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458
:
Sorrowless
◆R34CFZRESM
:2011/08/16(火) 23:30:53 ID:sfOT/nK20
カタカタと全身が震える。
あの少年を撃ったときのようなテレビの向こう側のような感覚ではない。
撃てば目の前で春夏は肉片を撒き散らす。それが春夏の言う殺人への覚悟。
ささらは震える手を抑えて引き金に指をかけ、そして――
「もうやめましょうよ……最初から私たちに人殺しなんて無理だったんですよ」
ささらはがっくりと膝をついて項垂れた。
結局、そんな覚悟なんてできなかったのだ。
「あら、身勝手な言い分ね。私たちはもうあの男の子を殺したのよ? もう後戻りなんてできないわ」
「身勝手なことなんてわかってます! でも……これから誰かを殺すたびにこんな思いをしなきゃならないなんて私耐えられないっ!」
顔を両手で覆いささらはすすり泣く。
こんなことを続けていてはいつかは心が壊れてしまう。
大切な人を護るためにささらが持とうとしていた最後の矜持まできっと失ってしまう。
心を無くした鬼にはなれない。なりたくなんてない。
「あの人を殺したから気づけたんですよ……人を殺すことへの痛みと恐怖を。
そんな当たり前の事に気づくためにあの人を犠牲にしたのは身勝手なんてものじゃないのはわかっています……」
「それじゃあ私はどうすればいいの……? このみを失った私にはもう何も残ってないわよ……」
一粒の大きな雫が春夏の頬を伝う。
無理なのだ。春夏を支えていた柱はとっくに折れてしまっていた。
まだ何も失っていないささらの言葉なんて届くわけがない、そのはずだった。
「春夏さんっあなたは大人でしょ! お母さんなんでしょっ! だったらこの島で道に迷って泣いている子どもたちを護ってやるとぐらい言ってください!
道を踏み外しそうな子どもたちを優しく諭し見守っていてください! そして――
どうしていいか分からなくて途方にくれている馬鹿な子どもの私の手を握りしめて……私を抱きしめて……っ……ぁぁぁ……」
ささらは感情を爆発させて泣き崩れる。
その姿は道に迷って一人泣き続ける一人の子供の姿。
どうすることもできない運命に翻弄された一人ぼっちの子供の助けの声。
「ささ、らちゃん……」
459
:
Sorrowless(修正版)
◆R34CFZRESM
:2011/08/16(火) 23:32:20 ID:sfOT/nK20
春夏の最愛の娘は死んだ。無情にも死んでいった。
だがこの島には今もなお子供たちが悩み戦い殺し合い、そして助けを求めながら死んでゆく。
それを大人である自分が、母親である自分が何もしないで命を投げ出していいのだろうか。
否、いいわけがない。
なぜなら目の前の少女は泣いている。
今、一人の子供が助けを求めて泣いている。
それに手を差し伸ばさず何が大人だ。何が母だというのだ――
「ふふ……子どもに叱咤されるなんて私ったら親失格ね……」
くすりと微笑む春夏。
枯れ果て、色を失っていた瞳に光が舞い戻る。
まだ――私はがんばれる。
「春夏さん……もう少しだけ頑張ってみようかしら」
「春夏っ……さん!」
「ふふっ……どこまで頑張れるかわからないけどね」
その言葉だけでささらは十分だった。
彼女は自分に手を差し伸ばしてくれた。
「ささらちゃんに一つだけお願い」
「なんです――あっ……」
ふわりとささらの身体を包み込む春夏。
そしてぎゅっとささらの身体を抱きしめる。
「今だけ……今だけでいいから――あなたをこのみと思って抱きしめさせて」
今にも泣き出しそうな声で春夏はそっと呟く。
ささらはこくりと静かに頷いた。
「このみ……なんでお母さんより先に……あああっ……」
娘の死を受け止めてから流す初めての涙。
一度溢れだした涙は止まらない。次から次へと止めどもなく涙があふれ出す。
娘を失った悲しみ、そして背負った罪をその涙に乗せて――
「このみ……ううっ……ぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ……」
ささらは幼子のように泣きじゃくる春夏の髪を撫でる。
その表情ははまるで母親のように優しい微笑みだった。
460
:
Sorrowless(修正版)
◆R34CFZRESM
:2011/08/16(火) 23:33:14 ID:sfOT/nK20
■
泣き腫らした赤い目で春夏は立ち上がる。その瞳にはもう迷いは無い。
「もういいんですか?」
「ええ、もう十分。これ以上めそめそしてたらこのみに怒られてしまうわよ」
「春夏さんは強いですね……私が同じ立場ならきっと――」
「母は強しってやつかしら? ふふっ。でも、本当はささらちゃんのおかげ。あなたが手を差し伸べてくれたから、私はまた頑張れる」
「春夏さん……」
「さて……いつまでもここにいられないわね。こわ〜い女の子たちに私たちの居場所バレちゃってるもの」
「ちはやさん……戻ってきませんね……」
「そのほうが好都合よ、もうあの子と私たちは袂を分かったもの」
かろうじて春夏とささらは踏みとどまれた。
来ヶ谷唯湖と香月ちはやは違う。彼女たちを野に放ったけじめだけは取らなくてはならない。
それが春夏の唯一の――殺めた少年への罪滅ぼしだった。
「ところで……この銃どうしましょう? さすがに持ち運びは無理ですよ」
「そうね。ここに置いておくしかないわ。とりあえず弾だけ抜いておきましょう」
春夏たちは銃から弾薬を抜いてゆく。弾さえ無ければただの金属の塊でしかない。
「これでよしっと。ちはやちゃんが戻って来る前にスタコラサッサね」
「は、はい」
足早にテラスを下りて、色とりどりの花が咲き乱れた庭園を歩く春夏とささら。
庭園は月光に照らされて幻想的な光景を浮かび上がらせていた。
そして、その幻想の終点にある現実――二人の罪の証があった。
名も知らぬ少年の亡骸。彼女たちは彼を一瞥する。
二人はこの罪を一生背負うことを約束して新しい世界に一歩を踏み出した。
461
:
Sorrowless(修正版)
◆R34CFZRESM
:2011/08/16(火) 23:33:58 ID:sfOT/nK20
「二人とも、どこへ行くのかな?」
ふいに声をかけられた。にこやかな声色だった。
だがそれは二人にとって鉢合わせをしたくない相手――香月ちはやである。
彼女の手には先がぐにゃりと変形し、赤黒い物がこびりついた鈍色の鉄パイプが握りしめられてた。
「よくないなぁ、こういうのは」
「ち、ちはや……さん」
思わずささらの声が上ずる。
最悪のタイミングだった。口調こそ穏やかだが明らかにちはやは不機嫌そうだ。
当然だろう、彼女は最後の一人になるための手段としてささら達と仮初めの同盟を結んでいた。
それをこちらから反故にしようとするのだから――
「そんな気はしないでもなかったんですよ。特にささらさんは私や唯湖さんのこと苦手にしてる感じでしたから」
まあ唯湖さんはわからなくもないかな? あの人、私以上にビョーキですから。厄介なことになる前に始末しておきたいのは私だって同じ」
ちはやは一息吐いて話を続ける。
そして先ほどよりもやや強い口調で口を開いた。
「でもですね……私とささらさんに何か違いありますか? 私はお兄ちゃんのため、あなたも大切な人のためにと目的は変わらない。
そんなに木田さんを顔色一つ変えずにこれで殴り殺したことが異常ですか? あなただって木田さんを蜂の巣にしてるくせに」
「それ、は――」
自分と一緒にするな――
ささらは思ったが言葉にできなかった。
「ちはやちゃん、単刀直入に言うわ。私たちもう殺しはやるつもりはないの。だからこのまま黙って春夏さんたちを黙って行かせてくれたなうれしいなって」
「正直だなぁ。春夏さん。あなたのこと好きになりそうですよ。下手に誤魔化すよりよっぽど好感持てます」
「あらどうも」
「だけど、それはあまりにも身勝手すぎますね。娘さんが死んで早速心変わりですか?」
「そうなのよねえ……春夏さん正義のママに目覚めちゃったの。ま、正義と名乗るにはちょっと汚れちゃったけど。うふふっ」
春夏は頬に手を当て笑う。その言葉に嘘偽りは無く春夏の本心であることはちはやも嗅ぎ取った。
そのストレートな言動にちはやは苦虫を噛みつぶしたような表情になる。
本当に食えない女だ――唯湖と違ったタイプの飄々とした態度でやりにくい相手だった。
462
:
Sorrowless(修正版)
◆R34CFZRESM
:2011/08/16(火) 23:35:02 ID:sfOT/nK20
「でも、それって私への裏切りですよね?」
「そう思ってもらっても構わないわ」
「そんなこと私が許すとでも思っているんですか」
「あら? こっちは二人、ちはやちゃんは一人。どう見てもちはやちゃんのほうが不利だと思うわよぉ」
一触即発の不穏な空気が二人の間に流れる。
そんな春夏とちはやの様子にささらは気が気でならなかった。
しかし、口を挟むわけにはいかない。そうすれば余計にややこしい事態になるのは目に見えている。
ここは春夏の交渉術に任せるしかないのだった。
「そうですね。普通なら私のほうが不利です。でも――春夏さんたちは私を殺す覚悟まではないでしょう?
春夏さんはともかくささらさんはまだそういうのに抵抗持ってそうですから。でも私は違いますよ? 私は二人を殺すことに躊躇なんてしませんから」
ちはやは唇を歪め邪悪に微笑む。これまで二人の人間を無慈悲に殴り殺しているのだ。今更戸惑いなんてない。
今、戦えば確実に春夏かささらのどちらかは死ぬだろう。
「私、春夏さんのこと好きですよ。だからできれば考え直して欲しいなと思うんですけど」
「それはお断りするわ」
「そうですか――それは仕方ないですね」
交渉決裂――いや、元より交渉などできる相手ではなかったのだ。それをここまで引き延ばしただけでも十分だろう。
(さあて、どうやってささらちゃんを逃がそうかしら……)
春夏もささらも丸腰。一方ちはやは鉄パイプを持っていて、おそらくまともに扱えないだろうが大型の拳銃を持っている。
正直八方塞がりの状況だった。春夏の表情に初めて焦りの色が表れる。
そして――ちはやがにいと唇を歪めて鉄パイプを振り上げる。
だが鉄パイプは春夏には振り下ろされず、ちはやはくつくつと笑っていた。
「あら、ちはやちゃんもいきなり心変わりかしら?」
攻撃をしてこないちはやは春夏にとっても予想外だった。それでも春夏は表面上は余裕を装う。
春夏はささらを見るがささらは無言で首を振るだけだった。
463
:
Sorrowless(修正版)
◆R34CFZRESM
:2011/08/16(火) 23:36:33 ID:sfOT/nK20
「ふふっ、私の目的は最後までお兄ちゃんを生き残らせること。でもその前に私が死んだら意味ありませんから。だから私は頼りになりそうな人を探しているんですよ?
誰彼かまわず殺して回ると勘違いしては困りますね。今春夏さんたちを殺しても私にはメリット一つもないですから」
「へえ……意外と冷静な判断できるのね。もっと殺人狂な女の子だと思っていたわ」
「それは唯湖さんでしょう? 私にとって殺人は目的でなく生き残るための手段ですから」
「それで、ちはやちゃんは私たちを黙って見逃してくれるのかしら?」
「まさか、そうしたら私一人になっちゃうじゃないですか? 唯湖さんの他にも純粋に殺人を楽しんでる人がいるかもしれないのに一人で行動なんてできっこないですよ。
だから、私もお二人に同行させてもらいます」
ちはやの予想外の申し出にささらは困惑する。
こんな危険人物と一緒に行動なんて到底受け入れられるわけがなかった。
「春夏さん!」
「ささらちゃんなあに?」
「まさか……彼女の言うことを受け入れるつもりですか!?」
「ええ、そのつもりよ」
「そんな……っ」
ささらは絶句する。一体この人は何を考えているんだろうと。
「いい、ささらちゃん? この申し出はちはやちゃんの出来うる最大限の譲歩よ。これを蹴ったらどうなるかわかるでしょう?」
「さすが春夏さんですね。話が早くて助かります」
この申し出を蹴れば完全に交渉決裂。今度こそちはやは二人を殺しにかかるだろう。
春夏にとっては予想外の譲歩案をちはやが自ら持って来てくれたのだ。これに乗らずにこの危機を乗り切る方法は無い。
元々主導権はちはやが握っている。そのちはやが譲歩してくれるのであれば万々歳だった。
「一つだけ約束してちょうだい。私たちが生きてる間は殺人を犯さないと」
「もちろん約束します。私だってわざわざ敵を増やすようなことはしたくありませんからね。敵は敵同士でつぶし合ってくれるのが一番ですから」
「く……そんなこと信じられるわけが……っ!」
相手はすでに二人をも人間を殺害してる人間。
そんな人間がそんなことを言ってもささらにとって信じられるわけがなかった。
ちはやはそんなささらの態度を見ると呆れるような表情で肩をすくめる。そしてあからさまに見下した視線をささらに投げかけながら言った。
「ささらさんって聡明なように見えて、存外飲み込みが悪いんだなぁ」
「なんですって……」
「あなたが今、生きていられるのは誰のおかげかなぁ?ってことですよ。本当ならそこで転がってる木田さんのようになってもおかしくないんですから」
血で汚れた鉄パイプでささらの背後に転がる死体を指し示してちはやは嘲笑う。
464
:
Sorrowless(修正版)
◆R34CFZRESM
:2011/08/16(火) 23:37:27 ID:sfOT/nK20
「そういうこと。この場はちはやちゃんのほうが立場が上。春夏さんたちに拒否権はないのよね」
「わかり、ました……」
春夏にそこまで言われてはこれ以上食い下がっても意味がない。
ささらは渋々ちはやに従うことにした。
「話は決まったようですね。ではよろしくお願いします。ささらさん。至らない点は遠慮なく指摘してほしいです」
白々しい口調で挨拶し、わざとらしくぺこりと挨拶するちはやだった。
当面の危機は去ったが獅子身中の虫を飼う羽目になった春夏とささら。
春夏は仕方のないことだと割り切れていたが、ささらはまだ納得出来ていないといった様子だった。
「ところで一つ聞きたいことがあるんだけど」
「何ですか?」
「もしちはやちゃんよりも先に『お兄ちゃん』が死んでしまったらどうするの?」
「その時は私が生き残るだけですよ。少なくとも私の心の中で兄ちゃんは永遠に生きていられますから」
「はぁっ……最近の子って歪んでるわねぇ」
「褒め言葉として受け取っておきますよ。それと春夏さん」
「なに?」
「私からも一つだけ忠告。次に唯湖さんと再会したときは問答無用で殺しにかかってくださいね。彼女にこんな茶番劇通用しないと思いますから」
「あらあら、ちはやちゃんともあろう人が彼女を怖がっているのかしら?」
「ええ、怖いですよ? 見送ってる途中何度殺されると思ったか。彼女の姿が見えなくなるまでずっと、ずっと」
ちはやは純粋に唯湖に恐怖していた。
一見すると自分よりもまともに見える言動に見え隠れする底知れぬ狂気。
きっと再び会えば一片の慈悲も無く、嬉々として自分たちを狩りに来るだろう。
「だってあの人はバケモノですから。私と違って」
【時間:1日目19:00ごろ】
【場所:H-6】
柚原春夏
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】
久寿川ささら
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】
香月ちはや
【持ち物:鉄パイプ、フェイファー・ツェリザカ(4/5)、予備弾×50、水・食料一日分】
【状況:健康】
465
:
◆R34CFZRESM
:2011/08/16(火) 23:38:27 ID:sfOT/nK20
修正版投下完了しました。
この度はご迷惑かけて申し訳ありませんでした。
466
:
◆R34CFZRESM
:2011/08/16(火) 23:39:02 ID:sfOT/nK20
修正版投下完了しました。
この度はご迷惑かけて申し訳ありませんでした。
467
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:22:46 ID:oc4bCHTY0
それでは投下させて頂きます
468
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:23:13 ID:oc4bCHTY0
人間とは、儚き生き物だ。
そうは思わぬか、空蝉よ。
かの者達は常に身の程をわきまえぬ願いを抱く。
時には、我らが業の真似までして、生命の進化を促し、新たな命までも創造する。
されど。
人間達に与えられた力も時間も、我らからすれば実に小さく、実に短い。
それでも。
それでも汝は人を信じると言うのだろうな。
我が子ども達を愛しているように。
汝は子ども達を信じている。
それもまた、よかろう。
汝は我、我は汝。
我には理解できぬ想いであれど、汝の感情は我の願いに他ならず。
我の願いもまた、汝の想いと形は違えど同じものなのだから。
ああ、なればこそ、子ども達よ。
今を生きる人間達よ。
死しても尚抗う霊体達よ。
子ども達によって生み出された孫たちよ。
応えてみせよ、空蝉の想いに。
叶えてみせよ、我が願いを。
果たすがいい、原初の契約を。
さあ、今一度、汝らに言おう。
「――生きてみせろ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
469
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:23:42 ID:oc4bCHTY0
倒壊音が立て続けに背後より響く中、シルファ達は必死の思いで逃げていた。
追ってくる者もいない以上、逃げるという言葉を使うのはおかしいかもしれない。
あの時、あの場では、妥当な判断であった以上、戦術的撤退と呼んでも差し支えないかもしれない。
それでも、シルファからすれば、これは紛れも無い逃亡だった。
人間を護ると誓ったはずの身でありながら、人間に助けられ、あろうことかその恩人をおいて逃げた、ただの逃亡だった。
あの後。
立華奏、岡崎朋也両名が、いや、正しくは、立華奏が駆けつけてくれたこともあり、戦況は一変した。
音無と二人がかりをして圧倒された女傑、カルラを相手に奏は一人で互角以上に戦いを推し進めた。
それほどまでに、立華奏は強かった。
人ならぬメイドロボの身で言うのもおかしな話だが、否、人の叡智に作られたメイドロボだからこそ言える。
立華奏は人智を超えた存在だった。
無から有を創造するハンドソニック。
条理をねじ曲げるディストーション。
世界より身を浮かすディレイ。
垣間見たのは少女の手札のほんの一部だけだったが、それでも、シルファは断言できる。
如何なメイドロボにもあのような芸当はできないと。
その超越した能力を使いこなす立華奏は、こと戦闘面においては、自分はおろか、姉のミルファ、イルファすら追随を許さない存在だと。
分かっている、分かっているのだ。
「おい、良かったのかよ、あんた! あいつ、あんたの知り合いだったんだろ!? あーっと……」
「音無、音無結弦だ。奏から俺のことは聞いていないのか?」
「あいつ、あんま自分のこと話してくれなかったからさ。それに何だかよく分からねえことも言い出すし」
「……よく分からない、か。それでも、あいつの強さは分かってるだろ」
「まあ、な」
「なら、そういうことだ。あいつは絶対に、あのカルラってのには負けないさ」
音無の言葉は何も希望的観測に沿うものではない。
そのこともシルファには十分に分かっている。
カルラが全てを貫く矛だとすれば、奏は全てを弾く盾だ。
そう言い現せば、矛盾という故事のように結果は相討ちだが、カルラも奏も人間だ。
誰かに使われるのではなく、自ら動く、人間だ。
そしてその動くという要素にこそ、奏がカルラに負けないと言い切れる秘訣がある。
速さだ。
こと速さにおいて、奏はカルラを遥かに上回っているのだ。
それは、もし奏が身の危機に瀕しても、逃げの一手を打てば、確実に逃げ切れるということを意味する。
常人ならば、カルラに背を向けるなど自殺行為にすぎないが、奏なら、逃げ切れるまでの数発は、ガードスキルで凌ぎきれる。
そう判断したからこそ、奏のことをよく知る音無はもとより、不満を感じている朋也も、こうして逃げを選択したのだ。
ああ、だから。
だから。
今この身が切り裂かれん程に軋みを上げているのは、奏のことが心配だからじゃない。
護ると誓ったはずの人間に助けられ、あろうことか置いて来た我が身の不甲斐なさを恥じてのことだけではない。
要らないと、邪魔だと。
言外に訴えられたことが答えているのだ。
何度でも言おう。
シルファ達は逃げている。
奏の助力で優勢に立ったはずのカルラから、逃げている。
何故か。
普通に考えれば、奏と協力して立ち向かうべきではないか。
いくら奏が相性もあり優位に立てているとはいえ、カルラが強敵なことには変わらない。
ならばこそ、微力ながらも、助太刀すべきだ。
特にシルファはメイドロボだ。
人を助けることが本業だ。
元がロボサッカー用に設計されていたこともあって、ただでさえ高性能なメイドロボの中でも、運動能力は群を抜いている。
経験不足故にイルファほどではないが、それでも、カルラと紛いなりにも打ち合えた位だ。
援護の一つや二つはできるはずだ。
シルファ自身、そう思っていた。
思っていたのに。
470
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:24:03 ID:oc4bCHTY0
紛い物は紛い物で。
想像は幻想だった。
繰り広げられる英雄同士の戦いを前にして、シルファは打ちのめされた。
カルラにどれだけ手を抜かれていたのか、思い知らされた。
援護?
冗談ではない。
手助けどころか、余波から身を守るだけで精一杯で、それさえも出来なかった。
メイドロボの本業である、人間を護ること以前に、自分の身さえ、自分で守れなかったのだ。
シルファは恐怖と共に思い出す、彼女達が逃亡に踏み切った時の光景を。
絶大な防御技能と急加速力を誇る奏に対し、カルラは広範囲に大威力の攻撃を成すことで対処しようとしたのだ。
カルラが選んだ手段は、大質量攻撃。
具体的に言えば、ビル崩し。
持ち前の怪力で振り回した電柱による打撃と、トドメの一撃とばかりにビルを駆け上がって叩きこんだ蹴りで、奏に向かってビルの上層部を崩し落としたのだ。
だがそれさえも、奏にとっては対処可能な範囲だったらしい。
現に彼女は証明してみせた。
あまりの出来事に絶句して硬直していたシルファ達を、落下してくるコンクリートの塊から救うことによって。
あの時の自分は一体何をしていたのだろうか。
本来ならば、メイドロボである自分が、動くことも叶わない葉留佳達を護らなければならなかったのに。
咄嗟のことで動けず、護るはずの人間に救われて。
そして、そして。
『逃げて。私一人じゃ、護り切れない。あの人は、あなた達を庇いながら戦える相手じゃない』
邪魔だと、不要だと、言外に告げられたのだ。
それはシルファの被害妄想かもしれない。
奏は一言も、そんなことは口にはしなかった。
けれども、だけれども。
人を護ることを生業としているメイドロボを前に、天使の如き少女は言ったのだ。
私一人では、と。
シルファは、奏に護られる側ではなく、護る側の者だとは捉えられなかったのだ。
(私はメイドロボなのに。護るろころか、足を引っ張って。
護られて。……やっぱり私はらメイドロボなのれすか?
欠陥品なのれすか? 要らないのれすか?)
そのことが、呪いのようにシルファを蝕んでいく。
今でこそ、イルファの差金による河野貴明という主人を得たことで、シルファはある程度、メイドロボとしての自信と自覚を得た。
しかし、少女は元来、人と接するのが苦手という、メイドロボとして致命的な弱点を持っていた。
転じて、それ以外の能力には問題ないにも関わらず、シルファは自分ことをダメなメイドロボだとしてコンプレックスを持っていたくらいだ。
そのコンプレックスが、ここに来て、再び鎌首をもたげ出す。
いくら克服してきたとはいえ、生誕以来ずっと抱えてきた悩みは、そうそう完全に消え去るものではない。
加えて、追い打ちをかけるように、朋也が、音無へと問いかけてしまう。
「あー、なんだ。ところでだ、音無。お前、なんだかかなり奏のことに詳しいみたいだけどさ。
ちょっと聞きにくいことなんだが、奏はその、電波ちゃんかなにかなのか?」
朋也からすれば、奏を置いて逃げたことへの負い目をごまかそうという思いもあったのだろう。
或いは、信じたくない言葉だったからこそ、早く事の真偽を知りたかったのか。
だがそれは、苦しむシルファに止めをさして余りある、問いかけだった。
「俺達が既に死んでるって」
471
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:24:22 ID:oc4bCHTY0
は?
「な、何をいってるのれすか、岡崎さん。私達が、既に死んれ、る?」
「そうだよな、死んでるなんてんなわけねえよな。
そりゃあんな不思議な力を使えたら、中二病になっちまうのもしかたねえけどな。
はは、ははは。……おい、頼むよ、なんとかいってくれよ、なあ!」
始めは茶化すように、おちゃらけているような表情で、問いかけていた朋也の顔が、無言の音無を前に、徐々に焦りを帯びていく。
そして、僅かの沈黙を経て、音無は答えたのだ。
シルファには許容できないその答えを。
「……少なくとも、俺とその仲間達は、な」
知られてしまった以上、下手に隠していても悪い想像や憶測を呼ぶだけかと。
音無は自分が知るかぎりの全てを話してくれた。
自分が事故に巻き込まれ、既に死んだ人間であること。
記憶を失い死んだ世界へと紛れ込んだこと。
その世界と、その世界へと来る人間達のルールについて。
全部、全部、話してくれた。
あくまでも、この殺し合いに呼ばれるまではの話で、この殺し合いに参加させられている今の自分達や、他のみんながどうかは分からないと前置きはしていたけれど。
説明はつく。
ついてしまう。
覚えもないのに、突然にあのホールにいたことも。
ディーや奏、カルラといった人を超えた者が存在することも。
ここが死後の世界ならば。
自分達が死者ならば。
……自分達が?
一つの可能性に気付き、シルファが青ざめる。
そうだ、自分“達”だ。
名簿には、シルファだけでなく、ご主人様である貴明や、姉妹であるイルファ、ミルファ。
創造主である珊瑚とその姉達も記載されていた。
それは、つまり。
「ちょっと待って欲しいのれす。今の話からすれば、この名簿に載ってる人はみんなもう既に」
「……否定も肯定も俺にはしきれない」
言葉を濁す、音無。
「っ、嘘だろ……。そんなのって、ありかよ。けど、古河がここにいるってそういうことなのか?
身体の弱いあいつなら……。それでおっさんたちも後を追って。
けど、いくら何でも、おかしいだろ、俺の知り合い全員って!? そんなわけ、ねえよな……」
朋也は必死に自分を納得させようとしているが、そんなわけが有りうるのがシルファなのだ。
彼女の創造主、姫百合珊瑚は来栖川エレクトロニクスの新型メイドロボの設計も行っている程の天才だ。
無論、それ相応どころではない財産も所持している。
その頭脳にしろ、財産にしろ、悪意を持つ者達に命を狙われてもおかしくないのだ。
そしてもし、これが、その結果だったのなら。
この殺し合いに、姫百合姉妹と、彼女専属のメイドロボ、そしてご主人様と、ご主人様専属のメイドロボ二体、全てが参加させられているということは。
珊瑚も、琥珀も、貴明も、死んでいるかもしれないということは。
472
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:24:40 ID:oc4bCHTY0
(……私は、マモレナカッタ? ご主人様も、イルイルも、ミルミルも、珊瑚様も、全部、全部マモレナカッタ?)
がらりがらりと、何かが崩れる音がシルファの中で反響していく。
崩れ行くはレーゾンデートル。
人を護るという存在意義の元に成り立つ、メイドロボとしての自分自身。
嘘だと言いたい。
朋也のように否定したい。
でも、だけど。
直前まで、彼女の心を蝕んでいた呪いが、シルファに前向きな思考を許してくれなかった。
どころか、再発したコンプレックスと、誰も護れなかったというレーゾンデートルの崩壊が、螺旋を描き、悪循環を産んでいく。
ありもしないはずの悪夢が脳裏へと描かれていく。
(私が欠陥品らったから? 私が、イルイル達の足を引っ張ったから? それでご主人様が。巻き込まれて、ああ。
「ああ、い、い、いや、嫌、いっ」
遂に、悪夢が現実へと漏れで、悲鳴を型作りかけてしまう。
「お、おい、しっかりしろ! まだお前達までそうだと決まったわけじゃ!」
音無が咄嗟にシルファの肩を掴み、正気へと戻させようとする。
けれど、もう遅い。ここまで来れば後は叫ぶしかないだろという寸前で。
「あいやー、困ったなー。そっかそっか、はるちん死んじゃってたのかー」
シルファの悲鳴は場違いな調子の声で寸断された。
声の主はこれまでシルファに肩を貸されるままだった葉留佳だった。
「はる、はる?」
思わず、葉留佳の方を振り向いたシルファは、ぞっとした。
先ほどまでシルファが抱いていた恐慌、それを全て飲み干してしまうかの如く。
笑みのような何かを浮かべる葉留佳の瞳には。一切の光が宿っていなかったのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
473
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:24:56 ID:oc4bCHTY0
芳野祐介は春原芽衣にとってのヒーローだった。
熱く、強く、激しく歌われる夢と希望は、辛い時や苦しい時に、再び立ち上がる勇気を与えてくれた。
少女にとっては頼れる兄であった春原陽平が夢を捨て堕落してからは、より一層、芳野祐介の歌を心の拠り所とした。
幼き少女とて知っていた。
芳野祐介もまた、禁忌を犯し、夢破れて失墜した人間だということくらいは。
兄以上に荒れ、兄以上に壊れ、光り輝く舞台から追放されたということも。
知っていて尚、少女は、男の歌を心の支えとし続けた。
思い出の中に残る在りし日の兄の姿が、尚変わらず、少女の心を守ってくれていたように。
記憶媒介の中に残された男の歌は、いつまでも変わることなく、少女の背を押してくれた。
春原芽衣はそうやって、二人の男にずっと、ずっと、ずっと、守られて生きてきた。
守られていたからこそ、幼き心は、生きる苦しみにも負けずに真っ直ぐに生きてこられた。
なのに。
兄は、もういない。
芽衣が泣いていれば絶対に助けに来てくれた兄は。
少女が涙を流すよりも速く、この世から去っていた。
助けてと嘆いても助けに来てくれないはずだ。
兄は既に死んでいたのだから。
もしかすると、兄のほうこそが、妹に助けを求めていたかもしれなかった。
死の間際に、彼女の名前を呼んでいたのかもしれなかった。
ならば、これは罰なのか。
助けを求めるばかりで、兄を助けようとしなかった自分への罰なのか。
兄が後ろ指を刺された時に、すぐに助けに行かなかった罰なのか。
そのきっかけになった暴動事件を起こすほどに兄が追い詰められていたことに気付かなかった罰なのか。
……これが罰だというのなら、余りにも酷すぎるではないか。
呆然としたままだった芽衣は、いつしか男に腕一本で首から抱え上げられていた。
首筋に感じるのは研がれた鉄の冷たさ。
大人顔負けレベルに料理も嗜んでいる少女は、それが何かを知っていた。
誰に何をされているのか理解してしまった。
春原芽衣は、憧れの芳野祐介に包丁を突きつけられている
芳野、さん……
カタリ、カタリ、カチリ。
男の名を呼んだはずの口は、自らの意思に歯をかち鳴らし意味を成さない音を立てる。
「動くな」
言われるまでもない。
言われるまでもなく、動けない。
どれほど年齢の割にはしっかり者だとはいえ、芽衣はまだ中学生の少女なのだ。
刃物を突きつけられて、怖くないはずがない。
いや、それ以前に。
春原芽衣はこの現実を受け入れられず、未だ愕然としたままだった。
殺し合いなどという非現実に巻き込まれ。
凄惨な陵辱現場を目の当たりにし。
二度も眼前で人を殺され。
自分を守ってくれた人と、自分を絶対に助けに来てくれると期待してしまっていた兄の死を知らされ。
追い詰められていた芽衣にとって芳野祐介は最後の希望の砦だったのだ。
その彼が、あろうことか。
自身から兄を奪い、絶望の底に突き落とした人達と同じ“人殺し”だということを、信じられようはずがなかった。
信じたくなかった。
たとえしかと彼が人を殺す光景を我が目に焼き付けてしまっていたとしても。
心が受け入れられるはずがないのだ。
だからだろうか。
少女は泣くでもなく喚くでもなく、この期に及んでただ、自らを害そうとする男の歌が無性に聞きたくなった。
こんな時だからこそ、絶望の中で喘ぐ少女は、希望に満ちた男の歌が聞きたくなった。
474
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:25:23 ID:oc4bCHTY0
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「やーやー、参った参った。本当に参ったヨー。
メイドロボなんていうロマンな存在をこのはるちんが知らないなんてと思っておりましたが、そりゃあ天国産じゃあ知るわけもなく」
三枝葉留佳は笑っていた。
「おまけにさっきのあの子は天使さんということですかー?
うっはー、すげえぜ、天国! 美少女、いっぱいじゃねえかあ!
あ、でも、あのケモミミ野郎は獄卒っぽいってことは、もしやここは賽の河原!?」
けたけたと、けらけらと、乾いた音を立て、笑っていた。
「親よりも早く死んだ子どもは罰を受けねえとだめってことですかい。つまりはその罰が殺し合いっつうわけですな。知ってますヨ、はるちん」
可能性にすぎない話を受け入れて。
自分は死んだのだと決めつけて。
「三枝、お前……」
「お、おい、どうしちまったんだよ、何いってんだよ!?」
「はるはる……?」
何かを理解したかのように目を細める音無の声も、突然の変容に呆然としている岡崎とシルファも無視して。
「極卒達は、な、なんと! 積み上がった石を崩しちまうとか。
あれ、でもあの極卒さん、石どころか直接子ども達をぶっ殺そうとしてましたなー、こう、ぐしゃりと。
いやあ、賽の河原っつうよりも、もはや地獄じゃないですかー」
あーまたですかと。
いつものことだよねと。
自嘲と諦めを含んだ声で笑っていた。
「……死んでからも地獄だなんて、素敵過ぎるじゃねえか、このやろがーっ!」
呪詛と憎悪を込めてワラッテイタ。
「だいたいなんですか、それは? 親より先に死んだから罰だあ? またですか、そうですか、またあいつらのせいかよ!
その上名簿に載ってないってことは、あいつらは生きたままってことですか。子どもを生贄に捧げて逃げた親にはお似合いですなー」
生まれて間もない自分を見捨てて家を出ていった両親を。
「あ、でもでも。“あいつ”の名前が載ってるってことは、あいつも死んでるんだよね?」
自分から全てを奪った双子の姉妹を。
「……ざまあみろ。ほんといい気味! あははははは! えらそうにしていたくせに!
あたしより長生きできないんじゃ世話あないよねー」
ただただただただ嘲笑っていた。
けたけたと。
ケラケラと。
475
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:25:41 ID:oc4bCHTY0
「ね、そう思うでしょ、朋也くん?」
「な、何いってんだよ。なんでそこで俺に振るんだよ」
「さあ、なんでだろ。なんとなーっく、朋也くんなら分かってくれそうな気がして」
なんとなくはなんとなくなのだ。
理由なんてない。
理由なんて……理由?
ピタリと、葉留佳の狂笑が止む。
当たり前といえば当たり前過ぎる疑問に行き着いてしまったからだ。
「はて、なんでといえば、疑問が一つ。はるちん、なんで死んだんだろ?」
問うまでもなかった。
「……決まってるよね」
その問への答えこそ、葉留佳にとっては当たり前のものだった。
奪われてばかりの人生だった。
家族も、自信も、居場所も、存在価値も。
全部、全部、全部、三枝葉留佳は奪われ続けた。
過去の栄光に縋り、自分達の神を崇める愚かな血族。
彼らの傀儡たる姉妹により、葉留佳はずっと、ずっと、ずっと、奪われ続けた。
今回だってそうだ。
きっとそうなのだ、そうに違いない!
「私っからいつも何か奪うのは、あいつだもんね。あいつが、二見佳奈多があたしを殺したんだ」
二見佳奈多。
優秀な片割れ。
三枝葉留佳の比較対象。
全てが葉留佳より優ってるとされ、その結果、犯罪者の娘だというレッテルを一人、葉留佳に押し付けた、諸悪の元凶!
(あいつだ、あいつが殺ったんだ。全部あいつのせいなんだ。あたしは悪くない、あたしは悪くない!)
音無も言っていたではないか、死者の中には直前の記憶を失っている者もいると。
自分もそうなのだ。
ただ、忘れているだけなのだ。
だからこれは被害妄想なんかじゃない。
真実だ。
三枝葉留佳にとっては疑いようのない真実だ!
「そうだ、そうに決まってる。理樹くん達が死んでるのもそうなんだ」
三枝の家にいる時、葉留佳は学校に行くことさえも許してもらえなかった。
それが通学できるようになったのは、佳奈多が逃げた両親を探し出し、葉留佳を彼らに預け、三枝の家から追放したからだ。
別に感謝なんてしていなかった。
佳奈多にとっては単に三枝の面汚しである自分を追い出したかっただけなのだと葉留佳は踏んでいる。
ただ、それでも。
間違いなく、学校に行きだしてからの時間は幸せだった。
どこにも居場所がない家とは違い、学校には自分の居場所があったからだ。
リトルバスターズというありのままの自分を受け入れてくれる最高の仲間達さえできた。
楽しかった。
今までの人生の中で、初めて楽しいと感じられた。
楽しくてしょうがなかった。
なのに、なのに!
476
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:26:04 ID:oc4bCHTY0
「私から、すべてを奪うために、リトルバスターズのみんなを殺して、最後に笑いながらわたしの命を奪ったんだ」
今になって佳奈多は惜しくなったのだ。
気まぐれで与えたものが、予想以上に葉留佳を幸せにしてしまったことを妬んだのだ。
だから、全部奪うことにしたに違いない。
そう考えれば、リトルバスターズのメンバーが全員死んでいることにも説明がつくではないか。
腐っても、三枝家は地元の名士だ。
子どもの一人や二人、殺すことくらい容易いことだろう。
何よりも。
葉留佳が全てを失うことになったきっかけは。
佳奈多と比べられて育つことになった理由は。
異父重複受精だった自分達双子の父親が、犯罪者だったからではないか。
なら、ならば。犯罪者の娘ならば。人殺しくらいやすやすとできてもおかしくはない!
(はて? この理論だと、つまりはあいつが犯罪者の娘ということになるってことじゃあないですか。
そうだよ、やっぱり私じゃなかったんだ! 悪くなかったんだ! 悪かったのはあいつだったんだ!)
ようやく掴んだ真実は、けれど、葉留佳にとって今更のものだった。
だって彼女達は死んだから。
二人揃って死んだから。
「それで自分まで死んじゃってるってことは、りきくんや恭介くんが刺し違えてくれたのかな?
さすがりきくんです。偉い子偉い子なのですよ〜」
嬉しいことのはずなのに、ぼろぼろと涙が零れ落ち始める。
何度でも言おう、いまさらなのだと。
自分が犯罪者の娘じゃないと分かったところで、奪われたものは戻ってこない。
どころか、巻き添えにしてしまったと思い込んでいるリトルバスターズのメンバー達が、代わる代わる葉留佳の脳裏に現れ彼女を苛んでいく。
おまえのせいでぼくたちはしんだって
ぜんぶおまえがわるいんだって
おまえなんかいらないって
(ごめんなさいごめんなさい巻き込んじゃってごめんなさい
私のせいですごめんなさいごめんなさい全部私のせいですごめんなさい)
幻影の彼らにいくら謝れど、葉留佳の涙が神に許され酒に変わることはなかった。
真に望んでいたはずの人の輪にも、葉留佳はもう帰れない。
結局、三枝葉留佳は、どこまで行っても、死んでからでさえ、奪われ続ける宿命だったのだ。
「私、こんななら、こんななら――生まれてこなければよかった」
「……そうか、お前も、直井と同じで」
「へー、わたしみたいな人もその戦線の中にいたんだー。少佐、もう一つ証拠が増えましたぜ! やっぱりあいつがわたしを殺したんです!」
諦めと共に静かに呟く。
それを目ざとく聞きつけた音無は何か得心が言ったようだった。
どうでもいい。
自分と似た人間がいようが、そいつが今、どんな想いでこの地にいようが、そんなのはどうでもいい。
あれだけ求めていた居場所を失くしてしまった葉留佳に残されているのはただ一つ。
「あ、よくよく考えればチャンスじゃね、これ?
どうせ死んじゃってるけど、せっかくの機会だし。
あいつより先に死んじゃうのも癪だし。今度はわたしがあいつから……」
消える事無き、半身への恨みだけだ。
477
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:26:23 ID:oc4bCHTY0
「いいかげんにしろよ! 奪うとか、殺すとか!
偉いわけないだろが! 死ぬんだぞ、死んじまうんだぞ!?
偉いわけ無いだろが! 命を何だと思ってるんだ! それに、お前の命だって!」
「うるさい、離して!」
その恨みさえ、どうやら糞ったれな三枝の神さまは晴らさせてくれないみたいだ。
ぐらり、と葉留佳の身体が大きく傾く。
足を怪我し、一人で立てない身であるのに、肩を貸してくれているシルファのことを突き放す勢いで音無から逃れようとしたのだ。
葉留佳同様ありもしない罪に囚われ気力の削がれていたシルファは暴れる少女一人支えることもできず、突き飛ばされる。
それは同時に、葉留佳が支えを失うということで。
ぐしゃり、と。
少女は自らの流した涙で濡れたアスファルトの上に崩れ落ちた。
「はは、あれですか。負け犬には地を這い蹲る姿がお似合いってえことですか。
笑え、笑えよ、本家の連中みたいに。わたしを見下ろしてさ」
その痛々しい様に、誰もが言葉を失った。
何かを伝えようとした音無でさえ、一度強く唇を噛みしめると、視線を葉留佳から、倒れたシルファへと移す。
「シルファ、立てるか?」
「らいじょうぶ、なのれす……」
「そうか。だが三枝のことはしばらく俺達に任せろ。岡崎、もう片側を頼む」
シルファの無事を確認した音無は、今度は葉留佳の右側へとしゃがみ込み、肩を貸してきた。
ありったけの呪詛を出しきったからか大人しくなった葉留佳は、されるがままに、立ち上がろうとして。
気付く。
“左側”を任されたはずの朋也が、苦悩も顕に立ちすくみ、一向に葉留佳に“右肩”を貸そうとしないことに。
「岡崎、お前、まさか……」
「……っ、すまない、三枝、俺は、俺のっ」
「あーあー、いいんですよ、いいですよ」
何かに気付いた音無と、何かを伝えようとする朋也を遮り、再び葉留佳は乾ききった笑みを浮かべる。
そうして少女は言葉を吐いた。
それは、葉留佳にとっても、この場の誰にとっても、とびっきりの呪いの言葉だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
478
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:26:39 ID:oc4bCHTY0
芳野祐介はかつて、光の中にいた。
それは単に、多くのスポットライトやコンサートスティックに照らされていたということの比喩ではない。
愛を歌い、命を歌っていた祐介は、文字通り“光”だった。
絶望にくれる者達や、怠惰に沈む者達にとっては、生きる希望を与えてくれる“光”だった。
だが、当の祐介にとって、その“光”は強すぎた。
ある難病を抱えた子ども達の施設を訪れたことで、自分の歌がどれだけ多くの人の人生の支えとなっているのかを知ってしまった祐介は。
その重責に苦しみ、強すぎる自らの“光”に焼かれ出した。
それでも、祐介は歌を止めることができなかった。
彼が歌うのを止めてしまえば、あの子ども達のような多くの人間が、生きて行く希望を失ってしまう。
実際に一つ、彼が歌から離れようと休暇をとっていた時に事件が起きたこともあり、祐介は強迫観念に支配され、歌い続けた。
文字通り血反吐を吐く想いで支離滅裂な歌を歌い続け。
挙句の果てには歌を歌い続ける為に手を出した麻薬が元で歌えなくなり。
太陽に近づきすぎ、自らが太陽と化してしまったイカロスは、哀れ、羽を失い、地へと堕ちた。
けれども、それは、祐介にとっての救いだった。
彼を待ち続け、堕ちた心と身体を受け止めてくれた人が、地上にはいたからだ。
彼はようやっと、自分だけの“光”を見つけた。
それは昔彼を焦がし続けた“光”と比べて、本当に小さなものだったけれど。
祐介にとっては他の全ての“光”よりも大切な、ただ一つの灯火だった。
だから、だから。
この道を選んだことを、祐介は後悔していない。
護りたい“光”の為に、“闇”の道を行くことに、一切の躊躇はない。
神が何度も何度も皮肉な出会いを以てして問いかけてきても。
芳野祐介は揺らがない。
それがたとえ、自らが殺した少女の想い人を相手にしてでも。
在りし日の自分のファンで出会えてよかったと言ってくれた子どもを人質にとっても。
芳野祐介は揺るがなかった。
揺るがな、かった。
それを前にするまでは。
その瞳の奥に眠るものを垣間見る前は。
(くそっ! どこまで、どこまで俺を試すようなことをすれば、神様ってのは気がすむんだ!?)
湧き上がる感情を必死に押しとどめ、表面上は冷静を保つ。
祐介には、一時の相棒であるカルラのような卓越した武力はない。
電気工を職にしている以上、一般男性よりは体力があることは確かだが。
それでも、凡人の範疇である以上、数や装備の利で軽く覆される程度の優位性だ。
愛する人のために、死ぬ訳にはいかない以上、祐介は打てる手は全て打つことを選んだ。
その為に、恭介が怒りに囚われ、視野が狭くなった隙をつき、人質を取るという非道な真似もした。
しかしそれは失敗だったのかもしれない。
或いは、自らを好いてくれたファンの想いを裏切った罰だろうか。
少女の首をフックし、掲げ上げ、銃を突きつけたその時。
479
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:27:05 ID:oc4bCHTY0
「あ……」
僅かに響いた悲しげな女性の声。
それを追い、恭介の背に庇われるように立つ一人の少女と目を合わせた時、祐介は。
不覚にも、一瞬、小女以外の全てが、脳裏から消え去っていた。
それほどまでに、少女は、須磨寺雪緒が芳野祐介に与えた印象は、圧倒的だったのだ。
(なんて美しいのだろう)
少女を直視してあろうことか、祐介は第一にそう思った。
それ以外に雪緒のことを言い表すすべを祐介は知らなかった。
一線を退いたとはいえ、祐介は一つの時代を築き上げたアーティストだ。
その感受性は、恭介や木田姉妹のものとは段違いの良さだ。
故にこそ、ただ一目見ただけで、否、ほんの僅かといえど、雪緒が感情を揺らしてしまった声を聞いてしまったからこそ。
祐介は直感的に、少女の本質を悟ってしまった。
かつて、生きることを醜いこととし、醜いからこそ、美しいと感じたように。
(そして、なんて醜いんだ……)
祐介は雪緒を、雪緒を通して見た“死”の醜さを痛いほどに理解してしまった。
(さしずめ、彼女は死の天使といったところか?
なら俺はどうなんだ? 三人もの罪なき人々を殺めてきた俺は……)
自分がこれまでにもたらし、これからももたらすであろうものの醜さを、理解してしまった。
芳野祐介はかつて光の中にいた。
今は闇の中にいる。
そして、そしてその果ては。
かつて“光”に焼かれたように。
今度は“闇”に溺れてしまうのではないか。
“光”と対を成す“闇”のおぞましさを知ってしまった祐介を、新たな恐怖が襲う。
人は堕ちる時はどこまでも落ち続けるのだということはこの身で十分思い知っている。
誰かの為に“無理して歌った”あの時のように。
たった一人の為に“無理して人を殺している”今もまた失敗してしまうのでは。
恐ろしかった。
ただただ恐ろしかった。
あの時はまだ良かった。
失うのは芳野祐介の全てでことが済んだ。
だが今回は違う。
失うのは、我が身全てですら引換にしても足りない程のものだ。
愛する者だ。
ああ、そうだ。
そうなのだ。
たとえ他の全てがあろうとも、一番大切な人がいなければ、何も無いのと同じだ。
ならば。
ならば。
迷うことなどない。
恐れるものなど何もない。
たった一つの灯火をこの胸に抱き、“闇”の底だろうとなんだろうと。
大切な人を護るために、どこまでも深く、深く、堕ちてやる。
死神にだってなってやる。
(俺は、“光”でも“闇”でもなく、俺の“愛”を信じる……ッ!)
永遠にも思えた思考の闇から回帰する。
どうやら思ったほど闇に囚われていた時間は長くはなかったらしい。
一度強く、雪緒を睨みつけた後に、恭介へと注意を戻したが、変わった様子は見られなかった。
だが、これ以上、人質をとった上で、何も要求しないのでは、こちらに何かがあったと悟られるかもしれない。
そう判断した祐介は、デイバックを投げてよこすよう命じつつ、同時に、まだ答えが返ってきていない問を再び恭介へと投げかけた。
「もう一度聞く。あの子の最後の様子を聞きたいか?」
答えは言葉よりも雄弁な形で返された。
命令に従い祐介に投げ渡されたデイパック。
それが突然、火の玉と化し祐介を襲った。
480
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:27:27 ID:oc4bCHTY0
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
轟音が鳴り響き、巨大な建造物が崩れ落ちる。
朋也達が逃げるきっかけとなったようなビルによる圧殺を狙ってのものではない。
そんな手が通じる相手ではないということは、カルラは既に理解していた。
だから今回ビルが崩れたのはただの余波だ。
少女の鉄壁の防御を打ちぬかんと繰り出し続けたより大威力の攻撃の余波に過ぎない。
……いや、余波などという格好のつくものではないか。
これは残骸だ。天使を害そうとして成し得なかった哀れな破壊の使徒、その残骸だ。
「つくづくデタラメですわね、あなた」
ため息混じりにカルラが天使を賞賛する。
皮肉ではない、うんざりもしていない。
カルラはただただ、自分の攻撃を真っ向から受け止めきれる珍しい存在に感心しているのだ。
「……? えっと、ありがとう?」
派手に吹き飛ばしはしたものの、瓦礫を跳ね除け立ち上がって来た少女は案の定無傷だった。
いや、流石にカルラの改心の一撃を受けて無傷ということはなかった。
ただ、せっかく防御を突き抜けてつけた傷も、次に繋げる前に回復されたのは刻まれなかったのと同じだ。
(惜しい、ですわね。もう少しこの剣が頑丈ならもっともっと楽しめましたのに)
カルラは己の得物に視線を落とす。
彼女に支給された剣――エグゼキューショナーズソードは悪い得物ではない。
処刑用に作られただけあって、ただの一撃で首を落とすことを目的とした剣は、力の伝達効率の点で他の武具に抜きん出ている。
転じて、怪力を武器とするカルラにとっては相性がいい武器だ。
だが。
相性は良くとも、カルラに相応しい武器かと問われれば否だ。
脆いのだ。
首どころか、一撃で人間一人を木っ端微塵にするだけの筋力を誇るカルラにとって、エグゼキューショナーズソードは余りにも脆すぎるのだ。
恐らく、全力で振るえるのは一度や二度が限度だろう。
そして、その力の使いどころは、今ではない。
今ではないのだが……惜しいものは惜しいのだ。
(いけませんわね。武器のせいにするなんて無粋もいいところですわ)
せっかくの待ちに待った歯ごたえのある強者との戦いだ。
楽しまないで何とする。
全力で眼前の敵とぶつかり、そして勝利を主人に捧げるのみ!
武器を言い訳になどしない、させもしないとカルラは笑みを浮かべる。
対する少女もどこか楽しげなのを察し、ますます気を良くする。
カルラは笑顔のまま、今度こそ、その防御を突き崩してみせると剣を構え、少女に向かって駆け出そうとしてふと気付く。
そういえばまだこの少女からは名前を聞いていなかったと。
互いに全力で打ち合うのが楽しすぎて、すっかりと聞きそびれていた。
あれだけ大きな声で宣戦布告をしたのだから、こちらの名前は知っているだろうけれど。
自身の信念や誇りを述べる前口上や名乗りもまた、戦場の華だ。
これだけの腕のたつ相手を前にして、一方的に名を名乗りっぱなしというのは風情がない。
481
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:27:47 ID:oc4bCHTY0
「一つ教えてくださいな。わたくしの名はカルラ。あなた様はなんという名前でして?」
カルラは一度足を止め、剣をおろし、少女に名を聞くことにした。
「奏。立華奏」
少女もまた、剣を降ろして答えてくれた。
律儀なものだ。
こういう人物が相手なら、敵同士であれ、普段なら、一時戦いを中断し、酒を飲みかわせたものを。
正直にそう告げると、奏もまた、私は麻婆豆腐が好きらしいから一緒にどう? と場違いな言葉を返してきた。
本当におかしな人ですのねとカルラは更に笑みを深め、先ほど、シルファにもした問い掛けを奏へと続けて口にした。
「わたくしはあるじ様の為に戦っておりますわ。カナデの矜持はなんでして?」
「……矜持?」
「何のために戦うのか。あなたは何を願って剣を手にしているのか。そういうことですわ」
小首を傾げる少女に、カルラは易しく言い直す。
奏はそういうことと頷いて、どう言葉にするか迷っているかのように黙りこくる。
その様は歳相応以上に幼く見え、カルラは、既にこの世にいない者達を幻視した。
(可愛らしいお人ですこと)
そのまま待つこと数秒。
奏は話慣れていない口調ながらも、ぽつぽつと、静かに自らの願いを教えてくれた。
「わたしは、みんなに満足して欲しい」
「満足?」
「ん……。わたしは昔、動くのもままならない身体で、そんな時に、わたしを助けてくれた人がいて。
わたしは、満たされた。とてもとても、幸せになれた」
「……そうですの。あなた、可愛らしいだけでなく、いい子ですのね」
葬送の歌で送った一人の少女のことを思い出しながらも微笑むカルラ。
少女がカルラを相手に真っ向からのぶつかり合いに付き合ってくれていたのは、自分が楽しいからだけではなかったのだ。
強者と戦えることを喜びとするカルラの趣向を汲み取り、カルラが満たされるために全力で相手をしてくれていたのだ。
けれども、奏はふるふると首を横に振った。
「そうでもない。さっきは満足してもらえなかった」
「どういうことですの?」
「さっき、すごく強い人に戦いを挑まれた。負けた。
少しすっきりした様子だったけど、わたしがもっと強かったら卒業してくれたかもしれない」
どこかしょんぼりとする奏。
カルラは卒業の意味するところは知らなかったが、自分と互角レベルの奏でさえ勝てないであろう人物を一人知っていた。
「……その御方、ゲンジマルという名前ではなくて?」
こくり、と少女は頷く。
最悪の想像が的中し、カルラは僅かに顔をしかめた。
ゲンジマル。
最強のエヴェンクルガにして最強の武人。
カルラの父の宿敵にして、仇。
戦乱の世だ、父を殺したことをとやかく言うつもりはない。
エヴェンクルガはその驕り故に滅んだのだと、カルラは納得してさえいる。
それでも。
カルラにとつて最強の代名詞であった父に勝ったゲンジマルは、いつか超えねばならない壁だった。
奏を襲ったらしいことからも、あの男もまた、主君のために戦っているのだろう。
エヴェンクルガ族は“義”を貫く一族ではあるが、“義”には大義もあれば、忠義もある。
シャクポコルの先王に仕え一つの国を滅ぼしたくらいの男だ。
驚きはしない。
482
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:28:04 ID:oc4bCHTY0
(もっとも、同じエヴェンクルガでも、もう一人のほうがどうしてるかは、五分五分としか言えませんわね。
まあどちらの道を選んでいようとも、うっかりなことだけは変わらないは確実ですわ)
とはいえ、この付近にゲンジマルがいるというのなら、装備に不足のある今、逃げねば負けだ。
加えて、万一出会ってしまった時のためにも、体力の消耗は極力抑えるべきだ。
装備も、体力も万全の状態ですら戦って勝てる確率はごく僅かなのだ。
認めたくない話だが、未だ、思い出の中の父にさえ勝てない自分では、ゲンジマルにも届かないのが現実だ。
(仕方ありませんわね。もう少しカナデとの戦いも楽しみたかったのですけれど……)
カルラは戦いの継続を放棄し、撤退することを選ぶ。
相性上、決着がつくとすれば互いに一瞬ではあろうが、その一瞬を掴み取るまでは千日手になりかねない。
普段のカルラなら、望むところではあるが、今は状況が状況だ。
優先順位を間違えてはならない。
この身の全ては主の為に。
(それに、カナデの言うように“うっかり”満たされてしまっては浮気になってしまいますわ。
わたくしの体と心を満たしてよろしいのは、主様だけでしてよ?)
そうと決まれば話は早い。
こんな時の為に投げずにストックしておいた隠し玉をカルラは瓦礫の山より引き摺り出す。
この戦いの開幕時に、散々にカルラが弾幕がわりに投げはしたが、あれは、単に武器として使っただけでなかった。
祐介が、他の者達に脚として使われないよう、敢えて、カルラに提案し、自分達の分以外、街に放置されていた物を破壊させたのだ。
まあ処分方法をカルラに任せた祐介も、まさか、弾幕に転用されるとは思ってはいなかったろうが。
だが結果オーライだ。
いくら奏が生身の速度ではカルラに勝るとはいえ、バイクには追いつけない。
「待って!」
奏もそれを十分承知しており、手を伸ばし、カルラを制止しようとする。
戦闘を仕掛けた側としては、少し、悪い気もするが、背に腹は変えられない。
カルラは少女の願いを聞き届けることなく、バイクに跨り、発進させる。
無論、カルラにとってバイクは乗るどころか見るのも初めての代物ではあったが、大体の概要は祐介より聞いていた。
それに、カルラの気性的には、思うように行かない暴れ馬というのは、中々に好みだ。
下手に人間になついているウォプタルよりも上手く乗りこなせる自信はあった。
その自信に任せて、カルラは一気に、フルスロットル。
行かせないと奏もディレイで追いかけんとするも、ディレイは緊急回避用の技だ。
継続加速には向いていない。
ディレイの効果が切れ、見る見ると速度を落とす奏。
カルラはその姿をバックミラーで目にし、一度だけ振り返る。
「あなた、他の誰かではなく、自分の満足も求めないと、手遅れになってしまいますわよ?」
それは一騎打ちを不意にしてしまったことへのカルラなりの詫びか。
一人の女性として、一人の少女への忠告を残し、カルラは再び前を向く。
ミラーには、既に奏の姿はうつってはいなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
483
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:28:54 ID:oc4bCHTY0
「ちいっ!」
眼前に迫ってくる紅蓮の炎の塊。
舌打ちと共に、祐介は横に跳び、辛くも避けることに成功する。
炎の塊が地面に着弾。
祐介達の周りを紅く染め上げていいく。
(外れたが……それでいいんだ!)
恭介は投げ込んだ火の玉の原因、お手製の火炎瓶が外れた事に落胆はしない。
元々、当てるつもりで投げた訳じゃないのだから。
芳野祐介が見せた隙、隣に居た雪緒の瞳に呑まれていたその隙を狙ったのだ。
当たりはしなかったが、結果として祐介が見せた隙は、更に大きくなり、
「喰らえ!」
恭介は蓋が開いたペットボトルをオーバースロー気味に祐介に向かって投げ込む。
デイバックに仕込んだ火炎瓶が外れることを予測し、前もってデイバックから抜いておいたのだ。
「見えついた手を!」
それさえも祐介は避けてしまう。
祐介は、恭介が人質である芽衣を奪還しようと考えているのだと思い、警戒していたのだ。
だからこそ、恭介が追撃してくる事も予測し、簡単に避けられた。
投げ込まれた水は、周囲の炎を少しだけ消火し、しかし、直ぐにジュッという音と共に蒸発する。
「……今だっ!」
そう、この時を香月恭介は待っていた。
火炎瓶を避け、ペットボトルの水を避けた後に出来る、この光景を。
芳野祐介が投擲物を避け続けた結果、どうしても生じてしまった隙と“距離”。
先程まで、祐介の足元の傍にあった志乃の遺体とデイバックが、今はもう祐介の傍から離れていて。
恭介の本当の狙いはそこにあった。
志乃の遺体の元へと駆け出していく。
もう二度と、取りこぼさない為に。
「……まさかっ!?」
ようやく祐介は、気付く。
駆け出した恭介の狙いに。
志乃の遺体の傍に転がっていた物の正体に。
ハリセンや名簿を媒介に燃え広がった炎に焼かれ、顕になった彼女のデイパックの中身に。
紅蓮の炎の中、白銀に光る銃――SIG GSRに。
祐介はすぐさま、銃口を芽衣から逸らし、黒鉄の銃を恭介に向ける。
「やらせはしない……芳野祐介ッ!」
484
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:29:35 ID:oc4bCHTY0
だが、もう遅い。
祐介と同じように、恭介もまた掴み取った白銀の銃を祐介に向けていた。
ペットボトルの水でいくらか鎮火された炎の中から拾い上げた銃をしっかりと握り締めて。
祐介から、一瞬たりとも視線を外しはしない。
紅く染まる中、二人は銃を突きつけ合い。
「あいつの……明乃の最期が聞きたいかと言ったな?」
そして、恭介が吐き出すように呟く。
脳裏に浮かぶのは、明乃の姿。
長い間、一緒に居続けた幼馴染。
とろくて、受け身な少女。
きっと、この殺し合いでもそうだったに違いない。
それはどこまでも推測で、明乃を殺した祐介のように事実を知っているわけじゃない。
「そんなこと…………」
けど。
けれど。
けれども。
「―――――そんなこと、お前に言われなくなったって、解かるさ!」
おっとりとした、明るい笑顔を。
ずっとずっと笑っていたあの子は、
「ずっと、傍に居たんだから……解かるよ……そんな事はっ!」
ずっと、傍で、笑って、恭介を想っていてくれたのだ。
そういう子だから、そういう子だったから。
きっと、この殺し合いでも、そうだったのだと言い切れる。
「誰がお前なんかに聞いてやるものか!
お前は、あいつの何を知ってるんだ!」
ああ、そうだ、そうだとも。
聞くまでもない。
変わらない、変わりはしない。
明乃から恭介への想いも。恭介から明乃への想いも。
芳野祐介“如き”に変えられはしまい!
「俺は、俺は、俺は! 知っている、知っているんだ!。ずっと傍らにいたんだ。いてくれたんだ!」
想いが、廻って、廻って、廻り続けて。
恭介は、哀しくなって、明乃への思いを叫びに変えていた。
身を引き裂かれるような、恭介の切ない叫びが響く。
泣いていないのに、泣いているみたいで。
そんな恭介を見つめていた祐介は、表情を変えずに、言葉を紡ぐ。
「なら……俺が憎いか? 許せないか? 復讐したいか? 香月恭介」
折原明乃を殺した芳野祐介を香月恭介はどう思うのか、問いかけてくる。
「そりゃあ……許せないさ、悔しいさ……けれど!」
頷きたい気持ちもあった。
消え切れない怒りもあった。
だけど。
恭介は、一瞬だけ、儚げな少女を見る。
吸い込まれそうな瞳が其処にはあって。
「護らなきゃいけない人達が居るんだ、護りたい人達が居るんだ!」
恭介はその瞳に吸い込まれないくらいに強い、強い意志を込めて、拳銃を握っていない手を振るって叫んだ。
「もう懲り懲りなんだよ。誰かを護れないのも、誰かを奪わるのも!」
485
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:29:53 ID:oc4bCHTY0
何よりも護りたいのだと。誰かの命を奪うのではなく、護りたい人達を護り抜きたいのだと。
思いの丈を、恭介は祐介に強くぶつけていた。
その叫びに、祐介は、遂に気付く。
二人の少女から銃口が外れたこの構図こそが恭介の真の狙いだったのだ。
芽衣だけを救うのではなく、銃を手にし復讐を遂げるのでもなく。
“二人の少女”を護る、その願いに命を賭け、恭介は相打ち覚悟で立ち向かってきたのだ。
今も恭介は、雪緒を背で庇うようにじりじりと動き始めていた。
祐介はそれを見て取り一言だけ呟く。
「そうか」
その顔には、僅かながら笑みを浮かべていたけれど。
「なら、護りきれ。どんな手を使ってでも。どんな罪を重ねてでも。男なら、愛した女“一人”だけは護りきれ」
告げられたのは切なくも冷たい言葉。
何もかも振り切ってしまった哀しい男の残酷すぎる忠告。
恭介に嫌な悪寒を走らせる、“一人”という言葉を強調したメッセージ。
「それが、もう戻れない先達から、唯一若いお前に贈れる言葉だ」
それだけを言い切って。
芳野祐介は先程と同じように表情を消して。
銃口を向け合っているこの状況にも関わらず、後ろを振り向き、僅かに背を向ける。
銃に無防備な背を晒すというあからさまな隙を作る予想外の行為に、混乱する恭介。
だが、祐介の振り向いた先を祐介は直ぐに目で追い、相手の思惑を察する。
祐介が見つめる先、其処に青い髪をした少年が迫ってきていた。
少年の表情が強ばり、不信の視線が“他人に銃を向けている恭介”を射ぬく。
「気をつけろ、岡崎! こいつらが、春原芽衣を!」
止めとばかりに咄嗟の嘘をつく祐介。
抱えていた芽衣の気管を咄嗟に締め上げ、黙らさせた上での念の入りように恭介はしてやられた。
よりにもよって青い髪の少年――朋也は芳野祐介の知り合いだったのだ。
しまったと思うも時既に遅く、恭介に向かって勘違いに惑わされ、怒りに駆られた朋也が突っ込ん来る。
繰り出された朋也の拳をなんとか避けるも、恭介は見た。
目の前で祐介の唇が動くのを。
「言ったはずだぞ。どんな手を使ってでもと」
声なき声は、確かに恭介の心へと突き刺さった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
486
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:30:13 ID:oc4bCHTY0
朋也達は逃げていた。
重い沈黙を抱かえたまま、逃げ続けていた。
カルラからか。
違う。
自分達が死んでいるのなら、自らを殺しに来る人間から、逃げる意味なんてない。
逃げているのは、足を止めることからだ。
足を止め、事態を整理し、事実と向き合うことを恐れ、朋也は走り続けていた。
シルファが足を止めないのも、朋也と似た理由からだろう。
音無は、彼らの心中を測り、何も言わずについてきてくれている。
彼に肩を貸され、連れていかれている形の葉留佳は、ぶつぶつと虚ろな視線で何事かを呟いている。
なんて言っているのかは途切れ途切れにしか聞こえない、聞きたくもない。
だけど否応なしに耳を掻きむしる葉留佳の怨嗟は、朋也の心にも徐々に徐々に影を落としていく。
犯罪者。逃げた親。あいつ。奪った。
(違う、違う、違う! 俺は死んでいない、殺されてもない!)
耳を抑え、眼を閉じても、一度絡みついてきた呪詛は、その侵食を止めようとはしない。
葉留佳が紡いだ最悪の妄言の種が、朋也の中で発芽し、根を貼り出す。
(けど、だけど、万一、俺が死んでいたとしたら。未練を抱かえて死んだのだとしたら、それは、それは、それは!)
音無の語った死後の世界。
それは誰しもが訪れる場所ではないという。
極稀に起きる例外を除き、この世に未練を残した者達だけが、集まるという。
未練。
その言葉に、その感情に、朋也は心当たりがあった。
いや、心当たりなどという生やさしいものではない。
死ぬまでもなく、朋也には、生きているうちから抱えている未練があったのだ。
バスケ――いや、親父だ。
仕事ばかりの父にかえりみられない寂しさを埋めるように、中学生時代、朋也はバスケ一本に打ち込んでいた。
もとから運動神経はいいほうだったし、努力することも嫌いではなかった。
自分の腕がぐんぐん上がっていくのを実感していくことは楽しくもあり、その度にバスケのことも大好きになっていった。
何よりも、バスケの世界で活躍し、自分が注目されるほど有名になれば、父も自分を見てくれるかも知れない。
すごいな、偉いなと褒めてくれて、それがきっかけで父と子の関係を遅まきながらも紡げるようになるかも知れない。
そう信じていた。そう願っていた。願うだけでなくそれに見合うだけの努力もした。
幼いながらも人生の全てをバスケに打ち込んでいたとさえ、臆面も無く言えるほどにだ。
その甲斐もあって、中学3年生になる頃には、将来を期待されるまでの実力を身につけることができた。
大人たちにも認められ、進学校にバスケの推薦入学をもらうこともできた。
嬉しかった。
父と同じ、大人たちに認められたのだ。
あと一歩、あと一歩で、父にも認めてもらえる。
そう思ってた。そう信じていた。
現実はそうはならなかった。
岡崎朋也は裏切られた。
夢も未来も打ち砕かれた。
他ならぬ父の手によって。
バスケプレイヤーの命である、右肩を故障させられるという形で。
父との仲がどうなったかは言うまでもないだろう。
息子の未来を奪ったことを後悔して、父が歩み寄ってくれたのなら、まだよかった。
未来は失いはしたが、ずっとずっと心の底で求めていた父親の愛を得るという夢の方は叶ったと言っても良いのだから。
でも、夢は儚く消えるからこそ夢なのだ。
父は、岡崎直幸は、心の弱い人間だった。
自らが息子の未来を奪ったという自責の念に駆られた末に、息子に対し他人行儀な振る舞いをするようになったのだ。
自分に父親である資格がないと踏んだからか、或いは、他人のように振る舞うことで“息子の”未来を奪った呵責から逃れようとしたのか。
朋也には父の心情は全く分からなかったが、そんなこと、どうでもよかった。
父は、自分の家族であることを辞めたのだと。
その絶望的な事実が変わらない以上、理由なんて、知ったところで意味なんて、ない。
487
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:30:41 ID:oc4bCHTY0
“朋也くんなら分かってくれそうな気がして”
“朋也くんなら分かって”
“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
(黙れ、黙れ、黙れよ、おやじ! やっぱり、あんたなのか!? あんたが、あんたが俺を!?)
葉留佳の毒に誘発され、留置所に拘束された父親の姿が脳裏に浮かぶ。
空想だと一蹴するには何故か余りにもリアルだと思える構図。
それが朋也の悪夢を加速させていく。
親子のすれ違いから無理心中を図るというのもよくある話ではないか。
葉留佳の姉妹が葉留佳を殺したように、自分も父によって殺されたのだということも、十分にありえるではないか。
だが本当にそうなのか?
仕事も止め、抜け殻のようになったあの父が?
家族の縁を一方的にあの男が、今更に、“息子”と上手くいかなからと、無理心中なんて選ぶだろうか。
奴を家族として未だに意識しているのはどちらだったか。
家族なんかじゃないと批判しつつも、親父と呼び続けているのはどちらだったか。
朋也だ。
他ならぬ朋也の方が、よほど、先に手を出しかねない。
(違う、違う、俺は、殺人犯なんかじゃない!)
しかし現実として、父もこの殺し合いに参加させられている――死んでいるのだ。
自分の性格からして、無理心中を企てられたところで、はいそうですかと大人しく死んでやりはしないだろう。
そしていざ、朋也と父が戦ったとしたら、肩の故障を抜きにしても、ほぼ確実に朋也が勝つはずだ。
それは、つまり、どちらが先に仕掛けたにせよ、岡崎朋也が岡崎直幸を殺したということではないか?
子どもから愛も夢も未来も奪ったあの最悪の父親以上に最低な存在になり果ててしまったということではないか。
(違う、違う、違うっ! 春原を、先生を、早苗さんを、委員長を、ことみを、有紀寧を殺した奴らと同じであってたまるものか!)
否定したかった、自分は殺人犯なんかじゃないのだと。
けれども肝心の自分が死んだ時の記憶がない以上、否定できようはずがなかった。
そのことが更に朋也を焦らせる。
なんでもいい、なんでもいいんだ。
とにかく殺人犯でないと証明させてくれ!
そう願っていた矢先に、走り続けていた道の果てに、朋也は覚えのある背を眼にした。
遠目だが、あの作業着は間違いない。
祐介だ。
芳野祐介だ。
「芳野さん!」
朋也は縋るように祐介の名前を呼ぶ。
臭いセリフも平気で言うあの人なら、朋也が殺人犯でないと、力強く否定してくれる。
そう思ったからだ。
だが、祐介が振り向いた時、それまで祐介の背に隠れていて見えなかったその向こう側が垣間見えて、瞬時に血が引いた。
銃を突きつけてくる若い男と、祐介に抱えられぐったりとした親友の妹。
「気をつけろ、岡崎! こいつらが、春原芽衣を!」
極めつけにかけられる祐介の言葉。
朋也を動かすには十分だった。
「てめえ、このやろがああああああっ!」
朋也は走ってきた勢いのままに、銃を突きつけていた男――恭介へと踏み込み、殴りかかっていた。
誤解だと恭介は訴えるものの、朋也は聞く耳を持たなかった。
よせ、先走るなと止めようとした音無も振り払った。
知り合いの祐介と見も知らぬ男、どちらを信じるかと言われれば前者だ。
春原の妹である芽衣の苦しげな様に、激昂に駆られ冷静に判断できなかったこともある。
何よりも人殺しを否定したい一心で朋也は、人殺しだと信じた恭介を否定しようとした。
人殺しを殴り否定したところで、自らが人殺しでない証になんてなりはしないのに。
その果てに、人殺しの手助けをしてしまえば、人殺しと変わらないのに。
488
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:31:02 ID:oc4bCHTY0
一発の銃声が響く。
撃たれたのかと自らを見下ろすも、朋也に傷があろうはずはなかった。
何かのはずみで引き金を引いてしまうことを恐れた恭介は、拳を避けながらも、必死で射線を朋也から逸らしていたからだ。
しかし、向かってくる朋也から射線を逸らすということは、その向こう側にいる祐介からも逸らしてしまうこととなった。
ここに、拮抗状態は崩壊する。
芳野祐介は、殺人犯は自由となり、そして、その牙は香月恭介――ではなく、音無結弦へと向けらた。
恭介を狙ったところで、朋也が邪魔になり、正確に撃ち抜けたとは限らなかった。
ならば、より確実に始末できそうな朋也の連れの三人、その中でも武器を手にし、男性である音無を、一番厄介そうだと排除することにしたのだ。
葉留佳に肩を貸していたことが災いし、音無は銃弾を避けられなかった。
茫然自失状態が続行中だったシルファは、庇いに入ろうとさえできなかった。
心臓を射抜かれ崩れ落ちる音無。
そのさまを見て、朋也は、ようやっと自分が騙されたことに気付いた。
「嘘、だろ……。なんで、なんで、祐介さんが……」
気付いても、認められようはずがなかった。
「その言葉、この子にも言われたさ。けどな岡崎」
朋也一人が認めないと喚き散らそうと、世界は変わらず、悲劇は続く。
「これが現実だ」
再度銃声が鳴り響き、幼き少女を貫く。
「芳野、さん。わた、わたし、歌、歌が聞きた……です」
「ごめんな。俺はもう、君の、君達のためには歌えないんだ」
今際の際の願いさえ、祐介は泣きそうな声で一蹴。
かつて少女だったものはそれ以上、何も言わず、軽い音をたてて、地に落ちる。
それが、結果だった。
人殺しであることを否定したいばかりに衝動に身を任せた愚かな青年が招いた結末だった。
否、結末だと言うにはまだ早い。
悲劇の幕は降りていないのだから。
「芳野祐介ええええええええええええええええッ!」
明乃と志乃に続き、ちはやと似た年頃の少女達の命を奪った祐介を恭介は許せなかった。
現実を受け入れられず立ちすくむ朋也を押しのけ、恭介は銃の撃鉄を起こす。
けれど引き金を引くよりも早く、巨大な質量弾が恭介を襲い弾き飛ばした。
恭介に押されるがままにアスファルトに尻餅をついていた朋也は、バスケプレイヤーとして鍛え上げた動体視力で、その正体を見抜く。
シルファだ。
シルファが何者かに恭介に向かって投げ飛ばされたのだ。
そして、ロボットである以上、人間より重いであろうシルファを軽く投げ飛ばせる人間を、不幸にも、朋也は一人、知っていた。
「間一髪でしたわね」
響く声は朋也の想像通り、彼らが必死の思いで逃げてきたカルラのものだった。
鬼の如き女は炎を背に妖艶に笑う。
「助かった……と言いたいところだが一ついいか。バイクはどうした」
親しげに語りかけられた祐介もまた、憮然としながらも自然に言葉を返していた。
489
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:32:05 ID:oc4bCHTY0
「わたくしの背後を見てのとおり。……爆発しましたわ」
「おい!」
「やはり慣れぬからくりは使うものではありませんわ。
止められなくなってしまいましたので、なんとか向かう先だけは制御していましたのに。
先ほど、そこな可愛らしいメイドロボを轢いたはずみで、こうドカーンっと」
交わされる言葉と言葉。
頭を抱える祐介と、反省感皆無なカルラ。
それだけを見れば、もう二度と戻ってこない春原との馬鹿な日常を思い出させるやりとりは、しかし、朋也に否が応でも現実を理解させた。
「つまりあんた、恭介にシルファとやらをぶつけれたのは偶然だったのか。
……俺に当たっていたらどうする気だ」
「そこはほら、わたくしが見込んだ殿方ですし、気合でなんとかしたはずですわ」
「……まあいい。バイクはまだ俺の分もある。後で取りに行くとしよう。なにはともあれ、これで」
芳野祐介はあの女とぐるだったのだと。
人を殺しておきながら、平然と殺人犯の女と馬鹿なやり取りができるほどに、遠い向こう側へと行ってしまったのだと。
「形勢逆転だな」「形勢逆転ですわね」
その証のように銃を朋也につきつける祐介。
一方カルラは葉留佳の前へと歩を進める。
朋也が前に出、音無が倒れ、シルファが恭介ごと吹き飛ばされた今、葉留佳を護る者は誰もいなかった。
置き去りにされた葉留佳は、いつものように独りぼっちだった。
「や、止めろおおおおおおおおお!」
今まで二度、眼前で行われた光景が朋也の脳裏にフラッシュバックする。
これ以上、自分のせいで誰かが死ぬことは受け止められないと地を這ったまま手を伸ばすも届くはずもなく。
ずしゃり、と。無慈悲に処刑の刃は振り下ろされる。
刹那、生きる気力もなく、されるがまま虚ろに刃を見上げていた葉留佳の口が静かに動く。
紡がれたのは、朋也が肩をかせなかった時と同じ、呪いの言葉。
「やっぱりはるちん、要らない子だったんだあ」
それが神を憎み、姉を恨み、世界を呪った少女が、最後に残した怨嗟だった。
ごろごろ。
こつん。
間の抜けた音と共に、胴を離れた首が、伸ばしたままだった朋也の腕へと転がりつく。
その悲しみとも憤怒とも諦めとも絶望とも取れる顔が言っていた。
お前も父にとって要らない子だったのだと。
「違う、違うんだ! 俺は、俺はこんなつもりじゃなかったんだ!」
頭の中で反響する声を消し去ろうと喚き散らすも、心の声が消えるはずもなかった。
そんな朋也を葉留佳を殺したままの場所からカルラは見下ろす。
「見苦しいですわ。その服装、貴方がフジバヤシリョウの好きな殿方かもと期待していましたのに」
思いも寄らない人物から出てきた名前にびくりと震える朋也。
「とんだ勘違いみたいですわ」
その怯え様に更にカルラは見下げ果てながらも、朋也を絶望に陥れる更なる事実を叩きつける。
490
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:32:26 ID:oc4bCHTY0
「なんで、お前が、藤林のことを……」
「わたくしが殺したからですわ。
彼女は身体は弱くとも、貴方とは違い心は強かった。
最後の最後まで好きな人のことを想い、自分を殺そうとする私のことまでも気遣い続けてくれましたわ」
ほんの僅かに悲しみを滲ませるカルラ。
居場所を失った青年は、死んだ少女に求められていたかもしれないことを知り、更に泣き叫ぶ。
「……さあヨシノ様、送ってあげてくださいまし。
万一彼がリョウの想い人なら、望まぬ形とはいえ、これで一緒にいられますわ」
それを視るに耐えなかったのか、カルラは一度目を伏せ、朋也と知り合いである様子が見て取れた祐介へと場を譲った。
「藤林椋、か。そうだな、俺も知らない仲じゃない。
じゃあな、岡崎。あの世とやらがあるのなら、そこで存分に呪ってくれ」
カルラの心遣いに頷きを返し、銃を朋也に向ける祐介。
死をもたらすであろう一発を前に、朋也は思う。
おかしな話だと。
あの世だって?
既にここは地獄じゃないか。
音無は何か色々難しいことを言ってたけど、どうでもいい。
ここがあの世じゃなくてなんだってんだよ。
ここは地獄だ――全ての希望が燃え落ちる地だ。
だというのに。
それを否定せんと立ち上がり、祐介を羽交い絞めにし、三度放たれた銃弾をカルラの方へと逸らした影があった。
「よう、何勝手なこと言ってんだよ? あの世ってのはな。
あいつが、奏がつくろうとしてたのは。そんな呪いに満ちた世界じゃないんだよ!」
よりにもよってあの男が。
あの世のことを朋也達に教えた音無が、あの世が地獄であることを力強く否定した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
491
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:32:53 ID:oc4bCHTY0
「馬鹿な!? 心臓を確かに撃ちぬいたはずだ、何故立ち上がれる!?」
「……これは、流石にわたくしも驚きですわね」
驚愕の声が耳を打つ。
心臓を貫かれ、それでも立ち上がった当の音無本人は、それ程自分がなした奇跡に驚いてはいなかった。
(お生憎さまだな。こちとら心臓を貫かれるくらい朝飯前なんだよ!)
死んで早々、奏に心臓を刺された身だ。
それに比べれば、高々銃弾の一つや二つで貫かれたところで、痛くも痒くもない。
ギシギシとぎりぎりと、持てる力の全てを賭けて祐介を締め上げる。
火事場の馬鹿力か、戦線での戦いの成果か、音無は振りほどかんとする祐介を何とか御すことに成功していた。
……いや、その最たる理由を上げるとすれば、ただ一つか。
怒りだ。
初音の意思だとか、残骸だとか、そんな全ての悩みを置き去りにして、音無の心をただ、怒りだけが支配していた。
この芳野祐介という男の言い草が堪らなく気に食わなかったのだ。
あの世はゆり達がしてきたように戦うための場所じゃなかった。
皆が解き放たれて幸せに消えていく為の世界だった。
少なくとも、奏はそう願っていた。
けれど。
初音と同じ年頃の女の子は最後に好きだったらしい歌さえ聞けずに殺された。
三枝葉留佳は直井とは違い、自らの人生を肯定できずに死んでいった。
音無は志乃の、芽衣の、葉留佳の死体を見回し憤る。
彼女達の死に顔はどれ一つ満たされたものではなかった。
恐怖が焼き付いたまま固まった顔。
願いが聞き遂げられずに寂しげで悲しげな顔。
世界のどこにも居場所がなく全てを呪って果てた諦めきった顔。
(これのどこが満足な死だ!?)
ここが死後の世界なら、彼女たちは生き返るかもしれない。
死後の世界でなくとも今度こそ死後の世界に招かれるかも知れない。
でも、こいつらに今刻まれた無念は残る。
それがそう簡単に払えないものだってことを、音無は痛いほどに知っている。
見てきたから。
ずっと、ずっと、ずっと、見てきたから。
その無念と戦ってきた者達を。
その未練と戦ってきた者達を。
死んだ世界解放戦線。
彼らの気持ちを今この時、真に音無は理解した。
くそったれだ。
こんな死を強いる神さまなんてくそったれだ。
(なら、俺は今こそ、あいつ達SSSの一員として、このくそったれな殺し合いに反逆しよう)
人に未練を強いるこいつらに。あの羽男に。神に!
「俺は、俺達の死を。奏の願いを。奪わせはしない!」
手にしたままだった銃を祐介につきつける。
すんでのところで銃は、カルラが投擲した剣に弾き落とされた、これでいい。
意識をこちらに向け、武器を投じたことで確かに生じた隙を逃すまいと音無は叫ぶ。
「俺が抑えているうちに、逃げろ、みんな!」
祐介を抑えながら、カルラにも向け、落とされた銃を蹴り上げる。
我ながら器用な真似をしていると思うが、この程度の無茶、ゆりに付き合わされるのに比べたら軽いものだ。
だがいつまでもそんな無茶で食い止められるほど、相手は甘くはない。
祐介はともかく、カルラが本気を出せば、自分程度一瞬でお陀仏だ。
それをできないように、押さえ込んだ祐介を上手く盾代わりにしてはいるが。
それも、いつまでもつかは分からない。
(だから早く逃げてくれ、頼む!)
492
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:33:12 ID:oc4bCHTY0
その想いを察したのだろう。
誤解から朋也が襲ってしまった青年は僅かに躊躇を見せた後、女性の手を引き背を向ける。
「あんた、名は!?」
「音無、音無結弦だ!」
「俺は香月恭介、こいつは須磨寺雪緒だ! ……すまん」
「いいんだ、こういう役には慣れてる」
恭介は振り返ることなく問いかけ、そしてそのまま、雪緒と共に遠くへと消える。
「岡崎、お前も早く逃げろ!」
「けど、この状況は俺が。残るなら、俺が!」
しかし朋也の方は、この事態を招いてしまった責任を感じているのだろう。
逃げることをすぐにはよしとしてくれなかった。
「肩の壊れてるあんたじゃ、死にぞこないの俺以下だ!」
「っ、どうしてそれを!?」
「これでも医者を目指してたからな。気づくさ」
それでも朋也達をここに残すわけにはいかなかった音無は、弱みにつけ込むことも辞さない。
痛いところを突かれ朋也の抵抗の意思が薄れたと見るや否や、バイクの衝突のダメージからようやっと立ち直ったシルファに有無を言わさず命じる。
「シルファ、無理やりでも連れていけ!」
「れ、れも、れも、わたしはご主人様達も護れなくて。欠陥品で」
「メイドロボなんだろ! 人間を護るんだろ!? それがお前の夢なんだろが!」
シルファはメイドロボだ、人に仕えるものだ。
音無はその習性を利用して、シルファに命じることで、朋也を、シルファ自身も逃がそうとしているのだ。
「だったら、果たせ!」
「っ! う、くっ、うああああああああああああああああああ!」
「シルファ!? 待て、離せ! 音無、音無いいいいい!」
シルファが意を決し、顔をくしゃくしゃにしたまま、朋也を担ぎ、走り去る。
(そうだよ、それでいいんだよ、シルファ。
俺が人を救えて満足できたように。お前なら人を守れて満足できるさ)
納得できず音無の名を呼び続ける朋也の声も、既に聞こえなくなっていた。
安心したからだろう。
あれだけ祐介が振り解こうとしても離さなかった音無の腕から、力が抜け落ちていく。
地に伏せる音無。
ようやく解放された祐介は疲れ果てた声で吐き捨てた。
493
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:34:08 ID:oc4bCHTY0
「……よくも、やってくれたな」
「こういう時は、よくぞ、ですわよ、ユウスケ」
対して称賛の声をかけてくるのはカルラだった。
思えば彼女一人なら、祐介を捨ておいて恭介達をそのまま追いかける選択もできたはずだ。
それをしなかったのは祐介の同盟関係を維持しようとしたことに加え、命懸けの健闘を見せた音無を看取ろうとしてのことでもあったのだろう。
「……敵ながらお見事ですわ。介錯、任されてもよろしくて?」
けれど、音無には、カルラの賞賛なんて必要なかった。
介錯さえもいらなかった。
「遠慮する。俺の命はとっくの昔にどこかの誰かにやっちまったんでな」
何故か、不思議と確信できたから。
銃弾に貫かれたあの時に。
自分の心臓がここではないどこかで鳴り響いている音を聴いたから。
(そうだ、心臓。俺の……心臓)
この人生はずっと初音の為のものだったけれど。
初音のものではなく、借り物でも偽物でもない、確かに自分のものであるホンモノの心臓が、誰かを生かす力になれたというのなら。
それが、あの心臓こそが。音無結弦の、音無結弦だけの、生きた証。
(他でもない、俺は、俺の心臓で、俺自身の存在で、誰かを助けた……)
なら、それで、満足だ。
音無結弦はホンモノの笑みを浮かべたまま死ねる。
空が、眩しかった。
夜にも限らず、空に数多の白い光が溢れて見えた。
(食券か……? いや、違う。これは……)
天より降り注ぐ光は真っ白な羽だった。
現のものではない、幻の羽だった。
(ああ、そうか。お約束だもんな。人が死ぬ時は、天使が迎えにくるって)
何故か唐突に浮かんだ奏の幻像を、音無は振り払うことなく、その瞳に焼き付ける。
(俺、消えるのか……。まあ、いいかな)
天使がいてくれるってことは、そこは天国なのだから。
地獄なんかじゃない幸せな世界なのだから――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
494
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:34:48 ID:oc4bCHTY0
須磨寺雪緒は香月恭介に手を引かれるがまま、走り続けていた。
前を走る恭介の表情は、雪緒の位置からは伺えない。
だけど、雪緒は知っていた。
恭介が音無の命を犠牲に生きながらえたこんな結末は望んでいなかったことを。
ぎゅっと強く雪緒の左手を握りしめてくる恭介の右手は、同時に、泣いているようだった。
初めて彼の手を握った時にはなかった震えを伴っていたから。
繋がれた腕を通して、恭介の後悔が伝わってくるみたいだと思うのは、多分間違いではないはずだ。
きっと、恭介は。
助けようとしてくれた音無のことも、助けられたかも知れない岡崎とシルファのことも、置いてきぼりにはしたくなかったのだろう。
死を望む雪緒さえ見捨てることをよしとしなかった恭介だ。
誰かを見捨てるなんて選択を本当はしたくなかったに違いない。
それでも恭介は選んだ。
他の誰かを見捨ててまでも、雪緒を生かすことを選んだ。
そうだ、恭介に誰かを見捨ててまで逃げるという道を選ばせたのは、他ならぬ自分だ。
雪緒の、死への望みが、彼女を生かし、もしかしたら、置いていかれた誰かを殺した。
あの時、シルファをぶつけられた恭介は大きく後ろへと吹き飛ばされていた。
結果、立ち位置は逆転し、雪緒は、恭介の前で立ち尽くすこととなった。
向けられる銃口。
雪緒は動じることもなく、恭介の盾になるかのように、銃口に身を晒していた。
それでいいと思った。
別に殊勝にも誰かを護ろうとだなんて思ったわけじゃない。
ただ、頭のおかしい死にたがりが死のうとしただけ。
そう思って、更に一歩、雪緒は前に出ようとした。
なのに。
後ろから強く雪緒を引く手があった。
まだ衝撃の抜け切らないシルファを押しのけ、必死に立ち上がろうとしていた恭介だ。
雪緒は息を飲んだ。
引っ張り倒されるようにして射線から強引に逸らされる。
恭介の腕の中に雪緒が抱きとめられた時には、銃の狙いは朋也へと移っていた。
その隙を見逃す恭介ではなかった。
恭介は祐介を刺激しないよう、黙ったまま、抱き寄せた雪緒を立たせ、自分も立ち上がり、息を殺し機会を伺っていた。
同時に、その目が言っていた。
まだ賭けは終わっちゃいない、と。
あるんだろ、お前も俺も綺麗だと思える世界が、と。
ならそれを俺に見せてみろ、と。
恭介が待っていた機会はすぐに訪れた。
強く響いた逃げろという声。
声の主、音無結弦は、恐らく綺麗な世界を見つけられたのだろう。
死にひんして、けれど、音無には一切の悲壮感がなかった。
どこか満たされたように、彼は自分で自分の死を勝ち取ったように見えた。
けれども、それは、雪緒にとっての価値観で。
恭介にとっては違って。
彼は、逃げろという音無の声に一瞬、苦しそうに、悔しそうに、悲しそうに顔を歪めて。
それでも。まるで雪緒を死なせない様に。皮肉にも、芳野祐介に言われたように。
何としてでも、自分の怒りや嘆きを押し殺してでも、雪緒を護る道を選んだ。
恭介は雪緒の手を掴んだまま駆け出して。
今も、ずっと、手は掴まれたままだった。
495
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:35:17 ID:oc4bCHTY0
心中がひどい有様なのを表情や声から気取られ、雪緒に自分のせいだと思いつめさせない為か。
恭介は、振り向かずに、何も話さずに、ただ、これまでよりもずっとずっとずっと、力強く雪緒の手を握りしめ続けた。
恭介に苦渋の選択をさせた自分は、どうすればいいのだろうか。
雪緒は考えるも、死を諦めることもできず、時紀に償いとしてそうしたように身体を許すのも何か違う気がして。
“歌が聞きたいです”
ふと、自分に懐いてくれていた少女が、死の間際に歌を望んでいたことを思い出す。
歌を望まれたのは雪緒ではなかったけれど。
少女が望んだ歌がどんな曲かさえ分からなかったけど。
雪緒は、歌うことにした。
死のうとしていた自分を引き止めた歌を、死んだ少女の最後の願いに応えるように。
歌が、響く。
儚くて消え入りそうな拙いメロディ。
恭介との出会いの時に彼が歌っていたそれを耳にし、恭介は前を向いたまま切なげに呟く。
「……綺麗な、歌だな」
その声は、震えていた。
彼の左手と同じように震えていた。
「あなたの歌じゃない」
雪緒は、微笑んでいた。
恭介が前を向いたままなのは分かっていた。
だから、この笑みは恭介を励まそうとして意識して浮かべたものではなかった。
ただ少し、おかしく思ってしまっただけ。
だって、言葉通り、雪緒が歌ったのは、“恭介の歌だったから”。
雪緒はこの歌の本来の歌詞やメロディを知らない。
時に不自然に音が飛んでいるのも、恭介が歌っていたものを、そっくりそのまま、模倣しているからだ。
「ああ、ちきしょう」
恭介も、そのことに気づいたのだろう。
悔しそうに、切なそうに、悲しそうに笑みを漏らして。
ちきしょう、ちきしょうと、空いた右手で、自分の顔を覆って。
そのまま、右手を顔からどかそうとはしなかった。
「こんなことならもっとちゃんと覚えとけばよかったな……」
握ったままの左手から込めらてくる力が少し強くなる。
雪緒はどうすればいいのか分からなかったけれど、ただ強くその手を握り返した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
496
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:35:42 ID:oc4bCHTY0
そうして、立華奏がその場に駆けつけた時、全ては終わった後だった。
恭介達が西に逃げ、朋也達が北に逃げ、祐介達もゲンジマルに遭遇せぬよう支給品を回収してすぐ何処へと去っていた。
だからそこには誰もいなかった。
生きている人間は誰もいなかった。
「ゆず、る……?」
物言わぬ音無を前に項垂れる奏。
カルラに言われたように、全ては手遅れなのだろうか。
そんなはずない。
そんなのはあっちゃだめ。
「起きて、ねえ起きて、結弦……」
彼には心臓がなかった。
初めて出会った時に、奏自身の手で、そのことは確認している。
心臓を貫かれたからといって、彼が死ぬはずがないのだ。
もし死んでいたとしても、ここに、この胸に彼の心臓がある以上、この心臓を返せば結弦は生き返るはずだ。
そんなことをすれば、自分は間違いなく死ぬだろうけど、この命はもとより、結弦にもらったものだ。
返すことに一切の躊躇はない。
「結弦、私、まだあなたにお礼を言ってない。
それに約束してくれたよね。協力してくれるって。一緒にって」
だから、だから。
目を覚まして、と祈る奏。
その願いが届くかどうかは、ただ神のみぞ知る。
497
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:36:01 ID:oc4bCHTY0
【時間:1日目午後8時10分ごろ】
【場所:F-7 北部】
シルファ
【持ち物:エドラム、水・食料一日分】
【状況:打撲他ダメージ(中)、心にダメージ(大)】
岡崎朋也
【持ち物:日本刀、水・食料一日分】
【状況:ダメージ(軽)、心にダメージ(大)】
【場所:F-7 西部】
香月恭介
【持ち物:SIG GSR (残弾8/8)】
【状況:打撲・擦り傷などダメージ(小)】
須磨寺雪緒
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
【場所:F-7 中央】
立華奏
【持ち物:不明、水・食料一日分】
【状況:疲労(小)】
音無結弦
【持ち物:なし】
【状況:死亡?】
三枝葉留佳
【持ち物:なし】
【状況:死亡】
春原芽衣
【持ち物:なし】
【状況:死亡】
【場所:F-7 付近】
カルラ
【持ち物:エグゼキューショナーズソード、酒、DX星杖おしゃべりRH、水・食料四日分】
【状況:疲労(小)】
芳野祐介
【持ち物:ベレッタM92(残弾6/15)、コルトパイソン(0/6)及び予備弾85(.357マグナム弾)、
トランプ(巾着袋つき)、89式5.56mm小銃(20/20)、予備弾倉×6、水・食料三日分、バイク】
【状況:疲労(中)】
※折原志乃の支給品のうち、回収されたSIG GSR本体以外は、予備弾倉を含め、火炎瓶により燃え尽きたり変形が激しかったため放棄されました。
※音無についてのあれこれはあくまでも奏の願望混じりですが、AB本編で心臓がないままだったことや、
ディーが人体改造もよしとするため、もしかしたらもしかするかもしれません
お任せします
498
:
レクイエムは誰がために
◆92mXel1qC6
:2011/09/27(火) 04:38:56 ID:oc4bCHTY0
以上により投下終了です
感想、ご指摘あれば是非
尚、音無の死亡表記につきまして、次に任せるのはやはりまずいということであれば修正させて頂きます
499
:
貴方の流せない涙に、私が出来る事
◆auiI.USnCE
:2011/10/14(金) 05:01:55 ID:MwJRZbIU0
――――私が貴方の為に、涙を流せるのなら。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……………………あ……う」
眩い夕日の光が差し込める病院のロビーで。
純白のケープを纏っている少女の指先は虚空を彷徨って。
何かを手にしようとして、何かを求めようとして。
結局、何もつかめやしなくて。
細くて白いしなやかな指は、そのまま少女の胸元に静かに置かれた。
とくんとくんという心臓の鼓動が感じられて。
ああ、生きているんだと少女――長谷部彩は実感する。
「ああ……あぅぅぅ」
そして、温かい涙が溢れてくる。
先程流れてきた放送が、哀しいことを教えたから。
彩の友達が、仲間が、命を終わらせてしまったと言う事。
温かくて、やさしくて、親切な人達が簡単に命を散らしてしまった。
なんで、どうして、こんな事って哀し過ぎる。
そんな思いが彩の心の中を廻って。
死んでしまった由宇も、詠美も、玲子も、郁美も、あさひも、こんな事で死んでいい人じゃない。
きっと死んでしまった人達、皆そうだろう。
なのに、なんで、なんで。
「うわ……あぁぁぁぁ」
ああ、涙が止まらない。
泣く事で、彼女達が救われる訳じゃないのに。
泣く事で、彼女達が喜ぶ訳じゃないのに。
それでも、長谷部彩は泣く事は止めなかった。
誰かを喪った哀しみを隠そうとしない。
誰かの死に涙を流せる事はきっと、悪い事ではないから。
亡くなった人の為に、弔うように、泣いて。
それが今を生きている自分の救いになるなら。
哀しみの先に、続く未来があるなら。
そして、涙の先にある沢山の想いが伝わるのなら。
500
:
貴方の流せない涙に、私が出来る事
◆auiI.USnCE
:2011/10/14(金) 05:02:34 ID:MwJRZbIU0
「あぅぅぅ……あぅぅうぅあぁぁぁぁ」
長谷部彩は泣き続けよう。
祈るように、惜しむように。
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。
病院で、哀しみ、泣く彩の姿は切り取られた絵画のようで。
とても美しくて、まるで天使のようで。
その光景を彼女の同行者であるベナウィはずっと見つめていた。
何故だろう、泣いている彼女を見ていると何処か不思議な気分になるのだ。
こんなにも、こんなにも誰かの為に涙を流せる彩に。
こんなにも、儚く壊れそうな少女に。
こんなにも、罪にまみれた自分が触る権利などあるのか。
こんなにも、手を真紅の血で自分が言葉をかける権利などあるのか。
答えは出なかった。出る訳が無かった。
だから、不浄のものを寄せ付けない、純白の少女をベナウィはただ見るだけだった。
そして、泣いてる彼女を見て、ベナウィはやっと気付く。
ああ、やはり自分は泣けなかった。
大切な仲間が、家族が死んだというのに。
自分は泣けていないのだ。
予想した通りのままだった。
哀しいという感情はあるだろうに。
いや、自分の感情なのに、確証をもてない時点で恐らくダメなのだろう。
だから、ベナウィという人間は何も変わらない。変わっている訳が無い。
何故ならば、ベナウィは主君に忠誠を尽くす武士なのだから。
ああ、やはり、私と彼女は違う。
501
:
貴方の流せない涙に、私が出来る事
◆auiI.USnCE
:2011/10/14(金) 05:02:52 ID:MwJRZbIU0
あんなにも純粋に涙を流せる彼女と。
哀しんでいる事さえ解からない自分は、こんなにも違う。
ふうと、ベナウィは大きく息を吐いて。
ゆっくりと病院の壁に身を預けた。
これさえ、ただの感傷にしか過ぎないのかもしれない。
でも、それでもいいと諦観にも似た考えを持ちながら、ベナウィは彩が泣き止むのを待っていた。
けれど、ベナウィは気付かなかった。
ベナウィの一瞬見せた憂いの表情を。
彼女が泣いている時、彼の表情が戸惑いに変わった瞬間に。
長谷部彩がじっと見つめていた事に、ベナウィは気付いていなかった。
そして、それは――――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「………………」
夕陽が、静かに歩き続ける二人を照らす。
病院を後にして、ベナウィ達は、歩き続けていた。
ベナウィを前にして、彩がちょこんとベナウィの服の袖を掴みながらの隊列だった。
元々、ベナウィは必要な事以外あまり喋らないし、彩も無口と言ってもいいくらい口数は少ない。
だから、この沈黙は必然で、当然ともいえる光景で。
ベナウィはそれでいいと思い、彩もそうなのだろうと思っていた。
今まで、亡くなった人の為に祈るように泣いていたのだ。
色々思うところがあるのだろう、静かに考える事も必要なのだろう。
それはベナウィにとっても一緒で、なにより。
今、彼女の言葉を聞いたら、更に戸惑いそうで、嫌だったから。
だから、これでいい。
502
:
貴方の流せない涙に、私が出来る事
◆auiI.USnCE
:2011/10/14(金) 05:03:11 ID:MwJRZbIU0
そう、思っていたのに。
――――くいっ。
今まで一番強い力で、袖を引っ張られる。
言葉は無いけど、間違いなく、強い意思表示で。
複雑な思いを抱えながら、ベナウィは、ゆっくりと振り返る。
其処には、とても脆くて、儚くて、でも、とても澄んでいて、優しい、瞳があった。
「………………哀しいんですか?」
それは、問い掛け。
とても小さな囁きで、けれどすっと耳に入ってくる言葉。
「さあ、どうでしょうか」
まるではぐらかす様な言葉。
けれど、それがベナウィの本心だった。
哀しいのか、哀しくないのかの判断さえ、よく出来ない。
哀しいや、苦しいという感情を捨て去って、武士になったのだから。
「……………………いいえ、きっと哀しい筈です」
けれど、はぐらかしの言葉をかけらながらも、彩は視線を外さない、外しはしない。
強い意志で、ベナウィをただ見つめ続けていた。
その瞳はまるで、ベナウィの心を見透かすようで、ベナウィはとても嫌になって。
「何が、何が解かる。私の心が貴方に解かる訳が無い」
そうだ、簡単に解かってたまるものか。
逢って六時間しか立っていない少女に理解されてたまるものか。
何もかも見透かされてまるか。
だからこそ、強い言葉で拒絶したのに。
きっと、彼女は怖がって言葉を紡ぐのを止めると思ったのに。
「…………でも、これだけは解かります」
彼女は、ベナウィを見つめながら。
503
:
貴方の流せない涙に、私が出来る事
◆auiI.USnCE
:2011/10/14(金) 05:03:27 ID:MwJRZbIU0
「――――家族が死んで、哀しまない、人間がいると思いますか?」
長谷部彩は、言葉を紡いだ。
優しく、残酷で、温かい言葉を。
当たり前の事を、自然に。
そして、その言葉は、ベナウィを戸惑わせ、心に沁み到らせていく。
「ベナウィさんの仲間……家族ともいえる人が死んで、それで哀しまない人なんて……居ません」
彩は何かを思い出すように。
辛い過去を思い出しながら。
それでも、言葉を紡ぐ。
「ベナウィさんは哀しみ方を、泣き方を、忘れただけなんです」
人を失う時の哀しみを。
人が涙を流す感覚を。
ベナウィは、きっと、命が沢山失われていく中で、磨耗し、忘れていった。
「………………きっと……いつか、思い出せる時があると……思います」
でも、何時かは思い出せる。
だって、哀しまない人なんていないから。
「けれど……今は――――」
そっと伸ばされる彩の温かくて、優しくて、小さな手。
ベナウィの頬に、静かに添えられて。
「――――――私が泣けない貴方の為に、貴方の代わりに……泣きましょう」
ぽろぽろと、彩の瞳から雫が落ちた。
泣けないベナウィの為に。
彩は静かに、涙を流し始めた。
その彩の行為は傲慢かもしれない。
単なるエゴでしかないかもしれない。
504
:
泣けない貴方の為に、私が出来る事
◆auiI.USnCE
:2011/10/14(金) 05:04:36 ID:MwJRZbIU0
けれど、ベナウィは、添えられた手を、払う事など出来なかった。
出来るはずもなかった。
だから、ずっと、立ち竦むしかなかった。
そして、純白の少女の涙が、夕陽に照らされて。
ずっと、ずっと輝いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
また、その瞳だった。
私を射抜く瞳が其処にあって。
ただ、真っ白な純白の心が、私を包んでいた。
堪らなかった。
私の心を何時までも揺さ振り続けて。
苦しくて、この温もりを突き飛ばしたかった。
けれど、私は出来なかった。
あの瞳が、私を捉えて離さなかった。
日向のような温もりが私を包んでいる。
まるで、武士の自分を忘れさせるような、そんな涙で。
きっと武士を辞めるのなら彼女の言う通りにになるのかもしれない。
けれど、武士を辞める自分なんて考える訳も無くて。
それは自我を捨てると同じ事で。
だから、突き飛ばせばいい。
傲慢な彼女を突き飛ばせば、全てが終わる。
こんなのが嫌なら、其れで終わるのだ。
こんな堪らない気持ちから、こんな苦しみから、解放されるなら、それでいいのだ。
でも、私は立ち竦むしかなかった。
505
:
泣けない貴方の為に、私が出来る事
◆auiI.USnCE
:2011/10/14(金) 05:04:52 ID:MwJRZbIU0
終わらせたくなかった自分が居て。
この日向のような暖かさに。
真っ白い羽根のような心に。
私は、救われてるような気持ちに感じてしまう。
それが、どんなに、自分を裏切る事だとしても。
止める事が出来なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
………………きっと、私のやってる事は出過ぎた事だと思う。
私はベナウィさんの事を詳しく知らないのに。
知ったような事を言って、ベナウィさんを苦しめているだけなのかもしれない。
でも、けれども。
其処にある哀しみを。
泣けない人を見たら。
私は、身体が動いていた。
怖かった、拒絶されるんじゃないかと思った。
嫌われるんじゃないかと思った。
踏み込んではいけない所まで踏み込んでしまったかもしれないと思った。
506
:
泣けない貴方の為に、私が出来る事
◆auiI.USnCE
:2011/10/14(金) 05:05:08 ID:MwJRZbIU0
けれど。
哀しい瞳をした、貴方を護りたかった。
あんなにも切なそうにしていた瞳が、私を捉えて離さなかったから。
私に出来る事は少ないけど、たいした事無いけど。
貴方の為に、無くなった人の為に。
涙を流す事は、祈る事は……出来たから。
だから……これでいいんです。
誰かの哀しみが少しでも癒えるなら。
誰かを護る事になるなら。
私は涙を流そう……と思う。
それが、私が出来る事なのだから。
涙の温かさを、頬に感じた。
きっと、この温もりが、想い合う事なのだろうかと思いながら。
私は、温かい雫を流し続けた。
【時間:一日目 午後5時50分ごろ】
【場所:F-1】
ベナウィ
【持ち物:フランベルジェ、水・食料一日分】
【状況:健康 彩と共に行動】
長谷部彩
【持ち物:藤巻のドス、救急セット、水・食料一日分】
【状況:健康、ベナウィと共に行動】
507
:
泣けない貴方の為に、私が出来る事
◆auiI.USnCE
:2011/10/14(金) 05:05:37 ID:MwJRZbIU0
投下終了です。
タイトルは此方の方でお願いします
508
:
終わった世界で何もかも終わる
◆auiI.USnCE
:2011/11/02(水) 03:11:20 ID:s4BZfIA20
だから、私は世界に、縋り続けた/だから、私は世界に、お別れをした
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
509
:
終わった世界で何もかも終わる
◆auiI.USnCE
:2011/11/02(水) 03:11:35 ID:s4BZfIA20
走る、走る。
一目散に、何かから逃げるように。
嫌だった、何も見たくなかった、何も信じたくなかった。
こんなにも、哀しいのは、嫌だった。
私――古河渚は、逃げていた。
お母さんは、私を見捨ててしまったのか。
最悪な事をした私だから、こんなにも弱い私だから。
だからこそ、お母さんは私を否定するのか。
私は悪くない、悪くなんか、無い。
そう、思うしかなかった。
嫌いだ、嫌いだ、本当、大嫌いだ。
私は悪くないんだ、なのにお母さんは私を否定した。
だから、もう、嫌だ、大嫌いだ。
お父さんもそうだ、何で助けに来ないんだ。
こんなにも苦しいのに、こんなにも辛いのに。
誰も、誰も、助けてくれない。
嫌だ、嫌いだ、嫌だ、嫌いだ。
思えば、生まれたから、碌な事なんて無い人生だ。
お父さんもお母さんも私のせいで、人生を棒に振った。
私は、治る見込みが病気のせいで、楽しい事なんて全然無かった。
友達だって出来やしない人生で。
全然、誇れる人生じゃない。
なんで、こんな目に私を合わせるんだろう。
なんで、こんな辛い人生を送らないといけないんだ。
嫌いだ、嫌いだ、こんな目にあわせる世界なんて、だいきらい。
終われ、終わってしまえ。
でも、私は、私は悪くない。
生まれてきた事を悪いと思いたくない。
この世界に生まれた事を、私は否定したくない。
皆、皆、私を否定するけど、私は生まれたんだ。
だから、私は死にたくない。
こんなにも嫌いで終わった世界だけど、私は死にたくない。
そうだ、私は生きている。
私は悪くない。
だから、私を受け入れてくれる人だってきっと居る。
朋也君みたいな人が、きっときっと。
竹山君だって、私の事を。
そうだ、こんな醜い終わった世界にだって、私を必要としてくれる人が居るんだろう。
だから、ねぇ、
「わたしを、みすてないで」
わたしは、
「まだ、いきていたい」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
510
:
終わった世界で何もかも終わる
◆auiI.USnCE
:2011/11/02(水) 03:12:04 ID:s4BZfIA20
月が真っ白でした。
驚くくらい綺麗で、ずっとずっと眺めていました。
私は地面に磔になったように、寝転がったままでした。
まるで、世界の一部になったように、私――能美クドリャフカは、世界に、埋没しそうでした。
先程聴こえた放送。そして死んでしまった、真人さん。
私は目蓋を閉じて、そのままでした。
雫が流れたのは、私にとっても幸いで。
まだ、涙を流せるんだと思いました。
そして、そのまま、月を眺めていました。
隣には、終わってしまった命が二つあって。
それは、私が終わらしてしまったと一緒なのでしょう。
これが、私の罪と言うなら、そうなのでしょうか?
解かりません。
解かりっこありませんでした。
そんな事を理解できるすべはもう失ったのですから。
だから、そんな私は空虚で。
あのヒトは、壊れたと私に言いました。
そうなのでしょう。
きらきらと輝いていた世界がもう靄がかかったように見えないのです。
穢れたように、黒く、汚れてるように。
私の世界は、醜く、終わりそうでした。
それでいいのかという声と。
それでいいのよという声が。
両方とも、聴こえて、もうよく解からなくて。
それとも、もう終わっていたのかもしれない。
あの時、引き金を引いた瞬間から、何もかも。
ううん……もしかしたら、最初から、そう、何もかも。
何もかも失って、狂いに狂った、こんな終わった世界で。
そんな終わった世界で、私は終わるのでしょうか。
こんなにも、穢れてしまった(美しい)世界だというならば。
もう、何もかも、失った方がいいかもしれません。
もう、何もかも、捨てた方がいいかもしれません。
夜空が、綺麗でした。
遥か彼方の月と星はとてもとても綺麗で。
そんな、綺麗な(醜い)世界を。
―――私は捨てることにしました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
511
:
終わった世界で何もかも終わる
◆auiI.USnCE
:2011/11/02(水) 03:12:20 ID:s4BZfIA20
だから、
何もかもから、逃げて、それでも世界に縋り続けようとした少女と。
穢れに穢れて、何もかも失い、世界を捨てようとした、少女が。
白い月の下、出会った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ひぃ…………二人も……し、死んでいる……なんで」
「…………なんで、なんででしょうか?」
「……あ、貴方がやったんですか!」
「……どう……なのでしょうか……もう、解からないです」
「解からないって……なんで、殺したんでしょう!? 自分が生きるために!」
「……かもしれません」
「ほら、皆そうやって殺していくんだ……私だけじゃない!」
「そうだ、私だけじゃない……私だけじゃないんです!
みんなみんな……そうやって自分の事ばかり考えて……だいっきらい……だいっきらい
弱いから……生きたいから、仕方ないんだ」
「本当にそうなのですか?」
「……え?」
「そうやって、目を背ける事は簡単です。べーりーいーじーです。
それに、それはとても優しいです。温かいぐらい優しいです。
けれど、だからって何も変わらない、罪から逃げてるだけなんです。
全てを嫌う事は、きっと救いなんて、ならないです」
「……何が、何が解かるんです! 貴方に私の何が!
いつもいつも、誰も誰も救ってくれなかった! 一生懸命生きようとしたって、皆それを邪魔をする!
私は弱かったけど、どうしようもないぐらいに弱かったけど、それでも生きてたかった、生きたかったんです!
でも、皆、皆、それを許してくれない。母も父も、友達も、世界も!
だから、だいっきらい! こんなにも醜い終わった世界がだいっきらい!」
「……じゃあ、一緒に終わってしまえばいいのに」
「それでもっ……それでもっ、私は世界に縋るしかないんです! 終わってしまったら、私の生すら、否定してしまう!」
「そうなのですか……私は、こんな終わった世界がもう、よく解からないんです。
穢れ狂った、世界で、私はどう生きるんでしょう? 何を見ていくんでしょう?
何もかも失って、もう何も無いんです。きらきらと輝いていたものはもう、見えない。いや、見たくないのかもしれません
真っ白いものを真っ黒で汚れ穢されて、何も無いなら、何もなくしたのなら」
「私は、世界をお別れして、捨てればいいのかもしれません。
あんなにも綺麗なものを思い出せないなら、忘れて。
何もかも、終わった中で、そして、わたしも終わるのかもしれません」
「じゃあ、終わってしまえ! 終わってしまえばいいじゃないですか!」
「そうかもしれません。でも、それは貴方も一緒かもしれませんよ?」
「違う! 私はそうじゃない!」
「そんなの誰にもわからない。あいどんとのー。ゆーどんとのー」
「壊れて、狂って、そして、終わった世界で」
「私達は何もかも終わるしかないんですよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
512
:
終わった世界で何もかも終わる
◆auiI.USnCE
:2011/11/02(水) 03:12:35 ID:s4BZfIA20
そして、醜くも、美しい、終わった世界で銃声が鳴った。
【時間:1日目 20:00】
【場所:C-2】
能美クドリャフカ
【持ち物:CZ75(?/15)、不明支給品、水・食料一日分】
【状況:?????????????????】
古河渚
【持ち物:S&W M36 "チーフス スペシャル"(?/5)、.38Spl弾×?、ステアーTMP スコープサプレッサー付き(32/32)、予備弾層(9mm)×7、水・食料二日分】
【状況:??????????????????】
513
:
終わった世界で何もかもが終わる
◆auiI.USnCE
:2011/11/02(水) 03:13:20 ID:s4BZfIA20
投下終了しました。
此度は遅れてしまい申し訳ありませんでした
514
:
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 00:37:12 ID:vz7rKIk20
投下します。
515
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 00:42:22 ID:vz7rKIk20
ずっと、聞こえていた。
――トクン、トクン。
流れていく街道の灯り。
――トクン、トクン。
舞い落ちる雪の白。
――トクン、トクン。
ふたり歩いた、クリスマスの夜。
――トクン、トクン。
あの日、背負った命の軽さを、憶えてる。
背中に伝わった、儚い鼓動の音を忘れない。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
516
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 00:44:37 ID:vz7rKIk20
何も、何も聞こえない。
静寂。
それがいまの俺、音無結弦の認識できる全てだった。
暗闇のなかで一人、俺はいつかのように横たわっている。
感覚がない。
指一本動かない。
目を開ける気力すらない。
俺は限りなく停止している。
しかしそれは当前のことだった。
胸を鉛の弾丸に貫かれ、致命傷を負ったのだから。
死んでいる。
音無結弦の肉体は死んでいる。
死に際の恐怖や痛みもとうに過ぎ去り、既に暗闇しか感じられず。
なのに、道端に捨てられたような死体の俺は、霞む意識で尚、思うことを止めていなかった。
体が死んでも意識が在り続ける、違和。
俺は真っ当に死んでいない。
死なない筈の俺の同類達は、ここで死んだと聞いた。
ならば同じように俺も、この場所ならばあるいは死ぬのかもしれないと、考えていたけれど。
やっぱり、死ねてない。
死ねないのと同時に、生きていない。
死に掛けのまま、時が止まったみたいに。
中途半端な、死だった。
何も、何も聞こえない。
音が無かった。
あまりの静けさによって、なるほどな、と。
二度目の死で、俺は気づいたことがある。
そもそも俺には、鼓動(おと)がないようだった。
いつか誰かに譲った俺の心臓。中核無しに動いていた肉体。
道理で死ねないわけだと納得し。
ではこの場所で、今まで俺を動かしてきた仕組みとは、いったいなんだったのか。
ふと考えて、そんなことに意味はないか、と打ち切った。
なぜなら俺は、ここで消えるわけにはいかない。
消えたくないと思っている。
まだ、俺がここに居るのなら、居れるのなら。
未練のないくせにあの場所にいた俺は、その代わりに誰かの為に出来ることを、しなければならない。
517
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 00:48:00 ID:vz7rKIk20
音無結弦は、あの場所にいたときと変わらない。
ならば理由もまた、天上の学園にいたときと同じように。
この場所で、最初から死者だった俺を動かしていたものは、留まろうとする意志だけなんだろうから。
死にながらでも行くべきだ。
血反吐を吐きながら、動き続けなければならない。
たとえ指一本動かすのも覚束ない、潰れた虫のような体であっても。
「……っ」
そう思い、闇の中を這いずろうとした俺は、しかし不意に、
――トクン、トクン。
「……」
そんな、聞こえる筈のない幻聴を聞いて。
「……ぁ」
その懐かしさに、何故だろうか。
僅かに掴んでいた意識さえも、手放してしまっていた。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
518
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 00:49:27 ID:vz7rKIk20
My Beats, Your soul.
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
519
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 00:50:16 ID:vz7rKIk20
ずっと、聞こえている。
――ドクン、ドクン。
暗い地下道の瓦礫。
――ドクン、ドクン。
震えるペン先で記した黒い線。
――ドクン、ドクン。
ひとり息を止めた、最後の日。
――ドクン、………。
生きる音を憶えている。
死ぬ音を知っている。
あのとき、零れ落ちた命の音を、今も背負っている。
あのとき、死ぬその時まで鳴り続けていた暖かな音は、今もこの胸に――
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
520
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 00:52:55 ID:vz7rKIk20
何も、何も聞こえない。
それがどうしてか、悲しかった。
「………ぅ……ぁ」
断裂する意識。
底なしの闇の中。
うめき声を上げて、塵のような意識をかき集めた。
走馬灯を見たのは二度目だった。
先ほどから途切れ途切れに、ぼんやりと浮かんだ光景、それは俺にとって忘れがたい記憶だった。
俺は死後も、あのことを思い出してから、考えることがある。
いや、それはずっと、俺の脳裏にあり続けた命題だったのかもしれない。
死後の世界。
報われない人生を歩んだ者達がたどり着き、未練をなくして消えるための場所。
そこで見てきた、二つの在り方。
不満足に、在り続けること。
満足して、消えること。
いったいどちらが、幸せなのだろうか。
二度目の、いいや違う、もう何度目かも分らない死を、感じながら。
実感しながら、俺は思い続けてる。
答えは後者なのだ、と。働かないはずの、枯れた思考で思ってる。
良かったんだ。あれで、良かったんだ。
不満足に生き続けるより、きっと満足して死ねたほうが、幸せだったんだ。
昨日の、もう戻れない自分に見切りをつけて、次に行くことが正しい。
振り返れば俺の人生、楽しいことばかりじゃなかった。
むしろ辛いことの方が多かったようにすら思える。
だけど、だからこそ思う。
幸せを感じられない生は、嘘だと。
そういうのは生きてるとは言わない。ただ存在してるだけだ。
521
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 00:54:00 ID:vz7rKIk20
死の瞬間、俺なりに満足できた、幸せを感じられた。
満たされることが出来た。
死の間際で、夢は叶わなくて、今と同じような日のあたらない場所で、それでも俺は生きる証を残せた。
誰かを救えたと思ったとき、生きた意味を作れたときに。
俺は確かに満たされて、満足して、逝けたんだ。
それでよかった、そう、死んだ後にすら思えたから。
俺に、未練はない、ないはずだ。
だからこそ、死後の世界で、
消えない俺は、やらなくちゃいけないことがあると思ったんだ。
あいつらにも、教えてやらなくちゃいけない。
死んだ世界の仲間達。
意地を張ってへそを曲げ続けてるあいつらにも、教えてやりたい。
お前らは満たされていいんだって、幸せになっても良いんだって。
俺の感じた思いを、知らせてやりたかった。
天国は、満たされて次に行くための場所なんだと、誰かが信じていた。
それを綺麗だと思ったから、俺も。
自分達の天国を、自分達で地獄に変えちまってるあいつ等の背中を、押してやりたかった。
あいつらを縛ってる何かから解放して、卒業させてやりたかったんだ。
それこそが、俺がここに来た意味じゃないのかって、思ったから。
だから俺は、音無は死にながらも、まだ生きなければならない。
死ねないなら止まっちゃ駄目なんだ。
動かなくちゃ駄目なんだ。
ほら、今だって、唯一死なない存在としてここにいる。
だったら、俺にしか出来ないことをやらなきゃいけない。
俺は俺がある限り、誰かに教えてやらないと。
お前は救われていいんだって、満たされていいんだって。
喩え暗闇でもなんでも、在り続けて、知らせなきゃならない。
なのに、なんで……。
――トクン、トクン。
どうして俺は、未だに動くことが、出来ないんだろう。
522
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 01:00:42 ID:vz7rKIk20
「……る」
――トクン、トクン。
それはさっきから聞こえているこの、優しく引き止めるような、耳に響く音のせいなのか。
「……づる」
――トクン、トクン。
どうして俺は、この鼓動がこんなにも、懐かしく思えるんだ。
どうして俺は、止めてはならない筈の身体の動きを、止めてしまいたくなっちまうんだ。
「結弦」
なぜ、聞こえる音色はこんなにも、優しい。
「結弦、聞いて……」
薄らと、俺は閉じていた目蓋を開けた。
その気力が、不意に与えられたんだ。
するとそこに、夜の闇はない、黒はない。
目の前に在ったのは白と、蒼の降り注ぐ、煌く光景だった。
ざぁ、と。長髪が、ぼやけた視界を流れていく。
「あなたの、心臓は」
俺を見下ろす、少女の瞳。
包み込むが如く広がる、荘厳の翼。
雪のように舞い散る、白い羽根。
俺は抱きしめられている。
柔らかな腕に包まれている。
耳に当たる少女の胸元から、どこか落ち着く音が聞こえてくる。
523
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 01:03:01 ID:vz7rKIk20
「ここにある、だから」
懐かしい鼓動だった。
愕然とする。
聞いているだけで、涙が出そうなくらい、満たされてる俺自身に。
「あなたに、わたしは……」
満たされる、満たされちまう、俺が。
おかしいだろう。
これじゃあまるで、俺が救われるみたいだ。
誰かを助けなきゃいけない俺が、この少女に、癒されてるみたいだ。
未練なんて、不満なんて、俺にはなかった筈なのに、どうして。
「どうしても言いたいことが、あって……だからどうか……」
今の俺の、駄目になった耳じゃ、少女の声はまともに聞こえない。
悲しげな声で、必死に伝えようとしている何かを、分ってやれない。
それが悲しくて、だけどこのとき俺は不思議なことに、救われてたんだ。
「あぁ……」
――トクン、トクン。
って、鼓動が、聞こえるから。
聞こえ続けるから。
あの夜みたいに。
いつか失くした筈の、鼓動が聞こえるから。
はは、なんだ、そういうことかよ、ちくしょう。
「ゆず、る?」
そうかここに、あったのか。
俺の音。俺の生きた証。俺の心臓。俺の未練。ああ、そうか君が――
「そう……か」
気づいてしまったら、嬉しくて、堪らなくなる。
空っぽのはずの胸から溢れ出す気持ち。
その衝動に抗えない。
抑えられなくなって、つい。
「…………とう」
「……え?」
掠れた声で、俺は言ってしまった。
ずっと胸に秘めていたものを、俺自身も気づいていなかった思いを。
524
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 01:04:46 ID:vz7rKIk20
「ありが、とう」
残したものはここにある。無駄じゃなかった。
何も成し得なかった俺の人生は、それでも無駄じゃなかったんだって、やっと確信できた。
この鼓動を聞けたから。
俺がいた意味を今も君が、奏で続けてくれてるから。
「命を繋いでくれて、ありがとう」
俺はいま、やっと分ったよ。
ずっと、そう言いたかったんだ。
残した命の証を、形にしてくれた誰かに礼が言いたかった。
それこそがきっと俺に残された、たった一つの未練。
満たされている、満たされちまってる。
それはつまり、かつての世界のルール通り、終わり示した。
消えていく身体の感覚、今度こそ霧散する俺の意志。
どうやらこの場所で、あるいは死後の世界で、
果たそうと思ったことは、もう手に取ることが出来ないみたいだけど。
「ありがとう、君は……」
それでも君に会えてよかった。
言えてよかったと、思ってしまうんだ。
笑って俺は、消えられる。
「君は……天使、だ」
そして儚くも眩い、君の姿に、俺は願う。
天使を、願ってしまう。
「違う私は、天使なんかじゃない」
たとえ君が否定したとしても、言い切るよ。
満たしてくれた、救ってくれた、助けてくれた。
これで俺は救われた気持ちで逝ける。
君は俺にとって、紛れもなく天使だった。
叶うなら、これからもそうあってほしい。
本物の天使のように、この悲しいことの多すぎる場所で、俺に出来なかったことを、俺の代わりにして欲しい。
俺を救ってくれたように、ここで救われないまま消えていこうとする人を、救ってやって欲しい。
「どうか天使で、あってくれ」
勝手な言い分かもしれない。
呪いのような言葉を、君に背負わせることになるかもしれないけど。
俺は願いたい、なぜなら、
「――俺の魂は、君の鼓動だから」
どうかこの気持ちも、受け継いで欲しい。
そう、祈らずにはいられない。
525
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 01:07:14 ID:vz7rKIk20
「……、……」
最後、薄らと見えた、頷いた少女の顔。
いいや、今は天使、なのかな。
「よかった」
本当に、よかった。
「それじゃあこれで、やっと……」
俺はやっと、心から安堵して。
疲れた体を休めることができる。
曇りきった目を、閉じることができる。
――トクン、トクン。
って、聞こえる。
俺が消えてもずっと響き続ける、鼓動の音を聞きながら……。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
526
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 01:10:03 ID:vz7rKIk20
そこは夜だった。
陽の日は海の向こう側に沈みきり、もうない。
日光の不在の空に訪れたのは黒色の天と、蒼白い月光。
冷たい色をした、裏側の世界である。
地上にて、闇を深くする林の下。
虫の一匹も鳴かぬ、凍えるような静けさの渦中。
少女が一人、そこにいた。
地べたに膝をついて、不死を止めた青年の死体を腕に抱く、彼女の名は立華奏といった。
彼女の抱える青年。
もう二度と口を聞かない音無結弦の表情は、とても晴れやかなものだった。
苦痛のない、満たされた表情。
不満のない、救われた表情。
満足して逝った者の微笑が、彼に刻まれた残痕である。
少女はそれを眺めていた。
澄んだ黄色の眼で、青年の死に顔を見ていた。
動きを止めたまま、食い入るように、じっと。
蒼と銀の交わったような美麗の長髪が、土の上に垂れるのも構わず。
光の粒子となって消えていく、青年の体を抱えていた。
しばらく、凍ったような時間だけが、流れ過ぎて。
そうして夜の寒気によって、彼女の細いからだが冷え切った頃。
青年の全身が形を無くして宙に舞い上がった時。
抱く者の失くした少女の唇に、やっと僅かな動きが見られ、夜風に透明な言葉が乗せられた。
「……ありがとう」
それは、置き去りにされた言葉だった。
何の意味も、価値も、重みも、存在しない。
対象を失った言葉になど、当然なにも篭らない。
「ありがとう」
それは、告げられた言葉であり、告げるべき言葉だった。
少女が言う筈の、言葉だった。
青年に告げるための、伝えなければならない筈の、少女の為にあった筈の、
「ありが……」
永劫に届かない、死んだ言葉だった。
最早、果たすことの叶わない願いだった。
青年の成した充足の結果であり、
同時に、少女の果たせなかった未練の、残骸だった。
「…………ううん、違う、これじゃない」
断ち切るように少女は眼を閉じ、首を振って何かを否定する。
呟いていた言葉か、彼女の未練か、あるいは青年の結末か。
どれでもない、肯定だった。
「わかった」
527
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 01:13:10 ID:vz7rKIk20
僅かに現れようとしていた感情を消し去って、告げるべき言葉は、一つ。
肯定の返答。
同時に否定する、少女自身の在り方。
それ以外の答えは、彼女に残されてはいなかった。
「あなたが望むなら、そうする」
繋がせてくれた命に、返せなかった思いが、あった。
だからその言葉ごと此処に、立華奏は置き去りされ、それは在り続けるのだと。
「Angels Wing」
すなわち、いま純白の翼を広げた者は、立華奏ではない。
名を捨てた一人の少女。
否、少女ですら、今はなく。
「だって……」
私はかく在ろう、と。
願われたから、それを果たす、と。
舞い上がる白の羽、雪の降るような景色の中で。
この時、かつて立華奏という少女だった、存在は――
「私の鼓動は、あなたの魂だから」
天使は、また一つ、消える願いを見送った。
「……よかったね」
夜空に消えていく光へと、心からそう告げて。
528
:
My Beats, Your soul.
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 01:14:26 ID:vz7rKIk20
【時間:1日目午後8時30分】
【場所:F-7】
天使
【持ち物:不明、水・食料一日分】
【状況:受継】
音無結弦
【状況:消滅】
529
:
◆g4HD7T2Nls
:2011/11/14(月) 01:14:53 ID:vz7rKIk20
投下終了です。
530
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:48:18 ID:SBZLXUfQ0
――――護るということはとても難しいこと。でもそれを思える貴方はとても優しいのです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
531
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:49:37 ID:SBZLXUfQ0
「……それで、うちらは逃げてきたんや」
「本当……よく解からない二人だったな。コスプレしてるような……まあ、そんな感じです」
「……コスプレ?」
「ええと……仮装みたいなものです、クロウさん」
「おっちゃんでいいよ、なあおっちゃん」
「おっちゃん言うな……そんな歳でもねえよ」
「うそっ!?」
「こんな時、嘘言っても仕方ないだろう……」
夕暮れの中、私達は新たに出会ったお二人と会話していました。
強面のガチムチ系の人、クロウさんと三枝さんに似た賑やかな人、河南子さんのお二人です。
最初、和樹さんは警戒して、珊瑚さんと私――美魚を護ろうとしてくれたのです。
ですが、河南子さんが攻撃の意志はないということを示して直ぐに纏まりました。
その際、クロウさんの強面を河南子さんを弄ってるのが印象的でした。
まぁ、それは今置いておいて、此処まで私達に起きた事を話したのです。
最も、変な人達に会って逃げただけですが。
話したのは主に珊瑚さんと和樹さんでした。
私は日傘を差しながら、二人を見ていただけで。
何となく、それでいいなと思ったから。
「しかし、両手に華ですな」
「な、何言ってるんだよ」
「何って、この状況を見てそれを思わない方が可笑しいですよ、ねぇ、こんなにも可愛い所二人も連れて」
河南子さんはげへへというおっさんみたいな笑い声を出して、和樹さんを弄ってます。
両手に華ですか…………ぽっ。
………………何を考えてるんでしょう、私は。
ただの冗談でしかないのに。
「それとも、そっちの気ですか?」
「……はっ」
「ほら、其処にいい感じの筋肉が居るじゃん」
「………………それは、断じて違う!」
クロウさんの方に、和樹さんを押し付ける河南子さん。
クロウさん×和樹さん……………………
うーん、美しくないですね。
というか、暑苦しいです。そういうのはノーサンキューです。
どちらかというと薔薇が散ってるような美しいのでないと。
恭介さん×理樹さんみたいなのが実にベネです。
ガチホ……ごほんごほん。
兎も角、それとBLは全然違うのですから。
そこの所を勘違いしてもらっては困ります、はい。
………………こほん。
………………私は何を考えてるのでしょう。
いけません、また暴走したようです。
532
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:50:35 ID:SBZLXUfQ0
「和樹、そっちの気やの?」
「絶対に違う!」
「またまたぁ、恥ずかしがる事ないのに」
「河南子っ! 茶化すのもいい加減にっ!」
「……やれやれ、随分と騒がしいこった」
そして、和樹さんの周りには沢山の人が集まっていました。
本当に、いつの間にかですが。
珊瑚さんが不思議そうに、河南子さんは笑顔で、クロウさんは呆れながら。
和樹さんを中心に、いつの間にか輪が出来上がっていました。
それは、偶然でしょうか?……いや、違うと思います。
きっと和樹さんの回りには自然と人の輪が出来るのではないかと思うのです。
あの人は誰よりも優しくて、誰よりも真っ直ぐだから。
そんな和樹さんを見て、人が集まってくる。
きっと彼がいた日常でもそうなのでしょう。
何となくですが、そう思います。
だから、彼は誰にでも優しくて、手を伸ばす。
誰かに望まれれば彼は、何時までも傍に居てくれるだろう。
そんな人じゃないでしょうか。
それだからこそ、彼の元に人が集まる訳で。
だから、私が特別とかそんな訳じゃなくて。
……あれ、どうしてこんな事を思うのでしょう。
結局、一人になろうとしてるのでしょう、私は。
解かりません……わかり…………
――――だったら、早く変わってしまおうよ。
533
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:50:55 ID:SBZLXUfQ0
「………………っ!?」
響く声。
あをに混じるのを誘う、声。
私は思い切り目を見開いて、空を見る。
紅く染まった空が見えて。
私は見えるわけがないのに、『あの子』の姿を探した。
でも、確かに聴こえた。あの子の声が。
あの子の声が、聴こえたのだ。
……ねぇ、私は…………私は…………
「………………美魚ちゃん……どうしたの?……大丈夫?」
ああ、それなのに、貴方はこの瞬間に話しかけてくれるのですね。
それでも、私を見つけ出そうとするのですね。
其処には心配そうな和樹さんが居て。
私はぎこちなく笑って
「大丈夫ですよ、和樹さん」
そう答えた。
答えるしかなかった。
和樹さんは何か言いたそうにして。
その瞬間
『――――さて、定刻となった』
響く、死者を告げる放送。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
534
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:51:18 ID:SBZLXUfQ0
「そ……んな……」
哀しみしか告げなかった死者の放送が終わって。
千堂和樹は、言葉を失い、崩れ落ちるしかなかった。
怒りと後悔と哀しみがぐるぐると心の中で巡っていく。
「くそ、なん……で……皆…………」
覚悟はしていた、していたつもりだった。
なのに、こんなに呼ばれるなんて、予想が出来る訳がなかった。
プライドが高くて、でも、人一倍頑張り屋だった大庭詠美。
騒がしかったけど、誰よりも仲間想いだった猪名川由宇。
どんな時でも笑っていて、懸命に仕事に取り組んでいた桜井あさひ。
病弱ながらも、いつでも素直だった立川郁美。
皆こんな所で死ぬべきじゃなかったのに。
なのに、死んでしまった。
「畜生……護れなかった……くっそ……」
和樹は思いっきり拳を地面に叩きつける。
悔しかった、ただ悔しかった。
護れなかったのが、悔しくて。
大切な仲間を死なせてしまったのが哀しくて。
「オレは……オレは……くそ……オレに力があれば……皆を、皆を護れたのにっ!」
ただ、力が欲しかった。
こんなに後悔をするなら、皆を護れる力を。
こんなにも哀しいなら、皆を護れる力が。
ただ、和樹は欲しくて。
夕焼けに染まる空の下、千堂和樹は無力さを叫んでいた。
535
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:51:53 ID:SBZLXUfQ0
「――――なめんじゃねえよ。兄ちゃん」
そして、重く響く低い声。
クロウが目を鋭くさせ、和樹を睨んでいた。
和樹は驚いて、クロウの方を見る。
「力が欲しいだと……? 皆を護れただと?」
「ああ、そうだよ……オレに力があれば護れたかもしれな……」
「だから、なめんじゃねえ!」
クロウは、和樹を近づいて、そのまま胸倉を掴む。
鋭い剣幕のまま、和樹を睨み続けて。
抑えきれない思いを抱えて、クロウは言葉を吐く。
「力があってもなぁ、護れないものは護れないんだよ。どんなに護りたくてもな」
「だけどっ!」
「兄ちゃん、勇者にでもなるつもりか? 力があれば、誰でも護れると思っているのか」
「ああ……オレはそれでも護りたいんだよ! 皆をっ」
「そうか」
クロウはそう言って、和樹を胸倉を放して突き飛ばす。
そして、二人寄りそって見つめていた美魚と珊瑚の元に駆け寄っていく。
クロウはそのまま二人を抱え込んで
「何を……っ!?」
「ほら、兄ちゃん。今、俺がその気になればこの二人を殺す事ぐらい簡単だぜ」
「っ!?」
「助けに来いよ。護りたいんだろ?」
まるで、挑発じみた言葉。
クロウの和樹を試すような言葉に、和樹は立ち上がりクロウを凄い剣幕で睨む。
次いで、事態を静観していた河南子を見るが、河南子は腕組んだまま動こうとしなかった。
先ほどのふざけた態度が嘘のように冷静な顔で、ただ二人を見つめていた。
和樹が最後に見たのは、護らなければならない少女達。
怯えた表情で、和樹を見ていた。
その顔を見た瞬間、和樹は駆け出していた。
「二人を……放せぇぇえええ!」
「……あめぇよ」
和樹は我武者羅に突撃を繰り出すも、クロウに簡単に避けられて、そのまま突き飛ばされてしまう。
直ぐに和樹は立ち上がり、また向かうも結果は一緒だった。
何度かそれを繰り返して、クロウの何度目か解からない突き飛ばしに
「ぐっ……くそっ」
遂に和樹は起き上がれなくなってしまう。
まだ体力はあるのに、何故か起き上がれない。
悔しさだけが、和樹の心を支配していて。
536
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:52:36 ID:SBZLXUfQ0
「ほら、お前さんはこの二人ですら護れない」
クロウの言葉が重く圧し掛かって来て。
「勇者になれやしないんだよ、この戦場で誰もかも護るなんて無理だ」
千堂和樹じゃあ、勇者になれない。
この当たり前に人が死ぬこの島では。
誰もかも、護るなんてのは、ただの理想論しかない。
「だから、オレは……力が欲しいんだよ……皆を護る力を」
「二人も護れないのにか?」
「……っ」
「兄ちゃん。その意志は大切だけどよ……それで闇雲に力を求めちゃダメだ」
厳しくも、今度は和樹を諭すような言葉だった。
地に伏せる和樹を見ながら、クロウは言葉を続ける。
「まず、自分を正しく見つめろ。そして、目の前の事を確かめるんだ」
「…………」
「おめぇは真っ直ぐだな。皆を護りたい、だから力が欲しい。けれど、ただ、それだけじゃダメなんだよ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ……」
「さぁな、自分で考えな。それはお前がこれから見つけなきゃ駄目なんだよ。手掛かりは教えたぞ」
「……くっそ、オレは…………」
和樹は、クロウの言葉を考えながら空を見つめる。
悔しいくらい綺麗だった。
この空を、死んだ皆にもみせてやりたかった。
哀しいのか、悔しいのか、もう心がグチャグチャだった。
「まあ、更に手掛かりをやるなら…………まず、ほら、この二人を護る方法を考えるんだな」
「……美魚ちゃん、珊瑚ちゃん」
クロウの言葉に、和樹は二人の少女を見つめる。
和樹を心配するような、顔だった。
ああ、ダメだなと和樹は思う。
心配させちゃ、ダメだ。
二人をそんな顔、させちゃダメなのに。
悔しかった、ただ、悔しかった。
二人をこんな顔にしてしまった自分が。
537
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:53:06 ID:SBZLXUfQ0
「なあ、兄ちゃん……素直な自分の気持ちを言ってみろ」
素直な、気持ち。
自分の素直な気持ち。
死んでいった皆。
どれも、皆、綺麗な未来があったのに。
皆、綺麗な、夢を見ていたのに。
こんな所で、しんじゃダメなのに。
「オレが……オレが……かわりに死ねば良かったのに…………皆、素晴らしい夢を希望を未来を持ってたのに」
詠美も、由宇も、あさひも、郁美も。
皆、皆、死んじゃ、ダメだったんだ。
生きて、生きて、生きて。
夢も希望も未来もあったんだ。
だから、そんな素晴らしいモノを持っていた人達が死んでいい理由なんて、無い。
代わりに自分が死んでしまえばいいとさえ、思ってしまう。
「こんな、ところで、死んじゃ、ダメだったんだよ…………ちくしょう」
目が滲んでいた。
ああ、オレは哀しいんだ。
ああ、オレは悔しいんだ。
「オレは護りたかった……くそっ……オレが死ねば……くそっ……くそう……あぁ」
護りたい、護りたかった。
でも、護れない。オレじゃ護れない。
力が無い、でも力を求めても、ダメだ。
じゃあ、どうすればいい。
答えが、見つからない。
悔しくて、悔しくて。
「ちく……ちくしょうううううううううう……あああああああああああああああああああぁ!!!」
そして、オレは泣いて、叫んでいた。
どうしようもない哀しみと悔しさを抱えながら。
ただ、慟哭するしかなかった。
538
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:53:35 ID:SBZLXUfQ0
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ほら、後は嬢ちゃんの役目だぜ。怖い思いをさせて悪かったな」
「ええんよ。美魚ちゃん、いこ」
「ええ」
クロウが抱えていた二人を解放すると、少女達は一目散に和樹達の下に向かっていた。
それでいい、後はあの子達の仕事なのだから。
「お疲れ、おっちゃん」
「だから、おっちゃんじゃないと何度言ってる」
「まぁまぁ」
そして事態を静観していた河南子がクロウの元にやってきた。
河南子は、放送で知り合いが呼ばれる事はなかったようだったが、死者が多いことに驚きを隠せないようだった。
けれど、河南子は河南子なりに考えて、クロウの行動を理解してくれたらしい。
「和樹、どうなるかな」
「さあな、これからだろ」
「そうだねぇ、でもいいな」
「何がだ……?」
河南子は、髪を押さえながら、少し遠くを見つめていて。
躊躇いがちに、言葉を紡ぐ。
539
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:54:21 ID:SBZLXUfQ0
「……あたしも死んだら、あいつは、あんな風に泣いてくれるのかな? あいつは、あたしの為になにかしてくれるのかな?」
それは此処に居ない人へ。
今も、今でも想い続けてる人へ。
届かない言葉を、ただ、紡いでいて。
「……あたしも、あいつが死んだら、あんな風に泣けるのかな? あたしは、あいつの為になにか出来るのかな?」
そんな、切ない想いを。
ただ、言葉と想いを紡いで。
河南子は、遠くだけを見て。
「……なんてね」
最後は、おちゃらけて、笑った。
クロウは言葉をかけられなかった。
かけるべきではなかった。
「おっちゃんもさ、誰か亡くしてしまったんでしょ」
「……なんでそう思う?」
「じゃなきゃ、和樹にあんなに熱くなれないって」
「……ふん、じゃあ、そうなんだろうよ」
河南子の言葉に、クロウは誤魔化した。
見透かされてるが、詳しい事を話す気はなかった。
死ぬなら、あの子らというのは解かっていた。
子供だったのだから、死ぬならあの二人と思っていた。
あの包容力ある人まで死ぬとは思わなかったが。
それに、あの自分を慕ってくれたらしい人まで死ぬとは思わなかった。
けれど、それを言葉にすることは出来ない。
護れなかったのは仕方ない。
そのことに後悔するほど、青くは、もうなかった。
だから。
「…………すまねぇ」
クロウは、それしか言えなかった。
それだけで、充分だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
540
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:54:57 ID:SBZLXUfQ0
真人さんが亡くなってしまった。
信じられないが、事実なんだろうと思う。
哀しいけれど、仕方ない事だろうかとさえ思ってしまう。
でも、仕方ないかも知れないけど、やっぱ哀しかったんです。
そして、和樹さんは数多くの仲間が死んでしまったらしい。
護れなかったことを悔しんでいた。
凄く哀しがっていた。
そして、代わりに自分が死ねばよかったという言葉に心が掴まれたような気分になってしまう。
あの人は、とても優しいんだ。
誰かの夢を、誰かの未来を、誰かの希望を、本当に大切に思っている。
だから、それを護りたかったんでしょう。
優しいから、そんな想いを持てるんでしょう。
「……和樹」
「珊瑚ちゃん……御免……護れなくて御免」
「ええんよ、和樹」
珊瑚さんもきっと同じ事を考えてるんだろう。
だって、和樹さんを見てればきっとそう思うんでしょうから。
「和樹……焦らんでええよ。ゆっくり、ゆっくりな」
「……オレは」
「一緒に、一緒にな、和樹だけやないんから。ウチも美魚ちゃんもおるんやから」
珊瑚さんは、和樹さんの右手を握った。
「せやから、一緒に、考えよ……それでええんから……護るって事を、考えるのは一人やなくてええんやから」
そして、珊瑚さんは私を見ました。
次は、私の番やよというように。
541
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:55:20 ID:SBZLXUfQ0
私は……私は…………
「和樹さん。一緒に行きましょう。和樹さんなら……きっと見つけられますから」
「美魚ちゃん……」
「はい。三人で一緒に、ゆっくり、考えましょう……大丈夫ですよ、きっと、きっと」
私は、和樹さんの左手を強く握った。
寄り添って、労わるように。
私の意志で、そう言葉を紡いだ。
真っ直ぐな和樹さんだから。
きっと、きっと、大丈夫。
そして、あの子への意思表示だった。
私は。
私は、まだ此処に、この人達の傍に、居たい。
たとえ、残された時間が短いのだとしても。
私は、まだ、此処に居たい。
そう示すように、手を、握り続けていた。
其処には、とても、とても、温かいものが、存在していたのです。
私は、それが、とても、とても、心地よく感じたのです。
542
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:55:40 ID:SBZLXUfQ0
【時間:1日目午後6時40分ごろ】
【場所:E-5】
千堂和樹
【持ち物:槍(サンライトハート)水・食料一日分】
【状況:深い哀しみ】
姫百合珊瑚
【持ち物:発炎筒×2、PDA、水・食料一日分】
【状況:健康】
西園美魚
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】
クロウ
【持ち物:不明、シャベル、アイスキャンデー、ゲンジマル、水・食料一日分】
【状況:健康)】
河南子
【持ち物:XM214”マイクロガン”っぽい杏仁豆腐、予備弾丸っぽい杏仁豆腐x大量、シャベル、アイスキャンデー(クーラーボックスに大量)水・食料二日分】
【状況:健康】
543
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/01/28(土) 04:56:23 ID:SBZLXUfQ0
投下終了しました。
このたびはオーバーしてしまい、申し訳ありませんでした。
544
:
survive song
◆auiI.USnCE
:2012/02/05(日) 01:29:00 ID:kUz.Vn.s0
――――だから、私達は歌い続けるんだっ!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
走っていた。
ただ、我武者羅に走っていた。
普段走りなれてないから、足がもう大分痛い。
山道なんて、インドアだった私には経験がないから、尚更だ。
でも、私は走る事を止めるなんて、出来やしなかった。
―――…………まだだ、まだ! 死んでない!
今でも、頭にリフレインする言葉。
芳賀さんの、最後の言葉。
紡がれたのは、生の渇望。
そして、きっと、私を逃がす為の強い意志が籠められた言葉。
だから、私は逃げる事ができた。
だから、私は生きている。
芳賀さんのお陰で、私は生きていた。
そう、私は生きている。
口から漏れる荒い息、とても速い心臓の鼓動。
その一切すべてが私の生を証明している。
545
:
survive song
◆auiI.USnCE
:2012/02/05(日) 01:29:22 ID:kUz.Vn.s0
そして、先程から、聞こえて来た放送が、芳賀さんの死を証明していた。
芳賀さんだけじゃない、戦線の皆とひさ子先輩、ユイにゃんの死をも伝えていて。
私は言葉を失うしかなくて。
でも、走る事を止める事は出来なかった。
皆が『死んでない』なんて、もう私には言えない。
きっと、本当に死んだんだろう。
本当に、簡単に、死んでしまった。
ガルデモも二人になってしまった。
ひさ子先輩は満足に逝けたのだろうか。
ユイにゃんは満足に逝けたんだろうか。
確認しようも、確認なんて、出来やしない。
…………ううん、満足に逝けたはずなんてないんだ。
今までずっと満たされなくて。何処か空虚なようで。
簡単に死んでしまった自分自身を認められなくて。
だから、私達は歌っていた。精一杯、精一杯に。
何を?
――――生きる事をだ。
ガルデモの初代ボーカルだった岩沢さんはまるで鬼気迫るように歌っていた。
何が哀しいのか、何が苦しいのか、狂ったように歌って。
何となくガルデモに入れられた私には、彼女の気持ちがよく解からなかったけど。
今なら、それが本当によく解かる。
死にたく、死にたくなかったんだよ。
だから、その想いを歌に籠めてたのかもしれない。
そして、岩沢さんは満足して、本当に逝った。
自分の生きる事に、歌う事に満足したのだろうか。
私には解からない、他人の心なんて解かりはしない。
けれど、解かりたくなかったのかもしれない。
生きる事に満足するってのが解からないから。
546
:
survive song
◆auiI.USnCE
:2012/02/05(日) 01:29:38 ID:kUz.Vn.s0
ガルデモってなんだったんだろうと、ふと思う。
戦線のバックアップ?
岩沢さんが歌う為に作ったバンド?
どれも正しいようで、違う気がする。
じゃあ、何なんだったろう。
じゃあ、何で、私はガルデモにいたんだろう。
生きて、死んで、また蘇って。
そんなありえない世界で、私達が歌い続けた理由。
私が、ガルデモに居た理由。
――――まだだ、まだ! 死んでない!
そして、またリフレインする、言葉。
……ああ、そうか、そうなんだ。
きっと、そうなんだよ。
私達は、この思いを、歌っていたんだ。
547
:
護るということ(Ⅰ)
◆auiI.USnCE
:2012/02/05(日) 01:30:04 ID:kUz.Vn.s0
「死んで、たまるか」
死んでたまるか。
こんな死なんて認めてたまるか。
まだ、まだ、死んでない。
生きてやる、ずっと生きてやる。
そんな思いを歌ってんだよ。
死んで生き返る世界で、忘れかけてたけど、きっとそう。
「死んで、たまるか」
何度も、何度も私はその言葉を口に出す。
ガルデモはもう二人しか居ない。
ボーカルのユイにゃんも、支えてくれたひさ子先輩も、もう逝ってしまった。
けれど、けれども。
――しおりんは、自分だけがやりたいこと、やりなよ。
私が、やりたい事。
今、私がやらないといけない事。
ああ、それはきっと決まってるんだ。
――あたしはね、しおりんにここをなくして欲しくないだけだよ
今なら、きっと言える。
私はガルデモが好きだったんだ。
なら、その好きなことを忘れないために。
548
:
survive song
◆auiI.USnCE
:2012/02/05(日) 01:31:31 ID:kUz.Vn.s0
「死んでたまるかっ!」
――――関根しおりは生きる事を、歌い続けよう。
みゆきちも、まだ生きている。
私達、ガルデモは、まだ終わっていない。
だから、まだ、歌える、歌っていける。
ユイにゃんやひさ子先輩の分も。
生きるという事を。
死んでたまるかという事を。
歌っていくんだ。
歌っていけるんだ。
生きたいという思いを抱えて。
死んでたまるかというおもいをかかえて。
「死んでっ! たまるか――――っ!」
――――だから、私達は歌い続けるんだっ!
生きたいという、精一杯の歌を。
私達は歌い続けるんだっ!
【時間:1日目午後6時30分ごろ】
【場所:C-4】
関根
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
549
:
survive song
◆auiI.USnCE
:2012/02/05(日) 01:31:48 ID:kUz.Vn.s0
投下終了しました
550
:
◆g4HD7T2Nls
:2012/02/11(土) 02:36:17 ID:EPxY4dKI0
投下します
551
:
ワールド・イズ・エネミー
◆g4HD7T2Nls
:2012/02/11(土) 02:41:38 ID:EPxY4dKI0
声がする。
敗北者の声がする。
何者でもない何かが、何か、言ってる。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
552
:
ワールド・イズ・エネミー
◆g4HD7T2Nls
:2012/02/11(土) 02:44:35 ID:EPxY4dKI0
月明かりの下、少女の声が野風に乗って響く。
「これから、どこにいくんですか?」
ぼそりと、久寿川ささらはそう切り出した。
落ちた日。
訪れた夜が深く沈みいく過程、僅かな期間の一場面。
冷たい月光に照らされたあぜ道を、三人の女性が歩いていた。
柚原春夏と久寿川ささらが並んで前を、
二人の後ろから、香月ちはやが少し遅れて進んでいる。
「んーそれじゃあ、どこに行きましょうか?」
小気味良い調子で隣人にそう切り返したのは柚原春夏である。
三人の中で最も年長者であり、中心に立つ者。
たとえ、殺すものから守るものへと変じようと、これからもそれは変わらない。
洋館を出てから数分ほど経った現在、ささらはそう信じていた。
彼女に追従するように進んできた。
「……決めて、ないんですか?」
だからこそ憔悴を滲ませるささらの声が、夜のどこか生暖かい空気に染みわたる。
ささらは困惑していた。
自身を導いてくれると確信していた女性の、任を放棄するような言葉。
どこか不安を煽るような夜気。
目を細める春夏を見上げながら、
ささらは制服の袖を握り締め、怪訝な表情を浮かべる。
それはしかし、怯えの濃く滲む、泣き顔に近いものだった。
「ええ。決めてないわ」
だからその、春夏の返答はある種、容赦のないものだった。
少なくともささらにとっては。
「決めてるわけないわよー。
どこに行くのかも、どこで何をするのかも、ね。
だって全部、これからじゃない?」
言葉には緩みが無い。
ささらの不安を拭う為の、甘さ。
漂う諦念を誤魔化す為の、気休め。
何一つ含まず、ただただ笑顔で、朗らかに、
そして突き放すように、春夏は言っている。
「だからほら、どうするのか、春夏さんに教えて?」
「でも……春夏さんの意見も――」
「ああ、それは駄目よ」
この先の道に標は無い。
「考えなさい、あなたが、自分で」
甘えるな、と。
ほんの一瞬、厳しく色を変えた春夏の瞳に、
「…………っ」
押し黙り、俯く、ささらの歩みが僅かに遅くなる。
見透かされたような羞恥か、あるいは春夏の言葉が重く心に沈んだ結果か。
ぎゅっ、ぎゅっ、と短く二度、握り締められた制服の袖に、数本の皺が走った。
553
:
ワールド・イズ・エネミー
◆g4HD7T2Nls
:2012/02/11(土) 02:47:36 ID:EPxY4dKI0
「確認するわ。もう、止めるのよね。人を殺すのは」
「……はい。」
自分で決めたことだった。
己には続けられぬと知った道だった。
日の光に背く、暗い重い陰惨な生き方。
想像するだに怖気が走り、もう二度と、戻れるとは思えない。
人から奪って生き延びるという、ぐずぐずと肉を潰すような、消せぬ感覚。
「罪を背負って生きる。殺さずに生きる。
今からは、正しく生きると、あなたは選んだ」
だからそうやって生きると言う事の、なんと簡単な事だったろうか。
そして実行するという事の、どれだけ難しい事なのか。
罪を罪として受け止める苦痛を、身をもって今、理解している。
「だったら、進む方向を私に聞くのは止めなさい。
あなた自身の選択を、あなた自身の責任で、行動にしなさい」
「……」
諭すような春夏の言葉。
罪科を、ささらは知った。
知ったからこそ、無意識に押し付けようとした責任に、恥じる。
己の卑しさを、己の口で、滅茶苦茶に詰りたくなる。
「…………」
僅か、ほんの僅か、静寂が流れた。
力を込めて握る袖と、唇を噛む小さな音が、静かなあぜ道では誰の耳にも届いて。
「あのねぇ」
「?」
「えいっ!」
掛け声が一つ。
「――ひゃあ!?」
ばしっ、と鳴る音と、軽い衝撃。
遅れて脚の付け根のあたりがジンと、痺れる感触。
「……っ」
スカート越しに、平手で尻を叩かれる。
自分の口から飛び出した間の抜けた声に顔を赤くしながら、
ささらはその唐突な展開に困惑していた。
「なぁ、なにを……っ?」
するんだ、と。
混乱交じりに見上げた、その人物はやはり、笑んでいた。
「そうそう、ちゃんと顔上げて、前を見る」
「……春夏さん」
朗らかに、未だ突き放すように、けれど確かに、優しく。
春夏はささらの目を見ていた。
554
:
ワールド・イズ・エネミー
◆g4HD7T2Nls
:2012/02/11(土) 02:50:13 ID:EPxY4dKI0
不意にまた、俯きたくなる衝動が湧き上がる。
頼りそうになってしまうから、甘えそうになってしまうから。
この先の自分に、自身が持てないから。
「もう、また下向いてる」
「……」
「しょうがない子」
だから、肩を抱き寄せられたとき、
ささらは思わず身を捩りそうになっていた。
情けなくて、払いのけて、走りだしたくなる衝動がある。
「怖いわね。強く、正しく生きようとするのって」
それでも包むように回された腕は暖かく。
浸りたいという衝動に、どうしても抗えない。
「もう……取り返し、つかないんですよね……?」
甘えた思いが、止まない。
弱い言葉を、止められない。
「そうね、償うも何も、今更っておはなし。
人をひとり、私たちは死なせたわ。
わたしも、あなたも、それは変えられない事実。
特にあなたには、長い人生でこのさき一生の重荷になる。
まったく……最後までやりきる覚悟も無いくせに、馬鹿なことやったのね」
支えてくれる女性の声は、厳しく残酷だけれども、
ぽん、ぽん、と、肩を叩く手の平の感触に心が安らいだ。
たった数時間前のこと、初めて出会った時とは別人のような、春夏の表情。
「それでも、あなたのこれからは、続いていく」
まるで優しい母親が支えてくれているように思えて、また泣きそうになる。
甘えそうになる。
縋りつきたい衝動をなんとか耐えきったとき、
けれど続けられた言葉が、あった。
「私はね、あなたのお母さんじゃないわ」
それは当然のこと。
「あなたはね、このみじゃない、私の娘じゃない」
知っていたこと。
だけどもしかしたら、逃げ道だったかもしれない、そんな思い。
「だから私はね、あなたが全てだって、一番大切だって、言ってあげられない」
「分ってます。私は自分で生きなきゃいけなくて、自分で償わなきゃいけなくて……」
だから掠れた声で、強がろうとして。
555
:
ワールド・イズ・エネミー
◆g4HD7T2Nls
:2012/02/11(土) 02:51:35 ID:EPxY4dKI0
「でもね」
遮られる、声に。
「私はあなたを助けてあげたいって、思ってる」
「……っ」
結局それだけで、簡単に、感情が決壊しそうなる。
自分が嫌になる。
弱い人間なのだと、自覚させられるから。
「行き先は、あなたが決めなさい。生きたいなら、諦めないなら」
厳しい言葉だった。
もしかすると本当の母親以上に、厳しい言葉だった。
そして同時に、空虚な言葉でもあった。
「少なくとも生きるんだって、
決めたのは、決める事が出来たのは私じゃなくて、あなたでしょう?
私には、自分の為に出来ることなんて、もう見つけられないけれど」
だけど正しくて、そして今はどこか空虚なこの女性の、残り火が暖かい。
「あなたにはまだ、あるんでしょう?」
硬く、強い、自分を取り戻すには、ささらにはまだ時間が足りず。
「守りたいもの、生きる理由がある。そうでしょう?」
だから、一言。
「……はい」
噛み締めるように答えて、涙を拭う。
それが今のささらにとっての、精一杯。
ゆっくりと正しい道を歩き始めた、一歩だった。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
556
:
ワールド・イズ・エネミー
◆g4HD7T2Nls
:2012/02/11(土) 02:56:13 ID:EPxY4dKI0
声がする。
「…………なのでひとまずは道沿いに歩き、道中で情報を集めましょう。
あの館のように地図に載っていない要所も存在するでしょうし」
「なるほどね、途中で他の人に出会っちゃった場合はどうするのかしら?」
「攻撃の意志のない人ならば、情報交換からですね、まずは」
「じゃあ、来ヶ谷ちゃんみたいに、攻撃的な子に見つかっちゃったら?」
「……逃げるとか、説得するとか、とにかく努力して生き残ります」
「そっか、それがささらちゃんの考えってことか」
「はい」
「じゃあ春夏さん、了解したわ。行きましょうか」
敗北者の声がする。
何者でもない何物かが、何か、言ってる。
「ちはやちゃんも、それでいいかしら?」
そう呼んで、私の方を振り向いた二人の女性に、私は黙って首をかしげた。
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ワールド・イズ・エネミー
◆g4HD7T2Nls
:2012/02/11(土) 02:58:24 ID:EPxY4dKI0
あまりにもつまらなくて。
茶番すぎて、情けなさすら感じてしまって、なんだか苦笑すら浮かばなかった。
単純な疑問。
どうしてこの人たちは、こんなにも気楽にしているのだろう。
憑き物の落ちたような表情で、清清しさすら纏って、からっぽの言葉の羅列を並べていられるのは、何故か。
私には理解できなかった。
したくも、なかったけれど。
少しだけ聞いてみたくもなった。
ねえ、どうして?
どうして、そんなにも無様な有様で、そんなにも安らいでいられるの?
どうして、そんなにも見当違いの綺麗ごとを呟いて、馬鹿みたいに笑っていられるの?
私は、あなた達を知らない。
だけど――
『怖いわね。強く、正しく生きるって』
ねえ、それが、あなた達が欲しかったものなの?
『もう……取り返し、つかないんですよね……?』
ねえ、それが、あなた達が辿り着きたかった結末なの?
『でもね。あなたを助けてあげたいなって、思ってる』
ねえ、それが、あなた達が本当に守りたかった『何か』なの?
違うよね。
違うくせに。
そんな綺麗ごとを吐くために、生きてきたんじゃないくせに。
そんなつまらない『正しさ』を守る為なんかに、戦ってきたんじゃないくせに。
「聞いてる? ちはやちゃん、それで、いい?」
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