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ローファンタジー世界で冒険!避難所

285司教フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/01/30(水) 01:28:39 ID:bw76v6os0
「それでは、教皇選挙の準備を始めますので、皆様は僧院へお下がりください」

人間らしき少年の助祭が告げ、大勢の司教たちが聖堂を去って行く。
大聖堂に隣接する僧院は数千人の信徒が居住する空間で、信徒以外の立ち入りを拒む禁域でもある。
建築は中世の様式にも似て、壮麗かつ調和の取れた造り。
翼廊の扉から僧院へ入った司教たちは、各派閥で階を分け合う。
天空神を奉じるイウムの一派が最上階に陣取り、ギイル派が二階、ツルア派が一階、それ以外の少数派は各階に均等。

一階の客室に下がったフランディーノは、窓際に立って硝子の外を凝視していた。
亀裂の走る石畳を画布として、大聖堂の影絵が描かれる大広場。
足場を組み、砕け落ちた城壁で作業を行う石工。
中央の献花台に集う幾多の人影。
そして、深い傷痕を受けながらも緩やかに再生を始めたエヴァンジェルの街並みを。

「神は現れぬからこそ、神たり得る。
 ミヒャエル・リンドブルム、お前が為したのは破壊に過ぎない」

静かな呟き。
ミヒャエルの真意を知るのは、彼と最後に刃を交えた数名のみ。
強大な敵を作り上げる事で、人類の力を結集させるとの意図は誰も知らない。
真裏派は三主教の一派ですらなく、邪神を崇める異教徒……完全なる異物として排除された。
数多の死と破壊の責任は、全てが外側の存在に帰した。
我らに罪無し、三主に罪無しと叫ぶ幾百もの心の声が、三主教という組織に自己正当化を図らせたのだ。
ハージェス・ローレンシアに啓示として聞かれる事で。

「……あの、ローレンシア司教で良いんでしょうか?
 セレゼット司教は推してましたが、やや場の雰囲気に呑まれた気もします」

「ローレンシア司教の三主を三主として信仰するとの方針に間違いは無い。
 派閥を異とする事なら、何も心配する必要はないだろう。
 ギイル派が力を持ち過ぎればイウム派とツルア派が抑え、逆もまた然り。
 三つの大きな派閥があることで、歴史上でも一つの派が独走した例は無い」

隣室から漏れ聞こえる声が、フランディーノの耳に入った。
誰を教皇に支持するかの声は、僧院の全てに満ちていた。
今の声もツルア派の信徒同士が、今後について話し合っている声だ。

「誰でも良い、それが人間でなければ」

司教フランディーノは、誰にも届かぬ声量で隣室に応じた。
強者に利他的な思想を持たせることで、弱者に弱者としての利益を享受させる。
それが腕力に劣り、魔力に劣り、容姿も秀でず、人間の血統に生まれたフランディーノの生存戦略。
貧者が富み、子供が大人となり、病者が頑健な肉体を取り戻せば、彼らに向けられる優しさは消え失せる。
人間も最高位の支配層に就いてしまえば、もはや弱者としての正義は主張できないだろう。
だからこそ、強力な種族には高い地位へ就いてもらわねばならないのだ。
ハージェスへの支持もロガーナ族が社会で一大勢力を築き、法を堅守する性質をも備えているからに他ならない。

「この世に必要なのは法だ。
 神の鎖、律法こそは弱者が強者を支配するための武器なり」

痩身の司教は想いを囁く。
世界各地の三主教信者の数は、約五十億とも言われる。
新しい教皇がどのように対応するかで、その数も大きく変わるだろう。
今後の教団運営は、一層慎重に行わねばならないのだ……。

フランディーノは他派閥の様子を窺う為、私室を離れたフランディーノは僧院の階段を静かに昇り始める。

286司教フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/01/30(水) 01:39:08 ID:bw76v6os0
僧院最上階の広間にはイウム派の司教たちが集う。
彼らの長老は、ナイズヴォーカーと呼ばれる人型の半気体種族である。
ナイズヴォーカーたちは極めて魔力の高い長命種であり、派閥の長老格であるリルカヴィーンも齢三百を越える。
褐色の肌に長い黒髪、豊かな胸と括れた腰、それを覆う薄絹の衣。
とても聖職者とは思えない外見の女なのだが、魔力の高さと神聖魔術に関しては三主教随一。
前教皇のミヒャエル・リンドブルムとも、最後まで教皇座を争った高位聖職者である。


「イウム!イウム!イウムイウムぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!
 あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!イウムイウムイウムイウムぅううぁわぁああああ!!!
 あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん
 んはぁっ!イウムたんの青色触手をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!
 間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!触手モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!
 広場に降臨したイウムたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!
 聖像化決まって良かったねイウムたん!あぁあああああ!かわいい!イウムたん!かわいい!あっああぁああ!
 聖画も発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!
 ぐあああああああああああ!!!聖像化なんて現実じゃない!!!!あ…神話も伝承もよく考えたら…
 三 主 し ゃ ま は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!
 そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!ディラックの海ぃいいいい!!
 この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?お空の雲がイウムちゃんの形になって私を見てる?
 お空からイウムちゃんが私を見てるぞ!イウムちゃんが私を見てるぞ!お空のイウムちゃんが私を見てるぞ!!
 頭の中のイウムちゃんも私に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!
 いやっほぉおおおおおおお!!!私にはイウムちゃんがいる!!やったよアイン・オフ・ソウル!!ひとりでできるもん!!!
 あ、聖像のイウムちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!
 あっあんああっああんあ三主様ぁあ!!ト、トゥビェニー!!イビャぁスうううううう !!ギェリムゥうううう!!!!!
 ううっうぅうう!!私の想いよ三主へ届け!!ディラックの海の三主へ届け!」
 
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄

             -‐ '´ ̄ ̄`ヽ、
             / /" `ヽ ヽ  \
         //, '/     ヽハ  、 ヽ
         〃 {_{ノ    `ヽリ| l │ i|
         レ!小l●    ● 从 |、i|
          ヽ|l⊃ 、_,、_, ⊂⊃ |ノ│
        /⌒ヽ__|ヘ   ゝ._)   j /⌒i !
      \ /:::::| l>,、 __, イァ/  /│
.        /:::::/| | ヾ:::|三/::{ヘ、__∧ |
       `ヽ< | |  ヾ∨:::/ヾ:::彡' |


しかし、リルカヴィーンは狂える信仰者と化していた。
彼女の心は三主降臨と共に砕け散って幾億の砂と化し、不滅の信仰心だけが生き残ったのだ。
トゥビェニの端末に肉体と精神の半ばを取り込まれながらも、強力な魔力で生存してしまった結果として。

「リルカヴィーン様がこれでは、次の教皇はローレンシア司教に任せるしかあるまい」

「寿命を迎えるまで、あと七百年もこのままなんて……おいたわしいです」

イウム派の様子を窺いに来たフランディーノは、静かに最上階から立ち去った。

287司教フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/01/30(水) 01:40:33 ID:bw76v6os0
名前:ハージェス・ローレンシア
種族:ロガーナ
性別:男
年齢:136歳
技能:暗視、神聖魔術(ギイル系統)
外見:胸までを覆う瑠璃色の長い鬚、雄牛のような角、厳めしい顔つき、筋骨隆々
装備:金糸で刺繍された白い法衣、宝石剣レスファート

名前:フランディーノ・セレゼット
種族:人間
性別:男
年齢:42歳
技能:神聖魔術(ツルア系統)、蘇生術
外見:頬の痩けた長い顔、長身で痩せぎす、短く茶色い髪に白い肌
装備:金糸で刺繍された白い法衣、魔力伝導液マダリルフィランサ

名前:リルカヴィーン
種族:ナイズヴォーカー
性別:女
年齢:324歳
技能:自己の気体化及び固体化、神聖魔術(イウム系統)、精神汚染
外見:肉感的な褐色の肌、闇夜のような黒髪と瞳、艶美な唇
装備:戦輪(肉体の一部)、異国風の薄い絹衣(肉体の一部)

◆ロガーナ
牛のような角を持つデミヒューマン。
ロガーナ族は男女共に2mを超える堂々たる体躯を持ち、性質は勇猛果敢で屈強、寿命は人間の三倍程度。
太古から独自に正確な暦を造り出し、様々な工学を発展させた程の高い知性も持つ。
遵法精神が高く秩序を重んじるのだが、それが彼らの頑迷な部分にも繋がっている。

◆ナイズヴォーカー
人型の半気体種族、密度を濃くして固体化する事も可能。
アラビアの伝承に登場するジンやジンニーヤ(ランプの精たち)がイメージに近い。
起源は不明だが「夜霧の子ら」と呼ばれ、砂漠に住まう。寿命は人間の十倍、千年程度。
年齢を経ると固体化する事ができなくなり霧散、死亡と見做される状態になる。

288名無しさん@避難中:2013/02/05(火) 17:31:19 ID:BydJT81s0
【ぼくのかんがえたさいきょうの歴代アイン・ソフ・オウル】

(※「ぼくのかんがえた」とは妄想が脳内にとどまらず溢れ出した「設定」に付けられる慣用句である)

1・氷鵬王ユジャ
停滞のアイン・ソフ・オウルで翼人種の始祖王。
あらゆる物を凍てつかせ、凍結させた物質から支配権を奪う力を所持する。
古い伝承の中ではユジャは太陽に対して戦いを挑む。
結果、太陽は勝利したものの傷つき、以後日蝕を起こすようになったと伝えられる。

2・女神マーディト
融和のアイン・ソフ・オウルで、巨大な河馬のような姿をした女神。
全てのキメラの母と呼称され、生物・非生物を問わず、呑み込んだものを体内で融合させる力を持つ。
性格は穏やかであったと伝えられるが、晩年には世界全てを呑み込もうとした。
ネバーアースで1〜2を争う大きさの地中海、赤瞑海はその呑み込みの跡である。

3・獅子皇帝ギルヴィ
羈束のアイン・ソフ・オウルでマーディトの息子の一人。両肩には獅子の獣頭を生やす。
文献では、全てを喰らおうとする母神を神縛の鎖で止め、次元牢に幽閉したと伝えられる。
その後は赤瞑海の島の一つに古代マディラ帝国を建国、長い間を皇帝として過ごす。
最初は力ある王として歓迎されたギルヴィだったが、次第に悪政を行うようになり、名声も地に墜ちる。
反旗を翻した諸侯との戦争中、敵側の召喚した巨竜ファフニールと戦って破れ、ギルヴィは帝国と共に滅ぶ。

4・大魔導エルロイ
啓蒙のアイン・ソフ・オウルで、人間でありながら“最も偉大な魔導師”と呼ばれる。
波動(波動関数)を操り、ただ見つめるだけで物質や生命の本質すら変えてみせたと言う。
彼女は獅子皇帝との戦いで諸侯側に付き、長き戦いの中で数多くの魔術師を育成する。
内心エルロイを恐れていた諸侯は、獅子皇帝が没するとエルロイの弟子たちに師の殺害を命じた。
皆が拒む中、一人の男が師であるエルロイを裏切る。
彼は無尽蔵に魔力を供給する門を造ってエルロイと戦い、両者共に歴史から姿を消した。

5・不朽華
搾取のアイン・ソフ・オウル。不死を求めて吸血鬼と化した者。
元は樊国の節度使であったが、十年程で領民の大半を吸血鬼としてしまう。
樊国を死の国とした不朽華は西域の七王諸国に侵攻、エルロイの弟子たちが作り上げた魔術師組合と戦う。
その一つ、錬金術の門閥主パラケルススが、アンデッドは存在の大部分が無に属すると看破。
物質を完全な存在に昇華させる賢者の石を使用し、不朽華は完全体である無となって消滅した。

289名無しさん@避難中:2013/02/07(木) 03:42:53 ID:JhEkam/s0
ちなみに>288のアインたちは“特定の方向性に添って、世界を望む形に作り変えようとする者たち”とのイメージでした。
属性っぽいのは“どのような精神・理念で世界を開闢しようとするかの指向性”と言えば良いのかなー……。

……言語感覚の不足で、今一つ伝わらないかも知れない。
でもまっ、指定ゴミ袋に入れないで不法投棄した妄想ですので、どなたもあまりお気にせずにです。
本スレを見た時は……心臓が止まるかと思いました。

290ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/02/19(火) 00:24:23 ID:LgcNmLaA0
>>284-286
魔力の視覚と聴覚でミリアは現在の情勢を把握する。
教皇位の最有力候補はロガーナ族の司教、ハージェス・ローレンシア。
ギイル派の他に主要な他派閥も追随しており、彼は教皇就任に必要な得票を獲得するかも知れない。

(……アタシが種としての変革を目指すのは人間のみ。
 三主教を自在に動かすにも、教皇は人間じゃなくちゃなんない。
 何らかの方法で、あのロガーナには教皇候補から降りてもらわなきゃな)

ミリアは三主教の内部調査を魔力の目で行っていたが、僧院内には数多くの魔力遮断区画が存在している。
ために魔力で作り上げた疑似感覚は、すでに半数が消散していた。
残った中の数少ない一つが、夕陽差す回廊を歩くフランディーノを探し当てる。

(あれは、確かロガーナの司教を推薦してた奴か。
 微妙に聖印の形が違うってことは、ロガーナ司教と宗派は違うってことだよな?
 あの推薦の意図は何だ? アイツに何のメリットがある?
 聖職者とは言え、人間である以上は霞を食って生きる訳にもいかないし、個人的な受益関係か?
 そうであれば……もしも、アイツが普通の人間と同じ程度には世俗的であれば。
 或いはアタシの考えにも賛同してくれる……か?)

自室に戻ったフランディーノを魔力の目で追いながら、ミリアは沈思黙考を続ける。

(禁域である僧院に、部外者が堂々と押し入るってわけにはいかないしな。
 正体不明の奴に呼び出し受けて応じるとは思えないし、使い魔でも作って接触を試みるか。
 ま、それなりに人目もあるし、広場から人が捌けてからだろーね……)

ミリアが手持ちのパンを崩してバラ撒くと、たちまち幾羽かの白鳩が寄って来た。
その中の一羽に近寄ったミリアは、腰を屈めて鳩を手に取る。

「お前が良いな。名前は……ニルスにするか。
 これから扱き使っちまうことになるけど、バイト代のパンは弾むから勘弁してくれよ。
 fiaana van nirus――――汝、ニルスは我が下僕となれり」

鳩を包む両の掌から淡い魔力の白光が生まれた。
ミリアの魔力が鳩との間に霊的な経路を繋ぎ、鳩を鳩たらしめている因子にまで届く。
この鳩を鳴かせ、空を飛ばせ、筋肉や神経や骨や皮膚で鳥の姿を形作らせ、鳩たる遺伝子を与えた場所まで。
鳩の根源に到達した魔力は、すぐさま霊的な因子で本来の性質を上書きし、術者との間に従属関係を作る。

ミリアが使い魔の作製を終えると時刻は夜の初め、甲夜の頃となっていた。
広場に点在する街灯は先端に取り付けられた水晶を暗赤色に輝かせ、重苦しい光を地面に投げかけている。
これら魔法を動力とする街灯は、電源やケーブルを必要とせず、設置するのも容易い。
従って、小規模な発電所しか持たないエヴァンジェルでは実に重宝されていた。

ミリアは広場の片隅に置かれた木製ベンチに座ると、薄闇に覆われた広場を眺める。
エヴァンジェルには歓楽街も無い訳ではないのだが、やはり宗教都市。
規則正しい生活が尊ばれているのか、日が沈むと人通りも少なく、献花台に誰かが訪れる間隔も疎ら。

大聖堂を守る門守も、いつの間にかスキュラ族と思しき聖堂騎士に変わっていた。
人型の上半身は暇そうに献花台の灯りを眺め、下半身の六頭の獣は辺りを見回しながらしきりに低く唸っている。
妖獣は鋭敏な感覚を持っているが、だいぶ距離を取っているので、近づかなければ警戒される事も無いだろう。

291ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/02/19(火) 00:26:45 ID:LgcNmLaA0
先ほどミリアが放った探視の魔術は、その全てが僧院内を探索する中で消滅している。
しかし、不可視の耳目は役割を終える前に様々な宗派の存在を術者に伝えていた。

ギイル派の一宗派で、食べるための殺生も否定する果実食主義者、ラフィリアン。
イウム系の分派、人為で自然を歪めるとして一切の魔術を使わないヴァナディーシュ。
マイナーなものも含めて宗派の数は多く、中には同じ神を崇めながら互いを否定し合う教義の宗派すらある。

(無数の宗派を取り纏める教皇を選ぶなんてのは、一筋縄じゃいかないはずだ。
 何か揺さぶりを掛ければ、縺れた糸のように絡む……かもな。
 そこにアタシが付け入る隙も出来るはずだ。
 さぁて、じゃあさっそくだけどニルス。
 二階の部屋、あそこの角部屋まで飛んで行ってくれ)

ベンチの下に潜っていた鳩が、ミリアの思念を受けて這い出る。
このニルスと名付けられた鳩は、白い翼を羽ばたかせて夜の広場を横断。
羽音に反応して門守のスキュラが首を僅かに傾けたが、すぐに視線を献花台に戻す。
使い魔たる鳩は無事に僧院の二階、フランディーノが居室とする部屋の窓枠へ止まった。

コツコツコツ……コツコツコツ……コツコツコツ。
フランディーノが部屋に戻ってしばらくすると、ミリアの使い魔たる鳩は規則的にガラス窓を叩く。
少しでも窓が開かれれば、鳩はするりと室内に入り込み、部屋の主に人語で喋り掛ける。

「アンタがセレゼット司教だな?
 借問したい事があるんで、少々付き合ってくれると嬉しいんだがね」

「フッ、三主教が揺らいでいるとは言え、鳥を信者に加えようとするほど墜ちてはいない。
 ましてや、使い魔を介して己の姿を現わさぬ者など」

ミリアの声で語り掛けて来る鳩を見て、フランディーノは鼻で笑う。
そして、鳥という形態から使い魔の術者はイウムに仕える司祭だろうと判断していた。

「あぁ……確かに使い魔での訪問なんて、礼を失するとは思うけどね。
 うら若い乙女が、夜更けに司教様を訊ねて来ても困るだろう?」

「いいや、三主教は婚姻を禁じていない。
 少なくとも私の宗派ではな。
 見目の麗しい乙女なら、ぜひともお会いしたい所だが」

「生憎、自慢できるような顔じゃないんだけどね……。
 探り合いなんてしてても一向に話が進まないんで、そろそろ本題に入っても良いかい?
 アンタはなんで自分で教皇に就かず、他の奴を推薦した」

「それを聞いてどうする?」

「私に賛同してくれるかどうかを知りたいのさ。
 正確に言えば、人間という種族の革新に協力してくれるのかをな。
 人間って種族の器は、他の種族に比べて小さいとは思わないかい?
 魔力は妖精種に届かず、膂力では巨人種に及ばず、寿命や繁殖力だって他の亜人に勝っちゃいない。
 稀に現れる規格外の英雄なんか“人ならざる者”として扱われる始末だ。
 これじゃ、とても人間は豊かに生きているとは言えない。
 アタシは全ての人間に言いたいね。今とはもっと別の世界を想い描け……ってな」

フランディーノの顔に露骨な警戒心が浮かぶ。
咄嗟に推測するのは、使い魔の主が人間である場合と、人間以外の種族の場合。
前者なら、人間を代表に持つイウム系の少数宗派が人間票を自派に取り込もうという腹なのか?
後者なら、そう思わせようとする誰かが何らかの陥穽を仕掛けているのか?

術者が使い魔を介して姿を現わさない事も、疑念をさらに強める。
謀略の可能性は、充分に在り得ると考えられた。
或いは、何処かの新宗教や思想集団が、三主教の切り崩しを謀っているのかも知れない。
数十億とも言われる膨大な信者たちを取り込む為に。

292ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/02/19(火) 00:31:58 ID:LgcNmLaA0
使い魔の操者はいったい何者なのか?
それを見極めるべく、渦巻く疑心の中でフランディーノは問うた。

「……お前は人間でいる事が嫌なのか?」

「いいや、大好きさ。
 だからこそ、アタシは世界の理不尽を黙って受け入れるつもりは無い。戦う。
 平穏に生きるために何も望まないってのは、今を受け入れ、運命の奴隷に成り下がった奴の思考だろ?」

「だから、力の均衡を崩す為に戦おうという訳か。
 お前は自分を正しいと思っているようだが、正しさとは人それぞれのもの。
 三主教にかつてない災いを齎した前教皇とて、己なりの正義は持っていたことだろう。
 だが、正しさを貫く為に力を振るい続ければ、前教皇ミヒャエルと同じように滅ぶ。
 力を振るう者は、いつか彼のように他の力で打ち倒される。
 力とは連鎖のように際限なく災いを呼ぶものだからな。
 そして、その呪われた連鎖は止めるのは、ツルアの説く愛と慈悲の教えに他ならない」

「ハッ、上手く纏めたな。さすがは司教様だ。
 アタシは自分の考えを広めるんなら、アンタが自分で教皇位に就くべきだと思うんだけどねえ?
 その為に力を貸す用意もアタシにはある」

「教皇とは神の意志の代行者。
 億兆の命と共にあり、天下万民の贄たるべき。
 残念ながら、私はその器に無い」 

「つまり、アンタも運命の奴隷ってわけか」

「私は選択ができる。奴隷には決して出来ない選択をな。
 どうやら、お前に必要なのは三主が創りたもうた世界と己自身を認め、許し、愛することのようだ」

「……司教ってのは、息を吐くように欺瞞で満ちた言葉を吐けなきゃなれないのかい?
 アンタから協力を見込めないってんなら、話はこれでお終いだ。
 ゴタゴタして疲れてんだろうに就寝の邪魔して悪かったね」

「汝に三主の祝福あらんことを」

交渉は決裂する。
フランディーノ・セレゼットは最後まで本心を見せなかった。
役割を終えた鳩は即座に僧院の窓から離れ、城壁を越えて夜空の闇に溶ける。
続いてミリアもベンチから立ち上がり、赤錆びた光を投げかける街灯を縫って広場を後にした。
行き先は盲愛に憑かれたパン職人の作業場、ロルサンジュ。

293リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/02/26(火) 19:33:52 ID:3TN6xnAk0
エヴァンジェルの大通りに面したパン屋、ロルサンジュ。
外観は街並みに溶け込むような石造りで、菱型の硝子窓と金属プレートの看板を備えていた。
内装は白を基調とした瀟洒なもので、天井から垂れ下がった二十ほどの小さな吊りランプが、暖かな色で店内を照らす。
すでに営業時間は終了していて、普段は何種類ものパンが置かれる中央の台と左右の壁棚も寂しげだ。

奥の厨房では、リンセル・ステンシィがパンを作っていた。
原材料である小麦粉と水、塩、そして酵母。
それらの配合を僅かづつ変えた幾種類もの生地を捏ね、焼き上げ、何度も試食を繰り返している。

「かなり風味が違う……小麦粉は10gくらい増やした方がいいみたいね」

リンセルがしなやかな指でクラストを割き、真っ白な断面を見せたパンを口に運ぶ。
試作品のパンに使われている酵母は、ミリアから与えられたもの。
これを使ったパンを美味しく焼き上げることこそが、今のリンセルの最大の目標だった。

「さっきから後片付けの手伝いもしないで何をしてるんだ?」

眼鏡を掛けた壮年の男が、リンセルの背後から声をかけた。
髭は生やさず、髪や瞳はリンセルと同じ色、身綺麗な白の作業着を纏う。
所作の一つひとつは細やかで、実に神経質そうな印象だ。
彼こそが、このロルサンジュの主でリンセルの父である。

「あっ、パパ。ちょっと話があるんだけど……」

「何だ? お小遣いを上げて欲しいって話ならダメだ。
 ここの所、景気が下向いてて経営も厳しいからな。
 まあ、ここしばらくはどこもこんな感じになるんだろうが……」

「そうじゃなくて。
 私ね、聖餐で使われるパンを作ってみたいの。
 教皇の選出が終われば、聖餐式が始まるよね?
 その聖餐式で使うパンを……私に作らせて」

「ふむ、つまりそこに並んでるパンが聖餐式で出したいパンってことか。
 で……急にどうした?」

「最近、色んなことが起こったでしょ。
 ローファンタジアは壊滅しちゃったし、この街だって大勢の人が亡くなったよね……。
 こういったことは、きっとこれからも起こると思うの。
 ううん、たぶんこんな事はずっと昔から起こってたのに、今までは目を向けなかっただけ。
 死ぬのって嫌だし怖いけど、どんなに死にたくないって思っても、やっぱり人間は死んじゃうんだよね。
 いつどうなるかなんて、誰にも分からない。
 それなら……いつ、その時が来てもいいように悔いの無い生き方をしたいなって」

「それは殊勝な心がけだが、聖餐で使われるパンを作ることは悔いの無い生き方に繋がるのか?」

「そう、万里の道も一歩からっ。
 私は何も始めないまま何となく生きて、何も残せないまま死ぬなんて嫌っ!
 パパの教えてくれたパンを世界中に広める! ロルサンジュの世界展開! それが私の野望!
 ロルサンジュを大きくするためには、まずは由緒あるパンを作って、私の名前に箔をつけることが第一歩!」

「そ、そうか。まあ聖餐式で使うパンは簡素なものだからな。
 リンシィも一通りの基礎は出来るようになったし、考えも良いが……」

「ホントッ! ありがとう、パパ!
 あっ、それとさっきも言ったけど、今日は私の友達が泊りに来るからね。
 ミリアさんって言って、この街には来たばっかりなの」

言い終わった直後だった。
ロルサンジュの扉がノックされ、取り付けられた鈴が軽やかな音を響かせたのは。

294リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/02/26(火) 19:36:41 ID:3TN6xnAk0
「あ……ミリアさんが来たみたい!」

リンセルは小走りに厨房を抜けて店の扉を開け、自宅兼店舗のロルサンジュにミリアを迎える。
そして、引っ張るように来客の腕を取って招き入れ、小麦粉とパンの残り香が漂う中で言った。

「ようこそ、ロルサンジュへ! ミリアさん!」

続いて店の奥から現れたリンセルの父は、やや訝しげな顔。
それはミリアの服装や顔形が、この地方の人種が持つ特徴とは微妙に異なっていたからだった。
聖都では種族や人種の差異については寛容なはずなのだが、こと己の娘に関わる事である。
見知らぬ相手ともなれば、父としては警戒心を持つのも当然であろう。

「初めまして、君がミリアさんだね。
 エヴァンジェルの出身じゃないようだが、留学生かな? それとも巡礼者?」

それとなく素性を探る言葉を被せて、リンセルの父が挨拶する。
外見からして、ミリアが人間であることは明らか。
しかし、リンセルに比べて年齢はやや上と見え、学校の同級生とも思えない。

果たして娘とはどういった知り合いなのか? どのような経緯で知り合ったのか?
不良なのではないのか? 先程見せた娘の変化と関係はあるのか?
などなど……父の疑問は尽きない。

彼はミリアの人となりを夕食までに判断して、懸念を感じれば近くのホテルに案内するつもりでいた。
リンセルが泊らせる約束をしてしまっている以上、宿泊代を出すつもりではあったが。
女性一人での宿泊については、評判の良いホテルを勧めるつもりなので、リンセルの父も心配はしていない。
このロルサンジュやホテルが建つ新市街のメインストリートは、特に治安も安定しているからだ。

295ゲッツ ◆DRA//yczyE:2013/03/01(金) 14:44:49 ID:TxNkZG.g0
ゲッツ◆DRA//yczyEの勝手設定です
別に読まなくてもいいですし、改変しても構わないというか勝手にここまで作っちゃっていいのかなって心配だったり……

1.《ネバーアース》について
まず第一に、この世界は奇跡が起こる世界であり、感情が世界を作り変える世界である。
そして、この世界を構成しているのは、この世界に存在している全ての生命。
ネバーアースに住む全ての生命は皆大なり小なり『自分だけの世界』を持っている。
それらの『自分だけの世界』が繋がり混ざり合い触れ合って存続しているのがこのネバーアース。
造語ではあるが、この世界を表すならば――その名も『世界群体』とでも呼ぶべきだろう。
この世界が世界に住む者の世界で作られているとするならば、この世界は何処から来たのか、住民は何処から来たのか。
そのような疑問が生まれるのは当然であり、それについては次項で説明する。

2.この世界の成り立ち
まず一つ。この世界には神という存在が有る。これは創世の神であり、現在ネバーアースに広まっている神とは異なる存在。
無の地平、そも空間という概念すら無かった『ネバーアース以前』に一石を投じた存在がその創世神だった。
名も無き神は、この無に有を放り込んだ。二つの命だ。その二つの命に神は世界を作る力を与えた。
神は己の手で世界を弄り回したくなかったのだろう。二つの命によって世界は広がっていくのを遠くから眺めていた。
二つが生んだ命はこの世界に芽吹いていく。木々が生まれ、海が生まれ、それらの二つの間の子らで世界は加速度的に拡張されていった。
しかしながら、管理者の存在しない世界、神が手を下さない世界では次第に歪みが生まれ始める。
最初はあまりに異質なほどに強大な力を持つ個体が生まれ始めた。――そう、それこそが原初のアイン・ソフ・オウルらだ。
その後の話を書いていけば即興で書き綴るには余りにも長すぎる話になってしまう。
故に完結にこの世界の帰結を書。世界を広げた『二つ』は眠りについた。そして、この世界はあらゆる管理から解き放たれた。
歪みは広がり、異界が生まれ、仙界が生まれ、天界が生まれ、地獄が生まれた。
それぞれの世界で地球とは全く異なる生命体が生育し、この世界は無軌道に広がり、成長していった。
その結果として、ディラックの海から襲い来るバイトと呼ばれる生命体が生まれ、〝大いなる厄災〟という現象が生まれたのだ。
また、この世界は数千年のスパンで収縮と拡大を繰り返している。
無数の命が作り上げているこの世界が収縮と拡大を繰り返すという事は、分かりやすく言えば生命の減少と増加が繰り返されているという事。
危うい均衡の上で、この世界は今でも回り続けているのである。
次項にアイン・ソフ・オウルについての詳しい説明を記述する。

3.アイン・ソフ・オウルとは
アイン・ソフ・オウルとは、この世界に置いて『自分だけ世界の規模、質が高い存在』の総称である。
他のあらゆる世界に馴染み溶けこむこと無く、独自の世界でこの世界に干渉する事ができる存在だ。
彼らは感情によって世界を歪め、思いによって奇跡を起こす力を持っていた。
それらが善性の存在であればなんら問題はなかったのだが、当然であるが悪性の存在が生まれ得る。
神によって悪が存在しない世界ならば別だが、この世界に神は手を出さない。
それらの理由から当然のように生まれた悪性のアイン・ソフ・オウルは、この世界を広げた『二つ』に牙を剥くこととなった。
原初に生まれた悪性のアイン・ソフ・オウルは、総じてこう呼ばれる。
『枢要罪』。「暴食」「淫蕩」「強欲」「憂鬱」「憤怒」「怠惰」「虚栄」「高慢」の八つの罪悪を司る存在だ。
そして、それに相対したのが善性のアイン・ソフ・オウル。
『八大竜王』。「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の八つの美徳を司る存在。
枢要罪と八大竜王は世界を掛けて争い、ぶつかり合い、そして互いにその魂を散華させて互いに互いを根絶したとされている。
その際に生まれた世界の歪みが、この世界に置いて時折異様に強力な個体を生み出し、アイン・ソフ・オウルとしての力を覚醒させる理由となっている様だ。
『大いなる厄災』が近づくに連れてアイン・ソフ・オウルの存在が強力になる現象や、増加する現象が起きるのも世界の歪さが増しているから、という事で説明がつく。
現に厄災を逃れ、滅びを回避した後の世界では暫くの間争いは減り、平穏な日々が続き英雄は生まれなくなる。それは、世界が安定しているからなのである。

296ゲッツ ◆DRA//yczyE:2013/03/01(金) 14:45:01 ID:TxNkZG.g0
4.アイン・ソフ・オウルの位階
アイン・ソフ・オウルにはある程度、力量を判定する等級が存在する

 4.1.神位
 ネバーアース全てに干渉することの可能な等級であり、全世界を己の世界で染め上げる力を持つ。
 全世界に『自分だけの世界』を広げ、汚染していく事は可能であるがその分濃度は薄まってしまう為、完全に自己の世界に染まる訳ではない。
 この位階に立つアイン・ソフ・オウルは常に一体のみであり、他のアイン・ソフ・オウルがこの位にたどり着くという事は、前の神位が下に堕されるという事だ。
 戦乱のアイン・ソフ・オウルが神位に付けば、この世は争いに溢れる。逆に調和のアイン・ソフ・オウルが神位に付けば安定した世界が運営される。
 悪性のアイン・ソフ・オウルがこの座に付くという事は、この世が地獄となることと同義である。故に、この世界の覇権を掛けて災厄が近づく度に争いが起こるのである。
 現在この位階に付いている存在は不明。前任の神位はフェアリー・テイル=アマテラス=ガイア 。現在は死亡した為、空位と思われる。
 なお神魔大帝はこの位に付くために大いなる厄災としての力を身の内に取り込もうとした模様。

 メタ的に言えば、SW2.0における古代神(エンシェント・ゴッド)といったところ。

 4.2.天位
 一都市、国家を己の理で染め上げる事ができる等級。
 極めて強力な部類のアイン・ソフ・オウルであり、『枢要罪』や『八大竜王』などはこの位階である。
 大抵がもはやこの世界の理に縛られない存在である為、その実力は地位から飛躍的に上昇する。
 その他の天位は、女神マーディト、大魔導エルロイ、フラター・エメトなどが挙げられる。

 大神(メジャー・ゴッド)くらい。

 4.3.地位
 アイン・ソフ・オウルとして、己の周囲の空間を広域に渡って支配できる等級。
 歴史に名を残すアイン・ソフ・オウルの多くはこの位であり、並大抵の存在では並び立つことも叶わない存在。
 竜人種の始祖であるファフニール及びゲオルギウス、アサキム老師などがこの位階だと言える。
 他にも天位程の干渉範囲は持たないものの、別格の質を持つものは天位に匹敵する実力を持ちうる。
 例は氷鵬王ユジャ、獅子皇帝ギルヴィ、不朽華など。

 小神(マイナー・ゴッド)くらい。

 4.4.人位
 周囲の空間に己の世界を侵食させる事は困難だが、強大な『自分だけの世界』を持っている者はこの領域に有る。
 基本的には通常の存在に比べて異質な何かを持っている程度のレベルであり、歴史に名を残す英雄等はこの域に居る事が多い。
 例を言えば、ボルツ・スティルヴァイ、ゲッツ・D・ベーレンドルフ、フォルテ・スタッカートなどが挙げられる。
 何か強いきっかけが有れば、人位から地位に位階が上がることも稀に良く見られる現象である。
 
 半神(デミ・ゴッド)くらい。レベル上限が撤廃された人族と思っても良い。

5.大いなる厄災とは結局何なのか
強力な個体が増えたり、『自分だけの世界』が増加していく事で、ネバーアースが収まる〝器〟に限界が近づいてくる事で起こる現象。
器に詰め込まれた世界は、次第に圧迫され歪みを生み、器から溢れだし、狂いだす。
次第にその世界の歪みと狂いは、強大なアイン・ソフ・オウルを生み出し始め、この世界の歪みを平定し始めようとする。
一部の存在が言う、『世界の再編』とは、この世界自身の防衛機構の発露であり、大いなる厄災とイコールの現象だ。
器に隙間を生み出す為にこの世界に厄災が舞い降り、世界の人々は間引きされていき、余裕が生み出される為、全世界の生命体の2割程度が滅びる事で厄災は終了するとされる。
そして、その際の混乱に乗じて、一部の悪性のアイン・ソフ・オウルが神位を狙い自分の治世による己の望む世界を作ろうとする事が起こる。
これは、この世界のシステムの欠陥にパッチが当たらない限りは永遠に続く仕組みであり、今代の大いなる厄災を乗り越えたとしても、また次代にそれはやってくる。

6.まとめ
 6.1.アイン・ソフ・オウルは神様みたいなもの。でも実力はピンきり。良いのも悪いのも居る。
 6.2.世界に生命が増えすぎると器がぱんぱんになる為、『整理』される。要するに間引き。これが大いなる厄災。
 6.3.大いなる厄災の混乱に乗じてこの世界を好き勝手する為に暗躍する奴らが居る。
 6.4.創世の神は何も手を下さない。最初の生命はまだ生きている様だが、詳細不明。
 6.5.ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。m(_ _)m

297ゲッツ ◆DRA//yczyE:2013/03/02(土) 00:01:45 ID:YN8.DQc60
訂正

>>296の4.1.の神位についてですが
フェアリー・テイル=アマテラス=ガイアは生存しています、申し訳ございません
ですが、ローファンタジア崩壊の際に一度瀕死になっており、その際に神位は空座となり、それ以降も空座のままという事にしておいてください

298ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/03/09(土) 21:40:41 ID:Ol20xCkw0
>>294
ミリア・スティルヴァイがロルサンジュの扉をノックする。
鈴の付いたドアノッカーが涼やかな音を立てると、リンセル・ステンシィはすぐに出迎えてくれた。
栗色の三つ編みを跳ねさせながら駆け寄り、抱きつくように腕を取ってミリアを店内へ招き入れる。

(なんて言うか……やっぱり全体的に犬っぽいな)

営業時間の終了したパン屋に残るのは、砂糖やクリームの残り香のみ。
すうっと息を吸い込むと、複雑にブレンドされた甘さが鼻孔をくすぐる。

「……お邪魔します」

リンセルに続いてテナントに顔を見せたのは、彼女の父親と思しき人物。
服装はパリッとした白いダブルの上着にチェックのエプロンと、見るからに年季の入ったパン屋の服装。
彼は挨拶と共にミリアの出身や身分を聞いてくる。
その声音や態度や視線から娘への心配を感じ取ったミリアは、リンセルの父を好ましく思った。
いや、むしろ父からの愛を向けられるリンセルに暗い羨望すら覚えたかも知れない。

(父親……か)

ペンダントロケットを軽く握り、ミリアは父の面影を脳裏に浮かべる。
名を呼ばれた記憶、頭を撫でられた記憶、抱きしめられた記憶、そして母がいなくなってからのこと……。
しかし、昔の光景が過ったのも一瞬のこと。
ミリアは軽い会釈の後に、相手の瞳をじっと見つめて挨拶を返す。

「こちらこそ初めまして。
 アタシは……ミリア・スティルヴァイです」

「スティルヴァイ? 珍しい苗字だね。
 この辺りではウ・ボイのマスターくらいだったが、もしかして縁者さんかな?」

リンセルの父が重ねて問い、ミリアは自分が苗字を名乗ってしまっていたことに気付く。
唯一人で祖国の難を救った祖父、誰に理解されずとも死ぬまで信念を曲げなかった父。
果たして今のアタシはスティルヴァイです、と家名を誇って名乗れるのだろうか……?

「え、えぇ……まぁ。
 ちょっとした事情があって今まで離れて暮らしてたんですけど、ボルツはアタシの祖父です」

ミリアは気まずそうに言葉を濁す。
それを哀惜の念とでも受け取ったのか、リンセルの父は訪問客への警戒を解いたようだった。
沈痛な面持ちを作り、憐みの念を露わにする。
エヴァンジェルは邪神降臨の際に幾多もの犠牲者を出しており、少なからぬ者が喪失の悲嘆に沈む。
同じ災禍で世を去ったボルツの孫娘と名乗る少女が、この街の住人から同情を呼ばぬはずも無かったのだ。

「お祖父様さんのことは本当に残念だった。
 下町の辺りでは顔役といった感じで慕われていたし、惜しい人を亡くしたものだ。
 先日の事件では、娘もボルツさんに助けられたらしい。
 礼の一つも言えないまま別れる事になったのが、本当に悔やまれる……」

「……そうですか。
 祖父に会った事は一度もありませんが、いつも父が語ってくれていた通りの印象です。
 その父も数年前に無くなってしまいましたが」

「そうか、それは気の毒に……。
 あぁ、それじゃエヴァンジェルには葬儀や相続の関係で来たわけか。
 それなら、遠慮なくうちに泊って行きなさい」

「ありがとうございます。
 それでは、お言葉に甘えさせてもらいます。ステンシィさん」

299ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/03/09(土) 21:43:51 ID:Ol20xCkw0
リンセルに腕を引かれるまま、ミリアは販売スペースから奥の廊下へ。
ロルサンジュは一階が店舗とダイニングで、ステンシィ一家は二階を住居とするようだった。

「……敬語なんて使ったのは、しばらくぶりだったね。
 そーいや、まだリンシィの家族構成を聞いてなかったな。
 一応、全員に挨拶しときたいんだけどさ」

ミリアは、まだ己の腕を取ったままのリンセルに言った。
そして、自分に妹がいたらこのような感じだったのだろうかとも考える。
家族以外から、これほど好意を向けられることは今までになかったことだ。
この無条件の愛は、遺伝子を変質させた際の副産物として作られた疑似的なものに過ぎない。
そう分かっていても、心は快適さや心地良さを覚えてしまう。

不意に恐ろしさを感じた。
この安らぎに酔ってしまえば、遂げるべき意志が溶けてしまうのではないかと。

「それと聖餐のパンの出来なんだけど……まぁ、それは後でも良いか」

リンセルの手をそっと離し、ミリアは廊下を抜けてダイニングへ。
広々とした部屋に置かれているのは、長方形の木製テーブルと、ファブリック生地のソファ、テレビ等。
隅を見れば、観葉植物の近くには木製の急な螺旋階段があり、二階に繋がっているようだった。
ダイニングの空気はとても暖かく、仄かに漂うシチューの香りが食欲を刺激する。
リンセルの母が夕食の準備をしているのだろうか?

「急に押し掛けて来た身だから、贅沢は言えないんだけどさ。
 せっかく、自称エヴァンジェルで一番のパン屋に来たんだ。
 とりあえず、今日の売れ残りは食べ放題ってことで良いのかい?」

ミリアはフッと息を漏らして微笑すると、傍らのリンセルに聞く。

300リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/03/11(月) 19:39:51 ID:lMa5ny6U0
ダイニングに向かう途中、夕食の香りが漂う板張りの廊下にて。
ミリアがステンシィ家の構成について訊ね、リンセルがそれに返答する。

「私の家族構成ですか? うちはパパとママと私の三人家族ですよ。
 あっ、それでパパがロルサンジュのオーナーをやってます」

今度は、リンセルもミリアの家族について聞いてみようとした。
が、ミリアはリンセルの掴んだ手をさりげなく解き、聖餐に使うパンを気にする素振りを見せる。
指先から人の温もりを失ったリンセルは、一瞬だけ名残惜しそうに空を掻き、すぐに手を後ろで組む。
手を取り直さなかったのは、ミリアの横顔に陰りが見えたから。
パンの出来は今一番の関心事とは言え、リンセルは話題転換が話を逸らす為に切り出したと感じたのだ。
ミリアは先ほど父を亡くしたと言っていた。
もしかしたら、家族の話題が出た事で何か辛い記憶でも思い出したのだろうか……。

そう考えたリンセルは、素直に話題を終わらせる。
パンの報告も後で良い……とのことだったが、リンセルはパンの出来には自信があった。
今日は舌に鼻に指先、全ての感覚がいつもより鋭敏に感じられて、作ったパンも会心の出来と言っても良い。
その成果を早く報告したいので、一言だけでも述べておこうと口を開く。

「あっ、それなら試作のパンで幾つか良さそうなのが……。
 焼き上がったばかりのものがあるので、さっそく夕食で出してみますねっ」

ミリアを伴ったリンセルはダイニングへ。
テーブルに並ぶ黄白色のミルクシチューの向こうには、食器を置くリンセルの母親の姿。
年齢は三十八で、顔立ちは娘に比べるとやや理知的な印象を受けるだろう。
長い栗色の髪は後ろで一つで束ねられており、瞳は茶色。
若草色のロングスカートに白いエプロン、シンプルなブラウスと服装に飾り気は無い。

>「急に押し掛けて来た身だから、贅沢は言えないんだけどさ。
> せっかく、自称エヴァンジェルで一番のパン屋に来たんだ。
> とりあえず、今日の売れ残りは食べ放題ってことで良いのかい?」

と、ミリアがあるかなしかの薄い笑みを零す。

「もちろんですともっ。
 エヴァンジェルで一番のパン屋って評判が、自称でないことを教えて差し上げます!
 それに、夕食の準備も抜かりはありません!
 ちゃーんとミリアさんの分もありますよっ」

リンセルも満面の笑みで返す。
ミリアの内心の憂いが少しでも消えれば良いと考えて。
そして、来客の背中を押すようにしてテーブルに案内すると、すぐに夕食の時間も始まった。
テーブルの席順は時計回りにリンセルの父、母、リンセル、ミリア。
全員が席に着いた所で、食前の挨拶として三主への祈りを行う。
これは神への信仰と言うより長年の習慣であり、三主教がどのように変化しようとも容易に変わるものではない。

「これが、ロルサンジュ自慢のパンですっ。
 外側はパリッとしてて中はふわふわ。
 さらにさらにっ、温めても冷めても味は一級品。どんな料理にも合います。
 ぜひとも、心ゆくまで食べて下さい!」

リンセルはさっそく籠いっぱいに詰められたパンを勧めた。
こちらは歯応えや食感が良く、そちらは噛んだ時の香りが良いと、ミリアが手に取る度に一つひとつ解説する。

「それで、こっちはミリアさんから貰った特別製の酵母を使ったパン。
 聖餐式で使えないかなって思ってるんだけど……さっそく、みんなで味見してみて」

自作のパンが聖餐に使えるのかどうかを確かめてもらう為、リンセルは父親と母親に試食を勧める。
形は三つの円が合わさったクローバー型で、見た目はクッキーに近いのだがやや柔らかい。
味に関しては砂糖や卵などは使っていないので、シンプルそのものだ。

301リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/03/11(月) 19:48:23 ID:lMa5ny6U0
リンセルの父が小さなパンを手に取って口に運ぶ。
奥歯で噛み、舌で味わって、鼻に抜ける香りを聞いて、食したパンの感想を述べる。

「特別製の酵母?
 さて、原材料はフルーツか野菜か、それともハーブかな。
 どうやら香りは悪くないようだが……それに味もまあまあだ」

元より、聖餐に使うのは失敗するほど複雑な技巧を凝らすパンでも無いので、評価も実に妥当なものだ。

「そうね、その面では出しても問題なさそうね。
 小麦粉と塩以外には、何を使ってるのかしら……」

続いてリンセルの母も頷く。
その面では、と但し書きを付けて。
三主教は教義こそ大まかではあるのだが、宗派によっては取れない食物もある。
つまり、ミリアかリンセルに酵母の原材料を明らかにして欲しいとの意だ。

「え? 変なものは入ってないよ、ママ。
 それどころか、食べれば健康になること間違い無しの魔法の酵母だよっ。
 そーですよね? ミリアさんっ」

リンセルはミリアの渡した酵母が不審がられたと受け取り、いかにも不本意といった顔で擁護。
パン酵母として使ったものは、ウ・ボイにてミリアから渡されたもの。
その際、これは人間の潜在力を引き出す……との説明を受けている。
何らかの魔法の手が加わった物のようだったが、魔術に疎いリンセルの理解では単に健康食品の凄い版。
実際、この手の物はどこの国でも珍しくない。

「……あぁーむっ、んっ」

リンセルはシチューに浸したパンを舌に乗せ、その絶妙なハルモニアを感じながら家庭科の授業を思い出す。
教科書に拠れば、サプリメントや健康食品の分野が発展したのは、俗に人智の三百年と呼ばれる時代のこと。
西暦1800年辺りから2100年までの三百年間は、魔法の力が世界的に衰えた時代だったらしい。
そして、その期間こそが魔法と科学が共存する現代文明の礎を築いたと言っても過言ではない。

魔法に頼れなくなった人類は、三百年間を掛けて科学を飛躍的に発展させてゆく。
産業革命の蒸気機関から始まって、テレビや電話などの高度な電子機器も、人智の三百年の間に発明された。
コンタクトレンズや補聴器や様々な薬の知識が生まれたのも、機能再生や治癒の魔法が使えなかった時代故だろう。
神秘の力が世界に復活すると、無用となって消えた技術も多いのだが、魔導技術と融合して隆盛を遂げた分野もある。
サプリメントや遺伝子組み換え食品や、科学知識に基づいた健康食品は後者のカテゴリー。
今の時代ならば、エヴァンジェルのような宗教都市ですら幾つかの専門店が見つかるくらいだ。

「どうですか? ロルサンジュのパンは?」

リンセルはミリアと歓談しつつ食事を続け、最後に少しだけ残ったシチューにパンを浸して胃袋へ。
テーブルのものを全て平らげると、食後にも神への祈りが述べられ、夕食の時間は終わった。

「あっ、ミリアさん。寝室は私の部屋を使って下さいね。
 余分なベッドは無いんですが、マットを二重に敷けば充分に寝られるだけの柔らかさは確保できますっ」

リンセルはミリアと共に入浴を済ませると、来客を自分の部屋に招く。
パジャマは自分が着るのは白生地の花柄で、ミリアに用意したのはピンク生地の花柄。
時刻は夜中に近く、すでに周囲の民家も殆どが消灯している。
リンセルの父と母も、明日の仕事に備えて眠った様子。
なので、二人だけで話し合う……あるいはパジャマパーティーをするには充分な時間だ。

302ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/03/13(水) 22:37:17 ID:sY9UV19s0
ミリアは萌黄色のクッションが置かれた椅子に浅く腰かけ、ステンシィ一家の団欒に加わった。
夕食の献立は鶏肉のアーモンドミルクシチュー、茸とチーズのサラダ、コンソメスープ、紅茶。
食卓の中央には、木製の編み籠に入った何種類ものパンと、彩りも鮮やかなジャムの瓶が鎮座する。

(……他人と一緒に食事するってのは何年ぶりだっけな)

ミリアもステンシィ一家と共に食前の祈りを復唱した。
まずは銀色のスプーンを手に取り、湯気を燻らせるシチューの底に沈め、鶏肉の塊を掬う。
口に含むと、ポタージュスープのような甘さが鼻腔にふわりと広がった。

(市販のルー……じゃない? まさか小麦粉やパンからルーを作ってんのか?)

「絶品ですね。これなら確かに食も進みそうです。
 いつも食べてるリンシィが太ってないってのが不思議なくらい、かな」

リンセルの母に感想を伝えながら、ミリアはロルサンジュの主役に手を伸ばす。
スライスされたパンの一切れを摘み上げ、一口分の塊に割いて食べてみた。
別に派手な味付けをされているわけではないのだが、しっかりと小麦の味が感じられて味わい深い。
丁寧にもミリアが新しい種類のパンを取る度に、リンセルから解説が飛んでくる。

「美味しい。店の味です……って、言うまでもなく店の味だったか」

食卓には、リンセルが聖餐用に作ったパンも並ぶ。
このパンには、ミリアの細胞から作られた酵母が使われている。
体液の直接混入以外の方法で人間を優性変異させる術として、ミリアが選んだのは己の細胞を加工品とすること。
これが、どの程度の作用を持つのかが目下の関心事。
加工を経ても効果が変わらないのなら、リンセルと同様に能力限界の拡張を起こすはずだった。
リンセルの両親は娘が作ったパンを味わい、感想を述べると、パンに使われた素材を聞いてくる。
それに対してリンセルは口を尖らせて抗議、ミリアにも同意を求めた。

>「え? 変なものは入ってないよ、ママ。
> それどころか、食べれば健康になること間違い無しの魔法の酵母だよっ。
> そーですよね? ミリアさんっ」

(まぁ、アタシの体液から精製した酵母モドキです……なんて答えるのはアウトだろうな。常識的に考えて)

「酵母の原材料はヤドリギの実です。
 アタシの国に自生する種類なんで、この辺りのとは少し性質も違いますけど。
 リンシィが言う通り、マンドレイクみたいな強壮効果があります」

ミリアは真実とは言えない答えで取り繕う。
やがて、食卓の上にも空の食器が増えてくると、リンセルはミリアにパンの感想を求めて来た。

「割と美味しかったよ。リンシィが作ったのもね」

素直な感想が伝えられる。リンセルへの賛辞を添えて。
和やかな雰囲気のまま時間は過ぎ、食事を終えたミリアはリンセルと一緒に浴室へ向かう。
パン屋の仕事は、午前中から正午までが勝負。
明日の早朝労働に備えて、一人ひとりが別の時間に入浴しているわけにもいかないのだ。
脱衣場でポニーテールの髪留めを外したミリアが首を振ると、腰まである灰色の髪が揺れた。
ミリアはベストを脱いで雑に畳み、レギンスやカットソーや下着と一緒に籠の中へ。

「あ、入浴の前に一つ言っとくけどアタシを性的な目で見ないように」

扉の前で振り返り、ミリアは意地悪そうに唇の端を吊り上げた。
リンセルの両親をあまり長く待たせる訳にもいかないので、浴室では手早くボディタオルで身体を洗う。
長い髪を指で丁寧に梳き、温かい湯船に浸かって全身がほんのりと桜色に染まった頃、短めの入浴時間を終える。
ミリアが脱衣場に戻ると畳んで置いた服は無く、代わりにピンク生地の花柄パジャマが用意されていた。

「……ピンクか。あんましアタシには似合わない気がするんだけどな」

303ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/03/13(水) 22:42:38 ID:sY9UV19s0
リンセルの部屋に入ったミリアが部屋模様を眺める。
白に統一された家具とピンクのカーテン、薄桃色の淡い照明。
よく整理整頓されていて、ラジカセやヘアドライヤーのような家電製品は控えめに佇む。
部屋には、大人の雰囲気を演出しようとしている気配が見て取れた。
本棚に並ぶコミックや数学の問題集が、年相応の部分を醸し出してしまってはいるのだが。

「三主教の聖地って言っても、やっぱりどこも普通に電化製品はあるんだな。
 まー、そりゃそーか……街全員で神官みたいに暮らしてるはず無いもんな」

ミリアが何の気なしにラジカセのスイッチを押すと、スピーカーから鮮烈な歌声が流れて来た。
歌い手が男なのか女なのかは判然としないが、声の印象は最高級の楽器。
胸を抉って肉体に入り込み、魂の奥まで浸み渡ってくるかのようだ。

『キミらは、いつまで瞑って(ねむって)いるんだい。
 さあ、瞼を開け。例え真実の光で焼かれようと。
 さあ、耳を澄ませ。ついに目覚めの時が来たんだ――――』

歌が途切れると、シンフォニックな間奏が嚠喨に響く。
ドラムとベースにツインギターの旋律が加わった演奏は、荘厳にして熱狂的。
ラジオの音量自体は大きくないものの、曲節の起伏が感情を掻き立て、波のように強く、高く、盛り上げる。
すぐに曲の世界に引き込まれたミリアは「へぇ」と感嘆の声を上げ、ベッドの上に腰掛けて歌を聴き込み始めた。

『命の価値が墜ちたのは、いつからだろう?
 それは、キミらが生命を操った瞬間(とき)からだ。
 思い返せ、掌から零れ落ちた水を啜る浅ましさを。
 思い返せ、大地を闊歩する亡者たちの悍ましさを。
 愚かな狂騒で真実が歪み、捩れ、地獄の門たるローファンタジアは灰に帰す。
 
 world to ashes

 エヴァンジェルは妄想の千年王国、偽りの神を崇める白痴どものサナトリウムさ。
 終末が訪れるその時まで、彼らは虚ろな夢路を徨い続けるのだろう。
 そして、嗚呼、放浪する盲人たちは旅の果てで思い知る。
 自らが破滅の炉に焼べられ、燃え盛り、大いなる禍いの糧となったことを。

 world to ashes

 崩壊の序曲が鳴り響く! 今こそ魂の力を解き放ち、古き世界を灰に帰せ!

 world to ashes

 全てを破壊する時が来た! 運命の袋小路を突き破り、新世界への道を開くんだ!』

透き通るような歌声に攻撃的な歌詞が乗る。
ミリアは詞よりメロディを重視するので、この偏向的な思想を持つ歌も心地良く聞くことが出来た。
しかし、リンセルは自分の街への誹謗に気分を害したようで、憮然とした表情でむぅぅと小さく唸っている。

『フェネクス・ラジオのスタジオから、生放送でお届ケェ〜!
 今夜は南欧で人気のバンド!  Reverse A Sun(リヴァース・ア・サン)のリ〜ダァ〜!
 ディミヌエンド・レガートが、ゲストに来てくれましたァ〜!』

ギターのフェードアウトと共に曲が途切れ、代わってラジオのパーソナリティーが流暢に喋り始めた。

『リヴァース・ア・サンは随分と過激な歌を歌いますよネェ〜?
 そのォ……こんなご時世だってのに、ローファンタジアを批判する歌詞なんかもあるでしょう?』

『ええ、私はローファンタジアの壊滅は起こるべくして起こったと捉えています。
 彼らが主導して行っていた死者蘇生は、この世界が抱える大きな問題を助長していたのですから。
 今、世界各地で起きている騒乱や犯罪の頻発も、元を糾せば全てがその一つの問題まで行き着きます』

304ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/03/13(水) 23:09:40 ID:sY9UV19s0
ミリアはラジオ放送に耳を傾けた。
このディミヌエンドなる人物の言葉は、夢の淵を舞う蝶たちのように一つ一つが心に纏わりつく。
声は甘美、変声していない少年にも似ているが、子供には無い麗しさと強さを内包した美声。
カストラート(※去勢することで声変わりを無くした男性歌手)と言う単語が頭に浮かぶ。

『この世界が抱える一つの問題? フゥ〜ん……それはいったい?』

ラジオパーソナリティーが軽薄な声に大仰さを作って質問する。
今、世界中で起こっている様々な問題を根源まで遡れば、何にまで行き着くのかを。
ミリアは世界に己の力の断片を撒き散らした頂天魔の如き、悪性のアイン・ソフ・オウルかとも考える。
しかし、ディミヌエンドの答えは全く違うものだった。

『人口の爆発的な増加です。
 古来から、人類が増えすぎる度に世界には大きな問題が起こってきました。
 動物も数が増えすぎたり、狭い場所に閉じ込められれば、凶暴性を増して同じ種を攻撃し始めるでしょう?
 これは、人類も同じことなのです。
 人口の密集した大都市で起こる事件の凶悪さと比率は、地方群邑の比ではありません。
 多くの破壊神信仰も、栄華を極め、閉塞感に満ちた巨大文明の中から、それを破壊する為に生まれました。
 狭い大地に生命が溢れるのに伴って、社会には大きな倫理の破壊が引き起こされるのです』

『なるほど〜、まァ確かにそうかもしれませんねェ。
 僕も昔ハムスターをケージで三匹飼ってたら、共食いしちゃったことがあったんですよォ〜』

『それは宇宙と生命を支配する法則が、小さなケージの中でも再現されたと言って良い。
 生物は種を保存し発展させようとしますが、増え過ぎた生物は逆に破滅へと向かう。
 数多の宗教が持つ“栄え、地に満ちよ”との価値観すら、世界に人が溢れれば存在意義を失うのです。
 そして科学が備える発展への渇望も、本質的には宗教の持つものと変わらない。
 既存の宗教や科学に根差した倫理は、今の時代に於いては全て存立基盤を失っていると言っても良いでしょう』

仏頂面のリンセルはラジカセに手を伸ばし、いかにも切りたそうにしている。

「あー……分かった分かった、夜に大きな音でラジオ聞いてたら近所迷惑だもんな」

チラチラとリンセルから視線を送られたミリアが頷く。

『星霊教団や神魔コンツェルンが行っていた蘇生は世界の人口爆発を招き、間接的に今の混乱を幇助しています。
 世界最大の宗教、三主教も総本山たる聖都に大きな災厄を呼び、今は体制を立て直すのにすら苦慮する有様。
 誰もが不安に苛まれ、心の拠り所を欲しているのに、古き世界の住人たちは誰も新しい価値観を提供できない。
 私たちReve――――』

部屋の主はスイッチを押してラジカセを沈黙させ、ミリアの隣へ腰掛ける。
二人分の体重を乗せたマットが、ぽふんと柔らかい音を立てて弾む。

(明日になれば、リンシィの両親への影響の有無でパンの効果も分かるだろうし、今日はもう寝ても良いかな)

ミリアは、そのままベッドに身体を倒す。
肉体的な疲労は無いはずなのだが、頭には鉛を詰めたような重さを感じる。
魔術を使ったせいなのか、思ったより精神に疲労が溜まっていたのかも知れない。

「……リンシィから見て、ボルツ・スティルヴァイってのはどんな人物だった?
 アタシにとっちゃ神にも等しい英雄って感じで、神話や伝承の存在と同じなんだよね」

リンセルが腰を浅く浮かし、来客に自分のベッドを譲る気配を見せた。

「ん、こっちで寝なよ」

ミリアはリンセルの背に抱きついてベッドに引き戻す。
そして目を瞑り、瞼の裏に写真で見たボルツの姿を描きながら、英雄で無くなった英雄の話が語られるのを待った。
しばらくすると話者が寝物語を囁き、聴衆は夢と現の狭間でそれに耳を傾け、やがては二人共に夢の中へ墜ちてゆく……。

305 ◆NHMho/TA8Q:2013/03/16(土) 23:03:51 ID:CJN5QhPo0
名前:ディミヌエンド・レガート
種族:人妖(人間/妖魔)
性別:両性具有(戸籍上は男)
年齢:50才
身分:精霊楽師
技能:数多の詩精を従え、万物を奏する
外見:若く、少女のようにしなやかな外見。赤と紫のオッドアイ。長く艶やかな黒髪。透き通るような白い肌
装備:ブラックを基調としたクラシカルなゴシックドレス。ヘッドドレス。ロングブーツ
操作許可指定:名無しも可(共用NPC)
設定操作許可指定:名無しも可

【人称】私(口調は丁寧だが、上から目線の偉そうな物言い)
【性格】肥大化した自己愛が超俗主義と結び付き傲岸不遜
【願望】母を貶め、踏み躙り、神となった己を見せつけたい
【得意分野】発声、己の喉だけで森羅万象を表現する
【苦手分野】肉体を駆使した近接戦闘
【最終目標】一切を超越した神人になること
【生育環境】幼年期は母である妖魔王と共に辺境で過ごす。成人後は世界を放浪してバンドを結成

◆妖魔王グリム=メルヒェン
神に成り変わらんとして敗れ、異界(ネバーアース)へ追放処分された妖魔。
混沌を好み、己の手駒の一つとしてディミヌエンドを産む。

◆詩精(ラナンシー)
詩の才能と引き換えに、取り憑いた者の生命力を奪う精霊。
詩精の誘惑を撥ね退けた者は、逆に彼女たちを支配する。


【ディミヌエンドは、ローファンタジーがインフレに難じ始めている様子の時に考案したキャラクター。
 他のキャラが戦闘に手を出し難い状況を作る方法として、各キャラ毎に因縁の深いライバルを設定するのはどーかと思ってね。
 力量が互角程度で因縁もあるなら、「手を出すな、あの敵はオレ(こいつ)に任せろ」って状況が作りやすいでしょ?
 で、こいつはフォルテ用のライバルキャラに当たるんで、意図して能力や出生を似通わせたってわけさ。
 歌を戦乱や扇動の道具に使う存在なら、楽師としての対立関係も築きやすいしな。

 各キャラが孤立することなくストーリーに参加するには、強力な相関関係を持つライバルは有り難い存在。
 超人クラスなら枢要罪の探索や調査辺りをミッションに加えておくと、何かとやり易いかも知れないんじゃないかね?
 何体が現世に復活して、誰がどんな思想と目的を持って、枢要罪同士の関係は共闘なのか対立なのか、とか。
 これなら、付かず離れずのポジションのまま色んな都市に顔を出しても、それほど不自然じゃない。
 どの都市も、どれかの罪悪に抵触する部分はありそうだしな。
 彼らの傘下として地位クラスの敵も暗躍させやすい……かも。
 ま、余計なお世話だったら恐縮なんだけど。

 ちなみにディミヌエンドの出番は、さっきのラジオ出演だけで終わり。
 今後出す予定は無いんで、使いたいんなら設定なんかも使いやすいように弄って、好きに使ってくれて構わないよ。
 あと代理投稿に関してなんだけど、新避難所に書き込むのは気が進まないんで控えてる……無報告になっちゃうんでね】

306フォルテ ◆jIx.3BH8KE:2013/03/18(月) 21:21:25 ID:nYY93fiI0
一瞬異父兄弟だったらどうしよう! なんて思ってしまいましたが又従姉弟(解釈次第でいとこの子供)だったのね
ドSの人妖男の娘両声類だとぉー!? 怪しからん、実に怪しからん!
超好みにドストライクではないかぁああああああああああ!!
歌で容赦なく心ズタズタにされて詩精の誘惑と言葉攻めを受けながらブーツのかかとで踏まれたい!

と紳士発言はこの辺にして、そこまでこのスレの事を考えてくださってありがとうございます!
楽器を装備してないのは意図的なものなのかな?
歌で全てを表現出来る故に楽器を弾く必要も無いからやろうとしなかった、とすると面白そう!

カウンターキャラ案はいいですねー!
ゲッツ君のライバルキャラは一見いかにも神官戦士な聖者寄りの感じの人だったりして。
「貴方に勝ち目はない……何故なら太古の昔から悪竜は聖者に敗れる運命なのですよ!」みたいな!

307ゲッツ ◆DRA//yczyE:2013/03/27(水) 21:57:20 ID:Vh99Rlqk0
おおう、此方の状況を気にしてくださって本当に有難うございます、ミリアの方
いつもSS楽しく読ませていただいています、この期の展開が個人的にすっごく気になりますよ! 期待してます!

ディミヌエンドさんの設定、とても美味しいので近いうちに使わせていただくかもしれません
ライバルキャラは後に出す予定でしたが、うまい感じに出来るように頑張ってみますね
色々気を配っていただいてほんとうに有難いです、代理投稿に関しては気にしないでいいのですよ!

308リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/03/31(日) 05:22:26 ID:rDsZBfMY0
薄明のエヴァンジェル。
空は厚い雲で覆われ、重苦しい青鈍色を帯びていた。
普段は喧しい小鳥の囀りも、今朝は風の音に掻き消されて聞こえない。

夢の中でまどろんでいたリンセル・ステンシィから、睡魔を吹き散らすのも風。
街並みを駆け抜ける強い風は、低く不気味な音を奏でながら家々の壁を撫で、窓を小刻みに震わせている。
その風音を目覚まし時計代わりとして、リンセルがゆっくりと瞼を開く。

「ん、んー……」

この部屋の主と遠来の客は、一つの毛布の中で体温を分け合って眠っていた。
眠りから目覚めたリンセルがミリアの顔に焦点を合わせれば、シャープな輪郭が部屋の薄闇に浮き上がる。
遠方からの旅で疲れているのだろう。
微かに開かれた唇からは静かな寝息が漏れ聞こえ、共寝する相手の熟睡が見て取れた。

「すぅ……ぅ……」

顔を少し近づけて吐息を吸い込むと、陶酔感と幸福感とで眩暈を起こしそうになる。
そのまま顔を近づけ、唇を奪ってしまいたい衝動にすら駆られた。
辛うじて自制したのは、ミリアの眠りを妨げないようにとの配慮からだ。

この欲求は恋なのか? 愛なのか? 憧れなのか? それとも別のものなのか?
判然とはしないが、少なくとも今はミリアは家族と同じくらい大切な存在と感じられる。
あるいは、それ以上かも知れないと。

そのミリアに求められ、昨夜のリンセルはボルツ・スティルヴァイの話をした。
街を守って戦死した彼はリンセルにとっても英雄と言えるのだが、ミリアが求めるのは日常の姿。
それに戦いとは無縁のパン屋では、無数の戦歴と戦場の雄姿も知り得ない。
必然、話題はバーのマスターとしてのボルツに限られた。
ウ・ボイを訪れたリンセルが店を始めた理由を聞いた時、返って来たのはこんな答えだっただろうか。

『バーを始めた理由かね。
 そうだな……人が日々を生きていれば心は乾いてゆく。それを潤すためかな?
 酒そのもので渇きを癒すのではない。
 他者に触れて共に語らう事で、人は始めて自分の生を意識でき、人生を大切に生きようとも思えるものだ。
 だから酒屋ではなく酒場を始めた、と。
 いや、本当は単なる酒好きの趣味が高じただけなんだがね、ふふ』

(どうして、私はスティルヴァイさんともっと親しくしておかなかったんだろう。
 そうしてれば、ミリアさんにもっと色んなことを話せたはずなのに……)

ボルツの印象を問われた時に、ありきたりの言葉しか出て来なかった自分が恨めしい。
話し上手でウィットに富むとか、ダンディだとか、そんな誰でも言えるような言葉の羅列だ。
その後にベッドから離れた記憶は無いので、おそらくミリアの横で話しながら眠ってしまったのだろう。

(五時過ぎ……もう起きなきゃ)

時計を見たリンセルは、ミリアを起こさぬようにベッドからそっと離れ、クローゼットを静かに開けた。
白いブラウスと紺色のロングスカートに着替え、その上にエプロンを羽織って、今日のスケジュールを思い描く。
まずは厨房で両親の仕事を手伝い、朝食を済ませれば中学校へ登校。
授業が終わってから帰宅すれば、早くてもロルサンジュに戻れるのは三時過ぎになるだろう。

(ミリアさんは疲れてそうだし、もうちょっと寝かせて上げた方が良いよね)

リンセルは眠るミリアを残して二階の階段を降り、パン工房へ向かった。

309リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/03/31(日) 05:32:00 ID:rDsZBfMY0
ロルサンジュの厨房では、リンセルの父がパン生地を形成している。
リンセルが目分量で判断した限り、作業を始めたのは一時間くらい前のようだった。

「おはよう、パパ、ママ。私も手伝うね」

「ん、じゃあリンシィはバゲットを頼む」

パンの成形作業にリンセルが加わり、さらに一時間半ほどが経過。
生地が充分に発酵すれば大きな石窯で焼成するのだが、今日は平日なので工程に最後まで加わる事は出来ない。
七時を過ぎればリンセルは朝食を済ませ、中学校に登校しなければならないのだ。

「あっ、今日の朝食は私が作っとくね」

リンセルがフライパンにオリーブオイルを敷き、ポットに火を掛け、全員分の朝食を作り始めた。
ロルサンジュの厨房はキッチン兼用なので、料理はすぐ隣で行われる。
辺りにロースハムの焙られる香りが仄かに燻り始めれば、裏返して卵を入れ、フライパンに蓋を。
黄身が半熟状態になるまで、中火から弱火で蒸し焼きにする。
それを赤と緑の胡椒、バルサミコ酢、オリーブオイル、刻んだチャービルで彩れば、ハムエッグの出来あがり。
料理をトレイに乗せてダイニングへ運び、テーブルに牛乳とサラダとパンを添える。

「うん……良い感じに朝食完成っと。
 ミリアさんを起こして来なくちゃ」

自室に戻ったリンセルが、窓を覆うカーテンをサッと開く。
部屋に差し込むのは灰色の光。空を覆う鉛のような雲は朝の気配を感じさせない。
大通りでは時折り風が獰猛さを増して歩行者の胴を噛み、踏み出す両足へ絡んで身体を押し崩していた。
目線を上げれば、大聖堂の尖塔には細長い旗が掲げられ、吹き荒れる風の中で長く棚引いている。
天を白、大地を黒、海を青として意匠化した三色旗は教皇選挙終了の目印。
第309代教皇が決定した際にも、旗は同じように掲げられた。

「三色の旗……新しい教皇様が決まったんだ」

リンセルが教皇就任の日を思い出そうとする。
瞬間、息が詰まるような胸苦しさに襲われ、眩暈で視界が霞む。
人間にとって有害な禍神の記憶を霧散させるべく、リンセルの精神が防衛本能を働かせたのだ。
窓の外に見える景色が歪む。平衡感覚も歪む。立っていられない程に。
振り返ればミリアの顔だけが鮮明に見えた。
一呼吸すれば、途端に狭まっていた視界が広がり、胸苦しさも消えてゆく。
すぐに気分の落ち着いたリンセルは、余事を頭の隅に追いやり、ミリアを起こさなければと思い直す。

「ミリアさん、おはようございます。
 いつまで寝てるんですか? もう朝ごはんの時間ですよー……っ」

耳元へ顔を寄せて囁くとミリアの瞼が揺れ、呼吸のリズムも変化する。
目覚めの気配を感じたリンセルはクローゼットを開き、来客の着替えを見繕い始めた。
ミリアの服はリンセルの母が洗濯してしまったので、代わりの服を用意しなければならない。

(お風呂で見た感じだと、服のサイズはだいじょうぶなはず。
 上は白のレースブラウスかな? あっ、こっちのピンクもいいかも。
 スカートはどうしよう? 青いデニムかギャザーの灰色?
 これはドレープが綺麗だけど、あんまり上には合わないから……んー)

ひとしきり悩んだ様子のリンセルは、クローゼットから厳選した衣類を抱えてミリアの元へ。

「これミリアさんの着替えです。着て下さいっ」

リンセルが最高の微笑みで、裾を広げた上着を差し出す。
コーディネートは活動的な服を好むミリアとは間逆、いかにも少女らしい趣味嗜好のものだった。

310ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/12(金) 01:37:05 ID:6RdUgyyM0
草色の芝生が広がり、柔らかな秋の日差しで満ちた庭。
木製の白い椅子に壮年の男が座り、膝には十にも満たないであろう小さな娘を乗せている。
両の腕で娘を抱き締める父は骸、緩やかに朽ちる体からは饐えた腐臭が漂う。
死せる男の喉元からは小さな緑の芽が伸び、緩やかな風で葉を揺らしていた。

――――それは夢、ミリアの世界。

と、景色が色を失う。
庭を取り囲む煉瓦塀や、枯葉色の樹木が光の色に塗られて霧散してゆく。
心地良い世界を消し去ったのは開かれる瞼、窓から差し込む朝の光。
夢を失い、目を覚ましたミリアはベッドの上で半身を起こす。

>「これミリアさんの着替えです。着て下さいっ」

目の前にはリンセル・ステンシィ。
彼女はミリアの為に吟味した服を持って微笑む。
右手にワインレッドのベロアフリルカーディガン。左手には薔薇色のジャガードローズワンピース。
ミリアへ差し出された着替えは、パーティー用の余所行きと思しき高価そうな服だ。

「……で、アタシはそれを着てどこの舞踏会へ行けば良いのかね?」

結局、ミリアが着たのはグレーのフレアスカートと黒のブラウス。
着替えを済ませたミリアはダイニングへ降り、挨拶と共に朝食の並んだテーブルへ着席。
そして厨房からやって来たリンセルの両親を見て、一目で気付く。
自身の魔力を施したパンが、彼らに何の影響も与えていない事を。

(加工を経た細胞を通すと、遺伝子変異の魔力は効果が無い、と。
 アタシの魔力がもっと強ければ、結果は違ったのか……?)

目論みの外れたミリアは心の中で舌打ちする。
人間種の変革と言う大望が、手から零れ落ちる砂のように遠のいてゆく気分だった。
どうしたものかと思案しかけた矢先、リンセルの父が問い掛けて来る。

「そう言えば、大聖堂に掲げられた三色旗はもう見たかな?」

「いえ……確かエヴァンジェルでは前教皇が没して、新しい教皇を決める最中でしたよね。
 もしかして、もう教皇選挙が終わったんですか?」

「ああ、そのようだね。
 まだ誰なのかは分からないが、昼過ぎには発表されるだろう」

話す間にも、テーブルの上からハムエッグやサラダが消えてゆく。
パン屋の仕事は正午までにどれだけのパンを作れるかが勝負なので、朝食の場も慌ただしいのだ。

(……早過ぎる)

たった一回の選挙で、新教皇は決定してしまった。
聖餐式を用いて三主教中枢を一気に掌握する方法も、使えそうにないと判明。
ミヒャエルが起こした事変が影響してのことか、人間の中に司教の多くから支持を得られそうな者も見つけられない。
当面の目的は遂行が至難と見られ、他に良策も浮かばず、早くもミリアは手詰まりを感じた。
今の自分が、何をすべきで何処に行けば良いのか……分からない。

311ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/12(金) 01:43:56 ID:6RdUgyyM0
沈黙の中でロールパンを噛み、ハムエッグを食べ、温かい紅茶を飲む。
ふと気付けば、リンセルの両親は五分も経たない内に手早く朝食を済ませていた。

「さて、そろそろパン作りに戻るとしよう」

椅子から立ち上がった熟練のパン職人は再び厨房へ向かい、その伴侶は食器を片づけて夫の後に続く。
ダイニングに残ったのは二人だけとなったが、リンセルも登校時間が近いようで一分毎に壁時計へと視線を送る。

(……学校か。そういやアタシ、高校中退した上に無職で住所も不定だな)

「リンシィは学校の支度した方が良いよ。もう登校しなくちゃ遅刻するだろうし。
 アタシの方はどうしたもんかね? 二度寝でもしてよっか」

……なぁんてね、と続けてミリアが乾いた笑みを浮かべた。
自嘲の笑みは、帰るべき場所が無いのに、行くべき場所を見出せないもどかしさから。
短い朝食の時間が終われば、リンセルは登校する為にダイニングから離れてゆく。
ミリアも手を軽く振って、学校へ行くリンセルを見送った。

「いってらっしゃい、リンシィ。
 今日は風が強いみたいだから気を付けて」

住人が去ったダイニングに一人残ると、ここが自分の居場所でない事を強く自覚させられる。
窓を鳴らす耳障りな風の音、静かな喧騒の中でミリアは己が向かうべき場所を探す。

(アタシが何をすべきかは、ゴールから逆算するべきだな。
 一番重要なのは、父さんの魂……が安らかであること。
 そう、そのためにアタシは父さんの望んだ英雄の不要な世界を作り上げる。
 この生物を作り替える力なら、全ての弱者に遍く力を持たせられるはず)

目的を定めたミリアはテーブルに頬杖を突き、思索を具体的な手段についてまで及ばせる。

(問題は効率が悪過ぎる事か。
 魔力が高ければ、加工を経ても効果があるのかも知れないけど、それを今すぐ解決するって訳にはいかない。
 体液を霧状にして、花粉のように飛散させれば広範囲にも散布できるのかな?
 それなりに人が集まる場と風と散布用機材が必要だけど……流石に今日は無理だろうねぇ)

窓に近づいたミリアが外を見ると、メインストリートでは強風に折られた街路樹の枝が吹き飛ばされていた。
出歩くのに向いた日でない事は瞭然、強風注意報が出ていてもおかしくはない。
風とは気圧の高い所から、気圧の低い所へ空気が移動する事で発生する現象。
しかし、今日エヴァルジェルに吹き荒れる風は、気圧の不均一を解消する為に起きた訳ではない。
先日、街を来訪した高名な導師が、街の時間を逆行させた際に生じたもの……運命圧とでも呼ぶべきものが原因だった。
彼がエヴァンジェルの時間を巻き戻したことで生じた、結果の不均一を解消する為に風は生じたのだ。

誰も知らぬままに消え去った時間は風に姿を変え、失われたはずの結果を携え、聖都の大気を猛威で引き裂く。
結果、今日のエヴァンジェルは異常なまでに事故が多発した。
新市街の大聖堂や僧院、エヴァンジェル大学、セイラーン博物館、工業団地や各省庁でも。
東地区の大地の門から西地区の海の門までを貫くメインストリート、翡翠通りでも。
ストリートチルドレンの溜まり場である旧市街の公園、歴代の教皇が埋葬される街外れの共同墓地でも。

時間が経過する毎に猛りを増す狂風は、翡翠通りを走る復興用の資材運搬トラックを脱輪させた。
ガソリンを満載したそのトラックは、運転手が必死にブレーキを踏み込んで発する制止命令を無視。
全く勢いを失わぬままメインストリートから、多数の司教が集う大聖堂の中へ。
扉を突き破ったトラックは、何人もの司教を轢き潰して絨毯を穢れた赤で汚し、最奥の壁に激突して爆発、炎上。
叫喚よりも速く広がった紅蓮の猛火が、大聖堂を蹂躙する。
千の火蜥蜴よりも凶暴な炎は、至聖所の祭壇を背に佇んでいた次期教皇、ハージェス・ローレンシアをも包んだ。

312司教フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/04/16(火) 18:01:32 ID:/ORiF3ok0
全身が熱風に包まれ、一瞬にして瞳が渇く。
三主教の司教、フランディーノ・セレゼットは悪夢のような光景に絶句した。
大勢の司教たちが集っていた聖堂内には、今や猛火が躍り、真紅の色をした恐怖を撒き散らしている。
扉を突き破って侵入した資材運搬用の大型車両と、続く爆発の影響から逃れた司教は十人余り。
エヴァンジェルに集った司教たちの十分の一程度に過ぎない。

各派は三列に分かれて並んでいた為、中央の列に陣取っていたギイル派司教は悲惨だった。
猛進しながら横転する鉄の塊に撥ねられ、轢かれ、潰され、誰一人として無傷なものはいない。
その先、祭壇の近くにいた司教たちは、天井まで届かんばかりの赤々とした炎に呑まれて見えなかった。
フランディーノが無事だったのは、彼が常に自らを一歩引いた位置へ置いていた事だろう。
他の司教たちが四肢を麻痺させたように立ち尽くす中、逸早く正気に戻ったフランディーノは叱咤する。

「治……治癒を……無事な者は負傷者の治癒を!
 延焼を防ぐ為に五名は鎮火に! 何をしているのですか、早くッ!」

弾かれたように何人かの司教たちが負傷者へ寄り、直ちに治療を施す。
為されたのは治癒の魔術。傷病者の患部に手を当てた掌から青い光、或いは白い光が放射される。
フランディーノ自身も、決して高いとは言えない魔力ながら魔術で治癒を行う。
癒しを受けて立ち上がった者は、別の重篤な者を治療し、隙あらば大聖堂の外へ出ようとする猛火を食い止めた。

「慈悲深き大いなる海の支配者ツルアよ、傷付きし者に救いの手を!」

「天、其は万物のあるべき姿を知る者。
 天、其は獣を獣に、鳥を鳥に、魚を魚たらしめん者。
 天、昼と夜を描きし大いなるイウムよ。
 今、深淵の闇に沈まんとする汝の子を在りし日の姿に還したまえ」

「地の底を統べるギイルの御名において招来せよ、岩漿閉ざす岩の檻!」

司教たちは真摯に祈った。
己の内なる世界には確かに存在するイウム、ギイル、ツルアの三主へ向けて。
ニ時間後、司教たちは懸命に治療を続け、魔力は使い果たしたものの大半の負傷者を救助した。
華麗な壁画装飾は見る影も無く、祭具は散乱、周囲にもまだ焼け焦げた空気が漂う。
しかし、貪欲な炎は鎮火の魔術と消火器に止めを刺され、完全に喰らう事を止めていた。
死神が抱擁したのは轢死、或いは祭壇近くの爆発に巻き込まれて即死したニ十人足らず。

「ロ、ローレンシア司教は?」

「残念ですが……逝去なされました」

報告を聞いたフランディーノは眩暈に立ちくらみ、傷病者を寝かせた長椅子の端へ手を突く。
ハージェス・ローレンシアの喪失は、指導者としても一人の術者としても大きな損失としか言えない。
次期教皇として衆目の意見が一致していた彼の死は、誰かの陰謀とすら思えた。
渦巻く疑念の中で思い当たるのは、昨夜に使い魔を介して接触して来た不審な術者。

もしも、目前の惨禍が誰かの意図で引き起こされた凶行であるのなら、決して許せるものではない。
このツルア派の司教の理想、弱者が強者を制御できる社会は、法と秩序の上にこそ成り立つのだ。
そして、今日の烈風は大聖堂の火災を煽り、聖都の歴史と秩序を街や住人ごと焼き尽くしただろう。

「遺憾ながら、新教皇決定の発表は中止しなければなりません。
 我々は死者への黙祷と今後の備えを。
 これが、ミヒャエル・リンドブルムに感化された棄教者や真裏派の残党。
 もしくは、三主教を攻撃する過激思想家が起こしたテロ行為の可能性もありえます。
 もしも、これに何者かの意思が働いているのなら、その者には必ず正義の裁きを下さねばならないでしょう」

フランディーノが述べた意見で、幾人もの司教が表情を翳らせた。
皆の心に蘇るのは忌まわしき背教者、ミヒャエル・リンドブルムの顔と声。
その救世主然とした威風と、彼の齎した未曾有の災害。
重苦しげに頷いた司教たちは、一部が大聖堂に残り、別の者たちは疲れに震える足取りで去って行った。
それぞれが、それぞれの務めを果たすべく。

313リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/04/20(土) 22:59:46 ID:EZK3qa2o0
朝食を終えたリンセルの両親は、パン職人としての仕事を再開するべく厨房へ戻る。
リンセルも登校すべき時間になっていたのだが、この場から離れたくない気分が強かった。
風の強さに厭わしさを感じた事もあるのだが、それ以上にミリアと離れる事に寂しさと心細さを感じるのだ。
今日は学校を休もうかとすら思う。
しかし、リンセルが壁時計を気にする様子を見て取ったのか、ミリアは早く登校するよう促がした。

>「リンシィは学校の支度した方が良いよ。もう登校しなくちゃ遅刻するだろうし。
> アタシの方はどうしたもんかね? 二度寝でもしてよっか」

そう寂しげに微笑み、ミリアは表情を隠すかのようにティーカップを口元へ持って行った。

「ミリアさんは――――」

此処での用事が終わったら、どうするんですか……と聞こうとしてリンセルは言い澱んだ。
用事があってエヴァンジェルに来たのなら、それが終えれば帰ってしまうかも知れないと考えて。
さほど遠くないであろう別れの時を想像して、リンセルの胸は針で突かれたような痛みを感じた。
その痛みを和らげようと、リンセルは思わず別の未来を思い描く。

(このまま、エヴァンジェルに住んでくれたらいいのになぁ。
 スティルヴァイさんの店を継いで、私はロルサンジュの次期店主になって……)

リンセルはミリアを見た。
冬の雨雲のような灰色の髪には、花を模す青色のシュシュが彩りを添えている。

「ところでその……ぶしつけなお願いですけど、ミリアさんの髪留めを貸して下さい!
 えっと、そうすれば離れちゃってても、お互いの絆を感じられると言うか……。
 あっ、代わりの髪留めなら私のと交換するってことで、ぜひお願いしますっ」

薄紫のリボンバレッタを外したリンセルが瞳を見つめて懇願すると、ふっと笑ったミリアはポニーテールを解く。
鮮やかな青色のシュシュは今までの主に別れを告げると、新しくリンセルの栗色の髪を束ねた。
エヴァンジェル中等学校には制服が無いので着替える必要も無く、これでリンセルの登校準備も完了。

>「いってらっしゃい、リンシィ。
>今日は風が強いみたいだから気を付けて」

リンセルが戸口に向かうと、ミリアは軽く手を振って声を掛ける。
その声に優しいような寂しいような、沈んだ響きが籠っているのを感じて、リンセルは務めて明るく返事をした。

「はいっ、360度全方位に気を付けて行ってきます。
 ミリアさんもこの街には慣れてませんし、気を付けて下さいね。
 エヴァンジェルは同じ様な造りの建物が多いので、出先で怪我しちゃうと大変ですし。
 うん……できれば、今日は出歩かない方がいいです。
 明日、天気が良くなったら私が存分にエスコートしますから。
 まだ、パンを10個を買ってもらう代わりに街案内するって約束も残ったままですからねっ」

そう言って、リンセルはくるりと踵を返し、紺色のスカートを翻す。

314リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/04/20(土) 23:00:17 ID:EZK3qa2o0
玄関扉を開けたリンセルは、耳に飛び込む甲高い風鳴りに立ち止まった。
思わず外に出るのも躊躇ってしまうが、そのまま十数秒ほど経つと風は嘘のように弱まってゆく。
街中を駆け巡る風は、勢いを強めたり弱めたりを気まぐれに繰り返しているようだった。
だから、出勤や通学の際に誰もが充分に気を付ければ大丈夫だろうと思ってしまう。
リンセルもまたそう思って、ロルサンジュを出て通学路である翡翠通りを歩き始めた。
時折り強い風が吹く時には目を瞑り、立ち止まり、スカートが翻らないよう裾を押えて。

(うー、目がしぱしぱ、髪がパサパサする……)

初等、中等学校が並ぶ学区はメインストリートの近くで、距離にしてロルサンジュから五百メートルも無い。
いずれの校舎も大聖堂や僧院と同じ建築様式で、他国の人間は城館や宗教施設と勘違いすることもある。
中等学校の校舎へ入ったリンセルは、まずニ階の洗面所へ向かい、砂埃に打たれた顔を綺麗に洗って髪を整えた。
それから閑散とした教室に入り、自分の席に鞄を置くと、隣のクラスメートへ話しかける。

「ライザ、なんか今日は人が少なくない……?」

「今日は風が強いからねー。何人も風で転んで怪我して保健室にいるみたい。
 後は、いつも自転車で来てる奴が今日は歩きだから遅いんじゃん」

ライザと呼ばれた背の低い黒髪の少女からは、そんな答えが返って来た。
三主降臨の日を境として教室には空席が目立ち、数週間前と比べれば、さながら欠けた櫛の歯。
誰も表立って不安や淋しさを口にはしないが、心を穿たれたような空虚感が漂うのは隠せない。
それだけに残った生徒同士は緊密になり、今まで余り話す機会の無かった生徒同士が話す機会も増えた。
リンセルとライザが話すようになったのも、空席となった隣の席にライザが移って来たのがきっかけだ。

「そっか、ミリアさんも今日はじっとしててくれてるといいんだけど」

「だぁれー? ミリアって?」

「あ、うん、ミリアさんはうちのお得意さんだった人の孫で、今はうちに泊ってもらってるの」

「へー……あっ、そうそう、ところで新しい教皇が決まったらしいって知ってる?
 誰かはまだ分かんないんけど、前の教皇みたいなご乱心は勘弁だよね。ミヒャエル・リンドブルムだっけ?」

「ちょっと違う。ミヒャエル・リントヴルムだよ」

「え、同じじゃん? なんか違うの?」

「リントヴルム」

「リンドブルム」

「……ヴ」

「……ブ」

他愛の無いおしゃべりは始業ベルで中断、すぐに一時限目の授業として数学の授業が始まった。
それが終われば、五分間の休憩を挟んで二時限目の歴史の授業に続く。
白髪混じりの中年教師が、周辺諸国の歴史について滔々と講義する中、突然それを遮るような爆発音が響いた。
窓から外を見れば、街の中央に聳える尖塔から朦々と黒煙が吐き出され、風下へ向かって流れている。

「何あれ……大聖堂の方から煙が出てる!」

「火事、こっちに来そう!」

「皆さん、落ちつきなさい! 大聖堂の近くなら大勢の司祭様たちがすぐに火事を鎮めてくれますから!」

たちまち騒がしいざわめきが広がって、窓に走り寄る生徒も現れた。
歴史の教師は何度も落ちつくように言うのだが、教室の喧騒は容易に収まるものではない。
まだ赤々と燃え上がる姿こそ見えないが、火事が起きているのは誰の目にも明らかなのだから。

315リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/04/20(土) 23:02:09 ID:EZK3qa2o0
突然、不安を煽るかのように風の強さが増すと、大聖堂から立ち昇る真っ黒な煙はぶわっと大きく広がってゆく。
たちまち、灰色の曇り空も薄墨を流したような翳りを帯び、エヴァンジェルは日暮れの暗さを迎えた。
学校も風足の速さを警戒したのか、程なく校内へ避難放送を流す。

『大聖堂付近で火災が発生しました。
 全校生徒は、速やかに体育館へ避難して下さい』

各学年の生徒たちは教室を出ると、二列になって廊下を進み、階段を降りて体育館へ向かう。
本来、火災の時には校庭へ避難するべきなのだが、強風の中で生徒たちを長時間待機させる事は難しい。
学校側もそう判断して、生徒全員に目が届く体育館が避難場所として選ばれた。
石造りの渡り廊下を歩く際には、長く続いた屋根を支える真っ白な石柱に細かな亀裂が見えた。
学区一帯も三主降臨の際には大きな被害を受けており、損壊した箇所が少なくないのだ。

それでも、校舎の中で最も堅牢に造られている体育館は、壁に罅の一つも見られず安心感があった。
いや、自分と同じような生徒が大勢いることで、他の生徒も安心感を覚えるのかもしれない。
体育館に入ったリンセルが板張りの床の上に座ると、前に座るライザは小声で話しかけて来た。

「今日、風がすっごい強くない?
 火事になったら、この辺りってめっちゃヤバそうなんだけど」

「だいじょうぶだよ、ライザ。
 途中の翡翠通りが燃えたらすぐ分かるし、先生も司祭様が火を消してくれてるはずだって言ってたでしょ」

リンセルはライザを落ちつかせるように……あるいは自分に言い聞かせるように小声を返す。
しかし、似たような囁きはどの場所からも聞こえてきた。
絶対の安全など、すでに誰もが信じていないのだろう。

「はぁー……でもさぁ、じっとしてんのって退屈だよね。
 まー、テストよりかはマシだけど」

「そう? 私、歴史とか理科は割と好きだけど……」

落ちつかない様子の生徒たちは、体育館の至る所でざわめく。
そして、体育館に避難してからニ時間ほどが経過して、大聖堂の火災も完全に鎮火した時刻。
空に立ち昇る煙が細くなり、避難の必要性も薄くなった頃合い。
校舎へ移動する為に学年ごとの整列が始まる中、突然背後から勢い良く押されたライザが前方に突っ伏す。

次の瞬間、重い振動音が轟き、体育館の天井が真ん中から崩落した。
雪崩のような音と共に天井の一部が落下、激突の衝撃で板張りの床は砕け、灰色の粉塵を大きく巻き上げた。
外からは堅牢に見えた建物も、内部には他の建物同様の細かな亀裂が入っていたのだろう。
それが、今、自らの重量を支え切れずに崩落した。
十分後なら生徒全員が校舎に戻れていたというタイミングで……。

朦々と煙り、灰色に澱む薄闇の底でライザは見る。
先ほどまで自分と話していた少女が、瓦礫の下敷きになって倒れている光景を。
天井タイルとして使われている重い石膏ボードは、運悪くリンセル・ステンシィを直撃していた。
いや、運悪くではないのかも知れない。
うつ伏せのリンセルが倒れているのは、さっきまでライザが立っていた場所だから。

「リン……シィ……?」

ライザは蒼白となり、震える声を絞り出す。
リンセルの白いブラウスの端には、赤色の滲みが広がっていた。
瓦礫の下になっていて見えないが、天井タイルの破片か、あるいは一緒に落下した金具が背中に突き刺さったのだ。
周りを見れば、体育館の床にはリンセル一人だけでは無く、何十人もの生徒が倒れていた。
ライザはリンセルの体を塞ぐ瓦礫を持ち上げようとするが、石膏ボードの重量は1平方mあたり15kg。
それが幾つもの歪な形の塊に割れていて、非力な人間の少女では簡単に持ち上がらない。
腕に感じる重さに絶望感が募り、頭の中が真っ白になってゆく。

「なん……だよぉ!! 代わりに自分が死んじゃったら意味無いだろぉ……」

316リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/04/20(土) 23:09:23 ID:EZK3qa2o0
泣きそうな声で瓦礫を支えるライザの手から、急にずっしりとする重さが消えた。
ライザに力を貸して瓦礫を持ち上げたのは、長身巨躯のロガーナ族の男子生徒。
彼は瓦礫の端へ手を掛けて石膏の塊を脇に退けると、絶句して言葉を失う。
全身の姿を露わにしたリンセルは、一目で重傷である事が見て取れた。
長く尖った礫片で作られた傷は内臓まで達していそうで、早急に治療を施さなければ手遅れとなるのは明らかだった。

「口から血を吐いてる……早く治療しなければ死ぬぞ。
 おい、お前は保健室に行って早く薬を取ってこい!
 他にも下敷きになってる奴がいるから、俺は瓦礫の撤去をする」

男子生徒の言葉を聞いてライザが校舎に駆け出す。行き先は保健室。
応急処置なら学校の保健室でも可能で、神聖魔術ほどの即効性や回復力は無いものの治癒薬も常備されている。
……普段ならば。

保健室に着いたライザの前で、魔術医の司祭が首を振った。
今日は朝から何人もの怪我人が訪れたせいで、もう魔力を使い果たして治癒魔術が使えないらしい。
魔術医は治癒薬も備蓄が尽き、この忌まわしい烈風で補充が滞っていると悔しそうに続けた。

「それなら、私が大聖堂まで行って司教を連れて来る!」

ライザは学校の敷地を飛び出すと、大聖堂に向かって走って行く。
一刻も早く、司教を連れて来て、強力な回復魔法を掛けてもらわねば……との焦燥に駆られて。
こうしている間にもリンセルは衰弱し、低級な魔法では治癒が追い付かなってしまうかも知れないのだ。

「もうっ、なんで逆風なんだよぉっ!」

風がライザの手足に絡みつき、懸命の走りを鈍らせる。
メインストリートを走り抜け、中央広場を越え、大聖堂に辿り着くまで執拗に。
距離にすれば五分も掛からない筈なのに、必死の走者は倍の時間を掛けた気がしていた。
大聖堂の中に入った瞬間、疲労のあまり両手両膝を床についたライザが支離滅裂に叫ぶ。

「はぁっ……誰かぁ……はぁっ……体育館の天井が崩れて……たくさん怪我して、友達も大怪我して……。
 早く来て、司教様、お願い、中学校まで、早く治して……助けて……死にそうなんだよぉっ!!」

そして――――ライザは目前の光景が、先程と変わらないくらいの惨状だった事に絶望する。

317ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/30(火) 05:05:00 ID:q77Lal2A0
リンセルの父が捏ねていたパン生地は窯入れされ、ロルサンジュに焼けたパンの芳醇な香りが漂う。
布巾を持ち、販売スペースのガラス窓を拭いていたミリアも、その香り高い小麦の芳香を鼻孔に感じる。
ミリアは強風が収まるのを待ってから出かける旨を告げ、その間は店を手伝う事を申し出ていた。
ロルサンジュの作業に関してはリンセルの父、レナードがパン作り。
リンセルの母、フロレアは掃除や電話での通販、開店後の接客を担当する。
ミリアはパン作りの専門的知識を持たないので、販売スペースの掃除を任されていた。
箒で床を掃き、木製のトレーを綺麗に磨き、その間にも焼き上がったパンは棚に並べられてゆく。

褐色のクロワッサン、ふっくらと焼き上がったブレッド、鮮やかなレタスやトマトを覗かせたサンドイッチ。
さらには色とりどりの菓子パンが花のように咲き誇ると、寂しげだった店内も別世界のように華やぐ。
まるで、ロルサンジュが一つの王国だと感じられる程に。
ロルサンジュが十時に開店すると、天候が悪いながらもさっそく何人かの客が訪れた。
リンセルの母は訪れた客に丁寧な接客で応対し、手際良くパンを紙袋に詰める。

「今日はお天気が悪いのに、わざわざ起こし頂いてありがとうございます。
 お買い上げは合計五十七個で、銀貨四十三枚になります」

「はぁあい、四十三ペラルっと」

スキュラ族と見られる聖堂騎士が、財布から銀貨を出してレジカウンターに置く。
聖堂騎士とは、大規模な兵力を置かないエヴァンジェルの治安維持機関である。
彼らは市街地の巡回や警備を担っており、非常時にも迅速に動けるよう昼食はテイクアウトかデリバリーが基本。
昼食前には、このようにファーストフード店を訪れることも珍しくない。

「そういえば、大聖堂に三色旗が見えますね……。
 新しい教皇様が決定したのでしょうか?」

「えぇ、今朝がたに新教皇がローレンシア司教に決まりましてぇ。
 今日は天気が悪いのに、色々と忙しくなっちゃいそうなのです。
 んっ、そこのサンドウィッチも追加でお願いしまぁす……それそれっ。
 この前、ここのパンを試食してみて、ちょっと気に入っちゃいました」

そう言って、大きな紙袋を抱えた聖堂騎士は店外へ出てゆく。

「後は手伝えることもなさそうですから、アタシは下がってます。
 あ……それとハードパンを一つ頂けますか? ちょっとした約束がありまして」

ぽつぽつと人の集まって来る店内を見て、ミリアはリンセルの母に奥へ下がる旨を伝えた。
リンセルの部屋に戻ったミリアは窓を僅かに開け、昨日に使い魔とした鳩を室内に招き入れる。
ベランダで風を避けていた鳩はすっと部屋に入り込むと、胡桃のハードパンから器用に胡桃だけを突き始めた。
それから数十分後、十時も半ばを過ぎた頃、唐突な爆音がエヴァンジェルの大気を劈く。
脱輪した大型車両が大聖堂に突入して炎上、火災が起きたのだ。

「…………爆発?」

ミリアが窓から外を眺めると、広場の辺りからは黒々とした煙が立ち昇っている。
事故なのか、人為的なものなのかは分からないが、大聖堂に何らかの変化が起きたようだった。
現在の風は北から南に吹き、火元の大聖堂から、リンセルの通う南の学区までは遠くない。
しかも、移り気な風は西へ東へと自在に吹く。
火災が広がった場合には、大惨事になりかねなかった。

(まさか教皇選出の派閥争いが激化して、誰かが強硬手段に出た……?
 いや、仮にも一大宗教の司教、権力争いで人死にを出すもんかね?
 ある程度は、ハージェスが教皇って事で纏まってたはずだし。
 状況が好転したのか、それとも悪化したのか……いずれにしても変化を確かめるべきか)

「少し出てきます」

ミリアはレジで接客を続けるリンセルの母に外出を告げ、ロルサンジュの玄関扉を開ける。
背後から即座に止める声。ミリアは耳を塞ぐように扉を閉め、風に逆らって大聖堂へ向かった。

318ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/30(火) 05:06:34 ID:q77Lal2A0
悲鳴のように啼き叫ぶ風の中、右手で杖を握ったミリアが翡翠通りを西へ歩く。
周囲の人間と同じように風へ抗い、時には背を押され。
歩道を歩いていると、途中、荷物を失った紙袋が空虚な音を立てながら風下へ流れていった。
街路樹から引き剥がされた無数の木の葉を友として。

歩く、歩く、歩く、また歩く。
風に翻弄され、遅々として歩みが進まずとも。
手で押さえなくても捲れないレギンスが懐かしかった。
ミリアが広場に近づくと、入口は数名の聖堂騎士に封鎖され、辺りにも拡声器の怒鳴り声が響いている。

「えぇと……ただ今、広場への立ち入りは禁止してまぁあす!
 住民や巡礼者の方は、すみやかに避難して下さぁい!」

「大聖堂で火災が発生しました!
 鎮火には数時間を要すると思いますので、一般の方は近づかないように!」

警告を叫ぶ聖堂騎士の心にも、疑惑と不安が忍び寄り、大きな恐れを生む。
神の代理人たる教皇が決まりかける度に、災いが起きるのはなぜなのか。
地上から三主の祝福は消えてしまったのだろうか、と。
しかし、彼らは聖都の治安維持を担う者として恐れを抑制し、毅然と己の職務を遂行していた。
聖都を守る聖堂騎士として、自ら不安と不信を振り撒く訳にはいかない。

(……広場が封鎖されてんなら、三主教の様子を探るのも無理だな)

ミリアは心の中で舌打ちする。
この風の中で極度の精神集中が必要な念視、念聴を何十分も続けるのは困難。
狂風の中で使い魔を放てば、吹き飛ばされるだけだろう。
それ以上、探索に有用な魔術は思い浮かばない。
ミリアは魔術を習得して間もなく、己の力を十全に使いこなすには、余りにも経験が足りないのだ。

(いや、魔術じゃなくてあっちなら……)

思い起こすのは、己の体液を他者に混入させることで、対象の遺伝子を変異させる魔力。
これは対象に特殊なフェロモン受容体を形成させ、ミリアに魅了されたとでも呼べる状態に置く。
即効性が無いのが難点だが、聖堂騎士や司祭の一人を己の傘下とすれば、内部情報を得るのは容易い。
体液の中で最もコストが掛からないのは唾液。
相手の体内に混入させるには、口腔への粘膜接触が確実だと思えた。

(……キス魔になるのが難点だけど)

ミリアは付近を見渡して、聖堂騎士の中から人間を見繕う。
三十過ぎの壮年、広場からやや離れた交差点を一人で警備している男。
エヴァンジェルに多い茶色の髪と瞳、細面で髭は無く、神経質そうに見える。

「ねぇ、おじさん……アタシといいことしない?」

ゆっくりと一人佇む聖堂騎士へ歩を進めたミリアは、乾いた唇を濡れた舌で湿らせる。
そのまま相手の腰に左手を添えると、半開きの唇を素早く聖堂騎士の顔に近づけた。

319ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/30(火) 05:07:04 ID:q77Lal2A0
「つ……ぁっうっあぁ……」

腕に激痛。骨が折れるかと思うほどに。
壮年の聖堂騎士に左腕を捻り上げられたミリアは、低い呻き声を上げる。

「なんのつもりだ! まったくこんな時に!」

軽い怒気を含んだ声。
壮年の聖堂騎士は、自分に近づく不審者を一瞬にして制圧してしまっていた。
ミリアはリンセルの時と同じ感覚で唇を接触させようとしたのだが、相手は格闘の訓練も積む聖堂騎士。
魔術で身体強化を行っていない状態であれば、一般人に等しいミリアの接触を回避するなど造作も無い。

「君は誰だ? 身なりからして浮浪者ではないよな。
 氏名と住所年齢、学年は?」

「いや、その……アタシは他の街から来たばかりで……つッ……離してっ」

「家出か、親不孝者め。
 金に困ってこんな真似をしてるのか? 親が知ったら泣くぞ。
 すぐに家族へ連絡してやりたい所だが、今は僧院も火災の対応で忙しい。
 とりあえず、俺が案内するから近隣住民と一緒に公会堂まで避難するように」

聖堂騎士が手の拘束を緩め、ミリアの腕を離す。
彼は痛めた腕を擦るミリアに一瞥を放ち、近くの屋根から背を伸ばす大きな建物に指を向けた。

「それで、名前と住所は?」

「……ミーリィス・ステイルメイト。
 本籍は学業都市バイタル、なんだけど修学に付いていけなくなっちゃって。
 それで、もうバイタルが嫌になって離れたの……」

ミリアは上目遣いに壮年の聖堂騎士を睨みつけ、不機嫌な声で偽りの名と経歴を口にする。
位階と役職はともあれ、相手は神に仕える者。
下手に行動力があった場合、本当に故郷へ連絡されかねないと考えてのことだ。

(アタシと父さんを捨てた奴なんて、間接的にすら話すのはごめんだしね)

「さっ、行くぞミーリィス」

壮年の聖堂騎士は、ミリアの左手をぎゅっと握る。
咄嗟に手を振り解こうとしたのだが、がっしりと掴まれた手はいくら振っても離れない。

「あのさ、離してくれない?」

「離したら、そのまま逃げそうだから駄目だ」

「……そうじゃなくて。
 手で押さえてとかないと風でスカートが捲れるんだけど」

灰色のフレアスカートが風で大きく広がるのと同時に、ミリアの掌から人の熱が離れた。

320ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/30(火) 05:07:30 ID:q77Lal2A0
公会堂は中央広場の外側、北に進んで数百メートルに位置する。
四階建ての建造物で、建築様式は大聖堂や僧院と同一。
風上なので延焼の可能性が低いと見做されたのか、現在は近隣から避難した住民が集う。
しかし、三主降臨の際に激戦区となった広場が近い事もあって、公会堂の損傷は決して少なくなかった。
壮麗な白い壁面には、蜘蛛の巣のような微細な亀裂が入っている。

「だいじょうぶなの……ここ。
 思いっきり壁にヒビが入ってるし、大人数が負荷を掛けたら倒壊しそうなんだけど。
 まだ公園かどっかの方が安全なんじゃない?」

公会堂の前に連れて来られたミリアは、建物の様子を眺めて言う。
手を繋がれる代わりに杖を持つ右腕を掴まれてしまったので、逃走は不可能だった。
おそらくは、自由にすれば行方を眩ますと思われたのだろう。
実際にミリアはそのつもりだったから、聖堂騎士の判断は正しかったことになるのだが。

「この風の中で、長時間の屋外待機は体力的に難しいだろうな。
 が、避難場所の方が危険なのでは確かに困る。
 東地区は被害も軽微だから、冒険者会館辺りに施設の解放を要請してみよう」

渋面の聖堂騎士は、懐から携帯用の化粧コンパクトにも似たものを取り出した。
これはPMS(※Personal Magic-phone System)と呼ばれる通信具で、特定の魔力帯域を利用した無線機能を持つ。
蓋を開けば内側の鏡面には通信先、冒険者ギルドの事務員が映った。

「……………………と言う訳でして、公会堂では大人数の収容に不安があります。
 そちらの方で、避難住民の受け入れをお願いできますか?」

短い会話の後、聖堂騎士はPMSでの通信を終えた。
彼の要請は受け入れられたようで、公会堂に避難した住民も程なくして翡翠通りを東へ向かう。

「……アタシも行かなきゃダメ?」

「ああ、当然だ。
 冒険者会館なら、バイタルに連絡が付く遠距離用の通信機器もあるだろうからな。
 親御さんに連絡がつくまで、しっかりと俺が保護してやる。
 娼婦の真似事なんてしてるくらいなら、どうせ行く所だってあるまい。
 お前がこの聖都で身を持ち崩して変な奴の愛人になったりしたら、聖都を守る一員として俺が恥ずかしい」

ミリアは壮年の男の善意に閉口した。
そして、押し黙ったまま、強く引かれた腕に釣られて仕方なく一歩を踏み出す。

321ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/30(火) 05:08:56 ID:q77Lal2A0
数十分後、半ば連行されるような形でミリアは冒険者会館へ辿り着く。
冒険者会館は周囲の建物に比べれば、近代的な造りである。
質実剛健といった風情で無駄な装飾も無い。
ここは、冒険者たちの互助組織(ギルド)であり、一種の人材派遣会社でもある。
国に拠って得意分野や名称、公的資格の有無は異なれど、この手の何でも屋めいた業種は決して少なくない。

(このままじゃ、確実に鬱陶しいことになりそうだな……)

ミリアが周囲を見渡せば、左にも右にも多種多様な避難者たちの姿がひしめく。
低い話し声や子供の声、風を受けた窓の振動、椅子の擦れる音、咳、コップが鳴る音、こつこつ響く足音。
雑多な喧騒で満ちた大ホールは、人の多さも集まってやや息苦しさを感じる。

「じゃあ、まずはバイタルに連絡して御両親にミーリィスの無事を伝えよう。
 御両親の名前と、後は所属する学校と市町村を教えてくれ」

「いや、それは……ちょっと待って……」

「どうした?」

有無を言わせぬ口調で、奥の事務室へ連れて行こうとする聖堂騎士。
しかし、ミリアは足を踏ん張ってホールに留まる。
どこかに連絡しなければならなくなった場合は真実が露見する以上、嘘で嘘を塗り固めるしかない。

「バイタルには帰りたくないの。
 両親は死んじゃって……引き取られた家には暴力的な叔父がいて――――」

俯いて視線を落とし、それから相手を見上げ、ミリアは虚構の身の上話を始める。
筋は何年か前に見たドラマの主人公をなぞったもの。
それを家に連絡できない理由として、哀訴の瞳を向けながら切々と話す。
途中、ドラマチックな展開になり過ぎてアレンジに苦心しながらも、ミリアは何とか一通りの話を終えた。

「――――だから、アタシを三主教に置いて欲しいの。
 神官でも修道女でもいいからさ……お願いっ」

「……随分と辛い過去を送ってたんだな。
 まだまだ行き届いているとは言い難いが、児童福祉にはセレゼット司教が力を入れていたはずだ。
 ミーリィスが受け入れてもらえるよう、俺からも口添えしよう」

話を聞き終えた聖堂騎士の瞳には、涙を堪える時の赤さが宿っている。
偽りは真実として受け入れられたようだった。

「ありがと……おじさん……」

「俺はアレクサンデル・レシェティツキ。おじさんじゃなくてレシェティツキさんと呼んで欲しい」

「……長いし言い難いから、アレクって呼ぶ。
 アタシ、喉乾いたから、お水取って来るね」

ミリアは避難住民に支給された陶器製のコップを持ち、ホール端の流し台で水道の蛇口を捻る。
水が並々と湛えられたコップを手にすると、ミリアはアレクサンデルの近くの椅子へ腰掛けた
そして、コップに口を付けて水を飲む。

「……アレクも飲む?」

そう言って、ミリアはやや水の嵩を減らしたコップをアレクサンデルに差し出す。
顔には屈託のない、と形容すべき微笑みを浮かべて。

「ん、ああ……」

アレクサンデルは哀れな過去を持つミーリィス・ステイルメイトの好意を拒まなかった。

322ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/30(火) 05:18:56 ID:q77Lal2A0
正午過ぎに大聖堂の鎮火が成った頃、街には別の大事故が起こる。
エヴァンジェル中学校の体育館が屋根を崩落させ、多数の重傷者を出したのだ。
その第一報を同校二年の女子生徒、ライザ・フェリーシャが大聖堂へ届けた。

>「はぁっ……誰かぁ……はぁっ……体育館の天井が崩れて……たくさん怪我して、友達も大怪我して……。
> 早く来て、司教様、お願い、中学校まで、早く治して……助けて……死にそうなんだよぉっ!!」

荒い息で掠れる懇願の声。
彼女の黒髪は冷たい汗で頬に張りつき、細い手足は鉛の重さを伴って床へ落ちる。
ライザの救助要請を聞いた司教の一人は、己の魔力が尽きていることに歯噛みしつつ叫んだ。

「まだ魔力が残っている者は! 誰か癒しの術を使える者はいないのか!」

沈黙が広がる大聖堂で再度同じ台詞が叫ばれたが、誰も呼び掛けに応える者はいない。
各々は顔を見合わせ、名乗り出る者がいないことで現状を察した。
此処、大聖堂内に留まる司教には魔力の残っている者がいないのだと。

「小聖堂や僧院で待機する司祭、街を巡回する聖堂騎士、外部の者でも良い……優れた癒し手へ通達せよ!
 すぐに学区のエヴァンジェル中学校へ向かい、大勢の負傷者を癒せと!」

ドワーフ族の老司教が怒鳴り、弾かれたように何人もの司教が僧院へ走った。
大聖堂に通信機器は無いので、僧院へ置かれた通信機器の元に向かったのだ。
その内の何人かは、今朝から怪我や事故の救助要請が相次ぎ、酷く通信が繋がり難い事を思い出す。
彼らは機転を利かせ、PMSで街の各所に置かれた小聖堂や、旧市街の冒険者ギルドへ連絡を取った。

しかし、誰にも優れた癒し手を集められる確信は無い。
魔法とは神秘であり、学術として広範に広まる程、威力に劣化を起こす。
それ故に最高位の治癒魔術は秘匿され、習得人数にも制限を敷いて司教が独占するのだ。
司祭以下の術士が使う治癒魔術では効率が落ち、回復量も個人の魔力に大きく依存する。
それでも、彼らは神に仕える導き手として、救いを求める者の期待には応えねばならない。

「――――冒険者ギルドにも治癒魔術の使い手がいるようでしたら、中学校への派遣をお願いします」

「了解しました」

冒険者ギルドにも癒し手を募集する連絡が届き、事務員は即座に大聖堂からの要請を館内放送で流す。

「大聖堂からの要請です。
 エヴァンジェル中学校で体育館の天井が崩落して、多数の負傷者が発生。
 館内に治癒術の使い手がいれば、ガレージの車にて大聖堂南の学区まで急行されたし」

(……確かリンシィが通ってるのも中学校だったな)

放送を聞いたミリアに不安が過った。
多数の負傷者の中にリンセルの姿が混じっているのではないかと。

323ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/30(火) 05:20:14 ID:q77Lal2A0
館内放送と同時に冒険者ギルドに滞在していた聖堂騎士、アレクサンデルの胸元から鐘を模した音が鳴った。
小さく着信音を鳴らすPMSの円形蓋を開き、通話を受けるアレクサンデル。
内容は北区の公園で風による倒木が起き、少なくない負傷者が出たので救助して欲しいとの要請。
同時に聞いた二つの事故報告に、壮年の聖堂騎士は逡巡する。

「俺は北区の公園に行かねばならない。
 悪いが、ミーリィスはこのまま冒険者会館に留まっててくれ」

数瞬の迷いを経て、アレクサンデルは結論を出す。
南区の事故は大聖堂からの要請だが、北区の事故は自分以外に報告を受けた者がいるか分からない。
客観的に見れば、優先すべきは北区の救助要請だろう。
そう判断して、アレクサンデルは小走りにホールの戸口に向かい掛けた。

「……ダメ、中学校の方に向かって」

その抗い難い響きに壮年の男は足を止める。
ミリアは天井崩落の惨状を思い浮かべながら、アレクサンデルの腕を掴む。
助けるべきなのは北区の見知らぬ誰かでは無く、リンセル・ステンシィだとの思いを指先に込めて。
先程アレクサンデルの飲んだ水には、ミリアの唾液が混入している。
対象の遺伝子を変容させ、魔力的なフェロモン受容体を形成させるミリアの体液が。

「分かった……ミーリィスの頼みなら」

反射的に出て来るのは受諾の言葉。
心を囚われた聖堂騎士にミリアの意志は拒めない。

324ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/30(火) 05:20:57 ID:q77Lal2A0
アレクサンデルは、冒険者ギルドから借り受けた青い軽自動車を運転する。
後部座席には冒険者の癒し手が二名、助手席には同行を強く希望したミリア。
四名を乗せた車がメインストリートの車道を走り、中央広場近くの交差点を左折、学区へと向かう。
フロントガラスに打ちつけられる葉や砂埃、細心の注意を払わねば車体を取られそうになる強風。
天候への忌々しさと、早く向かわねばとの焦燥感でアクセルを踏む運転手の足にも力が籠る。

数分後、第一陣の癒し手たちを乗せた車がエヴァンジェル中学校に到着した。
運転手の聖堂騎士は敷地内で車を乗り捨て、そのまま校舎へ沿って疾駆。
その後に冒険者の癒し手とミリアが続く。
足を踏み入れた事故現場は、惨憺たる有様だった。
半分近くの床は一面に散乱する瓦礫で見えず、変形した柱の鉄骨が床まで垂れ落ちている。

「リンシィ……」

ミリアは眉を顰め、低い呻き声を上げた。
硬質の視線の先、瓦礫を退けられて出来たスペースには夥しい血を流すリンセルが横たわっている。
見る限りでは傷も深く、生きているのかどうかすら分からない。
仮に生きていたとしても、命の灯火が燃え尽きる寸前なのは瞭然としていた。

「アレク、あの子から治して!」

ミリアの言葉を聞いたアレクサンデルは苦しげに叫び返す。

「俺が習得しているのは、対象の生命力を利用して傷を塞ぐ封傷の術だけだ!
 こんな重傷者には使えば、逆に殺しかねない!」

ミリアは睨みつけるように冒険者の治癒術師に顔を向けるが、片方の術師は首を振る。
アレクサンデル以上の魔術は使えないようだった。
もう一方は薬草を用いる療師のようだったが、薬草には魔術ほどの即効性がない。
高位の治癒魔術を使える司祭が到着するのを待とうにも、瀕死のリンセルが持つとは思えなかった。

背に冷たい汗を感じながら、ミリアはリンセルの傍に跪く。
そして、自分の中に彼女を救い得るものが無いか、頭の中で習得した知識を反芻する。
基礎魔術[ソーサリー]は低級なものを幾つか使えるだけに過ぎないが、強化魔術[エンハンス]なら数十種類が使用可能。
いずれも長い研鑽で習得した訳ではなく、借り物に過ぎない知識の断片。
それでも、リンセルを死から引き戻す一助にはなれるかも知れない。

(基礎魔術は魔力そのもののに働きかける系統だから、今は何の役にも立たない。
 強化魔術で使えそうなのは生命力増大、治癒力促進、痛覚遮断くらいか。
 こんな重傷じゃ、治癒力促進だけじゃ間に合わないかも知れないな……)

「今からアタシがリンシィの生命の嵩を増して、次に治癒力を促進させる魔術を使う。
 だから、アレクは三十秒……じゃなくて一分毎に封傷の術を唱えて」

聖堂騎士は絶対の信頼と共に頷いた。

325ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/04/30(火) 05:21:28 ID:q77Lal2A0
経験を積まず、しかし魔力だけは高い強化魔術師[エンハンサー]が、複雑な身ぶりと高らかな声で詠唱する。

「根源なる二つ力 我が望みしは屈強なる肉体 大身にして徳深き竜王の壮健。
 命あるものは 霊素を煉りて さらなる命を纏え “養身の霊気”!」

ミリアは体力の上限を増す術で、尽きかけた命の灯火を僅かに長めようと試みる。
しかし、リンセルの顔色は変わったようにすら見えず、成果を得た手応えも全く感じられない。
切迫するミリアは間髪を入れずに新たな術を唱えた。

「根源なる二つ力 我が望みしは賦活の源 繁茂する緑の再生。
 傷つきしものは 霊素を埋め 骨肉を充填せよ “緩やかなる賦活”」

第二の術、治癒力促進の発動後。
心の中で六十を数えていたアレクが、リンセルに封傷の術を掛けた。

「大地を統べる偉大なるものよ、我に砂で穴を埋めるように傷を塞ぐ力を!
 この者の血肉にて、肉体へ穿たれた傷痕を癒したまえ!」

僅か一日の付き合いだが、今の自分が持つ唯一の友、リンセル・ステンシィ。
彼女がこの世界に戻って来るよう、ミリアは三主へ祈った。

(アンタらが架空の神だろうが、ホントは邪神だろうがどうだって良い、リンセル・ステンシィにどうか奇跡を!)

326名無しさん@避難中:2013/05/05(日) 02:05:12 ID:vFEHCeVw0
【エヴァンジェル/Evangel】

地理:西方の温暖な沃野に位置
国民:他種族多民族であるが、信仰心で結束力は強い
政治:三主教を中心とする独立宗教都市
経済:出版、観光が主産業、世界各地からの献金も重要な財源
軍事:軍隊という位置づけではないが、街を警備する聖堂騎士団、術師である司祭は強力な戦力
外交:各国に司教を派遣して、三主教の支部を置いている
交通:大通りにはバスが走るものの、隘路が多い旧市街は徒歩や自転車がメイン。テロ対策で転送装置は非常設
通貨:独自通貨は発行しておらず、各国の金貨、銀貨、銅貨などが広範に使われている
都市形態:白い壁に覆われた城壁都市で面積は約50km2、三主教の総本山である
郷土料理:三主に関連した創作料理が創られているようだ
社会問題:街の東西で所得格差が広がっているようで、旧市街には浮浪者も少なくない

◆エヴァンジェル新市街
西地区、人口は3〜4万程度で政治・文化の中心地。
大聖堂、セイラーン博物館、工業団地や国際会議場、各省庁などが立地する。
西端の海の門からは、すぐにメインストリートの翡翠通りとなり、他に中央広場や市場、バスターミナル等がある。
大通りには聖堂騎士がよく巡回しており、不審なものは職務質問を受けることも。
中央広場から南へ延びる大路は学区へと続き、大学や図書館が立ち並ぶ。

◆エヴァンジェル旧市街
東地区、東端は大地の門。
人口は新市街と同じ程度と思われるが、正確な人数は不明。
武器店や冒険者ギルドが立ち並ぶ一角もあり、深刻な程ではないが治安は新市街に比べれば劣る。
曲がりくねった上に狭くて車の入れない道路や、古くて似たような建築も少なくなく初見ではまず迷う。
北部の公園はホームレスの溜まり場で、焚き出しが週二回程度行われる。
街外れには共同墓地の丘があり、歴代教皇も埋葬される。

327リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/05/05(日) 02:06:57 ID:vFEHCeVw0
街を引き裂いた暴風が去って三日後。
翡翠通りでは心地良い微風が駆け抜け、葉の大半を落された街路樹たちを優しく揺らす。
今は聖都を覆っていた雲も遠くに吹き払われ、空も透明な青さと暖かな太陽の輝きを取り戻していた。
傷ついた住民たちの多くは、三主教が運営する病院へ運ばれている。
彼らの多くは治癒術で回復し、すでに日常の生活へ戻っていた。
天井の崩落した体育館からは奇跡的に死者が現れず、学校も次第に落ち着きを取り戻し始めている。

治癒を施されながら、日常へ戻らないものもいた。
聖エヴァンジェル病院の一室、窓際の大きなベッドではリンセル・ステンシィが眠り続け、瞼を開かず、身じろぎもせず。
まるで眠り姫のように昏々と眠り続けている。

ベッドの横には、中学校の同級生であるライザ・フェリーシャの姿。
彼女は背もたれの無い簡素な丸椅子に腰掛け、瞳に不安を湛えてリンセルの目覚めを待っていた。
眠れるリンセルの手を小さな両手で包みこむようにして握り、ライザは祈るように呼び掛ける。

「リンシィ、もう怪我は治ったでしょ……?
 目を開けて……早く起きてよ……」

囁きに応えは無い。
ミリアと聖堂騎士の治癒術で、深い傷が完全に塞がれたにも関わらず。
リンセルの生と死は拮抗し、命の天秤はどちらの側にも傾かず、完全に静止してしまっていた。
両親や学校の友達や、病室を訪れた何人もの人間が語り掛けても、リンセルはただ静かに眠り続けるのみ。
その理由について、魔術医はこう語っている。

「目覚めない正確な理由は、私にも分かりません。
 一時的に治癒力を増強されたことで、封傷の術に何らかの影響を及ぼしたのかもしれない。
 例を聞いたことはないのですが、治癒の際に神経が不適切な場所に癒着した……とも考えられます。
 切れた腕を切れた大腿部に繋いでしまい、まともに機能しなくなってしまった感じでしょうか」

リンセルの両親からそれを伝え聞いたライザは、細い肩を震わせて押し黙る。
短い間に何度も味わった喪失感が、またしても。
エヴァンジェルから鉛の雲が去っても、ライザの心は輝きの無い石の空だった。

病室にミリアが現れれば、この小柄な黒髪の少女は敵意を露わとする。
睨む、としか表現できない鋭い目つきを作り、じっとミリアに視線を向けて吐き捨てるように言う。

「あんたが適当な治療したせいで、リンシィが起きない。
 もし、このまま目覚めなかったら……わたし、絶対に許さない」

声に怒りを込めたライザは視線に棘を宿らせ、ミリアの瞳を突き刺す。

「出てって……」

数秒の沈黙の後にライザは詰め寄り、続いて甲高い音が響く。
病室に音を鳴らしたのは、ライザの右掌とミリアの頬。

「……ここから出てって!」

328ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/05/10(金) 23:49:18 ID:u1kxDhU20
ミリアとアレクサンデルの治療から三日が経っても、リンセルは深い昏睡の中にいた。
体育館で傷を塞いた際はミリアも安堵していたのだが、運ばれた先の病院では翌日になってもリンセルが目覚めない。
魔術医が数種類の神聖魔術を掛けてもリンセルは目覚めず、原因も判然としない。
さらに次の日を迎えても状態は変わらず、魔術医は最初の治療が失敗している可能性を説いた。
昏睡の原因についてミリアが思い当たったのは呪文の脱字、力ある言霊に僅かな欠落があったことだ。

――――根源なる二つ(の)力 我が望みしは賦活の源 繁茂する緑の再生。
――――傷つきしものは 霊素を埋め 骨肉を充填せよ “緩やかなる賦活”。

(リンシィが目覚めないのは、アタシが呪文を正確に唱えられなかった……から、なのか?)

魔術とは、ネバーアースの創造主である二柱が創造の際に定めたルールに沿って、万象を制御する技法の一つ。
万物照応が理論の基礎にあり、己の精神の内なる小宇宙で、世界群体である大宇宙に影響を与える。
その手順に僅かでも誤りがあれば、魔術もまた正確な効果を発揮しないのは自明の理。
焦りに正確な詠唱を妨げられたことが、リンセルの目覚めない原因……と、ミリアも考えた。

(くそっ、くそっ、くそっ、アタシのせいだ……アタシのバカ、バカ、バカ……リンシィ、ごめん……ごめんね……)

ミリアはリンセルのベッドに潜って毛布を被り、己を罵倒しながら眠れぬ夜を明かす。
成功の可能性が高いと踏んでいた治癒の術が、己の失態で水泡に帰していたのだ。
失敗の心構えが出来ていなかっただけに、ミリアが受けた衝撃も大きかった。

そして、リンセルが眠り続けてから三日目の午後。
病院へ訪れたミリアは、リンセルの同級生である黒髪の少女と対面した。
ベッド横の椅子に座っていたライザ・フェリーシャは立ち上がり、気色ばんだ様子でミリアに詰め寄る。

>「あんたが適当な治療したせいで、リンシィが起きない。
> もし、このまま目覚めなかったら……わたし、絶対に許さない」

そう言って、ライザはミリアの頬を張った。

「……」

ミリアは悄然と俯き、返す言葉も無く己の唇を噛む。
出来るのは、棘ある視線から逃げるように立ち去るのみ。
そのままミリアは病院を出て、黙したまま大通りを歩き、ロルサンジュへの帰路に着く。
瀟洒な建物の扉を開けると、優しげで温かな声がミリアを出迎えた。

「お帰り、ミリア。
 頬が少し赤いようだが、どうしたんだ?」

「……ただいま、何でもないから心配しないで」

リンセルの両親に暗い微笑みを返す。
ミリアはリンセルの両親の唇を奪い、己の体液を混入させることで彼らの心を奪っていた。
種族の革新という大望から発した行動では無い。
娘を失った彼らを見るのが耐えられなかったからだ。

いや……違う。
己の心を守る為、ミリアはロルサンジュを自分にとって居心地の良い場所とした。
なぜ、リンシィを助けてくれなかったのだとの眼差しが痛くて、重くて、苦しくて。
しかし、今の彼らは娘よりミリアを重んじる。
少なくともミリアに怒りを向け、激しく責め詰るようなことは無い。
逆に頑張ったのだろうと励まし、実の娘に向けるのと等しい慈しみを向けてくれる。

「それじゃ、すぐに手伝うね」

ミリアは数日前までリンセルがいた場所に収まってた。
リンセルの服を着て、リンセルの髪形を真似、ロルサンジュの売り子としての役割をこなす。
眠り続けるリンセルの意識が戻るまで、ミリアはそうするつもりだった。

329ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/05/10(金) 23:50:21 ID:u1kxDhU20
夕方、ロルサンジュの手伝いを終えたミリアは、リンセルの部屋へ戻る。
室内は窓から差し込む夕陽の色。沈みゆく太陽の残り香で染められていた。
ミリアはベッドへ腰掛けると、薄紫のリボンバレッタを解き、そのまま緩やかに上体を後ろへ倒す。

(傷が完治しているのに起きない以上、普通の治癒魔術じゃ効果無いよな。
 まずは医療の発達してる国に運んで、リンシィに検査を受けてもらおう。
 それでもダメだったら、やっぱり魔術……か。
 方法はあまり知られていない強力な治癒魔術を探すか、魔術を組み合わせて新しい魔術を作り出す。
 アタシの欠片には無くても、他の欠片なら強力な治癒魔術だってあるかも知れないな。
 とにかく、リンシィを治す方法は必ずあるはず……とにかく諦めちゃダメだ)

リンセルを起こす方法を模索している内に部屋は暗さを増し始め、瞼も重さを増してゆく。
ミリアも背に感じる柔らかさへ身を任せ、ゆっくりと瞳を閉じる――――。

翌日の午前、ミリアはパンを配達する途中でアレクサンデルの元へ向かう。
大通りを巡回する聖堂騎士に所在を聞き、自転車を走らせて東区の小聖堂へ赴き、事務室で彼と対面する。
アレクサンデルには、すでに本名とステンシィ家が保護者となっていることを明かしていた。
そして遺伝子操作の副産物である魅了の魔力は、それを些細な問題としてアレクサンデルに受容させている。

「アレク、四日前にアタシたちが治癒したリンシィのことだけど……。
 まだ目覚めなくて、その理由も分からないって状態なのは知ってるよな?」

「ああ、おそらく俺の治療に問題があったんだろう。
 ミリアが己を責める事は無い」

「違う、あれはアタシの誤り。
 今ほど……自分に失望したことはないよ」

慰めを受けたミリアは、疲れたように椅子へ腰掛ける。
言葉が途絶え、事務室に沈黙が生まれた。
唇の片端を吊り上げて作った表情は笑みに非ず、己の心へ悔恨の楔を打つものの顔。
聖堂騎士も敢えて言葉を掛けず、ミリアへ次の言葉を促す。

「……アタシの祖父様は、国じゃ重犯罪者扱いされててね。
 孫であるアタシにも、ずっと友達なんてものは出来なかった。
 誰もアタシを知らない街で人生をリセットってわけじゃないけど、リンシィは普通に話しかけてくれて。
 あっ、これ、もしかして友達になれるのかな……なぁんてことも思った子でさ。
 だから無くしたくない……リンシィを治して……もう一度話したい……」

震える声、再びの沈黙。
ミリアは壮年の聖堂騎士の茶色い瞳を見つめた。

「アレク、三主教の中でリンシィを治せそうな手段に心当たりは無い?」

「司教の中で最高の魔力を持つリルカヴィーン司教が正気に戻られれば、神聖魔術の治療も可能かも知れない。
 もっとも、彼女の治療手段を探す方が困難かも知れないが……。
 しかし、神に仕える者として病める住民を放置する事はできないな。
 ましてや、それがミリアの友達であるならば。
 まずは、僧院の資料室で文献を調べてみることから始めてみるとしよう。
 この世には死から蘇る術だってあるんだ。あの娘も必ず目覚める。
 そう心配するな、ミリア」

アレクサンデルは、見る者を安心させようとする瞳で見下ろしていた。
ミリアの緊張も緩んだようで、唇が僅かに弧を描く。

「……ありがと」

立ち上がったミリアは目尻の熱さを指で拭うと、事務室を後にした。
残った配達を続けるべく受注伝票で行き先を確認し、自転車に乗って狭い路地を縦横に走る。
ミリアが一通りの配達を終え、ロルサンジュに戻った頃には正午も過ぎ、日の傾き掛ける頃だった。

330ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/05/15(水) 22:22:54 ID:cEeXTxX20
学校の授業を終えたライザは、病院の方角を向くと歩道を足早に歩き始めた。
枝を落して寂しげになった街路樹を眺めながら、十分ほど通りを歩き、彫刻の施された大きな石門を潜る。
その先には保養の庭園と、壁面に複雑な幾何学図形の装飾を施された病院。
聖エヴァンジェル病院も街の景観に合わせ、壮観性を重視した優美な建築様式に統一されているのだ。

「……リンセルのお母さん、着替えを取りに行っているのかな」

三階の病室は、眠り続けるリンセルの他に誰もいない。
連日の間、大勢の司教が治癒を行っていたので、すでに傷病者も殆どが退院したのだ。
ライザは、リンセルの両親の姿が見えないことを奇妙に思いながら椅子に腰掛けた。
そして、リンセルの細い手を取ると軽く揉んでマッサージを始める。
病院の魔術医から、人は動かずに眠り続けると筋肉が弱ってゆくと聞いての事だ。

「わたしなんて助けなくても良かったのに……」

十分程もマッサージを続けた頃、ライザがぽつりと呟いた。

「わたしね……あの日、弟と一緒にパレードを見に行ったの。
 でも、途中で怪物が現れて……走って逃げようとしたら弟が転んだの。
 それで、すぐ後ろ、本当に目の前まで怪物が迫って来て……。
 それで……それで……わたし、弟を見捨てて逃げちゃった……」

三主降臨の日、ライザの弟は肉塊のような魔物に呑まれて消えている。
息子を失った両親はすぐに星霊教団の術師を招いて蘇生を試みたが、失われた命が還って来ることは無かった。
ライザの弟の“世界”が三主の端末に喰われたから。
あるいは、今まで己の理で世界を染め上げていた星の巫女が力を失い、蘇生魔術の成功率が低下したから。
原因は幾つか考えられるが、蘇生しないとの結果に変わりは無い。

「ねえ、リンシィはどうしてわたしを助けたの……」

ライザは俯き、ベッドに寄りかかったまま滲む視界を瞼で閉ざした。

「……ん」

数時間後、ベッドに顔と腕を乗せた姿勢でライザが目覚める。
空には仄かに夕陽の色が混じり始めており、病室にも弱々しい西日が差しこんでいた。
気付けば、ライザの手はリンセルの手に重ねられている。
昏睡するリンシィが動くはずは無いし、寝ている間に自分が握ったのかな……。
ライザはそう思い、リンセルの腕を丁寧に体の横へ戻した。

「じゃ……また明日ね」

夕刻を告げる鐘楼の鐘に促がされ、ライザは名残惜しげな様子で病室を後にする。
しかし、家路には就かない。
メインストリートを東へ向かう。
午後から顔を見せていないリンセルの両親の様子を窺うのが目的だ。

331ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/05/15(水) 22:28:06 ID:cEeXTxX20
あまりにも異常な光景に目を疑う。
通りの窓からロルサンジュを覗き込んだライザは頭に血が上り、意識すら遠のいた。
ミリアが……選りにも選って、髪形も服装もリンセル・ステンシィを模していたのだから。
彼女はリンセルの両親に笑顔を向けられ、温かい言葉を掛けられ、優しく頭を撫でられている。
まるで、自分こそがリンセルであるといわんばかりに。

なんで、あの女は無神経にリンシィの居場所を奪うようなことができるの!
どうして、リンシィのお父さんも、お母さんも何も言わないの!

荒くなる息を深呼吸で整えたライザは、ふとミリアが魔術師である事を思い起こす。
同級生に話を聞いた所、ミリアは体育館で魔術を使い、リンセルの治療を試みていたらしい。
魔術師! ああ、あの女は魔術師なのだ!
それなら、ミリアがリンセルの両親と実の家族のように仲睦まじくしているのも合点が行く。
あの女は怪しげな術を使って彼らを誑かしたのだ! そうに違いない!

リンセルの治療だって、わざと失敗したのかも知れない。
あるいはリンセルも何かの魔法を掛けられていて、それが解けそうになったから廃人にされたのかも……。
だとしたら、許せない、許さない!
ミリアが何をしようとするのか確かめて、必ず正体を暴いてやる。
堅く決意したライザは、どうすれば良いかを考えた。

近づいて悪人である証拠を集めたいけど……それはダメ。
わたしまで魔法を掛けられて操られるかも知れない。
あっ、司教なら魔法が掛かってるか調べて、変な影響も消せるはず。
今は教皇選挙が始まってて大聖堂には入れないから、訴えるべき相手は司祭か聖堂騎士。
きっと、彼らならわたしの話も聞いてくれる。

「もう、日が沈む……早く帰りなさい」

思い立った瞬間、ライザの背後からバリトンの声が掛けられた。
振り返れば、茶色の髪と瞳を持つ壮年の男性が立っている。
種族はライザと同じ人間のようで、白い法衣を身に纏い、長い儀礼槍を持つ。
恰好からして、メインストリートを巡回する聖堂騎士だ。

「あ、あのっ、聞いて!
 この店に変な女の人が入り込んでるの!
 わたしの友達の家族を魔法で操って、その友達も寝たきりにされて……!」

堰き切ったように話すライザを見つめる聖堂騎士は、茶色い瞳に短剣の鋭さを宿らせた。

「分かった分かった、まずは落ちつこう。
 精神系魔術の不法使用なんて話なら、すぐに対応もできない。
 君の住所氏名年齢、それと変な女とやらの特徴を出来るだけ詳しく聞きたいのだが」

促がされたライザは、自分の知る話を一通り話す。
全てを聞いた聖堂騎士は司祭を呼んで対処すると延べ、ライザにも家へ帰るよう告げた。

「おかしな魔法が掛かってるなら、今すぐ消してくれるよね?」

「いや、魔術対策を備えてから対処しなければならない。
 早くとも一時間は掛かるな。
 君が居続けると邪魔になるので、速やかに帰宅するように」

聖堂騎士の説明を不承不承ながら受け入れ、ライザは家路に就く。
弟を失った悲しみを自分にぶつける両親のことを考え、その足取りは重かった。

332司教フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/05/16(木) 01:52:05 ID:lx6oC87w0
風害の事後処理と、街中に溢れる傷病者たちの治療後、三主教は即座に教皇選挙を再開していた。
まだ壁から煤埃の痕を消し去れていない大聖堂の内で、三人の助祭たちが今回の投票結果を交互に読む。

●フランディーノ・セレゼット(海主派……得票数13) 人間/男
●ナナフィ・アーデルネート(海主派……得票数12) 半水精/無性
●アンシャル・レジーム(地主派……得票数11) 侏儒/男
●レアン・タジネート(神統派……得票数15) 人間/女
●メゴイ・プロイセン(影主派……得票数10) 妖魔/男
●クレイド・ナフレス(天主派……得票数16) 翼人/男
●ギィ・ラ・エスキル(地主派……得票数10) 蠍人/男
●カリン・フォスティ(汎愛派……得票数4) 夢幻蝶/女
●ラオ・ユーフェン(理神派……得票数2) 霊狐/女
●リルカヴィーン(天主派……得票数1) 霧妖/女

朗々と読み上げられた名前と票数を聞き、長椅子に掛ける司教たちから小さな嘆息が漏れた。
今回の投票で結果は決まらなかった。教皇選挙も明日に持ち越しとなるのだ。

「やはり、指導的な立場の司教を失った影響は顕著のようだね。
 最大の支持を集めた翼人種の司教、クレイド・ナフレスですら過半数には遠く及んでいない。
 フラン君、まずは主要な派が一つに纏まることが重要じゃないかな」

エルフ族にも似た美貌の半水精、ナナフィ・アーデルネートは隣席のフランディーノに怜悧な瞳を向けた。
五十を越えたフランディーノをフラン君と呼ぶのは、数十年も昔からの習慣である。
と言っても、この半水精は長く艶やかな水色の髪と湖畔の瞳、瑞々しい肌に性を超越した造形美を持つ。
まだフランディーノが青年司祭だった頃から、ナナフィは今と全く変わらない外見の司教だった。

「うぅ……む」

フランディーノは、ナナフィの言葉から自分に票を纏めろとの意を汲むが、小さく唸り、考え込む素振りをする。
支持の即答を控えた理由は、同じツルアを奉じる宗派と言えど、考え方に大きな違いがあるからだ。
半分が水精であるナナフィは、高い魔力と不老の性質を持つ。
信仰に関しても、水神としてのツルアの性質を重んじ、慈愛には重きを置かない。
フランディーノが利用するには……いや、己の理念を委ねるには不都合な相手だった。

「しかし、プロイセン司教に十票も入るとは思わなかったよ。
 聖都を襲った怪物こそが三主の実体で、僕らが崇めるのは影だなんて説き始めるんだから。
 彼が廃教皇の妄言を受け入れた事には失望を禁じ得ない」

半水精の司教は、黙して返答を返さぬフランディーノに構わず言葉を続ける。

「今回の選挙も、最大の争点は厄災の種への対策になるだろうね。
 エスキル司教なんかは聖堂騎士や司祭を選別して、滅種専門の機関を発足させたいらしい。
 でも、それだけじゃ真裏派を使った廃教皇の二番煎じ。
 僕は厄災の種の利用や所持の追及と、裁判から刑罰の執行までをも行う法を制定しようと考えている。
 これなら、エスキル司教を取り込むのも不可能じゃないだろう」

フランディーノは追従するような薄い笑みを浮かべながら、内心では大きな危惧に囚われた。
ナナフィからは、聖職者を積極的に軍事力として利用するとの意志を感じる。
暴力の制御は難しい。下手をすれば揺らいでいる三主教を瓦解させかねない。

「神統派は三主が一つの神の別の表象であるとする教義。
 ならば、タジネート司教もツルア派の僕らと歩み寄れるはずだよね。
 彼らに言わせれば、結局三主はどれも同じ神なんだから。
 タジネート司教はフラン君にお任せ出来るかな? 人間同士、他の種族よりも話は合うだろう。
 うん……これで五十票だから過半数に届くね」

優雅に微笑んだナナフィが長椅子から立つ。
フランディーノも翌日の投票に備えるべく、解散する司教たちに続いて僧院へ向かった
長い真紅の絨毯を歩く彼の頭に過ぎるのは、今しがた受けた半水精からの要請ではない。
自ら教皇位に就け――――四日前、使い魔を介して述べられたミリアの言葉だった。

333ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/05/25(土) 22:41:41 ID:Pkh3ogJk0
沈みゆく太陽が地平の底に墜ち、聖都を包む夕闇が色濃さを増す。
ライザからの事情聴取を終えたアレクサンデルが、ミリアへ連絡を入れたのも同じ頃。
ロルサンジュの営業が終わり、夕食の最中である八時の事だった。

電線の復旧に伴って通じるようになった電話が、無機質な電子音を鳴らす。
受話器を取ったミリアはダイニングの隅の壁に寄り掛かって、アレクサンデルの話を聞き始めた。
通話内容はリンセル・ステンシィの同級生が、ミリアへ不信と警戒感を抱いているとのことだった。

「……分かった、ありがと。
 調査の成果も合わせて、詳しくはリンシィをお見舞いする時に聞く。
 面会は九時まで可能だったはずだから、今から病院へ行ってみるよ」

受話器を置くと、ミリアは夕食のテーブルへ戻る。
リンセルの父親はナイフとフォークを止め、電話の主について気にする素振りを見せていた。
魅了の魔力に囚われた彼は、ミリアに対して実の親子すら越える程の親愛を持つ。
夜間に外出しようとするミリアに、詮索の眼差しを向けるのも無理からぬことである。

「今のは誰かな、ミリア?」

「ん、あぁ……知り合いにリンシィを治す方法を調べてもらっててね。
 今からお見舞いに行くついでに、成果を聞こうかなーって思ってさ」

「それはいけない。こんな時間に女の子が一人で出歩くなんて……私も行こう」

「いや、その知り合いってのが聖堂騎士でね。
 ガードしてもらうから大丈夫だよ。
 おじさんとおばさんは明日の仕事に備えて休んでて」

夕食後、ミリアは二階で外出の準備をした。
服装は黒のレギンスにネイビーブルーのカットソー、その上には幾何学的な植物文様のベスト。
灰色の髪は薄紫のリボンバレッタでポニーテールに纏める。

「それじゃ、行ってきます」

ミリアはリンセルの着替えを入れたバッグを持つと、小走りにロルサンジュを出た。
暗橙色の魔導灯が立ち並ぶ通りを見渡すと、すぐ近くの建物の影からアレクサンデルの半身が見える。
おそらくは同じ位置で佇み、ずっとロルサンジュを監視していたのだろう。

(こう言っちゃ悪いけど……ちょっとストーカーみたいだな)

「アレク、リンシィの治療法に繋がる発見はあった?」

ミリアが近づいて来る聖堂騎士へ問いかけた。
彼の瞳は親愛、崇敬、恋慕、独占欲……様々な感情の火花で煌めいている。

「いや、残念ながら目ぼしい発見は無かった。
 仮に秘匿されてるような魔術書があっても、閲覧は教皇でなければ無理だ。
 だが、専門の魔術医でも完治させられなかったのだから、此処での快癒は難しいだろう。
 可能性があるとしたら、古くからの医都として名高いメディウム辺りか。
 あそこは魔術や外科医療の他に薬草や鍼、油を用いた治療術なんかも発達している。
 リンセル・ステンシィと同様の症例に関しても記録が見つかるかも知れない」

「メディウムって、遥か南東の都市だよね。
 確か幾つもの水晶ドームの中に特殊気候を再現してて、それぞれに広大な薬草園を備えた都市……だっけ。
 昏睡してるリンセルを連れてくなら、移送手段にも準備を掛けなきゃ難しそうだね。
 エヴァンジェルから移動させずに済むなら、それに越したことは無いんだけどな……」

大通りから病院の敷地に入ると、ひんやりとした風がミリアの前髪を吹き上げる。
冷気の源は庭園に作られた池。周りには暗青色の魔導灯でライトアップされた花壇が並ぶ。
そこを通り抜けて、壮麗な建物の入口に至ると二人の会話はライザへの対応に移った。

334ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/05/25(土) 22:42:44 ID:Pkh3ogJk0
「ライザ・フェリーシャには、何も無かったと報告すれば良いのか?」

壮年の聖堂騎士は、事もなげに問う。
今のアレクには、ステンシィ一家が精神系魔術で操られているかなど些末な事だった。
重要なのはライザの行動がミリアにとって有利か不利か。その一点。
聖堂騎士としての役割や三主への信仰すらも、ミリアへの愛に比べれば塵芥に過ぎない。

「それで、あの子が納得してくれればいいんだけどね……とりあえずはそうしといて。
 アクティブに動き回るようなら、アタシがなんとかするから」

ミリアはライザに魅了の魔力を使うことを念頭に置く。
元より目的は英雄無き社会を築くため、全ての人間の遺伝子を強化して均衡の天秤を人間の側に傾けること。
他者の形質を作り変える決断にも躊躇いは無い。

「着替えもさせなくちゃいけないし、エスコートはここまででいいよ」

アレクサンデルを外に残すと、ミリアは受け付けで魔術医に話を通してから階段を上る。
病棟の内装は白を基調とした清潔感のあるもので、廊下には淡い草色のカーペットが敷かれていた。
魔術での治療を主とする影響からか、院内は機械の類も必要最小限のようだった。
天井の発光石が弱々しい光を投げかける廊下を歩き、ドアを開けてリンセルの病室へ入る。

「また来たよ、リンシィ」

ミリアは室内に入ると灯りを付け、リンセルの上半身を起こして寝巻きを脱がし、濡れタオルで拭く。
薬草から抽出した輸液で栄養を摂取しているので、肌の血色は思ったほど悪くない。
その様子に少しだけ安堵を得て、柔らかな細い手足を揉みほぐす。

「アタシがこの街に来なければ……今とは違う結果になってたのかな。
 もしも、アタシじゃなくて、別のミリアがこの世界に生まれて来てたら。
 そのミリアは何もかも、今のアタシより上手くやれてたような気がする……」

次第に募ってくる無力感と自罰感で、想像は悪い方へ、悪い方へと傾いてゆく。
沈黙したミリアはリンセルに抱きつき、力無く寄り掛かった。

(このままリンシィが目覚めなかったら、どうしたらいいの……父さん……。
 やっぱりアタシ、父さんが死んじゃった時に一緒に死んでれば良かった……かな。
 今さら何かした所で……何もかも上手くいかない気がする)

病室は長い静寂に包まれた。
涙が零れないように瞼を閉じてじっとしていると、次第にミリアの肌にもリンセルの体温が伝わって来る。
己の生を毅然と主張しているかのような心臓の鼓動も。

(親より先に娘を死なすわけにはいかないよな……。
 しっかりしなきゃ、リンシィはまだ生きてるんだから)

ミリアは気合いを入れるかのように両手で自分の頬を打つ。
そして、ピンクの寝間着に着替えさせたリンセルに向かって微笑もうとした。

「ごめんっ、アタシが弱気になってたらリンシィも困っちゃうよな。
 今すぐって訳にはいかないけど、リンシィは必ず治すから。
 それまではロルサンジュ世界展開の夢なんかでも見ながら、ゆっくりしてて」

ベッド横のテーブルに置かれていた青色のシュシュを見つけ、それをリンセルの手に握らせる。
互いの絆が切れないようにとの、他愛も無い願掛けの類として。

「じゃ、また明日来るから。
 あの子と鉢合わせになんないように、午前がアタシで午後がリンシィのママの方がいいかな……」

ミリアが照明を落とし、薄暗闇に戻った病室を静かに離れて行く。

335ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/05/25(土) 22:43:18 ID:Pkh3ogJk0
芝生の広がった病院の敷地内では、何種類もの虫の音が競うようにして夜の静寂を破っている。
ミリアは月影を描く池を眺めながら庭園を歩き、リンセルを治療する手段が幾つあるのかを考えていた。

(とにかく、打つ手が無くなるまで考えなきゃ。
 まずは教皇のみが閲覧できる三主教の魔術書、これは人間が教皇になっててくれればスムーズに行くかもな。
 メディウムでの治療は遠いのと、どれくらいかかるか分からない治療費がネック。
 最後は種子の魔力だけど、在りかが分かんない以上は当てにもできない。
 いや……確か真裏派って奴らが、種子を集めて三主降臨に使ってたはず。
 ひょっとしたら、あいつらの集めてた情報の中に未回収の種子に関するものがあるかも)

「……いずれにしても、教皇には人間が就いて貰わなきゃダメだな」

「次期教皇候補の中では、セレゼット司教とタジネート司教が人間だがー―――」

唐突な背後からの人声は聖堂騎士、アレクサンデルのもの。
無意識に発した言葉へ即座に反応を返され、ミリアは驚いて振り返った。

「え、えっと……まさか、ずーっと外で待ってたの?」

「無論だ、夜更けにミリアを一人で歩かせるわけにもゆくまい」

振り向いて問うミリアへ、当然のように言葉を返す壮年の聖堂騎士。
魅了の魔力で掻き立てられた精神は、彼の内に強い忠誠心を作り出している。
夜間にミリアを放置して一人で帰るなど、今のアレクサンデルにはありえない事だった。

「そう、それじゃ帰りの同伴もお願いしよっかな……」

「ああ、ミリアの騎士として帰路を護衛する。
 それと先程の教皇に人間を就ける……との話、微力ながら俺も力を尽くそう」

聖堂騎士は自らをミリアの騎士と口にする。
今、仕えるべき対象は三主ではなく愛しきミリア。
いつか、彼の心を掴む魔力が消え去るまでは。

「力を尽くすって言っても、選挙権は司教だけでしょ。
 仮にも相手は聖職者なんだし、脅しても賺しても靡くことは無さそうだけど」

病院の敷地を出た二人は沈黙する。
考え込みながら大通りを歩き、それが数分も続いた所でミリアは改めて口を開く。

(具体的な行動を起こす為に動いて貰うのなら、やっぱり伏せておけないよな)

「……アタシは自分の体液を混入させることで、対象の遺伝子を強化する魔力を持ってる。
 これには心を捉える作用もあってね。
 魔力の洗礼を受けた者は、さながら革命の指導者に熱狂するようにアタシへ惹き付けられる」

ロルサンジュへ戻る道すがら、ミリアは己の魔力について話す。
知らぬ内に精神を作り変えたという事実を、アレクサンデルが受け入れるかどうか自信は無い。
しかし、この魔力を十全に活用する方策を練る為には、知識の共有が不可欠と考えたのだ。

「前に冒険者会館で手渡した水、実はアレにもアタシの体液を混ぜてた。
 だから……今のアレクにも魔力は作用してるはずだよ」

「今の俺が抱く、燃え盛る感情が作られたものだというのか?
 魔力が解ければ、熾火のような熱情も冷めてしまうと。
 それが事実だとしても構わないさ……構わない、些細な事だ。
 ミリアがずっと俺の心を捉えてさえいれば」

アレクサンデルは、葛藤も無くミリアの言葉を受け入れる。
魅惑されている理由が明らかになろうと、魅惑されている状態に変わりは無かった。

336ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/05/25(土) 22:48:10 ID:Pkh3ogJk0
ロルサンジュへ向かう通りには、暗橙色の光を放つ街灯の群れ。
それらが作り出すオレンジの夜景の中で、ロルサンジュの窓から漏れる白い光は一際目立っていた。

「アタシの魔力を有効に使えれば、教皇選挙も左右できると思う。
 ただ、直接司教に接触するとなると……かなり難しいよね」

「そうだな、だが水は誰しもが飲む。俺の時と同じように水に心を捉える魔力を作用させれば良い。
 給仕の助祭に接触してミリアの魔力で惹き込めば、それも不可能じゃないはずだ」

ミリアは聖堂騎士と明日の計画について簡潔に話し合い、それが終わればロルサンジュへと帰宅する。
店内ではリンセルの両親が就寝の準備もせずに、ミリアの帰りを待っていた。

「あっ、ただいま。リンシィを治す目途だけど……少し見えて来――――」

「おかえりなさい、ミリアちゃぁぁん! ずっとずぅっと心配してたのよぉぉ!」

リンセルの母、フロレアはミリアに一目散に飛び付くと、ひしと強く抱きしめた。
涙声に入り混じるのは、歓喜と安堵の念。
彼女の様子は、まるで飼い主の帰りを健気に待っていた子犬のようである。

(この感覚、どっかで………………リンシィか)

既視感を覚えた瞬間、フロレアにリンセルの姿が重なった。
身を包む温かな抱擁を、本来受けるべき者から奪い取ってしまった感覚に胸の奥が小さく痛む。

「ダメでしょっ、女の子がこんな夜遅くまで出歩いてちゃ」

フロレアは愛娘に言うように叱る。
彼女の眼差しと抱擁には、ミリアを真摯に案じる愛情が宿っていた。
おそらく、叱責の理由は彼らが想定していた帰宅時間を大幅に過ぎた事が原因なのだろう。
すでに十時半を差す壁時計の針に視線を向け、ミリアはそう思った。
どうやら、自分で思っていたより時間の経過は早かったようだ。

「エ、エヴァンジェルは三主教の聖地だから、夜間でもあんまり心配はいらないと思うけどな……。
 アタシみたいなのに声掛ける物好きも、それこそ変な熱にでも浮かされてなけりゃいないと思うし……」

「ミリアちゃんは女の子なんだから、もうちょっと自覚して自分を大切にしてちょうだい!」

微かに上ずった声での反論を聞いても、フロレアはさらに五分近くに及ぶ説教を続けた。
ミリアが他者に及ぼす魔力の性質は支配でも隷属でもなく、魅了である。
だから魔力で虜にした者とて、必ずしもミリアの言葉に唯々諾々と従う訳では無いのだ。

「……ご、ごめんなさい」

悲しげな様子のフロレアに困惑しつつ、ミリアが謝罪を口にする。

「本当に分かったくれた? それなら……許してあげる」

泣き笑いのような表情のフロレアに改めて抱きしめられた。
心に沁み込んで来るのは、飢餓が癒えるような安らぎ。
このまま、フロレアに抱かれたままでいたいという欲求に襲われる。

「う、うん……」

(クソッ、チョロ過ぎるだろアタシ……でも……)

ミリアは紅潮する顔を下に背けた。
自分の母親とはあまりにも違うフロレアの存在を、どう受け止めていいのか分からない。
就寝の支度を始めても、フロレアの温もりは闇の内で何度も反芻される。
ミリアがようやく眠りに就けたのは、すでに空が薄明の色を帯びる頃だった。

337ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/06/09(日) 00:39:03 ID:Mxx4v/7s0
眠りから目覚めた早朝のエヴァンジェルには、様々な者が行き交っていた。
朝市に収穫物を卸しに来た農家、それを買う初老の青果店主、うら若い半妖精の花売り、獣人の石工などなど。
大通りの雑踏の中には、眠れぬ夜を明かしたミリアの姿も見える。
薄紫のリボンバレッタで灰色の髪を三つ編みに纏め、服装は白のブラウスとサスペンダー付きの黒いスカート。
エヴァンジェルの街並みに溶け込んだクラシカルな恰好だった。
いつも持ち歩いている攻撃用の魔杖も、今の装いにはあまりにも不自然なので持っていない。

「お待たせ、アレク。
 それにしても、この恰好、あんまりアタシには似合わないよね……上品過ぎて」

アレクサンデルと合流したミリアが、片手でスカートの中程を摘み上げて言った。
その言葉に聖堂騎士もミリアの全身をじっくりと眺め回す。

「いいや、とても魅力的で美しい。
 もっとも、仮に下品な格好をしていようとも、俺にとってミリアの魅力は些かも損なわれないが」

「ちょっ、な、なに、真顔で変なこと言ってるんだよ……お、おかしいんじゃ……ない……」

率直な褒め言葉に狼狽した様子で、ミリアの語尾も小さくなる。
頭の隅では魔力で作られたものと理解してはいても、無償の愛と好意は余りにも甘く、心地が良い。

「…………」

しばしの沈黙が過ぎると、ミリアは本来の目的に立ち帰って視線を彷徨わせた。
雑踏の中に探すのは、アレクサンデルが提案した標的。

「教皇選挙の最中に助祭と一般人が接触できるのは今くらいしかない。
 そして、あそこで荷を積んでるのが、外出している助祭たちの中で唯一の人間。
 俺の弟……トビアーシュ・レシェティツキだ」

聖堂騎士が顎を向けた先に、ミリアも朝市の中に白い法服の少年を認める。
歳は十代後半のようで、兄同様の茶色い髪と瞳を備えてはいるが、顔つきはやや温和な印象。
食材の買い出しを行う助祭の一人として、トビアーシュは路肩へ止めた荷車にカラフルな野菜を積み込んでいる。
アレクサンデルがミリアの為に差し出したのは、己の家族だった。
彼は諸事を司る助祭一人を魅了すれば、何十人もの司教に影響を及ぼす事が出来ると提言したのだ。

(あんまり不自然なシチュだと、魔力の影響を気取られて消去呪文を掛けられるかもしれないしな。
 出来るだけナチュラルに見えるようにしないと……それじゃ、作戦開始っ!)

ミリアはロルサンジュから持って来た箱を開け、中のパンを大きなトレーに並べた。
それを抱えるように持つと、まだ顔にあどけなさを残す少年助祭へ近づく。

「ご試食いかがですか、助祭様?
 まだ見習いなので自信は無いんですけど、精一杯頑張って作りましたっ」

リンセルの接客を思い出しながら、微笑んでパンの試食を勧めるミリア。
トレーの上に乗るのは丸い揚げパンであり、数口で食べられるサイズの大きさのものだ。

「いえ、今は仕事の最中ですので……」

対する少年助祭がやんわりと拒むと、すかさず雑踏の中から現れたアレクサンデルが弟に叱責を飛ばす。

「トビア、我々が生きているのは荒野ではなく人の中だ。
 住民の好意をそう無下にするものではない。
 ましてや、このような麗しく可憐な女性の善意であらば尚更だ」

「アレク兄さん……? 早朝から見回りとは、ご苦労様です。
 ふふっ、それにしても兄さんがそんな事を言うなんて珍しい。
 まあ、確かに今は街にも活気が必要かもしれませんね。
 僕の意見が売り上げの一助となるかは分かりませんが、これも何かの縁、折角ですし頂きましょう」

338ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/06/09(日) 00:39:49 ID:Mxx4v/7s0
少年助祭が狐色の揚げパンを掴んで一噛み。
瞬間、彼の鼻腔には香辛料の複雑な香りが抜け、舌にひりつくような熱さが滲み出す。

「それ、カレーパンって種類のパンで香辛料を効かせたルーを具としてます。
 生地は軽くてサクサク、中はしっとり、血行も良くなりますから朝食にもぴったりですっ」

「普段、香辛料を利かせた食事を口にしないせいでしょうか……舌が焼けそうです」

ミリアの差し出すパンが辛いのは当然だった。
これはリンセルの父に喉が渇きそうな種類のパンは無いかと訊ね、拝借して来たもの。
対象への体液混入は、まず相手の喉を乾かせてから、次に水を飲ませるという手筈なのである。

「す、済みません。
 辛すぎるようでしたらお水をどうぞ。水差しがありますのでっ」

顔を顰める助祭の顔を見て、ミリアは用意していた水差しから陶器のコップに水を注ぐ。
無論、魔力に満ちた己の体液を混入させたものだった。
それを受け取ったトビアーシュは、すぐさまコップを傾けて水を飲む。

(アレクの小芝居込みで及第点って所か……ちょっと回りくどかったかな)

「ありがとう、舌には優しくなさそうですが体は温まった感じがします。
 もう少し辛味を抑えてくれれば、言うことはないのですが……。
 それでは、僕はこれで失礼いたします。
 アレク兄さんも花の香りに現を抜かさず、お仕事を頑張って下さいね」

「……トビアこそな」

トビアーシュは軽く顎を引き、雑踏の中に消えてゆく兄とミリアに一礼、再び食材の積み込み作業へ戻った。
野菜を幾つか手に取って見定め、ダンボールに箱詰めして、荷車へと乗せる。
その間にも、魅惑の力は砂地に撒かれた水のように彼の心へ浸透し、親愛の情を励起させてゆく。
朝の仕入れが完全に終わる頃には、司教連の給仕を行う少年助祭はミリアの虜となっていた。
さながら、花の香りで惑う蝶のように。

彼は群集の中に何度も視線を彷徨わせて、灰色の髪の売り子を探す。
幸いと言うべきか、朝市にはさほどの賑わいはなく、目当ての人物ともすぐに再会できた。
トレーを片付けている最中のミリアを見つけると、トビアーシュは急き切って走り寄る。

「……良かった、またお会いできて。
 お名前を伺っても宜しいですか?
 お互いの名前すら知らないのは、何やら礼を失するように思いまして」

(魔力が効いてるとは思うけど、念のためにまだ猫被っとくか)

「アタシはミリア、今はロルサンジュでお世話になっています。
 助祭様の名前はトビアですよね?
 先ほど、聖堂騎士のお兄様にそう呼ばれていたのを聞きましたけど……。
 あっ、助祭様さえ宜しければ、もう少しお話できませんか。
 お仕事の邪魔にならないよう、歩きながらでも構いませんから」

「ええ、喜んで。
 ちょうど僕も貴女とお話したいと思っていましたから。
 ああ、それと僕の本名はトビアーシュ・レシェティツキです。
 もちろん、トビアでも構いませんが」

魅了の力に囚われているトビアーシュは、ミリアの提案を快く承諾。
小型トラクターにも似た魔導牽引機に搭乗し、それを人の歩行速度に合わせて緩やかに発車させる。
同伴するミリアも、やや早足で中央広場へ向かって歩を進めた。

339ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/06/09(日) 00:40:13 ID:Mxx4v/7s0
大通りを歩けば、割れた石畳を張り替えるべく、そこかしこで作業員が勤しむのが見える。

「どこも復旧作業で忙しそうですね……。
 アタシがこの街に来たのは数日前ですけど、災害の影響なのか住まいを失った方もよく見かけます。
 そして、路上生活を強いられている者の多くは弱い種族。人間も少なくありません。
 彼らがより良く生きられないのは、弱い種族だからなんでしょうか」

「ミリアさんは、予言の自己成就という用語はご存知ですか?
 ある状況が起こりそうだと考えて行動すると、そう思わなければ起こらなかった筈の状況が実現する事です。
 銀行が倒産するとの噂を信じて、大勢が預金を引き出した結果、実際に銀行が倒産するケース等がそれですね。
 我々自身が人間を弱い種族であると思い込んで生きていけば、想いは現実として世界に写し出されるでしょう」

「それじゃ、人間が今の立場を変えるのは難しいですね。
 今の世界には、今の世界を受容する意思が数億回にも重ねて塗られていますから。
 長い時間を掛けて築かれた社会通念――――常識も簡単には変えられないでしょう」

ミリアの唇から発された冷たい呟きが、朝の喧騒に溶けてゆく。
トビアーシュも沈黙し、荷車を連結した魔導牽引機をただ緩やかに走らせる。
やがて大広場を取り囲む真っ白な城壁が目の前に広がると、少年助祭は慎重に選んだ言葉をミリアに掛けた。

「十日ほど前でしょうか。
 前教皇ミヒャエルは、聖都に三主と称する妖異を召喚しました。
 すでに各地へ知れ渡ったはずですから、ミリアさんもご存知のことでしょう。
 異形による襲来は、聖都にかつてない程の災いを齎しました。
 ですが、街を守る為に大勢の方々が結束して戦い、多くの犠牲を出しながらも魔物を退けています。
 上手い言葉が見つかりませんが、あの姿に僕は人の強さを見た気がしました。
 何か……そう、ちょっとした切っ掛けさえあれば、人は人の可能性を信じられるような気がします」

トビアーシュと話しながら、ミリアも城門を越えて大広場の中へ入った。
広場の中央に設置されている献花台には、登校途中の学生たちが目立つ。
その雑踏の中で、ミリアは切れ長の目に熱を帯びた光を宿し、囁きにも似た声で訴える。

「でしたら、その切っ掛け……アタシに作らせてもらえませんか?
 アタシには弱きものの形質を強くする魔力があります。
 それを全ての人間に行き渡らせれば、きっと誰もが己の可能性に気付くでしょう」

助祭の手に銀の水差しを握らせ、ミリアは言葉を重ねた。

「トビア様、量は僅かでも構いませんので、司教たちの中で人間のみにこれを。
 水の中にはアタシの魔力が込められています」

教皇選挙へ干渉する行為を受諾することは、三主教に対する明らかな背信。
しかし、目の前の熱っぽく潤んだ瞳と、微かな甘い体臭にトビアーシュの頭は朦朧とする。
長年培ってきた信仰の炎が――――ミリアという風の前に揺らぐ。

「……わ、分かりました」

トビアーシュは魔導牽引機を通用口の前で停めると、僧院の中に去って行った。
ミリアから受け取った銀の水差しを手にしたままに。

340Miryis stalemate ◆NHMho/TA8Q:2013/06/09(日) 21:58:53 ID:lVMkiZ4A0

【エスペラントサンは導師様より目的や役割が明確だけど、それ以外の事象に干渉しにくそうな役柄なのが難点かもね。
 筆が進まなさそうだなってのはアタシも感じてたんで、試案程度のもので良ければ幾つか。
 
 ◆プランA・厄災の種回収
 世界守護者委員会は、封印指定した厄災の種を速やかに回収することを決定。
 まずは、真裏派がエヴァンジェルに送るはずだった厄災の種が存在する、との偽情報を工作員が広域に流す。
 彼らが大量に集めていた種子は、ミヒャエル亡き後も残党が保管していると。
 厄災の種の特性を理解しているものは、ブラフに釣られて奪取を目論むかも知れない。

 プランAは、意図的に種子所持者を一箇所に集めて超人で一掃するシナリオ。
 一つでも大災害を起こせる種子を、ダース単位で処理するかも知れないとなると……。
 場所の選定を慎重に行って、他の超人組にも正式に協力依頼しないと危険だろーね。
 マモンが干渉してきた場合、フィラルジアで全て強掠される可能性もあるし。

 これは、元々アタシが厄災の種を手に入れようと積極的に動く際の立案。
 世界のどこにあるかも分からないものを、ちまちま一個ずつ探すってのは性に合わないんでね。
 まぁ正直、シードホルダー複数を出し抜いて厄災の種を総取りってのは、アタシの手には余ると思うけど。


 ◆プランB・枢要罪討伐
 とある街で、エスペラントに接触するものがあった。
 枢要罪、怠惰の使いと称するものである。
 それは語る、「わが主と盟を結び、他の枢要罪を討伐して欲しい」と。

 怠惰曰く、私と憂鬱以外の枢要罪はその特性からして、神位に就けば必ず異界への侵攻を企てる。
 他界まで及ぶような災いを未然に防ぐには、事が起こる前に危険因子を処理しなければならないのではないか?
 これは、私が神位に就こうとの野心から言うのではない。
 私の真意は善悪を問わず、誰も神位に就けさせないことである。
 考えてもみよ、世界が一つの理で染められるのは果たして正常なことなのか?

 私と盟を結ぶつもりがあるのなら、そなたから守護者の苦役を取り除いても良い。
 決して滅べぬ守護者と言えど、別の者が役割を担えば任を降り、普通の人間として生きることも出来よう。
 厄災の種が百もあれば、私の負債や苦役を他者に押し付ける力を増幅し、別の誰かへ守護者の任を転嫁させられる――。

 こっちは怠惰から指示を受け、その使いを同行NPCとして、現世に受肉している枢要罪を打倒するシナリオ。
 怠惰がエスペラントの存在を知ったのは、ローファンタジアの戦いがネット中継されてたから、が適当かな。
 魔物になった昔の恋人さんの存在までは知らないだろうけど、
 知った段階で、彼女の苦役を他の適当な巨悪に押し付けることで救える、と提示するだろうね。
 ただ、プランBは星の巫女や導師様との同行は難しそうなんで、一人で頑張らないといけないかも。
 一人進行ってのは、基本的にあんまり筆が進まないもんだから、まぁどーかなとも思うけど……。

 キャラチェンジなら、子宝に恵まれてるみたいだし世代交代が美しいんじゃないかねぇ?
 テイル→フォルテ・妖魔王→ディミヌエンドみたいに。

 それと、苦しみながらも義務感に駆られて続けてるって状態なら、すっぱり止めても誰も非難はしないと思うよ。
 ま、そこら辺はアタシが口出すことじゃないかもしれないけどネ】

341エスペラント ◆hfVPYZmGRI:2013/06/10(月) 17:30:41 ID:ZNiupVqw0
どうもわざわざ提案していただきありがとうございます

プランに関しては今すぐは答えられないので
長くかからないように検討した物を選びたいとは思います
と言ってもやらなければいけないシナリオが確定していないのなら
間を空けて二つともやるというのもありなのかもしれません
優柔不断で申し訳ないが

あとキャラチェンジに関しては基本的には個人的に新鮮さやアイディアを
一からやり直すという意味でまったく関係ないキャラで再度参加というのをしています
その考えも何かの機会で変わるのであればそこまでの気紛れ程度の矜持ですけど
世代交代も視野を広げるためには入れて起きます


あと私は完全に義務感とかでやってるわけじゃないですよ
じゃなきゃ自己満足として囚われても文句言えませんがやりたい事とか
普通に思いつかないでしょうし、そこは単なる趣味と弁えていますし
辞める時はすっぱりやめるつもりです

アドバイスをどうもありがとうございます

342ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/06/17(月) 00:38:53 ID:vhLtX86Y0
エヴァンジェルの街並みが、朝の光で照らされる時刻。
大広場に置かれた献花台の前では、立ち止まって祈りを捧げる者の姿が少なくない。
ライザも中学校へ登校する途中、大広場を横切る際には献花台へ足を運ぶ。
周囲を眺めてみると、割れた石畳は嵌め直され、血の跡も綺麗に洗い流されていた。
街も人も惨劇の痕跡を少しずつ消し去ろうとしている。
きっと……自分を覚えている者が誰もいなくなれば、人は二度目の死を迎えるのだろう。

「クロード……ごめんね、こんな薄情なお姉ちゃんで……」

ライザは沈んだ声で呟き、弟の好きだった焼き菓子を献花台の前に置く。
無論、ライザも弟の死に悲しみや苦しみを感じていないわけではない。
夜、生前の姿を思い出して悔恨や哀切の涙を流すこともある。

しかし、所詮は耐えられ、いずれは立ち直れる程度の嘆きや苦痛しか抱けていない……とも感じていた。
わたしは弟に対して、その程度の愛情しか持てていなかったのだ。
弟の最後に見たもののが、逃げてゆく自分であった事が哀れでならない。

ねぇ、お姉ちゃん……どうして僕を助けてくれなかったの?
瞼を閉じてクロードの顔を思い描くと、そんな声が聞こえてくるようだった。
ライザは静かに溜息を吐き切ってからも目を閉じたまま、ただ立ち尽くす。
さらに数十秒ほどが経ってから、ゆっくりと瞼を開けた。

「……じゃあね」

ライザは小さな別れの言葉を発して、献花台に背を向ける。
城門へ方歩き出すと、白い魔導牽引機が大広場に入って来るのが見えた。
牽引機で食材を運搬するのは三主教の助祭らしき人物のようで、その隣には灰色の髪の女――――ミリア。
彼女は何やら助祭と親しげに話しながら歩いている。

昨日の聖堂騎士は何もしなかったのだろうか?
いや、それだけならいい……狡猾にも、あの女が神官たちを誑し込んだ可能性に比べれば。

ライザは距離を取ったまま人ごみの中に紛れ、じっとミリアの様子を窺う。
何一つ見逃さないとの堅い意志と、狩人が獲物を追う時の冷徹な目で。
ミリアの動く唇、助祭を見上げる瞳、歩くたびに揺れる灰色の三つ編み、その全てに視線を注ぐ。
距離がある上に雑踏の中、耳を澄ましても会話までは聞き取れない。
しかし、ミリアが助祭との別れ際に銀色の水差しを手渡すのだけは、はっきりと見えた。

「ただの差し入れ……な訳ないよね」

ライザが抱くのは、ミリアが何のために助祭へ水差しを渡したのかとの疑念。
彼女への悪感情と反感が、単なる差し入れであるとの考えを即座に打ち消す。
ミリアが魔術師であることを考えれば、毒や魔法の力を込めた液体の可能性が高いだろう。
それが助祭を通して僧院の中へ持ち込まれたとすれば……教皇選挙に干渉するのが目的に違いない。

「でも、どうすれば……あっ」

助祭が去った後も遠目に様子を窺っていると、一人の聖堂騎士が広場に現れた。
白い法衣に儀礼槍を持った壮年の聖堂騎士は、見間違えるはずもない。
昨日ロルサンジュの件を相談した人物、アレクサンデルだった。
彼はミリアにゆっくりと近づき、まるで旧知の仲のごとく話しかけていた。

それが今まで抱いていた不審を確信に変える。
やはり、あの魔女は三主教の聖職者をも取り込んだに違いない。
精神系魔術の対策をすると言っていたにも拘らず、聖堂騎士はミリアの手中に落ちてしまったのだ。

「これじゃ、誰かに相談することもできない……。
 それどころか、わたしのことも知られちゃったはずだよね」

ライザは親指の爪を噛む。

343ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/06/17(月) 00:39:12 ID:vhLtX86Y0
誰かに訴えようにも、その相手自体が魔術で籠絡されているかも知れないのだ。
親も先生も魔術に詳しくないし、自分の話を簡単に信じてくれるとも思えない。

「それなら、わたしがやるしかない。
 ちょっと短絡的だけど……無理やりにでも」

ライザはミリアを睨みつけたまま鞄から財布を取り出し、片手で重みを確かめる。
いつでも家出できるように全財産を入れた財布は、ずっしりとしていた。
確か、それなりのホテルで十泊程度が可能な貨幣は入っているはずだ。

「旧市街だったら武器を売ってくれる場所もあるよね。
 あの日以来、護身用の武器を持つ人なんて珍しくないし」

頭の中でミリアへの対抗手段を巡らせる。
武器さえあれば、非力な自分でも魔術師に対抗できるかもしれないと。

「リンシィの居場所を奪って、次はこの街から三主教まで奪おうっての。
 そんなこと……絶対にさせない」

ライザは監視する相手から気取られないよう、通学路とは逆方向、旧市街の方へゆっくり歩き出す。
欲するのは、魔女を切り裂く刃、畏怖を与える銃と弾丸、そして……無くしてしまった日々。

344司教フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/06/25(火) 21:01:06 ID:fEq5R3t.0
十時、大聖堂では日が明けてから最初の投票が行われ、進行役のドワーフ助祭が朗々と票数を読み上げていた。
それを聞き、ナナフィ・アーデルネートは隣席の司教を睨み付ける。
フランディーノの背に粟肌を生じさせる怜悧な視線は、氷の眼差しと表現するのが相応しいだろうか。

●フランディーノ・セレゼット(海主派……得票数27)人間/男
●ナナフィ・アーデルネート(海主派……得票数15)半水精/無性
●アンシャル・レジーム(地主派……得票数16)侏儒/男
●クレイド・ナフレス(天主派……得票数25)翼人/男
●レアン・タジネート(神統派……得票数5)人間/女
●メゴイ・プロイセン(影主派……得票数3)妖魔/男
●リルカヴィーン(天主派……得票数1)霧妖/女

得票数は大方の予想通り、ギイル、イウム、ツルアの主要三派に分かれた。
芽が無いと思った神統派や影主派などの少数派は、次の投票では三派の何れかに入れるだろう。
そうして票数は次第に絞られ、最後に教皇が決まるのだ。

「……太った羊も存外に野心家だったようだね」

ナナフィは澹々とした様子のまま、美麗な声に棘を込めた。
ただし、声音には至極楽しそうな余韻が潜む。
そう、この半水精はどのような時でもどこか楽しそうに見えるのだ。
喜怒哀楽の感情の内、怒りと哀しみが欠けているのではないかと思う程に。
だから、長年付き合ってきたフランディーノでも、表情や声からナナフィの思考を推し量るのは難しい。

「アーデルネート師の指導も見識も重んじておりますが、武力機関の設置に関しては賛同いたしかねます。
 ましてや、裁判や刑罰の執行までも一つの機関が執り行うと言うのは……」

「教皇とは、翼を広げて高所から大地を俯瞰しなければならない。
 厄災の種の恐ろしさは偽神降誕の禍で、フラン君も身を以て知っているだろう。
 事が起こってから対処しては遅いと言うのに、キミは無策でいるつもりかい?
 あれは随分と汎用性の高い魔的な触媒のようだよ。
 単純な危険度なら核兵器や生物兵器、化学兵器にも匹敵するかもしれない。
 使用はおろか、所持にも厳しい罰則が課されるのは当然じゃないか」

半水精はフランディーノの沈黙を満足げに眺めると長椅子から立ち上がり、美声を以って皆に語りかけ始めた。

「正義なき力は暴力に過ぎない。
 しかし、力なき正義では誰も守れない。
 見るといい、献花台の前で悲嘆に暮れる人々の瞳を。
 聞くがいい、その悲しみに押し潰されそうな声を。
 悲劇を肌で感じて廃教皇の愚挙に学べば、無辜の民を守るために無為無策であってはならないと分かるはずだ。
 聖都の人々も偽神を討つために結束し、武器を持って戦ったじゃないか。
 翻ってキミたちはどうか? 厄災が訪れるたびに神が英雄を遣わしてくれるのを待つ気か?
 子供じみた反戦の感傷だけで僕らが戦いを拒んでは、人々の勇気と覚悟を後退させる。
 この世界を神の恵みに相応しい形へと変えていくと言う、奉仕の務めを放棄する事に他ならない」

静淵とした湖畔のような声での語りは、雄弁ながら流麗。
聴衆の心を即座に落ち着かせ、すっと耳に入り込む。

「僕は提案する。
 これからも世界を害するであろう厄災の種には、確固とした対策を取らねばならないと。
 具体的には聖堂騎士と司祭の中から、特に戦闘力と高い倫理を備えた者を選抜し、専門の対策機関を設置。
 世界各地の情報を収集して、厄災の種を発見次第、彼らを派遣して滅する。
 例え誰が教皇となっても、三主教さえ良ければ……なんて閉ざされた信仰であってはならないはずだ」

何人かの司教が頷き、考え込む様子を見せた。
フランディーノも厄災の種への具体的な対策が無い以上、半水精へ反論せずに沈黙を守る
午前の投票が終わると、昼餐が用意できるまで短い話し合いの場が出来た。
議論を占めるのは厄災の種へどのような対処をするかで、それは助祭が昼餐の用意を整えた事を知らせるまで続く。
ナナフィ・アーデルネートは、ただ喜と楽の表情だけを浮かべ、白熱してゆく論議の推移を見つめていた。

345ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/06/30(日) 22:52:32 ID:GMFp4IZo0
十時、ミリアはリンセルの見舞いに病院を訪れていた。

「昼まではまだ時間あるんで、ちょっとリンシィの顔を見に来たよ。
 今日は天気も良いし、車椅子でも借りて散歩しよっか」

ミリアは受付けで借りてきた車椅子にリンセルを座らせる。
それをゆっくりと押して病室から出ると、一階まで降り、建物を取り囲むように広がる敷地へ向かう。
暖かな外気に触れて、息を大きく吸い込むと、草の匂いに混じる甘やかな香りで肺が満たされた。
香りの源は花壇で咲き誇る色鮮やかな花々。
黄色い花弁は日差しに反射して眩しいくらいに輝き、濃紫の花は嫋やかに揺れている。

「あの花って、この辺りじゃポピュラーなのかな。
 さっき見かけた花売りも抱えてた気がするんだけど……」

ミリアは車椅子を押して敷地の中の歩道を進みながら、物言わぬリンセルに語りかけ始めた。

「アタシの故郷じゃ、花が一斉に咲き始めるのは花水木の月〈svibanj/五月〉の頃でね。
 青草の月〈travanj/四月〉に育った緑の中から、数日の間に色んな花がぱーって咲くんだよ」

目線を花壇の花々に向けたまま、ミリアは車椅子の背後から眠れる少女を優しく抱き締める。
その顔には微かな微笑みと寂しさ。故郷を懐かしむような感情が垣間見えた。

「アタシらも、今は花が咲くのを待つ青草の月ってとこかね……。
 そうだな、よしっ、決めた。
 トゥラヴァ同盟にしよう。
 寝坊助なリンシィを起こすプロジェクトの名前、ふふっ」

ひと時の散歩の後、受付けに寄ったミリアは中年の男性魔術医へ声をかける。

「ええっと、あの……リンシィを入浴させてあげるのって出来ますか?
 体を拭くだけじゃなくて、髪も洗ってあげたいんで。
 入浴の介助だったら、私も手伝いますから」

「無理です。
 意識の無い方を入浴させるのは危険ですから、ドライシャンプーを使ってください。
 清潔さを保つのでしたら、髪は短く切ったほうが良いですよ」

専門家から危険であると言われれば、医療知識を持たないミリアにはどうしようもなかった。
ましてや、一度治療行為に失敗した身なので異論も差し挟めない。

「そうですか。
 でも、髪を切るのはちょっと……ね」

落胆を隠せない様子で、そう返すのがせいぜいだった。
病室へ戻ったミリアはリンセルの体を濡れタオルで拭き、髪は蒸らしたタオルで湿らせて頭にドライシャンプーを塗布。
洗い終わった後は服を新しいものに取り替え、歯を磨き、マッサージも行う。
全て終わらせるとリンセルを静かにベッドへ寝かせ、自分も横の椅子に座り込む。

(しかし、思ったより重労働だよな、これ。
 魔力をケチんないで、筋力倍加の術でも使えば良かったかも……)

大きく息を吐いたミリアは首を僅かに上へ傾け、年代物らしき箱型の壁時計を見る。
時計の盤面は短針と長針を十二の位置で重ね、正午が訪れたことを告げていた。

「もう、こんな時間か……。
 ま、もーちょっと待っててね。
 アタシが必ず何とかするからさ」

ミリアは病室を出ると、再びトビアーシュと接触するべく大広場へ向かった。
午後の投票が始まる前に、彼の手引きで投票権を持つ司教たちと接触しなければならないのだ。

346ライザ ◆MaYJKMwC5Q:2013/07/01(月) 00:55:24 ID:cL6OKj3g0
十時、ライザ・フェリーシャは旧市街の武器店にいた。
格好は通学途中のままで、クラシカルな灰色のロングワンピースと茶色い革の鞄。
彼女が幾つか訪ねた他の武器店は、一人で訪れる未成年者へ銃器を売らない程度には良心的だった。
だが、この武器店――――レイノルズ・ウェポンは違う。

「魔術師相手に勝つには、魔術を使わせないことだ。
 呪文を唱え始めたら言い終える前にぶっ放す」

眉も髭も髪も剃り落した四十過ぎの人間男性、レイノル。
彼は銃口の闇をライザの眉間に向け、凄みを感じさせる低い声で言った。

「そう言うと、なんだか簡単そうですね」

「常時発動の防護結界、呪文の高速詠唱、魔術デバイスに自動詠唱させる。
 そんな特殊処理でも施してなけりゃ、奴らは精神集中しながら複雑に身振り手振りしつつ呪文を唱える。
 大体は唱え始めてから五秒から七秒で発動。
 対して、銃は慣れれば半分も掛からない。
 だから防弾ベストでも着てない限りは、先に撃って当てれば圧勝ってわけだ」

ライザは納得したように頷くと、銃器の群をじっと見つめる。
店の陳列ケースには、狩猟用のライフルやショットガンに混じって、子供向けや女性向けの銃もあった。
ピンクにパープルにイエローグリーンと、いずれもカラフルで大きさはバッグに収まる程度。
値段も驚くほど安く、普通の家電製品と同じくらいである。

「……幾つかの武器屋さんを見たけど、銃って思ったより安い」

「これでも高い方だがね。
 紛争地帯なら、ここの半分程度って所だからな」

「それじゃ、これ下さい。ポダルゲーMK2……ってやつ」

ライザがショーケースの中の赤い拳銃を指差す。
ポダルゲーMK2は、ハルピュイアー社製の22口径オートマチックハンドガン
殺傷力は低いものの軽量で扱いやすく、反動の少なさから主に女性用の護身武器として流通している。
銃の扱いに関しては、店主から五分に満たない簡単なレクチャーを受けて……それでお終い。
レイノルズ・ウェポンでは武器購入の際に身分照会の必要は無く、購入者が拍子抜けするほど簡単に銃が売られた。

これをあの女に突きつけて、三主教の司教たちの前で不法な魔術の使用を証言させる。
そうすれば、リンシィの帰るべき場所を取り戻せるはず。
意志を固めたライザは、艶やかな光沢を放つ拳銃を鞄の中へ仕舞い、静かに店を出てゆく。

347司教フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/07/06(土) 22:17:59 ID:xU9GChew0
僧院最上階の大食堂は壁面の付柱から伸びる半円のアーチと、交差ヴォールトで構成された空間だ。
採光は縦に細長く伸びた窓で行われ、そこから差し込む明かりが室内に神秘めいた雰囲気を醸し出している。
昼餐の時刻となれば、幾つも並ぶ長方形の木製テーブルには僧院の司教や司祭たちが着く。
今日のメニューはトマトソースのパスタ、焼いた白身魚、キャベツと空豆のスープ、オリーブの実、水と林檎。
野菜や果実しか食さない宗派には、それぞれに合ったものを助祭が用意する。

「天の光、地の実り、海の恵み。
 これら全ては、我らの肉体と魂を支える糧。
 世界を祝福され、限りなき恩寵を与えたもうた三主に感謝し、この食事を頂きます」

昼餐の用意が整うと短い祈りが上げられ、百を超える聖職者たちが食事を始めた。
数多の種族の中で人間族の司教は二十人であり、彼らがミリアの標的。
助祭トビアーシュは銀器のゴブレットに水を注ぎ、食事と共に各司教たちへ配膳した。
宗派毎の食事制約のおかげで席次は決められており、その準備は容易い。

皆が沈黙の中で匙を動かし、杯を傾け、食事を続ける。
人間の中で水を摂らないものは誰もおらず、フランディーノもまたゴブレットの水を飲み干す。
食前の祈りから十分も過ぎれば食卓の皿も空となったものが目立ち、さらに十分が経つと昼餐の時間も終わった。
次の投票が行われるのは十五時からなので、それまでは自由時間。
司教たちは参事室での議論、書庫の閲覧、礼拝室での祈りや瞑想、生理現象の処理、中庭の散歩などが許される。

(時間は短いが、次の投票に向けて票固めを行わねばなるまいな)

フランディーノが思案しながら周囲の様子を見回す。
大食堂では幾人かの助祭が食器を片付けていた。
そのまま、テーブルで話し込む司教たちの姿も少なくなくはない。

「セレゼット司教、お話があります。
 いえ、同種族の一人としてお話があると言った方が良いでしょうか」

と、不意に控えめな声がフランディーノの耳元で囁かれた。
声の主は、助祭トビアーシュ・レシェティツキ。
フランディーノは不審な顔で助祭の顔を一瞥し、言葉の裏に思いを巡らせる。
同種族の一人として……などと言う事は、この助祭は人間族の司教の誰かの意図を汲んでいるのだろうと。

「一階、祈りの回廊の東端、沈黙の間へお出で下さい。
 この度の教皇選挙、人間の意志は一つに取り纏められます」

助祭が重ねた言葉に軽く頷き、フランディーノは心の中だけで笑む。
会合のキーワードに種族を持ち出すのならば、見返りの想定も容易い。
それはおそらく、人間という種族の利益に関わるもののはずだ。

「伺いましょう」

呟くように応えると、フランディーノは大食堂を静かに出てゆく。
彼が向かうのは沈黙の間。心の逸りを抑えて、階段を下りる足取りは緩やか。
中庭に面した側にアーチと柱を配した長い回廊を進み、僧院一階の東端まで赴くと木製の扉を開けた。
沈黙の間は、二十人程で会合を行うには十分な広さを持つ。
奥まった部分の石壁は楕円に窪んでおり、幾何学模様の描かれたステンドグラスが嵌め込まれている。
そのガラスを通して赤、青、黄に彩色された日差しが差し込み、灰色の建材には淡く色が付けられていた。

室内に足を踏み入れたフランディーノは、すでに十数人の司教が室内へ集まっているのを確認する。
誰が会合の発起人なのか思案しながら、司教の一人ひとりを目で追い、名と所属宗派を思い出す。
……が、彷徨う彼の視線は一人の人物に焦点が合った瞬間、惹きつけられて固定された。
沈黙の間へ集った全ての司教たちと同じく、可憐な淡い光の下で佇むミリア・スティルヴァイの微笑みに。

「……どなたですか? 見る限り、三主教の聖職者ではなさそうだが。
 今は教皇選挙の最中。まして僧院に一般の方は立ち入れないはずですが……」

声を搾り出すようにして、フランディーノは僧院に現れた人物へ問うた。

348ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/07/19(金) 23:07:51 ID:jYhCP7VI0
ミリアはレシェティツキ兄弟に案内され、今は沈黙の間と呼ばれる僧院の一室に佇む。
天井を見上げれば、端麗な光を投げかけるステンドグラス。
床に目を落とせば、色彩を付けられた淡い陽光。
壮麗な石柱を構えた室内では、二十名の人間がミリアに視線を集めている。
今までに培ってきた敬神の念と同じくらい、強い思慕をミリアに寄せるであろう司教たちが。

僧院へ侵入する時こそトビアーシュの用意した助祭服を纏ったものの、今の彼女は白いブラウスと黒いスカート。
誰が見ても明らかに聖職者の格好ではないのだが、その不自然を咎める司教はいない。
彼らは全員がミリアの魔力に囚われていたから、部外者の立ち入りを詰問すべきと思いながらも逡巡してしまう。
しかし、沈黙も束の間。永遠には続かない。
緩やかに部屋の奥まで進んだフランディーノ・セレゼットが、容姿さながらの枯れ木の声で問う。

>「……どなたですか? 見る限り、三主教の聖職者ではなさそうだが。
> 今は教皇選挙の最中。まして僧院に一般の方は立ち入れないはずですが……」

「アタシはトゥラヴァ同盟の盟主、ミーリィス・ステイルメイト。
 確かセレゼット司教とは何日か前にお話ししたはずだけどね……鳩を介して」

ミリアは悪相極まりない中年司教に、虚偽の名と作りたての経歴を返す。
魅惑の力が完全に影響を及ぼしたと判断するまでは、念のために変名を使うと決めていたからだ。

「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ……ってのは誰の言葉だったっけな」

そう前置きし、ミリアは二十の双眸から注視を集めたまま、部屋の中央へ歩き始める。

「人間には巨人の膂力も妖精の魔力も無い。背に翼を備えてなけりゃ炎も吐けたりしない。
 まあ種族としちゃ、あんまし強いほうじゃないね。
 だから、たまに自分たちの中から現れる規格外の英雄に依存する。
 彼らが全て解決してくれんじゃないかって期待する。
 でも、これじゃダメだ。そんなやり方は必ず破綻する。
 普通の人間は、自分らの規格を外れちまった英雄を仲間だなんて見做せないからね。
 必要じゃなくなれば嫉妬して排除に動く。狡兎死して走狗烹らるってわけだ」

唇の端に皮肉めいた歪みを作ったミリアは立ち止まり、周囲に視線を走らせる。
ステンドグラスから差し込む光を受け、妖しい程の輝きを湛えた黒い瞳で。

「アタシが求めてんのは一人の英雄に負担を負わせるんじゃなく、アタシら一人ひとりが頑張ろうってな社会だ。
 まぁ、ざっくりと簡単に言えばだけどね。
 だけど、それを実現するには力の均衡が大きく傾いてちゃ難しい。
 種族の格差を是正して、弱い方からちょっとずつ強くなってもらわなくちゃ無理かな。
 だからさ、ここにお集まりの皆様方に協力してもらいたいんだよね。
 いつか花咲く時を待つ青葉……トゥラヴァの一員として」

言い終えると同時にコツ、という足音が響く。
司教たちを呪縛するようなミリアの視線が、一歩を踏み出す女に移った。
三十を少しばかり超えた齢、背は低いものの恰幅が良い司教、レアン・タジネートに。
彼女はミリアの要請に対して疑問の口を開く。

「英雄依存からの脱却。良いでしょう。
 でも、弱者に剣を持たせ、鎧を着せて、肉体を鍛えさせることは問題の解決に繋がる?」

「個体間に大きな力の差異がなくなれば、傑出した英雄に依存する必要はなくなると思うんだけどね。
 そして、アタシは弱いものに上位者と戦うための力を与えられる」

魅了の魔力は無条件に相手を従わせる力ではないから、反論が出るのは避けられなかった。
そして、左翼的な志向のミリアと保守派が多い人間の司教たちは、魅了の影響下であっても簡単には折り合わない。
レアン・タジネートはミリアの応えを聞くと曖昧な表情を作り、首を僅かに傾げる。

「熾烈な競争を勝ち残らせるために?」

349ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/07/19(金) 23:08:36 ID:jYhCP7VI0
レアン・タジネートの問いに、ミリアはフッと息を吐く。

「あぁ、そーだよ。
 強くなけりゃ居場所も勝ち取れないし、やりたいことだって出来やしないからね。
 英雄に依存して、英雄に嫉妬して、最後には排除しようってのも、結局は弱さが原因な訳だし」

「三主が創りたもうた世界は、弱者が全て淘汰されてしまった世界ではないわ。
 獣には獣の棲むべき場所があり、鳥には鳥の棲むべき場所があり、魚には魚の棲むべき場所がある。
 今の世界には、強者であれ弱者であれ、それぞれに相応しい生態と均衡が築かれていると思うの。
 そしてね、長い歴史の中でも人間が絶滅しなかったのは、きっと強い種の中にも弱さを尊重する文化があったからよ。
 そんな差異を認める文化を育むことが、強さや優秀さへのヴァルネラビリティを解消することに繋がるのではなくて?」

「……ま、確かにどんな種族でも赤ん坊や子供を慈しむ感情くらいはあるだろうさ。
 でも、それに人間って種族全体が甘んじるのは、諦めて停滞を受け入れるってことだよ。
 アタシはね、英雄って大樹に寄りかかるんじゃなくて。
 人間一人ひとりが枝葉を伸ばし、花を咲かせる樹であるべきだと思うんだよね。
 誰もが自立して、自分自身って最小の世界を統治できることを求めてるのさ」

魅了の魔力で人心を掌握しながら、人間の自立を説く矛盾。
手段が目的を裏切っているのは、ミリアの理念がミリア自身から生まれたものではないゆえだ。
ミリアを衝き動かすのは、父の理想が正しいものである事を証明したいとの想い。
深くは自覚しないものの、根源にあるのは人類の平等を実現することではなく、父を大衆に認めさせたいとの願望。
だから、彼女は論理に綻びがあっても顧みない。
その場しのぎでも、目の前の事をどうにかするのが先決。

「厄災の種って呼ばれてるものがあるのは、アンタたちも知ってるよね?
 ローファンタジア崩壊の際、世界中に撒き散らされたアレだよ」

ミリアは不意に切り口を変えた。
このまま論戦を続けていては、自分が言い負かされてしまうと感じて。
長年の人生経験を積み、信者に慕われ、司教にまでなった者たちと議論で勝負しても勝ち目は薄い。
だから危機を煽り、魔力で掻き立てられた愛情を活用して、彼らの心を動かさねばと考える。

「無論だ、廃教皇ミヒャエルの禍は記憶に新しい……ッ!」

忌まわしい記憶を呼び起こされ、浅黒い肌を持った初老の男が吐き捨てるように言う。

「あれは魔術の増幅器であり、持ち主に強い力を付与する物質と聞き及んでおります。
 憂慮すべきことですが、文字通りに厄災の種となって、世界各地へ被害を与えているとか」

碧眼白髪の老司教も嘆息しつつ、十日ほど前に起きた聖都の禍害へ思いを馳せる。
二度と思い出したくも無い、異形に喰らわれてゆく街の光景と共に。

「同様の被害を未然に防ぐためにも、放置はしておけない。
 各国に脅威を呼びかけて……」

まだ若い青年司教が何かを言いかけて止めた。
ミリアはそれを見逃さない。畳み掛けるようにして言葉を被せる。

「呼びかけたとしても、果たして手に入れた厄災の種を処分してくれんのかな?
 結構、利用価値が高い代物だと思うんだけどね、アレ。
 扱い切れれば良いけどさ、ダメだった時の災害規模は……聖都の人間なら充分に知ってるはずだよね。
 それどころか、モラルの薄い奴が手に入れたら、私利私欲のために使う事だって有り得るんじゃない?」

350ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/07/19(金) 23:09:07 ID:jYhCP7VI0
ミリアは厄災の種の脅威と、それが他者に渡った際の危険性を説く。
それを受け、浅黒い肌を持つ南方系の司教は静かに頷き、ここ数日で己が見聞きした議論の感想を述べ始めた。

「三主教の中にも厄災の種へ対処すべく、武装機関を編成すべきとの論は出ている。
 私も厄災の種への対策は必要だと考えるが、性急で強硬な意見も多く、懸念せざるを得ない」

「軍事拡張を行き過ぎないようにしたいってんなら、闘争に懐疑的な奴がトップに就くべきだよ。
 前の教皇の派閥……なんだったっけ……真裏派だっけ。
 あんな暴走にならないよう監視するには、慎重で客観的な目で自分を見れて。
 尚且つ、暴力と権力の恐ろしさと、弱者の痛みを知る奴が適格だ」

ミリアはフランディーノに視線を送ると、そのまま真っ直ぐに歩き出す。
そして、彼の目の前に立つと老獪さを備えた細い眦を見据えて言う。

「力とは連鎖のように際限なく災いを呼ぶ。
 セレゼット司教、前にアンタが言った言葉だよね?
 そして今、人間の中で一番票数を集めてる司教もアンタだ」

ふと、流れる雲が太陽を隠したのか、ステンドグラスから降り注ぐ光が和らぎ、室内も翳りを帯びる。
固唾を呑むような衆目の中、ミリアは要点を切り出した。

「アタシはフランディーノ・セレゼットに、一人で億兆の命を背負う英雄になってくれなんて言わない。
 ただ少しだけアタシと同じ道を歩いて欲しい。例え最後まで同じ夢は見られなくても。
 アンタが疲れて動けなくなったらアタシは背負って歩くし、茨が行く手を塞いでたら刈り取って道を作る。
 だから言わせてくれ……自ら教皇になって、より良い世界を創る事を躊躇わないでって」

ミリアは深く静かに息を吸って、周囲の司教へ視線を巡らせた。
一呼吸を置き、沈黙が破られる。

「ここに集まって、アタシの話を聞いてくれた司教たちにも協力して欲しい。
 長く苦しい道程の中で見渡す光景が、青い草原から大輪の花に変わるまで。一緒に。
 もし、皆がセレゼット司教を教皇に就ける事を拒むのなら……そうだな……アタシはどっか別の道を行くよ」

言い終えたミリアは口を閉ざし、不安を隠したまま司教たちの返答を待つ。
表情では平静を装うが、司教全てを動かせるとの確信は無い。
打算と理念と期待と不安は心の表面で複雑に入り混じって、もはや自分でも境界がよく分からなかった。

351リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/07/21(日) 00:13:05 ID:PWE6/w1E0
眠りの翼で覆われた少女が夢を見ていた。
幻像が舞台として創ったのは自宅のダイニングで、賑やかにも十数人が室内に集まっている騒々しい場面。
白いテーブルクロスを敷かれ、華やかに飾り付けられた卓上には、色鮮やかなケーキや果物が並ぶ。
カラフルなティーカップに満たされたレモネードは湯気を立て、甘酸っぱい香りを放っていた。
テーブルを囲む人々を眺めれば、見覚えのある者もいるのだが、見知らぬ顔も少なくはない。

★★★

リンセル「はーいっ、それじゃ女子会を始めますので、みなさんのスペックをお願いしまーす」
ヴァルン「20代前半の人妻ですっ! 夫はハー君……じゃなくて、ハーラル近衛兵長!」
アヤカ「見た目は大人、中身は子ども、実年齢はババア、アサキムの奥さんだよ」
静葉「私も外見は二十代ですが、過日に婚礼の儀を執り行いました主様とは、永き時を共に過ごしております」
フロレア「始めまして皆様方、リンセルの母のフロレアです。私も結婚していて歳は30代後半です」

テイル「うわっ、なんか既婚者ばっかりだぞ! ボクも知らないうちに子供作ってたから他人の事は言えないけど!」
ミリア「本編のプレイアブルキャラクターで未婚なのは、使い捨てヒロインのリンシィだけか」
リンセル「うぅ……ミリアさん、そこはもっと柔らかな表現にしてください」
アリアード「えっとぉ、それじゃあネームドモブ! なんてどーですかぁ? と18才のスキュラが言っちゃいまぁす」
ライザ「2章のリンシィは日常キャラ枠なんだから、背景として街に溶け込んでてもいーじゃん」

伽椰子「ヒッ――イッアアッ――アァ――アハァハァァ――」
リーフ「私のスペックはwiki見て下さい。それと両隣の席から殺気が発散されてて寛ぎ辛いです」
ディミヌエンド「度し難い俗物ども。こんな愚かな催しに私を呼ぶとは、まったく良い度胸ですねえ?」
ヴェルザンディ「私は国家司書という高い地位。年齢は察するように」
ナンシー「詩の精です。真名を教えた相手に支配されるって設定を入れなかったおかげでマスコット枠に入れました!」

★☆★

リンセル「ところで、治癒魔術にスペルミスが一箇所あっただけで、廃人になるなんてあんまりな扱いだと思います!」
ミリア「ごめん……でも正確に詠唱してなかったのに、脳内補完で呪文を発動させるのは甘えだと思うんだよね」
ヴェルザンディ「学歴が低く、研鑽を積まず、推敲もしない輩が安易に行使する魔術の被害者……同情を禁じ得ません」
リンセル「しかも、パパやママともディープキスしてるし、間接キスに至っては20人以上! どうなってるんですか!」
ライザ「キモっ」

ミリア「あっ、あれは……テンプテーションには体液を混入させる必要があるから……コストを考えれば唾液が一番だし」
リンセル「つまり、ミリアさんは誰とでもチュッチュしちゃうんですねっ! アタシのリンシィとか言ってたのに!」
ヴァルン「夫が浮気したら、ちゃんと泥棒猫から取り戻さなきゃ!」
アヤカ「旦那が浮気したら、殺せば、良いんじゃないかな?」
静葉「主様が浮気したら、此方を振り向いてくれるまで忍耐強く待つことです」

ディミヌエンド「馬鹿馬鹿しい。無益な囀りというものは実に耐え難いものですね」
ナンシー「相変わらず高飛車な物言いですよねぇー。歌じゃフォルっちに負けそうなくせにー」
ディミヌエンド「黙りなさい。無音こそが真なる自然の交響曲。私はあの半妖風情では永遠に到達できない境地にいます」
テイル「なんだって!? それならここでも歌で勝負だ! リーフ、カラオケ用意して!」
リンセル「え、えーと、それじゃ、そろそろお開きにしましょうか」

☆★☆

夢の宴で語られる台詞は、眠れる少女には半分も意味が通じず、聞く傍から忘却の河へ流されてゆく。
奇夢の中で繰り広げられる惑乱も次第に歪み、薄れ、離散し、暗闇の中へ溶けていった。
束の間の夢が終わり、しかし覚醒は訪れない。
ただ漆黒のみが広がる静寂の中、リンセル・ステンシィは意識と無意識の狭間で揺蕩う。
いつか、目覚めの時が訪れるまで。

352司教フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/08/01(木) 22:46:48 ID:wCnPdYKc0
>>350
同じ道を行かないなら袂を分かつ、そう言って背を向けるミリアの腕をフランディーノは思わず掴んだ。
まるで、母親に置いて行かれまいとする子供のように。

「行かないで欲しい」

炯とした瞳でミリアの背を見つめながら言う。
その瞬間、数十年も前の情景が、ふとフランディーノの脳裏を掠めた。
自分が三主教の末端に名を連ねた日、雪で灰色に濁った冬のことを。
同時に、何十年も心の奥底に押し込めていた感情が追憶の中から蘇る。

(重なる……記憶の中の後ろ姿が)

思い出したのは、少年の頃に地方の僧院へ自分を預け、背を向けて足早に去ってゆく母親の姿。
子供の頃から自制心の強かったフランディーノには、置いていかないでと叫び、母を追いかけることなどできない。
雪の積もる白い傘と遠ざかってゆく背中を、ただじっと見つめて見送るしかなかった。
しかし、かつて少年だった頃のフランディーノが取れなかった行動を、現在のフランディーノは取った。
ミリアの魔力が精神の深層まで浸透し、増幅した思慕の感情を無理やりに表層へと引き摺り出したことで。

「人生は未知の荒野であり、誰もが旅人として其処を流離う。
 荒野で歩き疲れ、飢え乾いた旅人を癒すのは泉。
 それは物質的な水で作られる泉ではなく、私たち一人ひとりが一滴の雫となって作る泉だ。
 私は……その教化の言葉を、ようやく実感した気がする」

今までの人生で構築した論理は、この女を否と断ずる。
にも関わらず、心は彼女との別離を拒否し、口から引き止めの言葉を吐かせた。
自分でも似つかわしくないと思うのだが、違和感を感じつつも抗えない。

「真なる平等の実現はツルアの理念にも沿う……どうして力を貸さないことがあろうか」

フランディーノはミリアを掴む腕を放すと、司教たちの同調を期して語る。
偽りで欺けるほど彼らは甘くない。真実を糊塗しなければ。

「……まずは告解を聞いて頂きたい。皆にも。
 私は今から四十二年前、アドリア圏の北端、ニヴィルという街で生まれました。
 父はニヴィルに出向してきた銀行員で、母は現地の名家の出です。
 両親は何にも秀でず、醜怪な容姿だった息子を恥じ、私もまた己自身の矮小さを恥じて生きました。
 十二の頃、ある冬の日、私は地方の小さな僧院へ預けられました。
 私の将来を慮ってとの名目でしたが、実際は捨てられたのだと感じました。
 その日から教団は唯一の居場所となりましたが、信仰は芽生ず、神を実感することは出来ませんでした。
 両親に見捨てられた過去を思えば、神の愛を説かれても空虚としか感じられなかったからです」

353司教フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/08/01(木) 22:48:30 ID:wCnPdYKc0
過去を曝け出すことは、それなりに心的エネルギーを浪費する。
フランディーノは心身の濁りを捨て去るかのように、深く、静かに息を吐き出す。
そして、一息を置いた悪相の司教は、表情に僅かな翳りを浮かべつつも告解を続けた。

「ひたすら同輩の顔色を伺い、上級の司祭たちに媚びる日々。
 やがて二十代に差し掛かった頃、私はある人間の老司祭から治癒の御業を伝授されました。
 浅はかにも、媚び諂ったことが功を奏したのだと思い込んで。
 治癒の術を覚えた私は、癒し手として怪我人を診ることとなりました。
 患者はエルフ族の男性で、その輝かんばかりの美貌を見て、私は己への落胆を隠せなかったのを覚えています。
 癒しの術を掛けると千切れかけていた彼の指は癒合し、痛みに苦悶する顔は安らかとなりました。
 深かった傷が完全に塞がると、麗しきエルフは恭しく私に感謝の念を述べました」

鋭い目を目蓋で半ば閉じ、扱けた頬を動かし、至って静謐な印象でフランディーノは己の過去を振り返った。
語る内に心の整理が着いてゆくのか、あるいはミリアの魔力の作用によるものか。
次第にフランディーノの表情からも心痛の翳りが消えてゆく。

「その時、神は力だと感じました。
 単なる魔術としての力ではなく、人並みの幸せを与えてくれる力であると。
 以来、私は救済に夢中となり、他者に奉仕を施すことに熱中しました。
 一心不乱に治癒と秘蹟を行い、永い年月が経つと……いつの間にか私は司祭となっていたのです。
 神ではなく、己の人生だけに仕えていた私が」

フランディーノは半眼の瞳を開き、強さを宿す眼差しで司教たちを見据え、ミリアを見つめた。

「司祭になった私は、宗教の意味について考えました。
 奉仕と賞賛だけが目的なら司祭以外の道も取れます。
 農業であれ漁業であれ、誰かに必要とされ、感謝される役割は少なくありません。
 ですから、私は司祭としての自分の役割、三主教自体の意義は何かと己に問うたのです。
 出たのは……とりわけ変わった結論ではありません。
 信仰を通して他者と相互理解しあうこと。互恵関係を構築すること。
 これは、皆様も同じではありますまいか?」

問い掛けは室内で反響することなく、清聴する司教の耳へ吸い込まれていった。
沈黙の間は遮音壁と絨毯、壁に掛けられた麻織のタペストリーで音が響かない。
しかし、司教たちの心の内には幾重にも反響した。
頷き、相槌を打つものたちを視界に捉え、フランディーノはさらに続ける。

「人は孤独には生きられないもの。心の支えが必要です。
 少なくとも、神だけと向き合って生きていける程、人は超越していない。
 己の力だけで己を救える人間も、決して多くはない。
 ですから、人は社会の輪の中で平和と尊敬、お互いに受け入れる心を持って生きてゆかねばなりません。
 それを築いてゆくのが宗教の役割ではないかと、私は思うのです。
 皆様も思い返して頂きたい……己が神に仕えることになった発端を」

促され、各々の司教が半生を顧みる。
ある者は罪からの改心、別の者は奇跡に救われた経験から信仰に目覚めたことを思い返す。
この世を去った師たる司祭の献身を懐かしむ者もいた。
フランディーノは過去の情景を描き、昔人の声を幻の中に聞き、信仰の端緒を回想する司教たちへ言う。

「神が私たちに力を与えるのならば、私たちもその意志に何らかの形で応えねばならない。
 例え私たち自身が心中の砂漠で餓える者だとしても、一滴の滴となり同じように餓えた者に与えることはできるはず。
 一滴では全てを潤せぬとしても、大勢が集まって泉となれば、より大勢の餓えた者に心の潤いを与えられるでしょう。
 三主の兄弟姉妹たる皆様方、願わくば微力な私に力を貸して頂きたい」

354教皇フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/08/01(木) 22:50:41 ID:wCnPdYKc0
それから昼下がりの大聖堂にて、午後の投票が執り行われた。
運営の助祭が最初にフランディーノ・セレゼットの名前を読み上げ、一呼吸の沈黙を置いて票数を述べる。

●フランディーノ・セレゼット(海主派……得票数48)人間/男
●ナナフィ・アーデルネート(海主派……得票数27)半水精/無性
●クレイド・ナフレス(天主派……得票数15)翼人/男
●リルカヴィーン(天主派……得票数2)霧妖/女

フランディーノの得票数は四十八。過半数を二つ上回る数字となった。
それを聴いた瞬間、大聖堂には感嘆のどよめきが細波のように広がり、全ての視線はフランディーノただ一人に注がれる。
他の候補者の名前は喧騒に掻き消されて誰も聞かず、聞く必要も無かった。
過半数の司教たちから支持を集め、教皇へと就任するべき者が決定したのだから。

「おめでとう。これは皮肉ではないよ。
 異なる意見に一つの方向性を与え、数多くの支持を集めた手腕への純粋な賛辞だ。
 そして、地上における三主の代行者が誕生したことを言祝ぐ」

ナナフィ・アーデルネートは真っ先に近寄ると、いつもの怜悧な瞳で後進の司教を見つめ、祝辞を述べる。
さらに声量を一段階落とした美貌の司教は、囁くような水の声音で続けた。

「僕はね。
 ミヒャエルの暴き出した実相を打ち負かして、虚ろなものにしてしまうような世界が作りたかった。
 たとえ三主が世界のどこにも存在しないとしても、やっぱり僕は三主教の司教だ。
 大海のうねりを見ればツルアの息吹を感じ、大地に降り注ぐ慈雨に触れればツルアの労わりを感じる。
 心に創り出したものに過ぎないとしても、我が神が大切なものであることには何の変わりもない。
 僕たちの《世界》には、間違いなく三主があり続けるだろう。
 まあ、三主教の首座として世界を描く大任はフラン君に任せることにするけどね」

どこまでが真意なのか窺い知れない……と、普段のフランディーノならば思うだろう。
この半水精の司教にとって、胸襟を開いたように見せる技巧くらいは造作も無いと知るゆえだ。
しかし、今日この瞬間、ナナフィの言葉を受け止めたフランディーノは虚心に耳を傾ける。

「自らの力量不足は痛感する所ですが、職責の重きを自覚して励みます。
 皆の信頼に応える事を期し、謗りを受けるような事態を招く者には断固たる措置を」

フランディーノは長椅子から立ち上がると、ゆっくりと祭壇へ向かい、振り返って九十一人の司教を眺め返す。
背後の窓から漏れる光の条を受けて白んだ空気の中、皆が己の言葉を待っていた。

「親愛なる兄弟姉妹の皆様、フランディーノ・セレゼットが教皇就任の御挨拶を申し上げます」

かくして――――幾度もの騒乱と混乱、何度もの協議と投票を越え、此処に三主教の新教皇は誕生した。

355名無しさん@避難中:2013/08/03(土) 11:29:53 ID:VoBmYRPw0
熱いリレーの続くスレを応援age
毎回楽しみに読ませてもらってるよ

356ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/08/09(金) 22:54:31 ID:XqgrsbyM0
名前:ライザ・フェリーシャ
種族:人間
性別:女
年齢:14才
技能:エヴァンジェルの地理に詳しい
外見:背は低くて肌は白く、大きな目に黒い瞳、黒髪でボブヘアの少女
    服装は宗教都市の住人らしくクラシカルな装いが基本だが、アクセサリーは年齢相応に可愛い小物が多い
装備:22口径オートマチックハンドガン“ポダルゲーMK2”

【人称】わたし
【傾向】自罰的、異質なものを嫌う排他性、心理的な視野狭窄
【願望】居場所が欲しい(ただし、隠れた願望)
【得意分野】まだ見つけられていない
【苦手分野】筋力を必要とする行動
【最終目標】(自己の一面を投影した)ミリアの排除、(自己の一面を投影した)リンセルに居場所を作ること
【生育環境】七歳の頃、三主教に入信した親についてエヴァンジェルへ転居
       中学校入学辺りから厳しい親との仲は悪化していたが、弟の死を期として親子関係は冷え切っている

357ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/08/09(金) 22:55:01 ID:XqgrsbyM0
教皇選挙が終わってから、まだ間も無い時刻。
ライザはリンセル・ステンシィを見舞うために病院を訪れていた。
眠れる友人の様子は今日も変わらず、見た限りでは回復の兆候も読み取れない。

「来ちゃったよ、リンシィ。
 いつ、会えなくなるか分かんないしね」

物言わず眠り続ける少女に挨拶を終えると、ちょうど大聖堂の鐘楼が十六時を告げる鐘を響かせた。
ライザは窓際に近づいて、大広場の辺りを遠くに眺める。
視線の先では大聖堂の尖塔が空に向かって伸び、その長槍のような先端部では三色旗が風に翻っていた。
聖都の長い歴史の中で、何十回も教皇就任を告げて来た祝福の旗が。

「誰か知らないけど、新しい教皇が決まったみたい。
 あのミリアって魔術師が三主教に入り込んで何かを企んでても、そう上手くいかないよね……うん、簡単に行く訳ない。
 大聖堂には、何十人も司祭や司教が集まってるんだし。
 でも、それでも誰も何とか出来ないなら、わたしが何とかしなくちゃ……」

ライザはベッドの隣に置かれた丸椅子へ腰掛けると、革の鞄から拳銃を取り出す。
掌に視線を落とすと、赤い拳銃は光沢の中に昼下がりの光を映し出していた。
銃の固くて無機質な感触は、持ち手に武器としての確かな安心感を与えてくれる。
きっと、得体の知れない魔女を打ち倒す力になってくれるはずだと。

「……あいつを何とかしても、リンシィが治るわけじゃないけどね」

思わず、ぽつりと呟く。
ライザはリンセルが目覚める可能性は薄い、と考えている。
神様である三主から力を授かることで神聖魔術を操る司祭が、何度癒しを試みても治らないのだ。
それは子供の頃から聖都で過ごし、治癒の術を何度も間近に見てきたライザにとっては不治も同義だった。

(このまま死んじゃったら、わたしの所為だよね。
 わたしを助けようとして、こうなっちゃったんだから。
 でも……もし死ななくても。このままずっと起きなくても、同じくらい不幸だってことは変わんない……)

眠り姫のような昏睡の中にあっても、リンセルには老化や筋力の萎縮を含め、様々な肉体の変化が生じるだろう。
無論、リンセルの両親や街の住人にも時間は平等に流れてゆく……。
考えれば考える程に幸せな未来が見えず、重い疲労感に苛まれてしまう。
力尽きる結末と、このまま目覚めない結末では、どちらの不幸へ進むかという話でしかないのだから。
選択肢が無く、末路も最悪と分かってしまったお話は、読み進めるモチベーションを保てない。

「きっと奇跡でも起きなくちゃ、幸せな未来なんて来ないよね。
 突然、神様が現れて不幸な人をみんな助けてくれるとか」

神様と言って、ライザがふっと溜息を吐く。
前教皇ミヒャエルが聖都に降臨させた異形と、彼等に殺された弟を思い出して。

「奇跡は起きないから奇跡、だったね。
 神様を呼ぼうとしても、結局現れたのはあんな化け物だったし。
 こういうものなのかな……世の中って」

思考の悪路を彷徨うライザが、不意に小さく軋む音を聞いた。
瞬間的に意識が現実へ引き戻され、弾かれたように椅子から立ち上がる。
銃を持つ右腕を後ろ手に隠したまま、ライザは視界の端で動く扉へ目を向けた。

(病院の魔術医……? もし、あのミリアって女なら銃で脅して、まずは床に伏せさせなくちゃ……)

黒曜石のような瞳が病室の訪問者を捉える。
長い栗色の髪を後ろで一つに束ね、若々しい容姿ながら理知的な面立ちには見覚えがあった。
リンセルの母、フロレア・ステンシィだ。
フロレアもライザを眺めると、記憶の中の顔と名前を照合し、おもむろに口を開く。

358ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/08/09(金) 22:55:50 ID:XqgrsbyM0
「ええっと、フェリーシャちゃん?」

「えっ、あっ、はい……リンシィのお見舞いに……お邪魔してます」

ライザは遭遇した相手がミリアではないことに安堵し、そっと掴んだ鞄の中へ銃を隠した。

「そう……ありがとうね」

フロレアは印象として若干の疲れや窶れを感じさせたが、明るげに微笑んでライザへ挨拶を返す。
この二人が初めて知り合ったのは、一週間ほど前のこと。
ライザがリンセルの実家に興味を持って、買い物ついでにロルサンジュの様子を見に行った時だ。
それ以後も、何度か挨拶を交わす程度の面識は持っている。

「あの、フロレアさんに聞きたいことがあります。
 ミリアって人のこと、どう思ってるんですか?」

唐突な質問に訝しんだ様子だったが、フロレアはすぐに柔らかな声で応じた。

「ミリアちゃんのこと? 
 そうねぇ、可愛くて……可愛くて……可愛い過ぎるわねっ。
 口調で乱暴な子かもって誤解する人がいるかもしれないけど、本当はとっても優しいのよ。
 うちの仕事を手伝ってくれるんだけど、配達へ行ってもらう時はちょっと心配なの。
 一途っていうか、思い詰めて前が見えなくなりがちな所がありそうだし……。
 だから、最初の日はこっそり後を付けて様子を見てたけど、無事に帰って来てくれてとっても安心したわ」

「…………」

「あと、ちょっと傷つきやすくて打たれ弱い所もあるみたい。
 夜中にしっかり眠れてるか気になって、こっそり様子を見に行ったけど、何か魘されて泣いてたから……。
 まだ私には打ち明けてくれないけど、思い悩んでることがあるなら、相談して素直に甘えて欲しいわね。
 そしたら、可愛い寝顔が写真に取れるでしょ? ふふっ。
 ミリアちゃんは、うちのとっても大切な子、大好きよ。
 もう、毎日でも抱き締めてあげたいくらい」

愛娘を愛でる母親さながらの笑顔で、フロレアは言う。
実際に魅了の魔力を受けた彼女は、ミリアこそが最愛の愛娘との感覚を植えつけられている。
その溢れるような愛情がライザの顔に険を宿らせ、続く二の句にも語気の鋭さを宿らせた。

「……リンシィよりも?」

「どっちも同じくらい大切よ」

「知り合ったのが何日か前なのに、リンシィと同じくらい大切なんて……おかしい」

ライザの口調は、抑えたものながら激しい感情の迸りがあった。
小さな肩は細かく震え、息も荒く弾む。
親に愛されない欠損の意識が、不当な愛情の存在を敏感に嗅ぎ付け、ライザに拒絶の言葉を吐かせた。

「ママだったら……自分の娘を誰より一番に愛してよ!」

跳ぶように床を駆けて、ライザは病室から飛び出す。
間違ってる! 間違ってる! 間違ってる! うわ言のように繰り返して。
病院を飛び出たライザの視界に入るのは、大聖堂の尖塔から棚引く三色旗だった。
我知らず、夢遊病者の足取りで大通りを歩き始める。
悪しき魔術師の掛けた呪縛が解ければ、きっと不当な愛は正当な対象に向くと信じて。

ライザは視界の中にミリアの姿を探しながら、大聖堂へ向かって歩き出す。
そこにいなければ、ロルサンジュ。
そこにもいなければ、見つかるまで何日でも探してやる。
怒りを赤く燻らせながら、ライザは舗装されたばかりの歩道を歩き、補修の続く城門を越え、大広場へと至った。

359 ヘ ノ: ヘ ノ
ヘ ノ

360ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/08/20(火) 23:58:53 ID:/Ttqbv8s0
教皇選挙の開始直後、ミリアは僧院が騒がしくなる前にそっと裏口の扉から抜け出す。
薄暗い室内から芝生の広がる敷地へ出ると、日差しの眩しさにアーモンド形の目が細く眇められた。
目が慣れると、すぐ傍の日向には見覚えのある人影が佇む。
ミリアの魔力に囚われた人間の一人にして壮年の聖堂騎士、アレクサンデル・レシェティツキだ。

「ミリア……どうだった?」

「ま、感触だけなら悪くなかったよ。
 今は投票中だから、結果が出るのはもうちょい後だけどね」

応えたミリアが歩き出すと緑の絨毯が踏み締められ、ササッ……サッ…と軽やかな音を立てた。
僧院の敷地は街中の喧騒からも、繁忙を始める僧院からも隔絶され、実に静謐な空間である。
大きく変貌を始めた世界が、遠い夢境の彼方と感じられる程に。

「すぐに教皇も決まるはずだし、どっか近くで待機してた方が良いかな。
 あんま、僧院の敷地内で部外者がウロウロしてるわけにもいかないし……やっぱ大広場か。
 尖塔に三色旗が上がれば、すぐに見えるし。
 途中で誰かに見つかったら、調子に乗って入り込んだ観光客って扱いでお願いね」

ああ、と頷く聖堂騎士を横に付き従え、ミリアは敷地の外側へ向かった。
僧院が備える色鮮やかな菜園を眺めながら、果実を実らせた緑の影をゆっくりと歩く。

「午後はフロレアさんが病院に行くはずだから、本当はロルサンジュの手伝いに行きたいんだけどな。
 ま、パン屋のピークは過ぎたはずだし大丈夫か。レナードさんもプロだし」

「レナード・ステンシィ……ミリアが世話になってる家の家主か。
 見た限り、俺と同じか、少し上くらいの年齢だったな。
 ミリアに間違いを起こさなければ良いんだが」

「な、何言ってんの!
 レナードさんは結婚してるし、第一リンシィの父さんだってば!」

ミリアは即座に否定するものの、聖堂騎士は懐疑の色を表情から隠さない。

「しかし、魅了の魔力で心を捕らえている以上、ミリアを求めてもおかしくはない。
 そう言えば、レナードの魅了はどうやった?」

「え……えっと、ステンシィ一家にはこれといって複雑な手段も使ってないし、みんな口腔接触だったような」

瞬間、恋焦がれる女を映す男の瞳には嫉妬の炎が灯り、内臓にも不快な苦さが生じた。
アレクサンデルは、抑揚を抑えた口調でミリアに確認を取る。

「つまりキスか」

「ま、まあ、そういうことになるんだけど……。
 あれはアタシの仲間になってもらうのに必要だった訳だし。
 それに聖都はともかく、キスなんて国によっちゃ挨拶みたいなもんでしょ」

「そうだな、それなら――――」

アレクサンデルはミリアの両肩を掴み、強く抱き寄せた。

「――――俺への挨拶がまだだ」

弱々しい抵抗を突き破り、ミリアの唇に生温い舌が押し入って来た。
口内を這い回り、互いの息を絡めながら舌を吸ってくる。
最初に感じたのは驚きと困惑、次いで強い陶酔と充足感が波のように。

「んっあ……むっ……ぅ」

361ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/08/20(火) 23:59:30 ID:/Ttqbv8s0
何かを言おうとしたのに、髪を優しく撫でられて言葉が溶けた。
元より、ミリアには愛されたいとの欲求が強い。
志を成し遂げる手段として、無意識が魅了の魔力を選び取ってしまう程には。
だから、自分だけに向けられた熱烈な愛情と抱擁を拒めない……拒みたくない。

アレクサンデルの側にも、より強くミリアの存在が心に刻まれた。
掛け替えの無いものを手に入れたとの実感は、急速に密度を増し、重さを伴ってゆく。
これが魔力だけで生まれた繋がりとは信じられない。
聖堂騎士の無骨な指は大胆さを増し、ミリアの灰色の髪を掻き分けて首筋に滑り込んだ。
ひとしきりミリアのうなじを撫でると、指は滑らかな肌を伝いながら胸元に回る。

「何を、しているんですか」

ブラウスのボタンが一つ外された瞬間、近くから咎めるような硬い声が発せられた。
それは甘く柔らかな雰囲気を刃のように一瞬で切り裂き、長い口づけをも強引に引き離す。
ミリアが振り向くとアレクサンデルの弟、トビアーシュが蒼白な顔で睨みつけていた。
僧院の窓から敷地を通って菜園に向かう二人の姿が見えたので、彼も庶務を一時置いて追って来ていたのだ。
手に抱える助祭の服は、ミリアが誰かに見咎められないようにと用意したものだろう。

「……トビア」

凍てつく瞳で己を突き刺す弟を見て、兄は低い声を上げる。

「あっ、これはっ……ちっ、違う……から!」

ミリアも狼狽したような声音を発し、アレクサンデルから飛び退く。
慌てて顔を背け、服の乱れを整え始めるミリアを見て、トビアーシュは噛み締めた歯をギシッと鳴らした。
彼もまた、ミリアに心囚われた一人。
愛する女の心の扉に鍵を差し込み、開き、独占しようとした男への嫉妬は胸の中で燃え盛る。
それは渦巻き、怒涛と化して喉をせり上がり、一筋の灼熱の視線に変わって兄へ向けられた。

「花の香りに現を抜かさないように、と兄さんには言ったはずですよね。
 僕が声を掛けなければ、今、ミリアさんに何をするつもりでしたか?
 婚姻を禁じていないとは言え、三主教は放縦や野放図まで許しているわけではありません。
 ましてや、ここは僧院の敷地内。
 聖堂騎士としての資質を問われるような真似をしていたならば、僕は貴方に免職を要求しなければなりません」

「…………そうか」

アレクサンデルもトビアーシュも、ミリアを母や娘や姉妹や親友として見ている訳ではない。
母を投影した教皇フランディーノや、愛娘との感覚を持つステンシィ夫妻とは違って。
それをお互いに感じ取っているからこそ、兄と弟は敵視の瞳で睨み合う。

「さ、さっきのはただの挨拶……というか……。
 だ……だからさ……別に免職を要求する必要なんて……。
 口にキスくらい、アタシの故郷じゃ……親しい間柄なら無いわけでもないし……」

沈黙する男と口篭もりながら弁明する女。
その二人の間にトビアーシュは割って入り、ミリアの黒い瞳を見つめながら言う。

「ただの挨拶、ですか。
 それでは兄さんと同じように僕とも挨拶をして頂けますか、ミリアさん。
 挨拶なんですから、何も問題無いはずですよね?」

「えっ、あっ、うん……えっ……ア、アレクの目の前で?」

「挨拶なのですから、人に見せられないような疚しいものでは無いはずでしょう?」

言って、トビアーシュはミリアの腰に手を回して優しく抱き締め、唇に唇を近づける。
アレクサンデルと同じだけの“挨拶”を交わすつもりで。

362ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/08/21(水) 00:00:10 ID:ZxkdBktI0
トビアーシュは貪る舌の上に兄の痕跡を感じ、苛立ちで眉を顰めた。
だから、より強く抱き締め、恋敵の存在が薄れるまでミリアの中に己を塗り広げる。

「ん……ふむぁっ」

熱情を向けた女が他の男に抱かれ、肌を触れ合わせる姿は、アレクサンデルの昏い感情を膨れ上がらせた。
癇癪、赫怒、激情を今にも噴出させかねない聖堂騎士を、ミリアは手と眼差しで制する。

「あ……ふぅっ……も、もういいよね……んぅっ」

唇に灼けるような愛を吹き込まれ、言葉は封殺された。
このような状況でも、ミリアの心は愛を向けられれば強い歓びを感じてしまう。
まるで、魅了の魔力が術者自身をも蝕み始めたかのように。

「トビア、挨拶には充分な時間が経った。それ以上は止めろ」

恋情の業火に焼かれる男は儀礼槍で乱暴に地面を突き、独り言のような呟きを漏らす。
トビアーシュも少しだけ顔を引くと、兄が近づいてくるのを目の端で確認した。
想いを向ける女は、平等に分けることも相手に譲ることもできない以上、対立は必然。

「ちょっ、ちょっと待って!
 アタシたちは皆、これから同じ道を歩いてくんでしょ!?
 初っ端からトラブルとか勘弁してよ!」

助祭からの抱擁が弱まった瞬間、ミリアは目の前の相手から離れ、剣呑な空気を作り出す兄弟の間へ割って入った。
そして、トビアーシュの体を押して僧院へ向けさせ、アレクサンデルは逆側へ向け、動揺を表情に浮かべながら言う。

「トビアは僧院で助祭の仕事。アレクは巡回警備に戻る…………ね?」

互いに背を向け合う兄弟は、不承不承ながら穏便に済ませたいミリアの意向を酌んで前進する。
愛に縛され、恋の煩悶に身を焦がされながら。

「……じゃあ、アタシは教皇選挙の結果が出るまで大広場の辺りで待機してるから!」

ミリアは居た堪れない思いで、その場を走り去った。
菜園を抜け、葉を丸く刈り込まれた低木が並ぶ順路を通り、緑の蔦が絡む鉄柵門まで。

363ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/08/21(水) 00:00:46 ID:ZxkdBktI0
僧院と市街地を分かつ鉄柵門が開けられ、ギッと軋むような音を上げる。
ミリアはそっと蔦の絡んだ扉の隙間を抜けると、通用路を通って大広場へ入った。
広々と見晴らしの良い空間は隅々まで直射日光を受け、空気すらも温かい。
陽に焼けた石畳も熱気を溜め込み、日が傾きかけても足裏に温かさを感じる程だった。
涼を求めて広場に置かれた大きな円形噴水の縁に座ると、ミリアは改めて広場を見渡す。

十万人を楽に収容できる広大な空間には、各地から集まった巡礼者や、儀礼槍を持つ聖堂騎士の姿。
各々が教皇選挙の結果を待ち、あるいは献花台に祈っている。
噴水の飛沫を浴びてはしゃぐ聖都の子供たちや、観光客なのか広場に点在する聖人像を撮影する者もいた。
城壁に近い一角では十数人の作業員が、手馴れた感じで壁の修復作業を行っている。
ざっと数えれば、大広場には軽くニ百人程度はいるようだが、面積と比すれば疎らな印象は否めない。

(どうしよ、これから上手くやってけんのかな)

先程の予期せぬ事態を思い返し、ミリアは思わず指先で唇に触れた。

(家族だって結局は他人……分かり合えないなんて珍しくもない、けど)

諍いの元が自らの魅了の魔力であるのは明白なのだ。
どうしても罪悪感は生じる。和解させる方法がないかとも考える。
しかし、ミリアにレシェティツキ兄弟を恋の獄から開放するつもりはない。
別の諍いが発生して不利益を蒙るという以上に、彼らに強い執着を抱いていたから。
リンセルにも、フロレアにも、レナードにも、フランディーノにも、三主教の司教たちにも執着は同じように。
たとえ一人であれ、己に無償の愛を捧げてくれる者を手放す選択など、ミリアには考えられない。

「あっ、旗!」

しばらくすると、噴水の傍から甲高い声が上がった。
指差す子供の視線を追ってミリアが空を見上げると、聳え立つ尖塔の先では三色旗がはためく。
追って、何人もが青空の中に揺れる教皇就任の証を確認した。
すぐさま広場では幾つもの人の輪が作られ、堰切ったように話が交わされる。

「ようやく新しい教皇が決まったか。
 果たして、どなたが教皇に就任されたのだろうなぁ?
 今の世界情勢では、誰が就いても混乱の収拾は難しいと思うが……」

「もう少し待てば、あそこで挨拶されるでしょう」

直立した兎のような獣人に応え、雪のような白髯を持つ矮人が大聖堂上部を指差す。
ミリアも視線を尖塔から無人のバルコニーへ移し、小さく口の中だけで呟いた。

「フランディーノ教皇で決まり、だといいんだけどね」

364ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/08/21(水) 00:01:25 ID:ZxkdBktI0
翻る三色旗を見て街中から集まったものか、大広場は種族も雑多な群集で次第に密度を増してゆく。
南口の城門から入って来たライザ・フェリーシャも、その一人。

(だいぶ警備の聖堂騎士も増えてきたな……アレクもいるし)

ミリアは大広場を哨戒するアレクサンデルを見つけ、気まずさから人ごみの中へ紛れた。
聖堂騎士から離れようと、いくつもの闊達な語らいの輪を抜ける途中、ミリアは見覚えのある人影に足を止めた。
眉が隠れる程度の前髪に襟足で切り揃えた黒髪。幼さを感じさせる大きな瞳と小柄な体。
南門から広場の中央まで歩いて来たライザ・フェリーシャだ。

エヴァンジェルでは珍しい灰色の髪が目を引いたのだろう。
ライザの側もミリアに気づいたようで、探していた女の元へ足を向けて近づいてくる。
周囲を包む教皇への祝福にも、三主への祈りの波にも呑まれず。
そして、二人は献花台の前で邂逅した。

「えっと……リンシィの友達で……ライザ、だっけ。
 アタシになんか用? 今はあんまり時間が無いんだけどな」

ミリアは若干の警戒と困惑を感じながら問う。
ライザはこの街で唯一、自分に対して明確な敵意を向けてくる存在。
魔力でも体格でも自分の方が圧倒的に上回ってはいるものの、怯む感覚は否めない。
彼女が魅了の力の存在に疑いを抱いているらしいと、アレクサンデルから聞いたのも気がかりだった。
異常な状況の中でも、僅かな変化を違和感として敏感に嗅ぎつけたのだろうか。

「あっ、そうだ……もしかしてさ。
 誰から何を聞いたか知んないけど、ライザは何か誤解してんじゃないかな?
 もし、誤解があるなら解いておきたいんだけど……」

ライザの関心を逸らす必要を感じてミリアは言った。
人の多い広場の中では、強硬な手段を取るわけにもいかない。
魅了の魔力や、魔術ではなく、言葉に拠って彼女を遠ざけなければ。

「まずアタシがロルサンジュで住み込みしてんのは、リンシィの紹介でレナードさんに雇われたから。
 次に魔術に関してだけど、こっちは初歩を齧った程度でね。
 ま、たいしたことはできないよ……。
 もっと慎重で知識もあれば、リンシィだって助けられたかもしれないってのに」

瀕死のリンセルへ応急処置を施す際の経緯を思い出し、ミリアは足元に目を落とす。
歯噛みする表情には後悔の色があり、声音には自責の念が込められていた。
リンセルの昏睡という結果は、ミリアにとっても予想外の痛恨事。
戻せるものなら時間を戻したいくらいだった。
だけど時間は戻らない。前にしか進まない。だから少しでも良い未来へ進まなければ。
自分が三主教を掌握して大勢の協力者を得れば、リンセルを目覚めさせる方策にも、人間の平等にも近づくはずだ。
今よりも、より良き未来に。

(アタシの進む道は……間違ってない)

石畳を見つめる瞳はゆっくりと上げられ、ライザの瞳に合わされた。
相似のような漆黒と漆黒が見つめ合う。

「他に何か聞きたいことはあるかな、ライザ」

365ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/08/26(月) 20:40:28 ID:QSk.YBRU0
人が集まり始める大広場の雑踏で、ライザ・フェリーシャは標的を発見した。
献花台の近くに立って、此方を見つめるミリアの姿を。
その眼差しは夜の闇のようで、三つ編みとなって垂れる髪は冬の灰色。
古典的な装いは聖都に溶け込んでいるように見えるものの、どこか異質で余所者の雰囲気が拭えない。
ライザは肩掛けにした革の鞄へそっと手を潜ませると、銃の感触を掌で確かめながら、ゆっくりと前へ進む。

>「えっと……リンシィの友達で……ライザ、だっけ。
> アタシになんか用? 今はあんまり時間が無いんだけどな」

正対したミリアが、そう切り出す。
続いて、彼女はロルサンジュに住み込む理由や、習得する魔術の度合いについての弁明を始めた。
もっともらしい説明を語り、殊勝な顔つきをして。
だけど、不信と疑念を抱く相手の言葉など誰が信じようか。
いや、仮にミリアが完全なる潔白の証拠を示そうとも、ライザの心象は変わらない。

>「他に何か聞きたいことはあるかな、ライザ」

「あるよ、嘘つき」

ライザは鞄から素早く拳銃を取り出し、体ごと抱きつくような形でミリアの左胸へ銃口を押し付けた。
さらに逃がさないよう、左手で服の裾を掴む。
今のミリアは魔術で身体能力を強化しているわけではなく、不意の襲撃を警戒していたわけでもない。
だから、ライザにも接触するのは容易だった。

「動かないで。聞かれたこと以外を喋ってもダメ。魔術師でも銃で撃たれれば死ぬんでしょ?」

吐息が顔に掛かるほどの距離まで顔を近づけると、ライザは低い声で警告を発した。
聞いたミリアも、顎を引いて目線を真下に落とす。
無論、そこに確認するのは自らの胸に押し当てられた赤い拳銃。

……まあね。
一呼吸の後、ミリアの口からも押し殺した肯定の言葉が返って来る。
防護の術が掛かってない生身の状態で心臓を撃ち抜かれれば、魔術師とて即死は間違いないのだ。

「あんた、リンシィと両親におかしな魔法を掛けてるよね? それを今すぐ解いて。
 断るようなら……躊躇いなく撃つから。
 人を操るような魔法って、術者が死んじゃえば解けるはずだしね」

ライザは精一杯に怖い目を作って、ミリアを睨みつけた。
自分の言葉に背くようなら、銃を撃つとの意志を込めて。
ミリアの胸に照準を定めたポダルゲーMK2は、殺傷力こそ低いものの貫通力が高く、人体を容易に貫く。
銃器に疎いライザは特性を理解していないのだが、此処で撃てば銃弾はミリアの肉体を貫き、背後にも被害を出すだろう。
が、二人が密接している事と、肩掛けの鞄が銃を隠している事で、周囲の群集は誰一人凶行の予兆に気づかない。

「三主教じゃ蘇生を奨励してないけど、エヴァンジェルの刑法では殺した人が蘇った場合は減刑される。
 つまり、あんたが死んでも星霊教団の魔術で蘇れば、わたしは重い罪にはならない。
 言ってることの意味が分かる?」

ライザは引き金の軽さを言葉で示して脅す。
死は不可逆ではないのだから、必要ならば殺すことにも躊躇いは無いと。
ミリアの胸に押し当てられた銃口にも、より一層の力が込められる。

「それとね……わたしの名前を気安く呼ぶのは止めて。呼ぶならフェリーシャ」

ライザが言葉を継いだ途端、広場全体が一斉が沸き立ち、歓声を何重にも城壁へ反響させて喜びの波濤を作った。
極限まで張り詰めていたライザの精神が唐突な喧噪に揺らぎ、一瞬だけ視線を周囲に泳がせる。
今や千を超える群集の視線は、ただ一点に集められていた。
大聖堂のバルコニーに姿を現した新教皇、フランディーノ・セレゼットへと。

366ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/09/01(日) 01:50:26 ID:8n1ntnzw0
ライザが銃口と共に突きつけた第一の要求は、ステンシィ一家に掛けた魅了の魔力を解除すること。
要求自体は容易に実行可能である……が、受諾の妨げが存在した。
魅了の魔力が消失した者は、二度とミリアに魅了されないことである。
魅了の影響を受けるのと同時に生物的資質をも強化された対象は、ミリアの能力に対しても免疫と呼べるものを作り出す。
革命へ向かう精神の指向性は己の能力にも作用し、ミリア自身ですら支配者の地位で居続けることを認めない。

仮初の絆は失われれば元に戻らないのだ。
エヴァンジェルで手に入れたものは全て失われ、また一人に。
ミリアは己の力の詳細について思い返し、唇に引き攣った笑みを浮かべた。

(……絶対に、嫌だ)

>「それとね……わたしの名前を気安く呼ぶのは止めて。呼ぶならフェリーシャ」

第二の要求の直後。
大聖堂のバルコニーに新教皇が現れたことで、群集が一斉にざわめきを発した。
無言で睨み合うライザが、唐突に広がった歓喜と祝福の波に意識を逸らす。
この窮地の中に生まれた一縷の突破口をミリアは見逃さない。
即座に右掌を跳ね上げ、己の心臓へ死を突きつけた銃身を撥ね退けようとする。
が、ミリアの胸が仇となった。
なだらかな硬い丘であれば、きつく銃口を押しつけられいても撥ね上げることが出来たであろう。
しかし、ミリアの弾力ある膨らみに沈み込んだ銃身は一撃で弾かれずに引っかかり、左鎖骨の下で止まってしまった。

「チッ」

苦い舌打ちと、ライザの指が反射的に引き金を引き絞るのは同時。
僅かに照準を変えた位置に狙いを定め、ポダルゲーMK2が乾いた炸裂音を響かせる。
クロームモリブデン鋼の産道を通って生命を得た弾丸は、ミリアの血肉を弾けさせ、鎖骨を砕き、真紅の華を咲かせた。
大輪の華は同色の花粉を飛ばし、ライザの灰色のワンピースをも血の水玉模様で彩る。
標的を貫いた弾丸は勢いを失わず、そのまま大聖堂の壁面まで達して小さな弾痕を刻んだ。

「ア゛ア゛ア゛ッ! くっ……うっううっ!」

ミリアの意識は激痛の衝撃で一瞬遠のき、次に気づいた時には呻き声を漏らして倒れていた。
心臓への直撃は避けられたものの、至近距離で銃撃を受けた以上、無事では済まない。
胸には焼かれるような痛み。
耳には交錯する驚愕の悲鳴。
鼻には死を感じさせる血臭。
周囲の視線も一斉にバルコニーから発砲の音源へ向く。
衆目が眺めるのは、真紅の銃を手にしたまま硝煙を纏うライザと、血塗れで倒れるミリア。

大広場に混乱の発生を認識すると、哨戒していた数人の聖堂騎士が騒ぎを収束するために集った。
最初に現場へ駆けつけるのは、程近い場所にいた壮年の人間族、アレクサンデル・レシェティツキ。
次には妖獣の下半身を持つスキュラ族、アリアード・レーシャルが続く。

「ミリア!」

「んー……これは、どういうことでしょうかぁ? 銃、発砲音、テロ?」

心を縛されたアレクサンデルは、銃撃手の制圧より負傷者の治療を最優先とした。
ミリアの傍らに跪き、周りの喧騒には脇目も振らず、一心不乱に治癒術を詠唱する。

「大地を統べる偉大なるものよ、我に砂で穴を埋めるように傷を塞ぐ力を!
 この者の血肉にて、肉体へ穿たれた傷痕を癒したまえ!」

もう一方の聖堂騎士、アリアードは治癒に加わらなかった。
六頭の魔犬の目と上半身の少女の瞳で銃を手にした少女に視線を注ぎ、攻撃すべき部位を見定めている。
まずは武器を持つ腕、次は逃走を封じるために足……いや、六つの首を用いれば同時攻撃も充分に可能。
両手足の自由を奪えば、人間一人の鎮圧など容易いことだろう。
意志決定すると、七匹分の生命力を持つだけに妖獣の聖堂騎士は恐れることを知らず、正面からライザへ向かってゆく。

367ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/09/10(火) 18:44:10 ID:aq.fhGvg0
銃を払いのけようとするミリアに反応して、ライザは反射的に掌を握り締めた。
刹那、引き金を限界まで絞り込まれたポダルゲーMK2が、咆哮しながら一発の弾丸を吐き出す。
発砲の反動で銃身は跳ね、支える腕にも鈍い衝撃が走った。

「なに? まだセレモニーには早……ひぅっ」

献花台で祈っていた若い女が発砲音に振り向き、石畳の上で倒れているものを見て言葉を失う。
ミリアの真っ白なブラウスには、胸元に大きな血の薔薇が咲いていた。
鎖骨下動脈を損傷したことで、僅か5.6mmの弾丸の威力に比して吹き出る血液量は夥しい。
赤い生命の滴が無為に垂れ流され、石畳に小さな血溜りを作り始めていた。

そして、撃ったライザの側も大きな衝撃を受けている。
彼女の背筋には幾筋もの凍れる炎が走っていた。
人を殺傷した感覚が炎のように神経を焼き、殺人への忌避感は氷のように肌を凍らせて身を竦ませる。
唇の端に一筋の血が飛び散り、その生温かい感触には嘔吐感が込み上げた。
相手を殺す覚悟など持っていると思ったはずなのに、両腕から足の爪先までが動かない。
ただ、引き金を押さえつける指だけが痙攣するように細かく震えていた。

「大勢が集まる広場で発砲なんて、いけませんよぉ……メッ」

群集の波を割って騒ぎの中心に現われ、ライザに声を掛けたのは異形の女。
下半身に七頭の魔犬を持つ聖堂騎士アリアード。
彼女から警告を受けたライザは金縛りを解き、おそるおそる何歩かを後ずさった。
すると、後ずさった分だけアリアードも十二本の獣の足を動かして、そろそろとライザの後を追う。

「わたしは悪くない……悪いのはこの女!」

「人を撃って悪くないって言うのは、んー……困った子なのかしら。
 とりあえず、その銃は捨てましょ? ね?」

相手から投げかけられた言葉を反芻しながら、ライザはミリアに視線を向ける。
負傷したミリアを必死な様子で治療しているのは、見覚えのある壮年の男。
昨日ミリアを捜査してくれと訴えた聖堂騎士だった。

そういうことか、とライザは妙に冷めた気持ちで納得する。
誰も、わたしの話なんて聞いてくれない。
頼れるものはいないし、味方は自分しかいないのだ。

「あんたたちも魔法で操られて、その女の手先になってるんでしょ?
 だったら、その女を殺すまで銃は捨てられない」

ライザは右腕だけをスッと動かすと、血溜りの中に倒れるミリアへ向けて一発の銃弾を放つ。
が、先程とは違って対象と密着しているわけではない。
僅か数メートルとはいえ距離を離したことで照準は狂い、弾丸が穿ったのも石畳のみに終わった。

「頭に血が昇ってて、お話が通じないみたいね。
 うん、分かる……そういうことってよくあるもの。
 私もお腹が空き過ぎてる時は、下半身が勝手に動いて野良犬とか鳩を食べちゃうし。
 そういう時はね、いっぱい食べて、ぐっすり寝るといいのよ」

柔らかに微笑んだままながら、アリアードは声の調子を一段低く落とす。
ライザが不穏な気配を感じた瞬間、神に仕える妖獣騎士は石畳を蹴った。
牙を剥く六頭の魔犬の首を長く伸ばし、威圧感を発散させながら疾駆する。

「止まって!」

半ば恐慌を来たしたライザが叫んだものの、疾走するアリアードは止まらない。
向かってくる異形への本能的な恐怖感が、ライザに銃を構えさせた。
ミリアへの銃撃を外した事で反動を頭に入れ、今まで片手で持っていたグリップを両手で握る。
直後、照準を真っ直ぐに合わせられたポダルゲーMK2が、八つの銃声で輪唱を奏でた。

368ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/09/10(火) 18:44:49 ID:aq.fhGvg0
「か……ふぅっ!」

四発もの銃撃を受け、アリアードが力無い呻きを上げる。
命中部位はスキュラ族の上半身を構成する少女の肉体の頭部と首筋、胸と腹部の四箇所。
弾創は小さいながら、眉間の傷痕からはピンクの飛散物が弾け出て、首からも血を吹き出している。
ライザの目から見れば、それが致命傷なのは明らか。
アリアードは慣性だけで緩く走りながらライザの真横を擦れ違い、そのまま献花台に激突して倒れた。
衝撃で舞い散った悼みの花が、途絶の血で赤く染められてゆく。

的を外した四発の銃弾は一発が空に消え、もう三発は群集の只中へ。
高い貫通力が災いしてか、三発の銃弾は六人も負傷させ、広場の混乱をさらに増した。
新たな負傷者の発生を見て、騒ぎの源に向かっていた十人近くの聖堂騎士の内、六人が已む無く足を止める。

十発を撃ち尽くした弾倉は空となっていたが、ミリアへ止めを刺そうにも弾を込め直す暇は無い。
自分に向かって、何人もの聖堂騎士が駆けつけ始めている今となっては。

ライザは己の不手際を呪った。戻せるものなら過去へ時間を戻したかった。
逃げたい、嫌なことの何もかもから逃げたい……と、現実を否認する心が放心の海に呑まれてゆく。
気づいた時には、ライザは踵を返して走り始めていた。
人が疎らと見える東門へ向かって一目散に。

しかし、体は水の中を歩むように重く、早鐘を打つ心臓も足を縺れさせ、一分と経たずに石畳へ膝を付いてしまう。
大広場の外へ逃れるのは不可能だった。
周囲は四人の聖堂騎士に取り囲まれ、すぐさま出口も途絶えてしまっていた。
ほどなく、その中の二人がライザの腕を捻り上げ、拳銃と鞄を奪って武装を解除させる。

「自分が何をしたのか分かっているのか……見ろ、あれを!?」

怒りに満ちた声がライザの髪を強引に掴み、視線を銃弾の先に向けさせた。

「あ――――」

瞳が映す光景に舌が乾く。
何かの間違いなのではないかとすら思う。
ミリアだけを排除するつもりだったのに、無関係な人間を何人も撃ってしまっていた。
負傷者は肥満体の男、犬の獣人らしき老人、子供を連れた母親、学生服の若い男女、屈強なロガーナ族の作業員。
距離があった事で負傷は致命的でないようだったが、犠牲者に近しいものの悲痛な叫びが針のように耳を刺す。
至近距離で脳と首筋を打ち抜かれたスキュラ族の聖堂騎士に至っては、生きているとすら思えなかった。

どうしてこんなことになってしまったのかと、ライザは眩暈すら覚える。
希望に満ちていた大広場を、自分の手で恐怖と怒号の渦巻く場へ変えてしまったことに。
これじゃ、十日ほど前、この広場で魔物の群れを呼んだ前教皇のようじゃない……。
そう言えば、前の教皇は何て名前だったっけ……確か学校の教室でリンシィと話したような……。
ふと、ライザは学校に通っていた時の自分を回想し、弟と行った華やかなパレードや、家族との食卓も思い出した。
回想の中には居場所があった。話を聞いてくれるものもいた。

「立て」

放心したままマリオネットのように立たされたライザは、視線の先に真っ白な人影を見る。
白霧に浮かび上がる幽鬼の王。あるいは人の形をした白い闇。
その男の印象は、まずそれであった。
鋼の双眸は異様なまでに光を湛え、金髪を後ろに撫で付けている。
青ざめた白蝋の肌と生気の失われた唇は、まるで病者か死人。
右手には神官杖を握り、首に金糸の帯を巻き、身には教皇の祭衣を纏っていた。

「ミヒャエル……リンドブルム……?」

ライザの掠れた呟きを聞き咎め、傍らの聖堂騎士が視線の先を追う。
そして、瞳は驚愕で見開かれた。
東門から広場の中に入ってくる男は、確かに聖堂騎士の目にも第三百九代教皇ミヒャエル・リントヴルムと見えたのだ。

369教皇フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/09/24(火) 20:51:18 ID:UDOSB6XU0
バルコニーへ足を踏み出す瞬間、フランディーノは大広場に轟く一発の銃声を聞いた。
駆け寄って高所から俯瞰すると、百メートルほど先だろうか。
乱射される銃弾で、豆粒のような人の塊が四方八方へ崩れてゆく様が目に映る。

「至急、大広場付近の聖堂騎士全てにPMS(魔力通信具)で鎮圧指示を」

眉を顰めはするもののフランディーノは慌てず、騒がず、傍らの助祭へ指示を下す。
未だミリアの負傷は知らず、それゆえに彼の心は冷静を保っていた。

「はい、すぐに。
 狙撃の可能性がありますので、教皇はお下がりください」

人間族の若い男性助祭は教皇を下がらせながら短く答え、手馴れた手つきで鏡にも似た魔術具を懐から取り出した。
その鏡面を通じて、すぐさま十数人の聖堂騎士が大広場の中心へ向かうように通達を受ける。
専門の戦闘訓練を積んだエヴァンジェル聖堂騎士団は実に優秀。
戦いの心得を持たない少女一人に遅れを取るような事は、万が一にもありえない。
彼らは東門への逃走を図るライザ・フェリーシャを五分と掛からずに追い詰め、包囲し、これを捕縛した。

「……混乱は収束しましたか」

「はい、暴徒は鎮圧されたとのことです」

「ならば、始めなければなりませんね」

行かねばならない。責務を果たさねば。教皇として信徒に言葉を。
フランディーノは意思を固め、大きく深呼吸すると再びバルコニーの前へと進み出た。

370教皇フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/09/24(火) 20:54:18 ID:UDOSB6XU0
大広場で発砲した人物の捕縛報告が助祭に伝えられたのと同時刻。
東門の近くでは、一人の聖堂騎士が不審な男に誰何していた。

「そこの男、止まれ! いったい誰の許しを得て教皇の祭衣を纏っている?」

尋問相手の服装と容貌は、あまりにも前教皇ミヒャエル・リントヴルムと酷似している。
就任の即位式で神の加護を約束しながら禍神を呼び、聖都へ未曾有の恐怖を齎した男に。
それが問いかける聖堂騎士の顔にも、不審と困惑を浮かべさせていた。

「私が教皇の祭衣を纏うのは、私が第三百九代教皇ミヒャエル・リントヴルムなるがゆえ」

ミヒャエルを名乗る男が歩を進めながら静かに応えると、聖堂騎士は瞳に不快の色を宿して儀礼槍を前に傾けた。
ライザを捕縛する一人を残して、他の聖堂騎士もまた槍の穂を向ける。

「ミヒャエル・リントヴルムは教皇に即位した日に死した。
 式典の最中に三主と称する怪物を呼び、力を使い尽くしたのか肉体を朽ちさせてな。
 屍が塵と砕け、この世から消え失せた様も数多くの人間が目撃している」

「然り、私は一度死んだ」

「ならば、どうやって蘇った」

聖堂騎士の疑問は当然。
星霊教団の用いる蘇生魔術ですら、肉体の一片が残っていなければ蘇生は叶わない。
だから、ミヒャエル・リントヴルムが生きて再び現世の土を踏む筈は無い。

にも拘らず、彼が蘇ったとの噂は聖都の影で囁かれている。
今から数日前、交響都市艦フェネクスで執り行われた星誕祭を出所として。
星の巫女の代行者を選ぶ祭典の佳境に現われ、世界へ向けて宣戦布告した徒党の一人。
その中に彼を見たと、影の声は至る所で囁く。
高名な司祭や司教が認めず、ありえないことだと言い募っても。

「奇跡にて」

蘇った、とミヒャエル・リントヴルムを名乗る男は涼やかに、事も無げに、白衣の聖堂騎士たちへ言い放つ。

「世界の形は原子の結合にも似る。
 この大いなる世界は、億兆の小さき個の想いが繋がり、相互に作用し合って形作られている。
 故に強き想いは強き力を持ち、遥か彼方にまで影響を及ぼし、己の望む奇跡をも作り出す。
 そう……世界の、衆生の祈りこそが私を現世に呼ぶという奇跡を生んだ」

「戯言を。眩暈がする」

「虚言に非ず。真実の祈りは力を持ち、地の底や天の果てにすら届く」

ミヒャエルを名乗る男が広場中央に目を向けた。
淡褐色の陽炎に包まれ、揺らぎ、消えゆく幽霊さながらに虚空へ姿を溶かし始めながら。
そして、次第に希薄となりながらも虚ろな響きで最後の言葉を残す。

「あの献花台は死者を悼む追悼の場である。
 しかして、思い返せ。汝らの望みは永久の別れを悲しみ、亡き者を想って偲ぶことかと。
 彼ら、去っていった者たちとの邂逅は、強き望みと想いにて叶う。
 思い浮かべよ。愛しきものの笑顔、共に過ごした美しい日々、己の心が真に欲するものを……その願いを叶えられると」

異変を感じた聖堂騎士が槍を横薙ぎに払った時には、教皇衣を纏う人物は跡形も無く消えている。
残ったのは、ただ虚しく柄が空を切る音のみ。
この報告はフランディーノの就任演説が終わり次第、教皇庁へ届けられるだろう。
消える寸前、彼の視線がライザに合わさったことを除いて。
そう、ミヒャエル・リントヴルムを名乗ったものは、確かにライザ・フェリーシャに向けて話しかけていた。
何かを自覚させるように彼女だけへと。

371教皇フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/09/24(火) 20:55:00 ID:UDOSB6XU0
新しき教皇は再びバルコニーの前へ進み出る。
民衆の心を落ち着かせ、己の語るべきことを語るために。
骨の形が浮いて筋ばった左手には、大広場の各所へ設置されたスピーカーに繋がる集音機。
長く吸った息を静かに吐いた後、フランディーノはそれを口元へ近づけた。

「親愛なる兄弟姉妹の皆様へ、フランディーノ・セレゼットが教皇就任の御挨拶を申しあげます。
 まずは、ここにお出でくださった三主教の信徒、聖都の住民、全ての来訪者とお会いできたこと。
 今、メディアを通して御覧になられている数多くの方々がいることを嬉しく思います。
 私が話し始める前に些さかの混乱も生じましたが、それは収束いたしましたので、どうか落ち着いてください。
 暴徒は鎮圧され、負傷者へは直ちに癒しの術が施されております」

穏やかで力感を感じさせない声がスピーカーから流れると、大広場に集まった人々も一斉に大聖堂を見上げる。
フランディーノの体格は貧相で、瞳にも顔つきにも前教皇ミヒャエルのような強さと威厳は無い。
それでも教皇の権威が為せる業なのか、喧騒は徐々に小さくなり、傾聴の雰囲気も出来上がってゆく。

「最初に三主教の首座として、前教皇の行いについて言及せねばなりません。
 前教皇、ミヒャエル・リントヴルムの就任式のことは、覚えておられる方も多いでしょう。
 華やかな式典の場で彼が三主と称する禍々しい怪物を呼び出し、聖都に甚大な被害を与えたことは。
 この禍難は実に数千にも及ぶ人命を失わせました。
 三主信仰への信頼を毀損させ、我々の心にも大きな苦しみを与えました。
 耐え切れない程の痛みで、人々の心は悲鳴を上げています。
 それを教皇として、三主教の聖職者の一人として、切に申し訳なく思う。
 多くの司教も頻発する異変を恐れるあまり、彼を救世主であるかのように看做したことを反省せねばなりません」

謝罪の意を述べ、痩身の教皇は瞑目する。
三主教が前へと進むには、前任者の行状へ言及することが必須であり、これから逃れることは出来なかった。
だから、フランディーノも言葉を選びながら重たげに口を開く。

「前教皇の属する真裏派は、知られざる禍神を真なる三主と看做す異端の宗派でした。
 彼らは我々の信仰する三柱の神を、古の民が禍神を認識した恐怖で作り出した偶像と定義しています。
 ならば、聖都の妖異は何だったのか? 禍神を召喚したことで真裏派の説は証明されてしまったのか。
 そのような疑問をお持ちの方も、少なくはないと思います。
 ですが、残念ながら今の我々にそれを確かめる術はありません。
 人智で三主の実在、非実在を解き明かし、禍き怪物が真の三主なのかを知る術は。
 その真偽は皆様の一人ひとりが心の中で神と向き合い、己の信仰に問いかけねばならないことです」

教皇は眼下の衆目を眺め渡すと沈黙し、しばしの時を置く。

372教皇フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/09/24(火) 21:02:30 ID:UDOSB6XU0
静かに時が流れる中、フランディーノは大広場の隅々までをゆっくり見渡す。
祈るような者がいれば、悩める顔、疑いの眼差し、不安な面持ちもまた大広場には満ちている。
それを確認すると、再び教皇は集音機を手にして口を開いた。

「語りえぬ神については離れ、次に宗派についてお話いたします。
 三主教を翻って眺めれば、内部には数多くの宗派と教義と各々の真実を持っているのが分かるでしょう。
 パズルのように複雑に組み合わさった小さな欠片の集まりが、三主教という一つの形になっていることも。
 それらを構成する欠片の一つ一つには細かな違いはあれど、数多の宗派には共通していることが一つだけあります。
 信仰を通して他者と相互に理解しあい、互いに寄りそうことです。
 宗教は決して苦しみを撒き散らすものであってはなりません。
 その意味で、仮に真裏派が真実の破片を手にしていたとしても、彼らは三主教の一員ではないと断言いたします」

教皇の一語で真裏派は破門される。
ミヒャエル・リントヴルムの真意は聖都に残されていない。
宗教や種族の枠すらも越えて人類を一致団結させる為、人類全ての脅威たらんとした意志は。
そこまでしなければならないと思う程、人類へ絶望していたことも。
数多の命を奪うであろう己を完全な悪と断じていた鋼の心も。
今の聖都には誰一人知るものはいない。

「真裏派の長たる前教皇は統率、語学、神学、弁論、魔術、全てに於いて類稀なる才能を持っていました。
 それゆえに自らの頭の中だけで考え、凡百の思想家には至れぬ結論へ至り、未曾有の凶事を招いたのかも知れません
 ですが、それではいけない……聖都に起きた惨禍の日を思い起こしてください。
 望まざる危難を前にして皆が力を合わせて戦い、多くの犠牲を出しながらも災いを退けたことを。
 そう、誰もがあのように力を合わせなければなりません。
 神ならぬものには個人の力で全てを築き、あらゆる苦難を退けるなど無理なことだからです。
 他でもない私自身が誰よりも己の無力を憂いながら過ごしてきただけに、それを痛感しています」

傾聴する群衆の中には頷く姿が幾つも。
それは主に聖都の住民や己の弱さを自覚する者たちで、彼らはスピーカーから流れる言葉へ静かに耳を傾けていた。

「私は億兆の苦悩を一人で支えられず、救世の奇跡も起こせず、だから神の民たる皆様は力を合わせなければなりません。
 一人ひとりが平和を愛する心を持ち、それを乱すものには敢然と立ち向かう勇気を胸へ灯して。
 悩める者へは寄り添い、苦しみを分かち合い、共に祈りを捧げ、同じ道を歩いて行きましょう。
 どうか、神が兄弟姉妹の皆様を祝福してくださいますように……トリス・エヴァンジェル」

教皇が挨拶を終えると、静かに鳴った拍手が慎ましやかに広がってゆく。
聖都にミヒャエル・リントヴルムの行動を継ぐ者はいない。
しかし、人々が協力して戦う姿に美しさを感じた彼の心は密かに継承されている。
数多に蒔かれた形無き種が芽吹き、花を咲かせ、明確な形として現れるには時を要するとしても――――確かに。

373Miryis stalemate ◆NHMho/TA8Q:2013/09/25(水) 21:20:45 ID:U96ZqxR.0
★★★

/大広場での教皇就任演説を以って、教皇選挙も終わり。
/一区切りが付いた所で、ちょっと日程でも纏めてみようかなー……。

★★★

【一日目】>>273-304
・リンセルとミリアが出会う
・ミリアとフランディーノが使い魔を介して接触
・教皇選挙開始、ハージェスが再有力
・リンセルの両親レナードとフロレアがミリアに出会う
・ディミヌエンドがフェネクスで生放送ラジオに出演(星誕祭前日の可能性もある)

【二日目】>>308-325
・エヴァンジェルに厄災の風、ハージェスを筆頭として導師アサキムの時間逆行で蘇ったものたちが再死亡
・教皇選挙が中断、司教たちも街の復旧や治療に尽力
・ミリアがアレクと出会い、虜とする
・エヴァンジェル中学校の体育館で天井崩落事故、ミリアが治療を試みるもリンセルは昏睡

【三日目】
・ミリアとライザが病院で面識を持つ

【四日目】
・リンセルの両親がミリアの手中に落ちる

【五日目】>>327-329
・リンセルの代わりにミリアがパン屋のバイト開始

【六日目】>>329-336
・教皇選挙の再開、第一回投票

【七日目】>>337-372
・ミリアとトビアが出会う
・ライザが拳銃を購入
・教皇選挙、午前に第二回投票
・ミリアがトゥラヴァ同盟を発足させる
・ミリアが三主教の人間司祭たちを取り込む
・教皇選挙、午後の第三回投票で教皇がフランディーノに決定
・アレクとトビアがミリアを巡って険悪に
・ライザが大広場で乱射事件を起こし、アリアード、ミリア、六人の一般人を負傷させる
・聖堂騎士に拘束されたライザが、前教皇ミヒャエルらしき何かを目撃
・大広場で教皇フランディーノが就任演説

374ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/10/04(金) 19:22:17 ID:iIaXyAD20
漆黒の闇に刻まれた一文字の亀裂が広がっていき、うっすらした薄明るさを瞳に告げる。

「う……ぅ……ん」

小さな呻きを漏らしてミリアは瞼を開く。
瞳が映すのは空の明るさではなく、淡い暖色の照明で照らされた病院の天井。
大広場の乱射事件から経過すること十二時間近く。
負傷した者たちは聖エヴァンジェル病院へ運ばれ、魔術医に拠る治癒が施されていた。
ミリアが運ばれたのは二階の大部屋で、この部屋にもまだ数人の負傷者たちがベッドで横たわっている。
至近距離からライザの銃撃を受け、激痛のあまり気を失ったミリアもまた。

「……ミリアちゃん?」

震えるような高い声を聞いてミリアが首を傾けると、すぐ傍にはフロレアの顔。
祈るように両手は握り合わせられていて、揺れる瞳にも心配げな光が宿っている。

「フロレアさん…………って、やっぱリンシィに似てるよね。
 泣き顔とか困った顔が可愛いところとか」

「もう……病院に運ばれたって聞いて、とっても心配したのよ」

「ごめん、今回は危険を予期できなかったってことで許して。
 あっ、フロレアさんは困り顔も可愛いけど、笑った顔の方が良い感じだね」

フロレアが安堵の微笑みを浮かべるのを見て、ミリアの関心は今の己の状態に移った。
目線を下ろして衣服を見れば、ゆったりとした薄緑のパジャマに替えられている。
左胸に触れると一瞬だけ引き攣るような痛みが広がったものの、それもすぐに薄くなって消えてゆく。
裾を引っ張って胸元を覗き込んでも、白い肌に銃創の痕は発見できない。

「傷痕がぜんぜん無いんだけど……アタシ、どれくらい眠ってたのかな。
 もしかして、鏡を見ない方がいいくらい寝てたってことはない?」

「ミリアちゃんが運ばれてからは、そうね、半日くらい。今は朝の五時」

「そっか。ラ――――大広場の銃撃犯は?」

大広場のその後を聞こうとしたミリアは、思わずライザの名を伏せる。
今、せっかく微笑んだフロレアの顔を曇らせるのが忍びなくて。
娘の友人が事件を起こしたと知れば、憂いと心労を増やすかもしれないと慮ったのだ。

「犯人は捕まって教皇庁の監舎に送られたって聞いたけど……その後は分からないわ」

「教皇庁の監舎ね。それなら一安心かな。
 事件が事件だけに、数年は拘束されて自由にならないだろうしね」

ミリアは己に向けられた氷の視線を思い出す。
故郷にいた頃から侮蔑と疎外には慣れていたが、明確な殺意を突き刺されたのは初めてだった。

(ライザの目的は、アタシを殺してでもリンセル・ステンシィとその家族の魅了を解除すること。
 あれは……あの子が、そんなにリンシィのことを大切に想ってたってこと……なのか)

怒りは湧かない。
事実、ミリアはライザが看破したようにステンシィ一家を魔力で篭絡している。
しかし、なぜ不可視の力が為せる業を容易く気づかれたのだろうか?
あるいは、この街を訪れる前、今の自分の位置にいたのはライザで……だから違和感にも気づけたのか。
ならば、彼女はアタシからリンシィを守ろうとしたのだろう。必死に。おそらくは一人で。

対してアタシは何者なのだろうか。
リンシィやフロレアやレナードから愛される快さを求めて、優しさを欲しがって、自分は何も与えず。
幸せそうな輪の中に入り込んで奪うだけの……宿り木?

375ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/10/04(金) 19:23:06 ID:iIaXyAD20
「ミリアちゃん、お腹は空いてない? 何か食べたいものはある?」

心なしか、沈んだ様子で考え込む様子のミリアにフロレアが声を掛ける。

「ん、それなら……ロルサンジュのパンが食べたいかな。
 サンドイッチとミネストローネの組み合わせなんかいいかもね。
 もう傷は完治したみたいだし、朝食はロルサンジュで頂きたいとこだけど――――」

ベッドから降りて立ち上がった瞬間、ミリアの意識がふっと遠ざかり、平衡感覚を失う。
魔術医の治癒に増血効果までは無かったようで、一時的な貧血に陥ったのが原因だった。
倒れるミリアを抱き止めたのは硬い床ではなく、心地良い柔らかさ。
ほどなく、混濁して波打つ意識も湖面の落ち着きを取り戻す。
ミリアはフロレアの胸へと凭れ掛かっていた。
背に回された細い腕で、しっかりと支えられている。

「ご、めん……立ち眩み……なんか割と失血してるみたいで」

「無理しないで、まだ寝てなくちゃ。
 朝食なら私が持って来るから、ね?」

「いや、こんなのリンシィに比べれば、たいしたことないよ…………あっと、重くないかな」

「52kgくらいかしら? だいじょうぶよ、これくらいあった方が」

「体重を聞いた訳じゃないんだけどな……しかも……いや、まあいいや」

「今、着替えを用意するわね」

フロレアが用意したのは、聖都の装いに相応しい白のブラウスとキャミソール、黒のロングスカートに靴下。
ミリアは着替えを受け取ると、周囲に視線を巡らせた。
聖都の朝は早いようで、午前五時にも関わらず半数以上は身を起こしている。

(まぁ、別に良いか。男いないし)

ミリアが薄緑の寝衣を脱ぐと、まずフロレアより二回り以上も大きな胸。
次に腰の辺りを覆う、ふわりと膨らみを持たせた白い下着が露となる。

「……カボチャパンツ穿いてるんだけど、アタシ」

「衣類は全部汚れてたから、私が家から持って来たものに替えちゃったの。
 安心して、それは前に買っておいたもので未使用だから」

「これ、リンシィのじゃないみたいだし、フロレアさんのか。こういうの穿くんだね。
 それで、えっと……ブラはどこかな?」

「ごめんなさい、まだ衣料品店が開いてないから、そっちは用意して来れなかったの。
 私やリンシィのを持ってきても、ミリアちゃんは着けられないし……」

フロレアの目線がミリアの胸元まで下がる。
人種的な違いなのか、この地方に多い栗色や茶色の髪の人間族に比べ、ミリアのそれは明らかに大きい。
確かに、これをフロレアやリンセルの下着の中に収めるのは難しいだろう。

「そっか……じゃ、それは後で買うとして。
 とりあえず、リンシィの顔を見てからロルサンジュに帰ろっか。
 アタシばっかり構ってもらってちゃ、リンシィが可哀想だしね……」

着替え終えたミリアは薄紫のリボンバレッタで髪を纏め、病室の出入り口に向かって歩き始めた。
その足取りの覚束なさを案じて、フロレアがミリアの手を掴んで支える。
掌から伝わってくる温かな優しさは、心苦しいくらいだった。
愛を収奪する宿り木にすら、彼女たちはもう少し幸せになれないのだろうか、と思わせるほど。

376リンセル ◆Ac3b/UD/sw:2013/10/05(土) 01:07:57 ID:zUjonAdo0
リンセル・ステンシィが眠る病室を訪れたフロレアは、娘の顔を覗き込んで囁く。

「どんな夢を見てるのかしら……うちの眠り姫は?
 出来ることなら、退院させて家で療養させたいけれど……」

夢境を漂うリンセルの意識はロルサンジュの二階、自分の部屋を思い描いている。
窓際のベッドの上でミリアと共に腰掛け、他愛も無いお喋りに興じる一夜を。

★☆★

リンセル「今回の夢はミリアさんとのパジャマパーティーです」
ミリア「またか……アタシ、メタって好きじゃないんだよね」
リンセル「当分、私の出番が無さそうな感じなので見逃してくださいっ」
ミリア「こんな風にアタシらが創作のキャラだって意識させられると、読み手が世界に没入できなくならない?」
リンセル「うー……」
ミリア「だいたいさ、こういうのって二次創作用SSスレッドでやるもんじゃないの?」
リンセル「すみませんミリアさん、ここがその二次創作用SSスレッドです。なのでここでやるしかありません!」
ミリア「で、これは今までの流れとは完全に切り離されてるってことでいいの?」
リンセル「あっ、はい、そうですっ。★☆で区切られたスペースの中はそのように考えてくださいっ」

リンセル「さてさてっと。盛り上がりの加速する本編に比べて、こっちの投下速度は落ちる一方ですね」
ミリア「…………悪い、低スペックで」
リンセル「前々から気になってましたけど、ここと本編の時間軸の関係はどうなってるんですか?」
ミリア「あー……本編はメインの移動手段がテレポートだから、時間もほとんど経ってないって印象なんだよね」
リンセル「聖都→仙界→バニブル→フェネクス。各地の滞在時間を1日程度とすると確かに忙しないです」
ミリア「なので、新教皇の就任は星誕祭の数日後になるね。ワープの性質次第では過去になるのかも知れないけど」
リンセル「それなら、その辺りはあんまり気にしない方が良さそうですね……」

リンセル「本編と言えば、前教皇のミヒャエルさんが蘇ってますけど」
ミリア「蘇生した奴を見ると改めて、この世界の蘇生と司法制度の関係が気になるね」
リンセル「重罪人を死刑にしちゃうと、誰かが別の場所で勝手に蘇生させる可能性もありますし、気になりますね」
ミリア「枢要罪も頑張って七人倒したのに最後の一人が全員を蘇生させる、とかありえるんだよな……」
リンセル「蘇生不可の攻撃で止めを刺しておかないとそうかもです」
ミリア「現代は蘇生術が複占状態で普及してるから、なぜか敵だけは蘇生しないってわけにもいかないし」
リンセル「某有名RPGなら敵は蘇生しませんけどね。小説化されると蘇生自体が無くなったりもしますけど」
ミリア「でもまあ、蘇生関係は掘り下げると蘇生の自由度も減るから安易に手を入れにくいかも……」
リンセル「ミヒャエルさんはこっちにも顔出してましたけど、本編で斃れたらどうするつもりだったんでしょう?」
ミリア「そうなっても大丈夫なように考えてはいたけど、致命的な齟齬が出たら別の世界線って認識すればいいよ」
リンセル「では、それは置いといて……ミリアさん(エヴァンジェル仕様)を描いてみました! じゃーん!」

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ミリア「んー……悪いけど似てないかなー」
リンセル「それはマウス操作とペイント機能の限界で! 高価なペンタブさえあれば私でも神絵が描けた筈ですっ」
ミリア「はいはい。ま、絵心が無い割には頑張ったんじゃない?」
リンセル「背景はアイン・ソフ・オウルのアトリビュートカラーに……と思いましたけど、まだ不明なんですよね」
ミリア「そもそも輝けるのかな、アタシは」
リンセル「そんな弱気なこと言わないで、トゥラヴァの若草色で光輝いてください!」
ミリア「今回はこれでお開きにしよっか……」
リンセル「え、ちょっと待って! ミリアさんが誰とでもフラグ立てちゃう件の追求がまだ――――」

★☆★

「魔術医さんがね、リンシィを自宅に連れて帰っても良いって。
 今、ミリアちゃんが用意してくれてるみたい」

フロレアは娘の世話を一通り終えると、柔らかな薔薇の頬を撫でた。
しばらくすると、車椅子を押したミリアが中年の女性魔術医を伴って病室にやって来る。
魔術医から輸液の交換手順や、自宅介護の様々な注意点を受けると、リンセルは車椅子へ移された。
そして母に伴われ、父が待つ家の帰路に着き、三人と一人はステンシィ家の朝へと戻ってゆく。

377ライザ・フェリーシャ ◆MaYJKMwC5Q:2013/10/09(水) 17:52:28 ID:GTMT4/ZE0
大広場の乱射事件から一夜が開けた。
厚手の白い服を着せられたライザは簡易ベッドの上に座り、虚ろな視線で部屋の中を見つめている。
出入り口の扉は厚い金属。異能を用いての逃亡を阻止する為に抗魔処理の文様が刻印されていた。
周囲を取り巻く壁は翡翠色で、高い位置には鉄格子の嵌められた窓が一つ。
そこから投げかけられる中天からの光が、当て所なく宙を漂う埃粒に光の微片を纏わせていた。

この建物――――監舎はエヴァンジェル旧市街の北東、墓地に隣接した街外れに建つ。
用途と役割は罪を犯したものの収容施設であり、更生と贖罪の場でもある。
昨日捕縛されたライザは此処に送られ、独居房の一つに収監されていた。
身元は聖堂騎士アレクサンデルに拠って割れ、彼の証言でミリアを付け狙う動機も理の無いものと判じられた。
短絡的で身勝手、同情の余地は無い、と。
やがて、裁判で殺傷事件の量刑も確定するだろう。
再調査に関しては、ミリアが教皇や複数の司教を魅了している以上は難しいかもしれない。

午前九時、フェリーシャ家へ連絡が入り、ライザの母親が監舎へ訪れる。
両者が対面したのは、翡翠色の小部屋の丸く小さな窓越しだった。

「なに考えてるの……こんな事件を起こして……こんな……。
 私達、もうエヴァンジェルに居られないじゃない……」

泣き声で怒りを吐露する黒髪の女はライザの母親、ユージェニー・フェリーシャ。
彼女は耐え難いほどの苦痛を受けている。
息子であるクロードという宝物を失ったことで。
心は重く、棘の痛みに苛まれ、胸苦しさは増すばかりで、いつまでも消えない。
聖都に虐殺の記憶から立ち直ろうとする者は少なくはないが、喪失と別離の痛みに耐えられる者ばかりではないのだ。
おそらくは、虐殺の記憶も生々しいローファンタジアの周辺やフェネクスでも。

「産まなければ良かった……」

ユージェニーは今日、もう一つの宝物を失った。
酷く傷ついてはいるが、まだ辛うじて形を留めていた娘への愛を。
消え入るような母の呟きは、ライザから自分の思いを理解してもらおうとする気力を奪った。
決して忘れられないであろう言葉で。
生涯癒えないであろう傷を刻まれて。
だから娘は口を開かず、ただ母の言葉を聞き続けるだけ。
為された話は、勾留期間や弁護人や裁判、被害者の負傷具合、そしてミリアの快復。

ミリアの詭術を白日の下に晒すとの決意は、無駄に終わったのだ。
己の行動に理があるのだと、もう誰にも理解してもらう事は出来ない。
ごめんね、リンシィ。

「……さよなら」

十分程の短い接見が終わると、ライザは母親の去り際に小さく声を掛けた。
仕事で姿を見せなかった父親にも。
死んでしまった弟にも。
フェリーシャ家よ、さようなら。

ライザは虚ろな感覚に囚われたまま監舎へ戻る。
聖都の異物、世界から拒絶された異分子との自覚を抱いて。
朦朧とした中でセピアの瞳が見つめるのは、外界から閉ざされた聖域……己だけの箱庭だった。
意識を覆う靄は鮮明に過去の情景を映して、ライザの心を過去へ向かわせる。
幸せな記憶、回想の世界に灯る無数の煌きへ。

378ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/10/14(月) 20:44:58 ID:.WQbpz7.0
「ただいまっと」

ミリアは昏々と眠り続ける少女の代わりに帰宅の挨拶を述べた。
そして、レナードと二人がかりで部屋まで運ばれたステンシィ家の一人娘が、ベッドの上にそっと横たえられる。

「おかえり」

一人娘に迎えの言葉を掛けるレナードの微笑みは優しい。
その後は、いつもと同じ短い朝食の時間。
心なしか、いつもより穏やかに感じられた朝食の時間。

(まだ、希望持たせるようなことは言わない方がいいか……)

三主教の一部と繋がりを持ち、彼らの協力が得られるようになった事をミリアは伏せた。
成果が出なかった時に失望させるのが嫌だったし、何かの拍子に迷惑が掛かるかもしれないとも考えて。
そして時計の針が十時を刻み、焼成されたばかりのパンの香りが店内に漂う頃。
ミリアは厨房に向かい、レナードへ声を掛ける。

「それじゃ、ちょっと出かけてくるね。
 お店の手伝いは帰って来てからってことで」

「ん、どこへかな?」

「乙女の買い物。もっと詳しく聞きたい?」

ミリアの物言いに苦笑するレナード。
しかし、その微笑みはすぐに真剣な光を帯びる。

「いやいや、行ってらっしゃい。ただし気をつけて。
 なぜその場にいられなかったのと悔やむのは……もう、たくさんだ」

「う、うん……護身に杖くらいは持ってくから大丈夫だよ」

ミリアは勝手口を開けながらパン職人へ告げた。
その案じるような眼差しに、ふと生きていた頃の父親を思い出す。

(そう言えば、行ってきますのキスって何歳までやってたっけ……)

ミリアは衝動的にレナードへ近寄ると、その頬へ静かに口づけた。

「行って来ます、父さん――――――――――なんて。
 二度と言えない言葉をもう一度言ってみたかっただけ、ごめん」

何か言葉が帰ってくる前に、ミリアはすっと踵を返す。
そのまま路地からメインストリートに出ると、ロルサンジュを背にして歩き始めた。
観葉植物の飾られた路地を通り、穏やかな風に乗る花の香りを受け、緩い坂をゆっくりと進んで。

しばらくして、ミリアは一つの白い店構え、女性用の衣類を扱うブティックへ足を踏み入れた。
内装はタイルの床、壁も天井も黒く、照明のシャンデリアがシックでエレガントな雰囲気を演出している。
壁際には木製の管が天井から紐で吊るされており、木管には色とりどりの服がハンガーで掛けられていた。
装飾の施された服は殆んどが一点もので、多くても五着は無い。
その多彩で色鮮やかな服の数々に見とれながら、ミリアは店の奥に向かって歩く。

379ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/10/14(月) 20:46:25 ID:.WQbpz7.0
「何かお探しでしょうか? ご試着もできますが」

ミリアが下着の区画へ足を踏み入れ、幾つかの品を吟味していると、一人の女性店員がスッと寄ってきた。
皮膚の質感や体のシルエットこそ人間に近いが、顔の骨格は猫科の獣に近く、尖った獣の耳と尻尾を備える。
彼女の髪と毛皮の色は胡桃にも似た鈍い黄色で、緑の瞳は猫そのもののように大きい。
身に纏うのは、美しい刺繍をふんだんに施し、肩口から肌を露出させたベルベット仕立ての服。

(猫系の亜人種、か)

値踏みするような一瞥を放つ。
ミリアは人間の地位を是正してみせるとの目的から、同族以外に対しては精神的に距離を置く。
敵愾心と呼べる程の拒絶ではないが、人間に勝る種族特性を目の当たりにすれば、己の瞳に挑戦的な色を自覚した。

「いや、ちょっと大きめのブラジャーが無いかなーってね」

「それなら、これなどは如何でしょう?
 恋する気持ちをパッドで後押しするエレガントな一品でございますわ」

(……高っ!)

亜人の店員は優しげな微笑みを浮かべるが、値札の数字は厳しい。
エヴァンジェルは様々な種族の入り乱れた都市なので、各種族の形状に合わせて多様な衣類が普及している。
しかし、一種族だけに向けた流通と販売が出来ない以上、衣類個々の値段は、やや割高なのだ。

「わりと激しく動きたいのと、体に硬いのが当たるのは嫌なんで、ワイヤー使ってないこっちで……」

「まあ、スポーツブラなんて、お客様には少し子供…………っぽ過ぎます。
 運動の際に用いるのでしたら、こちらの商品を強くお勧め致しますわ。
 神魔コンツェルン製で胸へのサポート効果が高く、デザイン、質感、通気性、吸汗性ともに申し分ありません」

店員がクスリと嫌な笑みを浮かべ、別の商品を手に取った。
おそらくは、高い商品を買わせる為の術策の一つであろう。
ミリアもそうとは看破するのだが、見下されたような感覚と優越の響きには引けないものを感じる。

「じゃ、店員さんを信じて試着くらいはしてみよっかな。ちょっと試着室を借りるね」

「お手伝い致しますわ……まあ大きい。
 これなら、ヒューマン用よりロガーナ用の方が合うかも知れません」

ミリアは試着してから、やっぱり気に入らないと言って別の商品を購入するつもりだった。
己の審美眼を誇るつもりで。
店員の美的感覚に傷をつけるつもりで。
だが、残念なことに彼女の目は確か。
客が求めている条件が何かを経験と嗅覚で探り取って、的確にミリアへ最良の一品を勧めていた。
白いストレッチレースの小花柄ブラジャーは着用者のセンスにぴったりと合い、付け心地も実に快適なもの。
他にも幾つか試してみたものの、店員が最初に勧めた商品こそがミリアにも最良と感じられた。

「……悪くない、かも」

受容の言葉は若干の敗北感と共に。

「よく、お似合いでございますわ。
 先程からお外でお待ちなされている殿方の目も、お客様に釘付けとなってしまうかも知れませんね」

「えっ?」

試着室から顔だけ出して外を見ると、見慣れた人物が佇んでいる。
気恥ずかしいのか、ブティックから顔を逸らしてはいるが、聖堂騎士の格好で誰なのかは一目瞭然だった。

(アレク……またアタシの後つけてたのか)

380ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/10/14(月) 20:47:54 ID:.WQbpz7.0
買い物を終えたミリアは、アレクサンデルと共に街を歩く。
街の景観を彩る壮麗瀟洒な建築群は、それを見慣れない他国の人間にとっては眺めているだけでも楽しい。
水路に架かる小さな石橋を渡り始めようという時、隣を歩く聖堂騎士が静かに述べた。

「ライザ・フェリーシャの件だが、禁錮五年以上が妥当といった所だろう。
 彼女の家庭環境に関しては両親と不仲のようだった。
 前教皇のパレードの際、弟のクロード・フェリーシャが死亡し、姉の彼女だけ助かったのが原因らしい。
 ましてや今回の件もある……両親が離婚すれば、刑期を終えても引き取りの際には揉めるだろうな」

胸が痛む。ライザの境遇に過去の自分が重なった。
父を亡くして後、周りの全ては敵だと感じられた頃の姿が。
あの時、己だけの世界を求めたのが今の力を引き寄せたのかも知れない。
今のライザは何を見て、何を感じているのだろう……。
自分が来るまではリンセルが唯一の理解者だったのだろうか。

「アレク……ライザとリンシィとの関係って、詳しく分かる?」

「リンセル・ステンシィとライザはクラスメイトなので、前々から交流はあったようだ。
 特に親しくなったのは最近のようだが、俺も今朝知ったばかりなので、あまり詳しくは分からないな。
 そして、あの体育館の崩落事故の際、リンセルはライザの身代わりとなって瓦礫の下敷きになっている。
 何人かのクラスメートが同様の証言をしていた」

「そう、リンシィが………………だから、か。
 ライザがあそこまで思い詰めてたのは」

ミリアは眠れる友達の意外な強さを聞き、感動を覚えた。
そして、自分に同じことが出来るだろうかと考える。

(いや、きっとアタシに同じ事は出来ない……だろうな)

「しかし、大広場の事件で死者が出なかったのは幸いだった。
 用いられたのは護身用の銃で、貫通力は高くとも人体への破壊力が低い。
 それで被害者にも致命的な傷を受けた者は出なかった。
 同僚のスキュラには何発も銃弾を受けたのがいるが、あいつはそれぞれの頭部が独立して行動する多頭の妖獣。
 人間のように見える上半身も、他の犬の頭部と同じ補助器官の一つに過ぎないらしい……俺も始めて知ったが」

「そっか、良かった……。
 ライザ、誰も殺さずに済んだのか」

ミリアは安堵の息を吐き、立ち止まった。
そして、自らの少なからぬライザへの感情移入を自覚する。
言葉を交わす相手が立ち止まったのを見て、同道する聖堂騎士も同じように歩みを止めた。

381ミリア ◆NHMho/TA8Q:2013/10/14(月) 20:51:57 ID:.WQbpz7.0
橋の中ほどの辺りで、ミリアは欄干に両手を置いて水路を眺める。
水面には空の青が塗り広げられ、両岸の建物や橋の影が鏡のように映っていた。
向かってくるのは水の流れを友とする涼やかな風。束ねられた灰色の髪が小さく踊る。
アレクサンデルは、その横顔へ向かって距離を縮めた。

「リンセルの治療に関しては、すでに上へ話を通している。
 人間中心で編成した班が、幾つかの手段を検討してくれるそうだ。
 知識の集積庫バニブルへの出資を増やし、治癒術系統の資料捜索と人材提供を要請するとの話も出たとか。
 教皇庁が保管する古書・文献・聖典の中には、解読を優秀な学究に頼らざるを得ないものも多いからな。
 明日、新教皇就任の件でバニブルからも使節団が派遣されるようなので、その際に協力を仰ぐ事となるだろう」

「バニブル……知の収集と共有を掲げてる東方の国家だっけ。
 自分らで保管してる本の解読を遠方の国に頼るってのは、災害でそんなに人材が失われたって事?」

「いや、そう言う訳ではない。
 解読が困難な理由は、魔術書の意図的な死蔵だ。
 魔術の世界には、知識として拡散すれば拡散するほど魔術は神秘を失い、質を低下させる、との理論がある。
 だから、知識の普遍化を嫌って、所有する魔術書に強固な封印や読解妨害の術式を施こす魔術師も珍しくない。
 結果、魔術書の解析は極めて難しいものとなるのだ。
 誰にも読み解かれないまま数百年を経て、解読不能なんて代物はエヴァンジェルにも幾つか存在する」

「ふーん……それ、前から思ってたけど川の流れみたいだよね。
 支流が多くなるほど、一人当たりの分け前も減るってのは」

「そうかもな。
 愛も。全てに向けられるものより、一人だけに向けられるものの方が大きいと思わないか?」

「ど、どういう意味? よく分かんないな」

はぐらかす女。
戸惑いの視線は泳ぎ、流れる水に沈む。

「俺だけのものになって欲しい」

誤魔化さない男。
熱を帯びた眼差しが、心奪われる女の横顔へ。

「嬉しい……けど……そんなの即答できない……。
 そ、それにさ……アタシたち、まだ会ってから何日かしか経ってないし……」

ミリアの誰かに守って欲しいとの欲望は強い。
故郷にいた頃に愛を囁かれていれば、それが誰であれ、共に幸せを作り上げたいとすら思ったはずだ。
しかし、今手にしているのは魔力で心を捻じ曲げただけの繋がり。
もし歪められていた心が元に戻るような事があれば、その時、彼らは自分に好意を向けたままでいてくれるだろうか。
享受している敬慕と情愛が失われた時の事を考えると、言いようの無い不安が募った。

「……………………」

沈黙する聖堂騎士。女の答えが変わるのを待っているのだろうか。続く沈黙。どこまでも沈黙。
それを破るのは鐘楼。荘厳な鐘の音が街に鳴り響いて正午を告げる。

「あっ、えっと、お昼時は忙しいから……店の手伝いに戻らないと。
 それじゃ……もうアタシ、行くね」

ミリアの姿が小さくなってゆく。
橋向こうの大通りに店を構えるロルサンジュへ向かって。

382教皇フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/10/28(月) 02:13:19 ID:W3ht2Q6A0
正午、鐘楼の鐘が街の隅々にまで鳴り響く頃。
教皇執務室に入った年若い人間の助祭、トビアーシュ・レシュティツキは恭しく述べる。

「猊下、昼食がご用意できましたので、大食堂までお出で下さい」

「……分かりました」

応える教皇は疲労の色が濃く、声の響きも鉛を飲み込んだかのように重い。
新教皇が抱く暗澹たる思いの原因は、急速な人心の荒廃にあった。
雪深い北、熱帯の赤道、或いは東の諸島、各地の担当教区へ戻った司教たちが齎す報告に良いものは無い。
どれも、異変や紛争の発生を告げるものばかりだ。

「午後からはアルティヴィツェの紛争が激化した件。
 それに付随してリウィンで発生するかも知れない問題で、現地の司教から面会の要望があります」

執務室から大食堂へ向かう途中、紛争地域の一つの名がトビアーシュの口から発せられた。

「あの辺りは……確かユーフェン司教の教区でしたね。
 リウィンは女性のみの自治区域と聞いておりますが」

フランディーノは助祭の語る地名を思い出す。
アルティヴィツェ連邦は大陸の中央近く、古来から民族紛争の絶えない地域。
リウィン自治共和国はその一区域で、ある種の避難地、逃れの町として山脈に築かれた都市群であったと。

「ええ、リウィンは例外なく男性の立ち入りを禁じるそうです。
 乳幼児すら例外ではないので、彼らの庇護や受け入れについて話したいとか。
 それと、バニブルの使節団に関しては到着が明朝九時になるとの報告が」

「バニブルとは共通項が多いですから、話し合うことも多いでしょう。
 元首の問題や、あの黒い宝玉についても」

「後は、昨日お話した昏睡する少女に関してですが……」

「ミリア嬢の要望ですね。
 治療に尽力するのは無論のことですが、神ならぬ我々は有限の力と知恵しか持ちません。
 ですから、困難な事を成し遂げるには、数多くの者が力を合わせなければなりません。
 明日、聖都に来訪する方々へ協力を仰ぐことも欠かせないでしょう」

古めかしい絨毯の敷かれた回廊を歩き、大食堂の前まで着くと助祭が扉を開ける。
そして、以前と同じ席へと足を向けかけた教皇は、すぐに自らの立場を思い直してメインテーブルへ。
昼餐の並べられた席の前に立つと、教皇が周囲を見回す。
百人近い司教達がフランディーノの就任と共に各々の教区へ戻ったことで、大食堂の一角には空白が出来ていた。
残りの席を埋めるのは司祭に助祭達。彼等に向けて教皇は短い説教を語る。

「世界では毎日のようにどこかで異変や争いが起き、私達に多くの苦悩を与えています。
 翻って私達自身を見れば、幸いにも今この場で神から頂いた恵みを享受しています。
 この享受した恵みと喜びは他者と分け合い、施さなければなりません。
 我々は決して、ただ奉仕の果実を受け取るだけの者であってはならない。
 皆様も神の使徒たるべく率先して行動してください。
 外では給仕として神の恵みを施すものであって下さい」

説教の後には食前の祈りが続き、沈黙の中で食事が始まった。
内容は宗派で微妙に異なるものの、白身魚のムニエル、塩茹でのジャガイモ、野菜のスープ、パンに葡萄が主なもの。
教皇は、毎回食前にスピーチをするなら今から夕餉の内容も考えておかねば、と内心に思いながらスープを口に運ぶ。
よく野菜の旨みが溶けていて、甘みもあり、温かなスープは実に美味しい。
ささやかな食事の時間が終われば、エヴァンジェルの時間も午後へと移り変わってゆく。

383教皇フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/10/28(月) 02:14:09 ID:W3ht2Q6A0
「猊下、改めて教皇への就任を祝福致します」

教皇が執務室に戻ると、革張りの椅子に座っていた女性が立ち上がり、一礼して祝辞を述べる。
ハスキーな声の主は人間と狐の中間のような獣人で、狐色の長い髪に獣の耳、それにふさふさとした太い尾を持つ。
白い法衣も獣人用らしく、一般的な法衣よりもゆったりとしていた。

挨拶を受けた教皇は、目の前の女性がどのような人物かを瞬時に記憶から引きだす。
ラオ・ユーフェン、アルティヴィツェ連邦を担当教区とする司教。
三主は造物主ではあるが現世に干渉しないとする理神派で、教皇選挙の際にも幾らかの票を獲得している。
種族は霊狐と呼称される獣人の一派、歳は少なくとも五十を越えていた筈だった。
とは言え、種族特性なのか容姿は人間にして二十歳ほど。
性格は理知的、感情を抑制して他者に胸の内を読ませないように振舞っているとの印象だ。

「ありがとう、ユーフェン司教。貴女にも神の祝福あらんことを。
 助祭から男児の保護について要望があると聞きましたが、その件ですね」

教皇は左手で椅子を示して応接する相手に着席を促しながら、自らも同じ作りの椅子へ着席。
ユーフェンは浅く腰掛けると、一拍置いて教皇からの言葉を肯定する。

「はい、リウィンの女が男児を産んだ場合、三主教系列の孤児院で保護したいのです。
 御存知かとは思いますが、リウィン自治共和国は男性の立ち入りを禁じています。
 他国の外交官や医療従事者のみならず、国内で産まれる男児たちも例外ではありません。
 妊婦となった者は検査を行い、妊娠しているのが男だと分かった場合、堕胎か国外退去かを選択させられます」

「……リウィン自治共和国は、何故そこまで男性を排するのでしょうか?」

「あの地の国境の壁には、百年以上前に刻まれた文字が今も残っております。
 何と書かれているか、猊下は御存知でしょうか?」

「いえ」

笑っているのか、咎めているのか。
早く次を、と促すような短い答えに半人半狐の女司教は僅かに目を細めた。

「男は一人残らず死んでしまえ、です。
 アルティヴィツェ連邦の内部では、かつて民族浄化と呼ばれる凄惨な行為が行われていました。
 他民族を自国の領土から根絶やしにする政策が。
 住居を破壊し、男や老人を殺し、女は監禁され、妊娠するまで何度も暴行されます。
 解放されるのは堕胎が出来なくなってからで、産まれた子供は暴行した側の民族と看做されます。
 ですから、妊婦は同じ民族から忌まわしい穢れたものとして疎まれます。
 純潔を守れなかった罪。敵の子を宿してしまった罪で。
 家族を殺され、身内に石で追われ、心身傷つき、行き場の無くなった女達がアジールとして山間部に築いた群落。
 その建国の経緯が、リウィンが強く男を拒絶する理由です」

「……痛ましいことです」

「その痛ましい状況が、アルティヴィツェに再来しようとしているかも知れません。
 数日前、長らく行われていなかった大規模な虐殺が地方村で再発したと聞きます。
 真実であれば、再び怒りの炎は燃え盛り、野火のように広がってゆくことでしょう。
 心が復讐に渇けば、赦しも和解もありえません」

「私達は人々が互いを尊重し、慈しむように向かわせなければなりません。
 ユーフェン司教も苦しむ者たちに救いの手を差し伸べてください。
 私もアルティヴィツェの現状を理解して貰うよう、多くの方々に訴えます」

霊狐の司教が頷くと、柔らかな革張りの椅子から余った尻尾も釣られて揺れた。

「紛争が続けば、各地で数多くの孤児や難民が生まれることでしょう。
 教区の三主教徒たちとも連携して保護いたしますが、さらなる支援が必要です」

384教皇フランディーノ ◆OzeGYYLSp.:2013/10/28(月) 02:14:51 ID:W3ht2Q6A0
フランディーノは支援が必要との言葉を、資金援助の要請だと読み取った。
先にユーフェンが衝撃的な話を持ち出したのも、スムーズに資金を引き出す為の技巧なのかとも考える。
しかし、アルティヴィツェで紛争が起きたのは事実であろう。
破倫の行いが各地で頻発することも予見され、何も手を打たずして良いわけも無かった。
それに孤児の保護は前々から自分が進めていた事案で、反対する理由も無い。
資金を投じる理由としては、むしろ正当なものだ。

「財務部に話を通しましょう。
 私も幼少の頃、三主教の僧院に預けられました。
 従って、困難な状況にある子供達を支援する必要性も少しは分かっております」

己も少年期に僧院へ預けられた過去を思い出し、教皇は言う。

「左様でしたか。
 私も孤児院で育ちましたので、身寄り無き少年少女の境遇……に関しては把握しております。
 奉仕の果実を受け取った者の責務として、私も奉仕の果実を与えなければなりません。
 子供達が人らしく生きられるように」

「お願い致します」

霊狐の司教は腰を上げると微笑みを浮かべ、僅かに顎を引いて頷く。
それに伴って長い睫毛が動き、銀の瞳も僅かに翳った。
聖職者としての清楚さを繕ってはいるが、どうにもこの女司教の姿態から妖艶さが香るのは否めない。

「全ての悩めるもの、苦しむものに祝福あらん事を」

一礼したユーフェンが執務室から退出してゆく。
謁見を終えると、教皇は疲労を息に乗せて静かに吐き出した。
窓の外を見れば白い雲、アルティヴィツェから流れてきたのであろうか。
その雲がエヴァンジェルの空に辿り着いた頃、次の執務を持って来た助祭が扉を叩く。
短い休憩の終わりを告げるノック音を聞くと、教皇は椅子に座り直して午後の執務へと備えた。


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