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阿含宗という宗教法人を主とした意見交換板
120
:
干柿
:2009/12/27(日) 23:06:28 ID:lkFlk2ZA0
↑そりゃ変な考えだな。
言いも悪いもないだろストーカーと道場は関係ないし
掃除して云々というのも場所に関係ない
道場の山門の前でウンコすりゃ善行だとでもいうのかい
あきらかに悪でバカだろがw
121
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/27(日) 23:28:10 ID:2Jk3DxGM0
うーん、青柿さん、干柿さんが丁度今後議論したい内容、つまり「梵行」に関することに
触れてきたので、見切り発車でやってみましょうか。
(実は私が早く展開したくてウズウズしてましたw)
私も過去に自問自答したことがありまして、このことはいつ話すか、と考えていましたが
その時期が来ましたね。
物事には両面が有ると思います。だから、一辺だけで決め付けることが出来ないと思います。
確かに、そうは言っても完全に善に近いものもあれば、悪に近いものもある。
まあ、そういう世界の全てを追ったらキリが無いし拡大しすぎるので、アゴンの範囲、つまり
梵行で考えて見ましょう。
まず、青柿さんの申したのから手っ取り早いのでそこから行きましょうか。
「教団内の清掃」これは、欺瞞の権化、アゴン宗の清掃を行うと言うことを見れば、
正しくない教えを説く教団の活動、教義での行為の中の「清掃」ですが、これを世間的に
見ても掃除をするのは何ら悪いことではない。だが、そういう正しくない教えを説く教団の
清掃をする、と言うのはそういう教団の片棒を担ぐ行為に順じている行為だ、ともいえる。
しかし、それを言ったらキリが無い。つまり、清掃をした人は皆悪い、と言うことに成る。
そうなれば「掃除が悪いのか」と成るが、掃除が悪い、と責める人は異常だ。
掃除が悪いなら、世の中から掃除が「悪」となってしまうからです。
では、何が悪いのか?間違った教えを行っている教団の清掃をするから悪い、という
ことに成るが、ではその教団に居る人は皆悪か?というと「そうではない」
悪いのは教団や指導をする側が悪いのであって、信者や清掃行為をした人は悪く無い。
だから、教団が悪いことをしている、と言うことを知らないでやった行為の中で
尚且つ清掃と言う行為は世の中から見ても悪いことではないので、参拝者が気持ちよく
参拝できるように清掃した、と言う行為は「善」であると言えると思います。
ただ、これがサリンを撒く、と言う行為なら適さないのです。
この行為自体がどこから見ても良くない行為であるし、仮に信者が悪意が無い、と言っても
サリンは毒薬です。それを巷に撒けばどうなるかはわかるはずです。
清掃と一緒に出来ない。なので、清掃行為は大丈夫ですし、折鶴もOKですね。
122
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/27(日) 23:46:06 ID:2Jk3DxGM0
清掃ならまだいいのですが、これが他のものになれば微妙なのが出てきます。
護摩木判押し、勧進、初護摩札も同様ですか。また、布教活動も微妙です。
ある面から見れば、「良くない」事もあろうし、また状況などによっては
「悪いともいえない」と言うのも出てくるでしょう。
例えば、判押しを見ましょうか。判押しはアゴンでは梵行で修行とされています。
しかし、これを先ほどのように「間違った教えを教えている教団の行為」の手伝い
をしているわけです。まして、清掃と違い、護摩木はお金に係わります。
護摩木の購入金は教団に入ります。すると教団の運営に清掃よりも係わっていることになります。
(厳密に言えば清掃も係わっている行為だが)
では、この判押し行為も「悪への加担」であり、修行者は「悪だ」と言うことに成るのか?
と言えば、「必ずしもいえない」と言えます。
なぜなら、教団が悪なのを知っていて、護摩木を生産する行為をするのならそれはどうか?
と言えます。しかし、信者側が「そういうことを知らない」場合は悪と断定できるか?です。
また、護摩木はサリンとも違って人を殺傷することも無い。
だが、その護摩木を勧進する行為は判押しより世間への影響力が大きい。
教団への資金を導く行為だからです。だが、勧進もほとんどが教団へ貢ごうとしてやる行為
では大方は無い。教団の間違った行為を知っていながら勧進する人はさほど居ない。
ならば、これも責めようが無い部分がある。
だが、実際的に教団へ貢いでしまうという経路は出来てしまう。ここが微妙だと思います。
123
:
孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE
:2009/12/28(月) 03:55:27 ID:pvrGjTuw0
>>121-122
深山さんと反対の答えが出たようですね。でも心情的にだまされたほうは悪くないと弁護してるようなカキコで
実際は悪なんだという本音がかくれ見えしてますよね。悪くないと言いながらもハン押しより勧進のほうが悪影響が大きいことを指摘しています。
(悪影響が大きくても悪業まで大きいとは書いてないが。)
来世の人生をよくする行為か悪くする行為かとダイレクトに聞かれたらやはりどっちかというと悪くするほうでしょう?
>>120
マジレスすると印象悪くなりそうなのでスルーしますw
124
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 09:29:35 ID:cjFii7OY0
昨日は122の後も続けようか迷ったのですが、一晩置いてみようと一旦ストップをかけたんです。
つまり、詳細を語らねばならないが結構長くなるんです。なので、今日からはその後に続く意見を
後で書こうと思っています。それも読んでみて又ご意見いただけると嬉しいです。
123で青柿さんが申されているように、悪業まで成るかどうか、と言うのも考察によればでてくる
と思います。でも、先ほど申したとおりショートですからそこまで書きませんでした。
物事や程度によっては悪業に近くなるのは有るのかもしれませんね。
長くなるので先に結論を申しておきましょう。
私の見地では
①動機の問題
②実際にどれだけ当事者が認識していたか
③行為自体の内容
これらによって如何様にも変化すると思われます。
よって「断定や確定することは難しい」と思われます。
また、これが発展すれば因縁解脱の論にも関わりがでてきます。
しかし、因縁解脱できるか、という問題ではないですが。
ここのスレはアゴン批判だけの限定板ではないので、自考察論を出してもOKですので
もし、皆様も「自分はこう考えている」と言うのを出しても結構ですので、出してみてください。
(つまり、自考察と仏教絡みに属した考察や仏教考察でもOKと見てください)
125
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 09:47:15 ID:cjFii7OY0
まず、また軽く振り返って見ますが、私は先の投稿で「清掃行と護摩木」を例に挙げて書きました。
これも例えば一方の見方で見れば「どんなことをしようが、当時者が清い気持ちで行っても悪い宗教
の片棒を担いだ結果に成るんじゃないか」ということも言えなくは無い、と言うことです。
掃除であろうが、護摩木の判押しだろうが、実際の勧進であろうが、皆アゴンの宗教行為の中にある
行為ですので、例え清掃はお金を生まない、としても教団への奉仕行為でありよくないのだ、と
いえばそれで「観方・捉え方・判断」としては区別できるかもしれない。
でも、私はそれはいささか行き過ぎではないか?と思うのです。
例えば、教団内の清掃なら教団維持のための行為でもあろうかと思うのです。
これが、もし教団以外であったならさてどうか?です。
そう。世間でも行う清掃活動がそれです。よくアゴンでは街を清掃したり、公園や神社、諸々
世間での清掃活動も梵行としてやってますね。
そういう行為をみたならば、それも言い方・観方によっては「教団の宣伝行為になっている。駄目だ」
といえば片を付けることはできます。しかし、それが私の申す「一辺倒」ではないか?ということ
ですね。
じゃあ、どこかのボランティアさんでも行うのは「悪」か?です。
OO教やXX会とかが行ってもその教団が悪なら、みんな悪か?
極端な例を申せば、893が街を清掃しても「悪党」なのだから「悪」なのか?です。
一辺倒な考え方と言うのはそういう恐れを招くことが有ります。
これは仏教の我見?でしたっけ。そういうのに成るんじゃないでしょうか。
私が124で申した「結論」で考えると、必ずしも「悪」とはいえない事項が出てくるものです。
世の中にはそういうのが意外と結構存在します。
確かに物事を判断・把握するには「ある基準的要素・見解」と言うのは必要ですが、それを
限定・固定してしまうのは、危険な面もあると私は思います。
と、いって何も設けないでただ観るだけも、これではどのように判断すればいいかわからない。
如何様にもできる、というデメリットもあります。
ですから、どこまで行っても最終的に「これだ」と判断できかねないことがでてくると思うし、
また良く観察し、おおよそでいいから区別するような感じにしか出来ないのもあると思います。
126
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 10:03:12 ID:c7V5/apA0
アゴンの梵行は大きく言えば(見れば)「徳を貯めて因縁解脱するための供養法」としての行動であり、
それを「修行法」として授け・やらせている。
これが機能してないことは皆様ご承知の通りですが、これを因縁解脱の観点で見るからわからなくなると思います。
まず、清掃行をみると清掃をダメだという人はまずほとんど居ません。
それこそ、巷の例えですが「掃除をして懲罰をするという人間は居ない」というある社長さんの言葉ですが、
その通りだと思います。頭がイカレテいる人なら別でしょうけど。
また、仮に自分たちが街を清掃したとして懲罰されるでしょうか?まずありえませんよね。
アゴンでもそういう活動をして、たまに街の住民さんから感謝されたりすることがありますよね。
やっぱり、そういう活動は「善行為」であり、また、教団内で清掃したからと言って「悪の片棒担ぎ」
まではいえない、問えないと思います。
また、清掃して綺麗な環境を作ることは衛生上良いことです。
家でもお客様を良い気分やおもてなしをする際には掃除をしますよね。
心麗しくさせる清掃行為はやはり、いいものです。そういう面で見れば善行為による積徳もありえるのではないか、
と思ったりしますが、徳云々は考えなくてもいい。やはり、掃除をするという行為は人間独特のものです。
動物には出来ない行為です。そういう「いいもの」を行うこと、つまり巷にも広げることで積徳を促したのが
街などを綺麗にする清掃行為であり、ゲイカはそれをやらせたのですが、いいことだと思います。
ただ、清掃行為で因縁が切れるわけではないので、そこが問題だと思いますね。
127
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 10:32:16 ID:c7V5/apA0
清掃行為も「因縁解脱」で考えるとどうしても矛盾が出てきます。
まず、いい事をしているのは先の通りですが、ではそれだけをやっていて因縁解脱が出来るか?です。
これはどう見ても「出来るとは思えない」また、どのくらいどこまでやれば「因縁解脱」できるかも
わからない。善行は大事なことではあるが、善行だけで因縁解脱できるなら世の中で「ここまでやるか」
というまでやっている人はとっくに「涅槃」へ至るはずですし、釈尊自らも清掃活動を行ったりとか
しているはずです。善行をして因縁解脱できるぞ、などとは説いてませんのでそこを認識せねばアゴン
の方便から離れられません。
次に、護摩木判押しで見てみましょう。
この判押しは直接的なものはさほど意味がないです。なぜなら私はこれは一種の「事務作業」と見ているからです。
白木に朱墨にて各種の判を押し、護摩木を製作する事務的作業であり、生産活動であります。
まあ、アゴンの教学上、護摩木を製作することは仏様の教えを伝道・布教するための一環ですから、事務的・生産的
作業でありながらも、その行為をすることによって仏様から徳がいただける、と言うことで行いますよね。
これはどうみても方便です。釈尊は何かの補助作業のようなもので徳が得られるとか、解脱できると言うのは
説いてません。結局これも冷静に見れば「ただの奉仕活動」であり、教団に貢ぐ行為であり、片棒を担いでいる行為
に属するわけです。あまりいい言い方ではないですが、ダイレクトに見ればそうなります。
私は護摩木判押しをメインに行っていたので、こういう言い方をするのは自分の過去に反するのですが、冷静に見れば
そういうことです。護摩木を生産し、教団への資金調達の手助けをしていたのですから、恐ろしい。
全然そういう意識は無かったが、洗脳が解けるとこうも見方が変わるのは、やはりあります。
つまり、何も知らない私は過去にせっせせっせと教団の資金調達の手助けを一生懸命にやっていた、ということです。
では、如何に悪意が無く綺麗な心?で行動していたとしても、元をただせば教団に支援をしていたのですから
「悪」か、と言えば「言い切れないものがある」でしょう。悪というよりは「過失」に近いかもしれない。
でも、過失だから悪と変わりないじゃん、とみなされたら、信者もたまったものではなりません。
ならば、やはり私が申した結論に照らし合わせたほうがよくなってくると思うのです。
一辺倒の判断では危険すぎる、と言うことです。
そして、考えたいのがやはり「護摩木判押しで因縁解脱できるか」です。これも「そうだ」とは言いがたい。
あの事務的行為で「因縁が切れる」???到底思えないです。これで因縁が切れるなら誰も苦労はしない。
しかも、いつまでやればいいのか、皆目わからない。キリがないですし根拠も無い。
ただ、やれば仏様から徳というご褒美をもらえると「騙されているだけ」です。
ここを理解できないと死ぬまでやらないといけなくなってきます。
128
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 10:49:15 ID:c7V5/apA0
さて、今度は「生産」の方の判押しではなく、販売の方の「勧進」を見ましょう。
勧進は、人に購入を勧める行為です。色々な説明を以ってどなたかに購入してもらうのが主眼です。
この護摩木勧進は判押しと違って、ダイレクトに教団への資金調達になる行為です。
ですから、判押しよりは「悪の加担」としての行為度は濃いし高い。
でも、ほとんどの方が悪の教団の加担方法だと知って勧進することはまずありえない。
これもどう見ても教団への加担ではなく、教団の意図など知らないで行っていると見るほうが
正しいでしょう。でも、やはり如何様な考えであっても行為自体を見れば「悪への加担」には
見えるし捉えられなくも無い。
ですので、やはり私の結論区分が必須になって来ると思います。必ず悪とは言いがたい。
ただ、勧進の場合はここにまた違う要素が入ってきます。
どういうことか? 私は先ほどまで「悪」と連発してきましたが、それも100%いえない面も
有るのです。どういうことか?それは、布教もそうですが、もしこのアゴン宗というものを勧めて
そのことで幸せを得る場合の人がいた場合には、必ずしも悪と断定は出来かねる面がある、という
事です。
例えば護摩木で何か奇跡を得たとします。それは偶然なのでしょうが、まあ実際の現象として奇跡
の現象があったとします。それにはやはりそれに対してのその人に対するいい効果をもたらしたわけです。
そうなると、嘘も方便ではないですが、人を助けた善行にも成ると思うのです。
まあ、フラシーボーよろしくその行為だけで人を救うと言うことはできるものでは有りませんが、
世の中の宗教や何かがそういう効験をもたらして、人に良い影響を与えたと言うことは目にし、聞くことも
あるわけです。そういうのは数も%も少ないのですが、それゆえに全く100%悪だとも言い切れない面があります。
そうなると、判押しをした人の行為は無駄で悪か?と言うことは言いがたくなってくる。
勧進した方も悪か?と言いがたくなってくる。教団も世の中に全く益を出さなかった、というわけでもない。
そうなると、さあ、悪断定は完全と言えなくなってきます。
まあ、少なくとも教団や主催側は悪といえても、行為をした信者まで訴求できるかは難しい。
そこを私は案じたりしますね。なので、大きい外郭での「悪」はわかるが、訴求に成ると「さてどうか」と
考える次第なのであります。
129
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 11:09:11 ID:c7V5/apA0
重複しますが、布教も申しておきましょう。
これもほぼ勧進と同じです。自分が信じた・経験したアゴン宗を周りの人に教えて、信仰を勧める
のが「布教」なわけです。教団・教祖の本当の意図を知らずに信者はせっせと布教に邁進する。
これが現実です。まあ、一部別な思惑で布教する場合もあるようですが、基本的には真面目に
やった場合のみを指しています。
でも、そこには本当の釈尊の教法などは無く、偽仏教の片棒を担がされ、信じ込まされ騙されている
と言うのは気がついてないわけです。逆に気がついてないから「やれる」のです。
ただ、宗務とかの場合は別かもしれませんがね。信者の場合だけを考えるとそうなる。
すると悪いほうの面を考えれば、本当にとんでもない悪行をしていることに成る。
だが、それを知っててやるのと知らないでやるのとでは、全然違うのです。
で、私は思うのですが、知らないでやっても悪行為の部分は「不徳」となって積もるのだと思うんです。
逆に人から感謝されて「徳」の部分も積もって行くものだと思うんです。
この積み重ねがその人の人生の形成になってゆくのだと思うのです。
ゲイカを見てみるとそういうのが見えます。
例えば、ゲイカは井戸を掘ったり、学校を建てたりとかの行為も成されている。
まあ、それの原資は我々のお金なんだが、まあアゴン宗としての慈善行為として成されている。
ああいうのは、やはり徳の元種だと思うんです。ああいうのはゲイカにも徳の部分としてチョイス
されていると思う。勿論我々にも。
だが、ゲイカのやった詐欺行為は悪業としてチョイスされている。
だから、それが現世ででるか、どのくらい出るか、また来世移行にどのように・・・となってゆくでしょう。
こういう風に善悪入り混じって、あたわるものだと思います。
そして、何も知らない私が過去に積んだ「教壇への片棒」はどうなっているか皆目わからない。
だから、どの程度悪が積もったか、また善が積もったか、皆目わからない。
ただ、日々の暮らしや行為、そういったものが全て人生や運命に係わっているのはあるのではないか、
そう考えることがあります。
教団に属して無くても、例えば家族や知人に悪い行為をしたり迷惑をかけていたとしたら、それも「悪」
であり、その分の影響分はチョイスされています。
だから、なるべく悪いことはしない、迷惑をかけないようにして、善行を努めて行う、というのは
必須でしょう。ただ、帳消し論のような「因縁解脱」はやはり通用しないと私は思います。
ですから、深山さんの言われたことは私もわかるんですが、深山さんのように言い切ることは私としては
避けたいし、考えられない。ですが、深山さんの言うとおりの事は自覚を持ってアゴンの教学からは目を
覚まし、できるだけ離れる・辞めるのが正解なのです。
ですから、深山さんの論に反抗するわけではなくて、むしろ認めていながらも完全肯定するのではなく、
深山さんの言う恐れも十分有るから、できるだけ早く目を覚ましてアゴンの洗脳から離れることが先決で
あろうと結論付けるものであります。
130
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 11:20:36 ID:c7V5/apA0
で、青柿さんの言われたこと、なかなか鋭いなあと見ていたのですが、ここですね。
>悪影響が大きくても悪業まで大きいとは書いてないが。
何故、ここをぼかしたか、です。
つまり、今までの私の論で気が付かれたかと思いますが、どの程度積もれば悪業に成るか、と言うのは
我々凡夫にはわからないからです。
「無上塵々観妙法」ではないですが、この言葉のように善いことも悪いことも塵のようになって
我々に積もっている、蓄積されているのです。その要素がコアとなって人生を過ごす上でいい事や悪いことの
ランダムになっていると私は考えています。
もはやこうなると占いや運命説のようになって来ていますが、ここからが問題。
実は私は今までその運命をゲイカが申すとおり「変えられる」と言うのを信じてきました。
しかし、皆さんご承知の通り、批判側の皆さんから「釈尊はそういうのを説いてない」と言われ
驚愕したわけです。で、伺ったことを調べたらその通りであって、その究極が横変死だろうが不幸な
運命だろうが釈尊は「関係ない」とばかりに、別なことを示唆されている。
つまり、本当の涅槃へ入る、解脱するには運命を変える、などということを説いては居なかった。
運命など変えるほうに躍起になったり力を注ぐのではなく、煩悩解脱、つまり、もっと根本的にやる
行為の方が大事だぞ、と言う示唆が本当の釈尊の教法だと知って、目が覚めたのですね。
これを完全認識して、退会に至ったわけです。
131
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 11:45:31 ID:c7V5/apA0
因縁解脱はある意味魅力的なものを含んでいます。もしも、それが適うならこれは言うことがない。
病気もほとんどせず、不幸な目にも遭わない、ほぼ幸せな人生を送って、高度な修行を完成し涅槃へ
至れるのでしょうから、これはまさに究極の境地と言っても過言ではない。
でも、釈尊や弟子達を顧みると、さてそうではない。
私もある種の違和感を感じていた。仏教の開祖釈尊が解脱者であることは間違いないのだが、
では何で解脱者で完成者であるお方が、食あたりで亡くなったのか。
弟子達も有余得涅槃でありながら、横変死した人も居るのか。
アゴン宗、いやゲイカの言ったこととつじつまが合わなくなってくる。
だが、因縁解脱や運命を変える、と言うことが眼中に無い、いや扱っても居ない、というのが
わかれば、釈尊も弟子達もどのような亡くなり方や運命であっても成仏陀出来ることに異論は
無い。ああ、だから釈尊は運命論のようなものは説かないのか、と納得できたんです。
横変死を見てみれば、それは過去の罪行か悪行のツケを払わされたのかもしれない。
でも、それを何か、例えば多くの善行で相殺できるのであれば、おそらく弟子達もそれを
やって消すことが出来たでしょう。もしくはやったのかもしれない。
でも、そういうことなど無いし、やっていない。
それよりも大事なのは、如何に自分が悟りを開き解脱するか、が肝要だと判っていたのでそれを
修行し、会得された。だから、最後に横変死しようが何であろうが「関係ない」のです。
これはかなり大変なことです。
だって、病気で亡くなっても、横変死でも死はそれ相当にきついはずです。
老衰で静かに亡くなる方の方がやはりどうみても楽だし、イイと思う。
だが、仮に静かに亡くなる亡くなり方であっても、煩悩を滅尽してない未解脱で
あれば、また転生してこなければいけない。運命云々よりも解脱してしまうほうが
肝心なのだぞ、というのがちゃんと釈尊も弟子達もわかっていたと言うことです。
これはまさに究極の状態です。
それの構図がわかったから、私はアゴンに依らなくなったのです。
運命をいいほうに変えれるのは確かに今でも「魅力的だ」とは思いますよ。
でも、出来かねるものを追い求めるよりは、心身解脱の方が肝要だと思います。
如何に運命が悪くとも、まあ極端な例えですが貧乏であってホームレスになって餓死
したとしても、解脱できるならその方がいい。私の目標は涅槃入りですからね。
だから、批判側に意見に賛同できたのかもしれません。
アゴンの梵行の定義も間違っているし、方便によるものが多い。偽仏教ですから講じても
さほど効かない。自己満足か自己陶酔しか得られないんです。そこが残念です。
運命も変えれて解脱(入涅槃)も出来るのなら、これは釈尊を超えた宗教です。
可能なら私も鞍替えしますよ。でも、それは誰も果たせてない。無いのです。
ですから、梵行もそうですが、アゴンの修行法という名称のつくものでは因縁解脱など無理で、
尚且つ運命を変えることも「ままならない」と考えます。
アゴンの修行法というのは名称だけであって、修行法としては機能してないものです。
単なる信者をコントロールして従がわせるための方便であります。
132
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 12:06:32 ID:c7V5/apA0
で、悪業ですがこういうことを私は思っています。
ヒトラーやスターリンなどやあの方々のような位置の方は結構悪業になっているかな、と思うのです。
大量な殺人を戦争で以って起こしているのですから、これは一世二世ぐらいの転生で補いきれるか?
わからないほどの重さと思います。
で、逆に巷の私達であってその歴史的人物と比較すると、彼らほどの悪業は起こしてないと思う。
だが、これがまた会社か企業でもいい、大勢の人間を殺傷しなくても酷い目にあわせたとか、
そういうことを行っていたら、これも歴史的人物程まで行かなくてもある種の悪業まで行くのかも
知れない。
また、夫婦だとして奥さんをかなり虐げたとかそういうのも悪業に成るかもしれない。
最近では児童虐待やそういうのも有るでしょう?それだって考えられる。
どこからどこまでがと言うことが言い切れないんです。なので、ぼかしたのです。言明を避けたのです。
製薬会社で「これ、ちょっとやばいんじゃない」と思っても上の命令だからやったら、薬害で
多くの人に多大な迷惑をかけた、と言うのも悪業になりうる要素とも思えます。
また、保健所で「と殺」の係の方もさて、どうなるか・・・。
漁師だって沢山の魚介類の殺生をしている。ハンターもそう。
なので、塵のように善も悪も、と言うのが私には有ったりします。
長くなりましたが、これでもはしょって書いたのですが、長いでしょう?(笑)
そういうことです。(本当はまだあるんです)
ですから、私も梵行で何らかの改善ができると言うのは試みましたが無理でしたね。
やはり、釈尊の教法の講じによって解脱するほうがいいかと思います。
133
:
ガンダルヴァ
:2009/12/28(月) 12:20:42 ID:0OtCmo0M0
65です。因縁解脱の考察ということで少し。
134
:
ガンダルヴァ
:2009/12/28(月) 12:21:10 ID:0OtCmo0M0
ゲイカの言う因縁解脱法は、
1.仏陀・如来の加護(加持力)により解脱力・成仏力を得る
2.戒行によって因縁は切れるが、それは困難なので仏陀・如来の加護が必要
3.仏陀・如来の加護を得るために布施(供養行)に励む
4.布施(供養行)に励むことで解脱できるのは三供養品が証明している
5.だから布施(供養行)に励みなさい
といった構成として理解もできます。迷著・座右宝鑑をご覧になれば
上記の内容を読みとれます。
しかし1〜5が全てデタラメ。
まず、1番目からのいきなりですが、如来の加護(加持力)。
如来の加護(加持力)などあり得ません。
これは如来とコンタクトなどできないからです。
長部経典・梵網経に書いてあります。梵網経には
「かれ(如来)の身体が存続しているあいだは、天人も人もそれを見る。
身体が滅んで命が終わったあと、天人も人も見ることはできない」
と。
カッコ内は補足しましたが、如来は生きている間は、天(神)も人も
見ることができる。しかし亡くなった後は誰も見ることはできないと
はっきりと述べられています。
これは何故かといえば、同経典に「比丘たちよ、如来の身体は生存
へ導くものを切断している」からだといいます。
「見ることはできない」とは、視覚で見ることはできないという
直接の意味ではなく、「生存へ導くものを切断している」わけなので、
死後、誰も如来を見ることも、会うことも、コンタクトもできないという
わけです。
135
:
ガンダルヴァ
:2009/12/28(月) 12:21:40 ID:0OtCmo0M0
だから、「如来の加持力」などあるわけがないのです。また「仏さま
からの御霊嗣」もありえないのです。
もしも本人が「仏から御霊嗣をいただいた」というなら、それは錯覚
妄想か、あるいはホトケを語る霊のささやきになるのでしょう。
仏陀・如来の加持が得られないとすれば、上記の2〜5の全てが必然的に
成り立たなくなります。崩壊です。
アゴンで行う積徳が、単なる積徳行でないのは、如来の加持が得られる
からですね。仏さまの御心にかない喜ばれるから、仏さまは加持力・解脱力を
与えてくれるわけです。
しかし如来とコンタクトできないことが明らかなので、如来の加持力、
加護もありえないわけです。
三福道もそうです。供養によって解脱の徳を仏さまから頂戴するなど
ありえないのです。経典の解釈もそうですが、そもそも如来とコンタクト
できないので、ゲイカの解釈はありえません。
これらの考察からも、因縁解脱が理論的に成立しない思想なわけですね。
136
:
ガンダルヴァ
:2009/12/28(月) 12:22:08 ID:0OtCmo0M0
さらに、縁起の法は、十二因縁に代表されるように生・滅の存在の原理
を説いたわけで、これは桐山ゲイカも「すべてのものの存在の原理(座右宝鑑p16)」
としています。
釈尊は、縁起であるが故に無常で、無常であるから無我であり苦で
あるので、とらわれることなく煩悩を滅して八正道を実践し、
涅槃(解脱)に至ることを四諦で説いておられます。
しかしゲイカは、ここからが違ってくるわけで、縁起によって
生来生まれもった要因(運命要素)を「因縁」とし、無常である
から(変化するから)変えることができるとし、そのゴールが
因縁解脱としているわけです。しかもその因縁解脱を涅槃と同義
にしている。
ここまで来れば、ゲイカの解釈は仏教でないことは明らかであり、
因縁解脱が破綻し、仏教としても成立していないことは明白なのですね。
137
:
ガンダルヴァ
:2009/12/28(月) 12:29:14 ID:0OtCmo0M0
端的にいえば、本尊から力をいただくことはあり得ないということです。
その点、大乗仏教は、菩薩・明王・神を建てて、加護を願っていますね。
大乗仏教のほうがまだ理屈は通っています。
138
:
ガンダルヴァ
:2009/12/28(月) 12:30:06 ID:0OtCmo0M0
菩薩・明王・天
でした
139
:
ガンダルヴァ
:2009/12/28(月) 12:38:03 ID:0OtCmo0M0
ミラクルの池での王者の相承もありえませんね。
これなども妄想か病変でしょう。
仏陀が亡くなった後、誰もコンタクトできないわけですから。
「あなたはここで待っていた!」など、疑問符だらけになります。
140
:
神人同行
:2009/12/28(月) 15:42:19 ID:nE9k0i7.0
近頃。2チャンで私文書さんのレスがない。
過去レスの紹介者がそうなら心配無いのですが、
違うならご病気でもかと心配です。
デモお忙しいと思う事にしましょう。
141
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 15:52:31 ID:c7V5/apA0
ガンダルヴァ(旧65)さん、投稿ありがとうございます。
因縁解脱を見るならば、ガンダルヴァさんのように見るのが正しいですね。
私はどちらかと言うと運命解脱の方に寄っている考え方ですね。
ただ、アゴンに付随して語るために因縁解脱を発していました。ですが、因縁解脱よりも
運命解脱を出したほうが適切でしたね。
でも、ご意見拝読して、如来とのコンタクトがありえない、とわかったらもうアゴンは崩壊です。
理論が成り立たない。
でも、アゴンはここを強気で言うのです。密教の様式を以って講じている、と。
屁理屈そのものなんですが、それを出してくるわけです。
密教は様々な諸尊を仰ぎますから、如来とも菩薩とも、もうとにかく何でもコンタクトできるんだ、
というでしょうね。でも、方便。そんなのは空想・妄想・観念の世界です。
また、ゲイカは非常にずるい。アーガマを用いればボロが出るわけです。
占いも護摩も禁止、とわかっているのです。だから、数個の問題ないアーガマや原始経典は出さない。
で、突っ込まれても「答えない」これが一番の防御策です。
下手に答えたら、後ろに手が回るからです。
因縁解脱は運命解脱と似ています。近しいと言ってもいい。厳密に言えば違いますけどね。
でも、ゲイカの申す「因縁の種類」は「運命の星」であり、人生・運命に関することです。
悪い運命の星を消す(滅す)と言うことですから、もはや仏教ではない。
釈尊は運命の星を滅すとか、運命を改造(変える)すると言うことは言われて無いし、示唆されて無い。
後世の人間が感じたり、作り出したり、占いや実際に人の生き様を見て運命と言うのを感じてそれを
どうにかしたい。偉大なるお釈迦様ならできるかもしれない、と思ったのかもしれません。
ともかく、釈尊が言っても居ないことを個人的に望むのはわかりますが、仏教に見出してもそれは無理
と言うものだと私は思います。
142
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 15:54:47 ID:c7V5/apA0
>>140
神人同行さん、確かに。でも、以前もそうですがしばらく出てこないこともありましたから、
大丈夫だと思いますよ。もしくはアク禁に巻き込まれたかw
来年2月になっても出てこないなら、少々気になりますが・・・。
143
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 15:57:20 ID:c7V5/apA0
あらら、自分の投稿、文章書き間違えた。訂正します。
だから、数個の問題ないアーガマや原始経典は出さない、ではなくて
だから、数個の問題ないアーガマなどを出して、都合の悪いアーガマや原始経典
は出さない
に訂正です。すみません。
144
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 16:09:18 ID:c7V5/apA0
ガンダルヴァさんの言うことを準じて考えてもこういうことが考えられます。
私達は何故仏様に供養せしめるのか?それは因縁解脱するために必要な力や徳を
頂くために、供養をするわけです。
まあ、こんなところでゲイカの言葉を出したくないが、説明上必要なので出しますが
「供養」というのは「供えて自らの養いにする」ということを申されています。
つまり、表面上「仏様のために」というが本当は「自分のために」になるのだよ、
と言う説明ですね。仏様に供養したものが自分に返ってきて自分の養いに成る。
つまりは仏様が供養を受けて、それを信者に返してくれるんだ、といいますが、
ガンダルヴァさんの出された
>>134
の意見にありますように、如来とのコンタクト
が出来ないのならば、供養する存在も、またその供養に応える事すら適わない。
すると、どうなるのか?梵行で見たならば「教団に貢いで終わり」と言う結末に
成るのです。ですから、深山さんが申されたことは正しいのです。
梵行で何か改善とか、また信者が頑張ったとしてもそれは虚しく、教団へと貢いで
居る結果になっているのです。
次は実際的に梵行を自分なりにやった際の事を含めて、書いてみましょう。
145
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 16:37:23 ID:c7V5/apA0
梵行は私も昔は「修行法」と言うのだから、何か効果や意味があるかと信じた上で考察しました。
ところが、結論としては「さほど効果が無い」と言う結論になりました。
私の一番感じて梵行をやろうとなったのは、こういう経緯があったからです。
当時、私は仕事とその職場の人間関係がよくなくて、いつでも辞めたいと言うような状況でした。
ですが、給料もそこそこもらっていたので、安易に辞めるわけには行きません。
なので、物凄い葛藤が自分にはあったのです。
ですが、その何とか葛藤を消すために、「これはアゴンでなんとかしたい」というのがあり、
休憩時間に道場に赴き、解決に試みました。
しかし、道場に居るときはいいのですが、会社(職場)に戻るとまた元の木阿弥です。
色々講じた結果、梵行で精神を落ち着ける、という作用はあります。でも、結局は自分が
心を変えるとか、何らかの変化が無ければ無理でした。
休憩時間だろうが、休みの日に道場へ来て道場と言う「隔離された環境」に来ている間だけ
しか癒されてないのです。これでは根本の解決になってません。
確かに私も判押しメインでしたから、判押しをすると心も落ち着きます。
ですが、その効果だけで後は別段何もありません。
また、チラシ折りや会報の準備手伝い、例祭に配る配布物の整理・準備など内務的なものも
やりましたが、同様です。
清掃や食事を作る梵行も行いました。それらも、やはり同様です。
私は個人的な性格上、チラシ配布や水子托鉢、一軒一軒歩いての護摩木勧進、街頭護摩木勧進は
苦手です。また、全然楽しくない。
そういうのを無理やりすると、拒絶反応が出ます。
そうかと思うと、逆に内務的なこと、チラシ折りや判押しが「嫌だ」と言う方も居ます。
まあ、少ない中にもそういうような事項を色々と見せてもらいました。
で、皆さんはそういう梵行をおやりになって何かありましたでしょうか?
因縁が切れたとかそういうのを経験・実証されましたでしょうか?
少なくとも私の知る範囲では、見かけませんね。自分も含めて。
精神的なもの、また法友が居るわけですから、連帯感・一体感みたいのが感じたり、という
のはあるでしょうが、何か劇的な変化や、因縁解脱できたとか、運命が変わったとかあります
でしょうか?
思い返してみると意外と「ないんです」これが。
そりゃあ、何年もやらないと出ませんよ、と言われることもありますが、では先達で20年を
超えて修行をされている方を見ても「何も無い」のは何故なのでしょう。
その方たちが「私はこのように変わった」というのを実際見てませんから、信じられません。
道場運営を長年やって、道場の中心人物でありながら、別段以前と変わらず平穏な暮らしを
しています。やはり、恵まれた方は恵まれているのだな、という感じです。
私も自分が苦しみを感じてそれからの脱出を考え、色々試みたし人にも薦めてみた。
だが、結果は「ほとんど報われない」と言う結果です。
特に精神的な疾患や障害を持っている?と思われる方は効果はほとんど無い。
抑圧が強くて、普通の生活をようやくやれるかどうか、と言う人も居ます。
それが霊的なものだ、と言うから解脱をかけても治らないようです。
病院へ行ってもさほど治らない。解脱もそんなに掛けてられない。道場に来て梵行するが、
いつも浮かない顔をしている。
梵行では運命も変えれない。因縁解脱も果たせないと言うのを目で見てきています。
だからしたらばでは私が準さんへ「何も無い」と言うのがそこなのです。
146
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 16:48:31 ID:c7V5/apA0
で、あまりにも何も無いのを見て「これはおかしい」と考えました。
そこからです。したらばで申した「本尊に怒った」「ゲイカに怒った」というのが
そこなのです。まあ、私の愚行なのですけどね。
で、本尊から反応がないから、「あれ?」と思った。当然です。
ガンダルヴァさんが申したことが真実だからです。居ない本尊に問いただしても
反応などあるはずが無い。
で、その次にゲイカに怒りを向けた。このように道場が閑散とし、いつ閉鎖になるかわからない
状態や、会員の苦しんでいる姿を見て、憤ったのです。
例祭を見れば「会員は増えたか」「活動をしているのか」と言うことばかり。
ふざけるな、と思いましたよ。きさまは会社の社長か、と。
梵行は修行法という名前ばかりで、中身はただの奉仕を会員にさせるための手段です。
結局、行ったって行った人が精神的に満足や癒される程度のもので、それすら得られない人も居ます。
ですから、せいぜい自己満足の域を出ない、と言うことです。
まして、因縁解脱も出来ない、運命も変わらない。だからいくらやってもいつまでやっても
「何も無い」のです。
だから、過去に私も梵行で「何か得るものや改善できるものがあるかも」と考察・検証して
みましたが「ありませんでした」
また、アゴン宗は仏教教団と名乗っております。しかも正統で原始仏教だと。
ですが、中身を見れば全然嘘ばかりです。
これで運命を変えるとか因縁が切れたら不思議としかいえないですね。
147
:
ガンダルヴァ
:2009/12/28(月) 20:47:33 ID:0OtCmo0M0
スレの流れは読まず、因縁解脱について書いてしまいました。
>>134-139
は天照さんへの言及についてではなく、一修行者さんに
書こうと思っていたことでした。
ですが、わざわざ踏まえて言及もしていただいて恐縮です。
因縁解脱、あるいは運命転換にしても、いくつかの切り口から
おかしさを指摘できると思います。
しかし、一修行者さんには、あのまま引き続いて持論を述べて
いただきたかったですね。
148
:
孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE
:2009/12/28(月) 21:53:20 ID:pvrGjTuw0
>>129
やっぱこのレスがまとめと言っていいでしょうね。
「で、私は思うのですが、知らないでやっても悪行為の部分は「不徳」となって積もるのだと思うんです。
中略
例えば、ゲイカは井戸を掘ったり、学校を建てたりとかの行為も成されている。
まあ、それの原資は我々のお金なんだが、まあアゴン宗としての慈善行為として成されている。
ああいうのは、やはり徳の元種だと思うんです。
中略
だが、ゲイカのやった詐欺行為は悪業としてチョイスされている。
だから、それが現世ででるか、どのくらい出るか、また来世移行にどのように・・・となってゆくでしょう。
こういう風に善悪入り混じって、あたわるものだと思います。」
特に最後の一行が129のレスの中心であると言える。
で、上記を基準に掃除を考えると
参拝者の衛生を保つのは善、しかし霊感商法のアジトであるから悪、善悪入り混じって(しかし相殺はしない)どっちかと言うと悪のほうが多い。
護摩木ハン押しは悪しかない。折鶴も悪しかない。勧進にいたっては大悪。
清掃なら街頭清掃のほうが悪が少ないでしょうね。宣伝の部分だけは悪だけどほとんどが善の部分で構成されている。
ゲイカの慈善も善だけど、その資金は信者を不幸にしてなかには死んだものも多いから、善が少し、悪が巨大。
こういうことでよろしいですよね。
>>145
>色々講じた結果、梵行で精神を落ち着ける、という作用はあります。
>確かに私も判押しメインでしたから、判押しをすると心も落ち着きます。
ぎゃははw んなわけねえだろ〜w
>私は個人的な性格上、チラシ配布や水子托鉢、一軒一軒歩いての護摩木勧進、街頭護摩木勧進は
>苦手です。また、全然楽しくない。そういうのを無理やりすると、拒絶反応が出ます。
正常な反応ですね。
149
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 22:43:02 ID:c7V5/apA0
>>148
善悪の判断や比率は皆さんの想像にお任せします。私の比率はまた違いますし、
仮に述べてもまたその方その方によって違うでしょうから。
申したかったのはやはり、
① 一口に善だ悪だは言いがたい・区別できかねる
② 梵行が機能してないことが考えられる
③ 深山さんの言われたことの大筋の肯定
ですね。
そして、判押しの事がありますが、これも詳しく言わないとまずかったですね。
今日はもう疲れたので、明日説明したいと思います。
なぜ、私が「心も落ち着きます」と申したか、を。
150
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/28(月) 22:45:27 ID:c7V5/apA0
>>147
いえいえ、とても私も勉強になり、お目めがパッチリしました。
目が覚めるような素晴らしい意見です。しかも無駄が無い。素晴らしい。
一さんも意見をどんどん出されると嬉しいですね。
私も後日、一さんが参加してくれることを望んでいます。
151
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/29(火) 10:49:11 ID:bwFr2JgE0
判押しの事を語る前に前置きを。
アゴンでの梵行は人それぞれに考えがあるように、全て適合するというものではないと
私は思います。前にも述べたように私の場合は外に向けての単独でやる行為が苦手です。
逆に妻はその方が適してました。特にチラシ撒きなどは全然苦にならないと言います。
ところが私は嫌で苦痛で本当に難儀になりながらやりました。
ですから、私には世間の仕事で言えば、新聞配達や宅配便的なものはあわないんでしょうね。
本題ですが、実は私も入行して間もなく判押しを知りました。
で、実際やったのですが、これが全然楽しくない。コツも覚えてないし、面倒だし、
へたすりゃ服まで汚れる。何だ、こんなのが徳を積む修行?と思ってました。
それから10数年も判押しをする方を多少軽蔑した見方をしてましたね。
それがなぜ、変わったか。それは内容にもよるのかと思います。
まず、基本的には判押しするときは「真心こめて無言でやるべし」なので、とても
気持ちが持たない。辛くなってくるんです。なんで黙々とやってて楽しいのか。
また、コツも知らないと楽しくないのもあるでしょう。
で、私が一番変わった・好きになった理由は今から12・3年前ですかね、道場に行って
判押しをしている老人をみたんです。一人で黙々とゆっくりと行っていた。
最初は「よくやるよな。あんなつまらない作業を」と思っていました。
ところが別な日に行っても、その方が居たのです。で、一人でやっておられた。
それをみて何だかかわいそうになったんですね。
ほとんど信者の居ない寂れた道場で、ぽつんと一人でやっておられた。
それで、私もお手伝いをさせていただこう、が始まりだったんです。
そして、その老人は受け入れてくれました。間もなく開始したら老人から語りかけて
来るのです。私もそれに応じて作業を行いながら会話をしていました。
お互い初めて接して判押しを行うわけですから、お互いの様子を話し、私は思うところあって
休憩時間に来ている。老人は定年退職されて時間があるので来ている、と言うのです。
そんなお互いの状態の話から、教学の話、またその老人は若いころ寺にいた時期があるので、
小僧時代の話などもしてくれました。そういう会話が楽しく、またコツも覚えさせていただい
たので、話をしながらでも100や200の護摩木はすぐに出来ました。
そういう楽しさが判押しの嫌な面を消してくれたのでした。だから楽しく出来たのです。
152
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/29(火) 10:49:34 ID:bwFr2JgE0
ただ、問題はその行い方です。しゃべくりながらやるのは宗内ではご法度です。
特に私の居る地区は多少多めにみてくれていますが、他の地区だと激怒されます。
「そんな心の入らないしゃべくり判押しした護摩木など効果が無くなる」と物凄い剣幕で
怒られ、やらなくてもいい、いや、やるな、と怒られるそうです。
また、私達も時々注意されては居ました。
でも、その老人曰く「畜生話をしているわけではない。法の話や教えの話をしている。
全くこいつらはわかってない」と言っていました。
確かにそうで人の悪口とか、修行に関係ない世俗の話はしてないのです。
伝法の話などとかそういう学びの話をしていたので、とても勉強になったし楽しかった。
でも、やはり周りから見たらふざけているように見えるんでしょう。
で、例祭などがある日曜日は宗務職員とかが大きい道場に出向しますので、その時は
無礼講になります。注意されないで済みますから、もう開放的な自由空間です。
その老人を中心にして、占いやら法の話やらをしながら、ゆったりとした気分で判押しや
チラシ折り、時にはお茶タイムをして心温まるふれあいをしたものです。
こういうのを私は全国の道場に広めたかったですね。
ですので、そういう経緯が合ったので私は判押しが昔は嫌いだったのを好きになりました。
また、コツを覚えたので30分くらいで100本は押せます。(裏表両方)
別院は「タート」があるので、もっと早くできるでしょう。朱墨でその速度ですから
自分で言うのもなんですが早いほうだと思います。
で、早いだけでなく正確に綺麗に行う。これが肝心です。
変な護摩木ならはじかれるし、後で「しゃべりながらやるからそうなんだ」と批難されますから
言われたくないし、自分も仕事と会話は別、と思っていますから、会話をしながらでも
やってみせる、という意地もありましたから、そこはちゃんとやった。
一部では「よくしゃべりながら早く正確に大量に押せるものだ」と呆れられていましたねw
もう、アゴンでは職人域?に入ったかな?と思っていたりします。
ただ、教団の方針に一部背いている(会話しながらの判押し)ですから、良くないかなとは思います。
梵行の合う合わない、得意不得意有ると思います。実際に私がそうでしたから。
だから、青柿さんと私がもし同じ道場で楽しく会話しながら判押しをしたらきっと考え方や感じ方も
変わったのではないかな?と思いますね。
ただ、実際に会話しながらだと判が曲がったり、正しく押せない、と言う方も居ますから、
そういう場合は会話しながらの判押しは出来ませんが、チラシ折りしながらだとそれは可能です。
そういう風に工夫してやれば、梵行も楽しく出来る、と言うのもあります。
梵行が苦痛であれば、やりたくないし進まないと思いますね。
153
:
干柿
:2009/12/30(水) 01:48:51 ID:lkFlk2ZA0
善行として心の糧になっているかということが問題
阿含宗という真実の仏教と思っていたものが実はトンでもないモノだった!
だから梵行はすべて悪行なのだ、だから信者時代の梵行は悪業を積んだことになる
というのが青柿君の言いたいことなのでしょう。
ただどうでしょうかね。公共的な奉仕とかは(道場の便所掃除も含む)たとえ
阿含宗の名で行ったとしても各自の修行者の心のあり方が問題だと思うのですが?
天照さんの護摩木判押しの話にあるように人とのつながりや行に没頭することによる
集中力などためになること得ることもあったのは、やはり個人の心構えの問題が大きいと思います。
154
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/30(水) 08:25:02 ID:bwFr2JgE0
善行としての心の糧、もそうですが、アゴンでの行為自体(梵行)を全て悪か、と思っているみたい
なので、私も思うところを含めて書きました。
極端な例を申せば、サリンや9・11テロのように教団の本意など知らずに凶行を行うならば、
如何に本人が「悪気・悪意がない」としても許される行為ではないでしょう。
また、それほどのものだとカルマにまで及ぶ可能性が考えられる。
しかし、アゴンの梵行はそこまで悪質なものではないから、「悪」とみなくてもいいんじゃない?
が私の考えです。折鶴まで悪なら、もう世の中何も出来ないし、アゴンから去る以外に良い方法は
無いといえます。
善か否か、また心の糧になったか否か、は個人の心構えとか把握・判断でいいエリアじゃないか、
と私は思います。
例えば、私が知り合いでもいいです。良くアゴンのようなところで人様に迷惑をかけたな、と
言われたとします。でも、私はさほど思わない。私に悪意など皆無だからです。
また、人を殺したり、物凄い損失なは与えてない。
また、これも例えなのだが、TVなど通販があるが、それで健康器具や食品を販売しているのがあるが、
これが全然効果が無いものだとします。すると、それを販売するに当たって係わったTV会社や、広告
会社、また事務員や発送業者もみな「悪」だということに成る。詐欺なわけですからこれは「悪」だ。
効果が無いことを関係者が認識しようがしまいが、世の中や他人に影響を与えたのだから、絶対悪だ、
となれば、係わった人は皆か片棒を担いだ、とならないか?です。
そんなことを言ったら、世の中にどれだけ真っ向な真実行為だけをして、不徳をつまないでいる人がいるか。
キリが無いし、世の中の行為全てに責任を負いきれないですよ。折り紙さえ折れないでしょう?
掃除も出来ない、冗談さえも言えないでしょう?そうなってくる。
確かにアゴンはトンデモなかった。でも、だからと言って全てが悪か、また悪の加担を私達はしてて、
私達も悪なのか、梵行が悪だったのか、というのは行き過ぎ・考えすぎであろうと。
ただ、「全くの善行」とも言い切れない。私の中ではせいぜい清掃とか折鶴製作とか食事製作、道場での
作務とかはほとんどセーフだが、判押しや勧進、布教などはどの程度かわからないが多少の不徳は有るかも?
とは思います。
155
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/30(水) 08:40:30 ID:bwFr2JgE0
私は一さんだけでなく、仲たがいした法友とも「功過格」の事で会話したことがあります。
というか、順序は法友のほうが先で現在からは3〜4年前ですか。私はその法友から功過格
の話を聞いて初めて知ったのです。アゴンにいながら疎かったのです。
そして、その方から「池田氏」のHPを教えてもらい、その時に初めてみました。
私には合いませんでしたが。
確かに功過格をみた印象は「凄いしここまでやれたら凄いでしょう」と思った。
いい指針であることは理解できた。しかし、それで因縁解脱できるのか?と思った。
なぜなら、アゴンには成仏法があるのだから、それによって因縁解脱できても、功過格では
適わない、と思ってたのです。
功過格をバカに、また下に見ているのではありません。あれはどちらかというと無宗教の人が
やったら効果が出そうかも?と自分には思えたのです。当時バリバリの洗脳信者wだった
自分でも、そう思っていた。成仏法の実践が出来るのだから、功過格まで追う必要は無い、と。
また、実際ゲイカも「修行法」として取り入れては居ない。そこにポイントを置いていたのです。
法友は私の論に少々違和感を感じていたようですが、まあそこは喧嘩などせず、お互い功過格を
やりたければやればいいかも、という結論に至り、私は「やらない」、法友は「やる」という感じに
なっていたものです。
功過格は道徳の高度な版、という感じに私は感じました。多分アゴンを知らなかったら私も傾倒した
可能性は有ります。でも、私にはアゴンの修行法を重んじてましたので、さほど興味が無かった。
必要ならばゲイカも出してくるだろう、と思ってましたが、私の入行してからは一切言われてない
ので気がつかなかったし、また著書に書かれていたのも見逃していた。だから知らなかった。
また、後で実際に知っても「心が動かなかった」のです。
156
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/30(水) 08:52:25 ID:bwFr2JgE0
ですが、法友の考えもわかります。
アゴンの修行法を行って、尚且つ功過格の実践をするならば、効果は倍増だし、言うことがない。
私もそこはわかります。そうだろうと思う。指針なのだからそれに則せば申し分ない、というのは
わかるんです。でも、なぜか「心が動かない」のです。
自分でも異様だと思うんです。あれだけ「良いもの」をみたら「自分もやろう!」と成るのが
私の性格には有るんです。ところがほとんど反応がない。今でも不思議です。
何でこんなに醒めているんだろう、と自分でも思います。
まあ醒めている理由は一生かかって考えるとして、例えば功過格の実践を強く打ち出さない
ゲイカはなぜだろうか?などと私は考えたりします。
袁了凡の陰隲録を出して、ジュンテイ如来の功徳までゲイカも言ってたらしいが、ではなぜ
仏教と違うのだから番外でもいいから、功過格を信者にもやらせなかったのか、それが皆目
わからないのです。
結局、功過格は信者が「やりたければやってもいいよ」という感じだったのだろう、と思っています。
だから、私も重んじ無かったのかな?と思っています。
157
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/30(水) 09:05:27 ID:bwFr2JgE0
ただ、アゴンの修行法というもの、成仏法というものが偽物であって本当の釈尊の教法ではない。
しかも、因縁解脱も嘘であり、達成できない、となれば、アゴンを講じる意味は無い。
そうなると残るのは功過格だけに成る。そうすると無宗教でいいから功過格だけを講じる人と
何ら変わりがなくなってくる、とみています。
確かに袁了凡は功過格の実践で運命がガラリと変わった経験をしたようですが、それがさて、
万人に通用するかどうかはわからないと思います。
私は袁了凡の説明を見ていると、あの方は特別なような劇的変化をしていて、ちょっと普通じゃないな
と思います。あそこまで変われるのなら私も期待しますが、実際的には無理と思われます。
また、あれほど運命が変わるのであれば、釈尊も何らかの方法で運命解脱を示唆しているはずです。
そう私は考えます。
巷の人でも、またTVでは芸能人も「劇的な運命の変化」というのを経験した方がいるようですが、
功過格を講じなくても運命が変化することは有るようですし、運命自体というのを見るときに
一概に「こうしたから必ず変化する」というのは限定しがたい、と思います。
積徳は勿論あったほうがいいですが、それだけでアゴンにみられる「帳消し論」や「相殺論」の
ようなものはさてどうなのか、というのは今はありますね。
そういう善悪帳消し、であれば功過格は重んじるべきであり、必須になってくる。
私は功過格は完成度が高いとは思っています。ですが、あれだけではさてどうか、と思うし、また
世の中自体が「帳消し」で収まるのかどうか、というのも案じたりします。
158
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/30(水) 09:44:27 ID:u2KoaY9o0
間違った・・・訂正を。
世の中自体が「帳消し」で収まるのかどうか=X
世の中をみても「帳消し」で収まるのかどうか=○
でした。
159
:
孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE
:2009/12/30(水) 21:13:33 ID:pvrGjTuw0
天照さんのように微々たる悪をことさら悪だと断定しなくていいんじゃないというのは分かるんですが
干柿さんのように心構えで善にしてしまうのはマズイんじゃないですかw
主犯じゃないし悪意ないから重大な悪じゃないんだけど、善でした、はちょっとずうずうしい。ぎゃはは
ハン押しの体験談聞いて安心しました。自分も同様でした。ボンギョ自体が楽しかったら変人ですからね。
160
:
孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE
:2009/12/30(水) 21:40:54 ID:pvrGjTuw0
暴走族に入って騒音とか交通マナーとかが悪くても、抗争とかで人を傷つけたわけじゃないし
少々悪業であってもそんなに重大な悪じゃないというなら分かります。
しかし、もし暴走族といっしょにするな、という反論がもし出たらちょっと問題ですね。そういう人はもう少し罪の意識を持ったほうがいいと思います。
そのくらいのことはやっている。善意でやったといっても。
善意を利用して悪業を積ませた。だからこそ批判なのですよね。
161
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/30(水) 21:57:34 ID:u2KoaY9o0
思い起こせば、梵行に憂いていた人は多かったのかと思います。
自分はサービス業に長年いたので、昔は道場に頻繁に来れませんでした。
なので、中の様子はあまりわかりませんでしたが、ここ近年はサービス業から
離れましたので、以前より触れる機会が多くなり、様子も伺えましたね。
精神的な悩みを抱えた人もいて、そういう人に梵行でケアしようという方向は
効いてないようでしたね。やはり、そこは素人の集まりですね。宗教で片を
付けようとしてしまう。そこに私も異議を感じていました。
特にパニック障害の信徒がある日来ていました。やはり、もうすぐ見ただけで
おかしいとわかる状態です。かわいそうだと思いましたね。
こういう方をどうして治して差し上げることができないのかと憤っていました。
まあ、インチキ教団だから出来るはずも無いのですが。
解脱供養と勤行と梵行。あと病院へ行って治らなければ手の尽くしようがない、
で終わりが現実ですから、アゴンに失望するのは有ると思います。
そのパニック障害の信徒は自分が居たときはまだ来ていましたが、今はどうなのか。
少々案じたりもしています。
162
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/30(水) 22:15:35 ID:u2KoaY9o0
>>160
そうです。そこはしっかりおさえないといけないと思います。
私達はアゴンが「悪」だと知っていてやってたなら、そこにはこちら側にも問題がある。
しかし、基本的にというか、大半は教団の言うことが真実と信じ、各種の行為を行うわけです。
つまり、行わせる側の方が自分たちの行為の内容を知っていて信者にそれを行わせるのは
絶対にイイことではない。意識の問題というのはここにも掛かってくると思います。
例えば宗務局員でたまに「良くない」方がいます。アゴンの裏側を知っていて自分たちが信者に
どういうことをさせているか、また日々方便を使っているのを知っててやっている人がいるのを
私も1・2人知っています。私はあまり内部に詳しくないが、詳しい人なら「もっと居るぞ」と
出せるかも知れません。
こういうように教団の「良くない」のを知っていて生活や立場を崩せないゆえに未だに方便を
使っている職員も居るのだから、その人の罪は重いかもしれない。少なくとも教団を信じて
真面目に汗を流した人とは一緒に出来ないはずです。知らないでやっていた人と、知っていて
信者にやらせた側とでは比較になりません。
ただ、自分もそうですが過去に自分がやった行為。特に布教の面や勧進はやりましたから、
知り合いに迷惑をかけた分と言うのはあります。しかし、それを取り戻せない。
非常に悔しいし、申し訳ない。自分が至らないためにアゴンへ資金調達してしまったし、また
私を信じて入行した人には人生も気持ちもお金も労力も費やさせてしまった。
もう、謝っただけで気持ちは済まない状態です。
でも、中には喜んで亡くなっていた方も2人いた。この人には複雑な気持ちです。
私は徳を積んだのだろうか?悪だったがその人はアゴンのお陰で喜んで亡くなった。
私は最後に善行為をしたのだろうか。アゴン信者なら「よくやった」と褒めるだろうが、
私には喜べない気持ちだ。
様々な想いは有ります。善行為だと思えない自分も居ます。だけど自分が悪とは思わない。
迷惑や悪いことをした、と言う反省はあるが、それ以上は責任は負えない。負い切れない。
ただ、因果はめぐると言います。この報いはいつか受けるのだろうと思います。
それを受けることが自分の償いなのかと思っていますね。
163
:
干柿
:2009/12/30(水) 23:37:31 ID:lkFlk2ZA0
>>162
>喜んで亡くなった方も
善行為でいいんじゃないでしょうか?
一口に喜んでというだけでは詳細はわかりませんが、少なくとも死の恐怖
は取り除き、死に行くその意義というかそれを理解させてあげたわけでしょ
そしてその時は阿含の教義を真実だと信じていたわけで悪意など微塵もない
悪だったとしても業を背負うのはゲイカでしょうね。
それにそれが間違ったことだとしてもその責任はゲイカが負うはずです
164
:
干柿
:2009/12/30(水) 23:53:04 ID:lkFlk2ZA0
>>159
いや、だって釈迦というか上座部ではそう言っているよ
善行為と信じて布施した行為はそれはそれで後で騙されたとわかっても
善行為となる。むしろいつまでも引きずって悩むのはよくないことになるって
仏典に死刑執行人の話があって、彼は合法とはいえ人殺しをしているのだから
死後地獄行だと人々は言っていたんだけど、釈迦は彼に「おまえは喜んでこの仕事
をしているのか?」とたずねたら彼は「いえ、王の命令で役目でおこなっているのです。
人を殺めることなど嫌なだけで少しも楽しいなどと思ったことはありません」
っという答えに釈迦はそれでその仕事の行為で地獄に落ちることはない
と答えたそうだけど・・・ちょっとズレた意見になったかなw
とにかく行為より心意を重要視するのが上座部
165
:
天照
◆rAuM1WGShc
:2009/12/31(木) 00:19:42 ID:u2KoaY9o0
>>164
干柿さん、それはどの経典か、また釈尊の本当の言葉かどうかわかりませんが、
もし、それが本当なら私はありがたいですね。
先の自分の意見にも書きましたが、と殺とかの仕事をしている人は殺生をしているわけです。
そういう人はそういう仕事から離れない限り、業を積む、と思っていました。
かの判押しの老人もその問いに「仕事上仕方ない人も居るが、そういう人は地獄に落ちんよ」と
言っていたのですが、その言葉は正しいことになりますよね。
自分も個人的に仕方ない職種だから、それで地獄に落ちるのならこの世からと殺の仕事は
消えないといけないし、無理が出てくる。
と殺が無ければ私たちも「肉」を食えませんからね。
164の干柿さんの言葉に期待する自分が居たりします。
また
>>163
の言葉もありがたいです。私もアゴンの欺瞞を知らず導いたのですから、やはり
導いた人は死後の冥福を望みたいし、私も悪の片棒を担いだという風には考えたくない。
やはりみんな幸せになりたかったですよ。
166
:
孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE
:2010/01/02(土) 23:48:53 ID:pvrGjTuw0
>>162
天照さんザビビでの大賞受賞おめでとうございます。
さて、そのような事情があったのですね。このテーマを議論すると天照さんを責めるようなことになりそうなのでここでストップします。
もちろん"我々"がやっていたボンギョー全般の善悪 がテーマだったのですが。
ただ反対にあごん攻撃はどこまで善なのか?ですが、干柿さんの山門でうんこするというの思い出してもユーモラスですね。
実際やるには美学としてそういうのはNGだし、批判派の足をひっぱる行為でしょうが、けど犬を飼ってる人でやってみる人いないのかなあw (想像すると面白いというだけですので)
しかし、なんでもありになってくると 栗花さんのようなその筋の人 裏の仕事人 のような人が出てくることになりかねないからやはり批判派はあごんを反面教師に社会的モラルを守った
批判活動が望ましいでしょね。ペンは剣より強し、です。
167
:
名無しさん
:2010/03/03(水) 09:21:03 ID:.5B.a46s0
クサリを巻きましょ 深山に♪
お鼻を削ぎましょ ブタの鼻♪
五人掛かりの フルボッコ♪
今日はたのしい 血祭り日♪
ユビ様干し様 青に○♪
みんな並んで 裏切った♪
お先に逝らした 樹意様に♪
よく似た溺死の 白い顔♪
||\/|\/|\/|\/|| ||\/|\/|\/|\/||
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||.....|....|.....|.. ∧甘∧ ..|....|| ||.....|... |.....|Ж .. |....|.....|....||
||.... _ ....|..( ´∀`) |....|| ||.....|... |.∧⇔∧|....|....._||
||..(( ))..|/| ̄[] ̄|ヽ ....|| ||.....|... |.(*゜ー゜).....|..(( ))
||......`|' /  ̄|∞| ̄.\.|| ||.....|./||。▽。|\|.....`|'.||
||.....|│ .\< ̄.人 ̄>../|| ||.....|(_ノノ人ヾ__) ... |..||
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
168
:
深山
:2010/03/03(水) 11:12:39 ID:lNeHTTDI0
天照さん
>>167
を削除しないでください。
2ちゃんが動かないので、こちらに漂ってきたのでしょう。
アゴン宗の信者の品性を示すよい例です。
169
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2010/03/03(水) 11:40:26 ID:BLNb6LDA0
深山さん、分かりました。ただ、今回は卑猥AAでは無いのと数も一件だけですし、
要望をのみます。あまり程度が酷い場合は考えますのでご了承ください。
かわいいAAなんですけどねえ・・・歌が・・・。
170
:
深山
:2010/03/03(水) 13:32:33 ID:lNeHTTDI0
>>167
うれピー星まチュり
♪ 木切れ買いましょ 信者さん
焚き火をしましょ 温暖化
メタボで走れぬ 大黒天
脳味噌成仏 星まつり ♪
♪ 桐山ゲイカとE川さん
ホテル・オークラ すまし顔
週刊誌 裁判 恥さらし
よく似た二人の ツラの皮 ♪
♪ 偽の仏舎利 偽アジャリ
シッポの生えた如来様
見えぬ 聞こえぬ 家畜たち
頭のメデタイ アゴン宗 ♪
171
:
孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE
:2010/03/04(木) 00:11:50 ID:jruQ9EQI0
>>167
ワロタw すげえ歌ですね。
○○屋さんと自分は一文字か〜(汗 批判派にもセレブか否かまたはランクみたいなのが、あるみたいですね。
そういえばなんか昔あった詩を思い出します。
「フジウスのバラバラ死体送られる 手足七氏に 胴ユビキタスかな」
すぐ 返し歌を詠んだ深山さんといい粋ですね!
172
:
Boo
:2010/03/04(木) 19:39:51 ID:oGP36naQ0
>>171
私も笑いましたよw
ユビさんと干しさんは「様」と敬称までついているのに、私たち「青に○」ですね。
173
:
干柿
:2010/03/04(木) 22:07:23 ID:lkFlk2ZA0
うらぎったという歌詞だけど
うらぎったのはゲイカと阿含宗のほうだよ、私は最後まで信じていた
ゲイカの真心と求道心を、いくら矛盾点に気が付いていても
多少泥をかぶっている教団運営であっても
これは通過点にすぎない、これを超えたら、真の仏法がと・・・
甘くはないですね結局阿保の醜狂としか言いようのないことに
昔よりひどいありさまでしょうが!
よく信者でいられると思いますよ正直
174
:
孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE
:2010/03/06(土) 01:00:18 ID:jruQ9EQI0
>>172
私は"負け組み"で、よ さんの分類では"クズ"なので仕方ありませんがBooさんには失礼ですよ。
先月迷っていた件ですが計算で決めるかソースという自己啓発の本で決めるか後者にしました。
一面的な計算よりソースのほうが相乗効果があり勝るというからです。占いはしてませんがおみくじでも後者ぽいので。
昨年から少しづつですが実は勝ち組に入りつつあり、いつかよさんやあごんの人達を見返してやりたいです。
>>173
同感! 167はそういうところを見てない。
175
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2010/03/06(土) 06:51:02 ID:Ij9VmpDg0
>>173
どこまでも偽仏教を信じている自分達は素晴らしい存在で、
辞めていったやつはやれ「裏切った」だとか
「堕落・落第者」というレッテルを貼って楽しむのがお好きな様らしい。
干柿さんのいうとおり、やめた人のほとんどは真面目で真剣に信じていた人が多い。
人をけなして馬鹿にすることしかできないから、ますます情けなくなるねえ。
騙されているのが未だに分からないほうが幸せなんだろうね。
浮気をされた女性の言葉じゃないが、「騙すならいっそ死ぬまで騙して欲しかった」
じゃないが、そんなのは御免だ。早く気が付いてろくでもないやつから離れたほうが
よっぽど身のためだ。せいせいする。
ま、その人が好きなだけ「桐山マンセー」とやっていればいいんでしょう。
たっぷり死ぬまでやっててくださいな。
176
:
名無しさん
:2010/03/10(水) 18:24:16 ID:.5B.a46s0
松原孝雄さんはハイコート花小金井の住人だったんですね。いいマンションですよね。
瀟洒な三階建で、窓の外は畑ですね。私も住んでみたいな (笑)
177
:
孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE
:2010/03/12(金) 02:01:02 ID:jruQ9EQI0
林郁夫 著「オウムと私」という本を少し読んでみた。あごんの部分に関心があったので。
独鈷の加持とか屋敷浄霊とかにうんざりしてたのが書かれていて、なんかゲイカがちゃんとしてれば一連の事件は防げたんだなあと思った。
178
:
名無しさん
:2010/03/12(金) 09:41:26 ID:0YBuTJWM0
藤原新也氏の「黄泉(よみ)の犬」も、オ・ス・ス・メ♪
http://www.amazon.co.jp/%E9%BB%84%E6%B3%89-%E3%82%88%E3%81%BF-%E3%81%AE%E7%8A%AC-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%97%A4%E5%8E%9F/dp/4167591057/ref=pd_sim_b_13
179
:
干柿
:2010/03/13(土) 22:40:00 ID:lkFlk2ZA0
>>177
彼の著書には書かれていなかっただろうけど、オウムに鞍替えをする前に
交通事故を起こしているんだよ林受刑者は妊婦だったか、人身事故を
起こしてしまったらしい・・・熱心な信者で因縁解脱行をやり
しかも結婚式でゲイカ直々に護摩を焚いてもらっていたのに(こんな特例は彼だけだったと聞いている)
ゲイカの「オウム真理教と阿含宗」のなかではただ媒酌人とあったが式の導師として
護摩まで焚いたんだよ。それなのに
それなのにあんな事件まで起こしてしまって因縁解脱などできない証明じゃないの
当時、会員から「どうして林氏はあれほど熱心だったのにオウムにいってしまったんですか?」
という質問がゲイカに出され答えたことがあった。
ゲイカの答え「彼には愛人がいた、その愛人がオウムの熱心な信者で、そそのかされて
いってしまったんだろうね。求聞持脳の私はよくわかる」と言っていた
実はオウムに入ったのは林受刑者が先で愛人とか周囲の家族とかは林受刑者にひきづられて
オウムに入ってしまったといのが真相(愛人とは当時の事件を知る者ならわかると
思うけど看護師のM)
なにが求聞持脳なんだろうね、自分が愛人に執着しすぎているだけだろw
180
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2010/03/15(月) 04:52:57 ID:8hdNejcM0
>>177
本当に同意。全てはゲイカ次第であったといえます。
ちゃんとやっていれば、批判もオウム発生も無かったのです。
逆に社会から支援されていたかもしれません。
結局は求道者のように見せかけて、人から搾取することしか考えて無かったのでしょう。
性善説よろしく私もゲイカは最初真面目に取り組んでた・模索していた、という見解が
あったのですが、最近はそれすら思えなくなってきています。なぜなら、あまりにも
やっている(やってきた)ことがデタラメで中身が無いからです。
こんな詐欺師にひっかかったのかと、自分が情けなくなりますからね。
>>179
私も後になって先達とか周りの人から聞きました。いくらゲイカが奇麗事を言っても
それは嘘で有るというのが分かると、こんなしらけることはありません。
知らぬは真実を知らない信者だけです。
でも、一部の信者がその事実を知っても「あれ?」と思わないのには呆れますがw
つまりは林被告は悪者で自分らは大丈夫、と思っているからかもしれません。
全然大丈夫ではないんですがw
181
:
孫 青柿
◆vKfCFZ1gqE
:2010/03/15(月) 13:34:52 ID:jruQ9EQI0
>>179
ゲーカも馬鹿ですね。クンダリニヨガ(左記の表記は好きじゃない、ハタヨーガのなかで特にチャクラ、クンダリニに特化して行を行うというのが正しい表現)を習いたかった
おまじないに飽きていた。それしかないのに。
>>180
ボンギョー体質である限り危ういのかもしれませんね。ボンギョーが嫌いであればもしオウムに行ってもヨガがやりたいんであって奉仕活動はやりたくない、と思える。
182
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2010/03/16(火) 08:33:44 ID:ncUb75860
2chで時々542のようなことを書き込みやつがいるけど、その人はアゴンにはまらなかったから
いえるようなもので、そんなのは何とでもいえる。
我らが例えばOO会というのに「詐欺だ」とわかって入信しなかったら、そのOO会の人たちを
如何様にでもいえるのと同じ、ということだ。はじめから分かってたら騙されるはずがない。
それよりも巷にはこびっている「現世利益」の延長も有るのは知っているのか。
仏教だけでなく神道でも何宗でもほとんどが祈願成就のためとかお守りとかやってているではないか。
キリスト教でさえ免罪符があるではないか。そういうのにはまったやつは皆愚かか?
自分は宗教被害にあわなかったからいいようなものの、さも悟っているような言い方は気に食わないね。
最後の文章の根本的なものを直さないと何回でも同じ目にあうのは分かるけどね。
183
:
名無しさん
:2010/03/16(火) 10:38:09 ID:vyqlS.AM0
>>182
同感ですね。
あの書き込みから見て、まだ若い子でしょう。
10代か、せいぜい20代。
世間を知らない子供でしょう。
カルト宗教、霊感商法といった問題があることに気付いてすらいないですね。
184
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2010/03/16(火) 16:18:48 ID:vouR9ark0
名無しさん、コメントありがとうございます。
帰宅して2chを見たら深山さんの投稿がありましたが、至言ですね。
私も共感しました。
で、当の542氏は全然悪いと思っていない。まあ542氏も同様なミスをして散々
人から同じことを言われないと気持ちは分からんでしょう。
名無しさんの「若い子でしょう」に続く文章に私も同感であります。
正論を吐けば世の中通ると思っちゃあ、そうはいかないです。
深山さんの言われたように、過去の間違いに執着するのではなく、教訓とする。
そしてそれのニの徹を踏まないようにするのと、まだ洗脳の解けない人たちや
今後カルトなものに騙されないようにする例として私は批判板や過去に失敗した
人の意見というのは重要であると思うのです。
天下両成敗で騙したほうも騙されたほうも悪いとは思いますが、彼(542氏)の
言い分を聞いていれば、騙されたほうが悪い言い方でしかない。
そんなのは騙されたことがない人が言う奇麗事です。
有る意味、それは理屈でしかないと私は思いますね。
186
:
名無しさん
:2011/03/06(日) 00:46:16 ID:W2esz3pI0
>>184
アゴンさんの場合、個人情報とも言える事を書いてあるから、
危険性はとても高いでしょう。
法友を説得しようとしたのは、素晴らしい事ですが。
187
:
名無しさん
:2011/03/09(水) 01:15:52
あれ、間違ってこちらに投稿してしまったw
190
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/26(火) 09:09:44
さて開始しますか。
まず○ールドメイトの事から行きますか。
実は私はこの団体の事を知ったのは3年前で今は袂を分けた法友が教えてくれたので知ったのです。
丁寧に数冊中古の本を送ってくれまして拝読し、またそれ以外の本はブックオフに行って立ち読みしたり、
また安いものは若干数購入したりして考察してみました。
尚且つ実際に本部へ資料請求も出来るので取り寄せてみたりしました。
途中経過や詳細は膨大になるので概要で述べますが、結果で言うと「駄目ですね」
かろうじて良いのはあの団体は「仏教教団を名乗ってないのでそこが自由な点」というのと、
伝統的教団のように重苦しくとか重々しくない点でしょうかね。
そのほかはやはり新興宗教の域を出ないし、あと教義面での矛盾や内容での問題。
2chなどでスレが立っているので見ても分かるように諸問題が山積みです。
まあ、私にすれば掲示板よりもパンフや教祖様の本を読んでも「トンデモ」なので「ああ、駄目だな」
とわかりましたね。また仏教の時々内容を用いることがありますがあれも無知識なのが明らかに
わかります。なので「論外」ですし、「駄目判断」をしましたね。
実はその法友とはこういう話をしてたんです。
仮に「阿含宗」が駄目だとする。ならば次に所属できるとしたらここかなあ、というのを話してた。
私がその団体を知らないので教えるためもあって中古の本を送ってくれたり、色々教えてくれたという
ことがあったんです。
ですが、阿含宗の欺瞞は見抜けるのに何年も掛かるくせにこの団体は数日で見破れました。
まったく自分でも不可思議だな、とは思っています。
この団体は護摩も焚きます。でも凄いちゃちですね。また誰でもやれそうなシステムです。
でも資格が必要だったり、また諸研修を受けないと駄目だったり、また教祖(代表)の示唆も必要
だったりとやはりインチキ宗教に必須なものばかりが目立つ。
また金がかなり必要ですし、浄霊みたいなのも色々ある。また説明が良く理解できない。
総じて言えば「代表の世界」なのでこれも阿含宗とさほど変わらんのですよ。
だからこの団体は自分の判別では「不認可」「却下」なのです。
なので、答を期待している自分は法友に言いました。
「悪いがこの団体は駄目だ。阿含宗を辞めても行かない。ありえないだろうがもしも自分が行くと
したら真言宗のほうに行くだろうね。でも真言宗も行かないとは思う。とにかくこの団体には行かないね」
そういうまだ欺瞞を知らない時期でしたが、判断しましたね。
191
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/26(火) 09:21:12
そしてまもなく2chの阿含宗スレに参加し、色々やっているうちにその○ールドメイトの
スレも覗いてみたんです。
やはり信者で無いので分からない部分は有るものの、かなり疑惑や問題が浮き上がってて
かなり批判と擁護が戦っていますね。
どこも同じなんだなあと苦笑い。
その際にあちらの団体のいろんなことも知るのですから、ますます教祖の言うことは
「信じられないな」となってきましたね。
本を読んだりパンフだけでも「疑わしい」のに、掲示板でも色々ですからこれは話しに
ならない。
ですがこれも阿含宗と同じく「個人が好きで仰ぐ場合は構わない」なのです。
全てを否定はしません。ただ私に「やらないか」といわれた強く断固として拒否するだけです。
また感想を聞かれたら「様々な理由によりこの団体は駄目だと思います」とは言います。
しかしどの・誰の個人が好きで信仰する分には「勝手にどうぞ」とは言いますね。
信教の自由が日本にはあるわけですから。
せっかく法友も親切心で教えてくれましたが、阿含宗と変わらない。
何も知らないときは期待しましたが、非常に期待外れで残念ですね。
あと大本とか他の団体も考察しましたが、どこも「これはいい」というのがないですね。
だから無宗教というか無所属になっているわけですが、いい場所が有れば所属したいですよ。
でもいいのが無いから、じゃあ自分は個人で釈尊の教法を講じてやってゆこう、ですし
会費も勤行も要らないし大変自由です。
下手に団体に所属したら身動きも取れないし搾取されるばかりです。
たぶんこの姿勢は一生続くでしょうね。
192
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/27(水) 08:13:33
第三章の
>>69
に有ります「灌頂」とは洗礼灌頂に近いもののようですね。
ゲイカに対してブータンの高僧が息災長寿の法などを加持してくださるのですから、法の洗礼の灌頂ですね。
人間に対しての修法のようなもので、その象徴としての行為の灌頂ですね。
アゴンさんが
>>73
で感じた疑問を言われているのはいいことです。
ですが、ごっちゃになっているので分ける必要が有ります。
まず、息災長寿ですが、これは別段変ではありません。修法項目ですから如何様にもできるし種類も
あります。例えば「健康長寿」でも「良縁成就」でも「安産成就」いいし何でもできるでしょう。
修法系というのはいわば何でもあり、なのです。
そして高僧だから種々の法をマスターしているからできるのです。
それこそ見習いの低僧とは言わないが、下っ端が勝手に何でもやれたらこれは高僧の意味もないし、
随分軽い宗派だなとなる。
普通考えたら高僧はそれだけの修行をし、力を持っているとされるべき存在ですから、息災長寿に
限らず、多岐にわたって様々な修法が出来なければ高僧とはいえない。
それこそ病院の医者ではないが、歯医者さんに出産を任せても出来ないような事項のように、
医者だから何でもできると言えないように、高僧といえども「私は悪魔降伏系しか得意でない」
とか「ほかの法は知らない」というのなら阿含宗もわざわざブータンの高僧を招聘して灌頂を
受けるはずが無い。また今回行う息災長寿の事はゲイカが90歳の高齢でもあるし、元気で長生き
してくださいという意味や方向性もあるし、またオールマイティでもある。
つまり誰にでも通用しえる項目だということです。
別段ゲイカのような高齢者でなくても若者でもOKな内容です。
若者に「貴方は健康で災いの少ない人生を長く続けて楽しんでください」というような内容ですから
「そんなものいらねえ」と拒否しない限りは広く通用する事項だといえる。
また過去に管長が外国の僧侶から伝法を受けた際にその僧侶がゲイカ及び阿含宗の信者さんに
「息災長寿の法」を修してくれたことがあった。
http://www.agon.org/history/c_01_01.html
ここにある東伝仏教の2項目の1988年の際に
行われた行事であります。
勿論有料で¥3000支払った。当時別院で直に法を受けれる方は別院に来て受けることができたが、
私は地方の人間なので申込書に記入と自分の写真を貼って宗務に提出した。
それを纏めて別院で回収して、地方の人間はその用紙に対して修法をしてくれたという経緯がある。
なので、こういうことは別段珍しくなく、ただブータンの高僧か別な人物かだけの違いです。
そしてその「修法したよ」という証明書のように返送されてきた賞状サイズの紙と修法に使われた?
と見られる「白い糸」が後日渡された。それで¥3000也です。ボロイ商売でしょう?
そしてその「法御礼」は金額は分からないが、おそらくそのお坊さんに「御礼」として渡ったのでしょう。
まさか修法させておいて「ゼロ円」じゃあおかしいですからね。
お土産か御礼ぐらいは持たせるはずです。
193
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/27(水) 08:16:20
そして今度は疑問についてです。
それは霊力のあるラマ?か高僧に加持してもらうことで、なぜ息災長寿になるのか?
それだけの具体的な力が作用されるのか、の具体的な説明がない。
ブータンで現証としてあるのか、というところを教えていただきたかった。
これを3つに分けましょうか。
疑問の1行目だと「なると言えばなるだろうし、ならないといえばならない」ですね。
何じゃそれ?と思うかもしれないが、これは事実です。
例えば私は先ほど述べた別院で過去に遠隔の「息災長寿」の灌頂を受けました。
ですが、30歳くらいから身体を壊しました。以降不調が続いています。
灌頂を受けたのは20代です。10年も経たないうちに法の威力空しく不健康に
なりました。息災長寿の法も「効かなかった」という事になります。
しかし、確かめていませんが何も起きない人はそれこそ「法が効いた」という側でしょう。
何も悪いことも健康さも安定していれば、まさに「息災長寿のお陰だ」となる。
だから答えは「なると言えばなるだろうし、ならないといえばならない」なのです。
2つ目の疑問は「証明の仕様が無い」です。
というか阿含宗でもどこでも同じように「法の証明は中々示しにくいもの」なのです。
例えば阿含宗の元信者であり色々な体験をされて批判本・暴露本を出した「廣野隆憲さん」
は夫婦して肝臓病を患い、管長に助けを求めたことがあります。
しかし全然関わってくれず、エライ苦しんだそうです。
ですが、退会後真言宗のお坊さんに加持してもらったら治ったそうです。
これをどう見るか、です。
阿含宗の法は法を掛けるまででもなく見放した。一方他から見れば「まじない」になりうる
密教の法(加持)というのでも現実に病を治し現実的に答を出した。
これに対して阿含宗の負け、とすることはたやすいですが、では真言宗が万能なのか?
といえば、これもさてわからない。
なので、批判側が「奇蹟を信じない」とみなされる場合が多いが、そうではなく説明や答を
出すことが出来ない現象があるのは認めているが、阿含宗にでは「奇蹟の力を証明できる」
かといえば「それは叶わない」のです。そして真言宗だろうが何とか教だろうが、奇蹟は
奇蹟ですが、それがいつも叶うとは限らないし証明できるとも限らない。
ただ実際的に奇蹟が起きたら「ああ、それは良かったですね」ぐらいはいえてもそれイコール
教団や本尊や教祖の力だということは証明しがたいし、できるものでもない。
もしもできるのなら100%起こさなければ、それは無理というものです。
そしてどこの教団を見ても100%達成できる教団は未だ無いのも現実です。
ですから釈尊が霊魂に対して「無記」をされたように、宗教の奇蹟はありえるものの、それの
事項は「無記」にするのが批判側の姿勢だということです。
194
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/27(水) 08:17:08
だからチベットだろうがスリランカだろうがブータンだろうが奇蹟的な事項を起こすかも
しれないしあるかもしれない。だけど無い場合もある。するとそういうことに対してどのように
証明を出して見せるか、というのはいよいよ分からなくなる。
だから「証明の仕様がない」という風に結論付けているのが自分です。
証明できるときもあるが、出来ないときもある。そういう風に発言しても良いがやはり曖昧です。
なので、曖昧で言うのが芳しくないので自分は「証明が出来ない」という風に発言します。
もしもそれが嫌なら「出来る場合もあるし出来ない場合もある」という風に言ってもいいでしょうね。
3つ目も2つ目と同様でしょうね。ブータンでは奇蹟というか証明の現象があった。
だけどよそでやったら「効かなかった」とかもあるでしょうし、またブータンでも100%の効果が
あったかどうかなど調べないとわかるものではない。
また自己申告が調査より上まっていたら「ブータンでは100%だ」となりうる場合もある。
本当は100%でないのにも関わらず、ブータンの側が「100%だ」といったらそれがまかり通る
可能性もある。
だがこれではどこまでが真実でどこからが嘘なのか分からない。
だからこういう「まじない」のような事項はきりがない、といえる。
阿含宗はこういうのを巧に使い、誤魔化してきた経緯があります。
だから阿含宗でのいう「法」に対しての事項についてデータとしても出せないものは退会した信者
でないにしても普通一般人側からしても「どうなのか?」という懸念が出てくるものです。
ですからアゴンさんの「あれ?」と思うことは正常なのです。
こういうことを不思議がらずに、または一時不思議がったがそれを打ち消して教団や教祖の主張を
鵜呑みにしているからいつまで経っても効験が無くても在籍できるし違和感にも思わない。
阿含宗万歳だけが強くて、現実的なことに目を向けれず、「それっておかしくないか?」という風
にさえ思わない。
ですからアゴンさんは教団内の事項を教えてくださったが、その内容に対して疑問を感じた。
これは本当に自然であり、また当然のことなのです。逆に何も思わないほうが「異常」なのです。
そしてその異常に対して質問も無ければ回答も無い。如何に教団内で信者が言いなりにされているかが
伺い知れます。
確かに教団側からは「質問されなければ同意したということでしょう」といわれるのは必死。
信者側もそこが悪いといえば悪いでしょうね。
ですが、仮に質問したとしても個人的なことで終わります。
個人が宗務などに質問し、それに回答して終りです。
他の信者さんにそういう事項が行き渡ることは無い。
阿含宗はグローバルのようで実はそうではないのです。
例えばあるスーパーなどのように質問箱を置いてその回答を公開することも無い。
誰それさんからの質問が上がったが、このような回答です、と壁に貼ったりすることも無い。
どこまでも個人への回答ですし、公開もしないので誰もわからずじまいです。
ですからアゴンさんのように色々調べることで宗務や法務部の方に聞くことは有効でしょう。
ですが、あまりこじれてくると、向こう側(阿含宗側)がどのように変化するか見ものですね。
豹変してこないことを祈ります。
195
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/27(水) 08:18:11
もうひとつは特殊な生前戒名授けるということ。
これにまたお金がいるんじゃなかろうか?とチラリとよぎるものが(笑)学習効果はでております。
逆修供養でない法をかけるとのこと。
(すでにもらった生前戒名どうなるの?)と疑問が少々。
ここを見て行きましょう
この生前戒名は曲者(くせもの)ですね。ご存知のように柏原墓陵のお墓建立の際に行っている
事項ですよね。それをまたリプレイしようとしている。
これはまさに気をつけないといけませんよ。
そんなに生前戒名を2つも3つも持ってどうします?
まさか芸能界の芸能名やPCの世界のハンドルネームじゃあるまいし、どうするんです?
阿含宗がまだ何も生前戒名を講じてないのなら分かります。初の試みですからね。
でもすでに行っており、それをなぜ又もやるのか?
これはアゴンさんにも信者の皆さんにも悪いが、明らかに集金システムの始まりです。
金を集めるための口実と方便・策です。
ですから学習効果がでているようですから一円たりともこの新しい事項にお金を払う必要は
有りません。
またアゴンさんが言われていますが逆修供養でもないのならますます訝しいですよね?
仮に「いや逆修供養も入っているよ」といわれても他の事項も兼ねて考味しなければいけません。
また以前貰った生前戒名はどうなるの?というのも当然疑問としては正常です。
特殊な生前戒名?その特殊とは如何に?ですが、まだそこまでの情報がありませんのでここは
後からのアゴンさんのリサーチ報告を待ってまた考えることにしましょうか。
196
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/27(水) 08:22:41
さて、アゴンさんが私の質問に答えてくださいましたのでそちらへの意見を書いてみました。
1への意見です
確かに仰せの事は分かりますね。日本の事は分かるがブータンの事はわからない。なので安易に回答が
できないというのは正しい判断です。なので、これは調べてきてからの回答に期待しましょう。
2
そうですね。これもアゴンさんだけでなく信者の皆さんも下手をすれば職員も法務部も皆全て把握
しているとはちょっと思えない。
この状態では申告どおりの「ブータンの霊力」といってもどのようなもので中身もわからず、
鵜呑み状態でしかない。これが非常に曲者なのです。ぜひ調べてみるべきですね。
3
前にもおもいましたが、そんな簡単に現世成仏するとはあんまり思っておりません。
ただその加持力をいただける程度かなという認識です。
この考えは私も同意ですね。又理解できます。
ですが、その文章の前にある説明は意味が分かりません。
「現世成仏というのはゲイカいわく、輪廻がただの因縁のままの輪廻転生にならず、聖者の輪廻転生になり、
仏道の道をあゆむ輪廻の流れになるようにすること。と平易な表現で書くとそういうことらしいです。」
平易と書いていますが全然平易じゃない。ここが掲示板で文章を書く際に難しいといわれる点です。
頭では上手に描けている、または内容があるのだが実際文章にする、また人に説明するとなると頭の
中で存在しているものが意外と出せなかったり出しても意味不明だったり支離滅裂に成ることがあります。
たかが文字や意見延べだ、と思っても、意外とやってみると難しかったりするものです。
197
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/27(水) 08:23:34
さて本題に。
このアゴンさんの説明は管長の説明のようですが、管長の説明100%だとすると管長は頭が
おかしいかデタラメなことを言っているといえます。
ユビさんも言われていたことですが、阿含宗の「現世成仏」は「因縁解脱」です。
一切の悪因縁を切った状態の人が「現世で成仏できる」というという意味でこれは掲示板で
何度も言われているように阿含宗の教義であり、管長の主張です。仏教の教義ではありません。
ですから説明文の中で支離滅裂なのは当然なのです。ここの違和感に気付かないと駄目です。
如何にも「本当な・正統な事項を述べているようで実際はトンデモなことを言っている」のです。
この文章が管長の言葉の引用・説明だとみなしますが、もしもアゴンさんの考えや考えなら
大変な問題です。それは管長が言いもしないことを勝手に述べた、という事になります。
準さんがよくやる手法です。これは認められない。
この説明では意味が分からないので理解できません。なのでまた道場に行って分かり易い説明
をお願いします。このような内容は今までの管長の説いたものではないし意味不明です。
管長は脳梗塞を患っているのでそれが原因だとしたら法務部でも職員さんでも良いから納得
出来る説明を希望します。
4
確かにこれは3に付随することでしょうね。この事項は実際「現世成仏無量寿如来息災長寿法」
を行う際に明らかにするでしょう。その中身が分かったらまた再度深く教えていただけますでしょうか。
今は保留にしておきます。
5 これはOKなので意見は無しです
6 これも@chs−1に書きましたので意見済みなので今回は無しです。
7 これについては調べてから回答とのことですから本来は意見すべきではないのですが、
差しさわりのない程度の意見を述べさせていただきます。
198
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/27(水) 08:27:11
確かにアゴンさんの返信の中で「カッコつけすぎかもですが」とありますのでその辺りの感じはわかりますが、
この箇所のところの
「ようはゲイカの言葉や、著書をもっともっと深く拡大解釈して法務部が公開しているということ」は
良くわかりませんね。
つまりゲイカの言葉を教団内部の法務部が解読してそれの結果を公表している、ということでしょう。
これはこれでよろしいことでしょうが、実は「よろしくない」面があるのです。
それはなぜか?それは「教団内で教団内だけの都合の良いような事項に解釈や抽出・分析をされるから」です。
例えるならば、何かの事でよく巷の事項を「研究機関」に依頼して分析や調査をしてもらうことがあります。
あれをなぜやるか、というと不正や虚偽を出さないこともあるし、公正な結果を得るためでもあります。
(特殊な事項のため、調べることが一般では出来ないという場合は除きます)
阿含宗の正当性や公正さを出すためには、やはり第三者機関に於いて行うのが本当は一番望ましいのです。
法務部を信頼してないわけではないが、危険性や信憑性の面でどうも懐疑にはなります。
なぜなら以前私が投稿で言ったことにも有りましたが、法務部の坊さんが阿含宗にある矛盾や欺瞞に気付
かないというのがそもそもの疑念の発生です。
199
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/27(水) 08:27:34
一般信者が「気付かない」というのならそれはわかります。仏教の知識もロクになく教祖の主張を鵜呑みにして
騙されているのや間違いに気付かないのはありえることだからです。
ですが、法務部の人間は専修大学を経てプロの出家者として存在しているわけです。
いわば易しく言えば「信者に回答や指導をする立場のプロの人間」なわけです。
確かに如何にプロといえども全ての事項や内容を把握しているか、というのはいえない面もあります。
ですが、こと仏教に関しての知識ぐらいは無ければ法務部失格です。そこを言うのです。
普通の「仏教大学」をでた僧侶の方が物事を知っていて、阿含宗の法務部の方が無知だとしたら
これは阿含宗の「法務部」もインチキかデタラメかそれともただの詐欺教団のための育成施設という
経路を経た「にわか僧侶」になっているだけなのか、という事になります。
まさかアゴンさんもここまで言われて「そんな馬鹿なことがあるか」といいたくなるでしょう?
私だってまさかそうは思わない。だが、あまりにも無知すぎるようだと推測の方が当たっている
ような状況だと、あまりにも法務部の信憑性さえも信じられなくなる事が出てくる。
ですから法務部の坊さんが悪意が有るとか無いとかよりも、専修学院自体のシステムを疑うことも
考えないといけない。
それを確かめるには法務部の坊さんが専修学院で何をどのように行ってきたか(習ってきたか)を
確認したりするのが一番です。または内部で実際に指導している人の内容を精査するとか、ですね。
もしも専修学院自体が間違った指導や教育をしているとすれば、阿含宗側に問題があります。
法務部の坊さんが悪いわけではない、となります。
しかし、その間違った指導の下のままで管長の発言などの謎解きをして果たして正しい結果が
出せるかどうか、です。そこを私は問いたい。
桐山コードという名前は確かに大層な名前ですが、名称はどうでもよろしい。問題は中身です。
中身をちゃんと精査して判別できてそれをどのように公開できるか、です。
普通の状態であれば本当の仏教との比較検証で阿含宗が偽仏教というのが分かります。
そうすると法務部のお坊さんは管長に対し「管長!貴方は偽の仏教を本物だと偽りましたね」と
糾弾せねばならないはずです。しかし、現実は「それがない」
しかも管長から許可を貰って公開している内容を見れば判別できるが、おそらく管長の意に沿う
つまりOKが出るということはなんら正統性も信憑性ない管長のインチキなままの解釈しか出て
ないということが見る前から分かるのです。
易しく言うと「管長の手のひらから出た意見は無く、尚且つ管長の擁護しか出てない内容」だと
いうことですね。おべっかまではないとしても、「管長はかのように素晴らしいことをしている」
といった内容なはずです。批判などしたら即刻クビです。
だから桐山コードという名前をつけても別な名前でも何ら意味はない。
分析やら解析だのいっても阿含宗は阿含宗のエリアの中だけを出ておらず、中身もそんなに変化も
無く、ただの内輪ウケと教祖を喜ばす内容と、教団を信じる信者への都合のいい説明で終りです。
本当の意味での解析も分析もありません。あったら即阿含宗は解体です。
だから私はそれを早とちりして「阿含宗解体をする法務部が現れたか!?」と期待したが、違うという。
そんな正義のヒーローなどいるはずがない。教団からすぐに追放されます。
まして法務部のやっていることは私の言っていることの通りなはずです。
いろんなオカルトや不思議事項や話題などを用いても(スピリなども)結局は阿含宗擁護のための
方策であり、欺瞞解明などありゃしない。茶番そのものです。
もしも法務部が正統的にやるなら、外部介在でやるか管長の許可なしでやるべきです。
もしくは公開などが出来ている環境でやるか。
教団内でしかやらない事項は、非常に要注意だということですね。
200
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/27(水) 08:28:36
あ、途中で出てくる「専修大学」は「専修学院」の間違いです。失礼しました。
201
:
サライ
:2011/04/27(水) 21:00:43
>>190
○ールドメートの事の記述、拝読いたしました。あちらさんは、神道系で、深見氏は著述が多いのも桐山氏と似てますね。本だけ読むと、博学ぶりに最もだと思い、いざ、団体に出向いてみると、カネばっかりかかって、というのは、この世間どこも同じなんでしょうね。ハウツーモノ教祖(宗教含む)への傾倒は「読書だけ」の段階に留めて、セミナー(教団)参加・高額出費はやめたほうが賢明という法則があるみたいです。なぜなら「本」の内容が最高であって、著者に会って講演を聴いても「本」は著者が全精力を込めて完成させているので「本」以上の内容は、出てこない、との事です。(斉藤一人さんが書いてました)。もっともですね。桐山氏も深見氏にも当てはまる気がします。私は深見氏の神社解説は参考になるので、「本の段階」で参考にさせていただこうと、思います。
202
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/28(木) 08:43:51
サライさん、感想ご意見ありがとうございます。
私も在籍中の法友の勧めが無かったら調べることも無かったでしょう。
サライさんのおっしゃるとおりで本の発刊、主張は中々のものです。
それで各道場のようなところへ行ってやがて入信されるのでしょう。
私が在籍していたのに「これは偽物だ」と気が付いたのはやはり整合性に
欠けるところです。特に顕著に目立つのは深見氏には仏教の知識が無い、
ということです。それで居て知っているような物言いでその内容があまりに
もデタラメなので「桐山氏以下」と言う判断が当時なされていたからです。
深見氏の主張どおりにもしも氏が力があるとしましょう。
それなのにあまりにもお粗末な知識に「なんじゃこれ?」と思ったのです。
本当に力のある人は神道だろうが仏教の事にもある程度精通しているというか
分別があります。だが、深見氏にはそれが無いんですね。
桐山氏でもデタラメなのにそれ以下ですから話になりません。
また深見氏の著書内での説明も良く理解できない箇所が時折ある。
また護摩も取り入れているが、物凄い幼稚なシステムです。
おそらく本人の創作なのでしょう。その他秘法見たいのもありますが、
どうにもまじないの域を出ないし、資料を貰った際に入っていた同封物が
ありましたが(観音経?だか何かの文言の一部のシールとか)それも
何の効験も感得もない。尚且つWebでも批判の嵐です。
これでは全く信じる以前の問題で「深見氏」は有名な方だけに私は
「この人もまがいものだったか」と残念に思いました。
神社解説とかは参考でいいかもです。また「本だけ」にしておくのが一番です。
下手に施設に行ったら巻き込まれます(笑)
203
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/29(金) 00:18:06
投稿がないので書いておきますか。
信者さんの体験をことごとく否定していると見られているようですが、したらばのユビさんのように
私も同じ考えですよ。不思議体験はあるだろうし、自分も弱いものなら経験しているし、また
弟も解脱供養での強い体験もしている。
というか私から言わせれば反応が無いアゴンさんの方が私から見れば訝しいですが。
自分は色々体験談などを説明するくせにこちらが説明しても「そ知らぬふり」ですからね。
体験は体験として信じます。だがそれが「阿含宗の正当性や信憑性には繋がらないのだ」これを
理解せねばいつまでもゲイカマジックの範疇から抜け出せないのです。ここが分かってない。
私も擁護時代は体験や奇蹟談を話したことがある。なぜか?それはそれを以って阿含宗の力を
示したい。また凄さを認めてもらいたかったからです。また主張の方法としても、ね。
でもそれを「どこの教団でもあることだ」で片付けられてしまうんです。
それが腹立たしくてね。なんて元信者は頭が固いというか何でも批判的なんだろうと。
でも、ちゃんと欺瞞を理解しゲイカのやっていること・言っていることの真偽を分かれば
批判側の言うことは理解できるんです。阿含宗を擁護する色めがねを掛けているからわからない。
それこそ彼氏との相談に会話している「ピグラさん」は一般の方で信者で無いですが、ちゃんと
私の話を理解していますよ。無関係さんだってそう。
204
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/29(金) 00:26:37
信者だけが非常にしつこく喰らい付くのです。
それは自分の信仰とやっていることを「否定されているから」です。
自分が唯一信じているかけがえの無いものを守りたい・放棄したくないからです。
だから批判されれば正論でも「認めたくない」んです。
こうなると感情や自分の気持ちが大事で相手の言うことなど聞きたくないし
認めたくない。腹も立つし気分が悪い。
私が目を覚ませたのは色々理由がありますが、一番努めたのは「自分の感情は
横に置いて整合性を求めた」のです。
調べてもしも批判側が間違っていたら謝罪させてやる。調べ上げるまでは
怒りは内に秘めて、擁護意見が通ったらただでは済まない、と。
ところが調べれば調べるほど阿含宗側が不利になってゆくではないですか。
焦りましたよ。いっそ途中で調べるのをやめようか、と思ったくらいです。
ですが、やめたら負けを認めなければ行けない。なので尚も歯を食いしばって
事項を比較検証する。するともう答が出るのですね。ああ、負けたと。
この経験をしない限り私の言っている意味は分からないでしょうね。
205
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/29(金) 00:35:19
実際の例えがあります。
私が中学生の時、修学旅行で仙台へ行ったことがあります。
そこの大きめな旅館で夕食が「すき焼き」だったのですが、その際に「牛肉」の
すき焼きだったんです。
先生は「おい。お前ら牛のすき焼きだぞ」と喜んでいますが生徒の大半は牛の
価値や味を知らず「何先生ハッスルしているの?」という状態でした。
給仕をしている仲居さんも「この田舎ものめ」とは思ってなかったとは思いますが
笑ってましたね。
そして実際皆が食べても反応が薄いのです。さすがに笑ってた仲居さんも
笑顔が減っていましたね。そこを良く覚えています。
いつもは「豚肉」しか食べないので違いも分からなかったんですね。
しかも私だけでなく大半の同級生も分からなかった。分かったのは2〜3人でしたね。
そういう味覚音痴があるように、阿含宗の信者は本当の仏教も偽仏教も判別できない
状態なのです。だからいつも何度も言って聞かせても分からない人を見るとこの自分の
中学の修学旅行を思い出すんです。
そして自分が判別が付いたのは20歳を超えてからです。
そこで「ああ、中学の時に先生らが言っていた意味はこれか」と合点したのです。
気付かないとはこういう例えにもあるということですね。
206
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/29(金) 12:40:55
丁度時間もあることですし、では又違ったことを書いてみますか。
阿含宗に在籍している信者さんでも自分で色々考察している方がいると思います。
かく言う自分もある程度行った輩です。
色々有りますが、代表的なのを挙げれば大本教、シルバーバーチ、日月神示などが
有名物でそれらを色々個人的に考察してました。
退会間際はパワーストーンのものやヒーリングの辺りや気功やレイキなども少々。
ですが、どれもやはりOKの出るものは無かったですね。
唯一良かったのはスマ氏の納得できる解説とヴィッパサナーぐらいですかね。
後は他宗や他教、またスピリ系やまじない系も全部駄目。
自分ではそういう判断です。
勿論各個人が好きで講じるのは別にいいですよ。
でも、私に推奨しても乗りません。もう懲りました。
○ールドメイトもそうですが、例えば欺瞞解明している後半などは、気が触れて無いとは言え
「どこかマトモな教団があるか」と模索もしたものです。
ところがやはり無い。2chでも出ていたし、自分も個人考察の中で得た「まがい物を
判断する基準」というのを物差しで計ると本当に世の中の宗派などにはOKの出るものが
ないですね。マジデスカ?と言いたくなるくらい無い。
阿含宗だけが間違っていて、なんて生易しいものではない。
「なるほど。道理で無所属になるわけだ」と理解しましたね。
207
:
サライ
:2011/04/29(金) 16:02:26
>>202
深見氏のつっこんだ分析ありがとうございます。仏教の知識が貧弱なわけですね。手元にブックオフで100円で入手した「神社で奇跡の開運ノート」というのがあるんですが、著者紹介欄に肩書きがびっしり。その中に比叡山天台宗在家得度、法名「東州」、臨済宗東福寺授名「大岳」居士とありましたよ。仏教に足つっこんでるようですが。(笑) その他、中国や東南アジアの大学の学位、勲章がびっしりなのと、アゴンの「囲碁」のにあたるものとして、「能楽、茶道、書道、声楽」関連を手がけており、「紺綬褒章受章」や、「英国国立ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS・ソアーズ)Honorary Fellow・名誉フェローシップ」などと、どこかで聞いたことある称号(桐山氏と阿含宗 も両章号、受章済み!)があり笑っちゃいますね。おまけに深見氏は伊勢の神道家、小泉太志氏に会いに行っている。桐山氏と深見氏は写し鏡みたいですね。(アゴンの後継者に招聘したら?)深見氏は半田氏という本名で受験塾も指導しており、「勉強は喫茶店やファミレスで」たどのエッセイ広告は何かと実務的で役に立ちました(余談)。 まあ、天照さんの分析の通り、この方も「本だけ」にしておきますがね。(笑)
208
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/29(金) 16:28:56
サライさん、詳しい解説ありがとうございます。もう深見氏の分析が終わって4年経つので氏の細かいことは
忘れてしまいました(笑)
いろんな肩書きがそういえばありましたね。ゲイカのように権威好きなのかどうかはわかりませんが、
まあ良く集めたものです。
私にすればそういう肩書きは要らないから力で示せ、と言いたいですね。
どんな奇蹟も現象も現実に見せたら適うものは無い。理屈をこねても出せないものの方が意味なし。
例え義務教育しか出てなくて肩書きがなくても力で示せば良いと思います。
深見氏の「いいなあ」と思ったのがサライさんのおっしゃったとおり「塾を経営している点」と「仏教教団
を名乗らない点」ですね。これは私もいいじゃないか、と思います。
寧ろ信者をだまくらかして搾取の限りを尽くすほうがどうかと。
まああちらの団体も何らかでお金を必要とする箇所もあるので容認は出来ないですが。
またこれも引用するのがめんどいのではしょりますが、深見氏の著書の中で仏教に関する説明が
出てきますが、本当の仏教を知らなくても整合性の無いのが結構あります。
なので阿含宗以下、というのです。
あれほど能力があり勉学の方でも私なんかよりずっと上と見られる深見氏が簡単な間違いをするとは
呆れを通り越してしまいました。
時に深見氏だけでなくWebサイトを持っていて色々論を出されている「あるお方」も決定的な間違い
を述べていることがあります。
その方は本をパラパラとめくっただけで内容が全てわかるそうです。
だから本を買うことはほとんど無く、本屋に行ってパラパラとめくるだけで事足りるそうです。
すごい時になれば、平積みの本一冊を手にとってパラパラめくらなくても中身が分かるそうです。
訝しく思ってたらやはり仏教の事項を話すと間違っています。こういう輩がいるんで気をつけないと
行けないですね。こと霊能力自慢をする輩は要注意です。
神社とかの本は読んでませんが、まあ入信するわけではないので参考には良いかと。
ただ、もしかしたら嘘や捏造もあるかもしれないので気をつけてください。
深見氏は神様をみるとウルトラマンよりでかい存在で表現しますからね。
神は偉大でもそこまでしなくてもええがな(笑)
209
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/29(金) 16:56:37
書き忘れた・・・追記で。
小泉太志氏とのこともありましたね。なので法友もそこを強調してました。
ですが、そこはまだ2chに参入する前でしたが凄く訝しく思ってたんです。
そして2chで批判記事を見たら小泉氏はどうも「胡散臭い」というのが分かった。
そうなると深見氏にヨイショしたというのも整合するんです。
小泉氏はどのくらい凄い人かわから無いが、仮に凄いとしてもそんなにあちこち
霊能者と呼ばれる人と接し、また推奨するものなのか。
そしてそういう権威のある方なのか、です。
もうお亡くなりになられているし恨みも何も無いから批判するつもりは無いが、
小泉氏は「良くわからないお方だ」というのが実際のところです。
又それほど凄い方で見識が有るのならなぜ管長とタッグを組まなかったのか。
交際もあのゲイカの話だけでそれ以降はさっぱり見えてこない。
また小泉氏から神道の何かを教わったこともあるわけではない。
ゲイカの話は事実なのかフィクションなのか良くわからないところがあるので
気をつけないと小泉氏のことも宣伝に使っているかもしれないです。
そして深見氏に於いても同様のことが言えます。
良く詐欺師が使う手口で有名人を利用したアレに似ています。
そして小泉氏がゲイカ同様深見氏に特に何かしたわけでもない。
よくよく分からないことが多いです。
あと批判ものや元信者の意見を見ると阿含宗と似たように被害を訴えている。
深見氏も所詮本物ではなかったということです。
210
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/30(土) 09:47:38
以降の事は自分の考察論と考察の結果です。ご了承下さい。
私は掲示板に来る前に色々個人で模索や考察をしていました。
それは今では汗顔の過去ですが、オカルト好きであり、不思議大好きな輩だったからです。
また阿含宗に非常に力を入れていたのもあった。
本屋などに行けばその系のものや宗教関連の本に非常に興味を持ち、いつもそのコーナーに
いて研究している自分に酔っていたほどです。
そういう傾向に埋没して阿含宗との関連も調べることを忘れずにもいた。
総じて言えばオカルト大好きで阿含宗の整合性を深めるために勉強をしていた、という
ことであったということです。
その中で「日月神示」は自分には結構影響を与えたものですね。
ちょうど本に出遭った時期が1993年以降というのもあって世紀末の危惧や懸念、
また神示の内容などを読んで「これは阿含宗にも関連がある」と非常に驚嘆し、その
面での展開も考えていたほどです。
実際阿含宗内でも仲の良い信者さんにだけになりますが、それを伝えたことも有ります。
「自分はこのように分析した。どうでしょうか?」と聞いたが皆あまり関心が無いというか
把握できないようで自分だけの空振りに終わったものでしたね。
まあ、一般の信者は分からないだろう。ゲイカに問えばきっと何か分かってくれるだろう、
という風に心だけは温めてそのうち接見できる際にお伺いしよう、と思っていた。
それは全然叶わぬ夢になってしまいましたし、実際ゲイカに語っても成功しなかったと思いますけどね。
211
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/30(土) 10:00:22
その「日月神示」は見たことがある、または研究された方は分かると思いますが、実際全てを理解・把握
するのは大変です。私も良く理解できるまではかなり難儀だった。
ですが、わかったら非常に残念になった。つまり結果を先に居ますがあれはやはり「雑多な想念や妄想」
の類で信憑性に欠けるとなりました。
私も神示を降ろした岡本天明さんや当時の方々、また神示を信じている人に喧嘩を売るつもりも恨みも
あるわけでは有りません。しかし、自分が考察した結果「はしにも棒にもかからない類」というのが
わかりましたね。なので非常に残念です。
そもそも外国も含め霊示関係はよほど精査(霊査やサニワ)をしないと危険です。
日月神示の中身を見れば如何様にも取れる事項と訳の分からない言い回しが多く、尚且つ世界の
荒れる要素の件は「世界大戦」の危惧なのか、世紀末の危惧なのか、これから来る将来の危惧なのか
分かりかねることが多い。そして私が良く精査したら(個人レベルだが)やはりその結果では
「世界大戦」の危惧でしたね。
また危険性を啓発しているが非常に抽象的なものもありやはり心霊系でよく言われる「雑多な・低級な霊」
の仕業というのや天明さんの妄想もあるように見受ける。
総合して言うなら「さほど重んじるほどのものではない」ということです。
確かに神示の中には「良いこと」を述べている箇所もあり賞賛できるのもある。
ですが、それは一部の箇所であって全体を見れば全体がそういうものではないことが分かる。
雑多なものもあれば、取るに足らないものまである。
だから私は「肝要なものを取捨選択してそれを人生に個人レベルで活かせばOK」という風に判断し、
実際そのようにしているのです。だから特に重んじたり”バイブルにする必要”は無い、という判断です。
212
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/04/30(土) 10:17:56
そして日月神示を見てゆけば「大本」も出てきます。
今でも出口王仁三郎さんの人気とカリスマ性は強くファンも居られるようです。
また当時は凄いブームとなり、国家が恐怖を感じて制御したほどです。
霊界物語も凄いと評判ですが、私には何の効能も無かったですね。
出口王仁三郎さん自体もサーチしましたが感ずるものは無いです。
大本さんにも何の恨みも有りませんが、私は悪いが「時代遅れの一宗派」と見ています。
過去に物凄い盛況・反響があったでしょうが、一種のブームであり、時代でした。
ですから個人的に愛好し仰ぐ分には申し分は無いですが、世界をリードするとかよい影響を
与えるまでには至らない。凄い宗派だと期待しましたが、残念な結果です。
その他色々模索してみた結果やはり結論としては「各々が好きな・選んだものを講ずる」か
「何も講じない」のどちらかになりますね。
まして阿含宗のようなオカルト満載な宗教に懲りたら別な宗派のオカルティなものにも
嫌気を感じる場合も有ります。オカルトを排除したら後はシンプルになる。
シンプルになったら中身を調べるのは簡単になります。
そしてどのシンプルな宗派がチョイスされたら後はどこに自分が則すかだけです。
どこにも則さないでいれば「無宗教」になるというだけです。
私は釈迦仏教でのシンプルさを選びました。これが何かのシンプルなものに属すかどうか
だけであって、別に仏教でなくてもいいわけです。
ただ、必要以上に金が要るとか使うとか、また教義の上で問題があるのは危険です。
そこは各々が気をつけるしかないでしょうね。
でもこういう事項になるのはかなり少なく、巷にある宗教団体の多くは淘汰されOKが
出なくなりますね。なので無宗教になる人も多いのはそこかな?と思います。
以上簡潔ですが持論を述べさせていただきました。
213
:
サライ
:2011/05/01(日) 22:06:25
>>208
>>209
深見東州氏、小泉太志氏の分析、ありがとうございます。深見氏の本は何かと目に入ってしまうので、(笑)得るべき点は参考にして、今後、注意します。
>>210
書店の精神世界コーナーは確かに盛りだくさんですよね。私もあちこち目移りしますが、買っても読み切れませんね。日月神示は中矢氏という方の本、昔、1冊読みましたよ。なかなか、おもしろかったです。新宗教は最近週間ダイヤモンドやサピオ誌などでたまに、特集されるので、もう、カネ集めの組織になってる感じでシラケますよね。(もちろんアゴンもその一つ) 今後の、新宗教の展開は時代背景もあるし、厳しいでしょうね。天照さんの選択された、シンプルな釈迦仏教というのもよろしいかと思います。あと、私が思い浮かぶシンプルは、産土( うぶすな)神社ですかね。すべてを地元近くの神社におまかせしてしまう。一説によると、産土神はすべてお見通しといいますし。(だんだん、浄土教っぽくなってきてしまいました。やはり神も仏も最後は一つ、同じ物という気がします。)
214
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/05/02(月) 10:54:23
サライさん、ご意見いつもありがとうございます。
小泉氏はもう逝去されているので、ほとんど無意味的でありますが、深見氏は現在も元気に
活動中ですし、また疑惑・疑念が出ているので阿含宗と同じく考察が出来ますね。
私も奥にしまったダンボールから深見氏の本を取り出して、久々に展開してみようかな、
と思っています。
日月の中矢氏は相当な方と拝見していますが、でも日月のプロじゃない。
やはり研究・考察までは相当でも答を出しきれてない。
先般定価売りの本屋さんで中矢氏の本を見て「おお!どのような内容かなあ」と嬉々として
読みましたが、期待外れでした。
やはり過去の範疇を出ず、同じような内容でした。さすがに少しぐらいは今の時代に
あった、または過去からは変化した内容も出していますが、総じて言えば過去の著書の
上塗りです。リメイクでも良い。
どうしてそうなるか?それは中矢氏が如何に天才であったとしても神示を解明し、
それを実際の示唆にするのは別問題です。氏は宗教家でもいち宗派の開祖でもない。
ただ研究や考察だけなので、成しようはないのです。
また神示自体の考察を深めれば分かってきますが、あの「神示を降ろした神様自体」でも
先が分かってないのです。それを中矢氏が出せるはずなど無いのは当然です。
だから解説や論じるまでしか出来ないし、同じエリアから出れないのは当然なのです。
なので、もう日月も私は卒業しましたね。
215
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/05/02(月) 11:06:29
>>213
でサライさんの言われた最後の方の「やはり神も仏も最後は一つ、同じ物という気がします」
というのは私もそのように思い・感じています。
色々阿含宗も含め他宗の教えを考察してゆけば、まず分かるのが集金体制やオカルトものの宗派は
駄目だ、ということです。例えそれが仏教系でなくて他の宗教の絡みであったとしても、です。
神も仏も何を述べ、何を示唆しているのか。どういう存在で自分たちは接し講ずるのか、というのを
考えたらやはり雑多なものやおかしげなことは無いのが当然です。
そして神や仏は空気のような存在です。そして自由がある。
人間を制御したり操作したり抑制するのが今までの宗教の大半でしたが、それらは間違った邪教でした。
つまり信じるほうも信じさせるほうもどちらも本当のものを講じてなかった。
大きな言い方をすれば「魔界のようなもの」に騙されていた感じでしょうか。
端的に言えば本物ではなかったわけです。
これからの時代は偽物も残存しますが、本物も選べる時代になってきた。
こと仏教に関して言えば、まだまだではありますが私が20数年前に「調べることさえ難しかった」
のが今では手に入る時代に変わりました。それと同様、キリスト教でも神道でもその気になって
探せば本物への道が得られると思います。
そして、究極的には神も仏も差ほど変わらない。本当の神や仏はおしつけがましく、また嘘をつかない。
まやかしやオカルト的な内容や人間を喰うが如く操作などしないのです。
サライさんも相当な考察をされているのかと、推察します。素晴らしいですね。
217
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/05/03(火) 13:16:44
今、深見氏の本を探していたら、ひょんな本がここに。
「深見青山 その天才の秘密を探る」 磯崎史郎著 頸文社刊
それを見つけてすっかり忘れていたことを思い出した。
実はこの本は私に「深見氏」を教えてくれた法友が深見氏の本と一緒に
送ってくれた本なのです。
深見氏の本と、この深見氏への批判本(考察本という方が適しているかもしれない)
を一緒に送ってくれたところが又妙なのだが、実際送ってくれたのです。
この本はもしかしたら絶版で、もう書店では無いかもしれない。
図書館かもしくは中古本屋さんで見かけたら、ラッキーだしまた見て欲しい。
深見氏の本を再読してどこがどのように「おかしい」のかを出して行きます。
(この考察本は自考察の最後に出します)
まずは、深見氏の本からですね。
「神社で奇蹟の開運」という本と「御霊の力で開運する」が出てきたのでそこから
展開して行きます。勿論ヒットセラーになった他の本も出して行きます。
218
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2011/05/03(火) 13:47:51
高速で(笑)読んでみましたが、「御霊の力で開運する」があまりにも綺麗なので
何でかな?と思ったらO−ルドメイトさんへ資料請求したときに付いてきた
本ですね。深見氏の今までの著書とは違い「法話集」のような感じです。
この本はさほど重んじる項目は無いですね。なのでこの本への解説は無しです。
読んでみると分かりますが、ゲイカの法話に似たような内容も少しあります。
まさか深見氏がゲイカからパクった訳では無いでしょうが、まあそんな箇所や
全体の内容でもあまりピンと来ません。
「神社で奇蹟の開運」は後で意見を述べます。とりあえず簡単な本から、と
言うことで見てみたら、あまりにも取るに足りない内容だったので先に述べて
置いた次第です。ではまた。
219
:
サライ
:2011/05/04(水) 01:00:52
>>214
日月神示及び、中矢氏への見解ありがとうございます。中矢氏をもってしても、解明は難しいみたいですね。私も以前1冊読んだよしみで、2冊目で、これは、と思う著書があったら、読んでみようかとは思います。
>>215
ご賛同ありがとうございます。神、仏の先は"根元神"の世界、人智の及ばない世界なのでしょう。とはいっても、我々は日々、世間の生活をおくるため一喜一憂する現実があるわけですが。今回の震災は、「御利益宗教にすがっているどころじゃない、我々は被災者、被災犠牲者と共にある」、と一層、感じさせてくれました。伊勢白山道さんの"生かしていただいて、ありがとうございます"に同感です。伊勢さんのブログは最近はたまに覗く程度なんですが、震災後の的確なコメントに感心して、最近、また「内在神への道」をひっぱり出してきて、パラパラ見ています。(近著を購入する所まではしていませんが)
>>217
深見氏の研究、掘り下げ、期待しております。彼はゲイカみたいに「自分の教団がNo.1」とは言わず、「まあ、うちの所は15?番目〜○番目でしょう」と、一応控えめみたいですよ。(笑)
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