したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

702名前なんか必要ねぇんだよ!:2015/08/09(日) 01:04:51 ID:361DLUVs
8月9日はアドリアノープルの戦いが行われた日です

ローマ帝国では3世紀の危機
のなか即位したディオクレティアヌスが>>507のように四分統治を行い属州の反乱や外敵の侵入に対処しました
ディオクレティアヌスの死後は>>331のコンスタンティヌスが統一の皇帝となったものの、基本的には東西に分かれて統治が行われていました

一方ローマ帝国の周辺異民族ですが、そのうちの1つゴート族は1〜3世紀頃にポンメルンから黒海沿岸まで南下し、3世紀半ばからはローマ帝国領の小アジアやバルカン半島へと侵入し251年には皇帝デキウスを戦死させたこともありました
しかし皇帝クラウディウス以降の軍人皇帝たちはゴート族に対し勝利を続け、この方面の脅威は無くなったかのように見えました

しかし4世紀後半、アジアから遊牧民のフン族が西進、黒海沿岸に居住していたゴート族はフン族によって壊滅的打撃を受けます
ドナウ川の北岸に居住していたゴート族もフン族の圧迫を受け、376年、東の皇帝ウァレンスの許可を得てドナウ川を渡りローマ領内に移住することとなりました
ところがこのゴート族はローマ帝国からの冷遇もあって食糧難に苦しみ、ローマ官僚の不正もあって暴徒化してしまいます

ゴート族の暴動によりトラキアの情勢は不穏なものとなり、ウァレンスはこれを鎮圧するため親征を決定しました
この際、西の皇帝となっていたグラティアヌスとウァレンティニアヌス2世は援軍を送りますが、ウァレンスはこの援軍を待つことなく単独でゴート族鎮圧に向かいます
378年8月9日、ウァレンスはアドリアノープルから出撃しゴート族に攻めかかりますが、結果はあえなく大敗、ウァレンス自身も戦死するという壊滅的敗北を喫しました
帝国東方ではこれを受けてテオドシウス1世が皇帝となり、ゴート族を同盟部族と認め、ローマへの軍事力提供と引き換えにトラキアへの定住を許可し、事態を収集することとなるのでした


本日はウァレンスの命日です、お悔やみ申し上げます


参考文献
・エドワード・ギボン、中倉玄喜編訳『新訳 ローマ帝国衰亡史』PHP研究所、2008年
・北原敦編『世界各国史15 イタリア史』山川出版社、2008年
・桜井万里子・本村凌二『世界の歴史5 ギリシアとローマ』中央公論新社、2010年


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板