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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
265
:
Republica de Venexia
:2014/08/30(土) 00:58:39 ID:???
8月30日は東ゴート王テオドリックが死去した日です
西ローマ帝国は
>>263
で見たネポス追放、ロムルス=アウグストゥルス即位の翌年、476年にゲルマン人親衛隊長オドアケルによって皇帝位が廃され、滅亡します
ダルマツィアに逃れ皇帝権を保持していたネポスも480年に暗殺され、オドアケルはダルマツィアを併合しました
オドアケルは自ら皇帝に即位することはなく、西ローマ皇帝位を東ローマ皇帝ゼノンに返上し、イタリア王となります
しかしオドアケルが東ローマ帝国の内政に干渉するようになるとゼノンはオドアケル討伐を決定、これを命じられたのがしたら東ローマ帝国の軍事長官、東ゴート族のテオドリックでした
テオドリックは488年にオドアケル討伐に着手し、493年にはラヴェンナを攻略、イタリア王となります
この王位は497年、東ローマ皇帝アナスタシウス1世によって正式に認められ、ここに東ゴート王国が成立したのです
テオドリックはこの功績により「大王」と称され、東ローマ帝国に従属しつつ、西ローマ帝国の継承を意識した国家作りを進めました
ローマ法の理念も引き続き適用され、混乱していた旧西ローマ帝国地域におい安定した時代を現出しましたが、男子の後継者が産まれなかったことが東ゴート王国に暗い影を落とすことになります
526年8月30日にテオドリックが亡くなると、王国の諸問題は次第に表面化、後継者を巡る争いも激化したことで王国は没落、やがて
>>235
で見たように東ローマ帝国によって滅亡するのでした
本日は東ゴート王国衰退の誕生日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・ゲオルク・オストロゴルスキー、和田廣訳『ビザンツ帝国史』恒文社、2001年
・松谷健二『東ゴート興亡史 東西ローマのはざまにて』中央公論新社、2003年
・エドワード・ギボン、中倉玄喜編訳『新訳 ローマ帝国衰亡史』PHP研究所、2008年
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