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1NAME:2013/02/08(金) 23:45:51
人 間

357NAME:2017/02/16(木) 23:44:25
【衝撃事件の核心】
ロープで拘束して顔に熱湯、胃は空っぽ 交際相手とともに3歳女児を死においやった22歳母親は妊娠8カ月だった…
2016.1.24 10:14更新
http://www.sankei.com/premium/news/160123/prm1601230027-n1.html

埼玉県狭山市で3歳の藤本羽月(はづき)ちゃん(3)が自宅マンションで死亡しているのが見つかった事件は、捜査が進むにつれ、保護責任者遺棄容疑で逮捕された母親と内縁の夫の激しい虐待の状況が浮かび上がってくる。埼玉県警が、執拗かつ日常的だったとみている羽月ちゃんへの虐待、その背景には何があったのか。(さいたま総局 菅野真沙美、宮野佳幸)

「皮膚が剥離し…」 「女の子の顔にあんな(やけどの)傷は考えられない。鬼畜だ」 県警の捜査関係者はそう怒りで声を震わせる。1月9日、遺体で見つかった羽月ちゃんは、鼻や目を覆うように顔全体にやけどを負い、体には「皮膚が剥離(はくり)したようなものなど、傷が体全体のあちこちにあった」(捜査関係者)。

 捜査関係者によると、逮捕された母親の藤本彩香容疑者(22)と交際相手の大河原優樹容疑者(24)は、LINEで「帰ったらこうしよう」「今日も水をかけよう」などと虐待内容を相談していた。 押し入れには金具がつけられており、ロープを使って羽月ちゃんを閉じ込めていた可能性もあるという。やけどは大河原容疑者が熱湯をかけたとみられる。発見時の羽月ちゃんはやせ細り、胃には食べたものが残っていない状態だった。

妊娠8カ月、喜怒哀楽激しく

 知人らによると、母親の彩香容疑者は明るく人見知りをしない性格。キャバクラなどに勤めていたが、人前で泣いたり怒ったりと喜怒哀楽が激しい一面があり、勤務態度の問題で店を解雇されたこともあったという。 羽月ちゃんと長女(4)はいずれも前夫の間の子供で、彩香容疑者はその当時のブログに「(長女の名前)ほんとにテレビっ子。テレビと喋ってるからね。ちょお可愛い!」「昨日から何も食べてない。38℃ちょいあるし、赤ちゃん大丈夫かな?」と長女との生活の喜びや、おなかの羽月ちゃんを心配する文章を載せていた。

 「子供たちにサンタさんちゃんと来てました」

 昨年12月25日には、彩香容疑者は「LINE」で羽月ちゃんと長女へのクリスマスプレゼントのおもちゃや、大河原容疑者と交換したアクセサリーなどの写真を掲載し、幸せな家庭をアピールしていた。 ブログでは第3子が妊娠8カ月になったことを明らかにし、「残りの妊娠生活楽しみます」とも書いていた。 おなかの子供の成長と歩を合わせるかのように「秋口から羽月ちゃんへの虐待がエスカレートしていった」。2人は調べに対し、そう供述しているが、虐待の芽は大河原容疑者との交際前からあったと知人は話す。

 知人のスナック経営の女性(65)は、彩香容疑者の母親が「家に帰ったら娘が羽月ちゃんをトイレに閉じ込めていた。どうしてこんなことをするのか」とこぼすのを聞いた。また、一昨年夏に娘2人を連れた彩香容疑者と夏祭り会場で会い、「1日一緒にいたのに羽月ちゃんは笑顔がなく無表情で、『ちょっと普通じゃない』と虐待を疑った」と振り返る。

358NAME:2017/02/16(木) 23:54:55
別の知人男性(32)は同じ頃、花見の席で一緒になった彩香容疑者が羽月ちゃんを叱るときに手をたたいたり、引っ張り倒すように座らせていた様子が印象に残っていると話す。 「羽月ちゃんは自分で進んで何かをしようとせず、ビクビクしていつも彩香容疑者の顔色をうかがっていた。1歳半の子供の反応じゃなかった」

大河原容疑者は「嫉妬激しく縛り付ける人」

 一方の大河原容疑者は、どんな人物なのか。 知人女性は「日高市内の中学、高校に通っていたときからあまり良い噂を聞かなかった。以前交際していた友人が暴力を振るわれたことがある」と声をひそめる。彩香容疑者も大河原容疑者について「嫉妬が激しくて縛り付ける人」とこぼすことがあった。

 彩香容疑者は昨年5月以降、母親らと暮らしていた家を出て、娘2人とともに大河原容疑者と同居を始めた。6月には羽月ちゃんと長女が保育所に入所し、「子供が保育所に行けるようになった」と喜んでいたが、夏に妊娠が分かり、羽月ちゃんらはわずか十数日間保育所に通っただけで自宅での生活に戻っていた。

 以前は母親や友人らと周囲の飲食店で頻繁に飲み歩く様子が目撃されていた彩香容疑者だったが、その頃からぱたりと現れなくなった。 また、彩香容疑者はブログやラインに交際相手とのやりとりを赤裸々につづることが多かったが、昨年11月ごろには大河原容疑者との別れ話が出たためひどく落ち込み、精神的に不安定な様子だったという。

2度の110番生かされず

 近くに住む男性(30)によると「昨年11月ごろから外で羽月ちゃんの姿を見かけなくなった」。ただ、それ以前にも虐待のサインは出ていた。 近隣住民は昨年6月に家の外に出された羽月ちゃんがブランケットにくるまって泣いているのを目撃し、110番通報した。7月にも「30分前から室内で女の子が泣き続けている」という通報が寄せられていた。

 駆けつけた警察官に2人は「自分たちがけんかをして子供を閉め出してしまった」「風呂に入れようとしたときに叱ったら泣き出した」と説明。警察官は羽月ちゃんの体に目立った傷などが確認されなかったため、県警内部の虐待情報集約システムへの情報登録や、児童相談所への通告は行っていなかった。 また、羽月ちゃんと姉は乳幼児検診を受けていなかった。そのため狭山市職員が平成25年4月〜27年5月に計3回自宅を訪問し、羽月ちゃんや姉、彩香容疑者らと面会を行っているが「虐待のサインは確認できなかった」としている。

 児童虐待防止全国ネットワーク理事長の吉田恒雄氏は「市民の通報に警察が答えられず、市の虐待リスク判断も不十分だった。警察と市、児童相談所の連携の谷間に落ちたケースだ」と話す。 彩香容疑者の知人女性は「あの子には羽月ちゃんと同じ目に遭わせてやりたいと思うぐらい怒りを覚える。でも警察や市も何とかできたんじゃないかという気持ちがぬぐえない」と訴え、「羽月ちゃんのあどけない顔が目に浮かぶ、助けてあげたかった…」と涙をこぼす。3歳のいたいけな少女を救う手立てはなかったのだろうか。

359NAME:2017/02/24(金) 00:15:03
【女子大生ストーカー刺傷】
「口や右足の親指にもまひ」「頭がおかしくなるくらい悔しい」 冨田さん意見陳述要旨
2017.2.23 18:30更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170223/afr1702230025-n1.html

東京都小金井市で昨年5月、芸能活動をしていた大学生の冨田真由さん(21)をナイフで刺したとして、殺人未遂罪などに問われた群馬県伊勢崎市の無職、岩埼(いわざき)友宏被告(28)の裁判員裁判の第4回公判が23日、開かれ、冨田さんが意見陳述を行った。要旨は次の通り。

 事件で意識を失って、病院で目が覚めたとき、すぐに何があったのか理解できました。事件後は今までよりはるかに大きい不安や恐怖を感じています。入院中、処置のはさみを見るたび、刺されるかもしれないとびくびくし、お見舞いに来る人も私を殺しに来たのではと思い、不安で気が休まりませんでした。退院後も気持ちは変わりません。

 事件の日から本当にすべて変わってしまいました。家族と過ごした時間、友人とたわいもない話をして笑っていた時間、大学で大好きな勉強をすること、大好きな音楽やお芝居をすること。大切に積み重ねてきたものや時間の全てが一瞬で奪われてしまいました。

 普通に過ごしていたはずだった毎日を返してほしい。傷のない元の体を返してほしい。傷を保護するテープを毎日張り替えるたび、事件を思い出してしまい、何でこんなことになったのかと何度も苦しくなります。 毎日リハビリを続けていますが、思うように体が動きません。歌うことも食べることも口にまひが残り、苦痛です。視力が低下し、視野も狭くなったので、少し歩くと人や物にぶつかりそうになります。右足の親指にもまひがあります。

 体をこんなにめちゃめちゃにした犯人に腹立たしさを感じ、頭がおかしくなるんじゃないかと思うぐらい悔しく、毎日気が付けば泣いています。  犯人やその家族から謝罪はありません。私の調書が法廷で読み上げられたときは笑っていたようですが、どうして笑うことができるのか。今、私が意見陳述している間も、きっと心の中では笑っていて、反省はしていないと思います。また絶対に同じことをする。こんな人を野放しにしてはいけない。絶対に許してはいけない。

 一方的に感情を抱き、思い通りにならなければ人を殺そうとする人です。今度こそ私を殺しにくるかもしれません。もう世の中に出てきてほしくない。今すぐに消えてほしい。  生きていてよかったと思う気持ちと、傷だらけの姿やまひの残った口をみて苦しくなる気持ちが毎日繰り返されます。裁判官や裁判員の方々には、後遺症を抱えてどんな生活をしていかなければならないのかも理解してもらいたいです。 私みたいに苦しむ人がいなくなるように、厳しい判決を出していただきたいです。

360NAME:2017/02/24(金) 00:22:16
【女子大生ストーカー刺傷】
岩埼被告、被告人質問で検察官に挑発的態度 裁判員・傍聴人困惑
2017.2.22 18:46更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170222/afr1702220034-n1.html

被告人質問に臨んだ岩埼友宏被告は冨田真由さんへの謝罪を口にする一方、捜査段階で認めていたとされる殺意や計画性は否定、検察官の質問を鼻で笑い、「(次の質問)どうぞ」などと挑発的な態度を取り続けた。こうした様子や腑に落ちない説明に、裁判員や傍聴人らは一様に困惑の表情を浮かべた。

 岩埼被告は犯行1週間前にインターネットでナイフを購入。さらに同じ日には自身のブログに「ギターは(冨田さんの)墓標」「君の努力を全部無駄にする」などと書き込んでいた。

 検察官から「最初から殺害する意図だったのでは」と問われると、「ナイフはお守り」「書き込みは“ざれごと”。特に意味はない」などと反論。捜査段階で録音・録画された「殺すつもりだった」「首は急所だから刺した」「自分が100%悪いとは思わない。冨田さんに被害者顔されたくはない」とする供述の真意を尋ねられても、「違う」「言った覚えはない」などと主張した。

 被害者参加弁護人から「捜査官から『謝罪する気はないがパフォーマンスとしては謝ると話している』と聞いている」と指摘された際には「違う!」と声を荒らげるシーンもあった。

361NAME:2017/02/25(土) 05:14:16
女子大学生刺傷 冨田真由さんの手記全文
http://mainichi.jp/articles/20161217/k00/00m/040/047000c

女子大学生の冨田真由さん(21)が東京都小金井市で今年5月に刺されて重体になった事件で、冨田さんが弁護士を通じて公開した手記全文は次の通り。

 まずは、私が被害に遭ったときに、現場で犯人に立ち向かってくれた方、110番通報をして下さった方々に、この場を借りてお礼を申し上げます。 今、私が生きていられるのは、皆様のおかげです。本当にありがとうございました。  また、被害に遭った後から、これまでの間、警視庁の犯罪被害者支援室の皆様には大変お世話になっていて支援室の皆様にはとても感謝しています。

 犯人からのSNSへの書き込みが始まったのは平成26年の6月からでした。  特に不安や恐怖を大きく感じるようになったのは、ライブ終了後にストーカー行為をされたことや、生き死にに関する書き込みが1日に何件もくるようになったことがきっかけです。

 初めは、気にしないでいようと踏ん張っていましたが、どんどん不安や恐怖が積み重なり、その重さに限界を感じていました。そんな気持ちから家族や友人に相談しましたが、犯人が急に目の前に現れて殺されそうになったとしても、私も家族も周りの人も素人なので、自分のことや誰かを守る方法は何も知りません。

 そんな中でも希望を持っていたのが、警察に助けを求めることでした。家族や友人は、命より大切なものはないよと、身の危険を感じていることや助けてほしいということを警察に伝えた方が良いと背中を押してくれました。私も、この不安や恐怖を解消するための一番良い方法だと思いました。

 警察には、命の危険を感じていることがわかる資料をいくつも持っていきました。男女2人の生活安全課の方が対応をしてくれて、主に女性が話を聞いてくれました。平成26年の6月からSNSへの書き込みが始まったこと、生き死にに関する書き込みが頻繁にあること、友人のSNSにも迷惑な書き込みがされていること、ライブ終了後にストーカー行為をされ命の危険を感じていたことを、持っていった資料を見ながら、特に危険だと感じていたものに関してはひとつひとつ説明をし、「殺されるかもしれない」と不安や恐怖を訴えました。資料が多かったため、後でゆっくり読ませてもらうと女性の方に言われましたが、ストーカー行為をされたことに関しては、そのときの状況を何度も説明すると、頷(うなず)きながら聞かれていたので、理解してくれたのだと思っていました。相談にいったときに伝え忘れたことはひとつもありません。

362NAME:2017/02/25(土) 05:15:59
 警察からは、「使っているSNSから犯人のアカウントをブロックしてください」「何かあればこちらから連絡します」と言われました。その後相談から事件までの間に、担当者から3回ほど電話がかかってきましたが、私のことを聞かれたのはそのうちの1回だけでした。

 事件後、私が相談に行ったときのことについては、平成28年11月28日と12月2日の2回にわたって、警察から事情聴取を受けました。  警察からの聴取の際、挨拶(あいさつ)が終わった後の最初の言葉が「本当に殺されるかもしれないと言ったんですか」でした。その後も、私が殺されるかもしれないという言葉を言っていないのではないかと何度も聞かれました。

 でも、「殺されるかもしれない」という言葉を、私は絶対に伝えました。母も、警察に何度も訴えてくれました。これだけは間違いありません。この事実を警察が認めないことに、怒りを通り越して、悲しみを感じています。 必死に訴えたことが全く伝わらなかった。感じるものに温度差があったとしても、警察に持っていった多くの資料があり、殺されるかもしれないと何度も伝えたにもかかわらず、危険性がないと判断されたのは今でも理解できません。

 今思うと、相談した際に、女性の警察官がほとんどメモを取らずに話を聞いていたことや、男性の警察官が「他の事件が忙しい」と言い何度も部屋を出入りしていたことから、私の相談を軽い気持ちで聞いていたのだと思います。  私が言ったことをどのように受け取ったのか、相談した担当者に直接話を聞かせてほしいと何度もお願いしてきましたが、組織として対応していますと、一切取り合ってもらえませんでした。

 平成28年12月13日に、武蔵野署の署長からは形ばかりの謝罪がありましたが、「少しお元気になられたようですが」と、傷付く言葉がかけられました。謝罪をしていただいたからといって傷だらけになった身体が元に戻る訳でもないし、時間を巻き戻せる訳でもありません。それでも、警察がどうして私の相談を真剣に受け止めてくれなかったのか、きちんと理由を説明してもらえるのなら、少しは救われるのかもしれません。

 事件に遭った日から時間が止まってしまったかのように、前に進むことが怖くなってしまいました。支えや助けがあること、温かい言葉をかけてくれる人がいることで、きっと大丈夫だと思える勇気をもらい、なんとか毎日を過ごしています。 この事件以降も、似たような事件が起こっているのをニュースでみかけますが、その度にとても苦しい気持ちになります。犯人の勝手な思い込みや都合、感情だけで、なくなっていい命はどこにもありません。

 本事案発生後の取り組みを拝見しましたが、警察がこの事件のことを本当に反省してくれていないと、また同じことが繰り返されるのではないかと心配です。 この事件をきっかけに、同じ不安や恐怖を抱えて苦しんでいる人が、安心できるような社会に変わっていってくれたら嬉(うれ)しいです。 この文章で、少しでも私の気持ちが伝わりますように。 平成28年12月16日 冨田真由

363NAME:2017/02/25(土) 05:20:14
<東京・小金井の女子大生刺傷>警察動けなかったか ストーカー規制、SNSは対象外
http://mainichi.jp/articles/20160526/org/00m/040/004000c

芸能活動をしていた大学生の冨田真由さん(20)が東京都小金井市で刃物で刺された事件では、「ツイッターやブログへの執拗(しつよう)な書き込みをやめさせてほしい」という冨田さんの相談がストーカー事案として扱われていなかった。警視庁は「切迫性はないと判断していた」としているが、容疑者の男の激しい嫌がらせが明らかになるにつれ、対応を疑問視する声が強まっている。【斎川瞳、川上晃弘】


 逮捕された京都市の会社員、岩埼(いわざき)友宏容疑者(27)=殺人未遂などの容疑で送検=は今年1月からツイッターで冨田さんへの書き込みを始めたとみられる。はじめは好意的だったが、やがて一方的に不満や怒りを示すようになり、書き込みは数百回に上った。

 冨田さんは武蔵野署に相談に訪れた際、岩埼容疑者の名前や住所などを伝えたうえで、ツイッターやブログの内容を説明し、「やめさせてほしい」と訴えた。しかし相談はストーカー事案とされず、ストーカー被害に一元的に対応する同庁の「人身安全関連事案総合対策本部」に報告されなかった。警察官による岩埼容疑者の所在の確認や同容疑者への接触もなかった。

 ストーカー規制法は、執拗な電話やメールの送信を「つきまとい行為」として規制し、警告などの対象にしている。しかしツイッターなどソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で繰り返し書き込みをする行為は規制対象になっていない。ストーカー対策を検討する警察庁の有識者検討会は2014年8月、「SNSによるメッセージの連続送信も規制対象に含めるべきだ」と提言する報告書をまとめたが、これを規制の中に盛り込むための法改正には至っていない。

 捜査関係者は「SNSの書き込みでも内容によってはストーカーとして対応している。今回の事件もSNSであることを理由にストーカー事案として扱わなかったわけではない」と話す。だが規制が必要との声は根強い。ストーカー犯罪に詳しい常磐大学元教授の諸澤英道さんは「今回の事件は世界的にみると典型的なストーカーだ。警察が主体的に動かなかった背景に法律の不備があることは明らか。SNSを対象から外している日本のストーカー規制法を早急に改正すべきだ」と指摘する。

 一方、事件への対応を巡っては、事件発生時に冨田さんから助けを求める110番を受けた警視庁通信指令本部が、携帯電話の位置情報を確認せず、事件現場を特定していなかったことも判明した。

 21日午後5時5分に冨田さんの110番を受けた通信指令本部は、緊急通報登録システムに登録されていた冨田さんの名前と住所地をもとに、武蔵野市にある自宅に警察官を向かわせるよう武蔵野署に指示。しかし、事件現場に向かうよう小金井署に指示したのは、現場近くにいた目撃者からの110番で現場を初めて確認した後だった。目撃者の110番は冨田さんの110番の1分45秒後で、現場の到着が遅れたことになる。警視庁は「手順にミスがあった」としている。

364NAME:2017/02/25(土) 22:37:52
「じゃあ殺せよ」と法廷で怒鳴る 小金井の冨田真由さん刺傷事件で被告の男性、退廷命じられる
朝日新聞デジタル | 執筆者: 朝日新聞社提供
投稿日: 2017年02月23日 12時46分 JST 更新: 2017年02月23日 13時05分 JST
http://www.huffingtonpost.jp/2017/02/22/koganei_n_14948838.html

「じゃあ殺せ」被告、被害女性に怒鳴り退廷 小金井刺傷

 東京都小金井市で昨年5月、音楽活動をしていた冨田真由さん(21)の首などをナイフで刺したとして、殺人未遂などの罪に問われた群馬県伊勢崎市の無職岩埼(いわざき)友宏被告(28)の裁判員裁判が23日、東京地裁立川支部であった。冨田さんが出廷し、「被告はまた同じことをするので、絶対に野放しにしてはいけません」と述べたところで、岩埼被告が不規則発言を繰り返し、退廷を命じられた。

 検察側は「常軌を逸した身勝手な犯行だ」として、被告に懲役17年を求刑した。

 冨田さんが証言する様子は、被告や傍聴席から見えないように、ついたてが設けられた。冨田さんは「絶対に許してはいけません。一方的に感情を抱いて、思い通りにならなければまた人を殺そうとするに決まっています」と涙声で語った。 岩埼被告は当初、無表情で聞いていたが、「野放しにしてはいけない」という冨田さんの発言に「じゃあ殺せよ」と怒鳴り、阿部浩巳裁判長が不規則発言をしないよう注意。だが、冨田さんが「また人を殺そうとする」と話したところで「殺すわけないだろう」と怒鳴ったため、開廷から約20分後に、退廷を命じられた。審理は一時中断し、再開後は検察官が被害者の思いを代読した。(朝日新聞デジタル 2017年02月23日 11時40分)

365NAME:2017/02/25(土) 22:38:53
「生きたいと答えたので119番した」 小金井刺傷事件
根津弥 2017年2月22日13時10分
http://www.asahi.com/articles/ASK2Q43L2K2QUTIL02C.html

東京都小金井市で昨年5月、音楽活動をしていた冨田真由さん(21)がファンの男に刺され重傷を負った事件で、殺人未遂などの罪に問われた群馬県伊勢崎市の無職岩埼(いわざき)友宏被告(28)の裁判員裁判の被告人質問が22日、東京地裁立川支部であった。被告人質問で岩埼被告は、犯行直後に冨田さんに「『生きたいの、生きたくないの』と呼びかけたところ、『生きたい』と答えたように聞こえたので、急いで119番通報した」と振り返った。

 岩埼被告は犯行当日、最寄り駅からライブ会場まで歩く途中で冨田さんに話しかけたが会話を拒否されたといい、「絶望や悲しみ、怒りを感じた」と説明。一方、刺した理由は「分からない」と話し、「手をあげた場所がたまたま首だった。刺しているときは何も考えていない」と述べた。 犯行直後について、横たわる冨田さんに「『こっち見ろ』と思い、仰向けにし、髪をかき分けてマスクを取った。『生きたいの、生きたくないの』と呼びかけた」と説明。「可哀想、何てことをしたんだろうと思った」と話した。

 またプレゼントを渡した昨年1月のライブ後、友人と食事に行くという冨田さんに「『僕も一緒に行っていいですか』と10〜20分ぐらい誘った」とも述べた。その後、他のファンとツイッターでやり取りしているのに自分だけ返信をもらえなかったといい、「一人だけ疎外されている感じで腹が立った」と語った。(根津弥)

小金井刺傷、被害者の母が証言「心も傷だらけに」
根津弥 2017年2月21日17時36分
http://www.asahi.com/articles/ASK2P4W4FK2PUTIL03F.html?ref=huffpostjp

東京都小金井市で昨年5月、音楽活動をしていた冨田真由さん(21)がファンの男に刺され重傷を負った事件で、殺人未遂などの罪に問われた群馬県伊勢崎市の無職岩埼(いわざき)友宏被告(28)の裁判員裁判が21日、東京地裁立川支部であった。冨田さんの母親が出廷し、「娘は犯人の身勝手な行動で、心も体も傷だらけにされた」と語った。

 事件後、冨田さんは手術を繰り返した。昨年12月の手術の後、「傷の痛みがひどくてずっと泣いていた」と証言。傷痕を目立たなくする手術を今後も予定しているが、「『こんな傷だらけになっちゃって』といつも言っている」と話した。

 冨田さんは事件後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。家での様子について、「『助けて』と叫んだり泣いたりすることがある。前はそんなことしなかったのに物を投げ、『真由は頭おかしくなっちゃったね』と泣いている」と明かした。「外で体格のいい男性がいると、私の後ろに隠れたり、しがみついたりする」とも語った。マヒしている口のリハビリについて「治したいと一生懸命やっているが『全然治らないじゃん』と泣いたり、イライラしたりしている」と涙声で述べた。

 冨田さんは審理の一部で出廷している。母親は「裁判前日も泣いて眠れず、私にしがみついていた。本当はつらく、姿も見せたくないけど、どうにか頑張ってここに来ています」と証言。「泣かない日はないけど、生きているからこそ苦しみもあるんだと言い聞かせている。娘にはどうにか立ち直ってほしい。犯人は許せない」と話した。 22日には、被告人質問や冨田さんの意見陳述などが予定されている。(根津弥)

366NAME:2017/02/25(土) 23:04:49
小金井ストーカー 「私をめちゃくちゃに」被害者意見陳述
毎日新聞2017年2月23日 19時23分(最終更新 2月23日 19時54分)
http://mainichi.jp/articles/20170224/k00/00m/040/048000c

東京地裁立川支部の裁判員裁判 「悔しい」と心境語る

 「私の身体をこんなにめちゃくちゃにした。頭がおかしくなるんじゃないかと思うくらい悔しい」。東京都小金井市で昨年5月、岩埼友宏被告(28)=殺人未遂罪などで公判中=に刃物で刺された大学生の冨田真由さん(21)は、23日に東京地裁立川支部であった岩埼被告の裁判員裁判で意見陳述し、事件後初めて心境などを語った。

<“じゃあ殺せよ”>陳述の後半、声を上げる被告 冨田さんの陳述は次の通り。

 犯人からのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)への書き込みは3年前の6月に始まりました。犯人がライブ会場に来て、「結婚してください」「じゃあ、友達になってください」としつこく言ってきたあたりから、犯人の書き込みも意識するようになり、それからは、去年の5月21日に事件が起こるまで、不安や恐怖が無くなることは一度もありませんでした。特に、生き死にに関する書き込みが1日に何件もくるようになったことや、1月17日のライブ終了後にしつこく付きまとわれたことなどがきっかけで、さらに不安や恐怖を大きく感じるようになっていました。こういった犯人の姿は、ファンではなく完全にストーカーそのものでした。

 5月21日、犯人に待ち伏せをされ、後を追いかけられて、最後には殺されそうになりました。犯人は、私に無視されたから刺したと言っているようですが、追いかけられている間、私は、「急いでいる」「リハーサルがある」と言って、何度も断りました。しかし、犯人は、私のそういった言葉には全く耳をかさず、後をついてきました。私の事情は、犯人にとって、どうでもいいという感じでした。

 意識を失って、次に病院で目が覚めたとき、すぐに何があったのかは理解できました。そして、それと同時に、事件の記憶がひとつひとつよみがえってきました。刺されたところが一気に熱くなったこと、首を思いっきり刺されて口の中にも血の味が広がったこと、犯人が恐ろしい形相で私を刺してきたこと、刃物の形、床が血の海に見えたほど自分の身体からたくさんの血が流れ出ていたこと、そこに倒れたこと、犯人に対して足で抵抗しようともがいたことを、はっきりと覚えています。その恐怖は、今でも忘れることができません。事件の後からは、今まで感じていたものよりも、はるかに大きい不安や恐怖を感じています。

 入院中は、他の患者さんとすれ違うことも、病室にお医者さんや看護師さんが入ってくることも怖かったです。傷の処置のために使われているハサミは、見るたびに刺されるかもしれないとビクビクしていました。お見舞いに来てくれる人に対しても、私を殺しに来たんじゃないかと思い、その不安から気が休まることはありませんでした。退院した後も、そういった気持ちが変わることはありません。

 事件の日から、本当に全てが変わってしまいました。家族と過ごしていた時間、友人とたわいもない話をして笑っていた時間、大学で大好きな勉強をすること、大好きな音楽やお芝居をすること。今まで大切に積み重ねてきたものや時間の全てが、一瞬で奪われてしまいました。普通に過ごしていたはずだった毎日を返してほしい。犯人の身勝手な行動のせいで失ったものは数えきれません。

367NAME:2017/02/25(土) 23:05:21
 傷のない身体も失ったものの一つです。傷のない、元の身体を返してほしい。犯人は何ひとつ傷ついていないのに、私だけが身体にも心にもこんなに多くの傷を負って、これから先も痛みに耐えて生きていかなければならないと思うと、悔しいし、許せません。傷を保護するテープを毎日張り替えているため、毎日傷つけられた身体を見なければなりません。その度に、SNSで執拗(しつよう)な嫌がらせをされたことや事件の日のことが思い出されてしまい、何でこんなことになってしまったのかと何度も何度も苦しくなります。

 外出したくても、事件で刺されて殺されそうになったときの光景を思い出してしまい、ほとんど外出することができません。 眠ろうとしているときも、事件の日のことが頭の中で何度もリピートされたり、眠れたとしても、犯人が夢に出てきて、また私を殺そうとしてくるので、すぐに目が覚めてしまい、ほとんど眠ることもできません。

 今でも、毎日リハビリを続けていますが、思うように身体が動きません。大好きだった歌うことも、食べることも、口にまひが残っていて苦痛になっています。大好きだったギターも、ほとんど弾くことができません。視力が低下していたり、視野が狭くなっていたり、常に行動に制限が出ています。そのため、少し歩いたら物や人にぶつかりそうになります。右足の親指にもまひが残っていて、家の中でさえすぐにつまずいてしまいます。「どうして当たり前にできていたことができないの」と悔しくてたまりません。 私の身体をこんなにめちゃくちゃにした犯人に腹立たしさを感じて、頭がおかしくなるんじゃないかと思うくらい悔しくて、毎日気がつけば泣いています。

 犯人や犯人の家族からも、裁判の日まで謝罪の言葉は一切ありませんでした。裁判で、「申し訳ないとは思っています」という言葉は口にしたようですが、自分の罪を軽くするために言っているようにしか聞こえず、全く心に響きませんでした。私や私の家族が今日までどんなに苦しい気持ちで過ごしてきたのか、わかりますか。犯人も犯人を育てた両親も、犯人に関わるもの全てを許すことができません。

 犯人は、私の調書を法廷で読み上げてもらっている間、笑っていたようですが、こんな事件を起こしておいて、どうして笑うことができるのか、理解できません。全く反省していないんだと思いました。今、私が意見陳述をしている間も、きっと心の中では笑っていて、反省はひとつもしていないと思います。犯人はまた絶対に同じことをする。また犠牲になる人が絶対にいる。こんな人を野放しにしてはいけない。絶対に許してはいけない。一方的に感情を抱き、思い通りにならなければ、人を殺そうとする人です。私を恨んで、今度こそ私を殺しに来るかもしれないし、私の家族や友人にも危害が加えられるかもしれません。

 もうこの世の中に出てきてほしくない。今すぐに消えてほしいです。それがかなわないならば、一生刑務所にいてほしい。そうでないと、安心して生活できません。 いろいろな方に助けていただいた命なので、しっかりと生きていかなければいけないと思っています。しかし、生きていてよかったと思う気持ちと、傷だらけの自分の姿やまひの残った口を見て苦しくなる気持ちが毎日繰り返されます。

 傷ついているのは私だけではありません。家族も同じです。事件以降は、もう一生分くらい苦しんでいますが、その苦しみは今も続いています。犯人の身勝手な言葉や行動に、私も家族も毎日のように悩まされてきました。裁判官や裁判員の方々には、私や家族がどんな思いで過ごしてきたのか、私が今後、後遺症を抱えてどんな生活をしていかなければならないのか、ということも理解してもらいたいです。

 今までの判決がこうだから、前例がないから、という理由では判断しないでください。 今後同じような事件が二度と起きないように、私みたいに苦しむ人がいなくなるように、この事件で厳しい判決を出していただきたいです。

ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20170224/k00/00m/040/048000c#csidx10f81880b67ce28be7c9d53478ca407
Copyright 毎日新聞

368NAME:2017/02/25(土) 23:48:12
冨田真由さんの意識回復は、2016年6月3日
http://newsmatomedia.com/tomita-mayu-2

冨田さんは2016年5月21日に刺傷事件が起きてから意識不明の状態が続いていましたが、約2週間後となる2016年6月3日に意識が回復しました。

日本医科大学付属病院高度救命救急センター部長の横田裕行教授によれば、冨田さんの回復は「奇跡的」だという。「病気での心肺停止の場合はAED(自動体外式除細動器)などで蘇生することも珍しくなくなりました。しかし、今回のような外傷による心肺停止のケースでこうして回復するのは非常に珍しい。それだけ救急隊の搬送から救命チームへの連絡がうまくいき、高度で適切な措置が行なわれた結果だと思います」

証人尋問で目撃者の1人は「(犯人は)首回りを狙って、考えながら刺しているようにしか見えなかった。やみくもではなく、考えながら刺していた」と、犯行の様子を語った。現場から数メートル離れた位置にいた証人は、「男性が女性を殴っているように見えた」が、近づくと岩埼被告の手に刃物が見えたという。「常軌を逸しているようで、野生の動物が獲物を仕留めているようだった」と話した。また、冨田さんが「なんで、なんで」と声を上げていたとも証言した。血だまりを見た証人は警察に通報。岩埼被告が刺すのをやめた様子に「もう刺すところがないのかなと思った」と説明した。一緒に目撃した知人が、ショックから自殺を図ろうとしたことも明かし「私たちも二次被害を受けている。残酷な事件だと思う」と話した。

岩崎のような異常者を即刻極刑に処すことの出来る社会に。

369NAME:2017/03/06(月) 13:46:23
M-1ファイナリストの妻が変えた夫の逃げ癖 スーパーマラドーナ田中の知られざる失踪劇
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/m-1%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%a4%e3%83%8a%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e3%81%ae%e5%a6%bb%e3%81%8c%e5%a4%89%e3%81%88%e3%81%9f%e5%a4%ab%e3%81%ae%e9%80%83%e3%81%92%e7%99%96-%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%91%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%89%e3%83%bc%e3%83%8a%e7%94%b0%e4%b8%ad%e3%81%ae%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%96%e3%82%8b%e5%a4%b1%e8%b8%aa%e5%8a%87/ar-AAnPUHY?ocid=iehp#page=1

毎週月曜夜7時から放送中の「結婚したら人生劇変!〇〇の妻たち」(TBSテレビ系)。人気番組「プロ野球戦力外通告」「プロ野球選手の妻たち」を手掛けるスタッフが、夫を支える妻の姿をとおして、夫婦の愛と葛藤に迫るドキュメンタリーだ。 今回の主役妻は、田中ヒカリさん、32歳。夫は、お笑いコンビ「スーパーマラドーナ」の田中一彦(以下、敬称略)。スーパーマラドーナといえば、昨年末、漫才の頂上決定戦「M-1グランプリ」で優勝を争う9組に勝ち残った実力派漫才で、コワモテのツッコミ役・武智と、ひ弱なボケ役・田中という対照的なキャラクターが売りのコンビだ。

 そんな田中のプライベートはというと、7歳年下の妻・ヒカリさんに、歯ブラシを口の中に入れてもらったり、服を着せてもらったり。まるで子供のようなダメダメ夫。一流芸人になってもらうことが妻・ヒカリさんの願いなのだが、田中には致命的な欠点があった。 それは逃げ癖だ。これは、嫌なことがあると、とにかく後先考えず逃げ出す癖があるという夫を持った妻の奮闘記である。

逃げ癖のあるダメダメ芸人!?

 田中は26歳のとき、吉本の養成所で相方の武智と出会い、マラドーナの名でお笑いコンビを結成。しかし、4年目の2007年、ネタ合わせで相方・武智にダメ出しをされ、仕事をすべて放り出し逃亡した。 当時はコンビを解散する事態となったが、相方・武智の説得もあり、4カ月後に再結成。コンビ名をスーパーマラドーナに変えての再出発をした。と、ここまでは有名な話なのだが、実は田中の逃げ癖はそれだけではなかった。

 妻・ヒカリさんが逃げ癖夫・田中と出会ったのは、今から4年前。当時、大阪の飲食店で働いていたヒカリさんが、ふと店のテレビに目を向けると、ある1人の男が目に留まった。それがスーパーマラドーナの田中。といっても当時のスーパーマラドーナは決して売れっ子芸人ではない。 長い下積み生活の中、テレビのレギュラーは関西で1本のみ。1人で家賃も払えないので、後輩芸人と同居しているような状態だった。そんな売れない芸人に、ヒカリさんはくぎ付けに。なぜなら、ヒカリさんは子供のころから、根っからの世話好き。見るからに弱々しく頼りない田中に心を引き付けられたのだ。

 そこからヒカリさんは田中のライブに足を運ぶようになり、徐々に恋心が芽生えていった。そしてついに、知り合いのつてをたどって、田中を紹介してもらえることに。ヒカリさんにとっては、ひそかに恋する人と会えるチャンス。そこで、思い切った行動に出る。 「私、めっちゃファンなんです! めっちゃタイプなんです! 彼女にしてほしい! いや、結婚してください!」 なんと初対面でプロポーズ。あまりに積極的な態度に、冷めていた田中ではあったが、それでもこれをキッカケに2人は頻繁に会うようになる。猛アタックする女と、拒む男。そんな関係が1年ほど続いたある日、田中はとんでもない事件を引き起こした。

370NAME:2017/03/06(月) 13:47:44
嫌なことからは逃げまくる人生を歩んできた

 2014年4月24日。田中は相方の武智とネタ合わせをしていた。しかし、この日は中々うまくいかず、イライラする武智は「また間違えてるやん! 辞めてまえ! ボケ!」と田中をしかり続けていた。すると田中の逃げ癖が爆発する。実は田中は嫌なことからは逃げまくる人生を歩んできた。 中学時代は、野球部に所属したが、上級生になると先生からいちばん怒られるという理由で2年の終わりに退部。大学に進んでもクラスにヤンキーがいるから怖いと1年で中退。ファミレスのアルバイトを始めたら、覚えが悪いと店長に怒られて初日に辞めた。芸人になっても、コンビ結成4年目のときに、相方にしかられて失踪。そんな逃げ癖が、再び顔を出した。

 田中が相方の武智にしかられた翌日。ヒカリさんのもとに、当時田中と同居していた後輩芸人から「田中さんの居場所、知りませんか? 田中さんがいなくなったんです」という連絡が……。聞けば、家に携帯と書き置きを残していなくなったという。 「血の気がサーッと引いて……。いや、飛んだんやって思って……」 すぐさま、ヒカリさんは田中の家へ。するとテーブルの上には田中の携帯電話と「ごめん、ありがとう」という意味深な言葉が書かれた置き手紙が。普通ではない空気を察したヒカリさんは居場所を探るため、田中の携帯電話に手掛かりを求めた。するとそこには、自殺サイトを調べた検索履歴があった。ヒカリさんはすぐさま警察に連絡した。

愛する男性の命を救いたい! 執念の大捜査!

 ヒカリさんの捜査が始まった。田中が漫画好きなことから、心当たりを得た。それは、漫画喫茶。大阪のミナミと新大阪周辺には漫画喫茶が30軒。ヒカリさんはそこを手当たり次第に訪れた。しかし、どこにも田中の姿はない。 「ほとんど寝ずに探して調べて。帰り道に歯を食いしばって泣きながら帰ったのを、よーく覚えています」 失踪から10日が経過。絶望的な気持ちになっていたその時、警察から思いがけない電話がかかってきた。なんと大阪の隣、兵庫県神戸市の中心街である三宮で、田中が現金を下ろしていたことが確認できたという。ヒカリさんは、田中が生きていたことにまずは胸をなで下ろした、そして、すぐさま、三宮へ向かった。

 三宮に着くと、すぐさま繁華街や漫画喫茶をしらみつぶしに探した。田中の失踪から15日後。ついに、1軒の漫画喫茶で、個室の入り口に田中の靴を発見。田中の居場所をつかんだのだ。 ヒカリさんはすぐさま、相方の武智に報告。武智の到着を待ってから、個室の扉を開くとそこには確かに田中の姿があった。ヒカリさんが「ターくん」と声をかけると、「あっ」と驚いた様子の田中。そして、 「帰ろう」 ヒカリさんの言葉に田中はそっとうなずいて、そのまま出てきたのだった。相方にしかられて自信を失い逃げ出した田中は、帰るに帰れず、漫画喫茶を転々としていたのだという。警察をも巻き込んだ田中の大逃亡劇は、結婚したいほど田中にほれ込んでいたヒカリさんの執念により終止符が打たれた。当時、田中は事務所から体調不良による休養と発表されていた。

371NAME:2017/03/06(月) 13:48:46
そしてこの時、逃げ癖田中のヒカリさんへの思いに変化が生まれた。 「そんなに好きでいてくれるって、ありがたい。そんな人、これから先、現れへんやろなと思って」 この事件をきっかけに、2人は交際をスタート。そして2年後の昨年3月。逃げ癖田中とヒカリさんは夫婦となった。 結婚をして1年にも満たない2人。ヒカリさんは夫の逃げ癖が出ないよう、落ち込んでいる日はなんでも賛同する、落ち着いたころにアドバイスするなどまるで子供を育てるように世話をやいていた。それもこれも、夫への愛、そして何より夫の芸人としての才能を信じているからこそ。

妻との出会いで変わった逃げ癖夫! いざ、大舞台へ!

 そんな結婚は、確実に田中を変えていた。実際、かつてネタのすべてを相方の武智に任せていた田中が、「あと1個だけボケを変えたいんです」と夜中まで粘ってネタ作りをする姿が見られるように。そしてこの変化が結果に現れた。スーパーマラドーナは昨年末の「M-1グランプリ」で優勝を争う9組に勝ち残ったのだ。 それは、逃げ癖夫とヒカリさんが夫婦になって初めて迎える大舞台。そんな「M-1グランプリ」を直前に妻の思いはただ1つ。「大舞台から逃げ出さないでほしい」。それだけだった。

 大会当日。本来ならば、ゲンを担いだ食事や豪勢なメニューで夫を送り出したいところだが、ヒカリさんは下手にプレッシャーがかからないようにと、特別感のない夫の好物「にゅうめん」を選んだ。いつもどおりに服を着替えさせた。 出発のとき。そのまま送り出すかと思いきや、夫の逃げ癖が心配な妻は、最後の最後に逃げ出さないよう新大阪駅まで送り届けた。その後、逃げ癖夫・田中は東京で相方・武智と合流し、無事に会場入り、本番を待っていた。 一方、妻のヒカリさんは、本番直前に夫の事務所の先輩、ザ・ぼんちのおさむ師匠の自宅を訪ね、本番まで待機。夫の大舞台を1人で見る勇気が出なかった。

 午後6時半。ついにM-1グランプリがスタート。妻にとって心配なのが、逃げずに舞台に現れてくれるかどうか。かじりつくように見る画面に、夫の姿を発見し、まずは一安心した。 3503組が参加した昨年のM-1グランプリ、この日決勝に進出できたのは、9組。この9組の中で獲得点数上位3組が次の最終決戦に進むことができる。スーパーマラドーナは、なんとこの上位3組に残り、最終決戦に進出した。 グランプリは、同じ事務所の3期後輩、銀シャリ。その時妻は、テレビに向かってつぶやいた。「よう、頑張ったね」。

 「ほんまによく頑張ってくれたなっていうだけです。悔しい気持ちもあるんですけど」

 そう言って流す涙は、逃げ癖夫を大舞台で優勝を争うまでに育て上げた、喜びの涙なのかもしれない。最後にヒカリさんに質問をしてみた。「田中さんのどこを好きになったんですか?」。ヒカリさんはこう答えた。 「いちばん面白くて、いちばんカッコイイ! 今から田中好きやって言っても、もう遅い。もう私います!」 逃げ癖のあるダメダメ夫。しかし、ヒカリさんにとっては誰よりもカッコよく見える男だ。

372NAME:2017/04/06(木) 22:47:08
ドロ沼?松本人志と確執の角田信朗が公式ブログ削除
日刊スポーツ 4/6(木) 17:58配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170406-01803518-nksports-ent

ダウンタウン松本人志(53)との確執を告白したことで話題となったK-1競技統括プロデューサーでタレントの角田信朗(55)の公式ブログが、6日までに削除されたようだ。 最後に更新されたのは1月23日で、「謝罪」と題されたエントリーだった。角田は「私自身の思慮に欠ける突然の発信で、松本人志氏、そして関係各位の皆様に、大変不愉快な思いをさせてしまった事を、心よりお詫び申し上げます」と謝罪していた。

 騒動の発端となったのは角田が1月16日のブログで、8年前にダウンタウンの番組からの出演オファーを断ったことから“誤解”が生じて松本を怒らせてしまい、以降は出演NGの状態が続いていると告白したもの。  誤解を解くために、その後もブログで松本サイドへ理解を求めてきたが、松本は同月22日のフジテレビ系「ワイドナショー」で、当時角田が“ドタキャン”したことで収録自体がなくなってしまっていたことを明かし「これは正直大問題というか。僕が怒っているとかそういうことじゃなくて、番組とか吉本とか、もっといえば日本テレビとの問題なので、僕が共演NGとかいう小さい話じゃないんですよ」と真相を明かしていた。

373NAME:2017/04/10(月) 01:24:08
慶応大病院手術で女児脳障害 「病院の肩書に圧倒されて…」悔しさにじませる両親
2016.7.21 07:18更新
http://www.sankei.com/affairs/news/160721/afr1607210006-n1.html

「きょうだいゲンカしたかった」

 慶応義塾大学病院(東京都新宿区)で心臓手術を受けた高橋心音(ここね)ちゃん(5)の脳に重度の障害が残った問題。心音ちゃんの父、歩(あゆみ)さん(43)と母、亜希子さん(39)は「病院の肩書に圧倒されて、何も言えないままだった」と悔しさをにじませる。 両親や代理人弁護士によると、心音ちゃんの心臓にあいていた2つの穴は、成長するにつれてふさがる可能性もある程度の大きさだった。だが、「うちにはトップクラスの技術がある。成功率97%の手術だ」などと勧められ、平成22年12月24日のクリスマスイブに手術に臨んだ。

 術後、担当医から「穴はふさがった。手術は成功です」と伝えられ、安心したのもつかの間、わが子は目の前で手を振っても反応しなくなっていた。年が明け、手術から2週間ほどが過ぎても状況は変わらなかったが、担当医は「麻酔の影響でぼんやりしているだけ」と繰り返した。 脳に障害が残ると伝えられたのは、手術から約1カ月後の23年1月。病院の会議室に出向くと、担当医や小児科医らがそろい、「手術中に脳に酸素が行きわたらず、低酸素性虚血性脳症になった」と言われた。「なぜ心臓の手術で脳に障害が残るのか」。納得のいく答えは得られないまま、翌日には一般病棟に移され、退院をせかされるようになった。

心音ちゃんの姉で小学4年の璃音(りおん)ちゃん(9)は、自分の誕生日などのたびに「心音ちゃんが治る薬がほしい」とねだった。だが、小学校に上がるころには妹の回復が見込めないことに気付きはじめたのか、今では「一緒に登校したかった」「きょうだいゲンカがしたかった」と話すようになったという。 心音ちゃんは自宅の布団で寝たきりの状態でいる。食べ物を飲み込むこともできない。病院側は当初、「子供の脳には無限の可能性がある」と機能回復を見込む説明をしていたが、別の病院では「難しい」と言われた。

 手術中に何があったのか。専門医や医療過誤の被害者家族から意見を聞いた。慶大病院からも治療経過の資料を取り寄せた。「3つ目の穴をふさぐために入れた送血用の管が、脳への血流を阻んだに違いない」。気付いたときには手術から5年が過ぎていた。 歩さんは言う。「訴訟提起は親としての義務を果たすため。同時に、同じことを決して繰り返してはいけないという思いだ」

374NAME:2017/04/17(月) 22:37:47
※週刊ポスト2016年2月26日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160215_385264.html?PAGE=2

それで清原さんに「シャブがありますよ」と勧めました。外国人選手がコーヒーに入れて飲んでいることを話し、「やってみます?」と飲ませてあげました。耳かき3杯分くらいを入れたと思います。すると広島市民球場でしたが、清原さんは3試合連続でホームランを打ったんです。 「こりゃエエな。最高や。ハイになってしもたわ」と上機嫌だったのを覚えています。

──1998年5月29日〜31日、巨人は広島で3連戦を戦っている。当時のスコアを確認すると、確かに清原は3試合連続でホームランを放っている。

375NAME:2017/04/17(月) 22:51:40
【川崎踏切事故】
高齢男性は自殺図ったか 家族に「死にたい」
2017.4.17 21:53更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170417/afr1704170021-n1.html

川崎市川崎区の京急電鉄八丁畷駅前の踏切で、横浜銀行に勤務する児玉征史(まさし)さん(52)=横浜市鶴見区尻手=が踏切内にいた高齢男性を救助しようとして2人とも電車にはねられ死亡した事故で、高齢男性が自殺をしようとしていたとみられることが17日、神奈川県警川崎署への取材で分かった。同署は、高齢男性について、身体的特徴や所持品などから現場近くに住む無職の77歳と特定。引き続き当時の詳しい状況などを調べている。

 同署によると、男性は以前から、同居する家族に「死にたい」などと話していた。事故当日の15日は、家族が外出中にひとりで家を出たとみられるという。

 事故は同日午前9時10分ごろに発生。男性は警報灯が光り始めてから踏切内に立ち入り、中で立ち止まっている様子が付近の防犯カメラに写っていた。その後、児玉さんがすでに完全に下りていた遮断機を持ち上げて踏切内に入り、男性を救助しようとしたとみられる。

376NAME:2017/04/24(月) 20:32:31
「学校に言わないでって言ったでしょ」 命絶った息子
2017年4月23日07時07分
http://digital.asahi.com/articles/ASK4N4T86K4NUUPI00D.html?rm=594

 「同級生にからかわれ、先生に言っても直らない。学校に行きたくない」。2014年9月。仙台市内の中学1年の息子(当時12)が単身赴任中の父親(49)に泣きながら電話をかけてきた。「俺が学校に行って話すから」。父親は語りかけた。でも、最後の会話になってしまった。翌日、息子は自殺を図り、意識が戻らないまま1週間後に亡くなった。

入学して間もない5月ごろから、息子は同級生らの悪口やからかいを苦に、登校や部活を嫌がるようになった。7月には「学校に行きたくない」と自室のドアを家具でふさぎ、学校を1週間ほど休んだ。母親(44)は学校に相談。生徒指導のための臨時学年集会が開かれた。登校を再開した息子は、同級生から「チクった」と言われた。合唱の練習では、歌に息子の名前と同じ歌詞が出てくるたびに笑われた。

 夏休み明けに母親が再び学校に相談すると、息子は怒った。「言わないでって言ったでしょ。言ったって何も変わらない」。その約2週間後に亡くなった。

 仙台市は有識者による専門委員会に調査を諮問。15年と16年の2度の答申では、いじめがあったことや自殺との関連を認めた。だが父親は、答申の中身を読んで驚いた。当時の認識を問われた担任は「いじめとは捉えていなかった。今でもそう思っている」と答えていた。「こんなに理解のない境遇にいたとは」。後悔がこみ上げ、夫婦で泣いた。

 ログイン前の続き「学校や部活が嫌なら行かなくていい。親御さんも子どもが嫌がったら行かせないで。10代はまだ人生のスタート地点。命だけは大切にして欲しい」。父親は再発防止を強く願う。 同じ仙台市内で16年2月、中学2年の男子生徒(当時14)が自宅で自ら命を絶った。半年以上前から部活の後輩らにいじめられ、学校のアンケートに「キモイと言われる」などと訴え、友人関係を「最悪」と答えていた。担任が尋ねると生徒は「大丈夫」と答え、対応はとられなかった。

 母親(50)には時折、悩みを話していたが、「先生には言わないで」と言った。母親は担任に伝えつつも、「見守ってもらいたい」と要望したという。 15年12月15日の夜。生徒は母親に切々と悩みを打ち明けた。「死ね」「整形しろ」などと言われてつらい、学校に行きたくない……。母親はじっと聞き、「あと少しで冬休みだから」と声をかけた。年が明け、生徒は普段通り登校を続けた。でも、親しい友人にはSNSでメッセージを送っていた。「この世を去る事にしたよ」

 今年3月末、専門委はいじめが理由の一つだったとする答申を出した。石井慎也副委員長(弁護士)は会見で、いじめられている生徒がエスカレートすることを恐れ、いじめる側への指導を嫌がることは今後もあり得ると指摘。「子どもが『大丈夫』と言っても、周りの生徒にそれとなく話を聴くなどの対応をとる必要がある」と語った。 両親は「息子に乗り越えて成長してもらいたいという期待もあったが、息子は守られず、いじめの詳細は分からない。いじめた生徒を指導してもらえばよかった」と悔やむ。

377NAME:2017/04/24(月) 20:33:44
■いじめの早期発見模索

 文部科学省によると2015年度、いじめによる重大な事態は314件、9人が自殺で亡くなった。報復を恐れて黙っていたり、「いじめた本人には言わないで」と懇願したりする子どもたちがいる。大人に何ができるのだろうか。 大津市が昨年行った、小中学生約5千人への調査では、いじめを受けた子どもの3割近くが「誰にも相談しなかった」と答えた。相談した子どもの73%は、相談後にいじめがなくなったり少なくなったりしたと回答。ただ、5%はいじめが悪化したと答えた。

 国立教育政策研究所の滝充・客員研究員は、いじめを悪化させない学校での工夫を提案する。たとえば、いじめの訴えの後、いじめた側をすぐに指導せず、教師が情報を共有しながら見守る期間を設ける方法だ。からかいなどの現場を教師が見て、そこで止めに入れば「チクった」とはならない。「助けを求めてきた子を、教師たちは守り通してほしい」と滝さんは言う。

 東北地方のある公立中では、教師がいじめた生徒になぜしたのか、いじめられた生徒にやられてどう思ったのかを聞き、互いの気持ちを理解するまで3人で話す。「教師が信頼されていないと指導は伝わらない」(生徒指導担当)と、生徒との信頼関係をみて指導する教師を決める。 子どもがSOSを出しやすくするための模索も各地で続いている=表。NPO「ストップいじめ!ナビ」(事務局・東京都)の小島秀一弁護士は「いじめをゼロにするのは難しいが、大切なのは早期発見と早期対応。相談しやすい環境、雰囲気づくりが欠かせない」と話す。

 北海道旭川工業高では「絆ネット」というメールの相談窓口を設け、担任ではなく生徒指導の教師に直接相談が届くようにしている。静岡県の掛川市立西中学校では、PTA役員OBの有志が携帯電話で相談に乗る。「あだ名がつらい」という相談に教師と協力して対応し、深刻になる前に解決したこともあった。 京都府は、府内の小中高生向けのアンケートの「聞き方」を工夫している。いじめの有無を直接聞くのではなく、「いやな思いをしたことはないですか?」と尋ねる。「ある」と答えたケースはすべて「いじめ」とみなし、教師が面談などで子どもの悩みを聞く。

 教師らがいじめを「からかい」などと軽く判断し、対応が不十分になることを防ぐねらいがある。府教育委員会は「アンケートはいじめ把握だけでなく、小さいうちに見つけて対応するという教師の意識を徹底させるのにも役立っている」と分析する。 子どもの心の問題に詳しい、つつじが岡メンタルクリニック(仙台市)の望月美知子院長は「成績や内申書などで自分を評価する立場の教師に悩みや弱みを相談するのはハードルが高い。評価する立場にない大人に相談できる場を増やすべきだ」と指摘する。

 このシリーズでは、子どもが自ら命を絶つことのない社会を願って取材に応じてくれた自殺未遂の経験者や遺族、教師、医師らの証言に基づき、私たちにできることを考えます。「手段を詳しく伝えない」「どこに支援を求めることができるのかについて情報を提供する」など、世界保健機関(WHO)が出した自殺報道に関する手引を念頭に伝えていきます。 ご意見はasahi_forum@asahi.comメールするか、ファクス03・5541・8259、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞オピニオン編集部「小さないのち」係へ。自殺を防ぐための取り組みや体験談などもお寄せください。(大岩ゆり、片山健志)

378NAME:2017/06/09(金) 23:07:42
【福岡・母子3人殺害】
夫の巡査部長を逮捕 「仕事熱心」「子煩悩」「寡黙で礼儀正しい人」…
2017.6.8 19:40更新
http://www.sankei.com/west/news/170608/wst1706080085-n2.html

福岡県小郡市の住宅で中田由紀子さん(38)と子供2人が殺害された事件で、県警は8日、由紀子さんに対する殺人容疑で、夫で県警通信指令課に所属する巡査部長の充容疑者(38)を逮捕した。 長男で小学4年の涼介君(9)と、長女で小学1年の実優さん(6)は首を絞められて窒息死しており、県警は、充容疑者が2人の死亡に関し、何らかの事情を知っているとみて調べる。

■子供2人に「あいさつしなさい」…自転車を教える姿も

 逮捕された巡査部長の中田充容疑者は、所属する通信指令課で、まじめで堅実に仕事をこなすと評価されていた。地域では「警察官らしいまじめな人」(近隣住人)。子煩悩な一面もあった。

▼【写真】逮捕された夫の巡査部長

 関係者によると、中田容疑者は前任の筑後署自動車警ら隊を含め、勤務評価は良好だった。 地域での人付き合いは限られていたようで、自宅周辺の住民は中田容疑者について、礼儀正しく「寡黙な人だった」と話す。

▼【写真】夫の巡査部長を逮捕…記者会見で長々と頭を下げる県警幹部

 家族を知る人の話では、殺害された妻の由紀子さんが主に対外的な用事もこなしていた。中田容疑者は、亡くなった子供2人に「あいさつしなさい」としつけをしていたという一方、かわいがっていた様子もうかがえる。近くに住む男性(79)は「1〜2週間前、長女の実優さんに自転車を倒れないように支えながら優しく声を掛け、乗り方を教えているのを見かけた。実優さんは楽しそうに真剣に練習していた。近くには自転車に乗る涼介君の姿もあった」と話していた。

379NAME:2017/06/10(土) 00:36:25
川越美和さんの孤独死、元恋人と桃井かおり兄が語った借金・酒浸り・摂食障害
週刊女性2017年6月20日号
2017/6/6
http://www.jprime.jp/articles/-/9834

「別れてから連絡してなかったので、結婚して幸せになっていると思ってたのに……」 レコード大賞新人賞にも輝いた女優の川越美和さんが、'08年4月に都内のアパートで孤独死していたことを先週、『週刊女性』は報じた。すると、各方面から大きな反響が寄せられ特に、生前に彼女と交流のあった人々からは、驚きと悲しみの声が上がった。

「'04年から'05年の1年ほど交際していたんです」 そう話すのは、現在50代になるカメラマンのA氏。川越さんとは、'02年ごろに仕事関係のパーティーで初めて会ったという。「出会ったころから、彼女は酒浸りの生活を送っていたんです。お酒はそれほど強くないのですが、とにかく飲まないと寝られない。弱いのに飲んでいる姿が、よけいに痛々しかったんです」 友人だった川越さんの恋愛相談に乗っているうちに、彼女から“じゃあ、付き合ってよ”と告白されたというA氏。付き合い始めてからも、彼女の泥酔はやまなかった。

「当時、彼女はそんなに仕事がなかったので、部屋にいることが多かったんです。毎日、僕が仕事を終えて帰ってくるころには、すでに酔っぱらっていて、将来のことや仕事の話など、まったくといっていいほどまともな話ができない。なので、なんとしてもお酒を断たせようと、一緒に病院に行くことにしたんです」 彼が調べて、杉並区内にあるアルコール治療に詳しい病院へ。お酒を飲むと不快感が出る抗酒薬を処方してもらったのだが……。「彼女はそれがほとんど効かなかった。薬を飲んでも、お酒を普段どおり飲んでしまうんです。最終的には先生に“本人の意思でやめるしかない”って言われてしまいました」

 先週号で、川越さんが芸能界引退後に勤めた不動産会社の同僚は、鹿児島に住む両親や姉妹とは断絶関係にあったと証言している。だが、A氏と交際していたころは、家族関係は良好だったという。「月に1度、多いときは2度も、お父さんから4リットルの芋焼酎ボトルを何本かまとめて送ってきたりしていたんですよ。あと、食材とかも送ってもらっていましたね。やはり、生活が苦しいのがわかっていたので、お父さんが心配していろいろ送っていたんだと思いますよ」 交際時には渋谷区内のマンションに住んでいたというが、家賃が負担になり下町である墨田区に引っ越したという。

380NAME:2017/08/15(火) 23:19:50
上原多香子の衝撃不倫を亡夫の弟が告発!! 裏切りの熱愛LINE「会いたいよ。絶対に旦那さんに戻れない」
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e4%b8%8a%e5%8e%9f%e5%a4%9a%e9%a6%99%e5%ad%90%e3%81%ae%e8%a1%9d%e6%92%83%e4%b8%8d%e5%80%ab%e3%82%92%e4%ba%a1%e5%a4%ab%e3%81%ae%e5%bc%9f%e3%81%8c%e5%91%8a%e7%99%ba-%e8%a3%8f%e5%88%87%e3%82%8a%e3%81%ae%e7%86%b1%e6%84%9bline%e3%80%8c%e4%bc%9a%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%84%e3%82%88%e3%80%82%e7%b5%b6%e5%af%be%e3%81%ab%e6%97%a6%e9%82%a3%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ab%e6%88%bb%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%84%e3%80%8d/ar-AApNxFs

3年前、自死といういかたちで夫を亡くした上原多香子(34)。上原は2012年8月に、「ET-KING」メンバーでラッパーのTENN(森脇隆宏さん、享年35)と結婚して大阪で新婚生活をスタートしたが、それからわずか2年後の2014年9月25日、TENNさんは自宅マンション駐車場に停めた車の後部座席で首をつって自殺を図り、亡くなった。 遺書は3枚あり、妻である上原、「ET-KING」メンバー、自身のファンにそれぞれ宛てられていたという。当時の報道では、どの遺書にも自殺の理由については記されていなかったとされていた。しかし、8月10日発売の「女性セブン」(小学館)で、TENNさんの実弟が衝撃の告発をしている。兄の自死の理由が、妻の不倫を知ったことだったというのだ。

 上原多香子は、14年7〜9月に出演した舞台で共演していた俳優・阿部力(35)と不倫恋愛の関係にあった。証拠とされているのは、上原と阿部がかわしたLINE文面と、上原のスマートフォンに保存されていたツーショット写真やキス写真。すべて、TENNさんが上原のスマホを見て、自らのスマホカメラで撮影・保存したものだったという。それを、葬儀からおよそ一カ月後の月命日に、TENNさんの実母が発見した。

 当初は家族だけで秘し、誰にも明かさないつもりだったようだが、三回忌を終えた今もなお家族の悲しみは癒えず、TENNさんの実弟は「これ以上、家族だけでは抱えきれない」として告発に踏み切った。また、上原が今年5月に新恋人と「フライデー」され「夫の死を乗り越えようやく立ち直った」等と書かれたことに脱力し、「多香子さんのこういうニュースが出るたびに、天国の兄は毎回ひどい言われようをしてしまうんやとしたら、どうにもいたたまれなくなって」と苦しい胸のうちを明かしている。 同誌に掲載された、上原と阿部のLINEのやりとりは、赤面するほどに相思相愛。阿部は上原を「たかちゃん/たー」と呼び、上原は阿部を「トントン(※中国で活躍する阿部の愛称)」と呼ぶ。

 上原は、<止められなくなるくらい想えるって素敵なことだね。トントンに出会えて、本当によかった><トントンに会いたいよ。旦那さん、大事だけどそれ飛び越えてる><(離婚や浮気はありえないと思っていたけれど、でも)私の一方的やけど肌を合わせて感じるフィット間が今までとはまったく違うの>と、とめどなく愛を伝え、<トントンに想いがすべて行ってる中、騙し騙し旦那さんと居ることが、やっぱり出来ないです(中略)こんな気持ちでは絶対に旦那さんに戻れない>と離婚をほのめかす。浮気ではなくて本気、だったようだ。2017年現在すでに上原は別の恋人がおり、阿部との愛は永遠ではなかったわけだが。

 また、TENNさんは不妊症で子供を望めない体だったという。しかし上原と阿部は<子供欲しい><2人の子供作ろうね><早く(子供に)会いたいね>という会話もしており、恋愛絶頂期特有の高揚感が溢れている。TENNさんから妻・上原へ宛てた遺書には、<子供が出来ない体でごめんね/本当に本当にごめんなさい>とある。自分が死んでも<きっと阿部力となら乗りこえられると思います>、そして<がんばって トントンとお幸せに>と綴られた最後の手紙を、上原はどう受け止めていたのだろうか。

 そして、「女性セブン」では触れられていないのだが、阿部力もまた、既婚者のはずである。阿部は中国人の父と中日ハーフの母とのクォーターで中国芸能界でも活動しており、2009年に年上の中国人女優との結婚を発表。遠距離恋愛を経ての入籍だったことや、妻が中国での女優業を休み日本で阿部の両親と同居生活を送ることなどを明かしていた。公表していないだけですでにこちらの夫婦は破局していたのか、はたまたダブル不倫で燃え上がっていたのか。 いずれにしろ、この告発で“悲劇の未亡人”だった上原のタレントイメージは一変しそうだ。

381NAME:2017/08/15(火) 23:20:47
上原多香子、新魔性の女か!? 関係者「あの目で男を落とす」
http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e4%b8%8a%e5%8e%9f%e5%a4%9a%e9%a6%99%e5%ad%90%e3%80%81%e6%96%b0%e9%ad%94%e6%80%a7%e3%81%ae%e5%a5%b3%e3%81%8b%ef%bc%81%ef%bc%9f-%e9%96%a2%e4%bf%82%e8%80%85%e3%80%8c%e3%81%82%e3%81%ae%e7%9b%ae%e3%81%a7%e7%94%b7%e3%82%92%e8%90%bd%e3%81%a8%e3%81%99%e3%80%8d/ar-AAq8sze

女性誌で自身の不倫が夫でET-KINGのTENNさん(享年35)の自殺の一因だったと報じられた女性グループ、SPEEDの上原多香子(34)。現在、名古屋市内で舞台「のど自慢〜上を向いて歩こう〜」(18日まで)に出演中だが、疑惑については口を開いていない。舞台後は無期限の謹慎に入るという。

初日の12日も終演後、報道陣に囲まれたが、神妙な表情で深々と3秒間頭を下げて謝罪の意をみせたが、釈明の発言などはなし。飛び交う質問におじぎを繰り返すだけだった。 不倫相手とされた俳優、阿部力(35)とはTENNさんの死後すぐに関係を解消。現在は演出家のコウカズヤ氏(40)との交際が伝えられている。「もともと彼女自身が奔放なうえ、恋愛体質で、共演者と近い関係になることも少なくなかった。あの目で男を落とすそうです」と芸能関係者。まさに“魔性の女”だ。

382NAME:2017/08/27(日) 19:40:51
アリさん引越社、懲戒解雇は「不当労働行為」 都労働委認定
2017.8.23 17:59更新
http://www.sankei.com/life/news/170823/lif1708230046-n1.html

アリさんマークで知られる「引越社」のグループ会社「引越社関東」で、セールスドライバーだった男性社員(36)が、運転中に事故を起こして弁償のため労働組合に加入したことをきっかけに懲戒解雇やシュレッダー係への配転を命じられたことについて、東京都労働委員会は23日、不当労働行為であると認定した救済命令を交付した。

 命令書などによると、男性は平成27年1月、営業車を運転中に事故を起こし、会社から弁償金を求められたことから、社外の労働組合に加入し、団体交渉を開始。同社は男性を同年8月に懲戒解雇するとともに、顔写真入りで「罪状」と題した解雇文を全店に貼り出した。2カ月後に解雇は撤回されたものの、一日中書類を廃棄するシュレッダー係に配転された。 引越社関東は「担当者が不在」としている。

383NAME:2017/09/04(月) 21:11:17
プロポーズ成功直後に男性転落死 沖縄・伊良部大橋、ふざけて欄干乗り越える
2017.9.4 20:21更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170904/afr1709040019-n1.html

4日午前0時ごろ、沖縄県の宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋(宮古島市)から男性が誤って海に転落し、死亡した。男性は橋の上で交際中の女性にプロポーズした直後だった。

 宮古島署によると、死亡したのは、同市平良下里の介護士、石垣有一さん(32)。3日夜、橋の上に車を止め、交際中の同僚女性にプロポーズし、承諾の返事をもらった後、ふざけて橋の欄干を乗り越えて外側の縁に立ち、足を滑らせたという。 海上保安庁のダイバーらが海底に沈んでいた石垣さんを見つけ、引き上げたが死亡が確認された。石垣さんは飲酒した後だったという。

384NAME:2018/01/21(日) 00:07:18
上智大卒、新人賞受賞作家なのに、あらゆる場面で「戦力外通告」、大人の発達障害のリアルを本人が綴る
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e4%b8%8a%e6%99%ba%e5%a4%a7%e5%8d%92%e3%80%81%e6%96%b0%e4%ba%ba%e8%b3%9e%e5%8f%97%e8%b3%9e%e4%bd%9c%e5%ae%b6%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab%e3%80%81%e3%81%82%e3%82%89%e3%82%86%e3%82%8b%e5%a0%b4%e9%9d%a2%e3%81%a7%e3%80%8c%e6%88%a6%e5%8a%9b%e5%a4%96%e9%80%9a%e5%91%8a%e3%80%8d%e3%80%81%e5%a4%a7%e4%ba%ba%e3%81%ae%e7%99%ba%e9%81%94%e9%9a%9c%e5%ae%b3%e3%81%ae%e3%83%aa%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%92%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%8c%e7%b6%b4%e3%82%8b/ar-AAuVq7u?ocid=iehp#page=2

1997年に新潮新人賞を受賞、著作の『ダンボールハウスガール』が米倉涼子主演で映画化もされた小説家・萱野葵氏を襲った危機。生活のために始めたアルバイトは失敗ばかりで、どれも長続きしない。「言語性知能」と「動作性知能」のギャップに、その謎を解く鍵があった。萱野氏が自らの体験を綴った手記を寄稿した。

 小説を書けないという困惑から、すべてのことが始まった。 1997年に小説家としてデビューしたが、2001年にはすでにピークが来ているのを感じていた。正確には、書けないというのではない。書いても「これは行ける!」という感覚がなくなってしまったのだ。完全なスランプだった。 しかし、一生、小説だけで生きていける人間など一握りだ。私は小説を書くのをやめ、世間の人と同じように働くことにした。医療事務、警備員、牛丼屋店員、スーパー、受付、その他いろんなジャンルの仕事をしてみた。 もちろん、働くのはこれが初めてではない。しかし、働こうと決心はしたものの、本当は働くのが恐ろしかった。

 初めて働いたのは成人を迎えた後、大学2年生でアルバイトをした時だ。ビアホールだった。私は仕事ののみ込みが異常に遅く、もっと速く動いてくれと言われた。飲食店ではテーブルにA1、B2のように店員だけがわかる番号をつける。これを卓番といい、夕方になると「ワンビアA2!」「ツービアC3!」などの怒号が激しく飛び交う。私は最後まで、この卓番が覚えられなかった。おどおどとしながら必死で席を探すが分からずパニックになる。大学のサークルには何とか馴染めたのだが、バイト先では常に浮いている自分がいた。私はたった3カ月でビアホールを辞めた。

 その後、居酒屋のバイトに入った。ビアホールではうまくできなくても、環境が変われば仕事のできる人間になれる、そう信じたかった。しかし、ここでも評価は最悪だった。まず揚げ物と焼き物の区別がつかない。焼き鳥を注文されて、調理場の揚げ物担当の人にオーダーを持って行ってしまう。そして「焼き鳥は焼き物だよ! 分かんないの!?」と怒られる。あるいはコロッケを注文されて、焼き物担当に持って行ってしまい、「コロッケは揚げ物でしょ!?」と怒られる。夜の居酒屋はラッシュだったから、私のトロさは際立って見えた。男性店員にいじめられ、1カ月で辞めた。

385NAME:2018/01/21(日) 00:26:18
●「一流大学なのにできない」同僚に陰口を言われた

 それでも懲りずに、小料理屋でバイトしたが、メニューを覚えられず、中国人や韓国人の店員にフォローしてもらう有様だった。パート従業員の中年女性が、「大学は一流でも仕事のできない人っているものなんだね」と聞こえよがしに私のことを他の店員に話すのが耳に入り、いたたまれなくなって辞めた。 コンビニの店員をしても、同じように店長に叱られてばかりで勤まらなかった。

 大学を出てからOLになったが、ここでもひどい評価を受けた。とにかく仕事ができないから、会社に対して申し訳なかった。コンピュータールームでひたすらデータを打ち込む仕事は退屈でならなかった。しかし、誰も私に難しい作業はさせなかった。クビになってもいいと思ったが、不思議とリストラも肩たたきもなかった。

 後で聞くと、この会社は今まで一度もリストラをしたことがないという。温情豊かな会社に就職したものだ、と思ったが、それでも仕事ができないことと、仕事に楽しさを感じられないことは致命的だった。可愛がってくれた女性社員が、「もう辞めたほうがいいよ。向いてないよ。小説に専念しなよ」 と助言してくれたのをきっかけにして、私はOLを辞めた。

その後、安アパートで一人黙々と小説を書いていたが、それだけでは食えず、スーパーでレジのバイトをした。 自分は仕事ができない、と思いたくなかった。普通の人ができることをできる人間だと思いたかった。 ところが、レジ打ち以外の、途中で売上金を数えたり、閉店後にレジを締めたりという仕事が、やはりうまく理解できず、混乱し、いづらくなって、これもふいっと辞めた。

●何度説明を聞いても仕組みを覚えられない

 そのすぐ後に小説の新人賞を獲り、何冊か本も出し、雑誌でこまごまとした記事を書きながら、何とか生きてきた。しかし、小説が書けなくなってしまった。それで冒頭に書いたように、働くしかなかったのだ。 その後もありとあらゆる場面で、「戦力外通告」を受けた。牛丼屋では昼間の注文の激しい時間帯を避け、夜の掃除専門で入った。そこで年上の女性から「掃除がのろい」と怒られた。私は怖くなって、懸命に早く掃除を終えるようにした。すると今度は「掃除した後がひどく汚い」と言われた。彼女は人をいじめるタイプではない。ただ、私のあまりにひどい働きぶりに業を煮やしているのだ。

「どうしてそんなに仕事ができないの? あなた本当に大卒なの? 私は高卒だけど、あなたよりずっと仕事できるわよ」 と言われ、私は俯くしかなかった。 こうした状態を、小説が書けなくなってから10年以上も繰り返した。最後に勤めたのは高級スーパーのレジ打ちだ。品物をバーコードに通し、袋詰めにする。それが「ひどくのろい」と怒られた。スーパーにはコーヒーメーカーがあり、夜勤帯のバイトが掃除を命じられた。しかし、私は、コーヒーメーカーの内部の仕組みが、何度説明を受けても全く理解できなかった。

「あなたにはもう教えない。普通なら2回で覚えるよ」 と先輩女性従業員は声を荒らげた。 私は必死で仕組みを覚え、できるだけ早くコーヒーメーカーを洗浄しようと努力した。すると、家に帰ってから、店長から怒りの電話があった。「コーヒーメーカーの掃除がひどく汚い。別のバイトが一からやり直した」 この一件で、私は「もう無理だ」と悟った。誰にでもできることが自分にはできない。もう何かがおかしいとしか思えなかった。 私はとうとう、病院の門をくぐった。 医師に今までの人生をざっくりと話した。自分には精神疾患がある、と私は疑っていた。ところが、医師は臨床心理士に知能テストをするよう命じた。私は言われるままにテストを受けた。WAIS=III式という日本ではごく一般的なバージョンのテストだ。

 数週間後にテストの結果が出た。驚くべき事実が待っていた。 知能テストは言語性知能テストと動作性知能テストに分類される。言語性知能とは、通常、「偏差値」と関係していて、意識的な学習の成果とされる。これは、いわば思考力の高さを測る物差しである。動作性知能とは、社会で必要とされる様々な「作業」を司る知能である。こちらは、その場その場の環境変化や問題発生に臨機応変に対応できる能力のことである。言語性知能の検査項目は「言語理解」と「作動記憶」であり、動作性知能の検査は「知覚統合」と「処理速度」からなる。言語性知能と動作性知能を合わせた全体的知能の、平均的な知能指数は90〜109の間。70〜89が「境界例」、50〜69が「軽度知的障害」とされる。

386NAME:2018/01/21(日) 21:57:23
●抜きん出た言語性知能 平均下回る動作性知能

 私は言語性知能が114と、平均より高かった。ところが、動作性知能は平均をはるかに下回り、「境界例」である74。動作性知能のうちの「処理速度」に至っては66で、「軽度知的障害」のレベルであった。 両方を合わせた全体的な数値は96と「平均値」に収まっていたが、あまり意味はない。大事なのは、言語性知能と動作性知能の差が40もあるということだ。医師は差が40もあるのは極めて稀としながらも、「あなたは視覚的で単純な素早い作業が苦手だね。言葉の能力が高いんだから、言葉を使う仕事をすればいいよ」 と気安く言った。しかし、言葉を使う仕事ができれば世の中を渡れるわけではない。 私はコーヒーメーカーの掃除であれレジ打ちであれ、仕事ができるようになりたかった。一方で、動作性知能が境界例と診断されたことで、安堵もしていた。自分が仕事のできない理由が分かったからだ。自分はさぼっているのではないか、と思う時ほど罪悪感にさいなまれる瞬間はなかった。でも、それは違った。私の知的水準が低すぎたのだ。

 大学時代から続く「戦力外」体験に私は自信を失い、引きこもりのようになってしまっていた。逆に言えば、全国で54.1万人(内閣府推計)、予備軍は110万人とも推定される引きこもりの中にも、私のような人々がいる可能性がある(ちなみにこの数字は15〜39歳だけを対象にしたものだが、40代以上を含めると、ぐっと増えて、300万〜500万人もの引きこもりがいるのではないかと推定されている)。

 東京都にある発達障害者のための支援センターで自分の状態を話し、相談に乗ってもらった。知能テストだけで診断名がつくことはなく、様々な検査をして総合的な判断をするのが普通とのことだった。ただ、簡単に言えば、言語性知能が動作性知能を上回るケースを、非言語性学習障害という(しかし、この呼び方は現在あまり使われていない)。融通が利かず、環境の変化や対人関係に柔軟に対応できず、刺激に直面するとショック状態になったりし、空間認知能力や運動神経に問題があるという症状である。そして、非言語性学習障害は、アスペルガー症候群と同義ではないが、アスペルガー症候群との共通点が極めて多く見られる。

●「それはしんどかったね」相談員は驚いて言った

 アスペルガーは生まれつきの性質であり、基本的に「治癒」することはない。対症療法としては、パニックが起きないように環境調整をしたり、苦手な状況を回避したりする、人から誤解されたら、自分の話し方のチェックを心がける、など、素人でも分かりそうなことしかない。治療はできないが、パニックなどの症状回避のためには向精神薬の服薬は有効性がある。またアスペルガーはそれによる鬱、神経症、適応障害などの「二次障害」も生むので、服薬はその場合にも必要となる。

「言語性知能と動作性知能の差が40もあったの! それは生きるのがしんどかったね」 私の話を聞いた相談員は、驚いてそう言った。 それでも私は患者の中では、少しは幸福だったと言えるのだろう。少なくとも生まれつき障害があったのを、今まで感じることなく生きてこられたのだから。そして、昔だったら「異端者」と片づけられたかもしれないものが、実は「発達障害」なのだ、と認識される時代を生きることを許されているのだから。 生きづらさを抱え、対人関係に苦慮しながらも、自分は非言語性学習障害やアスペルガーではないかと疑ったことのある人は、それほど多くないだろう。そういう人には、この発見されにくい、そして自覚されにくい障害があるかどうかをチェックするために、専門機関を訪れてみてほしい。私も自分の障害と向き合い、見たことや感じたことを書いて伝えることで、少しでもそうした人の力になれたらと思う。 ※AERA 2018年1月22日号

387NAME:2018/01/23(火) 22:52:27
評論家・西部邁さん死去 多摩川で自殺か 78歳、正論執筆メンバー
2018.1.21 16:26更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210033-n2.html

保守派の論客として知られる評論家の西部邁(すすむ)さん(78)=東京都世田谷区=が21日、死去した。 警視庁田園調布署によると、同日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布の多摩川河川敷から「川に飛び込んだ人がいる」と110番があった。飛び込んだのは西部さんで、署員らが現場に駆け付け病院に搬送されたが、死亡が確認された。 同署によると、目立った外傷はなく、付近で遺書のような文書が見つかった。自殺を図り、溺死したとみられる。

 西部さんは21日未明から行方不明になっていた。同居する家族が探していたところ、多摩川で流されている西部さんを発見し、通報したという。 西部さんは北海道出身。東大経済学部に在学中、全学連中央執行委員として安保闘争に参加し、学生運動の指揮を執った。大学院では経済学を専攻し、横浜国立大や東大などで教鞭(きょうべん)をとる傍ら大衆社会論を軸とした評論活動を開始。「経済倫理学序説」で吉野作造賞、「生まじめな戯れ」でサントリー学芸賞を受賞した。

東大教授時代の昭和63年、助教授の推薦をめぐって教授会で否決されたことに抗議して辞任。以降、テレビの討論番組などに定期的に出演し、晩年は自ら発刊した雑誌を舞台に言論活動を展開した。 正論執筆メンバーで、平成4年には戦後日本でタブー視された改憲論を正面から取り上げるなどの精力的な評論活動により、第8回正論大賞を受賞した。

【西部邁さん死去】
「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め…
2018.1.21 20:19更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210036-n1.html

「ウソじゃないぞ。俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」-。21日に死去した西部邁さん(78)はここ数年、周囲にそう語っていた。平成26年の妻の死などによって自身の死への思索を深め、著作などでもしばしば言及していた。 昨年12月に刊行された最後の著書「保守の真髄(しんずい)」の中で、西部さんは「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装」だとし、その実態は「病院死」だと指摘。自身は「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」とし「自裁死」を選択する可能性を示唆していた。

 言論人として人気を集めたきっかけは、テレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」。「保守」を思想レベルまで引き上げた知性は、左右を問わず多くの知識人の尊敬を集めた。 知人らによると、東京・新宿で、酒を飲みながら知識人らと語り合うのが大好きだった。ケンカや後輩への説教もしばしばだったが、相手を後からなだめたり、後日、電話で酒場に誘ったり。優しさと人なつっこさもあった。たばこもこよなく愛し、「思考の道具」と言ってはばからなかった。 親米の論客からは「反米」と批判されたが、最大の問題意識は独立の精神を失い、米国頼みになった日本人に向いていた。いつも「今の日本人は…」と憤りを語っていた。

388NAME:2018/01/23(火) 23:07:43
【西部邁さん死去】
小林よしのりさん「自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」
2018.1.22 11:24更新
http://www.sankei.com/life/news/180122/lif1801220031-n1.html

評論家の西部邁氏の死去について、親交があった漫画家の小林よしのり氏は22日、「西部邁氏は立派である」と題した文章を自身のホームページに掲載した。文章は「自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」などとつづられ、「謹んで哀悼の意を表します」と結ばれている。

【西部邁さん死去】
田原総一朗さん「曖昧なことが大嫌いな人。近く会いたいと思っていた」
2018.1.21 18:38更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210035-n1.html

ジャーナリストの田原総一朗さんの話「大ショックだ。去年会った時、体調が悪いと言っていたので気にしていた。近く会いたいなと思っていた。彼は非常にラジカルで、物事を非常にちゃんと考える人。曖昧なことが大嫌いだ。日本は、安全保障も経済も、大事な部分を隠して曖昧。そういうことが彼には我慢できなかったのではないか」

【西部邁さん死去】
「発言者」編集長・東谷暁さん「自分の言葉に殉じたと思った」
2018.1.22 00:55更新
http://www.sankei.com/life/news/180122/lif1801220003-n1.html

西部さんが主宰した雑誌「発言者」編集長だったジャーナリスト、東谷暁さんの話「驚いたが、西部先生は前から『自決する』とおっしゃっていたので、自分の言葉に殉じたと思った。先生の助っ人として雑誌『発言者』創刊に携わったが、『思想は言葉だ。言葉は思想なんだ』と随分聞かされた。一言一言が本気で、自分の思想と行動をつなげることに情熱を持っておられた。これまで何度も自殺すると書いていたし、最近も周囲にそう話していたので、自身の思想を忠実に実行し、完結したという気持ちすらする」

389NAME:2018/01/23(火) 23:08:14
【西部邁さん死去】
能動的、命かけ「保守のための改革」思想継承 左右問わず言論界に厳しい目
2018.1.21 23:39更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210039-n1.html

21日に死去した評論家の西部邁さん(78)は「保守主義」を掲げ、一貫して国家と個人の自立を問い続けた。 ドイツの実存主義哲学者、カール・ヤスパースが言った「人間は屋根の上に立つ存在」という認識に立ち、人間は綱渡りのように緊張感と平衡感覚を持って生きてゆかなければならないと主張。大切な平衡感覚は歴史と伝統を学ぶことでしか得られないと考えた。

 保守というと、維持するものと考える人は多いが、西部さんの保守思想は、いわば能動的で命がけのもので、「保守するためには改革も必要」と述べた英国の政治思想家、エドマンド・バークの思想の真の継承者であった。 東大在学中は、全日本学生自治会総連合(全学連)の幹部として活動し、逮捕・起訴されたこともある。経済思想史に進み、「ソシオ・エコノミックス」「経済倫理学序説」などを刊行。京大名誉教授の佐伯啓思さんら現在、論壇で活動する多くの論客に影響を与えた。

平成に入ってからは、テレビ出演や「新しい歴史教科書をつくる会」への参加など、保守派の代表的な存在として知られるようになった。 だが、言論界には左右を問わず、厳しい目を向けた。安全保障を米国に依存し、経済大国への道を突き進んだ日本のあり方を痛烈に批判。親米の現実路線を取る保守論壇の中心からは離れた存在だった。 自らの言葉に厳しく、論の人である以前に義と侠(きょう)の人だった。(桑原聡)

【西部邁さん死去】
文芸評論家・富岡幸一郎さん「専門超えた『思想家』だった」
2018.1.21 23:59更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210041-n1.html

西部さんが主宰する雑誌「表現者」の編集長で文芸評論家の富岡幸一郎さんの話 「西部さんは雑誌『発言者』、続いて『表現者』を四半世紀にわたり出版し、保守思想という観点から今、起きていることを歴史的に考えようというスタンスでやってこられたと思う。古代ギリシャから近代まで西欧思想を吸収し、それを日本の思想や状況にぶつけ、全体像をみようとした。経済学から出発したが、“○○学者”というスペシャリストを超え、文化や歴史など、日本の近代の土壌で考察した稀有(けう)な“思想家”だったと思う」

390NAME:2018/01/24(水) 13:44:50
西部邁さん:最後の「保守と死」論 自裁の10日前に言及
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a5%bf%e9%83%a8%e9%82%81%e3%81%95%e3%82%93%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e3%80%8c%e4%bf%9d%e5%ae%88%e3%81%a8%e6%ad%bb%e3%80%8d%e8%ab%96-%e8%87%aa%e8%a3%81%e3%81%ae%ef%bc%91%ef%bc%90%e6%97%a5%e5%89%8d%e3%81%ab%e8%a8%80%e5%8f%8a/ar-AAv2JZY?ocid=iehp#page=2

保守派の評論家で社会経済学者、西部邁さん(78)が21日、東京都大田区の多摩川で入水し亡くなった。その10日前、毎日新聞の取材を受けた際に「数週間後には(自分は)生きていない」。神経痛で痛む腕をかばいながら、近年繰り返していた自らの自殺の話をした。しかし語りはあくまでも冷静。取材後は午前4時過ぎまでバーをはしごする元気さをみせていた。【鈴木英生】

 西部さんは、知的、道徳的な人間の不完全さを強調し、歴史的な慣習とそこから導かれる伝統の意義を説いてきた。 今回の取材は新刊「保守の真髄(しんずい)」(講談社現代新書)についてのインタビュー。11日夜、東京都内のホテルのバーで1時間半、同書で展開した保守論と死について持論を語った。

 西部さんにとっての保守は、保守政治や「伝統文化」の擁護を直接は意味しない。「慣習の奥底に示唆されている歴史の知恵を自分の力で発見し、自分が納得できる間はそれを仮に伝統とみなす。そうした論陣を張るのが保守というもの」だという。 そこから、新しいものにばかり飛びつきたがる戦後日本への懐疑、米国的なものの否定などが紡ぎ出されてきた。 伝統を「危機においてバランスを取るための知恵」とも。大学では学生運動で逮捕起訴され、仲間の死にも遭遇している。人生における危機に直面してきたからこそ、保守思想を唱えだしたことをうかがわせた。

 他方、「(自分の)死は、急に考えると怖い。『死生論』を書いた二十数年前から、繰り返し考えるうちに、段々と平気になった」。2000年の「私の死亡記事」(文芸春秋編)にも、精神的な衰えが見通されたら自殺すると予期した文章を寄せている。 新刊では、病院で死に行く際の心身の苦しみを身近な人に見せるよりも、「自裁死」を選ぶことを示唆した。「連れ合いがいる間はなかなか死ねないものだ」とも。8年間看病した妻の満智子さんは14年に死去している。 一般論として「今の病院がイノベーションのおかげで痛みをとれるようになったのは確か」と病院での死を否定せず、「やりたいことをやり尽くしたら死ねばいいと簡単には言えない」と断りを入れたうえで、自らは「自裁死がいい」と話していた。

 憲法改正への動きなど、表面は「保守派」に勢いがある昨今。だが、西部さんの絶望してきた日本の対米追従や大衆社会状況は変わらない。「絶望に立つ希望」を唱え、約200冊の本を出し続けた西部さんは、自らの体調や年齢を考え、長年検討してきた死を選んだのだと思う。 取材中、ポケットからものを取り出すのに苦労し、グラスは両手で持ち上げた。とはいえ、早朝まで弁舌はよどみなく、学生時代やテレビ出演での思い出などを話し続けた。そのさまに、当面は本当に自殺することはないと記者は思った。 自らの主張とかけ離れた現代の言論、社会状況に絶望しながらも、数十年の間、絶えず発言を続けてきた西部さん。バーからバーへと夜道を歩きながら、「俺の絶望の深さが分かったでしょ」とつぶやいていたのが印象的だった。

391NAME:2018/01/25(木) 22:50:52
デューク更家氏、モナコの自宅は30億円!…F1グランプリが真下を通る
http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e3%83%87%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%af%e6%9b%b4%e5%ae%b6%e6%b0%8f%e3%80%81%e3%83%a2%e3%83%8a%e3%82%b3%e3%81%ae%e8%87%aa%e5%ae%85%e3%81%af%ef%bc%93%ef%bc%90%e5%84%84%e5%86%86%ef%bc%81%e2%80%a6%ef%bd%86%ef%bc%91%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%97%e3%83%aa%e3%81%8c%e7%9c%9f%e4%b8%8b%e3%82%92%e9%80%9a%e3%82%8b/ar-AAv8G4T?ocid=iehp#page=2

ウォーキングトレーナーのデューク更家氏(65)が24日放送の日本テレビ系「ナカイの窓 海外生活は楽しいよSP」(水曜・後11時59分)に出演。モナコ公国に移住し16年目のセレブ生活を紹介した。 更家氏は、2001年頃に独自の健康法「デュークウォーク」で大ブレイク。現在は世界中にスタジオ300か所以上、弟子30人以上、生徒数4万人以上を抱えており、プライベートレッスン料は1時間で20万〜30万円だという。 ブレイク後に、以前からあこがれていたモナコ公国に移住。当時3億円で買ったものが現在は30億円という高級マンションで、F1・モナコGPコース上のトンネル出口の上、F1を真下に望める超一等地に住んでいる。

 そんな更家氏だが、モナコ移住当初は見えない壁に苦労したという。限られた人物しか入れない、ノートブルービーチのレストランに認められるようになるまで約3年。ほかの店でも、入れたのはいいがドアから近くの場所やはじの方に追いやられたこともあった。 そこで更家氏はどうやったら認められるようになるのかと観察したところ、お金の使い方がキレイなこと、スタッフ、そのお店の客に認められること、立ち居振る舞いが大事なことに気づかされた。

 更家氏は「お店に行くときは、それぞれのスタッフへ払うため1回1万円のチップを渡した。20万〜30万円のチップを用意していった」と話し、「旅行者はウェルカムだけど、住民権をとって住まわれるのは嫌がられる。認めてもらうためにチップは払い放題だった」と当時を振り返った。

392NAME:2018/02/01(木) 00:42:34
【座間9遺体】
群馬の女子高生殺害容疑などで白石隆浩容疑者を再逮捕
2018.1.31 11:08更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180131/afr1801310017-n1.html

神奈川県座間市のアパートで9人の切断遺体が見つかった事件で、警視庁高尾署捜査本部は31日、9人のうち最年少だった群馬県邑楽町の県立高1年、石原紅(くれ)葉(は)さん=当時(15)=に対する殺人と死体損壊・遺棄容疑で、白石隆浩容疑者(27)を再逮捕した。一連の事件で立件対象となるのは5人目。白石容疑者は「所持金を奪う目的だった」などと話し、容疑を認めている。

 再逮捕容疑は昨年8月28日ごろ、座間市の自宅アパートで、石原さんの首を絞めるなどして気絶させた上、ロフトのはしごに結びつけたロープに石原さんの首をかけ、窒息させて殺害。遺体を切断して室内の箱などに遺棄したとしている。

 石原さんは同日、神奈川県藤沢市の小田急線片瀬江ノ島駅で足取りが途絶え、同駅構内のトイレで携帯電話が見つかっていた。白石容疑者は「(携帯電話を)置いてくるよう指示したかもしれない」などと供述しており、発覚を防ぐ目的だったとみられる。 白石容疑者は昨年8月以降、ツイッターで知り合った男女9人を殺害し、遺体を切断して遺棄したと供述。これまでに、男女4人に対する殺人や死体遺棄容疑などで逮捕されている。

393NAME:2018/02/01(木) 01:26:09
【座間9遺体】
群馬の女子高生殺害容疑などで白石隆浩容疑者を再逮捕
2018.1.31 11:08更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180131/afr1801310017-n1.html

神奈川県座間市のアパートで9人の切断遺体が見つかった事件で、警視庁高尾署捜査本部は31日、9人のうち最年少だった群馬県邑楽町の県立高1年、石原紅(くれ)葉(は)さん=当時(15)=に対する殺人と死体損壊・遺棄容疑で、白石隆浩容疑者(27)を再逮捕した。一連の事件で立件対象となるのは5人目。白石容疑者は「所持金を奪う目的だった」などと話し、容疑を認めている。

 再逮捕容疑は昨年8月28日ごろ、座間市の自宅アパートで、石原さんの首を絞めるなどして気絶させた上、ロフトのはしごに結びつけたロープに石原さんの首をかけ、窒息させて殺害。遺体を切断して室内の箱などに遺棄したとしている。

 石原さんは同日、神奈川県藤沢市の小田急線片瀬江ノ島駅で足取りが途絶え、同駅構内のトイレで携帯電話が見つかっていた。白石容疑者は「(携帯電話を)置いてくるよう指示したかもしれない」などと供述しており、発覚を防ぐ目的だったとみられる。 白石容疑者は昨年8月以降、ツイッターで知り合った男女9人を殺害し、遺体を切断して遺棄したと供述。これまでに、男女4人に対する殺人や死体遺棄容疑などで逮捕されている。

394NAME:2018/02/13(火) 14:56:01
妻が女の子に…小室哲哉さんが明かした家族追い詰める「高次脳機能障害」つらさと苦労
2018.2.12 12:00更新
http://www.sankei.com/premium/news/180212/prm1802120006-n1.html

「大人としての会話ができない」 小室さんがKEIKOさんと結婚したのは2002年。11年にKEIKOさんがくも膜下出血で倒れた後は、小室さんが献身的に介護する様子がたびたび報道された。 引退会見のなかで小室さんは、KEIKOさんの病状について次のように明かした。 「高次脳機能障害とか、脳のちょっとした障害ということで、少し欲がなくなってしまったりとか、女の子みたいな優しげな性格になりました」

原因で最も多いのは、脳卒中だ。なかでも、脳の血管が詰まる「脳梗塞」が多く、「脳出血」や「くも膜下出血」でも起こる。また、交通事故などによる「脳外傷」のほか、「低酸素脳症」「脳腫瘍」も原因となるという。 08年に東京都が発表した実態調査によると、都内の高次脳機能障害者数は推計約5万人にのぼった。60歳以上が67・4%と推計されている。「日本全体では、50万人以上存在するとみられています」(渡辺教授)。

小室さんによるとKEIKOさんは「非常に正常になるときが年に数回あります。そのときに『私、普通じゃないよね』ということを言ってくれることもあります」という。 小室さんは、会見を次のような言葉で結んだ。 「この10年で介護の大変さなどに触れてきました。僕1人の言動で社会が動くとは思っていませんが、こういったことを発信することで、何かが響けばいいなと思っています」

395NAME:2018/02/15(木) 00:26:49
【平昌五輪】
「笑わなかった小さい頃…」 平野歩夢、クールの秘密 恐怖心と重圧乗り越え懸命に
2018.2.14 19:34更新
http://www.sankei.com/pyeongchang2018/news/180214/pye1802140066-n1.html

けがによる恐怖心やメダルの重圧を乗り越え、貪欲に競技と向き合い最高の技を追及した平野歩夢。メダル確定後も悔しさをにじませ、涼しげな目つきのまま、わずかに口角を上げただけ。しかし平昌の空を華麗に舞った日本のエースに対し、関係者は「よくやった」とねぎらった。 「あまりうれしそうな顔をしていないけど、歩夢は昔からそんな感じ。初めて抱っこして笑わそうとしてが、笑わなかった小さい頃を思い出した」と感慨深げに語るのは母方の伯父、田中幸一さん(50)。 日大に所属する平野は、新潟県村上市の実家に帰省してもスノーボードが頭を離れない。「『ゆっくりしていけよ』と声をかけても、『練習があるから』と数時間しか滞在しなかった」と田中さんは語る。

 平野の原点は、父の英功(ひでのり)さん(46)が作ったスケートパークで遊んだ経験にある。兄の影響で4歳からスノボを始めると、充実した施設を求め、英功さんが運転するワンボックスカーで福島県や山形県の雪山を回った。 小学4年でメーカーと契約し、プロの道へと歩み出す。積極的に海外へ出ていくことで経験を積んだ。前回ソチ五輪で一躍知名度が上がると、競技と向き合う姿勢は一層、貪欲になっていく。

無理をしてでも高難度の技に取り組まなければ勝てない時流に、葛藤する。成長を見守ってきた後援会の副会長、山田俊治郎さん(73)は「幼いころは純粋に楽しんで滑っている姿が印象的だったが、競技として取り組むようになるにつれて抑制した表情が増えた」と振り返る。 あるとき、後援会の集まりで顔を合わせた平野に、山田さんは大技に挑む心境を尋ねた。「常に恐怖心との戦いです。でも、がんばって勝ちます」。厳しい世界に生きていることをまざまざと見せつけられた。

 「こっちが命を懸けていることを、批判する人は分かっていない」。高校時代の同級生、大山昌斗(まさと)さん(19)は、平野が悔しそうに漏らしたのを聞いたことがある。過去の五輪代表選手が服装や記者会見の態度についてバッシングを受けていたことに話題が及んだときだ。 たゆまぬ努力で限りなく頂点に近づいた平野の姿に、山田さんは思う。「世界に誇れる。ぜひ胸を張ってほしい。夢を見させてくれてありがとう」(石井那納子)

396NAME:2018/02/17(土) 21:32:32
59歳「派遣に堕ちた」困窮男性が見続ける夢 勤続10年、時給は「40円」上がっただけ
http://www.msn.com/ja-jp/money/other/59%E6%AD%B3%EF%BD%A2%E6%B4%BE%E9%81%A3%E3%81%AB%E5%A0%95%E3%81%A1%E3%81%9F%EF%BD%A3%E5%9B%B0%E7%AA%AE%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%81%8C%E8%A6%8B%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%A2-%E5%8B%A4%E7%B6%9A10%E5%B9%B4%EF%BD%A4%E6%99%82%E7%B5%A6%E3%81%AF%EF%BD%A240%E5%86%86%EF%BD%A3%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%91/ar-BBJ964V?ocid=iehp#page=2

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

職場でモノを言うのはやめた

 大みそか、街はどこも浮かれていた。札幌市内のある商業施設の駐車場入り口。家族連れなどを乗せた車両がにぎやかに行き交うそばで、案内板を掲げた誘導員のヨウジさん(59歳、仮名)は黙々と立ち続ける。気温は昼すぎには氷点下に。黒っぽいコートを重ね着し、分厚い手袋と耳あてで防寒しても、顔の筋肉はこわばり、足先の感覚はない。

 「人手が足りないので、年末は31日まで出勤でした。年始の休みも元日と2日だけ。帰省ラッシュがピークだとか、有休を組み合わせれば9連休になるとか――。シフト制の、時給制で働く契約社員にとっては、どれも無縁のニュースです。休日が少ないと収入は増えますが、体がつらい。かといって、休日が取れると体は楽になりますが、収入が減る。これも非正規労働者の“あるある話”です」

 駐車場管理員として勤続10年。この間、時給は840円から880円に、40円上がっただけだ。年収は200万円に届かない。寒冷地手当もボーナスも住宅手当も家族手当もゼロ。あまりの待遇の悪さに、特に若者が定着しないという。1年間で職場の顔ぶれの半数が入れ替わることも珍しくない。

 最近は募集をしても人が集まらないと言い、人員が足りないため、本来1時間の昼休が30分しか取れない。会社は商業施設を中心に複数の駐車場管理を請け負っており、ある現場では、10日連続の勤務を強いられた同僚もいるという。会社の方針が変わり、ここ数年は有給休暇も取れなくなった。

 いずれも法律や就業規則に違反している可能性が高いが、職場で声を上げる人は誰もいない。かつてヨウジさんは職場環境について愚痴をこぼしたとき、そばで聞いていた年下の正社員から「契約社員が何言ってるんだ。二度とそういうことは許さない」と語気荒く、一蹴されたことがある。以来、職場でモノを言うのはやめた。不満のある者は黙って辞めていき、彼のように再就職口を見つけるのが難しい中高年以上の働き手はとどまる代わりに口をつぐむ――。いつのまにか、そんな「ルール」が出来上がってしまったのだという。

397NAME:2018/02/17(土) 21:33:08
 北海道内の産炭地で生まれた。兄弟が多く、経済的な理由から大学進学を断念。高校卒業後、札幌にある資材製造会社に就職した。技術系の正社員として、勤続20年を超える頃には年収は400万円を超えていた。帰宅は毎晩のように深夜近くで、結婚のタイミングは逃しつつあったが、暮らしぶりはおおむね順調だった。

 安定した生活が一転したきっかけは、借金の連帯保証人になっていた友人と連絡が取れなくなったことだった。ヨウジさんは多くを語らないが、金額は自身の年収を軽く超えていたという。会社を辞めた退職金で穴を埋め、自己破産をして片をつけた。 このとき、すでに40代半ばすぎ。正社員の働き口はなかなか見つからなかった。折しも労働者派遣法が改正され、製造業への派遣が解禁。「やむをえず派遣会社を渡り歩くことになった」。

派遣に対する「差別と偏見」

 「派遣に堕ちた」。正社員時代、短期間ながら役職者として派遣労働者を使う側にいたというヨウジさんは、自らが使われる側に転じたことをそう表現した。たぶん、彼に派遣労働者を見下す意図はない。確かに派遣労働者の中には、専門性の高い技術を武器に労働市場を生き抜くことができる人もいれば、それぞれの事情から短期雇用を望む働き手もいる。一方で規制緩和が進む中、彼のように安く買いたたかれ、理不尽な雇い止めに遭う「不本意派遣」が大量に生み出されたのも事実だ。これにより、多くの職場にいらぬヒエラルキーがもたらされたこともまた否定できない。

 実際に多くの派遣先は差別と偏見にまみれていた。ヨウジさんが派遣されたある職場の仕事は、重さ20キログラム近い荷物をトラックから所定の場所まで移し変えることだった。期限は午前中いっぱい。多い日は1人で500個近くを運ばなければならないこともあった。

 ヨウジさんは、正社員なら、荷物が多ければ人員を増やしたり、作業を午後に延ばしたりするなど臨機応変な対応がなされたはずだと言う。しかし、派遣労働者は代わりが利くとでも思っているのか、そうした配慮はない。昼前になって正社員が手伝いに入ることもあったが、それは同時に「時間内に仕事ができない使えない派遣」とみなされることでもあった。実際に仕事を失う仲間もいた。切られたくなければ、死に物狂いで終わらせるしかない。そんなとき、つくづく自分は「労働者」ではなく、「労働力」なのだと痛感したという。

 ミスをしたときの風当たりも強かったという。工場内でフォークリフトの運転中、通路に放置された製品にぶつかってしまったときなどは、正社員から「これだから派遣は……」と言われた。ヨウジさんに言わせると、運転の不注意もあるが、荷物を放置しておくほうも悪い。派遣労働者を格下とみなすような物言いに、「ほとんどの職場で、正社員との間に会話がなくなっていきました」という。

 正社員には正社員の言い分があるだろう。ただ、ヨウジさんがその後、駐車場管理の仕事に就いたのは、「派遣を渡り歩く」ことに心身ともに疲れ果てたからでもあった。 非正規労働者となってから十数年。60歳を前にして、健康格差も顕在化しつつある。

 逆流性食道炎の持病があり、医師からは年1回の胃カメラ検査を指示されているが、実際に検査を受けるのは経済的な事情から2、3年に1度が限界。胸やけがひどくなるなど「本当に調子が悪くなってから」だ。歯科医師からは歯槽膿漏と言われたが、放置。健康診断で要再検査とされた項目についても「病院に行くと、(おカネがなくなり)生きていけなくなっちゃう」と、こちらも捨て置いたままである。

398NAME:2018/03/05(月) 23:32:23
マラソン原裕美子容疑者、執行猶予中に群馬で逮捕 キャンディーなど万引で再び起訴
2018.3.5 12:36更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180305/afr1803050023-n1.html

栃木県足利市のコンビニエンスストアで万引したとしたとして執行猶予判決を受けたマラソンの元世界選手権代表選手で飲食店店員の原裕美子容疑者(36)=栃木県足利市=が判決後に群馬県内で万引した疑いで逮捕されていたことが分かった。前橋地検太田支部は窃盗罪で原容疑者を起訴した。

 起訴は2日付。起訴状によると、原被告は2月9日午後8時45分ごろ、群馬県太田市のスーパーでキャンディー1袋など3点(販売価格計382円)を盗んだとしている。 群馬県警によると、店側が取り押さえ、太田署に現行犯逮捕された。「店を出る前に商品を戻すつもりだった」と容疑を否認している。

 原被告は栃木県足利市のコンビニで化粧品や食料品を万引したとして、昨年11月に宇都宮地裁足利支部で懲役1年、執行猶予3年(求刑懲役1年)の有罪判決を受けていた。 公判で原被告は「しっかりと治療を続け、今後このようなことがないよう、事件のことを忘れることなく日々を過ごしていきたい」と述べていた。 原被告は平成17年、名古屋国際女子マラソンで初優勝し、同年のヘルシンキ大会では6位に入賞するなど世界陸上に2度出場した。

399NAME:2018/03/15(木) 15:50:09
西部邁さん遺体、両手緊縛 自殺手助けか、警視庁捜査
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a5%bf%e9%83%a8%e9%82%81%e3%81%95%e3%82%93%e9%81%ba%e4%bd%93%e3%80%81%e4%b8%a1%e6%89%8b%e7%b7%8a%e7%b8%9b-%e8%87%aa%e6%ae%ba%e6%89%8b%e5%8a%a9%e3%81%91%e3%81%8b%e3%80%81%e8%ad%a6%e8%a6%96%e5%ba%81%e6%8d%9c%e6%9f%bb/ar-BBKd8S5?ocid=iehp

1月に自殺したとされる評論家西部邁さん=当時(78)=の遺体の両手が縛られていたことが14日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁捜査1課は、何者かが自殺を手助けした自殺ほう助事件などの疑いもあるとみて捜査している。 西部さんは1月21日未明、行方不明になり、長男が捜索願を出した。同日朝、東京都大田区田園調布5丁目の多摩川の水中で見つかり、病院で死亡した。目立った外傷はなく溺死とみられる。河川敷には遺書があった。 捜査関係者によると、遺体は両手が縛られ、川まで届くロープで近くの木と結び付けられていた。

400NAME:2018/03/29(木) 13:37:23
【17歳女子高生強殺】
女子高生強殺で無期懲役確定へ 最高裁が上告棄却
2018.3.28 22:35更新
https://www.sankei.com/affairs/news/180328/afr1803280011-n1.html

東京都江戸川区の自宅アパートで高校3年だった岩瀬加奈さん=当時(17)=を殺害し現金を奪ったなどとして、強盗殺人と強盗強姦(ごうかん)未遂の罪に問われた無職、青木正裕被告(31)について、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は、青木被告の上告を棄却する決定をした。無期懲役とした1、2審判決が確定する。27日付。3裁判官全員一致の結論。

 平成29年5月の1審東京地裁判決は「犯行動機は身勝手極まりなく、有期懲役が相当な事案とはいえない」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。2審東京高裁も12月、「犯行に計画性を認めた1審の判断に誤りはなく、無期懲役が重すぎるとはいえない」として被告の控訴を棄却した。

 判決によると、青木被告は27年11月12日、アルバイト先の元同僚の岩瀬さんを自宅に連れ込んで首を絞めて殺害し、乱暴しようとした上、現金約7500円などを奪った。

401NAME:2018/03/30(金) 13:44:11
お金持ちになれる人が誰にでも親切な理由とは
http://www.msn.com/ja-jp/money/personalfinance/%e3%81%8a%e9%87%91%e6%8c%81%e3%81%a1%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%82%8b%e4%ba%ba%e3%81%8c%e8%aa%b0%e3%81%ab%e3%81%a7%e3%82%82%e8%a6%aa%e5%88%87%e3%81%aa%e7%90%86%e7%94%b1%e3%81%a8%e3%81%af/ar-BBKNr88?ocid=iehp

金持ちになれない人ほど目下の人に傲慢
貧乏になる人は、自分より格下の相手には横柄になります。たとえば、仕事上でかかわる下請けのスタッフには、自分から挨拶をしないとか。自分のほうが上だから「相手から挨拶すべきだ」という傲慢さがあります。

しかし、稼ぐ人はそんな傲慢さはありません。それに相手を大事にすることは、いずれ自分に役に立ってくれる可能性があります。仲良くしておけば、たとえば入退館時間が過ぎていても、「ちょっとだけですよ」とカギを空けてくれるなど、融通をきかせてもらえるかもしれません。

これは小さな話ですが、私の知人で不動産会社を経営する社長は、4年ごとに取引先を招いて、パーティーを開催しています。対象は、物件の仕入先、販売先、提携代理店、金融機関、賃貸仲介会社、リフォーム会社など、関係するすべての業者です。毎年ではなく4年ごとというのが絶妙で、毎年だと飽きられて面倒くさくなりますが、これだけ期間が開けば新鮮さがあり、出席しようと感じます。

毎年だと新しいネタがないが、4年経てばどこも新事業や取扱商品変更などの動きがあるから、お互いに情報交換になります。取引先も入れ替わり、新しい取引先の人に喜んでもらえる。疎遠になっていたスタッフも思い出し、また仕事を発注しようかという気になる。また顧客を紹介しようかという気になる。こうして彼のビジネスはどんどん大きくなり、今は東京でも有数の不動産管理会社へと成長しています。

402NAME:2018/03/30(金) 13:57:22
女子高生に無給で畑作業 口止めも、実習教諭を処分
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%a5%b3%e5%ad%90%e9%ab%98%e7%94%9f%e3%81%ab%e7%84%a1%e7%b5%a6%e3%81%a7%e7%95%91%e4%bd%9c%e6%a5%ad-%e5%8f%a3%e6%ad%a2%e3%82%81%e3%82%82%e3%80%81%e5%ae%9f%e7%bf%92%e6%95%99%e8%ab%ad%e3%82%92%e5%87%a6%e5%88%86/ar-AAveI6Q?ocid=iehp

岩手県教育委員会は29日、学校に無断で農業を営み、畑で教え子の女子生徒3人を約3カ月間、無給で働かせたとして、県立高校に勤める40代の男性実習教諭を減給10分の1(3カ月)の懲戒処分とした。「農業実習に役立つと思った。考えが甘かった」と話しているという。

 県教委によると、教諭は兼職の許可を取らず、販売用にピーマンの苗約1900本を栽培。昨年6〜8月に最大24日間、3年の生徒3人を働かせ、学校に知られないよう口止めした。 他のアルバイトも含む16人と雇用契約を交わさず「収穫に応じてバイト代を払う」と口約束し、賃金を支払わなかった。

403NAME:2018/04/02(月) 21:15:16
初出社して、就職先が「ブラック企業」だと気付いたあなたへ
http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%e5%88%9d%e5%87%ba%e7%a4%be%e3%81%97%e3%81%a6%e3%80%81%e5%b0%b1%e8%81%b7%e5%85%88%e3%81%8c%e3%80%8c%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e4%bc%81%e6%a5%ad%e3%80%8d%e3%81%a0%e3%81%a8%e6%b0%97%e4%bb%98%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%b8/ar-AAvmoA4?ocid=iehp#page=2

「最低でも3年は働き続けないと、どこにも転職できない」

 ブラック企業に入社してしまった人間を苦しめる、呪いの言葉です。この言葉を信じて、劣悪な環境で働き続ける若者が今も少なくありません。しかし、よくよく考えてみると一体どこの誰が「3年は辞めるな」という風習を作り出したのか、誰も知らないのです。

違和感に気が付いた入社式の言葉

 私は5年ほど前に就職活動を経験し、大学を卒業したのちに、とある商社に入社しました。リーマンショック後の「氷河期」だったこともあり、就職活動は非常に厳しく、面接を何十社も受けてようやく手にした内定でした。しかし入社してみると、その会社はいわゆる「ブラック企業」と呼ばれるものだったのです。

労働時間は長時間に及び、休日も関係なく出社することを強要されたにもかかわらず、残業代も手当も出ませんでした。もちろん、「有給」取得も許されません。どうしても有給を消化するのであれば、給与から1日あたり5000円を差し引かれます。「あれ、有給ってなんだろう」って感じじゃないですか。「これは何の5000円ですか」と経理の人間に尋ねても、明確な答えは返ってきませんでした。

「ブラック企業に入社してしまった」。入社して1週間も経つ頃には、先輩社員との会話や社内に漂う空気感から、そう確信しました。今思えば、入社式の日に初めて会長と顔を合わせた時には、すでに違和感に気が付いていたかもしれません。 「今の社長が辞めることが決まって、退職金を払わないといけなくなった。だから、お前らのためにお金を使うわけに行かねえんだよ」 入社初日に会長が発した衝撃的な言葉によって、「ここは普通の会社ではない」と凍りついたのです。

404NAME:2018/04/02(月) 21:16:56
会長の息子が「会社に内緒で、旅行に行こう」

 とはいえ、新入社員の自分には、どうすればいいのか分かりません。右も左も分からないけれど、「3年はこの職場で働き続けないといけない」ことだけは知っていました。「3年は続けないと、どこにも転職できないぞ」と、周りから耳にタコができるほど聞かされてきたからです。 しかし結論から言うと、私はその会社を5ヶ月で辞めました。直接の原因は、役員からの度重なるセクハラ・パワハラに耐えられなくなったためです。

入社して1ヶ月経った頃、役員のAから「会社に内緒で、旅行に行こう」と誘われました。Aは既婚者で、会長の息子。「さすがにそれは……」と断ろうとした私に、Aは「行きたいの? 行きたくないの? どっち?」と大声でまくしたてました。助けが求められない状況だったので、その場しのぎで「行きます」と言い、その日はなんとか逃げることができました。後日改めて「やはり、旅行には一緒に行くことができません」と断りを入れたのですが、これがきっかけでAの怒りを買ってしまいました。

「吉川には徹底して負荷をかけるように」

「Aさんの言いつけだから、ごめんね」 私を呼び出した所属部の部署長から、こう切り出されました。Aからの指示で、今後、私の業務量を他の社員よりも大幅に増やすこと。定時の退社を絶対に許さないこと。とにかく、「吉川には徹底して負荷をかけるように」と言われたことを伝えられたのです。

 この扱いには怒りを覚えましたが、勝気だった私は、同時に「なんとかこなしてやろう」と思いました。ここで弱音を吐くのは、パワハラに屈したようで嫌だったためです。朝、部署の誰よりも早く出社して仕事に取り掛かり、お昼休憩も取らず、夜遅くまで働く毎日が続きました。そこまでやってようやく、なんとか与えられた仕事をこなしていたのです。しかし、それを面白く思わなかったAは、さらに業務量を上乗せすることを部署長に命じました。この瞬間、私の心は折れてしまいました。

 今振り返れば、「もっと早く辞めていればよかった」と思うこともあります。5ヶ月間しかいなかった会社ですが、「なんて変な会社だ」という体験が書ききれないほどにあるのです。勇気ある新入社員が「どうしてこの会社は残業代が出ないのですか」と会長に直接質問をしたことがありました。これすごくないですか。新入社員の勇気ある行動に、その場にいた誰もが息を呑みました。そして恐る恐る様子を見守っていると、会長はおもむろに財布から1万円札を1枚取り出し、「今までの分だよ!!!」と怒鳴りながら、新入社員の頬に叩きつけました。いや、絶対足りねえからな、1万円じゃ。どうして1万円で済むと思ったんだよ。1万円札ビンタを食らった新入社員は当然、間も無く会社を退職しました。彼は賢明な判断をしたと思います。

そんなこんなで私が退職届を出す際、上司からはしつこく「会社に残ってほしい」、「せっかく新卒で入社した会社を退職するなんてもったいない」と言われました。しかし、「この会社に長くいてはいけない」と強く確信していたため、私の決心は揺るぎませんでした。退社することが決まってからは、他の社員から「裏切り者」扱いされましたが、もうすぐ苦痛から解放されることを考えれば、そんなことはどうでも良く思えました。

405NAME:2018/04/02(月) 21:17:29
面接官も「辞めて良かったね」

 さて、新卒で入った会社をすぐに辞めた私はどうなったでしょうか。 働きながら転職活動をするなんて器用なことができなかった私は、ブラック企業を辞めてから新しい会社を探し始めました。「きっと厳しい転職活動になるだろう」と社会の洗礼に身構えていましたし、新卒で入った会社よりも待遇が悪くなる可能性もあると思っていました。

 しかし、そんな覚悟をよそに、私はあっさり転職に成功しました。転職活動を始めてから1ヶ月ほど、2社目に面接を受けた会社でした。面接で「前の会社、どうして辞めたの?」と聞かれましたが、事情を話すと「それは辞めて良かったね」と面接官から言ってくれました。

転職先の職場では、よほどのことがなければ定時で上がることができましたし、残業があれば、その対価もしっかり支払われました。休日出勤を頼まれることはありましたが、きちんと休日出勤手当も出ましたし、代休を取ることも可能でした。さらに、社員に有給を消化させるための「長期休暇制度」が設けられており、全員が好きな時期に有給を取得できたのです。 それだけでも満足だったのですが、月給が転職前より5万円以上も上がりました。セクハラ・パワハラもない。どこからどう見ても「転職大成功」だと言えたのです。

先輩たちは、みんな「あの説」を口にしていた

 では、「あの説」は一体何だったのでしょうか。私以外にも、新卒で入った会社を1年以内に辞めた同世代の友人を多数見てきました。しかし、転職ができなかった友人、前職よりも待遇が悪い会社にしか就職できなかった友人は1人もいませんでした。

「最低でも3年は働き続けないと、どこにも転職できない」と言い出したのは誰でしょうか。誰が言い出し、誰が広めた噂なのでしょうか。答えは、「ブラック企業」だと思っています。 若手社員を囲い込んで、3年の間に「責任」を負わせ、会社を辞めづらくする。「違う業界への興味」を奪って、転職されるリスクをできるだけ下げる。「3年間は辞めるな」は、人員不足に陥っているブラック企業が新卒の社員を逃さないようにするための、常套句なのではないでしょうか。

 ブラック企業の先輩たちは、みんな「3年間は……」という言葉を口にしていました。先輩社員に「仕事が辛くてしょうがない」という相談をすると、決まって「新卒ですぐに辞めてしまった奴らは、今の会社よりも悪い待遇の会社にしか転職できなかったから、辞めないほうがいい」という答えが返ってきました。今の会社より悪い待遇の会社なんてそうそうないはずなのに、世間をよく知らない若者はそれを真に受けてしまう。そしてそれを聞かされてきた後輩たちが、今度は自分たちより年下の後輩に、また同じことを伝えていく。「会社をすぐに辞めると、必ず痛い目を見る」と、何の根拠もないアドバイスをすることが常態化する。こうやって、ブラック企業の中で悪循環が完成していたのです。

406NAME:2018/04/02(月) 21:18:43
ブラック企業で過ごす3年間は未来への糧になるか

 そもそも、大学卒業後の、23〜25歳の若くて貴重な時間をブラック企業のために費やすなんて意味がないと思いませんか。今思えば「忍耐力」がどうの、「適応力」がどうのだなんて、思考停止しているとしか思えません。過酷な環境で3年間も搾取されることを「経験」として評価するような会社なら、そこに転職してもきっと幸せにはなれないでしょう。

 しかし、今だからこのように考えるようになったものの、まだ若くて、ブラック企業で疲弊していた自分はこんな風に思えませんでした。誰かが言っていた「絶対に辞めるな」という言葉にとらわれて、「何とか1日でも長く会社にいなければならない」と思っていたのです。

もしブラック企業に入社してしまって苦しんでいる人がいれば、一度考えてみてほしいと思います。その会社は、人生の貴重な3年間を賭けてまで働き続けるべき会社ですか。自分がその会社で働き続ける理由が、しっかり見えていますか。 ブラック企業で過ごす3年間を、未来への糧にできるでしょうか。もちろん個人差はあると思いますが、「最低でも3年は働き続けないと、どこにも転職できない」だなんて悲観しないで、自分にとっての最適解を導き出してほしいです。 ブラック企業が、あなたの幸せを保証してくれることはありません。彼らは、労働力を搾取することしか考えていないのです。あなたの未来のことなんて、どうでもいいと思っているのです。それでも、その会社で働き続ける理由がありますか。

407NAME:2018/04/07(土) 22:16:24
25年太陽見せず「悪いことした」 息子監禁の父親、逮捕前取材で虐待否定
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%ef%bc%92%ef%bc%95%e5%b9%b4%e5%a4%aa%e9%99%bd%e8%a6%8b%e3%81%9b%e3%81%9a%e3%80%8c%e6%82%aa%e3%81%84%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%9f%e3%80%8d-%e6%81%af%e5%ad%90%e7%9b%a3%e7%a6%81%e3%81%ae%e7%88%b6%e8%a6%aa%e3%80%81%e9%80%ae%e6%8d%95%e5%89%8d%e5%8f%96%e6%9d%90%e3%81%a7%e8%99%90%e5%be%85%e5%90%a6%e5%ae%9a/ar-AAvzPeP?ocid=iehp#page=2

40代の息子に20年以上、兵庫県三田市の自宅に隣接するプレハブ内の檻での生活を強いていたとして、監禁容疑で逮捕された70代の父親は、県警に任意同行される直前の7日午後、神戸新聞社の取材に応じていた。家の中で暴れる長男に耐えられなかったとする一方、「外に出て誰かを傷つけてはいけないとも思い、檻(おり)の中に入れた。仕方なかった」などと淡々と語った。 主なやり取りは次の通り。

 -長男を監禁したのはいつごろからか。 「1991年6月に大阪から今の家に転居してきた。その1年後ぐらい」 -監禁した理由は。 「当時は家の2階を長男の部屋とし、窓の内側に柵を取り付けて窓ガラスを割ったりしないようにしていた。でも、暴れて、壁や食器棚、窓を壊すなどして耐えられなかった。近所から迷惑だと怒られたこともあったし、もしも長男が外に出て誰かを傷つけてもいけないと考え、プレハブの中に檻を作って入れた。仕方がなかった」

 -福祉施設への入所は考えなかったのか。 「当初は施設に入れたいと思っていたが、今年1月に亡くなった妻が同意しなかった。引っ越してきてから約2年後には市の担当者と電話でやり取りもしたし、自宅にも来た。その時、もしかしたら何か指導を受けるのではないかと思ったが、施設の紹介などの対応は全くなかった。長男は1月に施設に入所した」 -檻の中でどのように生活を。 「2日間のうち半日、時間にすると約12時間は檻から出して食事を与え、風呂も入れていた。それ以外の36時間は檻の中にいた」

 -トイレはどのように。 「簡易トイレを部屋に置いていたが、なかなか使わなかった。部屋の中が汚物で汚れるので、毎回、妻が檻の下から手を伸ばして掃除していた。その光景が大変そうだったので、ふん尿を吸収するペット用のシートを敷いていた」 -部屋の温度管理は。 「当初はエアコンを設置していたが、ふん尿の臭いでエアコンが壊れ、3回も買い換えた。その後、夏場は扇風機のみ使用し、脱水症状を起こさないように冷えたペットボトルの水を渡していた。冬場はストーブで暖めていた」

-監禁や虐待の認識はなかったのか。 「虐待はしていない。食事も与え、風呂にも入れていた。確かに檻に入れたが、監禁しているとは思っていない」 -大阪府寝屋川市で昨年12月、プレハブに監禁されていた女性が死亡し、両親が逮捕された事件を知っているか。 「あの悲惨な事件とは全く違う。食事も与えて、風呂にも入れていたし、監視カメラで行動を確認するようなこともしていない」 -長男に対してどう思っているのか。 「檻に入れ始めたころは家族旅行に連れていくこともあった。檻の中に入れるのは仕方なかった。今となってみれば25年ぐらいの間、太陽の下に出してあげられず、少し悪いことをしたと思っている」

408NAME:2018/04/10(火) 14:26:14
暴言・マジギレ上等、高学歴モンスターの正体 豊田真由子元議員を例に、精神構造を分析
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e6%9a%b4%e8%a8%80%ef%bd%a5%e3%83%9e%e3%82%b8%e3%82%ae%e3%83%ac%e4%b8%8a%e7%ad%89%ef%bd%a4%e9%ab%98%e5%ad%a6%e6%ad%b4%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%81%ae%e6%ad%a3%e4%bd%93-%e8%b1%8a%e7%94%b0%e7%9c%9f%e7%94%b1%e5%ad%90%e5%85%83%e8%ad%b0%e5%93%a1%e3%82%92%e4%be%8b%e3%81%ab%ef%bd%a4%e7%b2%be%e7%a5%9e%e6%a7%8b%e9%80%a0%e3%82%92%e5%88%86%e6%9e%90/ar-AAvHgFq#page=2


昨今、一流大学を卒業しながら、問題を起こす人が後を絶ちません。秘書を罵倒した音声が流出し、選挙で落ちた豊田真由子元代議士。東北の台風被災地に長靴を忘れて現れ、職員におんぶされて視察し批判されるも、「長靴業界が儲かったのではないか」と発言した務台俊介元政務官。

 どうして彼らはこのような行動を起こしてしまうのでしょうか。本稿では『高学歴モンスター: 一流大学卒の迷惑な人たち』を刊行した精神科医の片田珠美氏が、高学歴で迷惑な人たちの精神構造や彼らからの攻撃を防ぐ方法を紹介します。

「この、ハゲーッ!!」という暴言で一躍有名になった豊田真由子前衆院議員。豊田氏は、中高は女子御三家の一角を占める桜蔭(おういん)を卒業し、東大法学部を経て旧・厚生省(現・厚生労働省)の官僚になり、自民党公認で衆院選に出馬して当選と輝かしい経歴だが、政策秘書を務めていた男性への暴言と暴行が報じられ、2017年6月に自民党を離党した。

 豊田氏は、高学歴なのにつまずく典型例のように見えるので、まず彼女の分析から始めたい。

強い特権意識

 豊田氏が激怒したきっかけは、彼女が支持者に送るよう事務所スタッフに指示していたバースデーカードにミスがあった事実が2017年5月18日に発覚したことである。豊田氏は翌19日、政策秘書の男性に「鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!」「お前の娘にも危害が及ぶ」と罵(ののし)り、暴力を振るった。もっとも、バースデーカードの件は、この政策秘書自身のミスではなかったようだ。

 言い知れぬ恐怖を覚えた政策秘書は、その翌日から万が一に備えて豊田氏との車内の様子をICレコーダーで録音することにした。ICレコーダーに残されていた「この、ハゲーッ!」「違うだろーっ!」といった暴言は、インターネット上で公開されたうえ、テレビでも繰り返し流されて、すっかり有名になった。

 政策秘書への暴言と暴行が『週刊新潮』(2017年6月29日号)で報じられると、豊田氏は入院した。スキャンダルが報じられたとたん入院するのは、政治家の常套(じょうとう)手段のように見えなくもない。少なくとも、説明責任を放棄したという印象を私は受けた。

 一方、政策秘書には「顔面打撲(だぼく)傷」「左上腕挫傷(ざしょう)」などの診断書が出されており、豊田氏から暴行を受けたとして埼玉県警に被害届を提出した。それを受理した県警は、豊田氏から事情聴取し、その後傷害と暴行の疑いで書類送検した(結局、豊田氏は不起訴処分となった)。

 この一連の騒動を振り返って感じるのは、「自分は特別な人間だから、少々のことは許される」と思い込んで暴走する面が豊田氏にあることだ。こうした傾向は、秘書への暴言と暴行だけでなく、2014年4月に園遊会に出席した際に起こしたトラブルにも如実に表れている。

 園遊会に招待されるのは現職の国会議員と配偶者で、他の家族の同伴は認められていない。にもかかわらず、豊田氏は本来招待されていた配偶者ではなく、母親を入場させようとしたらしい。そのため、受付の職員が豊田氏に「招待者でない方は入場できない」と説明すると、豊田氏は大声を上げて抗議し、皇宮警察が出動する騒ぎになったという。

 これは、強い特権意識ゆえに「自分は特別有利な取り計らいをしてもらって当然の人間」だから、「普通の人に適用される規則は、自分には適用されない」と思い込んでいたからではないか。

 そう思い込んでも不思議ではないほど豊田氏の経歴は立派で、まさに「ピカピカの履歴書」をひっさげて衆院選に立候補し、当選したわけだが、それがかえってつまずきの石になったように見える。自分自身の経歴や肩書を過大評価し、特権意識の塊のようになって暴走した挙げ句つまずくのは、高学歴エリートにありがちな話である。

409NAME:2018/04/10(火) 14:27:21
想像力と共感の欠如

 豊田氏が政策秘書に暴言を吐いたり、暴力を振るったりしたのは、自分自身の言動が相手にどんな影響を与え、どんな反応を引き起こすのか、想像できないからではないか。また、相手の気持ちを認識しようとせず、痛みに共感できないことが、人を人とも思わない暴言を吐く一因のようにも見える。

 豊田氏は、気性の激しさから、永田町では「第二の田中真紀子」と呼ばれていたらしい。「人間には3種類しかいない。家族、使用人、敵」(「朝日新聞」2001年6月7日付)という名言を吐いた田中氏と同様に、人間を3種類に分類していたのかもしれない。だとすれば、豊田氏にとって、秘書は使用人のカテゴリーに入っていたはずで、使用人には何を言っても、何をやっても許されるという驕(おご)りが暴言や暴行を生み出した可能性もある。

 このように周囲の人間を3種類に分けて対応すると、上にへつらい、下に厳しくなる。言い換えれば、外面(そとづら)が良く、内面(うちづら)が悪いわけだが、それを示す音声データを『週刊新潮』が公開している。
「役立たず、この!」「何時から回ってるのかも知らないんですか!」などとドスのきいたガナリ声で政策秘書に対してわめいた直後、第三者との電話では乙女のような猫撫(ねこな)で声に豹変(ひょうへん)する。そして、「会長おはようございます〜。どうも〜、昨日はありがとうございました〜。うん、留守電聞きました〜。ありがとうございました〜。えっと、14時からスタートですよね? いたほうがよいですかしら?」と丁寧に話す。

 ところが、「猫撫で電話」を終えると再び豹変し、政策秘書に対して「(豊田氏の訊(き)いたことに対して)イエスかノーだよ!」と絶叫する。

 この豹変から浮かび上がるのは、使用人にすぎない秘書の心情など想像するには及ばないし、その痛みに共感する必要もないという傲慢(ごうまん)さである。こうした傲慢さは、豊田氏に限らず、高学歴エリートにしばしば認められる。それが、ちょっとした言動に表れて、反感を買うことも少なくない。

410NAME:2018/04/10(火) 14:27:55
現実否認

 豊田氏は、報じられた暴言や暴行について、否認することで切り抜けようとしたように見える。

 まず、政策秘書に「お前の娘がさ、通り魔に強姦されてさ、死んだと。いや犯すつもりはなかったんです、合意の上です、殺すつもりはなかったんですと。腹立たない?」と発言したことについて、『週刊新潮』の取材に対し、「『お前の娘が通り魔に強姦されて死んだらどうする』といったような発言はしておりません」と、文書で明確に否定した(『週刊新潮』2017年6月29日号)。録音データはないと高を括(くく)っていたのかもしれないが、録音された音声がしっかり残っている。

 また、『文藝春秋』(2017年10月号)に掲載された独占告白を読んで、現実否認と自己正当化に終始している印象を私は受けた。

 たとえば、政策秘書への暴言と暴行は、〈私が積み重ねてきた地元の方々との信頼関係が次々と崩されていってしまう〉ことへの〈恐怖〉で、〈パニック状態に陥ってしまった〉せいだという。そして、その様子が収められた〈録音を聞くと、自分でも茫然としてしまいます〉と弁明している。
さらに、〈Aさん(政策秘書を務めていた男性)は幾度となく、『わざとではないか』と思えるほど失敗を繰り返していました〉〈追い討ちをかけるようなAさんの失敗が続いた〉などと述べている。

 したがって、告白記事で豊田氏は、「政策秘書はミスを繰り返していた。そのため、堪(こら)えきれず、〈パニック状態〉になって、つい暴言を吐き、暴力を振るってしまった。だから、私は悪くない」のであり、自分のほうこそ“被害者”だと主張しようとしたように私の目には映った。もっとも、このような主張が果たして受け入れられるのか、はなはだ疑問である。

 というのも、豊田氏の事務所を辞めた元秘書たちが反論しているからだ。以下『週刊新潮』2017年9月21日号から引用する。まず、豊田氏が 〈私は、今回のような形で叱責をすることはこれまで決してありませんでした〉と告白したことに対して、被害に遭った政策秘書とは別の元秘書が、
「私も『なんで、裏道を調べておかないんだっ!』と詰(なじ)られ、『あなたの人生、勘違いばっかりじゃない!』とバカにされたことがある。何人もの元秘書が、豊田による罵倒(ばとう)を経験しています」
と証言している。

 また、豊田氏が告白記事で〈(『週刊新潮』に)「秘書が100人辞めた」と書かれていますが、お辞めになられたのは公設・私設あわせて15名程度です〉と述べたことについても、元秘書の1人が、「私が秘書をしていたのは2カ月ほどですが、その間にいた、私を含めた5人の秘書全員が今はいません」と証言している。別の元秘書も、「私が見た範囲では、半年で20人は事務所を辞めています」と証言している。

 こうした証言が事実とすれば、豊田氏は5年近く衆院議員を務めていたのだから、「秘書が100人辞めた」というのは決して誇張ではないと思われる。それでも、豊田氏は、あくまでも週刊誌報道を否認し続けることによって、難局を乗り切ろうとしたわけである。

 自分の主張に対して元秘書をはじめとする周囲の人々が反論するかもしれないとか、“嘘(うそ)つき”と非難されるかもしれないとは考えなかったのかと、首をかしげざるをえない。もっとも、自分にとって都合の悪い事実を突きつけられると、とりあえず否認するのが人間という生き物である。

 というのも、否認は、アメリカの精神科医、エリザベス・キューブラー・ロスが見抜いているように、「不快で苦痛に満ちた状況に対する健康的な対処法」にほかならないからだ。否認には、「予期しないショッキングな知らせを受けたときにその衝撃をやわらげる」機能がある。したがって、困難な現実に直面すると、最初は誰でも多かれ少なかれ「否認によって自分を落ち着かせ、時間が経(た)つにつれ、別のもっと穏やかな自己防衛法を使うようになる」(『死ぬ瞬間―死とその過程について』)。

411NAME:2018/04/10(火) 14:29:42
否認は一時的な自己防衛にすぎない

 重要なのは、否認はあくまでも一時的な自己防衛にすぎないということだ。時間稼ぎと言ってもいいかもしれない。ところが、中には、ある程度時間が経っても、否認し続けようとする人がいる。こういうタイプは、豊田氏のような高学歴エリートに比較的多いように見受けられる。

 これは、3つの理由による。まず、高学歴エリートほど失うものが大きく、喪失不安が強い。それゆえ、自己保身のために否認し続けようとする。豊田氏も、暴言や暴行の事実を認めてしまうと、議員辞職に追い込まれ、自分自身のプライドを支えていた衆院議員の肩書を失うのではないかと危惧(きぐ)した可能性が高い。

 また、自己愛の傷つきを恐れるあまり、目の前の現実をどうしても受け入れられず、錯誤に陥りやすい。ときには、「〜だったらいいのに」という願望をあたかも現実のように思い込む「幻想的願望充足」の状態になることもある。そのため、否認し続けると、かえって状況が悪化しかねないのに、それを認識できず、合理的な判断ができなくなる。

 さらに、なまじ頭が良く、弁も立つだけに、否認し続けていれば周囲も信じてくれるはずと思い込みやすいことも重要な要因だろう。つまり、自分自身の能力を過信しているからこそ、否認し続けるのだ。もっとも、それがかえって怒りや反感を買うことは、豊田氏を見れば一目瞭然である。

 豊田氏は、約3カ月の入院を経て、9月18日に謝罪会見を開いた。その後、衆議院が解散され、10月6日に「志を断ち切りがたく、もしチャンスをいただけるなら、地域、国のために働きたい」と衆院選への出馬を正式に表明した。

 地元の支援者から「もう一回頑張れと励ましの声をいただいた」ということだが、自民党を離党していたので、無所属での出馬になった。しかも、自民党が公認候補を擁立したため、厳しい選挙戦になり、落選した。

 これは、予想どおりの結果である。秘書への暴言と暴行だけでなく、園遊会での騒動や数多くの秘書の退職なども報道されて、豊田氏の評判は地に落ちたと言っても過言ではない。たとえ優秀でも、こういう人物が国会議員を続けるのはいかがなものかという声も少なくなかった。したがって、解散総選挙での当選の可能性は限りなくゼロに近いというのが大方の見方だったのではないか。

 それでも豊田氏が立候補したのは、良く言えば、どんなに厳しい状況でも、くじけず、へこたれず、挑戦して戦うという姿勢の表れだろう。だが、悪く言えば、状況判断が甘いということになる。

 このような状況判断の甘さも、高学歴エリートにときどき認められる。「あんなに優秀で、経歴も立派なのに、なぜ状況判断が甘いのか」と驚くことも少なくない。これは、2つの理由によると考えられる。

 まず、過去の成功体験があるだけに、「今度もうまくいくはず」と楽観的に考えてしまうことが大きい。また、しばしば自分自身の能力を過大評価しており、「自分は何でもできるはず」と万能感を抱いていることにもよるだろう。

 いずれにせよ、自分で自分が見えなくなる。その結果、過酷な現実に直面して、自己愛の深刻な傷つきに見舞われることも少なくない。それでも、現実否認と自己正当化を続け、周囲の失笑を買うことさえある。

412NAME:2018/04/10(火) 14:30:56
自覚の欠如

 『文藝春秋』に掲載された豊田氏の告白を読むと、徹頭徹尾「政策秘書にとんでもないミスを連発されて、こんな結果になってしまった。私は悪くない」と自己正当化している印象を受ける。

 これは、自分自身の言動が相手を激しく傷つけたという自覚がないからではないか。豊田氏は、自分のほうこそ“被害者”だと主張したいのではないかと勘繰らずにはいられない。

 こうした自覚の欠如は、少なくとも2つの面で認められる。「衝動コントロールの未熟さ」と「精神的な幼児性」である。

 まず、衝動コントロールの未熟さは、豊田氏が怒りと攻撃衝動をコントロールできず、暴言を吐いた相手がこの政策秘書だけではないという事実に端的に表れている。2012年12月に初当選した衆院選の期間中から暴言がひどく、何度も「ぶち切れていた」らしい。

 このように衝動のコントロールができず感情的になる一因に、先述の強い特権意識がある。自分は少々感情的になっても許されると思い込んでいると、歯止めがきかず、暴走しやすいからだ。また、先述の想像力と共感の欠如のせいで、自分が感情的になって吐く言葉が相手をどれだけ傷つけるかに思いが及ばないこともあると考えられる。

衝動コントロールができない代議士は少なくない

 こうした傾向は、豊田氏に限らず、特権的な立場にいるエリートにしばしば認められる。豊田氏のふるまいについて、自民党の河村建夫元官房長官は、「あれはたまたま彼女が女性だから、あんな男の代議士なんかいっぱいいる。あんなもんじゃすまない」と発言して、物議を醸したが、さもありなんという感じである。特権意識が強く、想像力と共感が欠如しているせいで、衝動コントロールができない代議士は少なくないと推測される。
ただ、豊田氏の場合、すさまじい暴言で政策秘書を罵倒し、暴力まで振るっているので、精神科医としては「間欠爆発症」の可能性も疑わざるをえない。

 「間欠爆発症」は、攻撃衝動を制御できない衝動制御障害の一種であり、激しい口論や喧嘩、他人への暴力や器物の破壊などを繰り返す。しかも、攻撃性の爆発は、きっかけとなるストレスや心理社会的誘因と釣り合わないほど激しい。おまけに衝動的で計画性がない。

 「これくらいのことであんなに怒るなんて信じられない」と周囲から言われる人はどこにでもいて、「かんしゃく持ち」などと陰口を叩(たた)かれる。おそらく、豊田氏もそう言われてきたのではないか。

 それでも、これまで許容されてきたのは、豊田氏がきわめて優秀で、エリートコースまっしぐらだったので、周囲が大目に見た、もしくは注意するのをためらったからだろう。 あるいは、周囲から注意されても、豊田氏が「優秀なこの私に向かって…」などと反発したとか、聞く耳を持たなかった可能性も考えられる。いずれにせよ、衝動コントロールができないまま年齢を重ねたという印象を受ける。

 その自覚が豊田氏にまったくなさそうに見えることが、何よりも問題だと私は思う。これだけ秘書に暴言を繰り返し、暴力まで振るったのが事実とすれば、「間欠爆発症」の可能性がかなり高いが、その自覚があるとは到底思えない。

 さらに、豊田氏は、自らの精神的な幼児性についても自覚していないように私の目には映る。というのも、政策秘書への暴言と暴行が白日の下にさらされようとしていた2017年6月、豊田氏が脈絡なく突然、幼い頃に戻ったかのような幼児言葉で、嗚咽(おえつ)を交えながらわめき始めたと報じられたからである。

 「怖いよおー」「ママー、ママー」「ママごめんなさい、ごめんなさいママ。ううう、ママーっ!」「まゆ(豊田氏自身)が悪いの、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、うううー」

 その場に豊田氏の母親はいなかったにもかかわらず、40歳を過ぎた大人が突然「ママー」などと言い出したわけで、これを精神医学では「退行」と呼ぶ。退行とは、平たく言えば赤ちゃん返りである。自らに降りかかった事態が自分では手に負えず、対処しきれないと、子どもに戻って大目に見てもらおうという心理メカニズムが無意識のうちに働いて、こういう反応を起こす。

413NAME:2018/04/10(火) 14:35:55
退行を起こしやすい人の特徴

 退行を起こしやすい人は、一般に多くの人々が認める現実、すなわち「客観的現実」よりも、本人が心の中でそう思い込んでいる「心的現実」を重視する傾向が強い。つまり、自分にとって都合が悪く、耐え難い客観的現実を認めたくないので、「自分は悪くない」「自分のほうこそ被害者だ」という心的現実に逃げ込もうとする。

 豊田氏も、政策秘書への暴言と暴行が報じられそうになり、政治生命の危機に直面したため、耐え難い客観的現実から心的現実に逃げ込もうとしたのではないか。

 このように豊田氏には衝動コントロールの未熟さと精神的な幼児性が認められるが、いずれについても自覚していないように見える。これは、2つの理由によると考えられる。まず、自己愛が強いため、自分自身に未熟で幼児的な部分があることを受け入れられない。また、輝かしい学歴と経歴の持ち主なので、周囲がなかなか注意できず、結果的に許容してきたことにもよるだろう。

 いずれにせよ、豊田氏の自覚の欠如が、暴言と暴行に歯止めをかけられなかった重要な要因であることは疑いない。

414NAME:2018/04/10(火) 14:52:35
真面目な組織人ほど「うそ」や「不正」に走りやすい理由
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e7%9c%9f%e9%9d%a2%e7%9b%ae%e3%81%aa%e7%b5%84%e7%b9%94%e4%ba%ba%e3%81%bb%e3%81%a9%e3%80%8c%e3%81%86%e3%81%9d%e3%80%8d%e3%82%84%e3%80%8c%e4%b8%8d%e6%ad%a3%e3%80%8d%e3%81%ab%e8%b5%b0%e3%82%8a%e3%82%84%e3%81%99%e3%81%84%e7%90%86%e7%94%b1/ar-AAvH9Pp#page=2

4月8日、『ワイドナショー』(フジテレビ)を見ていたら、ダウンタウンの松本人志さんが、大相撲春巡業中に土俵内で救命措置を行っている女性に対して、「女性の方は土俵から降りてください」とアナウンスした行司について、こんなことを言っていた。 「彼もかわいそうやなと思う。日本国中に叩かれちゃってて。ちょっと真面目すぎたんですよ。真面目がゆえに、こうなっちゃってるんですよ」

 ネットではいろいろな意見があるようだが、この言葉は今回の問題だけにとどまらず、相撲協会の一連のゴタゴタにもあてはまる「本質」を突いている。あの組織は真面目がゆえ暴行事件にフタをして、真面目がゆえ協会の秩序を乱した貴乃花親方を袋叩きにしたのだ。

 ワケわからんことを言うなと思うかもしれないが、実はこの「真面目」というのは今、日本で起きている組織の腐敗、不正行為などのすべてに相通じる「病」である。最近の官僚の不正行為、少し前に続発したデータ改ざん問題などすべて組織にいる人々が「真面目がゆえ」に起きたという側面もあるのだ。

 神戸製鋼でも、日産でも、三菱自動車でも、データ改ざんなどに関わったのはみな真面目な現場の技術者だ。不正会計を行って大きな批判にさらされた経営陣も、部署の数値をかさ上げした中間管理職も、みな会社の未来を真剣に憂いていた真面目な東芝マンたちだった。

 マスコミや野党が「史上最大の犯罪」だと大騒ぎしている森友問題でも、佐川・元財務省理財局長も真面目だからこそエリートコースを進むことができたわけだし、その周りで改ざんや口裏合わせに奔走した職員たちも、みな真面目な公僕だ。

 つまり、周囲からも犯罪者扱いされ、三度のメシより不正が好きみたいな人が組織の不正や不祥事をひき起こすケースというのはかなりまれで、ほとんどはその組織内で与えられた仕事を、愚痴をこぼすことなく黙々と取り組むような「真面目な組織人」たちが、不正に手を染めたり、社会から大ヒンシュクを買うような不祥事を起こしたりというパターンが圧倒的に多いのである。

415NAME:2018/04/10(火) 14:54:01
●「思考停止」のワナに陥りやすい

 筆者もこれまで報道対策アドバイザーとして、さまざまな組織で不正、不祥事、改ざんなどが起こるメカニズムを検証させていただく機会があったが、それらを振り返ってみても、中心的な役割を果たしていたのはほぼ例外なく、真面目な組織人だった。

 なんてことを言うと、「こいつは真面目に働く人間をバカにするのか!」「日本人の美徳をディスるなんてこの反日ヤローめ!」という怒声が360度から聞こえてきそうなので、断っておくと、筆者は「真面目」が悪いと言っているわけではない。

 自分の信念、倫理、哲学、美学に対して忠実な人というのは道を誤ることは少ない。自分の中で常にこれは正しいのか、正しくないのかと自問自答しながら生きているからだ。そういう「真面目に生きている人」ではなく、組織というものに対してのみ真面目になっている人がヤバいと申し上げているのだ。

 真面目な組織人というのは往々にして、「思考停止」のワナに陥りやすい。もっとも分かりやすいケースは、元ナチス親衛隊幹部として、多くのユダヤ人虐殺に関わったアドルフ・アイヒマンである。人間と思えぬ残虐行為を指揮し、「悪魔」「怪物」と恐れられた男は自らの罪を問われた法廷でこのように述べた。

 「命令に従っただけだ」

 世界は姑息な責任逃れだと批判したが、『全体主義の起源』という歴史的名著のなかで、ナチズム台頭のプロセスを細かに研究してきたユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレントはまったく異なるものの見方をした。アイヒマンの思考停止を象徴する発言だと指摘し、この「悪魔」や「怪物」と評される男を「自分で考えることをせずに命令だけを完遂する小役人」と分析したのだ。

 ユダヤ人社会はアイヒマンを擁護したと思って猛烈なバッシングを行ったが、実は彼女が言いたかったのはそういう上っ面の話ではない。アイヒマンのようなどこにでもいる真面目な組織人は、組織や上司への絶対的な忠誠を誓うあまりに、自分の頭で物事を考えることを放棄してしまう。

 そのような思考停止状態の人間は危ない。組織から命令されれば、どんなモラルの欠けた行為や、身の毛もよだつ残虐行為であっても、機械的に実行してしまうからだ。つまり、「悪魔」や「怪物」は、真面目な人が「歯車」になることで生まれるのだ。この「悪の陳腐さ」という、文明社会の普遍的かつ、構造的な問題を世に投げかけたかったのだ。

416NAME:2018/04/10(火) 15:13:52
●組織内ルールが「思考」に勝ってしまった

 アーレントの問題提起から50年以上が経過したが、この真面目な組織人が、真面目さゆえに引き起こす「陳腐な悪」という問題を、我々日本社会はまだ克服できていない。というより、終身雇用制度の弊害でよりおかしな方向へとこじらせている。 その症状が重くなって、いよいよ覆い隠せなくなってきたのが、日本相撲協会なのだ。

 ご存じのようにこの組織に身を投じた者は、「伝統」や「しきたり」を重んじなくてはいけない。それは言い方を変えると、古くから続いているルールは問答無用で守る、としつけられるということなので、他の組織より思考停止に陥りやすい。つまり、「プチ・アイヒマン」とも言うべき、思考停止に陥った人々があふれているのだ。

 相撲界の発展のために尽力している真面目な人たちをナチスの戦争犯罪人と重ねるなんて侮辱だと相撲ファンからこれまたすさまじい抗議が殺到しそうだが、残念ながら今回の救命処置騒動が、協会の思考停止体質をこれ以上ないほど分かりやすく示している。

 若い行司の方は、頭に刷り込まれている「女人禁制」というルールや、周囲の相撲ファンからの指摘で脊髄反射でアナウンスしてしまった。もし彼がアイヒマンのように社会からつるし上げられるようなことがあれば、きっとこう釈明するはずだ。 「伝統に従っただけだ」 組織人としては真面目だが、「倒れている人をどう救えるのか」ということに関してはまったく思考を巡らせていない。 組織内ルールが「思考」に勝ってしまったのだ。また、このような思考停止は、トイレ発言が叩かれている春日野巡業部長にもあてはまる。

 問題のアナウンスがなされたとき、トイレに行っていて会場にはいなかったとして、「想定外の出来事でビックリした。(アナウンスも)聞こえなかった」(日刊スポーツ 4月5日)とコメントした春日野親方だったが、その後、騒動時に画像から会場内にいたことが明らかになった。

417NAME:2018/04/10(火) 15:18:26
●相撲協会は「考えることを放棄した」

 ネット上では、責任を逃れるためのうそだと厳しく批判されているが、筆者はこれも真面目な組織人がゆえの「陳腐な悪」に過ぎないと思っている。 あれが巡業部長の責任ということになれば、相撲協会は何をしているんだ、ということになりまたしても大騒ぎになる。しかし、「私も驚いたんですけど、若い行司がどうもテンパっちゃって」で済ませておけば、「相撲協会は女性差別などしません。再発防止に務めます」みたいなコメントでどうにかお茶をにごすことができる。

 つまり、トイレ発言は、自身の保身もさることながら、不祥事続きの相撲協会がこれ以上叩かれないように、という「組織防衛」の意図があったことが容易に想像できるのだ。 「意図」と聞くと、ちゃんと考えているじゃないかと思うかもしれないが、頭を働かせているのは「組織を守る」という一点のみで、世の中の人々に対して誠実な説明なのか、スケープゴートにされた行司はどんな思いなのか、など最も大事なところに関してはゴソッと思考が抜けているのだ。

 このように相撲協会を「考えることを放棄した組織」だととらえると、最近の一連の騒動をすべてクリアに読み解くこときる。 3横綱が密室で、メキメキと頭角をあらわしてきた若手をリンチした。殴られる理由も説教される理由もない被害者の声に耳を傾ければ、横綱たちの組織犯罪に対して、徹底的な調査をするのが健全な組織だが、ご存じのように、お手盛りの第三者調査でサクッと幕引きをした。

 そこに対して納得いかないので、身をもって異を唱えたのが、貴乃花親方だったが、「理事なのに協会に協力しないとは組織人失格」「何度も家を訪ねたが返事がない」など本筋ではない部分を袋叩きにして、しまいには弟子の不祥事にかこつけて完全にスポイルした。

 そう聞くと、八角理事長やら相撲協会理事たちを悪人のように断罪しているように聞こえるかもしれないが、これもアイヒマンとまったく同じである。 「相撲ジャーナリスト」を名乗る方たちや、相撲記者クラブ在籍ウン十年みたいな評論家のオジサンたちが擁護するように、彼らは相撲界の発展を心から願い、相撲協会という組織に尽くそうとしている真面目な組織人だ。

 だからこそ、「横綱は品行方正な人格者」という組織内論理に盲従して思考が停止してしまうのである。なにも考えていないので、一般社会からすると耳を疑うような言動も平気で行う。臭いものにフタをしているようにしか見えない、ずさんな対応もしれっとできてしまうのだ。

●「思考停止型組織」の恐ろしいところ

 そして、このような相撲協会の「思考停止体質」を実は最も象徴しているのが、何をかくそう、貴乃花親方だ。親方は、愛弟子が暴行を働いて「一兵卒として出直す」と述べた。 一兵卒というのは、上の命令は絶対で、何も考えずに任務を遂行する。「死ね」と言われれば、死ぬ存在だ。つまり、あれは「もう私はなにも考えません」と言っているのだ。あれほど組織にたてついた人物が、こうも分かりやすく陥落する。これが「思考停止型組織」の恐ろしいところだ。

 こういうカルチャーを変えないことには、どんなに再発防止策をしても、同じような不祥事が繰り返される。 今回の騒動を受けて、相撲協会では土俵内で不測の事態が起きた際のマニュアルを整備するとか言っていたが、こういう教条主義は「思考停止」にさらに拍車をかける。 残念ながら、相撲協会のゴタゴタはさらにひどくなっていきそうだ。(窪田順生)

418NAME:2018/04/16(月) 14:41:59
スタバで友人待っていた黒人客2人逮捕、CEOが謝罪 米
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%90%e3%81%a7%e5%8f%8b%e4%ba%ba%e5%be%85%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e9%bb%92%e4%ba%ba%e5%ae%a22%e4%ba%ba%e9%80%ae%e6%8d%95%e3%80%81ceo%e3%81%8c%e8%ac%9d%e7%bd%aa-%e7%b1%b3/ar-AAvV7qQ?ocid=iehp#page=2

【AFP=時事】米東部ペンシルベニア州フィラデルフィア(Philadelphia)にあるコーヒーチェーン大手スターバックス(Starbucks)の店舗で、黒人の男性客2人が友人を待っている間に逮捕される出来事があった。その様子を写した動画が拡散し、ソーシャルメディアでは非難が噴出。同社のケビン・ジョンソン(Kevin Johnson)最高経営責任者(CEO)が謝罪に追い込まれる事態になった。

問題の動画はツィッター(Twitter)に12日に投稿され、これまでに数百万回再生された。米人気ヒップホップグループ、ザ・ルーツ(The Roots)のドラマー、クエストラブ(QuestLove)さんが「黒人がスターバックスで待っているのは犯罪なのか」と批判するなど広範な反発を招いた。

 ジョンソンCEOは声明で「非難されるべき結末」になったとして男性2人に「心からのおわび」を表明。調査を行い、再発防止に向けて「必要な変更」をすると約束した。「スターバックスは差別や(人種によって対象を絞って捜査する)レイシャル・プロファイリングには断固反対する」とも強調した。

 自身も黒人であるフィラデルフィアのリチャード・ロス(Richard Ross)警察本部長によると、スターバックスの店舗従業員は、2人が店内の席に座ったが注文するのを拒否したため、不法侵入だとして緊急通報した。駆け付けた警官らは2人に退去を「丁寧に」求めたが、最終的に逮捕することになったという。 2人はスターバックスが告訴しないとしたため釈放された。

419NAME:2018/04/18(水) 00:01:07
「仕事ができないヤツ」の部屋、5つの特徴。窓をずーっと拭いてないetc...
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%80%8c%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%81%8c%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%84%e3%83%a4%e3%83%84%e3%80%8d%e3%81%ae%e9%83%a8%e5%b1%8b%e3%80%815%e3%81%a4%e3%81%ae%e7%89%b9%e5%be%b4%e3%80%82%e7%aa%93%e3%82%92%e3%81%9a%e3%83%bc%e3%81%a3%e3%81%a8%e6%8b%ad%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%84etc/ar-AAvXXgx?ocid=iehp#page=2

新年度が始まり、新たに新居を構えた人も多いだろう。人間にとって衣食住は欠かせぬが、食はもちろんのこと、「住」も人の精神や肉体に大きな影響を与える要素だ。今現在、ヤバイ部屋に住んでいる人はその改善を、いまはまだ問題ない部屋に住んでいる人はそうならないように、これから語る事例で学んでもらいたい。

◆無駄な思考をさせる部屋は仕事をダメにする

 空間心理カウンセラーの伊藤勇司氏は、部屋から受ける心理状態がビジネスの成否にかかわると話す。
「まずは玄関。家を出るときに靴が散らかっていると、仕事でも乱雑な判断をしてしまいがちになります」
 そこで仕事で履く以外の靴を靴箱にしまう行動が、内面に変革をもたらすという。
「スティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていたように、生活をシンプルにすると余計な思考がなくなり適切な判断力が養われます」

 また、仕事のキャパと関係するのが窓の汚れ。
「窓のような、あまり手が届かないところを放置するのと日頃から最低限のことしかやらない姿勢は直結します」
 また、研究者でもないのに溢れるほどの本がある場合は「頭でっかちで行動しない人間になりがち」。
 大ベストセラーとなった『もしドラ』の生みの親で、「ヘヤカツ」を提唱する岩崎夏海氏も、部屋の整理をきっかけに仕事がうまくいき始めたという。

「売れなかった時期の部屋といえば、寝室にまで大量の本が溢れ、死蔵品まみれ。そんな郊外の家から、必需品だけを持って都内に引っ越してからは、“いつか片付けなきゃ”という微細なストレスから解放され、前だけを向くようになりました。『もしドラ』の企画が浮かんだのはその翌年ですね」

 何よりも説得力のある言葉だ。

「特に企画系の仕事は、記憶よりも適切なことを適切なときに思い出すことのほうが重要で、それは部屋の中で探し物を見つけるのに似ている。脳をそういう状態につくるためには、部屋から無駄を省くのが大事。『いつか使うかも』というモノは絶対に使わないので、今すぐ捨てましょう」

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<仕事ができない人にありがちな部屋>

●汚い玄関、汚い窓
玄関と窓はデキる人のバロメーター。玄関が靴だらけだと、迷信抜きで一日のスタートを気持ちよく迎えることができない、窓が汚れているのを放置する姿勢は、仕事への詰めの甘さにも繋がる

●机の上に業務とかけ離れたものがある、使っている机に小物が散乱
机の上の小物や、使っていない文具は判断力を鈍らせる。

●「過去の栄光」関連
賞状やトロフィーなどをすぐに見える位置に飾っている人ほど、人生の岐路に立ったときに下降してしまう傾向が

●死蔵品が多い
いつの間にか増えてしまうクリアファイルや、使っていない文房具などを溜めこむ姿勢が、挑戦心をくじく

●本棚が自己啓発本でぎっしり
本棚には自己評価のパターンが如実に表れる。特に、自己啓発本で埋め尽くされている場合は現在の自分を過小評価し、ないものねだりをしている状態。デキるようになりたいなら、本棚を見直そう

部屋の細部への姿勢は仕事への姿勢を表す。死蔵品は思考を過去に戻し、読まない大量の本は理屈ばかりで行動できない自分を肥大させる。部屋に溢れ返るモノは同じく脳内をも占拠し、アイデアの源泉を阻害する。〈取材・文/週刊SPA!編集部〉

【伊藤勇司】空間心理カウンセラー。部屋と心の相関性に着目し、1000軒以上の現場をもとに空間心理理論を確立。著書に『部屋は自分の心を映す鏡でした。』(日本文芸社) 【岩崎夏海】作家。小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(ダイヤモンド社)が280万部を突破 ※『週刊SPA!』4月17日発売号「住んではいけない! 人生がダメになる部屋」より

420NAME:2018/05/14(月) 22:39:37
【科学】
人類交代劇、小脳が引き金か ネアンデルタール人の化石分析
2018.5.14 11:12更新
http://www.sankei.com/life/news/180514/lif1805140010-n1.html

約3万年前に絶滅したネアンデルタール人は、初期の現生人類(ホモ・サピエンス)よりも小脳が小さかったことを、慶応大や名古屋大などの研究チームが化石の分析で解明した。この差がネアンデルタール人と現生人類の交代劇につながったとみられるという。

 研究チームは、7万〜4万年前のネアンデルタール人の頭骨化石4個と13万〜3万年前の現生人類の頭骨化石4個について、コンピューター断層撮影(CT)のデータから大脳や小脳の形を立体的に解析。大脳に対する小脳の容積比は、現生人類の平均13・5%に対し、ネアンデルタール人は同12・7%と小さかった。

 脳の後方の下部に位置する小脳は主に運動能力を担うが、現代人を対象とした近年の研究で、大きいほど記憶や言語の能力に優れ、複雑な思考が可能になることが分かってきている。

 欧州では、ネアンデルタール人は後から出現した現生人類と約4万年前から約5千年にわたって共存していたが、後に絶滅。現生人類が生き残った。慶大の荻原直道教授は「小脳の機能差が環境への適応能力の違いにつながり、現生人類の生存に有利に作用した可能性がある」とみている。(伊藤壽一郎)

421NAME:2018/05/16(水) 21:43:39
【高畑勲監督のお別れの会】
宮崎駿監督のあいさつ全文(上)「95歳まで生きるものと…」
2018.5.15 20:50更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150007-n1.html

東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で15日、営まれたアニメーション監督、高畑勲さんのお別れの会で、高畑さんとともにアニメスタジオ「スタジオジブリ」を率いた宮崎駿監督(77)が読んだあいさつの全文は以下の通り。

95歳まで生きるものと…

 パクさん(高畑勲監督の愛称)というあだ名のいわれは定かではない部分があるのですが、だいたい朝がすごく苦手な男でした。東映動画に勤め始めたときも、ぎりぎりに会社に駆け込むのが毎日でございまして、買ってきたパンをタイムカードを押してからパクパクと食べて、水道の蛇口からそのまま水を飲んでいたという。それでパクになったという噂です。

 追悼文という形ではありませんが、書いてきたものを読ませていただきます。

 パクさんは95歳まで生きると思い込んでいた。そのパクさんが亡くなってしまった。自分にも時間がないんだなと思った。9年前、私たちの主治医から電話が入った。「友達なら高畑監督のたばこをやめさせなさい」。真剣な怖い声だった。主治医の迫力に恐れをなして、僕と(プロデューサーの)鈴木(敏夫)さんはパクさんとテーブルを挟んで向かい合った。姿勢を正して話すなんて初めてのことだった。

「パクさん、たばこをやめてください」と僕。「仕事をするためにやめてください」と鈴木さん。弁解やら反論が怒涛(どとう)のようにふき出てくると思っていたのに、「ありがとうございます。やめます」と、パクさんはきっぱりと言って頭を下げた。そしてパクさんは本当にたばこをやめた。 僕はわざとパクさんのそばにたばこを吸いに行った。「いいにおいだと思うよ。でも全然吸いたくなくなった」とパクさん。彼の方が役者が上だった。やっぱり95歳まで生きる(と思い込む)人だなと思った。

55年前の出会い

 1963年、パクさんが27歳、僕が22歳のとき、僕らは初めて出会いました。その初めて言葉を交わした日のことを今でもよく覚えています。黄昏時のバス停で、僕は練馬行きのバスを待っていた。雨上がりの水たまりの残る通りを、1人の青年が近づいてきた。 「瀬川拓男さん(人形劇団太郎座の主宰者)のところへ行くそうですね」 穏やかで賢そうな青年の顔が、目の前にあった。それが、高畑勲ことパクさんに出会った瞬間だった。55年前のことなのに、何とはっきり覚えているのだろう。あのときのパクさんの顔を、今もありありと思い出す。 瀬川拓男氏は人形劇団太郎座の主宰者で、職場での公演を依頼する役目を僕は担わされていたのだった。

得難い人に巡り合えた

 次にパクさんに出会ったのは、東映動画の労働組合に押し出されてしまったときのことだった。パクさんは副委員長、僕は書記長にされてしまっていた。緊張で吐き気に苦しむ日々が始まった。 それで組合事務所のプレハブ小屋に泊まり込んで、僕はパクさんと夢中に語り明かした。ありとあらゆること、作品について…。僕らは、仕事に満足してなかった。もっと遠くへ、もっと深く、誇りを持てる仕事をしたかった…。(涙声になる) 何を作ればいいのか…。 すいません。(言葉を継げなくなる) パクさんの教養は圧倒的だった。僕は得難い人に巡り合えたのだ-とうれしかった。

ホルスの大冒険

 その頃、(高畑、宮崎監督を多くの後輩を育てたアニメーター)大塚康生さんの班にいる新人だった。大塚さんと出会えたのは、パクさんと出会えたのと同じくらいの幸運だった。アニメーションの動かす面白さを教えてくれたのは大塚さんだった。

ある日、大塚さんは見慣れない書類を僕に見せてくれた。こっそりです。それは「大塚康生が長編映画の作画監督をするについては『演出』は高畑勲でなければならない」という会社への申し入れ書だった。当時、東映動画では『監督』と呼ばず、『演出』と呼んでいました。 パクさんと大塚さんが組み、色の差し込んできたような高揚感がわき上がってきました。 そしてその日が来た。長編漫画第10作目(「太陽の王子 ホルスの大冒険」、昭和43年)が大塚、高畑コンビに決定されたのだった。

422NAME:2018/05/16(水) 22:18:54
【高畑勲監督のお別れの会】
宮崎駿監督のあいさつ全文(下完)「パクさんのことを忘れない」
2018.5.15 20:55更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150008-n1.html

東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で15日、営まれたアニメーション監督、高畑勲さんのお別れの会で、高畑さんとともにアニメスタジオ「スタジオジブリ」を率いた宮崎駿監督(77)が読んだあいさつ全文の続きは以下の通り。

秘密の談合

 ある晩、大塚さんの家に呼ばれた。スタジオ近くの借家の一室にパクさんも来ていた。ちゃぶ台に大塚さんはきちんと座っていた。パクさんは組合事務所と同じように、すぐ畳に寝転んだ。何と僕も寝転んでいた。 奥さんがお茶を運んでくれたとき、僕は慌てて起きたが、パクさんはそのまま「どうも」と会釈した。女性のスタッフにパクさんの人気が今ひとつなのは、この不作法のせいだったが、本人によると、股関節がずれていてだるいんだそうだった。

 大塚さんは語った。「こんな長編映画の機会はなかなか来ないだろう。困難は多いだろうし、制作期間が延びて問題になることが予想されるが、覚悟して思いきってやろう」 それは意思統一というより、反乱の宣言みたいな秘密の談合だった。 もとより、僕に異存はなかった。なんせ僕は(仕事が)映画にもなっていない新米のアニメーターに過ぎなかったのだ。大塚さんとパクさんは、事の重大さがもっとよく分かっていたのだと思う。

僕はたたきのめされた

 勢いよく突入したが、長編10作の制作は難航した。新しい方向に(進むには)不器用だった。仕事は遅れに遅れ、会社全体を巻き込む大事件になっていった。 パクさんの粘りは超人的だった。会社の偉い人に泣きつかれ、脅されながらも、大塚さんもよく踏ん張っていた。

 僕は夏のエアコンの止まった休日に一人出て、大きな紙を相手に背景原図を書いたりした。会社と組合との協定で休日出勤は許されていなくても構っていられなかった。タイムカードを押さなければいい。僕はこの作品で仕事を覚えたんだ。

 初号(完成作品の最初の試写)を見終えたとき、僕は動けなかった。感動ではなく、たたきのめされていた。会社の圧力で迷いの森のシーンは削れ削らないの騒ぎになっているのを知っていた。 パクさんは粘り強く会社側と交渉して、ついにカット数から、カットごとの作画枚数まで約束し、必要製作日数まで約束せざるを得なくなっていた。当然のごとく約束ははみ出し、その度にパクさんは始末書を書いた。いったいパクさんは何枚の始末書を書いたんだろう。

何という強い絵

 僕も手いっぱいの仕事を抱えて、パクさんの苦闘に寄り添う暇はなかった。大塚さんも会社側の脅しや泣き落としに耐えて、目の前のカットの山を崩すのが精いっぱいだった。 初号で初めて迷いの森の広い…(言葉を詰まらせる)ヒルダ(孤独な少女、声・市原悦子)のシーンを見た。作画は大先輩の森康二さんだった。何という圧倒的な表現だったろう。何という強い絵…(絶句)。(声を絞り出すように)何という優しさだったろう。(涙声で)これを、パクさんは表現したかったんだと初めて分かった。 パクさんは、仕事を成し遂げていた。森康二さんも、かつてない仕事を成し遂げていた。大塚さんと僕は、それを支えたのだった。

僕らは精いっぱい生きた

 「ホルスの大冒険」公開から30年以上たった西暦2000年にパクさんの発案で、「太陽の王子」関係者の集まりが行われた。 当時の会社の責任者、重役たち、会社と現場の板挟みに苦しんだ中間管理職の人々、製作、進行、作画スタッフ、背景、トレースの女性たち、技術、撮影、録音、編集の各スタッフがたくさん集まってくれた。

偉い人たちが「あの頃は一番面白かったなあ」と言ってくれた。「太陽の王子」は興行は振わなかったが、もう誰もそんなことは気にしていなかった。 パクさん、僕らはあのとき精いっぱい生きたんだ。パクさんの姿勢は、僕らのものだったんだ。ありがとう、パクさん。55年前に、あの雨上がりのバス停で声をかけてくれた(涙で声が揺れる)パクさんのことを忘れない。どうもすみません。

423NAME:2018/05/16(水) 22:19:35
アニメ監督、高畑勲さんお別れの会 宮崎駿監督「僕らは精いっぱい生きた。ありがとう」
2018.5.15 18:35更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150001-n1.html

「火垂(ほた)るの墓」(昭和63年)などで知られるアニメーション監督で、4月に82歳で死去した高畑勲さんのお別れの会が15日、東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で営まれた。ともにアニメスタジオ「スタジオジブリ」を率いた宮崎駿監督(77)がお別れの会の委員長を務め、作曲家の久石譲さん、山田洋次監督ら約1200人が参列した。

 高畑さんが好きだったジブリ美術館内の階段に祭壇を設置。宮崎監督の「野に咲く花たちで囲みたい」という思いから、笑顔の遺影は色とりどりの約2000本の草花で飾られた。

 宮崎監督は、新人アニメーターとして一緒に働いた日々を振り返り「パクさん(高畑さんの愛称)の教養は圧倒的で、得がたい人に巡り合えたのだとうれしかった。パクさん、僕らは精いっぱいあのとき生きたんだ。ありがとう」と涙ながらに語りかけた。

高畑さんはテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(49年)などの名作を多数手がけ、日本アニメの礎を築いた。60年に宮崎監督とスタジオジブリを設立後は、二人三脚でヒット作を生み、国内外で高い評価を得た。ジブリ代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫さん(69)は、「高畑さんは『平家物語』を最期まで映画化したがっていた。実現できず残念だ」と無念そうに語った。

 献花には、ファンら約2000人も参列。3歳の娘と訪れた東京都武蔵野市の主婦(40)は「数々の名作への感謝を伝えたかった。この子が物心ついたら一緒に楽しみたい」と話した。

424NAME:2018/05/16(水) 22:23:45
【高畑勲監督のお別れの会】
アニメーター、大塚康生さんのお別れの言葉(全文)「悔しくて悔しくて」
2018.5.15 20:59更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150009-n1.html

「太陽の王子 ホルスの大冒険」(昭和43年公開)で作画監督を務め、その後も映画「パンダコパンダ」やテレビアニメ「ルパン三世」(第1シリーズ)、「じゃりン子チエ」などで高畑勲さんと組んだアニメーター、大塚康生(やすお)さん(86)のお別れの言葉は以下の通り。 高畑さんと出会い、毎日夜12時まで話をして、社会情勢とか、アニメーションのこと、それ以外にもいっぱい話して、すっかり(次の日は)意気消沈しましたよね。

 東映動画の長編10本目(「太陽の王子 ホルスの大冒険」)をやるときに、会社は「演出は誰がいいか」と言うんですよ。その頃は、作画監督が演出を決めるようになったんですよね。 僕は「初めてですけれど高畑さんがいい」と言ったら、(会社は)「あれはだめだ」と。「あんな高畑じゃだめだ」と言ったんですけれども…。 (僕は)「じゃあ、やれません」と。そしたら、しようがないからさあ、「じゃあ、やってもらうけど、スケジュールだけは守ってくれよ」と言ってきたんですよね。

(僕は)「守ります」と約束したんですけれど、守らない。高畑さんは絶対に守らない。徹底的に守らないんですよ。 で、会社が(高畑監督を)呼び出してね。「君は『守る』って約束したけれど、どうして守らないんだ」と。(高畑監督は)「いやあ、いい仕事をしようと思って粘ると長くなっちゃうんですよ」と。 まあ、そんなやり取りがありましたね。高畑さんは絶対に粘るんですよ。徹底的に粘る人でね。面白い人でした

 一緒に国内旅行したり、いろいろな所に遊びにいったりして…。まあ、主に日本国内ですけれどね。尾瀬に行ったり、阿波踊りに行ったり…。 阿波踊りなんかも一緒にやってきて。宮崎(駿)さんと高畑さんの踊りが全然違うんですよ。阿波踊りにないポーズで踊るんですよね。宮崎さんなんか、まったく違うんです。(僕は)写真を撮ってきました。あんまり面白いんで。

 そういう面白いことがいっぱい積み重なって…。(涙声で)亡くなったけれども…。昨年にお会いしたばっかりだったのにね…。信じられないよ。そんなはずないって思いで…。悔しくて悔しくてしようがないよ。まあ、そんなことです。ありがとうございました。

425NAME:2018/05/16(水) 22:26:00
【高畑勲監督のお別れの会】
小田部羊一さんのお別れの言葉(全文)「これは完全な間違いです」
2018.5.15 21:33更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150010-n1.html

東映動画では高畑勲監督の同期にあたり、その後、活躍の場を移したズイヨー映像では、高畑監督のテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(昭和49年)で作画監督やキャラクターデザインも務めたアニメーター、小田部(こたべ)羊一さん(81)のお別れの言葉は以下の通り

 パクさん、ひと月以上たった今でもまだ腑に落ちません。死ぬことになっていたのは私なんです。昨年、病床にあった私に(高畑監督は)「大丈夫、治るから」と励ましてくれ、本当にその通りになりました。退院できたときにも、あんなに喜んでくれたではありませんか。そのパクさんがなぜ…。

 納得できません。これはあべこべです。いてくれなければならないパクさんが逝ってしまい、なぜ私が残るのでしょうか。 すべてのことに正しかったパクさんです。でも、今日はあなたを批判させてください。間違っています。すべてに潔かったとはいえ、これは完全な間違いです。 パクさんがいなければ、日本のアニメーションは、世界のアニメーションは、世界の映画は、日本の世の中は、世界は、太い心棒がなくなってしまいます。

パクさんは、どんなことを聞いても答えてくれ、知らないことがないといった人でした。音楽のこと、文学のこと、絵画のことさえも。それを作品に反映し、考え抜いてくれました。 だから安心して任せられる羅針盤であり、パクさんの示してくれる方向は苦しみを伴いましたが、誤りのないものでした。

 ついていくだけで精いっぱいでしたが、東映動画入社以来の私を「アニメーションの表現を深め、新しい表現を生み出したいと願う同志だった」と言ってくれました。他にかけがいのないパクさん。だから戻ってほしいのです。どうか戻ってきてください。心からのお願いです。2018年5月15日、小田部羊一

426NAME:2018/05/20(日) 22:16:51
低所得家庭の赤ちゃん「体重が増えにくい」
読売新聞
2018/05/19 13:18
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e4%bd%8e%e6%89%80%e5%be%97%e5%ae%b6%e5%ba%ad%e3%81%ae%e8%b5%a4%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93%e3%80%8c%e4%bd%93%e9%87%8d%e3%81%8c%e5%a2%97%e3%81%88%e3%81%ab%e3%81%8f%e3%81%84%e3%80%8d/ar-AAxuz8V?ocid=iehp#page=2

低所得の家庭では赤ちゃんの体重が増えにくい、との調査結果を北里大学の可知(かち)悠子講師(公衆衛生学)らの研究チームがまとめた。 国内約5万6000人の乳児について調べたもので、チームは、経済的事情による栄養不足や育児放棄などが背景にあるとみている。

 厚生労働省の乳児調査をもとに、体重2500グラム以上で生まれた2001年生まれ約3万5000人と、10年生まれ約2万1000人が対象。世帯の経済状況と生後18か月までの体重増加の関係などを調べた。体重増加が最も遅い5%のグループを「体重増加不良」とし、所得別に分析した。

 その結果、世帯所得が最上位4分の1の群に比べ、最下位4分の1の群は、01年生まれで1・29倍、10年生まれで1・27倍、体重増加不良になるリスクが高かった。

427NAME:2018/05/27(日) 19:37:27
徳光和夫、秀樹さん延命やめたのは「お子さんが『休ませてあげたら』と」
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e5%be%b3%e5%85%89%e5%92%8c%e5%a4%ab%e3%80%81%e7%a7%80%e6%a8%b9%e3%81%95%e3%82%93%e5%bb%b6%e5%91%bd%e3%82%84%e3%82%81%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%af%e3%80%8c%e3%81%8a%e5%ad%90%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%8c%e3%80%8e%e4%bc%91%e3%81%be%e3%81%9b%e3%81%a6%e3%81%82%e3%81%92%e3%81%9f%e3%82%89%e3%80%8f%e3%81%a8%e3%80%8d/ar-AAxQvSM?ocid=iehp

16日に急性心不全で死去した歌手、西城秀樹さん(享年63)の葬儀・告別式が26日、東京・青山葬儀所で営まれ、音楽関係者やファン1万人以上が参列した。葬儀の司会を務めたフリーアナウンサー、徳光和夫(77)は「秀樹さんは(先月)倒れた後、意識はないが心臓は動いている状態で、延命策をどうすべきかという話が家族で出ていた。3人のお子さんが『パパは本当に頑張ってきたから休ませてあげたら』と言い、奥様はその一言で延命をやめたと聞きました。お子さんたちは立派に育った」と故人をしのんだ。

428NAME:2018/06/02(土) 00:35:30
【西城秀樹さん葬儀】野口五郎さんが弔辞(全文) 還暦パーティーで彼を抱擁したとき、僕は全身が震えた
2018.05.26
https://sonae.sankei.co.jp/news/detail/id=1759

■君への弔辞を読むことになるなんて

 秀樹、君が突然去ってしまったことを知ってから何日がたっただろうか。みなさんに「気持ちの整理がつくまで少し時間をください」。そうお願いしたのだけれど、どうやってこの現実を受けとめていいのか、いまだに君の言葉を、いろいろなことを思い出して泣いてばかりいる。
 秀樹との46年間は簡単に語り切れるものではありません。こんなふうに君への弔辞を読むなんて、考えてもいなかった。僕にとって君は本当に特別な存在だった。あるときは兄のようでもあり、あるときは弟のようでもあり、親友でもあり、ライバルでもあって、いつも怒るのは僕で、君は怒ることもなく、全部受けとめてくれて、いま思うと君と僕とは心の大きさが違うよね。つくづくそう思うよ。いつも僕が言うことを大事に大事に聞いてくれて、なんでそんなに信用してくれていたの?

 ■「ブーメランストリート」に隠された思い

 訃報を聞いて君の家に向かう途中で、僕は突然思い出して妻に言った。「秀樹の歌で『ブーメランストリート』っていう曲があって、ブーメランだから『きっとあなたは戻ってくるだろう』という歌詞だけど、でも、戻って来なかった人をアンサーソングとして『ブーメランストレート』ってどう?って言ったら、それいいねって、秀樹、大笑いして…。そしたら彼、本当に『ブーメランストレート』っていう曲を出してしまったんだよ」。
 君の家に着き、君に手を合わせ、奥さんの美紀さんと話し始めたら、秀樹の曲をかけ続けていたディスプレイから突然、「ブーメランストレート」が流れてきた。数百曲もある君の曲の中で、「五郎、来てくれたね」。君が僕だけに分かる合図を送ってくれたのかな、ってそう思ったよ。

 ■僕の心は見透かされていた

 30年ほど前に、君は「チャリティーコンサートをするんだけど、そのときの曲を作ってほしい」って突然言いだした。「秀樹、僕はひとの曲は作らないって知ってるだろう?」「うん、だから作って」「秀樹、〝だから作って〟は日本語変だから」「うん、最後にみんなで歌う曲、作ってほしいんだよ」「秀樹、悪いけど、無理だから。それ、できないから」「分かってる。一応、締め切りはいついつだから」「秀樹、それできないからね」って別れたのに、締め切り日ぎりぎりにパジャマ着て譜面とデモ音源を君の家に届けた僕に、まるで僕が作ってくるのが当たり前のように玄関先で「ありがとね」って、君は笑顔で一言。完全に見透かされているよね。
 今年になってから、その曲がシングルカットされているのを知って…僕はそれまで知らなかったんだよ、シングルカットされているのは。君のマネージャーにお願いして音源もらって、マルチがないからCDから君の声だけ取り出して、今年2月の僕のコンサートでデュエットした。なぜ、今年だったんだろう。不思議でならない。

429NAME:2018/06/02(土) 00:36:14
 ■最後に格好良く決めるのは秀樹

 「コンサートを観に来てくださった君のファンの方も喜んでくださった」って奥さんから聞きました。
 デビューしてアイドルと呼ばれるようになった僕らは、次はその席を後輩に譲らなければ、そして次の高みを目指さなければ、と考えていた。その方向が僕らは一緒だった。同じ方向を目指していた。秀樹は決してアクション歌手ではないし、本物のラブソングを届ける歌手を目指していたことを僕は知っている。
 1993年、初めて「ふたりのビッグショー」で共演。一緒に歌った「Unchain My Heart」「Unchained Melody」「Smoke Gets In Your Eyes」。ハーモニーの高いパートは僕で、最後に格好良くキメるのは秀樹。でも僕はそんな秀樹が大好きだった。本当に格好いいと思っていた。

 ■君がドライバー、僕はおにぎりを用意

 お互い独身時代が長かったから、なんでも話すようになって、ゴルフも一緒に行った。君が車で迎えに来てくれて、僕がおにぎりと味噌汁を用意して、「夫婦か」なんて言い合って。
 僕が「秀樹、結婚するから」って言ったときの驚いた顔を忘れない。2月に僕が披露宴をしたときに「おめでとう」と君に握手を求められた瞬間、僕にはすぐ分かったよ。「あ、こいつ結婚する」って。案の定、5カ月後に美紀さんと結婚した。
 秋も深まったある日、妻が「もしかして子供ができたかも」と言いだし、驚いた僕は「明日、病院に行って検査してもらおう」と二人で話した。
 そんなとき、君から突然の電話。「五郎、まだ誰にも言ってないんだけど、俺、子供ができた」。
 生まれてみれば同じ女の子で、君んちが6月3日、僕んちが6月5日。マジか、これ。当然、娘たちの初節句、雛祭りも一緒に祝ったよね。

430NAME:2018/06/02(土) 00:36:46
 ■忘れられない、還暦パーティーでの表情

 3年前、秀樹の還暦パーティーに出て、サプライズでケーキを持ってステージに出させていただいたときの秀樹のびっくりした顔、今でも忘れられません。
 遡ること44年前、1974年。この年、僕が「甘い生活」でレコード大賞歌唱賞を取れると下馬評だったけど、君の「傷だらけのローラ」が受賞。もちろん君は欲しかった賞だし、当然うれしかったと思う。でも君は僕の前では喜んだりしなかった。僕を気遣ったんだと思う。

 ■抱擁したとき、秀樹は全体重を僕にかけてきた

 それから2年後、二人で受賞した。そのときは握手して、二人で抱き合った。
 そして40年後、還暦パーティーで僕が「抱いていいか」。「何だよ〜」って言われたけど、僕はそんな君を抱きしめた。そのとき、君は僕のことを一瞬、抱きしめ返そうとした。その瞬間に君の体の全体重が僕にかかった。それは僕にしか分からない。心の中で「秀樹、大丈夫だよ。僕は大丈夫だからね」。そう思った。

 それと同時に僕の全身が震えた。「こんなぎりぎりで立っていたのか。こんな状態でファンのみなさんの前で立っていたのか。そこまでして立とうとしていたのか。なんてすごいやつだ」。彼の大きさに驚いて、一瞬、頭が真っ白になって、彼のコンサートなのに、サプライズで来ている僕が「西城秀樹です」って、秀樹のファンのみなさんに彼を紹介してしまった。
 秀樹ほど天真爛漫という言葉がぴったりな人に、僕はこれまでに会ったことがない。何事にもまっすぐで、前向きで、おおらかで。出会う人すべてを魅了する優しさと、すべてを受け入れる潔さとたくましさ。そんな君を慕う後輩がどれだけたくさんいたことか。僕はうらやましかったよ。

 ■おまえの分も歌い続けるから

 僕もひろみも秀樹の代わりにはなれないけれど、まだしばらくは頑張って歌うからね。お前の分も歌い続けるからね。そして君を慕ってくれた後輩たちとともに、僕らの愛した秀樹の素晴らしさを語っていこうと思います。何よりも君を愛し、支え続けたファンの方々とともに。
 秀樹、お疲れさま。そして、ありがとう。
 もうリハビリしなくていいからね。もう頑張らなくていいから。
 君のかわいい子供たち、家族をいつも見守ってあげてほしい。そしてお前の思うラブソングを天国で極めてくれ。
 秀樹、お疲れさま。そして、ありがとう。
 平成30年5月26日 野口五郎。

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431NAME:2018/06/02(土) 02:11:13
昨年12月に生前葬の安崎暁氏が死去 元コマツ社長
2018.05.31
https://sonae.sankei.co.jp/news/detail/id=1766

建機大手コマツの元社長で、昨年12月に生前葬を開いて話題となった安崎暁(あんざき・さとる)氏が26日午前4時39分、胆のうがんのため自宅で死去した。81歳、徳島県出身。葬儀・告別式は親族だけで行った。
 1995年から2001年までコマツ社長。会長や相談役を歴任し、国家公安委員会の委員も務めた。昨年11月に新聞広告でがんであることを公表し、延命治療は受けないと明らかにした。12月には東京都内のホテルで生前葬に当たる「感謝の会」を開き、多くの人が集まった。
 大企業の元トップによる生前葬は珍しく、自分らしい人生の最期を探る「終活」のあり方を考える機会として、大きな反響を呼んだ。

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432NAME:2018/06/10(日) 11:58:55
万引の元マラソン女王が涙の告白 厳しい体重制限で選手時代も食料品を…地裁支部で第2回公判
2018/06/08 18:30
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E4%B8%87%E5%BC%95%E3%81%AE%E5%85%83%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E3%81%8C%E6%B6%99%E3%81%AE%E5%91%8A%E7%99%BD-%E5%8E%B3%E3%81%97%E3%81%84%E4%BD%93%E9%87%8D%E5%88%B6%E9%99%90%E3%81%A7%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%82%E9%A3%9F%E6%96%99%E5%93%81%E3%82%92%E2%80%A6%E5%9C%B0%E8%A3%81%E6%94%AF%E9%83%A8%E3%81%A7%E7%AC%AC%EF%BC%92%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4/ar-AAynvY8#page=2

群馬県太田市内のスーパーで今年2月、菓子を万引したとして、窃盗の罪に問われたマラソンの元世界選手権代表で、飲食店店員の原裕美子被告(36)=栃木県足利市=の第2回公判が8日、前橋地裁太田支部(奥山雅哉裁判官)で開かれ、原被告に対する被告人質問が行われた。

 原被告は時折涙ぐみながら、小学生のころに万引をしていた過去を告白。厳しい体重制限を強いられた選手時代に摂食障害を発症し、食料品を万引していたことを明かした。

 選手時代を「常に空腹、のどの渇きを感じていた」「どの大学、実業団でもやっていない厳しい体重制限を私だけやらされた」と振り返り、実業団に入団後の合宿では買い食いをしないように監督に財布を取り上げられたと説明。誘惑に負け、大人になって初めての万引をしたと語った。

433NAME:2018/06/10(日) 12:00:25
5歳死亡、「寝ていたので暴行」 父親が供述、東京・目黒
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/5%e6%ad%b3%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e3%80%81%e3%80%8c%e5%af%9d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%a7%e6%9a%b4%e8%a1%8c%e3%80%8d-%e7%88%b6%e8%a6%aa%e3%81%8c%e4%be%9b%e8%bf%b0%e3%80%81%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%83%bb%e7%9b%ae%e9%bb%92/ar-AAymX43?ocid=iehp

東京都目黒区で、衰弱した船戸結愛ちゃん(5)を放置したとして、両親が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された事件で、3月に結愛ちゃんが死亡して事件が発覚した当時、父親の雄大容疑者(33)が「勉強しろと言ったが、寝ていたので暴行した」と供述していたことが8日、捜査関係者への取材で分かった。

 捜査関係者によると、雄大容疑者は「小学校の入学に向けた勉強を先にやれと言ったら、『はい』と言ったのに、昼ごろに部屋を確認したら寝ていたのでかちんときた」と供述したという。 母親の優里容疑者(25)が「自分は暴行はしていない」と話していたことも判明した。

434NAME:2018/06/10(日) 13:59:23
「男は無表情で殴っていた」新幹線3人死傷、乗客は見た
2018/06/10 05:45
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%80%8C%E7%94%B7%E3%81%AF%E7%84%A1%E8%A1%A8%E6%83%85%E3%81%A7%E6%AE%B4%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%8D%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%EF%BC%93%E4%BA%BA%E6%AD%BB%E5%82%B7%E3%80%81%E4%B9%97%E5%AE%A2%E3%81%AF%E8%A6%8B%E3%81%9F/ar-AAyr3tm

9日夜に、神奈川県内の東海道新幹線の車内で、刃物を持った男に切りつけられ、男性1人が死亡、女性2人が重傷を負った事件。別の新幹線に乗り換え、翌10日午前2時過ぎにJR名古屋駅に到着した乗客らがパニックとなった車内の状況を語った。

 事件があった東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車。めいと2人で乗車していた岐阜県可児市の女性(69)は、後ろから逃げてくる乗客で騒ぎに気付いた。振り返ると、3列ほど後ろの座席で、男がハンマーのような物で男性に殴りかかっていたという。

 直後に「逃げろー」という声を聞き、スマートフォンだけを手にめいと一緒に11号車に走った。11号車との接続部に来たところで、殺到した乗客が将棋倒しになり、「早く、早く」と悲鳴が上がったという。

 同じ12号車の神奈川県三浦市のパート女性(29)は「男が男性に馬乗りになって、無表情で殴っていた」と話した。また、愛知県常滑市の女性会社員(23)も、黒っぽいシャツの男が長い物を振り回しているのを見た。「男は最初、女性を狙ったが、助けようとした男性が狙われて亡くなった」という情報を、また聞きで耳にしたという。

 12号車にいた男性によると、床には弁当やペットボトルが散乱した。いったん降りた小田原駅のホーム上では、乗客らは座っていた席や身元を警察官から聞き取られたという。

 12号車から逃げようとする乗客で、車内はパニック状態になった。「血相を変えた人たちが20〜30人、『ギャー』と声を上げながら14号車の方に逃げていった」。13号車にいた東京都中央区の会社員太田奨悟さん(33)はそう話した。通路には襲われて逃げてきた人の血が点々と滴り落ちていたという。

 名古屋市名東区の会社員男性(57)は乗務員から身を守るように座席のシートを外して渡されたという。やつれた様子で「信じられない」と語った。

 15号車にいた三重県四日市市の会社員藤井友佳子さん(53)は「『助けてください』という声が聞こえ、後ろを振り返ると女性が左の首元を押さえて血を流しながら逃げてきた」と話した。その女性は15号車と16号車の間で倒れ込み、その後、医者を名乗る男性が手当てをしていたという。

435NAME:2018/06/11(月) 23:07:20
まるで犯罪組織…「史上最も腐った警察官」に禁錮25年、米
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%81%be%e3%82%8b%e3%81%a7%e7%8a%af%e7%bd%aa%e7%b5%84%e7%b9%94%e2%80%a6%e3%80%8c%e5%8f%b2%e4%b8%8a%e6%9c%80%e3%82%82%e8%85%90%e3%81%a3%e3%81%9f%e8%ad%a6%e5%af%9f%e5%ae%98%e3%80%8d%e3%81%ab%e7%a6%81%e9%8c%ae25%e5%b9%b4%e3%80%81%e7%b1%b3/ar-AAynBdu?ocid=iehp#page=2

【AFP=時事】殺人事件発生率が全米最悪の都市ボルティモア(Baltimore)の市警史上「最も腐った警察官」に7日、禁錮25年の有罪判決が下った。 ウェイン・ジェンキンス(Wayne Jenkins)被告は、違法銃器の摘発を任務とするエリート部隊「ガン・トレース・タスクフォース(Gun Trace Task Force)」を率いる巡査部長だった。ところが、この部隊は街中から違法銃器を一掃するどころか、銃器を盗んで横流しし、麻薬密売人から金品を巻き上げ、犯罪の証拠をでっち上げるなど、数々の職権乱用を繰り返していた。

 ジェンキンス被告ら6人の警察官の裁判で明らかになった手口の一つは、次のようなものだ。彼らは麻薬密売人の疑いのある人物の自宅で金庫をこじ開け、中にあった20万ドル(約2200万円)のうち10万ドルを奪うと、残りの10万ドルを金庫内に戻し、あたかも今から金庫を開けるかのように動画を撮影していた。

 現地紙ボルティモア・サン(Baltimore Sun)によると、レオ・ワイズ(Leo Wise)連邦検事補は公判でジェンキンス被告について、「犯罪組織のように」指揮下の部隊を運営し「計り知れないほどの」悪事を行ってきたと非難した。 キャサリン・ブレイク(Catherine Blake)連邦地裁判事は7日、ジェンキンス被告に禁錮25年を言い渡した。

ジェンキンス被告はすすり泣きながら「たくさんの過ち」を犯したと法廷で謝罪。「罰を受けるのは当然だし、私は刑務所に入れられるべきだと思う」と述べたとボルティモア・サン紙は伝えている。 ガン・トレース・タスクフォースの職権乱用の被害者は全員が黒人男性で、多くは麻薬密売人だった。警察官らは、自分たちの所業が当局に通報されることはないと分かっていて汚職に手を染めたとみられる。

436NAME:2018/06/11(月) 23:09:54
袴田さん沈黙後「そんなのウソなんだよ」 再審取り消し
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a2%b4%e7%94%b0%e3%81%95%e3%82%93%e6%b2%88%e9%bb%99%e5%be%8c%e3%80%8c%e3%81%9d%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%82%a6%e3%82%bd%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a0%e3%82%88%e3%80%8d-%e5%86%8d%e5%af%a9%e5%8f%96%e3%82%8a%e6%b6%88%e3%81%97/ar-AAyutX2#page=2

袴田巌さん(82)は11日、当初は弁護団とともに東京高裁を訪れる予定だったが、本人の意向で自宅のある浜松市内で過ごした。

 支援者によると、袴田さんは姉秀子さん(85)と暮らすマンションでいつも通り午前6時ごろ起き、朝食には北海道の支援者が送ってくれたアスパラガスのサラダなどを食べたという。午前中は自宅でテレビをみるなどして過ごし、午前9時ごろに一度、支援者らが上京の意思を尋ねた際には「用がないから。行かないよ東京は」と答えた。

 袴田さんは、市内を数時間歩くことを日課にしている。この日も午後は、支援者の車で母校近くの岩水寺(同市浜北区)へ出かけ、いつものやや前傾姿勢で歩いた。

 午後2時前、トイレ前の如来像に手を合わせ、本尊に向かう途中で支援者から「決定が出た」と聞くとひとごとのように「あー、そーおーう」。支援者が「不当決定を許すことはできない」と伝えると「あー、どうもどうも」と言い、少し早足になった。袴田さんは長期の拘禁生活の影響で、精神をむしばまれている。

 代表取材の記者が「再審決定を認めない判断が出ました」と言うと、しばらく沈黙した後、「そんなのウソなんだよ。ウソ言ってるだけだよ」「事件がねえんだから」といい、せき込んだ。表情はいつもと変わらなかったが、声や受け答えの調子には強い反発がにじんでいたという。

 本堂で手を合わせた後、木陰で少し休んだ。その後、近くの県立森林公園や中瀬招魂社を散策し、支援者とともに高台から浜松市内を眺めた。(阿久沢悦子、宮川純一)

437NAME:2018/06/15(金) 11:44:21
検査結果見逃し患者死亡、静岡 県立がんセンター肝障害気付かず
共同通信社
2018/06/14 20:28
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%a4%9c%e6%9f%bb%e7%b5%90%e6%9e%9c%e8%a6%8b%e9%80%83%e3%81%97%e6%82%a3%e8%80%85%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e3%80%81%e9%9d%99%e5%b2%a1-%e7%9c%8c%e7%ab%8b%e3%81%8c%e3%82%93%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e8%82%9d%e9%9a%9c%e5%ae%b3%e6%b0%97%e4%bb%98%e3%81%8b%e3%81%9a/ar-AAyCTUF?ocid=iehp

静岡県立静岡がんセンターは14日、抗がん剤治療を受けていた60代の男性患者が肝機能障害を起こしたのに気付かず、症状が悪化して昨年9月に死亡したと発表した。血液検査で出ていた肝機能の数値異常を見逃していたという。

 センターによると、男性は直腸がんと肝転移の通院患者で、昨年7月中旬に3週間の抗がん剤服用と1週間の休薬を1サイクルとする1回目の治療を開始。終了時に血液検査で肝機能障害を示す数値が出ていたが、担当医師が確認しないまま2回目の治療を始めた。 男性は2週間後の8月下旬に劇症肝炎のため緊急入院し、9月に死亡した。直接的な死因は薬剤性肝障害だった。

438NAME:2018/06/15(金) 11:55:19
メディアスクラムで壊される犯罪被害者・加害者家族の日常
2018/06/14 09:27
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%81%a7%e5%a3%8a%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8b%e7%8a%af%e7%bd%aa%e8%a2%ab%e5%ae%b3%e8%80%85%e3%83%bb%e5%8a%a0%e5%ae%b3%e8%80%85%e5%ae%b6%e6%97%8f%e3%81%ae%e6%97%a5%e5%b8%b8/ar-AAyC2at?ocid=iehp#page=2

◆◆◆◆“アーチャリー”松本麗華の視線 第2回◆◆◆◆

 こんにちは。松本麗華です。 連日、立て続けに衝撃的なニュースが報じられる昨今ですが、先月、新潟市のJR越後線の線路上で女の子の遺体が見つかるという痛ましい事件があったことも、まだ記憶に新しいでしょう。 ご家族や親族・地域の方々の受けた衝撃は計り知れません。悲しいことに、亡くなった少女の周辺では、マスコミの取材による「二次被害」が発生しているといわれました。

 先月末に掲載された産経ニュースの記事によると「午前零時過ぎに、家のチャイムを鳴らして取材を求めたマスコミがいた」「児童を尾行して家に到着したら、インターフォンを鳴らして取材しようとしたマスコミがいた」といった、行き過ぎた取材の実態が書かれています。 住民の中には、報道関係者を逮捕してほしいとSNSに投稿した方もいるようです。

 産経ニュースでは「保護者・児童の感情と、マスコミの『報道の自由』の両方に配慮しなければならない」と書かれていますが、わたしには、こういった取材がそもそも「報道の自由」として配慮されるべきものとは思えません。 犯人逮捕のためという大義名分があるならまだしも、既に容疑者は逮捕されています。また少女のご家族は

「(略)今は一日も早く、地域の方々や私たち家族が穏やかな生活を取り戻せることを願うばかりです。どうかこのような心情をご理解いただき、今後、家族や親族等に対する取材・撮影等についてはご遠慮いただきたいと思います」との声明を発表し、取材の自粛要請をしました。

 しかしなぜか、多くのマスコミは要請の部分をまるごとカットし報じませんでした。 マスコミの方は、わたしに「被害者感情に配慮しなければいけない」「麻原裁判はおかしかったと思うけど、被害者の気持ちを考えると報道できない」といいます。果たして、マスコミは本当に被害者感情を考えているのでしょうか。もし考えているなら、ご家族の言葉をそのまま報じ、取材も節度あるものとなったでしょう。

 ご家族が声明を出し、穏やかな生活を取り戻したいと願っているのに、少女の個人情報を周囲の人に聞き出し、報道するのは、誰の、何のための報道なのでしょうか。 わたし自身も、これまでマスコミの過剰取材・報道に苦しめられてきました。

 少しだけ例を挙げます。 一人でスーパーで買い物をしていたとき、テレビ局のクルーとリポーターに見つかり、追いかけられたことがあります。撮られたくない一心で逃げましたが、結局、路地の行き止まりまで追い詰められ、マイクとカメラを向けられました。

 その時、「悪いことをしたから逃げた」と誤解されるのを恐れ、「取材には応じます。その代わり、わたしの隠し撮りや逃げるシーンは使わないでください」と取材スタッフにお願いしました。 しかし、番組の放送を見ると、わたしが逃げるシーンが使われており、その上、インタビューシーンも放送されていました。当時のわたしは13歳。何の後ろ盾もない両親のいない未成年で、約束を守るに値する人間ではないと判断されたのでしょう。

 ある時は、大きな業務用ビデオカメラを担いだマスコミが、マンションのベランダに入って窓をがらりと開けて部屋に侵入してきたこともあります。夜に見知らぬ男性が踏み込んできたので、怖くてたまりませんでした。 プールに入っていることころを隠し撮りされたこともあります。わたしが誰であるか特定した上で、水着姿を無断で放送されたことに、思春期だったわたしはどうしていいかわからなくなりました。 そのときの恐怖や悲しみは、今でも忘れることができません。

439NAME:2018/06/15(金) 12:16:42
◆いつ、自分自身も加害者家族になるかわからない

 視聴者・読者であるわたしたちも、マスコミの行き過ぎた報道やその情報の受け取りに方ついて、考えていく必要があるように思います。 そもそも過剰な取材をするのは、良いネタを掴んで視聴率や販売部数を上げるためです。仮に、わたしたちが人の不幸に関することを知りたいと望めば、マスコミはこぞって不幸な情報を集めます。

 ゴシップ報道のように、個人のプライバシーを暴露してバッシングする記事をわたしたちが求めれば、プライバシー侵害に苦しむ人が今後も後を絶たなくなります。 マスコミの報道姿勢に疑問をぶつけると、マスコミの方は「いやあ、見る人がいるからね……。視聴率を見て、何を取り上げるか決めているんですよ」と言います。

 視聴者・読者の多くが冷静になり、センセーショナルな報道に見向きもしなくなれば、必然的にマスコミの行きすぎた取材もなくなるのではないでしょうか。 現在のマスコミの報道のあり方を変えていくにはどうしたらいいのか、よく考えます。わたしには何の力もありません。でも、できることがあります。

 報道被害にあったことを黙らないこと、報道のあり方に疑問の声をあげることです。少しでも多くの人が報道に対し、「おかしい」と声を上げれば、状況は少しずつ改善していきます。マスコミの方と話していて思うのは、考えていた以上にネットの声や読者、視聴者からのフィードバックを気にしているということです。

 明日には、自分の親族や知り合いが犯罪の加害者や被害者になるかもしれない。もしかしたら、犯罪に巻き込まれるかもしれません。自宅の近くで事件が起こったとしたら、それだけで日常が奪われてしまいます。 わたしもある日突然、加害者家族とされ、マスコミの過剰報道により、傷ついてきた一人です。12歳までわたしは、マスコミに追われることがあるなど、夢にも思ったことはありませんでした。

 もし、自分が犯罪に巻き込まれ、注目を集めてしまったらと、一度考えてみていただきたいです。 関係ないと思っていらっしゃる皆さんが「自分も報道被害にあうかもしれない」という意識をもって、報道を見るようになったとき、報道のあり方は変わっていくのではないでしょうか。

◆◆◆◆“アーチャリー”松本麗華の視線 第2回◆◆◆◆

【松本麗華】文教大学臨床心理学科卒業後、産業カウンセラーの資格を取得。心理カウンセラーとして活動する他、執筆や講演、ヨガのインストラクターもしている。日本産業カウンセラー協会、日本人間性心理学会所属。自身の半生を振り返る手記『止まった時計』を上梓。実の父親である麻原彰晃は複数の精神科医から外的な刺激に反応することができない「昏迷」という状態にあるとされ、治療されることなく裁判が終結。10年以上、面会ができていない。現在も、父の治療と面会を求め続けている。健康情報とお得情報、割引クーポンが大好き。

ブログ http://blog.asahara-kousoshin.info/
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Twitter @asaharasanjo

440NAME:2018/06/18(月) 01:08:56
お金がなくても幸せなおひとり様、71歳男性の場合
安田 まゆみ
2018/06/16 18:30
http://www.msn.com/ja-jp/money/personalfinance/%e3%81%8a%e9%87%91%e3%81%8c%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%a6%e3%82%82%e5%b9%b8%e3%81%9b%e3%81%aa%e3%81%8a%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%82%8a%e6%a7%98%e3%80%8171%e6%ad%b3%e7%94%b7%e6%80%a7%e3%81%ae%e5%a0%b4%e5%90%88/ar-AAyIJqf?ocid=iehp#page=2

数カ月に一度、お金のご相談にいらっしゃるダンディな「おひとり様」

ご夫妻の場合、夫婦仲良くが、(お金があってもなくても)楽しく暮らすコツのような気がします。では、おひとり様が楽しく暮らすには、何が必要だと思いますか? 数カ月に一度、お金のご相談にいらっしゃるダンディな「おひとり様」がいらっしゃいます。和人さん(71)です。彼は、毎回、お会いするたびに「安田さん、僕はね、いま、人生楽しくてしょうがないんだ」とおっしゃるのです。

65歳の時に奥様と死別。お子さんはいません。最愛の奥様を亡くした3年間は、死んだようになっていたといいます。お勤め先は、大企業ではありませんので、お給料は飛びぬけて良かったわけではありませんが、地方の山間に小さなマンションタイプの別荘をお持ちでした。体の弱い奥様のために購入したものです。「子どもにお金がかからない分、私にでも買えたんだよ」と和人さん。

奥様が亡くなられてから数年たって、やっと一人暮らしに慣れたころ、和人さんは自治体主催の教養講座で水彩画や写真の楽しみを覚えたそうです。そのころ私が講師を務めていた講座に参加されたのがきっかけで、和人さんの相談を受けるようになりました。

“よそ者同士”で畑仲間になったり、スケッチ仲間に

和人さんは今、東京の家を売り払って、別荘住まいです。数年前に決断をする時にはお手伝いをしましたが、別荘暮らしは彼にとって「正解」でした。いま、本当に活き活きと暮らしていらっしゃいます。 畑を借りて野菜を作り、ドライブをしては、スケッチをして楽しむ毎日です。美しい山々を見ながら、ピクニック。お仲間とおしゃべりをしたりするのも楽しいのだとか。 その別荘の周りには、他の地域から移ってきた人も住んでいて、“よそ者同士”で畑仲間になったり、スケッチ仲間になったりしたそうです。もともと、夏には、毎年1カ月ほど別荘にいるという生活をしていたのですが、引っ越してみると全く感じが変わって見えたといいます。暮らし始めてからは、どんどん友人が増えていったそうです。

441NAME:2018/06/18(月) 01:27:41
「もうね、まわりは70を過ぎている人ばっかり。でも、みんな前向き。明日どうする?どこ行く?っていう話が多いんだよ。“よそ者”だからさ、その周りでも、行きたいところがいっぱいあるんだよね。中には会社のお偉いさんだったと思える人もいるけれど、会社勤めをしていた時のことは一切言わないね。役員やっていたとか、海外赴任だったとかは、聞かないし、話さない。もっぱら、野菜や絵の話が中心でさ、楽しいよ。気持ちのいい人たちに出会えてよかった」と。

体が元気な間、数年間であっても、充実した日々を暮らす

もちろんその中には、「素敵なガールフレンド」(本人談)もいらっしゃいます。結婚するつもりはないそうですが…。「青春だよ。一緒にいて楽しいもん。生きていてよかったよ」ですって。 「朝起きるでしょ。カーテンを開けた時の景色がいいのよ。寒い朝には、樹氷が見えたりするわけさ、朝からもう最高な気分。日中は、お友達と畑仕事したり、おしゃべりしたり、時々出かけたりして、もう退屈なんてしないわけ。夜は、一人で自炊してもさみしくないよ。昼間、さんざん友達とおしゃべりしているから。じっくり本を読んだりワインを飲んだりして。いい時間が流れていくんだ。妻が亡くなって一人になって、東京にも友達はいたけれど、さみしかった。いま、田舎暮らしで、夜になると外は真っ暗だけど、一人でいてもさみしくないね。人生でこんな充実した時が来るとは思わなかったね」と和人さん。何ともうらやましい。

「自炊しているでしょ。物価が安いし、畑で野菜も取れるし、農家の人から、余ったものをもらったりもするから、あんまりお金がかからないんだよ。少ない年金でも十分生活できちゃうんだよね」。年金は17万円で、あまりが出る時も多いとか。 和人さんの住まいは、車がなくては生活できない地域です。具合の悪い時は、タクシーも呼べますが、雪道を運転できなくなったら、里に移るという覚悟はできています。

東京の家を引き払って、こちらに来るべきか悩まれた時に、私に相談に来られました。本当にやりたいことがあるなら、たとえそれが短い時間であっても、心底楽しんだことは、記憶に残るし、人生に彩りを与えてくれるのでないか、という話をしました。

結果、この山間の別荘に移るとしても、終の棲家にはならないかもしれないということを大前提に引っ越しが決まりました。車を運転することができなくなって、病院に通院することが必要になった時は、里に出て、病院通いがしやすいところに引っ越す。体が元気でいる間、たとえそれが数年間であっても、充実した日々を暮らせるのであれば、山間の別荘で、目いっぱい人生を楽しもう、と。

「楽しく暮らす」秘訣は、一緒に楽しめるパートナーや仲間がいること

「老後を楽しく暮らす」方たちのリアルな生き方と覚悟をご紹介しました。いかがでしたでしょうか?住まう場所や現役時代の肩書や年収、退職金や年金の多寡で、暮らし方が決まるわけではないのです。なが〜い老後を「楽しく暮らす」秘訣は、夫婦関係が良好なこと。これにつきます。おひとり様も、同じ。一緒に楽しめるパートナーや仲間がいること。そして、良好な関係が築けていることが一番なんです。(お金も大事ですけどね)

442NAME:2018/06/19(火) 23:32:17
【千葉・9歳女児殺害】
「極刑相当」に表情変えず 渋谷恭正被告、おえつの母親
2018.6.18 12:43更新
https://www.sankei.com/affairs/news/180618/afr1806180031-n1.html

「被告を死刑に処するのが相当」。検察側に極刑を求刑された瞬間、元保護者会長、渋谷恭正被告(47)はほぼ表情を変えなかった。18日、千葉地裁で開かれた小学3年レェ・ティ・ニャット・リンさん=当時(9)=殺害事件の論告求刑公判。法廷にはリンさんの母親のおえつが響いた。

 渋谷被告は黒のジャージー姿で、4日の初公判と同様の服装。全10回の公判を傍聴し続けたリンさんの父親レェ・アイン・ハオさん(35)はスーツを着用して法廷に臨んだ。

 「陵辱の限りを尽くした犯行」「身勝手の極み」と厳しい言葉を続けた検察側。事件の経過を改めて説明すると、廷内に設置されたついたて内からはリンさんの母親グエン・ティ・グエンさん(31)の泣き声が響いた。ハオさんも口を固く閉じ、被告を見つめ続けた。

443NAME:2018/06/20(水) 00:28:54
4歳男児、引き出しに押し込まれ死亡…容疑で父親逮捕 夫婦で子供虐待か
2018.6.18 20:35更新
http://www.sankei.com/west/news/180618/wst1806180104-n1.html

北九州市の自宅で息子(4)をテレビ台の引き出しに押し込み死亡させた疑いで父親の納富(のうとみ)駿太容疑者(27)が逮捕された事件で、引き出しは縦約40センチ、横約60センチ、高さ約15センチと狭い空間で、息子は腰を折り曲げられた状態だったことが18日、捜査関係者への取材で分かった。

 逮捕容疑は5月11日未明、自宅の2階寝室で、保育園児の息子、優斗ちゃんをテレビ台の引き出しに押し込み、同日朝、低酸素脳症で死亡させたとしている。 捜査関係者によると、テレビ台の引き出しは中から開けられない構造だった。抵抗した形跡がなかったことから、福岡県警は優斗ちゃんが就寝中に襲われた可能性も視野に調べる。

 県警によると、事件当時は納富容疑者夫婦や親族ら計8人が生活。優斗ちゃんは数時間引き出しに入れられ、寝室には子供数人が寝ていた。納富容疑者が早朝に「呼吸していない」と119番し、搬送先の病院で死亡が確認された。 納富容疑者は事件発覚当初、自身は別の部屋で寝て、起きたら優斗ちゃんが引き出しの中に入っていたと説明していた。県警は認否を明らかにしていない。

一方、県警は18日、今年2月に娘(3)の尻に高熱の液体をかけやけどを負わせたとして、傷害容疑で納富容疑者の妻、麻衣子容疑者(24)を逮捕した。 北九州市子ども総合センターは、麻衣子容疑者の病気を理由に、優斗ちゃんや娘を保護したことはあったが、虐待は把握していなかったとしている。担当者は当時の対応について「見直すべきところがないか検証したい」と話した。

444NAME:2018/06/21(木) 13:37:53
クロちゃん、安定のゲスっぷりにネット民もあきれる
2018/06/21 09:30
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e3%82%af%e3%83%ad%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93%e3%80%81%e5%ae%89%e5%ae%9a%e3%81%ae%e3%82%b2%e3%82%b9%e3%81%a3%e3%81%b7%e3%82%8a%e3%81%ab%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88%e6%b0%91%e3%82%82%e3%81%82%e3%81%8d%e3%82%8c%e3%82%8b/ar-AAyWdsQ#page=2

6月20日放送の「水曜日のダウンタウン」(TBS系)で、クロちゃん(安田大サーカス)がまたもや“ゲス”な一面をのぞかせる場面があった。 クロちゃんは同番組のTwitter企画で“嘘ツイート”を連発するなど、数々の“ゲス”な言動で注目を集めている。 今回の放送では「丑の刻参りの頭にロウソクスタイル 熱すぎて呪いどころじゃない説」の検証のため、ハリウッドザコシショウ、あばれる君、ナダル(コロコロチキチキペッパーズ)と共に出演した。

裸にふんどしというスタイルで登場した4人は、頭には鉢巻きで大きなロウソクを装着。呪いのわら人形に五寸釘を打ち込む“丑の刻参り”でおなじみの姿で、障害物競走、椅子取りゲーム、相撲に挑戦した。 クロちゃんは競技が始まると、随所でゲスっぷりをいかんなく発揮。障害物競走ではパン食い競争の要領でわら人形を口にくわえるルールだったが、クロちゃんは手を使う反則行為を。

椅子取りゲームでは椅子を取れなかったクロちゃんが、闘牛のウシのように火のついたロウソクをほかの3人に向けた格好で突進。 相撲では押し倒したあばれる君に対して、ロウソクを押し付けようとする悪行を見せる。これらの反則をした揚げ句成績は振るわず、クロちゃんは最下位という結果になった。

放送後のSNS上には視聴者から「クロちゃんのクズっぷりに呆れながらも笑ってしまった」「この番組を見るたびにクロちゃんが嫌いになる(笑)」といったメッセージの他、「スキンヘッドの4人がふんどし姿で転げ回る姿に爆笑!」などのコメントも寄せられていた。次回の「水曜日のダウンタウン」は7月4日(水)放送予定。(ザテレビジョン)

445NAME:2018/06/22(金) 14:03:13
「姉に気を付けろ」と警告=死亡の弟、父異変で疑念-自殺偽装殺人・大阪府警
時事通信社
2018/06/21 19:55
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e5%a7%89%e3%81%ab%e6%b0%97%e3%82%92%e4%bb%98%e3%81%91%e3%82%8d%e3%80%8d%e3%81%a8%e8%ad%a6%e5%91%8a%ef%bc%9d%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e3%81%ae%e5%bc%9f%e3%80%81%e7%88%b6%e7%95%b0%e5%a4%89%e3%81%a7%e7%96%91%e5%bf%b5%ef%bc%8d%e8%87%aa%e6%ae%ba%e5%81%bd%e8%a3%85%e6%ae%ba%e4%ba%ba%e3%83%bb%e5%a4%a7%e9%98%aa%e5%ba%9c%e8%ad%a6/ar-AAyX9M7#page=2

堺市で3月、練炭自殺を装って弟(40)を殺害したとして、会社社長の足立朱美容疑者(44)が逮捕された事件で、弟が生前、周囲に「姉に気を付けろ」と話していたことが21日、捜査関係者への取材で分かった。弟は1月に父親(67)が倒れた際、足立容疑者の関与を疑っていたという。 足立容疑者は父親からの借金があったといい、大阪府警捜査1課は親族間のトラブルの有無を調べている。

 捜査関係者によると、父親は1月に2回自宅で倒れ、現在も意識不明。インスリンの過剰投与による低血糖が原因で、直前に足立容疑者が出した甘酒を飲んでいた。父親が処方されていたインスリンがなくなっており、母親(67)は2回とも同時期に異常な眠気を覚え、記憶がないと話している。 

 亡くなった弟の会社役員聖光さんは、足立容疑者が実家に泊まりに来た際に異変が起き、父親は血糖値の管理に慣れていて誤飲は考えにくいことなどから、同容疑者が父親の殺害を図った可能性を懸念。妻らに「朱美には気を付けろ」などと話していたという。

 聖光さんは練炭自殺を装って殺害され、体内から足立容疑者のものとみられる睡眠薬が検出された。母親はこの際も同容疑者に出された飲み物を飲んで意識を失っており、捜査1課は偽装工作を行いやすくするため、母親にも睡眠薬を飲ませたとみている。(了)

446NAME:2018/08/08(水) 02:12:11
【津川雅彦さん死去】
硬軟自在 男の色気 役柄幅広く 拉致問題解決にも強い関心
2018.8.8 01:27更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180808/ent1808080003-n1.html

4日に心不全のため、78歳で亡くなった俳優の津川雅彦さんは、男の色気と変幻自在の語り口調で二枚目から悪役まで幅広い役柄を演じた名優だった。

 その才能を伊丹十三監督に愛され、「マルサの女」や「あげまん」など多くの作品で味わい深い演技を見せた。晩年も変わらぬ活躍で「後妻業の女」では好色な老人、アニメ作品「バケモノの子」では声優としてバケモノ界の長老を演じるなど名脇役として存在感を放った。また、マキノ雅彦名義で「寝ずの番」「次郎長三国志」などを監督。テレビドラマでもNHK大河「独眼竜政宗」、「サラリーマン金太郎」などに出演し人気を得た。一方、「たかじんのそこまで言って委員会」などのテレビ番組で政治的発言を行うことも多く、注目を集めた。

 私生活では、昭和48年に女優の朝丘雪路さんと結婚。翌年、生後5カ月の長女が誘拐されるが無事保護される事件が起き、苦難に直面した。そのため、北朝鮮による拉致問題の解決に大きな関心を寄せ、政府の啓発ポスターなどに協力。「拉致問題は私たちすべての問題です」とメッセージを寄せていた。 今年5月、朝丘さんの死去を受けて開かれた会見では、肺炎をわずらっているにもかかわらず、酸素吸入の姿で報道陣の前に姿を現し、朝丘さんに感謝の言葉を述べていた。

447NAME:2018/08/19(日) 00:55:44
【横浜患者殺害】
「この病院はおかしい」…不安を口にしていた被害女性
2018.8.18 21:59更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180818/afr1808180022-n1.html

殺害された興津(おきつ)朝江さんは旧大口病院に膝のけがで入院。自分の病室がある4階で多数の入院患者が亡くなることに、「この病院はおかしい」と不安を口にしていた。

 アパートの大家によると、興津さんは1人暮らしで猫を飼育。家賃を納めるために毎月、大家の自宅の長い階段を上れるほど健康だった。

 親族によると、興津さんは膝の擦(す)り傷が化膿(かのう)したため、平成28年9月13日に入院。同14日に見舞いに訪れると、1階まで階段で下りて見送ってくれるほど元気だった。ただ、「人がどんどん死んでいく」と不審がっていたという。興津さんが死亡したのはその2日後だった。

 興津さんの姉は、「足をけがして入院しただけで前日まで元気だったのに、なぜ突然亡くなってしまったのか、はじめからおかしいと思っていました。今後は警察の捜査を待ちたいと思います」とするコメントを発表した。

448NAME:2018/11/13(火) 14:59:32
加藤貴子、がんを患った父へ医師の「酷い対応」激白「もって3か月です」とめんどくさそうに…
スポーツ報知/報知新聞社
2018/11/13 10:41
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e5%8a%a0%e8%97%a4%e8%b2%b4%e5%ad%90%e3%80%81%e3%81%8c%e3%82%93%e3%82%92%e6%82%a3%e3%81%a3%e3%81%9f%e7%88%b6%e3%81%b8%e5%8c%bb%e5%b8%ab%e3%81%ae%e3%80%8c%e9%85%b7%e3%81%84%e5%af%be%e5%bf%9c%e3%80%8d%e6%bf%80%e7%99%bd%e3%80%8c%e3%82%82%e3%81%a3%e3%81%a6%ef%bc%93%e3%81%8b%e6%9c%88%e3%81%a7%e3%81%99%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%82%81%e3%82%93%e3%81%a9%e3%81%8f%e3%81%95%e3%81%9d%e3%81%86%e3%81%ab%e2%80%a6/ar-BBPDOtm

女優の加藤貴子(48)が13日、自身のブログを更新。がんを患って亡くなった父から医師から受けた「酷い対応」について振り返った。

 加藤は「医師とのコミュニケーション」とのタイトルで記事をアップし、雑誌の仕事で医師との対談企画を行ったことを報告。その上で「ドクターと患者ストレスなくコミュニケーションが成立する関係が理想的ですが…これがなかなか、難しいんですよね」とつづり、「医師に質問すると、イライラ空気であからさまにーその説明したところで、君にわかるの?みたいな態度をされたり…」と吐露した。

 そして「亡き父が、癌になったときのこと」と切り出し、「総合病院の外科医に『手の施しようがないステージです。もって3か月です。退院して自宅療養をおすすめします』と、説明もめんどくさそうに言われました」と告白。さらに「ショックで倒れそうでしたが、セカンド・オピニオンを考えて『検査結果をいただけますか?』と訊いたら『検査結果が欲しいなんて初めてです。それは渡せません。どこに行かれても同じですよ』と、半分鼻で笑われてるような言い方であしらわれました」と明かした。

 「今でも、思い出すと吐き気がするくらい酷い対応でしたが、おかげで家族一丸となって父の闘病生活を共にする覚悟が出来ました」と加藤。「そして、退院して、患者側に寄り添った治療をしてくれる病院を見つけて、父は1年半延命することが出来ました」と当初の宣告より長く生きられたことを明かした。

 「それ以来私は、説明をはしょったり、言葉を濁す医師を信頼できない傾向があります」という。「治療で辛い思いをしているうえに、医師とのコミュニケーションで悩まれている方の心が折れないことを祈っています」とつづっていた。

449NAME:2018/12/28(金) 00:46:50
芸人ヒロシがYouTubeに見つけた人生の神髄 「君も好きなことだけして生きていける」
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e8%8a%b8%e4%ba%ba%e3%83%92%e3%83%ad%e3%82%b7%e3%81%8cyoutube%e3%81%ab%e8%a6%8b%e3%81%a4%e3%81%91%e3%81%9f%e4%ba%ba%e7%94%9f%e3%81%ae%e7%a5%9e%e9%ab%84-%ef%bd%a2%e5%90%9b%e3%82%82%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%a0%e3%81%91%e3%81%97%e3%81%a6%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%91%e3%82%8b%ef%bd%a3/ar-BBQMh0b?ocid=iehp#page=2

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第48回。

芸人のヒロシさん(46)と言えば、2004年に大ブレークした、「ヒロシです……」で始まる自虐ネタを皆さんご存じだろう。 ブレークした年に出版された『ヒロシです。』(扶桑社)は発行部数50万部を超えるヒットになった。

好きなことだけをして生きていくことのススメ

 そんなヒロシさんが現在、芸人としてではなく、ユーチューバー(YouTuber)として注目されている。 2015年に始めた「ヒロシちゃんねる」は、登録者数28万人を超える人気チャンネルになっている(2018年12月現在)。 「ヒロシちゃんねる」では、ヒロシさんが趣味であるキャンプをただただ楽しんでいる動画がアップされている。一人称視点が多く、ヒロシさんが映っていないことも多い。たとえ映っていてもキャンプ用の服を着込んでいて、トレードマークである背広は着ていない。 お笑いのネタも挟まず、BGMやテロップなど凝った編集もしていない、飾り気のない動画が幅広い層にウケているのだ。100万回以上再生されている動画もある。 YouTubeでの広告収入も増えて、収入が80万円を超える月もあるという。 そんなヒロシさんは、自身のユーチューバーとしての経験を踏まえて、『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』(講談社)を12月6日に上梓した。

 タイトルどおり、好きなことだけをして生きていくことのススメが書かれている。 ヒロシさんはどのような人生を経て、現在の場所にたどり着いたのか。講談社の会議室で話を聞いた。 ヒロシさんは、熊本県荒尾市に生まれた。荒尾市は20世紀前半に炭鉱の街として栄えた街だった。ただヒロシさんが生まれた20世紀後半は、炭鉱が閉山になっていく衰退の時代だった。 「父親も炭鉱作業員でガツンガツンとやっていました。とても教育熱心な人でした」 父親には学歴がなく、肉体労働しか選択肢がなかった。息子には大学を卒業して、いい会社に入って安泰な人生を送ってほしいと願っていた。 ヒロシさんも父親の意思には逆らわず、キチンと勉強するまじめな子どもだった。

 「でも小学校の頃から人となじめなかったですね。正月とかに親戚が家に集まると、居間には行きたくなかったです。普段会わない人と何をしゃべっていいかわからないんですよ。 標準語をしゃべる神奈川のいとことかに対して、劣等感を抱いてもいました」 小学校時代に漫才ブームが訪れた。中でもツービートの漫才が大好きだった。その時はじめて「お笑い芸人という仕事があるんだ」と気づき、あこがれを持ちはじめた。

450NAME:2018/12/28(金) 00:47:12
イジメに遭って気づいたこと

 「小学校の時に転校したんですが、転校先でイジメに遭ったんです。月に1回『誕生月の人を祝う会』というのがあったんですが、みんな歌を歌ったり、花輪を作ったりしていました。僕はドリフターズのマネをしたんですね。そうしたらすごくウケて、イジメが少し収まっていったんです。 『そうか、笑わせればいいんだ』って気がつきました。そこが原点ですね」

 ヒロシさん自身は、中学を卒業したら即お笑い芸人になろうと考えていた。「なんにせよ早いほうがいいだろう」と思っていたからだ。 ただ、進学してほしいと願う父親に逆らってまで、お笑いの道に進むことはできなかった。高校の成績もよく、学校推薦で九州産業大学の商学部に進学した。 「僕はやっぱり『普通の人』なんですよね。芸人になりたいとは思っていたけど、それでも普通に就職して、普通に生きていくんだろうな、と感じていました」 そしてそのとおりに、大学卒業後は保険会社に就職した。

 「営業の部署だったんですけど、地獄でした。会社でも誰とも話せないし、どうしていいかもわからない。毎日つらくて、そのうちつらさが身体に出るようになりました」 朝起きると頭痛が出るようになった。会社が休みの日には出ないので、精神的なものなのだろう。1カ月で、会社に行かなくなった。

 「ある日家で起きたら、支店長が枕元に立ってました。そして『もうちょっと続けなさい』って言われました」 「少しは契約を取ってこい」と言われ、親類縁者に入ってもらって契約を取った。結局、半年間我慢して働いて会社を辞めた。「会社でうまく働けなかったことで『僕はまともな道は歩いていけないんだ』って自覚しました」

 保険会社の社員の時代、福岡吉本が主催するお笑いオーディション番組を2回受けに行った。ヒロシさんは1回戦で落ちてしまった。結果発表の後、福岡吉本の社長がホワイトボードに電話番号を書いた後、 「本気でお笑いをやりたいと思ってる人はここに電話をかけたらいい」 と皆に言った。ヒロシさんは後日電話をかけて「お笑いをやりたいです」とはっきり告げた。 それからしばらく福岡吉本でお笑いを続けたが、26歳の時に上京した。

451NAME:2018/12/28(金) 00:47:47
冴えない芸人のウソを信じてホストの世界へ

 そして東京で出会った冴えない芸人が、やたらとブランドもののアクセサリーを身に着けていたのが目についた。恋人もいるという。冴えない男なのになぜ?と思って問い詰めた。「そいつは『誰にも言わないでね。実はホストやってるんだ』って言ったんです。こいつがいけるんだったら僕もいけるんじゃないか?って思いました。芸人やりながらアルバイト感覚で働けるんなら丁度いいなって考えました」ただ実はその男性はウソをついていた。持っていたブランドもののアクセサリーもニセモノだった。

 ヒロシさんが面接に連れていけと言っても、なかなか紹介してくれない。もちろんウソなのだから紹介できるはずもない。 ヒロシさんはしびれを切らして、知り合いのツテをたどって自分でホストクラブに面接に行った。簡単に入店することができた。 「入るのは簡単でしたけど、辞められなくなりました。拘束されて働かされて、月3万円しかもらえませんでした」 飲めない酒をたくさん飲まされ、毎日長時間働かされた。あまりにお金がないので、休日はコンビニでアルバイトをした。週に1度しかコンビニでアルバイトしていないのに、週6日働いているホストクラブより多く給料をもらった。

 逃げたいと思ったが、逃げてしまってはもう二度とお笑いはできなくなると思った。だから歯を食いしばって耐えたが、4年目にどうしても耐えきれず逃げた。そして熊本に帰った。 「その時はお笑いをあきらめました。もう東京に戻れないですから。でも逃げた後すぐにお店が潰れたって聞きました。最初は僕を連れ戻すためのわなかと思って警戒しましたけど、本当に潰れたことが判明しました。慌てて東京に帰りました」

 よく「苦労は買ってでもしろ」という人がいる。彼らはどんな経験でも、人生の肥やしになるという。 だがヒロシさんはそうは思わない。「ホストクラブで働いてた4年間は本当に無駄でした。大学時代も無駄だったと思うけど、それ以上でした。僕は『苦労は金をもらってもするな』と思います。

 僕はもう32歳になっていて、同期はテレビに出ていました。ホスト時代に無駄な時間を過ごしたという実感があったので、その反動でものすごく頑張りました」 ホストクラブに入るまでは「いつか売れるだろう」とのんきに構えていたが、ホストクラブを辞めてからの1年は売れることしか考えなかった。そして実際に思いつくことはすべて行動に移した。

452NAME:2018/12/28(金) 00:48:07
大ブレークと、その後やってきた苦悩

 そして試行錯誤の結果、大ブレークした「ヒロシです……」のネタは生まれた。「売れていく段階はうれしかったですよ。お金が入ってくるのもうれしかったです。最高で月4000万円稼いだこともありました。 ただ売れてしまってから……バラエティー番組に呼ばれるようになってからつらくなりました」 バラエティー番組に呼ばれて、出演しているときは、苦手だった小学校時代の親戚の集まりを思い出した。

 「よく知らないいとこの集まりで面白いこと言えないじゃないですか。それと同じです。当時は人気もあったのでカンペで『ヒロシに振って!!』と司会の方に指示が出るわけです。それで振られても、なんも面白いこと言えないんだけどな……って。考えすぎてつらくなる毎日でした」

 テレビに出ている間はずっとつらかった。 最終的には飛び降り自殺を考えるまで追い込まれた。もう自分がもたないと思い、当時所属していた事務所に、「テレビに出なくていいですか? このままだとおかしくなります」と伝えた。 「それから束の間は極楽でしたね。貯めていたお金はあるし、ヒマはあるという。釣りにハマってました。キャンプもやってました。気分的には早めの老後を迎えたという感じでした」

 田舎暮らしをしたいと思い、千葉に物件を見に行ったこともあった。 「人を避けたいというのがありましたね。シンプルな生活がしたい。自分で畑を耕して、実ったものを食べて生きていきたい。そんな感じでした」 だが、実際に物件を見に行くと、青年団に入らなければいけない、ご近所の飲み会に呼ばれる、など東京以上に面倒くさいのではないかと思った。 「田舎暮らしは危険だ!!ってなりました。世間にはヒロシとして顔が知れ渡っていますから、普通の生活はできないんですよ。 絶対に『ヒロシだ!! 〈ヒロシです〉やれよ』って言われるじゃないですか」

 自由な生活は最初こそ楽しかったが、だんだん不安が募ってきた。 お金はあったが、何をどうしたらいいかはわからない。お笑いをやる気にもならなかった。「どうせ、何をやってもダメなんだろうな」とネガティブに考える時期が続いた。 ヒロシさんがブログを始めたいと思って会社にお願いしたこともあったが、許可が出るのに3年間かかった。 「仕方がないことなんですが、3年もたったらやる気も情熱も失せてますよね……。 でも何年もそうやって悶々とした日々を過ごして、なんでこんなもったいない生き方してるんだろう?と思うようになりました。それでやっと行動を起こすようになりました」

 マネジャーに勧められて、単独ライブを開催した。久しぶりにテレビにも出演してネタをやった。 所属していたプロダクションからは業務提携の形になり、元飲食店だった場所を事務所にした。もともとスナックだったのでカラオケができる「ヒロシのお店」として営業もした。現在はカラオケはやめ、カフェ「FOREST COFFEE」として不定期に店を開けている。 「やっぱり行動するとつらいことが多いです。でも『自分で決めて行動している』から、つらいことにも耐えられるんですよ」

 そして2015年、ついにYouTubeで「ヒロシちゃんねる」を始めた。ただし、始めた時はユーチューバーとして稼ごうなどとはまったく思っていなかったという。 「キャンプしてる様子を記録に残したいと思ったんですよね。キャンプ仲間と後から見返したいなと思って。結婚式で流れる動画みたいな感じですね。そんな動画、他人が見たって全然おもしろくないと思ってました。もちろん意気込みなんかまったくありませんでした」 しかし、動画をアップしていると動画の再生回数は伸び、チャンネル登録者数も徐々に増えていった。

453NAME:2018/12/28(金) 00:48:25
自分で作った動画でもらえた数百円がうれしくて

 「動画に広告入れれば収入になるって聞いて、なら試しにやってみるかと思って入れてみたんですよ。そうしたら何百円か振り込まれたんです。これがうれしくてね。自分で作った動画で、グーグルからお金が振り込まれたぞって。そのうち『YouTube見てます』って言われるようになりました。たとえば仕事で訪れた沖縄のおばちゃんに言われたりして、これもとてもうれしいんですよ」 テレビに出演すればもちろん「見ましたよ」と言われることは多い。ただ当たり前だがテレビ番組はヒロシさん1人で作っているわけではない。 一方、YouTubeの動画はすべてヒロシさんが作っている。褒められれば喜びもひとしおだ。

 ブレーク時代は最高月収4000万円だったヒロシさんだが、自分で作った動画を見てもらうことにより稼いだ数百円がとてもうれしかったのだ。 「演出、撮影、出演者と全部やってますからね。キャンプに行かないと動画は上げられないので、忙しい月と、そうでない月でYouTubeの収入は変わります。ちなみに先月は80万円の広告収入がありました。まさか自分たちだけで楽しもうと思っていたチャンネルがここまで育つとは驚きでした」

 読者の中には、「芸能人がやってるからみんな見るんだろ? 普通の人がやったって見ないだろ」 と思う人もいるかもしれない。ただ、ヒロシさんはそうは思わない。 「誰だってできるんですよ。ただ、やるかやらないかだけなんです。YouTubeでは『こんな動画誰が見るんだろう?』というマニアックなチャンネルもヒットしています。結局誰が出ているかより、何をするかだと思うんですよ。収入にすぐつながるわけではないですけど、元手はかからないですからね。もし1万円でも稼げたらよくないですか? サラリーマンしていて1万円昇給するのって大変ですよね?」

 徐々に人気ユーチューバーになってきているヒロシさんだが、まだどの動画が人気になるかまでは読めないという。 気合いを入れてアメリカのロサンゼルスまでキャンプを張りに行ったことがあったがその動画はあまり再生回数は伸びなかった。逆に多摩川の河川敷でラーメンを作っただけの動画が何十万回も再生された。

何がウケるかわからない

 「何がウケるかわからないんですよね。だからなんでもアップロードしてみればいいんですよ。タダなんだから。 たとえば僕は独身だから夫婦げんかの映像とか見てみたいですね。わーわー言い合っている映像じゃなくても、ただひたすら部屋の中で黙ってる映像とかね。『おかえりなさいも言わない冷戦状態になってる』なんて話、耳にはしますけど見たことはないですから。 居間でまったくしゃべらない2人を見て『ホントこいつらしゃべらねえなあ』って。で、ちょっとでも動くと『おっ!!』と思うわけじゃないですか。犬も食わない夫婦げんかも、立派なエンターテインメントになるんですよ。 僕もやってみようかな?と思った人は、来月からやってみようとか、落ち着いたらやってみよう、とかじゃなくて今日やりましょう!! スマートフォンがあればできるんだから。やってみると意外といけますよ」

 今回上梓した『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』(講談社)を、ヒロシさんは小学校時代からのある同級生に読んでもらいたいという。 「たまに連絡してくる同級生なんですけど、どうやらちょっと鬱になってるみたいなんです。『残業してもおっつかないんだ〜』って言ってて。結局仕事も休んでるみたいなんです。昔から、勉強もできて、スポーツもできて、女にもモテた友達がそんなふうになるとは思ってなかったです」 ヒロシさんにとってサラリーマン生活を続けていくことは、想像しただけで恐ろしくなるほどつらい世界だ。嫌な上司や先輩と延々付き合っていかなければならないし、飲み会にも参加しなければならない。 そんなつらい現場で果敢に戦っている同級生に、世界には楽しいことをして生きていける世界があると知ってほしいと思う。

454NAME:2018/12/28(金) 00:48:42
嫌なことはやらなくていい

 「いきなり会社を辞めてユーチューバー1本で食べていこうとかいう話ではないんです。そもそも会社を辞めるのもすごいストレスですからね。 YouTubeで好きな動画を流せば、みんなに見てもらえてお金になるんだってことを知ってほしいんですよ。嫌なことはやらなくていいんです。好きなことだけをやって、それを流せばいいんです。 それで少しでも稼げるって知ったら、たぶん少し生きるのが楽になるんじゃないかと思うんですよ」 現在、ヒロシさんはキャンプ動画で注目されているため、キャンプのテレビ番組に呼ばれることが多い。そのためプライベートでキャンプに行く機会が減っているのが少しストレスだという。

 「最近はキャンプ動画が当たっているので、オリジナルのブランドを作れないかなと思っています。 最初は有名キャンプブランドとコラボしようかと思ったんですが、結局商品を買い取ることになるようなんですよね。 だったら、一から全部自分で作れないか?と考えてます」 たとえばたき火台だったら、図面を引いて、工場に行って一つひとつ作ってもらう。単価はどうしても高くなるが、まずはそこから始めたいと思う。 「結局、全部自分でやりたいんですよ。間によくわからない人が入ってくるのが嫌なんです」たとえばたき火台を作るにしても、間に人が入ってくると「こうしてよ」「ああしてよ」と意見を言われる。二転三転して結局、全然違うものになる。それでも商品名は「ヒロシのたき火台」として発表しなければならない。 「そういうふうに名前だけ使われるの嫌なんですよ。気持ち悪いなって。自分の思いどおりの物を作ったなら『だせえな』ってけなされても仕方ないんです。

 お笑いのネタでもそうなんですが、『ウケれば自分の手柄』『滑ったら自分の責任』にしたいんです。よくわからない人に口を挟まれるのはもう嫌なんですよね」いくつも種をまけば、いつか花咲く種もある
 昔は到底1人ではできなかったことが、ガジェットやアプリの進化で全部1人でできるようになってきている。 「僕みたいに1人でやりたいって人は世の中にたくさんいると思うんです。自分でも気づいていなかったけど、自分にピッタリな時代が来たんだなって感じます。

 もちろん今、たまたま調子がいいだけで、来年どうなっているかわかりません。でもなんとなく、またその後もいろいろな種をまき続けて再び当てられる自信がありますね。結局、弾数撃てば当たると思います。いくつも種をまけば、いつか花咲く種もあります。

 最近は常々、人生は1回しかないんだって考えますよ。どうあがいたってもうすぐ死にますよ? だったら好きに生きましょうよ!!」 ネガティブなネタを得意とするヒロシさんからあふれる言葉は、とてもポジティブだった。お世辞ではなく、話を聞くうちに「自分でもYouTubeやってみようかな?」と思えてきた。 それはYouTubeが儲かるからではなく、YouTubeをやっているヒロシさんがとても楽しそうだからだ。「とにかくすぐにやってみる」「とりあえず1人でやってみる」というのはこれからの時代のキーポイントになってくるかもしれないな、と感じた。

455NAME:2019/06/30(日) 13:47:56
【カストロ前議長死去】
カリブ海の「赤い植民地」に君臨…反米にのめり込み、あまりに重い負の遺産 
2016.11.26 23:43更新
http://www.sankei.com/world/news/161126/wor1611260061-n1.html

ヒゲ面に軍服姿。「社会主義か死か」というスローガンそのままの姿で、カリブ海の革命政権を率いたキューバの前国家評議会議長フィデル・カストロが死去した。 農園主の家庭に生まれ、弁護士となりながら、親米バティスタ政権の打倒に身を投じて頭角を現した。蜂起の失敗、投獄、メキシコ亡命という苦節を経て、チェ・ゲバラらと祖国へ再上陸し、キューバ革命は成功した。

 カストロを反米の闘士と持ち上げる声は根強い。だが、英国の歴史家リチャード・ゴットは、著書「キューバ-新たな歴史」で、「キューバはスペイン、米国、そしてソ連による植民地支配を経た世界でもまれな国」と言い切る。 20世紀初頭のキューバ独立からバティスタ政権崩壊まで、米国は首都ハバナの政治と精糖業などの主要産業を支配した。革命政権は60年に米国資産を接収。米側は61年の国交断絶やピッグズ湾事件などの政権転覆工作、そして長期にわたる経済封鎖を打ち出し、厳しい対立を続けた。

 反米主義にのめり込むあまり、カストロはモスクワの対米戦略に祖国を差し出した。ソ連の弾道ミサイル配備に端を発したキューバ危機(62年)はその典型であり、東西冷戦下の代理戦争となったアンゴラ内戦への派兵も同様だ。 2001年9月、カストロは演説を「祖国か、さもなくば死か。われわれは勝利する」という情熱的な言葉で締めくくった。だが、その長期独裁政権はソ連への忠誠と引き換えに約束され、冷戦崩壊後は反対勢力を抑えることで走りきったにすぎない。本質はカリブ海の革命家というより「赤い植民地」の総督ではなかったか。

 大量のキューバ難民という「棄民」を生んだ国内運営の行き詰まりにも、カストロは在任中、政治の民主化を拒んだ。実弟の現国家評議会議長、ラウル・カストロへの権力移譲は血縁主義との批判を免れない。カリスマ性なき後継政権は、積み残された政治、経済の改革に取り組まざるを得ない。カストロの負の遺産はあまりにも重い。=敬称略 (元ワシントン支局長 山本秀也)

456NAME:2019/06/30(日) 13:48:11
堀江貴文「自分はデキると信じて動くべき理由」 迷わず「やってみる」人こそがエリートだ
東洋経済オンライン / 2019年6月29日 7時30分
https://news.infoseek.co.jp/article/toyokeizai_20190629_287300/

将来に備えてお金を貯めることばかりにとらわれるのは、いますぐやめたほうがいい。さもなければ、きっと後悔することになる――。堀江貴文氏はそう警鐘を鳴らす。

それは個人の生活レベルの話に限ったことではない。ビジネスパーソンであれば、持てる資金を十分に活用し、時間を買って、人を頼ることで、成功と幸福の循環をつくっていくほうがいい。なぜ同氏はそのように断じるのか。その真意とは。
(本記事は『あり金は全部使え 貯めるバカほど貧しくなる』の本文の一部を抜粋、改変して再構成したものです)

前回記事:堀江貴文「僕が過去に失って唯一後悔したもの」

■意欲の循環に入ろう
僕は面白いことに囲まれて生きている。やりたいことが尽きない。面白いことを片っ端からやっていくと、やりたいことが倍々に増えていく感覚だ。 「面白い」と「やりたい」の循環に入れば、時間はいくらあっても足りない。だから何よりも時間の抽出と最適化に努めている。お金なんか、どうでもいい。

面白いことを逃したり、チャンスを失うのが、僕には最大の痛手だ。そうならないよう、つねに遠くへ出かけ、新しい情報を浴び、多くの刺激的な仲間たちと会い、感度のバージョンアップに努めている。 面白いことがない、という人は多い。それはシンプルに、感度が低いからだ。

「やる」ことを重ねていない。「挑み」を実践していない。だから、情報のアップデートができないし、会う人は限られ、つまらない現在をわざわざ自分で、固定してしまっている。面白いことに出会えないのは、当たり前だ。 とにかく何でも、やってみることだ。片っ端からやっていれば、必ず何かひとつかふたつは、思いがけない成功体験を引き寄せる。やること自体が、楽しくなってくる。 意欲の循環に入ろう。そうすれば自然に感度は磨かれ、ワクワクできることが、必ず現れる。 僕は学生時代はゴルフなんて全然、興味がなかった。けれど起業して、知人に誘われたのをきっかけに始めたら、すごく楽しくなった。今では海外旅行などの出先でいいコースがあれば、時間を捻出してコースを回る。

『人狼ゲーム』など、人から教えられたのをきっかけにハマり、ビジネスに転換したものも少なくない。 僕が普通の人より、面白いものに囲まれているのは、生来の好奇心も関係していると思うが、人よりたくさん「やってみた」からだ。 やりたいことが現れれば、後回ししない。やれるとき、その瞬間に乗っかって、やってしまうのが大事だ。 できると思った順にチャレンジする。できそうかな……?などと躊躇していたらダメだ。できる!と確信して、やってしまおう。根拠はいらない。

■できる理由だけを考えて、走りだそう
あり金をどんどん使って、「やりたいことをやる」体験を重ねることが重要だ。そして自分の経験値とブランド価値を高めてゆくことでこそ、人生は開けるものなのだ。

僕は今、多くのビジネスを好調に展開している。宇宙事業はJAXAとの協業が進み、WAGYUMAFIAは世界への進出計画が拡大中だ。 ロケットと和牛、どちらのビジネスも始めた頃は、自分にできるかな……とは、少しも不安に思わなかった。やる!という気持ちでしか、動かなかった。

周りからは、ホリエモンにできるわけないと批判されまくった。しかし「え、やれますけど?」という当たり前の気持ちで、突き進み続けた結果、現在のフェーズにまで到達できた。5月4日に観測ロケット「MOMO」の打ち上げに成功したのは、周知のとおりだ。

人の目を気にしたり、可能かどうか迷ったり、将来性を考えたりするのは、時間の無駄だ。 すべての物事を、できるを前提に、できる理由だけを考えて、走りだそう。どうせ無理と思わず、「俺はできる!」と確信して、動こう。うまくいく方法は、動いているうちに見つかる。

これだけ言っても、実際に動きだす人は1%もいない。僕の著書はたくさん売れているが、10万部売れても、書いてあるとおりに何かにチャレンジした人が1000人いるとは聞いていない。「やってみる」人はある意味、東大合格者以上の、狭き門をくぐったエリートだ。 胸を張って、挑戦し続けよう。


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