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イ結ぶ這鏡のようです
60
:
名無しさん
:2019/01/04(金) 20:03:37 ID:9XcUMWvA0
本日は以上です。つづきは後日
61
:
名無しさん
:2019/01/04(金) 21:09:12 ID:BnSFA63s0
乙
62
:
名無しさん
:2019/01/05(土) 00:04:27 ID:nM/yVSeE0
乙
いまから読む
63
:
名無しさん
:2019/01/05(土) 01:04:59 ID:eaWmVeAY0
お姉ちゃん好き
乙
64
:
名無しさん
:2019/01/05(土) 01:21:46 ID:k87mqjmw0
誰を殺すんだ……乙
65
:
名無しさん
:2019/01/05(土) 07:06:40 ID:yM4cS8UY0
乙
66
:
名無しさん
:2019/01/05(土) 22:21:06 ID:VVuk8q1Q0
乙
中々読み応えがあって面白いな
さて、どうなることやら
67
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:34:04 ID:XQUaX1fU0
二
這ナギは、日鏡巻山を挟んで西と東に分かれていた。
この西と東は同じくヒメミ信仰を持ち、そして、伝統的に相容れなかった。
西も東も自分たちこそヒメミ様の加護を受けた正当なヒメミの民であると主張し、
自分たちこそ這ナギであって、互いのことを西、東と方角だけで呼称していた。
西にとっての東は、東にとっての西は、
這ナギの外に住む“よそもん”に過ぎなかった。
その這ナギの東が滅んだのが、“今”より二年前。
疫病によって、東の人間は九割以上が死んだ。
既に東の跡地に人は住んでおらず、生き残った者は別の土地に移り住んだか、
自力で他所へと行けない者は西へと吸収された。
親を亡くした孤児たちも、同様だった。
しかし西における彼らの扱いは極端に悪く、孤児らは学校に通うことも、
人が寄り集まる場所に顔を出すことも禁じられた。
商店では人が来なくなると野良犬か何かの如くに追い払われ、
田畑に近づけば作物に疫が移ると石を投げられた。
初めは一五人からいた孤児たちの数は、一年も経たずに半数ほどまでへと減じていた。
それは、病だけが理由ではなかった。
68
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:34:26 ID:XQUaX1fU0
その境涯を哀れに思った内藤が“今”より一年前、
残った孤児たちを引き取りそして、“今”に至る。
お姉ちゃんは孤児ではないが、東から移り住んできた者の一人ではあった。
お姉ちゃんは東で、ヒメミの姫と信じられていた……らしい。
そう、あの蛇霊神話に登場する、神の鱗の一枚が人の形を採ったという、現人神。
現人神の役目は疫の因を見つけ出し、それを這ナギの民と共に排し、
最後に神の御下へと還ること。すなわち――死ること。
お姉ちゃんは死ぬことを願われ、求められ、そして――
負わされた期待に反転するだけの憎悪を、その双肩に背負わされた。
生き残った。ただそれだけの理由によって。
東の生き残りは、本気で信じている――いや、信じたがっているのだ。
あの惨状は、お姉ちゃんが死ななかったから起こったのだと。
お姉ちゃんが死ななかったから、東は滅んだのだと。
お姉ちゃんが死ねば、みんなは助かったのだと。
お姉ちゃんが、みんなを殺したのだと。
.
69
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:34:46 ID:XQUaX1fU0
神など、いるものか。
.
70
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:35:32 ID:XQUaX1fU0
「なんでこいつがいるんだよぅ」
「やー、それはですね、あのー……あは、あはは……」
不機嫌さも顕にキュートへ詰め寄るいように対し、
キュートは困り顔でこちらに助けを求めている。
その求めに対し俺は、そっぽを向いて無視を貫き通す。
視界の端にキュートの、へらへらと角の上がった口の端が仄見えた。
「いようくん」
怒気散らすいようの声に、別の声が覆いかぶさる。
やさしくて、やわらかで、暖かなその声。
「勝手に来てしまってごめんね。でも、私も手伝いたいの。
りりちゃんの笑顔が見たいから。だから、ね、お願い。
私にも手伝わせてもらえないかな」
お姉ちゃん――しぃお姉ちゃん。
71
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:36:18 ID:XQUaX1fU0
いようが口を開き、何かを言いかけた。
しかしそれは意味持つ言葉とはならず、代わりにいようは鼻を鳴らし、
一人地を蹴り山を登り始めていってしまった。
慌てたキュートが呼び止めの言葉を発しながら、その後を追っていく。
「私達も行こうか」
お姉ちゃんが、俺に手を差し出した。
「……うん」
俺はその手を――躊躇いながら、握った。強く、硬く。
絶対に離さないという意思を、“今”この場で感じる熱へと込め伝えるようにして。
意思ぶつけることで、その裏に秘する真実を隠すようにして。
お姉ちゃんは、やさしく握り返してくれた。
72
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:37:05 ID:XQUaX1fU0
キュートとの約束から無事に三日を過ごし暮らせた俺はいま、
約束通りカカ山にいる。メンバーは結局四人。
いようと、キュートと、俺と、そして、お姉ちゃん。
いようはともかく、他の孤児たちはまだ小さい。
誕生日会についてりり本人には(少なくともここで調達するものについては)
内緒にしておきたいといういようの意向を汲むならば、
人選についてはこれ以外にないと言えた。……理由のひとつは、以上の通りとなる。
俺たちは手分けして、誕生日会の準備に必要なものを集めていった。
這ナギに住む者たちは、祝い事に用いる道具や飾り付けなども、
その殆どをカカ山から調達する。
樹の実や地から生える植物は、そのまま飾り付けることも可能だし、
染色にも利用できる。そしてこれらは山のどこでも見かけることが出来るので、
必要な量を集めるのも容易だった。実際この工程は俺たち子供四人でも、
一時間も経たずに終えることが出来た。
問題は、カカメ石。
この日鏡巻山では、他所では見られない特別な石を採ることが出来る。
それが蛇目<カカメ>石。蛇の目のように――鏡のように、光を反射する石。
這ナギではこのカカメ石を家族や恩人、あるいは婚約を願う相手など、
何より大切に思う相手へと送る風習が、古くから伝わっている。
73
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:37:31 ID:XQUaX1fU0
しかし自然に転がっているカカメ石は小川の側に転がる
変哲のないただの砂利と見分けがつかず、おまけにその絶対数も少ない。
水に濡らし、完全に乾かすことで光の反射という特徴を発揮し始めるが、
その効果は余りにも弱く、おまけに僅かな期間を過ぎればその微小な効果すら失う。
無数の砂利の中から本命の一を見つけ出すことは、至難の業だった。
更に相手へ送る風習としてのカカメ石は、
見つけ拾ってそれで終わりというものではない。
磨くに適した砥石等を用いて加工しなければ、この石に贈り物としての意味はない。
丹念に研ぎ、磨くことで始めてカカメ石は、
その名が示す“かかやき”を恒久的に得るのである。
無論、そこまでの加工を施すのは容易なことではない。
作業自体は単純でも、とかく時間と労力が必要となる。
しかしだからこそ贈り主は相手への想いはより強く自覚し、
贈られた側にとってもその喜びは通り一遍を越えた望外のものになる――
と、這ナギでは信じられている。
キュートは、そしていようは、今度の誕生日会においてこれを、
りりへと渡すつもりでいるらしかった。かつて彼女の両親が、
“今”よりも幼い彼女に贈ったのと同じように。
当然、それは俺の目的ではない。りりに対する思い入れは、俺にはない。
それはキュートが、あるいはいようが勝手に抱いていればよいものだ。
俺が想い抱く相手は、唯一人。俺がここにいる理由は、別にある。
だが――。
74
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:38:05 ID:XQUaX1fU0
「やー……それにしても、ぜんっぜん見つかりませんねー」
「……」
「……」
「そうだね、見つからないね」
「……」
「……」
「……こ、こんなに見つからないなんて……もしかして、
もう全部採り尽くされっちゃったのかもしれませんねー?
なーんて……」
「……」
「……」
「そうだね、そうかもしれないね」
「……」
「……」
「……えへ、へへへ」
75
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:39:01 ID:XQUaX1fU0
キュートがしゃべり、俺といようは無言で、お姉ちゃんだけが反応する。沈黙。
再びキュートがしゃべり、俺といようは無言で、お姉ちゃんだけが反応する。沈黙。
時折、キュートの意味のなさない笑い声が山中に響く。
――先程からずっと、この調子だった。
お姉ちゃんを誘ったのは、俺だ。
目的は一つ。お姉ちゃんといようの仲を縮めること。
歴史の改変が確定した、その後の為に。
その為に、りりの誕生日会とその準備という状況を利用する。
つまり共通の目的を持たせ、そこに発生する困難と障害とを乗り越えさせることで、
強制的に親密度を高めるという方法。それが、俺の考えた計画だった。
カカメ石の探索と研磨はこの計画に最適な困難であると、俺は判断した。
故にお姉ちゃんを、ここへ呼んだのだ。
「あ、あのー……もしこのまま見つからなかったら
……ど、どうしましょっか?」
「……」
「……」
「あ、そうですよね。見つかるまで続けますよね、へへへ、
何当たり前のこと言ってんですかねボクは、ほんとにもー、
いやになっちゃいますよねー、なんて――」
「うるさい」
「黙れ」
「あう……ごめんなさい……」
76
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:39:25 ID:XQUaX1fU0
謝りながら、へらへらとキュートは笑う。
苛立ちが募っていた。俺は一体、何をしているのか。
ここまで来たら、俺の目論見が見当はずれであったことはもはや明確だ。
しゃべるは一人、キュートばかり。いようは露骨にお姉ちゃんから距離を取り、接触は皆無。
お姉ちゃんにしても、積極的に何かをする人ではない。
そもそもこの計画の概要を話していないのだから、
当たり前といえば当たり前の話なのだが。
とはいえ、俺の身に起こった現象<過去戻り>を、
お姉ちゃんに話すことはできない。結末が“あのような形”になる以上、
お姉ちゃんにだけは、何があっても知られるわけにはいかない。
その危険性は、可能な限り排除しなければならない。
すべては秘密裏に行わなければならない。
しかし、ならどうすれば人と人との間に友人関係を築かせることができるのか。
人と人は何によって友となるのか。俺には解らない。解るはずもない。
それじゃあ何故、俺はここにいる?
……こんなのは、時間の浪費だ。
77
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:39:52 ID:XQUaX1fU0
「ねえみんな、少し休憩してもいいのではないかしら?」
小川の水を浴びて衣服の所々を濡らしたお姉ちゃんが、
いようを、キュートを、そして俺を見て、言った。
水鏡のように澄んだ瞳が、俺の目の奥を覗き込むようにしている。
ダメだ。
「ああ、いいですね、いいですね!
ずっと屈んでたからボクなんてほら、アイタタタ……もう限界だったんですよ。
休憩は大事ですよ、休みましょ、休みましょ!」
老人のように腰を曲げて痛みをアピールするキュートを見て、お姉ちゃんが微笑む。
微笑まれたキュートはしかし、何を思ったのか、
ばつの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。それはおよそ、
俺の知っている限りでのキュートらしさからはかけ離れた行為だった。
調子の良さそうな顔をしている裏ではやはりこいつも、
お姉ちゃんが憎いのだろう。
お姉ちゃん。
78
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:40:30 ID:XQUaX1fU0
「勝手に休んでろよぅ」
腕をまくり足をまくり、完全に足を小川に突っ込んだいようは、
お姉ちゃんやキュートを一瞥することもなくぶっきらぼうに言い放った。
まだ小さな身体のいようはその見た目の非成熟さとは裏腹に、
急流の小川にもひるむこと無くしっかとその足を根として立っている。
そしてその言葉通り休むこと無く、
こちらに背を向けて一人黙々と探索作業を続けていた。
お姉ちゃんといようとの距離は、物理的にも、遠ざかっていった。
その光景を見て、俺は――。
「ドクオくん……?」
小川から遠ざかる俺に、お姉ちゃんが声を掛けてくる。
俺はちらとお姉ちゃんをみて、すぐに視線を外した。
「少し」とだけ言って、その場から立ち去ろうとした。
「あ、それじゃボクも――」
何を考えてか、立ち去ろうとする俺の後を、
キュートが付いて来ようとしてきた。
振り向き、視線を送る。今度は視線を外さない。
「お、お呼びじゃないですよねー……」
逆にキュートは俺の視線と無言の圧にに耐えられなかったようで、
目を泳がせて視線を外した。
それを確認し、俺は今度こそその場から離れていった。
.
79
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:41:10 ID:XQUaX1fU0
山を歩いた。一人で。当て所無く。空気を吸い込む。
勢いよく。緑の味を感じながら。しかし、気分は優れなかった。
――気分が、すこぶる悪かった。
三日前、キュートに今回の事で誘われた時に感じた、あの目眩。
あの目眩を感じて以降ずっと――むしろ日が経つごとに、体調は悪化していた。
いまや目眩だけでなく、吐き気や悪寒、そして意識の漠とした減退を感じた。
それでも今朝は、まだマシだった。
係る不安は、目的を基盤とした意思によって抑制することができた。
だが、山を登り。お姉ちゃんといようの仲を取り持つ方法が
不発に終わったと感じ、その対案が一切考えつかなかった時に、
ふと、思ってしまった。
ダメかもしれない、“また”――と。
そう思ったら、押さえつけていた諸々が、一気に噴出した。
立っていることすら困難で、顔色も、もしかしたら酷いものに
なっているかもしれない。そんな姿を、お姉ちゃんに見られるわけにはいかなかった。
だから俺は、あの場を離れた。行き先は、どこでも良かった。
だが、よりにもよって、ここへたどり着くとは思わなかった。
80
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:41:41 ID:XQUaX1fU0
日鏡巻山は基本的に、なだらかな道が多い。
子供でも就学するくらいの年齢であれば登山はたやすく、
そのため一般的な這ナギの大人は、子供がカカ山を登ることを禁じない。
ただしその中でもいくつか、近寄ってはならないと言われる場所がある。
一つは、山頂のヒメミ湖。これは信仰的な意味合いによって、
みだりに近づくべきではないと禁じているため。
もうひとつは、小川付近。
これは流れの強い箇所があり、単純に危険であるから
(往々にして子どもたちは、そんな大人の忠告を無視するものだが)。
そして最後が、“今”俺がこの目に映している、『蜷局<とぐろ>の溝』。
このカカ山で最も危険な場所。脆く、崩れやすい岩盤が切り立つ崖。
地上との距離も遠く、転落すればまず助からない。
故にこそここでは、人死が絶えない。
他殺に関わらず、自殺に関わらず、人が死ぬ場所。
下を、覗き込む。
自然、手が、片目に触れた。
片側の視界で、遠く離れた底の底を見つめる。
“今”はなきものを、その痕跡を、そこに、見る――。
81
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:42:07 ID:XQUaX1fU0
助けて!
.
82
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:42:47 ID:XQUaX1fU0
目眩がした。視界が翻った。
天地が逆さまになる。浮遊感。現実との乖離。
そしてそのまま、俺は、地上へ――。
「危ない!」
何かがぶつかって、直後、強く引っ張られた。
倒れる。地面に。遠く離れた地上に――では、ない。
何事もなく、尻と腰を打ち付けた痛みを感じる程度で済む、ただの地面に。
呼吸音が聞こえた。自分の。そして、他人の。
すぐ隣から、それは聞こえてきた。
隣に、俺と同じような格好で地面に倒れている人物がいた。
そこには、キュートがいた。キュートが、俺の視線に気づいた。
「い、いや、あの……中々もどられないので、
何かあったのかなーと、そう、そう思いまして!」
あたふたと、いつもの調子でキュートは弁解を始める。
これまでとは比較にならない程に強い何かが、浮かび上がってきた。
「身投げでもすると思ったか?」
「い、いや、そんなことはー……」
あはは……と、キュートはまた笑う。
俺は、そのにやけ面のすぐ下――キュートの首へと、手を伸ばした。
83
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:43:36 ID:XQUaX1fU0
「え、あの、ど、ドクオさん?」
力を込める。起こしたキュートの上半身が、再び地面に倒れる。
俺はその上にまたがり、両手で彼女の首に圧を加えた。
かすかに。ほとんど、それと感じない程度に。ゆっくりと、真綿で絞めるように。
キュートはただ、困ったように、笑っていた。
ああ、こいつ、本当に、似てやがる。
「……虫」
「え、あ、はい……?」
「虫が、這っていた」
「……あ、はい! 虫! 虫ですか!
そうですよね、虫、虫かー! そっかー!」
84
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:44:07 ID:XQUaX1fU0
「……」
「……あ、あの、虫、どう、なりました……?」
「死んだ」
「そ、そう、ですかー。死んじゃったかー、そっかー……」
「……」
「それなら、その……そろそろどいてもらえると、
あの、ありがたいなー……なんて」
「……」
「へへ、えへへ……」
「……なあ」
「は、はい? なんでしょう?」
「お前は、もし俺が……」
「ドクオ、さんが……?」
「おれが――」
――悲鳴が、山中を木霊した。
85
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:44:27 ID:XQUaX1fU0
お姉ちゃん!
キュートの首から手を離し、立ち上がって、駆け出した。
悲鳴。女の。誰のものかは判然としない。しかしキュートを除けば、
“今”この山にいるのはお姉ちゃんしか居ない。
いや、そんなことはないのか。
俺達とは別の這ナギ者が登山している可能性は、当たり前に存在する。
じゃあお姉ちゃんじゃないのか。そうだ。お姉ちゃんの訳がない。
だって、まだ、“あの日”でない。“あの日”でないなら、
お姉ちゃんがいなくなる理由がない。“あの日”だって、
お姉ちゃんは悲鳴なんて上げなかった。だから、お姉ちゃんの訳がない。
お姉ちゃんの訳が。
しかし足は、止まらない――。
.
86
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:44:50 ID:XQUaX1fU0
止まらない足が、止まった。
「りり!!」
小川の裡で屈んだいようが、りりを抱えていた。
「ああ、なんで……血が、こんなに血が……!」
いように抱えられたりりは、額を抑えて「痛い、痛い」と呻いている。
手と額の隙間からは赤い血がとめどなく溢れて袖を濡らし、
溜まった液が肘の辺りから水滴となって落下していた。
落下した血の滴はずぼんをまくったいようの腿肌で跳ね、
小川の急流へと呑み込まれては消えていった。
お姉ちゃんではなかった。
この光景を見て俺の頭が真っ先に思い浮かべたのは、その事実だった。
お姉ちゃんは、この場にいなかった。
つくづく、嫌になる。
87
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:45:29 ID:XQUaX1fU0
「何をしてる! 早く川から出ろ!」
いようは動転して、悲壮な声を上げるばかりで固まってしまっていた。
悪態をひとつ、足をまくって、川に入る。
固まったいようからりりを引っ剥がし、小川側の砂利道まで移動した。
「すまないが、手をどかさせてもらうぞ」
言って、額を押さえるりりの手を取る。
堰き止められていた血が、泡を立ててこぼれた。
ぱっくりと割れ、大きく開いた傷口。
額の出血は実態以上に派手であると言われるが、
それにしてもこれは、多い。傷が皮下のどこまで達しているかも、確認できない。
「お願いだ! りりが、りりまで死んでしまったら、おいら……!」
「だったら手伝え! 水だ、水を持ってこい!」
「み、水……水!」
「バカ、川の水じゃダメだ! 化膿する!」
「で、でもおいら、他に水なんて……」
「ドクオさん、これは……」
荒い息を吐き吐き、キュートがやってきた。
肩で息をするキュートに向かい俺は、「水を――」と、言いかける。
88
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:45:53 ID:XQUaX1fU0
「ボク、持ってます!」
言い終えるよりも早く、キュートは反応した。
腰に着けた水筒を手早く取り出すと、
普段の態度からは考えられないくらいに手際よく俺の横に座り、
りりの患部へと水筒の中身を流し始めた。
だが――。
「痛いのは、いや、いやぁ!」
痛みに跳ね上がったりりは、
小柄な身体からは想像も付かない程の力を発揮し、もがきまわった。
俺とキュートは協力して彼女を抑えようとするが、
“タガ”が外れた人間の力は、それが例え子供のものであろうと御するのは容易ではない。
俺は、呆然と立ち尽くしているいように向かって吠えた。
「いよう! りりを抑えろ!」
「お、おいらは、おいらは……」
「いよう!!」
「ば、ば――」
ぷるぷると小刻みに震えていたいようが、
両の手を血が滲みそうな勢いで握り締め、
そしてその双拳を、自身の腿へと叩きつけた。
89
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:46:23 ID:XQUaX1fU0
「バカ、バカ、バカ! なんで、なんでお前、来るなって言ったじゃないか!
バカ! りりのバカ! バカ!!」
バカ、バカ、バカと叫びながら、いようはその度その度、拳を腿へと叩きつけた。
何度も、何度も、赤く、青く腫れていくのが
目に見えるような衝撃を受け続けても、いようは止まらなかった。
いようは、止まらなかった。
いよう自身は。
けれど、いようの動きは、止められた。
外的な要因によって。
「いようくん、それは、違うよ」
お姉ちゃん。お姉ちゃんが、そこにいた。
お姉ちゃんが、自らに向かって振り下ろされたいようの拳を止め、支えていた。
呆けたように口を開いていたいようが、
その目の色を再び加熱させ、そしてそれを今度は、
お姉ちゃんへと、向けた。
90
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:46:48 ID:XQUaX1fU0
「お前のせいだ! お前がいるから、みんな死ぬんだよぅ!
人殺し、この人殺しィ!」
「いようくんは、りりちゃんが大切?」
お姉ちゃんの声はあくまでもやさしく、やわらかだった。
けれどこの状況においてその言葉は、火に油を注ぐ行為に他ならない。
いようは自由な側の拳を大きく振り上げ、それを一切の躊躇なく振り下ろした。
拳は、お姉ちゃんの鎖骨の辺りに当たった。
鈍く嫌な音が小川のせせらぎを越えて、俺の鼓膜を震わせた。
腰が、浮かびかけた。
「……うん、うん。解る。私にも解るよ。
いようくんの気持ちが。それに、りりちゃんの気持ちも……」
「わけのわかんないことを……!」
「りりちゃんだって、お兄ちゃんを大切に想っているってこと」
お姉ちゃんは、自分に向けられた暴力の拳を、その両手で包み込んだ。
そして両手に暴力の拳を包んだまま、
その先につながる本体と共にりりへと近づいていった。
91
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:47:11 ID:XQUaX1fU0
「ね、りりちゃん。そうだよね。
だから心配で、付いて来ちゃったんだよね。お兄ちゃんのことが大切だから、
いなくなってしまうことが怖くて、ここまで来てしまったんだよね……」
りりの側に屈んだお姉ちゃんは、両手に包んだ拳を解いていく。
親指が、人差し指が、中指が、薬指が、小指が、順々に解かれていく。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんはここにいるよ。
だからりりちゃんも、お兄ちゃんの手を握ってあげて。
私はここにいるよって、伝えてあげて……」
俺とキュートに挟まれたりりが、いようを見ていた。
彼女はもう、暴れていなかった。ただ、いようの開かれた手を見て、
そして、おずおずと、血に濡れた自分の手を差し出した。
「いようくん、ごめんね。“私で”、ごめんなさい……。
でも、私も手伝いたいの。りりちゃんの笑顔が見たいから。
だから、ね、お願い。私にも、手伝わせて……」
92
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:47:35 ID:XQUaX1fU0
「お、おいら……」
伸ばされたりりの手。
その手を凝視し、つかむか否かを決めるのはもはや、
いようの意思に委ねられていた。開かれた手。震える五指。
その先が、静かに動き――いようは、りりの手を、取った。
キュートに視線を送る。
意図を汲んだキュートは、間髪入れず
水筒の中身をりりの額へと浴びせ、付着した泥や雑菌ごと血を洗い流した。
苦悶の表情を浮かべ、りりは歯を食いしばる。
しかし彼女は、もう暴れなかった。
代わりにいようの手が強い圧を受けて、その形を歪めていた。
しかしいようは、その手を離さなかった。
逆に握り返して、最後まで握りしめて、伝え続けていた。
自分がそこにいることを、りり<大切な人>に、伝え続けていた――。
.
93
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:47:59 ID:XQUaX1fU0
「いいか、時間が掛かってもいいから、慎重に行くぞ」
「わ、解ってるよぅ……」
木の枝と割いた衣服で作成した簡易担架に
りりを乗せた俺たちは誕生会の準備を中断し、
五人全員でカカ山を下山していた。
お姉ちゃんの持参していたハンカチと
キュートの衣服の端を千切ったものを用いたことで
りりの額の傷も止血することはできたが、あくまでもこれは応急の処置だ。
急ぎ内藤の下まで届け、然るべき検査をしてもらわなければならない。
とはいえ、焦りは禁物だ。
頭を打っている危険性がある以上、
些細な刺激にも十分な注意を払う必要がある。
俺と共に担架を運ぶいようの、真剣な横顔を覗き見る。
いようは始め、自分ひとりでりりを連れて行くと言っていた。
りりのことが大切なのは、自分なのだから、と。
特にいようは、お姉ちゃんがりりの側にいることに嫌がる様子を見せていた。
しかしそんないように対して、お姉ちゃんはこう言ったのだ。
「りりちゃんのことが大切なら、りりちゃんの大事を一番に考えて欲しいよ」
94
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:48:30 ID:XQUaX1fU0
この言葉が切っ掛けとなって、いようは折れた。
下山中、いようは一言もお姉ちゃんに話しかけようとはしなかったが、
りりに話しかけるお姉ちゃんを追い払おうとすることもなかった。
これは、前進――と言って、いいのだろうか。
俺にはよく、解らなかった。
ただ、先程まで付き纏っていた気分の悪さが
幾分か引いていることだけは、確かに感じ取ることができた。
「あれ? なんでしょう、誰かいる」
麓へ降り、向けられた他人の目を無視しながら
診療所までたどり着いた俺たちは、診療所の門前で屯する集団を目撃した。
凡そ這ナギにはそぐわない洗練された雰囲気を纏うその集団は、
田園と林と川、つまりは“何もない”自然に囲まれ、
些か所在なさげな様子を見せていた。
天を仰ぐ。陽は既に、赤みを帯び始めている。
ああ、そうか。もう、『そんな時間』だったか。
内藤が、集団の先頭に立つ女性と話をしていた。
95
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:49:05 ID:XQUaX1fU0
「それにしても、君がチーフか……」
「分不相応だと?」
「いや、君は昔から優秀だったからね。
けれど、年月を感じざるを得ないなぁ……ってね」
「今更先輩風なんか吹かさないでください。私はあなたを許してはいません」
「それにも関わらず願いに応じて来てくれた。
それだけでぼくは、ありがたいという気持ちで一杯だお」
「……あくまでビジネスです。頂くものは頂きますよ。
こちらも慈善事業ではありませんから」
「おっおっお。金ならたんまりある。
好きなだけふんだくっていけばいいお」
「笑えません」
96
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:49:36 ID:XQUaX1fU0
女性の剣呑な雰囲気に、内藤は参ったなといった様子で苦笑いを浮かべた。
そして、辺りを見回した。こちらに気づいた。手を上げ、こちらに向かい――
「おー、待ってたお――」
「しぃ……!!」
向かった内藤の後ろから、女がひとり、飛び出してきた。
性格の歪みが皺となって現れた顔面を常より更に歪めて女は、
お姉ちゃんの前へと進み寄り、そして、間を置かずその頬を平手で叩いた。
「どこをほっつき歩いてたの……?」
ほほを叩かれたお姉ちゃんは、叩かれた箇所を押さえるでもなく、
怒りに、あるいは哀しみに震えるでもなく、当たり前のように、
ただ当たり前のように、自分を叩いたその女を見上げた。
「ごめんなさい……」
でぃ。
この女の名。
一週間前に這ナギを出て、“今日”の“今”漸く、この村へと帰ってきた者。
お姉ちゃんの、母。
97
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:50:18 ID:XQUaX1fU0
「帰ります。早くなさい……」
「あ、待って……」
お姉ちゃんの手首をつかんだでぃは、
彼女の意思など無視して乱暴に引っ張っていこうとした。
けれどお姉ちゃんは、母の暴威に抗い、その場へと留まる。
そして、その手を伸ばし――。
「いようくん、これ――」
指先につまんでいた何かを、いようのポケットへと転がした。
「あとは、お願いね……」
それで、お姉ちゃんの抵抗は終わった。
お姉ちゃんはでぃに連れられ、そのでぃの後を、
内藤と話していた女性を筆頭とした集団が付いていった。
「お姉ちゃん!」
担架の上で腰を起こしたりりが、お姉ちゃんに向かって呼び声を上げた。
お姉ちゃんはちらとこちらに微笑みを向けたけれど、
その姿はすぐに集団に埋もれ、その集団もやがて見えなくなった。
98
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:50:40 ID:XQUaX1fU0
「また、来てくれるよね……?」
ぽつりとりりが、つぶやいた。
誰も、その問に答えなかった。
「てゆか、一体どういう状況? 怪我?」
一人事情を把握できていない内藤が、
場違いに間延びした声を上げる。
俺はその内藤に無言で担架の取っ手を預け、駆け出した。
お姉ちゃんの消えていったその後を、全速力で追いかけていった。
背中に、キュートの声をぶつけられた気がした。
.
99
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:51:01 ID:XQUaX1fU0
『許せない』。だから、俺は走った。
『お姉ちゃんを叩くなんて、許せない』。俺はそう思った。
『なんでもいい。痛い目を見せてやらねば、気が済まない』。
“かつて”の俺は、そう思っていた。
『殺してやる』。それくらいの事を、“俺”は考えていた。
お姉ちゃんの――でぃの家へと、たどり着く。
「…………ですので…………資料には一通り……
……正直…………ではありましたが…………」
家の中から、声が聞こえた。『誰だ』。
内藤に突っかかっていた女の声。『くそっ、早く帰れよ……』。
会話は途切れない。『こんなとこ、母さんに見られたら……』。
周囲を見回し、身を屈め、草むらに隠れる。『お姉ちゃん』。
でぃと女の会話に、聞き耳を立てる。
100
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:51:22 ID:XQUaX1fU0
「…………確かに…………兆候は、出ていますが…………」
「…………どうにか…………せんか…………」
「…………全力は…………ですが…………」
『何を話してるんだ?』。機材を動かす、金属的な音。
『お姉ちゃんのこと?』。会話の内容をより理解するため、首を伸ばす。
『あそこ、破れてる』。破れた障子から、中を覗く。
「…………覚悟は、しています…………」
正座をし、口を開いた、でぃを見る。
「…………その時は――」
『その時は?』。……その時は。
そう、その時は――。
.
101
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:51:42 ID:XQUaX1fU0
私がしぃを、殺します。
.
102
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:52:21 ID:XQUaX1fU0
「え」
――え?
声が、聞こえた。家の中からではない。すぐそばから。
振り返る。顔と顔とが触れそうな至近距離に、人がいた。
眼の前に、キュートがいた。
どうしてお前が、ここに?
.
103
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:52:47 ID:XQUaX1fU0
「え、あの、えぇ……!?」
「だれだ? だれかそこにいるのか?」
あの女の仲間だろうか。
誰かがキュートの声に気づいたようだった。
足音が近づいてくる。逃げろ。
脊椎が、脳を介在しない反射的な命令を俺へと下した。
俺は足音とは逆の方向に向かい、全速で駆け出した。
驚愕に口を開いたキュートと、瞬間的にすれ違った。
キュートは、俺を見ていた。俺は、キュートから視線を外した。
背後から、感じるはずのないものを感じながら、一目散に駆け続けた。
.
104
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:53:11 ID:XQUaX1fU0
どうしてあいつが、あそこにいたんだ。
記憶には――ない。絶対にありえない。
あの場で、あの時のあの場で、でぃのあの発言を聞いたのは俺だけのはずだ。
これは今まで感じた、“些細な違和感”とは違う。決定的に、違う。
歴史が、俺の知る形とは別の道を辿り始めているのを感じる。
紙袋に収めた『届け物』を運びながら、考える。
この状況が齎す意味について、考える。
なぜこのような形になったか――は、もはや考するに値しない。
世界の法則は不可逆。起こったことは“変えられない”。
考えるべきは、これからどうするか。どう、対処するべきか。
キュート。東から移り住んできた、八人の孤児の一。
いつもへらへらと笑い、忙しなく周囲の機嫌を伺い、小心者で、
自分の意見を持たず……どことなく父<デミタス>に似た、俺と同世代の女。
105
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:53:34 ID:XQUaX1fU0
本来の歴史で、あいつと接触した記憶など、数えるくらいしかない。
その挙動に苛立ちを覚えたくらいの印象しかない。
実際の所、俺はあいつのことが、よく解らない。
あいつは何故、俺をカカ山登りに誘ってきたのか。
あいつは何故、カカ山で俺を追いかけてきたのか。
あいつは何故――あの場に、いたのか。
キュート。お前は一体、何者だ。
お前は一体、何思う。でぃの言葉に、どう反する。
俺の糧となるのか。あるいは仇となるのか。それとも――。
キュート。俺はお前を、どうすればいい。
お姉ちゃん。
ぼくは、どうすれば――?
106
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:53:58 ID:XQUaX1fU0
「おい、ドクオじゃねえか!」
名を呼ばれ、顔を上げた。
そこには、見知った三つの顔が並んでいた。
プギャーと、子分の二人。プギャーの包帯を巻かれた手がひらひらと、
見せつけるように空を踊る。
「なあおい、ドクオぉ。どうして学校来ねぇんだよ。
お前がいないと、毎日つまんねぇんだよ」
底意地の悪そうな顔が向けられる。更に追随する、二つのにやけ面。
俺は何も言わず、三人の間を通り抜けようとした。
後ろの二人が、「こっち見ろ」とか、「無視すんじゃねーよ」とか、
好き勝手に吠えていたが、いまはそんな子供の背伸びに付き合っている状況になかった。
早くこの『紙袋の中身』を届けなければならないのだ。
俺はプギャーたちの脇を通り過ぎ、そのまま目的地に向かおうとした。
その時、プギャーが、ぼそっと、つぶやいた。
父親そっくりのマザコン野郎。
107
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:54:24 ID:XQUaX1fU0
振り返る。プギャーを見る。
プギャーは、心底楽しそうに笑っている。
にやにやにやにや、俺を見て笑っている。
「ママの許可がないとケンカのひとつもできないのかい、お坊ちゃん?」
「……」
「おおっと、怖い怖い。また刺されたら堪ったもんじゃねぇや」
包帯の手をひらひら掲げながら、プギャーが後ずさった。
だがその間に子分の二人が移動、
いつの間にか俺は、三人に取り囲まれる形になっていた。
「父ちゃんが言ってたぜ。イデンつって、子供は親そっくりに育つんだーよ」
「みんな知ってるぞ。お前の親父も、マザコンだぞ!」
「マーザコン! マーザコン! マザコン親子ー!」
「……違う」
「あ、マザコンが何か言ってるぞ!」
「ママって言ったのかよ? お母ちゃんのこと呼んじゃったかよ?」
「ぎゃははは!」
「俺は……」
ぼくは――。
108
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:54:46 ID:XQUaX1fU0
助けて!
.
109
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:55:19 ID:XQUaX1fU0
目眩が、する。
「……バカバカしい。どいてくれ。用があるんだ」
「なに言ってんだ、俺たち友達だろ。もっと遊ぼうぜぇ?」
「おい、何持ってんだよ? ママのお使いかよ?」
プギャーの子分の一人が、俺の持つ紙袋に気づき、
無遠慮にそれをつかもうとしてきた。
寸でのところで、その手を躱す。
「おい、隠すなよ」
「……」
紙袋を、その中身ごと胸の内に抱える。
包囲が狭まる。じりじりと、その輪が小さくなっていく。
「怪しいな、ママに言えないものでも持ってんのかよ?」
「これは……お前の母ちゃんに届けてやんないとだな!」
「悪いやつには、罰を与えてやんなきゃだぞ!」
110
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:55:53 ID:XQUaX1fU0
三人が、同時に飛びかかってきた。
俺は身体を丸め、紙袋を守った。三人分の肘が膝が、
背に足に腹に、肩に頭に顔にへと、何度も何度も容赦なく叩きつけられる。
しかし、これを離す訳にはいかない。
これは、お姉ちゃんを助けるために必要な一手だ。奪われる訳にはいかない。
これが、これが――――もし、母に、ばれてしまったら。
ああ。
「つかんだ!」
ふざけるな。
「おい、離せ!」
お前らどうせ。
「寄越せ!」
病気で、死ぬくせに――!
「あ、あおー!!」
.
111
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:56:26 ID:XQUaX1fU0
「……は?」
暴力の嵐が、止んだ。
紙袋は、俺の胸に未だ収まっている。
取られたわけではない。奴らは、奴らの目的を達したわけではない。
だが、止まった。ゆっくりと、頭を上げる。
俺を取り囲んだ三人は、三人が三人共、同じ一点を見つめていた。
その視線が集積する先を、俺も見た。
そこには女が、両腕を高く掲げた、
珍妙な格好の女がひとり、そこにいた。
瞳孔が、凝縮するのが解った。
だから――どうしてお前が、ここにいる。
112
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:56:51 ID:XQUaX1fU0
「知ってるぞ! こいつ、東のよそもんだぞ! たしか……」
「……キュート」
「そう、素直キュート!」
「東のばい菌!」
「ビョーキ持ち!」
掲げた両腕が、わずかに下がった。
が、それは即座に元の位置へと戻る。
「そ、そうですよ! ボクはビョーキ持ちですからね!
ボクが触ったらすぐに感染って、た、大変なことになっちゃいますよ!」
言って、キュートは再び珍妙で情けのない吠え声を上げた。
プギャーたちは「ビョーキ持ち、ビョーキ持ち」と連呼しながら
キュートを指差し、触れようとする彼女の手をを躱し、
やがてバカにした笑い声を上げながら何処かへと去っていった。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吸って吐いて、プギャーたちがいなくなった方角を
見つめていたキュートは、やがて掲げた腕を下げ、
両のてのひらで顔を覆い、その場にしゃがみこんだ。
丸まった肩が、背中が、小刻みに震えていた。
113
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:57:35 ID:XQUaX1fU0
「おい」
キュートの肩が跳ね上がった。
顔を覆った両手をぐしゃぐしゃ動かして、動かして、それを開いた。
開いて現れた顔はてのひらで揉みしだいたせいか、所々赤く変色していた。
「な、泣いてないですよ! ボクは泣きません! だって、だって……
ボクは泣かないから、泣かないんです! へ、へへへ、えへへへ!」
「なんでここにいる」
「いや、その、そのぅ……」
目を泳がせ、首も捻って非ぬ方向に目を向けようとするキュート。
俺は歩を進め、近寄り、キュートの頬に手を当てた。
首を捻って、こちらを向かせた。
114
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:58:04 ID:XQUaX1fU0
「なんでだ」
「……へへ――」
また、笑う。
「ごまかすな答えろ」
「……」
声なく笑う。
「なぜだ」
「……あの」
笑って、下を向いたまま、キュート。
「しぃさんを、助けるんですよね?」
「だったらなんだってんだ」
「ボクにも手伝わせてもらえませんか」
115
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:58:37 ID:XQUaX1fU0
左に、視線。
「ボ、ボク、こんなで、頭も良くないですから。
ボク一人じゃ、なんにも、なんにもできませんから……。
だけどドクオさんは、ほら……頭、いいじゃないですか。
だから、その……へへ、えへへ」
右に、視線。
「……お前たちは、おね――
しぃさんを、憎んでるんじゃないのか」
「いや、その……」
「嫌いなんじゃ、ないのか」
「好きとか、嫌いっていうか……」
再び、下へ。
「その……しぃさんは、その……
ボクたちにとって、必要な人……ですから」
「必要?」
「必要、です……。うん、必要、なんです!
絶対に――」
116
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:59:08 ID:XQUaX1fU0
強い声。顔を上げて、直線に。
平行に、顔を合わせて――
しぃさんには、生きていてもらわなければならないんです。
――瞳の裡に、俺の陰。
目眩が、再び、脳を揺すった。
117
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 22:59:36 ID:XQUaX1fU0
「ど、ドクオさん!?」
天地が揺れる。(助けて)。地面を失い、地を失い、真っ逆さまに揺れ落ちる。
(助けて)。無限の時間。(助けて)。前後だけの世界。(助けて)。
暗闇に溶ける肉。(助けて)。伸ばした腕、手、指、意識――(助けて――!)。
完全な喪失に在って、音はもはや意味を持たず、
匂いは嗅ぐより先に遠ざかり、皮膚上の神経は既にその機能を閉じた。
世界は閉じ、また閉じ、そして最後的終焉に向かって閉じ続けた。
その最中にあって、ただ視界。目。瞳。視神のみが、それを捉えた。
かかやくもの。暗闇を光で割り、喪失の世界に在って確かな存在を確立したそれ。
それは、手。輝く手。落ち行く俺へと差し伸べられた、生命の灯火。
俺は、それを。
ぼくは、その手を――。
118
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 23:00:02 ID:XQUaX1fU0
「やめろッ!」
跳ね除けた。力の限り。
すぐ側から、「痛っ」という、小さな悲鳴が聞こえた。
朦朧とする世界の中、“今”の中、その悲鳴の聞こえた方向を、俺は睨んだ。
そこには、当たり前に、キュートがいた。
「……“命令”だ。心配などするな、助けようだなどと、考えもするな……!」
「え、う……」
立ち上がる。揺れる。
しかし、立ち上がれる。
揺れを呑み込み、しゃがんだままのキュートを見下ろす。
「……この際だから言っておく。俺はお前が嫌いだ」
にやついた顔が嫌いだ。
頭の悪さが嫌いだ。
意志薄弱なところが嫌いだ。
似ているお前が、嫌いだ。
119
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 23:00:37 ID:XQUaX1fU0
「だから――」
だが。
「だからこれは、ただの協力関係だ」
「……協力、関係?」
それでも。
「お前の事情に興味はない。知りたいとも思わない。
だがお前がしぃさんを必要とするなら、助けるつもりなら、その限りに置いて俺たちは、
目的を同じくするパートナーだ。協力関係だ。それでいいなら、手を組んでやる。
……どうだ」
このまま。
「……はい。それで、結構です」
一人で、いるよりは――。
.
120
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 23:01:09 ID:XQUaX1fU0
決行まで、あと三日。
.
121
:
名無しさん
:2019/01/06(日) 23:01:42 ID:XQUaX1fU0
本日はここまで。つづきは後日
122
:
名無しさん
:2019/01/07(月) 02:19:48 ID:6NAKFjH.0
乙!
123
:
名無しさん
:2019/01/07(月) 11:50:16 ID:DQCZOCuM0
乙!
マジで続き気になるわ
124
:
名無しさん
:2019/01/07(月) 15:18:49 ID:2gWEvPA.0
otu
125
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:18:25 ID:LnuxV94A0
三
※
126
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:19:02 ID:LnuxV94A0
三
「……はい、問題なし。転んで怪我するのだけ注意ね」
「ぎゃっ! お尻さわんないでよ、ブーンのエッチ!」
「おっおっお。二○年はえーお」
「二○年も経ったらあたし、おばさんじゃん!」
「はいはい、いいから早く次の子呼んでちょうだいね」
部屋の中から、感情を顕にした足音が聞こえてくる。
その足音は次第次第にこちらへと近づき、それが止まったかと思うと、
投げやりな「ありがとーございましたっ!」と共に扉が開かれた。
顔を膨らませたミセリが、のっしのっしと廊下へ出ていく。
入れ替わって俺も、部屋へと入った。
「お、次はドクオかお」
127
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:19:27 ID:LnuxV94A0
内藤先生――本名、内藤ホライゾン。
多くの者からは先生と、一部の者からは親しみを込めて、ブーンと呼ばれている。
「ほい、じゃあ前上げてー」
言われるまま服を脱ぎ、診察されるのを待つ。
聴診器の先がアテられる。冷やりと感触に、むずがゆさを覚えた。
内藤は、この村で唯一のお医者先生だ。
通常業務はもとより、学校などの特定団体における定期検診も請け負っている。
ただ、孤児たちは当然学校に通っていないので、学校内で検診を受けることはできない。
だから内藤は、公的な依頼や金銭の授受などとは無関係に、
孤児たちの定期的な検診を自発的に行っている。
「ん、じゃあ今度は背中ね」
俺は一応這ナギ小に在籍しているが、現状がこんな有様なので、
「別々にするのも面倒だしまとめて診るべ」という内藤の一声によって、
孤児たちと共に検診を受けることと相成った。
「次は、手ぇ出してー」
128
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:19:50 ID:LnuxV94A0
聴診器を外した内藤が、今度は俺の手を取る。
てのひら、手の甲、指先と、ごつごつとした大人の手で、触診される。
念入りに確かめるその様子を、俺も見る。
「……なあドクオ、お前、将来なりたいものとかあるかお?」
顔を上げる。
内藤は視線を下ろし、変わらず触診を続けている。
「なんですか、藪から棒に」
「いやなに、ちょっと気になってね……。で、あるの?」
「なりたいもの……」
思い出す。当時の自分を。俺を。
俺は、なりたいかどうかとには関係なく、
立場有る人間にならなければならないと思っていた。
でなければ永遠に、母の怒りを免れることはできないのだと。
母の言う“俺の幸せ”は解らなかったが、
とにかくこの這ナギ<糞田舎>を出て、
一角の人物になることが、俺の目標だった。
129
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:20:21 ID:LnuxV94A0
「別に……」
「ほんとに……?」
「うそ吐く意味なんて、ないです」
「よく考えてみな。一つぐらい、あるお?」
少し、苛立った。しつこい。
ないって言ってるじゃないか。そう思いつつ、
頭の中ではひとつの答えが、始めからふよふよ浮遊していた。
ただ言葉にすることが、なんだか気恥ずかしいものに思えて、
そんなものはないと誤魔化そうとしていた。しつこくて、苛立った。
だから仕方ないかなと、思った。
内藤ならいいかと、思った。
「……しぃさんみたいに、なりたい」
なりたかった。
130
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:20:43 ID:LnuxV94A0
「ん……そうか」
触診が終わった。
合図を送られ、検診が終わったことを理解する。
「なんだったんですか、さっきの」
「だから、気になっただけだって」
腑に落ちなかった。
ただ気になったと言うには、内藤の問い方はしつこかった。
しかしカルテにさらさらと結果を書き込んでいる内藤から、
真意を聞き出すことはできそうになかった。
「俺、最近目眩がするんですけど」
「季節的なもんだお。ほっとけほっとけ」
「……ヤブ」
「言ってろ」
おっおっおっと、得意げに笑う顔が気持ち悪い。
が、そこを突っ込むほど俺は野暮じゃない。
服を着て、席を立ち、一例をして部屋を出ようとし――
そこで俺は、“ふと”思った。
肩を回して、振り返る。
131
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:21:09 ID:LnuxV94A0
「あなたは、どうなんですか」
「ん?」
「子供の頃、将来なりたかったもの」
「……なんで?」
「気になったから」
あなたのルーツが。
……同時に、ちょっとした意趣返しでもある。
「なりたかったもの、か……」
問われた内藤はカルテを机に置き、
背もたれに深く腰を沈め、虚空を見つめた。
その先に見えるもの。俺には見えず、内藤にだけ見えているもの。
「そんな大昔のこと、忘れちまったお。ただ――」
「ただ?」
それをつかむように、内藤が、手を伸ばした。
「ぼくは多分……神様になりたかったんだと、思う」
132
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:21:36 ID:LnuxV94A0
内藤の手が、空を切って、落ちた。
神様。這ナギの神。人知主義の、神。
「子供っぽいですね」
「子供だったからね……満足?」
「……一応」
それじゃ、次の子呼んで頂戴。
そう言われ、俺は今度こそ退室した。
扉を開き、後ろ手でそれを閉じた。
そして、内藤の言っていた言葉を、思い返した。
神様、か。
這ナギの外から来た“よそもん”なのに、
村の人間に受け入れられ、東も西もなく、誰にも平等で、
行き場のない孤児たちを拾って……。
先生。あんたは確かに、“神様”だったよ。
少なくとも、ここの子供達にとっては。
なのに――
どうしてあんたは、死んだんだ?
133
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:22:02 ID:LnuxV94A0
「どうかしましたか?」
次の診察を待っていた小さなトソンが、俺を見上げていた。
俺は無言で扉から手を離し、その場を離れた。
不思議そうに俺を見ていたトソンは
内藤の呼び声に応じてすぐに、部屋の中へと入っていった。
俺は、お姉ちゃんみたいになりたかった。
内藤への返答。その言葉に嘘はない。
けれど、それは真実の半面に過ぎなかった。
俺はお姉ちゃんの他にも、なりたいものがあった。
敬い尊する人生の指針が、他にもあった。
先生。
俺は、あなたにもなりたかったんだ。
あなたみたいな、大人にも。
.
134
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:22:32 ID:LnuxV94A0
残りの三日は、あっという間に過ぎていった。
.
135
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:23:00 ID:LnuxV94A0
「ではでは、宴もたけわなですが、
先生ちょっとお出かけしないといけないからね。
後はみんなで楽しんでくれお。それじゃ、りり――」
伊達男風に上着を肩に担いだ内藤は、
本人が思うのであろう最高にイケてる顔をキメながら、
自由な側の手の先で中指と人差し指を伸ばし重ねそれをぴんと伸ばし、
絶妙にキザったらしくその指先をりりへと向けた。
「はぁっぴぃばぁすでへぇぃ、でぃはぁまいがぁはふうぅ……」
バン! と、銃を撃つような動作で、内藤の手が跳ねた。
「きも」
「うざ」
「端的に言って死んで欲しいですね」
「殺すぞ……!」
「ひどっ! ……いようさんだけ何か空気違いません?」
136
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:23:25 ID:LnuxV94A0
酷評の雨を浴びた内藤は背中を丸めてすごすごと、
一人寂しく診療所から出ていった。
もしかしたら俺は、憧れる対象を間違えてしまったのかもしれない。
さておき。
今日は、りりの誕生日。
そして“今”は、その誕生日会の真っ只中だ。
切り分けられたケーキを頬張りながら孤児たちは、
思い思いに歓談している。
ケーキを用意したのは内藤。
いったいどこから調達したのか、それは相当に巨大で、
そして都会者で洒落者の彼らしい、ずいぶんと華美で派手な一品だった。
とはいえこれが普遍的な物であるか否かなど、
ここの孤児たちには判断できないかもしれない。
ケーキなどという“外来的”な菓子、
聞いたことはあれども見たことなどなかっただろうから。
かくいう“今”の俺にとっても、
ここで目にするケーキが人生で生まれて始めて
目にするケーキに当たるはずだった。
137
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:23:51 ID:LnuxV94A0
「こんなに綺麗なの、お姉ちゃんにも、見てもらいたかったな……」
食べても切っても減らないケーキの巨大なホールを見上げながら、
りりがつぶやいた。それは小さなつぶやきだった。
しかしりりのすぐ後ろに立っていたいようの耳には届いたらしく、
彼は非難とも哀切ともつかない表情を浮かべ――だが、それでも無言を貫いていた。
お姉ちゃんは、この場にいないかった。
あの日でぃに連れて行かれてから、まだ一度もここへは来ていない。
そう、それは、本来の歴史においてもそうだった。
お姉ちゃんはでぃに連れて行かれて以降、家の中で監禁されていた。
それを俺は、“知っていた”。
助け出さなければならない。
今夜、あそこから、お姉ちゃんを。
.
138
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:24:26 ID:LnuxV94A0
「ミセリ・ザ・プレゼーンツ!」
「わ、おっきい! ありがとう。中身は何かな」
「いひひ、すっごいものだよ、開けてみて開けてみて!」
誕生日会は現在、各々が用意したプレゼントを渡す時間になっていた。
自由に使える小遣いも自由に買い物ができる商店も限られている
孤児たちにとって用意できるものは限られていたが、
その中でも彼らは各々工夫を施し、木彫りの蛇(あるいは龍……か?)らしきものだったり、
原色を多用した圧倒的な存在感を放つ絵画であったり、
それぞれ独特でユニークなプレゼントをりりへと渡していた。
「え、え? ボ、ボクのプレゼント、そんなにおかしいですか?」
キュートのプレゼントが披露された時、
それが何であるのか解る者はこの中にいなかった。
診療所の瓶に入れられたその液体は一見して薬品のようであったが、
キュートはそれは少し違うと説明する。
それは山の果実を用いて作った、匂いを楽しむ液体だと。
所謂、アロマというやつだろう。
キュートはそれが持つ癒やしや疲労回復等の効能について
饒舌に述べていたが、孤児の一人がとつぜん笑いだし、
その笑いは瞬時に他の子供達にも伝播していった。
曰く、普段散々嗅いでいる匂いを、
わざわざこんな瓶に閉じ込めて嗅ごうとするのはおかしいと。
139
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:24:48 ID:LnuxV94A0
「で、でもですね、眠れない夜なんかに使うと、すごく効果があってですね……」
「そんなの使わないでも、ぐーすか眠れるよー!」
「え、あ、あー……そっかー、そうですよねー……。
ごめんねりりちゃん、こんなボクでごめんねー……」
悲壮な面持ちで肩を落とすキュート。それは、実に哀れな姿だった。
しかし、アロマか。“未来”の俺は使っていなかったが、
セラピーとして用いられるくらい重用されていることは知っている。
アロマ、そんなにおかしいものだろうか。
大人と子供、未来と“今”との違いに、首を傾げる。
「ううん、ありがとう、キュートさん。
眠れなくなった夜に、使わせてもらうね」
「うぅ……りりちゃーん……!」
キュートがりりに抱きつく。
包帯も取れ、額のガーゼだけが怪我の位置を示すようになったりりは、
その傷の保護物がずれないよう気をつけながらも
自分よりも一回り大きなキュートの身体を抱きとめ、
その背中をぽんぽんと叩いた。どっちが年上だか、解らない光景だった。
140
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:25:53 ID:LnuxV94A0
「りり」
次は、いようの番だった。
いようは手に持った小さな桐箱を、
無造作にりりの手の裡へと押し込んだ。
受け渡しはそれで、おしまいだった。
りりは押し付けられた箱を両手に包み、
そっと、その蓋を開けた。
瞬間、中から光が溢れた――ように、見えた。
「いようさん、それ、どうして……」
「……あいつが見つけて、おいらが磨いた」
桐箱の裡に収められていたのもの。それは、『カカメ石』。
よく磨かれ、本物の鏡のように光を反射している。
覗き込む俺やキュート、孤児たち、そして、りりの顔が曇りなく映り込んでいる。
そうか。
三日前、お姉ちゃんがいようのポケットに入れたものの正体。
託したものの正体。それが、これか。
141
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:26:18 ID:LnuxV94A0
「ソドウにエイずるバンジイッサイ、イツイツマデもカカヤきツヅけますように――」
抑揚のない早口言葉を、いようが一息で述べる。
それは『カカメ石』を贈る際、同時に相手へと贈るものと決まっている祈念詞だった。
相手の幸福を願う、祷りの言葉だった。
「おめでと、りり」
「大切にする……」
そう言ってりりは桐箱の蓋を閉め、それを胸の前に持っていった。
いようは鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
142
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:26:50 ID:LnuxV94A0
「それじゃ最後は、ドクオさん、でしょうか!」
「……」
キュートに促され、部屋の隅で隠れていた俺に視線が集中する。
キュートを睨む。なぜ睨まれたのか解らないのか、
キュートはたじろいだ様子を見せていた。
とはいえ、だから何だという話。
注目を集めてしまった俺は仕方なく、
俺同様部屋の隅へと隠していたプレゼントを引っ張り出す。
束ねたそれはをりりの前に置く。
重たげな音が、部屋中に響き渡った。
「お古で、悪いんだが……」
参考書と問題集。
これまで俺が“課されてきた”ものの中で、特に初期の内に使っていたもの。
内容としては、小学校高学年向けのものと言える。
いまのりりには早いかもしれないが、
たぶん、おそらく、無駄にはならないものだと、思う。
143
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:27:17 ID:LnuxV94A0
「気に入らなかったか……?」
目を点にして、俺の用意した紙束と俺とを、りりは見比べる。
自分でも、誕生日に送るプレゼントとしてこれが
適切であると言い切れる自信はなかった。
だが、こんなもの以外に俺は、知らなかった。
誕生日にもらうプレゼントと言えば、
俺にとっては、勉学に関わりのあるものであった。
りりが、ゆっくりと首を左右に振った。
「ううん、そうじゃなくて……。
私、あなたからもらえるとは思っていなかったから。だって――」
……だって?
「あなたは私達のこと、嫌いなのだと思ってたから」
「あ……」
心臓が、跳ねる。
「ありがとう」
「あ、いや……」
りりのことを、まともに見られなかった。
144
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:28:23 ID:LnuxV94A0
「これでみんな終わりですかねー?
それじゃボク、今度はちょっとした出し物でも――」
おどけた調子で部屋の真ん中へと躍り出たキュート。
が、みんなの視線はキュートの方へは向かなかった。
廊下から、人の走る音が聞こえた。息を吸い、吐く音を感じた。
空気を裂く熱まで、感じた気がした。それは、こちらへと近づいてきた。
どんどんと、どんどんと、それはこちらへと向かってきていた。
それが、止まった。俺たちがいる、この部屋の前で。
一秒、二秒、三秒……息を呑むのに充分な時間が経った後、
涼やかに、水が流れるようにして、扉が開いた。
りりが叫んだ。
「お姉ちゃん!」
「おめでとう、りりちゃん」
.
145
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:28:45 ID:LnuxV94A0
どうして?
.
146
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:29:32 ID:LnuxV94A0
「今更、なにしに来たんだよぅ」
冷たく突き放すような声。主は当然、いよう。
お姉ちゃんは少し寂しそうな顔をしながら、
いようからりりへと視線を移動させた。
いようとは違い、りりはうれしそうにお姉ちゃんを見上げている。
「ごめんね、急いで来たから、何も用意できていなくて……」
りりの前に座ったお姉ちゃんは自らの手を、りりの手に重ねる。
「だからお姉ちゃん、お歌を贈りたいのだけど……りりちゃん、いい?」
「もちろん――」
「やめろッ!」
147
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:30:24 ID:LnuxV94A0
りりの身体を背後から、いようが強引に引き寄せる。
必然、重ねた手も剥がされる。
「いきなり現れて、なんなんだよぅ。
お前なんかいなくたっておいらたちは、何の問題もないんだよぅ……!」
「いようくん、私――」
「黙れっ! 勝手に近づいてきて、勝手に離れて……この三日感、
りりがどんな思いをしたと……勝手だ、お前は、勝手だ!」
「……うん」
「みんな、勝手だ……おとうも、おかあも……お前も、みんな……。
いつか……みんないつか、いなくなってしまうくらいなら、
おいらは、おいらは最初から――」
「お兄ちゃん」
りりが、自分を拘束するいようの手に、触れた。
「私、聞きたいよ。お姉ちゃんのお歌」
「りり……」
りりはいようを見上げていた。
いようはりりを見下ろしていた。
それだけだった。
やがていようは、
頑なにつかんでいたりりへの縛めを、緩やかに解いた。
148
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:30:52 ID:LnuxV94A0
りりが、お姉ちゃんを見た。
「お姉ちゃん、お願い」
「……うん」
水鏡のように愁い澄んだ瞳が、りりを見た。いようを見た。
ここにない何かを仰ぎ見た。そして、閉じられ――
お姉ちゃんは、歌いだした。
それは、技巧ではなかった。
素朴で、ありふれた歌声だった。けれど、それは、暖かかった。
やわらかくて、眩くて、そのまま眠りにつきたくなるような、心地よさがあった。
いつか何処かで感じた、原初的な安心感が、そこに存在していた。
「それ、お母さんの……」
りりの身体が、傾いた。
傾いて、倒れそうになって、けれど倒れなくて、
歩は進んで、進んで、腕を、伸ばして――。
149
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:31:29 ID:LnuxV94A0
「お母さん……おかあさぁん!」
重心を維持しきれなくなったりりの身体は、勢いよく倒れた。
お姉ちゃんの胸に向かって。お姉ちゃんは、それを受け止めた。
受け止め、伸ばされたりりの手を自らの手で、しっかとつかんでいた。
りりの手と自分の手とを、しっかと結んでいた。
泣き声が聞こえた。そこかしこで。
孤児たちがりりの後に続いて次々、お姉ちゃんに身体を預けていった。
お姉ちゃんはそのどれをも拒絶すること無く、受け容れた。
残されたのは俺と、キュートと――いよう、だけだった。
「おいらは……」
お姉ちゃんは、歌い続けていた。
やさしい歌を。“母”の歌を。
「おいら、だって……」
歌いながら、お姉ちゃんがまぶたを開いた。
水鏡のような瞳が、彼女だけが持つその静謐さが、いようへと向けられた。
微笑みが、いようへと向けられた。
かつて俺が、そうしてもらったように。
150
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:32:17 ID:LnuxV94A0
「……ぅぅう!」
いようがお姉ちゃんの下へと飛び込んだ。
いようの身体は孤児たちに囲まれたお姉ちゃんまで届かなかったが、
それを気にしている様子はなかった。いようも他の子供と同じように、
泣き声を上げながらお姉ちゃんを――母を求め、叫び続けていた。
いつまでも、そうしていた。
俺は――。
俺は、その光景と、その歌とを五体に感じながらも、
背を向け、振り返らず、一人、部屋から、出ていった。
.
151
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:32:39 ID:LnuxV94A0
確かめねばならなかった。
お姉ちゃんが孤児たちに受け容れられたこと。
それは喜ばしいことだ。目的のひとつは、これで達成できたことになる。
だがこの目的は、あくまで副次的なもの。
本命は別にある。そしてその本命がなるか否か、
その成否を決する絶対条件が成立しているどうかを、
俺は確かめなければならなかった。
お姉ちゃんはでぃに連れて行かれてから一度も、
孤児たちに会わない“はず”だった。
閉じ込められ、家から出ることを許されなかったのだから。
しかし、お姉ちゃんは来た。
りりの誕生日会へと。不可能であるはずの外出を、実現して。
歴史が変わっている。
俺の知らない形へと。
152
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:33:02 ID:LnuxV94A0
向かう。でぃの家。すでに見知った、この外観。
庭へと忍び込む。壁面に沿ってぐるりと回る。人の気配はない。
が、それは外から見た印象に過ぎないかもしれない。
玄関扉を開ける。鍵は掛かっていない。
音を立てないようにして、中へと入る。
部屋をひとつずつ見て回る。
母娘、親子二人で住むには大きく部屋数の多い家の中を、くまなく覗いていく。
誰も居なかった。お姉ちゃんはもとより、でぃも、あの集団も。
ならば、やはり彼らは帰ったのだろうか。
でぃの家を後にする。
次に向かう先は、この這ナギで唯一外界と結ばれた地。這ナギ駅。
日に二度しか電車の止まらない、村の者からはほぼほぼその存在を忘れ去られた場所。
走る。
俺の記憶が確かならば、日に二度止まるうちの一本が、もう間もなく到着するはずだ。
昨日までは確かにあの家に滞在していた彼ら。彼らが都会へ戻るとすれば、
この電車に乗るはずだ。確認しなければならない。
彼らが本来の歴史通り、この村からいなくなってくれるのかを。
.
153
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:33:29 ID:LnuxV94A0
「死ぬまでここにいるつもりですか?」
果たして、彼らは駅にいた。電車はまだ来ていない。
一団は電車の到着を待ちながら、手持ち無沙汰に雑談していた。
その一団から少し離れた場所に、男女が二人。
内藤と、チーフと呼ばれていた女性が、いた。
「ぼくにもまだ、出来る事があるかもしれないからね」
「ただの自己満足ですよ、そんなの」
「だろうねぇ」
「あなたは――」
女は何かを言いかけ、しかしそれを飲み込んだ。
そして内藤から顔を背け、再び口を開く。
「……今度、初老のご夫婦がこちらへ訪れます。
長年連れ添いつつ、授かりものとは御縁を得られなかった方々です。
お二方とも穏やかで、金銭的にも余裕を持っていらっしゃいます。
……その時には、宜しくしてください」
「……ん」
154
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:33:56 ID:LnuxV94A0
内藤が、頭を掻く。
「君は、変わらないなぁ」
塗装の剥げ落ちた電車が、ゆらゆらと到着した。
「助けられる者を助ける。
それが私達の仕事だと思っていますから」
一団が次々と、電車へと乗り込んでいく。
「私達は――私は、ちっぽけな人間ですから。
『神様』などではありませんから」
彼らの用意した機材が搬入されていく。
「私はあなたとは違いますから」
発車のベルが鳴る。
「……だから、さようなら」
電車が、駅から遠ざかっていった。
駅には一人、内藤だけが取り残されていた。
彼らは歴史通りに、這ナギを発った。
155
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:34:26 ID:LnuxV94A0
疑問が生じる。
彼らは“今”、這ナギを去っていった。“かつて”と同様に。
では、お姉ちゃんは、“かつて”も外へと自由に出入りできたのか?
自らの意思によって、あの家に留まっていたのか?
監禁されていたのでは、ないのか?
お姉ちゃんは、なぜ――。
……いや。
逃げたって、問題は、解決しない。
条件が俺の望む通りに整いつつあるというのなら。
俺は粛々と、目的を遂行する、までだ。
いまや、考えるべきことは、少ない。
頭を働かせる必要は、ない。
156
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:34:53 ID:LnuxV94A0
「ドクオさん!」
もはやお馴染みの声が、投げかけられた。
なぜここに――とは、もう問わない。
キュート。へらへら笑う者。
「……お姉ちゃんは?」
「お姉ちゃん? ……あ、しぃさんですか?」
言い直して、キュートは続ける。
「しぃさんはあの後みんなに歌を教えていましたけども、
あの、お母様が迎えに来て、一緒に帰らまして」
「……そうか」
それは、よかった。
どうやら歴史は、順調に収束している。
問題ない。
俺は、殺せる。
××を、殺せる。
お姉ちゃんを殺した、××を。
今度こそ。
今度こそ。
殺せる。
157
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:35:23 ID:LnuxV94A0
「あの、ドクオさん……」
身を屈めたキュートが、俺の顔を覗き込んできた。
上目遣いの視線が、俺のそれと、交錯する。
「顔色が……」
その目を、睨む。
はっとした様子で、キュートは一歩下がった。
それでいい。これは、“命令”なのだから。
“命令”は、守らなければならないのだから。
「やることは解っているな」
キュートはうなづく。が、その態度は煮え切らない。
何かを言いたそうに、左右に視線を動かしている。
苛立つ。
「なんだよ」
「いや、そのぅ……」
「はっきり言え」
158
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:35:51 ID:LnuxV94A0
促されたキュートはそれでもしばらく
口の中で何事かもごもごと耳にも届かないような言を弄んでいたが、
やがておずおずと、口腔で転がしていたのであろう言葉を、口にしだした。
「ドクオさんは、その、夜……何を、するのかなー……と、
思ったり、しちゃいまして? へ、へへ……」
声を出して、へらへら笑う。その態度。顔。仕草。
更に、苛立ちが、募る。
「……余計なことは考えるな。お前はお前の責務を全うすれば、それでいい」
「う……は、はい、そう、ですよね、ですよねー……」
「用が済んだなら、俺は行く」
「あ、何処に……?」
立ち去ろうとした俺の足が止まる。キュートを見る。
キュートはたじろいだ様子を見せる。
……が、これくらいは、言ってやっても、構わない。
「ダメ親父のお使いだ」
そう言って、俺は今度こそキュートから、
打ち捨てられた駅崩れから、離れていった。
.
159
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:36:39 ID:LnuxV94A0
「おおぼんず、今日も来たんかぁ」
「……ええ、まあ」
「いつもお使いご苦労さまだのう。
ほれ、どうじゃ、菓子でも食っていかんか? 甘いのもあるぞ?」
「すみませんが、急いでますので」
「そうか、それは残念じゃのう……」
そう言って荒巻は、予め紙袋に用意しておいてくれたそれを、
売り台の裏から取り出した。俺はそれを受け取ろうとする――が、
それの取っ手が俺の手へと触れる前に、荒巻が受け渡しのために伸ばした手を、止めた。
「しかしのう、こんな商売やっとるわしが言えた義理じゃないが、
どうせなら完全に断っちまったほうがええんじゃないかのう」
「……それは、先生の判断だから」
「それじゃ。お前さんみたいに小さな子を、
よりによってあんな奴の所へ向かわせるなど……
あのお医者先生も何を考えておるのか」
「言うほど、小さくも……」
「なんじゃ?」
「いえ」
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