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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
684
:
Republica de Venexia
:2015/07/22(水) 00:04:15 ID:???
7月22日はシャルル7世が死去した日です
フランス王シャルル7世はジャンヌ=ダルクの活躍もあって百年戦争における劣勢を挽回し、
>>219
のカスティヨンの戦いで決定的な勝利を収めました
1453年10月に百年戦争は終結し、シャルルは内政の整備を進めていきます
高等法院を全国に設置し、財務総督区を設けて財務行政を整え、行政管区の再整備を行い、フランス統治の体制は盤石となったのです
しかしそんなシャルルにも後継者には頭を悩ませることとなりました
というのも、王太子ルイがシャルルに対し反抗的な態度をとっていたからです
シャルルの国制改革によって国王権力は増大していきましたが、これに諸侯や貴族が反発、そしてルイがこれに加担したのです
1440年の蜂起はすぐに鎮圧されルイの処分も軽かったものの、1446年のクーデターに加担した際にはルイは宮廷を追放され、王太子の両国ドーフィネへと逃れました
さらにルイはこのドーフィネで公然とシャルルに反抗する姿勢を見せます
領内に大学や高等法院を設置、また領民に独自に課税を行うなど半ば独立国として振る舞うようになったのです
その後も度々反逆的な態度をとるルイに対し、シャルルは軍を派遣しドーフィネを占領、ルイはまたも逃亡を余儀なくされました
ところがここでルイか逃亡先に選んだのがブルゴーニュ公国、しかも当時は
>>278
のフィリップ善良公が治める、フランス王権にも匹敵する権力を有していた一大勢力、ブルゴーニュ公国でした
これにはシャルルも手を出せず、遺恨を残したまま1461年7月22日に死去します
そしてルイはこれを機にフランスへと急行し、フィリップ善良公の強力な後ろ盾もあってランスでの戴冠式、パリへの入城を果たし、フランス王ルイ11世としての統治を始めることとなるのでした
本日はシャルル勝利王の命日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・福井憲彦編『世界各国史12 フランス史』山川出版社、2001年
・朝治啓三・渡辺節夫・加藤玄『中世英仏関係史 1066-1500 ノルマン征服から百年戦争まで』創元社、2012年
・佐藤賢一『フランス王朝史2 ヴァロワ朝』講談社、2014年
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