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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
773
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2015/10/27(火) 11:14:50 ID:xQU8PqWI
10月27日はイヴァン3世が死去した日です
>>730
のクリコヴォの戦いでドミトリー=ドンスコイはモンゴル軍に勝利し、「タタールのくびき」の下にあったロシアにおけるモスクワ公の威信は大いに高まることとなりました
しかしこの戦いによってすぐにモンゴル支配から脱したわけではなく、二年後にはモンゴル軍によってモスクワが一時占領されます
ドミトリーの後継者となったヴァシーリー1世時代ではモンゴル支配を受け入れ、その下で国内の統一を進める形となりました
ヴァシーリー2世の時代は内部抗争の時代でした
9歳で大公となったヴァシーリー2世は叔父であるガーリチ公ユーリー、その長子のヴァシーリー=コソイとその弟のドミトリー=シェミャーカとの間で公位継承を巡る内戦が勃発したのです
約30年に渡る内戦で国土は荒廃し、滅亡寸前の状態にまで陥りました
この抗争を収め、モスクワ大公国を強力な国家へと発展させたのがイヴァン3世でした
1426年に22歳で即位したイヴァン3世はロストフ、ヤロスラヴリ、トヴェーリなどの諸公国を併合、ロシア南西の諸公国の回復を進めます
最も大きな統一事業は1471年に始まったノヴゴロド攻撃で、1478年にはノヴゴロド併合を達成しました
また1480年には再びモンゴルの侵攻を受けるものの、迎撃に出たイヴァンの軍はモンゴル軍とウグラ川にて対峙し、モンゴル軍は攻撃を諦めて撤退したのです
これ以後モンゴル軍がモスクワへの遠征計画を立てることはなくなり、この時点でロシアは「タタールのくびき」からほぼ完全に脱することに成功しました
またイヴァンは最後のビザンツ皇帝コンスタンティヌス11世の姪であるゾエ=パレオロゴスと結婚し、ビザンツ帝国の遺産を継承する意味合いも込めて「ツァーリ」を自称します
これによってイヴァンの威信はさらに高まり、国内の諸公や大貴族はその威信に服することとなるのです
こうしてモスクワ大公国はイヴァン3世によって発展し、後のロシア帝国の基礎が築かれました
イヴァンは1505年10月27日に死去し、その事業はヴァシーリー3世、そして
>>718
のイヴァン4世雷帝へと引き継がれることとなるのでした
本日はイヴァン3世「大帝」の命日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・和田春樹『世界各国史22 ロシア史』山川出版社、2002年
・土肥恒之『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ王朝の大地』講談社、2007年
・井上浩一・栗生沢猛夫『世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』中央公論新社、2009年
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