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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
332
:
Republica de Venexia
:2014/10/29(水) 00:54:30 ID:???
10月29日はコンラーディンが処刑された日です
>>266
で登場した神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、オートヴィル家断絶後にシチリア王に即位したハインリヒ6世の息子ということもあり、シチリア王フェデリーコ1世としても在位しました
このフリードリヒ2世は非常に開明的な君主であり、そのためにローマ教皇としばしば対立します
その治世の晩年は教皇にそそのかされた息子ハインリヒの反逆などに苦しみ、彼の死後皇帝となったコンラート4世が急死したため、ローマ教皇の介入はより強まることとなりました
シチリアに目を向けると、コンラートの死後コンラーディンがシチリア王に即位しましたが、わずか2歳だったこともあり、叔父にあたるマンフレーディが摂政として統治を行い、やがて王位を簒奪します
シチリア王となったマンフレーディは南イタリアにおける支配を固め、北イタリアをも制圧しようと動きました
これに危機感を覚えたローマ教皇は教皇派であったシャルル=ダンジューをシチリア王に任命し、マンフレーディは1266年、ベネヴェントの戦いで敗死しました
このシャルル=ダンジューの統治は不人気で、また教皇派への巻き返しを図る皇帝派の支持もあり、成長したコンラーディンが擁立されます
コンラーディンは北イタリアへ侵攻し歓喜をもって迎えられたものの、1268年、タリアコッツォの戦いでシャルル=ダンジューに敗れ捕らえられます
そして1268年10月29日、コンラーディンは処刑され、ホーエンシュタウフェン朝は断絶することとなったのでした
本日はホーエンシュタウフェン朝の命日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・成瀬治・山田欣吾・木村靖二『世界歴史大系ドイツ史1 先史〜1648年』山川出版社、1997年
・高山博『中世シチリア王国』講談社、1999年
・スティーブン・ランシマン、榊原勝・藤澤房俊訳『シチリアの晩禱 十三世紀後半の地中海世界の歴史』太陽出版、2002年
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