[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
御書研鑽
2
:
無名人
:2009/10/12(月) 12:01:59
題名 : 唱法華題目抄
執筆年次 : 文応元・5・28
聖寿 :39
西紀 :1260
著作地 :鎌倉・名越
大意 :法華経が正法であることを示し、法華経の題目を唱える功徳を述べている。末法は摂受ではなく折伏の“時”である。正邪の基準は利根や神通力によるのではなく、法門によるべきである。
3
:
無名人
:2009/10/12(月) 17:36:31
即座に悟りを得:
其の諸説を聴聞せし人幾百万といふ事をしらず、当座に悟をえし人は不退の位に入りにき。又法華経をおろかに心得る結縁の衆もあり、其の人人当座中間に不退の位に入らずして三千塵点劫をへたり。(唱法華題目抄)(p1)
通解: (大通智勝仏の十六人の王子)が説いたところの法華経を聞いた人の数は、幾千万人になるのか、数えることができないほど多くいた。そのうち、その場で直ちに悟りを得た人は、不退の位に入った。また、その十六人の王子と縁を結んだ衆生の中には、法華経をいい加減に考える人びともいた。その人びとは、その時以来、不退の位に入ることができないまま(退転して)、三千塵点劫という、数えきれないほど長遠の期間、苦悩の境涯を流転したのである。
4
:
無名人
:2009/10/13(火) 09:16:05
2: 甘言柔語を見抜く力
悪知識と申してわづかに権教を知れる人、智者の由をして、法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて、法華経を随喜せし心を打ち捨て、余経へうつりはてて、一生さて法華経へ帰り入らざらん人は、悪道に堕つべき事も有りなん。(唱法華題目抄)
通解: 悪知識といって、すこしばかり権教を知っている人が、智者の様子をして、法華経(南無妙法蓮華経の御本尊)が私たちの機根にあいにくい事情をやわらかに言うと、それを本当だと思い、御本尊を随喜して信じた心を打ち捨て、他の教えに移ってしまって、一生の間そのままで、御本尊のもとへ帰ってこないような人は、当然、悪道に堕ちることもあるでしょう。
5
:
無名人
:2009/10/13(火) 18:21:56
3; 躍動の信心根幹に教学研鑽
法華経を信じ侍るは、させる解なけれども三悪道には堕すべからざる候。六道を出る事は一分のさとりなからん人は有り難く侍るか。但し悪知識に値って法華経随喜の心を云いやぶられて候はんは力及ばざるか。(唱法華題目抄)
通解: 法華経(御本尊)を信仰する人は、さしたる仏法哲理に対する理解が無くても地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちることはない。ただ、苦・楽のあいだを悪循環する六道の境涯から脱皮することは、仏法哲理に対するわずかな理解もない人には難しいであろう。ただし、仏法への理解があるものでも、悪知識(善意の人をたぼらかす人)にあって、御本尊に対する随喜の心を言い破られてしまっては、六道の脱皮も不可能であろう。
6
:
無名人
:2009/10/14(水) 09:32:49
4: 謗法のいましめ
謗法と申すは違背の義なり随喜と申すは随順の義なり (唱法華題目抄)
通解: 謗法というのは、違背するということであり、随喜というのは素直に随うということである。
7
:
無名人
:2009/10/14(水) 17:54:27
5: 我慢の心
悪世の中の比丘は、邪智にして心謟曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂い、我慢の心充満せん(p6)
通解: 五濁が盛んな悪い世の中(末法)の僧は、邪な知恵をもち、心は自分の意思を曲げてこびへつらい、未だ悟りを得ていないのに得たと言い、おごる心が充満している。
8
:
無名人
:2009/10/15(木) 08:14:54
6: 善知識と悪知識 善人を破る悪知識
文の心は、悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり (p7)
通解:
文(章安大師が涅槃経の文についてのべたこと)の心は、悪知識というのは、甘い言葉で語りかけ、いつわり、こび、言葉巧みに、愚痴の人達の心を取って、善心を破るということである。
9
:
無名人
:2009/10/15(木) 17:26:12
7: 法に依って、人に依らざれ
仏の遺言の依法不依人と説かせ給いて候へば、経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か。(p9)
通解;
仏の遺言に、依法不依人(法に依って、人に依らざれ)と説かれているので、仏の経の通りに説かない人については、いかにその人がすぐれていようとも、信用してはならないといえよう。
10
:
無名人
:2009/10/16(金) 09:18:09
8: 慳貪を打破する利他行
「若以小乗化、乃至於一人我即堕慳貪、此事為不可」。文の心は、仏但爾前の経計りを説いて法華経を説き給はずば仏慳貪の失ありと説かれたり。(p15)
通解: 法華経の方便品に「もし、小乗の諸経によって衆生を化導し、一人にでも法華経を説かなかったなら、私(仏)は、慳貪に堕ちることになってしまう。このことは、してはならないことである」という文がある。この経文の意味は、仏が、ただ、仮の教えである爾前の経教だけを説いて、真実の教えである法華経を説かれなかったならば、仏に、慳貪の過失がある事になってしまう、と説かれたのであ
11
:
無名人
:2009/10/16(金) 18:21:35
9: 信仰者の姿勢
但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず(p16)
通解;
ただし法門(仏菩薩の教え)により邪正を糺しなさい。特殊な能力や、神通力に因ってはいけない。
12
:
無名人
:2009/10/17(土) 10:35:54
題名 : 立正安国論
対告衆 :北条時頼
執筆年次 :文応元・7・16
聖寿 :39
西紀 :1260
著作地 :鎌倉
大意 :立正安国論とは正法を立てて国を安んずる書との意で、本論では当時最も広く信仰されていた念仏を主に破析している。
13
:
無名人
:2009/10/17(土) 19:03:10
10 ;共に悩み共に語ろう
主人の曰く、独り此の事を愁いて胸憶に憤悱す。客来たって共に嘆く、屡談話を致さん。(p17)
通解:
主人が答えていうには、自分は一人このこと(災難、不幸)をうれい、胸の中に思い悩んでいた。そこへ、客が来てともに嘆くので、今これについて語り合おうと思う。
池田先生の指導:
日蓮大聖人は、人間としての共通の基盤に立って、社会の現状を嘆き憂える客人と対話を展開されているのである。社会の混乱、民衆の窮状を眼前にして、一人これを憂い、救済への無量の思いが、心中に満ちあふれんばかりになっているということである。確たる救済の原理を、いわずにはおれないという、やむにやまれぬご心境だったといえよう。そこで客が来て共に嘆くので、その社会の混乱と民衆の不幸の根本原因は何か、そしていかに救済すべきかについて、共に語り合おうといわれているのである。「共に嘆く」とは、人間としての共通点、共通の悩みに立ってということである。人間としての共通の基盤に立って、問題の解決をはかっていく――これが大聖人の基本姿勢であり、創価学会の実践の在り方なのである。民衆の苦悩を、自らの苦悩として、共に悩み、共に打開をはかっていこうという姿勢こそ、民衆救済に臨む日蓮大聖人の根本精神なのである。
14
:
無名人
:2009/10/18(日) 09:31:25
11;立正安国
倩ら微管を傾け聊か経文を披きたるに世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず (p17)
通解:
いま、おそれおおくも、わずかに眼を開いて、少しばかり経文を開いてみるのに、世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神は悉く国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。ために善神、聖人にかわって、魔神、鬼神が来、災いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にしていわなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。
池田先生の指導;
思想、宗教の力とはまことに恐ろしいものである。一人の人間の人生を徹底的に決めてしまうことはもちろんである。さらにそれが、いったん社会に流布し、全体の中に浸透したときに、思想は、もっともその威力を発揮する。思想の力に比べれば、権力、財力など物の数ではない。いかに巨大な権力をもとうが、いかに巨万の富を積もうが、その人一代限りで滅び去ってしまう場合もある。その興亡盛衰がいかにきびしいかは歴史が如実にこれを示している。だが、いったん社会の奥深く打ち込まれた思想は、その後何百年、いや何千年と生き残る。そして、社会の歴史に一貫した宿命をもたらす。そうなれば、もはや、その社会に生きる人は、その思想を自身では、信奉していると思わなくとも、知らずしらずのうちに、その影響を受けているのである。ひとたび、自覚して、これを打ち破らんとすれば、平穏な世界は変じて、いかに憎悪と怨嫉と迫害のきびしいかを知らされるのである。(立正安国論講義)
15
:
無名人
:2009/10/18(日) 17:48:56
12;仏法と社会
国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る(p19)
通解; 国土が乱れる時は、まずその前に鬼神が乱れる。鬼神が乱れて万民を悩ますゆえに、万民が乱れるのである。
池田先生の指導;
あらゆる分野の指導者たちが、一念を正すことが、今ほど緊急な時代はあるまい。それもたんなる反省とか意識変革などで変わりうるものではない。思想を支配するものが生命の働きである以上、より根源的なものを必要としている。すなわち、それは、仏法の真髄たる日蓮大聖人の生命哲学による以外にはない。(立正安国論講義)
16
:
無名人
:2009/10/19(月) 10:03:18
13: 立正安国 破邪顕正の祈りこそ
如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには
通解:
災難を根絶(こんぜつ)するには、かの千万の祈(いの)りを修(しゅう)するより
は、この一凶(いっきょう)を禁じなければならない。
池田先生の指導;
今日、念仏宗そのものは、大聖人にその根を断たれた結果、形骸化して、全く見る影もないが、現実逃避的、厭世的な思想は、ニヒリズムや刹那主義、快楽主義となってあらわれ、無気力、頽廃の風潮、終末意識が、現代人の心を、厚く重く覆っていることは否定できない事実である。たしかに、時代の行く手を真剣に見つめ、現実の自分自身を冷静に凝視し、深刻に考えれば考えるほど、無力感におそわれ、終末意識に陥らざるをえないといえるかもしれない。若者たちのあいだには、社会問題にはほとんど興味を示さず、全く自己中心となり、無気力、無責任、無関心、無感動の“四無主義”がはびこり、シラケムードがただよっているといわれている。私どもは、今こそ、立正安国の一書を掲げ、こうした風潮に、たくましく挑戦していかなくてはならない。一人一人が、この一書を胸奥に刻み、まことの地涌の勇士として、敢然と立ちあがろうではないか。(立正安国論講義)
17
:
無名人
:2009/10/19(月) 17:22:24
14: 謝れる宗教が混乱を招く
傍を好んで正を忘る、善神怒を為さざらんや。円を捨てて偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。
通解;
傍である念仏を好んで、正である法華を捨てるならば、どうして善神が怒らないわけがあろうか。円教である法華経を捨てて、偏頗な念仏を好んで、どうして悪鬼が便りを得ないことがあろうか。
18
:
無名人
:2009/10/20(火) 10:24:47
15; 妙法の偉大さ 蒼蝿驥尾に附して
予少量為りと雖も、忝くも大乗を学す。蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧羅松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子,一仏の子と生まれて、諸経の王に事う。何ぞ仏法の衰微を見て、心情の哀惜を起こさざらんや。(p26)
通解; 自分は器も小さく、取るに足らない人物ではあるけれども、忝くも大乗仏教を学んでいる。青バエは駿馬の尾について万里を渡り、緑色の葛は大きな松によって千尋ものびるというたとえもある。たとえ、器量は小さいとはいえ、仏弟子と生まれて諸経の王たる法華経を信ずる以上、どうして仏法の衰微するのをみて、哀惜の情を起こさないでいられようか。
池田先生の指導;
その人がいかなる価値創造を成すことができるかということは、まず、その人のもつ思想、理念、人生観などの法の勝劣、浅深によって決定されるのであって、単にその人の社会的地位や、性別、学歴、人生経験などで決まるものではけっしてないのである。大乗仏法の本義は、たとえ自分が今幸せでなかったとしても、人々を幸せにしていこうという、慈悲の精神にある。現在の自分の立場で、人々のために何をなしうるか、また、何をなさなければならないのか――この精神こそ、大乗仏法の精神なのである。信心の究極の姿は死身弘法である。法難にあって、華と散っていった熱原三烈士しかり、牧口初代会長しかり。また、今順延広布の時を迎えたわれわれは、このような法難にあわなくとも、広布達成をめざし、民衆救済のために、一生涯を捧げて前進しゆくことが、不惜身命、死身弘法の姿なのである。
19
:
無名人
:2009/10/20(火) 18:06:24
16; “悪”の助長に根本的クサビ
四方万邦、一切の四衆、其の悪に施さずして皆此の善に帰せば、何なる難か並び起り、いかなる災か競い来らん。
通解; 天下万民、一切衆生がことごとく、謗法の悪に布施せず、この正法たる日蓮大聖人の仏法に帰依するならば、災難はすべて止まり、必ずや国土は安穏となるのである。
池田先生の指導;
日蓮大聖人の仏法が、たんに日本一国のものでなく、全世界の大白法であることを明示された御文である。すなわち、御本仏日蓮大聖人のお心は、末法万年の全民衆を、ご自分と同じく成仏せしめんとの大慈悲心であれれる。そして、大聖人の弟子として、大聖人の大慈悲の御精神を精神として、末法広宣流布の大業を遂行しているのが、わが創価学会である。この一切衆生に差別なく注ぐ仏の慈悲に、世界の民衆が浴した時、はじめて信の恒久平和が実現されるのである。大聖人の仏法は、人間そのものに光をあて、心と心の深みに連帯のバネを与えていくものである。そして、仏法実践による「人間革命」運動、すなわち、人間、生命の側から、平和実現に絶え間なき挑戦をなしゆく団体が、創価学会なのである。創価学会は、民衆の中から生まれ、民衆の自発の意思で興隆してきた未曾有の和合僧団であり、未来も永久に民衆の側に立つものであり、絶対に権力の側に立つことはない。
20
:
無名人
:2009/10/21(水) 09:13:22
17; 望まれる精神土壌の浄化
所詮、国土泰平・天下安穏は一人より万民に至るまで好む所なり、楽う所なり。早く一闡提の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、仏海の白浪を収め、法山の緑林を截らば、世は羲農の世となり、国は唐虞の国と為らん。(p31)
通解; 所詮、国土太平・天下安穏は全民衆があげて欲するところであり、願うところである。一日も早く不信謗法者に対する布施を止め、ながく正法を護持する僧尼を供養して、仏法界を乱す一切の誤れる宗義を断絶してしまうならば、世は羲農の世となり、国は唐虞の国となって、万民が平和な生活を楽しめるようになるだろう。
池田先生の指導;
日蓮大聖人の仏法は、人生の苦悩と真っ向から取り組むことによって、社会、文化を指導し、蘇生させていくことができるのである。仏法は、一人ひとりの個人を、至高の尊厳者とすることをめざしたものといえる。この個人の人間革命を根底にして実現される最高の文化・社会が、我々の目指す寂光土なのである。わが創価学会の活動の根本は、あくまで「人間革命」であり、確固たる人間変革の土壌の上に、真の平和社会の樹立をめざしているのである。そして、我らの目指す理想の社会とは、人間が人間らしい生活を営むことができる社会であり、一人ひとりが常に向上してやまない社会といっていい。決して無味乾燥な定型化された社会ではない。一人ひとりの人間が最大に創造性を発揮していける社会でなければならない。そのためには、豊かな、絶えざる創造力の源泉たる仏界の生命を、内に開き、外に顕わしていくのが、創価学会の実践活動なのである。この個人の信仰実践の基盤の上に、生命の創造力が最大限に発揮できるような環境づくりも不可欠であろう。したがって、広宣流布とは、終わりのない革命であり、妙法という本源的な生命の泉を汲みつつ、永久に持続しゆく、人間と社会と文化の絶えざる革命であるといっておきたい。
21
:
無名人
:2009/10/21(水) 18:00:24
18; 立正安国 蘭室の友
鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦ばしきかな汝蘭室の友に交って麻畝の性と成る(p31)
通解; 鳩がけして鷹となり、雀が変じて蛤となるという(たとえが礼記にある)が、悦ばしいことに、あなたが蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人に交わって感化を受け、蓬のように曲がっていた邪信が、麻のように素直な正信になることができた。
池田先生の指導;
人は環境を支配し、周囲の人を動かしていくこともできるが、逆に環境に支配され、人に動かされる面も少なくない。自己に確固たる指針と信念のない人は、むしろ、動かされ、支配されることのほうが多い。環境や交際する友人が大切である所以である。しかしながら、最初から確固たる指針や信念をもっている人はいない。もっている人と触れ合うことによって、おのずから自己を確立することができるのである。そのためには、妙法の信仰者の一人ひとりが、蘭室の友になっていかなければならないのである。また、自身の周囲に、職場にも、地域社会にも、妙法の麻畑をつくっていかなければならない。それには、つねに信心を深め、人格を磨ききっていきたいものである。透徹した信仰でつちかわれた馥郁たる生命の香りは、おのずと仏法の偉大さを、周囲の人々に知らしめていくからである。仏法護持者としての主体性と襟度をどこまでも失うことなく、社会にあっては、人間としての行動、態度、姿勢のうえから、人々の共感を呼び、信頼されていくところに、信仰者の勝利の顕証があり、それ自体が蘭室の友の義となるのである。仏法で磨き抜かれた人間性をもって、わが妙法の友の一人ひとりが、激動と混迷の社会のゆく手を、あかあかと照らしゆく灯台の存在になっていただきたい、と念願してやまない。(立正安国論講義)
22
:
無名人
:2009/10/22(木) 10:32:27
19; 人心の荒廃は思想の乱れに帰因
国土乱れん時は、先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に、万民乱る。(p31)
通解: 国土の乱れる時には、まず鬼神すなわち思想・宗教が乱れる。思想・宗教が乱れるが故に、万民も乱れるのである。
池田先生の指導;
思想の乱れが民衆の乱れを惹起し、民衆の乱れが国土の乱れを招くとの原理である。この逆をいえば「法妙なれば人貴し。人貴ければ所尊し」となる。ゆえに、民衆の幸福、国土の安穏を築くためには、まず善法、正法を確立することが肝要である。(立正安国論講義)
23
:
無名人
:2009/10/22(木) 17:19:15
20; 社会の安泰、平和を願う精神
国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん。汝須く一身に安堵を思わば、先ず四表の静謐を祈らん者か。(p31)
通解; 国土を失い、家が滅亡してしまったならば、一体どこにのがれていけるであろうか。あなたはすべからく、一身の安堵を願うならば、まず社会の静穏、平和を祈るべきである。
池田先生の指導;
社会の問題は、そのまま自己の問題として降りかかってくる。この現実の世界を遁れて、自分というものはありえない。したがって、われわれは宗教的使命を社会人としての人間的使命に昇華させつつ、時代の推移や民衆の不幸を、決して等閑視してはならないし、真っ向から取り組んでいくべきである。一身の安堵とは、個人の生活の安泰、一家の幸福である。四表の静謐とは、社会の繁栄、世界の平和である。すなわち、自己の幸福を願うならば、まず社会の安定、繁栄、世界平和すなわち広宣流布を祈るべきであるということである。これも、信仰者の生きる姿勢を示されたものとして、重要な指針といえる。広宣流布、世界平和を祈り、実践していくなかに、はじめて一身の安堵はかなえられていくのである。逆にいえば、一人ひとりの真の幸福を確立するための広宣流布であり、世界平和なのである。また、「四表の静謐を祈る」行動とは、一人ひとりの生命の内からの変革による“個”の確立が、社会の平和と繁栄を支える基盤であることを意味している。信仰の実践によって、生命の根本から変革し、その変革された人間群像によって、本当の意味での社会変革が可能となり、恒久平和が樹立されるのである。今、私どもの進める広宣流布の活動においては、革命の成就までは犠牲もやむなしとされ、革命が成功した瞬間なら幻滅が感じられるという多くの革命とは、根本的に異なっている。また、いかに望ましい革命と雖も、生命尊重の一線は断じて守りぬかなければならないし、この一線を踏みにじる革命は、もはやただの暴挙にすぎないと主張したい。それを現実に実践しているがゆえに、創価学会の平和運動を「慈悲と道理の無血革命なり」と誇れるのである。(立正安国論講義)
24
:
無名人
:2009/10/23(金) 11:07:07
21; 「立正安国」の起点
汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく土に破懐無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん。(p32)
通解; あなたは、一刻も早く誤った宗教への信仰の寸心を改め、速やかに実乗の一善である妙法に帰依しなさい。そうすれば、すなわち、この三界は皆仏国である。仏国であるならばどうして衰えることがあろうか。十法はことごとく宝土である。宝土がどうして壊れることがあろうか。国に衰微が無く、国土が破壊されることが無くなれば、身は安全になり、心にはなんの不安も無くなるのである。
池田先生の指導;
「実乗の一善に帰せよ」とは、この正法をもって信仰の根本とせよとのご命令である。この大聖人の御遺命を奉じて、御弟子日興上人以来七百年、その時を待って大御本尊を護持してきたのである。今時来り、創価学会の出現によって、大聖人のご遺命は着々と実現されつつある。仏の金言を虚妄にしないことが仏弟子の使命である。我らの仏法拡大の戦いによって、大御本尊の威光が燦然と輝きを増し、多くの不幸の民衆が救われていることは、無上の喜びといわなければならない。「三界は皆仏国なり」とは、正法が流布して、社会の指導理念になったとき、人間が生きているこの現実社会それ自体が、仏国になるということである。仏国とは、生命尊厳の理念に貫かれた社会であり、実際に生命を最高に尊重していく社会をいう。また、最高の文化社会、すなわち「人間の、人間による、人間のための文化」が実現した社会ともいえよう。仏法よりみるなら、自然もまた調和あるリズムを奏でつつ、変転を重ねる一個の巨大な生命的存在であるといわざるをえない。この自然を動かす根源のリズムを、南無妙法蓮華経であるととらえたのが、日蓮大聖人の仏法である。この根源の一法は、同時に、人間生命を支え、動かす存在でもある。大宇宙と人間生命をともに貫き、支え、生み出す根源の一法こそ、南無妙法蓮華経なのである。この妙法の働きが弱くなり、全体のリズムが狂いを生じた場合には、大自然も人間も、ともに生ける生命体としての力を失い、崩壊へと向かうのである。逆に、人間生命の中に妙法の力が湧現してくれば、心身は躍動し、ひいては大自然へも波及し、変革し、蘇生させていくのである。仏法の偉大さは、人間はもとより社会、国土に生き生きとした力を与えることである。妙法の信仰は、たんなる一個人の人間革命にとどまらず、大きく病める社会、国土の蘇生につながり、豊かな自然の「宝土」を築くことになるのである。国家、民族が栄え、国土が平和で、災害も起きなければ、はじめて民衆の個人個人の物心ともの幸福が樹立できるのである。しかして、その要諦は、広宣流布の実現であり、立正安国の原理である。したがって、広宣流布への実践を忘れ、世界平和への行動なくして、ただわが身の幸福、平穏を願ったとしても、それは絶対に実現できるものではない。正しい仏道修行には、全人類の平和と繁栄を願う祈りと、実践がなくてはならない。初代、二代と歴代の会長が、仏法のため、民衆のため、平和のために生命を賭して築いてきた創価学会が、世界の恒久平和を実現し、全人類の無上最大の幸福を獲得することを目的としてきたのは、まさにこの大聖人の教えに叶っているといえよう。今後も、「命限りあり、惜む可からず。遂に願う可きは仏国也」(p955)の御金言を胸に、生涯この路線を、ともどもに進もうではないか。現在も、そして将来においても、猶多怨嫉の経文通り、さまざまな非難中傷もあるであろう。しかし広宣流布する以外に道はない。その使命を自覚して、生涯持続し、実践する人こそ、まことの地涌の菩薩である。その人は、根本的な智慧、生命力を発揮して、いかなる苦悩も歓喜にかえ、たえざる変革と創造のなかで、かならず希望の未来を開くことができるのである。(立正安国論講義)
25
:
無名人
:2009/10/23(金) 18:10:45
22; 折伏
唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ(p33)
通解; ただ自分ひとりが信ずるのみならず、他の人達の誤りも戒めていきたいと思う。
池田先生の指導;
客は、ただ自分が信ずるだけでなく、他の誤りをも戒めん、と利他の実践を誓っている。この結語こそ、立正安国論を貫く根本精神であり、大乗仏法の姿勢を端的に表明したものである。真の正義とは、必然的に社会へ訴えかけ、働きかけていくものである。なかんずく指導的立場にある人は、率先して正法に目覚めるべきである。そうでなくては、自身の幸福もありえないのは当然として、社会や国土を繁栄させることもできないからである。さらに、この御文は、安国論が、権力そのものに働きかけようとされたのではなく、あくまでも、為政者個人に対する、宗教次元、生命次元における諌暁だったことの証でもある。ともあれ、われわれ仏法者にとって、立正安国論の最後の一句が折伏論で結ばれている事実は、重大な意味がある。すなわち、誤った宗教、低級な思想、浅薄な人生観に迷う不幸な民衆に、正法を知らしめて行く利他の折伏行こそ、立正安国論の実践の要諦と拝することができるのである。大聖人は、この仏法の根本精神から、この一書をもって、当時の為政者を諌暁されたのである。すなわち、安国論は、民衆救済の実践の書でもある。大聖人ご一代の化導が、立正安国論に始まり、立正安国論に終わる、といわれるのは、大聖人のご一生が、立正安国の戦いに終始されたということであり、安国論に叫ばれた精神の展開であったということである。だが、人間の歴史が、たえまなく流れ動いていくように、立正安国の戦いも、決してある一時点で終わるものではなく、どこまでも持続していく活動なのである。創価学会は、御本仏日蓮大聖人が身をもって範を示された立正安国の精神をそのままに受け継ぎ、永遠に民衆の苦悩をわが身に受け止め、妙法の信行学を骨髄に、人間革命運動をすすめ、平和を守り、文化の興隆に貢献していくであろう。御本尊と御書を根本にした、この創価学会の平和運動こそ、御本仏日蓮大聖人に直結し、御仏意に叶った立正安国の戦いであると確信する。わが妙法の友は、日蓮大聖人の真の弟子として、常に民衆と社会に基盤をおき、民衆の幸福確立、世界平和創出という、崇高な慈悲の実践で、尊い一生を送っていただきたいと、心より念願するものである。(立正安国論講義)
26
:
無名人
:2009/10/24(土) 10:06:16
題名: 題目弥陀名号勝劣事
執筆年次: 文永元
聖寿: 43
西紀: 1264
大意: 法華経の題目と諸仏の名号の勝劣が詳述。釈迦の出世の本懐が法華経にあり、法華経の題目こそ一切諸仏の根本である。
27
:
無名人
:2009/10/24(土) 16:13:22
題名; 安国論御勘由来
対告衆; 法鑒房
執筆年次; 文永5・4・5
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 立正安国論を鎌倉幕府宛に奏した由来が書かれている。
28
:
無名人
:2009/10/25(日) 09:44:59
題名; 立正安国論奥書
対告衆;
執筆年次; 文永6・12・18
聖寿: 48
西紀: 1269
著作地; 鎌倉
大意: 「立正安国論」を書写し、その後書き加えたもの。大聖人の予告が悉く的中したのは法華経の力の故である。
29
:
無名人
:2009/10/25(日) 18:52:17
題名; 安国論別状
対告衆;
執筆年次; 文永9・7・26
聖寿: 51
西紀: 1272
著作地; 佐渡・一ノ谷
大意: 立正安国論の副状。立正安国論の正本が富木常忍のところにあることが示されいる。
30
:
無名人
:2009/10/26(月) 09:52:13
題名; 守護国家論
対告衆;
執筆年次; 正元元
聖寿: 38
西紀: 1259
著作地;
大意: 当時の災難の原因は、法然の選択集による謗法のためであると、念仏を徹底して破析している。
31
:
無名人
:2009/10/26(月) 19:35:32
23; 経論を以て邪正を直す
願わくば一切の道俗一時の世事を止めて永劫の善苗を植えよ。今経論を以て邪正を直す。信謗は仏説に任せ敢て自義を存する事無かれ。
通解; 願わくば、一切の出家し仏道修行に励む人たち・世俗の信仰者たちよ。一時の世俗の諸事を差し置き(この「守護国家論」の真意をよく理解し)未来永遠にわたる幸福の苗を植えなさい。今、ここには、経論によって(教えの)邪正を糾明することにする。信ずるか謗るかは、ひとえに仏説に任せ、あえて自分勝手な言い分をもつことがあってはならない。
32
:
無名人
:2009/10/27(火) 09:41:32
24; 妙法の“名翻訳者”
訳者に於ても梵・漢未達の者、権教宿習の人有って、実の経論の義を曲げて権の経論の義を存せり。(p45)
通解; (経典の)翻訳者においても、インド語と中国語に通達していない者、また、権教(真実を明かしていない仮の教え)がすっかり命に染まりついてしまっている人があって、真実の経論の意味を曲げて訳し、権教的な考え方をもたせてしまったのである。
33
:
無名人
:2009/10/27(火) 17:59:45
25; 虚は多く実は少なし
今の世の一切の凡夫設い今生を損すと雖も上に出す処の涅槃経第九の文に依って且らく法華・涅槃を信ぜよ。其の故は世間の浅事すら展転多き時は虚は多く実は少し。況や仏法の深義に於いてをや。(p45)
通解; 今の代の一切の凡夫は、もし仮に、正しい仏法を信仰することによってこの一生を無駄にするようなことがあるといっても、上述したところの涅槃経第九の文によって、しばらく法華・涅槃の正法を信じなさい。その理由は、世間の浅薄な問題でさえ、次から次へと伝わり広まっていくときには、偽りは多く真実は少ないのである。まして、仏法の深い教義においては、なおさらのことである。
34
:
無名人
:2009/10/28(水) 10:26:42
26; 法華の大海は涸れず
末代濁悪の無慚無愧の大旱魃の時、四味の川流江河は渇ると雖も法華経の大海は減少せず等と説き了って、次下に正しく説いて云く「我滅度の後後の五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於て断絶せしむること無けん」と定め了んぬ。(p48)
通解; 仏は、末法濁悪の世の、恥じる心のない、清らかな心の水のかれ果てた、精神の大旱魃の時、四味(真実を説き明かしていないもろもろの権教)の河川の流れはかれるといっても、法華経の大海の水は、いささかも減少することはない、等と説き終わって、その後に、まさしく次のように説いている。すなわち「私が入滅して後、後の五百歳(末法)の世に広宣流布し、全世界において断絶せしめることはないであろう」と定められてのである。
35
:
無名人
:2009/10/28(水) 18:07:26
27;妙法の偉大さ
無上道とは南無妙法蓮華経是なり(p49)
36
:
無名人
:2009/10/29(木) 08:55:03
28; 幸せを破壊する悪師
適宿善有って実教に入りながら、一切衆生を化して権教に還らしめ、剩得実教を破せしむ。豈悪師に非ずや。(p56)
通解; たまたま、宿善があって真実の教え(法華経)の道に入りながら、自ら退転し、一切衆生を経化して権教(真実を説いていない仮の教え)である念仏宗にかえらしめ、そのうえさらに、真実の教えである法華経を破壊せしめる。ということは、これはまさしく悪師ではないか。
37
:
無名人
:2009/10/29(木) 21:00:42
29; 人生を破滅させる悪友
悪象の為に殺されては山趣に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る。是の悪象等は但身の怨と為り、悪知識は善法の怨と為らん。是の故に菩薩常に当に諸の悪知識を遠離すべし。(p65)
通解; 悪象のために殺されては地獄・餓鬼・畜生の三趣におちない。悪友のために殺されれば必ず三趣に至る。この悪象等はただ身の怨となり、悪知識は善法の怨となるのである。この故に菩薩は常にもろもろの悪知識を遠ざけはなすべきである。
38
:
無名人
:2009/10/30(金) 10:35:27
30; 悪知識をも善に変える信心
謬って悪知識を信じ邪法を習い此の正を空しうすること莫れ。(p66)
通解; 誤って悪知識を信じ、邪法を習って、この一生を空転させるようなことがあってはならない。
39
:
無名人
:2009/10/30(金) 17:54:55
31; 信ずることの尊さ
法華経は即ち釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には、釈迦牟尼仏入滅をとり、此の経を信ずる者の前には、滅後為りと雖も仏の在世なり。(p66)
通解; 法華経は、すなわち釈迦牟尼仏である。法華経を信じない人の前には、釈迦牟尼仏は、死の姿を取り、この法華経を信ずる者の前には、たとえそれが仏の滅後であっても、仏の在世である。
40
:
無名人
:2009/11/01(日) 11:17:31
32; 無疑曰信が大善の人生に
設い前に解心無くともこの法華経を聞いて謗ぜざるは大善の所生なり。(p70)
通解; たとえ、前もって仏法哲理に対する明らかな理解が無くとも、法華経(三大秘法の南無妙法蓮華経)の教えを聞いてそしることなく、素直に信ずることができるのは、生命に宿っている大善のもたらすところなのである。
41
:
無名人
:2009/11/01(日) 18:40:05
33;偶然でない妙法との出あい
法華経流布の国に生まれて此の経の題名を聞き、信を生ずるは宿善の深厚なるに依れり。設い今生は悪人無知なりと雖も必ず過去の宿善有るが故に、此の経の名を聞いて信を致す者なるが故に悪道に堕せず。(p70)
通解;法華経(御本尊)が流布する国に生まれ、法華経の題名を聞いて信を生ずるということは、過去世に積んだ善根が深く厚いことによるのどある。たとえ、今生において、仏法に無知な悪人であっても、必ず過去に善根を積んでいるので、法華経の名を聞き信ずるようになるのである。したがって、その人は悪道におちないのである。
42
:
無名人
:2009/11/02(月) 11:09:27
34;邪師に従えば未来まで堕地獄
道俗法の邪正を分別して其の後正法に就て後生を願え今度人身を失い三悪道に堕して後に後悔すとも何ぞ及ばん(p70)
通解;出家も在家も、法の正邪を分別した上で、正法に従い、後生の安穏を願うべきである。このたび〈今世で邪法を信じたため、来世で〉人に生まれることができず、三悪道に堕ちてしまえば、後で後悔しても、取り返しがつかないであろう。
池田先生の指導;邪師を信じれば、今世のみならず、未来世にわたって大苦悩を受ける。後悔しきれない大不幸である。“僧も俗も邪正をはっきり見極めよ”と御本仏は強く仰せである。(1992・5・18関西総会)
43
:
無名人
:2009/11/02(月) 17:40:20
35;現実の中に築く理想郷
法華涅槃を信ずる行者は余処に求む可きに非ず。此の経を信ずる人の所在の処は即ち浄土なり。(p72)
通解;法華経、涅槃経を信ずる行者は、浄土をどこか他の所に求めるべきではないのである。この経(法華経、涅槃経)を信ずる場所こそが浄土なのである。
44
:
無名人
:2009/11/03(火) 11:02:03
題名; 災難対冶抄
執筆年次; 正元2
聖寿: 39
西紀: 1260
大意: 国土に災難が起きるのは謗法のゆえであるとし、特に法然の選択集をあげて、速やかに謗法への施しを止め対治すべきであるとしている。
45
:
無名人
:2009/11/03(火) 18:17:42
36;
「速に謗法の者を治す可し若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留む可からざるなり」(p85)
46
:
無名人
:2009/11/04(水) 11:43:30
37;「施を留めて対治す可しと見えたり」(p85)
47
:
mumeijinn
:2009/11/04(水) 18:00:12
題名; 念仏者追放宣旨事
執筆年次; 正元元
聖寿: 38
西紀: 1259
大意: 「念仏者・追放せしむる宣旨・御教書・五篇に集列する勘文状」の略。
48
:
mumeijinn
:2009/11/05(木) 11:26:16
38: 信は仏道の源
信は道の源功徳の母と云へり菩薩の五十二位には十信を本と為し十信の位には信心を始と為し諸の悪業煩悩は不信を本と為す (p97)
通解;信は仏道の根源であり、功徳を生ずる母であるという。菩薩の修行の位である五十二位においては、十信を本とし、十信の位では、信心をはじめとしている。また、もろもろの悪業や煩悩は不信を本とするのである。
49
:
mumeijinn
:2009/11/05(木) 18:03:39
39;常に源に還る姿勢
流を酌む者は其の源を忘れず、法を行ずる者は其の師の跡を踏む可し。(p100)
通解;仏法の流れを受けつぐ者は、其の源を忘れてはならない。また仏法を修行する者は其の師匠の足跡を踏むべきである。
50
:
mumeijinn
:2009/11/06(金) 11:10:21
題名; 念仏無間地獄抄
執筆年次; 建長7
聖寿: 34
西紀: 1255
大意: 念仏は無間地獄の業因,法華経が成仏得道の直路,念仏を捨て法華経を持ち無上菩提を得るべきである.依経や開祖の教義を詳細にあげて批判し、正法誹謗の罪によって地獄に堕ちる.
51
:
mumeijinn
:2009/11/06(金) 17:35:56
40; 一知半解の仏教観
世間には智者と思はれたる人人、外には智者気にて内には仏教を弁へざるが故に、念仏と法華経とは只一つなり。南無阿弥陀仏と唱うれば法華経を一部よむにて侍るなんど申しあヘリ。(p111)
通解;世の中で、智者と思われている人びとは、外面ではいかにも智者らしく振る舞っているが、内面では仏教をわきまえていないので、念仏と法華経とは全く同一である、と言っている。また、南無阿弥陀仏と唱えれば法華経一部二十八品を読誦したことになるなどと言い合っているのである。
52
:
無名人
:2009/11/07(土) 07:06:26
41: 過去世よりの大福運を確信
法華経の題目は過去に十万億の生身の仏に値ひ奉って、功徳を成就する人、初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き、始めて信を致すなり。(p111)
通解;法華経の題目(三大秘法の南無妙法蓮華経)は、過去に、十万億という数えきれないほど多くの仏にあいたてまつって仏道修行に励み、測り知れない功徳を成就した人が、はじめてこの妙法蓮華経の五字の名を聞き、はじめて信受し唱えるところの題目なのである。
53
:
無名人
:2009/11/07(土) 19:25:40
42;無意識のうちの惰性
仏教を以て仏教を失ふこそ失ふ人も失ふとも思はず。只善を修すると打ち思うて、又そばの人も善と打ち思うてある程に、思はざる外に悪道に堕つる事の出来候なり。(p115)
通解;仏教を持ちながら、仏教の精神を失う場合については、失う人もまさか自分が失っているとは思わない。ただ善行を修しているとのみ思っている。また、そばの人も善行を修しているとばかり思っているうちに、意外と悪道に堕ちることが起こってしまうのである。
54
:
mumeijinn
:2009/11/08(日) 12:10:35
題名; 当世念仏者無間地獄事
対告衆; 浄円房
執筆年次; 文永元・9・22
聖寿: 43
西紀: 1264
著作地; 安房
大意: 「千中無一」「捨閉閣ほう」の邪義は法華経への信仰を止め、謗法の重罪をつくっている。念仏者の臨終の際の狂乱の姿を示し、また依経を破析してその日非を責めている。
55
:
無名人
:2009/11/08(日) 18:36:25
題名; 法華浄土問答抄
対告衆;
執筆年次; 文永9・1・17
聖寿: 51
西紀: 1272
著作地; 佐渡・塚原
大意: 佐渡で念仏僧・弁成との法論の内容を記した書。
56
:
mumeijinn
:2009/11/09(月) 10:00:30
題名; 法華真言勝劣事
執筆年次; 文永元・7・29
聖寿: 43
西紀: 1272
著作地; 鎌倉
大意: 真言宗の立義は仏の教説に反する邪義であり、論師・人師の立義であるから根拠が不明である。
57
:
無名人
:2009/11/09(月) 19:43:50
43;妙法は生命諸活動の本源
過去現在の諸仏法華経を離れて成仏す可からず。法華経を以て正覚を成じ給う。法華経の行者を捨て給わば諸仏還って凡夫と成り給うべし。恩を知らざる故なり。(p124)
通解:過去、現在の、もろもろの仏は、法華経(三大秘法の南無妙法蓮華経)を離れて成仏することは不可能である。あくまでも、この法華経によって正しい覚りを成じられるのである。したがって、この法華経の実践者(別して日蓮大聖人)を捨てられるならば、もろもろの仏は、かえって、凡夫となられてしまうのである。それは、恩を知らないからである。
58
:
無名人
:2009/11/10(火) 10:45:09
題名; 真言七重勝劣事
執筆年次; 文永7
聖寿: 49
西紀: 1270
著作地; 鎌倉
大意: 真言宗の依経である大日経と法華経を比較相対し、大日経は七重の劣である。
59
:
無名人
:2009/11/10(火) 18:55:23
題名; 真言天台勝劣事
執筆年次; 文永7
聖寿: 49
西紀: 1270
著作地; 鎌倉
大意: 天台法華と真言密教の勝劣を五問答により明かされている。
60
:
無名人
:2009/11/11(水) 07:09:20
題名; 真言諸宗違目
対告衆;富木常忍
執筆年次; 文永9・5・5
聖寿: 51
西紀: 1272
著作地; 佐渡・一ノ谷
大意: 大聖人の流罪が仏意による事、また諸宗の誤りを明らかにしたことを述べ、信心を勧められている。
61
:
無名人
:2009/11/11(水) 17:22:38
44;苦難はね返す強靭な生命力
日蓮流罪に当たれば教主釈尊衣を以て之を覆いたまわんか。去年九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか。「必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し」等とは是なり。(p141)
通解;日蓮が流罪にあったので教主釈尊は衣で私を覆ってくださったのだろう。去年(文永八年)九月十二日の夜中、竜の口の首の座という虎口も、仏の守護によってのがれたのではないだろうか。妙楽大師が「必ず信心の固いことによって神の守りも強い」等といったのはこのことである。、
62
:
無名人
:2009/11/12(木) 19:02:42
45; 教によって人の勝劣を定む
法華経の外の諸経の大菩薩は法華の名字即の凡夫より下れり。何ぞ汝始めて之を驚かんや。教に依って人の勝劣を定む。先ず経の勝劣を知らずんば何ぞ人の高下を論ぜんや。(p141)
通解;法華経以外の諸経典をよりどころとして修行するどんな立派な菩薩でも、(その位は)法華経の信仰に入ったばかり(名字即)の凡夫に及ばないのです。どうして、あなたが、はじめてこの道理を知って驚くのでしょうか。よりどころとする経教によって、人の勝劣を定めるのです。だから、まず、経教の勝劣を知らなければ、どうして人の高下を論ずることができましょうか。
63
:
無名人
:2009/11/13(金) 10:38:13
題名; 真言見聞
対告衆;
執筆年次; 文永9・7
聖寿: 51
西紀: 1272
著作地; 佐渡・一ノ谷
大意: 真言亡国の所以を経論を引き釈に照らし現証をあげて論述。顕密二教判・理同事勝等の真言教義の誤りを指摘している。
64
:
無名人
:2009/11/13(金) 17:56:21
46; 宗教心の基盤に妙法を
一戒をも犯さず、道心堅固にして後世を願うと雖も、法華に背きぬれば無間に堕ちて展転無数劫と見えたり。(p142)
通解;一つの戒律をも犯すことなく、仏の境地を目指す心も堅固であって、未来の世の幸せを願うといっても、法華経(三大秘法の南無妙法蓮華経)にそむくならば、絶え間ない苦しみの境涯に堕ちて、数えられないほど長遠の期間ころがっていくことが明らかである。
65
:
無名人
:2009/11/14(土) 10:43:27
47; 成仏が仏法の本意
仏法は自他宗異なると雖も、翫ぶ本意は道俗貴賎共に離苦得楽現当二世の為なり。謗法に成り伏して悪道に堕つ可くば、文殊の知恵・富楼那の弁舌一分も無益なり。(p143)
通解; 仏法は、自宗、他宗と異なるといっても、手に取り繰り返し大事にし探求する本意は、出家か在家か、身分が貴いか、賎しいかにかかわりなく、ともに苦しみを離れて楽しみを得、現在と未来にわたる幸福を得んがためである。それなのに(真実の仏法がわからず)謗法の者となって悪道に堕ちてしまったならば、文殊菩薩のようなすばらしい智慧や富楼那のような雄弁をもっていたとしても、それらは少しの利益にもならないのである。
66
:
無名人
:2009/11/14(土) 17:42:57
題名; 蓮盛抄
別名; 禅宗問答抄
対告衆;
執筆年次; 建長7
聖寿: 34
西紀: 1255
著作地;
大意: 本抄は立宗まもない頃の書であり、問答形式によって禅宗を破折している。
67
:
無名人
:2009/11/15(日) 10:44:27
48; 妙法こそ一切衆生の福田
法華経こそ人天の福田なれば旨と人天を経化し給ふ。故に仏を天人師と号す。此の経を信ずるものは己身の仏を見るのみならず、過現未の三世の仏を見ること、浄頗梨に向ふに色像を見るが如し。(p151)
通解;法華経(私たちの立場では、南無妙法蓮華経の御本尊)こそ人天の福田であるので、もっぱら人天を経化されるのである。だから、仏を天人師というのである。この経を信ずるものは、己身の仏を見るだけでなく、過去・現在・未来の三世の仏を見ることができ、それは、あたかも、浄頗梨という鏡(閻魔大王の住む光明院・中殿の裏にあるといわれる九面の大鏡台で、死んだ人が生前に行った善悪の所業すべてを映し出すといわれている)に向かったとき、自分の姿をあますところなく映し出すようなものである。
68
:
無名人
:2009/11/15(日) 17:46:03
49; 師匠を持て
(止観に云く) 「師に値わざれば邪慧日にも増し生死月に甚し稠林に曲木を曳くが如く出づる期有ること無けん」云云(p153)
通解: 摩訶止観に「師にあわなければ邪(よこしま)な智慧(ちえ)が日ごとに増
し、生死の苦しみは月ごとに甚(はなは)だしい。密林(みつりん)に曲(ま)がっ
た木を曳(ひ)くように、生死の苦しみから出る時期がない」とある。
69
:
無名人
:2009/11/16(月) 04:26:09
題名; 八宗違目抄
別名;
対告衆; 富木常忍
執筆年次; 文永9・2・18
聖寿: 51
西紀: 1272
著作地; 佐渡・塚原
大意: 法華経と八宗の勝劣浅深を明かし、法華経のみが真の皆成仏道の経典である。
70
:
無名人
:2009/11/16(月) 17:56:34
題名; 早勝問答
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永8
聖寿: 50
西紀: 1271
著作地; 鎌倉
大意: 諸宗との問答に際し、予想される質問をあげ、その破折の要領を述べている。
71
:
無名人
:2009/11/17(火) 10:49:44
題名; 宿屋入道への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・8・21
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 国家・国民を救うために蒙古を調伏できるのは大聖人の一人である旨を述べ、北条時宗と対面する上からも、宿屋入道に見參したい旨を伝えられている。
72
:
無名人
:2009/11/17(火) 18:24:35
題名; 北条時宗への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 立正安国論の予言が的中したのだから、速やかに諸宗への布施を止め、公場にて仏法の正邪を決するよう諫めている。
73
:
無名人
:2009/11/18(水) 11:07:39
題名; 宿屋左衛門光則への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 十一通御書の一つ。
74
:
無名人
:2009/11/18(水) 18:15:17
題名; 平左衛門尉頼綱への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 十一通御書の一つ。
75
:
無名人
:2009/11/19(木) 10:19:36
50; 妙法は諸天の威食
夫れ以れば一乗妙法蓮華経は諸仏正覚の極理諸天善神の威食なり。(p171)
通解: 抑考えてみると、一乗の法である妙法蓮華経は、諸仏の悟りの極理であり、諸天善神によって威力を増す食物である。
76
:
無名人
:2009/11/19(木) 21:08:14
題名; 北条弥源太への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 十一通御書の一つ。
77
:
無名人
:2009/11/20(金) 08:24:18
題名; 建長寺道隆への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 建長寺開山道隆に対して仏法の正邪を決するために速やかに公場対決することを要請。十一通御書の一つ。
78
:
名無しさん
:2009/11/20(金) 19:00:36
題名; 極楽寺良観への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 十一通御書の一つ。
79
:
無名人
:2009/11/21(土) 10:28:24
題名; 大仏殿別当への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 十一通御書の一つ。
80
:
無名人
:2009/11/21(土) 17:08:21
題名;寿福寺への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 十一通御書の一つ。
81
:
無名人
:2009/11/22(日) 08:55:02
題名;浄光明寺への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 十一通御書の一つ。
82
:
無名人
:2009/11/22(日) 18:13:25
題名;多宝寺への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 十一通御書の一つ。
83
:
無名人
:2009/11/23(月) 10:15:00
題名;長楽寺への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 十一通御書の一つ。
84
:
無名人
:2009/11/23(月) 17:19:46
題名;弟子檀那中への御状
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永5・10・11
聖寿: 47
西紀: 1268
著作地; 鎌倉
大意: 日蓮および弟子檀那は流罪・死罪は必定であるとし、法難に対する覚悟と心構えを述べ、さらに不惜身命の仏道修行こそ成仏の要因。
85
:
無名人
:2009/11/24(火) 10:27:23
51;
各各用心有る可し少しも妻子眷属を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切つて仏果を遂げしめ給え (p177)
86
:
無名人
:2009/11/24(火) 18:09:05
題名;問注得意抄
別名;
対告衆; 富木常忍外2人
執筆年次; 文永6・5・9
聖寿: 48
西紀: 1269
著作地; 鎌倉
大意: 富木常忍・四条金吾・大田金吾の3名が問注所へ召還されたために、出頭の際の心構え等を述べられたもの。
87
:
無名人
:2009/11/25(水) 12:23:31
52; 希有な人生を大切に
各各所念の如くならば三千年に一度花さき菓なる優曇華に値えるの身西王母の薗の桃、九千年に三度之を得たる東宝朔が心か。一期の幸何事か之に如かん。(p178)
通解; (問注所に呼ばれて、信心についていろいろ聞かれることは)皆さん方が(日頃から)望んでいたところであるとするなら、三千年にたった一度、花が咲いて実が成るという、優曇華にあったともいえるでしょうか。また、九千年に三度しか実がならないという、西王母の庭園にある桃の実を得た、東宝朔の心でもあるといえるでしょうか。人間一生のうちで、これほどの幸せはまたとないことでしょう。
88
:
無名人
:2009/11/25(水) 18:55:52
題名;行敏御返事
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永8・7・13
聖寿: 50
西紀:
著作地; 鎌倉
大意: 私的な問答を拒否し、公の問答の席で答えると述べられたのが本書である。
89
:
無名人
:2009/11/26(木) 08:38:46
題名;行敏訴状御会通
別名;
対告衆;
執筆年次; 文永8
聖寿: 50
西紀:
著作地; 鎌倉
大意: 念仏僧・行敏が法論対決を訴え申し入れたことについて訴状の内容一つ一つに会通を加え答えられた書状。
90
:
無名人
:2009/11/26(木) 17:27:55
題名;一昨日御書
別名;
対告衆; 平左衛門頼綱
執筆年次; 文永8・9・12
聖寿: 50
西紀: 1271
著作地; 鎌倉・名越
大意: 出家の真意を説き、立正安国論の予言的中を示して為政者のとるべき姿勢を教えられている。
91
:
無名人
:2009/11/27(金) 10:51:32
53; 妙法こそ一生成仏の肝要
抑人の世に在る誰か後世を思わざらん。仏の出世は専ら衆生を救わんが為なり。爰に日蓮比丘と成りしより旁法門を開き、已に諸仏の本意を覚り早く出離の大要を得たり。其の要は妙法蓮華経是なり。(p183)
通解; いったい、この世に生きている人間で、後の世のことを思わない人はいるでしょうか。仏が世に出たのは、ひとえにこの後世を思いわずらう人びとを、救うためにほかなりません。ここにおいて日蓮は僧となってから、いろいろと法門を学び尽くして、すでにあらゆる仏の真意はどこにあるかを知り、早くも一生成仏の要法を得たのです。その肝要こそ妙法蓮華経にほかなりません。
92
:
無名人
:2009/11/27(金) 18:11:45
題名;強仁状御返事
別名;
対告衆; 強仁
執筆年次; 建冶元・12・26
聖寿: 54
西紀: 1275
著作地; 身延
大意: 強仁の法論対決の状に対して公場で対決すべきことを述べ、自界叛逆、他国侵逼の二難の的中をあげ、国恩を報ずるために身命を賭して国を守ろうとした事実を示されている。
93
:
無名人
:2009/11/28(土) 09:38:18
54; 昼夜に語る救済の原理
只今他国より我が国を逼む可き由、兼ねて之を知る故に、身命を仏神の宝前に捨棄して、(p184)
通解; ただ今、他国からわが国を責めてくるということについては、かねてから、これを知っているゆえに、身命を仏神の宝前に捨棄して、刀剣いよる迫害、武家の責めを恐れることなく、昼は国主に申し上げ、夜は弟子等に語っているのである。
94
:
無名人
:2009/11/28(土) 19:36:03
題名;開目抄上・下
別名;
対告衆; 四条金吾並門下一同
執筆年次; 文永9・2
聖寿: 51
西紀: 1272
著作地; 佐渡・塚原
大意: 人本尊の開顕の書。真実の三徳具美の久遠元初の本仏を知らない一切衆生の盲目を開かせる相を明かすゆえに「開目抄」と名付ける。
95
:
無名人
:2009/11/29(日) 15:04:24
55; 開目の実践
夫れ一切衆生に尊敬すべき者三あり。所謂主師親これなり。また習学すべき物三あり。所謂儒外内これなり。(p186)
通解; 一切衆生が尊敬するべきものが三つある。いわゆる主師親の三徳がこれである。また、習学すべきものが三つある。いわゆる儒教、外道バラモン、内道がこれである。
拝読の手引き; いかなる時代においても社会においても、だれ人に対しても、しかも、永遠にわたってこの三徳を備えて、救済し、善導し、包容していく根源的な三徳となると、結論からいって日蓮大聖人をおいてほかにはありません。この真実の三徳を見ることができない盲目を開いていく戦い、それが開目抄の実践なのです。さまざまな低いものへの執着の膜を取り除き、真の三徳の当体たる御本尊に開目させていく実践……それは身近なところから始まります。すなわち、わが身に妙法の功徳を示し、有効活動を展開することです。 御本尊は主師親の三徳の当体です。これを信受する者は、三徳を発揮し、豊かな人間性をみがき、社会に幸福の実証を示していくことができる……それが仏法の本当の姿です。理論だけで人は心を変えるものではありません。自らの姿の上に人間性の美しい勝利の実証を示してこそ、執着をゆり動かし、やがて開目へとつながっていくのです。友好活動のありかた、その重要性をよくよく銘記したいと思います。(単行本、「今日の発心399」)
96
:
無名人
:2009/11/29(日) 19:21:48
56; 三世の生命
「仏教の流化実に茲に頼る礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」等云云、(中略)弘決に云く「清浄法行経に云く月光菩薩彼に顔回と称し光浄菩薩彼に仲尼と称し迦葉菩薩彼に老子と称す天竺より此の震旦を指して彼と為す」 (p1879
通解;
拝読の手引き;
97
:
無名人
:2009/11/30(月) 09:10:53
57;世法これ仏法なり
天台云く「金光明経に云く、一切世間所有の善論皆此の経に因る。若し深く世法を識れば、即ち是仏法なり」等云々。(p187)
通解;天台大師は「金光明経に、一切世間のあらゆる善論は、みな仏の経によっているのである。若し深く世法を知るならば、すなわちこれは仏法であると説いている」と述べている。
拝読の手引き;
98
:
無名人
:2009/11/30(月) 17:22:11
58;
「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして、外道の説に非ず」(p188)
通解;
拝読の手引き;
99
:
無名人
:2009/12/01(火) 07:43:37
59;妙法の偉大さ
一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり (p189)
通解:
100
:
無名人
:2009/12/01(火) 17:47:41
60;智恩・報恩
仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし(p192)
通解;仏弟子であるならば、必ず四恩を正しく心得て知恩・報恩をなすべきである。
101
:
無名人
:2009/12/02(水) 08:02:07
61; 一生成仏・仏界湧現
外典・三千余巻の所詮に二つあり所謂孝と忠となり忠も又孝の家よりいでたり、孝と申すは高なり天高けれども孝よりも高からず又孝とは厚なり地あつけれども孝よりは厚からず (p191)
通解;
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板