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日 本

897NAME:2017/02/04(土) 21:31:44

親日家の博士、日本へ怒りの忠告
親日家ベルツ博士の怒りは平成日本人へのメッセージか?
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a6%aa%e6%97%a5%e5%ae%b6%e3%83%99%e3%83%ab%e3%83%84%e5%8d%9a%e5%a3%ab%e3%81%ae%e6%80%92%e3%82%8a%e3%81%af%e5%b9%b3%e6%88%90%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%b8%e3%81%ae%e3%83%a1%e3%83%83%e3%82%bb%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%81%8b%ef%bc%9f/ar-AAmBp4r?ocid=iehp#page=2

江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「親日家ベルツ博士の怒り」について聞いた。

平成日本にも通じる医学者エルウィン・フォン・ベルツの怒り

 明治九(1876)年に新政府がドイツから招いたベルツ博士が日記を残している(『ベルツの日記』上・下 岩波書店)。 医学者エルウィン・フォン・ベルツは、一般には草津温泉を世界に紹介した人として知られているが、所謂「お雇い外国人」の一人でもある。 ベルツは、怒り、忠告する。 その主旨だけを列記すると、以下の通りである。

「日本人は、ほんの十年にもならぬ前まで我々の中世騎士時代と同じ文化状態にあったのに、ヨーロッパが文化発展に要した五百年を一気に飛び越えて、十九世紀の全ての成果を一瞬にして横領しようとしている」「多くの物事は逆手にとられ、西洋の思想は勿論、その生活様式を誤解して取り入れ、とんでもない間違いを犯している。日本に招聘(しょうへい)された者たちまでもが無理解で、一部の者は日本のすべてをこきおろし、日本が西洋から取り入れるものはすべて賞賛する」

「不思議なことに、今の日本人は自分たちの過去を何も知りたがらない。それどころか、自分たちの過去=歴史を恥じている。何もかも野蛮でした、我々には歴史なんかありません、これから始まるのです、という者さえいる」「これらの現象は、大変不愉快なものである。日本人が自国固有の文化を軽視すれば、却(かえ)って外国人の信頼を得ることはできない」「日本人はお雇い外国人を学問の果実の切り売り人としてしか扱っていない。つまり、根本にある精神を探求することなく、最新の成果さえ受け取れば十分と考えている」

 真に辛辣(しんらつ)に聞こえるが、すべて核心を衝いているといえるのではないか。

 そして、驚くほどそのまま、バブル世代を中心とした戦後日本人、平成日本人にも当てはまらないか。 ベルツ自身は、来日五年目に日本女性と結婚し、約三十年も日本で生活した知日家、親日家であるが、それ故の激烈たる維新日本人に対する批判であり、忠告であったと解すべきであろう。

 こういう見識あるヨーロッパ人が嘆くほど、日本人が日本的なるものを根底から否定し、自らを卑下していたのである。 ベルツが接した日本人の多くは、「成り上がり」といっていい当時の新しい上流階級、即ち、薩摩長州人やそれに与(くみ)した勢力の新興階級である。 豊かな教養環境とはほど遠い下層階級社会から政治闘争(具体的にはテロ活動)に身を投じた彼らは、せいぜい俄(にわ)か仕立ての水戸学程度の論理を頼りに「王政復古」「大和への復古」を唱えて江戸幕府を倒した。 

原田伊織(Iori Harada)作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など

898NAME:2017/02/07(火) 17:15:08
神秘的かつ恐ろしい! 中国の視点から見た武士道精神=中国報道
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e7%a5%9e%e7%a7%98%e7%9a%84%e3%81%8b%e3%81%a4%e6%81%90%e3%82%8d%e3%81%97%e3%81%84%ef%bc%81-%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%ae%e8%a6%96%e7%82%b9%e3%81%8b%e3%82%89%e8%a6%8b%e3%81%9f%e6%ad%a6%e5%a3%ab%e9%81%93%e7%b2%be%e7%a5%9e%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%a0%b1%e9%81%93/ar-AAmGxay?ocid=iehp#page=2

中国人にとって日本の武士道精神とは神秘的であると同時に、恐ろしくもあるようだ。中国メディアの捜狐は2日、「絶対服従で、生死を超越した」武士道精神の恐ろしさについて考察する記事を掲載した。 旧日本軍は特殊だったと言って良いだろう。記事は、「神道」と「武士道」が日本の軍国主義、そして、文化を作り上げたと主張し、神道とは、日本が普通の国ではなく「神国」であるする、「強烈な優越感と排他意識」を日本人に与えるものだと主張。この「神国」論から派生したのが、「天皇は神の末裔」と信じて疑わない、天皇に対する絶対的な「尊皇」、および、「神国中心論」から「神国所有論」への拡張で、これが旧日本軍の武士道になったと分析した。

 続けて、日本における武士道の成り立ちについても紹介。荘園制度において荘園を守るために武装化した集団が武士の始まりで、鎌倉時代から江戸時代まで長きにわたって武士が支配階級となったと伝えた。そのうえで、複雑な武士道は主に「善悪はともかく、従うこと」、「生死を超えた信念」で成り立っていると主張、主君に対する忠誠こそが絶対であり、「善悪の最高の基準が主君に対して忠実であるか否か」で決まるのだと論じた。 では、「生死を超えた信念」についてはどうだろうか。記事は、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」で有名な葉隠を引用し、武士道とは落ち着いて死と向き合い、潔く死ぬことなのだと論じた。

 記事では最後に、この武士道精神が戦時中は日本国民全体の信念となり、近代日本における旧日本軍の精神的支柱になったと主張、旧日本軍はこの武士道を極端なまでに発揮したため、「大日本皇軍」という言葉は、中国人の記憶の中に凶暴で野蛮の代名詞として刻み込まれたと結んだ。 記事は、何とか武士道を理解しようとしてはいるものの、武士道とは何か、実際のところは説明するのは難しく、時代や人によって解釈が異なるものだ。あくまでも中国の視点から見た武士道精神と捉えるしかないだろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

899NAME:2017/02/09(木) 03:26:19
日本史の一大汚点「廃仏毀釈」はいかにして行われたか?
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%8f%b2%e3%81%ae%e4%b8%80%e5%a4%a7%e6%b1%9a%e7%82%b9%e3%80%8c%e5%bb%83%e4%bb%8f%e6%af%80%e9%87%88%e3%80%8d%e3%81%af%e3%81%84%e3%81%8b%e3%81%ab%e3%81%97%e3%81%a6%e8%a1%8c%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%81%8b%ef%bc%9f/ar-AAmIxKK?ocid=iehp

江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「廃仏毀釈」についてはじめて聞いた。

「廃仏毀釈」という仏教文化の破壊活動

 そして、政権奪取に成功するや否や、日本史の一大汚点というべき「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という徹底した仏教文化の破壊活動を繰り広げたのである。 仏教伝来から既に千四百年近く経っていた明治維新といわれるこの時点に於いて、仏教という宗教及びその影響を受けた文化的、精神的諸要素は、既にこの美しい島国の風土を創り上げている主たる要素といってもいいほど大地に、空間に、人びとの心に浸み込んでいる。 その意味では、薩長新政権が惹き起こした「廃仏毀釈」というムーブメントは、歴史上例をみない醜い日本文化の破壊活動であった。

 これは、俗にいう明治維新の動乱の中で、明治元(1868)年に薩長新政権が打ち出した思想政策によって惹き起こされた、直接的には仏教施設への無差別な、また無分別(むふんべつ)な攻撃、破壊活動のことをいう。 これによって、日本全国で奈良朝以来の夥(おびただ)しい数の貴重な仏像、仏具、寺院が破壊され、僧侶は激しい弾圧を受け、還俗(げんぞく)を強制されたりした。 ひと言でいえば、薩摩、長州という新しい権力者による千年以上の永きに亘って創り上げられた我が国固有の伝統文化の破壊活動である。

 現代のイスラム原理主義勢力タリバーンやイスラム国を思えば分かり易いであろう。 文化財の破壊という点のみでいえば、イスラム原理主義者による文化財の破壊より規模は遥かに大きかった。 発端は、新政権が出した太政官布告「神仏分離令」と明治三(1870)年に出された「大教宣布」にある。 学者は、これ自体が直接仏教排斥を指示したり、煽(あお)ったりしていないとするが、それは文章面(づら)のことであって当たり前である。 これを後ろ盾として、仏教弾圧の嵐が吹き荒れたことは否定のしようもないことなのだ。 私ども大和民族は、それまで千年以上の永きに亘って「神仏習合」というかたちで穏やかな宗教秩序を維持してきた。 平たくいえば、神社には仏様も祀(まつ)って別(わ)け隔てなく敬ってきたのである。

900NAME:2017/02/09(木) 03:26:59
多元主義と一元主義

 これは、極めて濃厚にアジア的多元主義を具現する習俗であったといえる。 それをいきなり廃止せよと命じ、神社から仏教的要素を徹底的に排斥することを推進し、ご神体に仏像を使用することも禁止したのである。 これが、全国的に大々的な廃仏運動を燃え盛らせたのだ(平成日本人は、「神仏習合」が大和的な、おおらかで自然な姿であったことも分からなくなっている)。 今、近代と呼ばれている私たちの世界は、一元主義によって行き詰まりを迎えているといえるだろう。 かつての東西冷戦も現代の西欧社会とイスラム社会の衝突も、一元主義と一元主義の対立である。

 一元主義同士の戦いを一元主義によって収束させることは、残念ながら無理なのだ。 薩長権力が一転して狂ったようにかぶれた西欧文明はまもなく確実に終焉を迎えるであろうが、それは言葉を換えれば一元主義の破綻といっていい。 もともと大和民族は、多元主義的な生態を維持してきた故に、多少の混乱期を経験しながらも長期的には平穏な生存空間を、政治的な版図(はんと)を超越して維持してきたのである。 単に島国であったから、という地勢的な理由だけに頼るのは余りにも稚拙というものであろう。 ところが、薩摩長州の下層階級が最初にかぶれた思想とは実に浅薄なもので、単純な平田派国学を旗印に掲げ、神道国教、祭政一致を唱えたのである。

 これは、大和民族にとっては明白に反自然的な一元主義である。 ここへ国学の亜流のような「水戸学」が重なり、もともと潜在的に倒幕の意思をもち続けてきた薩長勢力がこれにかぶれ、事の成就する段階に差しかかって高揚する気分のままに気狂い状態に陥ってしまったのだ。 こういう現象は、時代の転換期には間々あることではある。とはいえ、神聖政治を目指す、神道(しんとう)を国教とする、仏教はそもそも外来のものである、すべてを復古させるべきだというのだから、これはもう気狂い状態に陥ったというべきであろう。

 では、一体どこへ復古させるのが正しいのか……当然、五世紀以前ということになってしまうのである。 そもそも薩摩長州は、徳川政権を倒すために天皇を道具として利用したに過ぎない。 そのために「尊皇攘夷」という大義名分が必要となった。 これは、どこまでも大義名分に過ぎない。 薩摩長州のリーダー層が純粋に尊皇精神をもっていたかとなると、幕末動乱期の行動、手法が明白に示す通り、そういう精神は微塵(みじん)ももち合わせていなかったとみるべきであろう。「尊皇攘夷」を方便として喚き続けているうちに本当に気狂いを起こし、「王政復古」を唱え、何でもかでも「復古」「復古」となり、大和朝廷時代が本来のあるべき姿であるとなってしまったのだ。

901NAME:2017/02/12(日) 21:37:37
「ルーツを忘れては日本人でなくなる」「神話は誇り、民族のアイデンティティー」 神職の著述家、吉木誉絵さん講演
2017.2.12 18:22更新
http://www.sankei.com/west/news/170212/wst1702120028-n1.html

「建国記念の日」の11日、各地で奉祝行事が行われ、松山市道後町のひめぎんホールでは、建国記念の日奉祝愛媛県実行委員会の県中央大会が開かれ、著述家で神職の吉木誉絵(よしき・のりえ)さんが「日本の神話・古事記の魅力」のテーマで講演した。

神話を大切にし、誇りとする理由

 中央大会では、実行委員会の竹田祥一会長が「日本の建国から2677年。明治政府はこの日を紀元節と定めていたが、敗戦によってGHQ(連合国軍総司令部)が廃止。昭和41年、国民の熱い願いで国民の祝日として復活した」と建国記念の日の意義を述べ、戦後の自虐史観を脱却して、政府主催で建国記念の日を祝えるようにしていこうと述べた。また、竹田会長は今秋、愛媛県で開催される国民体育大会と全国障害者スポーツ大会に言及し、「天皇皇后両陛下をはじめ皇族方が次々に来られる。県民挙げて盛大に送迎しよう」と呼びかけた。

 吉木さんは東京都出身で、慶応大学大学院修了。高校時代に過ごした米国での経験などから日本の神話に興味を持ち、神職の資格を取得した。現在は海上自衛隊幹部学校客員研究員で、歌手、佐久弥(さくや)レイとして古事記の魅力を伝える芸能活動もしている。 講演で吉木さんは「神話は世界のそれぞれの民族が大事にしており、それが民族のアイデンティティーです」と述べ、神話を誇りにし、大切にしなければならない理由を分かりやすく説明した。

「古事記は古代からの宝物です」

 神武天皇については「古事記でいうとちょうど中間あたり。神話と歴史がグラデーションになっている間に立っている人物です」と紹介。 その時代から現代まで日本人が変わっていないこととして、自然の一つ一つに神々を見いだしている▽大和言葉を使っている▽天皇という存在をいただいている-の3点を挙げ、「日本はおだやかにずっと続いてきた国」と述べた。各地にあった神話や信仰を「いいですよ。それぞれ大事にしてくださいね」と八紘一宇の精神で建国されたからだと説いた。

 また、戦後、神話が教育から排除され、軽んじられてきたことに対し、「ルーツを忘れては、日本人が日本人ではなくなってしまう。古事記は古代からの宝物です」と強調した。 愛媛県内ではこのほか、宇和島、今治、西条、四国中央、八幡浜などでも奉祝の催しが行われ、日本国の誕生日を祝った。

902NAME:2017/03/13(月) 02:54:51
外国人が日本で買うと損だと思ったもの
http://www.msn.com/ja-jp/money/personalfinance/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E8%B2%B7%E3%81%86%E3%81%A8%E6%90%8D%E3%81%A0%E3%81%A8%E6%80%9D%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE/ar-AAnZMAs#page=2

日本での買い物は、海外と比較するとどのような違いがあるのだろうか。外国人にとっては、自国で買った方が得だった……といった失敗もあるかもしれない。そこで、日本に在住する外国人20名に、自国で買うより損だと思ったものについて聞いてみた。

Q.日本で買い物していて、自国で買うより損だと思ったモノ・コトを教えてください。その理由は?

○食べ物

・「スイカやオレンジなどの果物。日本では高すぎます」(ギリシャ/30代後半/男性)
・「果物です。自国では誰でもkg単位で頻繁に買えるが、日本では信じられないほど高く、たまに1個くらいしか買えません」(ブラジル/40代前半/男性)
・「食品・果物・野菜」(キルギス/30代前半/女性)
・「ほとんどの毎日の食べ物(野菜・果物・肉)。ロシアより値段が高く、そこまでおいしいとも思えないので」(ロシア/30代前半/女性)
・「調味料や野菜。日本の値段が高いので」(モロッコ/30代前半/男性)
・「お肉やハム、チーズ。これはドイツの方が安いですね」(ドイツ/40代後半/女性)
・「真っ先に思い浮かぶのがハム類とチーズ。チーズはどのスーパーにもありますが値段が高すぎて使えません。ハム類は高い上に種類が少なすぎます」(イタリア/30代前半/男性)
・「蜂蜜やバニラ」(フランス/30代前半/女性)
・「食材。日本は食べ物が高い」(インド/30代後半/女性)

903NAME:2017/03/13(月) 02:55:23
○家電製品

・「家電商品。テレビや冷蔵庫はアメリカの方が安いだけではなく、より良い機能が付いている場合が多いです」(アメリカ/20代後半/男性)
・「家電製品は、消耗品のものは高品質じゃなくても良いので、もっと低価格のバリエーションを増やしてほしい」(韓国/30代前半/女性)

○衣類

・「スーツ」(ベトナム/30代前半/女性)
・「子供用の洋服。日本で売ってるものは輸入品が多く高い」(ポーランド/40代前半/女性)

○その他

・「スマホのケースなど、携帯電話関連のアクセサリー。種類が少ないし、値段が高い」(タイ/30代前半/女性)
・「サービス業(床屋やタクシーなど)。母国では労働賃金が日本より安いので、その分安い」(インドネシア/30代前半/男性)
・「トレーニング用品。同じ商品を自国で買った方が安いので」(台湾/20代後半/男性)
・「特になし」(ウクライナ/30代前半/男性)

○ほとんど損

・「すしなど、日本発祥のもの以外はほとんど高い。物件、食べ物、家電など。トルコと比べたら車のみ手頃な値段」(トルコ/30代後半/男性)
・「野菜や家賃。日本では物価が高いので、ほとんどのことは損だと感じます」(エジプト/30代前半/男性)

○総評

全体を通して、価格面や品質面から「自国で買うより損」だと指摘する声が多く寄せられた。内容をみると、多かったのは食べ物。具体的には果物や野菜、肉類、チーズといった食材をあげる声が目立った。
また、「家電製品」や「衣類」という人もいた。その他、携帯電話関連のアクセサリー、床屋やタクシーなどのサービス業といった様々な声があった。
一方、「ほとんど損」といった意見もみられ、「日本発祥のもの以外は高い」「日本は物価が高い」といったコメントが寄せられた。

調査時期: 2017年1月23日〜2017年2月28日 調査対象: 日本在住の外国人 調査数: 20人 調査方法: インターネット応募式アンケート

904NAME:2017/04/17(月) 23:08:52
棟方志功の版画、いつの間にかカラーコピーと入れ替わり 神奈川県、被害届の提出を検討
2017.4.17 21:43更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170417/afr1704170020-n1.html

神奈川県は17日、県が所有し、県民ホール(横浜市中区)の指定管理者「神奈川芸術文化財団」が保管している棟方志功作の版画、宇宙讃(神奈雅和の柵)=縦約50センチ、横約65センチ=を紛失したと発表した。カラーコピーのレプリカと入れ替わっており、県は「信頼を損ね申し訳ない」とした。 この作品は文化財に指定されていないが、県は「晩年の作品として貴重」として、窃盗容疑などでの被害届の提出を検討している。

 県と財団によると、平成26年に同県鎌倉市の県立近代美術館で展示。観覧者の指摘でコピーと判明した。その後、財団が捜索したが見つからなかったため、17日に県に報告した。 作品は県民ホールの緞帳(どんちょう)の原画として制作を依頼し昭和49年に300万円で購入、館長室に展示していた。コピーにすり替わった時期は分かっていない。

905NAME:2017/05/18(木) 23:52:29
日本にも韓国にもいるホームレス、でも両者には決定的な違いがあった! =中国メディア
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e3%82%82%e9%9f%93%e5%9b%bd%e3%81%ab%e3%82%82%e3%81%84%e3%82%8b%e3%83%9b%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%80%81%e3%81%a7%e3%82%82%e4%b8%a1%e8%80%85%e3%81%ab%e3%81%af%e6%b1%ba%e5%ae%9a%e7%9a%84%e3%81%aa%e9%81%95%e3%81%84%e3%81%8c%e3%81%82%e3%81%a3%e3%81%9f%ef%bc%81-%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-BBBdQPO?ocid=iehp#page=2

日本の駅や公園、川沿いなどを歩いていると見かけるホームレス。中国のネット上でもその暮らしぶりがしばしば話題になる。中国メディア・今日頭条は15日、韓国と日本にそれぞれいるホームレスの決定的な違いについて紹介する記事を掲載した。

 記事はまず、韓国のホームレスについて紹介。韓国では「露宿者」と呼ばれるホームレスたちは、ソウルなどの大都市にある公園や駅、広場などを生活の場としており、一般的に物乞いや市民からの救済を生活源にしていると紹介。

 「一日中喋ったり歩き回ったりし、道行く人からお金を恵んでもらって食品や酒を購入し、何人かで一緒に飲み食いする。酔ったらその場で寝転び、酔いが醒めて一文無しになればボーっとし、お金が手に入ればまた飲み食いする。中には家庭や子どもがいて、家庭生活を捨てて露宿者になるケースもある」と説明した。

 そのうえで、日本のホームレスについて説明。社会福祉制度の整った日本では、収入のないホームレスが生活保護を受けることも可能であるものの、ホームレスたちはいかに貧しい生活をしていても行政から支援を受けたがらないとした。また、韓国のホームレスのように道行く人に物乞いをすることもなく、主に日雇い労働や空き缶拾いなどによって生計を立てていると伝えている。

 記事が示した「決定的な違い」とはすなわち、他人から金品を恵んでもらって生活するか、あくまで他人に頼らず自活するかの違いなのだ。先日、ホームレスに道案内してもらった中国人がお礼を渡そうとしたところ受け取りを断られ、最終的にはホームレスが「そういうつもりで道案内したんじゃない」と不機嫌になったという話が中国のネット上に出現した。通行人に「お恵み」を求めないどころか嫌がるという光景は、至る所で物乞いを見かける中国の人びとにしてみればかなりの驚きなのかもしれない。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)

906NAME:2017/05/30(火) 21:22:24
80年前に日本が建てた大連駅、今なお朽ちぬデザインと技術に驚きを禁じ得ない=中国メディア
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%ef%bc%98%ef%bc%90%e5%b9%b4%e5%89%8d%e3%81%ab%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%8c%e5%bb%ba%e3%81%a6%e3%81%9f%e5%a4%a7%e9%80%a3%e9%a7%85%e3%80%81%e4%bb%8a%e3%81%aa%e3%81%8a%e6%9c%bd%e3%81%a1%e3%81%ac%e3%83%87%e3%82%b6%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%81%a8%e6%8a%80%e8%a1%93%e3%81%ab%e9%a9%9a%e3%81%8d%e3%82%92%e7%a6%81%e3%81%98%e5%be%97%e3%81%aa%e3%81%84%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-BBBChXH?ocid=iehp#page=2

中国東北部を代表する都市の1つである遼寧省大連市には、かつてここが日本に占領されていたことを伺わせる建物が多く残っている。その1つが、市内の交通の要である大連駅だ。中国メディア・今日頭条は27日、1930年代にはアジア最大の鉄道駅だったとして大連駅を紹介する記事を掲載した。

 記事は「夢に満ちた都市・大連には至るところに輝かしい光を放つシンボルが存在するが、特に大連駅はかつてアジア最大の駅であったとともに、東北部で最も影響力と人気のあるスポットなのである」と紹介。そして、アジア最大と言われた駅舎が日本占領時代の1937年に完成したことを伝えた。

 完成当時の大連駅の様子を撮影した写真が記事で何枚か紹介されている。広々とした空間に立つ駅舎は1階、2階にそれぞれ出入口があり、2階にも自動車が乗りつけられるようになっている。駅というイメージよりも、空港のターミナルのような印象だ。そしてこの駅舎は、その後手が加えられたものの、80年が経過した現在もしっかりと残され、利用されているのである。

 大連駅の駅舎の歴史について知った中国のネットユーザーからは「小日本は当時自分の家として真剣に大連の街を作った。結局それがわれわれに良い物を残す結果となった」、「1930年代にこんなデザインというのは前衛的だ」、「今見ても古臭くない」、「1930年代にこんな進んだ高架構造をデザインしたことは賞賛に値する」といったコメントが寄せられた。また「80年代に作ったものだと思い込んでいたが、後で知って驚愕した」とするユーザーもいた。

 日本による統治に対する政治的な面での評価は別の議論として、大連でかつて日本が作った建物やインフラが今もそのまま使われている理由の1つには、その構造がしっかりしていて丈夫という点があるのかもしれない。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(C)ziggymars/123RF)

907NAME:2017/06/05(月) 21:49:35
実は知られていない超親日国の数々。あの国と日本の「ちょっといい絆」物語
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%ae%9f%e3%81%af%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%aa%e3%81%84%e8%b6%85%e8%a6%aa%e6%97%a5%e5%9b%bd%e3%81%ae%e6%95%b0%e3%80%85%e3%80%82%e3%81%82%e3%81%ae%e5%9b%bd%e3%81%a8%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e3%80%8c%e3%81%a1%e3%82%87%e3%81%a3%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%84%e7%b5%86%e3%80%8d%e7%89%a9%e8%aa%9e/ar-BBC0geE?ocid=iehp

人に好き嫌いがあるように、国同士にも好き嫌いがあります。各種調査によると、日本に対して好意を寄せてくれている国のほうが圧倒的に多いのが実情です。その理由は、日本が戦後一貫して築いてきた平和国家のイメージや、世界をリードする経済とテクノロジー、伝統文化やサブカル、さらには国民性といったものが、世界の人々に好ましく思われているからだと思われます。

しかし、そういった一般的なイメージによる「親日」とは別に、ある特別な理由によって、「日本が大好き!」になった国も多く存在します。これらの国々が「超親日国」になった〝きっかけ〟を探れば、歴史に埋もれた秘話や感動の逸話、意外な人物の奮闘など、多くの興味深いストーリーが介在していることがわかります。ここではいくつかの「あの国」と日本の〝絆の物語〟を紹介していきます。

■ポーランド……窮地を救ってくれた日本への70年越しの「恩返し」

ポーランドが日本びいきになったのは、20世紀前半に日本がたびたびポーランドを援助していたからだと考えられている。当時、帝政ロシアの圧政に苦しんでいたポーランドは、日露戦争で小さな日本が超大国ロシアにまさかの勝利をし、歓喜に沸いたという。そして1914年、第一次世界大戦時、ポーランドは、ロシア軍とドイツ軍の主戦場となってしまい、多数のポーランド人がシベリアへと逃げていった。その数20万人。だが彼らはシベリアの荒野で餓死、凍死、病死と、次々に命を落としていく。挙兵したポーランド人もいたが、ロシア軍にはまったく歯が立たず、窮地に陥っていた。

そのとき、救いの手を差し伸べたのが日本人。ロシア軍に追い詰められたポーランド人部隊を救助し、シベリアから祖国へ送り届けた。そしてまた、多くのポーランド人の孤児を保護して日本へ。そして祖国へ送り返す。祖国へ帰国する際、孤児たちは船の上から「アリガト」と、日本との別れを惜しんだ。70年後、ポーランドは、その恩を忘れず、阪神淡路大震災で被災した60人の日本の子どもたちをポーランドに招待して慰めてくれたのだった……。

■イラン……国の救世主となった「日章丸」のドラマ

イランは、原油の確認埋蔵量が世界4位という資源大国。第二次大戦前はイギリスの半植民地のような状態だった。ところが、1951年、イランが自国の石油を国有化したことで、イギリスが激怒し、ペルシャ湾に艦隊を派遣し、海上封鎖に打って出て、イランの石油は国際市場から閉め出されてしまう。その結果、どの国もイランの石油を買わなくなり、石油輸出に依存するイランは国家存亡の危機に陥る。そのとき、果敢にもイランの石油買い付けに乗りだしたのが、日本の出光興産だ。社長の出光左三は、かねてよりイギリスから搾取されつづけていたイランに同情的だったのだ。

イギリスの目をかいくぐってタンカー「日章丸」がイランに到着。「日章丸」は、まさにイランの「救国の船」になった! この一件により、イランに「超親日国」の土台が築かれたのである。

908NAME:2017/06/05(月) 21:50:44
■トルコ……「エルトゥールル号」事故に端を発した両国の友好関係

明治23年、トルコ(オスマン帝国)の軍艦が日本を表敬訪問した際、和歌山県沖で台風に遭遇し難破。沈没してしまったのである。乗員の安否は絶望的と思われたが、地元串本の人々は、必死で人名救護にあたり、運よく島に流れ着いたトルコ人に浴衣を着せたり、食料を分け与えたりし、生存者を手厚くもてなした。結果69名の命が救われたのである。その後、トルコの教科書にエルトゥールル号事件が掲載されたこともあり、トルコの人々は親日感情を深めていく。

ときはたち、昭和60年、今度はトルコが日本の窮地を救ってくれることに。イラン・イラク戦争が勃発し、中東情勢は緊迫の度を増していた。そうした中、イラクのフセイン大統領が「イランの上空を飛ぶ飛行機を撃ち落とす」と世界に向けて宣言したのである。攻撃まで残された時間は48時間。各国とも、自国民の帰還・保護に努めたが、日本は航空機を確保できず、イラン在住の日本人たちが取り残されてしまった……。このとき、彼らを救出するために、自らの危険を顧みず救援機を飛ばしてくれたのがトルコだったのである! トルコ人は「エルトゥールル号の遭難で日本人に受けた恩は忘れていません」と語るという……。

■インド……大正時代から独立運動に関わった日本との強い絆

イギリスからの独立を画策するインドのビハリ・ボーズは、大正3年に日本へ亡命。パン屋「新宿中村屋」に匿われる(その際、ボーズが伝授したのが、中村屋名物「インド・カリー」)。その後も日本は、インドの独立に関わり続ける。そして、敗戦後の「東京裁判」では、インドのパール判事はただ一人、日本人被告全員の無罪を主張……。

■フィンランド……独立を後押しし、領土問題も解決した日本人

フィンランドも日露戦争で日本びいきに。日本はまた、フィンランドのロシアからの独立を後押しし、経済援助や武器供与も行った。さらにスウェーデンとの間に領土紛争が起きると、国際連盟の事務次官だった新渡戸稲造がこの領土問題を「大岡裁き」でスッキリ解決し、フィンランドは超親日国に!

【関連書籍】『「あの国」はなぜ、日本が好きなのか』(三笠書房)

909NAME:2017/06/16(金) 21:43:53
全10ヵ国!世界中の親日国とその理由を調べてみた
http://www.huffingtonpost.jp/tabipponet/projapanese-countries_b_8382328.html

台湾
戦時中は日本に統治されていた台湾では、教育の制度改革や烏山頭ダムの開発をはじめとしたインフラ整備に対して評価をし、親日国と言われています。
トルコ
1890年に起きた戦艦エルトゥールル号の遭難を日本人が救助し、生き残った乗組員を日本海軍がトルコまで送り届けたことがきっかけで親日国になったと言われています。
モンゴル
朝青龍や白鳳などモンゴル出身の力士が活躍していることと、日本からのODAで発展を遂げたことが影響しています。
ポーランド
第一次世界大戦後、ロシアに残留したポーランド人の孤児を救済したことが日本に友好的なきっかけとなりました。
マケドニア
1963年にマケドニアの首都で起きた大地震の復興を支えたのが、故・丹下健三氏を中心とする日本チームです。学校で習うこともあり、親日家となったマケドニア人が多い。
アルゼンチン・ブラジル
明治時代に移民として両国に渡った日本人が献身的に働き、発展に貢献したため対日感情が良好だと言われています。
フィンランド
フィンランドとスウェーデンの間で起こったオーランド諸島についての領有権争いを日本人の新渡戸稲造が解決したため、親日だと言われています。
パキスタン
1950年代、パキスタンは特産の綿花を日本に輸出していて、当時の日本の主力産業であった紡績業に大きく貢献していました。日本のビジネスマンもパキスタンを頻繁に訪れ、パキスタンの発展に大きく貢献したため、親日国となっています。
インドネシア
インドネシア独立戦争の際に、元日本軍の3000名が共に戦ったため多くの国民が親日です。スカルノ元大統領がデヴィ夫人を迎え入れたのも、日本への憧れがあったからと言われています。

910NAME:2017/06/16(金) 23:56:07
【親日家】日本好きな外国人・海外芸能人・有名人・セレブのエピソードまとめ
https://matome.naver.jp/odai/2136799701315380001
震災の際、海外アーティストが次々と来日を中止する中、誰よりも早く来日したガガ様。震災を知ってからすぐに復興支援のリストバンドを発売し、その売り上げ金200万ドル(1億6000万円)にポケットマネーの1億5000万円を加えた総額3億以上を寄付する

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4157932.html

世界の親日国と反日国
http://kyoan.u-biq.org/enq_shinnichi.html

911NAME:2017/06/16(金) 23:58:57
世界の親日国について考察するスレ
2012年04月02日15:30
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4157932.html
台湾・インドネシア・パラオ・トルコ・ブータンは、
ほぼ親日国確定だと思うけど
他に親日の国ってありますか?

912NAME:2017/06/18(日) 10:18:20
これが日本なんだ!「ケータイを紛失したけど、やっぱり無事見つかった」=中国報道
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%81%93%e3%82%8c%e3%81%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a0%ef%bc%81%e3%80%8c%e3%82%b1%e3%83%bc%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%82%92%e7%b4%9b%e5%a4%b1%e3%81%97%e3%81%9f%e3%81%91%e3%81%a9%e3%80%81%e3%82%84%e3%81%a3%e3%81%b1%e3%82%8a%e7%84%a1%e4%ba%8b%e8%a6%8b%e3%81%a4%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%8d%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%a0%b1%e9%81%93/ar-BBCLSQd?ocid=iehp#page=2

警視庁によれば、2016年に東京都内で遺失物として警察に届けられた現金は前年比7.3%増の約36億7000万円に達した。これだけのお金が落とし物として警察に届けられたというのは驚きであり、拾ったお金をネコババせず警察に届けるという正直な人がそれだけ多いということだ。この金額は東京都内だけのケースだが、「落し物」を警察に届けるというのは多くの日本人が取る正しい行動だ。 日本では落し物をしても無事発見される可能性が高いということは中国でも広く知られているが、日本滞在中の中国人がこの事実を改めて立証したようだ。中国メディアの今日頭条は16日、日本で携帯電話を紛失してしまったという中国人の手記を掲載し、「携帯電話がすぐに見つかった」と伝えている。

 この中国人は京都滞在中に携帯電話を紛失してしまったという。今や携帯電話は個人情報がたくさん入っており、この中国人もたくさんの思い出を写した写真がデータとして入っていたようだ。 大事な携帯電話を紛失したことに落胆しつつも、宿泊先のスタッフの協力のもと訪れた店に一軒一軒、携帯電話が落ちていなかったかを電話で確認したという。だが、店側からの回答はいずれも「見当たらない」というものだったそうで、改めて気落ちしながら警察に届け出ることにしたという。

 警察署を訪れてみると、非常に優しい女性が対応してくれたそうだ。日本語ができる友人の助けを得て、携帯電話を紛失したことを届け出たというが、その後、中国人が移動の際に利用した駅に電話して見たところ、何と駅に携帯電話が落し物として届けられていたそうだ。その後、紛失した携帯電話は無事にこの中国人の手元に戻ったようで、詳しい経緯は記載されていないが「最高に嬉しい」と綴っている。 「日本では落し物をしても無事発見される可能性が高い」ことを綴った当記事には、中国人ネットユーザーから多くのコメントが寄せられている。「やっぱり日本は日本だった。日本では落し物をしたからといって落胆する必要がないんだ」、「自分が聞いた話では、日本では物を落としても、落とした場所に戻ると物がそのままそこにあるらしい」、「これが日本なんだよな。日本が先進国になったのも分かる気がする」など、落し物が無事に手元に戻ってくる日本社会を称賛する声が多く見られた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

913NAME:2017/06/29(木) 21:22:38
日本は中国から「3つの宝」を手に入れたからこそ、強くなれたのだ=中国メディア
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%af%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%8b%e3%82%89%e3%80%8c%ef%bc%93%e3%81%a4%e3%81%ae%e5%ae%9d%e3%80%8d%e3%82%92%e6%89%8b%e3%81%ab%e5%85%a5%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%93%e3%81%9d%e3%80%81%e5%bc%b7%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%a0%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-BBDntdR?ocid=iehp#page=2

近代、日本は文明開化、富国強兵をスローガンに、欧米列強と肩を並べるほどの国力を身に着けた。一方中国大陸は清朝が世界の情勢を見誤り、列強に蹂躙される苦難の時期を迎えることになった。中国メディア・今日頭条は27日、「中国から3つの宝を得られなかったら、日本は強くなっていなかった」とする記事を掲載した。 記事は、近代に日本が弱国から資本主義の列強国になった原因についての論争が現在に至るまで絶えず行われているとしたうえで、日本の著名な東洋史専門家である内藤湖南氏が「中国からもたらされた3つの宝を得たことで、日本は強くなれた」と論じていることを紹介している。

 1つ目の宝は、魏源が記した「海国図志」だとした。この書籍は幕末の日本の志士に大きな影響を与え、明治維新へと導く流れを作ったと説明。一方で「皮肉なことに、当時の清朝政府はこの本を知りながら重要視しなかったのである」と伝えた。

 2つ目は、中国の儒家思想だ。記事は「日本人は儒家文化の忠君愛国思想によって日本人の精神を強化し、本土の武士道文化と組み合わせることで国の結束力を高めた。同時に、儒家文化から中庸の意味を知り、明治維新において西洋化を進める一方で伝統文化の保存にも努めた」と解説している。

 そして3つ目は「先進のものを学ぶ精神」としている。白村江の戦いで唐軍に打ちのめされた日本人は唐に学ぶことを決意し、その数百年後に朝鮮で明朝に打ち負かされた時にも、明朝から学ぶ姿勢を見せたと紹介。この経験が日本人に外から学ぶこと、強者に学ぶことの大切さを知らしめ、この学びを通じて自らを大きく成長させることに成功したのだと説明した。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)

914NAME:2017/08/20(日) 23:00:42
男たちが見た小池百合子という女 #1
小沢一郎、細川護煕、守屋元次官ら12人の証言
source : 文藝春秋 2017年8月号 genre : ニュース, 政治, メディア
http://bunshun.jp/articles/-/3802

小池百合子とは何者なのか。 カイロ大留学を経て、キャスターとして颯爽とテレビ画面にデビュー。1992年には新党旋風の中で政界入りを果たす。その後、いくつかの政党を渡り歩くが、彼女の周囲には、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎ら、常に権力者の姿があった。「男たち」の証言から、女性初の都知事の素顔に迫る。 出典:「文藝春秋」2017年8月号(全3回)(文中一部敬称略)

駅前のロータリーは歩道橋の上まで埋め尽くされていたが、彼女のイメージカラーである緑色のものを身に着けた人は、ほとんど見受けられなかった。 選挙カーの上では候補者の横で黄緑色のジャケットを着た小池百合子都知事が、よどみなく話し続けていた。私の前にいた初老の男性が、「うまいねえ。大したもんだ」と隣の女性に語りかけるのを耳にしたが、その口調には、どこか茶の間でテレビを見ながら論評しているような空虚さが感じられた。

 選挙カーの上から彼女は観客を巻き込もうと問いかけるように話すのだが拍手はまばらだった。 昨夏の都知事選では緑色の服をまとった、あるいは緑のハンカチやキュウリやニガウリを握りしめた群衆が殺到し、小池の演説に熱狂して、さかんに共感の拍手を送り、さながら野外劇場の観があったものだが。「小池百合子の前半生を描いて欲しい」と月刊誌『新潮45』から依頼があり、寄稿したのは昨年暮れのこと。以来、私はずっと「戸惑い」を感じながら、今に至っている。 彼女は非常に発信能力の長けた人で著作も多い。また、マスコミ好きでテレビや雑誌上のインタビューにも積極的に応じ、自分を多弁に語ってきた人である。だが、その彼女の「語り」をどこまで信じていいのか。

 例えば彼女はカイロ大学を「首席で卒業した」と語っているのだが、アラブ語を学んだことのない留学生がカイロ大学を首席で卒業できるとは、私にはどうしても考えられない。 また、その主張や行動には一貫性が見出せず、彼女が何を思い、何を求めて生きているのかが理解できない。彼女はアジアとの協調路線を謳った日本新党の出身で強烈な「自民党批判」で世に出た人である。ところが自民党に移ると、タカ派的な発言を繰り返すようになる。リベラル層を取り込んで東京都知事になったが、彼女は本当に「リベラル」な考え方の持ち主なのか。

 細川護熙、小沢一郎、小泉純一郎と、政治信条もタイプもまったく異なる実力者の傍らに常にポジションを得て、口の悪い人々からは「権力と寝る女」、「渡り鳥」と揶揄されながらも政界を泳ぎ切った女性である。 そして彼女は今、権力者の傍らから離れて、自らの手で地位を掴み、さらには政党まで作ってしまったのだった。 一体、小池百合子とは何者なのか。彼女の「語り」に耳を傾けるだけでは決して実像は見えてこない。ならば、小池と関わりのあった他者たちは、彼女をどう語るのか。そこには本人の「語り」とはまた別の物語が見出せるはずである。

「やります」と即断

 エジプトの首都カイロで大学を卒業し、通訳兼ガイドをしていた小池は日本テレビの幹部と現地で知り合い、それが縁となって「竹村健一の世相講談」のアシスタントに選ばれる。その後、テレビ東京が夜の経済情報番組「ワールドビジネスサテライト」を立ち上げるにあたり、初代キャスターとして引き抜かれるのは、ちょうど昭和が終わろうという時期であった。小池の起用を決めたのは日経新聞出身で、当時はテレビ東京取締役報道局長の立場にあった池内正人。「あるパーティーの席で偶然、一緒になってね、『やってみる気あるか』と聞いたら、『やります』と即断即決だった。彼女は芸能プロダクションに所属していなかったから本人の意思で決められたんだ」

次のページ「最初は陣笠でも、それで終わるつもりはありません」

915NAME:2017/08/20(日) 23:02:06
華やかな容姿と頭の回転の速さ。加えて努力家で根性もあった。番組は軌道に乗った。ところが4年後の1992年、細川護熙が新党を立ち上げ、彼女を政界へと勧誘した。「立派なニュースキャスターになれば、よっぽど社会に影響力を持てる。政治家になったって、どうせ陣笠どまりだ。つまらないじゃないかって引き留めたんだけれどね、彼女はポロポロ泣きながら、『最初は陣笠でも、それで終わるつもりはありません』と言ってね。そういえば話し合いの後、彼女が化粧室に行ったんだけど戻ってきたら、さっきまで泣いていたとは思えない晴れやかな顔をしていたので、あれって思った」

92年、40歳での決断だった。彼女はおそらく自分の年齢を意識していたのだろう。いくら持てはやされていても、テレビの世界で女性は長く活躍できない。容姿が衰えれば若い女性にとって代わられる。自分をもっと有益に生かし得る、第2ステージとして政界を選んだのだろう。永田町ならば、まだ女の寿命は長い。直後の参議院選で当選。党首の細川護熙とは美男美女の組み合わせで日本新党の広告塔となった。細川が語る。 「私が新党を立ち上げようとしたとき、周りにいたのは地味な年配の男性たちばかりでした。花がないと指摘され、小池さんをお迎えするよう助言されたんです」

 余談めくが、この頃の小池の最大の武器は、知名度とミニスカートだった。本人自身が「ミニスカートとハイヒールで戦います」と宣言し、選挙期間中も当選後もずっとミニスカートで通した。彼女が選挙カーの梯子を登る時、カメラマンたちが殺到したが、嫌な顔も見せなかった。ファッションを重視し、自分の容姿を最大限に生かそうとする。どうすればマスコミが注目するか、骨の髄からわかっていたのだろう。何を着るか、髪型をどうするか、口紅の色に至るまで細心の注意を払った。それは彼女の最大の関心事であると同時に、有権者の関心事でもあると理解していたのだろう。

 細川が内閣総理大臣となる中、彼女が党内で担当したのは広報と候補者の選定だった。細川が続ける。 「発想が自由で独特でした。例えば、ポスター用に『政治家、総とっかえ』なんていうキャッチフレーズを思いつく。私に記者会見でプロンプターを使うように勧めてくれたのも彼女でした。候補者の選定でも、テキパキと指揮を執ってくれた。一方、政策面には、そんなにコミットしていなかったかもしれません。そこは主として新聞記者や学者に手伝ってもらっていましたので」

表情を作って話をする

 政策の中身よりも、話し方やネクタイの趣味のほうがテレビを見る有権者の心を掴む。この頃から、テレビが政治を左右する傾向が強くなっていた。見た目や、ワンフレーズの受け答えが重視される。平成時代に入って政治そのものがファッション化していった。小池は時代の申し子だったのかもしれない。 「テレビの影響で政治家のあり方が変わり、テレビにうまく対応できる人が政治家として売れていくという時代になった。小池さんもその中から出てきた人、というか、彼女はテレビの中から生まれ、その先頭にいた人でしょう」

 そう指摘するのは、日本新党に合流した元社民連代表の江田五月だ。

「小池さんは日本新党のフレッシュなイメージを象徴する役割を担わされていたから、見られる、ということに過剰になってしまったのかもしれない。今でも、すごく表情をつくって話をする。ああ、小池さんだな、と思う」

916NAME:2017/08/20(日) 23:02:54
次のページやくざ世界でいえば、「姐さん」のようなポジション

細川政権は7党1会派からなる連立政権だったため始終、政策をすり合わせる必要があった。だが、そういった場に小池がいることはなかった。表向きは日本新党の顔だが、任されたのは候補者選びと広報、マスコミ対策に限られていたからだ。 絶大な人気を博したものの、細川政権は短命に終わる。彼女にとって最大の庇護者だった細川が首相辞任を表明すると、その行動は素早かった。日本新党に所属していた遠藤利明元2020年東京オリンピック・パラリンピック大臣が語る。「細川さんが辞めると言い出した時、彼女は自分が代わりに党首になるか、もしくは日本新党を解党し新しい政党をつくり自分が党首になるかで悩んでいました。その頃からトップに立ちたいという意欲はあったんだよね」

一方、江田の証言は、少し異なる。

「細川さんの輝きが失われて、ぐらつき始めた時、彼女はもう連立を組む新生党の小沢一郎さんに近づいていた。機を見るに敏だなあ、と感じた記憶があります」 自分がトップに立つか、小沢の元に参じるかで悩み後者を選んだ、ということのようだ。

 細川が辞任した94年の暮には、日本新党、公明党の一部、小沢が率いる新生党ほかが合併して海部俊樹を党首に新進党が誕生。横浜アリーナで客席を一枚布が蔽う華やかな党大会が催され話題をさらった。この時、江田は大会招集委員長を務め、その後、広報企画委員長を担当。小池は広報企画委員長代理だった。江田は続ける。「小池さんは演出や広報は確かにうまい。ただ、それは表面的なことなんですよね。環境大臣時代に『クールビズ』というのを打ち出しましたが、なぜ環境が大切なのか、そういった信念みたいなものは伝わってこない」

 新進党は200人を超える大野党として好スタートを切ったものの羽田孜と小沢一郎の対立が深刻化し、やがて内紛となる。江田や細川は羽田につき、小池は小沢についた。新進党の解党後は、小沢とともに自由党に参加。 この時、行動をともにした同僚に西村眞吾がいる。新進党、自由党で一緒に過ごした西村は「やくざ世界でいえば、『姐さん』のようなポジション」だったと小池を語る。「トップと近い。彼女は常にそう見られるように振舞っていた。男にはできないよ。常に脚光を浴びる人物の隣に陣取る。だいたい、街宣車の上で小泉純一郎のネクタイ、男が直しても様にならんわな。

 例えば小沢さんと飯を食う。そうすると彼女は必ず小沢さんの隣に座る。俺は党首だから『小沢先生』と呼ぶ。彼女は『小沢さん』と呼ぶ。傍から見たら、俺より上、というふうに映るわな。昔、耳かき専門の坊さんがおった。秀吉の時代。坊さんが秀吉の耳かきをする。耳かきしながら、何かしゃべってるように見せかける。実際はしゃべってへんのやけれど。すると周りの大名たちには、坊さんが何かささやいているように見える。で、その坊さんのところには大名から付け届けがたくさん届く。政界にはそういう人間が多い。

 最近の小池百合子を見ていて、よく思い出すのは管野スガ。大逆事件で女性で唯一死刑囚になった人や。このスガは死刑になるとき、他の男たちと違うて、まったく取り乱さなかったそうやね。俺の大学の先生が、この話をしてくれて、こう言うた。『女はな、アバズレほど度胸が据わってるもんや』。あと、朴槿恵にも似てる。孤独な感じが。目が笑うてない。拉致被害者の議連でも一緒やったけれど、テレビカメラが入ると、必ず映り込む。あれは本能やと思った」

 権力者の傍らにいること、トップと近しいと周囲に思わせること、マスコミに登場し知名度を保ち続けること。そのためにはどうしたらいいのか。彼女の関心は、常にそこにあったのか。だからこそ、政策や信念は周囲の状況に合わせてぶれていくのだろうか。西村は続けた。「コロッと自説を変えてしまうことがあった。例えば、在日外国人参政権、俺も小池も反対してた。ところが、小沢さんが賛成となったら、小池もそっち側に回っていた」

917NAME:2017/08/20(日) 23:04:12
男たちが見た小池百合子という女 #2
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%94%b7%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%8c%e8%a6%8b%e3%81%9f%e5%b0%8f%e6%b1%a0%e7%99%be%e5%90%88%e5%ad%90%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e5%a5%b3-supernumber2/ar-AAqmwSu#page=2

小池百合子とは何者なのか。

 カイロ大留学を経て、キャスターとして颯爽とテレビ画面にデビュー。1992年には新党旋風の中で政界入りを果たす。その後、いくつかの政党を渡り歩くが、彼女の周囲には、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎ら、常に権力者の姿があった。「男たち」の証言から、女性初の都知事の素顔に迫る。(#1から続く)出典:「文藝春秋」2017年8月号(全3回)(文中一部敬称略)

 権力者への徹底的な忠誠。しかし、それすらもある日、突然変わってしまう。小沢一郎の側近中の側近、自由党時代には参議院議員も務めた「小沢の懐刀」平野貞夫が振り返る。「自由党は自民党と連立しましたが、連立を続けるべきか、あるいは袂を分かつべきかで、党内の意見が分かれた。小池さんも僕も、リベラルな保守政党として、自民党とは一緒にならずにやるべきだと思っていた。小池さんは『自民党に合流しないで踏ん張りましょうよ』と言ってね。小沢も感激していた。ところが、そんな小池さんに公明党を通じて自民党が『応援するから自由党を出ろ』と揺さぶりをかけてきた。でも、小池さんを信じていたから小沢は特に対策はしなかったんです」

 自民党なんかとくっついてはダメだと主張する急先鋒だった小池が、離反するとは考えられなかったと平野はいう。「でも、いよいよ小池さんが怪しい、抜けそうだと情報が入ったので、私は小沢に、『小池さんに電話して残るように説得してくれ』と頼んだ。それで小沢が小池さんに連絡をして、『自由党で比例第1位にするから残ってくれ』と引き留めたんです。ところが、その時、小池さんがなんて言ったか。『比例1位といっても自由党から当選者が出ると思ってるんですか』って。どうして、そんなに薄情なことが言えるのか。愕然とした」

 小池は細川のもとを離れた時と同じように、主(あるじ)であった小沢から離反した理由を、さかんにマスコミに吹聴した。小沢の政治手法に疑問を感じたからだ、と。平野はいう。「直前まで小沢にあれだけ迎合していたのだから、それは言い訳になっていないと思う」 小池は保守党を経由して、予定どおり自民党入りを果たす。2002年、政治家になって11年目のことだった。「自民党を変えるには中に入って変えるのが一番だと気づいたからだ」と、彼女は語っている。

918NAME:2017/08/20(日) 23:04:46
郵政選挙の刺客第1号に

 永田町も一定数は女性を起用しなければ、世論の反発を招くと意識するようになっていた。女性議員であり、ある程度のキャリアを持ち、広報宣伝に長け、マスコミ受けする小池は、他党に置いておくよりも、引き入れて仲間にしたほうが得と自民党は判断したのだろう。 彼女にとって幸いしたのは、総裁が「自民党をぶっ壊す」が口癖の小泉純一郎だったことだ。翌年、小泉内閣でいきなり環境大臣に抜擢される。小泉ならではの「サプライズ人事」。当選回数や派閥でポストを割り振るそれまでの自民党内のルールを無視したやり方で、党内に総裁の力を見せつける効果があった。この時から、小泉と小池の間に「共犯関係」が生まれる。小泉政権の申し子として、小池は先回りして小泉の意を汲むようになるが、その最たる例がくだんの郵政選挙であったろう。

 小泉は郵政民営化法案に反対する自民党議員の選挙区に、それぞれ「刺客」を送り込む。この時、真っ先に手をあげて自ら刺客第1号になると宣言したのが小池だった。 小池は自民党の実力者、小林興起のいる東京10区に降り立った。小林らには「抵抗勢力」というレッテルが張られ、連日、ワイドショーは小林と小池の対立構造を報道し続けた。小林が悔しさをにじませ、当時を振り返る。「郵政民営化は、アメリカが要請したこと。心ある日本の政治家なら反対するのが当たり前です。日本の富をアメリカに叩き売るという法案なんだから。小泉さんは自分の権力を保持するために、アメリカにすり寄った。それにしても、あんなに凄まじい印象操作がされるなんて思ってもいなかった。クリーンな小泉さんに、かわいい小池さんが賛同して一緒にやっつけるっていう図にされてしまった」

総裁に楯突くのだから干されることは覚悟していた。しかし、まさか刺客を送り込まれ落選した上に、除名処分を下されるとまでは思っていなかったという。 「政治家になるために通産省に入った。通産省に入るために東大法学部に行った。そのために日比谷高校に行った。小学生の時、父が政治家という職業があることを教えてくれたんです。でも、うちには、何もないから学問をして政治家になれと。小池さんは小泉さんに気に入られて、すぐに環境大臣になった。でも、それだけでは満足しないで大臣なのに自分の選挙区をあっさり捨てて、刺客に立候補した。どうしてそこまで小泉さんにゴマをすったのか。選挙の時も『私は環境大臣で忙しくて、郵政民営化なんて勉強するヒマはなかった』と堂々と言っていた。それなら、なぜ手をあげてまで刺客になるのか。それは主義主張がないからで、ただの遊泳術だ」 キャスター時代に培った、ワンフレーズの受け答え。魅力的な表情の作り方、よどみのない話し方。政局がテレビを通じて茶の間に提供される。メディアと彼女が組んだ時、その力は絶大なものとなる。

919NAME:2017/08/20(日) 23:05:34
発端は沖縄の基地問題

 自民党の閣僚となった小池とメディアが組んだ結果、その後半生を大きく狂わされた人物がもうひとりいる。防衛省の大物事務次官として知られた守屋武昌だ。第1次安倍内閣で久間章生大臣が失言により更迭されると、小泉元首相の意向で後任に小池が指名される。着任時に職員が新大臣に手渡す花束に「百合の花を入れろ」というのが、小池から下された最初の注文だった。 彼女は着任するとすぐに、守屋事務次官とバトルをはじめ、その模様をマスコミは郵政選挙の時と同じように煽った。守屋は事務次官の座を追われ、同時に小池も自ら防衛大臣の座を2カ月にも満たずに降りている。一体、何があったのか。 当時、マスコミには本質が伝えられなかったが、沖縄の基地移転問題に端を発していたと、守屋武昌元事務次官は今、口にする。

「小池さんは防衛大臣になる前、小泉政権下、環境大臣と兼務で沖縄及び北方対策担当大臣をしていた。その時から、沖縄問題に大きく関与してきた。小池さんには沖縄基地問題を解決して名を挙げたい、という強烈な欲が感じられました。また、沖縄財界の一部の人たちと繋がっていて、そこで聞かされる話を鵜呑みにしていた。 小池さんは『あなたたちが主張しているV字型滑走路案はやめて、辺野古の沖合を埋め立てる案にしたほうがいい。沖縄の財界もそれを望んでいる』と言いました。環境大臣をやっていた人が海を埋め立てればいいと簡単に言うのが不思議でした。V字型滑走路案というのは米軍基地内を中心に滑走路を作るという案で、これならサンゴ礁への影響を最小限にできる。一方、沖合埋立案は、環境を破壊します。環境派を敵に回すわけにはいかない。しかし、埋立案のほうが公共事業としては、地元の業者を潤すことになるので、沖縄財界は盛んに揺さぶりをかけていたんです。こういった複雑な事情を小池さんは、十分に理解していなかった。国防に対する知識は、それまでの歴代の大臣と比べて失礼ですが低かった」

 ふたりの対立は、はた目にも明らかだった。小池は露骨に守屋を遠ざけ、守屋の部下である警察庁出身の西川徹矢官房長に接近する。そんな中で突然、毎日新聞に「守屋退任へ、後任は西川」の記事が出た。守屋は何も知らされておらず、報道を見て愕然とする。なぜ、事前に伝えてくれなかったのかと小池に抗議すると、「前日の電話に出なかった、あなたが悪い」と言われ、同時にマスコミに対しては「事務次官に電話がつながらないのは、危機管理上も問題だと思う」と吹聴された。守屋は言う。

「私を外したい、ということなら、私に直接、昼間に役所で言ってくれればいい。その機会はいくらでもありました。なぜ、陰でこそこそとやるのか。こういうやり方は組織を壊します。小池さんからの電話は夜中の12時過ぎ。私の携帯電話に1回だけ、しかもワンギリです。私は就寝していて気づきませんでした。大事な電話なら、2度、3度とかけるのではないでしょうか。マスコミには事実を曲げてお話しになる。出られないようなかけ方をして、出なかった、けしからん首だ、というのは、何十年も役所に勤めあげた公務員に対してやることでしょうか。

 そもそも事務次官の後任人事は、事務方にも相談し官邸を通して決めることです。小池さんは自分の決めた人事案を、親しい新聞記者に自らリークした。既成事実化し、外堀を埋めてしまえば、それが現実になるという考え方は無謀です。新聞記事が出た日の午後、小池さんはアメリカへ向かいました。『私なら基地問題をライス国務長官と女同士、英語で話せば説得できる』と単純に思っておられたようですが、まったくライスには相手にされなかった」

920NAME:2017/09/01(金) 11:15:26
【北ミサイル】
「迅速で正確な日本の対応」「韓国の対応は悲しくなる」「3時間迷った」 韓国メディア、日本称賛の一方で韓国政府に批判集中
2017.8.30 21:42更新
http://www.sankei.com/world/news/170830/wor1708300041-n1.html

【ソウル=名村隆寛】北朝鮮が29日に発射した弾道ミサイルへの日本政府の対処に、韓国メディアは「迅速で正確な対応」(主要各紙)と評価する一方、韓国政府の対応には「3時間も迷った」(東亜日報)といった批判が集中している。 韓国各紙が日本政府の対応でとくに注目したのは、ミサイル発射を受けて発令された全国瞬時警報システム(Jアラート)による迅速な情報発信だ。「韓国軍の自国メディアへの文字メッセージ伝達よりも日本は8分も早かった」(朝鮮日報など)と、その素早さを肯定的に伝えた。

 また、日本政府の対応にも関心が集中。安倍晋三首相が通常より2時間早く出勤し国家安全保障会議(NSC)を招集したことや、首相自らのメディア対応、菅義偉官房長官による緊急記者会見などを取り上げている。 日本の迅速さと比較された韓国政府への評価は酷評一色だ。「文在寅(ムン・ジェイン)大統領がNSCを主宰しなかった」「安倍首相はトランプ米大統領と電話で40分間も話したのに、文大統領は日米首脳とは話さず、外相らとの15分の通話で終わった」「右往左往しているような様子」などと批判的な内容が並ぶ。

ミサイル発射があった29日、韓国のネット上では日本の反応に対し「また騒いでいる」「大げさだ」などの否定的な意見が目立った。30日付のハンギョレ紙は、安倍首相がトランプ米大統領に泣きつく風刺画を掲載した。 30日付朝鮮日報は論説委員のコラムで日本の対応を「大げさ過ぎると感じないこともない」としつつも、「危機や災害に予告はない。核とミサイルを頭上に抱え生活している韓国の安易な姿勢や対応の方が逆に心配になる」と韓国の危機意識の薄さに警鐘を鳴らした。

921NAME:2017/10/22(日) 05:58:18
【衆院選】
安倍晋三首相@秋葉原「リベンジ演説」大きな混乱なくも「9条守れ!」聴衆が抗議「うるさいよ」
2017.10.21 22:20更新
http://www.sankei.com/politics/news/171021/plt1710210113-n2.html

演説中、一部のグループが森友・加計学園の問題を糾弾する記事を掲げたり、「安倍やめろ」と大声を上げる人がいたが、ほとんどがかき消されていた。

 また、安倍首相の演説が始まると、それまで静かにしていた男性が突然「アベ政治を許さない」と書かれたプラカードを掲げ、「憲法9条を守れ」と叫ぶなどしたが、周囲の聴衆から「選挙妨害をするな」「帰れ」と抗議を受けた一幕もあった。

 また「TBSは偏向報道をやめろ」「テレビ朝日、偏向報道は犯罪だ」「安倍首相がんばれ」といったプラカードも多数掲げられ、都議選の演説で、組織的な抗議や意図的な報道を受けたことを意識し、対抗する動きが見られた。

922NAME:2017/11/01(水) 23:30:57
日本人のルーツは中国? いずれにしても劣悪な自然条件下で「日本人はよく発展したよ」=中国報道
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%83%84%e3%81%af%e4%b8%ad%e5%9b%bd%ef%bc%9f-%e3%81%84%e3%81%9a%e3%82%8c%e3%81%ab%e3%81%97%e3%81%a6%e3%82%82%e5%8a%a3%e6%82%aa%e3%81%aa%e8%87%aa%e7%84%b6%e6%9d%a1%e4%bb%b6%e4%b8%8b%e3%81%a7%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%af%e3%82%88%e3%81%8f%e7%99%ba%e5%b1%95%e3%81%97%e3%81%9f%e3%82%88%e3%80%8d%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%a0%b1%e9%81%93/ar-AAui79y?ocid=iehp#page=2

日本人のルーツについては諸説あるが、中国では中国人こそが日本人のルーツだと信じている人が少なくない。中国メディアの今日頭条は29日、日本人のルーツについて「本当に中国と関係があるのか」検証する文章を掲載した。 日本のルーツに興味を引き立てられるのは、1つには島国である日本にどうやって人類が渡ってきたのかという点もあるだろう。記事は、「火山の多い孤島」という過酷な環境下で発展を遂げてきた日本人を高く評価しながら、「氷河期」に中国、朝鮮半島、そして樺太から氷河を渡って日本へやってきた人たちがいるとの説を紹介した。そして、この人びとが後の「縄文人」だと論じた。

 しかし、沖縄で発見された「港川人」と呼ばれる化石は氷河期よりも前のものとされており、氷河期説とは別のルーツがあったことになると記事は指摘。おそらく東南アジアの島々や中国・柳江から来た人々が港川人ではないかと紹介した。しかし、日本では2009年の研究で、港川人はオーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いのではないかとの学説が発表されている。

 記事は続いて、その後の弥生時代には、朝鮮半島や中国の北方から渡ってきた人々が弥生人と呼ばれ、すでに日本にいた原住民と混血していったと伝えた。骨格が似ていることから、彼らの一部は中国山東地区、または江南呉越地区の稲作農民、および江蘇、それも三星村から来たのではないかと推測されるという。

 記事では比較的客観的に日本人のルーツを紹介しているが、多くの中国人が信じているのは「始皇帝の時代に徐福が連れて行った若者たちが日本人の先祖」だというものだ。いずれにしても、どの説もあくまで仮説であり、日本人のルーツは1つではないと考えられているが、自分のルーツを探りたいというのは人としての自然な心理である。記事は、「劣悪な自然条件」のもとでコミュニティと文化をここまで形成させた日本人に敬意を表しながら、たくましい日本人は今後更に新たな広がりを見せるかもしれないと期待を示した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

923NAME:2017/12/25(月) 20:35:48
日本のような小さい国のどこに「あんな力」が・・・中国人が訝る誤解=中国報道
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e3%82%88%e3%81%86%e3%81%aa%e5%b0%8f%e3%81%95%e3%81%84%e5%9b%bd%e3%81%ae%e3%81%a9%e3%81%93%e3%81%ab%e3%80%8c%e3%81%82%e3%82%93%e3%81%aa%e5%8a%9b%e3%80%8d%e3%81%8c%e3%83%bb%e3%83%bb%e3%83%bb%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e3%81%8c%e8%a8%9d%e3%82%8b%e8%aa%a4%e8%a7%a3%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%a0%b1%e9%81%93/ar-BBHgIiW?ocid=iehp#page=2

中国の国土面積は日本の約26倍、人口は日本の約10倍に達する。国土も人口もこれだけ大きければ、中国人にとっては世界の多くの国が「非常に小さい国」に見えても不思議ではない。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、中国から見て「非常に小さな国」であるはずの日本はなぜ「世界有数の実力」を持つのかと疑問を投げかけつつ、特に不可解なのは「第2次世界大戦で世界を相手に戦おうとしたことだ」と主張する記事を掲載した。

 記事は、多くの中国人が抱く疑問の1つに「日本のように小さな国のどこにこれだけの実力があるのか」ということだとし、かつては、自国よりはるかに大きい領土を獲得したこともあると主張。しかも、第2次世界大戦では米国や中国など圧倒的に大きな国土を持つ国を敵に回したと伝え、中国から見て「非常に小さな国」であるはずの日本の力は不可解なほどだと論じた。

 一方、日本が「非常に小さい国」であるというのは誤解でもあると伝え、日本の国土面積は実際にはフランスよりわずかに小さい程度で、英国やドイツよりも大きいのだと指摘。中国の国土面積が大きいため日本が小さく見えるのであり、実際の日本は世界的に見れば決して小さい国ではないと指摘した。

 また、第2次世界大戦時の日本の人口は7800万人に達しており、やはり欧州でもっとも多かったドイツを上回っていたと指摘。当時の米国は1億3000万人、中国は4億人ほどしかいなかったと伝え、当時の世界から見ても日本は国土、人口共に決して小さい国ではなかったのだとし、当時の日本は「間違いなく世界最強の国の1つだった」と主張した。

 一方で、第2時大戦で焼け野原になった日本が42年間にわたって世界第2位の経済力を維持してきたことは驚異的であると伝えつつ、四方を海に囲まれているというのはデメリットのようにも見えるが、交通や交流を阻害する物理的障害がないという意味ではメリットだと伝え、日本は「海に囲まれた地理的に不利な小国」という中国人の認識のほうが正確ではないのだと伝えている。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

924NAME:2018/02/15(木) 03:00:34
日本人の欠点を指摘したら「日本人に賛同された!」、驚くと同時に「日本人の態度は尊敬に値する」=中国メディア
2018-02-13 16:12
http://news.searchina.net/id/1653485?page=1

批判された時の反応というのは人さまざまだ。謙虚に認めて悪いところを正すのが理想だろうが、言い訳したり反論したりしたくなるのが人の性というものだろう。この点で、日本人は全体的に合格点のようだ。  中国メディアの今日頭条は10日、中国のネットユーザーが指摘した「日本の悪いところ」が、意外にも日本人に受け入れられたという文章を掲載した。記事は、批判を受け入れる姿勢に好感が持てると称賛している。

 中国人ネットユーザーが指摘した日本人の「悪いところ」には、気が小さい、真の改革ができない、ケチくさい、外国人に称賛されるのが好き、否定されると傷つくといった内容だが、それに対して、日本のネットユーザーの反応は「怒るどころか賛同を示した」と記事は紹介。しかも、日本人ネットユーザーからも「問題点が分かっていたとしてもどうしようと騒ぐだけで誰も解決しようとしない」、「根本に正義の概念がないため、勇気をもって何が正しくて何が間違っていると声を上げる人もいない」、「時に傲慢で時に卑屈になる」、「言い訳は得意で偽善的」などのコメントが寄せられ、欠点を認める発言が多かったという。

 それで記事は、批判をあっさり受け入れる「日本人のそういうところは本当に尊敬する」とすっかり感心している。これは中国人にはなかなかできない反応で、本当にすごいことだと重ねて称賛した。他にも、記事は他人の客観的な意見に耳を傾け進歩できる日本の素直さも高く評価し、中国人も日本の優れている点、例えば環境保護、マナー、民度、文化、仕事態度などから学べるはずだと呼びかけた。

 思わぬところで中国人から称賛を受けた形になったが、他人からの批判を謙虚に受け入れるというのは、実際進歩に不可欠なものであり、これは日本の良いところといえるだろう。ぜひとも中国にも模倣してもらいたいのもである。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

925NAME:2018/02/27(火) 17:26:04
池上彰氏「日本人のマナーが良くなったのは1964年の東京五輪がきっかけだった」
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%b1%a0%e4%b8%8a%e5%bd%b0%e6%b0%8f%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e3%83%9e%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%81%8c%e8%89%af%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%af1964%e5%b9%b4%e3%81%ae%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e4%ba%94%e8%bc%aa%e3%81%8c%e3%81%8d%e3%81%a3%e3%81%8b%e3%81%91%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%8d/ar-BBJD4cs?ocid=iehp#page=2

Q 今でこそ日本人のマナーはいいと言われていますが……。

 東京五輪をひかえ、訪日外国人観光客にむけたインバウンドビジネスがさかんです。今でこそ日本人のマナーはいいと言われていますが、昭和の頃は「旅の恥はかき捨て」といって、海外旅行をする日本人のマナーは良くなかったものです。いつ頃から日本人のマナーは良くなったと思いますか?(60代・女性・無職)

A きっかけは1964年の東京オリンピックでした。

 きっかけは1964年の東京オリンピックでした。当時、東京都は外国からのお客さんに見られても恥ずかしくないようにと一大キャンペーンを張りました。東京都内の各家庭に配布されたパンフレットには、ゴミはゴミ箱に捨てること、痰を吐いたり、立小便をしたりしないように呼び掛ける注意事項が列記されていました。 当時、私は東京都内に住む中学生。自治会総出で街の清掃作業をしたものです。街頭にはゴミ箱が設置されました。それまで道路に捨てていたゴミを、きちんとゴミ箱に捨てる習慣がついたのは、その頃からです。

 当時は大気汚染が深刻でしたから、喉にからんだ痰を吐く人が多く、電車の各駅のホームには痰壺が設置されていました。ここに痰を吐きなさい、というわけです。 当時、電車や長距離列車がホームに着くと、我先に乗り込もうとして大混乱が続いていました。長距離列車は窓から乗り込む人も多かったのです。冷暖房などありませんから、夏は窓が全開でした。

 東京オリンピックが終わっても、列車のトイレは垂れ流し。国鉄(現在のJR)の沿線の家では干してある洗濯物に黄色い斑点がつき、「黄害問題」と呼ばれたものです。列車のトイレが徐々にタンク式になるにつれ、この問題は消えていきましたが、1980年前後でも、各地の列車のトイレは依然として垂れ流しでした。 日本人は昔からマナーが良かった、というのは過去を知らない思い込みに過ぎません。

ご質問者の指摘通り、海外での日本人のマナーも、1970年代までは最低でした。パリの高級ホテルのロビーをステテコ姿で歩いたり、ブランドショップで爆買いしたりして、ついでに顰蹙まで買っていました。 海外で恥ずかしいことをして、評判が悪いというニュースを日本国内で見聞きするようになって、ようやくマナーの向上が始まりました。 同じことを韓国の人たちは1990年代に、そしていま中国の人たちがしています。

926NAME:2018/02/27(火) 17:37:01
ご存知ですか? 2月27日は「2・26事件」で戒厳令が出された日です
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%81%94%e5%ad%98%e7%9f%a5%e3%81%a7%e3%81%99%e3%81%8b%ef%bc%9f-2%e6%9c%8827%e6%97%a5%e3%81%af%e3%80%8c2%e3%83%bb26%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%80%8d%e3%81%a7%e6%88%92%e5%8e%b3%e4%bb%a4%e3%81%8c%e5%87%ba%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e6%97%a5%e3%81%a7%e3%81%99/ar-BBJD27k?ocid=iehp#page=2

1936(昭和11)年2月26日、陸軍の青年将校らがクーデターを画策して決起した。世に言う2・26事件である。このとき、約1500名の在京部隊が首相官邸や警視庁、政府首脳・重臣の邸宅などを襲撃し、大蔵大臣の高橋是清、内大臣の斎藤実、陸軍の教育総監の渡辺錠太郎らが殺害された。決起軍はこのあと帝都中枢を占拠。これを受けて事件発生の翌日、2月27日午前3時50分には、天皇の名のもと東京市内に戒厳令が施行された。いまから82年前のきょうのことだ。

2・26事件では、当時の首相・岡田啓介も官邸で殺害されたものと思われた。そのため、戒厳令発令と前後して、27日午前1時すぎには内閣総辞職が決定し、内務大臣の後藤文夫が臨時首相代理として各閣僚の辞表をとりまとめ、早朝に天皇に捧呈した。しかし、昭和天皇の意向で、後継内閣が成立するまで、後藤らが政務を担当することになる。

青年将校たちのクーデター計画の最大の眼目は、岡田内閣の打倒だった。内大臣秘書官長の木戸幸一はそれを察知し、「現内閣の辞職を一切許さない」ことを天皇の政治方針として早々に決めた(筒井清忠編『昭和史講義――最新研究で見る戦争への道』ちくま新書)。昭和天皇が内閣総辞職の要請を保留とし、また陸軍大臣の川島義之や海軍軍令部総長の伏見宮博恭王からの新内閣樹立の提言(いずれも反乱軍側の働きかけによる)を拒んだのもこのためである。戒厳令も「兵力を用いて警戒する必要がある場合」の非常措置であり、反乱軍将校が望んだ「戒厳令による軍政府樹立」とは異なるものであった。天皇は、参謀次長の杉山元が戒厳司令部の編成を上奏した際、反乱軍に対し《徹底的に始末せよ、戒厳令を悪用することなかれ》と指示したという(勝田龍夫『重臣たちの昭和史 上』文藝春秋)。ここにクーデターの帰趨は決まったものの、反乱軍の鎮圧までにはなお3日を要した。

岡田首相は生きていた。弔問客を装い脱出

 一時は死んだと思われた岡田首相だが、反乱軍は官邸に居合わせた義弟の松尾伝蔵(海軍大佐)を首相と思いこんで殺害しており、本人は無事だった。女中部屋の押し入れに隠れて一夜を明かした岡田は、27日、秘書官らの段取りで、官邸を訪れた弔問客にまぎれて脱出する。このとき付き添っていた協力者が、眼鏡とマスクで顔を隠した岡田に向かって《だから言わんこっちゃない。あれほど死体を見るなといっておいたのに、死に顔を見るものだから、気持が悪くなるんだ》と叱りつける芝居を打ち、出口に立っていた反乱軍歩哨の前を難なく通り過ぎることができたという(岡田啓介『岡田啓介回顧録』岡田貞寛編、中公文庫)。岡田は官邸を出るとすぐさま自動車に乗せられ、本郷の寺に連れて行かれると夕方まですごし、その夜は車の持ち主の家にかくまわれた。明くる28日、参内して天皇に拝謁した岡田は、《なにぶんの命あるまでその職をとるように》との沙汰を受けて復職(前掲書)、29日に事件が収拾したあと、3月9日、自らの手で内閣を総辞職する。なお、戒厳令は、反乱軍将校らの死刑(7月12日)直後の7月18日まで継続された。

927NAME:2018/03/07(水) 23:37:54
政府「報道の自由」勧告を拒否 国連人権理審査で
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%94%bf%e5%ba%9c%e3%80%8c%e5%a0%b1%e9%81%93%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%80%8d%e5%8b%a7%e5%91%8a%e3%82%92%e6%8b%92%e5%90%a6-%e5%9b%bd%e9%80%a3%e4%ba%ba%e6%a8%a9%e7%90%86%e5%af%a9%e6%9f%bb%e3%81%a7/ar-BBJYw3J?ocid=iehp

【ジュネーブ共同】国連人権理事会による日本の人権状況の審査について、日本政府は7日までに、特定秘密保護法などで萎縮が指摘される「報道の自由」に関する勧告を拒否した。米国やオーストリアなどが放送法4条の改正などでメディアの独立性を一層確保するよう求めていた。

 昨年11月の作業部会で各国から出された217項目の勧告を受諾するかどうか、項目ごとに見解を公表した。従軍慰安婦問題では、中国などが要求した元慰安婦への誠意ある謝罪と補償の勧告も拒否した。 人権理は今月16日の会合で日本の見解を反映した報告書を最終的な勧告として採択する予定。勧告に法的拘束力はない。

928NAME:2018/03/13(火) 02:17:45
「隣国を援助する国は滅びる」マキャベリの予言が襲いかかる
2015-03-31
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/03/20150331T1642120900.html
「隣国を援助する国は滅びる」というのは、別に難しい理論ではない。
相手にいつまでも謝罪し、援助していると、自分の手持ちの金がなくなり、相手は逆に増える。金だけではない。こちらの知識、技術、あるいは文化すべてが相手に移転してしまう。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8725648.html
「君主論」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1287147267
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11522376322.html

929NAME:2018/03/30(金) 18:22:19
年金データ再委託「SAY企画」従業員が証言「入力ミスは日本でやったもの、中国業者は正確だった」
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%b9%b4%e9%87%91%e3%83%87%e3%83%bc%e3%82%bf%e5%86%8d%e5%a7%94%e8%a8%97%e3%80%8csay%e4%bc%81%e7%94%bb%e3%80%8d%e5%be%93%e6%a5%ad%e5%93%a1%e3%81%8c%e8%a8%bc%e8%a8%80%e3%80%8c%e5%85%a5%e5%8a%9b%e3%83%9f%e3%82%b9%e3%81%af%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%a7%e3%82%84%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%82%e3%81%ae%e3%80%81%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e6%a5%ad%e8%80%85%e3%81%af%e6%ad%a3%e7%a2%ba%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%8d/ar-AAvgEl3?ocid=iehp

年金情報の入力業務を委託された「SAY企画」が、中国の業者に事業を再委託して個人情報が渡っていたことが問題となっている。入力作業もずさんで、86万件のミスがあった。 そのなか、SAY企画でデータ入力の仕事をしていたAさん(40代・女性)が、その実態を証言した。Aさんは言う。

「他の官庁のデータ入力をやったことがありましたが、年金機構の仕事は数が膨大。受注が決まった時は、社長は『人が足りない。友達でパソコン入力ができる人を探してくれ』と、私も声をかけられました。時給は1100円ぐらいで、いろんなところで求人を出していました。それでも人が集まらない時に、年金機構のデータがドバっと来ました」

 データ入力の手法も、お粗末なものだった。

「スキャナーで紙を読み込ませて、データ化して入力していました。だけど、手書きの紙を読み込ませると、正しくデータ化されません。複雑な漢字や旧字体もあります。それを、実際の年金機構の書類を突き合わせないといけない。これがとても時間がかかるので、昨年の秋ごろ、急に『スキャナーはやめる』となった。年金機構との約束で、1つずつ入力する契約になっていたようです。だけど、1週間ほどして、またスキャナーに逆戻り。人がいなくて『納期に間に合わないから』と上司は説明していました」

 会社側の焦りはつのり、次第に「正確に入力すること」よりも「納期に間に合わせること」を優先するようになっていったという。「スキャナーのミスをチェックすると、けっこう時間がかかるんです。すると、上司からは『1枚目だけチェックして。残りをやっている時間がない』となった。『もう適当にやってくれ』という感じです。手書きのものは『0』なのか『9』なのか数字が判然としないものが山のようにありました。いつしか、『まあ、0でいいか』みたいな感じでやってました。年金機構には、入力作業は800人程度でやると説明していたようですが、実際はその半分ぐらいしかいなかったと思います」

 データ入力のために使用されたパソコンも、性能が悪かったという。「パソコンも古くて、よくフリーズしてトラブルになっていました。よくこんな会社が年金記録の入力という大事な仕事を受注できたなと思っていました。社長は『この数はとても無理』と観念した感じになっていました。それで、中国に再委託したのだと思います。でも、中国に委託した入力作業はほとんどミスがなかったんです。名前だけだったということもありますが、すごく正確で、間違いは日本でやったものばかりでした」

 SAY企画は、2003年に設立。官公庁からの委託事業が主な業務となっている。東京商工リサーチ情報部の後藤賢治氏は言う。「SAY企画の2017年度の利益は259万円で、16年度も139万円しかありません。売り上げがあっても、利益が伸び悩んでいました。その結果、人材登用ができず、パソコンなどの設備投資も難しかったのではないか」

 ずさんな仕事の実態を見抜けなかったのは、年金機構にも責任がある。すべてが明らかになる日は来るのか。 SAY企画に取材を申し込んだところ、期限までに回答はなかった。(AERA dot.編集部取材班、西岡千史)

930NAME:2018/04/09(月) 00:24:47
日本が資源欠乏国? 「よく見れば別の顔が見えてくる! むしろ資源強国だ」=中国メディア
http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%8c%e8%b3%87%e6%ba%90%e6%ac%a0%e4%b9%8f%e5%9b%bd%ef%bc%9f-%e3%80%8c%e3%82%88%e3%81%8f%e8%a6%8b%e3%82%8c%e3%81%b0%e5%88%a5%e3%81%ae%e9%a1%94%e3%81%8c%e8%a6%8b%e3%81%88%e3%81%a6%e3%81%8f%e3%82%8b%ef%bc%81-%e3%82%80%e3%81%97%e3%82%8d%e8%b3%87%e6%ba%90%e5%bc%b7%e5%9b%bd%e3%81%a0%e3%80%8d%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-AAvBsUa?ocid=iehp

中国や米国は広大な国土を持つと同時に、多くの天然資源に恵まれた資源大国と言える。一方、日本は必要な資源の多くを輸入に依存しているがゆえに、「日本は資源欠乏国」と認識している中国人は多い。だが、中国メディアの快資訊は5日、日本は実は資源欠乏国ではなく、むしろ資源強国であったと伝え、その理由について考察する記事を掲載した。

 記事は、中国人の多くは「石油や石炭、鉄など多くの資源を輸入に頼っている日本は資源に恵まれない国」であり、天然資源の市場において中国は日本より圧倒的に大きな影響力と発言権を持っていると認識していると紹介。

 続けて、日本から天然資源がほとんど産出しないのは事実としながらも、資源の産出量だけでなく、貯蔵量や消費量、天然資源の自給力、海外に保有する鉱山の量、国際市場や価格に与える影響力などを総合的に評価してみると、日本の別の顔が見えてくると論じた。

 記事は、中国の雑誌「中国鉱業」がまとめた評価を引用し、日本の天然資源に対する自給能力は中国に匹敵し、海外に保有する鉱山の規模では中国を圧倒していると紹介し、「しかも日本は1つの天然資源に集中することなく、多種多様な天然資源を確保すべく、多岐にわたる鉱山を世界中に保有している」と強調。たとえば、中国で不足しがちな資源である「銅」について、日本は海外で銅鉱山の資源開発を積極的に行ってきた経緯があり、資本参加や融資などを通じて多くの銅鉱山を所有していると指摘した。

 こうした日本の天然資源をめぐる動きと評価に対し、「国内で産出されないからと言って、日本を資源欠乏国と見なすのは不適切」であり、むしろ、日本は資源強国と言えると主張。経済成長に伴って、中国では資源不足が問題となりつつあることを指摘し、資源をめぐる対応で日本に学ぶべき点は多いと伝えている。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

931NAME:2018/04/26(木) 00:45:41
10万人参加の羽生結弦凱旋パレードで、会場にゴミほとんどなし 敬服せざるを得ない=中国メディア
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%ef%bc%91%ef%bc%90%e4%b8%87%e4%ba%ba%e5%8f%82%e5%8a%a0%e3%81%ae%e7%be%bd%e7%94%9f%e7%b5%90%e5%bc%a6%e5%87%b1%e6%97%8b%e3%83%91%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%83%89%e3%81%a7%e3%80%81%e4%bc%9a%e5%a0%b4%e3%81%ab%e3%82%b4%e3%83%9f%e3%81%bb%e3%81%a8%e3%82%93%e3%81%a9%e3%81%aa%e3%81%97-%e6%95%ac%e6%9c%8d%e3%81%9b%e3%81%96%e3%82%8b%e3%82%92%e5%be%97%e3%81%aa%e3%81%84%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-AAwjnlS?ocid=iehp#page=2

中国メディア・環球網は23日、22日に宮城県仙台市で行われた羽生結弦の凱旋パレードに10万人が参加する一方で、会場でほとんどゴミが出なかったことについて「この現象には恐れ入る」と報じた。

 記事は「約10万人が参加した大型イベントで大した量のゴミが出なかったことで、清掃ボランティアも驚きの声を出さざるを得なかった」としたうえで、22日に仙台市で行われた羽生の平昌五輪金メダル獲得凱旋パレードの様子を紹介。

 「現地市民と、全国からやってきたファン合わせて約10万人が参加。パレード開始10分後から、大学生のボランティアチームが清掃活動を開始した。しかし驚いたことにゴミだらけになるだろうという予想とは全く異なり、パレードの隊列が通過した約100メートルの間に落ちていたゴミは、家庭用ゴミ袋1袋分に満たないほどの量だったのである」と伝えている。

 記事はまた、清掃活動に参加したボランティアたちはみな羽生のファンであるほか、クリーンなパレードを実現した背景にはファンたちの積極的な働きかけがあったことを指摘。パレード開始前から、SNS上では来場者に対して「ゴミは持ち帰ろう」と呼びかけられていたことを紹介した。また、実際にゴミ袋を持って参加したファンからは「羽生くんはきっと会場がゴミだらけになるのを望んでいない」、「羽生くんを困らせたくない」との声が聞かれたとした。

 中国メディアまで「恐れ入る」、「敬服せざるを得ない」と言わしめた羽生の凱旋パレードの様子に、中国のネットユーザーの多くも「清潔で規律を守るのが、日本人の長所だ」「ゴミを拾うという小さな行動が、日本人のモラルの高さを示している」「わが国は、民度を高める計画を専門的に立ち上げるべきだと思う」といった賞賛や、中国社会も見習うべきであるとする意見や感想を寄せた。

 また、「古代中国の文明を学んだ結果だ」、「モラルというのは、法律によって保障されているもの。ルールがなければ、みんな野蛮になる」、「規律を守ることに過剰になれば、それはファシズムになる」といった見方をするユーザーも見られた。(編集担当:今関忠馬)

932NAME:2018/05/02(水) 23:33:54
古賀茂明「南北会談で“外交の安倍”のウソが露呈 今そこにある日本の危機とは?」
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%98%8E%E3%80%8C%E5%8D%97%E5%8C%97%E4%BC%9A%E8%AB%87%E3%81%A7%E2%80%9C%E5%A4%96%E4%BA%A4%E3%81%AE%E5%AE%89%E5%80%8D%E2%80%9D%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%81%8C%E9%9C%B2%E5%91%88-%E4%BB%8A%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E3%80%8D/ar-AAwvMaG?ocid=iehp#page=2

南北首脳会談が終わり、ゴールデンウィークが始まった。

 これに先立ち、安倍政権の支持率低下に危機感を募らせた安倍総理は、北朝鮮問題で蚊帳の外にされているというイメージ払しょくを狙って日米首脳会談を行ったが、米朝首脳会談で拉致問題を取り上げると約束してもらっただけで何の成果もなく帰国した。 追い打ちをかけるように、南北首脳会談では、南北に米を加えた3カ国、または米中2カ国を加えた4カ国協議を行うことが発表され、ますます「蚊帳の外」のイメージが広がってしまった。

「外交の安倍」は完全に不発どころか、逆にそれで躓いてしまった安倍総理としては、次の切り札である「経済の安倍」で勝負するしかなくなってきた。そのため、来年秋の消費税増税の影響緩和を大義名分として、来年度予算での巨額の対策費計上などが早くも画策されている。いつも繰り返される支持率目当てのただの大盤振る舞いである。

 しかし、いくら目の前の株価や大企業の利益が上昇したからと言って、地方経済を含めた日本経済の競争力が回復するわけではない。安倍総理の立場に立っても、このままでは、彼にとっての最重要課題である中国との軍拡競争に勝ち抜くことなど夢のまた夢という状況だ。

 日本経済の長期展望を語る時、財政赤字や少子高齢化と社会保障の問題などが議論の中心になっている。しかし、私が最も不安に感じているのは、日本の競争力の源が揺らいでいるということだ。中でも、人材と新規事業の創出における日本の立ち位置を冷静に見つめてみると、凍り付くほどの恐怖感に囚われる。

■先進国から転落しかかっている日本

 まず、これはかなり広く認識されていることかもしれないが、日本は今どれくらい裕福な国だと見ることができるのかを再確認しておきたい。国民の豊かさを図る代表的指標が一人当たり国内総生産(名目GDP)だ。そのランキングで見ると、日本は世界何位くらいに位置するのかと聞かれたら、先進国のトップが集まるG7(先進国首脳会議)というものがあるから、3位くらいか、まあ、悪くても7位くらいかなと思う人がいるかもしれない。しかし、日本の順位は世界25位(2017年のIMF統計より)。90年代は、最高3位で、一貫してベスト10に入っていたから、その地位の低下は明らかだ。25位と言えば、先進国から転落寸前と言っても良い。

 そうは言っても、アジア・中東諸国に比べれば、まだまだ断トツ1位だろうと考えたくなるが、実はアジア・中東でも、日本の位置づけは大きく後退している。順位は毎年変動するが、17年は、マカオ、カタール、シンガポール、香港、イスラエルに次いで6位(2017年のIMF統計より)である。イスラエルとは為替レート次第で順位は入れ替わる可能性はあるが、今やシンガポールに追いつくのはほとんど不可能という状況だ。

 経済規模では、まだまだ日本の規模は大きいが、ついこの間中国にGDPで抜かれたと思ったら、今や中国は日本の2.5倍近くにまで成長している。つまり、日本経済の規模は中国の4割程度しかないのだが、これも意外と知られていない。

933NAME:2018/05/02(水) 23:34:26
■将来を担う企業が育たない日本

 米中では、新興企業が短期間で急成長し、世界を動かす影響力を持つまでになるが、日本ではそういう動きが全くない。安倍政権もそうした事態を憂慮し、お得意の「成長戦略」で、新興企業などのビジネス環境を他国に負けない水準にしようとぶち上げた。その時のスローガンが、世界銀行が発表するビジネス環境ランキングで「先進国3位を目指す」というものだった。そもそも、「先進国」3位としたのは、ビジネス環境の整備には途上国が非常に力を入れていて、既に上位に陣取っているので、世界3位というとあまりにも実現性がないから、先進国に限って3位に入ろうというまやかしの目標にしたのだ。しかし、この構想は全く不発。かえって順位を落とす結果となった。2017年の世界ランキングでは、日本はベスト20にも入れず34位。35位のロシアに激しく追い立てられるという始末だ。ベスト5には、1位のニュージーランドに続いて、2位シンガポール、4位韓国、5位香港とアジア3カ国が並び(表1)、この他にも15位に台湾が入っている。

 つまり、世界各国が新規事業を育てようとそのための環境整備に邁進しているので、日本が多少アリバイ作りの政策をやっているだけでは、完全に置いてきぼりになっているということなのだ。このままでは、さらに世界との差は開き、新規事業の成長で大きな後れをとるのは確実だ。

■将来を担う人材教育でアジアに遅れる日本

 日本経済の将来を占ううえで最も重要なのが、人材だ。そこでも日本はアジア諸国に大きく遅れている。 世界の大学ランキングというものがあるが、実は、日本の大学は、東大でも世界46位と大きく順位を下げている(Times Higher Education2018)」。

 世界ではどうしてもアメリカやイギリスの大学が上位に入るので、アジアだけのランキングで見るとどうなるか。当然東大が1位だと思う人が多いかもしれないが、実は、毎年順位を落としてついに8位まで下がってしまった。1位シンガポール国立大学、2位清華大学(中国)、3位北京大学(中国)、4位香港大学、5位香港科技大学、5位南洋理工大学(シンガポール)、7位香港中文大学で9位と10位は韓国の大学である。上位21校中(20位が2校あるので21校)のうち、日本は東大と京大(11位)の2校だけ。中国は7校、韓国と香港が5校、シンガポール2校だった。

 将来のことを考えると、子供や孫の進学では、東大や京大よりも中国やシンガポールや香港の大学を勧めた方が良いということになるのだが、実は、日本人には、これらの大学に進学するのは極めて難しい。語学の壁があるということもあるが、それ以上に入試のレベルが、中国などの大学の方が日本よりもはるかに難しいからだ。

934NAME:2018/05/02(水) 23:35:46
 中国の受験競争の激しさは有名だが、その厳しさに負けて、日本の高校に留学して日本の一流大学を目指す動きがここにきて急速に強まっている。先日もNHKのニュースで放送していたが、宮崎県の私立高校が中国で留学生獲得の営業をかけたら多くの優秀な中国の学生が応募してきた。今や学生の過半が中国人で、日本の大学に全員が合格している。留学生に聞くと、中国で良い大学に入るのは難しいから諦めて、日本の大学を目指すことにしたという。彼らにとっては、日本語で受けるとしても、まだ中国よりは易しいというのである。それほど、日本と中国の若者の学力に差がついているということになる。

 この傾向は、経営大学院(MBA)については、より顕著だ。フィナンシャルタイムズが発表した世界のMBAランキング2018では、ベスト100のうち大半はアメリカの大学院だが、アメリカ以外では、英国の14校に次いで2番目に多くランクインしたのが、中国の7校だった。1位スタンフォード(米)、2位INSEAD(仏)、3位ペンシルバニア大ウォートン校などの常連に交じり、何と中国の中欧国際工商学院が8位とベスト10入りをして世界を驚かせている。その下に続く9位がMIT(マサチューセッツ工科大)、10位カリフォルニア大バークレー校と聞けば、そのすごさがよくわかる。5、6、7位がハーバード、シカゴ、コロンビアだが、今の勢いだと、10年以内にトップの座を占める可能性もあると言われるほどだ。ちなみに、この大学院の卒業生の卒業直後3年の平均年収は、16万2858ドル。1ドル110円で計算すると1791万円だ。日本のMBAを卒業してもほとんど箔付け程度にしかならないのと比べると雲泥の差と言って良いだろう。

 この中国の大躍進に対して、日本のMBAがベスト100にいくつ入っているのだろうかと思って、ランキングを上から順にスクロールしてみると、ついに一番下の100位まで行っても発見することはできなかった。つまり、100位以内にゼロである。中国の7校に比べて、何とも寂しい話だ。

 これらの情報は秘密でも何でもない。新聞などでも報じられている。ただし、記者に何の問題意識もないので、これが何を意味するのかが理解できず、極めて小さな扱いでごく一部の情報を載せるだけである。

 一方、優秀な若者は徐々にこうした事実に気づき始め、東大よりも海外の有名大学を目指す動きが広がっている。しかし、それは、残念ながら、まだごく一部である。 それを象徴する話を聞いた。元民主党女性議員の令嬢が、上智大学を卒業後、香港の大学院に進学した。それをその元議員が友達に話したら、「上智まで出たのに、なんでまた、香港なんかに出したの?」という反応ばかりが返ってくるというのだ。その元議員の令嬢は、メールでこう連絡して来たという。

「ママ、中国は日本をドンドン追い越してるのに、日本人は、気づいてない。それって、相当ヤバくない?ここで勉強したことをちゃんと生かせる仕事がないから、日本に帰っても仕方ないね。アメリカかシンガポールで仕事を探すわ。給料もずっと高いから」

 もう一人、カリフォルニア大バークレー校でMBAを取って、アメリカで今年起業したある日本人の若者の話を聞いた。「日本に帰る理由を考えたけど、一つもなかった。強いて挙げれば、そこそこおいしいご飯がタダ同然で食べられることかな。ランチの定食が10ドル(1100円)なんて信じられないよね。アメリカだと、その何倍もするからね。でも、アメリカの大都市なら、お金さえ出せば、おいしい店はたくさんあるし、日本の何倍も稼げるから、結局、安いご飯は大した魅力にはならないな」

 そして、こう付け加えた。「日本人留学生は、ほとんどが政府や企業のひも付きで、日本に帰る前提で勉強している。留学は箔付けというレベルだから、米国で独立して活躍できる人材は少ないね。中国人ならたくさんいるよ」 日本の未来を支えるはずの若者のレベルが国際比較でこんなに低下しているとしたら、日本経済の将来は本当に危機的状況にあると言って良いだろう。

 しかし、よく考えると、それ以前に、「日本礼賛」論がもてはやされる中、こうした事態を国民が認識していないこと、そして、何よりも安倍総理という政府のトップがその深刻さを全く理解する能力がないように見えることこそ、最大の危機ではないだろうか。

935NAME:2018/05/27(日) 19:18:11
【中曽根元首相100歳】
「首相と恋人は私が選ぶ」「不沈空母」「死んだふり」「政治的テロ」…流行語になった名言も
2018.5.27 17:57更新
http://www.sankei.com/politics/news/180527/plt1805270022-n1.html

中曽根康弘元首相は「私の心の中には国家がある」や「政治家は歴史法廷に立つ被告である」「理想や目標を持たない民族は滅びる」といった政治家に警鐘を鳴らす発言のほか、流行語になる名言を多く残した。(今堀守通)

 憲法改正をライフワークとしてきた中曽根氏は「国民は国の前途を憂いつつマック憲法迎えたり。我(わ)が憲法打ち立てて国の礎築くべき」などと現行憲法を批判する「憲法改正の歌」を自ら作詞し昭和31年に発表、36年からは「首相と恋人は私が選ぶ」をキャッチフレーズに首相公選導入の改憲を訴えた。

 首相就任直後の訪米の際、米紙社主との朝食会で「日本列島を不沈空母のように強力に防衛する」と発言したと報道された。中曽根氏は「高い壁を持った大きな船」との発言を「不沈空母」と英訳されたと語ったが、昨年の外交文書で自ら「不沈空母」と発していたことが判明した。

 自民党大勝に導いた61年の衆参同日選では、衆院解散を野党が警戒する中、実施しないふりをして断行した。実は、同年初から「死んだふりでいく」と決意していて、解散をすると「私が死んだふりをしたといわれるが野党は知らないふりをした」と述べ、「死んだふり解散」と言われるようになった。

平成8年、衆院選が小選挙区比例代表並立制の下で行われると、自民党執行部から比例代表北関東ブロック「終身1位」を保証された。その後、党に「73歳定年制」導入の動きが出ると「わたしは『老兵は死なず、ただ頑張るのみ』だ」(12年)と現役続行に意欲をみせた。15年に小泉純一郎首相から議員引退を求められ、「政治的テロだ」と反発したものの、最終的には衆院選不出馬を表明した。

 後輩政治家への端的な批評も注目された。8年に鳩山由紀夫氏が祖父の一郎元首相の政治信条「友愛」を掲げて民主党を結成すると「愛とか友情とかリベラルとかソフトクリームのようだ」と一郎氏の政治姿勢との違いを皮肉った。

 小渕恵三首相を「中が真空だから、何でも吸い込む吸引力がある『真空総理』」、女性5人を閣僚に起用して発足した小泉内閣を「ショーウインドー内閣」、小泉氏の発言の手法を「物事を瞬間的に捉えて結論だけ言う『瞬間タッチ断言型』」、菅直人首相を「支持基盤はなく市民勢力を背景に生まれた『市民派政治家』」と評した。=肩書、固有名詞は当時

936NAME:2018/05/27(日) 19:34:30
「3人以上出産」発言に「全国から賛同、激励が多数寄せられた」自民・加藤寛治衆院議員 長崎県連定期大会で
2018.5.27 17:13更新
http://www.sankei.com/west/news/180527/wst1805270033-n1.html

自民党の加藤寛治衆院議員=長崎2区=は27日の自民党長崎県連定期大会で、新婚夫婦に3人以上の出産を呼び掛けているとした自身の発言に関し、「批判もあったが、全国から賛同、激励が多数寄せられた。貴重な意見を真摯に受け止めて国政に生かしたい」などと述べた。加藤氏は発言を撤回していた。 大会後、記者団に「正当であるとか、間違いであるというのは、それぞれの判断。私に問うても仕方ない」と述べた。

 大会のあいさつで、加藤氏は「批判も甘んじて受けなければいけない」とした上で、全国から「健康で産める方にお願いするのが何が悪いのか」などとする意見が届いたと紹介。高校生になる孫の友人も発言に賛同したエピソードを挙げ「日本の将来もまだまだ明るい」と語った。

 また、野田聖子女性活躍担当相が「そういうことを言って子どもが増えることは決してない」と指摘したことに対しては「当たってないのではないか」と反発した。 加藤氏は今月10日に細田派会合で、結婚披露宴に出席した際に「必ず新郎新婦に3人以上の子どもを産み育てていただきたい」と呼び掛けているとの発言をし、その後、撤回していた。

937NAME:2018/05/27(日) 19:35:23
徳光和夫、秀樹さん延命やめたのは「お子さんが『休ませてあげたら』と」
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e5%be%b3%e5%85%89%e5%92%8c%e5%a4%ab%e3%80%81%e7%a7%80%e6%a8%b9%e3%81%95%e3%82%93%e5%bb%b6%e5%91%bd%e3%82%84%e3%82%81%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%af%e3%80%8c%e3%81%8a%e5%ad%90%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%8c%e3%80%8e%e4%bc%91%e3%81%be%e3%81%9b%e3%81%a6%e3%81%82%e3%81%92%e3%81%9f%e3%82%89%e3%80%8f%e3%81%a8%e3%80%8d/ar-AAxQvSM?ocid=iehp

16日に急性心不全で死去した歌手、西城秀樹さん(享年63)の葬儀・告別式が26日、東京・青山葬儀所で営まれ、音楽関係者やファン1万人以上が参列した。葬儀の司会を務めたフリーアナウンサー、徳光和夫(77)は「秀樹さんは(先月)倒れた後、意識はないが心臓は動いている状態で、延命策をどうすべきかという話が家族で出ていた。3人のお子さんが『パパは本当に頑張ってきたから休ませてあげたら』と言い、奥様はその一言で延命をやめたと聞きました。お子さんたちは立派に育った」と故人をしのんだ。

938NAME:2018/05/29(火) 22:25:26
27年連続・・・日本は世界最大の債権国「失われた20年なんて大嘘だ」=中国
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%ef%bc%92%ef%bc%97%e5%b9%b4%e9%80%a3%e7%b6%9a%e3%83%bb%e3%83%bb%e3%83%bb%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%af%e4%b8%96%e7%95%8c%e6%9c%80%e5%a4%a7%e3%81%ae%e5%82%b5%e6%a8%a9%e5%9b%bd%e3%80%8c%e5%a4%b1%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%9f%ef%bc%92%ef%bc%90%e5%b9%b4%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a6%e5%a4%a7%e5%98%98%e3%81%a0%e3%80%8d%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd/ar-AAxTZ9l?ocid=iehp#page=2

財務省は25日、2017年末における対外資産負債残高を発表し、日本は27年連続で世界最大の債権国となったことがわかった。発表によれば、対外資産残高は前年比2.7%増の1012兆4310億円、対外負債残高は同5.2%増の683兆9,840億円となり、対外純資産残高は同2.3%減の328兆4470億円となった。 中国メディアの快資訊は25日、日本が27年連続で世界一の純債権国となったことに対し、「日本が失われた20年に陥っているなんて、大嘘だ」と主張する記事を掲載した。

 記事は、中国人は近年、日本に対して大きな誤解を抱いているとし、それは、日本の経済成長率が低迷していることを「日本衰退」と思い込んでいることだと指摘。日本は国内の経済成長は確かに低迷しているが、海外への投資を通じて、海外で大きな利益を得ているのだと伝え、「中国の対外純資産残高および海外での投資活動は日本の足元にも及ばないのが現状なのだ」と指摘した。

 続けて、日本が海外に大量の資産を保有しているのは、「日本は国土が小さく、天然資源も少ないうえ、国内市場は縮小傾向にあるため、日本企業が海外に活路を見出したため」であると主張。海外での経済活動はGNPには含まれるが、GDPには含まれないと伝え、中国もGDPばかりではなく、GNPも強化していくべきだと論じた。

 中国の対外純資産残高は16年末は日本に次ぐ世界第2位となったが、17年末はドイツに抜かれて再び3位に転落した。財務省によれば、中国の17年末の対外純資産残高は約204兆円であり、日本と中国の差はまだ大きいものの、中国も近年は海外進出を積極化していることから、この差は縮小していく可能性もある。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

939NAME:2018/06/08(金) 01:16:15
中曽根氏を追った安倍氏 お友達重用など後継者選びで大差
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e4%b8%ad%e6%9b%bd%e6%a0%b9%e6%b0%8f%e3%82%92%e8%bf%bd%e3%81%a3%e3%81%9f%e5%ae%89%e5%80%8d%e6%b0%8f-%e3%81%8a%e5%8f%8b%e9%81%94%e9%87%8d%e7%94%a8%e3%81%aa%e3%81%a9%e5%be%8c%e7%b6%99%e8%80%85%e9%81%b8%e3%81%b3%e3%81%a7%e5%a4%a7%e5%b7%ae/ar-AAygGQn?ocid=iehp#page=2

安倍晋三・首相の連続在職日数は「2000日」に迫ろうとしている。小泉純一郎を抜いて、ついに佐藤栄作、吉田茂という「大宰相」に次ぐ歴代3位の長期政権となった。 安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正、規制緩和、日米同盟の再構築など、「大勲位」中曽根康弘・元首相の背中を追いかけてきた。いま、安倍氏は仰ぎ見る存在だった中曽根氏をすでに在職期間で追い抜いたが、国民の目に映る安倍氏の姿は“大宰相”とはほど遠い。

 2人の宰相は後継者選びで大きな差が出た。中曽根氏は自民党総裁任期を1年延長して5年間首相を務めた後、「ニューリーダー」と呼ばれた竹下登氏、宮沢喜一氏、そして安倍氏の父・晋太郎氏の3人の総裁候補の中から竹下氏を後継者に指名した。世に言う「中曽根裁定」である。 いずれも派閥領袖の実力者たちが、なぜ、後継指名に従ったのか。政治学者の後房雄・名古屋大学大学院法学研究科教授が指摘する。

「中曽根政権時代は田中角栄、福田赳夫、鈴木善幸という長老が政界で隠然たる力を持っていた。そこで中曽根氏はニューリーダー3人を重用し、重要閣僚や党3役を歴任させることで各派の世代交代を進め、長老の力を削いで総理の権力基盤を確立した。3人にすれば、自分たちに力を付けさせてくれたのは中曽根氏という恩義があるから、裁定には逆らいにくい」

 中曽根氏は3人に中曽根路線を引き継ぐことまで約束させた。安倍首相も総裁任期延長の党則改正を行なった。しかし、今年9月の総裁選で“ポスト安倍”に名前が挙がる石破茂氏、野田聖子氏、岸田文雄氏の3人は“安倍政治からの転換”を掲げる三者三様の政策作りを急いでいる。

「安倍さんは後継者づくりに失敗した。お気に入りの稲田朋美・元防衛相にタカ派路線を引き継がせようとしたが、本人に実力が伴わずに自滅した。下村博文・元文科相も同じだ。残った3人はというと、石破(茂)氏や野田(聖子)氏は政敵で、岸田(文雄)氏もリベラルで安倍首相とは思想が違う。安倍首相が9月の総裁選で3選してもしなくても、ポスト安倍に安倍路線が否定され、キングメーカーにはなれない」(同前) これも人事に私情を入れ、能力ではなくイエスマンとお友達を重用してきたツケが回ってきたといえる。※週刊ポスト2018年6月15日号

940NAME:2018/06/27(水) 01:26:57
【正論】
日本人は危機に気づかないのか 明治大学名誉教授・入江隆則
2018.6.26 11:40更新
http://www.sankei.com/column/news/180626/clm1806260004-n1.html

20世紀の地政学者マッキンダーは、海洋国家が大陸国家に対峙(たいじ)する際には、その中間に存在する半島の帰趨(きすう)が死活的に重要だと説いたことがあった。彼はこのテーゼを、紀元前5世紀のペルシャ戦争の昔からローマ帝国の時代を経て、20世紀の世界大戦の時代に至るまでの歴史を通観して確認している。東アジアの近代史には言及しなかったが、海洋国家の日本と大陸国家のロシアや中国との中間にある半島といえば、朝鮮半島しか存在しない。

 ≪東アジアの地政構造が変わる≫

 明治時代の日本の政治家たちはマッキンダーを読んでいなかったが、彼と全く同じ発想で日本の独立と繁栄のために朝鮮半島の重要性を理解していた。日清戦争と日露戦争を戦った動機や、後に日本が朝鮮半島を併合した意図もまさにそこにあったという事実を、私は拙著(『海洋アジアと日本の将来』)で指摘したことがある。

 第二次世界大戦と朝鮮戦争の戦後においても、朝鮮半島の南半分が韓国という名で海洋国家の側に残り、日本と韓国がともにアメリカの同盟国であったことが、日本の繁栄の一つの重要な基礎になった事実も、このマッキンダーの法則で説明できると考えている。 しかし、残念ながら今日の東アジアの安定と繁栄の構造、あるいはその基礎が崩れようとしているように思われる。韓国の文在寅大統領は確信的な「容共派」であって、国内の反北派の組織を壊滅させようとしているようだ。

 不幸にしてアメリカでは極東アジアの地政構造に無知なトランプ大統領が出現して、金正恩朝鮮労働党委員長との首脳会談で「融和ムード」を盛り上げた。このまま進めば、朝鮮半島の統一は北主導の下で実現する可能性があるかもしれない。 現在の北朝鮮は完全な中国寄りである。ここから予想されるのは、中国の意向に忠実で反日的な統一朝鮮が、アメリカによって承認されるという憂慮すべき事態の出現ではないだろうか。これは明治維新以降、今日に至るまでの、日本の一貫した朝鮮戦略とは全く正反対の政治構造が、極東アジアに出現することを意味しているはずである。

 ≪大陸国家と対決する時代に≫

 さらに付け加えるならば、第二次世界大戦後の日本人はアメリカ占領軍総司令官だったマッカーサーによって洗脳されてしまい、自虐的な東京裁判史観によって骨抜きにされてしまった。その結果、日本人は自分自身の目で歴史を見てそれを解釈するという、いわば「歴史の解釈権」を奪われてしまった。 日本の青年たちは自分たちが侵略国家の末裔(まつえい)であるかのような教育を受けさせられている。奇怪なことには、その方針をさらに推し進めたいという人々も、日本国内に存在しているようだ。

 アメリカの衰亡とその終焉(しゅうえん)が人々に語られるに至って久しいが、その結果がどうなるかといえば、日米安保条約は存在していても、実質としては日本独自の力で大陸国家の中国と対決しなければならない時代がやってくるということだろう。 であるとすれば、日本人が先行してまず成し遂げておかなければならないのは、第1には当然ながら現行日本国憲法の改正であり、第2にはそのうえでの日本核武装の実現だと思う。しかし、この2つは戦後の日本で一部の人々によって真剣に語られることはあっても、一向に実現しなかった課題であり、明日にもわれわれが直面するかもしれない緊急事態には間に合いそうもない。

941NAME:2018/06/27(水) 01:28:50
 ≪少ない先覚者に期待したい≫

 逆に現行の日本国憲法があるからこそ、戦後70年間この国は平和だったのだというような誤った認識を持つ人々は今も存在する。日本国憲法こそがノーベル平和賞に値すると語る人もいるようだ。 また、日本人の核に対する感覚は非常に鋭敏である。このため、核搭載の潜水艦を日本近海に展開しておけば日本の安全保障は万全になるという、他の国であれば常識的な発想さえもが「夢のまた夢」であり、実現の可能性はないと考えなければならない。

今日の日本の未曽有の危機を醸成しているのは、実はそういう戦後の日本人の消極的な発想にあるのだといえるが、その種の卑屈な考え方はいまだに広い大衆的な支持を得ているように見える。だからこそ事態は完全に八方ふさがりなのである。 とは言いながら、私があえてこういう警世の文章を書いているのは、それでもなお日本政府の内外に、先覚者の存在を一握りでも期待したいからである。

 150年前の幕末維新の際に、日本が近代国家としての最初の国難に直面したときにも、松下村塾の出身者などにわずかの先覚者がいて、それがやがては類を呼んで、日本が西洋以外における唯一の「近代化」を成し遂げる国となる基礎を築いた。いつの時代にも先覚者の数は少ないのであって、今再びその少ない先覚者たちに期待を寄せたいと思う。(明治大学名誉教授・入江隆則 いりえ たかのり)

942NAME:2018/07/09(月) 06:39:34
英放送「日本の秘められた恥」が波紋
BBC伊藤詩織氏告発番組が外国人女性に衝撃。「女性議員までが被害者を叩くのは異様」「日本人の助けは期待できない」の声も
2018/07/08 09:13
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/bbc%e4%bc%8a%e8%97%a4%e8%a9%a9%e7%b9%94%e6%b0%8f%e5%91%8a%e7%99%ba%e7%95%aa%e7%b5%84%e3%81%8c%e5%a4%96%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e5%a5%b3%e6%80%a7%e3%81%ab%e8%a1%9d%e6%92%83%e3%80%82%e3%80%8c%e5%a5%b3%e6%80%a7%e8%ad%b0%e5%93%a1%e3%81%be%e3%81%a7%e3%81%8c%e8%a2%ab%e5%ae%b3%e8%80%85%e3%82%92%e5%8f%a9%e3%81%8f%e3%81%ae%e3%81%af%e7%95%b0%e6%a7%98%e3%80%8d%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e5%8a%a9%e3%81%91%e3%81%af%e6%9c%9f%e5%be%85%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%84%e3%80%8d%e3%81%ae%e5%a3%b0%e3%82%82/ar-AAzIHTt#page=2

イギリスのBBCで放送されたドキュメンタリー『日本の秘められた恥』が波紋を呼んでいる。ご存じの方も多いだろうが、この番組は強姦被害を訴えた伊藤詩織氏をテーマにしたもので、イギリスを中心とした海外メディアからは続々とレビューや番組内容を紹介する記事が発表されている。

◆110年間変わらなかった強姦罪

 元TBSワシントン支局長で『総理』(幻冬舎)などの著書で知られるジャーナリスト・山口敬之氏から準強姦の被害を被ったと訴えた伊藤詩織氏。二度の不起訴処分を経て現在は民事係争中だが、「#MeToo」ムーブメントと結びつけられ、その動向は海外からも注目されている。 そんななかBBCで公開されたドキュメンタリーについて、海外メディアはどのように報じているのか?『テレグラフ』の記事には、次のような記述が見られた。

“『法的手段に訴えるなら、そうすればいい』と彼(山口敬之氏)は答えた。『勝ち目はないですよ』。おそらく、彼の自信は安倍晋三首相との親密な関係に拠るものだろう。だが、日本の強姦被害者は全体的に不利な立場にある。警察官のうち女性は8%しかおらず、法律では110年間にわたって、被害者が身体的抵抗を示す必要があった”

 法律的側面から日本の強姦被害を分析する記事はほかにも多く、『ガーディアン』にも同様の内容が。

“日本の強姦罪は1907年から改正されておらず、強姦罪の最低刑期は窃盗罪よりも短かった。日本をグローバルスタンダードにしている統計は、文化的、構造的に女性に対する性的暴行が深刻な問題として扱われていないことを示唆している” ’17年まで110年間、強姦罪に抜本的な改革がなかったというのは驚きだ。はたしてどれだけの日本人がその事実を知っているだろう?“『日本の秘められた恥』はとても観るのが辛いドキュメンタリーである。痛ましく、苛立たしく、悲惨だ。最後には視聴者に、切迫した激動の感覚を与え、そして楽観的に考えれば、大きな文化的シフトの始まりを予感させる”

また、被害者の傷口に塩を塗るような仕組みにも言及している。「セカンドレイプ」という言葉は日本でもかなり認知されてきたが、強姦被害者を助けるどころか、より追いつめるような捜査やケアには問題があると言わざるを得ないと指摘している。

943NAME:2018/07/09(月) 06:40:05
“(番組内で)伊藤氏は警察に行ったときに、何が起きたかを詳細に伝える。加害者に見立てた等身大の人形を使い、マットレスの上で事件時の状況を再現するよう言われ、男性警察官からはなぜ女性警察官に話したいのか説明するよう求められた。都内唯一の性暴力被害者の支援センターには、電話での相談を受けつけてもらえず、2時間かけて直接面談しに来るよう言われたという” 男性警察官を相手に被害状況を詳細に再現するというのは、相当な心理・肉体的なダメージがあるだろう。 一部には「日本を貶める番組だ」という意見もあるようだが、伊藤氏の事件を抜きにしても、性的暴行に対して社会がしっかり向き合っているとは言えない。被害を訴えても、それに対してバッシングが起きることも問題のひとつだ。

「男を誘うような服装をするのが悪い」「勘違いさせるような言動をしていた」「どうせ、あとから気が変わった」「賠償金目当ての美人局」 悲しいかな、いずれも被害者が声を上げたときにネット上などで、よく見られる反応だ。こういった投稿は多かれ少なかれ、どこの国でも見受けられる。だが、公の場で大真面目に主張されることはまずありえない。ましてや政治家がそんなことを語るというのは、先進国では考えられない事態だ。 しかし、今回放送された番組では、そんな発言がなんと衆議院議員の口から飛び出しているのだ。

『デイリーメール』を筆頭に、多くのメディアは “ある人物”の発言に注目している。“自民党所属の衆院議員で男女同権主義者を自称する杉田水脈氏は、伊藤氏の主張が嘘で、訴えられた男性側のほうが被害を被っていると語った。伊藤氏が訴えを公にすると、彼女のもとには脅迫がよせられ、ネット上では誹謗中傷を受けた” これに対して、杉田氏は自身のブログ上で、番組の内容は「切り取り」であると主張している。たしかに、通常であればこんなことを衆院議員、しかも自分も同じ被害者になりかねない女性が言うことはまずありえない。

“伊藤詩織氏のこの事件が、それらの理不尽な、被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます。「海外に日本の現状が誤って広がることをなんとか止めたい」インタビュアーの質問に応えながら、そればかり考えていましたが、そこはゴッソリ抜かして編集されたようで、とても残念に思います”(原文ママ)

 本来、セクハラ事件全般についての番組だったはずが、蓋を開けてみれば伊藤氏ばかりがフォーカスされており、自分の発言も意図した形では使われなかった……。ということを伝えたいようだが、このブログを読むとそもそも問題となっている「伊藤氏に落ち度があった」という考えは一貫している。

 杉田氏はツイッター上にも番組で発したコメントを自ら“補強”するような内容を投稿している。“私は性犯罪は許せない!無理やり薬を飲まされたり、車に連れ込まれて強姦されるような事件はあってはならないし、犯人の刑罰はもっと重くするべきと考えています。 が、伊藤詩織氏の事件が、それらの理不尽な、被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます”

“もし私が、「仕事が欲しいという目的で妻子ある男性と2人で食事にいき、大酒を飲んで意識をなくし、介抱してくれた男性のベッドに半裸で潜り込むような事をする女性」の母親だったなら、叱り飛ばします。「そんな女性に育てた覚えはない。恥ずかしい。情けない。もっと自分を大事にしなさい。」と。” 杉田氏は「もっと伊藤氏の“落ち度”を叩きたかったのに、当たり障りない部分しか使ってもらえなかった!」と怒っているのだろうか? こういったツイートを見る限り、番組内での発言が杉田氏の意図に反しているとは到底思えないのだが……。

944NAME:2018/07/09(月) 06:40:54
◆「日本人からの助けは期待していない」

 レビュー記事を読んで『日本の秘められた恥』の内容を知った外国人たちは大きな衝撃を受けている。感想を求めたところ、「辛すぎて話したくない」という意見もあったほどだ。「『男性の前で飲みすぎるのが悪い』なんてことを言う人は、明らかにフェミニストじゃない。こういうことを言う女性がいるのは絶望的で、とても悲しくなりますね。私自身、日本で(性的に)酷い目にあった知り合いを知っていますし、私も嫌な思いをしたことがあります。そういった被害を日本人の人に言わないのは、まさにこういう(杉田氏のような)意見が多いからです。日本人から共感や助けを得られることには期待していません。問題の根底には家父長制があると思います。(伊藤氏のように)声を上げる人が出てきたのは、いいことですね。たとえ酷いことを言われても、声を上げないことには何も変わりませんから」(ノルウェー人・女性・33歳)

 残念ながら、セクハラなどへの意識が低いというのは、日本を訪れたことがある外国人にはお馴染みなっているようだ。ほかにも女性からはこんな意見も。「なんてことなの!? 『男性と飲むのが間違い』って完全に狂ってる。いまだにこれだけ男女差があるって考えると、とても悲しいし、感情的になってしまいます。女性が自ら立ち上がったのに、レイプなんてたいしたことじゃないと思われているなんて。もちろん、私たち(女性)が弱すぎることもありますが。男性についての悪いことは言えません。私の周りでは、一度もレイプやセクハラを受けたことがないなんて女性は聞いたことがない。とても悲しいことです。男性の被害者もいますが、圧倒的に女性が多いですよね。本当に悲しいです」(デンマーク人・34歳)

 性的被害者の多くが女性だというのは日本に限った話ではない。しかし、その事実に向き合う姿勢には違いがある。「男ばかり責められて」という考え方は少なく、むしろ同じ男性として恥ずかしいという声があがった。「誰か性的に嫌がらせをされていたり、泥酔して困っていたら助けるべきだよ。酷い話だ。『#MeToo』が日本でアメリカほど機能していないのは、セクハラや暴行は被害者に問題があると思っている人が多いからじゃないかな? 被害を受けること、特に声を上げるのは恥ずかしいことだと思われてるように見える。統計を見ても嘘の被害報告はものすごく少ないから、アメリカでは被害者が本当のことを言っていると信じてもらえる。日本ではどうなっているのかわからないけど、こういったニュースを見たり、本を読むと女性が悪いって風潮が強いみたいだね。今回の番組でも衆院議員が『飲みすぎたのが悪い』って言ってるけど、イカレてるよ。日本もいつか変わると思うけど、かなり時間がかかると思う」(アメリカ人・38歳)

 また、この男性は伊藤氏について次のように語ってくれた。「どうせ、彼女の話はボロクソ言われるんだろ? しかも彼女はジャーナリストなのに、わざわざ嘘をつくはずないじゃないか。何もかも失って、得られるものはほんの少しの正義だけなんだから。こういったことを(日本の)みんなの前で主張するのは、狂っているかスゴく勇敢かだよ。僕には彼女が狂っているようには見えない。もっとこういう声を上げる人が増えるといいね。問題を無視するのは、加害者を助けるのと同じことだから」 はたして女性までもが被害者を責めるような状況は、いったいいつ変わるのか? 一人でも被害者を減らすためにも、より活発な議論が行われることに期待したい。 <取材・文・訳/林泰人>

945NAME:2018/07/09(月) 10:01:02
【昭和天皇の87年】
遂にロシア軍司令官が降服 世界が称賛した乃木希典の武士道精神
2018.7.8 07:00更新
https://www.sankei.com/premium/news/180708/prm1807080006-n1.html

旅順攻囲戦(6)

 ロシア旅順要塞司令官アナトーリイ・ステッセルが、第3軍司令官乃木希典に降伏を申し入れたのは、二◯三高地の陥落からほぼ1カ月後、明治38(1905)年1月1日である。 二◯三高地陥落以降、乃木は、敵の堡塁(ほうるい)近くまで塹壕(ざんごう)を掘り進めてから突撃する正攻法を一歩進め、地下に坑道を掘って堡塁の下まで達し、大量の火薬で爆砕する戦術を採用。それまで第3軍を苦しめていた要塞正面の永久堡塁を次々に攻略し、1日午後には旅順高峰の望台を落した。

 すでに戦意を喪失していたステッセルは、もはやこれまでと思ったのだろう。 要塞陥落の吉報に国民は歓喜熱狂した。1月3日の東京朝日新聞によれば、「(東京)市中各区は直(ただち)に祝捷(しゅくしょう)の準備に着手し、辻々の大国旗は殊に花やかに翻(ひるが)へり、各新聞社前は常よりも十倍大の紙片に旅順陥落、敵将降伏など筆太に記して号外発行の混雑恰(あたか)も戦地の如し。(日本橋界隈などの)家々は紅白又は浅黄(あさぎ)と白の幔幕を張り、燦然(さんぜん)花の林に入るが如し」だったという。

× × ×

 だが、陸軍上層部の一部には、冷ややかな空気もあったようだ。

37年7月26日の進撃開始から5カ月余り、乃木の旅順攻略に延べ約13万人もの兵力が割かれ、死傷者は6万人近くに達した。参謀次長の長岡外史は回顧録の中で、乃木の作戦を「同一の方法で同一の堅塁を無理押しに攻め立てた」と批判し、「第三軍参謀部の能力、如何(いかに)ひいき目に視るも感服は出来ぬ」と突き放している。

 余談だが、第3軍の作戦指導に批判的で、のちの歴史研究者らに影響を与えた戦前の陸大テキスト「機密日露戦史」(※1)は、長岡の回顧録など乃木と対立した軍関係者の証言に依拠するところが多い。戦後に乃木を凡将とする評価が広まり、現在も根強いのは、このテキストが一因だろう。

 一方、海外の識者らは、近代的な永久要塞を攻略した乃木の力量を高く評価した。 ロシア革命の指導者レーニンも、乃木の戦術に多くを学んだ一人だ。乃木が第1回総攻撃後に戦術転換したことを絶賛し、革命後の政策転換も乃木に見習えと檄を飛ばした。 「もし戦術に誤りがあるとすれば、その誤りを取りのぞかなければならない。(中略)われわれの知っているように、(乃木が第1回総攻撃後にとった)新しい作戦は、予想以上にはるかに長い期間を要しはしたが、完全な勝利におわったのである」(1921年の第7回モスクワ県党会議におけるレーニン演説)

× × ×

946NAME:2018/07/09(月) 10:03:21
もう一つ、乃木の名声を不動にしたものがある。 要塞陥落の5日後、乃木は敵将ステッセルと旅順北西で会見した。戦前の教科書に登場し、唱歌にまでなった「水師営の会見」である。 これに先立ち、参謀総長の山県有朋は乃木に打電し、「陛下(明治天皇)には将官ステッセルが祖国の為め尽くせし苦節を嘉(よ)みし玉(たま)ひ、武士の名譽を保たしむべきことを望ませらる」と伝えた。

 乃木は、この聖旨を忠実に履行する。勝者である軍司令官としてではなく一個人として会見にのぞみ、ステッセルと随員に勲章の佩用(はいよう)と帯刀を許した。 通訳を務めた第3軍参謀の津野田是重によれば、「双方隔意なき態度を以て雑談」し、こんなやり取りを交したという。

 ステッセル「閣下は当方面の戦場において、最愛の二子を喪われたとのことですが、まことに御同情に堪えません」 乃木「私は二子が武門の家に生まれ、軍人としてともに死所をえたことをよろこびます。彼らも満足して瞑目(めいもく)していることでしょう」 ステッセル「閣下は人生の最大幸福を犠牲にして、かえって満足しておられる。私などの遠く及ぶところではありません」 乃木「ところで貴軍の戦死者の墓が散在しているようですが、できることなら1カ所に集め、墓標を立てて氏名などを記しておきましょうか」 ステッセル「閣下は戦死者のことまで情けをかけてくれるのですか、お礼のことばもありません」 会見の様子は、武士道のあるべき姿として、戦前の日本人の心に深く染み込んだ。

それから35年余り。昭和15年6月22日、第二次大戦でフランスを破ったナチス・ドイツは、第一次大戦でドイツがフランスに降伏した因縁の地、コンビエーニュの森にフランス代表を呼び、降伏文書に調印させた。 それを知った昭和天皇は、こう言って嘆息した。 《何(ど)ウシテアンナ仇討メイタコトヲスルカ、勝ツトアヽ云フ気持ニナルノカ、ソレトモ国民カアヽセネハ承知セヌノカ、アヽ云フヤリ方ノ為メニ結局戦争ハ絶エヌノデハナイカ》(昭和天皇実録27巻124頁) (社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1)機密日露戦史は、陸軍中将の谷寿夫(ひさお)が陸軍大学の教官時代、兵学講義の教科書として著作したテキスト。公刊戦史にない史料や、日露戦争従軍者らの証言も含まれ、戦史研究における資料的価値は高い。戦前は一般に公開されなかったが、戦後にその存在が明らかになると、歴史研究者や小説家らが参考にするようになった。昭和43〜47年に産経新聞夕刊で連載された司馬遼太郎の「坂の上の雲」も、機密日露戦史を参考にしている。ただ、著者の谷は第3軍司令部の一次史料(参謀日記など)をほとんど利用せず、多くを第3軍に批判的な軍関係者の回顧談などに依拠していた。このため幾つか事実誤認があり、日露戦争で第4軍参謀長を務めた上原勇作(のち元帥陸軍大将)も「客観性に欠ける」などと批判していた。

なお、谷は陸軍士官学校15期卒で、二○三高地で戦死した乃木の次男、保典と同期である。陸大教官後は国際連盟陸海空軍問題常設委員や近衛歩兵第2旅団長などを歴任。昭和10年に第6師団長となり、南京攻略戦などに参戦した。しかし戦後は「南京事件」の責任者の一人としてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に逮捕され、中国の南京軍事法廷に移送。その後の戦犯裁判で谷は、「第6師団は軍機厳正であり、事件の証拠はすべて偽造である」などと主張したものの死刑判決が下され、22年4月26日、銃殺刑に処された。“勝者の裁き”による不当判決だが、谷は少しも取り乱さず、従容たる最期だったという。

【参考・引用文献】
○長南政義編『日露戦争第三軍関係史料集』(国書刊行会)
○『日露戦争第三軍関係史料集』所収の「大庭二郎中佐日記」
○参謀本部編『明治卅七八年日露戦史』(偕行社)
○和田政雄編『乃木希典日記』(金園社)
○谷寿夫『機密日露戦史』(原書房)
○長岡外史文書研究会編『長岡外史関係文書・回顧録篇』(長岡外史顕彰会)○明治38年1月3日の東京朝日新聞
○津野田是重『斜陽と鉄血』(偕行社)
○宮内庁編『昭和天皇実録』27巻

947NAME:2018/08/02(木) 01:11:46

日本経済 2019年危機
http://keieikagakupub.com/384NKK/adw/index_test03.html?utm_expid=67329226-209.r1z-FG2FQWiotQqzOibYFA.1&gclid=EAIaIQobChMIkqWw5f_L3AIVVZu9Ch3nBwnAEAEYASAAEgK-JPD_BwE&utm_referrer=https%3A%2F%2Fgoogleads.g.doubleclick.net%2Fpagead%2Fads%3Fclient%3Dca-pub-7341853905703022%26output%3Dhtml%26h%3D240%26slotname%3D1307916667%26adk%3D1889383145%26adf%3D3275078309%26w%3D672%26lmt%3D1533131470%26num_ads%3D4%26guci%3D2.2.0.0.2.2.0%26format%3D672x240%26url%3Dhttps%253A%252F%252Fdictionary.goo.ne.jp%252Fjn%252F216797%252Fmeaning%252Fm0u%252F%26flash%3D30.0.0%26wgl%3D1%26adsid%3DNT%26dt%3D1533131466306%26bpp%3D6%26bdt%3D975%26fdt%3D3697%26idt%3D3863%26shv%3Dr20180725%26cbv%3Dr20180604%26saldr%3Daa%26abxe%3D1%26prev_fmts%3D672x100%252C672x50%252C322x303%26correlator%3D2347964076090%26frm%3D20%26pv%3D1%26ga_vid%3D1220269634.1435814314%26ga_sid%3D1533131467%26ga_hid%3D1795599732%26ga_fc%3D0%26icsg%3D2263356102734844%26dssz%3D61%26mdo%3D0%26mso%3D4%26u_tz%3D540%26u_his%3D3%26u_java%3D1%26u_h%3D1080%26u_w%3D1920%26u_ah%3D1048%26u_aw%3D1920%26u_cd%3D24%26u_nplug%3D3%26u_nmime%3D5%26adx%3D249%26ady%3D1386%26biw%3D1481%26bih%3D531%26scr_x%3D0%26scr_y%3D0%26eid%3D21060853%252C21062171%252C368226400%252C370204028%26oid%3D3%26ref%3Dhttps%253A%252F%252Fwww.google.co.jp%252Furl%253Fsa%253Dt%2526rct%253Dj%2526q%253D%2526esrc%253Ds%2526source%253Dweb%2526cd%253D1%2526ved%253D2ahUKEwi2m83h_8vcAhVC7mEKHbqACNkQFjAAegQIABAB%2526url%253Dhttps%25253A%25252F%25252Fdictionary.goo.ne.jp%25252Fjn%25252F216797%25252Fmeaning%25252Fm0u%25252F%2526usg%253DAOvVaw1cT3JtQViWAxDU_0uJUW3Q%26rx%3D0%26eae%3D0%26fc%3D528%26docm%3D11%26brdim%3D193%252C296%252C185%252C124%252C1920%252C%252C1514%252C735%252C1498%252C531%26vis%3D1%26rsz%3D%257C%257CeEbr%257C%26abl%3DCS%26ppjl%3Df%26pfx%3D0%26fu%3D16%26bc%3D1%26ifi%3D4%26xpc%3DzXwmMPf4hg%26p%3Dhttps%253A%2F%2Fdictionary.goo.ne.jp%26dtd%3D3923

948NAME:2018/08/16(木) 14:11:35
【ガンジスのほとりで】
日本人を乗せた「記念日」 パキスタン人が親中に変わる日
2018.8.16 08:10更新
http://www.sankei.com/world/news/180816/wor1808160011-n1.html

「日本人を車に乗せたのは初めてだ。記念すべきことなので料金は不要だ」 パキスタンの首都イスラマバードでタクシーに乗った際、30代とおぼしき運転手の言葉に驚いた。かつて反日ムードが高まった某国で日本人と分かった瞬間、「降りろ」と告げられたことはあるが、タクシーで「無料でいい」と言われた体験は初めてだ。 なんでも父親が1990年代に日本に出稼ぎに来ており、技術力やマナーの良さを伝え聞いたという。こちらが恐縮するほど日本を持ち上げ、「子供心に父親は未来の国に行ったと思った」と振り返った。

 パキスタンで日本の存在感は高く、象徴的に語られるのが車のシェアだ。パキスタン自動車工業会によると、2016年7月から1年間に販売された乗用車18万5781台のうち、1台をのぞくすべてが日本車だ。工業会に非加盟のメーカーもあり、実態を完全に反映した数字ではないが、「少なく見積もって街を走る車の95%は日本車だ」(日系企業幹部)という。

 近年のパキスタンでは中国が巨額の資本投下を通じ、影響力を強めている。新首相に就任するイムラン・カーン氏も「中国から学びたい」と話し、親中路線を維持する見通しだ。「今は日本車だが、いつか中国車に買い替える日が来るのかな」。運転手の独り言が耳に残った。(森浩)

949NAME:2018/09/06(木) 01:37:02
「G7で唯一の有色人種」 麻生太郎副総理兼財務相が発言
2018.9.5 23:47更新
http://www.sankei.com/politics/news/180905/plt1809050027-n1.html

麻生太郎副総理兼財務相は5日、盛岡市で講演し「G7(先進7カ国)の国の中でわれわれは唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」と述べた。米国やドイツなどG7各国はさまざまな人種で構成されている。米国のオバマ前大統領もG7首脳会議に出席した。

 自民党総裁選で安倍晋三首相を支援する会合での発言。麻生氏は長期政権となった安倍政権で日本の国際的地位が高まったと指摘し「世界からの関心が日本に集まっている」と強調した。

950NAME:2018/09/10(月) 00:15:18
日本に「好意的」71%で断トツ1位 アジア太平洋4ヶ国で80%超 一方中国12%、韓国25%
Sep 4 2015
https://newsphere.jp/world-report/20150904-1/

米調査機関ピュー・リサーチ・センターが2日、アジアを中心に実施した新たな世論調査の結果を発表した。「アジア太平洋諸国の国民は、互いの国とその首脳をどのように見ているか」と題したレポートでは、対象国の中で「日本が最も好意的に見られている」ことを中心トピックとして伝えている。

◆2位の中国に差をつけての好感度1位
 ピューは「今後数十年間は、アジアの世紀となる見込みがある」と語り、世界におけるアジアの重要性が高まりそうだとの見方を示す。アジア太平洋地域の人々が、互いの国とその首脳をどのように見ているかは、ますます重要問題になっている、と指摘する。 4〜5月に実施されたこの世論調査は、アジア太平洋諸国10ヶ国(オーストラリアを含む)とアメリカの1万5313人を対象に実施された。

 調査では、日本、中国、インド、韓国の4ヶ国について、好感をもっているかが質問された。結果、日本が断トツのトップとなった。日本を除いたアジア太平洋9ヶ国の中央値では、71%が日本を好意的に見ていると回答した。レポートのサブタイトルは「日本は最も好意的に見られている。どの首脳も過半数の支持を得ていない」というものだった。 9ヶ国中4ヶ国で、日本への好感度が8割を超えた(マレーシア84%、ベトナム82%、フィリピン81%、オーストラリア80%)。 なお、日本に次ぐ2位は中国の57%。以下、インド51%、韓国47%と続いた。

◆中韓との歴史問題は別として、戦争の影響はもうない?
 その一方で、予想されるとおり、中国、韓国の日本に対する好感度は非常に低い(中国12%、韓国25%。前年比では微増)。概して、アジア太平洋地域の諸国民は互いを好意的に見ているが、日本と中国、韓国の関係は例外だ、とピューは述べている。

 中国人の53%は日本に対して「まったく好感をもっていない」と回答。これは各国中最多だ(ただし前年よりは減少している)。 ピューはこの結果について、「歴史的な根深い対立」の反映だと分析。また「長年に及ぶ歴史問題での反感」、「最近の領有権問題での緊張」が結果に表れている、としている。

 ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)は、戦争の記憶が結果に影響を与えているとの見方のようだ。日本に対する見方は、いくつかの国では世代間のギャップが大きく、大戦の記憶がいまだに重くのしかかっている高齢層では、より否定的な見方だった、と伝えている。その例として中国の高齢層(50歳以上)を挙げている。

 ピューによれば、日本を好意的に見るかについて、19〜29歳と50歳以上とでは、韓国で34ポイント、中国で11ポイントの開きがあったという。本データによれば、韓国でも若者層では、日本はそれほど嫌われていないのかもしれない。 香港のサウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙(SCMP)は、むしろ、(アジア全体として見れば)戦争の影響はすっかりなくなっているとの見方のようだ。そのことを同紙は「戦争? いつの戦争のこと?」と記事タイトルの中で印象的に語っている。

 第2次世界大戦終結から70年が経ち、日本はアジア太平洋地域の諸国民から、中国、インド、韓国よりも好意的に見られている、とSCMPは伝える。そして日本への好感度が71%だったのとは対照的に、中国への好感度はわずか57%だったと伝えている。

951NAME:2018/09/10(月) 00:15:36
◆中国をもっとも好意的に見ているのはどこの国? またその反対は?
 中国に関しては、ピューは、調査対象のアジア太平洋地域の過半数が好意的な見方だ、と伝える。

 国別では、パキスタン82%と、マレーシア78%が突出している。マレーシアは日本に対する好感度も高く、親日と同時に親中でもあるようだ。 反対に、日本とベトナムの中国に対する好感度は、著しく低い(日本9%、ベトナム19%)。ピューはこれについて、領有権問題への懸念が一因だろうと指摘している。ピューが7月に発表した他の調査で、日本とベトナム、そしてフィリピンは、中国との領有権問題を懸念事項として挙げている(日本83%、ベトナム83%、フィリピン91%)。

 しかし、フィリピンの中国に対する好感度は、54%とそれほど低くない。ピューによれば、昨年と比べて16ポイント改善したのだという。フィリピンの対中国の冷え込みは緩和されつつあるようだ。 なお、WSJは見出しで「海洋問題がアジアにおける中国の人気を圧迫している」として、この点を中心的に報じた。

◆韓国と中国はお互いの好感度に差。そこに注目した韓国メディア
 韓国は好感度で対象4ヶ国中最下位となったが、これに関してピューは、調査対象者のかなりの割合が「わからない」と回答、または無回答だったことも一因だとしている。パキスタンではこれが65%、インドでは52%に上った。聯合ニュースもこの点に触れている。この2国は、日本についても、それぞれ37%、38%が回答保留だ。地理的にも遠く、なじみが薄いのだろう。 また、韓国から中国への好感度は61%だったが、中国から韓国への好感度は47%だった。聯合ニュースは「韓中の相手国に対する好感度に差」と題して、これを中心に報じた。

◆安倍首相、習主席に対する各国の信頼は?
 今回のピューの調査は、4ヶ国への好感度だけでなく、日本の安倍首相、中国の習主席、インドのモディ首相への信頼感も質問対象としている。各首脳が国際問題に関して、正しい行動をすると信頼しているかどうかを尋ねたものだ。 サブタイトルにもなっているとおり、全体としては各首脳への信頼は半数に届いていない。しかしピューは、全体の中央値では、国ごとに大きく異なる実情が覆い隠されてしまう、としている。国への好感度以上に、首脳への信頼はばらつきが大きいようだ。ピューは、(国によっては)各首脳に対するなじみがないのもその一因だとしている。

 習主席への各国の信頼は、中央値で47%、不信頼は29%だった。安倍首相への信頼は43%で、不信頼は19%だった。 習主席への信頼は、マレーシアと韓国で高かった(72%、67%)。中でも韓国の50歳以上では、実に81%もが信頼しているという。 反対に、日本では、習主席に対する信頼はわずかに12%。不信頼は82%に及んだ。 安倍首相に対する信頼は、マレーシア、ベトナム、フィリピンで高い(73%、68%、68%)。マレーシアはやはり、親習主席であると同時に親安倍首相でもあるようだ。 反対に、韓国では7%、中国では18%が信頼と低調だった。韓国の63%は安倍首相をまったく信頼していないと回答している。これは各国中最多である。

952NAME:2018/09/11(火) 14:42:11
中国の誤算? 対日強硬策で日本が“ノーマル”な国に 豪研究機関指摘
Aug 18 2014
https://newsphere.jp/politics/20140818-2/

近年、中国は東シナ海や南シナ海において影響力拡大を図り、複数の関係国と係争を抱えている。自国の利益追求を強引に進める中国と日本の関係について、海外メディアが注目している。

◆防衛白書に反発
 CNNは、先日日本が発表した26年版防衛白書に対して、中国が強く反発したことを取り上げている。同白書は、中国の艦船や飛行機が南シナ海や東シナ海の係争地域で「危険な行動」をとっており、「不測の事態を招きかねない」と述べている。
 これに対して中国国防相は、日本の主張は軍備拡大の言い訳であり、「事実を無視するもの」で、中国による軍備開発に対する「いわれのない非難である」として、日本の主張をすぐさま退けたという。

◆中国主導がアジアの常態となるか
 ウォール・ストリート・ジャーナル紙の12日付の記事は、米政策研究所のマイケル・オースリン氏が、中国の影響力拡大は止めることはできず、日米の影響力は低下するという視点で今後のアジア情勢を解説している。 同紙は、アジア諸国と積極的に連携して中国に対抗しようとする日本の動きを取り上げている。防衛白書の刊行、アジア諸国への連携呼びかけ、ベトナムへの船舶供与、オーストラリアとの潜水艦共同開発計画などである。

 しかし、これらの活動に対して、中国は、係争相手国への態度を変えたり、軍備拡大路線を抑制するなどの動きは見せず、むしろ、自国の軍備近代化を正当化している可能性が高いと同紙は見ている。 中国の挑発に対抗できる相互安全保障組織はアジアに存在せず、頼りのアメリカも影響力が低下するとみられている。そのため、今後中国の影響力はさらに拡大し、中国の一強状態が、アジアの「ニューノーマル(新たな常態)」となると同紙は結論付けている。

◆中国は日本を大きく見誤っているか?
 一方、オーストラリアのシンクタンク「The interpreter」は、「中国は日本を誤解しているのではないか?」と題する論評で、中国の対日政策に疑問を呈している。 記事によると、中国にとって一番望ましくない日本の姿とは、再軍備を成し遂げ、独立した戦略を持つ「ノーマル(通常)な国家」であると考えられてきた。 ところが最近の日本は、中国の強硬姿勢が裏目に出て、ノーマルな国家の方向に向かっているようである。どうしたのだろうか?中国が日本を見誤った可能性としては次の2つが考えられる。

 1つ目は、たとえアメリカの支援が信頼できなくなったとしても、20年におよぶ景気停滞、政治的漂流、人口減少、自然災害の後では、日本はモラル低下のため、独立した軍備を持つことができないだろうという誤り。 2つ目は、アメリカのリーダーシップが低下しても、安倍首相の呼び掛けの下に国民が結集し、核兵器等一切を備えたアジアの軍事大国として再興することはなく、日本は大人しく中国に従属するだろうという誤り。 だが、中国がアジアで渡り合う相手としては、日本の方がアメリカよりも好ましいだろうから、全く愚かな戦略というわけでもないだろう、と記事は結んでいる。

953NAME:2018/09/11(火) 14:49:51
日本は世界一“先見の明のある国” 米誌の「世界一の国ランキング」 総合結果は?
Mar 14 2017
https://newsphere.jp/world-report/20170314-1/

毎年恒例となった、「世界一の国」ランキングが発表された。日本は、総合ランキングで昨年から2つアップして5位となった。なかでも、「先見の明のある国ランキング」では1位となった。

◆日本、「先見の明」で1位
 「The Best Country in the World(世界一の国)」リストは、米誌USニューズ&ワールド・レポートが毎年発表しているランキングだ。21,000人を対象に調査したもので、総合ランキングの他に、「冒険」や「起業」、「生活の質」など様々な部門ごとのランキングも存在する。

 今年1位となったのはスイスだ。失業率の低さや質の高い労働力に加え、低い法人税率やハイテク産業、さらには金融業界を中心としたサービス業の水準の高さなどに支えられた強い経済力が指摘されている。 一方、昨年のランキングで総合1位だったドイツは4位に後退。高齢化が進んでいることや、門戸開放型の政策が国内で論争の源になっていることが指摘されている。

 5位となった日本は、2011年の震災で打撃を受けた製造業はほぼ復興しているが、近隣諸国との領土問題や高齢化の問題がある、と指摘されている。部門ごとのランキングでは、「起業家精神溢れる国ランキング」で2位(1位はドイツ)、「成長が見込める国ランキング」で5位(1位はアラブ首長国連邦)と健闘。さらに「先見の明のある国ランキング」では1位となった。

 「先見の明のある国ランキング」は、ビジネスで意思決定をする立場にいる4,000人が「官僚制度」、「ダイナミックさ」、「起業家精神」、「革新性」、「技術的専門知識」について点数をつけたものを元に算出されている。日本に次いで2位となったアメリカを除き、上位5ヶ国中4ヶ国がアジアの国となった(3位韓国、4位シンガポール、5位中国)。

 総合ランキング上位10ヶ国は、スイス、カナダ、イギリス、ドイツ、日本、スウェーデン、アメリカ、オーストラリア、フランス、ノルウェーと、欧米諸国が圧倒的に多かった。

◆世界一悲惨な国
 この「世界一の国ランキング」は「国が持つ良いイメージ」を数値化したものと言えるが、逆に「国にとってマイナスの数字」をランキングしたとも言える、「悲惨指数」なるものも発表されている。これはブルームバーグが2017年のインフレ予測と失業率予測を合わせて算出したもので、全65の国と地域を順位付けした。ランクが低ければ低いほど、「悲惨ではない」ということになる。

 最も悲惨だとされたのはベネズエラで、3年連続で不名誉な1位に輝いてしまった。ベネズエラ最大の輸出品目である石油価格が低迷していることや、物価が今年6倍近くに跳ね上がると予測されていることなどが理由だ。

◆アジア諸国が大健闘
 一方、悲惨から最もほど遠いとされたのが、タイだ。ただしこれは、タイの失業率の換算の仕方がかなり独特だから、と指摘されている。

 日本はこのランキングでもかなり健闘した。65ヶ国中62位。つまり「悲惨ではない国」で4位に入った。このランキングを逆から見て「悲惨ではない順」に並べると、タイ、シンガポール、スイス、日本、アイスランド、台湾、デンマーク、イスラエル、韓国、香港と、10ヶ国中6ヶ国(地域)がアジアの国(地域)だった。

954NAME:2018/09/26(水) 16:15:13
安倍晋三首相「自由貿易の旗手」へ決意 国連総会一般討論演説・全文
2018.9.26 09:49更新
http://www.sankei.com/politics/news/180926/plt1809260005-n1.html

【ニューヨーク=田北真樹子】安倍晋三首相は25日夜(日本時間26日午前)、米ニューヨークで開かれている国連総会で一般討論演説し、「自由貿易の旗手」として世界の経済システム強化を主導する決意を表明した。演説の全文は次の通り。

 議長、ご列席の皆さま、向こう3年、日本のかじ取りを続けることとなった私は、連続6度目となります本討論に、思いを新たに臨みます。 今からの3年、私は、自由貿易体制の強化に向け、努力を惜しみません。 北東アジアから戦後構造を取り除くために、労をいといません。

■自由貿易の旗手として立つ

 思いますに、日本国民は、自国の指導者に対し、自由貿易の旗手として立つことを切望しておりました。なぜなら日本自身、戦後、自由で開放された経済体制の申し子として、貿易の利益に浴し、めざましく成長した国だったからです。 自由貿易体制は、アジア諸国を順次離陸させ、各国に中産階級を育てました。背後には、1980年代以降、日本からこれら諸国に向かった大規模な直接投資がありました。 みな、国際経済システムが、ルールに基づき、自由でオープンなものだったおかげです。

 このシステムに最も恩恵を受けた国・日本が、その保全と強化のため立たずして、他の誰が立つのを待てというのでしょう。日本の責任は、重大です。 それは、日本の歴史に根差した使命でもあります。 日本には、近代日本の産業化を支えた石炭のほか、めぼしい資源はありませんでした。しかし戦後の日本は、貿易の恵みに身をゆだねたところ、資源が乏しくても、奇跡といわれた成長を実現できたのです。 貿易と成長の間の、今や常識と化した法則を、最初に身をもって証明した国が日本です。日本は、貿易の恵みを、世界に及ぼす使命を負っています。

955NAME:2018/12/22(土) 23:44:30
保守派が好きな"本来の日本"という謎概念
古谷 経衡
2018/12/20 09:15
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e4%bf%9d%e5%ae%88%e6%b4%be%e3%81%8c%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e6%9c%ac%e6%9d%a5%e3%81%ae%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e8%ac%8e%e6%a6%82%e5%bf%b5/ar-BBRc5TP?ocid=iehp

拉致問題を担当したことで、保守派からの人気を集めた中山恭子氏に、厳しい視線が注がれている。日本のこころから離党した昨年9月に、同党支部の政党交付金約2億円を自らの政治資金団体に移していたことが明らかになったのだ。中山氏に対し、かねてから疑問を呈してきた文筆家・古谷経衡氏は「『本来の日本を取り戻したい』と言うが、『本来の日本』が何処に存在するものか、よく分からない」と指摘する――。

※本稿は、古谷経衡『女政治家の通信簿』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

硬直した「マトリックス史観」の持ち主
中山恭子 元拉致問題担当大臣

1940年生まれ。東京都出身。夫は文部科学大臣などを務めた中山成彬。東京大学文学部卒業後、大蔵省入省。退官後、在ウズベキスタン特命全権大使、内閣官房参与、首相補佐官を経て、2007年参院選にて当選(自民党・比例)。その後、日本維新の会、次世代の党などを経て、現在は希望の党顧問。

中山からはマトリックス史観を強く感じる。マトリックス史観とは、「現実の世界や現実の社会、現実の日本というのは嘘の存在である。この世界は、『左翼勢力』『反日勢力』に遮蔽されているだけで、私達の知らない本当の日本というものがあり、それに目覚め、あるいはそういった『真の日本』を認識して、それを取り戻さなければならない──」というものだ。

中山の著書『国想い 夢紡ぎ』(万葉舎、2011年)には、中山の硬直したマトリックス史観を随所にうかがう事ができる。
〈平和の維持、自由主義の堅持を基本として、今なすべき事は、戦後シンドロームからの脱却です。(中略)ウズベキスタン共和国のカリモフ大統領が、「日本は戦後シンドロームから抜け出して世界に大きく貢献するときに来ている(後略)」と発言されました(注*中山は小泉政権時代、ウズベキスタン大使だった)。それまでにも、戦後シンドロームと言う言葉は幾度も聞いていましたが、このとき「本来の日本を取り戻したい。取り戻さなければ」と強く心に刻みました〉
「戦後シンドロームからの脱却」を教育に求める

戦後シンドロームとは、直訳すれば戦後症候群となる。私は戦後シンドロームという言葉をあまり聞いたことは無いが、中山は「戦後シンドロームからの脱却」を、とりわけ教育問題に絞る。日本教職員組合を戦後ソ連のコミンテルンの支持を受けて勢力を拡大した組織、と定義した上で、
〈日教組による反日、自虐教育が終戦直後から現在まで長期に亘って行われているという極めて憂慮すべき事態が、現に目の前にあることを認識しなければなりません。現在の教育問題はここに原点を発し、日本を蝕んで来ました。子供達の将来を考えると、心が震えるほど心配になります〉
としている。このような教育というのは、「日教組による反日的自虐教育」「ゆとり教育」「日本語教育の不備」と指摘している。この日教組に対する不信は、中山の夫・中山成彬にも共通の世界観であり、中山夫妻共通の思想である。 かくいう私も、義務教育において、中山の言う「自虐教育」ともいうべきカリキュラムに親しんできた。私の地元は北海道教職員組合の組織率が強く、伝統的に社会党のイデオロギーが強い地域であった。

956NAME:2018/12/22(土) 23:44:54
「自虐教育」を受けても憂慮される人生にはなっていない

しかし、果たして私自身がそうであったように、仮にこの教育方針を自虐教育とするならば、私はそれに従順だったのかと言えば、結果として真反対の人間になった。 憲法九条についてはその二項を削除・修正して国防軍を創設する。対外関係にあっては対米自立を指向し、強力な自主防衛を貫徹し、その達成のためには核武装も辞さず、当然防衛予算を増強する。先の戦争についての評価は、満州事変以降の日本の大陸侵略は間違った国策だったが、日米戦争にあっては自衛戦争の側面を認め、むしろ石原莞爾のような洋の東西の文明衝突的価値観から捉える云々──。

こうして私の現在の思想を振り返ってみると、中山の言う「自虐教育」の最前衛とも呼べる地域で六・三・三の十二年の教育を終えたが、「本当に幸せな、豊かな人生を送れるとは到底考えられません」(前掲書)と憂慮されるような人生に至っているという自覚は無い。 私は、個性とは学校教育の外部から発生するものであり、学校教育は後年の人格を規定せず、むしろ学校教育での強制は学童に真反対の効果を与える、と思っている。

学校教育で強制される「上からの規格」は、往々にして反発を生み、そこから逸脱する存在を大量に生む。人間とはそういうものだと私は思っているし、事実そういう事例を山ほど見てきたが、どうも中山の人間観、子供観と言うものはそうではなく、「上から教わったものをそのまま受容する」極めて規格的な人間が、一切抵抗することなくそのまま後年の人格を形成すると想っているようだ。

私はこの感覚がよく分からない。みんな、そんなに少年期に教わったとされる学校教育の内容に従順なのだろうか。私は中学校の社会科教師があの戦争について何を言ったのか、全く覚えていないが、成人してから読んだ「真っ当」な歴史研究者の本の内容の方に圧倒的に強い影響を受けている。

「本来の日本」はどこに存在するのか

戦後シンドロームの存在を前提として、「本来の日本を取り戻したい。取り戻さなければ」と決意するのは結構だが、「本来の日本」とは何処に存在するものかは、中山の世界観からはよく分からない。うっすらとそれが戦前の一時期にあるようであるのは、中山の著書の中から類推されるが、中山は1940年生まれで終戦当時5歳。中山自身が言うように、中山自体が「コミンテルンによる自虐教育」を受けてきた世代であるはずだ。中山の言う「本来の日本」が仮に戦前にあるとして、中山自身はそれを体験していない。 もしかしてその「本来の日本」とは、「乳と蜜あふれる約束の地」(旧約聖書)のように、これまでの日本人が一度も手に入れた事の無い理想郷であるならば、それはやはりマトリックス史観の一種で、SFの領域であると言わなければならない。

「中山恭子=拉致問題」で保守派の人気を得た

さて、中山恭子と言えば、第一次安倍内閣で拉致問題対策本部・事務局長に就任し、続く福田康夫内閣で拉致問題担当、麻生内閣で内閣総理大臣補佐官としてやはり拉致問題を担当した。小泉以降の自民党三政権(2006〜09年)で、中山恭子=拉致問題というイメージは補強され、保守派からの人気は極めて高いものになった。

その人気は中山の得票数に表れている。初当選した2007年の参院選全国比例では38万6000票の個人票を獲得して自民党三位(このとき一位は舛添要一)。この後、自民党が下野したため、中山は自民党から離党して日本維新の会に移った。ちなみに自民党代議士として文科大臣・国土交通大臣を務めた夫の中山成彬が地元の自民党宮崎県連との係争で同党からの衆議院出馬がご破算になったあげく、自民党から除名されたために、中山恭子は常に夫と共に行動を取るようになる。中山成彬も恭子と同時に、たちあがれ日本→日本維新の会へ党籍を変更している。

そんな中、中山恭子にとって転機だったのは、日本維新の会から石原慎太郎率いる次世代の党が分裂したことだ。 日本維新の会が江田憲司率いる中道の「結いの党」と合併したことに立腹したため、一気に石原一派が分党して「次世代の党」を作った。「自民党より右」を高らかに掲げた次世代の党へ、ネット世論、保守層・右派は狂喜乱舞した。当然、中山恭子と成彬も次世代の党についていった。時に2014年8月1日のことであった。

957NAME:2018/12/22(土) 23:45:14
「自民党より右」は一般の有権者から遠かった

ところが次世代の党結成からわずか4カ月後に行われた2014年の解散総選挙で、解散前勢力19議席を誇った次世代の党はわずか2議席と壊滅的打撃を被った。保守派・右派とネット右翼は、雑誌で、SNSで、遊説でと、次世代の党を応援しまくったが全く効果が無かった。いかに「自民党より右」という極端な同党の立場が、一般の有権者の皮膚感覚から乖離していたかの証左である。

このとき、日本維新の会で衆議院議員となって、次世代の党に移って落選した代議士たちは長い長い冬の時代を迎えることになった。が、中山恭子には関係が無かった。なぜなら中山恭子は参議院議員だったからである。2014年の衆議院選挙における次世代の党の壊滅は、落選議員の自民党復党と、次世代の党の党勢衰微にますます拍車をかけた。この選挙で、小選挙区で当選した平沼赳夫と園田博之は二人そろって、2015年10月に自民党に復党した。

こうなると次世代の党は衆議院に議席を失い、参議院だけの小政党となった。このとき次世代の党は松沢成文、和田政宗、江口克彦、浜田和幸、中野正志、そして中山恭子の、いずれも全員参議院議員だけの6名の政党になった。この中で最も知名度があるのは中山恭子であり、中山が推される形で次世代の党の党首になった。

親安倍から反安倍に一転

中山体制下にて、次世代の党は「日本のこころを大切にする党」への党名変更を行った。略称は「こころ」だったが、同党を揶揄する一部のネットスラングでは「日コロ」などと言う別称も出た(その後、「日本のこころ」へ再度改名)。いずれにせよこの時点でいずれ行われるであろう衆議院選挙での党勢回復は全く望めないのだった。危機感を覚えた幹事長代理の和田政宗は、離党して自民党に入党した。いよいよ「こころ」の立場は危うくなった。

2017年9月。週刊誌、テレビ、SNS、全国を熱狂させている「小池劇場」の進展を眺めていた中山恭子は、同党を離党し小池率いる「希望の党」に夫の中山成彬とともに入党した。 これは中山恭子にとって重大な政策転換であった。「希望の党」入党に際し、それまで「森友学園・加計学園」(モリカケ)問題について、安倍総理に全く瑕疵は無い、と政権擁護を繰り返していた夫妻が、一転して「モリカケは問題だ」として反安倍・反自民への立場に180度転換したのである。

小池にとって旧次世代の党の領袖を自らに加えることは、「希望の党が保守層へとウイングを広げること」との野心があったとされるが、逆に保守層は中山夫妻への反発を深めた。「モリカケ問題なし」から「モリカケ問題あり」と親安倍から反安倍に転向したことは、「モリカケ問題は朝日新聞の捏造」とまで糾弾の度を強める保守派にとっては許しがたい裏切り行為と映ったのである。

小早川秀秋の裏切りに似ている

中山恭子は参議院議員なので2017年衆院選は関係が無い。しかし長らく下野が続き自民党からも除名され、冬の時代を生きてきた夫・中山成彬を第一におもんぱかっての「希望の党」入党であろう。事実中山成彬は「希望の党」から公認をもらって同選挙の比例九州ブロックで当選し、代議士に復帰した。

ところが総選挙後、「希望の党」が立憲民主党に及ばない野党第二党の結果に終わると、中山恭子、成彬夫妻は、同じく旧次世代の党から「希望の党」に入党してきた松沢成文らと合議して、再度「希望の党」からの分党を計画していることが報道された。拉致問題に熱心な愛国政治家として自民党下野時代に盛んに保守系論壇誌に登場していた中山恭子、成彬夫妻に対して保守層は急速に冷淡な態度を示している。

常に夫と行動する中山恭子の姿勢は、よく言えば「古き良き日本女性」による内助の功というやつかもしれないが、一度でも安倍に敵対する小池にすり寄った、という事実を裏切りと考える保守派に、再度の中山人気は起こらないであろう。

元々態度が違う正反対の人よりも、一旦身内と認識したものに裏切られたと感じたときの憎悪は激しい。大谷吉継が小早川秀秋の裏切りに「三年の間に祟りをなさん」と叫んで自害した故事に似ている。やはり真の敵は遠くの敵よりも近くの元味方なのである。(文中敬称略)

958NAME:2018/12/23(日) 15:18:30
【一服どうぞ】裏千家前家元・千玄室 元寇退けた武家の軍事力
2018.12.23 13:03コラムその他
https://www.sankei.com/column/news/181223/clm1812230004-n1.html

わが国が初めて近隣諸国から侵略されたのは、元寇すなわち蒙古襲来である。漢民族を破り元の国を打ち建てたモンゴルが日本にまで矛先を向けたのが、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)であった。平安朝から鎌倉幕府創立の時期で武士の勢力が確立していたのが幸いし、軍事力により蒙古軍を退けることができた。特に弘安の役では今でいう台風の強風が吹きまくったために一夜にして蒙古軍の船は遭難し逃げ帰った。得たり賢しとばかりに宗教関係者は「日本は神風によって守られた」と神風の力を言い始めた。後々までこの神風という言葉が苦難の時に用いられる。太平洋戦争末期に空に海に特攻隊が編成されたときも、頭に「神風」がつけられた。ただしこの場合は「カミカゼ」ではなく「シンプウ」とわれわれは呼んだが、米国では「神SUICIDE(自殺)」とか「カミカゼ飛行」などと呼ばれている。

日本は武家の力で敵を撃破したのにそれを神風の力だけとし、日本には武力などの軍事力は必要ないと今日においてもそれを前提にまことしやかにいい述べる人々がいる。 モンゴルが日本侵略を思い付いたのは、滅ぼした中国の宋の捕虜を厄介払いするためにそれらを軍勢の主としたとの説もでている。ともかくこの元寇が、海外から日本が攻められた唯一のものである。中国はこの後勢力を盛り返し、国土を統一した明王朝は長く続き大国としての覇権を目指したのである。

 中国は産業革命などの技術の発展においては英語圏に比して遅れ、欧米各国に押さえられた。欧米がキリスト教を中心にしているのに対し東洋では中国で生まれた儒教の朱子学が思想哲学の核であり日本でも重用された。江戸時代には朱子学による道徳基準をたて武士の尊重とともに士農工商の意義をつくった。しかし戦国の世から離れ、平和の時がたつにつれ武士の立場が弱くなった。というより金や米を操る商人の力が強くなり武士がそれに頼るという、「金」の力がものを言う世の中になった。禄高(米)を与えられる武士の生殺与奪権を金に換える両替商が栄え、朱子学の教えなどどこかにいってしまった。

ちょっと今日の世の中に似ている。金が物を言うのはいつも同じである。どの藩も余裕はなく大抵が赤字負債を抱えていた。江戸屋敷の御用人は豪商に頭を下げ金の力に屈服していた。九州の島津家では財政逼迫(ひっぱく)を調所(ずしょ)笑左衛門という若い茶道方が上手に克服している。茶道方とは茶道を教えることを役として働くのだが、各藩にいた。単なる茶道役とは違って茶道具を戦略として使いながら藩の立て直しをはかったのである。

当時は軸物をはじめとする道具類が、株のように価値を持ち一つの財産であったことを忘れてはならない。その証拠として明治維新で廃藩になった大名武家が生活のため、唯一の財産である茶道具を豪商や一般人に売ったのである。これらが今もなお名物ものとしてその価値を示しているのを見てもわかるであろう。(せん げんしつ)

959NAME:2019/03/05(火) 14:01:48
“自動車民度”が低い日本。健常者が身障者用駐車場に停めてもおとがめなしって変だよね…
加藤久美子 2019/03/04 17:09
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E2%80%9C%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E6%B0%91%E5%BA%A6%E2%80%9D%E3%81%8C%E4%BD%8E%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%82%E5%81%A5%E5%B8%B8%E8%80%85%E3%81%8C%E8%BA%AB%E9%9A%9C%E8%80%85%E7%94%A8%E9%A7%90%E8%BB%8A%E5%A0%B4%E3%81%AB%E5%81%9C%E3%82%81%E3%81%A6%E3%82%82%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%82%81%E3%81%AA%E3%81%97%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A4%89%E3%81%A0%E3%82%88%E3%81%AD%E2%80%A6/ar-BBUllMf#page=2

高速道路のサービスエリアや過去10年位にできた新しいショッピングモールの駐車場には必ず、身障者用の駐車場が備えられている。2006年に施行されたバリアフリー新法によって、「障害者等用駐車区画」の設置が一定規模の施設に義務付けられたことが大きな理由だ。しかし、残念ながら「障害者等用駐車区画」の不正利用は後を絶たない。世界に名だたる自動車先進国でありながら、“自動車民度”が相変わらず低い日本。国が何もしないので、地方自治体が動き始めていることにも注目したい。

■車椅子マークの本当の意味とは?

健常者はもちろん、身障者も正確に理解してない人が多いのだが、100均でも手軽に入手できる青地に白の車いすマークはそもそもクルマに貼って駐車免罪符にするものではない。正式名称を「国際シンボルマーク」と言い、これは障害者が利用できる「建築物や施設」であることを示すマークなのである。クルマに使うべきものではないのだ。それを身障者が使うならまだしも、健常者が障害者用駐車場に駐車するために付けるという、非常に腹立たしいケースも日常の光景になった。そしてひどいことにこれには罰則規定がない。せいぜい警備員に注意される程度だ。(注意されたところで、そういうところに停めるヤカラは、逆切れするのがオチ。反省等するはずもない)

■アメリカでは、私有地であっても駐車禁止の取り締まり対象になる!

筆者が10年前に体験したことだが、変形性膝関節症によりクルマ椅子利用の母(身体障碍者手帳あり)を連れてアメリカ旅行に行ったときのこと。ロサンゼルスの日系ホテル内にある身障者用駐車スペースに当然のように停めていたのだが…なんと3日目に駐車禁止で取り締まられてしまった。罰金は250ドル!なんで?私有地なのに?慌ててフロントの日本人スタッフに相談すると、ホテルの日本人オーナーが一緒に警察に行って、旅行者である故、罰金を免除してもらえるよう交渉してくれるという。

結論から言えば事なきを得たのだが、アメリカでは政府が発行する駐車許可証を持っている者だけが身障者用駐車場に停めることができて、それがなければ処罰の対象になるのだ。お店やホテルなどの私有地であっても容赦ない(アメリカと日本では車椅子の利用の仕方がかなり違っていて、アメリカでは身障者が自ら車を運転して目的地の駐車場に停めるケースがほとんどという事情もあるが)。

960NAME:2019/03/05(火) 14:02:10
■日本は国が何もしないので、地方自治体が動き始めている!

バリアフリー新法が施行されて10年経過したが、相変わらずマナーの悪い、民度の低い健常者ドライバーは全く減っていない。国はなぜ放置しているのか?と、検索してみると平成14年の第154回国会にて「障害者用駐車ますに駐車する健常者に対する罰則規定の新設に関する請願」が行われたようである。15年も前だ!しかし、その後、この件について国会で取り上げられることはなかった模様……。

そこで、動き始めたのが地方自治体である。2006年、佐賀県の「パーキングパーミット」(身障者用駐車場利用証)制度が口火を切った。これは、本当に身障者用駐車場を必要とする人に県内で共通の「利用証」を交付することで、駐車場利用者を明確にし、駐車スペースを確保する制度である。佐賀県から始まり、2017年6月現在は36府県2市で同様の制度が実施されるまでに拡大した。(東京・神奈川・千葉・愛知など大都市を抱える都県はこの制度は無し!)制度実施自治体間による利用証相互利用も可能となっている。

■「駐車禁止除外指定車標章」の不正使用も大問題

身障者用駐車スペースへの健常者の駐車に関しては何も罰則がないのが現状だが、公安委員会より身障者に発行される「駐車禁止除外指定車標章」の不正使用は、取り締まりの対象となっている。2016年に大阪府警が府内全域で初の一斉取り締まりを実施した際には、なんと標章を置いていた車126台のうち約4割が不正使用だったという。ここでいう不正使用とは車を路上駐車する際、障害者本人が同乗していないのに標章を掲示し、通勤や買い物などの目的で使っているという状況のこと。標章の不正使用を確認したドライバーには交通反則切符(青切符)が交付されたそう。

これはこれで確かに悪質であるけれど、実際は自ら運転して身障者用駐車スペースに停める必要がある場所に、平気な顔をして置いている健常者の方が罰則はなくても悪質で迷惑ではないかと思う。

961NAME:2019/03/11(月) 19:06:16
「日本よ立ち上がれ」「一帯一路に関わるな」海外出身3論客語る 「正論」トークショーに850人
2019.3.9 20:09国際朝鮮半島
https://www.sankei.com/world/news/190309/wor1903090014-n1.html

産経新聞社の月刊誌「正論」主催のトークショーが9日、東京都千代田区の砂防会館で「日本よ立ち上がれ!」と題して開かれ、米国弁護士でタレントのケント・ギルバート、評論家で拓殖大教授の呉善花(オ・ソンファ)、評論家の石平の海外出身の3氏の議論に、約850人が耳を傾けた。

 米朝協議が合意に至らず米中貿易戦争も続き、東アジア情勢の行方が見通しにくいなか、呉氏は朝鮮半島情勢について「北朝鮮との恋に落ちてしまっている韓国を、日本が引き留めようとしても無理」と指摘。ギルバート氏は「トランプ米大統領は中国の習近平国家主席を引きずり降ろそうと考えているはず」として、米中貿易戦争は5年続くと予想した。

石氏は、米中の対立が深まれば中国は日本にすり寄ってくるとして「日本は中国に接近しすぎないほうがいい。まして“ヤミ金融”というべき一帯一路計画に日本は絶対、関わってはいけない」と強調した。

962NAME:2019/03/14(木) 21:46:35
日刊ゲンダイDIGITAL 政治・社会 政治ニュース 記事
麻生氏ポロリ本音 “アベノミクス偽装”は「支持率のため」
公開日:2019/03/13 14:50 更新日:2019/03/13 14:50
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/249359

「総雇用者所得は増えている」「有効求人倍率が全都道府県で1倍を超えた」など安倍首相がアベノミクスの成果を喧伝するフレーズには、「政権にとって都合のいいデータばかり利用している」という疑惑が付きまとってきたが、やっぱりそうだった。12日の参院財政金融委員会で麻生太郎財務相がポロリとホンネを漏らしたのだ。

 国民民主党の大塚耕平代表代行は質問で、「総雇用者所得が増えている」背景として、法改正により2018年に配偶者控除が年収103万円以下から150万円以下に拡大された点を指摘。夫が控除を受けるために103万円以内に抑制して働いていた妻が150万円に増やせば、結果として総雇用者所得は増える。だから、成果だけをアピールするのではなく、こうした増加要因もきちんと説明すべきと言うと、麻生氏は「その通り」と認めた上で、こう答えた。

「表現する時はなるべくいいことを言わないと支持率が上がりませんので、私どもとしては努力していろいろいいことを探して申し上げている」

大塚氏の質問が厳しい追及型ではなく提案型だったため麻生氏は油断したのか、支持率のためなら手段を選ばない安倍政権の正体がバレた瞬間だった。

「政権に対する世論調査は本来、支持率が高ければ政策への評価も高くバランスが取れているものですが、安倍政権の場合、支持率の高さに比べ、政策への評価が低い。政策の中身で勝負できないので、上っ面の都合のいいデータを利用して、支持率頼みで底上げに躍起になっているのが実態です」(政治評論家・野上忠興氏)

 麻生氏には、17年衆院選の自民圧勝に際し「北朝鮮のおかげ」とホンネを漏らした“前科”がある。正直なのかマヌケなのか。

963ケント・ギルバート:2019/04/02(火) 12:25:25
15万人の日本女性が米軍の慰安婦になりました

1945年、日本が投降して敗戦した直後、日本政府は特殊慰安施設協会(RAA)を
設立して、数万人の日本人女性を募集し、進駐軍(もっぱら米軍)兵士のために
性的サービスをさせました。
この国営慰安所は翌年ダグラス・マッカーサー占領軍司令官が閉鎖命令を出すまで
続きました。
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/wom/1327200928/75-108

964NAME:2019/05/12(日) 20:49:29
かつて日本人の心は清らかで美しかった。
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2010/11/post-2155.html

昭和16年(1941年)12月8日、日本軍はマレー半島東側に上陸し、イギリスがアジア植民地支配の牙城として難攻不落の要塞を誇ったシンガポールへ向けて、マレー半島1000キロの縦断進撃を開始しました。後にマレーシアの上院議員となったラジャー・ノンチック氏はこのとき16歳の少年で、ラジオ放送で日本軍上陸の報を聞きます。そしてノンチック少年は身の毛のよだつような興奮と緊張に立ちすくんでいましたが、急いで父ラジャー・イシャックの部屋に飛んでいきました。
 
「とうとう日本軍が来たね」
そうしている間にも、胸がジーンとしてきて、身体の震えが止まらなかったといいます。
 
 ノンチック氏はこの大東亜戦争について以下のように述べています。 「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍をみたときに、今まで感じたことの無い興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです」

 ノンチック氏は日本の大東亜省が推進した「南方特別留学生」に選ばれ、日本に来てマレーの独立運動を行い、宮崎高等農林学校(現宮崎大学)、陸軍士官学校で学び、福岡へいき、東大で学びました。日本敗戦後はマレーに召還となりマレー独立のために活動し、後に国会議員となりました。戦前の日本を良く知り、戦後の日本も良く知っていました。そのノンチック氏は戦後の日本を心配して次のように述べています。
 
「今の日本人にアジアへの心が失われつつあるのを残念に思っています。これからもアジアは、日本を兄貴分として共に協力しながら発展してゆかねばならないのです。ですから今の若い日本人たちに、本当のアジアの歴史の事実を知ってもらいたいと思っているのです」

 現代日本人は歴史を奪われ大東亜戦争を「侵略戦争」だったと洗脳されています。日本人は自虐と自信喪失に陥っています。だからノンチック氏は日本人に本当のアジアの歴史の事実を知ってもらいたいと述べています。そしてノンチック氏は日本人が日本人の心を失い、利己主義、金拝主義に陥ることを心配して以下の詩を書いています。日本人は本当の歴史を知り、ノンチック氏の言葉を噛み締めるべきでありましょう。

965NAME:2019/05/12(日) 20:49:59

 かつて 日本人は 清らかで美しかった
 かつて 日本人は 親切で心豊かだった
 アジアの国の誰にでも 自分のことのように
 一生懸命つくしてくれた


 何千万人もの 人の中には
 少しは変な人もいたし 
 おこりんぼや 我が儘な人もいた 
 自分の考えを 押しつけて
 威張ってばかりいる人だって 
 いなかったわけじゃない

 でも、その頃の日本人は 
 そんな少しの嫌なことや 不愉快さを越えて
 大らかで 真面目で 希望に満ちて明るかった

 戦後の日本人は 自分達日本人のことを
 悪者だと思い込まされた 
 学校でも ジャーナリズムも
 そうだとしか教えなかったから 
 真面目に 自分達の父祖や先輩は
 悪いことばかりした 残酷無情な
 ひどい人達だったと 思っているようだ

 だから アジアの国に行ったら ひたすら ペコペコ謝って
 私達はそんなことはしませんと 言えばよいと思っている

 そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
 自分の国や 自分までが 偉いと思うようになってきて
 うわべや 口先だけでは 済まなかった 悪かったと言いながら 
 独りよがりの 自分本位の 偉そうな態度をする
 そんな 今の日本人が 心配だ


 本当に どうなっちまったんだろう
 日本人は そんなはずじゃなかったのに
 本当の日本人を 知っている 私達には
 今はいつも 歯がゆくて 悔しい思いがする

 自分のことや 自分の会社の利益ばかりを考えて
 こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
 ヒョロヒョロの日本人は これが本当の日本人なのだろうか

 自分達だけでは 集まって
 自分達だけの 楽しみや 贅沢に耽りながら
 自分がお世話になって住んでいる
 自分の会社が仕事をしている
 その国と 国民のことを 蔑んだ眼でみたり バカにしたりする

 こんな 人達と 本当に仲良くしてゆけるだろうか
 どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ

 1989年4月 クアラルンプールにて

参考文献
 日本教育新聞社「日本人よありがとう」土生良樹著
 展転社「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編

966NAME:2019/06/14(金) 21:44:56
「中国や韓国にバカにされるな」亀井静香氏が安倍首相に進言 憲法改正は「丸ごと変えるのが自民党本来の姿」
夕刊フジ / 2019年6月14日 17時11分
https://news.infoseek.co.jp/article/00fujipol1906140001/

「政界のご意見番」こと、亀井静香元金融担当相(82)が、夕刊フジの独占インタビューに応じた。弟のように思ってきた安倍晋三首相(64)は7日、第1次内閣との通算在職日数が2721日となり、歴代3位になった。日本の外交・安保政策のかじ取りや、悲願の憲法改正、取り沙汰される「衆参ダブル選挙」をどう判断すべきか。今春の叙勲で、旭日大綬章を受章した亀井氏が一気に語った。

 「中国や韓国にバカにされてはダメだ。特に、沖縄・尖閣諸島周辺に侵入してくる中国船対策が大事。(尖閣諸島に)港や灯台を建設して、実効支配を強めるべきだ」 亀井氏は4月15日、東京・赤坂の料亭で安倍首相と会食した際、こう進言したという。石原慎太郎元都知事(86)が同席していた。

 かつて、亀井、石原両氏は、安倍首相の父、晋太郎元外相と同じ旧福田派に所属していた。亀井氏は著書『晋三よ! 国滅ぼしたもうことなかれ〜傘張り浪人決起する〜』(メディア・パル)で、安倍首相に政策の処方箋を伝授している。 安倍首相は会食で、海上保安庁の船舶不足を説明したというが、亀井氏は「造って、追い払えばいい。『やるべきこと』をきちんとやる。それが政治なんだよ」と諭すように伝えたという。

 亀井氏は今回のインタビューでも、「南海トラフ巨大地震への備え」「国土強靱(きょうじん)化」「地方再生」「税制・年金・社会保障政策」などを、安倍首相の課題として挙げた。 こうした安倍政権の真価は、夏の参院選で問われる。争点は何か。

 亀井氏は「ズバリ、憲法改正だ。9条などをちょこっと変えるのではなく、丸ごと変えるのが自民党本来の姿だ。安倍首相も党総裁である以上、『度胸』を持って、そう言うべきだ。左派マスコミを恐れてどうする! 1つの民の声だと参考にはしても、左右されてはダメだ」と語った。

 衆参ダブル選挙は断行すべきか。

 「今、同日選をやる必要はない。自民党だけでは(憲法改正の発議に必要な)衆参3分の2以上の議席を確保できない。野党も『バラバラでは負ける』と分かっている。候補者調整が早まる。侮れなくなるよ」 亀井氏は最後に、いつものべらんめえ口調で、こうつぶやいた。 「もう俺は傘張り浪人だし、政界復帰もない。大地に根を張った、生活感のある泥臭い政治家がもっと出てきてほしい。それが望みだ」

967NAME:2019/07/18(木) 23:22:31
ヤジ飛ばした男性、警官に囲まれる 大津で首相の演説中
朝日新聞社 2019/07/18 20:30
https://www.msn.com/ja-jp/news/senkyo/%E3%83%A4%E3%82%B8%E9%A3%9B%E3%81%B0%E3%81%97%E3%81%9F%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%80%81%E8%AD%A6%E5%AE%98%E3%81%AB%E5%9B%B2%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%82%8B-%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E3%81%A7%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%AE%E6%BC%94%E8%AA%AC%E4%B8%AD/ar-AAEvLX5

大津市のJR大津京駅前で18日、参院選の自民党公認候補の応援演説をしている安倍晋三首相(自民党総裁)にヤジを飛ばす男性を、警備の警察官らが会場後方で囲んで動けなくする場面があった。15日の札幌市のJR札幌駅前でも、首相演説時にヤジを飛ばした市民が排除されたばかりだ。

 安倍首相は18日午後5時過ぎ、JR大津京駅前にとめられた選挙カーの上で応援演説を始めた。男性は、首相の演説開始前からヤジを飛ばしており、5人ほどのスーツ姿の警察官によって、会場端の駅高架下のフェンスに押しやられた。男性はこのときも「安倍辞めろ」などと声を上げ、動こうとしたが囲んだ警察官らに止められている。 滋賀県警の広報は18日午後7時前、朝日新聞の取材に「(大津京での事案は)聞いていない」と話した。

968NAME:2019/07/19(金) 21:20:52
不倫騒動を見れば、少子高齢化の理由がよくわかる
https://news.yahoo.co.jp/byline/tachibanaakira/20171002-00075800/
橘玲 | 作家
2017/10/2(月) 17:00

死後20年以上を経てから大人気となった政治家・田中角栄には「越山会の女王」と呼ばれる愛人がいました。”闇将軍“の金庫番として絶大なちからをふるう彼女の存在は周知の事実でしたが、そのことが問題とされることはまったくありませんでした。後年、正妻の娘である眞紀子氏や愛人の娘が、“父親の不倫”“愛人の子ども”という境遇にどれほど苦しんだかを告白しています。

「時代がちがう」というかもしれませんが、興味深いのは、角栄の愛人の存在が公になった1970年代は、いまよりはるかに不倫にきびしかったことです。当時のテレビドラマには、不倫が発覚して夫の両親が嫁の家族に土下座して謝る、というような場面が出てきました。小指を立てた男性が「私はこれで会社を辞めました」と語る禁煙グッズのCMは、いまでは意味がわからないでしょう。

その後、不倫は急速に大衆化して「ありふれたもの」になっていきます。いまでは友人や同僚から不倫の相談を受けても、「大変だね」と思うか、(子どもがいないなら)「そんなの別れちゃえば」ですませるでしょう。

「オレ、不倫してるんだ」とか、「あたし、夫がいるのに好きなひとができたの」といわれて、「そんな不道徳、許されるわけがない!」と怒り出すことはないし、もしそんな反応をすれば「おかしなひと」です。不倫は社会的な事件から個人的な出来事に変わり、他人がとやかく口出しをすることではなくなったのです。

ところが、社会が不倫に寛容になるにつれて、一部のひとに対してだけ不倫はますます道徳的に許されないものになっています。それが、芸能人と政治家です。

芸能人の不倫に対しては「相手の家族がかわいそう」と批判されますが、これはすべての不倫に共通することですから、一般人も同様に断罪されなければなりません。政治家は公人ですから「不倫をするような人物は信用できない」と批判するのは自由ですが、その人物が議員にふさわしいかどうかは次の選挙で有権者が判断することで、刑事犯でもないのに「辞職しろ」と強要するのは民主政治の否定でしょう。

芸能界も政界も閉鎖的な世界で、そこに男と女が押し込められるのですから、恋愛関係が生じないほうが不思議です。知人の国会議員は、「不倫は議員辞職ということになったら、政治家の半分はいなくなる」と真顔でいっていました。

そう考えれば、ネタになる人物の不倫だけが集中的にバッシングされているのは明らかです。標的のほとんどが女性なのは、角栄から「世界のワタナベ」まで、男の不倫は当たり前すぎて面白くないからでしょう。

不倫を批判するひとたちは、「恋愛は独身になってからやれ」といいます。自由恋愛が絶対的な価値になった現代社会で、お互いが独身なら、外国人はもちろん、男同士や女同士であっても恋愛になんの制約もなくなりました。だとすれば、一連の不倫騒動を見て賢い独身女性が考えることはひとつしかありません。「結婚して子どもを産むとロクなことはない」 日本で少子高齢化が進む理由がよくわかります。 『週刊プレイボーイ』2017年9月25日発売号 禁・無断転載

969NAME:2019/07/21(日) 23:42:58
自公、目標の改選過半数が確実 改憲勢力3分の2焦点
共同通信社 2019/07/21 22:10
https://www.msn.com/ja-jp/news/senkyo/%E8%87%AA%E5%85%AC%E3%80%81%E7%9B%AE%E6%A8%99%E3%81%AE%E6%94%B9%E9%81%B8%E9%81%8E%E5%8D%8A%E6%95%B0%E3%81%8C%E7%A2%BA%E5%AE%9F-%E6%94%B9%E6%86%B2%E5%8B%A2%E5%8A%9B3%E5%88%86%E3%81%AE2%E7%84%A6%E7%82%B9/ar-AAEEbnQ#page=2

第25回参院選は21日、投開票された。自民、公明両党は目標とした改選124議席の過半数63を獲得するのが確実になった。安倍政権下での憲法改正に前向きな「改憲勢力」が3分の2以上の議席を維持するかどうかが焦点で、共同通信社の出口調査では微妙な情勢。立憲民主党は議席を伸長させる。国民民主党は改選議席を減らす見通し。共産党は横ばいで、日本維新の会は堅調だ。政治団体「れいわ新選組」は議席を獲得した。

 与党は非改選の70議席と合わせて参院過半数の123議席を大幅に超える公算が大きい。2012年12月以来、6年半続く安倍晋三首相(自民党総裁)の政権運営が継続する。

自民、改選議席割れが確実に
共同通信社 2019/07/21 22:58
https://www.msn.com/ja-jp/news/senkyo/%E8%87%AA%E6%B0%91%E3%80%81%E6%94%B9%E9%81%B8%E8%AD%B0%E5%B8%AD%E5%89%B2%E3%82%8C%E3%81%8C%E7%A2%BA%E5%AE%9F%E3%81%AB/ar-AAEEtKa

自民党は改選66議席を下回ることが確実となった。非改選議席を含めた単独過半数も維持できなかった。

970NAME:2019/07/22(月) 00:59:53
改憲勢力3分の2微妙=与党、改選過半数―1人区、自民22勝【19参院選】
時事通信 / 2019年7月21日 23時18分
https://news.infoseek.co.jp/article/190721jijiX801/

第25回参院選は21日投開票された。自民、公明両党は改選124議席の過半数63を確保した。自公と憲法改正に前向きな日本維新の会の「改憲勢力」で、改憲発議に必要な参院の3分の2(164)を維持する85議席に届くかは微妙だ。全国で32ある改選数1の「1人区」では自民が22選挙区で勝利し、3年前の実績を超えた。

 安倍晋三首相(自民党総裁)は21日夜のテレビ朝日の番組で、改憲について「議論していけという国民の声を頂いた。国会で議論が進んでいくことを期待したい」と述べ、早期の改憲発議を目指す考えを表明。「国民民主党の中にも議論を進めていくべきだ、という方はたくさんいると思う」と指摘した。

 改憲勢力の非改選議席は自民56、公明14、維新6、無所属3の計79。改憲勢力で3分の2に届かない場合、首相は国民民主の一部などの協力も得て、早期の改憲発議にこぎ着けたい意向だ。

 自民は改選66議席の維持は難しいものの、選挙区34、比例代表17の計51議席と堅調。公明も12議席を獲得し、首相が勝敗ラインに設定した、与党で非改選も含めた過半数の53議席に達した。

 1人区では立憲民主、国民、共産、社民の4野党が全32選挙区に統一候補を擁立して自民に対抗。自民は北陸・中国・九州地方を中心に議席を積み上げ、勝ち越した。愛媛、沖縄などでは野党が勝利した。

 立憲は北海道、千葉、神奈川で勝利し、東京でも議席を獲得。比例では7議席を固め、改選9議席を倍増させる勢いだ。国民は長野、愛知で議席を維持したが、比例を含めて苦戦している。共産は埼玉と東京で、維新は地盤の大阪のほか神奈川や兵庫で議席を確保した。社民は比例で政党要件を満たす得票率2%をうかがう。

 一方、政治団体「れいわ新選組」は比例で議席獲得が確実となり、得票率2%を超える可能性がある。 参院選は自公両党の政権復帰後3回目。6年半にわたる安倍政権への評価や、10月の消費税率10%への引き上げの是非、年金制度、改憲などについて17日間の論戦が展開された。[時事通信社]

971NAME:2019/09/01(日) 18:07:22
本田があわや“食い逃げ”も…店員から「日本人は神!」と感謝
ゲキサカ / 2019年9月1日 15時44分
https://news.infoseek.co.jp/article/gekisaka_283718/

MF本田圭佑が1日、自身のツイッター(@kskgroup2017)を更新し、空港で食事をした際のエピソードを明かしている。  ある空港のゲート近くのレストランで軽く食事をしたという本田。搭乗時刻になったため、ゲートで待機していたところ、しばらくして“忘れ物”に気づいたという。

「あ!支払いせずに出てきてしまった!」 しかし、支払いに戻ると店員から「お前ら日本人は神や!」と逆にお礼を言われたようだ。本田は「普通のことして感謝されて、日本の文化を誇らしくなった日」と振り返っている。

972NAME:2019/09/04(水) 11:27:47
旭日旗、競技場で許可へ 五輪組織委 韓国の禁止要請に方針
2019.9.3 18:43東京五輪
https://www.sankei.com/tokyo2020/news/190903/tko1909030002-n1.html

2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は3日、韓国国会の文化体育観光委員会が旭日旗の競技会場への持ち込み禁止措置を組織委などに求める決議を採択したことを受け「旭日旗は日本国内で広く使用されており、旗の掲示そのものが政治的宣伝とはならないと考えており、持ち込み禁止品とすることは想定していない」との方針を明らかにした。

 8月29日に行われた韓国国会の決議では、旭日旗が先の大戦当時「日本が帝国主義と軍国主義の象徴として使用した」と指摘。「侵略と戦争の象徴である旭日旗が競技場に持ち込まれ、応援の道具として使われることがないよう求める」としている。

 旭日旗をめぐっては、サッカーのJ1川崎のサポーターが平成29年に韓国で行われたアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の試合で掲出。アジア・サッカー連盟(AFC)から処分を科されたが、川崎側が「旭日旗に政治的、差別的な意図はない」として不服を申し立てたケースがある。

973NAME:2019/10/12(土) 19:48:46
外国人旅行者が帰国後に懐かしむ日本(番外編)
Forbes JAPAN 編集部 2019/10/12 13:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%a4%96%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e6%97%85%e8%a1%8c%e8%80%85%e3%81%8c%e5%b8%b0%e5%9b%bd%e5%be%8c%e3%81%ab%e6%87%90%e3%81%8b%e3%81%97%e3%82%80%e6%97%a5%e6%9c%ac%ef%bc%88%e7%95%aa%e5%a4%96%e7%b7%a8%ef%bc%89/ar-AAIEu2x#page=2

日本を訪れる旅行者が離日後に懐かしく思うこと、「日本滞在中に存分に楽しんでおけよ」と同胞旅行者たちに伝えたいことは何だろう。もしかするとそこに、われわれがもっと愛でながら暮らしてもいい、わが国のささやかな魅力が潜んでいるかもしれない。

外国人向けメディア「Japan Inside」の外国人記者によるリスト(その1 その2 その3)に続き、今回はForbes JAPAN編集部の独自取材による「番外編」。日本に暮らす、あるいは旅行で訪れた外国人のほか、海外在住の日本人や、京都などで外国人旅行者向けの仕事に携わる日本人に聞いてみた。

1. 温かい飲み物が出てくる自販機
日本の自動販売機は、温かい(あるいは冷たい)飲み物が出てくるので本当にすごい、という。 また、ある日本在住の外国人は「田舎の田んぼの中の自販機も、壊されたり落書きをされたりしないでいい状態なのはすごいこと」ととも。

2. 「写真入り」のメニュー
たいていのレストランのメニューには写真がついている。イタリアからの旅行者に聞いたところ、「初めて食べるものでもイメージが浮かぶし、ボリュームの検討がつくのですごく助かる」とのこと。

3. スーツケースがきちんと並んで流れてくる空港の荷物受け取り所
日本駐在の長いある米国人が、故郷のラスベガスに帰省後、再び日本入りするたび、「ああ、日本に帰って来たなあ」と感じるのは成田空港の荷物受け取り所だという。成田空港。係官がスーツケースやボストンバッグを1つずつ整然と並べてベルトコンベアに置いていく。「荷物が次々と力任せに投げ飛ばされてベルトの上に『着地』するのが普通の故郷の空港では望めないありがたさです」。 

4. 小さな調味料
ぜったいに日本にしかない、お弁当用の小さな醤油やマヨネーズ。お土産に大量に購入していく外国人旅行者も多いとか。

5. 100均
「日本の百円ショップはすごい」。と、日本に住んで2年のドイツ人、Aさん。おたまなどキッチン用品からアウトドアグッズ、防災用品、文房具ひと通り、調味料や食料品など、「ほとんどこのショップだけで暮らせますよね」。

6. 国民健康保険
カナダに2年半暮らしている日本人のBさんはこう語ってくれた。「帰国して一番感じるのは日本の国民健康保険のすばらしさです。カナダは無料であることを誇りにしている人がたくさんいましたが、病院で5時間とか待たされるのがふつうだったり、希望の先生に診てもらえなかったり。3割負担しても、待ち時間がない方がいいなと思います。X線など特殊なものは自己負担だったりしますし」。

アメリカに5年暮らす日本人のCさんも「日本の国民健康保険はすごくいい」と言う。「アメリカでは、大病をして保険に入っていないと全財産失ってしまう可能性がありますね」。

フランスに7年暮らす日本人のDさんもこう語る。「懐かしく思うのは日本の医療制度です。医療費が国の保険でほぼまかなわれるし、検査から診察まで同じところでワンストップでできますが、主治医制なので時間がやたらとかかるのが悩ましいです」。

974NAME:2019/11/07(木) 21:08:01
安倍首相や茂木外相、少数民族虐殺・戦争犯罪疑惑の人物を「おもてなし」。人権侵害に加担する日本政府
ハーバー・ビジネス・オンライン
2019/11/03 08:32
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%ae%89%e5%80%8d%e9%a6%96%e7%9b%b8%e3%82%84%e8%8c%82%e6%9c%a8%e5%a4%96%e7%9b%b8%e3%80%81%e5%b0%91%e6%95%b0%e6%b0%91%e6%97%8f%e8%99%90%e6%ae%ba%e3%83%bb%e6%88%a6%e4%ba%89%e7%8a%af%e7%bd%aa%e7%96%91%e6%83%91%e3%81%ae%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%82%92%e3%80%8c%e3%81%8a%e3%82%82%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%97%e3%80%8d%e3%80%82%e4%ba%ba%e6%a8%a9%e4%be%b5%e5%ae%b3%e3%81%ab%e5%8a%a0%e6%8b%85%e3%81%99%e3%82%8b%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%94%bf%e5%ba%9c/ar-AAJKUvQ#page=2

10月のニュースと言われて、何を思い出しますか?ほとんどの人は、ラグビーワールドカップや台風19号による壊滅的な被害、あるいは天皇陛下の「即位の儀」などではないでしょうか。

外務省の謳う「人権外交」と矛盾

 これらは言うまでもなく大事な出来事です。しかしながら、もうひとつあまり報じられなかった重大な出来事があります。それは、安倍首相が戦争犯罪の疑惑がある人物と東京で会談を行ったことです。 その人物とは、ミャンマー軍のミン・アウン・フライン最高司令官です。同氏は2018年に国連が派遣した事実調査団により、ラカイン州で少数派ロヒンギャ・ムスリムに対する戦争犯罪、人道に対する罪、およびジェノサイド罪に関し「捜査および訴追」されてしかるべき人物であると結論付けられています。

 防衛省の発表によると、安倍首相は「ラカイン州の人権侵害疑惑について,独立調査団の提言を受けて、ミャンマー政府及び同国軍が適切な措置を速やかに取るよう促し、貴司令官が指導力を発揮し最大限取り組むよう」ミン・アウン・フライン最高司令官に求めました。しかし、ミャンマー政府が設置した「独立調査団」が独立性に著しく欠けることは語られなかったうえ、ミャンマー軍の残虐行為をめぐり、真に独立かつ公平な捜査を実行すべく、国連および関係各国政府が継続的に努力していることについては言及しなかったようです。(参照:防衛省、ヒューマン・ライツ・ウォッチ)

 国連の事実調査団以外にも、ミン・アウン・フライン最高司令官はロヒンギャを超法規的に殺人したということで、今年7月に米国政府から制裁を受けています。このような人物を日本が外交的に厚遇したことは、外務省が謳う人権外交を裏切る行為でもあります。(参照:外務省)

過酷な暮らしを強いられるロヒンギャ

 2017年8月、ミン・アウン・フライン最高司令官は悪名高き2つの部隊をラカイン州に派遣しました。この2つの部隊は74万人超のロヒンギャが国外に脱出する結果となった大規模な民族浄化運動を主導し、 現在も100万人近いロヒンギャが、バングラデシュの洪水が起きやすい危険地域にある難民キャンプに、過密状態で暮らしています。 ミャンマー国内でも60万人が、移動の自由や基本的権利を認めない地方自治体や治安部隊による監視のもと、避難民キャンプや村々に閉じ込められた状態にあります。

 昨年、国連のミャンマー事実調査団は、政府軍によるロヒンギャへの暴力行為がミン・アウン・フライン最高司令官の命令により実行されたと結論づけました。ジェノサイドの意図があったという結論に至る過程で、事実調査団はミン・アウン・フライン最高司令官の声明およびソーシャルメディアへの投稿を分析しました。 たとえば、国の「ベンガリ問題」を「解決」するといった宣言がそれにあたります。調査団は、「ミャンマー治安部隊が、自らの役割をめぐり憂慮すべき差別的な見解をもっていること、そして、国際人権法の中核的な原則のひとつである差別なき平等な保護を無視していること」があきらかになったと結論づけました。

975NAME:2019/11/07(木) 21:08:56
見て見ぬ振りをする日本政府

 独立系人権団体やメディアもミャンマー軍の残虐行為をめぐり、数々の証言などを入手しています。ところが日本政府は、ミャンマーにおいて重大犯罪をおかした個人の責任を問う国際的な努力への協力体制、とりわけ国連の新たな独立調査メカニズムの支援に消極的です。 例えば、最近行われたジェネーブでの国連人権理事会では、ミャンマーの人権状況について決議が取り扱われましたが、そこで日本は再び棄権しました。その後、日本の棄権を受けて、ミント・トゥ駐日ミャンマー大使は感謝の意を示したのです。

 では、なぜ日本政府はミン・アウン・フライン最高司令官のような人物を日本に招待したのでしょうか。ひとつの答えは、日本の対中国政策にあります。ミャンマーを含む東南アジアでは、日本と中国の投資による競争が行なわれており、中国は年を追うごとに経済的なプレゼンスを高めています。実際に、今年7月には中国がミャンマーへの投資で日本を上回っています。(参照:日本貿易振興機構) 競争が激化する中、ミャンマーに対して政治的な批判をすれば、ますます中国に傾いてしまうのではないか。日本は官民一体となり、ミャンマー政府のご機嫌を取りつつ中国との競争を最優先事項とし、ロヒンギャの人権をないがしろにしているのです。 例えば、今年7月以降、ミャンマーでのビジネスチャンスに特化した4つの投資フォーラムが日本で開催されました。すべてのイベントが日本貿易振興機構(JETRO)により主催あるいは後援されるものでした。

 10月21日に東京の明治記念館で行われた「第2回ミャンマー投資カンファレンス」では、数百人の参加者がミャンマーの事実上の指導者アウンサンスーチー国家顧問兼外相を大きな拍手で迎えました。 「日本をはじめとする世界各国の友人から引き続き支援と理解を得られるよう、心から望んでいます」と同氏はスピーチで語りました。しかし、去年の投資カンファレンスと同様、氏がバングラデシュの難民キャンプやラカイン州に閉じ込められているロヒンギャの苦難について口にすることはありませんでした。

976NAME:2019/11/07(木) 21:09:17
経済優先で人権侵害に加担

 短期的に考えると、ミャンマーを含む東南アジアの人権問題を指摘せず、日本企業や投資家を東南アジアの市場に食い込ませることは、有益であるようにみえるかもしれません。 しかし、長い目で見れば、人権侵害に加担する政府の民主化を妨害するだけで、地域全体に人権侵害を蔓延らせることを助長してしまいます。

 これらは、外務省が謳う「人権外交」が茶番にすぎないことを証明しています。しかし、新たな国連調査メカニズムを支援し、ロヒンギャのための法の裁きを追求することで、誤った軌道を修正していくことは可能です。例えば、11月に開催される国連総会第3委員会などを皮切りに、ミャンマー関連の決議に賛成票を投じるべきです。 また、日本政府は今後、決して、少数民族の殺人、レイプ、大量追放を率いた軍の指導者を東京に迎い入れるべきではありません。ミン・アウン・フライン最高司令官の行くべき先は国際刑事裁判所であり、ロヒンギャに対する自らの加害行為について法の裁きを受けるべきなのです。日本の指導者たちによる「おもてなし」には値しません。  <文/笠井哲平>

【笠井哲平】 かさいてっぺい●’91年生まれ。早稲田大学国際教養学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校への留学を経て、’13年Googleに入社。’14年ロイター通信東京支局にて記者に転身し、「子どもの貧困」や「性暴力問題」をはじめとする社会問題を幅広く取材。’18年より国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのプログラムオフィサーとして、日本の人権問題の調査や政府への政策提言をおこなっている

977NAME:2019/12/01(日) 22:25:43
殺された大将は「機関銃94発が命中していた」 担当検事が振り返る、残忍すぎた二・二六事件とは
木内 曽益
2019/12/01 17:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%ae%ba%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%a4%a7%e5%b0%86%e3%81%af%e3%80%8c%e6%a9%9f%e9%96%a2%e9%8a%8394%e7%99%ba%e3%81%8c%e5%91%bd%e4%b8%ad%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e3%80%8d-%e6%8b%85%e5%bd%93%e6%a4%9c%e4%ba%8b%e3%81%8c%e6%8c%af%e3%82%8a%e8%bf%94%e3%82%8b%e3%80%81%e6%ae%8b%e5%bf%8d%e3%81%99%e3%81%8e%e3%81%9f%e4%ba%8c%e3%83%bb%e4%ba%8c%e5%85%ad%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%81%a8%e3%81%af/ar-BBXAfr6

軍上層部の弛緩から起った二・二六叛乱軍はどの様にして鎮圧されたか、担当検事の綴る秘録

初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「二・二六事件秘録」( 解説 を読む)

 二・二六事件といえば、もう19年も前の出来事であるが、私の検察官生活を顧みてこの事件は最も思い出の深いものの一つである。二・二六事件の前哨戦ともいうべき血盟団事件や五・一五事件(民間側)には、私が東京地検の検事として捜査及び第一審の公判立会を担当したのが因縁で、二・二六事件でも民間側の主任検事として軍側の捜査に協力することになったのである。
首相官邸から国会議事堂の辺りは通行止め

 想い起すと、丁度昭和11年2月26日の早暁のことであるが、私はまだ床の中に入っておってウトウトしておると、枕許においてあった警察電話のベルがけたたましく鳴る。私は不吉な予感を抱きながら急いで受話機をとると、当時の警視庁特高課長の毛利基氏からの電話で「今暁叛乱軍が首相官邸などを襲撃した。然し、まだ詳しいことは判らないが一応報告する」というのであった。

二・二六事件発生時 ©文藝春秋 © 文春オンライン 二・二六事件発生時 ©文藝春秋

私は、急いで床から飛び出し、すぐ身仕度をして当時の住居であった池袋4丁目の自宅を出ていつも検事局に通勤するときの順路である池袋駅から省線(今の国電)に乗り市ヶ谷駅で下車し、それから当時市ヶ谷新橋間を通っておった黄バスに乗った。すると、乗客の内の誰かが「けさ何か起ったらしい」というようなことをいっており、私は、これは叛乱事件のことをいっておるのだと思った。

 このバスは、普通は市ヶ谷から麴町4丁目に出て平河町から左に曲り国会議事堂の北側を通り裁判所のところに出て新橋に行くのであるが、この日はバスが動き出すと、車掌が「けさは何か事故があったようで、このバスは平河町から右に折れて山王下から新橋に行くことになりましたから」といっていた。私はこれは叛乱事件のため首相官邸から国会議事堂の辺りは通行止めになっておるのだと思ったので、麴町4丁目でバスを降りて、通りがかりの円タクを拾った。
「車のままでは困るからこれから先は歩いていってもらいたい」

 半蔵門のところまで来ると、両側から銃剣の兵隊さん達が私の車をとりまき「これから先は行くことが出来ないから戻ってくれ」という。私はそのときはまだこの兵隊さん達が叛乱部隊の人達とは思わなかったのであって、実は、首相官邸等を襲撃した連中は、五・一五事件のときのように、襲撃後はすぐ引き上げて、その後を警備しておる正規の兵隊さん達だとばかり思い込んでいたのである。

 それで、私はこの人達に名刺を出して「これから検事局に登庁するのだから通してもらいたい」と頼んだが、中々承知してくれない。2、3押問答をしておるうちに、1人の下士官が「何だ何だ」といいながら出てきた。私が前に血盟団事件や五・一五事件(民間側)の主任検事であった関係で陸海軍部内でも多少私の名前が知られておったためか、その下士官も私の名前を知っておったらしく「木内検事殿ですか、それなら通ってもよろしい。しかし、車のままでは困るからこれから先は歩いていってもらいたい」というので、私は車をすてて三宅坂に向って歩いていった。
まかりまちがえば突き殺された

978NAME:2019/12/01(日) 22:26:06
 三宅坂のところまで来ると、また銃剣の一隊にとりまかれ、これから先は通せないから戻れといって聞き入れてくれない。それで、私は「半蔵門のところで通してくれたのだし、桜田門は眼の前であるから」といって更に頼むとやっと承知してくれたので、どうやら無事に検事局に着くことができた。

 三宅坂のところでは、参謀肩章をつけた陸軍の将校連中が大勢銃剣の一隊に阻止されて陸軍省や参謀本部に入ることが出来ずにウロウロしていた。

 検事局に着いてから警視庁に連絡して色々報告を聞いて見ると、これらの兵隊さん達は叛乱部隊であって、襲撃後もそのまま占拠しておるのだということが判り、私も知らぬが仏で、これらの兵隊さん達に力んで来たが、まかりまちがえば突き殺されたかも知れなかったと思い冷汗をかいた次第である。警視庁も叛乱部隊に占拠されておって小栗一雄警視総監以下警視庁の幹部は既に神田錦町警察署に移っていたのである。
機関銃の弾94発が命中していた渡辺大将

 これから、私は二・二六事件の民間側の主任検事としてこの事件の捜査に当ったのは勿論、戒厳令が布かれてからは、検事局側の代表として戒厳司令部参議員(参議院会議の構成メンバー)に任命され、又軍官捜査連絡会議にも検事局側の代表委員としてこれに参加し軍側の捜査に協力することになった。警視庁側の委員は、当時の特高部長の安倍源基氏及び特高課長の毛利基氏であり、陸軍側の委員中には、その後太平洋戦争当時の首脳幹部となった人が多く、当時の軍事課高級課員武藤章中佐、兵務課長田中新一中佐、軍事課々員有末精三少佐、同課々員真田穣一郎少佐などなど錚々たる人々がおった。

 この日叛乱部隊に暗殺された主要な人物は斎藤実内大臣、岡田啓介内閣の高橋是清大蔵大臣、教育総監渡辺錠太郎陸軍大将らであって、岡田首相は難をのがれ、侍従長鈴木貫太郎海軍大将は負傷したが生命はとりとめた。ただこれらの人々の死骸を見て最も眼を蔽わされたのは、渡辺大将と高橋蔵相であって、渡辺大将は、機関銃の弾94発が命中しており、又後頭部等に3ヵ所も致命的切創を受けておって、寝室の周囲等には無数の弾痕があった。高橋蔵相も拳銃の命中弾3ヵ所、大小切創5ヵ所という傷跡で残忍悽愴の感に打たれ、洵に遺憾に思った。

 次に「陸軍大臣告示」から討伐までの経緯について一言したい。二・二六事件の首謀者である青年将校連の間では、昭和11年2月22日に集団的一斉蜂起の最終的決定をなし、2月25日夜麻布第三連隊に叛乱部隊を集結し、翌26日午前5時を期して予定の計画を決行したのであるが、この事件が勃発するや、陸軍の最高首脳部は直ちに宮中に集り、これが鎮圧策を講ずるために陸軍々事参議官会議を開き鳩首協議の結果、軍事参議官一同の意向を文書にしてこれを叛軍に示して鎮撫せんとしたのである。

 ところが、朝香、東久邇の両大将宮も軍事参議官であってこの会議にも列席しておられたから、軍事参議官一同の意向として発表することは皇室に累を及ぼす虞があるという意見も出たので、同席の陸軍大臣の川島義之大将の承諾を得て、この意向を「陸軍大臣告示」という形で発表することになったのである。 この告示の案文は、軍事参議官の荒木貞夫大将がその席におった軍事調査部長の山下奉文少将に口授して筆記せしめたのである。

979NAME:2019/12/01(日) 22:26:29
 その文言は

「陸軍大臣ヨリ

 一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレタリ

 二、諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム

 三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス

 四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ

 五、之レ以外ハ一ニ大御心ニ俟ツ」

 というのである。

(註) 右側傍線の部分は、次に述べるが、後になって訂正されたのである。

警備司令官の香椎浩平中将もその席におって山下少将の傍でこれを筆記したのである。

引上げるように説得させる考え

 軍事参議官一同の意向としては、山下少将は平素から叛軍の幹部である青年将校連からも好感を持たれておったので、同少将にこの「陸軍大臣告示」を持たせて叛軍の占拠しておる陸軍官邸に赴かしめ、叛軍の幹部連にこの告示を示して、陸相や軍事参議官一同もこの通り汝らの蹶起の趣旨はよく了解しておるのであって、決して犬死させないから一応占拠地から原隊に引上げるように、といって説得させる考えであったのである。

 ところが、香椎警備司令官としては、職責上この告示を少しでも早く叛軍に伝えて之を鎮撫したいとの一念から直ちに警備司令部に電話して参謀長の安井藤治少将にこの告示を筆記させこれを隷下の師団長に通達し叛軍に伝達させようとしたのである。そこで、安井参謀長は部下に命じてこれを謄写に付し、近衛師団長の橋本虎之助中将と第一師団長の堀悌吉中将とに通達しこれを叛軍に伝達して鎮撫するよう命じたのである。
自分らに都合のよいように利用した

 橋本近衛師団長はこの告示を見て少しく疑義を抱いたのでこれを隷下に伝達せずに握り潰してしまったのである。 掘第一師団長は忠実にこれを叛軍に伝達したのであるが、叛軍側はこれを以て奇貨措くべしとして、この告示を自分らに都合のよいように宣伝の具に使い彼等の蹶起を正当化する手段に利用したのである。

980NAME:2019/12/01(日) 22:27:10
 然るに、香椎警備司令官がこの告示を安井参謀長に電話した後で又々軍事参議官会議において「この告示の字句訂正」の議が起り、そのため前述の「告示」の文言の内の傍線を付しておいた部分が次の通りに訂正されたのである。

 その文言は

「陸軍大臣ヨリ

  諸子蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達シアリ

  諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ヨリ出テタルモノト認ム

  国体ノ真姿顕現ノ現況ニ就テハ我々モ恐懼ニ堪ヘサルモノアリ

  軍事参議官一同ハ国体顕現ノ上ニ一層匪躬ノ誠ヲ致スヘク

  其以上ハ一ニ大御心ヲ本トスヘキモノナリ

一、 以上ハ宮中ニ於テ軍事参議官一同相会シ陸軍長老ノ意見トシテ確立シタルモノニシテ閣僚モ亦一致協力益々国体ノ真姿顕現ニ努力スヘク申し合ハセタリ」

 というのである。

飛行機からまかれた「今からでも遅くはない」の告示

 この告示が決定したのは、26日の午後2時過ぎ頃であるが、叛軍はこの告示や軍事参議官連の叛軍幹部と膝をつき合せての説得に対しても承服せず、彼等は真崎甚三郎大将を首班とする一種の軍事内閣の成立を熱望して一歩も譲らなかったのである。それで鎮撫の方法として叛軍を一応正規の部隊と認めることになり、同日午後4時過ぎ頃香椎警備司令官は叛軍を隷下の渋谷部隊(渋谷大佐の率いる歩兵第三連隊)に編入せんとしたが、叛軍の幹部連はこれに服せず、寧ろ小藤部隊(小藤恵大佐の率ゆる歩兵第一連隊)に編入されんことを要望したのでこれを許し一応小藤部隊に編入することになったのであるが、尚も彼等は陸軍上層部の弱腰を見すかしてなんと説得しても占拠地から引上げることを拒否しつづけたのである。

 そこでやむなく同日午後4時20分頃に至り戦時警備令を発動し、他面尚引続き説得に努めたのであるが、どうしてもこれに応じないので翌27日午前4時20分遂に戒厳令を宣布することとなり、香椎警備司令官が戒厳司令官に任命されたが、陸軍最高首脳部としては彼等の説得に最後の努力をしたのである。それにも拘らず少しもその効なく、一方、天皇陛下からはお叱りを受ける始末で、その翌28日には到頭次のような奉勅命令が発せられたのである。

「奉勅命令

 戒厳司令官ハ三宅坂附近ニ占拠シアル将校以下ヲシテ速カニ現姿勢ヲ撤シ各所属師団ノ隷下ニ復帰セシムヘシ

    昭和十一年二月二十八日

    奉勅 参謀総長 載仁親王」

 載仁親王とは閑院元帥宮のことである。 この奉勅命令から推しても陛下がいかに御宸襟を悩まされたがが窺われる。

981NAME:2019/12/01(日) 22:27:25
 奉勅命令が出ても叛軍は尚もこれに応じないので、翌29日愈々討伐命令が発せられ彼等も漸く観念して同日午後2時に帰順することになったのである。その間、大久保大尉筆にするところのあの有名な「今からでも遅くはない」という名文句の「兵に告ぐ」という戒厳司令官の帰順勧告の告示が放送され又飛行機からこのビラがまかれたのである。

陸軍上層部の「事勿れ主義」が見過ごした“クーデターの兆候”

 然し、多少とも当時の陸軍部内の事情に通じておるものには、何れは二・二六事件のような事件が勃発するであろうということは予想されていたのである。

 殊に、昭和11年初頭に最も過激な国家革新の思想を抱懐し一斉蜂起の機を虎視眈々として覘っておった青年将校の一団の所属する歩兵第一連隊や第三連隊を隷下にしておる第一師団の満州移駐が発表されてからは、彼等は陸軍上層部が自分達を敬遠し遠島仰付ける意味でこの処置に出たものと深く思い込むに至ったから、事は一層面倒になり、彼等は必ずや渡満前に一斉蜂起を決行するだろうと考えられていたのであって、斯様な状勢にあることは陸軍上層部の人達は十分承知していた筈である。

 然るに、これに対して何等の対策を講ぜず唯々拱手傍観その日ぐらしの事勿れ主義の態度で終始していたため、二・二六事件が勃発するや、恰も天災地変が一時に突発したかのように周章狼狽、ただ鎮撫だ説得だと騒ぐのみで却って叛軍側に足許を見すかされて引き廻され、結局は、陛下の御一言でやっとフラフラ腰を立て直したのであって、陸軍上層部の無能というか、あのブザマな姿を見ては、洵になげかわしい次第である。(元最高検察庁次長検事)

982NAME:2019/12/16(月) 21:28:57
殺された大将は「機関銃94発が命中していた」 担当検事が振り返る、残忍すぎた二・二六事件とは
木内 曽益
2019/12/01 17:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%ae%ba%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%a4%a7%e5%b0%86%e3%81%af%e3%80%8c%e6%a9%9f%e9%96%a2%e9%8a%8394%e7%99%ba%e3%81%8c%e5%91%bd%e4%b8%ad%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e3%80%8d-%e6%8b%85%e5%bd%93%e6%a4%9c%e4%ba%8b%e3%81%8c%e6%8c%af%e3%82%8a%e8%bf%94%e3%82%8b%e3%80%81%e6%ae%8b%e5%bf%8d%e3%81%99%e3%81%8e%e3%81%9f%e4%ba%8c%e3%83%bb%e4%ba%8c%e5%85%ad%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%81%a8%e3%81%af/ar-BBXAfr6

軍上層部の弛緩から起った二・二六叛乱軍はどの様にして鎮圧されたか、担当検事の綴る秘録

初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「二・二六事件秘録」( 解説 を読む)

 二・二六事件といえば、もう19年も前の出来事であるが、私の検察官生活を顧みてこの事件は最も思い出の深いものの一つである。二・二六事件の前哨戦ともいうべき血盟団事件や五・一五事件(民間側)には、私が東京地検の検事として捜査及び第一審の公判立会を担当したのが因縁で、二・二六事件でも民間側の主任検事として軍側の捜査に協力することになったのである。

首相官邸から国会議事堂の辺りは通行止め

 想い起すと、丁度昭和11年2月26日の早暁のことであるが、私はまだ床の中に入っておってウトウトしておると、枕許においてあった警察電話のベルがけたたましく鳴る。私は不吉な予感を抱きながら急いで受話機をとると、当時の警視庁特高課長の毛利基氏からの電話で「今暁叛乱軍が首相官邸などを襲撃した。然し、まだ詳しいことは判らないが一応報告する」というのであった。

私は、急いで床から飛び出し、すぐ身仕度をして当時の住居であった池袋4丁目の自宅を出ていつも検事局に通勤するときの順路である池袋駅から省線(今の国電)に乗り市ヶ谷駅で下車し、それから当時市ヶ谷新橋間を通っておった黄バスに乗った。すると、乗客の内の誰かが「けさ何か起ったらしい」というようなことをいっており、私は、これは叛乱事件のことをいっておるのだと思った。

 このバスは、普通は市ヶ谷から麴町4丁目に出て平河町から左に曲り国会議事堂の北側を通り裁判所のところに出て新橋に行くのであるが、この日はバスが動き出すと、車掌が「けさは何か事故があったようで、このバスは平河町から右に折れて山王下から新橋に行くことになりましたから」といっていた。私はこれは叛乱事件のため首相官邸から国会議事堂の辺りは通行止めになっておるのだと思ったので、麴町4丁目でバスを降りて、通りがかりの円タクを拾った。
「車のままでは困るからこれから先は歩いていってもらいたい」

983NAME:2019/12/16(月) 21:29:19
 半蔵門のところまで来ると、両側から銃剣の兵隊さん達が私の車をとりまき「これから先は行くことが出来ないから戻ってくれ」という。私はそのときはまだこの兵隊さん達が叛乱部隊の人達とは思わなかったのであって、実は、首相官邸等を襲撃した連中は、五・一五事件のときのように、襲撃後はすぐ引き上げて、その後を警備しておる正規の兵隊さん達だとばかり思い込んでいたのである。

 それで、私はこの人達に名刺を出して「これから検事局に登庁するのだから通してもらいたい」と頼んだが、中々承知してくれない。2、3押問答をしておるうちに、1人の下士官が「何だ何だ」といいながら出てきた。私が前に血盟団事件や五・一五事件(民間側)の主任検事であった関係で陸海軍部内でも多少私の名前が知られておったためか、その下士官も私の名前を知っておったらしく「木内検事殿ですか、それなら通ってもよろしい。しかし、車のままでは困るからこれから先は歩いていってもらいたい」というので、私は車をすてて三宅坂に向って歩いていった。
まかりまちがえば突き殺された

 三宅坂のところまで来ると、また銃剣の一隊にとりまかれ、これから先は通せないから戻れといって聞き入れてくれない。それで、私は「半蔵門のところで通してくれたのだし、桜田門は眼の前であるから」といって更に頼むとやっと承知してくれたので、どうやら無事に検事局に着くことができた。 三宅坂のところでは、参謀肩章をつけた陸軍の将校連中が大勢銃剣の一隊に阻止されて陸軍省や参謀本部に入ることが出来ずにウロウロしていた。

 検事局に着いてから警視庁に連絡して色々報告を聞いて見ると、これらの兵隊さん達は叛乱部隊であって、襲撃後もそのまま占拠しておるのだということが判り、私も知らぬが仏で、これらの兵隊さん達に力んで来たが、まかりまちがえば突き殺されたかも知れなかったと思い冷汗をかいた次第である。警視庁も叛乱部隊に占拠されておって小栗一雄警視総監以下警視庁の幹部は既に神田錦町警察署に移っていたのである。
機関銃の弾94発が命中していた渡辺大将

 これから、私は二・二六事件の民間側の主任検事としてこの事件の捜査に当ったのは勿論、戒厳令が布かれてからは、検事局側の代表として戒厳司令部参議員(参議院会議の構成メンバー)に任命され、又軍官捜査連絡会議にも検事局側の代表委員としてこれに参加し軍側の捜査に協力することになった。警視庁側の委員は、当時の特高部長の安倍源基氏及び特高課長の毛利基氏であり、陸軍側の委員中には、その後太平洋戦争当時の首脳幹部となった人が多く、当時の軍事課高級課員武藤章中佐、兵務課長田中新一中佐、軍事課々員有末精三少佐、同課々員真田穣一郎少佐などなど錚々たる人々がおった。

984NAME:2019/12/16(月) 21:29:43
 この日叛乱部隊に暗殺された主要な人物は斎藤実内大臣、岡田啓介内閣の高橋是清大蔵大臣、教育総監渡辺錠太郎陸軍大将らであって、岡田首相は難をのがれ、侍従長鈴木貫太郎海軍大将は負傷したが生命はとりとめた。ただこれらの人々の死骸を見て最も眼を蔽わされたのは、渡辺大将と高橋蔵相であって、渡辺大将は、機関銃の弾94発が命中しており、又後頭部等に3ヵ所も致命的切創を受けておって、寝室の周囲等には無数の弾痕があった。高橋蔵相も拳銃の命中弾3ヵ所、大小切創5ヵ所という傷跡で残忍悽愴の感に打たれ、洵に遺憾に思った。

 次に「陸軍大臣告示」から討伐までの経緯について一言したい。二・二六事件の首謀者である青年将校連の間では、昭和11年2月22日に集団的一斉蜂起の最終的決定をなし、2月25日夜麻布第三連隊に叛乱部隊を集結し、翌26日午前5時を期して予定の計画を決行したのであるが、この事件が勃発するや、陸軍の最高首脳部は直ちに宮中に集り、これが鎮圧策を講ずるために陸軍々事参議官会議を開き鳩首協議の結果、軍事参議官一同の意向を文書にしてこれを叛軍に示して鎮撫せんとしたのである。

 ところが、朝香、東久邇の両大将宮も軍事参議官であってこの会議にも列席しておられたから、軍事参議官一同の意向として発表することは皇室に累を及ぼす虞があるという意見も出たので、同席の陸軍大臣の川島義之大将の承諾を得て、この意向を「陸軍大臣告示」という形で発表することになったのである。

985NAME:2019/12/16(月) 21:30:11
 この告示の案文は、軍事参議官の荒木貞夫大将がその席におった軍事調査部長の山下奉文少将に口授して筆記せしめたのである。

 その文言は 「陸軍大臣ヨリ

 一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレタリ
 二、諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
 三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス
 四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ
 五、之レ以外ハ一ニ大御心ニ俟ツ」
 というのである。

(註) 右側傍線の部分は、次に述べるが、後になって訂正されたのである。

警備司令官の香椎浩平中将もその席におって山下少将の傍でこれを筆記したのである。 

引上げるように説得させる考え

 軍事参議官一同の意向としては、山下少将は平素から叛軍の幹部である青年将校連からも好感を持たれておったので、同少将にこの「陸軍大臣告示」を持たせて叛軍の占拠しておる陸軍官邸に赴かしめ、叛軍の幹部連にこの告示を示して、陸相や軍事参議官一同もこの通り汝らの蹶起の趣旨はよく了解しておるのであって、決して犬死させないから一応占拠地から原隊に引上げるように、といって説得させる考えであったのである。

 ところが、香椎警備司令官としては、職責上この告示を少しでも早く叛軍に伝えて之を鎮撫したいとの一念から直ちに警備司令部に電話して参謀長の安井藤治少将にこの告示を筆記させこれを隷下の師団長に通達し叛軍に伝達させようとしたのである。そこで、安井参謀長は部下に命じてこれを謄写に付し、近衛師団長の橋本虎之助中将と第一師団長の堀悌吉中将とに通達しこれを叛軍に伝達して鎮撫するよう命じたのである。
自分らに都合のよいように利用した

 橋本近衛師団長はこの告示を見て少しく疑義を抱いたのでこれを隷下に伝達せずに握り潰してしまったのである。

 掘第一師団長は忠実にこれを叛軍に伝達したのであるが、叛軍側はこれを以て奇貨措くべしとして、この告示を自分らに都合のよいように宣伝の具に使い彼等の蹶起を正当化する手段に利用したのである。 然るに、香椎警備司令官がこの告示を安井参謀長に電話した後で又々軍事参議官会議において「この告示の字句訂正」の議が起り、そのため前述の「告示」の文言の内の傍線を付しておいた部分が次の通りに訂正されたのである。

986NAME:2019/12/16(月) 21:30:38
 その文言は 「陸軍大臣ヨリ

  諸子蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達シアリ
  諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ヨリ出テタルモノト認ム
  国体ノ真姿顕現ノ現況ニ就テハ我々モ恐懼ニ堪ヘサルモノアリ
  軍事参議官一同ハ国体顕現ノ上ニ一層匪躬ノ誠ヲ致スヘク
  其以上ハ一ニ大御心ヲ本トスヘキモノナリ

一、 以上ハ宮中ニ於テ軍事参議官一同相会シ陸軍長老ノ意見トシテ確立シタルモノニシテ閣僚モ亦一致協力益々国体ノ真姿顕現ニ努力スヘク申し合ハセタリ」

 というのである。
飛行機からまかれた「今からでも遅くはない」の告示

 この告示が決定したのは、26日の午後2時過ぎ頃であるが、叛軍はこの告示や軍事参議官連の叛軍幹部と膝をつき合せての説得に対しても承服せず、彼等は真崎甚三郎大将を首班とする一種の軍事内閣の成立を熱望して一歩も譲らなかったのである。それで鎮撫の方法として叛軍を一応正規の部隊と認めることになり、同日午後4時過ぎ頃香椎警備司令官は叛軍を隷下の渋谷部隊(渋谷大佐の率いる歩兵第三連隊)に編入せんとしたが、叛軍の幹部連はこれに服せず、寧ろ小藤部隊(小藤恵大佐の率ゆる歩兵第一連隊)に編入されんことを要望したのでこれを許し一応小藤部隊に編入することになったのであるが、尚も彼等は陸軍上層部の弱腰を見すかしてなんと説得しても占拠地から引上げることを拒否しつづけたのである。

 そこでやむなく同日午後4時20分頃に至り戦時警備令を発動し、他面尚引続き説得に努めたのであるが、どうしてもこれに応じないので翌27日午前4時20分遂に戒厳令を宣布することとなり、香椎警備司令官が戒厳司令官に任命されたが、陸軍最高首脳部としては彼等の説得に最後の努力をしたのである。それにも拘らず少しもその効なく、一方、天皇陛下からはお叱りを受ける始末で、その翌28日には到頭次のような奉勅命令が発せられたのである。

「奉勅命令

 戒厳司令官ハ三宅坂附近ニ占拠シアル将校以下ヲシテ速カニ現姿勢ヲ撤シ各所属師団ノ隷下ニ復帰セシムヘシ

    昭和十一年二月二十八日
    奉勅 参謀総長 載仁親王」

 載仁親王とは閑院元帥宮のことである。

 この奉勅命令から推しても陛下がいかに御宸襟を悩まされたがが窺われる。 奉勅命令が出ても叛軍は尚もこれに応じないので、翌29日愈々討伐命令が発せられ彼等も漸く観念して同日午後2時に帰順することになったのである。その間、大久保大尉筆にするところのあの有名な「今からでも遅くはない」という名文句の「兵に告ぐ」という戒厳司令官の帰順勧告の告示が放送され又飛行機からこのビラがまかれたのである。
陸軍上層部の「事勿れ主義」が見過ごした“クーデターの兆候”

 然し、多少とも当時の陸軍部内の事情に通じておるものには、何れは二・二六事件のような事件が勃発するであろうということは予想されていたのである。

 殊に、昭和11年初頭に最も過激な国家革新の思想を抱懐し一斉蜂起の機を虎視眈々として覘っておった青年将校の一団の所属する歩兵第一連隊や第三連隊を隷下にしておる第一師団の満州移駐が発表されてからは、彼等は陸軍上層部が自分達を敬遠し遠島仰付ける意味でこの処置に出たものと深く思い込むに至ったから、事は一層面倒になり、彼等は必ずや渡満前に一斉蜂起を決行するだろうと考えられていたのであって、斯様な状勢にあることは陸軍上層部の人達は十分承知していた筈である。

 然るに、これに対して何等の対策を講ぜず唯々拱手傍観その日ぐらしの事勿れ主義の態度で終始していたため、二・二六事件が勃発するや、恰も天災地変が一時に突発したかのように周章狼狽、ただ鎮撫だ説得だと騒ぐのみで却って叛軍側に足許を見すかされて引き廻され、結局は、陛下の御一言でやっとフラフラ腰を立て直したのであって、陸軍上層部の無能というか、あのブザマな姿を見ては、洵になげかわしい次第である。

(元最高検察庁次長検事)(木内 曽益)

987NAME:2020/01/04(土) 14:24:44

ゴーン氏出国は「単なる刑事事件」の被告人逃亡ではない〜日本の刑事司法は、国際的な批判に耐えられるのか
郷原信郎 | 郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
1/1(水) 14:17
https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20200101-00157363/

988NAME:2020/09/01(火) 02:40:27
泣いてから、携帯電話を取り出し……昭恵夫人の“淋しさ”と「自分探し」が行き着いた先
urbansea
2020/08/31 18:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%b3%a3%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%8b%e3%82%89-%e6%90%ba%e5%b8%af%e9%9b%bb%e8%a9%b1%e3%82%92%e5%8f%96%e3%82%8a%e5%87%ba%e3%81%97-%e6%98%ad%e6%81%b5%e5%a4%ab%e4%ba%ba%e3%81%ae-%e6%b7%8b%e3%81%97%e3%81%95-%e3%81%a8-%e8%87%aa%e5%88%86%e6%8e%a2%e3%81%97-%e3%81%8c%e8%a1%8c%e3%81%8d%e7%9d%80%e3%81%84%e3%81%9f%e5%85%88/ar-BB18xwQW

辞意を表明した安倍首相が最も長く在任した総理大臣なら、その妻は最も世を騒がせた首相夫人であった。 コロナ禍の春でいえば、夫の安倍晋三は「布マスクを配れば不安はパッと消えますよ」という佐伯(さいき)耕三首相秘書官を信頼するあまり、布マスクの配布に躍起になった。

 対して妻の安倍昭恵はどうか。「不安と恐怖が、ウィルスに対する愛と感謝に変わった途端、ウィルスは、目の前で、ブラックホールから、突然、喜んで、消え去ります」と説く“ドクタードルフィン“に傾倒。「神ドクター降臨 in Oita」なるツアーに参加し、大分県の宇佐神宮にお参りにいって、騒ぎを起こす。(注1)

かつてレーガン大統領の「ファーストレディ」ナンシー夫人が占星術師に入れ込んだことから、占星術が政策やスケジュールに影響を及ぼすようになり、問題となったことがある。 それをおもえば、ドクタードルフィンの主張が官邸のコロナ対策に影響することはなく布マスクで済んだのだから、安倍昭恵が「公人」ではなく、ただの「私人」で、ほんとうによかった。

昭恵氏の信条「『対話』をすればわかり合える」

 そんな安倍昭恵、「どんな人でも『対話』をすればわかり合える」(注2)を信条にしている。沖縄で政府が進めるヘリパッド建設現場にも出向いて、反対派と対話を試みたこともある。「対立、分離した世の中を『愛と調和』の世界にしていく」(注2)との思いからで、タカ派・保守派と目される夫と対立するひとたちのあいだに入っていこうというのだ。

 あるいは「脱原発」を訴えもしたし、LGBTの権利向上を訴えるパレードにも参加した。ときには大麻畑で微笑んで、日本古来の大麻文化を宣伝し、その流れで高樹沙耶と親交を深めもした。 これらを見ると、政治が目を向けないところに目を向けさせようと自らが行動しているようにも思える。しかしそれではドクタードルフィンと旅行にいったり、手越祐也と宴会したりすることには、つながっていかない。 では安倍昭恵の行動原理は一体なんなのか。よく言われるのは「自分探し」だ。

989NAME:2020/09/01(火) 02:40:54
レールを歩む人生が、夫が首相を辞めて一転

 祖父と父が森永製菓の社長となる家系に生まれ、聖心女子を小中高と進み、専門学校を経て電通に入り、やがて大物政治家・安倍晋太郎の子息と結婚する。いわゆる親にしかれたレールを歩む人生であったろう。 それが一転するのは、夫が最初に首相になってそれを辞めてからだ。首相夫人になって有名人になったことで、かえって何者でもない自分に気づいたのか、立教大学の大学院に通い、神社をめぐり、居酒屋の経営を始める。

 ノンフィクション作家・石井妙子の取材で、安倍昭恵は大学院生活をふり返り、「『自分の意見』が私にはなかった」ことに気づいたと述べている。そのいっぽうで、「読んだ本はみんな忘れてしまったし、論文もすごく手伝ってもらって書いた」「本を読んだりレポートを書くのは、正直なところ苦手でした」(注3)と漏らす。

 何かをきちんと学ぶのは苦手のようだ。だから学術とは違う土俵にある、理解しやすい疑似科学に傾倒するのだろう。 そうしてFacebookなどでオカルトめいた言葉を発信するようになる。森友事件の際、渦中の籠池泰典の妻に「神様はどこに導こうとしているのか。とにかく祈っています」とメールしたのが知られるが、神道にとどまらず、安倍昭恵の興味は「波動」や「EM菌」、「オーラ測定」などにまで及んでいった。

 ちなみに斎藤貴男『カルト資本主義』(文藝春秋・1997年)の「オカルトビジネスのドン『船井幸雄』」の章に、安倍昭恵の実父・松崎昭雄の名が出てくる。多くの企業が研修などでおこなう「超越瞑想(TM)」について、これをNECが取り入れたのは、同社の会長と「仲のよい森永製菓の松崎昭雄社長がTMを薦め」たからだとある。スピリチュアルの嗜好は親譲りなのかもしれない。

泣きながら携帯電話を取り出し……安倍昭恵が抱える“淋しさ”

 安倍昭恵が頼るのは、スピリチュアルの見えないチカラだけではない。安倍首相の威光というチカラ、つまりは政治権力にも頼った。 たとえば2016年の参院選に出馬し「脱原発」などを訴えた三宅洋平に、安倍昭恵はFacebookで「公邸でお待ちしてます!」と呼びかける。「公邸」に招くとは公人の振る舞いに思えるが、まだ私人か公人かの問題が起きる前であったので、当時は「上から目線」などとの批判がおきる。そうしたことから、ふたりは池袋の居酒屋で会うのだった。そこで安倍昭恵は随分と酔い、おまけに泣いたという。(注2)

 そのとき、安倍昭恵は突然、夫に電話をし、携帯電話を三宅洋平にわたして、安倍首相と会話させる。 ここに安倍昭恵の淋しさがある。場を盛り上げようとして総理大臣に電話するなど、このうえない酒席の余興だ。しかしそこにいるのは安倍昭恵という個人ではなく、安倍晋三の妻、首相夫人でしかない。いや、それを期待されていると本人もわかっているから、携帯電話を取り出して夫とつなぐ。「自分探し」の行く末は結局のところは、権力者の妻であった。 この「夫の威光」こそが安倍政権最大の問題を引き起こし、また自殺者を出すという悲劇を生む。森友事件だ。

 森友学園の籠池泰典は、もともと「安倍晋三記念小学校」と名付けようとして進められた小学校建設の用地取得に手こずっていた。その最中の2014年4月、くだんの国有地を安倍昭恵は訪れて、籠池夫妻と3人で写真を撮る。このとき、シャッターを押したのは、同行していた「夫人付き職員」谷査恵子であった。

 その写真には、3人の向こうに小学校の予定地が写っている。しかし官僚には安倍昭恵の向こうに安倍首相が見えたろう。安倍昭恵は国家を借景にしているのだから。

990NAME:2020/09/01(火) 02:41:10
「喜んでもらおうとしただけ」本当にそうなのか?

「スリーショット写真の提示以降、何もかもがスムーズに進むようになった。あまりにも近畿財務局の態度が変わったので、本当に驚いたものだ」。この写真を近畿財務局の職員に見せるとそれまで難航していた用地買収が一転したと、籠池泰典は著書『国策不捜査』(赤澤竜也共著・文藝春秋・2020年)に記している。

 一枚の写真が、官僚を動かし、不正を働かせ、その結果ひと一人が自殺することになる。記念写真を撮って喜んでもらおうとしたことが、知らないところで災いをもたらしたようにも見えるが果たしてそうか。権力に対する自制心のなさは安倍内閣だけではない。安倍昭恵もそうであった。 「どんな人でも『対話』をすればわかり合える」という安倍昭恵だが、自殺した職員の妻とは会うことを避けたままだ。

(注1)「週刊文春」2020年4月23日号 (注2)「週刊SPA!」2016年8月30日号 (注3)石井妙子「安倍昭恵『家庭内野党』の真実」(「文藝春秋」2017年3月号) (urbansea)

991NAME:2020/09/06(日) 14:06:24
もう謝罪国家には戻らない 安倍首相の戦略的歴史観  八木秀次
2020.9.2
https://special.sankei.com/a/politics/article/20200902/0001.html

安倍晋三政権が、国内では疑惑を野党やメディアから追及されながらも、安定していた理由の一つに、安倍首相が国際社会の中で次第に大きな存在になったことがある。在任期間が長くなったこともあり、国際社会、特に自由主義陣営に不可欠のリーダーになっていた。それが国民に大きな安心感を与えていた。辞任の報を受けた外国首脳は概ね安倍首相を「いなくなると困る」と功績を高く評価した。外国メディアも国内とは対照的に高く評価するものが多かった。

韓国の言いがかりを振り払う

 第2次安倍政権発足からしばらくは、安倍首相は外国から警戒の目で見られていた。米国メディアは「国家主義」「歴史修正主義」のレッテルを貼り、中国の官製メディアはヒトラーと同一視した。第1次政権時に打ち出した「戦後レジームからの脱却」が誤解されたこともあり、戦後の国際秩序への挑戦者と思われていた。政権発足1年目の2013年12月に靖国神社に参拝した際、米国政府は「失望した」とのコメントを発表した。私も米国大使館の政務担当公使から参拝の理由について説明を求められた。

しかし、その批判の声は、今は消えている。安倍首相への警戒感がなくなり、逆に安倍首相は自由社会のリーダーと見られるようになった。それと同時に対日認識も変わった。日本自体への警戒感がなくなり、外交や安全保障でも日本の主張や政策は受け入れられるようになった。そこには安倍政権の対日歴史認識是正の戦略があった。

992NAME:2020/11/28(土) 05:01:07
感謝の絆 世代超え 蘇る人道国家・日本 ポーランド孤児救出100年 
2020.11.26
https://special.sankei.com/a/international/article/20201126/0001.html

今年(2020年)は、シベリアにいたポーランド人の孤児たち765人を日本が救出して100年。11月3日、孤児たちの日本の受け入れ窓口となった福井県敦賀市で、孤児たちの救出などを記念する「人道の港敦賀ムゼウム」館がリニューアルオープンするなど、今も欧州随一といわれるポーランドの親日感情を生んだ当時の日本の人道的行為に改めて光が当たっている。

一通の証書
 敦賀ムゼウムは、ポーランド人の孤児に加え、在リトアニア・カウナス領事代理だった杉原千畝の「命のビザ」によりナチス・ドイツの迫害から救われたユダヤ難民を敦賀港が受け入れたことを記念する施設。来館者の増加で旧施設が手狭になったことから、敦賀市が12億円をかけて移設、拡充した。港に面した当時の税関などの建物4棟を復元した館内では、救出を紹介するパネルや映像、孤児やユダヤ人たちゆかりの物品などの史料を展示している。

 11月3日のオープン時にはイスラエルやリトアニアなど関係各国の駐日大使らが参加して式典が行われ、ポーランドのパヴェウ・ミレフスキ大使から渕上隆信・敦賀市長に、一通の証書が手渡された。シベリアから救出されたポーランド人の孤児の一人、アントニナ・リロさん(故人)に、イスラエルのヤド・ヴァシム国立記念館から贈られた「諸国民の中の正義の人」称号の証書だ。「正義の人」の称号は、わが身の危険を冒してナチス・ドイツの迫害、虐殺からユダヤ人を救った外国人に贈られており、杉原千畝にも授与されている。

 リロさんは、ナチス・ドイツによって占領されたポーランドで、ユダヤ人少年1人を自宅にかくまった。ユダヤ人であることが発覚しないよう、少年にはキリスト教の祈祷(きとう)を覚えさせていたという。ナチス・ドイツは当時、ユダヤ人をかくまったポーランド人を家族ごと処刑していた。

993NAME:2021/08/23(月) 02:55:51
「正義中毒」の日本人が他人を許せない理由、今だからこそ考える
『人は、なぜ他人を許せないのか?』
https://diamond.jp/articles/-/237426?page=2

本書の要点

(1)他人を許せない「正義中毒」には、誰もが陥る可能性がある。人間は脳の構造上、自分の属している集団以外を受け入れられず、攻撃しやすい傾向にある。
(2)社会全体で「正義中毒」の方向へと突き進むと、多様性を狭めてしまうことになり、非常に危険だ。
(3)正義中毒から自分を解放させるには、普段から前頭前野を鍛え、メタ認知の力を身につけることが重要となる。

要約本文

◆誰もが陥りかねない「他人を許せない」状態
◇正義中毒とは?

「清純派キャラの女性タレントが不倫をしていた」。「大企業がCMで差別的な表現をした」。こうした状況は、自分や身近な人が直接不利益を受けたわけではない。だが、面識もない相手に攻撃的な言葉をあびせ、叩きのめさずにはいられない。そんな状態に陥っているとしたら、それは、正義におぼれ、「許せない」が暴走してしまっている状態だ。著者はこれを「正義中毒」と呼ぶ。

 正義中毒は誰しもが簡単に陥る可能性がある。とりわけ、ネットやSNSの世界では顕著だ。SNSの広がりが正義中毒を顕在化させ、より強めている。

 また、自らの正義をふりかざす快感を味わいつつも、同時にそんな自分を許せないと感じている人も多い。このような相反する感情に苦しめられていては、とても幸せな状態とはいえないだろう。

◇多様性を狭めた集団は滅亡に向かう

 正義中毒の人たちは、一見独自の理論、独自の正義をもっているように見える。だが実際は、自分がターゲットにされることを恐れて、多数派に流れているケースも多い。例えば、Aを「不謹慎だ!」と叩く論調が主流になると、異なる意見をいいにくくなってしまう。

994NAME:2021/09/02(木) 01:21:08
評論家・石平(59)(30)「覇気」失えば日本は生き残れない
2021/8/31 10:00
喜多 由浩
https://www.sankei.com/article/20210831-CRZYTGT5AZK33D5PWGJ7M7UGMY/

《日本生まれの日本人以上に、日本の精神や伝統を愛し、日本の将来を心配している》 いまの日本の若者たちがチャレンジ精神を失い、安定志向になっている、と聞くと、日本の将来が少し心配になります。

日本は四方を海に囲まれた島国として、長い歴史と独自の伝統、精神を守ってきました。常に大陸からの脅威に晒(さら)されています。こうした状況の中で今後、日本人が生きていくには、よほどがんばらないといけないと思う。大事なことは、覇気や気力を失ったら生き残れないということです。

《実は現在の中国人のなかにも〝横たわり主義〟と呼ぶ消極的な志向が、若者を中心に広がっている、という》 理由については日本と事情が違います。鄧小平(とう・しょうへい)以来の改革開放政策、市場経済の導入で拝金主義が広がりましたが、習近平政権下で「富の格差」も絶望的なほどになりました。そうした社会の格差が固定化してしまい、もはや、がんばってもしようがない、昇進もしたくないといった消極的な人たちが増えてきているのです。

反日感情ですか? これは常にあります。共産党政権による宣伝や学校教育によって、日本に対し、「負」のイメージを持つよう仕向けられるからです。習近平政権になって、その傾向はますます強い。〝南京大虐殺〟のセレモニーを国家行事にしたり、抗日戦争勝利記念日を設定したり、社会全体で「反日イメージ」を固定化しようとしてきているからです。

近年、日本を訪れる中国人観光客が急増しました。現在は、新型コロナウイルス禍によって中断していますが、日本に来て、本当の日本の姿や日本人のホスピタリティーに触れた中国人の多くは「良いイメージ」を持って帰国しました。リピーターも多い。中国人観光客のマナーには確かに問題がありますが、それでも僕は中国人観光客の増加は良かったと思います。

ところが、「何でもやれる」と勘違いしている習近平国家主席は今後、思想統制や自由な言論の排除をさらに強め、中国人の海外旅行を制限することまでやってくるかもしれません。 〝毛沢東以上〟の独裁的、強権的な手法を振りかざす習氏は極めて危ない存在です。「民族の復興」を掲げて中華帝国の復活を目指し、南シナ海、台湾、そして尖閣諸島を狙ってくる。ウイグル人やチベット人ら少数民族の弾圧を強め、民族浄化を進めていく…。 日本人は、こうした「習近平政権の正体」を見極めて、しっかりと対峙(たいじ)しなければなりません。覇気や気力を失ったら一巻の終わり。政治家が中国共産党創建100年に祝電を送っている場合ではないのです。

《来年1月に60歳になる。これからは日本人に日本人の精神を伝える著作をこれまで以上に書きたいと考えている》 僕が司馬遼太郎さんの小説によって日本人の精神を学んだように、次代を担う日本の若者たちに伝えたいのです。形は、小説でも、ノンフィクションでも構わない。帰化人の僕があこがれた日本人の姿を、もっともっと知ってほしいと思います。 「あなたたちの先人はこんなにすごかった」「国を守るために一身をなげうち、懸命にがんばったんだよ」って、ね。(聞き手 喜多由浩)=明日から台北駐日経済文化代表処代表、謝長廷さん

995NAME:2021/09/02(木) 11:28:49
デジタル庁発足 コロナで露呈 サイバーテロに有効な防御なく
2021/9/1 12:42
https://www.sankei.com/article/20210901-72RVNZ2VT5IGLFFWKODSMRO3NA/

官民のデジタル化を推進する司令塔、デジタル庁が1日発足した。コロナ禍で露呈した行政のデジタル化遅れの改善や、デジタルセキュリティー確保に向けた施策に取り組む。デジタル化の進展には何が必要か、増加するサイバーテロにどう対応すべきか。武蔵大教授の庄司昌彦氏と、大阪大教授の猪俣敦夫氏に聞いた。
「コロナ行政」で人員不足 人海戦術の効率化を 庄司昌彦氏

政府がデジタル庁の設立で行政のデジタル化を急ぐ理由として、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた昨年の特別定額給付金や雇用調整助成金の手続き遅れを挙げるが、これは一例にすぎない。行政のデジタル化遅れはあらゆる分野で見られる。

996NAME:2021/09/09(木) 15:30:29
高市氏の記者会見場で報道関係者怒鳴り声
2021/09/08 18:54
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e9%ab%98%e5%b8%82%e6%b0%8f%e3%81%ae%e8%a8%98%e8%80%85%e4%bc%9a%e8%a6%8b%e5%a0%b4%e3%81%a7%e5%a0%b1%e9%81%93%e9%96%a2%e4%bf%82%e8%80%85%e6%80%92%e9%b3%b4%e3%82%8a%e5%a3%b0/ar-AAOdvKS

自民党の高市早苗前総務相が8日午後に行った党総裁選(17日告示、29日投開票)への出馬表明記者会見で、会場にいた報道関係者が学校法人「森友学園」をめぐる問題について「再調査するのか」「話さないのか」と怒鳴り声を上げた。高市氏は「一人の公務員が大変追い詰められ、命を絶った気の毒な事件だ。こういった改竄(かいざん)が絶対に起こらない体制を作る」などと説明した。

この報道関係者はさらに「安倍晋三前首相への忖度(そんたく)か」「安倍氏の傀儡(かいらい)ではないか」と怒鳴り続けたため、別の報道関係者が「やめろよ」と制止に入った。高市氏は「そこまでやじり倒さないでください。本日はありがとうございました」と締めくくった。

997NAME:2021/09/23(木) 20:49:38
日本軍がトルコ兵千人を救った 「エルトゥールル号」に続く新史実をトルコ政府が本に
2021/9/23 07:00
https://www.sankei.com/article/20210923-RGEJWHJT5RJI5IT5HYLCRDM6M4/

第一次世界大戦後の1921(大正10)年、日本陸軍が、シベリアでロシアの捕虜となっていたトルコ軍将兵約1千人を本国に生還させたことがトルコ国内で脚光を浴び、同国政府が今月、経緯をつづった本を日本語で出版した。トルコ語のほか英語版も出版し、世界に発信するという。日本とトルコの間では、トルコ軍艦「エルトゥールル」号遭難事故の乗組員救助(1890・明治23年)、その「恩返し」とされるイラン・イラク戦争下の邦人救出(1985・昭和60年)に象徴される「人道の絆」が紡がれてきた。その歴史に新たな1ページが加わりそうだ。
日本軍将兵も一緒に抑留された

第一次世界大戦の東部戦線で帝政ロシア軍の捕虜となったトルコ兵たちの存在は、シベリア出兵中の日本軍が発見。同大戦で日本とトルコは、連合国、同盟国と対立する陣営に属していたが、日本軍は管理地域の捕虜たちを本国に送還することを決定。1921年2月23日、トルコ軍捕虜1032人(現地で結婚した妻や子供数人も含む)と、日本軍指揮官の津村諭吉陸軍中佐(出発時は少佐)以下28人の日本軍人を乗せた民間の貨物船「平明丸」がウラジオストクから出港した。

998NAME:2021/10/02(土) 01:02:02
「移住したい国」日本は2位 北米、東南アジアの人々から強い支持
Dec 10 2020
https://newsphere.jp/topics/most_popular_countries_for_moving_abroad_2/?utm_source=nativeocean&utm_medium=cpc_no_ob_msn&utm_campaign=most_popular_countries_2_cpc_no_ob_msn&zpbid=8664_676f3212-22d0-11ec-b72d-78a94e278214

昨今の状況により、海外との往来の機会は激減している。しかし、こんなときだからこそ、より良い生活を求めて海外移住を夢見る人々が増えているようだ。世界中で移住関係のグーグル検索件数は急増しており、その子細を分析すると、日本は移住先として世界で2番目の人気を集めていることがわかった。

◆理想の移住先ランキング・トップ10
 本ランキングは、モバイル国際送金サービスを提供する米レミトリー社がまとめたものだ。同社は世界101の国と地域で行われたグーグル検索の結果を分析し、海外移住に関連するキーワードと同時に検索された移住先を抽出した。最も多く検索された移住先を検索元の国別に集計したところ、30ヶ国から支持されたカナダが1位となった。ランキングのトップ10は以下の通り。カッコ内は何ヶ国から移住先1位として選ばれたかを示している。

 1位:カナダ(30)
 2位:日本(13)
 3位:スペイン(12)
 4位:ドイツ(8)
 5位:カタール(6)
 6位:オーストラリア(5)
 7位:スイス(4)
 8位:ポルトガル(3)
 9位:アメリカ(2)
 9位:イギリス(2)

レミトリー社によると、コロナ禍によって人々の検索傾向は大きく変化し、パンの焼き方や室内でできるエクササイズの方法など、ステイホーム生活を快適に過ごす方法が2020年に多く検索されたという。こうした巣ごもり関連のニーズが高まる一方で、海外移住という人生の一大決心を検討する人々も増えてきているようだ。移住方法の検索数は2020年1月から10月までの時点ですでに昨年の検索実績を29%上回っているという。

◆首位カナダ、治安良く移民にも寛容
 移住先として最も多くの国から人気を集めたのはカナダで、2位以下に倍以上の差をつけ堂々の首位となった。レミトリー社は要因について、治安が非常に良いこと、低い失業率を誇ること、そして移住制度の選択肢が多数あること、などが多くの人々を惹きつけていると分析している。さらに、フレンドリーな国民性と美しい景色もプラスになっているようだ。カナダを移住先ナンバーワンに挙げたのは、同じ北米に位置するメキシコのほか、ヨーロッパではイギリスとフランスなど、そして南アジアではインドとパキスタン、ほかアフリカの11ヶ国の計30ヶ国となっている。

◆2位日本は景観と治安で人気か
 このようにカナダに魅力を感じる国が最も多いようだが、では当のカナダの人々はどこへの移住を望んでいるのだろうか? カナダで最も多くの人が選んだ移住先は日本であった。日本はカナダを含めた13ヶ国から移住先候補ナンバーワンの支持を集め、移住したい国2位となっている。レミトリー社は「(移住先別に塗り分けた)北米の地図を見ると、アメリカ人とカナダ人たちは日本での新生活を体験したがっているようだ」と述べ、遠く離れた日本への興味が強いことを報じている。日本を移住先に選んだのはカナダ、アメリカ、オーストラリアのほか、ヨーロッパではジョージアとモンテネグロ、アジアでは8ヶ国でタイ、台湾、フィリピンなどとなっている。

日本が北米で強く支持されたことについては、驚きをもって受け止めたアメリカ人もいるようだ。旅行ライターのラウラ・ベグリー・ブルーム氏は米フォーブス誌(11月25日)に寄稿し、アメリカ人が最も希望している移住先はどこかと読者に問いかけたうえで、結果を知って驚くかもしれないと述べている。治安の良い隣国カナダがありながら、海を隔てた日本が支持されるという興味深い事態になっている。

レミトリー社は「とても魅力的な風景と安全性、そして無数の雇用機会」が人気の原動力なのではないかと分析する。私たち日本に住む者の実感としては景気が上向いているとは必ずしも言い切れないが、それでも海外から見ると比較的安定した雇用があるということだろうか。さらに同社は、カナダが日本を選択する理由として「非常に称賛を受けている人生の質」などが好まれていると推察している。日本は北米のほか、オーストラリアと東南アジア各国からも人気だ。

999NAME:2021/10/06(水) 00:11:59
日本軍がトルコ兵千人を救った 「エルトゥールル号」に続く新史実をトルコ政府が本に
2021/9/23 07:00 小島 新一
https://www.sankei.com/article/20210923-RGEJWHJT5RJI5IT5HYLCRDM6M4/

第一次世界大戦後の1921(大正10)年、日本陸軍が、シベリアでロシアの捕虜となっていたトルコ軍将兵約1千人を本国に生還させたことがトルコ国内で脚光を浴び、同国政府が今月、経緯をつづった本を日本語で出版した。トルコ語のほか英語版も出版し、世界に発信するという。日本とトルコの間では、トルコ軍艦「エルトゥールル」号遭難事故の乗組員救助(1890・明治23年)、その「恩返し」とされるイラン・イラク戦争下の邦人救出(1985・昭和60年)に象徴される「人道の絆」が紡がれてきた。その歴史に新たな1ページが加わりそうだ。
日本軍将兵も一緒に抑留された

第一次世界大戦の東部戦線で帝政ロシア軍の捕虜となったトルコ兵たちの存在は、シベリア出兵中の日本軍が発見。同大戦で日本とトルコは、連合国、同盟国と対立する陣営に属していたが、日本軍は管理地域の捕虜たちを本国に送還することを決定。1921年2月23日、トルコ軍捕虜1032人(現地で結婚した妻や子供数人も含む)と、日本軍指揮官の津村諭吉陸軍中佐(出発時は少佐)以下28人の日本軍人を乗せた民間の貨物船「平明丸」がウラジオストクから出港した。

1000NAME:2021/12/31(金) 00:18:03
日豪安保「新次元へ」 宣言改定、名実ともに準同盟へ
2021/12/29 19:28
半沢 尚久
https://www.sankei.com/article/20211229-SYKZTHTMP5LKBLCPCI4ZCHQS3E/

日本、オーストラリア両政府が日豪安全保障共同宣言の改定を検討していることが29日、明らかになった。改定による新共同宣言は安保協力を「新たな次元へと引き上げていく」(岸信夫防衛相)ための指針で、有事での米国も交えた共同対処能力の強化に主眼を置く。日豪関係を日米同盟に次ぐ、実を伴う準同盟に高める決意表明と位置づける。

「中国に厳しい姿勢で臨むのは党派を超えて一致した考えだ」「対中融和への揺り戻しはない」

豪州の日本担当者はそう伝えてきている。豪中蜜月時代を経て、中国が日本を抜いて豪州の最大の貿易パートナーとなったのは2007(平成19)年だ。日豪安保共同宣言が策定された年だが、それ以降、豪中関係は悪化した。




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