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運営以外議論・雑談スレ
105
:
名無しさん
:2012/05/28(月) 00:14:51 ID:uzLhUjNs0
>>102
>政治的背景をできるだけ除去して、もっと学術的に妥当な範囲に収まるのじゃないかって
>言ってるわけつもりなんですけどね。
つまり、中国側の30万人説は「学術的に妥当な範囲」を逸脱していると?
それはかなり強い主張だと思います。少なくとも、秦郁彦の4万人説が「学術的に妥当な範囲」を
逸脱している(要するにトンデモである)と主張するのと同程度ではないでしょうか?
素人が扱える議論のレベルをはるかに超えているように思いますがいかがでしょうか。
>つまり、ひとつに決まらないから妥当な範囲を探す努力を放棄しちゃうのはどうなのって話でさ。
妥当な「範囲」は相当広いことを覚悟しないといけない、という話ですよ。
それについては広島原爆の死者数とか福島第一原発事故の死者数という例を挙げましたよね。
まあ「桁数が合っていれば御の字」とまでは言いませんが、2倍程度は平気でぶれるでしょうね。
>たとえば猿とか、ある程度中立って言えませんか
だったら猿の発言を何のために批判しているんです?
>多かれ少なかれどっちもどっちってあんまりにもおおざっぱすぎません?
>事故の確率がゼロでないなら危険みたいな極端な話って正直害悪にしか感じませんけど。
いやだからそういう話ではなくてですね。
例えば世界の基準子午線にどこを定めるのが妥当か、っていう話に「中立」はあり得ないでしょ。
さすがに「赤道」というような主張は「トンデモ」とはいえますが、何らかの子午線を選ぶならば
どれも同程度にまともな解であると言わざるを得ないでしょ。
それと同じような立場の相対性がある以上、当事者のうちの一方を「偏向している」というのは
主張するのがとても難しいことなのですよ。
確率ってのは0とか1という「基準」があるし、仮説の正しさを定量的に検証する「統計」という
武器もある。ところが政治的立場にはそんなものがないわけです。とくに「基準」については
原理的に存在しないといっていい。
だから「ゼロリスク」の比喩はそもそも不適当なんです。
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