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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

483Republica de Venexia:2015/02/11(水) 00:39:35 ID:???
2月11日はラテラノ協定が結ばれた日です

>>466で見たようにピピンの寄進によって成立し、コンスタンティヌスの寄進状によって正当化された教皇領は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世やフリードリヒ2世との対立によって危機に瀕しながらも、巧みな外交戦略によってその領土を保ってきました
その後>>288の教皇のバビロン捕囚によって教皇領支配が弱まるものの、イタリア戦争期には教皇アレクサンデル6世とその息子チェーザレ=ボルジアによって教皇領の拡大が図られます

しかし1796年、フランス総裁政府によってイタリア方面軍司令官となったナポレオンが教皇領を併合、一時独立を回復したものの1808年に再びフランス領となります
これは1814年のウィーン会議、その正統主義基づき撤回され、教皇領は再び復興しました
しかしやがてナショナリズムが勃興、イタリアにおいてもリソルジメント(イタリア統一運動)が始められ、>>329で見たようにサルデーニャ王国がイタリア統一を進めていきます
当時教皇領を守っていたのはフランスでしたが、>>221の普仏戦争でフランスが敗北したため、1870年にサルデーニャ王国改めイタリア王国がローマを占領したのです

このローマ併合はイタリア王国とローマ教皇庁の関係を決定的に悪化させ、双方は国交断絶状態となってしまいます
この状況を改善したのがムッソリーニで、ローマ教皇庁に対して友好的に対応した彼は1929年2月11日、ラテラノ協定を結びます
この協定により両者は和解し、ローマ教皇はここで初めてイタリア王国を承認しました
これに対しイタリア王国は教皇が主権を持つ国家、バチカン市国の成立を承認し、現在に至るのでした


本日はバチカン市国の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・藤沢道郎『物語イタリアの歴史解体から統一まで』中央公論社、1991年
・北原敦編『世界各国史15イタリア史』山川出版社、2008年
・谷川稔他『世界の歴史22近代ヨーロッパの情熱と苦悩』中央公論新社、2009年


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