●安倍元首相だけではない…米メディアが「トランプ元大統領と統一教会の癒着」を相次いで報じる理由
>>同一団体のイベントに半年間で2回出演
このイベントについて調べると、催しを全編収録した動画が検索に引っかかった。統一教会の関連団体Universal Peace Federation(UPF=天宙平和連合)が昨年9月11日に開催した、「Rally for Hope(訳=希望への集会)」というものだ。安倍元首相はビデオメッセージを寄せ、「UPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」と発言している。さらに別の動画も見つかった。こちらは今年2月、やはりUPF主催の「Summit for Peace of Korean Peninsula(訳=朝鮮半島平和サミット)」で、ここにも安倍元首相がメッセージを寄せていた。司会者が読みあげる形で、その背景には巨大な安倍氏の写真が掲げられている。特定の団体のイベントに、わずか半年の間に2度出演というのは、なかなかの頻度にも感じられる。
>>トランプ元大統領は文鮮明氏に「感謝している」
実はこの2回のイベントには、他にも世界的なリーダーが出演していた。ドナルド・トランプ前大統領だ。トランプ氏はいずれも基調講演者として出演し「UPF、特に韓鶴子総裁が、世界平和に果たしてきた功績に感謝したい」などと述べている。これを報じたビジネスインサイダーは、トランプ大統領が1991年、フロリダの別荘「マールアラーゴ」を文鮮明(統一教会創始者)に売却することを考えていたとし、関係が長いことを伝えている。さらに、この催しにアメリカから参加していた政治家は、トランプ氏だけではなかった。ペンス元副大統領、チェイニー元副大統領の姿も見えた。共和党の新旧重鎮が登場したことで、統一教会と共和党、とりわけタカ派との深い関係が憶測される。その食い込み方は、トランプ氏のスピーチからも分かる。「文鮮明がワシントン・タイムズを設立してくれたことにも感謝している」ワシントン・タイムズは、フォックス・ニュースなどと並ぶアメリカの保守メディアで、トランプ氏の大統領当選にも貢献した。アメリカではカルト宗教と呼ばれることも多い団体が、このようなメディアを押さえているという事実は、アメリカ国民にはあまり知られていない。
>>「反共主義」を掲げ、冷戦時代に政界に接近
統一教会とアメリカ保守政治との関係は冷戦時代にさかのぼる。1950年代からアメリカで布教活動を始めた文鮮明は、1970年代にアメリカに移住、その影響力を政治の分野でも強めていく。1974年、ウォーターゲート事件で大統領弾劾の危機にあったニクソン元大統領を擁護するために、統一教会は信者に呼びかけ議会前で3日間のストライキを行った。その後ニクソン氏は文鮮明氏に対し公式に感謝の言葉を送っている。この事実が主要メディアで報道され、統一教会の存在はアメリカ国内で一気に知られることとなった。1982年文鮮明は、アメリカの首都に新聞ワシントン・タイムズを設立。共産主義と戦う保守メディアとして、レーガン、H.W.ブッシュの2人の共和党元大統領から、強い支持を受けた。冷戦時代の脅威だった共産主義との戦いという旗の下に、アメリカの政治や文化にも入り込んでいった様子がよく分かる。1977年、米下院の委員会は、韓国中央情報部(KCIA、当時)が教会のボランティアを利用して、米国政治に影響を及ぼそうとしていたと報告。90年代になると、1995年H.W.ブッシュ元大統領とバーバラ夫人が、東京ドームで行われた韓鶴子氏主催のWomen's Federation for World Peace(世界平和女性連合)集会に参加している。当時その様子を伝えたニューヨーク・タイムズは、この時を「訪日の最大の驚き」と表現している。
●コメント313の誤りを訂正
誤:「ドラクラワ」→正:「ゴヤ」
※『我が子を食らうサトゥルヌス』(わがこをくらうサトゥルヌス、スペイン語: Saturno devorando a su hijo)は、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤの絵画作品で、連作「黒い絵」の一点である。
※『キオス島の虐殺』(キオスとうのぎゃくさつ、仏: Scène des massacres de Scio)は、ウジェーヌ・ドラクロワが1824年に完成した油絵(354 x 419 cm )。現在はパリのルーブル美術館の所蔵である。
1822年4月11日より数ヶ月間、当時オスマン帝国統治下のギリシアのキオス島にて、独立派らを鎮圧するため、トルコ軍兵士が一般住民を含めて虐殺した事件の一場面を、キャンバスにて表現したものといえる。1820年末より、ギリシア独立のための武装蜂起が始まり、1821年3月26日より、ギリシア独立戦争として一連の戦闘が開始されるが、トルコ側による鎮圧も過酷なものであった。
遠近法を無視したこの絵では、左側の人物のピラミッドと右側の人物のピラミッド、二つのピラミッドで構成されている。右側のピラミッドの頂点をなす騎乗するトルコ人司令官は全裸のギリシア女性をつるし上げ、その下に死んだ母親にすがる幼児、あらぬ彼方をみやる老婆が、絶望と弾圧の強い意志を表現して描かれている。人物写真もなく、活字による報道だけであった1820年代で、絵画によるイメージという手法により、ギリシア独立について、ヨーロッパ市民の目を注ぐこととなった。
なお、この絵画も含めて、ヨーロッパ諸国によるギリシア独立支援への世論により、フランスやイギリスがギリシア独立勢力の支援に動き、1830年2月にギリシアのトルコからの完全独立が合意、1832年6月にギリシアが完全独立国として承認される。