したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

632Republica de Venexia:2015/06/03(水) 00:11:25 ID:???
6月3日はアラゴン艦隊が出港した日です

>>504で見たように、シチリア王マンフレーディはその娘コンスタンツァをアラゴン王子ペドロと婚約させ、アラゴン王国と姻戚関係となりました
やがて>>332のようにマンフレーディ、そしてコンラーディンがシャルル=ダンジューによって滅ぼされ、ホーエンシュタウフェン家の後継者はコンスタンツァに託されることとなります

アラゴンでは1276年にハイメ1世が死去、王子ペドロはペドロ3世として即位しました
79年にはアンダルシアのムーア人との問題を解消し、カスティーリャも王位を巡る内紛が起こっていたため、ペドロはイタリアに全関心を向けられる状況となります
ペドロは宰相ジョヴァンニ=ダ=プロチダを派遣し、シャルル=ダンジューと対立するイタリアの皇帝派やシチリア貴族、そしてビザンツ帝国との同盟に成功します

このビザンツ帝国については、シャルル=ダンジューがコンスタンティノープルへの遠征を計画していたこともあって、皇帝ミカエル8世はあらゆる手段を駆使してその計画を阻止しようと努めていました
シチリア人の反シャルル=ダンジュー感情を煽り、アラゴン王国の協力も取り付けたのです
もっともペドロとしてはシャルル=ダンジューがコンスタンティノープル遠征にシチリアを留守にした隙に侵入するつもりでしたが、ミカエルは先手を打ってシチリアの反乱を誘発させました
これが>>40で見た、1282年3月30日のシチリアの晩鐘です

こうしてミカエルに出し抜かれる形となったペドロでしたが、焦って行動することはありませんでした
シャルル=ダンジューはすぐさま反乱の鎮圧に乗り出し、反乱軍との間で激しい戦闘となります
この間の1282年6月3日、ペドロはアラゴン艦隊を結集しファンゴス港を出港、アフリカに渡って反乱の推移を見守っていました
やがて孤立し始めた反乱軍はホーエンシュタウフェン家の正統であるコンスタンツァとその夫ペドロを国王に迎えることに決し、ペドロに救援を求めます
同年8月にペドロはシチリアに上陸しシャルル=ダンジューを撃破、シチリア王となるのでした


本日はアラゴン王国のシチリア遠征の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・高山博『中世シチリア王国』講談社、1999年
・スティーブン・ランシマン、榊原勝・藤澤房俊訳『シチリアの晩祷 十三世紀後半の地中海世界の歴史』太陽出版、2002年
・北原敦編『世界各国史15イタリア史』山川出版社、2008年


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板