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東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の弐拾九】
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そこのインテリ気取りの諸兄(*1)も詳しくないけど興味のある諸兄(*2)も不比等(*3)もどうぞ
(*1,*2)ttp://wikiwiki.jp/th-kousatu/?plugin=ref&page=FrontPage&src=remy10589_0.jpg
(*3)ttp://i.imgur.com/WcrOTck.jpg
古代史、考古学、古典文学、文化人類学、宗教学、郷土の昔話、
理科系分野の学問まで…何でもありの雑学スレと化してます
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今朝の朝日新聞に蘇我氏と物部氏の対立は仏教がらみでなくやはり政治的な勢力争いの可能性が高い、との記事が。
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>>14
なかなか難しい部分もあるが私見を
この記事はそこに焦点を当ててるといえばそれまでだが
少々、オタクによる聖地巡礼をいささか特別視しすぎてる気がする。
記事でもパワースポットについては触れられているが
寺社仏閣めぐりを趣味にしている人は昔から多いし
有名どころでは観光目的で訪れる人が多数の場所もある。
その中で、「信仰心」に関してはこれらの人らとオタクの聖地巡礼者に大きな違いがはたしてあるのかは疑問。
そもそも、寺社仏閣に行くのに「信仰心」は必要なのだろうか。
もちろん、お寺や神社側は宗教だから参拝者には信仰心を持って欲しいと希望するのはわかる。
個人的には寺社仏閣に行くのに必要なのは「敬意」だと思う。
自分なんかは思想信条としては不可知論者の立場だけど
宗教学(とくに哲学的側面からみた宗教)は好きというタイプの人間で
残念ながらどの宗教に対しても明確な「信仰心」はない。
それでも、宗教施設(各宗派の仏教寺院、神社、キリスト教会、モスク等)に訪れた時は
敬虔な信仰を持つ人や宗教施設、信仰を集める何かに対して最大限の「敬意」を持つし
それに即した行動をとるようにしている。
当然、寺社仏閣なら手を合わせてお参りするのは忘れない。
一部の不届き者(記事にあるゲームも含めて)が問題になるのは、「信仰心」よりこの「敬意」の欠如なのだと思う。
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今まで神社仏閣に行かなかった層が来るようになったのはまあ功績かも
>聖地巡礼
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さて今年の新作タイトルが来たわけだが…
天空璋はどの辺りの神話伝承をモチーフにして来るのかな?
タイトル的には天界関連の新情報来るかもね
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星とか星座って考察も聞くね
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過去作の元ネタを乱暴にまとめた
紅:吸血鬼
妖:西行伝説
永:竹取物語(+日本神話)
風:諏訪大社
地:ヤタガラスなど
星:信貴山縁起絵巻
神:聖徳太子(+道教)
輝:一寸法師
紺:羿関連の中国神話(+日本神話、ギリシャ神話)
そろそろ純粋な妖怪による異変が来ても良さそうだな
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璋:たま。圭(けい)を縦に半分に割ったもの。ひしゃく。
圭:古代中国で帝王が諸侯に与える先端の尖った玉の板。玉器の一種。
ってことで、緋想の剣みたいに四季を変えるほど強力な力を持った璋が出てくるのかも?
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璋ときいて自分が真っ先に思い浮かぶのは蜀の劉璋だけど三国志ネタはないだろうな
┌──────白河天皇
│ │
│ 堀河天皇←─?─→(雷鼓さん)
│ │
└┬待賢門院┬鳥羽天皇┬美福門院
│ 璋子 │ ↑ │ 得子(玉藻前・藍しゃま)
│ ↑ │ │ │ ↑
(崇徳天皇) │崇徳天皇│ 近衛天皇 │仕える
│ │ │
失恋│ 仕える│ 源頼政───→(ぬえちゃん)
│ │ 退治
└佐藤義清┘
│
西行の娘(ゆゆ様)
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しかし、「璋」の字が訓読みで「ひしゃく」と読むらしいが
これってどこから来た読みなのか調べてるんだが今ひとつ合点がいかない。
「璋瓚」という「圭を半分にした璋」を柄に使ったひしゃくが「詩経」に出てくるのは確認したが
この場合、ひしゃくの意味があるのは「瓚」の字のほうで
「璋瓚」は「璋を使って作ったひしゃく」という意味の言葉らしい。
他にも「圭瓚」というのがあるらしくこっちは「圭を使って作ったひしゃく」のようだ。
中国語のサイトも見たが
「璋」のほうには「半圭の玉器」
「瓚」のほうには「祭祀に使った酒具」とある。
手元にある漢和辞典も見てみたが
「璋」には「圭をたてに半分に割ったしゃく」用例として「璋瓚」は「玉製のひしゃく」とある
「瓚」には「祖先のみたまやまつりのときに酒をすすめる玉製のひしゃく」とある。
ちなみに、この辞典には「璋」に「ひしゃく」との読みがあるとの記載は無かった。
日本で何処かの段階で誰かが「璋」と「瓚」を取り違えて、それが普及したとかそんなんだろうか。
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>>22
俺は朱元璋だった…出て来られても困るんだけど
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柄杓で星って言ったら北斗七星じゃないの?
北斗七星は至る所で神格化されてそうだし
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天の本スレ曰く北斗七星は季節が変わっても一年中見えるらしいね
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北極星がずっと同じ位置から動かない(実は動いてるらしいけど)星ということに最初に気付いたのは誰なのだろう
よほど星空を見るのが好きな人だったのか
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船乗りと占星術師だろうねぇ
哲学が天文学に発展するよりも、暇を持て余したギリシャ人とか目印を欲しがった航海者が
見つけ出した時代の方が早そう
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確かに船に乗るのが仕事の人は方角を知るのは死活問題だしな
海の上では方向を知るための目印はかなり限られるし
灯台のない場所では北極星の他にはあとは高い山があるね
だから山の神様は航海安全の神様としての信仰もあるんだよね
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活用法はともかくとして四大文明あたりから神官レベルとかは知っていたかも
まあ、歳差運動があるので北極星も時代と共に別の星に移っていったようだが
そういや古代ギリシャ時代には南十字星が地中海でも見れたらしいね
Hidden starはこういう歳差運動で観測できなくなった星を指しているとかないかな。
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>>27
季節の運行を知ることに大きな意味を持つ文明だと
それが星の動きで分かるとなれば
星を観測する必然性が生まれる
エジプトの洪水なんかがそうだね
いったん必要が生じそれが専門知識として蓄積されるようになれば
関連したいろんなことに気付けるようになるんじゃないかな
>>28
哲学と天文学の関わりは
先にすでに星の運行の知識が蓄積されてるところに
哲学が世の運行の理屈を考えようとして星のことも取り込んだくらいのことじゃないか?
哲学から天文学には発展しないだろう
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天文学の始まりはそれこそ神話が語られるのと同時期だからね
哲学の創始をタレスと仮定しても
時代としてはかなり下った時期になる
ただ、アリストテレスあたりになると
仮説レベルの理論体型は自分の哲学から持ち込んでる節がある
アリストテレスの宇宙観、天動説のあたりがそれだね
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つか自然科学と哲学は現代ほど明確に分化してないのでは?
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ニュートンなんかオカルトでも有名人だったみたい
自然科学で神の力に迫る! って野心家でもあった
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現代哲学の構造主義も
文化人類学や言語学と密接に結び付いてるからねえ
哲学はその時代の潮流に敏感なんだよね
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\YES!/
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ケルトにはいわゆるヨーロッパ大陸に残る「大陸のケルト」と
イギリスやアイルランドに残る「島のケルト」があり、
これまで両者は、住む場所は違えど同じケルトとして認識されていた
一般的には、大陸のケルト人がブリテン島やアイルランドに渡ってそこにケルト人は住み着いたよ、ということになっていた
でもよくよく調べてみると、どうやら両者の間で色々な差異が見られて
「あれ?これ共通の言葉使ってるだけで実は全然違う文化なんじゃね?」
と言い出す研究者が出てきた
そして幾多の研究の積み重ねの結果、
結論としてはどうも島のケルトと言われていたものは
実はケルトとは別物だったということがわかってきたらしい
つまりアーサー王伝説も、クー・フーリンやフィン・マックールなどの英雄達が活躍するケルト神話も
実はみんなケルトじゃありませんでした!!!
ということらしいです
例えるなら、はるか未来の話、
中国と日本があった場所でそれぞれ発掘調査をおこなったとして
「どちらも共通の文字(漢字)を使ってる!
つまりどちらも同じ民族による同じ文化があった!!」
ってレベルの勘違いだったらしいです
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大陸のケルトの言語の再建も困難らしいな。もうケルトとは何ぞやって感じ?
言語の配置と人種の配置ってのも昔から大きくずれるようで、血が入れ替わらずに言語が入れ替わるのも何時ものことみたい
言語側と血縁側のどっちを先祖と見做すかとなると、人や社会集団や時代によって異なったり、両方としか言いようのない状態だったり
幻想塗れで面白いことよ。洒落にならない事態もよくあるんだけど
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大阪城とか完全に豊臣の城を埋めて徳川の城を作ったのに江戸自体の内にそのことが忘れられたっつうんだから忘れやすいものだなと思った
>>37の例え話から思ったが、中国も日本も滅んでて日本の末裔っぽい集団が古代中国文明の末裔と自他ともに認めてた所に
最新の研究では中国と日本、はっきり言って別物だわと言われてもピンとこねえだろうな
まして中国と日本が生き残ってる可能性世界では相互に対立しとると聞かされたってそんなこと言われてもという反応になりそう
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逆に大陸のケルトってなんか有名な逸話とか伝承あったっけ?
アルミニウスとかのガリア、ゲルマン人はそっちの枠?
精霊とか妖精信仰する森の中のケルト信仰は大陸側だよねたぶん
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ローマと壮絶に対決したガリア人がケルトだわな、ウェルキンゲトリクス(偉大な戦士王という名前)とか
ケルトとは何ぞや、誰が誰をケルトと呼んだのかって事柄でも項目立ってるな
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Names_of_the_Celts
ケルト、ガリア、ゴールってのも大体同じような一寸ずれてるようなって感じみたいやし
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>>40
妖精は島のケルトの方でも存在してたし
ケルト以外のギリシャや北欧神話でも見られたから
ヨーロッパ全体に普遍的に見られた概念なんじゃないかな
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璋の字でまず浮かんだのが>>22にもある待賢門院さんだったのだが
天空璋6ボスに「後戸の神」意外に崇徳院要素を感じるのは自分だけだろうか
・タイトルの璋―崇徳院の母 待賢門院「璋」子
・会話中の天狗と祖を同じくする云々―恨みのあまり天狗と化した逸話あり
・名前の「隠岐」奈―配流のイメージ
崇徳院は讃岐で隠岐は後鳥羽上皇や後醍醐天皇だけど
こじつけかもしれないし、とっくにどこかで既出かもしれないけれども
思いついたのでなんとなく
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新作で神様関係の専門書が売れてるんだってW
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上でケルトの話題が出てたけど「ブレンダンとケルズの秘密」というアイルランドのアニメ映画を観る機会がありなかなか面白かった
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NHKの日本人のおなまえ結構面白いな
苗字には歴史があるねぇ
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幻想郷は被差別民の集まり…て設定はやばくないか?
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射命丸がシュメールだとかヘブライ神族とヤマト神族の鬩ぎ合いとかすき
窮地に陥ったヘブライ神族の奥の手が仏教や神道の姿をとった唯一神たる摩多羅神だった・・・?
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守矢→モレヤ→失われた10氏族
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ダグザとオメテオトルと摩多羅神
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マグダラから摩多羅になった線と
マハカーラ(マンダラ)マーラ摩多羅になった線と
もしかしたら両方組んでそうなきがするんだが
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>>47
朝廷勤めしてない田舎の陰陽師も差別されてたっちゃされてたしね
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被差別民の信仰ってのはそれだけで本一冊にはおさまらないぐらい民俗学の面白いテーマの1つだからね
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俺は世間の主流派と思ってるような者が行き来不能に隔絶されたら耐えられんでしょうし
それ以前に妖怪がやたら多い事が特色の辺境に住みたいとは思わんでしょうね
被差別民かどうかはさておき変わった者の集まりにならざるを得ない
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いわゆる芸能民も被差別民だったようだから
世阿弥とか観阿弥とかあのあたりも被差別民側なんだよな
現代でも芸者とか芸能人とか芸人とか花形にみえる仕事でも
どこかでその仕事を下に見る意識が残ってるんだよな
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芸能は仏教や神道の儀式からできたものが多いから常人とは違う力を持っていたと思われて
それに対する恐れから特に西日本では「夙の民」として地理的な境界(スク)に住まわされ差別された
彼らが信仰したのが夙の神・スクの神すなわち「宿神」
また面を使う猿楽民には面に宿るとされた神「翁」への信仰があったことと
日本における芸能の祖として「秦河勝」への信仰があったことから
「宿神=翁=秦河勝」という図式ができあがった
さらに多武峰の猿楽者は「後戸で行う猿楽」が「後戸の神=摩多羅神」へ祈る儀式であるという天台密教の考えを取り入れた考え方をして
それがはっきりと言葉にされないまま広まったので
「摩多羅神=宿神=芸能の神」という扱いになったんだとか
服部幸雄の「宿神論」読んだ人いる?
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未だに根強く残ってる部落と宿の民、河原者に委ねられた胞衣の儀式を包めた処理の信仰を
一手に担う神ってのも凄いよね。宇賀神としての潔と厄神としての穢の二面性に未詳の妻と河勝の融合した両性含有とかさ、もう大元のアルダーナーリーみたいだね
チャームンダー或いはパールヴァティーとシヴァ或いはマハカーラっていうね、考えてるだけでも楽しいね摩多羅神の由来って
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丁禮多・爾子多の由来ってなんだろうね
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>>56
面白いな、勉強になった
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芸能の神と言われたら、個人的にはそれこそインド神話好きの>>57が好きそうな七福神の弁天様のイメージだな
弁財天がザイの音から財産系の信仰を得るまでは弁才天、つまり音楽や詩作なんかの芸術、あと学問における才能の神としての性格が強かったそうだ
元々サラスバティー時代にも流れる川の化身→流れる音や知識や言葉の神としての性格を獲得して言葉の神ヴァーチを習合しかけたりと色んな神性を獲得して増やしていく性質が強かった
日本に入ってからは吉祥天や前述の財産なんかの信仰も取り込んでほぼ万象の神として流れる水の周りで祭られるようになった
サラスバティーはゾロアスターのアナーヒターとも同源のかなり古い神だそうだ
結構摩多羅神と似てるところがあるんじゃないか、とも思う
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>>56
これあれだな、宿神は単一の神っていうか、習合されすぎてもはや神のジャンルの一つみたいになってるんだな
あるいはミシャグジや塞の神にも繋がる、一種の全体郡系的などこまでがどの神なのかが曖昧な、「繋がった神様」?
どっちにしても面白い
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つーか、差別がないと妖怪は恐れてもらえなくなるぞ
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正直神主の本棚が見たいW
毎度おもうけどどこで知識を仕入れてくるんだろう
ブレーンでも居たりして
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>>63
ブレーンが居て補えるのは知識量くらいだろう
知識量そのものより
知識欲や、同じ資料を目にしてもそこから何を汲み取るかという知的好奇心などの差じゃないかな
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>>63
一冊の本から得られる知識量って信じられないほど多いからな、小説じゃなく資料としての書籍だと本当に多い
ネットを参考文献や引用元の参照に使えばどんどん見つかるし、過去に得た知識の断片と新しい知識を繋ぎ合わせてるんだろう
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一般人が仕事に充てる時間を学習に回せるとしたらそれだけでも相当な物だしなー
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何だかんだドレミーとセットで初期から暖めてたネタにも感じるんだよねぇ
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>>67 そんなに褒めると神主がドレ口で笑うぞw
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まあ、実際二軒目ラジオで
(天空璋で)「ずっとやりたかったことがやっと」と発言してたから
実際、摩多羅神を出すことは前々から暖めていたんじゃないかね
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>>66
そこらは職業小説家や漫画家にだって取材や学習の時間はあるわけで
つまるところ神主のセンスや
ひとつの情報源からいろんなものを受け取ったり他のものに有機的につなげる知性ゆえだろな
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将来民俗学や宗教学の先生で「きっかけは東方でした」なんて人が出てきたりしてW
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年齢的に学部生レベルならもういるだろうね
教授になってまで言いふらすのはそれはそれでダサいからやらないと思うけど
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ジブリ(もののけなど)や大塚英志(MADARA)がきっかけの1つって人は
実際いくらか居るだろうしな
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この調子で誰か魅魔様の元ネタ掘り下げてよ
ほんとにあれ悪霊なの サタン様っぽくね
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格好はウィッチ
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サタンじゃなくてサンタだったりして
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東中野で上映中の映画「ある精肉店の話」
なかなか面白かった。
関西の、食肉関連の作品だけに被差別の話は避けられない…
魔多羅様は出て来ないけど牛馬を処理してきた集団が太鼓の作製に深く関わっていたのは興味深い(同じ被差別の遊芸民との関わりもあるのだろう)。
あと太鼓の革張りが大変な重労働とは知らなかった。
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「えんがちょの向こう側」って表現は良いよね
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昨日今日と入場待ちの時間に「闇の摩多羅神」読んでるけど思った以上につかみ所がないというか
「『摩多羅神』(この表記だけでも数パターンある)と呼ばれることもあるよく分からない神格」を手探りで
追跡してる感じだな
あと新規のあとがき読んでなんか気恥ずかしいというか申し訳ない気持ちに…
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魍魎戦記OKINA
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>>74
夢時空だと襟に十字が描いてある
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今回の新キャラはこのスレ的な視点だとどうなのか
姉は一般的なイメージを持ってると思うけど
妹の方は何か明確な元がないとあんな風にはならない気がした
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>>79
俺は元ネタそのものが存在しないと思ってる派
事実として真言宗では玄旨帰命壇における摩多羅神の機能を
既存密教尊格の聖天(≒荒神)とダキニが担ったわけなので
つまり外付けモジュールよろしく後付けで機能をどんどん追加したんじゃないかと
新潮流をブチ上げる上でビッグネームを使うには憚りがあったから
手ごろな無名選手をプロデュースして大スターに押し上げた
いわば「作られた尊格」のようにしか見えない
知ってるとこでは醍醐寺の清瀧権現が似たようなプロデュース受けてる
現在ではほとんど失われた信仰らしいが資料だけは残ってるらしく
密教大辞典とか醍醐寺関係の資料を漁ると
金胎不二の秘仏として重要視されていたらしいことが出てくる
これもまったく遡れない
でも、たぶんメタル/ハードコア系の摩多羅とは違って
同じ路線でも清純派アイドルでプロデュースしたかったんだろうなってことぐらいはわかる
(聖天とかダキニが絡んでこないくせに正体は一対の蛇と如意宝珠で明らかに生命賛歌の色合いがある)
ぶっちゃけアイドルの後ろを探って
神話性/歴史性を見出すのは不可能なんじゃないかなぁって話だ
だって元を探ると一般神だし・・・
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連レスだけどスマン
どうせ人来ないしいいよね・・・?
>>57
荒神を追いかけてくと捗るぞ
ほぼほぼインドにおけるアウトカーストの信仰史に似通った
辺境とタブーの恐るべき力とゆるふわホラーがゴアを隠されて公に受容されるまでの歴史だ
ヒンドゥー好きなら「日本にもインドがあったんだ!」って喜んでもらえると思う
書籍高いけどな・・・
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引用されてる中世の史料の記述みたいな信仰があったのかどうかも正直怪しく思えるよね
その当時既に正体不明だった(というより>>83も言ってるように実体がなかった)のをいいことに
都合よく名前が使われて後代誤解というか拡大解釈が定着していったような…
ただ神主さんホントに面白い神様に目を付けたなとは感心する
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邪教だからと言って資料まで全部燃やしたのが悪いわ
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邪推されようとも曖昧にしたほうがマシという判断なのか、完璧に消せる俺ならやれる(無根拠な自信)なのか、テンパって闇雲に消したのか
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中世だしなぁ・・・
ご近所の鞍馬の僧正様なんかも唐突にポンと表れてるんだろ?
「これからの天狗は鼻高だよ(確信)」みたいな感じで
だから俺の中で妖怪の山の僧正坊は白髪天才ギーク少女
>>87
ぶっちゃけ思想自体は形を変えて現代まで残ったらしいのがなんとも
さすがに直接的な言及してる論文は知らないが
柱源神法はどう考えてもこの手の系譜を汲んでそうだし
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>>85
マイノリティ、あるいは伝統的だけどマイナーな信仰が
(当時としては)現代のメジャーなものに仮託されるってのは
本地垂迹の畑では当たり前のことだけども
それでも(地名)権現とか(地名)菩薩みたいに
限界まで個性を希釈されても個性を失うってことは無いんだよな
摩多羅神の場合は「これどう見ても梵語じゃん・・・」ってのが先にあって
(ちな、一本ダタラは魔王信仰へ鬼神は権現あるいは天狗へ
タブーを扱う「荒々しい神霊」は荒神あるいは天神へ改称、例外で牛頭天王/スサノオ
独立独歩の代表格諏訪・三輪は明神、さらに三輪は両部神道の方向へ派生している
なのでまったく名前を変えて梵語を名乗る時点で、いわゆる被差別民の信仰のスタンダードからも外れている)
だから「どこがどうしてこうなったの・・・」ってみんな頭を悩ましてるんだと思う
マタラがアヌンナキ語とかだったら爆笑するが
そうじゃないかぎりまず密教由来の梵語だろうからなぁ
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普通は他のメジャーな神様と混ざるにしても御利益なり名前なり
何かしら共通点がある…のでは?と思っちゃうんだけど…
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共通点はむしろ無いことのが多くない?
「輸入された神が既存の神の別名として扱われる、またはその逆」ってパターンと、神性そのものが新たに足される場合はまた違ってくるし
後者の場合は共通項があるから、というよりむしろ共通項がないから、足りない要素を補うように、その場において必要とされた神性を獲得する(or吸収する)ってパターンかと
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共通点探す方が、説得力もあるし面白いしね。
蛮神はそういう無い故の付与的な考えも有りと思うけど
それだったら語るべきは、どうしてそこまでして受け入れたのかだね。
摩多羅神はあまり調べてないから安直に天台宗で円仁の権力を示したかったのか
新派でも作ろうとしたのかな?位にしか考えが及ばない
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>>92
まず前提として確認しときたいのが
・比叡山の最高の信仰対象は伝教大師(最澄)
・実務上のトップは慈覚大師(円仁、山門派の台密の祖)
・円仁と並び立つ地位として寺門派の智証大師(円珍)が居る
・葛川の相応という野良行者からトップに上り詰めた凄まじい野良高僧の影響がある
うん、最後のは置いとくとしても
比叡山における円仁の地位はどうあっても揺らぎないんだわ
円珍の寺門派が比叡山を出て行って
それでも完全に密教化した後の時代の話だから
わざわざ「円仁派」を立ち上げる必要は無いように思える
(ここで阿弥陀信仰とか天台の法華一乗とか絡んでくるのがややこしいところではあるが)
それでも「なぜ摩多羅神を採用する必要があったのか」っていうのは謎なんだよなぁ
東密(真言側)ではダキニと荒神だったわけで、この辺が天台の厄介さに起因するものなんだろうか
相応和尚から周縁の信仰史に繋がってくるの、ほんとロマンあるよなぁあの山
宇賀神とかも絡んできそうだし
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闇の摩多心読み終わったが「園城寺の新羅明神と延暦寺の赤山明神は元々同じ神様では?」って話に混乱
確かに同じ宗派だからそれはそれで説得力ある気がする一方なんかそれじゃ右手と左手が喧嘩してるような
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経典を持って帰ったんじゃなくて学んできて伝えただけだから
同じ神だと気づいてなかったのかもしれないし
気づいてたとしても解釈の違いみたいなものがあったんじゃないの
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>>94
あー、でもありえるかも
上でもレスした通り、聖護院のほうと教義上の相似性というか
どうも周縁部分で密接な交流があったらしいから・・・
本覚思想と陰陽を性差/生命力に仮託した思想っていうと
どうしてもこの時代にまで帰ってきちゃうので資料は残ってないらしいけど
まったくの無関係を主張するのは無理じゃないかなぁと細々思う
鞍馬愛宕までバリバリ絡んでくるから叡山の周縁史は大混乱でござる
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ごめんつい
ちなみに闇の摩多神読んでないので
自分の知識だけの見解だったりする
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購入したときは店員さんが在庫引っぱりだしてきてくれた駅前の書店で今平積みになってたりするんで
良かったら買ってあげて
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>>69
2軒目ラジオの「ようやくここで」的な発言だけど、
おそらく星蓮船(信貴山)→大戦争(秦河勝)→神霊廟(聖徳太子)→心綺楼(秦こころ)の流れのことだと思う。
闇の摩多羅神の初版が確か地霊殿後くらいだったと思うから2009年あたりで摩多羅神の知識を得てってことかな。
賢者ネタとして前々からやりたかったって言う可能性もあるけど、紫の頃(蓬紅妖永構想時)に摩多羅神が賢者という考えは無かったんじゃないかな。
「これまでの東方は宗教、これからはパワーバランス」とも発言してるし、風神録からの宗教ネタを締めるという意味かも。
摩多羅神は宗教ネタの締めのようなもので、これからのパワーバランスネタの為に後戸によるパワーの調整という賢者の立場を与えたのかもね。
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てかラルバが普通の妖精って判ったからチルノの秦河勝の謎がさらに深まった
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スクナビコナも常世の亘り手として摩多羅神に通ずるよな
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国作りと幻想郷作り
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>>102
現にマハカーラ⇒大黒天⇒大国主と習合されてる
あと秦河勝とその妻も比翼(おしどり夫婦)のシンボルとして摩多羅神に反映されてるけど
大黒天とパールヴァティが融合した姿ってのもシャクティー派にあるからベースとしては多分それも準えてるのかな
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公式な幻想郷地図ができるらしい
生活規模とかわかるかな
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公式というか考察って感じだったな
それはそれで面白かった
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塩見 鮮一郎 中世の貧民―説経師と廻国芸人 (文春新書) に摩多羅神について言及あり
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>>106
なんか目新しいネタとかあったら教えてくれ
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新潟県立歴史博物館の企画展「浮世絵で見る! お化け図鑑」を観覧した。
著名な浮世絵ばかりだが、土蜘蛛や酒呑童子など見られて良かった。
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世阿弥著「風姿花伝」より
秦河勝は始皇帝の生まれ変わり説があるらしい……
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聖徳太子と地蔵菩薩を祀った西行寺という古寺が埼玉県にあったが
古墳の傍に築かれた寺だったので明治期に廃されてしまったという
さらにその古墳の頂には十王堂があったとされる
まるで東方の二次創作みたいな話だが
天保年間に成立した書物にも記録があるので
太子信仰と地蔵・閻魔信仰が融合していたのは事実のようだ
西行寺の由緒譚には山背大兄王が死を偽装して仙人となり西方に飛び去ったという伝承もあって
尸解仙ネタもしっかり拾っており実に芸が細かいw
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スレチかも知れんがあとこじつけしまくりだが調べてたら東方の龍神とオセアニア辺りの虹蛇って共通点多いと思ったので
まず虹蛇が何もいない世界で寂しくなって地を攪拌したり潜ったりして天地開闢するタイプの虹蛇神話は龍神が虹の七色を退屈な調和の取れた世界に持ち込んだのと似ている気がする
他にも空に虹を残したり雨を降らせたりとか共通点は多い
ここからはほんとにこじつけだが虹蛇の中で世界蛇として存在しているのはインド神話のシェーシャ、攪拌で天地を開闢したのは同じくヴァスキに似ていると感じた そこからヴァスキが日本に伝わって民間神話を吸収して日本最大の九頭竜大神になったと考えれば虹蛇が日本の幻想郷で最高神をやっててもおかしくないのではないかと
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東方綺想板の方に次スレ立てましたー
東方好きなら民俗とか神話とかまったり語りたいだろ【其の参拾】
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/25121/1613241513/
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/、;:;:;:;:``;:ー骨 カス;:;:;:;:;|;:;:;l
/ ``―-:z、、;:;:;:;:;:;`'ー-+-┤
i ` ‐- 、_/_l
.| :::ヽ
| :::::;;;、",r'''゛゛~''i ` ,r'::゛ヘ〉
iッ :;;、ヾ ゙i 、ノ ヽ、 :;{,
゙i ゛'-゙ ゛'''゙ `,;;゙ ./ヽ `'i コンテンツを消費していいのは製作者だけだよ
ヽ ヾ'-ー-..,,_ ..::;; i, _、i (′ それ以外の人が消費すんなよと思う
'ゝ -ー゙i ゛'ト _ ,_、,、,_,_,〈
, ィ^l 'i、 (,::jトj,i゙tt,j,j,j.j.i′
/:.:.ヽ\ ヽ ヾ,ftrr,r,r,rイ,
,rく__:.:.:.`丶ヽ、゛-..,,_ ゛'`゛' ゙{
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,, - '"´ `丶、、`` ー`≧―`ミニ=-ァ≦ー--、
r''" , -‐ヽ、 ヽ、丶、_ _,ノ \
{, /:.:.:.:.:.:.:.\ \ ヽ.`  ̄ ̄ ´ ヽ \
┼ヽ -|r‐、. | 干 二、.
d⌒) ./| _ノ | d- __ノ
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