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賎のおだまき・武家の時代の男色

94名無しさん:2010/09/18(土) 13:04:44
>>23.>>68.>>93

薩摩は現在の鹿児島と宮崎にまたがった地域。このころ、薩摩では『郷中(ごじゅう)』という郷(地域)を中心とした制度がつくられた。これは稚児と二才[(にせ・20代青年)
庄内の乱(慶長4年:1599年)での「古井原の戦い」というのがあった。このあたりで実際に戦って二人とも死んだ。墓も実在し子孫が墓参りする。
このあたりで戦があったのだろうが、現在でも交通が不便で、思いやりタクシーなどというのが活躍している鄙びたところのようだ。

「賎のおだまき」で、13歳(満11,2歳)、今で言えばほんの小6あるいは中1位か今で言えばJr.あたりの美童の誉れの高い三五郎、野に小鳥だかを取りに一人で行った。一度でもかの美童と契ることができれば死んでもよい。そう想い焦れてきた二人の暴漢、倉田軍平と小浜助五郎。それとも知らず襲われ女の子が襲われるように無理無体に襲われる。そしていよいよ着物の帯に手がかかる、

その頃は元服前の少年武士(若衆)は誰か兄貴([二才]の「稚児」となって瑞々しい肉体を捧げ[契り]をすることになっていた。したがって処女(生童/きわらべ)を守らねばならない。これは薩摩の「郷中」と言って「稚児」と「「二才」(にせ・15〜25)の「男色」の話です。

三五郎は脇差を抜いて抵抗しようとするのだが、13歳の美童の細腕では、藩の荒くれ男二人に敵うはずもない。刀を抜こうとするも、すぐその細腕を押さえられ揉み合ううちに着物の裾も乱れ、雪のように白い柔肌ガ露わになる。それをみて溜まらず舌舐めずりする男に押し倒されてしまう。

いよいよ帯を解かれ強姦の憂き目・辱め・・これから誰とも知れない男に裸に剥かれ自由にされてしまう・・、三五郎はそんなことを思うと涙ぐみ、遠くでは山寺の鐘がなっている。三五郎の悲壮感を一層たかめる。

というときに馬に打ち乗った10歳上の大蔵さんという見知らぬ武士吉田大蔵(二才になる)に助けられる。

危うく強姦されるところ、きわどいところを助けられる場面がある。三五郎は「ぜひに自宅に」と請うが、大蔵さんはぜひにぜひにとすがりつく美童・三五郎を振りきって返ってしまう。
この場で、美童・三五郎の求めに応じ、三五郎の自宅に招かれていたら・・でも大蔵さんはそうしなかったのだ。

続く・・


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