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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

718名前なんか必要ねぇんだよ!:2015/08/25(火) 00:07:16 ID:c/94u.qg
8月25日はイヴァンが産まれた日です

「タタールのくびき」の下にあったロシアでは1472年、ビザンツ帝国最後の皇帝コンスタンティヌス11世の姪であるソフィアと、モスクワ大公イヴァン3世が結婚し、ビザンツ帝国の後継者・ギリシア正教の保護者としての地位を得ました
1480年にはモンゴルの大ハーンへの歳貢を停止し、モンゴルが派遣した軍も撃退、約250年続いた「タタールのくびき」からロシアを解放することに成功します

イヴァン3世はロシアの諸公国を併合してほぼロシア統一を達成し、全国一律の法典を整備、大公の権威を示すモマノフの冠、双頭の鷲の紋章を用い、皇帝を表すツァーリの称号を自称しました
イヴァン3世が1505年に死去した後は息子のヴァシリー3世が後を継ぎ、彼の代でモスクワが第三のローマであると主張されるようになります
「タタールのくびき」から脱したロシアは新たな道に進みつつあったのです

このヴァシリー3世の長男として1530年8月25日に産まれたのがイヴァンでした
彼は父の急死によってわずか3歳で即位し、イヴァン4世となります
1547年に正式にツァーリとなったイヴァンは全国会議を招集して中央・地方行政の整備に努め、カザン=ハーン国とアストラハン=ハーン国を併合しクリミア=ハーン国にも遠征するなど、対外的にもその権威を誇示しました
しかし1553年に重病にかかると、貴族はイヴァンの従弟であるスタリツキー公を後継者に据えようとします
父の急死後から貴族の権力争いの真っ只中にあったイヴァンはこの一件でますます貴族に対する不信感を強め、両者を仲介していた后のアナスタシアが死去すると貴族への不信は決定的なものとなりました
この頃からイヴァンはいわゆる恐怖政治を始め、専制政治を強化することとなったのでした


本日は後のイヴァン4世「雷帝」の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・和田春樹『世界各国史22 ロシア史』山川出版社、2002年
・土肥恒之『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ王朝の大地』講談社、2007年
・長谷川輝夫・土肥恒之・大久保桂子『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』中央公論新社、2009年


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