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日 本

958NAME:2018/12/23(日) 15:18:30
【一服どうぞ】裏千家前家元・千玄室 元寇退けた武家の軍事力
2018.12.23 13:03コラムその他
https://www.sankei.com/column/news/181223/clm1812230004-n1.html

わが国が初めて近隣諸国から侵略されたのは、元寇すなわち蒙古襲来である。漢民族を破り元の国を打ち建てたモンゴルが日本にまで矛先を向けたのが、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)であった。平安朝から鎌倉幕府創立の時期で武士の勢力が確立していたのが幸いし、軍事力により蒙古軍を退けることができた。特に弘安の役では今でいう台風の強風が吹きまくったために一夜にして蒙古軍の船は遭難し逃げ帰った。得たり賢しとばかりに宗教関係者は「日本は神風によって守られた」と神風の力を言い始めた。後々までこの神風という言葉が苦難の時に用いられる。太平洋戦争末期に空に海に特攻隊が編成されたときも、頭に「神風」がつけられた。ただしこの場合は「カミカゼ」ではなく「シンプウ」とわれわれは呼んだが、米国では「神SUICIDE(自殺)」とか「カミカゼ飛行」などと呼ばれている。

日本は武家の力で敵を撃破したのにそれを神風の力だけとし、日本には武力などの軍事力は必要ないと今日においてもそれを前提にまことしやかにいい述べる人々がいる。 モンゴルが日本侵略を思い付いたのは、滅ぼした中国の宋の捕虜を厄介払いするためにそれらを軍勢の主としたとの説もでている。ともかくこの元寇が、海外から日本が攻められた唯一のものである。中国はこの後勢力を盛り返し、国土を統一した明王朝は長く続き大国としての覇権を目指したのである。

 中国は産業革命などの技術の発展においては英語圏に比して遅れ、欧米各国に押さえられた。欧米がキリスト教を中心にしているのに対し東洋では中国で生まれた儒教の朱子学が思想哲学の核であり日本でも重用された。江戸時代には朱子学による道徳基準をたて武士の尊重とともに士農工商の意義をつくった。しかし戦国の世から離れ、平和の時がたつにつれ武士の立場が弱くなった。というより金や米を操る商人の力が強くなり武士がそれに頼るという、「金」の力がものを言う世の中になった。禄高(米)を与えられる武士の生殺与奪権を金に換える両替商が栄え、朱子学の教えなどどこかにいってしまった。

ちょっと今日の世の中に似ている。金が物を言うのはいつも同じである。どの藩も余裕はなく大抵が赤字負債を抱えていた。江戸屋敷の御用人は豪商に頭を下げ金の力に屈服していた。九州の島津家では財政逼迫(ひっぱく)を調所(ずしょ)笑左衛門という若い茶道方が上手に克服している。茶道方とは茶道を教えることを役として働くのだが、各藩にいた。単なる茶道役とは違って茶道具を戦略として使いながら藩の立て直しをはかったのである。

当時は軸物をはじめとする道具類が、株のように価値を持ち一つの財産であったことを忘れてはならない。その証拠として明治維新で廃藩になった大名武家が生活のため、唯一の財産である茶道具を豪商や一般人に売ったのである。これらが今もなお名物ものとしてその価値を示しているのを見てもわかるであろう。(せん げんしつ)




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