[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
353
:
Republica de Venexia
:2014/11/16(日) 01:26:08 ID:???
11月16日はリュッツェンの戦いが行われた日です
三十年戦争は
>>345
の白山の戦いでファルツ選帝侯フリードリヒが敗れ、その後1625年にデンマーク王クリスティアン4世が参戦するも、皇帝軍の傭兵隊長ヴァレンシュタインによって撃退されます
しかしヴァレンシュタインによる軍の私兵化、強大な軍事力を背景とした専横に諸侯の不満は増大し、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世はヴァレンシュタインを罷します
この後の1630年に参戦したのがスウェーデン王グスタフ=アドルフで、
>>285
で見たように軍制改革が完成したスウェーデン軍は、1631年のブライテンフェルトの戦いで皇帝軍のテルシオを打ち破る大勝利を挙げました
>>68
のレヒ川の戦いでも皇帝軍は敗北し、指揮官ティリーは戦死してしまいます
ここに至って皇帝フェルディナントはヴァレンシュタインの復帰を決定し、皇帝軍を預けグスタフ=アドルフに対抗します
そして1632年11月16日、グスタフ=アドルフとヴァレンシュタインが対峙したリュッツェンの戦いが起こります
これはヴァレンシュタインがパッペンハイムに軍を預けてハレ攻撃に派遣し、皇帝軍が二分された隙をグスタフ=アドルフが突いたものでした
スウェーデン軍はグスタフ=アドルフ率いる右翼が皇帝軍を圧倒するものの中央が押され、この救援にグスタフ=アドルフ自身が赴いたところで狙撃され、戦死してしまいます
戦場では霧が立ち込めていたためグスタフ=アドルフの戦死は知られず、両軍は交戦を続けました
午後になるとパッペンハイムが戦場に到着しスウェーデン軍に突撃を敢行しますが破れず、逆にパッペンハイム自身が戦死しました
やがてグスタフ=アドルフの戦死が知られるとスウェーデン軍は傭兵隊長ベルンハルトが指揮をとり、皇帝軍を撤退に追い込みました
こうしてリュッツェンの戦いはスウェーデン軍の勝利に終わったものの国王戦死の影響は大きく、その攻勢は鈍ります
軍の指揮はベルンハルトとグスタフ・ホルンが取るものの、両者の対立により
>>149
のネルトリンゲンの戦いでの敗北、プラハ条約締結へと至るのでした
本日は「北方の獅子」グスタフ=アドルフの命日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・菊池良生『戦うハプスブルグ家 近代の序章としての三十年戦争』講談社、1995年
・成瀬治・山田欣吾・木村靖二『世界歴史大系ドイツ史1 先史〜1648年』山川出版社、1997年
・長谷川輝夫他『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』中央公論新社、2009年
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板