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賎のおだまき・武家の時代の男色

68名無しさん:2009/11/08(日) 09:05:49
「賎のおだまき」は戦国時代末期の薩摩(鹿児島、宮崎)、島津における、「稚児」と「二才」(にせ)の男色関係の話です。

まさに郷中制度の根幹部分です。

「郷中制度」は、ちょうどこのころの島津で作られたものです。

数えだが、13歳の藩一の美童・稚児である平田三五郎と、10歳年上、23歳の「二才」(にせ)大蔵との
男色関係の話です。「二才」という言葉もでてくる。
13歳といえば、今では6年生から中1くらいでしょうか。

念者・三五郎と念友・大蔵の「義兄弟の契」を結ぶのは、春の宵、三五郎の部屋の寝所(小座)で、「花に潤う春雨や、軒の玉 水音繁く。色こそ見えね春の雨、裏打ちのみ音ぞして人の寝静まる宵ならば大三今は堪えかね、闇はあやなし梅の花、袖に匂いの薫りきて、風に柳のようなる風情に似たる三五郎を、、、静まり返る小座の内、花のようなる三五郎をば、深くい抱きしめ思いもかけぬ 恋の名を、かけてぞ解くる雪の肌、触れて契を結びける。」

美童・三五郎の危難を救った大蔵は、三五郎を「稚児」にすることができたのだ。大蔵は寝所で美童の薫りする三五郎を硬く抱きしめ、三五郎が刀に手をかけてまで守ろうとした、
帯に手をかけるのです。三五郎もすべてを委ねます。そして下帯も解かれ、愛撫に身を委ね一つになるのです。
これを義兄弟の契りといいます。

こういうことが読まれ、旧制高校などでも、、陸軍幼年学校でも伝統として
行われたのだ。


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