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愛国青年連盟  全日本愛国者団体会議

2名無しさん:2013/12/14(土) 21:58:05
戦後尖閣諸島上陸は愛国青年連盟が一番最初

1972年5月15日、沖縄の本土復帰の日である。この日、既に魚釣島に上陸し日章旗を掲げる人物が海上保安庁によって確認されている。

以下、「10年のあゆみ 海上保安庁第十一管区保安本部」p78より引用
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 魚釣島の日章旗
5月15日の予定行事を終えて、ホッとしてl0時からの沖縄県主催の記念式に出席していた私は
尖閣諸島警備中の巡視船「からつ」からの通報に驚かされた。夜があけて魚釣島を見たところ
島の小高い所に日の丸を揚げて頑張りている者がいるという。
いうまでもなく、この諸島については中国が領有権を主張しており、本土復帰と同時に何らか
の対抗手段に出てくるのではないかと危惧されていたところであり、私としても最も頭の痛い

問題の一つであった。そのため、本庁でも早くからこれが対策について検討を重ね、復帰後は
この海域に常時2隻の巡視船を配備して警戒に当たることが庁議で決定していた。この決定に
従い、十管区と七管区からそれぞれ巡視船「さつま」、「からつ」の応援を得て、警戒に入っ
たばかりである。早速、本庁と連絡をとる一方、対策について協議した。
本庁では、この問題が大きなニュースとなって中国政府を刺激することを恐れ、何とかこれを
止めさせることはできないかという。しかし当日は極度の悪天候で、巡視船から上陸はできな
いし、たとえ上陸できても強制的に身柄を拘束することは法的にも難しい。
いろいろ迂余曲折はあったか、上陸者本人が連日の豪雨にぱててしまい、巡視船に救助を求め
てきてチョンになった。しかし私はこのニュースを伏せるため、新聞記者から逃げまわり、警
備課の方々が随分と苦労されたことを付して置く。
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また、「増補・戦後の右翼勢力」堀幸雄著・勁草書房の中の、右翼活動年表p240に

1972/05/15 愛国青年連盟員が尖閣列島に上陸し日の丸を掲げる。
とあり、尖閣諸島における右翼活動は1972年5月15日が始まりであると考えて良いだろう。




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