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賎のおだまき・武家の時代の男色

23名無しさん:2008/05/29(木) 19:48:18
>>20  (訂正;10号線ではない。10号線の一つ上の道路。)
>>21  

庄内の乱(慶長4年:1599年)での「古井原の戦い」というのがあったのだそうだ。このあたりで実際に戦って二人とも死んだ。このあたりで戦があったのだろうが、現在でも交通が不便で、思いやりタクシーなどというのが活躍している鄙びたところのようだ。薩摩は現在の鹿児島と宮崎にまたがった地域。

「賎のおだまき」で、13歳(満11,2歳)、今で言えばほんの小6あるいは中1位かの美童の誉れの高い三五郎、今で言えばJr.あたり。野に小鳥だかを取りに一人で行った。一度でもかの美童と契ることができれば死んでもよい。そう想い焦れてきた二人の暴漢。それとも知らず襲われ女の子が襲われるように無理無体に襲われる。そしていよいよ着物の帯に手がかかる、
その頃は少年武士は誰かの稚児・若衆となって肉体を捧げ契りをする。したがって処女(生童)を守らねばならない。

三五郎は脇差を抜いて抵抗しようとするのだが、13歳の美童の細腕では、藩の荒くれ男二人に適うはずもない。すぐその細腕を押さえられ、いよいよ帯を解かれ押し倒されいよいよ強姦の辱め・・というときに馬に打ち乗った大蔵さんに助けられる。危うく強姦されるところきわどいところを助けられる場面がある。その後三五郎は、互いに想い焦がれ、自宅に訪ねてきた大蔵さんに春雨の音だけが聞こえる寝静まった夜中、生童のすべてを捧げ、硬く抱きしめられ、刀を抜いて守ろうとした帯に手がかかるのを受け容れ、
・・花嫁のように愛撫に身を任せ、すべてを捧げ肉体を一つにして、硬い「男色の契り・義兄弟の契り」を交わした。
その後の藩の二才たちは競ってまわし読みし、その後明治になってからも、薩摩出身の塾の書生たちも元旦には必ず読むことが日課と成っていたとある。400年前のどこかこのあたりの広大な一部で実際起こったと思えばいいだろう。「賎のおだまき」を読みながら、財部郷土館に展示されている三五郎の掛け軸を見て、そう思いながら一度見ておくのもいいだろう。

・「賎のおだまき」
ttp://homepage2.nifty.com/papaskitchen/NewFiles/NT60.html
・ぱぱずきっちん 男色文学の世界・    男色文学多数あり
    ttp://homepage2.nifty.com/papaskitchen/Top.html


《平田三五郎の墓(三五郎塚)》の場所と行き方
    鹿児島県曽於市財部町古井8164地先
  財部町地図
   ttp://map.yahoo.co.jp/ploc?nl=31.43.21.5&el=130.59.44.6&sc=5
・上の地図で、財部駅から馬立又は直接古井をめざす。古井の左下の、道に挟まれたあたり。
・下の地図で黄色の道路右側が財部駅へ。交差する上に行く白い道との交差地点が馬立で、南郵便局、理髪店がある。三五郎塚の右上が古井交差路。
・交通が不便のようで、思いやりタクシーというのがあるが、本数が少ないので、自家用車・レンタカーがあるといいだろう。(東九州自動車道 末吉財部IC)
    ttp://map.yahoo.co.jp/pl?lat=31%2F43%2F12.312&lon=130%2F57%2F32.111&layer=0&sc=4&mode=map&size=s&pointer=on&p=&type=static&CE.x=277&CE.y=471
ttp://www.0986.jp/takarabe/map/lmatimap.htm
     
   交通:曾於市思いやりタクシー
     ttp://www.0986.jp/sooshi/pdf/bas_taxi/02.pdf
ttp://www.0986.jp/takarabe/index.htm


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