値な者”ベリアル。
 師匠、そう――アナタはあまりに強すぎた。それが、すべての歪みの始まりだったんです」

強いことの何が悪い?
そうだ、私は強い!何者をもこの私の上を行く者はおらぬ!
私は最強だ、私は誰にも負けない!智慧も、膂力も、妖力も、何もかも!!

「ええ。アナタは紛れもなく最強の妖怪だ。主神クラスと言われる大妖怪たちだって、アナタには敵わないでしょう。
 だから――だからこそ、歪みが生じてしまった。
 アナタにとって自分以外の存在はすべて格下。肩を並べる価値もない、取るに足らない存在ばかりだ。
 だから……誰の声にも耳を傾けることができなかった。
 アナタの過ちを諫められる者がいなかった。それがいけなかった」

私の過ちを……諫める、だと……?

「そして、それはボクたちの罪でもある。
 ボクたちにもっと力があれば。アナタの強さにもっと近付くことができていれば。
 アナタの過ちを正すことができたはずなのに」

黙れ!
私は過ちを犯してなどいない!誤ってなどいない!
絶対的な正義なのだ、私は!私は決して歪んでなど――!

「……そうですね。ここだけの話、ボクはアナタもある意味で被害者だと思っているんです。
 神が信者獲得のため、アナタに悪役を押し付けさえしなければ。不善を成せと言わなければ。
 もしくはアナタ以外の、アナタよりももっと格下の天使にそれを命じていれば、こんなことにはならなかった。
 神の長子はずっと神の隣で、尊敬される英雄として君臨できていたはずなんだ。
 アナタは純粋すぎた、誰よりも忠実に神の命令に従ったからこそ――
 この世界で一番の悪になってしまった」

……私、は……。

「思えばルシファーさんも、そんなアナタに同情して神に叛逆したのかもしれませんね。
 他の天魔たちだってそうだ。アナタのことを兄と思えばこそ。憐憫の情を催したからこそ。
 ほんの少しでも、神の摂理を覆そうとしたのかも……。
 結果は伴いませんでしたけれど。でもね――
 みんな、本当にアナタのことが大好きだったんですよ?誇るべき長兄と。尊敬すべき方だと思っていたんです。
 彼ら自身さえ忘れてしまった、大昔の話ですが」

…………。

「そして、それはボクも同じです。
 いいえ……他の天魔たちはみんな忘れてしまっても、ボクはまだ覚えてる。
 アナタへの想いは、今もここに。ボクの胸の中にある。
 アナタのお陰で、ボクは此処に在る。
 心から信頼する仲間と、愛するひとと。希望に溢れた未来を歩いてゆくことができる……。
 これは、不肖の弟子からの。アナタへ贈る、たったひとつの感謝の印です」
 
な……、何をする……!

「ちょっとしたおまじないですよ、害を加える訳じゃない。
 もしも、この世界に神の手さえ届かない運命の導きというものがあるのなら。
 ……またお会いしましょう。今は……一先ずおさらばです、ベリアル。我が揺籃の師よ――」
 
ま、待て!待てッ……!


待て―――アスタロト……!!

453那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:43:59
瞬きよりも短い時間、止まった刻の中で、アンテクリストは橘音と会話をした。
そして、ふたたび刻が動き出す。

「がああああああ!!!」

天羽々斬を携えた祈とレディベアが眩い白色の輝きを纏いながら、アンテクリストの胸元めがけて真っ直ぐに突進してゆく。
アンテクリストは苦し紛れに右腕を振り下ろしたが、遅い。
そして――偽神の胸に、神剣が深々と突き刺さった。

>これで終わりだっ!!

祈が叫ぶ。なけなしの勇気、ありったけの愛、皆から貰った希望――それらを結集し、浄化の光として撃ち放つ。
アンテクリストの異形と化した体内で、龍脈の力とブリガドーンの力が弾ける。

「お……!
 お……ご……ォォォォォォォ……!!」

アンテクリストの全身、その各所から光が溢れてゆく。
ありとあらゆる妖壊、真闇に染まった偽神さえも白く漂白する、浄化の光。
しかし、驚くべきことにアンテクリストはまだ力を失ってはいなかった。

「……ま……、まだ……だ……!
 わた、し、には……まだ、最後の……温存していた、第三の……御業が……ある……!
 『大洪水(ザ・デリュージ)』……私が、死ぬと同時……我が神力が……龍脈を暴走させる……!
 ひとりでは……死なん……滅ぶなら……貴様らも……この世界も、道連れだ……!
 残念だったな、龍脈の御子……貴様らに守れるものなど、何ひとつ……ありは、しない……!
 さあ……、私と一緒に死ね!この惑星もろともな!
 ……はは……ははは……ははははははははははははははは……!!」

神剣によって貫かれ、体内を圧倒的な浄化の力によって灼かれながら、アンテクリストが嗤う。
第三の御業『大洪水(ザ・デリュージ)』。それはただひとり神よりの啓示を受けたノアとその家族、
そしてあらゆる動物の一つがいだけが生き残ることを許されたという、神による大粛清。地上の一切を覆う大洪水。
アンテクリストは自身が死ぬと同時に己の最後の神力によって龍脈を刺激し、
それによって世界各地の龍脈を暴走させ、この星を破壊するという保険を掛けていたらしい。
折角ここまで追い詰めたというのに、このままでは相討ちだ。

しかし。

「……な……、なに……!?
 わ、我が神力が……発動、しない……?
 なぜだ、なぜ……私の術式は完璧のはず、そんな、ことが……」

身体のほとんどを漂白されながら、アンテクリストが狼狽する。
自爆の妖術と言っていい『大洪水(ザ・デリュージ)』が発動しない。
アンテクリストほどの術者が妖術の仕掛けをしくじるなどということは有り得ない。
正真、アンテクリストは万一のため皆を道連れにする術を自らに施していたのだろう。
けれど――偽神はついに気付かなかった。
祈が先程、アンテクリストに使用した『運命変転の力』。
それが、具体的に何に対して作用していたのか。アンテクリストの中の何を変容させ、敗北の運命を決定付けたのか。
それは東京ブリーチャーズの攻撃が通るようになったということでもなければ、
祈とレディベアがここまで漕ぎつける、というような内容でもなかった。
そう。『運命変転の力』は――
アンテクリスト最後の攻撃。それを機能不全にするという形で、その運命を不可避の敗北へと変質させていたのである。

「バ……、バカ……な……。
 この、私が……絶対神、アンテ……クリスト、が……」

顔に亀裂が入り、そこから光が溢れる。頭部から、米神から、口から、浄化の光が漏れ出してゆく。
己の敗北をなおも認められない、偽りの神が――神の成り損ないが呻く。
祈とレディベアのふたりが、さらに渾身の力を籠めてアンテクリストを刺し穿つ。

「私は……!私は、神ぞ……!
 神は負けぬ……!神は滅びぬ……!か、神……わ、たし、は、私は……!!」

アンテクリストの眼窩から、光が溢れ出す。

「私は!!神ぞォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ―――――――――――――ッ!!!!!!」


カッ!!!!!


迸る光の奔流。膨大な量の『そうあれかし』が力となってアンテクリストを覆い尽くし、輝く柱となって立ち昇る。
漂白の光輝が偽神の野望も、怨念も、妄執も、何もかもを呑み込み、消し去ってゆく。
どれほどの時間が経っただろうか、やがて光の柱が徐々に薄らいでゆき、天羽々斬の力の放出が終わったとき――。
ヘリポートの上であれほど猛威を振るっていた仇敵の姿と気配は、完全に感じられなくなっていた。
多甫祈とレディベア、ふたりの少女の絆の力による完全敗北。
それが、二千年もの間悪の化身として暗躍し続けた男。

ベリアルの――赤マントの最期だった。

454那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:05:12
>はぁ……はぁ、はぁ……

「ふぅっ……ふぅぅっ……」

天羽々斬を突き出したままの体勢で、祈とレディベアが荒い息を繰り返す。
ふたりの体力と精神力は、もうとっくに限界を超えている。
それでも身体を奮い立たせ、気力を振り絞った。アンテクリストへと放ったのは、文字通り全力の一撃だった。
今度こそ繰り出す力の枯渇したふたりが天羽々斬を手放し、その場にくずおれる。

>やった……勝った……

力尽きて仰向けに四肢を投げ出した祈が呟く。
ふたりの放った白色の光によって、それまで東京一帯に満ちていた黒雲や極彩色の空は残らず消滅し、
美しく澄んだ青空がどこまでも広がっている。

「……ええ……祈。
 わたくしたちの勝ちですわ」

祈のすぐ傍でぺたんと尻餅をついて座り込むレディベアが、視線を合わせて小さく微笑む。

「そ……、そんな……。アンテクリスト様が……絶対神が負けるなんて……」

「ヒィィッ!に、逃げろ!退却だ!神をも屠るような妖怪どもに勝てるはずがない!」

「逃げろッ!命が惜しかったら逃げろ―――…」

それまで帝都で暴虐の限りを尽くしていた悪魔たちが、アンテクリストの敗北に気付いて一斉に撤退を始める。
元々アンテクリストの圧倒的な力に惹かれて集まっていた者たちだ。首魁がいなくなった今、統制など取れるはずもない。
皆、先を争って蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。
もはや悪魔たちが東京侵攻を企てることは二度とないだろう。

>……あー、疲れた
>当分の間は、のんびりしたいね。一緒に

「はい。しばらく迷い家で温泉に浸かって、戦塵を落とすのがよいと思います。
 ……お背中。お流ししますね」

寝ころんだままのポチの提案に、シロが嬉しそうに頷く。
ノエルが術を解いてヘリポートに姿を現し、橘音が祈とレディベアのところへ小走りに駆けてゆく。
尾弐がゆっくりと歩を進める――

>ところで……さ。なぁ。見てんだろ――
>タマちゃん

そんなとき、祈は何を思ったかレディベアの展開した無数の目のひとつに語り掛けた。
瞳を通して此方のことをモニターしているであろう、タマちゃん――東京ブリーチャーズのオーナー、世界的な大妖怪。
白面金毛九尾の妖狐、玉藻御前へと。

《んっふっふふ〜、やっぱワカってた?
 まぁそりゃそーだよネー。いやいやっ、いやいやいや!いーもの見せてもらっちゃったよ、イノリン!
 アスタロトもオニクローも、ワンちゃんも!ノエルちゃんもシロぴもおっつー☆》

祈の呼びかけに答えるように目のひとつが突如として膨れ上がり、宙に浮かぶ大きなモニターに変化する。
モニターに大写しになった御前は愉快げに笑いながらぱちぱちと拍手してみせた。

《で……、なんの用かなー?
 わらわちゃんを呼び出すってことは、何か用件があるってことでショ?》

御前が問う。
祈は華陽宮で御前相手に噛みついた過去がある。御前のことを決してよくは思っていなかったはずだ。
というのに、呼びつけた。そこには何か深い考えがあるに違いない。
そして――祈が御前に対して言った提案は、その場にいる誰もが予想だにしないものだった。

>なー。タマちゃんならこの世界を、
 『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?

>ちょっと!?

>……ええと。アンテクリストのした事を、なかった事にするって事?

ノエルとポチが戸惑いの声をあげる。
アンテクリスト、ベリアルの野望に巻き込まれ、今まで大勢の人々が不幸になった。死んでいった。
東京はもうボロボロだ。都心部はビルが崩れ、アスファルトは砕け、未曽有の災害に遭ったのと変わらないほど破壊されてしまった。
これから東京が復興し元の活気を取り戻すには、きっと長い年月が必要となることだろう。
だが。

もしもこの破壊を、死を、なかったことにできたなら――

>できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
 メリットもいっぱいあんだぜ。
 東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――
>――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?

祈はそう言うと、悪戯っぽい表情を浮かべて笑った。

455那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:11:02
《ぬぁぁぁぁぁにィィィィィ〜〜〜〜〜?》

祈の突拍子ないにも程がある提案に、御前は思わず素でドスの利いた声をあげた。
だが、祈はまるで悪びれない。言いたいことは全部言ったとばかり、眼を閉じる。

>ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし

「もう、祈ったら。とんでもないことを考えるものですわ。
 でも……ええ。それが一番いいと、わたくしも思います。素敵なアイデアですわ」

レディベアが祈に賛同し、淡く微笑む。
仰向けに転がったままの祈の右手に自身の手を伸ばすと、そっと指を絡める。

>ちょーっと待った! アンテクリストって人類の歴史の最初から影響を及ぼしてきたわけだよね?
 あまりに影響が大きすぎない?
 例えば、昔アンテクリストのせいで死ぬはずだった人達が死ななくなったら
 もしかしたら今いる人達の殆どが最初から生まれてなかったことになる、かもしれない……

>……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ
 人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ
 どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ
 過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ

祈の提案に対してノエルと尾弐が異を唱える。
ノエルは自然の体現である災厄の魔物だ。自然の摂理を捻じ曲げかねない遣り方に懸念を抱くのは当然だろう。
尾弐もまた、千年の生のうちに多くの死と別れを経てきた男である。
導き出された現在、最善を目指して辿り着いた今という結果を強引に歪めてしまうことはできないと思うのが自然だ。

けれど。

>だから、間を取ってこの最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線、とか
 出来ればもうちょっと遡ってここ最近のアンテクリストに起因する騒動が起きる前に倒された世界線とか……無理かな……

>よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ
 ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ

共に死線を潜り抜けてきた仲間だからこそ。強い絆で結ばれた戦友だからこそ。
ふたりとも、祈の優しい心を決して無碍にはしない。
尾弐が貴人へ接する際の礼を取り、御前へと語り掛ける。

>――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!
 しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!
 つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!
 そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!

それは、自分とその仲間たちが成した大業への報酬の要求。
偽神討伐はまさに世界を救う偉業であり、尾弐と御前の間に結ばれた契約を満了してなお余りある。
その差額分を、祈の願いを叶えるために使って欲しい――。そう交渉しているのだ。

《はぁぁぁぁぁ!?
 ナニ言っちゃってんの、ソレとコレとは話が別――》

>もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!

《ぶっふ!?》

吹いた。
YouTuberとして活動している御前にとって、マイナス評価は致命的である。
もし提案を呑まなければ、尾弐は本当にレディベアの目を通して全世界に御前のチャンネルのマイナス評価を呼び掛けるだろう。
となれば、ここまで頑張った東京ブリーチャーズに対してなんの褒美も与えなかったとして、御前のチャンネルは大炎上必至。
結果として御前自身への精神的ダメージは計り知れない。
その上。

>オッケー。そういう感じね

ポチがくつくつと悪い笑みを零す。

>綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?
>こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー

《……何が言いたいのさ》

モニター越しに胡乱な眼差しでポチを一瞥し、腕組みする。
ポチの目論見など、もちろん御前は瞬時に理解している。そして、それが新たな火種になりかねないということも。
妖怪にとって変化術は初歩の妖術である。人間で言うなら自転車に乗る程度の技術と言えばいいだろうか。
この世界において、妖怪は一部を除いて人間の社会に関わってはならないというルールがある。
今回の被害で東京では多くの人間が死んだ。それまで誰かが座っていた椅子が、沢山空いた。
少し目端の利く妖怪であれば、そうして空いた椅子へ人間の代わりに自分が座ってしまうなど造作もないことだろう。
それはこの世界の理を歪める、御前にとっては許されざる行いに他ならなかった。

《ぐぬぬぬぬぬぬ……》

ノエル、尾弐、ポチ。
東京ブリーチャーズのメンバーに痛いところを突かれ、御前は呻いた。

456那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:15:48
そして。

「……御前。どうやら、ここは御前の負けのようですよ?」

最後に、橘音がモニターを見上げて口を開く。

「何も、千年前からの因縁を一切合切なかったものにして欲しいって言ってるわけじゃありません。
 ノエルさんが言ったように、ここ最近の騒動を収束する形で世界を改変してくれればいいんです。
 世界でも五指に入る力を持つ御前なら、そんなのお茶の子さいさい!朝飯前ってやつですよね?」

《アスタロト、そなたちゃんまで――》

「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
 ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
 世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
 ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」

《ぬぐぐぐぐぐぐ……》

駄目押しのような橘音の煽りに御前はしばらく顔を赤くしたり青くしたりしていたが、
ややあって諦めたのか、それとも自分の中で折り合いがついたのか、ふーっと大きく息を吐き、

《……わかったよ》

と、言った。

《正直な話……そなたちゃんたちには、いっぱいいっぱいキレイなものを見せてもらったよ。
 特に最後の、イノリンとベアちの放った天羽々斬の光。あれは……とってもキレイだった。
 もうウン百万年も妖怪やってるわらわちゃんですら初めて見る、あれは……うん。サイコーにエモい輝きだった》

モニターの向こうで、御前が困ったように眉を下げて微笑む。

《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
 キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
 いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

御前は右手を前に突き出すと、大の字に寝そべったままの祈を指差す。

《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
 短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
 運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
 そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
 ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

厳然と、拒絶や否定を許さぬ態度で告げる。
ひとりの妖怪の身には余る、地球の生命力そのものを行使する龍脈の神子の力。
その永久的な喪失と引き換えに、御前は祈の願いを叶えると宣言した。
ただのターボババアの半妖に戻ってしまえば、祈はもうこの最終決戦で使っていた能力の大半を使用できなくなってしまうだろう。
けれども、それでも何の問題もないに違いない。
祈の戦闘経験はそのまま残るし、すっかり相棒となった風火輪も力を貸してくれる。
橘音にノエル、尾弐、ポチ。シロたち東京ブリーチャーズの仲間たちもいるし、何より。
何よりも強い力である、愛と勇気。それが今も祈の中には確かに息衝いているのだから。

《じゃっ、そーゆーコトで!
 これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
 世界の改変時期については追って沙汰する!
 おつかれちゃーん☆》

ぱっと表情をいつもの明るく能天気なものに戻すと、軽く右手を振って御前は姿を消した。
同時に目も巨大なモニターから元に戻る。

「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」

御前との交渉が成功に終わり、橘音がほっと息をつく。
と、バサバサと翼の音を立てながら西洋甲冑を纏った天使が上空から舞い降りてきた。
配下の天使たちを率いて悪魔の軍勢に抗っていたミカエルだ。

「終わったようだな」

ミカエルは東京ブリーチャーズに歩み寄ると、深く頭を下げた。

「今回のことでは、とても世話になった。
 天界を代表し、心から礼を言わせて貰おう……東京ブリーチャーズ。
 我々ではベリアル様を討伐することはできなかった、何もかも、貴公らにやらせてしまったな。
 本当にすまなかった。そして……ありがとう。感謝する」

「ええ……ミカエルさん。アナタも、お疲れさまでした」

「……そういえば。
 ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

橘音が鷹揚に頷いたのを見て、レディベアがおずおずと口を開く。
アンテクリストとの決着の際、祈とレディベアはベリアルを殺さないという意見で一致し、討伐の際にそう願った。
だというのに、周囲にはベリアルの姿も、妖気もない。
姦姦蛇羅のように無害な姿に転生したという訳でもない。本当に、この場にベリアルの痕跡は何ひとつなかった。

457那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:23:24
「わたくしは、最後に願ったのです。
 もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
 もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
 歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

そっと左手を胸元に添え、レディベアが言葉を紡ぐ。
最後の一撃を加える際、もうふたりの中から運命変転の力やブリガドーン空間を操る力は、
すっかり枯渇してしまっていたということなのだろうか?
そう、思ったが。

「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」

橘音がレディベアの顔を見遣って答えた。

「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
 それがどういう意味か。分かりますよね?」

ベリアルは死んだ。
だが『滅びてはいない』。
妖怪にとって、死とはすべての終焉ではない。滅びていない限り、妖怪はいつの日か必ず復活する。蘇る。
……だから。

「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
 そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
 ……『またお会いしましょう』ってね」

橘音はそう言うと、ぱちりとウインクしてみせた。
『絶対漂白領域(アブソリュートブリーチワールド)』によって時間が停止した際、
橘音は己の力と尾弐から託された力のすべてを滅びゆく師へと分け与えた。
通常、死した妖怪の復活には長い年月がかかる。強大な力を持つ妖怪ならば尚更だ、ベリアルほどの妖怪ならば、
その復活と再生にかかる年月は千年、二千年では済むまい。
しかし、誰かが妖力を分け与えるならば話は別だ。その分だけ復活に要する時間は短縮できる。
橘音が尾弐から譲り受けた力の使い道が、それだった。
そのため橘音は華陽宮にて修行の末に得た五尾としての力を喪失し、元の三尾に戻ってしまったが、後悔はしていない。
天羽々斬によって完全に漂白されたベリアルが、どのような姿で復活するかは誰にも分からない。
けれども、きっと悪い結果にはならないだろう。
祈とレディベアが使った最後の『そうあれかし』が、ベリアルの未来の幸福を願っていたのなら――必ず。

「さて――みんなが下で待ってます。
 そろそろ帰りましょうか!」

戦いは終わった。悪魔の軍勢は東京から完全に姿を消した。
であるなら、この場にいる必要はない。東京ブリーチャーズは全員が生きているのも不思議なほどボロボロの状態だ。
一刻も早く治療しなければならないし――地上では安倍晴朧ら陰陽寮の人間や、
富嶽たち妖怪の面々が結果報告を心待ちにしていることだろう。
マントを翻し、橘音は仲間たちを促すと先陣を切ってヘリポートから去ろうと踵を返した――が。

「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
 あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

突然、橘音は半狐面を両手で押さえると苦しげに身悶えし始めた。
その苦しみ方は尋常ではない。まるで顔面に濃硫酸でも浴びせかけられたかのようだ。
だが、それは誰かの攻撃を受けたとか、そういう話ではなくて。
むしろ、真逆の事態だった。
カラン――と乾いた音を立て、橘音の顔から半狐面が外れて床に転がる。

「……ぁ……?」

橘音は呆然と声を漏らした。
かつて、橘音は子狐ごんであった頃、猟師の兵十に鉄砲で右眼窩を撃たれて絶命した。
その際に負った傷が、今もなお残っている。その醜さを隠すため、橘音は片時も外すことなく半狐面を被っていたのだ。
けれども今、外れた仮面の中から現れた橘音の素顔に、悍ましい傷はなかった。
砕けた眼窩も、濁った眼球も、すべては存在せず。傷ひとつない綺麗な顔貌がそこにあった。

「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」

ぺたぺたと自身の顔に触れ、さらに召怪銘板の自撮りモードで傷がすっかり消えていることを確かめて、
橘音は歓喜の声をあげる。さらに尾弐の許へと走ってゆくと、今までずっと隠さざるを得なかった素顔を見てほしいとばかり、
彼の顔を見上げる。

「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
 ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
 ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

白濁し腐敗した右眼ではない、美しく輝く黒い瞳に大粒の涙を浮かべ、橘音は言った。
ベリアルが死んだことで、ベリアル由来の呪詛に近かったその傷も消滅したということなのだろうか。
それとも、御前が早くも世界線の改変に着手したということなのだろうか。正確な理由は分からないが――
兎も角、橘音の心と身体を長い間蝕んでいた傷は跡形もなく消え去った。

「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
 仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

橘音は嬉しそうに両腕を尾弐の首に伸ばすと、勢いよく抱きついた。




東京ブリーチャーズと東京ドミネーターズの抗争に端を発し、天魔七十二将の介入を経て、
最終的に東京二十三区のすべてを巻き込んでの大乱戦となった、対アンテクリスト――赤マントことベリアルとの決戦は、
こうして幕を閉じた。

458多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:11:55
 ノエル&ハクトコンビによる僅かな時間の停止、ポチの『そうあれかし』の後押し。
それにより祈とレディベアは、天羽々斬と龍脈、ブリガドーン空間、
全ての力を合わせた最大威力の攻撃を、アンテクリストにぶち当てることができた。
 アンテクリストは最後の足掻きとして、
第三の御業『大洪水(ザ・デリュージ)』で世界を道連れにしようとしたようだが、それもどういう訳か不発に終わった。
 結果的に祈たちは、辛くもアンテクリストを倒すことに成功する。
だが東京は壊滅状態にあり、祈にとっては全てが終わったとは言い難かった。
 だからこそ祈は提案する。
最も交渉をしてはいけない妖怪に、世界のリメイクを――。

 役目を終えた氷の籠手も溶け、ターボフォームから通常状態へ。
赤髪、金眼、黒衣からすっかり元の姿に戻った祈は、倒れたまま玉藻御前に呼び掛ける。

「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」
「タマちゃん」

 祈の呼び掛けに応じて、レディベアが展開させた目が変化する。
目を大きく見開いたかと思うと、巨大な四角いモニターのようになった。
その空中に浮かぶ平面のモニターには、楽しそうな様子の玉藻御前が映し出されている。
 やはり見ていた。

>《んっふっふふ〜、やっぱワカってた?
>まぁそりゃそーだよネー。いやいやっ、いやいやいや!いーもの見せてもらっちゃったよ、イノリン!
>アスタロトもオニクローも、ワンちゃんも!ノエルちゃんもシロぴもおっつー☆》

 パリピっぽい服装の御前は、愛らしい笑顔と拍手とでブリーチャーズの面々を労った。

>《で……、なんの用かなー?
>わらわちゃんを呼び出すってことは、何か用件があるってことでショ?》

 小首をかしげて可愛らしく問う御前に対し、
祈が提案したのは、『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』だった。

>「ちょっと!?」

 それを聞いて大きな声を上げるノエル。

「ま、相談しなかったのは悪かったなーって思ってるよ」

 祈が頼んだのは世界の改変だ。
御前にそれが可能だとして、祈が勝手に頼んで良いものではないのは確かだ。
だが、変えたい事象が過去になればなるほど、改変が難しくなることは予想できた。
救えるかもしれない命が救えなくなる可能性があるからこそ、相談する時間も惜しい。
今、交渉を持ちかける必要があったのだ。
 ノエルが声を上げたのは、御前に対する印象が、祈と同様に良くないこともあるかもしれない。
『最低最悪のクソ上司だわ!』とはノエルの言である。
世界でも指折りの力を持ち、頭が切れて弁が立ち、反りも合わない。
そして自分の主張を押し通す我の強さ。
世界のバランスを保つ立場にあるという枷がなければ、
理不尽が服を着て歩いているようなものだろう。
そんな妖怪に交渉を持ちかけたことにも、ノエルは驚いたのかもしれなかった。

>「……ええと。アンテクリストのした事を、なかった事にするって事?」

 祈の意図を確認すべく、ポチがそう問う。

「そう。前にタマちゃん、尾弐のおっさんと『過去を変える』って契約してただろ?
尾弐のおっさんが今を選んでくれたからその話はナシになったけど……、
妖怪はできない契約はしないから、タマちゃんにはできるんだよ。
アンテクリストのしたことを、なかったことにすんのが」

 祈はそう説明する。祈とレディベアが力を合わせて、
滅びかけた街も死んだ人も元通りに……なんてことができれば良かったかもしれないが、
そんなことができるほどの力は残っていなかった。

「つーわけで、タマちゃん。
できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
「メリットもいっぱいあんだぜ。
 東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。
それに――――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

>《ぬぁぁぁぁぁにィィィィィ〜〜〜〜〜?》

 先程までの可愛らしい声と表情をドスの利いたものに変えて、御前は祈に問い返す。
祈は意地悪く笑って、

「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

 そういって目を閉じた。
目を閉じたのは、単に疲れたからというのもあるが、“瞳術にかからないように備えたから”である。
幻を見せ、人を操る瞳術を、五尾たる橘音も得意としている。
その上位たる九尾、玉藻御前なら、この画面越しにもどれほどの技が使えようか。
 直接術をかけなくても、光情報だけで相手を操れるなら、ここで祈を操って前言撤回させることも、
レディベアの目越しに見ている者全員の記憶を失わせることも意のままだろう。
それを警戒したのである。

459多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:16:40
>「もう、祈ったら。とんでもないことを考えるものですわ。
>でも……ええ。それが一番いいと、わたくしも思います。素敵なアイデアですわ」

 祈とお揃いの髪飾りを付けたレディベアが、
祈と同様に疲れた声で言う。

「このままじゃ終われねーだろって思ってさ。
モノは知らないかもだけど、あたしら東京ブリーチャーズの任務は、赤マントを倒すことじゃない。
東京を守り抜くこと“だった”んだから」

 祈は目を閉じたまま、そう答えた。
 そう。アンテクリストを倒すのはあくまでも、東京を守るための手段に過ぎない。
オリンピック開催時期に最大となる龍脈の力。
それを奪われることを防ぎ、東京を守ることを目的に掲げて結成されたのが東京ブリーチャーズだ。
 だが結果はどうだ。
アンテクリストを倒しはしたが、東京は、東京の人々はボロボロに傷ついている。
 都庁の屋上からは、東京の様々な場所が見える。
祈の学校がある場所だってきっとズタボロで、クラスメイトや教師、知り合いだって死んだかもしれない。
 任務失敗のままでは、東京の人々を、愛する世界が傷付いたままでは終われない。
それに、レディベアが悲しむ姿は見たくなかった。
 現状を回復させる手段があるのなら、是が非でも食らいつかねばならないと祈は思ったのだ。

>「ちょーっと待った! アンテクリストって人類の歴史の最初から影響を及ぼしてきたわけだよね?
>あまりに影響が大きすぎない?
>例えば、昔アンテクリストのせいで死ぬはずだった人達が死ななくなったら
>もしかしたら今いる人達の殆どが最初から生まれてなかったことになる、かもしれない……」
>「だから、間を取ってこの最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線、とか
>出来ればもうちょっと遡ってここ最近のアンテクリストに起因する騒動が起きる前に倒された世界線とか……無理かな……」

 その言葉に、祈は「ん?」と首をひねる。
そして、目を開けてノエルの方を向いた。

「あれ? あたしが言ってんのと御幸が言ってるやつ、ほとんどおんなじだよ。
今日の最終決戦が始まる前に、戦いが終わる感じ」

 そしてそう補足した。
 祈が望んだのは、『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』だ。
 アンテクリストとは今日この日に誕生した終世主の名で、
その被害に遭わなかった世界線への移動ということは即ち、
アンテクリストが誕生した瞬間から滅びる瞬間までに与えた被害が喪失するということ。
 例えば、【赤マントは龍脈の神子の因子を発動させたが、その力を制御できずに自壊してしまった】
というような結末に塗り替えることによって。
つまりノエルがいう【最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線】と大体同じ意味となるのだ。
 祈は国家の名前のように、ベリアル時代、赤マント時代、アンテクリスト時代といった形で、
名前によって時期を分けて考えたために、言葉選びがああなった。
だがノエルはベリアル=赤マント=アンテクリストという同一存在として捉えていたため、
祈の言葉が正しく伝わらなかったが、どちらも間違いではない。
 結局、二人の指すところは同じなのだ。
 祈とて、ベリアル時代から数えて数万や数億ともなるであろう被害者が生きていたら、
歴史がぐちゃぐちゃになることぐらいわかる。
 本来結婚したはずの人が結婚しなかったり、結婚しなかったはずの人が結婚したり。
生まれるはずの命が生まれず、生まれなかったはずの命が生まれたりするだろう。
良くも悪くも大きく歴史が大きく変わる。
 そのぐらいは祈も分かってはいた。
 とはいえ。

>「……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ」

 尾弐は言う。

>「人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ」
>「どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ」
>「過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ」

 そして、諭すようにいう尾弐の言葉は、正しい。
過去の改変なんてものは、やってはいけないことなのだろう。
それは今を必死に生きる人々を踏み躙るようなものだ。
誰かを失ったり、とんでもない失敗をやらかしたりしても、人は生きていかなきゃならない。
 なかったことにできるなんて、そんなことはあり得ないから。
簡単に死ぬことなどできないから。

「でも――」

 祈は咄嗟に、尾弐を説得するための言葉を紡ごうとしたが、口が止まった。
尾弐がこんなときにどう言葉を続けるのか、なんとなくわかった気がしたからだ。

>「よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ」
>「ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ」

 そう。尾弐とは、こういう男なのだ。

>「……わー、そりゃすごいや。全然気づかなかったなー」

 ポチが笑いながら、そんな言葉を棒読みで言う。

「あははっ。あたしも気付かなかった。尾弐のおっさんこそ知ってた?
あたしも実は相当な不良なんだって」

 祈は、尾弐を弱いとは思わない。
ただ一人、外道丸を救えなかった自分と事実が許せずに、
全てをなかったことにしようと願ったのは、弱いというよりはあまりにも己に厳しい。
そして歴史を変えて外道丸を救うため、千年もの時を傷だらけで生きる背中は、あまりにも強く見えた。
 悪と血に塗れても誰かの幸福のために生きる、ダークヒーローそのままの尾弐の生き様。
それは祈に大いに影響を与える、尊敬すべき大人の姿そのものだった。
 幸せな人が増えるなら、自分が悪だとか弱いだとか臆病だとか。
そんなものはどうだっていいように思えてしまう。

460多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:20:41
 そして尾弐は、御前のモニターへと向き直ると、

>「――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!
>しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!
>つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!
>そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!」

 こんな風に御前へと求めてくれた。

>《はぁぁぁぁぁ!?
>ナニ言っちゃってんの、ソレとコレとは話が別――》

>「もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!

>《ぶっふ!?》

 そういえば御前は、『DJタマモとおひめちゃん』というコンビ名で、
Youtubeにチャンネルを持っているらしい。
 低評価がつきまくるのは、炎上商法としてはある意味成功ともいえるだろう。
一時的に再生数は爆上がりし、名前も売れるだろう。
だがYoutuberは人気商売だと聞く。
その後さまざまな活動に支障が出てくるので、長い目で見ればマイナスに違いなく、
短期的にも精神的なダメージは計り知れないだろう。
 迷うことなくチャンネルを人質に取る尾弐の『悪さ』に、祈は思わず笑ってしまった。

>「オッケー。そういう感じね」

 それを聞いたポチも悪い表情になり、

>「綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?
>こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー」

 そう加勢してくれる。

>《……何が言いたいのさ》

 と、問いかけておきながら、腕組みをして、胡乱な目でポチをねめつけている様子を見るに、
御前はポチの意図を理解しているようだった。
 おそらくポチの考えることも含め、悪い妖怪によるさまざまな悪行を考慮しているのだろう。
 祈にはポチの考える、悪い妖怪が閃くことが何かは想像するしかない。

(『妖怪の存在が公になったことだし、百鬼夜行しようぜ!』って言いだすやつが出るとか?
それとも鬼が国を作ろうとしてたみたいに、
『東京が弱ってる今がチャンス!乗っ取って妖怪の国を作ろうぜ!』みたいなやつが出てくるとか?)

 とか考えていた。
 なんであれ、御前にはその脅しだけで十分に効いたらしい。

>《ぐぬぬぬぬぬぬ……》

 と、いかにも追い詰められているような、悔し気な声を出す。

>「……御前。どうやら、ここは御前の負けのようですよ?」

 とどめを刺したのは橘音だ。

>「何も、千年前からの因縁を一切合切なかったものにして欲しいって言ってるわけじゃありません。
>ノエルさんが言ったように、ここ最近の騒動を収束する形で世界を改変してくれればいいんです。
>世界でも五指に入る力を持つ御前なら、そんなのお茶の子さいさい!朝飯前ってやつですよね?」

>《アスタロト、そなたちゃんまで――》

 部下の裏切りと煽りに、精神的に更に追いつめられているらしい御前。

>「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
>ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
>世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
>ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」

 畳みかける。

>《ぬぐぐぐぐぐぐ……》

 橘音の言葉に精神を揺さぶられながらも、頭の中でおそろしい速さで計算をしているのだろう、
 しばらく表情を忙しなく変えながら呻いていた御前だが、やがて。

>《……わかったよ》

 と諦めたように呟いた。
その答えを出すまでに吐いた溜め息は、あまりに長かった。

461多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:25:24
「ほんと!? ありがとタマちゃん! ありがとみんな!」

 祈は元気になり、仰向けに寝転がった状態から、がばっと上体を起こした。

>《正直な話……そなたちゃんたちには、いっぱいいっぱいキレイなものを見せてもらったよ。
>特に最後の、イノリンとベアちの放った天羽々斬の光。あれは……とってもキレイだった。
>もうウン百万年も妖怪やってるわらわちゃんですら初めて見る、あれは……うん。サイコーにエモい輝きだった》

 胡坐をかいて座りながら、祈は記憶を辿る。
 祈も一生懸命だったので感想を抱くだけの余裕はなかったが、
そういえば天羽々斬の剣先から放った光は、今まで見たことがない綺麗な光だった気がした。
空を裂いて、果たしてどこまで飛んだのか。
途中で消えているならいいが、宇宙まで行って星に激突してたりしないといいな、とか今さらになって思う。

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
>キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
>いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

「や、やっぱりなんかあんの!?」

 一瞬嫌そうな顔をして、ごくり、と祈は喉を鳴らす。
 御前のことだからどんな無茶を頼んでくるのかわからないと、身構えた。

>《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
>短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
>運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
>そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
>ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

 龍脈の力は、まさに神のごとき力だ。
特に運命変転の力はおそろしく、使いこなせば今後どのような未来だって選び放題だ。
他人の可能性を使っての運命変転をも覚えてしまった祈なら、
もはや願い事など叶え放題、人も助け放題かもしれない。
 だが。

「……え? いいけど、そんなもんでいいの?」

 祈はあっさりと承諾した。
 龍脈の力を使える資格は有益だが、あくまでも借り物の力。
巨大な流れが、自分を一時その資格者に選んだに過ぎない。
世界の維持や誰かの命を救うという目的のために使うためのものであって、己の私利私欲に使うものではない。
それと引き換えに東京を元通りにできるなら、安いものだった。

「ほら」

 祈は右手の甲を、御前が映るモニターに向けて翳した。
 未来は自分の手で切り開くべきもの。龍脈の力がなくても、誰かを助けるのなら自分でやる。
足りなければまた仲間や風火輪や友達の手を借りたり、その場で知恵を絞ったりすればいい。
 普通の人間と同じように。
 とはいえ。

(今までありがとな……龍脈)

 祈の右手に刻まれた龍紋が剥がれ、光の欠片となってモニターに吸い込まれて消えていく。
 きっと生まれた頃から祈に宿っていた資格。
 それが宿っていたからこそ、ターボババアは危険な戦いも許可してくれた。
かけがえのない友と出会い、母を救い、父に会い、愛する街を脅かす敵を倒せた。
……多くのものを齎し、祈の無茶を支えてきてくれたであろうそれ。
完全に消える前に、祈は感謝を捧げ、届くようにと祈った。

>《じゃっ、そーゆーコトで!
>これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
>世界の改変時期については追って沙汰する!
>おつかれちゃーん☆》

 そして龍脈の力を手にした御前は、モニターを閉じた。
きっと世界の改変作業の支度に取り掛かったのだろう。

「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」

 祈は、両腕を上に挙げて大きく伸びをする。

>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」
 
 橘音も、どこかほっとしたような口調で言う。
御前との交渉はそれだけ気を遣ったのだろう。
橘音もノリ良く煽ってはいたが、それが逆に御前の気分を損ねる可能性もあったのだから。

462多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:29:30
 一息ついていると、バサバサ、大きな羽音を立てて人影が下りてくる。

>「終わったようだな」

「あ、ミッシェル……」

 背に翼を生やした、美しい女性。
大天使ミカエル。今回は天軍を率いて助太刀してくれていた。
悪魔たちが撤退したので、こちらの様子を見に来てくれたのだろう。
 ミカエルは口を開き、

>「今回のことでは、とても世話になった。
>天界を代表し、心から礼を言わせて貰おう……東京ブリーチャーズ。
>我々ではベリアル様を討伐することはできなかった、何もかも、貴公らにやらせてしまったな。
>本当にすまなかった。そして……ありがとう。感謝する」

 という。
 その表情を見て、祈は複雑な表情になる。
確かミカエルにとって、ベリアルは恋人のような特別な存在だったはずだ。
その表情はベリアルの死を悲しんでいるようにも見えたし、
その言葉には、自分で決着を付けたかったという悔しさが滲んでいるようにも思えた。
 アンテクリストを直接倒した祈は、どう答えていいかわからず、言葉は出てこない。

>「ええ……ミカエルさん。アナタも、お疲れさまでした」

 ブリーチャーズを代表してそのお礼の言葉を受け取ったのは、橘音だった。
橘音にとっても、ベリアルは師匠という特別な存在。ゆえの、一瞬の沈黙だったのだろうか。
 ベリアルと特別な関係にあった二人が作る空気に、何も言葉を発することができない祈だが、

>「……そういえば。
>ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

 レディベアは違う。
レディベアにとっても、ベリアルは育ての父という特別な存在だった。
 だからこそ、この二人の間に入って質問できたのだろう。
ベリアルの迎えた最期について。

>「わたくしは、最後に願ったのです。
>もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
>もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
>歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

 祈は、レディベアの可能性を使って、最後の一撃に運命変転の力を込めた。
 『レディベアの望みが叶いますように』と願って発動させたつもりだが、
姦姦蛇羅の時のように、本当に転生したかどうかとか、そういうことを祈は感知できない。
 故に答えようもない。
 しかし、橘音は答える。

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
>それがどういう意味か。分かりますよね?」
>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
>そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
>……『またお会いしましょう』ってね」

 その言葉の意味を祈は理解し、安堵する。
 それはつまり、妖怪は死なないゲゲゲのゲ、ということで。
その心に力を渡してきたということは、きっと再会は早いだろう、ということだ。
 そしてその時こそ、ベリアルは心穏やかに、レディベアと話をしてくれるのだろう。
ミカエルとも、きっと。

463多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 18:26:19
>「さて――みんなが下で待ってます。
>そろそろ帰りましょうか!」

 踵を返し、ヘリポートから去ろうとする橘音。
 黒尾王に変化して大立ち回りを演じた割に、意外に元気である。
ノエルだって半透明だし、ポチももはや一歩も歩けないほどに消耗しているようだというのに。
事実、>「当分の間は、のんびりしたいね。一緒に」とシロに言った前後から、一歩も動いていない。
 祈にしても無理やり治して繋いだ体は限界だ。もはや全身が悲鳴を上げている。
 それでも、いつまでもここにいるわけにはいかないのだろう。
 世界が改変されれば、人が戻ってくる。
この不可思議な集団を目撃される。速やかに退散すべきだといえた。

「……せめてエレベーター直ってねーかな? あたしもう歩くのもしんどい……」

 そうぶつくさ言いながらも、祈はがくがく震える膝を抑えながら立ち上がり、
転がっている天羽々斬をひょいと持ち上げた。
 祖母も孫も、揃って神剣に対する扱いが雑である。
 レディベアがふらついているのなら、手やら肩やら貸して、そうして祈が橘音に続こうとしたとき。
 橘音が急に、

>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
>あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

 顔を押さえて呻きだした。

「橘音!?」

 アンテクリストの心に触れたとき、最後に呪いの類でも貰ったのかと、祈は勘繰る。
だが、カラン、と転がった半孤面。それに隠れていたはずの顔には。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」

 橘音の記憶の世界に入り込まなかった祈は直接目にしていないが、
本来橘音の顔の右側には、眼窩から髪の生え際まで伸びた、銃で撃たれた傷があったらしい。
 だが傷なんてものはそこにはなかった。
まるで元々、何もなかったかのように。
 橘音は自分の顔の状態を、召怪銘板に映して確認した後、尾弐の許へ駆けていき、

>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
>ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
>ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

 傷一つない顔を見せた。
 橘音がずっと隠し続けてきたコンプレックスの元だった傷。
それがなくなったことに、橘音は涙を流して喜んだ。

>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
>仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

 橘音は尾弐の首に手を回して抱き着いている。
テンション上がって、このままキスでもしそうな雰囲気だ。

(案外、アンテクリストからのお返しだったりして)

 祈は二人から視線を逸らして、空を仰ぎながら、そう思った。
 アンテクリストの心に触れたとき、尾弐と橘音は贈り物をしたという。
そのとき、アンテクリストがお返しとして、呪いごと持って行ってくれたのだとすれば。
 あり得ないことだが、そんな風に祈は思いたくなったのだ。

 ともあれ、これで戦いは完全に決着したと見ていい。
これできっと、ハッピーエンドだ。
 と思ったが。

>「ところでそれ……元に戻れるの?」

 ハクトが、ノエルの方を見て、ふとそう問うた。
 あまりにも自然にその場に半透明で突っ立っているものだから、大丈夫なものだと祈は思っていたし、
本人が辛そうではないので、冷気の妖怪や概念的な妖怪としてランクアップでもしたのかと思いきや。

>「さあ……戻り方が分からないんだけど」

 とノエルは能天気に返し、

>「さあって……!」

 その返答にハクトは頭を抱えていた。

「は? もしかして御幸、死ぬかどうかの瀬戸際なの……?」

 その様子を見てノエルの危機を察した祈は、ハクトに問い、回答を得た。
 祈も頭が痛くなるやら、眩暈を覚えるやら、
危機感を覚えるやら、能天気なノエルに脱力させられるやらである。
 今までの戦いは、誰も彼もが死んでばかりで、
今回こそはまたとないハッピーエンドの機会だと思っていたのに。
 ハッピーエンドはいまだ遠く。

「『未来永劫、君”達”の味方だ!』とかカッコつけといて……なに勝手に死にかかってんだバカァ!
カッパ先生の軟膏は……塗れるわけねーか。
橘音は……尾弐のおっさんと良い雰囲気だから邪魔できねーし。あーもう! 勝手に死んだら蹴るからな!」

 祈はそんな風に叫ぶ。
 今まで祈を支えてくれたノエルのことを、祈は悪からず思っていた。
それに寂しげな表情をしていたノエルを見たのも手伝って、戦いが終わったら仲を深める提案でもしようかと考えていた。
 具体的には、『これからはノエルって呼んでいいか?』とかなんとか言おうと思っていたのであるが、
そういった話はもう少し後のことになりそうである。

464御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:50:29
尾弐、ポチ、極めつけには橘音にまで畳みかけられ、ついに押し切られたタマちゃん。

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
 キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
 いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

>「や、やっぱりなんかあんの!?」

タマちゃんは願いを聞いてくれるらしいものの、交換条件があるという。
またとんでもないことを言い出すんじゃないだろうな!?と警戒するノエル。

>《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
 短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
 運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
 そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
 ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

>「……え? いいけど、そんなもんでいいの?」

祈はあまりにもあっさり了承したが、ノエルは内心複雑だった。
その内訳は、とりあえず命や体の一部をよこせとか言い出さなくて良かった、という安堵が三分の一。
祈なら必ず世の中をいい方向に変えていくのにその力を使えるはずだったと残念に思うのが三分の一。
が、そんな力を持ったままなら、またいつその力を利用しようとする奴らの陰謀に巻き込まれるか分からない。
だからこれで良かったのだとほっとしたのが三分の一だ。

>《じゃっ、そーゆーコトで!
 これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
 世界の改変時期については追って沙汰する!
 おつかれちゃーん☆》

>「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」

>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」

>「終わったようだな」
>「今回のことでは、とても世話になった。
 天界を代表し、心から礼を言わせて貰おう……東京ブリーチャーズ。
 我々ではベリアル様を討伐することはできなかった、何もかも、貴公らにやらせてしまったな。
 本当にすまなかった。そして……ありがとう。感謝する」

>「ええ……ミカエルさん。アナタも、お疲れさまでした」

ミカエルとアスタロト、ベリアルと浅からぬ縁があった者同士が言葉を交わす。
その短いやり取りの中には、ベリアルの憎き敵以外の顔を知らない他の者達には分からない万感の想いが込められているのだろう。

>「……そういえば。
 ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

いや、ベリアルが単なる敵ではなかった者がもう一人いた。
自らの策略のためだったとはいえ、レディベアにとってベリアルは育ての親だったことには変わりはない。

465御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:52:04
>「わたくしは、最後に願ったのです。
 もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
 もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
 歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
 それがどういう意味か。分かりますよね?」
>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
 そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
 ……『またお会いしましょう』ってね」

「そっか……最後まで頑張ってよかったよ。でもあの一瞬で!? やっぱりすごいや、橘音くん」

橘音の言葉を聞き、ノエルもまた胸をなでおろす。
ノエルとハクトが何もせずとも、レディベアと祈の最後の一撃自体は成功していたと思われるが、まさかそんな形で役に立ったとは。
ベリアルはノエルにとっては敵でしかなかったが、橘音にとっては敬愛する師匠で、レディベアにとっては育ての親だ。
そして祈は、たとえ親の仇であろうが転生を願ってしまう心の持ち主なのだ。

>「さて――みんなが下で待ってます。
 そろそろ帰りましょうか!」

「あれ、橘音くん。尻尾が三本に戻ってるけど大丈夫!? ポチ君、立てる……!?」

橘音は平然を装ってはいるが、しれっと尻尾の本数が減っている。
ポチに至ってはハクトが協力要請をしたときにはすでに少しも動けないという様子だった。
まだ動ける者が動けない者を支えたり抱えたりしつつ、撤退にとりかかる一同。
そんな時、突如として橘音が苦しみだした。

>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
 あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

「橘音くん!?」

半孤面が外れ落ちると――以前精神世界で目にした通りの、美貌が現れる。
が、そこにあったはずの痛ましい傷は、もうない。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」
>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
 ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
 ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」
>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
 仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

「良かったねきっちゃん……。
兵十の家に食べ物を持っていくように勧めたの、間違いじゃなかったって、やっと思える……」

466御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:53:43
尾弐に抱き着く橘音をしみじみと見ていたノエルは、ハクトに元に戻れるのかと聞かれ、危機感の薄い言葉を返す。
それを聞いていた祈が、ハクトに問いかける。

>「は? もしかして御幸、死ぬかどうかの瀬戸際なの……?」

「実体を手放して真の力を解放する技を使ったんだけど……すごく危険な技だったんだ。
雪女は仮初の肉体をよすがに存在を認識されている妖怪だから……」

二人の深刻そうな会話を聞いて、ようやく本人も危機感を覚え始める。

「えぇっ、もしかしてヤバいかな!? どうしよう!」

>「『未来永劫、君”達”の味方だ!』とかカッコつけといて……なに勝手に死にかかってんだバカァ!
カッパ先生の軟膏は……塗れるわけねーか。
橘音は……尾弐のおっさんと良い雰囲気だから邪魔できねーし。あーもう! 勝手に死んだら蹴るからな!」

「それは困る! ちょっと待って、気合で戻るから!」

騒いでいると、何故か深雪(半透明)が現れた。ノエルと二人(?)同時にイメージ映像が投影されている。
今は実体ではないので、姿が二人分出てくる事自体は在り得るのかもしれないが……問題は姿ではなく人格の分離の方だ。
最近は統合されていたはずの深雪が、分離している。

「戻り方が分からない? そりゃあここでは戻れぬぞ。再構築は雪山になる」

「そうなんだ? 帰ってくるの面倒だなぁ。あれ? 久々に人格が分離してる……?」

「クククク……あーはっはっはっはっは!! 待っておったぞこの時を……。
隙あらば乗っ取ると言ったであろう! 馬鹿め……すっかり手懐けたと思って油断したな!」

理想的なフォルムの悪役のような哄笑をあげる深雪。
肉体再構築のどさくさに紛れて主導権を乗っ取る算段らしい。

(でも! 運命変転の力で性質を変えられたんじゃないの!?)

《我が人類の味方へと転化した理由は知っておるだろう。
ならば祈殿が龍脈の力を手放した今、どうなるか――分かるな?》

(そんな……)

《祈殿は今や普通のターボババアの妖怪だ。我の猛威に晒されでもしたら只では済まぬだろうな》

「……」

どうやら深雪としては、祈が龍脈の力を手放したのが、お気に召さなかったらしい。
人の世で生きていく未来も一瞬夢見たが、やはり人の立ち入ること許されぬ冷厳なる領域を守る定めのようだ。
「君達を傷つけるわけにはいかないから一緒にはいられない」なんて言ったら、祈は必ず力尽くでも引き留めようとする。
そこでノエルは、ぞっとするほど涼やかな声音で告げる。

467御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:56:02
「心配しないでいい。すぐに雪山で再構築される。
でも……もう社会見学は終わりだ。王位を次いで雪妖界の恐るべき頂点として君臨するんだ」

妖怪は嘘はつけない仕様だが、誤解を招く発言は得意技だ。
そこで嘘ではない範疇で、出来得る限り嫌われるように言葉を紡ぐ。

「こうなってしまったなら仕方ないね。
僕は、大局的な世界の存続という目的達成のために龍脈の神子である君に取り入ったんだ」

これは実際に、深雪つまりノエルが人類の味方へと転化した理由あるいは口実であるので、別に嘘ではない。

「龍脈の力を手放してしまった君なんて、もう(ただの)好きじゃない」

「乃恵瑠……」

()内は霊的聴力を持つハクトにしか聞こえないであろう、微かな声。
人間界の契約書で、都合の悪いことをわざと超小さい文字で書くのと同じような手法だ。
これは、『何のためらいもなく龍脈の力を手放してしまった君が、ただの好きなんかじゃなくて大好き』という意味だ。

「もう、君(だけ)の味方なんかじゃないっ!」

これも、ついさっき“君の味方”じゃなくて”君達の味方”になったという意味だ。
もう時間切れらしく、ノエルの姿が消えていく。ついに音声すらも再生不可能になった。

(離れていても、ずっと、味方だから――
ハクト、もう耳も消せるでしょ? 僕の代わりに学校に潜入よろしく)

ゆえに、幸か不幸か――最後の言葉は、祈に届くことはなかった。

「よく言った我が器よ!
残念だったな元龍脈の神子……
おそらく以前貴様が修行をした辺りで再構築されるであろうがゆめゆめ連れ戻そうなどと思うでないぞ。
次に再構築された際には我が主導権を握っておる。今や単なる半端者の貴様など我の手にかかれば一捻りよ!
それに道中で遭難したりシロクマに襲われても只では済まぬからな! くれぐれも気を付けるのだぞ」

続いて深雪も妙に説明的な捨て台詞を残し、冷気の風となって掻き消えた。
……どう聞いても“来るなよ? 絶対来るなよ?”だった。
ハクトは暫し呆然とした後、悶えながら地面をごろごろ転がった。
ノエルと挙動が似ているのは、ノエルのペットだから仕方がない。

468御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:58:05
「もう! 君って妖怪は本当に……! なんでそうなるの!
ぼく、便利な使い魔じゃなくて単なる愛玩動物だよ!?
それにシロクマが出るのは雪山じゃなくて北極圏だから!」

ひとしきり転げまわると起き上がり、祈に申し訳なさげに告げる。

「祈ちゃん、ごめんね……。愛想尽かしたよね……。ぼくも愛想尽かしたよ。
もう乃恵瑠なんて知らない! 放置プレイしてやる―――――ッ!」

再び取り乱しかけたが気を取り直して続ける。

「……と言いたいところなんだけど飼い主の面倒を見るのはペットの責任だから。
乃恵瑠を連れ戻しに行こうと思うんだ。でも、ぼくだけじゃ力不足かもしれない。
それで、本当に申し訳ないんだけど……」

そこで何故か原型に戻るハクト。
単にタイミング良く力尽きたのか、作戦なのかは分からないが、白いモフモフのウサギがつぶらな瞳で祈を見つめる。

「祈ちゃん、前にお礼するって言ってくれたの、覚えてる……?
学校が休みの時にでも、一緒に来てほしいんだ」

いつぞやの姦姦蛇螺との戦いの時に置いてきぼりをくらった祈に、皆の居場所を教えたことの対価――
しおらしい態度で、しれっと切り札を切るハクト。
このウサギ、毛皮は白くても中身は真っ黒である。
妖怪にとって約束は絶対で、祈もクオーターとはいえ妖怪なのだ。

――ところで、深雪は本当に人類の敵に戻ってしまったのだろうか。
運命変転の力によって一度変えられた深雪の性質は、祈がその力を失ってもそのまま継続する、と考える方が自然な気もする。
よって、ハクトが乗ってくるのを見越した深雪による、なんらかの目的のための狂言誘拐という疑惑がここに浮上する。
深雪とノエルは同一存在なので、単なる家出とも言うかもしれない。
そんなものに強制的に巻き込まれた祈はたまったものではない。
しかし、ハクトは知らない。
以前ノエルの人格が消えようとしたとき、祈に
『あたしに断りなくまた勝手に消えようとしたら、次はこんなもんじゃ済まさねーから』
つまり言外に『次はボコボコにしてやる』と言われていることを!

469尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/08/04(水) 00:00:21
>綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?
>こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー
>「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
>ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
>世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
>ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」
>《ぬぐぐぐぐぐぐ……》
>《……わかったよ》

祈、尾弐、ポチ、橘音。
文字通り死力を尽くして力を行使したノエルを除く東京ブリーチャーズの面々によって畳み掛けるように行われた脅迫(こうしょう)と懐柔(せっとく)。
それによって御前はとうとう折れた。少なくとも、折れた様に見せてくれた。
実の所……御前は尾弐が何も言わずとも祈の願いを叶えてくれたと、そう尾弐は考えている。
高みから人妖を見下ろし享楽的な態度を見せる大妖怪ではあるが、根本的な所で善性に焦がれている事を長い間配下で働いてきた尾弐は知っているからだ。
無理を言われた事も無茶を命じられた事も数知れず。
しかしそれでも、絶死の捨て駒として扱われた事は一度として無かった。
だからきっと、最後には今と同じように

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。

こう言って願いを飲んでくれたのだと思う。
では、それを知っていて何故脅すような事を言ったのかと言えば
一つは、いつか今回の件で問題が起きた際に『ああ言われたから仕方なかった』と言い訳が出来るよう、御前の立場と面子を守る為。
そしてもう一つは――――長きに渡るブラックな職場環境への個人的な意趣返しであったりもする。

>「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」
>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」
「いや、流石に落着してもらわねぇと困るぜ。もう妖力どころかまもとな腕力すら残ってねぇからな」

そうして、御前との交渉が終わるのを見届けてから、尾弐は疲れたように息を吐く。
願いに対し祈の『龍脈の神子』としてのをが対価として求められた事については、惜しむ気持ちこそあれ納得はしている。
願いと対価の関係というものは、多すぎても少なすぎても災いを齎す。
尾弐と外道丸。ただ二人の過去に対する願いですら多大なる労力が必要としたのだ。
短い期間とはいえ世界規模の過去を操作するのであれば、それこそ運命を司る龍脈の神子の資格でもなければ釣り合わないのは自明の理だろう。

それに……子供は成長していく中で、いつかその背中に持っていた翼を失くすものだ。
そうして、自分の足で大地を踏みしめて歩いて行くのだ。

(……祈の嬢ちゃんは歩を進めたってのに、俺はこの後に及んでまだ割り切れねぇなんざ、笑い草だな)

470尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/08/04(水) 00:01:00
僅かに視線だけを動かし、やってきたミカエルの相手を務める橘音を眺め見る。
尾弐は橘音に対して彼女自身のベリアルとの決着を求めた。
その事自体は間違ってはいないと思っているし、そうすべきであったと信じている。
だが……正しさと優しさは別の物だ。
きっと。最後に語らず、何も決着を付けさせなければ可能性は残った。
例えば、ベリアルがその心の奥深くでは弟子としてのアスタロトを愛し慈しんでいたという可能性。
或いは、神が定めた運命に縛られ仕方なく悪を為していたのだという可能性。
けれど尾弐は、そんな優しさに満ちた可能性を摘み取った。橘音の/自分の為に。
そこに後悔は無い。けれど未練は有る。
もしもこの事が橘音の心に傷として残っていたら、自分はどの様にその痛みと向き合おうか。

しかし、そんな事を――――過ぎてしまった事を後ろ向きに考えていた尾弐の耳に、レディベアとミカエル。そして橘音の会話が届いた。

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
>それがどういう意味か。分かりますよね?」
>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
>そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
>……『またお会いしましょう』ってね」

「――――っ」

思わず漏れ出しそうになったソレを、尾弐は無理やり抑え付ける。
抑え付けたものは、笑い声。自身の矮小さを笑う声。

(ハ……馬鹿か俺は。橘音が前を向いてるってのに、ウダウダと情けねぇ。ああそうだ。そうだった)

確かに正しさと優しさは違う。
だが、優しさと甘さもまた違うのだ。
那須野橘音が正しい道を歩ききって、前を向き答えを出したというのに。
その背中を押した自分が迷ってどうする。

「……ま、アレだ。次見かけた時にまだ調子に乗ってやがったら、今度は原型が判らなくなるまで頬でもを引っ叩いてやるとするかね」

肩を竦め、困ったような笑みを浮かべ。自身と再会する事が無い事を祈りつつ――――けれど再会する未来も認めつつ。

>「さて――みんなが下で待ってます。
>そろそろ帰りましょうか!」
>「……せめてエレベーター直ってねーかな? あたしもう歩くのもしんどい……」
「あいよ、大将。あと、エレベーターは諦めろ祈の嬢ちゃん。どう見ても電気が通ってねぇ…………オジサンの腰、下まで持つか……?」

尾弐黒雄は前へ前へと歩を進める。
これは、一人一人の今を生きる者達がが手を伸ばして勝ち得た必然のハッピーエンド。

471尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/08/04(水) 00:10:30




だからこそ


>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
>あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

「な――!!? 橘音ッ!!!!」

尾弐は突如として蹲り叫び声を上げた那須野橘音に対して驚愕の声を上げた。
奪われて奪われて奪われて奪われて
理不尽に失い続けるだけの生を送ってきたからこそ、突然の出来事に真っ白になった思考の片隅で尾弐は思ってしまう。
また、大切な存在を――――掛け替えのない者を奪われるのかと。
背筋に這い寄る絶望を振り払うように、焦燥にまみれた表情で橘音へと手を伸ばし

>「……ぁ……?」

そして、カランという乾いた音が響くと同時に目を見開き、その手がピタリと止まった。
それは恐怖でも絶望でもなく――――純粋な驚愕によって。

尾弐黒雄は知っている。
狐面探偵、那須野橘音の仮面の下に刻まれている傷の存在を。
複雑に絡んだ因果の果てか、類まれなる呪詛が故か。
野狐から妖狐へと変性しても尚残されていた、顔と心に刻まれた深い深い傷。

その傷が――――消えていた。まるで、傷自体が漂白されたかの様に。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」
>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
>ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
>ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

「……」

何故、という疑問。不可思議な現象に対する警戒。
尾弐黒雄と言う男の人格を考えれば、本来、驚愕の次に訪れる感情はそういった類のものであってしかるべきなのだろう。

>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
>仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」
「……ああ……良かった。お前さんの傷が治って本当に……本当に良かった!」

けれど、尾弐黒雄が抱いた感情は、尾弐自身ですら意外な事に――――喜びであった。

那須野橘音の傷が治って嬉しい。
那須野橘音の心の重荷が消えて嬉しい。
那須野橘音が笑っていて嬉しい。
那須野橘音が未来に希望を持ってくれて嬉しい。

千年掛けて積み重ねてきた猜疑心や捻くれた大人の矜持は、橘音の笑顔を前にして単純にも霧散していた。
だがしかし。湧き上がる喜びの感情を抱きながらも、尾弐は言葉を続ける。
それは本心で、一人の男としての矜持で、今最も言わなければならない大切な言葉。

「……けどな、橘音。今のお前さんも綺麗だが――――俺にとって那須野橘音は、いつだって綺麗だったんだぜ?
 俺は、過去も今も今も全部引っくるめてお前を……那須野橘音を愛してるんだ。それはこれからもずっと。永遠に、だ」

勢いよく抱きついてきた橘音を、尾弐はまともに動く左腕で残った力を籠めて抱きしめ返す。
その表情は、みっともないくらいに優しい泣き笑い。
未来の話をすると鬼が笑う。鬼の目にも涙とは良く言ったものだ。

こうして、どんな強大な敵にも立ち向かい戦い続け、邪悪なそうあれかしすら統べて見せた悪鬼は、
愛する女に起きた奇跡に……那須野橘音の笑顔の前に、とうとう敗北したのである。



そして、二人の世界に入った男女が周囲の状況に気付かぬのは常の事
思考の片隅で、何やら大変な事になっているノエルと祈に対し謝りながらも、その腕はもう二度と離さないとばかりに、橘音を抱きしめる力を一層強くするのであった。

472ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:13:52
>《ぐぬぬぬぬぬぬ……》

「なーにを迷う事があるのさ?僕ら、東京を舞台に人狼ゲームなんてしたくないんだけどな〜?」

いつぞやのお返しとばかりに、ポチが笑う。

>「……御前。どうやら、ここは御前の負けのようですよ?」

更には橘音も、祈の願いを聞き入れてもらえるよう口を開く。

>「何も、千年前からの因縁を一切合切なかったものにして欲しいって言ってるわけじゃありません。
  ノエルさんが言ったように、ここ最近の騒動を収束する形で世界を改変してくれればいいんです。
  世界でも五指に入る力を持つ御前なら、そんなのお茶の子さいさい!朝飯前ってやつですよね?」

>「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
  ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
  世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
  ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」

>《ぬぐぐぐぐぐぐ……》

御前が呻き声を上げる――それから、ふと大きく息を吐いた。

>《……わかったよ》
>「ほんと!? ありがとタマちゃん! ありがとみんな!」

「……言い出しっぺは祈ちゃんでしょ。お礼を言うのは僕らの方だってば」

>《正直な話……そなたちゃんたちには、いっぱいいっぱいキレイなものを見せてもらったよ。
  特に最後の、イノリンとベアちの放った天羽々斬の光。あれは……とってもキレイだった。
  もうウン百万年も妖怪やってるわらわちゃんですら初めて見る、あれは……うん。サイコーにエモい輝きだった》

御前はいっそ吹っ切れたのか、なんだか清々しそうな語り口だった。

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
  キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
  いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

>「や、やっぱりなんかあんの!?」

「ちょっと……またそうやって後出しで――」

>《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
  短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
  運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
  そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
  ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

有無を言わせない口調――ポチが歯噛みする。
前回とは比べ物にならないとは言え、今回の代償もまたひどく大きなものになった。

>「……え? いいけど、そんなもんでいいの?」

「祈ちゃんも、そんな事も無げに……」

運命変転の力が失われるのは――危険なんじゃないか。
祈はこれから先も、きっとこれまでと同じように戦って、なるべく多くの誰かを救おうとし続ける。
そうしている内にまた、運命変転の力が必要な時が来るんじゃないのか。
そんな事を考えていた自分がバカらしくに思えて、ポチはもう一度溜息を零した。

473ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:15:12
>《じゃっ、そーゆーコトで!
  これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
  世界の改変時期については追って沙汰する!
  おつかれちゃーん☆》

ともあれ、これで戦いの後始末の目処も付いた。

>「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」
>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」
>「いや、流石に落着してもらわねぇと困るぜ。もう妖力どころかまもとな腕力すら残ってねぇからな」

「ええー、そりゃ不味いよ尾弐っち。尾弐っちの腕力なしに、僕らどうやってここから事務所まで帰るのさ」

冗談めかした口調。だが実際のところポチは本気でこう言っていた。
アンテクリストとの戦いは文字通りの出血大サービスだった。
体力、妖力は勿論、血液さえ足りていないのだ。
立ち上がるどころか、指一本動かす事さえ大変なのがポチの現状だった。

>「終わったようだな」

「あー……アンタも無事だったんだ。良かった。色んな意味で」

少なくとも、これで屋上から歩かず降りる事が叶うかもしれない。
それに、ミカエルはこの戦いに臨むに当たって強い使命感を抱いているように見えた。
危うさすら感じるほどに――それに関しては、今振り返るとポチに言えた事ではないのだが。
とにかく、そんな彼女が無事でいてくれてポチは嬉しかった。

>「……そういえば。
 ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

ふと、レディベアが呟く。

>「わたくしは、最後に願ったのです。
 もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
 もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
 歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

そうだ。レディベアは、そして祈も間違いなく、ベリアルがただ終わる事を望まなかったはずだ。
だが――ポチが鼻を鳴らす。ベリアル、或いは赤マントのにおいは嗅ぎ取れない。

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
  それがどういう意味か。分かりますよね?」

>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
  そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
  ……『またお会いしましょう』ってね」

「……そっか」

ポチはそう呟いて、目を閉じる。
ポチの中にある賢しらな部分が、首を傾げる。
あのベリアルの性根が、一回死んだくらいで治るのだろうかと。

「うん……僕らにボコボコにされて、いっぺん死んで。
 死ぬ間際にまた会う約束まで取り付けられた訳だ。
 いい落としどころなんじゃない?」

だが、そんな事は口には出さない。
代わりに、くすくすと笑いながら、そう言った。
ベリアルとは本当に色々あったが――もう全部過ぎた事だと。

>「……ま、アレだ。次見かけた時にまだ調子に乗ってやがったら、今度は原型が判らなくなるまで頬でもを引っ叩いてやるとするかね」

「あ、その時は僕も呼んでよね。追いかけ回して怖がらせるのは僕の仕事なんだから」

474ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:15:45
>「さて――みんなが下で待ってます。
  そろそろ帰りましょうか!」
>「……せめてエレベーター直ってねーかな? あたしもう歩くのもしんどい……」
「あいよ、大将。あと、エレベーターは諦めろ祈の嬢ちゃん。どう見ても電気が通ってねぇ…………オジサンの腰、下まで持つか……?」

「嘘でしょ尾弐っち。尾弐っちが手を貸してくれなきゃ、僕はどうやって立ち上がればいいのさ」

なんて事を言いつつも、ポチはどうにか体を起こそうとした――その時だった。

>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
> あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

不意に、橘音が悲鳴を上げた。

「橘音ちゃん!?」

ポチは咄嗟に駆け寄ろうとして、しかし立ち上がれずに倒れ込む。
せめて橘音を見上げる。彼女は半狐面を両手で押さえて、ひどく苦しんでいた。
何が起きているのか、何をすればいいのかもポチには分からない。
そして――橘音の半狐面が外れて、落ちる。

>「……ぁ……?」

「……あ」

半狐面の外れた橘音の顔から、あの傷跡がなくなっていた。
橘音の命を奪った傷。その存在に刻み込まれた醜悪な傷が――どこにもない。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」

それは、どんな理由でそうなったにしろ驚くべき事だった。
だが――ポチは、何も言わない。
喜びに打ち震える橘音に、何か言葉をかけようとはしない。

>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
  ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
  ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

けれども――無反応を決め込んでいるという訳でもなかった。
涙を浮かべて、しかし嬉しげに尾弐を振り返る橘音は、幸せそうだった――綺麗だった。
言葉も出ないほどに。

>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
  仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

決して、断じて見惚れている訳ではない。
が、そこには単なる美貌とはまた違った美しさと、尊さがあった。

476ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:34:57
>「……ああ……良かった。お前さんの傷が治って本当に……本当に良かった!」
>「……けどな、橘音。今のお前さんも綺麗だが――――俺にとって那須野橘音は、いつだって綺麗だったんだぜ?
 俺は、過去も今も今も全部引っくるめてお前を……那須野橘音を愛してるんだ。それはこれからもずっと。永遠に、だ」

橘音が尾弐に抱きつく。尾弐がそれを抱き返す。

「……良かったね、二人とも」

ポチが小さく呟いた。

「さて……これで、僕らが立つ為に手を貸してくれる唯一の候補者がいなくなった訳だけど」

それから少し声を抑えたまま、もう一度床に全身を預ける。全身の力を抜く。

「……ま、いいよね。もう焦るような事は何もないし。忙しいのも、これで終わり」

目を閉じる。

「それに……隣には君がいてくれる。もう暫くこうやって、のんびりしてても――」

>「は? もしかして御幸、死ぬかどうかの瀬戸際なの……?」

ふと、祈の声が聞こえてきた。ポチの眉間に小さくシワが寄る。

「……あー、前言撤回」

>「『未来永劫、君”達”の味方だ!』とかカッコつけといて……なに勝手に死にかかってんだバカァ!
  カッパ先生の軟膏は……塗れるわけねーか。
  橘音は……尾弐のおっさんと良い雰囲気だから邪魔できねーし。あーもう! 勝手に死んだら蹴るからな!」

「……それ、さんせー。勝手に死んでなくても、蹴りに行こうよ。やぁーっと、僕らもふたりでのんびり出来ると思ったのに」

ポチが気怠さに包まれた体を無理矢理起こす。シロに手を貸す。
ポチは、狼だ――犬ではない。
やっと掴んだはずだった望んだ未来をお預けされても、尻尾を振っているような犬ではない。
ポチは、もううんざりと言った口調とは裏腹に少しだけ楽しそうだった。
狼として、当然と言えば当然の事だった――なにせ、次の獲物が決まったのだから。


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