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日 本

1NAME:2012/03/15(木) 23:49:39
野田首相、がれき受け入れ自治体に財政支援の意向
2012/3/ 5 12:27
http://www.j-cast.com/2012/03/05124302.html

野田佳彦首相は2012年3月4日夜、日本テレビの番組に出演し、東日本大震災の被災地のがれきの処理について、「広域処理で応援してくれる自治体にも、国が全面に出て財政的に対応していく」と述べ、財政支援を行う意向を表明した。政府は14年3月末までにすべてのがれきを処理することを目標にしているが、現時点で処理が完了したがれきは全体の5%程度にとどまっている。

↑ 本来ならば、国が、率先して放射能検査を行い→受け入れを斡旋していくべきだがそんなことをこの政権がするわけがない。
民主党は、日本のために頑張らない、韓国の傀儡政権なので、震災復興を頑張らない。

951NAME:2018/09/10(月) 00:15:36
◆中国をもっとも好意的に見ているのはどこの国? またその反対は?
 中国に関しては、ピューは、調査対象のアジア太平洋地域の過半数が好意的な見方だ、と伝える。

 国別では、パキスタン82%と、マレーシア78%が突出している。マレーシアは日本に対する好感度も高く、親日と同時に親中でもあるようだ。 反対に、日本とベトナムの中国に対する好感度は、著しく低い(日本9%、ベトナム19%)。ピューはこれについて、領有権問題への懸念が一因だろうと指摘している。ピューが7月に発表した他の調査で、日本とベトナム、そしてフィリピンは、中国との領有権問題を懸念事項として挙げている(日本83%、ベトナム83%、フィリピン91%)。

 しかし、フィリピンの中国に対する好感度は、54%とそれほど低くない。ピューによれば、昨年と比べて16ポイント改善したのだという。フィリピンの対中国の冷え込みは緩和されつつあるようだ。 なお、WSJは見出しで「海洋問題がアジアにおける中国の人気を圧迫している」として、この点を中心的に報じた。

◆韓国と中国はお互いの好感度に差。そこに注目した韓国メディア
 韓国は好感度で対象4ヶ国中最下位となったが、これに関してピューは、調査対象者のかなりの割合が「わからない」と回答、または無回答だったことも一因だとしている。パキスタンではこれが65%、インドでは52%に上った。聯合ニュースもこの点に触れている。この2国は、日本についても、それぞれ37%、38%が回答保留だ。地理的にも遠く、なじみが薄いのだろう。 また、韓国から中国への好感度は61%だったが、中国から韓国への好感度は47%だった。聯合ニュースは「韓中の相手国に対する好感度に差」と題して、これを中心に報じた。

◆安倍首相、習主席に対する各国の信頼は?
 今回のピューの調査は、4ヶ国への好感度だけでなく、日本の安倍首相、中国の習主席、インドのモディ首相への信頼感も質問対象としている。各首脳が国際問題に関して、正しい行動をすると信頼しているかどうかを尋ねたものだ。 サブタイトルにもなっているとおり、全体としては各首脳への信頼は半数に届いていない。しかしピューは、全体の中央値では、国ごとに大きく異なる実情が覆い隠されてしまう、としている。国への好感度以上に、首脳への信頼はばらつきが大きいようだ。ピューは、(国によっては)各首脳に対するなじみがないのもその一因だとしている。

 習主席への各国の信頼は、中央値で47%、不信頼は29%だった。安倍首相への信頼は43%で、不信頼は19%だった。 習主席への信頼は、マレーシアと韓国で高かった(72%、67%)。中でも韓国の50歳以上では、実に81%もが信頼しているという。 反対に、日本では、習主席に対する信頼はわずかに12%。不信頼は82%に及んだ。 安倍首相に対する信頼は、マレーシア、ベトナム、フィリピンで高い(73%、68%、68%)。マレーシアはやはり、親習主席であると同時に親安倍首相でもあるようだ。 反対に、韓国では7%、中国では18%が信頼と低調だった。韓国の63%は安倍首相をまったく信頼していないと回答している。これは各国中最多である。

952NAME:2018/09/11(火) 14:42:11
中国の誤算? 対日強硬策で日本が“ノーマル”な国に 豪研究機関指摘
Aug 18 2014
https://newsphere.jp/politics/20140818-2/

近年、中国は東シナ海や南シナ海において影響力拡大を図り、複数の関係国と係争を抱えている。自国の利益追求を強引に進める中国と日本の関係について、海外メディアが注目している。

◆防衛白書に反発
 CNNは、先日日本が発表した26年版防衛白書に対して、中国が強く反発したことを取り上げている。同白書は、中国の艦船や飛行機が南シナ海や東シナ海の係争地域で「危険な行動」をとっており、「不測の事態を招きかねない」と述べている。
 これに対して中国国防相は、日本の主張は軍備拡大の言い訳であり、「事実を無視するもの」で、中国による軍備開発に対する「いわれのない非難である」として、日本の主張をすぐさま退けたという。

◆中国主導がアジアの常態となるか
 ウォール・ストリート・ジャーナル紙の12日付の記事は、米政策研究所のマイケル・オースリン氏が、中国の影響力拡大は止めることはできず、日米の影響力は低下するという視点で今後のアジア情勢を解説している。 同紙は、アジア諸国と積極的に連携して中国に対抗しようとする日本の動きを取り上げている。防衛白書の刊行、アジア諸国への連携呼びかけ、ベトナムへの船舶供与、オーストラリアとの潜水艦共同開発計画などである。

 しかし、これらの活動に対して、中国は、係争相手国への態度を変えたり、軍備拡大路線を抑制するなどの動きは見せず、むしろ、自国の軍備近代化を正当化している可能性が高いと同紙は見ている。 中国の挑発に対抗できる相互安全保障組織はアジアに存在せず、頼りのアメリカも影響力が低下するとみられている。そのため、今後中国の影響力はさらに拡大し、中国の一強状態が、アジアの「ニューノーマル(新たな常態)」となると同紙は結論付けている。

◆中国は日本を大きく見誤っているか?
 一方、オーストラリアのシンクタンク「The interpreter」は、「中国は日本を誤解しているのではないか?」と題する論評で、中国の対日政策に疑問を呈している。 記事によると、中国にとって一番望ましくない日本の姿とは、再軍備を成し遂げ、独立した戦略を持つ「ノーマル(通常)な国家」であると考えられてきた。 ところが最近の日本は、中国の強硬姿勢が裏目に出て、ノーマルな国家の方向に向かっているようである。どうしたのだろうか?中国が日本を見誤った可能性としては次の2つが考えられる。

 1つ目は、たとえアメリカの支援が信頼できなくなったとしても、20年におよぶ景気停滞、政治的漂流、人口減少、自然災害の後では、日本はモラル低下のため、独立した軍備を持つことができないだろうという誤り。 2つ目は、アメリカのリーダーシップが低下しても、安倍首相の呼び掛けの下に国民が結集し、核兵器等一切を備えたアジアの軍事大国として再興することはなく、日本は大人しく中国に従属するだろうという誤り。 だが、中国がアジアで渡り合う相手としては、日本の方がアメリカよりも好ましいだろうから、全く愚かな戦略というわけでもないだろう、と記事は結んでいる。

953NAME:2018/09/11(火) 14:49:51
日本は世界一“先見の明のある国” 米誌の「世界一の国ランキング」 総合結果は?
Mar 14 2017
https://newsphere.jp/world-report/20170314-1/

毎年恒例となった、「世界一の国」ランキングが発表された。日本は、総合ランキングで昨年から2つアップして5位となった。なかでも、「先見の明のある国ランキング」では1位となった。

◆日本、「先見の明」で1位
 「The Best Country in the World(世界一の国)」リストは、米誌USニューズ&ワールド・レポートが毎年発表しているランキングだ。21,000人を対象に調査したもので、総合ランキングの他に、「冒険」や「起業」、「生活の質」など様々な部門ごとのランキングも存在する。

 今年1位となったのはスイスだ。失業率の低さや質の高い労働力に加え、低い法人税率やハイテク産業、さらには金融業界を中心としたサービス業の水準の高さなどに支えられた強い経済力が指摘されている。 一方、昨年のランキングで総合1位だったドイツは4位に後退。高齢化が進んでいることや、門戸開放型の政策が国内で論争の源になっていることが指摘されている。

 5位となった日本は、2011年の震災で打撃を受けた製造業はほぼ復興しているが、近隣諸国との領土問題や高齢化の問題がある、と指摘されている。部門ごとのランキングでは、「起業家精神溢れる国ランキング」で2位(1位はドイツ)、「成長が見込める国ランキング」で5位(1位はアラブ首長国連邦)と健闘。さらに「先見の明のある国ランキング」では1位となった。

 「先見の明のある国ランキング」は、ビジネスで意思決定をする立場にいる4,000人が「官僚制度」、「ダイナミックさ」、「起業家精神」、「革新性」、「技術的専門知識」について点数をつけたものを元に算出されている。日本に次いで2位となったアメリカを除き、上位5ヶ国中4ヶ国がアジアの国となった(3位韓国、4位シンガポール、5位中国)。

 総合ランキング上位10ヶ国は、スイス、カナダ、イギリス、ドイツ、日本、スウェーデン、アメリカ、オーストラリア、フランス、ノルウェーと、欧米諸国が圧倒的に多かった。

◆世界一悲惨な国
 この「世界一の国ランキング」は「国が持つ良いイメージ」を数値化したものと言えるが、逆に「国にとってマイナスの数字」をランキングしたとも言える、「悲惨指数」なるものも発表されている。これはブルームバーグが2017年のインフレ予測と失業率予測を合わせて算出したもので、全65の国と地域を順位付けした。ランクが低ければ低いほど、「悲惨ではない」ということになる。

 最も悲惨だとされたのはベネズエラで、3年連続で不名誉な1位に輝いてしまった。ベネズエラ最大の輸出品目である石油価格が低迷していることや、物価が今年6倍近くに跳ね上がると予測されていることなどが理由だ。

◆アジア諸国が大健闘
 一方、悲惨から最もほど遠いとされたのが、タイだ。ただしこれは、タイの失業率の換算の仕方がかなり独特だから、と指摘されている。

 日本はこのランキングでもかなり健闘した。65ヶ国中62位。つまり「悲惨ではない国」で4位に入った。このランキングを逆から見て「悲惨ではない順」に並べると、タイ、シンガポール、スイス、日本、アイスランド、台湾、デンマーク、イスラエル、韓国、香港と、10ヶ国中6ヶ国(地域)がアジアの国(地域)だった。

954NAME:2018/09/26(水) 16:15:13
安倍晋三首相「自由貿易の旗手」へ決意 国連総会一般討論演説・全文
2018.9.26 09:49更新
http://www.sankei.com/politics/news/180926/plt1809260005-n1.html

【ニューヨーク=田北真樹子】安倍晋三首相は25日夜(日本時間26日午前)、米ニューヨークで開かれている国連総会で一般討論演説し、「自由貿易の旗手」として世界の経済システム強化を主導する決意を表明した。演説の全文は次の通り。

 議長、ご列席の皆さま、向こう3年、日本のかじ取りを続けることとなった私は、連続6度目となります本討論に、思いを新たに臨みます。 今からの3年、私は、自由貿易体制の強化に向け、努力を惜しみません。 北東アジアから戦後構造を取り除くために、労をいといません。

■自由貿易の旗手として立つ

 思いますに、日本国民は、自国の指導者に対し、自由貿易の旗手として立つことを切望しておりました。なぜなら日本自身、戦後、自由で開放された経済体制の申し子として、貿易の利益に浴し、めざましく成長した国だったからです。 自由貿易体制は、アジア諸国を順次離陸させ、各国に中産階級を育てました。背後には、1980年代以降、日本からこれら諸国に向かった大規模な直接投資がありました。 みな、国際経済システムが、ルールに基づき、自由でオープンなものだったおかげです。

 このシステムに最も恩恵を受けた国・日本が、その保全と強化のため立たずして、他の誰が立つのを待てというのでしょう。日本の責任は、重大です。 それは、日本の歴史に根差した使命でもあります。 日本には、近代日本の産業化を支えた石炭のほか、めぼしい資源はありませんでした。しかし戦後の日本は、貿易の恵みに身をゆだねたところ、資源が乏しくても、奇跡といわれた成長を実現できたのです。 貿易と成長の間の、今や常識と化した法則を、最初に身をもって証明した国が日本です。日本は、貿易の恵みを、世界に及ぼす使命を負っています。

955NAME:2018/12/22(土) 23:44:30
保守派が好きな"本来の日本"という謎概念
古谷 経衡
2018/12/20 09:15
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e4%bf%9d%e5%ae%88%e6%b4%be%e3%81%8c%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e6%9c%ac%e6%9d%a5%e3%81%ae%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e8%ac%8e%e6%a6%82%e5%bf%b5/ar-BBRc5TP?ocid=iehp

拉致問題を担当したことで、保守派からの人気を集めた中山恭子氏に、厳しい視線が注がれている。日本のこころから離党した昨年9月に、同党支部の政党交付金約2億円を自らの政治資金団体に移していたことが明らかになったのだ。中山氏に対し、かねてから疑問を呈してきた文筆家・古谷経衡氏は「『本来の日本を取り戻したい』と言うが、『本来の日本』が何処に存在するものか、よく分からない」と指摘する――。

※本稿は、古谷経衡『女政治家の通信簿』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

硬直した「マトリックス史観」の持ち主
中山恭子 元拉致問題担当大臣

1940年生まれ。東京都出身。夫は文部科学大臣などを務めた中山成彬。東京大学文学部卒業後、大蔵省入省。退官後、在ウズベキスタン特命全権大使、内閣官房参与、首相補佐官を経て、2007年参院選にて当選(自民党・比例)。その後、日本維新の会、次世代の党などを経て、現在は希望の党顧問。

中山からはマトリックス史観を強く感じる。マトリックス史観とは、「現実の世界や現実の社会、現実の日本というのは嘘の存在である。この世界は、『左翼勢力』『反日勢力』に遮蔽されているだけで、私達の知らない本当の日本というものがあり、それに目覚め、あるいはそういった『真の日本』を認識して、それを取り戻さなければならない──」というものだ。

中山の著書『国想い 夢紡ぎ』(万葉舎、2011年)には、中山の硬直したマトリックス史観を随所にうかがう事ができる。
〈平和の維持、自由主義の堅持を基本として、今なすべき事は、戦後シンドロームからの脱却です。(中略)ウズベキスタン共和国のカリモフ大統領が、「日本は戦後シンドロームから抜け出して世界に大きく貢献するときに来ている(後略)」と発言されました(注*中山は小泉政権時代、ウズベキスタン大使だった)。それまでにも、戦後シンドロームと言う言葉は幾度も聞いていましたが、このとき「本来の日本を取り戻したい。取り戻さなければ」と強く心に刻みました〉
「戦後シンドロームからの脱却」を教育に求める

戦後シンドロームとは、直訳すれば戦後症候群となる。私は戦後シンドロームという言葉をあまり聞いたことは無いが、中山は「戦後シンドロームからの脱却」を、とりわけ教育問題に絞る。日本教職員組合を戦後ソ連のコミンテルンの支持を受けて勢力を拡大した組織、と定義した上で、
〈日教組による反日、自虐教育が終戦直後から現在まで長期に亘って行われているという極めて憂慮すべき事態が、現に目の前にあることを認識しなければなりません。現在の教育問題はここに原点を発し、日本を蝕んで来ました。子供達の将来を考えると、心が震えるほど心配になります〉
としている。このような教育というのは、「日教組による反日的自虐教育」「ゆとり教育」「日本語教育の不備」と指摘している。この日教組に対する不信は、中山の夫・中山成彬にも共通の世界観であり、中山夫妻共通の思想である。 かくいう私も、義務教育において、中山の言う「自虐教育」ともいうべきカリキュラムに親しんできた。私の地元は北海道教職員組合の組織率が強く、伝統的に社会党のイデオロギーが強い地域であった。

956NAME:2018/12/22(土) 23:44:54
「自虐教育」を受けても憂慮される人生にはなっていない

しかし、果たして私自身がそうであったように、仮にこの教育方針を自虐教育とするならば、私はそれに従順だったのかと言えば、結果として真反対の人間になった。 憲法九条についてはその二項を削除・修正して国防軍を創設する。対外関係にあっては対米自立を指向し、強力な自主防衛を貫徹し、その達成のためには核武装も辞さず、当然防衛予算を増強する。先の戦争についての評価は、満州事変以降の日本の大陸侵略は間違った国策だったが、日米戦争にあっては自衛戦争の側面を認め、むしろ石原莞爾のような洋の東西の文明衝突的価値観から捉える云々──。

こうして私の現在の思想を振り返ってみると、中山の言う「自虐教育」の最前衛とも呼べる地域で六・三・三の十二年の教育を終えたが、「本当に幸せな、豊かな人生を送れるとは到底考えられません」(前掲書)と憂慮されるような人生に至っているという自覚は無い。 私は、個性とは学校教育の外部から発生するものであり、学校教育は後年の人格を規定せず、むしろ学校教育での強制は学童に真反対の効果を与える、と思っている。

学校教育で強制される「上からの規格」は、往々にして反発を生み、そこから逸脱する存在を大量に生む。人間とはそういうものだと私は思っているし、事実そういう事例を山ほど見てきたが、どうも中山の人間観、子供観と言うものはそうではなく、「上から教わったものをそのまま受容する」極めて規格的な人間が、一切抵抗することなくそのまま後年の人格を形成すると想っているようだ。

私はこの感覚がよく分からない。みんな、そんなに少年期に教わったとされる学校教育の内容に従順なのだろうか。私は中学校の社会科教師があの戦争について何を言ったのか、全く覚えていないが、成人してから読んだ「真っ当」な歴史研究者の本の内容の方に圧倒的に強い影響を受けている。

「本来の日本」はどこに存在するのか

戦後シンドロームの存在を前提として、「本来の日本を取り戻したい。取り戻さなければ」と決意するのは結構だが、「本来の日本」とは何処に存在するものかは、中山の世界観からはよく分からない。うっすらとそれが戦前の一時期にあるようであるのは、中山の著書の中から類推されるが、中山は1940年生まれで終戦当時5歳。中山自身が言うように、中山自体が「コミンテルンによる自虐教育」を受けてきた世代であるはずだ。中山の言う「本来の日本」が仮に戦前にあるとして、中山自身はそれを体験していない。 もしかしてその「本来の日本」とは、「乳と蜜あふれる約束の地」(旧約聖書)のように、これまでの日本人が一度も手に入れた事の無い理想郷であるならば、それはやはりマトリックス史観の一種で、SFの領域であると言わなければならない。

「中山恭子=拉致問題」で保守派の人気を得た

さて、中山恭子と言えば、第一次安倍内閣で拉致問題対策本部・事務局長に就任し、続く福田康夫内閣で拉致問題担当、麻生内閣で内閣総理大臣補佐官としてやはり拉致問題を担当した。小泉以降の自民党三政権(2006〜09年)で、中山恭子=拉致問題というイメージは補強され、保守派からの人気は極めて高いものになった。

その人気は中山の得票数に表れている。初当選した2007年の参院選全国比例では38万6000票の個人票を獲得して自民党三位(このとき一位は舛添要一)。この後、自民党が下野したため、中山は自民党から離党して日本維新の会に移った。ちなみに自民党代議士として文科大臣・国土交通大臣を務めた夫の中山成彬が地元の自民党宮崎県連との係争で同党からの衆議院出馬がご破算になったあげく、自民党から除名されたために、中山恭子は常に夫と共に行動を取るようになる。中山成彬も恭子と同時に、たちあがれ日本→日本維新の会へ党籍を変更している。

そんな中、中山恭子にとって転機だったのは、日本維新の会から石原慎太郎率いる次世代の党が分裂したことだ。 日本維新の会が江田憲司率いる中道の「結いの党」と合併したことに立腹したため、一気に石原一派が分党して「次世代の党」を作った。「自民党より右」を高らかに掲げた次世代の党へ、ネット世論、保守層・右派は狂喜乱舞した。当然、中山恭子と成彬も次世代の党についていった。時に2014年8月1日のことであった。

957NAME:2018/12/22(土) 23:45:14
「自民党より右」は一般の有権者から遠かった

ところが次世代の党結成からわずか4カ月後に行われた2014年の解散総選挙で、解散前勢力19議席を誇った次世代の党はわずか2議席と壊滅的打撃を被った。保守派・右派とネット右翼は、雑誌で、SNSで、遊説でと、次世代の党を応援しまくったが全く効果が無かった。いかに「自民党より右」という極端な同党の立場が、一般の有権者の皮膚感覚から乖離していたかの証左である。

このとき、日本維新の会で衆議院議員となって、次世代の党に移って落選した代議士たちは長い長い冬の時代を迎えることになった。が、中山恭子には関係が無かった。なぜなら中山恭子は参議院議員だったからである。2014年の衆議院選挙における次世代の党の壊滅は、落選議員の自民党復党と、次世代の党の党勢衰微にますます拍車をかけた。この選挙で、小選挙区で当選した平沼赳夫と園田博之は二人そろって、2015年10月に自民党に復党した。

こうなると次世代の党は衆議院に議席を失い、参議院だけの小政党となった。このとき次世代の党は松沢成文、和田政宗、江口克彦、浜田和幸、中野正志、そして中山恭子の、いずれも全員参議院議員だけの6名の政党になった。この中で最も知名度があるのは中山恭子であり、中山が推される形で次世代の党の党首になった。

親安倍から反安倍に一転

中山体制下にて、次世代の党は「日本のこころを大切にする党」への党名変更を行った。略称は「こころ」だったが、同党を揶揄する一部のネットスラングでは「日コロ」などと言う別称も出た(その後、「日本のこころ」へ再度改名)。いずれにせよこの時点でいずれ行われるであろう衆議院選挙での党勢回復は全く望めないのだった。危機感を覚えた幹事長代理の和田政宗は、離党して自民党に入党した。いよいよ「こころ」の立場は危うくなった。

2017年9月。週刊誌、テレビ、SNS、全国を熱狂させている「小池劇場」の進展を眺めていた中山恭子は、同党を離党し小池率いる「希望の党」に夫の中山成彬とともに入党した。 これは中山恭子にとって重大な政策転換であった。「希望の党」入党に際し、それまで「森友学園・加計学園」(モリカケ)問題について、安倍総理に全く瑕疵は無い、と政権擁護を繰り返していた夫妻が、一転して「モリカケは問題だ」として反安倍・反自民への立場に180度転換したのである。

小池にとって旧次世代の党の領袖を自らに加えることは、「希望の党が保守層へとウイングを広げること」との野心があったとされるが、逆に保守層は中山夫妻への反発を深めた。「モリカケ問題なし」から「モリカケ問題あり」と親安倍から反安倍に転向したことは、「モリカケ問題は朝日新聞の捏造」とまで糾弾の度を強める保守派にとっては許しがたい裏切り行為と映ったのである。

小早川秀秋の裏切りに似ている

中山恭子は参議院議員なので2017年衆院選は関係が無い。しかし長らく下野が続き自民党からも除名され、冬の時代を生きてきた夫・中山成彬を第一におもんぱかっての「希望の党」入党であろう。事実中山成彬は「希望の党」から公認をもらって同選挙の比例九州ブロックで当選し、代議士に復帰した。

ところが総選挙後、「希望の党」が立憲民主党に及ばない野党第二党の結果に終わると、中山恭子、成彬夫妻は、同じく旧次世代の党から「希望の党」に入党してきた松沢成文らと合議して、再度「希望の党」からの分党を計画していることが報道された。拉致問題に熱心な愛国政治家として自民党下野時代に盛んに保守系論壇誌に登場していた中山恭子、成彬夫妻に対して保守層は急速に冷淡な態度を示している。

常に夫と行動する中山恭子の姿勢は、よく言えば「古き良き日本女性」による内助の功というやつかもしれないが、一度でも安倍に敵対する小池にすり寄った、という事実を裏切りと考える保守派に、再度の中山人気は起こらないであろう。

元々態度が違う正反対の人よりも、一旦身内と認識したものに裏切られたと感じたときの憎悪は激しい。大谷吉継が小早川秀秋の裏切りに「三年の間に祟りをなさん」と叫んで自害した故事に似ている。やはり真の敵は遠くの敵よりも近くの元味方なのである。(文中敬称略)

958NAME:2018/12/23(日) 15:18:30
【一服どうぞ】裏千家前家元・千玄室 元寇退けた武家の軍事力
2018.12.23 13:03コラムその他
https://www.sankei.com/column/news/181223/clm1812230004-n1.html

わが国が初めて近隣諸国から侵略されたのは、元寇すなわち蒙古襲来である。漢民族を破り元の国を打ち建てたモンゴルが日本にまで矛先を向けたのが、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)であった。平安朝から鎌倉幕府創立の時期で武士の勢力が確立していたのが幸いし、軍事力により蒙古軍を退けることができた。特に弘安の役では今でいう台風の強風が吹きまくったために一夜にして蒙古軍の船は遭難し逃げ帰った。得たり賢しとばかりに宗教関係者は「日本は神風によって守られた」と神風の力を言い始めた。後々までこの神風という言葉が苦難の時に用いられる。太平洋戦争末期に空に海に特攻隊が編成されたときも、頭に「神風」がつけられた。ただしこの場合は「カミカゼ」ではなく「シンプウ」とわれわれは呼んだが、米国では「神SUICIDE(自殺)」とか「カミカゼ飛行」などと呼ばれている。

日本は武家の力で敵を撃破したのにそれを神風の力だけとし、日本には武力などの軍事力は必要ないと今日においてもそれを前提にまことしやかにいい述べる人々がいる。 モンゴルが日本侵略を思い付いたのは、滅ぼした中国の宋の捕虜を厄介払いするためにそれらを軍勢の主としたとの説もでている。ともかくこの元寇が、海外から日本が攻められた唯一のものである。中国はこの後勢力を盛り返し、国土を統一した明王朝は長く続き大国としての覇権を目指したのである。

 中国は産業革命などの技術の発展においては英語圏に比して遅れ、欧米各国に押さえられた。欧米がキリスト教を中心にしているのに対し東洋では中国で生まれた儒教の朱子学が思想哲学の核であり日本でも重用された。江戸時代には朱子学による道徳基準をたて武士の尊重とともに士農工商の意義をつくった。しかし戦国の世から離れ、平和の時がたつにつれ武士の立場が弱くなった。というより金や米を操る商人の力が強くなり武士がそれに頼るという、「金」の力がものを言う世の中になった。禄高(米)を与えられる武士の生殺与奪権を金に換える両替商が栄え、朱子学の教えなどどこかにいってしまった。

ちょっと今日の世の中に似ている。金が物を言うのはいつも同じである。どの藩も余裕はなく大抵が赤字負債を抱えていた。江戸屋敷の御用人は豪商に頭を下げ金の力に屈服していた。九州の島津家では財政逼迫(ひっぱく)を調所(ずしょ)笑左衛門という若い茶道方が上手に克服している。茶道方とは茶道を教えることを役として働くのだが、各藩にいた。単なる茶道役とは違って茶道具を戦略として使いながら藩の立て直しをはかったのである。

当時は軸物をはじめとする道具類が、株のように価値を持ち一つの財産であったことを忘れてはならない。その証拠として明治維新で廃藩になった大名武家が生活のため、唯一の財産である茶道具を豪商や一般人に売ったのである。これらが今もなお名物ものとしてその価値を示しているのを見てもわかるであろう。(せん げんしつ)

959NAME:2019/03/05(火) 14:01:48
“自動車民度”が低い日本。健常者が身障者用駐車場に停めてもおとがめなしって変だよね…
加藤久美子 2019/03/04 17:09
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E2%80%9C%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E6%B0%91%E5%BA%A6%E2%80%9D%E3%81%8C%E4%BD%8E%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%82%E5%81%A5%E5%B8%B8%E8%80%85%E3%81%8C%E8%BA%AB%E9%9A%9C%E8%80%85%E7%94%A8%E9%A7%90%E8%BB%8A%E5%A0%B4%E3%81%AB%E5%81%9C%E3%82%81%E3%81%A6%E3%82%82%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%82%81%E3%81%AA%E3%81%97%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A4%89%E3%81%A0%E3%82%88%E3%81%AD%E2%80%A6/ar-BBUllMf#page=2

高速道路のサービスエリアや過去10年位にできた新しいショッピングモールの駐車場には必ず、身障者用の駐車場が備えられている。2006年に施行されたバリアフリー新法によって、「障害者等用駐車区画」の設置が一定規模の施設に義務付けられたことが大きな理由だ。しかし、残念ながら「障害者等用駐車区画」の不正利用は後を絶たない。世界に名だたる自動車先進国でありながら、“自動車民度”が相変わらず低い日本。国が何もしないので、地方自治体が動き始めていることにも注目したい。

■車椅子マークの本当の意味とは?

健常者はもちろん、身障者も正確に理解してない人が多いのだが、100均でも手軽に入手できる青地に白の車いすマークはそもそもクルマに貼って駐車免罪符にするものではない。正式名称を「国際シンボルマーク」と言い、これは障害者が利用できる「建築物や施設」であることを示すマークなのである。クルマに使うべきものではないのだ。それを身障者が使うならまだしも、健常者が障害者用駐車場に駐車するために付けるという、非常に腹立たしいケースも日常の光景になった。そしてひどいことにこれには罰則規定がない。せいぜい警備員に注意される程度だ。(注意されたところで、そういうところに停めるヤカラは、逆切れするのがオチ。反省等するはずもない)

■アメリカでは、私有地であっても駐車禁止の取り締まり対象になる!

筆者が10年前に体験したことだが、変形性膝関節症によりクルマ椅子利用の母(身体障碍者手帳あり)を連れてアメリカ旅行に行ったときのこと。ロサンゼルスの日系ホテル内にある身障者用駐車スペースに当然のように停めていたのだが…なんと3日目に駐車禁止で取り締まられてしまった。罰金は250ドル!なんで?私有地なのに?慌ててフロントの日本人スタッフに相談すると、ホテルの日本人オーナーが一緒に警察に行って、旅行者である故、罰金を免除してもらえるよう交渉してくれるという。

結論から言えば事なきを得たのだが、アメリカでは政府が発行する駐車許可証を持っている者だけが身障者用駐車場に停めることができて、それがなければ処罰の対象になるのだ。お店やホテルなどの私有地であっても容赦ない(アメリカと日本では車椅子の利用の仕方がかなり違っていて、アメリカでは身障者が自ら車を運転して目的地の駐車場に停めるケースがほとんどという事情もあるが)。

960NAME:2019/03/05(火) 14:02:10
■日本は国が何もしないので、地方自治体が動き始めている!

バリアフリー新法が施行されて10年経過したが、相変わらずマナーの悪い、民度の低い健常者ドライバーは全く減っていない。国はなぜ放置しているのか?と、検索してみると平成14年の第154回国会にて「障害者用駐車ますに駐車する健常者に対する罰則規定の新設に関する請願」が行われたようである。15年も前だ!しかし、その後、この件について国会で取り上げられることはなかった模様……。

そこで、動き始めたのが地方自治体である。2006年、佐賀県の「パーキングパーミット」(身障者用駐車場利用証)制度が口火を切った。これは、本当に身障者用駐車場を必要とする人に県内で共通の「利用証」を交付することで、駐車場利用者を明確にし、駐車スペースを確保する制度である。佐賀県から始まり、2017年6月現在は36府県2市で同様の制度が実施されるまでに拡大した。(東京・神奈川・千葉・愛知など大都市を抱える都県はこの制度は無し!)制度実施自治体間による利用証相互利用も可能となっている。

■「駐車禁止除外指定車標章」の不正使用も大問題

身障者用駐車スペースへの健常者の駐車に関しては何も罰則がないのが現状だが、公安委員会より身障者に発行される「駐車禁止除外指定車標章」の不正使用は、取り締まりの対象となっている。2016年に大阪府警が府内全域で初の一斉取り締まりを実施した際には、なんと標章を置いていた車126台のうち約4割が不正使用だったという。ここでいう不正使用とは車を路上駐車する際、障害者本人が同乗していないのに標章を掲示し、通勤や買い物などの目的で使っているという状況のこと。標章の不正使用を確認したドライバーには交通反則切符(青切符)が交付されたそう。

これはこれで確かに悪質であるけれど、実際は自ら運転して身障者用駐車スペースに停める必要がある場所に、平気な顔をして置いている健常者の方が罰則はなくても悪質で迷惑ではないかと思う。

961NAME:2019/03/11(月) 19:06:16
「日本よ立ち上がれ」「一帯一路に関わるな」海外出身3論客語る 「正論」トークショーに850人
2019.3.9 20:09国際朝鮮半島
https://www.sankei.com/world/news/190309/wor1903090014-n1.html

産経新聞社の月刊誌「正論」主催のトークショーが9日、東京都千代田区の砂防会館で「日本よ立ち上がれ!」と題して開かれ、米国弁護士でタレントのケント・ギルバート、評論家で拓殖大教授の呉善花(オ・ソンファ)、評論家の石平の海外出身の3氏の議論に、約850人が耳を傾けた。

 米朝協議が合意に至らず米中貿易戦争も続き、東アジア情勢の行方が見通しにくいなか、呉氏は朝鮮半島情勢について「北朝鮮との恋に落ちてしまっている韓国を、日本が引き留めようとしても無理」と指摘。ギルバート氏は「トランプ米大統領は中国の習近平国家主席を引きずり降ろそうと考えているはず」として、米中貿易戦争は5年続くと予想した。

石氏は、米中の対立が深まれば中国は日本にすり寄ってくるとして「日本は中国に接近しすぎないほうがいい。まして“ヤミ金融”というべき一帯一路計画に日本は絶対、関わってはいけない」と強調した。

962NAME:2019/03/14(木) 21:46:35
日刊ゲンダイDIGITAL 政治・社会 政治ニュース 記事
麻生氏ポロリ本音 “アベノミクス偽装”は「支持率のため」
公開日:2019/03/13 14:50 更新日:2019/03/13 14:50
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/249359

「総雇用者所得は増えている」「有効求人倍率が全都道府県で1倍を超えた」など安倍首相がアベノミクスの成果を喧伝するフレーズには、「政権にとって都合のいいデータばかり利用している」という疑惑が付きまとってきたが、やっぱりそうだった。12日の参院財政金融委員会で麻生太郎財務相がポロリとホンネを漏らしたのだ。

 国民民主党の大塚耕平代表代行は質問で、「総雇用者所得が増えている」背景として、法改正により2018年に配偶者控除が年収103万円以下から150万円以下に拡大された点を指摘。夫が控除を受けるために103万円以内に抑制して働いていた妻が150万円に増やせば、結果として総雇用者所得は増える。だから、成果だけをアピールするのではなく、こうした増加要因もきちんと説明すべきと言うと、麻生氏は「その通り」と認めた上で、こう答えた。

「表現する時はなるべくいいことを言わないと支持率が上がりませんので、私どもとしては努力していろいろいいことを探して申し上げている」

大塚氏の質問が厳しい追及型ではなく提案型だったため麻生氏は油断したのか、支持率のためなら手段を選ばない安倍政権の正体がバレた瞬間だった。

「政権に対する世論調査は本来、支持率が高ければ政策への評価も高くバランスが取れているものですが、安倍政権の場合、支持率の高さに比べ、政策への評価が低い。政策の中身で勝負できないので、上っ面の都合のいいデータを利用して、支持率頼みで底上げに躍起になっているのが実態です」(政治評論家・野上忠興氏)

 麻生氏には、17年衆院選の自民圧勝に際し「北朝鮮のおかげ」とホンネを漏らした“前科”がある。正直なのかマヌケなのか。

963ケント・ギルバート:2019/04/02(火) 12:25:25
15万人の日本女性が米軍の慰安婦になりました

1945年、日本が投降して敗戦した直後、日本政府は特殊慰安施設協会(RAA)を
設立して、数万人の日本人女性を募集し、進駐軍(もっぱら米軍)兵士のために
性的サービスをさせました。
この国営慰安所は翌年ダグラス・マッカーサー占領軍司令官が閉鎖命令を出すまで
続きました。
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/wom/1327200928/75-108

964NAME:2019/05/12(日) 20:49:29
かつて日本人の心は清らかで美しかった。
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2010/11/post-2155.html

昭和16年(1941年)12月8日、日本軍はマレー半島東側に上陸し、イギリスがアジア植民地支配の牙城として難攻不落の要塞を誇ったシンガポールへ向けて、マレー半島1000キロの縦断進撃を開始しました。後にマレーシアの上院議員となったラジャー・ノンチック氏はこのとき16歳の少年で、ラジオ放送で日本軍上陸の報を聞きます。そしてノンチック少年は身の毛のよだつような興奮と緊張に立ちすくんでいましたが、急いで父ラジャー・イシャックの部屋に飛んでいきました。
 
「とうとう日本軍が来たね」
そうしている間にも、胸がジーンとしてきて、身体の震えが止まらなかったといいます。
 
 ノンチック氏はこの大東亜戦争について以下のように述べています。 「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍をみたときに、今まで感じたことの無い興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです」

 ノンチック氏は日本の大東亜省が推進した「南方特別留学生」に選ばれ、日本に来てマレーの独立運動を行い、宮崎高等農林学校(現宮崎大学)、陸軍士官学校で学び、福岡へいき、東大で学びました。日本敗戦後はマレーに召還となりマレー独立のために活動し、後に国会議員となりました。戦前の日本を良く知り、戦後の日本も良く知っていました。そのノンチック氏は戦後の日本を心配して次のように述べています。
 
「今の日本人にアジアへの心が失われつつあるのを残念に思っています。これからもアジアは、日本を兄貴分として共に協力しながら発展してゆかねばならないのです。ですから今の若い日本人たちに、本当のアジアの歴史の事実を知ってもらいたいと思っているのです」

 現代日本人は歴史を奪われ大東亜戦争を「侵略戦争」だったと洗脳されています。日本人は自虐と自信喪失に陥っています。だからノンチック氏は日本人に本当のアジアの歴史の事実を知ってもらいたいと述べています。そしてノンチック氏は日本人が日本人の心を失い、利己主義、金拝主義に陥ることを心配して以下の詩を書いています。日本人は本当の歴史を知り、ノンチック氏の言葉を噛み締めるべきでありましょう。

965NAME:2019/05/12(日) 20:49:59

 かつて 日本人は 清らかで美しかった
 かつて 日本人は 親切で心豊かだった
 アジアの国の誰にでも 自分のことのように
 一生懸命つくしてくれた


 何千万人もの 人の中には
 少しは変な人もいたし 
 おこりんぼや 我が儘な人もいた 
 自分の考えを 押しつけて
 威張ってばかりいる人だって 
 いなかったわけじゃない

 でも、その頃の日本人は 
 そんな少しの嫌なことや 不愉快さを越えて
 大らかで 真面目で 希望に満ちて明るかった

 戦後の日本人は 自分達日本人のことを
 悪者だと思い込まされた 
 学校でも ジャーナリズムも
 そうだとしか教えなかったから 
 真面目に 自分達の父祖や先輩は
 悪いことばかりした 残酷無情な
 ひどい人達だったと 思っているようだ

 だから アジアの国に行ったら ひたすら ペコペコ謝って
 私達はそんなことはしませんと 言えばよいと思っている

 そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
 自分の国や 自分までが 偉いと思うようになってきて
 うわべや 口先だけでは 済まなかった 悪かったと言いながら 
 独りよがりの 自分本位の 偉そうな態度をする
 そんな 今の日本人が 心配だ


 本当に どうなっちまったんだろう
 日本人は そんなはずじゃなかったのに
 本当の日本人を 知っている 私達には
 今はいつも 歯がゆくて 悔しい思いがする

 自分のことや 自分の会社の利益ばかりを考えて
 こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
 ヒョロヒョロの日本人は これが本当の日本人なのだろうか

 自分達だけでは 集まって
 自分達だけの 楽しみや 贅沢に耽りながら
 自分がお世話になって住んでいる
 自分の会社が仕事をしている
 その国と 国民のことを 蔑んだ眼でみたり バカにしたりする

 こんな 人達と 本当に仲良くしてゆけるだろうか
 どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ

 1989年4月 クアラルンプールにて

参考文献
 日本教育新聞社「日本人よありがとう」土生良樹著
 展転社「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編

966NAME:2019/06/14(金) 21:44:56
「中国や韓国にバカにされるな」亀井静香氏が安倍首相に進言 憲法改正は「丸ごと変えるのが自民党本来の姿」
夕刊フジ / 2019年6月14日 17時11分
https://news.infoseek.co.jp/article/00fujipol1906140001/

「政界のご意見番」こと、亀井静香元金融担当相(82)が、夕刊フジの独占インタビューに応じた。弟のように思ってきた安倍晋三首相(64)は7日、第1次内閣との通算在職日数が2721日となり、歴代3位になった。日本の外交・安保政策のかじ取りや、悲願の憲法改正、取り沙汰される「衆参ダブル選挙」をどう判断すべきか。今春の叙勲で、旭日大綬章を受章した亀井氏が一気に語った。

 「中国や韓国にバカにされてはダメだ。特に、沖縄・尖閣諸島周辺に侵入してくる中国船対策が大事。(尖閣諸島に)港や灯台を建設して、実効支配を強めるべきだ」 亀井氏は4月15日、東京・赤坂の料亭で安倍首相と会食した際、こう進言したという。石原慎太郎元都知事(86)が同席していた。

 かつて、亀井、石原両氏は、安倍首相の父、晋太郎元外相と同じ旧福田派に所属していた。亀井氏は著書『晋三よ! 国滅ぼしたもうことなかれ〜傘張り浪人決起する〜』(メディア・パル)で、安倍首相に政策の処方箋を伝授している。 安倍首相は会食で、海上保安庁の船舶不足を説明したというが、亀井氏は「造って、追い払えばいい。『やるべきこと』をきちんとやる。それが政治なんだよ」と諭すように伝えたという。

 亀井氏は今回のインタビューでも、「南海トラフ巨大地震への備え」「国土強靱(きょうじん)化」「地方再生」「税制・年金・社会保障政策」などを、安倍首相の課題として挙げた。 こうした安倍政権の真価は、夏の参院選で問われる。争点は何か。

 亀井氏は「ズバリ、憲法改正だ。9条などをちょこっと変えるのではなく、丸ごと変えるのが自民党本来の姿だ。安倍首相も党総裁である以上、『度胸』を持って、そう言うべきだ。左派マスコミを恐れてどうする! 1つの民の声だと参考にはしても、左右されてはダメだ」と語った。

 衆参ダブル選挙は断行すべきか。

 「今、同日選をやる必要はない。自民党だけでは(憲法改正の発議に必要な)衆参3分の2以上の議席を確保できない。野党も『バラバラでは負ける』と分かっている。候補者調整が早まる。侮れなくなるよ」 亀井氏は最後に、いつものべらんめえ口調で、こうつぶやいた。 「もう俺は傘張り浪人だし、政界復帰もない。大地に根を張った、生活感のある泥臭い政治家がもっと出てきてほしい。それが望みだ」

967NAME:2019/07/18(木) 23:22:31
ヤジ飛ばした男性、警官に囲まれる 大津で首相の演説中
朝日新聞社 2019/07/18 20:30
https://www.msn.com/ja-jp/news/senkyo/%E3%83%A4%E3%82%B8%E9%A3%9B%E3%81%B0%E3%81%97%E3%81%9F%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%80%81%E8%AD%A6%E5%AE%98%E3%81%AB%E5%9B%B2%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%82%8B-%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E3%81%A7%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%AE%E6%BC%94%E8%AA%AC%E4%B8%AD/ar-AAEvLX5

大津市のJR大津京駅前で18日、参院選の自民党公認候補の応援演説をしている安倍晋三首相(自民党総裁)にヤジを飛ばす男性を、警備の警察官らが会場後方で囲んで動けなくする場面があった。15日の札幌市のJR札幌駅前でも、首相演説時にヤジを飛ばした市民が排除されたばかりだ。

 安倍首相は18日午後5時過ぎ、JR大津京駅前にとめられた選挙カーの上で応援演説を始めた。男性は、首相の演説開始前からヤジを飛ばしており、5人ほどのスーツ姿の警察官によって、会場端の駅高架下のフェンスに押しやられた。男性はこのときも「安倍辞めろ」などと声を上げ、動こうとしたが囲んだ警察官らに止められている。 滋賀県警の広報は18日午後7時前、朝日新聞の取材に「(大津京での事案は)聞いていない」と話した。

968NAME:2019/07/19(金) 21:20:52
不倫騒動を見れば、少子高齢化の理由がよくわかる
https://news.yahoo.co.jp/byline/tachibanaakira/20171002-00075800/
橘玲 | 作家
2017/10/2(月) 17:00

死後20年以上を経てから大人気となった政治家・田中角栄には「越山会の女王」と呼ばれる愛人がいました。”闇将軍“の金庫番として絶大なちからをふるう彼女の存在は周知の事実でしたが、そのことが問題とされることはまったくありませんでした。後年、正妻の娘である眞紀子氏や愛人の娘が、“父親の不倫”“愛人の子ども”という境遇にどれほど苦しんだかを告白しています。

「時代がちがう」というかもしれませんが、興味深いのは、角栄の愛人の存在が公になった1970年代は、いまよりはるかに不倫にきびしかったことです。当時のテレビドラマには、不倫が発覚して夫の両親が嫁の家族に土下座して謝る、というような場面が出てきました。小指を立てた男性が「私はこれで会社を辞めました」と語る禁煙グッズのCMは、いまでは意味がわからないでしょう。

その後、不倫は急速に大衆化して「ありふれたもの」になっていきます。いまでは友人や同僚から不倫の相談を受けても、「大変だね」と思うか、(子どもがいないなら)「そんなの別れちゃえば」ですませるでしょう。

「オレ、不倫してるんだ」とか、「あたし、夫がいるのに好きなひとができたの」といわれて、「そんな不道徳、許されるわけがない!」と怒り出すことはないし、もしそんな反応をすれば「おかしなひと」です。不倫は社会的な事件から個人的な出来事に変わり、他人がとやかく口出しをすることではなくなったのです。

ところが、社会が不倫に寛容になるにつれて、一部のひとに対してだけ不倫はますます道徳的に許されないものになっています。それが、芸能人と政治家です。

芸能人の不倫に対しては「相手の家族がかわいそう」と批判されますが、これはすべての不倫に共通することですから、一般人も同様に断罪されなければなりません。政治家は公人ですから「不倫をするような人物は信用できない」と批判するのは自由ですが、その人物が議員にふさわしいかどうかは次の選挙で有権者が判断することで、刑事犯でもないのに「辞職しろ」と強要するのは民主政治の否定でしょう。

芸能界も政界も閉鎖的な世界で、そこに男と女が押し込められるのですから、恋愛関係が生じないほうが不思議です。知人の国会議員は、「不倫は議員辞職ということになったら、政治家の半分はいなくなる」と真顔でいっていました。

そう考えれば、ネタになる人物の不倫だけが集中的にバッシングされているのは明らかです。標的のほとんどが女性なのは、角栄から「世界のワタナベ」まで、男の不倫は当たり前すぎて面白くないからでしょう。

不倫を批判するひとたちは、「恋愛は独身になってからやれ」といいます。自由恋愛が絶対的な価値になった現代社会で、お互いが独身なら、外国人はもちろん、男同士や女同士であっても恋愛になんの制約もなくなりました。だとすれば、一連の不倫騒動を見て賢い独身女性が考えることはひとつしかありません。「結婚して子どもを産むとロクなことはない」 日本で少子高齢化が進む理由がよくわかります。 『週刊プレイボーイ』2017年9月25日発売号 禁・無断転載

969NAME:2019/07/21(日) 23:42:58
自公、目標の改選過半数が確実 改憲勢力3分の2焦点
共同通信社 2019/07/21 22:10
https://www.msn.com/ja-jp/news/senkyo/%E8%87%AA%E5%85%AC%E3%80%81%E7%9B%AE%E6%A8%99%E3%81%AE%E6%94%B9%E9%81%B8%E9%81%8E%E5%8D%8A%E6%95%B0%E3%81%8C%E7%A2%BA%E5%AE%9F-%E6%94%B9%E6%86%B2%E5%8B%A2%E5%8A%9B3%E5%88%86%E3%81%AE2%E7%84%A6%E7%82%B9/ar-AAEEbnQ#page=2

第25回参院選は21日、投開票された。自民、公明両党は目標とした改選124議席の過半数63を獲得するのが確実になった。安倍政権下での憲法改正に前向きな「改憲勢力」が3分の2以上の議席を維持するかどうかが焦点で、共同通信社の出口調査では微妙な情勢。立憲民主党は議席を伸長させる。国民民主党は改選議席を減らす見通し。共産党は横ばいで、日本維新の会は堅調だ。政治団体「れいわ新選組」は議席を獲得した。

 与党は非改選の70議席と合わせて参院過半数の123議席を大幅に超える公算が大きい。2012年12月以来、6年半続く安倍晋三首相(自民党総裁)の政権運営が継続する。

自民、改選議席割れが確実に
共同通信社 2019/07/21 22:58
https://www.msn.com/ja-jp/news/senkyo/%E8%87%AA%E6%B0%91%E3%80%81%E6%94%B9%E9%81%B8%E8%AD%B0%E5%B8%AD%E5%89%B2%E3%82%8C%E3%81%8C%E7%A2%BA%E5%AE%9F%E3%81%AB/ar-AAEEtKa

自民党は改選66議席を下回ることが確実となった。非改選議席を含めた単独過半数も維持できなかった。

970NAME:2019/07/22(月) 00:59:53
改憲勢力3分の2微妙=与党、改選過半数―1人区、自民22勝【19参院選】
時事通信 / 2019年7月21日 23時18分
https://news.infoseek.co.jp/article/190721jijiX801/

第25回参院選は21日投開票された。自民、公明両党は改選124議席の過半数63を確保した。自公と憲法改正に前向きな日本維新の会の「改憲勢力」で、改憲発議に必要な参院の3分の2(164)を維持する85議席に届くかは微妙だ。全国で32ある改選数1の「1人区」では自民が22選挙区で勝利し、3年前の実績を超えた。

 安倍晋三首相(自民党総裁)は21日夜のテレビ朝日の番組で、改憲について「議論していけという国民の声を頂いた。国会で議論が進んでいくことを期待したい」と述べ、早期の改憲発議を目指す考えを表明。「国民民主党の中にも議論を進めていくべきだ、という方はたくさんいると思う」と指摘した。

 改憲勢力の非改選議席は自民56、公明14、維新6、無所属3の計79。改憲勢力で3分の2に届かない場合、首相は国民民主の一部などの協力も得て、早期の改憲発議にこぎ着けたい意向だ。

 自民は改選66議席の維持は難しいものの、選挙区34、比例代表17の計51議席と堅調。公明も12議席を獲得し、首相が勝敗ラインに設定した、与党で非改選も含めた過半数の53議席に達した。

 1人区では立憲民主、国民、共産、社民の4野党が全32選挙区に統一候補を擁立して自民に対抗。自民は北陸・中国・九州地方を中心に議席を積み上げ、勝ち越した。愛媛、沖縄などでは野党が勝利した。

 立憲は北海道、千葉、神奈川で勝利し、東京でも議席を獲得。比例では7議席を固め、改選9議席を倍増させる勢いだ。国民は長野、愛知で議席を維持したが、比例を含めて苦戦している。共産は埼玉と東京で、維新は地盤の大阪のほか神奈川や兵庫で議席を確保した。社民は比例で政党要件を満たす得票率2%をうかがう。

 一方、政治団体「れいわ新選組」は比例で議席獲得が確実となり、得票率2%を超える可能性がある。 参院選は自公両党の政権復帰後3回目。6年半にわたる安倍政権への評価や、10月の消費税率10%への引き上げの是非、年金制度、改憲などについて17日間の論戦が展開された。[時事通信社]

971NAME:2019/09/01(日) 18:07:22
本田があわや“食い逃げ”も…店員から「日本人は神!」と感謝
ゲキサカ / 2019年9月1日 15時44分
https://news.infoseek.co.jp/article/gekisaka_283718/

MF本田圭佑が1日、自身のツイッター(@kskgroup2017)を更新し、空港で食事をした際のエピソードを明かしている。  ある空港のゲート近くのレストランで軽く食事をしたという本田。搭乗時刻になったため、ゲートで待機していたところ、しばらくして“忘れ物”に気づいたという。

「あ!支払いせずに出てきてしまった!」 しかし、支払いに戻ると店員から「お前ら日本人は神や!」と逆にお礼を言われたようだ。本田は「普通のことして感謝されて、日本の文化を誇らしくなった日」と振り返っている。

972NAME:2019/09/04(水) 11:27:47
旭日旗、競技場で許可へ 五輪組織委 韓国の禁止要請に方針
2019.9.3 18:43東京五輪
https://www.sankei.com/tokyo2020/news/190903/tko1909030002-n1.html

2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は3日、韓国国会の文化体育観光委員会が旭日旗の競技会場への持ち込み禁止措置を組織委などに求める決議を採択したことを受け「旭日旗は日本国内で広く使用されており、旗の掲示そのものが政治的宣伝とはならないと考えており、持ち込み禁止品とすることは想定していない」との方針を明らかにした。

 8月29日に行われた韓国国会の決議では、旭日旗が先の大戦当時「日本が帝国主義と軍国主義の象徴として使用した」と指摘。「侵略と戦争の象徴である旭日旗が競技場に持ち込まれ、応援の道具として使われることがないよう求める」としている。

 旭日旗をめぐっては、サッカーのJ1川崎のサポーターが平成29年に韓国で行われたアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の試合で掲出。アジア・サッカー連盟(AFC)から処分を科されたが、川崎側が「旭日旗に政治的、差別的な意図はない」として不服を申し立てたケースがある。

973NAME:2019/10/12(土) 19:48:46
外国人旅行者が帰国後に懐かしむ日本(番外編)
Forbes JAPAN 編集部 2019/10/12 13:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%a4%96%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e6%97%85%e8%a1%8c%e8%80%85%e3%81%8c%e5%b8%b0%e5%9b%bd%e5%be%8c%e3%81%ab%e6%87%90%e3%81%8b%e3%81%97%e3%82%80%e6%97%a5%e6%9c%ac%ef%bc%88%e7%95%aa%e5%a4%96%e7%b7%a8%ef%bc%89/ar-AAIEu2x#page=2

日本を訪れる旅行者が離日後に懐かしく思うこと、「日本滞在中に存分に楽しんでおけよ」と同胞旅行者たちに伝えたいことは何だろう。もしかするとそこに、われわれがもっと愛でながら暮らしてもいい、わが国のささやかな魅力が潜んでいるかもしれない。

外国人向けメディア「Japan Inside」の外国人記者によるリスト(その1 その2 その3)に続き、今回はForbes JAPAN編集部の独自取材による「番外編」。日本に暮らす、あるいは旅行で訪れた外国人のほか、海外在住の日本人や、京都などで外国人旅行者向けの仕事に携わる日本人に聞いてみた。

1. 温かい飲み物が出てくる自販機
日本の自動販売機は、温かい(あるいは冷たい)飲み物が出てくるので本当にすごい、という。 また、ある日本在住の外国人は「田舎の田んぼの中の自販機も、壊されたり落書きをされたりしないでいい状態なのはすごいこと」ととも。

2. 「写真入り」のメニュー
たいていのレストランのメニューには写真がついている。イタリアからの旅行者に聞いたところ、「初めて食べるものでもイメージが浮かぶし、ボリュームの検討がつくのですごく助かる」とのこと。

3. スーツケースがきちんと並んで流れてくる空港の荷物受け取り所
日本駐在の長いある米国人が、故郷のラスベガスに帰省後、再び日本入りするたび、「ああ、日本に帰って来たなあ」と感じるのは成田空港の荷物受け取り所だという。成田空港。係官がスーツケースやボストンバッグを1つずつ整然と並べてベルトコンベアに置いていく。「荷物が次々と力任せに投げ飛ばされてベルトの上に『着地』するのが普通の故郷の空港では望めないありがたさです」。 

4. 小さな調味料
ぜったいに日本にしかない、お弁当用の小さな醤油やマヨネーズ。お土産に大量に購入していく外国人旅行者も多いとか。

5. 100均
「日本の百円ショップはすごい」。と、日本に住んで2年のドイツ人、Aさん。おたまなどキッチン用品からアウトドアグッズ、防災用品、文房具ひと通り、調味料や食料品など、「ほとんどこのショップだけで暮らせますよね」。

6. 国民健康保険
カナダに2年半暮らしている日本人のBさんはこう語ってくれた。「帰国して一番感じるのは日本の国民健康保険のすばらしさです。カナダは無料であることを誇りにしている人がたくさんいましたが、病院で5時間とか待たされるのがふつうだったり、希望の先生に診てもらえなかったり。3割負担しても、待ち時間がない方がいいなと思います。X線など特殊なものは自己負担だったりしますし」。

アメリカに5年暮らす日本人のCさんも「日本の国民健康保険はすごくいい」と言う。「アメリカでは、大病をして保険に入っていないと全財産失ってしまう可能性がありますね」。

フランスに7年暮らす日本人のDさんもこう語る。「懐かしく思うのは日本の医療制度です。医療費が国の保険でほぼまかなわれるし、検査から診察まで同じところでワンストップでできますが、主治医制なので時間がやたらとかかるのが悩ましいです」。

974NAME:2019/11/07(木) 21:08:01
安倍首相や茂木外相、少数民族虐殺・戦争犯罪疑惑の人物を「おもてなし」。人権侵害に加担する日本政府
ハーバー・ビジネス・オンライン
2019/11/03 08:32
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%ae%89%e5%80%8d%e9%a6%96%e7%9b%b8%e3%82%84%e8%8c%82%e6%9c%a8%e5%a4%96%e7%9b%b8%e3%80%81%e5%b0%91%e6%95%b0%e6%b0%91%e6%97%8f%e8%99%90%e6%ae%ba%e3%83%bb%e6%88%a6%e4%ba%89%e7%8a%af%e7%bd%aa%e7%96%91%e6%83%91%e3%81%ae%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%82%92%e3%80%8c%e3%81%8a%e3%82%82%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%97%e3%80%8d%e3%80%82%e4%ba%ba%e6%a8%a9%e4%be%b5%e5%ae%b3%e3%81%ab%e5%8a%a0%e6%8b%85%e3%81%99%e3%82%8b%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%94%bf%e5%ba%9c/ar-AAJKUvQ#page=2

10月のニュースと言われて、何を思い出しますか?ほとんどの人は、ラグビーワールドカップや台風19号による壊滅的な被害、あるいは天皇陛下の「即位の儀」などではないでしょうか。

外務省の謳う「人権外交」と矛盾

 これらは言うまでもなく大事な出来事です。しかしながら、もうひとつあまり報じられなかった重大な出来事があります。それは、安倍首相が戦争犯罪の疑惑がある人物と東京で会談を行ったことです。 その人物とは、ミャンマー軍のミン・アウン・フライン最高司令官です。同氏は2018年に国連が派遣した事実調査団により、ラカイン州で少数派ロヒンギャ・ムスリムに対する戦争犯罪、人道に対する罪、およびジェノサイド罪に関し「捜査および訴追」されてしかるべき人物であると結論付けられています。

 防衛省の発表によると、安倍首相は「ラカイン州の人権侵害疑惑について,独立調査団の提言を受けて、ミャンマー政府及び同国軍が適切な措置を速やかに取るよう促し、貴司令官が指導力を発揮し最大限取り組むよう」ミン・アウン・フライン最高司令官に求めました。しかし、ミャンマー政府が設置した「独立調査団」が独立性に著しく欠けることは語られなかったうえ、ミャンマー軍の残虐行為をめぐり、真に独立かつ公平な捜査を実行すべく、国連および関係各国政府が継続的に努力していることについては言及しなかったようです。(参照:防衛省、ヒューマン・ライツ・ウォッチ)

 国連の事実調査団以外にも、ミン・アウン・フライン最高司令官はロヒンギャを超法規的に殺人したということで、今年7月に米国政府から制裁を受けています。このような人物を日本が外交的に厚遇したことは、外務省が謳う人権外交を裏切る行為でもあります。(参照:外務省)

過酷な暮らしを強いられるロヒンギャ

 2017年8月、ミン・アウン・フライン最高司令官は悪名高き2つの部隊をラカイン州に派遣しました。この2つの部隊は74万人超のロヒンギャが国外に脱出する結果となった大規模な民族浄化運動を主導し、 現在も100万人近いロヒンギャが、バングラデシュの洪水が起きやすい危険地域にある難民キャンプに、過密状態で暮らしています。 ミャンマー国内でも60万人が、移動の自由や基本的権利を認めない地方自治体や治安部隊による監視のもと、避難民キャンプや村々に閉じ込められた状態にあります。

 昨年、国連のミャンマー事実調査団は、政府軍によるロヒンギャへの暴力行為がミン・アウン・フライン最高司令官の命令により実行されたと結論づけました。ジェノサイドの意図があったという結論に至る過程で、事実調査団はミン・アウン・フライン最高司令官の声明およびソーシャルメディアへの投稿を分析しました。 たとえば、国の「ベンガリ問題」を「解決」するといった宣言がそれにあたります。調査団は、「ミャンマー治安部隊が、自らの役割をめぐり憂慮すべき差別的な見解をもっていること、そして、国際人権法の中核的な原則のひとつである差別なき平等な保護を無視していること」があきらかになったと結論づけました。

975NAME:2019/11/07(木) 21:08:56
見て見ぬ振りをする日本政府

 独立系人権団体やメディアもミャンマー軍の残虐行為をめぐり、数々の証言などを入手しています。ところが日本政府は、ミャンマーにおいて重大犯罪をおかした個人の責任を問う国際的な努力への協力体制、とりわけ国連の新たな独立調査メカニズムの支援に消極的です。 例えば、最近行われたジェネーブでの国連人権理事会では、ミャンマーの人権状況について決議が取り扱われましたが、そこで日本は再び棄権しました。その後、日本の棄権を受けて、ミント・トゥ駐日ミャンマー大使は感謝の意を示したのです。

 では、なぜ日本政府はミン・アウン・フライン最高司令官のような人物を日本に招待したのでしょうか。ひとつの答えは、日本の対中国政策にあります。ミャンマーを含む東南アジアでは、日本と中国の投資による競争が行なわれており、中国は年を追うごとに経済的なプレゼンスを高めています。実際に、今年7月には中国がミャンマーへの投資で日本を上回っています。(参照:日本貿易振興機構) 競争が激化する中、ミャンマーに対して政治的な批判をすれば、ますます中国に傾いてしまうのではないか。日本は官民一体となり、ミャンマー政府のご機嫌を取りつつ中国との競争を最優先事項とし、ロヒンギャの人権をないがしろにしているのです。 例えば、今年7月以降、ミャンマーでのビジネスチャンスに特化した4つの投資フォーラムが日本で開催されました。すべてのイベントが日本貿易振興機構(JETRO)により主催あるいは後援されるものでした。

 10月21日に東京の明治記念館で行われた「第2回ミャンマー投資カンファレンス」では、数百人の参加者がミャンマーの事実上の指導者アウンサンスーチー国家顧問兼外相を大きな拍手で迎えました。 「日本をはじめとする世界各国の友人から引き続き支援と理解を得られるよう、心から望んでいます」と同氏はスピーチで語りました。しかし、去年の投資カンファレンスと同様、氏がバングラデシュの難民キャンプやラカイン州に閉じ込められているロヒンギャの苦難について口にすることはありませんでした。

976NAME:2019/11/07(木) 21:09:17
経済優先で人権侵害に加担

 短期的に考えると、ミャンマーを含む東南アジアの人権問題を指摘せず、日本企業や投資家を東南アジアの市場に食い込ませることは、有益であるようにみえるかもしれません。 しかし、長い目で見れば、人権侵害に加担する政府の民主化を妨害するだけで、地域全体に人権侵害を蔓延らせることを助長してしまいます。

 これらは、外務省が謳う「人権外交」が茶番にすぎないことを証明しています。しかし、新たな国連調査メカニズムを支援し、ロヒンギャのための法の裁きを追求することで、誤った軌道を修正していくことは可能です。例えば、11月に開催される国連総会第3委員会などを皮切りに、ミャンマー関連の決議に賛成票を投じるべきです。 また、日本政府は今後、決して、少数民族の殺人、レイプ、大量追放を率いた軍の指導者を東京に迎い入れるべきではありません。ミン・アウン・フライン最高司令官の行くべき先は国際刑事裁判所であり、ロヒンギャに対する自らの加害行為について法の裁きを受けるべきなのです。日本の指導者たちによる「おもてなし」には値しません。  <文/笠井哲平>

【笠井哲平】 かさいてっぺい●’91年生まれ。早稲田大学国際教養学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校への留学を経て、’13年Googleに入社。’14年ロイター通信東京支局にて記者に転身し、「子どもの貧困」や「性暴力問題」をはじめとする社会問題を幅広く取材。’18年より国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのプログラムオフィサーとして、日本の人権問題の調査や政府への政策提言をおこなっている

977NAME:2019/12/01(日) 22:25:43
殺された大将は「機関銃94発が命中していた」 担当検事が振り返る、残忍すぎた二・二六事件とは
木内 曽益
2019/12/01 17:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%ae%ba%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%a4%a7%e5%b0%86%e3%81%af%e3%80%8c%e6%a9%9f%e9%96%a2%e9%8a%8394%e7%99%ba%e3%81%8c%e5%91%bd%e4%b8%ad%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e3%80%8d-%e6%8b%85%e5%bd%93%e6%a4%9c%e4%ba%8b%e3%81%8c%e6%8c%af%e3%82%8a%e8%bf%94%e3%82%8b%e3%80%81%e6%ae%8b%e5%bf%8d%e3%81%99%e3%81%8e%e3%81%9f%e4%ba%8c%e3%83%bb%e4%ba%8c%e5%85%ad%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%81%a8%e3%81%af/ar-BBXAfr6

軍上層部の弛緩から起った二・二六叛乱軍はどの様にして鎮圧されたか、担当検事の綴る秘録

初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「二・二六事件秘録」( 解説 を読む)

 二・二六事件といえば、もう19年も前の出来事であるが、私の検察官生活を顧みてこの事件は最も思い出の深いものの一つである。二・二六事件の前哨戦ともいうべき血盟団事件や五・一五事件(民間側)には、私が東京地検の検事として捜査及び第一審の公判立会を担当したのが因縁で、二・二六事件でも民間側の主任検事として軍側の捜査に協力することになったのである。
首相官邸から国会議事堂の辺りは通行止め

 想い起すと、丁度昭和11年2月26日の早暁のことであるが、私はまだ床の中に入っておってウトウトしておると、枕許においてあった警察電話のベルがけたたましく鳴る。私は不吉な予感を抱きながら急いで受話機をとると、当時の警視庁特高課長の毛利基氏からの電話で「今暁叛乱軍が首相官邸などを襲撃した。然し、まだ詳しいことは判らないが一応報告する」というのであった。

二・二六事件発生時 ©文藝春秋 © 文春オンライン 二・二六事件発生時 ©文藝春秋

私は、急いで床から飛び出し、すぐ身仕度をして当時の住居であった池袋4丁目の自宅を出ていつも検事局に通勤するときの順路である池袋駅から省線(今の国電)に乗り市ヶ谷駅で下車し、それから当時市ヶ谷新橋間を通っておった黄バスに乗った。すると、乗客の内の誰かが「けさ何か起ったらしい」というようなことをいっており、私は、これは叛乱事件のことをいっておるのだと思った。

 このバスは、普通は市ヶ谷から麴町4丁目に出て平河町から左に曲り国会議事堂の北側を通り裁判所のところに出て新橋に行くのであるが、この日はバスが動き出すと、車掌が「けさは何か事故があったようで、このバスは平河町から右に折れて山王下から新橋に行くことになりましたから」といっていた。私はこれは叛乱事件のため首相官邸から国会議事堂の辺りは通行止めになっておるのだと思ったので、麴町4丁目でバスを降りて、通りがかりの円タクを拾った。
「車のままでは困るからこれから先は歩いていってもらいたい」

 半蔵門のところまで来ると、両側から銃剣の兵隊さん達が私の車をとりまき「これから先は行くことが出来ないから戻ってくれ」という。私はそのときはまだこの兵隊さん達が叛乱部隊の人達とは思わなかったのであって、実は、首相官邸等を襲撃した連中は、五・一五事件のときのように、襲撃後はすぐ引き上げて、その後を警備しておる正規の兵隊さん達だとばかり思い込んでいたのである。

 それで、私はこの人達に名刺を出して「これから検事局に登庁するのだから通してもらいたい」と頼んだが、中々承知してくれない。2、3押問答をしておるうちに、1人の下士官が「何だ何だ」といいながら出てきた。私が前に血盟団事件や五・一五事件(民間側)の主任検事であった関係で陸海軍部内でも多少私の名前が知られておったためか、その下士官も私の名前を知っておったらしく「木内検事殿ですか、それなら通ってもよろしい。しかし、車のままでは困るからこれから先は歩いていってもらいたい」というので、私は車をすてて三宅坂に向って歩いていった。
まかりまちがえば突き殺された

978NAME:2019/12/01(日) 22:26:06
 三宅坂のところまで来ると、また銃剣の一隊にとりまかれ、これから先は通せないから戻れといって聞き入れてくれない。それで、私は「半蔵門のところで通してくれたのだし、桜田門は眼の前であるから」といって更に頼むとやっと承知してくれたので、どうやら無事に検事局に着くことができた。

 三宅坂のところでは、参謀肩章をつけた陸軍の将校連中が大勢銃剣の一隊に阻止されて陸軍省や参謀本部に入ることが出来ずにウロウロしていた。

 検事局に着いてから警視庁に連絡して色々報告を聞いて見ると、これらの兵隊さん達は叛乱部隊であって、襲撃後もそのまま占拠しておるのだということが判り、私も知らぬが仏で、これらの兵隊さん達に力んで来たが、まかりまちがえば突き殺されたかも知れなかったと思い冷汗をかいた次第である。警視庁も叛乱部隊に占拠されておって小栗一雄警視総監以下警視庁の幹部は既に神田錦町警察署に移っていたのである。
機関銃の弾94発が命中していた渡辺大将

 これから、私は二・二六事件の民間側の主任検事としてこの事件の捜査に当ったのは勿論、戒厳令が布かれてからは、検事局側の代表として戒厳司令部参議員(参議院会議の構成メンバー)に任命され、又軍官捜査連絡会議にも検事局側の代表委員としてこれに参加し軍側の捜査に協力することになった。警視庁側の委員は、当時の特高部長の安倍源基氏及び特高課長の毛利基氏であり、陸軍側の委員中には、その後太平洋戦争当時の首脳幹部となった人が多く、当時の軍事課高級課員武藤章中佐、兵務課長田中新一中佐、軍事課々員有末精三少佐、同課々員真田穣一郎少佐などなど錚々たる人々がおった。

 この日叛乱部隊に暗殺された主要な人物は斎藤実内大臣、岡田啓介内閣の高橋是清大蔵大臣、教育総監渡辺錠太郎陸軍大将らであって、岡田首相は難をのがれ、侍従長鈴木貫太郎海軍大将は負傷したが生命はとりとめた。ただこれらの人々の死骸を見て最も眼を蔽わされたのは、渡辺大将と高橋蔵相であって、渡辺大将は、機関銃の弾94発が命中しており、又後頭部等に3ヵ所も致命的切創を受けておって、寝室の周囲等には無数の弾痕があった。高橋蔵相も拳銃の命中弾3ヵ所、大小切創5ヵ所という傷跡で残忍悽愴の感に打たれ、洵に遺憾に思った。

 次に「陸軍大臣告示」から討伐までの経緯について一言したい。二・二六事件の首謀者である青年将校連の間では、昭和11年2月22日に集団的一斉蜂起の最終的決定をなし、2月25日夜麻布第三連隊に叛乱部隊を集結し、翌26日午前5時を期して予定の計画を決行したのであるが、この事件が勃発するや、陸軍の最高首脳部は直ちに宮中に集り、これが鎮圧策を講ずるために陸軍々事参議官会議を開き鳩首協議の結果、軍事参議官一同の意向を文書にしてこれを叛軍に示して鎮撫せんとしたのである。

 ところが、朝香、東久邇の両大将宮も軍事参議官であってこの会議にも列席しておられたから、軍事参議官一同の意向として発表することは皇室に累を及ぼす虞があるという意見も出たので、同席の陸軍大臣の川島義之大将の承諾を得て、この意向を「陸軍大臣告示」という形で発表することになったのである。 この告示の案文は、軍事参議官の荒木貞夫大将がその席におった軍事調査部長の山下奉文少将に口授して筆記せしめたのである。

979NAME:2019/12/01(日) 22:26:29
 その文言は

「陸軍大臣ヨリ

 一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレタリ

 二、諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム

 三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス

 四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ

 五、之レ以外ハ一ニ大御心ニ俟ツ」

 というのである。

(註) 右側傍線の部分は、次に述べるが、後になって訂正されたのである。

警備司令官の香椎浩平中将もその席におって山下少将の傍でこれを筆記したのである。

引上げるように説得させる考え

 軍事参議官一同の意向としては、山下少将は平素から叛軍の幹部である青年将校連からも好感を持たれておったので、同少将にこの「陸軍大臣告示」を持たせて叛軍の占拠しておる陸軍官邸に赴かしめ、叛軍の幹部連にこの告示を示して、陸相や軍事参議官一同もこの通り汝らの蹶起の趣旨はよく了解しておるのであって、決して犬死させないから一応占拠地から原隊に引上げるように、といって説得させる考えであったのである。

 ところが、香椎警備司令官としては、職責上この告示を少しでも早く叛軍に伝えて之を鎮撫したいとの一念から直ちに警備司令部に電話して参謀長の安井藤治少将にこの告示を筆記させこれを隷下の師団長に通達し叛軍に伝達させようとしたのである。そこで、安井参謀長は部下に命じてこれを謄写に付し、近衛師団長の橋本虎之助中将と第一師団長の堀悌吉中将とに通達しこれを叛軍に伝達して鎮撫するよう命じたのである。
自分らに都合のよいように利用した

 橋本近衛師団長はこの告示を見て少しく疑義を抱いたのでこれを隷下に伝達せずに握り潰してしまったのである。 掘第一師団長は忠実にこれを叛軍に伝達したのであるが、叛軍側はこれを以て奇貨措くべしとして、この告示を自分らに都合のよいように宣伝の具に使い彼等の蹶起を正当化する手段に利用したのである。

980NAME:2019/12/01(日) 22:27:10
 然るに、香椎警備司令官がこの告示を安井参謀長に電話した後で又々軍事参議官会議において「この告示の字句訂正」の議が起り、そのため前述の「告示」の文言の内の傍線を付しておいた部分が次の通りに訂正されたのである。

 その文言は

「陸軍大臣ヨリ

  諸子蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達シアリ

  諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ヨリ出テタルモノト認ム

  国体ノ真姿顕現ノ現況ニ就テハ我々モ恐懼ニ堪ヘサルモノアリ

  軍事参議官一同ハ国体顕現ノ上ニ一層匪躬ノ誠ヲ致スヘク

  其以上ハ一ニ大御心ヲ本トスヘキモノナリ

一、 以上ハ宮中ニ於テ軍事参議官一同相会シ陸軍長老ノ意見トシテ確立シタルモノニシテ閣僚モ亦一致協力益々国体ノ真姿顕現ニ努力スヘク申し合ハセタリ」

 というのである。

飛行機からまかれた「今からでも遅くはない」の告示

 この告示が決定したのは、26日の午後2時過ぎ頃であるが、叛軍はこの告示や軍事参議官連の叛軍幹部と膝をつき合せての説得に対しても承服せず、彼等は真崎甚三郎大将を首班とする一種の軍事内閣の成立を熱望して一歩も譲らなかったのである。それで鎮撫の方法として叛軍を一応正規の部隊と認めることになり、同日午後4時過ぎ頃香椎警備司令官は叛軍を隷下の渋谷部隊(渋谷大佐の率いる歩兵第三連隊)に編入せんとしたが、叛軍の幹部連はこれに服せず、寧ろ小藤部隊(小藤恵大佐の率ゆる歩兵第一連隊)に編入されんことを要望したのでこれを許し一応小藤部隊に編入することになったのであるが、尚も彼等は陸軍上層部の弱腰を見すかしてなんと説得しても占拠地から引上げることを拒否しつづけたのである。

 そこでやむなく同日午後4時20分頃に至り戦時警備令を発動し、他面尚引続き説得に努めたのであるが、どうしてもこれに応じないので翌27日午前4時20分遂に戒厳令を宣布することとなり、香椎警備司令官が戒厳司令官に任命されたが、陸軍最高首脳部としては彼等の説得に最後の努力をしたのである。それにも拘らず少しもその効なく、一方、天皇陛下からはお叱りを受ける始末で、その翌28日には到頭次のような奉勅命令が発せられたのである。

「奉勅命令

 戒厳司令官ハ三宅坂附近ニ占拠シアル将校以下ヲシテ速カニ現姿勢ヲ撤シ各所属師団ノ隷下ニ復帰セシムヘシ

    昭和十一年二月二十八日

    奉勅 参謀総長 載仁親王」

 載仁親王とは閑院元帥宮のことである。 この奉勅命令から推しても陛下がいかに御宸襟を悩まされたがが窺われる。

981NAME:2019/12/01(日) 22:27:25
 奉勅命令が出ても叛軍は尚もこれに応じないので、翌29日愈々討伐命令が発せられ彼等も漸く観念して同日午後2時に帰順することになったのである。その間、大久保大尉筆にするところのあの有名な「今からでも遅くはない」という名文句の「兵に告ぐ」という戒厳司令官の帰順勧告の告示が放送され又飛行機からこのビラがまかれたのである。

陸軍上層部の「事勿れ主義」が見過ごした“クーデターの兆候”

 然し、多少とも当時の陸軍部内の事情に通じておるものには、何れは二・二六事件のような事件が勃発するであろうということは予想されていたのである。

 殊に、昭和11年初頭に最も過激な国家革新の思想を抱懐し一斉蜂起の機を虎視眈々として覘っておった青年将校の一団の所属する歩兵第一連隊や第三連隊を隷下にしておる第一師団の満州移駐が発表されてからは、彼等は陸軍上層部が自分達を敬遠し遠島仰付ける意味でこの処置に出たものと深く思い込むに至ったから、事は一層面倒になり、彼等は必ずや渡満前に一斉蜂起を決行するだろうと考えられていたのであって、斯様な状勢にあることは陸軍上層部の人達は十分承知していた筈である。

 然るに、これに対して何等の対策を講ぜず唯々拱手傍観その日ぐらしの事勿れ主義の態度で終始していたため、二・二六事件が勃発するや、恰も天災地変が一時に突発したかのように周章狼狽、ただ鎮撫だ説得だと騒ぐのみで却って叛軍側に足許を見すかされて引き廻され、結局は、陛下の御一言でやっとフラフラ腰を立て直したのであって、陸軍上層部の無能というか、あのブザマな姿を見ては、洵になげかわしい次第である。(元最高検察庁次長検事)

982NAME:2019/12/16(月) 21:28:57
殺された大将は「機関銃94発が命中していた」 担当検事が振り返る、残忍すぎた二・二六事件とは
木内 曽益
2019/12/01 17:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%ae%ba%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%a4%a7%e5%b0%86%e3%81%af%e3%80%8c%e6%a9%9f%e9%96%a2%e9%8a%8394%e7%99%ba%e3%81%8c%e5%91%bd%e4%b8%ad%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e3%80%8d-%e6%8b%85%e5%bd%93%e6%a4%9c%e4%ba%8b%e3%81%8c%e6%8c%af%e3%82%8a%e8%bf%94%e3%82%8b%e3%80%81%e6%ae%8b%e5%bf%8d%e3%81%99%e3%81%8e%e3%81%9f%e4%ba%8c%e3%83%bb%e4%ba%8c%e5%85%ad%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%81%a8%e3%81%af/ar-BBXAfr6

軍上層部の弛緩から起った二・二六叛乱軍はどの様にして鎮圧されたか、担当検事の綴る秘録

初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「二・二六事件秘録」( 解説 を読む)

 二・二六事件といえば、もう19年も前の出来事であるが、私の検察官生活を顧みてこの事件は最も思い出の深いものの一つである。二・二六事件の前哨戦ともいうべき血盟団事件や五・一五事件(民間側)には、私が東京地検の検事として捜査及び第一審の公判立会を担当したのが因縁で、二・二六事件でも民間側の主任検事として軍側の捜査に協力することになったのである。

首相官邸から国会議事堂の辺りは通行止め

 想い起すと、丁度昭和11年2月26日の早暁のことであるが、私はまだ床の中に入っておってウトウトしておると、枕許においてあった警察電話のベルがけたたましく鳴る。私は不吉な予感を抱きながら急いで受話機をとると、当時の警視庁特高課長の毛利基氏からの電話で「今暁叛乱軍が首相官邸などを襲撃した。然し、まだ詳しいことは判らないが一応報告する」というのであった。

私は、急いで床から飛び出し、すぐ身仕度をして当時の住居であった池袋4丁目の自宅を出ていつも検事局に通勤するときの順路である池袋駅から省線(今の国電)に乗り市ヶ谷駅で下車し、それから当時市ヶ谷新橋間を通っておった黄バスに乗った。すると、乗客の内の誰かが「けさ何か起ったらしい」というようなことをいっており、私は、これは叛乱事件のことをいっておるのだと思った。

 このバスは、普通は市ヶ谷から麴町4丁目に出て平河町から左に曲り国会議事堂の北側を通り裁判所のところに出て新橋に行くのであるが、この日はバスが動き出すと、車掌が「けさは何か事故があったようで、このバスは平河町から右に折れて山王下から新橋に行くことになりましたから」といっていた。私はこれは叛乱事件のため首相官邸から国会議事堂の辺りは通行止めになっておるのだと思ったので、麴町4丁目でバスを降りて、通りがかりの円タクを拾った。
「車のままでは困るからこれから先は歩いていってもらいたい」

983NAME:2019/12/16(月) 21:29:19
 半蔵門のところまで来ると、両側から銃剣の兵隊さん達が私の車をとりまき「これから先は行くことが出来ないから戻ってくれ」という。私はそのときはまだこの兵隊さん達が叛乱部隊の人達とは思わなかったのであって、実は、首相官邸等を襲撃した連中は、五・一五事件のときのように、襲撃後はすぐ引き上げて、その後を警備しておる正規の兵隊さん達だとばかり思い込んでいたのである。

 それで、私はこの人達に名刺を出して「これから検事局に登庁するのだから通してもらいたい」と頼んだが、中々承知してくれない。2、3押問答をしておるうちに、1人の下士官が「何だ何だ」といいながら出てきた。私が前に血盟団事件や五・一五事件(民間側)の主任検事であった関係で陸海軍部内でも多少私の名前が知られておったためか、その下士官も私の名前を知っておったらしく「木内検事殿ですか、それなら通ってもよろしい。しかし、車のままでは困るからこれから先は歩いていってもらいたい」というので、私は車をすてて三宅坂に向って歩いていった。
まかりまちがえば突き殺された

 三宅坂のところまで来ると、また銃剣の一隊にとりまかれ、これから先は通せないから戻れといって聞き入れてくれない。それで、私は「半蔵門のところで通してくれたのだし、桜田門は眼の前であるから」といって更に頼むとやっと承知してくれたので、どうやら無事に検事局に着くことができた。 三宅坂のところでは、参謀肩章をつけた陸軍の将校連中が大勢銃剣の一隊に阻止されて陸軍省や参謀本部に入ることが出来ずにウロウロしていた。

 検事局に着いてから警視庁に連絡して色々報告を聞いて見ると、これらの兵隊さん達は叛乱部隊であって、襲撃後もそのまま占拠しておるのだということが判り、私も知らぬが仏で、これらの兵隊さん達に力んで来たが、まかりまちがえば突き殺されたかも知れなかったと思い冷汗をかいた次第である。警視庁も叛乱部隊に占拠されておって小栗一雄警視総監以下警視庁の幹部は既に神田錦町警察署に移っていたのである。
機関銃の弾94発が命中していた渡辺大将

 これから、私は二・二六事件の民間側の主任検事としてこの事件の捜査に当ったのは勿論、戒厳令が布かれてからは、検事局側の代表として戒厳司令部参議員(参議院会議の構成メンバー)に任命され、又軍官捜査連絡会議にも検事局側の代表委員としてこれに参加し軍側の捜査に協力することになった。警視庁側の委員は、当時の特高部長の安倍源基氏及び特高課長の毛利基氏であり、陸軍側の委員中には、その後太平洋戦争当時の首脳幹部となった人が多く、当時の軍事課高級課員武藤章中佐、兵務課長田中新一中佐、軍事課々員有末精三少佐、同課々員真田穣一郎少佐などなど錚々たる人々がおった。

984NAME:2019/12/16(月) 21:29:43
 この日叛乱部隊に暗殺された主要な人物は斎藤実内大臣、岡田啓介内閣の高橋是清大蔵大臣、教育総監渡辺錠太郎陸軍大将らであって、岡田首相は難をのがれ、侍従長鈴木貫太郎海軍大将は負傷したが生命はとりとめた。ただこれらの人々の死骸を見て最も眼を蔽わされたのは、渡辺大将と高橋蔵相であって、渡辺大将は、機関銃の弾94発が命中しており、又後頭部等に3ヵ所も致命的切創を受けておって、寝室の周囲等には無数の弾痕があった。高橋蔵相も拳銃の命中弾3ヵ所、大小切創5ヵ所という傷跡で残忍悽愴の感に打たれ、洵に遺憾に思った。

 次に「陸軍大臣告示」から討伐までの経緯について一言したい。二・二六事件の首謀者である青年将校連の間では、昭和11年2月22日に集団的一斉蜂起の最終的決定をなし、2月25日夜麻布第三連隊に叛乱部隊を集結し、翌26日午前5時を期して予定の計画を決行したのであるが、この事件が勃発するや、陸軍の最高首脳部は直ちに宮中に集り、これが鎮圧策を講ずるために陸軍々事参議官会議を開き鳩首協議の結果、軍事参議官一同の意向を文書にしてこれを叛軍に示して鎮撫せんとしたのである。

 ところが、朝香、東久邇の両大将宮も軍事参議官であってこの会議にも列席しておられたから、軍事参議官一同の意向として発表することは皇室に累を及ぼす虞があるという意見も出たので、同席の陸軍大臣の川島義之大将の承諾を得て、この意向を「陸軍大臣告示」という形で発表することになったのである。

985NAME:2019/12/16(月) 21:30:11
 この告示の案文は、軍事参議官の荒木貞夫大将がその席におった軍事調査部長の山下奉文少将に口授して筆記せしめたのである。

 その文言は 「陸軍大臣ヨリ

 一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレタリ
 二、諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
 三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス
 四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ
 五、之レ以外ハ一ニ大御心ニ俟ツ」
 というのである。

(註) 右側傍線の部分は、次に述べるが、後になって訂正されたのである。

警備司令官の香椎浩平中将もその席におって山下少将の傍でこれを筆記したのである。 

引上げるように説得させる考え

 軍事参議官一同の意向としては、山下少将は平素から叛軍の幹部である青年将校連からも好感を持たれておったので、同少将にこの「陸軍大臣告示」を持たせて叛軍の占拠しておる陸軍官邸に赴かしめ、叛軍の幹部連にこの告示を示して、陸相や軍事参議官一同もこの通り汝らの蹶起の趣旨はよく了解しておるのであって、決して犬死させないから一応占拠地から原隊に引上げるように、といって説得させる考えであったのである。

 ところが、香椎警備司令官としては、職責上この告示を少しでも早く叛軍に伝えて之を鎮撫したいとの一念から直ちに警備司令部に電話して参謀長の安井藤治少将にこの告示を筆記させこれを隷下の師団長に通達し叛軍に伝達させようとしたのである。そこで、安井参謀長は部下に命じてこれを謄写に付し、近衛師団長の橋本虎之助中将と第一師団長の堀悌吉中将とに通達しこれを叛軍に伝達して鎮撫するよう命じたのである。
自分らに都合のよいように利用した

 橋本近衛師団長はこの告示を見て少しく疑義を抱いたのでこれを隷下に伝達せずに握り潰してしまったのである。

 掘第一師団長は忠実にこれを叛軍に伝達したのであるが、叛軍側はこれを以て奇貨措くべしとして、この告示を自分らに都合のよいように宣伝の具に使い彼等の蹶起を正当化する手段に利用したのである。 然るに、香椎警備司令官がこの告示を安井参謀長に電話した後で又々軍事参議官会議において「この告示の字句訂正」の議が起り、そのため前述の「告示」の文言の内の傍線を付しておいた部分が次の通りに訂正されたのである。

986NAME:2019/12/16(月) 21:30:38
 その文言は 「陸軍大臣ヨリ

  諸子蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達シアリ
  諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ヨリ出テタルモノト認ム
  国体ノ真姿顕現ノ現況ニ就テハ我々モ恐懼ニ堪ヘサルモノアリ
  軍事参議官一同ハ国体顕現ノ上ニ一層匪躬ノ誠ヲ致スヘク
  其以上ハ一ニ大御心ヲ本トスヘキモノナリ

一、 以上ハ宮中ニ於テ軍事参議官一同相会シ陸軍長老ノ意見トシテ確立シタルモノニシテ閣僚モ亦一致協力益々国体ノ真姿顕現ニ努力スヘク申し合ハセタリ」

 というのである。
飛行機からまかれた「今からでも遅くはない」の告示

 この告示が決定したのは、26日の午後2時過ぎ頃であるが、叛軍はこの告示や軍事参議官連の叛軍幹部と膝をつき合せての説得に対しても承服せず、彼等は真崎甚三郎大将を首班とする一種の軍事内閣の成立を熱望して一歩も譲らなかったのである。それで鎮撫の方法として叛軍を一応正規の部隊と認めることになり、同日午後4時過ぎ頃香椎警備司令官は叛軍を隷下の渋谷部隊(渋谷大佐の率いる歩兵第三連隊)に編入せんとしたが、叛軍の幹部連はこれに服せず、寧ろ小藤部隊(小藤恵大佐の率ゆる歩兵第一連隊)に編入されんことを要望したのでこれを許し一応小藤部隊に編入することになったのであるが、尚も彼等は陸軍上層部の弱腰を見すかしてなんと説得しても占拠地から引上げることを拒否しつづけたのである。

 そこでやむなく同日午後4時20分頃に至り戦時警備令を発動し、他面尚引続き説得に努めたのであるが、どうしてもこれに応じないので翌27日午前4時20分遂に戒厳令を宣布することとなり、香椎警備司令官が戒厳司令官に任命されたが、陸軍最高首脳部としては彼等の説得に最後の努力をしたのである。それにも拘らず少しもその効なく、一方、天皇陛下からはお叱りを受ける始末で、その翌28日には到頭次のような奉勅命令が発せられたのである。

「奉勅命令

 戒厳司令官ハ三宅坂附近ニ占拠シアル将校以下ヲシテ速カニ現姿勢ヲ撤シ各所属師団ノ隷下ニ復帰セシムヘシ

    昭和十一年二月二十八日
    奉勅 参謀総長 載仁親王」

 載仁親王とは閑院元帥宮のことである。

 この奉勅命令から推しても陛下がいかに御宸襟を悩まされたがが窺われる。 奉勅命令が出ても叛軍は尚もこれに応じないので、翌29日愈々討伐命令が発せられ彼等も漸く観念して同日午後2時に帰順することになったのである。その間、大久保大尉筆にするところのあの有名な「今からでも遅くはない」という名文句の「兵に告ぐ」という戒厳司令官の帰順勧告の告示が放送され又飛行機からこのビラがまかれたのである。
陸軍上層部の「事勿れ主義」が見過ごした“クーデターの兆候”

 然し、多少とも当時の陸軍部内の事情に通じておるものには、何れは二・二六事件のような事件が勃発するであろうということは予想されていたのである。

 殊に、昭和11年初頭に最も過激な国家革新の思想を抱懐し一斉蜂起の機を虎視眈々として覘っておった青年将校の一団の所属する歩兵第一連隊や第三連隊を隷下にしておる第一師団の満州移駐が発表されてからは、彼等は陸軍上層部が自分達を敬遠し遠島仰付ける意味でこの処置に出たものと深く思い込むに至ったから、事は一層面倒になり、彼等は必ずや渡満前に一斉蜂起を決行するだろうと考えられていたのであって、斯様な状勢にあることは陸軍上層部の人達は十分承知していた筈である。

 然るに、これに対して何等の対策を講ぜず唯々拱手傍観その日ぐらしの事勿れ主義の態度で終始していたため、二・二六事件が勃発するや、恰も天災地変が一時に突発したかのように周章狼狽、ただ鎮撫だ説得だと騒ぐのみで却って叛軍側に足許を見すかされて引き廻され、結局は、陛下の御一言でやっとフラフラ腰を立て直したのであって、陸軍上層部の無能というか、あのブザマな姿を見ては、洵になげかわしい次第である。

(元最高検察庁次長検事)(木内 曽益)

987NAME:2020/01/04(土) 14:24:44

ゴーン氏出国は「単なる刑事事件」の被告人逃亡ではない〜日本の刑事司法は、国際的な批判に耐えられるのか
郷原信郎 | 郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
1/1(水) 14:17
https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20200101-00157363/

988NAME:2020/09/01(火) 02:40:27
泣いてから、携帯電話を取り出し……昭恵夫人の“淋しさ”と「自分探し」が行き着いた先
urbansea
2020/08/31 18:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%b3%a3%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%8b%e3%82%89-%e6%90%ba%e5%b8%af%e9%9b%bb%e8%a9%b1%e3%82%92%e5%8f%96%e3%82%8a%e5%87%ba%e3%81%97-%e6%98%ad%e6%81%b5%e5%a4%ab%e4%ba%ba%e3%81%ae-%e6%b7%8b%e3%81%97%e3%81%95-%e3%81%a8-%e8%87%aa%e5%88%86%e6%8e%a2%e3%81%97-%e3%81%8c%e8%a1%8c%e3%81%8d%e7%9d%80%e3%81%84%e3%81%9f%e5%85%88/ar-BB18xwQW

辞意を表明した安倍首相が最も長く在任した総理大臣なら、その妻は最も世を騒がせた首相夫人であった。 コロナ禍の春でいえば、夫の安倍晋三は「布マスクを配れば不安はパッと消えますよ」という佐伯(さいき)耕三首相秘書官を信頼するあまり、布マスクの配布に躍起になった。

 対して妻の安倍昭恵はどうか。「不安と恐怖が、ウィルスに対する愛と感謝に変わった途端、ウィルスは、目の前で、ブラックホールから、突然、喜んで、消え去ります」と説く“ドクタードルフィン“に傾倒。「神ドクター降臨 in Oita」なるツアーに参加し、大分県の宇佐神宮にお参りにいって、騒ぎを起こす。(注1)

かつてレーガン大統領の「ファーストレディ」ナンシー夫人が占星術師に入れ込んだことから、占星術が政策やスケジュールに影響を及ぼすようになり、問題となったことがある。 それをおもえば、ドクタードルフィンの主張が官邸のコロナ対策に影響することはなく布マスクで済んだのだから、安倍昭恵が「公人」ではなく、ただの「私人」で、ほんとうによかった。

昭恵氏の信条「『対話』をすればわかり合える」

 そんな安倍昭恵、「どんな人でも『対話』をすればわかり合える」(注2)を信条にしている。沖縄で政府が進めるヘリパッド建設現場にも出向いて、反対派と対話を試みたこともある。「対立、分離した世の中を『愛と調和』の世界にしていく」(注2)との思いからで、タカ派・保守派と目される夫と対立するひとたちのあいだに入っていこうというのだ。

 あるいは「脱原発」を訴えもしたし、LGBTの権利向上を訴えるパレードにも参加した。ときには大麻畑で微笑んで、日本古来の大麻文化を宣伝し、その流れで高樹沙耶と親交を深めもした。 これらを見ると、政治が目を向けないところに目を向けさせようと自らが行動しているようにも思える。しかしそれではドクタードルフィンと旅行にいったり、手越祐也と宴会したりすることには、つながっていかない。 では安倍昭恵の行動原理は一体なんなのか。よく言われるのは「自分探し」だ。

989NAME:2020/09/01(火) 02:40:54
レールを歩む人生が、夫が首相を辞めて一転

 祖父と父が森永製菓の社長となる家系に生まれ、聖心女子を小中高と進み、専門学校を経て電通に入り、やがて大物政治家・安倍晋太郎の子息と結婚する。いわゆる親にしかれたレールを歩む人生であったろう。 それが一転するのは、夫が最初に首相になってそれを辞めてからだ。首相夫人になって有名人になったことで、かえって何者でもない自分に気づいたのか、立教大学の大学院に通い、神社をめぐり、居酒屋の経営を始める。

 ノンフィクション作家・石井妙子の取材で、安倍昭恵は大学院生活をふり返り、「『自分の意見』が私にはなかった」ことに気づいたと述べている。そのいっぽうで、「読んだ本はみんな忘れてしまったし、論文もすごく手伝ってもらって書いた」「本を読んだりレポートを書くのは、正直なところ苦手でした」(注3)と漏らす。

 何かをきちんと学ぶのは苦手のようだ。だから学術とは違う土俵にある、理解しやすい疑似科学に傾倒するのだろう。 そうしてFacebookなどでオカルトめいた言葉を発信するようになる。森友事件の際、渦中の籠池泰典の妻に「神様はどこに導こうとしているのか。とにかく祈っています」とメールしたのが知られるが、神道にとどまらず、安倍昭恵の興味は「波動」や「EM菌」、「オーラ測定」などにまで及んでいった。

 ちなみに斎藤貴男『カルト資本主義』(文藝春秋・1997年)の「オカルトビジネスのドン『船井幸雄』」の章に、安倍昭恵の実父・松崎昭雄の名が出てくる。多くの企業が研修などでおこなう「超越瞑想(TM)」について、これをNECが取り入れたのは、同社の会長と「仲のよい森永製菓の松崎昭雄社長がTMを薦め」たからだとある。スピリチュアルの嗜好は親譲りなのかもしれない。

泣きながら携帯電話を取り出し……安倍昭恵が抱える“淋しさ”

 安倍昭恵が頼るのは、スピリチュアルの見えないチカラだけではない。安倍首相の威光というチカラ、つまりは政治権力にも頼った。 たとえば2016年の参院選に出馬し「脱原発」などを訴えた三宅洋平に、安倍昭恵はFacebookで「公邸でお待ちしてます!」と呼びかける。「公邸」に招くとは公人の振る舞いに思えるが、まだ私人か公人かの問題が起きる前であったので、当時は「上から目線」などとの批判がおきる。そうしたことから、ふたりは池袋の居酒屋で会うのだった。そこで安倍昭恵は随分と酔い、おまけに泣いたという。(注2)

 そのとき、安倍昭恵は突然、夫に電話をし、携帯電話を三宅洋平にわたして、安倍首相と会話させる。 ここに安倍昭恵の淋しさがある。場を盛り上げようとして総理大臣に電話するなど、このうえない酒席の余興だ。しかしそこにいるのは安倍昭恵という個人ではなく、安倍晋三の妻、首相夫人でしかない。いや、それを期待されていると本人もわかっているから、携帯電話を取り出して夫とつなぐ。「自分探し」の行く末は結局のところは、権力者の妻であった。 この「夫の威光」こそが安倍政権最大の問題を引き起こし、また自殺者を出すという悲劇を生む。森友事件だ。

 森友学園の籠池泰典は、もともと「安倍晋三記念小学校」と名付けようとして進められた小学校建設の用地取得に手こずっていた。その最中の2014年4月、くだんの国有地を安倍昭恵は訪れて、籠池夫妻と3人で写真を撮る。このとき、シャッターを押したのは、同行していた「夫人付き職員」谷査恵子であった。

 その写真には、3人の向こうに小学校の予定地が写っている。しかし官僚には安倍昭恵の向こうに安倍首相が見えたろう。安倍昭恵は国家を借景にしているのだから。

990NAME:2020/09/01(火) 02:41:10
「喜んでもらおうとしただけ」本当にそうなのか?

「スリーショット写真の提示以降、何もかもがスムーズに進むようになった。あまりにも近畿財務局の態度が変わったので、本当に驚いたものだ」。この写真を近畿財務局の職員に見せるとそれまで難航していた用地買収が一転したと、籠池泰典は著書『国策不捜査』(赤澤竜也共著・文藝春秋・2020年)に記している。

 一枚の写真が、官僚を動かし、不正を働かせ、その結果ひと一人が自殺することになる。記念写真を撮って喜んでもらおうとしたことが、知らないところで災いをもたらしたようにも見えるが果たしてそうか。権力に対する自制心のなさは安倍内閣だけではない。安倍昭恵もそうであった。 「どんな人でも『対話』をすればわかり合える」という安倍昭恵だが、自殺した職員の妻とは会うことを避けたままだ。

(注1)「週刊文春」2020年4月23日号 (注2)「週刊SPA!」2016年8月30日号 (注3)石井妙子「安倍昭恵『家庭内野党』の真実」(「文藝春秋」2017年3月号) (urbansea)

991NAME:2020/09/06(日) 14:06:24
もう謝罪国家には戻らない 安倍首相の戦略的歴史観  八木秀次
2020.9.2
https://special.sankei.com/a/politics/article/20200902/0001.html

安倍晋三政権が、国内では疑惑を野党やメディアから追及されながらも、安定していた理由の一つに、安倍首相が国際社会の中で次第に大きな存在になったことがある。在任期間が長くなったこともあり、国際社会、特に自由主義陣営に不可欠のリーダーになっていた。それが国民に大きな安心感を与えていた。辞任の報を受けた外国首脳は概ね安倍首相を「いなくなると困る」と功績を高く評価した。外国メディアも国内とは対照的に高く評価するものが多かった。

韓国の言いがかりを振り払う

 第2次安倍政権発足からしばらくは、安倍首相は外国から警戒の目で見られていた。米国メディアは「国家主義」「歴史修正主義」のレッテルを貼り、中国の官製メディアはヒトラーと同一視した。第1次政権時に打ち出した「戦後レジームからの脱却」が誤解されたこともあり、戦後の国際秩序への挑戦者と思われていた。政権発足1年目の2013年12月に靖国神社に参拝した際、米国政府は「失望した」とのコメントを発表した。私も米国大使館の政務担当公使から参拝の理由について説明を求められた。

しかし、その批判の声は、今は消えている。安倍首相への警戒感がなくなり、逆に安倍首相は自由社会のリーダーと見られるようになった。それと同時に対日認識も変わった。日本自体への警戒感がなくなり、外交や安全保障でも日本の主張や政策は受け入れられるようになった。そこには安倍政権の対日歴史認識是正の戦略があった。

992NAME:2020/11/28(土) 05:01:07
感謝の絆 世代超え 蘇る人道国家・日本 ポーランド孤児救出100年 
2020.11.26
https://special.sankei.com/a/international/article/20201126/0001.html

今年(2020年)は、シベリアにいたポーランド人の孤児たち765人を日本が救出して100年。11月3日、孤児たちの日本の受け入れ窓口となった福井県敦賀市で、孤児たちの救出などを記念する「人道の港敦賀ムゼウム」館がリニューアルオープンするなど、今も欧州随一といわれるポーランドの親日感情を生んだ当時の日本の人道的行為に改めて光が当たっている。

一通の証書
 敦賀ムゼウムは、ポーランド人の孤児に加え、在リトアニア・カウナス領事代理だった杉原千畝の「命のビザ」によりナチス・ドイツの迫害から救われたユダヤ難民を敦賀港が受け入れたことを記念する施設。来館者の増加で旧施設が手狭になったことから、敦賀市が12億円をかけて移設、拡充した。港に面した当時の税関などの建物4棟を復元した館内では、救出を紹介するパネルや映像、孤児やユダヤ人たちゆかりの物品などの史料を展示している。

 11月3日のオープン時にはイスラエルやリトアニアなど関係各国の駐日大使らが参加して式典が行われ、ポーランドのパヴェウ・ミレフスキ大使から渕上隆信・敦賀市長に、一通の証書が手渡された。シベリアから救出されたポーランド人の孤児の一人、アントニナ・リロさん(故人)に、イスラエルのヤド・ヴァシム国立記念館から贈られた「諸国民の中の正義の人」称号の証書だ。「正義の人」の称号は、わが身の危険を冒してナチス・ドイツの迫害、虐殺からユダヤ人を救った外国人に贈られており、杉原千畝にも授与されている。

 リロさんは、ナチス・ドイツによって占領されたポーランドで、ユダヤ人少年1人を自宅にかくまった。ユダヤ人であることが発覚しないよう、少年にはキリスト教の祈祷(きとう)を覚えさせていたという。ナチス・ドイツは当時、ユダヤ人をかくまったポーランド人を家族ごと処刑していた。

993NAME:2021/08/23(月) 02:55:51
「正義中毒」の日本人が他人を許せない理由、今だからこそ考える
『人は、なぜ他人を許せないのか?』
https://diamond.jp/articles/-/237426?page=2

本書の要点

(1)他人を許せない「正義中毒」には、誰もが陥る可能性がある。人間は脳の構造上、自分の属している集団以外を受け入れられず、攻撃しやすい傾向にある。
(2)社会全体で「正義中毒」の方向へと突き進むと、多様性を狭めてしまうことになり、非常に危険だ。
(3)正義中毒から自分を解放させるには、普段から前頭前野を鍛え、メタ認知の力を身につけることが重要となる。

要約本文

◆誰もが陥りかねない「他人を許せない」状態
◇正義中毒とは?

「清純派キャラの女性タレントが不倫をしていた」。「大企業がCMで差別的な表現をした」。こうした状況は、自分や身近な人が直接不利益を受けたわけではない。だが、面識もない相手に攻撃的な言葉をあびせ、叩きのめさずにはいられない。そんな状態に陥っているとしたら、それは、正義におぼれ、「許せない」が暴走してしまっている状態だ。著者はこれを「正義中毒」と呼ぶ。

 正義中毒は誰しもが簡単に陥る可能性がある。とりわけ、ネットやSNSの世界では顕著だ。SNSの広がりが正義中毒を顕在化させ、より強めている。

 また、自らの正義をふりかざす快感を味わいつつも、同時にそんな自分を許せないと感じている人も多い。このような相反する感情に苦しめられていては、とても幸せな状態とはいえないだろう。

◇多様性を狭めた集団は滅亡に向かう

 正義中毒の人たちは、一見独自の理論、独自の正義をもっているように見える。だが実際は、自分がターゲットにされることを恐れて、多数派に流れているケースも多い。例えば、Aを「不謹慎だ!」と叩く論調が主流になると、異なる意見をいいにくくなってしまう。

994NAME:2021/09/02(木) 01:21:08
評論家・石平(59)(30)「覇気」失えば日本は生き残れない
2021/8/31 10:00
喜多 由浩
https://www.sankei.com/article/20210831-CRZYTGT5AZK33D5PWGJ7M7UGMY/

《日本生まれの日本人以上に、日本の精神や伝統を愛し、日本の将来を心配している》 いまの日本の若者たちがチャレンジ精神を失い、安定志向になっている、と聞くと、日本の将来が少し心配になります。

日本は四方を海に囲まれた島国として、長い歴史と独自の伝統、精神を守ってきました。常に大陸からの脅威に晒(さら)されています。こうした状況の中で今後、日本人が生きていくには、よほどがんばらないといけないと思う。大事なことは、覇気や気力を失ったら生き残れないということです。

《実は現在の中国人のなかにも〝横たわり主義〟と呼ぶ消極的な志向が、若者を中心に広がっている、という》 理由については日本と事情が違います。鄧小平(とう・しょうへい)以来の改革開放政策、市場経済の導入で拝金主義が広がりましたが、習近平政権下で「富の格差」も絶望的なほどになりました。そうした社会の格差が固定化してしまい、もはや、がんばってもしようがない、昇進もしたくないといった消極的な人たちが増えてきているのです。

反日感情ですか? これは常にあります。共産党政権による宣伝や学校教育によって、日本に対し、「負」のイメージを持つよう仕向けられるからです。習近平政権になって、その傾向はますます強い。〝南京大虐殺〟のセレモニーを国家行事にしたり、抗日戦争勝利記念日を設定したり、社会全体で「反日イメージ」を固定化しようとしてきているからです。

近年、日本を訪れる中国人観光客が急増しました。現在は、新型コロナウイルス禍によって中断していますが、日本に来て、本当の日本の姿や日本人のホスピタリティーに触れた中国人の多くは「良いイメージ」を持って帰国しました。リピーターも多い。中国人観光客のマナーには確かに問題がありますが、それでも僕は中国人観光客の増加は良かったと思います。

ところが、「何でもやれる」と勘違いしている習近平国家主席は今後、思想統制や自由な言論の排除をさらに強め、中国人の海外旅行を制限することまでやってくるかもしれません。 〝毛沢東以上〟の独裁的、強権的な手法を振りかざす習氏は極めて危ない存在です。「民族の復興」を掲げて中華帝国の復活を目指し、南シナ海、台湾、そして尖閣諸島を狙ってくる。ウイグル人やチベット人ら少数民族の弾圧を強め、民族浄化を進めていく…。 日本人は、こうした「習近平政権の正体」を見極めて、しっかりと対峙(たいじ)しなければなりません。覇気や気力を失ったら一巻の終わり。政治家が中国共産党創建100年に祝電を送っている場合ではないのです。

《来年1月に60歳になる。これからは日本人に日本人の精神を伝える著作をこれまで以上に書きたいと考えている》 僕が司馬遼太郎さんの小説によって日本人の精神を学んだように、次代を担う日本の若者たちに伝えたいのです。形は、小説でも、ノンフィクションでも構わない。帰化人の僕があこがれた日本人の姿を、もっともっと知ってほしいと思います。 「あなたたちの先人はこんなにすごかった」「国を守るために一身をなげうち、懸命にがんばったんだよ」って、ね。(聞き手 喜多由浩)=明日から台北駐日経済文化代表処代表、謝長廷さん

995NAME:2021/09/02(木) 11:28:49
デジタル庁発足 コロナで露呈 サイバーテロに有効な防御なく
2021/9/1 12:42
https://www.sankei.com/article/20210901-72RVNZ2VT5IGLFFWKODSMRO3NA/

官民のデジタル化を推進する司令塔、デジタル庁が1日発足した。コロナ禍で露呈した行政のデジタル化遅れの改善や、デジタルセキュリティー確保に向けた施策に取り組む。デジタル化の進展には何が必要か、増加するサイバーテロにどう対応すべきか。武蔵大教授の庄司昌彦氏と、大阪大教授の猪俣敦夫氏に聞いた。
「コロナ行政」で人員不足 人海戦術の効率化を 庄司昌彦氏

政府がデジタル庁の設立で行政のデジタル化を急ぐ理由として、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた昨年の特別定額給付金や雇用調整助成金の手続き遅れを挙げるが、これは一例にすぎない。行政のデジタル化遅れはあらゆる分野で見られる。

996NAME:2021/09/09(木) 15:30:29
高市氏の記者会見場で報道関係者怒鳴り声
2021/09/08 18:54
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e9%ab%98%e5%b8%82%e6%b0%8f%e3%81%ae%e8%a8%98%e8%80%85%e4%bc%9a%e8%a6%8b%e5%a0%b4%e3%81%a7%e5%a0%b1%e9%81%93%e9%96%a2%e4%bf%82%e8%80%85%e6%80%92%e9%b3%b4%e3%82%8a%e5%a3%b0/ar-AAOdvKS

自民党の高市早苗前総務相が8日午後に行った党総裁選(17日告示、29日投開票)への出馬表明記者会見で、会場にいた報道関係者が学校法人「森友学園」をめぐる問題について「再調査するのか」「話さないのか」と怒鳴り声を上げた。高市氏は「一人の公務員が大変追い詰められ、命を絶った気の毒な事件だ。こういった改竄(かいざん)が絶対に起こらない体制を作る」などと説明した。

この報道関係者はさらに「安倍晋三前首相への忖度(そんたく)か」「安倍氏の傀儡(かいらい)ではないか」と怒鳴り続けたため、別の報道関係者が「やめろよ」と制止に入った。高市氏は「そこまでやじり倒さないでください。本日はありがとうございました」と締めくくった。

997NAME:2021/09/23(木) 20:49:38
日本軍がトルコ兵千人を救った 「エルトゥールル号」に続く新史実をトルコ政府が本に
2021/9/23 07:00
https://www.sankei.com/article/20210923-RGEJWHJT5RJI5IT5HYLCRDM6M4/

第一次世界大戦後の1921(大正10)年、日本陸軍が、シベリアでロシアの捕虜となっていたトルコ軍将兵約1千人を本国に生還させたことがトルコ国内で脚光を浴び、同国政府が今月、経緯をつづった本を日本語で出版した。トルコ語のほか英語版も出版し、世界に発信するという。日本とトルコの間では、トルコ軍艦「エルトゥールル」号遭難事故の乗組員救助(1890・明治23年)、その「恩返し」とされるイラン・イラク戦争下の邦人救出(1985・昭和60年)に象徴される「人道の絆」が紡がれてきた。その歴史に新たな1ページが加わりそうだ。
日本軍将兵も一緒に抑留された

第一次世界大戦の東部戦線で帝政ロシア軍の捕虜となったトルコ兵たちの存在は、シベリア出兵中の日本軍が発見。同大戦で日本とトルコは、連合国、同盟国と対立する陣営に属していたが、日本軍は管理地域の捕虜たちを本国に送還することを決定。1921年2月23日、トルコ軍捕虜1032人(現地で結婚した妻や子供数人も含む)と、日本軍指揮官の津村諭吉陸軍中佐(出発時は少佐)以下28人の日本軍人を乗せた民間の貨物船「平明丸」がウラジオストクから出港した。

998NAME:2021/10/02(土) 01:02:02
「移住したい国」日本は2位 北米、東南アジアの人々から強い支持
Dec 10 2020
https://newsphere.jp/topics/most_popular_countries_for_moving_abroad_2/?utm_source=nativeocean&utm_medium=cpc_no_ob_msn&utm_campaign=most_popular_countries_2_cpc_no_ob_msn&zpbid=8664_676f3212-22d0-11ec-b72d-78a94e278214

昨今の状況により、海外との往来の機会は激減している。しかし、こんなときだからこそ、より良い生活を求めて海外移住を夢見る人々が増えているようだ。世界中で移住関係のグーグル検索件数は急増しており、その子細を分析すると、日本は移住先として世界で2番目の人気を集めていることがわかった。

◆理想の移住先ランキング・トップ10
 本ランキングは、モバイル国際送金サービスを提供する米レミトリー社がまとめたものだ。同社は世界101の国と地域で行われたグーグル検索の結果を分析し、海外移住に関連するキーワードと同時に検索された移住先を抽出した。最も多く検索された移住先を検索元の国別に集計したところ、30ヶ国から支持されたカナダが1位となった。ランキングのトップ10は以下の通り。カッコ内は何ヶ国から移住先1位として選ばれたかを示している。

 1位:カナダ(30)
 2位:日本(13)
 3位:スペイン(12)
 4位:ドイツ(8)
 5位:カタール(6)
 6位:オーストラリア(5)
 7位:スイス(4)
 8位:ポルトガル(3)
 9位:アメリカ(2)
 9位:イギリス(2)

レミトリー社によると、コロナ禍によって人々の検索傾向は大きく変化し、パンの焼き方や室内でできるエクササイズの方法など、ステイホーム生活を快適に過ごす方法が2020年に多く検索されたという。こうした巣ごもり関連のニーズが高まる一方で、海外移住という人生の一大決心を検討する人々も増えてきているようだ。移住方法の検索数は2020年1月から10月までの時点ですでに昨年の検索実績を29%上回っているという。

◆首位カナダ、治安良く移民にも寛容
 移住先として最も多くの国から人気を集めたのはカナダで、2位以下に倍以上の差をつけ堂々の首位となった。レミトリー社は要因について、治安が非常に良いこと、低い失業率を誇ること、そして移住制度の選択肢が多数あること、などが多くの人々を惹きつけていると分析している。さらに、フレンドリーな国民性と美しい景色もプラスになっているようだ。カナダを移住先ナンバーワンに挙げたのは、同じ北米に位置するメキシコのほか、ヨーロッパではイギリスとフランスなど、そして南アジアではインドとパキスタン、ほかアフリカの11ヶ国の計30ヶ国となっている。

◆2位日本は景観と治安で人気か
 このようにカナダに魅力を感じる国が最も多いようだが、では当のカナダの人々はどこへの移住を望んでいるのだろうか? カナダで最も多くの人が選んだ移住先は日本であった。日本はカナダを含めた13ヶ国から移住先候補ナンバーワンの支持を集め、移住したい国2位となっている。レミトリー社は「(移住先別に塗り分けた)北米の地図を見ると、アメリカ人とカナダ人たちは日本での新生活を体験したがっているようだ」と述べ、遠く離れた日本への興味が強いことを報じている。日本を移住先に選んだのはカナダ、アメリカ、オーストラリアのほか、ヨーロッパではジョージアとモンテネグロ、アジアでは8ヶ国でタイ、台湾、フィリピンなどとなっている。

日本が北米で強く支持されたことについては、驚きをもって受け止めたアメリカ人もいるようだ。旅行ライターのラウラ・ベグリー・ブルーム氏は米フォーブス誌(11月25日)に寄稿し、アメリカ人が最も希望している移住先はどこかと読者に問いかけたうえで、結果を知って驚くかもしれないと述べている。治安の良い隣国カナダがありながら、海を隔てた日本が支持されるという興味深い事態になっている。

レミトリー社は「とても魅力的な風景と安全性、そして無数の雇用機会」が人気の原動力なのではないかと分析する。私たち日本に住む者の実感としては景気が上向いているとは必ずしも言い切れないが、それでも海外から見ると比較的安定した雇用があるということだろうか。さらに同社は、カナダが日本を選択する理由として「非常に称賛を受けている人生の質」などが好まれていると推察している。日本は北米のほか、オーストラリアと東南アジア各国からも人気だ。

999NAME:2021/10/06(水) 00:11:59
日本軍がトルコ兵千人を救った 「エルトゥールル号」に続く新史実をトルコ政府が本に
2021/9/23 07:00 小島 新一
https://www.sankei.com/article/20210923-RGEJWHJT5RJI5IT5HYLCRDM6M4/

第一次世界大戦後の1921(大正10)年、日本陸軍が、シベリアでロシアの捕虜となっていたトルコ軍将兵約1千人を本国に生還させたことがトルコ国内で脚光を浴び、同国政府が今月、経緯をつづった本を日本語で出版した。トルコ語のほか英語版も出版し、世界に発信するという。日本とトルコの間では、トルコ軍艦「エルトゥールル」号遭難事故の乗組員救助(1890・明治23年)、その「恩返し」とされるイラン・イラク戦争下の邦人救出(1985・昭和60年)に象徴される「人道の絆」が紡がれてきた。その歴史に新たな1ページが加わりそうだ。
日本軍将兵も一緒に抑留された

第一次世界大戦の東部戦線で帝政ロシア軍の捕虜となったトルコ兵たちの存在は、シベリア出兵中の日本軍が発見。同大戦で日本とトルコは、連合国、同盟国と対立する陣営に属していたが、日本軍は管理地域の捕虜たちを本国に送還することを決定。1921年2月23日、トルコ軍捕虜1032人(現地で結婚した妻や子供数人も含む)と、日本軍指揮官の津村諭吉陸軍中佐(出発時は少佐)以下28人の日本軍人を乗せた民間の貨物船「平明丸」がウラジオストクから出港した。

1000NAME:2021/12/31(金) 00:18:03
日豪安保「新次元へ」 宣言改定、名実ともに準同盟へ
2021/12/29 19:28
半沢 尚久
https://www.sankei.com/article/20211229-SYKZTHTMP5LKBLCPCI4ZCHQS3E/

日本、オーストラリア両政府が日豪安全保障共同宣言の改定を検討していることが29日、明らかになった。改定による新共同宣言は安保協力を「新たな次元へと引き上げていく」(岸信夫防衛相)ための指針で、有事での米国も交えた共同対処能力の強化に主眼を置く。日豪関係を日米同盟に次ぐ、実を伴う準同盟に高める決意表明と位置づける。

「中国に厳しい姿勢で臨むのは党派を超えて一致した考えだ」「対中融和への揺り戻しはない」

豪州の日本担当者はそう伝えてきている。豪中蜜月時代を経て、中国が日本を抜いて豪州の最大の貿易パートナーとなったのは2007(平成19)年だ。日豪安保共同宣言が策定された年だが、それ以降、豪中関係は悪化した。




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