大韓航空機爆破事件(だいかんこうくうきばくはじけん、朝: 대한항공 858편 폭파 사건)は、1987年11月29日に韓国・大韓航空所属の旅客機が、北朝鮮の工作員によって飛行中に爆破されたテロ事件である。
大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん、英: Korean Air Lines Flight 007、朝: 대한항공 007편 격추 사건、露: Катастрофа Boeing 747 над Сахалином)は、1983年(昭和58年)9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯したためにソ連防空軍[注釈 1]の戦闘機により撃墜された事件。乗員・乗客合わせて269人全員が死亡した。
ミルグラム実験(ミルグラムじっけん、英: Milgram experiment)とは、閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものである。アイヒマン実験・アイヒマンテストとも言う。50年近くに渡って何度も再現できた社会心理学を代表する模範となる実験でもある[1]。
アメリカ、イェール大学の心理学者、スタンレー・ミルグラム(英: Stanley Milgram)が1963年にアメリカの社会心理学会誌『Journal of Abnormal and Social Psychology』に投稿した、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものである。
東欧地域の数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者であったアドルフ・アイヒマンは、ドイツ敗戦後、南米アルゼンチンに逃亡して「リカルド・クレメント」の偽名を名乗り、自動車工場の主任としてひっそり暮らしていた。彼を追跡するイスラエル諜報機関が、クレメントは大物戦犯のアイヒマンであると判断した直接の証拠は、クレメントが妻との結婚記念日に、彼女に贈る花束を花屋で購入したことであった。その日付は、アイヒマンの結婚記念日と一致した。またイスラエルにおけるアイヒマン裁判の過程で描き出されたアイヒマンの人間像は人格異常者などではなく、真摯に「職務」に励む、一介の平凡で小心な公務員の姿だった。
このことから「アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。それとも妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。この実験は、アイヒマン裁判(1961年)の翌年に、上記の疑問を検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言う。
ただし、アイヒマンの実際の人物像については議論があり、同じく元ナチスのウィレム・サッセン(英語: Willem Sassen)によるインタビューでは、ホロコーストへの関与に対し「私は少しも後悔していない」と言っている[2]ほか、1945年に『わたしは笑って墓穴に飛び込むだろう。五〇〇万の人間の命がわたしに良心を求めていると思うと、途方もない満足を覚えるからだ』という言葉を残している[3][4]など、彼はもともと反ユダヤ主義者であり、確信的に虐殺に関与したのではないかとも言われている。
→「アドルフ・アイヒマン#人物」を参照