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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

512Republica de Venexia:2015/03/04(水) 00:32:26 ID:???
3月4日はシュヴァーベン大公フリードリヒが皇帝に即位した日です

>>294で見たように神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は諸侯の反乱に悩まされ続けてきましたが、そのなかでハインリヒに味方し続けたのがホーエンシュタウフェン家でした
ハインリヒは対立王であったシュヴァーベン公ルドルフの死後、その領土を娘婿のフリードリヒに与えます
このフリードリヒには息子が2人おり、長男フリードリヒ独眼公がシュヴァーベン公を、次男コンラートがフランケン公を相続しました

やがて皇帝ハインリヒ4世が死去がし、皇帝となった息子ハインリヒ5世は嗣子に恵まれなかったため、ホーエンシュタウ
フェン家に帝位を譲ろうとします
しかし諸侯は強力なホーエンシュタウフェン家が帝位につくことに反発し、ザクセン公がロタールを皇帝に選出しました
このロタールの死後、その娘婿でヴェルフェン家のハインリヒ傲岸公が帝位につこうとしますが、傲岸公はバイエルン公のみならずロタールからザクセン公も相続していたため、その強権を恐れた諸侯は今度はホーエンシュタウフェン家のコンラートを皇帝に選出します

1138年、こうしてホーエンシュタウフェン朝が開かれましたが、傲岸公はこれに従わず、ホーエンシュタウフェン家とヴェルフェン家の争いが勃発しました
ヴェルフェン家は教皇と結んで皇帝に対抗し、ここからウィーベリン(皇帝派)とヴェルフ(教皇派)の対立へと発展します
ヴェルフェン家は傲岸公が死去した後もハインリヒ獅子公がホーエンシュタウフェン家に対抗し、両家の対立は帝国を混乱に陥れるものとなりました

この両家の争いを鎮めるため、コンラートが皇帝に指名したのが、ホーエンシュタウフェン家出身であり、ヴェルフェン家の血もひくシュヴァーベン大公フリードリヒでした
1152年3月4日、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世として即位した彼は、帝国の安定化に努めます
まずハインリヒ獅子公と和解し、帝国諸侯に一定の特権を認めて帝国秩序を整えました
また「神聖帝国」として教皇権に対抗してイタリア諸都市にも皇帝権を認めさせるなど、その治世で神聖ローマ帝国の威信は大いに高まったのです
フリードリヒ自身は第3回十字軍中に志半ばで急死しますが、その理念は>>395で見たように息子のハインリヒ6世のもとで「世界支配計画」「世襲帝国計画」として受け継がれていくのでした


本日は神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世バルバロッサの誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社、2003年
・ハンス・K・シュルツェ、五十嵐修他訳『西欧中世史事2 皇帝と帝国』ミネルヴァ書房、2005年


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