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イ結ぶ這鏡のようです
160
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:37:02 ID:LnuxV94A0
身を伸ばし、荒巻のしわだらけの手から紙袋を奪う。
そうして必要な文だけの金を手早く売り台に置いて俺は、
そのままこの場から立ち去ろうとした。
「なあお前さん……お前さん何か、
悪いことでも企んどるわけじゃあるまいな?」
売り台に置いた小銭に触れそうなほど顔を近づけながら、
荒巻が問いかけてきた。小銭と小銭がかち合う金属音が、店内に響き渡る。
「お前さんは……」
重く、歳に相応しい深みを感じさせる低い声――。
「ところで……どなたじゃったかのぅ?」
が、とぼけたそれへと一変。
俺は――そのまま無言で、すえた臭いのするこの店を後にした。
「わからんのぅ……」などというつぶやきが、ゆっくりと背中を追いかけてきた。
.
161
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:37:33 ID:LnuxV94A0
紙袋を持ち、向かう。先は、一軒。
この六日、欠かさず、毎日、通った場所。
這ナギの外れにある、草臥れて、廃屋と見間違えてしまいそうな家屋。
しかしここには確かに、人が住んでいる。
あいつが、住んでいる。
いつものように、ノックもせず、扉を開ける。
木々の腐った臭いが、こぼれ出る。
その中心に、男が、一人。
男は背中を向けたまま、こちらを一瞥すらしなかった。
“今”は健常である片目が、うずく。
162
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:38:01 ID:LnuxV94A0
「これ、今日の分です」
言って、俺は紙袋に収められた中身を取り出す。
俺の腕より遥かに太い胴回りを持つ、酒瓶。
俺はその酒瓶を、空のまま放置された他の瓶を遠ざけつつ、
直に床へと置いた。男はまだ、背中を向けたままだった。
男は、動かなかった。
動かないままでも、その頑健で暴力的な空気を発する肉体からは、
近寄りがたい驚異を感じさせた。
男の名は、ギコ。
“今日の夜”。
『日鏡巻山』にて。
“俺”を『蜷局の溝』へと突き落とす者。
でぃの兄であり――お姉ちゃんの、叔父に当たる男。
.
163
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:38:25 ID:LnuxV94A0
話は六日前まで遡る。
這ナギ診療所に、一人の男が訪れた。
シャキンという名のその人物は、村内でも外れ者であるギコと口論になり、
末には空になった瓶で強か頭を打たれた。
頭を打たれたシャキンは二、三日の間
目眩などを感じたらしいが、いまは平気で働いている。
問題はむしろ、シャキンを打った側――ギコにあった。
ギコは重度のアルコール中毒者であり、
シャキンと口論になった時も酔いが回っていたらしい。
というよりも彼は基本、酔っていない時がなかった。
この村で唯一のお医者先生である内藤も、ギコの状態は知っていた。
それが生命に関わりのある状態であることも。
彼は己が責務に則って、ギコが酒を飲めなくなるよう、
物理的な処置を施した。つまり、ギコに酒を売らせない、という処置。
164
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:38:53 ID:LnuxV94A0
「んー……お医者先生、そんなふうには
言っておらんかったがのぅ……」
這ナギの西には、酒屋が一軒しかない。
荒巻という半ば正体を失いつつ有る老人が一人で経営している、荒巻酒店がそうだ。
毎日毎日酒を飲み続けているギコも当然、この酒屋の常連だ。
「考え直したんです。まったく売らないと言えば、
ギコは店の中で暴れるかもしれない。だから一本だけ。
一日一本だけ、売ってやる。そうして少しずつ飲酒量を減らしていく。
そういう方針に、変えたんです」
この村にも一応、居酒屋などは存在する。
だが、ギコは人とは飲まない。まず、人の集まる所へ来ない。
ほとんど家から出ることもなく、いつも一人で、
廃屋のような家の中心で飲み続けていた。
だから勘案すべきは、この荒巻酒店のみ。
先生も、俺も、そう考えた。
165
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:39:21 ID:LnuxV94A0
「そんなもんかのぅ……」
荒巻はどこか腑に落ちない様子だったが、
それ以上突っ込んでくることはなかった。
俺が直接持っていくと言った時も、訝しみつつ、結局は任せた。
そしてこの老人の脳は、昨日も明日も今日も、曖昧に混ざり合っていた。
そうして俺は毎日、ギコの家へと通い続けた。
逐次課される母からの題を完遂した後の夕に、
うそを吐いて奪取し続けた一本の酒瓶を持参して。
すべてが計画通りに進行していた。
俺がギコの下へ酒を運ぶという行為が、“当たり前”であるという形へと――。
.
166
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:39:47 ID:LnuxV94A0
「蓋、開けておきますね」
転がったままの栓抜きをつかみ、瓶の蓋を開ける。
これもまた、“当たり前の行為”の一環だった。
怪しい所は、なにもない。ギコもそれを理解している。
二、三日の間は不思議そうに俺を見てもいたが、いまや振り向きもしない。
ギコにとって俺のこの行動は既に、日常の一部と化したのだ。
それこそが、俺の狙い。
懐に潜ませていたそれを、静かに取り出す。剥き身の薬剤。
錠剤型のそれは水溶性で、水中に投入すると瞬く間に溶けて消える。
水は、真水である必要はない。
茶でも、果汁でも、水分が含まれるものであれば何にでも溶ける。
酒にでも。
167
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:40:17 ID:LnuxV94A0
錠剤を、二本の指でつまむ。
気をつけるのは、音を立てないことだけだ。
不要な音は、それが何であろうと、立てない。
あくまで俺は、“当たり前”の渦中にいるのだから。
疑われ、ギコのその背が、肩が、頭が、
わずかにでもこちらに向いたならば、俺の計画は破綻するのだから。
縁にも接触させてはならない。波音を立ててもならない。
静かに、慎重に、しかし焦らずに、“当たり前”を遂行する。
問題ない。練習ならば、一○○を超える程に、行った。
俺は、できる。俺には、できる――。
錠剤は、音もなく瓶底へと沈み込み、過たず、その痕跡一切、霧消した。
ギコは変わらず、背を向けたままだった。
――勝った。
168
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:40:45 ID:LnuxV94A0
「じゃあ、俺はこれで……」
立ち上がる。もうここに用はない。
ギコは俺が家から出たと同時にこの酒を、コップも使わずに飲み始めるだろう。
その行動パターンも既に、この六日感で確認済みだ。問題はない。
後は怪しまれない内に退散するだけだ。
ギコの背に向けて一礼し、俺はそのまま、
この廃屋が如き這ナギの外れから立ち去ろうとした――。
「待て」
全身の血液が、凝固する。
不自由なほどに固まった身体が、動くことを拒絶している。
だが、このまま立ち尽くしていては、不自然だ。
自然に、あくまでも自然に、俺は、ギコの方へと、振り向きなおする。
ギコが、俺を見ていた。
真っ直ぐに、座ったまま、俺を見上げていた。
俺は始めて、ギコの顔を、目を、この時始めて、正面から、捉えた。
暗い、闇い、瞳。
――あの子を、想起する。
169
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:41:19 ID:LnuxV94A0
「俺は、惨めか……?」
ギコの手が、酒瓶へと伸びた。
「仕方ないんだ」
酒瓶が、ギコの口へと運ばれる。
「囚われてしまった者は、
こうするより他にないんだ。こう生きるより……」
口の端から、黄土色の液体が溢れる。
「俺達はもう、“今”を生きられなくなってしまった……。
“今”は、もう、遠く……」
ギコが、酒瓶から、手を離した。
「お前は、なるなよ……。俺のように……」
支えを失った瓶が、横倒しに、倒れた。
「俺や――内藤の、ように……………………」
床を転がる瓶が、壁にぶつかり、止まった。
そして、ギコもまた、止まった。
睨むことも、しゃべることもなく、
座ったまま、止まっていた……眠っていた。
170
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:41:47 ID:LnuxV94A0
睡眠薬が、効いていた。
診療所からくすねた睡眠薬が。
今の夜、ギコが目を覚ますことはないだろう。
いつの間にか抑えていた片目から、ゆっくりと手を離す。
今度こそ、ギコの家から出る。
これで布石は、整った。
後は“決行”するだけ――。
身体をつかまれ、乱暴に、地面へと叩きつけられた。
.
171
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:42:08 ID:LnuxV94A0
「ねえ、どういうこと……?」
何かが、俺の上へと伸し掛かってきた。
なんだ――と思うよりも先に、無警戒な顔面へと衝撃が走った。
首がよじれ、地面とこめかみがこすれる。
と、思えば今度は逆側から、同様の衝撃が発生した。
首が一八○度回転する。
「どういうことって聞いてるの……!」
脳髄に障るヒステリックな叫び声が、直上から響き渡る。
女の声。よく知った、その声。俺が――“ぼく”が、最も恐れる、その声。
ほほを打つ衝撃は止まっていた。
唯一自由に行えたまぶたを閉じるという防御行為を解いた俺は、
俺にまたがるその女を、見た。
女は、やはり、母だった。
172
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:42:32 ID:LnuxV94A0
「どうして……」
「酒屋のじーさんに、言われた。嘘だと思った。
だけど本当に、あんたはここにいた」
ここに――という言葉を言うより先に、母が答えを述べた。
最悪だった。荒巻。侮っては、ならなかった。
「ねえ、どうして……?」
「……」
「私、言ったよね? 誰とも付き合ってはダメって、言ったよね?
ギコに近づくなって、“命令”したわよね……?」
「……」
「ねえ、ドクオ、どうして? どうしてここにいるの……?」
「……」
「答えなさいよ!」
鼻の頭に、衝撃が走った。
開かれていたはずの母の手は、今や硬く、きつく、握りしめられていた。
拳が再び、俺へと落ちる。
173
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:42:56 ID:LnuxV94A0
「“命令”したじゃない!」
歯が砕ける。
「どうして裏切るのよ!」
目玉が潰れる。
「どうしてみんな、私を裏切るのよ!」
頭蓋が割れる。
「どうしてよ、どうしてよ!!」
頭が、ぐちゃぐちゃに、粉になって、液体になって、
原形を、失っていく。溶けて、溶けて、消えていく。
溶けて、溶けて、溶けて――。
「どうして、どうして、どうして、どうして――」
死――。
「おやめなさい」
174
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:43:29 ID:LnuxV94A0
加撃が、止まった。声が、聞こえた。
母のものとは、別の声。女の、年老いた、声。
「お義母さん……」
「ぺ、ペニサス……」
三人目。今度は男。俺が最も、嫌う声。
遺伝子以外に、つながりなどない存在。
「……なによ。また私を悪者にするの……?」
「そ、そんなこと……」
「あるじゃない! いつだってあんたは、私ばっかり悪者にして!」
「黙りなさい」
「か、母さん……」
「デミタス、あなたもです」
唾液を飲む音が聞こえた。
遠く離れて、その光景も目に見えないはずなのに、俺にはあいつが――
デミタスの奴が祖母の後ろで縮こまっている姿を、ありありと見て取ることができた。
そうだよな。お前はいつでも、そうやってきたんだもんな。
そうすることでしか、生きていけなかったんだもんな。
解るよ。俺にも、解る――。
だからお前も、死ねばいいのに。
175
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:43:52 ID:LnuxV94A0
「私が愚かでした。下手な温情など出さず、息子の嫁は私が決めるべきだった。
そうしていれば、あなたのような他所者が私達の這ナギに紛れ込むことも、
半端な混ざり物が生まれることもなかったのに」
視線を、感じた。
感覚の薄れた五感にすら伝わる冷えた、血の通った感じのしない、視線だった。
「二○○○万あります」
俺の上に乗った重みが、わずかに軽減した。
「これが最後の温情です。これを持って、
“あなたの”息子と共に這ナギから出ていきなさい。
そして二度と、私達の土地に足を踏み入れないでください」
重みが、更に、遠のいた。
「さようなら。あなた方は私達親子の汚点でした」
176
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:44:24 ID:LnuxV94A0
つんざく悲鳴が、鼓膜を破った。
空に、紙束が、散らばった。
紙束は一つが二つに、二つが四つに分裂し、
鋭利な刃物となって空を裂き、分断し、色を、粒子を、光を、
全部、全部、全部、細かく、細かく、細かく、細かく、
切って、切って、切って、切って、切って、なにも、かもが、なにも、なく、なって。
そして、後には、闇――
.
177
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:45:11 ID:LnuxV94A0
本日はここまで。つづきは後日
178
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:48:03 ID:LnuxV94A0
あ、
>>125
はミスです。失礼しました
179
:
名無しさん
:2019/01/09(水) 23:56:45 ID:yi.mSZC60
なげえw
乙です、続き楽しみにしてます
180
:
名無しさん
:2019/01/10(木) 00:36:16 ID:IQTdRoAA0
乙!
181
:
名無しさん
:2019/01/10(木) 09:17:03 ID:dytgSWEs0
乙
182
:
名無しさん
:2019/01/10(木) 16:26:34 ID:rYCM7ihg0
乙
輝きをかかやきと呼ぶのは単なる方言かはたまた……気になる。
183
:
名無しさん
:2019/01/10(木) 18:03:42 ID:x7pW61gY0
乙
やべえ作品が来た
184
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:51:28 ID:Mwo13yTw0
四
「先生、私、先生を信じたいの」
どうした、藪から棒に。
「だって昨今は、色々騒がしいじゃない?」
……耳を貸すな、人は勝手なことを言うものだ。
「そうよね。私は、治るのよね」
ああ、もちろんだ。
「お薬はちゃんと、効いたのよね?」
ああ。
「“失敗”なんかじゃ、ないのよね?」
……ああ。
185
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:52:10 ID:Mwo13yTw0
「……ふふ」
どうした?
「だって、おかしいもの」
おかしい? 何が?
「先生の顔が」
……俺の、何が。
「笑ってる」
……笑うと、おかしいのか?
「だってそんなに辛そうな笑顔、見たことない」
……元から、こんなだよ。
「うそ」
うそじゃ……。
186
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:52:32 ID:Mwo13yTw0
「ねえ先生、私、先生を信じたいの」
ああ。
「だから本当のことを言って」
……ああ。
「私はもう、助からないのよね?」
…………。
「ねえ、どうして笑うの?」
笑って、なんか……。
「笑ってるよ」
そんなこと……。
「笑って、ごまかそうとしてる」
…………。
「先生、こっちを見て」
……………………。
「逃げないで」
187
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:52:58 ID:Mwo13yTw0
や、やめろ……。
「逃げたって、誰も“助けて”はくれないよ」
やめてくれ……。
「ねえ先生、私、ダメなの」
見るな……。
「私、もう、ダメなの」
そんな目で、見ないでくれ……。
「もう、耐えられないの」
頼む――。
「ねえ先生――」
誰でも、誰でもいい――。
「私――」
俺を……ぼくを――。
「もう――」
助け――。
.
188
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:53:22 ID:Mwo13yTw0
楽になりたい。
.
189
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:53:47 ID:Mwo13yTw0
「…………ぁああぁぁぁっ!!」
「わ、わっ!」
口を塞がれた。頭を振って逃れようとする。
さらに圧が強まった。全身をよじって、跳ね飛ばそうとする。
身体の上に何かが乗りかかり、拘束された。
そこで始めて俺は、自分ののどが焼け付くように痛むことに――
叫び声を上げていることに、気付いた。気付き、それを止める。
振動が止まる。縛めが、解かれた。
「……えぇと、おはよう?」
暗がりの部屋の中、俺を見つめる者の顔。
「……なんで」
お前が。
「えっと……なんて、いうか……」
ここに。
「放っておくわけにも、いかなかったから……」
いる。
「だから、かな?」
どうして父が、ここにいる。
190
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:54:20 ID:Mwo13yTw0
意識が、朦朧としている。
そもそもここは、どこだ。
「……ああ、ここは母さんの……お祖母ちゃんの家だよ」
首を振り、周囲を確認していた俺の動向からその意図を察したのか、
デミタスは訊かれるよりも先に答えを述べた。祖母の家。
そう言われてみると、どことなく見覚えがある。
以前に訪れたのはもう、“何十年”前になるか。
片目に触れる――。
「あ、あんまり触らないほうが良いよ。
一応手当はしたけど、軟膏を塗った程度だし」
言われて、顔面にいびつな盛り上がりができていることに気付く。
同時、痛みを覚える。
そうだ、俺は母にしこたま殴られ、
そのまま意識を失い、そして――。
あっ
191
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:54:43 ID:Mwo13yTw0
「しー、しー!」
「いま何時だ!」
口の前で立てられたデミタスの人差し指をつかみ、詰め寄る。
デミタスは困惑した様子で、答えない。
俺は使えないデミタスから離れ、四つん這いの格好で障子戸まで近づき、
そして、それを開けた。
外では既に、夜の帳が落ちていた。
まずい。
「あ、危ないよ! まだ安静にしてなきゃ……」
デミタスが後ろで何か言っていたが、気にしている余裕はない。
手遅れだろうか。いや、そんなはずはない。一週間――いや、
この“一五年間”、ずっと、ずっと待ち続けてきたチャンスなのだ。
無為になど、できるか。急げ。急げば間に合う。間に合うはずだ。
立ち上がる。歩を踏み出す。
そして、そのまま、勢いよく――地面へと、転倒した。
192
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:55:21 ID:Mwo13yTw0
「ほ、ほら……。言わんこっちゃない」
頭がぐるぐる回っていた。上下も左右も定かでない。気持ち悪かった。
身体の中身がぐちゃぐちゃの液体で、動くごとにそれが波打って、
ちょっとした刺激でそれら全部口からこぼれ落ちてしまいそうな感覚だった。
それに、痛かった。母に殴られた箇所――だけでは、ない。
指先や足の先が、鋭利な刃物で傷つけられたかのように、痛かった。
痛さと気持ち悪さで、身体が思うように動かなかった。
「何処に行くつもりか分からないけども、
せめてもう少し休んでからにしたらどうだい? ね?」
193
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:55:44 ID:Mwo13yTw0
倒れた俺に、父が手を差し伸べてきた。
視界に、その手を捉える。存外、大きな手だった。
もしかしたら、こんなに間近で父の手を見たのは、
生まれて始めてのことかもしれなかった。
俺の世界は常に、母で満たされていた。
そこに、父の隙間はなかった。
ここに母はいなかった。いるのは俺と、父だけだった。
その父が、俺に向けて、手を伸ばしていた。
だから、俺は、自らの手を、父の、その手に向けて、伸ばし――。
「それに、ドクオのことは母さんに内緒にしているんだよ。
母さんはまだ起きているはずだし、
ドクオを連れてきたことがもし母さんにバレたら……」
払い除けた。
194
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:56:11 ID:Mwo13yTw0
表皮に包まれた液体<内部>が、小刻みに振動する。
「は、は、笑える。はは、ほんとに、
こいつは、傑作だ、はは、はは、は……」
「ど、ドクオ……?」
「いやんなる程そっくりだって言ってんだ」
笑う度、気分は悪化した。
デミタスは息子である俺を、実の息子である俺を、怯えた顔をして、見ていた。
「あんたの母さんが言ってただろ。俺は“ペニサスの息子”だ。
あんたの息子じゃない。俺とあんたは、赤の他人だ。
親子でも何でもない、他人だ。だから、だから――」
デミタスが、俺の中の母を、見ていた。
「どうぞ末永く、御母上とお幸せに」
195
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:56:35 ID:Mwo13yTw0
立ち上がる。今度こそ。身体が左右に揺れる。
それでも、意識を確固たるものとすれば、問題はない。
そうだ、俺は、違う。そうだ、俺は、やり遂げられる。
そうだ、もう、やるべきことはわずかだ。
そうだ。後は、殺して、殺すだけだ。
転がるように、“他人”の家を出る。目指すは一点。
やつの下。やつのいる場所。俺は、そこへ、行く。
人を殺す為に、走る。
.
196
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:56:59 ID:Mwo13yTw0
ギコという男はかつて、成り上がりを目指してこの這ナギから上京した。
噂ではヤクザ紛いの悪行を繰り返した末に
生命の存続すら脅かされる状況へと陥り、
逃げるようにして這ナギへと帰ってきたと言われている。
噂はあくまで噂。真偽の程は定かでない。
ただ。彼が働きもせず日長一日酒浸りの生活を送れていることは、事実だ。
そして彼がその潤沢な懐から援助を施すことで、妹でぃの生活が成り立っていることも。
ギコとでぃは、仲睦まじい兄妹であったそうだ。
でぃが這ナギの東の男と恋仲となり東へ嫁ごうとした時も、
難色を示す両親を押しのけ妹自身が選び求めた人生の門出を、ただ一人祝福した。
そして這ナギの東が滅び、夫を病で失い、
西へと戻らざるを得なくなったでぃにも、
よそものとして白眼視を取る村の者とは異なり、
あくまでも兄としての態度を取り続けていた。
酒に溺れ、自制が効かなくなっても、
妹にだけは手を挙げなかったそうだ。
ギコにとって、妹でぃは大切な存在であった。
でぃにとっても兄ギコは、なくてはならない存在であった。
そして、でぃが最後に頼るのは、兄であるギコになるはずであった。
事実、“かつて”も、そうだった。
197
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:57:22 ID:Mwo13yTw0
家の中は静まり返っていた。
話し声一つ、寝息の一つ、聞こえてはこない。
閑として冷え固まった空気に余計な振動を及ぼさぬよう努めて足音を殺し、
明かり差さぬ虚下を這い進む。目的の場所へ、目的の人物の下に向かって。
襖がわずかに開いていた。開いたそこから、明かりが漏れている。
ここだ。物音を立てぬよう襖と壁との隙間に身体を滑り込ませる。
そこには――ギコの姿は、なかった。
本来ここにいるはずのギコの姿は、影も形もなかった。
睡眠薬の導入は、成功した。
“今”この場にいるのは俺と――でぃのみとなった。
“かつて”の“ぼく”も、でぃの“あの”発言を聞き、
お姉ちゃんを助け出そうとした。だが“かつて”の“今”、ここにはギコがいた。
お姉ちゃんを外へと連れ出すことはできたが、その試みはすぐに明るみとなり、
“ぼく”はお姉ちゃんを連れて追手から逃げざるを得なくなった。
そして、最後には――。
198
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:57:51 ID:Mwo13yTw0
お姉ちゃんも、この場にはいなかった。“手はず通り”だ。
お姉ちゃんはおそらく、キュートが既に連れ出している。
今頃は診療所で、キュートとお姉ちゃんは、内藤と共に三人でお茶でもしているはずだ。
……そう、そのはずだ。計画通りに、進んでいるなら――。
考えるな。
後はもう、やるだけだ。逃げるな。逃げても、解決しない。
かつての“ぼく”の過ちは、お姉ちゃんを連れて逃げ出そうとしたことだ。
所詮子供の足で、何処まで逃げられるというのだ。
“かつて”のように追い詰められ、最悪の結末を迎えるのがオチだ。
係る悪因は、根から排除しなければならない。
つまり、でぃの殺害。
199
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:58:18 ID:Mwo13yTw0
でぃはこの一週間、一人でいる時間がなかった。
四日目、這ナギに帰郷して後は、あの都会から連れてきた集団が常に周囲にいた。
彼らが帰郷する七日目まで、手出しをすることはできなかった。
そして本来の歴史ではこの七日目の夜、でぃがお姉ちゃんを殺そうとした夜、
でぃの側にはギコがいた。ギコの目をかいくぐってでぃを殺害することは、困難だった。
だから俺はまず、ギコの排斥を目指した。
その準備として酒屋の店主荒巻を騙し、ギコの下へと酒を抱えて通い続けた。
加えて、キュートの存在。
キュートの存在によってこの計画は、更に完成度を高めた。
お姉ちゃんはキュートに連れられ、いまは内藤と下にいる。
“完全な”アリバイがある。お姉ちゃんに疑いの目が掛かることはない。
お姉ちゃんは孤児となり、そしてその後は、内藤が引き取る。
他の孤児同様に。恐らくはいようたちも、
“大好きな”お姉ちゃんが家族の一員になることを歓迎するだろう。
あと一手だ。
お姉ちゃんを助けるための計画は、あと一手で結実する。
でぃを殺せば。
200
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:58:46 ID:Mwo13yTw0
診療所から拝借したメスを、懐から取り出す。
包を剥がし、刀身を顕とする。薄暗がりに怪しく灯る光が、
メスの薄い刃先に反射する。片目を押さえる。健常な片目を。
抑えたまま、垂れ下げた逆の手にメスを握り閉め、
音なく、息なく、地を這う者となる。地を這い、這い進み、
にじり寄り――そして俺は、対象の背を、取った。
でぃ。
俺は、お前を、殺す。
殺して、“今度こそ”、終わらせてやる――!
振りかぶり、対象の首筋目掛け、それを――。
.
201
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 14:59:21 ID:Mwo13yTw0
ドクオさん!
.
202
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:00:16 ID:Mwo13yTw0
空気の流れが変わった。
家の中を、冷たい風が通り過ぎた。誰かが叫んでいた。
誰かの名を――俺の名を。俺の名を叫んだ声が、
家の外から家の内へと、空気を揺らして駆け抜けた。
でぃが、顔を上げた。振り向いた。
凶器を握りしめ、いま正にそれを振り下ろさんとする少年を認識した。
少年を、見上げた。
俺は、彼女の瞳を見た。
瞳が語る言葉を、見た
楽になりたい。
.
203
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:00:46 ID:Mwo13yTw0
「う、ぁ……」
動悸がする。(やれ――)。眼の前が白に染まる。(振り下ろせ――)。
立っていられなくなる。(殺せ――)。殺さなければならないのに。(殺せ――)。
終わらせなければならないのに。(殺してしまえ――)。
ぼくは――。(お前は何のためにここにいる――!)。
ぼくは、いったい、何のために――。
.
204
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:01:21 ID:Mwo13yTw0
助けて。
お姉ちゃん。
助けて。
ぼく。
人殺しなんて、したくない。
したくないよ。
人殺しになんて。
なりたく。
なかった――。
.
205
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:01:43 ID:Mwo13yTw0
「どうして殺してくれないの……?」
.
206
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:02:11 ID:Mwo13yTw0
ぼくは止まっていた。世界だけが高速で動いていた。
でぃが遠ざかっていった(ああ、殺さなきゃいけないのに……)。
バベルが如く遥かな高みへそびえ立つ空廊を、
上天下土に落下した(終わらせなきゃいけないのに……)。
振動が世界に遅れて一周し、加速した光の矢と化したそれは
鼓膜ごとぼくの脳髄を貫いた(逃げてはいけないのに……)。
叫び声が聞こえた。
それは、ぼく自身の喉から出ているものだった。
ぼくは、逃げた。
.
207
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:02:39 ID:Mwo13yTw0
「ドクオさん!」
「……きゅー……ろ……?」
キュートがいた。
キュートが俺の下へ駆け寄ってくる。
伸ばした手を――俺は、振り払う。
「……め、“命令”、したらろうが……!」
「で、でも……」
「うるさい!」
キュートが小さな悲鳴を上げる……上げた、おそらく。
世界が遠く自分を隔てていて、音が、視界が、はっきりしない。
「なんれ、ここに、いるんら!」
「ど、ドクオさん、ずっと来なかったから、
何かあったんじゃないかって……」
「よ、余計な……」
「それに、先生もいないんです。診療所の何処にも。しぃさんも――」
「お姉ちゃん!」
208
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:04:08 ID:Mwo13yTw0
意識が一気に覚醒する。
現実と自己とが和合する。
ぼやけた景色が輪郭を取り戻す。
俺の叫びに、キュートが振り返った。
キュートの視線の先には、木製の荷台が置かれていた。
未だ不自由な肉体を左右に揺らしながら、俺はその荷台に近づいていく。
そこに収められたものを、覗き込む。
お姉ちゃん。
しぃお姉ちゃん。
お姉ちゃんは荷台の中に丸まって横になっていた。
お姉ちゃんの瞳、水鏡のように愁い澄んだ瞳は、見えなかった。
お姉ちゃんは目をつむっていた。
目をつむって、静かに、微動だにすることもなく、そこにいた。
まるで『この世のものではない<常世のものである>』かのように、
お姉ちゃんは、眠っていた。
「ずっとこうなんです。揺すっても何をしても起きなくて……
ボク、どうしたらいいのか……」
209
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:04:38 ID:Mwo13yTw0
そうだった。
“いつか”の“今”も、そうだった。
お姉ちゃんはぼくの背で、動くことを止めた。
そして――。
キュートに、掴みかかる。
「お姉ちゃんは……お姉ちゃんは何か、言っていなかったか。
何か、お姉ちゃんは……!」
「ドクオさん! あの、い、痛いです……いたっ……」
キュートが身体を振って逃れようとする。
ぼくは逃さないよう、指先に更に力を込める。
「教えろ、教えてくれ、お姉ちゃんは言っていたはずだ、
絶対に、何か、言っていた。そうだろう、そうだ、そのはずだ……!」
210
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:04:58 ID:Mwo13yTw0
「いた、痛い、よ、離して……」
キュートは抵抗を止めた。抵抗を止め、ただ、震えている。
俺は更に、更に、力を込める。
「隠すな! 隠すなよ! お姉ちゃんは――お姉ちゃんはぼくに、
なんて“命令”をくれたんだ……!」
何かが折れるような音が、響き渡った。
絞り出すような声が、吐息と混じって、吐き出された。
『日目見<ヒメミ>湖に』って――。
.
211
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:05:42 ID:Mwo13yTw0
“かつて”ぼくは、お姉ちゃんを連れて逃げた。
でぃから、ギコから、お姉ちゃんを殺させないために。
お姉ちゃんに生きていてもらうために。ぼくはお姉ちゃんを連れて逃げ出した。
アテなどなかった。
ただ、でぃからお姉ちゃんを遠ざけなければならないと、それだけを考えていた。
どこへ行けばいいのかなど、解らなかった。誰かを頼るという発想はなかった。
棄却したのではない。端から頭に浮かばなかった。ただ、走った。
どうにかなるとも、ならないとも、考えなかった。
日女巳<ヒメミ>湖に――。
212
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:06:07 ID:Mwo13yTw0
走るごとにその足を鈍らせ、
遂にはその場に倒れてしまったお姉ちゃんが、最後に発した言葉。
それがこの「ヒメミ湖に」だった。この言葉を残してお姉ちゃんは、
深き幽世の眠りへと落ちていった。
それはお姉ちゃんからの“命令”であると、ぼくは受け取った。
良いも悪いもなかった。“命令”には従わなければならない。
それも、お姉ちゃんからの“命令”。断る理由などなかった。
縋る理由は、山程あった。
お姉ちゃんを担いで、ぼくはヒメミ湖へ向かった。
ヒメミ湖へ向かうため、日鏡巻山を登った。
ずり落としそうになるお姉ちゃんを絶対に落とさぬよう支えながら、
一歩一歩、登っていった。“かつて”のぼくは、そうしていた。
そして、“今”も、また。
213
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:06:41 ID:Mwo13yTw0
キュートの用いた荷台を使って、お姉ちゃんを運ぶ。
日鏡巻山は山頂の、ヒメミ湖に向かって。
“かつて”通った道を、“かつて”と同じように、お姉ちゃんと、ぼくで、登っていく。
ただひとつ違うのは、キュート。
キュートは腕を抑えながら、俺の後に付いてきた。
何故付いてくるのか解らなかった。
これはもはや、ぼくとお姉ちゃんの問題なのだから。
キュートとはもう、関係ないはずだった。だから、解らなかった。
しかし、追い返そうとも思わなかった。
ぼくにはもう、キュートについて深く考える余裕などなかった。
キュートはそこにいた。けれど意識が編集した視界には、
その影も形も存在しなかった。付いて来たいなら勝手にすればいい。
俺の知ったことじゃない。それはそう思った。
214
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:07:14 ID:Mwo13yTw0
無言で、登っていった。苦しかった。
呼吸が、酸素が、足りない気がした。
一度は覚醒した意識が、再び混濁し始めていた。
ぼくは何をやっているのだろうか。疑問が頭をよぎった。
同じことを繰り返している。“かつて”と。
逃げて、逃げ切れなかった、あの時と。そして、その先に待ち受ける結末も――。
だが、それは、ありえない。
同じ結末を辿ることだけは、決してない。
“かつて”と“今”とでは、決定的に違う点があるから。
お姉ちゃんは、“あの場”で、殺されない。
けれどその場合、“未来”は一体どこへ行き着くのだろうか。
「……ここは」
見覚えのある場所。
カカ山三大禁忌がひとつ、屍溜まりの『蜷局の溝』。
俺が落ちていった場所。片目を失った場所。
――お姉ちゃんが、死んだ場所。ギコに突き落とされた場所。
だが、ギコは、ここにはいない。既に無力化した。
診療所からくすねた睡眠薬によって。
片目のうずきはただの幻肢痛に過ぎない。
未来は、変わった。もはやここに用はない。
俺は『溝』の最下から目を逸らし、
ヒメミ湖を見上げ、お姉ちゃんを乗せた荷台を押そうとし――。
215
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:07:39 ID:Mwo13yTw0
「……え?」
.
216
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:08:06 ID:Mwo13yTw0
軽く、本当に軽く、背中を、押された。
それだけでぼくは、姿勢を維持することができなくなった。
足に力が入らなかった。よろけて、つんのめって、そのまま転がった。
転がった先に、地面はなかった。『溝』に向かって、ぼくは倒れた。
あ、これ、落ちる。
手だけは、離さなかった。強く、握りしめていた。
取っ手を。荷台の取っ手を。
必然、荷台はぼくへと引きずられ、重力に従い降下を始める。
お姉ちゃんを載せて。ぼくと共に、落ちる。
また。
まぶたを、閉じる。
.
217
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:08:32 ID:Mwo13yTw0
「んぎぃ!!」
.
218
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:08:59 ID:Mwo13yTw0
くぐもった悲鳴が聞こえ、ぼくは、まぶたを開いた。
ぼくは、宙に浮いていた。いや、正確には、落ちかけた荷台の上で、倒れていた。
荷台は崖の端を支点に、てこの原理を利用した形で落下の寸前に留まっていた。
ふらふらと、危うい均衡の下で、それでもなんとか落下を免れていた。
キュートが、荷台を支えていた。
「はや、ぐ……」
考えるより先にお姉ちゃんを抱えたぼくは、
揺れる身体を唇を噛む痛みで制して、あらん限りの力を込めて
荷台の外へと転がりでた。当然その先にあるのは、地上。
地上に、身体を、打ち付ける。
ぼくはどうやら、生きていた。
そして、お姉ちゃんも。
「……しぃさん、ですから……」
ぼくとお姉ちゃんが地面へと転がりでた直後、
荷台が『溝』に向かって落下していった。
落下の途中で山肌にぶつかったのか、
木材の派手に割れる音が山中に轟き渡って木霊していた。
「助けたのは、しぃさんですから。セーフ、ですよね……?」
219
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:09:21 ID:Mwo13yTw0
キュートが尻もちをついた。
両腕が、だらんと垂れ下げられている。
全身が小刻みに震えているのが、夜の暗がりの下でもはっきり見て取れる。
空を仰いだキュートは、笑みと笑みではない何かの混じった
複雑な表情を浮かべ、そしてその顔を、頭を、ゆっくりとへそに向かって下ろした。
「泣いてなんか、ないですよぉ……」
へへへ……と、力のない笑い声が、乾いた山中の空気に溶けた。
死なせてはならない。そう思った。
.
220
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:09:48 ID:Mwo13yTw0
「お前が……!」
立ち上がる。“敵”に向かって。
俺を突き落とそうとした、そいつに向かって。
眼の前には男がいた。頭巾を被っているせいで、顔は見えない。
誰かは解らない。体格から男であると推理できるだけだ。
ギコがいるはずはなかった。
しかし事実として、俺は突き落とされかけた。
俺を突き落としたのは、ギコのはずだ。
だからこいつは、“ギコ”のはずだ。
一五年前の因縁が、目の前に存在していた。
「ギコォ!」
221
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:10:13 ID:Mwo13yTw0
飛びかかる。メスを持って。
本来の役目を果たせず、血の一滴も浴びることの叶わなかった
真新しい刀身を備えたそれを持って。俺は一直線に、真っ直ぐに、
真正面から、“ギコ”に向かっていった。
“ギコ”は俺の行動に意表を突かれたのか、
抵抗らしい抵抗もせぬまま、懐への侵入を簡単に許し、そして――
その太ももに、鋭利な刃物を、突き立てられた。
“ギコ”の身体が前傾する。
俺は更に、逆側の腿にも引き抜いたばかりのメスを突き込んだ。
“ギコ”は立っていることができなくなったのか、両膝を地面に付いた。
俺は更にメスを引き抜き、高く振りかぶり――。
222
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:10:41 ID:Mwo13yTw0
「……その顔、最後に拝んでやる」
振り下ろすことなくそれを放り投げ、“ギコ”の被る頭巾に手を掛けた。
しかし“ギコ”は先程までとは打って変わって、強い抵抗を示してきた。
頭巾に手を掛けた“ギコ”は、亀のように身体を丸めていた。
太ももを踏みつける。しかし“ギコ”は、手を離さなかった。
逆の太ももも蹴りつける。それでも“ギコ”は、手を離さなかった。
俺も、手を離さなかった。
一枚の頭巾に、脱がせようとする力と、
脱がせまいとする相反する負荷が、かかり続けていた。
そしてその現象は、当然の帰結として発生した――頭巾が破け、裂けた。
亀のように丸まっていた“ギコ”の身体が、頭が、反動で跳ね上がった。
隠されていた“ギコ”の顔が、星夜の下で顕となった。
.
223
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:11:07 ID:Mwo13yTw0
「………………………………内藤?」
.
224
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:11:33 ID:Mwo13yTw0
「……」
「なん、え、な、なに、が……?」
「……ギコなら今も眠っているお。きみが盛った薬によってね」
「どうしてそれを――」
言葉にすると同時、線がつながった――気がした。
お姉ちゃんを見た。揺すっても、声をかけても、
荷台の落下があれだけ派手な音を立てても、まるで目覚める気配のない、お姉ちゃん。
深い深い、死のような、眠り。強制的な、意識の沈滞。
それは、まるで――。
「……盛ったのか。あんたも。お姉ちゃんに……!」
「……せめて痛みは与えたくなかったからね」
「なんだよそれ……なんなんだよ、
そんな、だって、そんな言い方、まるで……」
「しぃには今日、死んでもらうということだお」
225
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:12:01 ID:Mwo13yTw0
落下する感覚。
片目を抑える。“今”は無事な、
潰れることなくその機能を十全に果たしているはずの目。
健常な目。それが、濁って、うつろになった。何も見えなかった。
何も見えていなかった。『どうして』という言葉が、暗闇を埋め尽くしていた。
どうして、どうして、どうして――
「どうして、あんたが……」
「それが必要なことだからだ」
「そんなことを聞きたいんじゃない!」
「もうそれしかないんだ!」
内藤が吠えた。
ぼくはその吠え声に気圧されて、立っていられなくなってしまった。
座り込んで、両膝を付いた内藤よりも更に、頭を下げていた。
「解らない……ぼくには、解らないよ……」
「これはしぃ自身の願いでもあるのです……」
226
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:12:27 ID:Mwo13yTw0
女の声。キュートではない。お姉ちゃんでも当然ない。
しかし、その声はどことなく、お姉ちゃんのそれに似ていた。
闇夜の山道から、女がぼうっと現れた。
女はお姉ちゃんによく似て、
しかしはっきりと異なる空気をまとって、内藤の背後に現れた。
でぃが、そこに、現れた。
そして――頭を、下げた。
「ありがとうございます」
顔も見えないくらいに深い、深いお辞儀だった。
「娘のために、ここまでしてくれて」
お辞儀を終え、でぃは頭を上げる。
「きっと娘も惑うことなく――」
顔が見える。目が見える。
「ヒメミ様の下へ、お帰りになることができるでしょう」
お姉ちゃんのものとは、似ても似つかない、瞳が見える。
暗い、闇い、瞳が。
“生”に疲れ果てた、瞳が。
227
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:12:50 ID:Mwo13yTw0
「どういう、ことだよ……」
「東に蔓延した疫病。それが、ここにも感染ってきたんだお」
「這ナギを救うには、娘を“送る”しかないのです」
内藤を、見る。暗がりに膝をつく、かつて憧れたその人を見上げる。
「だって、あんた、神様なんていないって……」
内藤の顔が、苦しげに、歪んだ。
「やれるだけのことは、やったんだ。けれど、どうしようもなかった。
昔のツテを頼ってはみたけども、それも無意味だった。
それでもぼくには、見て見ぬふりはできなかった。
……例えそれが人道に悖る行為であろうと、
大勢の生命を救うことにつながるなら、ぼくは……」
228
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:13:16 ID:Mwo13yTw0
「だから、殺すのか……? お姉ちゃんを。
何の罪もないお姉ちゃんを。奪うのか、未来を……
お姉ちゃんの、未来を……!」
「それは違います」
でぃが、歩き出した。内藤の脇を過ぎ、俺の脇を過ぎ、
後方で座り込んでいたキュートの脇をも過ぎて――そして、止まった。
「しぃは私達が手を下さずとも、遠くない将来、必ず死にます」
「どういう……」
眠るお姉ちゃんの脇に立って、でぃは、止まった。
.
229
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:13:49 ID:Mwo13yTw0
「しぃは、疫病に感染しています」
「そしてそれは、ドクオ、お前もだ」
.
230
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:14:23 ID:Mwo13yTw0
でぃがしゃがみ、横たわるお姉ちゃんのほほに触れた。
「いずれにせよ死んでしまうのなら、
疫病が蔓延る前に今度こそヒメミの姫としての役割を果たしたい……。
これは、あの子自身が望んだ結末でもあるのです」
右のほほを撫で、左のほほも、同じように撫でる。
「一人では逝かせません。私も共に、ヒメミの湖へ沈みます。
それが母としての、この子を産んだものとしての、
せめてもの責務だと思うから」
「……うふ」
「……ドクオ?」
「うふふ……は、はは……」
231
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:14:55 ID:Mwo13yTw0
ぼくが死ぬ?
「お、おい……」
なんだそれ。
「ははは、あはっはっはは」
どんな皮肉だよ。
「あ、あの、ドクオさん?」
笑える(何がおかしい)。
「ははっは、ははは、あははは」
傑作だ(最悪だ)。
「あははは、はははは、ははは」
涙が出る(涙が出る)。
「ははっはっはっは、はは」
だって、そうだろう?
「ははは、はは……」
だってぼくは、ぼくは――。
『ぼく』を殺すために、ここまで来たんだから。
.
232
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:15:22 ID:Mwo13yTw0
でぃを、お姉ちゃんから、引っ剥がした。
「それは、あんたの、役目じゃない」
そうだ、ぼくは知っている。
ヒメミの姫を送る者は、姫を大切に思っていなければならないんだって。
だから、あんたは、違う。あんたじゃ役者不足だ。
誰よりも、何よりも、お姉ちゃんを思っているのは、ぼくだ。
ぼくだけが、お姉ちゃんを思っているんだ。
お姉ちゃんだけが、ぼくを、見つけてくれたんだ。
眠るお姉ちゃんを、背負う。
「ドクオさん!!」
キュートが、ぼくの道に、立ちふさがった。
「だ、ダメですよ!
だって、そんなの、そんなの、ボク……」
広げた両手を震わせて、キュートがぼくの、邪魔をする。
ぼくは、お姉ちゃんが背から落ちないよう気をつけながら、キュートに接近した。
たじろぎ、後退しかけたキュートの足を踏み、その額に、自分の額を、ぶつけた。
至近で、視線が、交差する。
233
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:15:44 ID:Mwo13yTw0
「“命令”だ。お前はそこで、笑ってろ」
「ドクオさ――」
「“命令”だ」
キュートから離れる。視界が広がる。
キュートの表情が、目だけでなく、顔全体で、認識できるようになる。
キュートは、笑っていた。
ぼくは、キュートの脇を、通り過ぎた。
ぼくは、お姉ちゃんを背負って、歩き始めた。
ぼくは、山頂を――ヒメミ湖を目指して、山を登った――。
.
234
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:16:13 ID:Mwo13yTw0
これはきっと、一五年前の続きなんだと思う。
間違った“かつて”を本来の“今”にもどすための続き。
“かつて”死ぬはずであったぼくという存在を、“今”“この場”で葬るための続き。
「お姉ちゃんは、どう思う?」
返事はない。けれどそこに居て、生きてくれていることだけで、充分だった。
それも、もう、後僅かだけれども。
「お姉ちゃん、あのね、ぼく、わかったんだよ」
ぼくもきっと、神様になりたかったんだ。
お姉ちゃんのように。内藤のように。
お姉ちゃんがいなくなったあの日から。
お姉ちゃんと一緒にジョルジュを埋葬したあの日から。
ずっとぼくは、神様になりたかったんだ。
人を、助けたかったんだ。
人殺しになんて、なりたくなかった。
.
235
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:16:57 ID:Mwo13yTw0
「ぼくが、お姉ちゃんを殺した」
ギコに――いや、内藤に突き落とされた時、
お姉ちゃんは薬によって深い眠りに落ちていた。
揺すっても、呼んでも目覚めない、深い眠りに。
けれど、お姉ちゃんは目覚めた。
ぼくの『助けて』という呼び声によって。
お姉ちゃんは、落下するぼくを抱きしめて、
『蜷局の溝』へと落ちていき、そして――死んだ。
ぼくの『助けて』によって、お姉ちゃんは死んだ。
ぼくが、お姉ちゃんを殺した。
「ぼくが、大勢の人を殺した」
内藤のようになろうとして、
お姉ちゃんのようになろうとして、
ぼくは人を助けようとした。
けれどぼくは、二人のようにはなれなかった。
ぼくのせいで、大勢の人が死んだ。
大勢の人を、ぼくが殺した。その時、ぼくは、思った。
思ってしまった――。
ぼくは、何よりも先に――『助けて』と、思ってしまった。
236
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:17:42 ID:Mwo13yTw0
ぼくはきっと、人を殺し続ける。お姉ちゃんを殺し続ける。
『助けて』と叫んで、自分の死を、他者に押し付ける。生き続ける限り。
ぼくという生き物は、そのようにデザインされてしまっているから。
そう決まっているから。
だからぼくは、『お姉ちゃんが生き残る未来』を築いた後、
『ぼくを殺す』為の計画を立てた。ぼくによって殺される多くの人を、
ぼくを殺すことによって、助けたかった。お姉ちゃんを助けたかった。
お姉ちゃんに、ぼくが奪った生を返したかった。
でも、お姉ちゃんは、死ぬらしい。
.
237
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:18:12 ID:Mwo13yTw0
「楽になりたい……」
お姉ちゃん。
「ぼく、もう、楽になりたいよ……」
生きるのは、つらいよ。
「これ以上、生きていたくないよ……」
生きることにぼくは、向いていなかったよ。
どうしてみんな、そんな当たり前に生きていられるの?
.
238
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:19:06 ID:Mwo13yTw0
ヒメミ湖が、見えた。
「お姉ちゃん」
お姉ちゃんを、背から下ろす。
「お姉ちゃん」
手をつなぐ。
「お姉ちゃん」
罅割れ、血が溢れ始めた互いの手を。
「お姉ちゃん」
あの時みたいに。
「お姉ちゃん」
重ね合って。
「お姉ちゃん」
彼岸と此岸の境に向かって。
「お姉ちゃん」
“生”のない場所に向かって。
そして。
239
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:19:31 ID:Mwo13yTw0
お姉ちゃん。
今度こそ、一緒に――。
.
240
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 15:19:58 ID:Mwo13yTw0
本日はここまで。次で最後です
241
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 16:22:55 ID:xFt5AKkg0
乙!
242
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 19:58:10 ID:MWN3qbwI0
どうなるのか気になるところで…
今すぐにでも続きがほしいな
243
:
名無しさん
:2019/01/12(土) 21:07:41 ID:QQWEsfZo0
どうなんだよこれ……続きはよ!
はよ!!
244
:
名無しさん
:2019/01/13(日) 00:55:05 ID:.cR7Fq520
はやくーはやくー
245
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:46:40 ID:losd25xM0
五
ぼくは、夢を見ていた。
とある少女の夢。
とある少女として生きる夢。
愛し合う男女の間に生まれ、ありふれた家庭で育った少女の夢を。
夢の中のぼくは、始め、胎児だった。
羊水の海をぐるぐると回り、まぶたを閉じても解る
この暗闇から抜け出すその日を今か今かと、
母の鼓動に安らぎながらも待ちわびていた。
そしてその日が、訪れた。
光はまばゆく、余りの刺激の強さに驚いて
思わず泣き出してしまったけれど、そのかかやきはまるで生命のようで、
ああぼくは、今、生まれたんだ。今、生きているんだと、原初の実感を与えてくれた。
この痛いほどの刺激こそが、“生”なのだと感じた。
246
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:47:06 ID:losd25xM0
「愛しい子……愛しい愛しい、ぼくらの子……」
両親は胸いっぱいの愛をぼくへと注いてでくれた。
明るくて朗らかで、いつも笑顔の絶えない母。
少し気弱で母に頭が上がらなかったけれど、
誰よりも家族を大切に思ってくれていた父。
二人に見守られて、ぼくは育った。
二人はぼくを愛してくれた。ぼくも、二人が好きだった。
「きみは、どうして……? そんな、まさか……」
村の中で、病に伏せる人が急増した。
指から血が溢れ、不調を訴え、体中が蛇の鱗のように割れてしまう死の病。
突如として発生した流行病に村の人は怯え、彼らの信仰する神へと祈りを捧げた。
ぼくは、その光景を見ていた。その光景を見ていたら、解った。
よそから病の原因となっているものが、運び込まれていたことに。
それがこの地を、この地そのものである神を汚染していることに。
ぼくにはそれが、解った。
247
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:47:35 ID:losd25xM0
「違う! きみは神様の子供なんかじゃない!
きみはぼくの、ぼくたちの……」
原因を排しても、病の進行は止まらなかった。
地が、神が、まだ穢されたままだったから。
この穢れを浄化しない限り、病を根絶することはできなかった。
そのためにぼくが出来ることは、ひとつしかなかった。
そしてそれは、ぼくにしか――。
「……いやだ、いやだ! 絶対に、絶対にそんなこと認められるもんか!
例え何人死んだって、ぼくは、ぼくにとっては……」
ぼくが神様の子であることは、いつの間にか村中に知れ渡っていた。
村の人達は私を敬い、崇め、そして、救いを待ち望んでいた。
滅びから、生命の終わりから、遺われることから、
早く助けてほしいと、縋っていた。
けれど父は、それを許さなかった。
248
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:48:04 ID:losd25xM0
「きみのせいなんかじゃない。きみのせいなんかじゃ、ないよ……。
だから、気にしないで。きみと出会えて、ぼくは幸せだった。
だから、お願いだ。きみにも幸せになって欲しい。
ぼくの、ぼくの愛しい、愛しい…………。
勇気のないお父さんで、ごめんね……」
ぼくはぼくだけの力で還ることはできなかった。
愛する人の、本当に心から愛する人の思いが、神の下へ還るには必要だった。
けれど父はその思いによってこそ、ぼくを送れなかった。
やがて村からは、生命の殆どが遺われていった。父の、生命も。
ぼくは生きた。ぼくはぼくを生きた。
生命が遺われていく光景を見ながら何もできず、生き続けた。
人としての生を生きた。
けれど僅かに生き残った人々は、ぼくを人とは見なかった。
ぼくは“救わない”神であり、“殺す”神とされた。
“人殺し”と、ぼくは呼ばれた。
.
249
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:48:31 ID:losd25xM0
ぼくは夢を見ていた。
神の子として生まれ、人の子として生きた少女の夢を。
少女の半生を。
少女の想いを。
夢に、見ていた。
だから、俺は……ぼくは――――
.
250
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:49:04 ID:losd25xM0
「お母さんはお父さんのことを、心から愛していた」
……ここは?
「どことも言えない場所。神様の中とも言えるし、外とも言える場所。
常なる世とも言えるし、現なる世とも言える場所。曖昧で脆弱な境界。
どちらにも転びうる、不安定な世界」
……なんだか苦しい……ううん、悲しい、寂しい……?
「それはきっと、神様<私達>の気持ち。
穢された膚によって外界から隔絶された神様が、つながりを求めてる。
想いを求めてる。私達と、同じに……」
神様も、寂しいの……?
「うん、だから私、神様のことも助けてあげたいの」
でも、それって……。
「……うん」
251
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:49:28 ID:losd25xM0
……いやだ、ぼくは、離さない。
お姉ちゃんの手を、絶対に離したりなんかしない。
ずっと一緒に、二人でずっと、ここに……。
「……おんなじだね」
おんなじ……?
「私のお父さんもね、同じように、私の手をずっとつかんでくれたの」
……あの、人。
「うれしかったよ。とてもうれしかった。
だけどそのせいで、みんなが死んでしまった。
お父さんも、死んでしまった。私が私を生きてしまったせいで」
そんなの、お姉ちゃんの責任なんかじゃない!
「……ありがとう。きっとほんとは、そうなのだと思う。
でも、どうしても、これは自分のせいだと考えてしまう気持ち……
あなたなら、解ってくれると思う」
……。
252
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:49:53 ID:losd25xM0
「お母さんはね、お父さんのことが大好きだった。
誰よりも、何よりも。だからね、お母さんは、
私を愛することができなくなってしまったの」
……お姉ちゃんは、でぃ<お母さん>を、恨んでるの?
「ううん。お母さんもね、私を愛そうとはしてくれたんだよ。
でも、どうしても、できなかった。それが理屈にそぐわないことだと解っていても、
そう思い込まばければ、心が耐えられなかったから。
お父さんが、ただ理不尽に死んだなんて、耐えられなかったから……」
……勝手だよ。母親なんて、みんな……。
「そうかもしれないね……。でもそれはたぶん、私もおんなじ」
……お姉ちゃんも?
「神様のね、穢された膚を完全に脱ぎ祓うには、
心からの親愛を持って送られなければならないの。
お母さんには、それができなかった。
愛そうとしても、どうしても赦すことのできない蟠りがあったから。
だから“あなたの未来”では、病は根絶されなかった。
あなたを含むいくらかの人は救えたけれど、
這ナギそのものから疫を祓うことはできなかった。
不完全な脱皮にしかならなかった」
253
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:50:29 ID:losd25xM0
どうしてそれ<ぼくの未来>を……?
「見ていたから」
見て……?
「あなたが私を見てくれたように、私もあなたを見ていたの」
ぼくの未来……。
「あなたがどんなに苦しんで、どんなに懸命で、どんなに生きてきたか……」
ぼくの過ち……。
「どんなに私を思ってくれていたのか……」
ぼくの罪……。
「全部、見ていたよ」
254
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:51:01 ID:losd25xM0
……ぼくは、何もできなかった。
お姉ちゃんを助けることも、みんなを助けることも。
ぼくには何もできなかった。
ぼくはただ、殺しただけだ。みんなを、お姉ちゃんを、殺しただけだ。
ぼくはただの――人殺しだ。
「そんなことない」
そんなこと、あるよ。
「あなたが人を殺めてしまったことは、
“あなたの意味世界”において事実かもしれない。
でも、“ただの”人殺しだっていうのは、違う」
だけど、ぼくは――。
「だって私は、幸せだもの」
…………幸せ?
「こんなにも私を思ってくれる人と出会えて、私はとっても幸せだよ」
255
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:51:39 ID:losd25xM0
……うそだ。
「私は、好きなの」
お姉ちゃんは、ぼくを慰めようとしてくれてるだけだ。
「お母さんのことが、先生のことが、
キュートやいようやりりちゃんたちのことが。みんなのことが好き。
……あなたのことが、好き」
強がって、つらくないふりをしているだけだ。
「この愛おしく思う気持ちは、あなたがくれたものなんだよ」
だって、でなきゃ……。
ぼくはお姉ちゃんすら終わらせてしまう……!
「生命は終わらないよ」
生命……。
「私は還るだけ。私は私でなくなるけれど、
でもそれは、何もかもが遺われてしまうわけじゃない。
私は神様となって、這ナギとなって、ずっと、ずっとここにいるの。
ずっとここから、みんなを見守るの。でも――」
256
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:52:20 ID:losd25xM0
……ああ、それは。
「お別れは何時だって寂しいよね」
ジョルジュと……。
「……だけど……だからこそ、ドクオくん――」
お別れした時も……。
「お願い、その手を離して……」
ぼくは、ぼくは……。
「あなたの意思で、私<常なる世のもの>から手を離して。
あなたの世界<現に在る世>で生きて。お願い――」
最後には、この手を――
.
257
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:52:48 ID:4V.M7ya.0
きたーーー
258
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:52:49 ID:losd25xM0
「私に生命を結ばせて――」
.
259
:
名無しさん
:2019/01/15(火) 20:53:21 ID:losd25xM0
――ありがとう。
.
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