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[ナポレオン覇道進撃]長谷川哲也 66 [オカルトマキアート]

41名無しさん:2024/04/25(木) 15:38:35 ID:.spGGvWc
>>37
スルトの人間関係といえば、ポン氏(ナポレオンから木彫りの勲章をもらった人)と揉めたことがあるそうですぜ
ポン氏はナポレオンとマブダチになったばかりに外国を放浪し、帰国してからジュラ県の知事をやってたんだけど
スルト(当時は陸軍大臣)と衝突して辞表を叩きつけたんだとか。まあウマが合いそうにない二人ではある

42名無しさん:2024/04/25(木) 16:25:26 ID:HmTzA0l2
>>41
県知事と陸軍大臣って普通関わり合う事なさそうだけど…何があったんだろうか

43名無しさん:2024/04/25(木) 18:29:49 ID:Ry7s3j1s
本作で登場頻度の多さのわりにキャラが確立できていないのがスルトだろうね
それなりに優秀ではあったのだろうけど、具体的にどう優秀だったかわかりにくい
長谷川先生からして把握しきれていなさそうだった

まだウェリントンの方が
「犬と狼の違い」で「相手を弱らせて危ない橋を渡らない」
「勝てる戦いしかしない」
「負けたときのことを考えない奴に司令官の資格なし」
ともう少しわかりやすい

44名無しさん:2024/04/25(木) 18:43:16 ID:Ry7s3j1s
>>41-42
フランスの内政、しかも民政がらみだと
憲兵隊の田舎での警察業務とかだろうか?

フランスでは、都市部の警察は内務省傘下で県知事にも一定の権限があるが
農村部の警察=憲兵隊だから、県知事に介入権限があるかは微妙

ほかにも暴動鎮圧で憲兵隊が出動することもあった
本格的に危なくなると、本物の軍隊が出動
※機動隊に相当するものができたのは20世紀

このあたりで陸軍大臣と県知事の衝突する何かがおきたんだろうね
つまり、農村部でおきたゴタゴタか
暴動に対する対処か鎮圧後の対応での意見の衝突

45名無しさん:2024/04/25(木) 19:03:09 ID:Ry7s3j1s
>>41-42
今日でもデモ、暴動が絶えないフランスだが
19世紀にも民衆の暴動やら蜂起が頻発していたから
それに対する対応の仕方で意見が衝突した
とみるのが一番自然か

農村部の警察業務にパリにいる陸軍大臣が関心を持つことがどの程度あるのかは
疑問という気がする

46名無しさん:2024/04/26(金) 00:31:33 ID:haue3fGQ
>>42
ポン氏の回顧録(2005年に復刊された版)の序文が出典なんだけど
スルト陸相と喧嘩して辞任とあるだけで詳細は不明なのよね
なお回顧録自体はプロジェクト・グーテンベルクで無料公開されてます

その後もポン氏は国務院評定官を務めたりしてるんだけど
ガチの共和主義者なので80過ぎまでナポレオン三世を批判しながら天寿を全うしたそうな

47名無しさん:2024/04/26(金) 11:15:37 ID:0ICfDkV2
ポン氏の回顧録の本文でスルトに言及しているのは一箇所だけ
エルバ島を訪問予定の某高官に用心してほしいとメッセージを送ってきた将軍がいて
その人がスルトの代理だったらしいという話がある

本当だとしたら、エルバ島にいるナポレオンをスルトは気にかけていたんだろうけど
いずれにせよポン氏とスルトの仲の悪さを窺わせるような記述ではないです

48名無しさん:2024/04/26(金) 17:40:49 ID:kM4Ltmvw
>>46
国務院評定官というと
最高行政裁判所裁判官


国外を放浪した人間がこのポストに就くとか
明治以降に浮上した波乱万丈の前半生で暗殺もされた高橋是清だの
明治の日本で実在した裁判官になった脱獄囚
想起させますなあ

どうせ現代日本だけでなく現代フランスでもこんな高官登用はない
グランゼコール出身者でないと偉いポストに就けない社会

49名無しさん:2024/04/26(金) 17:46:43 ID:kM4Ltmvw
>>47
普通に双方が陸軍大臣、県知事在任中のトラブルで
エルバ島でナポレオン存命中にはお互い無関心だったのでしょう

50名無しさん:2024/04/27(土) 00:31:04 ID:bd5dt6hU
>>49
ちなみにスルトが警告してきた某高官というのが誰なのかは明かされてないんだけど
たぶん俺らでも名前を知ってるような人なんだろうなあ

某高官の意図も不明ながら、ナポレオンは暗殺の企てと受け取ったそうな
数年後、亡命者になった自分が皇妹エリザ殿下に会ったとき
そのことが話題になったとポン氏は回想しています

51名無しさん:2024/04/27(土) 10:24:02 ID:v5Yr/MwM
エリザに会ったってことはポン氏もトリエステにいたわけで
どこかでフーシェに遭遇していたら面白いんだけど

でも、よぼよぼに老いぼれたフーシェとたまたま街角ですれ違っても
そいつが元警察大臣だとは気づかないかな

52名無しさん:2024/04/27(土) 11:46:03 ID:lsdKUWZA
>>50
本作の作中だと某高官はデュポン将軍のことかという気もするが
もともとナポレオンに投獄されてその失脚まで出獄できなかった彼が
エルバ島に来るというのなら
スルトの代理人が警告するまでもないという気もする

もっとも、ナポレオンも、タレーランやメッテルニヒを罵倒しておきながら
あとでしれっとした態度で話をする
ということもあったからな

53名無しさん:2024/04/27(土) 12:42:06 ID:lsdKUWZA
>>51
プラハには、警察大臣の頃のフーシェに追放されたフランス人が多数住んでいたが
トリエステにいたフランス人はそうではなかった?

54名無しさん:2024/04/27(土) 18:19:23 ID:lsdKUWZA
>>50

エルバ島は、もともとはトスカーナ大公国の領土、もとい、ハプスブルク帝国の領土
それがナポレオンの領地になったのだが
その高官というのはフランス?それともオーストリア?

55名無しさん:2024/04/28(日) 00:31:10 ID:hcwYdsiY
>>52
すまん原文はofficier supérieurだった
つい高官と訳してしまったが、正しくは「佐官」やね
佐官だと俺らでも名前を知っているというわけにはいかないなあ

エルバ島に来ようとしている佐官級将校で信頼できない人物だとモントロンが当てはまってしまいそうだが
ナポレオンが彼をそこまで警戒していたならセントヘレナに連れて行ったりしないだろうと思う

56名無しさん:2024/04/28(日) 04:55:50 ID:zlT4Pt4Y
>>55
それだと、無名の該当者多そうでわかりませんよね
当時の現役の軍人で皇帝派装うとかいくらでもできそう

モントロンは、後日債権者から英国に逃れてカネを受け取っているところみると
百日天下、セントヘレナ島と二重スパイみたいなことはしていたかもしれない
とはいえ、ナポレオンの毒殺までしていたかというと証拠がない
この時代以降のフランス人の単なる処世術をしていただけ、という気がする

本件の真犯人や共犯者でなくとも、やましいところがあれば
黙秘したり嘘ついたり弁解じみたことをいう
「黄色い部屋の秘密」の門番夫婦や宿屋の女房みたいなもん

57名無しさん:2024/04/28(日) 05:28:23 ID:zlT4Pt4Y
>>39
サラマンカの戦いといい、半島戦争は、大陸軍時報で詳細のりながら
本編である本作ではバッサリとカットされてたなあ
おかげで、ウェリントンやフランス元帥たちがどの程度すごいのかよくわからない
が、長谷川先生にも把握できなくて描写できなかったんでしょう

ワーテルローみていても、ドラマチックでなくて
大仰なことをした方がバカ、堅実に守った方が勝ち
という印象
本スレでの指摘どおり、グルーシーを責めるのには無理がある

プロイセン軍は、格好いい手柄こそたてられなかったが
二手にわかれつつも、両方とも壊滅もせずによく頑張った

58名無しさん:2024/04/29(月) 00:18:41 ID:qUHuy7oo
グルーシーはあまりにもわかりやすい失敗なので後世まで語り草になっちゃったけど
ライプツィヒの戦いでもベルトラン麾下の第4軍団がギュライのオーストリア軍第3軍団と交戦
勝つには勝ったものの、ナポレオンの率いる主力と合流できないという事態になってるのよね
ただ覇道進撃19巻の大陸軍戦報で述べられているように、責任は命令を出したネイにある模様

59名無しさん:2024/04/29(月) 08:33:58 ID:eWBoUmTA
最新話は明日かな?

60名無しさん:2024/04/29(月) 20:41:03 ID:oF65ueCY
>>59
電子書籍さえもまだきてない?

4月は残り1日なんだから、明日しかないだろうね

前回でちょっとがっかりだったので、あまり失望させないことを期待

マルモンにどの程度の出番があるか?
獅子の時代やら覇道進撃の元帥になりそこねた時点の話やら見るに
最終盤にこそ出番を与えてほしいキャラ
キリストに対するユダのごとく
本作の物語的にはランヌ以上に存在意義のあるキャラ
「ナポレオンとは何だったのか」こいつがいてこそ見える視点がある気がする
単純に裏切った輩でない「裏切者」キャラ
※聖書の偽典という形にされてる「ユダの福音書」が実在します
偽典かどうかなんてのは、後からコンスタンティヌス大帝やらの公会議で
決めつけただけのもの

61名無しさん:2024/04/29(月) 20:59:01 ID:oF65ueCY
>>60
史実で裏切者の代名詞あつかいされた男に、本作では
「俺が(ナポレオンのことを)一番すきだあ」
と叫ばせているからな

62名無しさん:2024/04/30(火) 00:39:22 ID:aHcj36l.
マルモンの裏切りに付き合わされた副官はさぞかし迷惑だったろうな
と思ったんだが、有名なのはファビエとテスト=フェリーの二人で
両名ともむしろ勇士として評価が高いんだよな

マルモンが彼らを巻添えにしなかったのは偉いというべきか
汚名を分かち合う仲間すらいなかったのだというべきか

63名無しさん:2024/04/30(火) 15:33:15 ID:1B1QVTEI
最新号

ナポレオンの最期の言葉 「ラス=カーズ 勝つぞ」
逝去 1821年5月5日
ベルトランは「軍隊 先頭 ジョゼフィーヌ」と言い換える

ナポレオンの死去
パリ タレーラン 「それは事件でなく話題です」
一般人「俺達には関係ない」
皇帝派 嘆き悲しむ

64名無しさん:2024/04/30(火) 16:34:41 ID:1B1QVTEI
>>63
ルイ18世 
「少しは気を抜けるかの 昨年はベリー公が(ボナパルト派の男に暗殺され)た」

マルモン
「俺は裏切っていない 言い訳の機会が欲しかった」

イタリア ナポレオンの母と妹(ポーリーヌ) ショックで倒れる

オーストリア 息子のローマ王 毎日泣いている

ラス=カーズ
没収されていた書類を返却されると書籍化
※ナポレオンは、ラス=カーズに自分のすべてを描き
「なにごともタイミングが大事だ」
「フランス人がナポレオン戦争の傷からいえて、まだナポレオンをおぼえている
うちに発表するんだ」

ボナパルトの回顧録ときいて出版社に予約殺到

65名無しさん:2024/04/30(火) 16:38:56 ID:1B1QVTEI
>>63-64
長谷川先生は芸術家や文筆家を持ち上げるたがる

次回は最終回直前ということで44ページ

66名無しさん:2024/04/30(火) 17:05:25 ID:9pkv52ho
ナポレオン神話を作り上げるのがナポレオン最後の戦いだったという解釈か

次号でダヴーやタレーランその他主要人物の退場
次々号で皇帝帰還かな?

67名無しさん:2024/04/30(火) 18:21:53 ID:2G67p20g
喉元過ぎて食人鬼忘れる

68名無しさん:2024/04/30(火) 20:45:43 ID:EoL17/iE
>>63
ナポレオンのあの有名な最期の言葉はベルトランが書き替えたって事なのかな?

69名無しさん:2024/04/30(火) 21:01:29 ID:tlRAURTw
この作品のジョゼフィーヌも言ってないしな

エルバ島 ボナパルト ローマ王

70名無しさん:2024/05/01(水) 00:17:55 ID:o0BLCNFc
ベルトランがボナパルト家ではなくボナパルト派のために行動してるってのは
アウステルリッツの剣の扱いからも明らかなんだけど
ナポレオンの最後の言葉を書き換えるとは踏みこんだな
でも、それが皇帝の意思でもあるだろうから忠義とは見なせるか

71名無しさん:2024/05/01(水) 22:04:28 ID:9atmVPBE
44ページとは大盤振る舞いだな
ダヴーとタレーラン以外に誰が描かれるんだろうか

72名無しさん:2024/05/01(水) 23:14:50 ID:lZE4tIHg
皇帝崩御から帰還(1840)までの主要キャラの没年
ダヴー(1823)ウジェーヌ(1824)アレクサンデル1世(1825)スーシェ(1826)
コランクールおじさん(1827)ブリエンヌ(1834)レティツィア(1836)オルタンス(1837)タレーラン(1838)

この中だとダヴー、ウジェーヌ、レティツィア、タレーランかな
補欠でアレクサンデル1世

73名無しさん:2024/05/02(木) 00:47:24 ID:qd47SZx2
44ページもあったらローマ王(1832)も描かれるんじゃないかな

74名無しさん:2024/05/02(木) 03:30:16 ID:GmJIr8e.
ウジェーヌは、途中から、出そうとすれば出せないこともなかったのに
出番なしが続いたのがな

カルノーは、百日天下末期で出番あったけど
フーシェの天下取りの前提みたいな役回り

ウジェーヌだと、ナポレオン3世の台頭だと意味あるけど
七月王政期のフランスには大して影響ない

75名無しさん:2024/05/02(木) 03:33:03 ID:GmJIr8e.
>>72
ブーリエンヌは、裏切った「皇帝の友人」の末路的な意義ならあるけど
1ページで終わるだろうな

76名無しさん:2024/05/02(木) 05:44:11 ID:woUUMqq.
スーシェも最後また姿見たいけどなぁ
ランヌの墓参りの途中でスルトと出くわしたりしないだろうか

77名無しさん:2024/05/02(木) 09:31:14 ID:kXqPmVwQ
ナポレオンさんが…ナポレオンさんが死んだあっ

78名無しさん:2024/05/03(金) 01:03:30 ID:YVw0ciz.
>>74
カルノー(1823)も皇帝崩御から帰還までの間に没した人物の一人か
不敗の元帥と勝利の組織者を並べて悼みたいところなんだが、描いて面白いかっていうとなあ
煙突掃除の費用をケチって中毒死みたいなネタを突っ込める人じゃないし

79名無しさん:2024/05/03(金) 03:14:34 ID:NH7ck3Bo
>>73
だったらマルモンも登場させることになるかな?

回顧録出したのって、タレーラン、マルモン、マルボ、スルト
ほかにだれがいたかな?

80名無しさん:2024/05/03(金) 17:43:44 ID:NH7ck3Bo
>>78
それいったら、ダヴーも葬儀の参列者に
代議士や名士がいたこと
やら
晩年地元の市長した
とかで
漫画のネタとして面白い話はない

〜年 ダヴー元帥死去

という文字の表記だけになりそう

81名無しさん:2024/05/03(金) 17:49:25 ID:NH7ck3Bo
>>72-73
タレーランとローマ王以外は文字での表記だけになる気がする

ポーリーヌ(1825)

82名無しさん:2024/05/03(金) 18:32:23 ID:NH7ck3Bo
>>81
死亡者リストは、七月革命の前と後で分けてくると予想

七月革命で皇帝派の軍人が多数復権した
スルトの要職復帰もこのころから

83名無しさん:2024/05/04(土) 00:35:22 ID:UfVFaukA
>>79
コランクールの回顧録は作中で言及されていたね
他にはブーリエンヌのが有名か

84名無しさん:2024/05/05(日) 00:15:28 ID:DyGx4znw
戦場の夢を見ながら息を引き取るナポレオン
「味方はどこにもいません」とベルトランから報告を受けて
「まだ終わらん、俺にはラス・カーズがいる。勝つぞ」

彼の最後の言葉を枕頭で聞いていたベルトランは
「こんな時にあの裏切者の名を…なぜだ?」
自分も皇帝の夢に出演していたとは知る由もないのが切ないね

85名無しさん:2024/05/05(日) 04:38:35 ID:VdEszoRo
>>84
ラスカーズが、セントヘレナの手記を出版したのが、1823年
実際には、ナポレオンのために血を流してくれる兵士がいなくなった時代での
新たな戦略による勝負

本人が生きた人間でなくなってからの勝負

86名無しさん:2024/05/05(日) 05:09:35 ID:VdEszoRo
>>84-85

戦争の惨禍が大きくなってきた時代とはいえ
南北戦争や第一次大戦と比べれば
まだまだ牧歌的だったのかな
そうはいっても、死傷した兵士の家族は多数いたはずだけど

1952年発効のサンフランシスコ講和条約が1945年から7年
1815年から1823年は8年か
占領軍である連合軍はもう引き上げていたろう

87名無しさん:2024/05/05(日) 05:17:28 ID:VdEszoRo
>>83
ブーリエンヌは、七月革命後は破産したうえに精神病院で死んだだよな

それに比べれば、ヴィクトールのペラン公爵家はその後も上流階級に
いられた

裏切者かそうでないかよりも、「皇帝の友人」だったか否かの方が
大きく明暗分けているように見えるな
忠臣なら、ザヴァリーも要職に復帰できたりしているのに

皇帝の息子たちも、結局は婚外子の方がフランスにいられて子孫も遺せている

88名無しさん:2024/05/05(日) 05:28:36 ID:VdEszoRo
>>68-70
たぶん、史実でも、本当に皇帝が「ジョゼフィーヌ」なんてうわごといったか
疑問視されてるんだろうなあ
「ばあさん」といたころは、イケイケどんどんだったから、皇帝派から見れば
その方が格好がつく

本人的には前回の終わりのように息子のローマ王の夢をみていたかな
ダヴィッドに「おっさんの仮装姿」に描かれていた百日天下のときの延長

89名無しさん:2024/05/06(月) 00:25:20 ID:y.LOGtPs
>>88
瀕死の人のうわごとなんで聞き取りづらかっただろうと思うんだけど
マルシャンの回顧録によるとナポレオンの最後の言葉は「フランス、我が子、軍隊」

作中ではベルトランがタレイランのやり方を見習って皇帝の言葉を書き換えたけど
彼が結婚したときの立会人がタレイランだったそうです

90名無しさん:2024/05/06(月) 19:53:30 ID:L.xsxM0c
>>89

マルシャンの話も真偽はわからない気がします
皇帝派は、「軍隊」「フランス」という言葉好きそうですね

「ジョゼフィーヌ」も、獅子の時代のクーデター直前には
フランス人の象徴的意味合いを、ナポレオンの内面にもたせていた

マルシャンは召使頭ながら後年「伯爵」を自称していましたね
本当に皇帝から爵位を授与されたんでしょうか?

まあ、モーツァルトの旧主のザルツブルク大司教の執事たちが伯爵だったので
ありえない話ではない

91名無しさん:2024/05/06(月) 20:21:45 ID:L.xsxM0c
チェーザレ・ボルジアの時代の法王領内に割拠する僭主たちのことを
「男爵たち」と呼んでいる記事を見たことがある

92名無しさん:2024/05/07(火) 00:12:12 ID:xts7XeGA
>>90
ナポレオンが死に臨んでマルシャンに授けたという爵位ね
ナポレオン三世が1869年に追認したので、彼は正式な伯爵ということになるらしい

ベルトランの日記によると、皇帝の最後の言葉で彼にはっきり聞き取れたのは「軍隊の先頭に」のみ
じゃあ「ジョゼフィーヌ」は一体どこから出てきたのかというと、モントロンの証言だそうだ
ナポレオン三世はオルタンスの息子、つまりジョゼフィーヌの孫に当たる人なので
モントロンは彼におもねる意図があったのではないかという説がある模様

93名無しさん:2024/05/07(火) 13:36:19 ID:x43NNfHQ
>>92
複数の人間の思惑で、アポレオン臨終の言葉が変化していったと

マルモンの悪名にも似たようなことがありそう

もともと将兵に人望がなく、ただ皇帝の友人と思われていた
      ↓
パリでのマルモン指揮下の軍団が、連合軍に投降する事件
ナポレオンに「裏切り者」とみなされる
世間的にも同様
      ↓
七月革命の際、ブルボン側の反革命、パリ総督
     ↓
革命側の民衆からは圧制者とみなされ、王党派から裏切り者呼ばわり
皇帝派はいうまでもない
     ↓
死後出版の回顧録も、第二帝政初期でもあり、バッシングをうける

94名無しさん:2024/05/08(水) 21:14:39 ID:cCc1z7mw
>>92
ボアルネ家の欧州の王侯血脈が第二帝政に有利に働いたの思えば
モントロンの読みもあながち間違いじゃなかったね

もっとも、3位は劉備玄徳のごとく諸葛孔明ぬきでは天下をとれなかった
異父弟とされる母オルタンスと、タレーランの婚外子フラウ伯爵の子
ドモルニー

95名無しさん:2024/05/08(水) 22:14:26 ID:uT3DCC2.
マルシャンが亡くなったのは1876年で、回顧録が出版されたのはそれから70年以上も後なので
彼自身がそこから利益を得ることはなかったし、そういう意図で執筆されたものではないと考えてよさそう

ただナポレオンの最後の言葉が実際には意味の判然としないものだったとして
それが「我が子よ」だったと確信するバイアスはあったかもね
いまわの際まで皇帝がローマ王のことを気にかけていたと信じたい気持ちは
忠僕なればこそ強かったんじゃないかと思うし

96名無しさん:2024/05/09(木) 01:29:30 ID:EdBGwSPM
最新号でもベルトラン以外は名前が出てこないんだけど
ナポレオンが死去した午後5時49分で時計を止めたのがマルシャンで
「大元帥、皇帝の最後のお言葉は?」と質問したのがモントロンなのかな
ベルトラン大元帥って呼ばれてるのね

97名無しさん:2024/05/10(金) 19:12:38 ID:5hvz45Fk
>>96
召使の筆頭であるマルシャンのポジションは確定だね

武官はベルトラン以外はモブ扱い
まあ、セントヘレナを舞台にモントロンが主役の演劇が日本で上演されてることが
驚きなんだろうな
ナポレオン好きでも、どれくらいの割合で興味を持つ話なのやら

98名無しさん:2024/05/10(金) 19:21:09 ID:5hvz45Fk
>>95
ウジェーヌが書籍に忍ばせたローマ王の水彩の肖像画を見て
ナポレオンが涙ぐんだという
これをマルシャンら召使が目撃していたら、察していたんじゃないかな

最新号より前回で、ローマ王のいる妻子との団らんの夢を描いているのも
なにかしら史実の根拠あってだと思う

99名無しさん:2024/05/10(金) 19:24:39 ID:5hvz45Fk
さて、残り2回で、マリア・ヴァレフスカの死とアレクサンドル・ヴァレフスキ
が触れられるか否か
44ページとはいえ、描くこと多そうだからどのキャラがわりを食うか

100名無しさん:2024/05/10(金) 23:14:41 ID:BpPxejAA
>>97
ラス・カーズに嫉妬する(グールゴー)
皇帝の最後の言葉を創作した疑惑(モントロン)

この辺の役回りをベルトランがまとめて引き受けたという印象
いくら何でもベルトランは焼きもちを焼かないだろうと思いきや、ナポレオンがラス・カーズを褒めまくるもんだから
あんな温かい言葉はランヌ閣下やデュロック閣下ですら賜ったことがないだろうとグールゴーが愚痴ってるのね
デュロックならベルトランと同格だから辻褄は合っているといえるかな……

101名無しさん:2024/05/11(土) 01:16:15 ID:zTELfxZ.
ベルトランの「ヨーロッパを支配した偉大な男」って、史実だと彼の奥さんが
ナポレオンの食事の作法に立腹したコックバーン提督に言い放った言葉だな

ベルトラン夫人の機知と度胸に感銘を受けた提督は以降ナポレオンに合わせて早食いし
食後のコーヒーなんかも早めに持ってこさせるようにしたとか
なお作中では夫人ではなくベルトラン本人が低姿勢で言い訳していました

102名無しさん:2024/05/11(土) 16:39:35 ID:EIepoZOA
>>96
フランスの七月王政、第二共和政、第三共和政初期の政治家で首相経験者にして
歴史学者のThiers氏が、grand marchal とベルトランを呼んでいるので


これまでの本スレによれば、英語と異なり、フランス語では軍曹にすらmarchal
呼びをするので、本当の意味は、本作でテュロック同様「宮内長官」が妥当

別にフランス元帥や、スルトのようなフランス大元帥になれたわけではない

103名無しさん:2024/05/12(日) 00:06:56 ID:TzGmFkok
ティエールより先に大デュマが『モンテ・クリスト伯』でベルトラン大元帥と呼んでいる
本来は役職名なのに称号っぽい感じになっているのが面白い

ベルトランだけがそう呼ばれるのかというと
ナポレオンの首席近侍だったルイ・コンスタン・ワイリーが
1830年に発表した回顧録には「デュロック大元帥」への言及がある
ちなみにコンスタンは1回目の退位の時にナポレオンを見捨ててトンズラし
彼の後釜として任命されたのがマルシャンです

104名無しさん:2024/05/12(日) 05:53:19 ID:P2w.2zvk
>>103

首席近侍の後任と聞くとマルシャンの出自もそこそこえらかったのかなあ、とは思う
貴族ではなかったでしょうけど

そのワイリー氏については
ルスタム・レザさえトンズラしていたから
逃げてもなのとかなる処世術あったんでしょうね

退位後に逃げ出した程度の「裏切り」なら、物凄く大勢いたとしか思えない
20世紀のフランスでもよくあったこと

そのくせ、世渡り上手の変節漢というより、間の悪さと中途半端な態度で無様な結果
のマルモンが後世まで「裏切者のラグーサ公」呼ばわりなのがなあ

考えてみれば、日本の小早川秀秋だって「裏切者の代表格」みたいないわれようには
ピンとこないなあ
関ヶ原の戦いでは、秀吉の同僚ポジから出世した加藤清正だって東軍にいたし
近年の学説には「秀秋も当初から東軍だった」説が浮上しているという
当時豊臣秀頼はどちらサイドでもないし、石田三成の味方なら「忠義」で
敵なら「裏切者」なのか?って話

105名無しさん:2024/05/12(日) 06:10:48 ID:P2w.2zvk
>>103
裏切った経験があるのに回顧録を出すと聞くと
アメリカの元マフィアとかを連想する
裏切ってる割に、罪悪感もなくけろっとしている雰囲気
こんなのがぞろぞろいる
沈黙のおきて(笑)

ライヒシュタット公爵も
ナポレオンのセントヘレナの手記を読んでいたのに、マルモンと交流できた
とこ見ると、父親の言い分を鵜吞みにしない程度の利口さがあったんでしょ
どういった人生経験からかな?

106名無しさん:2024/05/12(日) 06:45:40 ID:P2w.2zvk
youtubeのゆっくりぷーちゃんねるによれば
日本の兵隊の視点では
・直属の上官の命令が絶対
・天皇陛下は象徴的なものにすぎない
(天皇中心の価値観に凝り固まった北一輝の息子は異分子扱い)
・上の方の将校は役立たずのニートと思われていた
という

それ思うと、新兵どもが皇帝の姿を見るや戦意取り戻し
エルバ島から上陸した反乱側のコルシカの小鬼の立場で
銃口向けていた兵士たちが「皇帝万歳」となる
逸話のナポレオンは
正真正銘の英雄にしてカリスマだわな

近代戦初期と20世紀の現代戦の違いはあるでしょうけど

107名無しさん:2024/05/12(日) 07:25:25 ID:P2w.2zvk
>>95

そんなマルシャンの回顧録で、もしも
「モントロンは嘘をついている」
と指摘しているというのなら

20世紀も後半になって
モントロン毒殺犯人説が一定の説得力もって世間に広まったのも、わからなくはない

モントロンがセントヘレナではナポレオンに尽くしているようにみえても
だらしなくて信用できない人間とは、生前から見られていたでしょうし
前歴や後年の人生と比べて、いきなり忠臣のごとき態度が浮いていて
違和感があったのでしょう

マルシャン本人の生前の利害得失に無縁な分、説得力がもたれてしまう

108名無しさん:2024/05/12(日) 11:41:44 ID:P2w.2zvk
>>107
その噓というのが

英国の総督側に情報を漏らすとか、継父の差し金でナポレオンの動静を監視する
あるいは、もっとしょうもない皇帝の家計からの横領とか

というのも、モントロンなら、ありうるっちゃありうる
が、いかんせんマルシャンがうその内容を明言していないと大げさに膨らむ

109名無しさん:2024/05/13(月) 00:05:17 ID:Y3YLoOhw
>>105
ナポレオンの手記ってのがラス・カーズのセントヘレナ回想録のことであれば
あの本にはマルモンへの言及はほとんどない

皇帝は裏切者に対して怒りや敵意を露にすることは決してなかったとラス・カーズは述べているので
ライヒシュタット公が偉大な父親と同じように振る舞おうとした可能性もあるんでは

110名無しさん:2024/05/13(月) 20:51:11 ID:pyDKAv.A
>>109
すると、ナポレオンが、マルモンを彼の父親まで持ち出して罵倒した内容
なのは別の手記ということですね

たしかに、ナポレオンを裏切った人間なんて、あげればきりがないし
その中で特に強く罵倒したのが、ルスタム・レザやマルモンというのは
客観的に見れば、さまにならない

タレーランがいったように
「ナポレオンを破滅させる陰謀をできたのは、ナポレオン本人だけ」
少なくとも、1回目の退位以前の彼は、自ら墓穴を掘らなければ
もっと延命できた気がします

111名無しさん:2024/05/13(月) 21:19:01 ID:pyDKAv.A
>>110

本作のフランス戦役編なんて、本作以外ならろくに相手にしていませんよね

外務大臣のコランクールにも、ナポレオン2世を国王にというタレーランにも
迷惑でしかない、小さな戦闘でのナポレオンの勝利

フランス本国に攻め込まれている時点で、本来終わっているはずが
いつまでも戦争、戦闘が終わらない

いかれた話です

そのいかれた話の続きが、セントヘレナでのナポレオンの手記
これで、死後もナポレオン伝説が構築される

ラスカーズ以外にも、ナポレオンの口述筆記をした人が複数人いそうですね


アレキサンダー大王に代わりナポレオンが、誇大妄想症の代名詞となる

112名無しさん:2024/05/14(火) 00:03:06 ID:RpIr0iog
>>110
ベルトラン・モントロン・グールゴー・マルシャンの手記はいずれも
ライヒシュタット公の生前には出版されなかったので、公が読むことは不可能っすよ

ラス・カーズのセントヘレナ回想録でマルモンに言及した数少ない箇所といえば
肝心なときに役に立とうとしなかった3人の元帥についてナポレオンが次のように語ってます
マルモンは虚栄心、オージュローは情報の欠如、ベルティエは無気力がその原因であったと
覇道進撃での彼らの描写も大体その線に沿ったものになっているように見えますね

113名無しさん:2024/05/14(火) 06:05:03 ID:ZpIGsWdc
>>112

となると、1830年前後当時
フランス人や外国の大衆の間で
マルモンは裏切者のラグーサ公
という評判が立ったといっても

ナポレオン口述の手記関連が情報源ではなかったということですか?

マルモン麾下の軍団が連合軍に投降したという事実だけで
そういう評判になるのか?
いや、パリでは、いやいやしていたパリ軍事総督の立場での右往左往
の追加で、そのときの人々の勝手な言い分が追加されるから、まだわかるんだけど

外国の大衆が「ナポレオンを裏切ったマルモン」なんて認識をできたのかどうか

114名無しさん:2024/05/14(火) 06:48:38 ID:ZpIGsWdc
ヒトラー最期の12日間でいえば
「SS長官のヒムラーが裏切者」
は、ナチス好きの間でよくいわれるかな

シュペーアも離れていたし、ゲーリングは一方的に裏切者扱いされたしで
ヒトラー自殺まで残っていた重鎮はゲッベルスとボルマンだけだけど

欧米でナチスはナポレオンより悪玉扱いなので
皇帝を裏切った友人やフランス元帥より、どうでもいい扱いなのだろうけど

フランス戦役開始からパリ陥落、皇帝1回目の退位までの経緯
にしたって、次々皇帝から人が離れていってるのは一緒という気がする

その最終盤で
・皇后皇太子、皇帝側の政府要人のパリからの逃亡決めたのは皇帝代理のジョセフ兄
・連合軍との交渉やもぬけの殻のパリでの臨時政府樹立したのがタレーラン
・皇帝ナポレオンに退位迫ったのが、ネイらフランス元帥たち

マルモンの役割なんて相当限定されたもの
・ジョセフに任されて連合軍と交渉、降伏
・軍団の投降は、ナポレオンの召喚状をみたスーアム将軍らがしたこと

にもかかわらず、「ラグーサ公」は「裏切者の代名詞」になったのが
本当のところ、いつの時点だったのか?

普仏戦争だと、「単なるバカ」「史上最低の皇帝」ナポレオン3世が
全部悪いことにされて
むしろお花畑かスパイ疑惑のあっていい人物の方が忘れ去られて
フランス人への人殺しはビスマルクと決めつけて、
パリコミューンの際の殺戮はフランス人同士でしたことなの無視

なのとのギャップが大きい

115名無しさん:2024/05/14(火) 20:08:20 ID:ZpIGsWdc
>>114
そういえば、ナポレオン3世も、セダンで捕虜になる前に
「今、陛下が数万人率いて、敵軍に突っ込んで戦死されたら帝政を存続できます」
といわれて
「あと数万人無駄死にさせなくてはならないのか?だったら、もうやめだ」
といったそうな

1814年のパリ陥落や1830年の七月革命の際のマルモンの対応に
似ているかもしれない

116名無しさん:2024/05/14(火) 20:40:42 ID:tjDt0nXk
前スレによればスルトはエルバ追放後も密かにナポレオンと連絡を取り合っていたそうだが、やっぱりブルボンと皇帝のどちらにも取り行って身の安全を確保するためだろうか、それともスルトにもナポへの忠誠心があった?

117名無しさん:2024/05/15(水) 00:08:28 ID:Y0D22YYw
>>113
1830年の革命で英国に逃げたマルモンをポーツマス市民は三色旗でお出迎えしたそうだけど
これは反動的なブルボン王家とその走狗に対する当てつけで、ナポレオンを裏切ったこととは無関係っすよ
要するに、マルモンには蔑まれる理由がいくつもあったってこと

七月革命の最中にアングレーム公が「あいつナポレオンだけでなく我々まで裏切る気か」と発言しているんで
マルモンは裏切者というイメージはすでに定着してたんでしょう。それもボナパルト派とか王党派とか関係なしに
しかしセントヘレナ回想録ではナポレオンはマルモンに対する非難を控え、クールな英雄として振る舞ってるのね
にもかかわらずマルモンの悪評が高かったのは、やっぱり首都を敵に明け渡すという行動がわかりやすすぎたからでは

118名無しさん:2024/05/15(水) 19:56:21 ID:oBbqyNCI
>>117
連合軍にパリを明け渡す行為で、軍団指揮官のマルモンのみ注目され
ジョセフ兄もタレーランも注目されなかったと?

まあ、ナポレオン独裁の執政政府以降、軍隊こそが政権の基盤だったから
当然ともいえるか

119名無しさん:2024/05/16(木) 00:10:31 ID:jIppmMxI
>>116
エルバ島を訪問予定の高級将校を警戒するようナポレオン宛にメッセージが来たのは事実としても
スルトが送ったという確証はないみたいね。彼だと言われているとポン氏が述べているだけで
ただしポン氏の手記は信頼できるもので資料価値も高いとされている模様
スルトが警告してくれたんだろうというのも、ナポレオン本人がポン氏に語ったことなのかも

スルトの回顧録はGoogleブックスで公開されてるんで、そっちで裏付けがとれたりしないかと思ったんだけど
検索した限りエルバ島への言及はなさそうだった

120名無しさん:2024/05/17(金) 00:04:36 ID:j6H/IG2M
>>118
アングレーム公の話をしてるんなら、七月革命の時の彼はジョゼフに相当する立場なので
革命を鎮圧できないとしたらマルモンのせいだという発想になるのは仕方ないのでは

まあアングレーム公は元々カンブロンヌを絶賛しちゃうような人で
マルモンのことを不忠者と見下していた節があるのよね
マルモンも王太子の横槍でアルジェリア遠征軍の司令官になれなかったと回顧録に恨み言を書いてます
そこまで仲の悪い二人をパリ防衛で組ませたシャルル十世に一番の問題があるというのが個人的な感想

121名無しさん:2024/05/18(土) 04:36:33 ID:8Zh/BiT2
>>119
スルトう本人の生きのこり、保身目的の一種の二股工作の意味もあってしたこと
後日であっても、自らしたこととして公開する気はなかったのでしょう
最新のフランス大元帥として、偉人伝風なイメージで自分の名を遺そうとしたと

元マフィアのビル・ボナンノとかフランク・ローゼンスタールとか死後数年たって
FBIなど当局の情報提供者だったことが明かされたパターンに似ているかも

戦後日本の読売新聞の正力松太郎や元・朝日新聞主幹でもあった緒方竹虎が
CIAのエージェントでした、とかも同様

いくらフランス人のえらいさんの多くは変節漢だらけが世間の常識でも
本人がペラペラしゃべってくれるとは思わない方がいいということかも

122名無しさん:2024/05/18(土) 04:42:07 ID:8Zh/BiT2
>>120
明治のえらい人の誰かが、刑死した小栗忠順を「勝海舟より優秀」とほめる
ようなものだが
明治新政府が徳川幕府の復活の危険がないのに対して
ブルボン家の復古王政はひっくり返ってもおかしくない情勢だったのが違う

123名無しさん:2024/05/18(土) 05:05:46 ID:8Zh/BiT2
>>119
ナポレオンのパリ陥落直前のタレーランから連合軍あての伝言が
自分でなくその友人から王党派を使者として行う形になったのに似ている
当時一部で流行っていた方法なのかも

最近までの日本でいえば、自民党代議士の
「秘書がやりました」
みたいなもの

124名無しさん:2024/05/18(土) 05:14:57 ID:8Zh/BiT2
>>119
文化大革命のとき、鄧小平を広東省の葉剣英の一族が匿ったりもしているし
軍部や官憲の中に密かに皇帝派に通じているものがいても不思議はないか

19〜20世紀のフランスの偉い人が立場をころころ変えられたのも
なにがしかの人づて・人脈あってのことかもしれない

125名無しさん:2024/05/18(土) 16:16:57 ID:hVAfgJPM
>>122
死んだ人間は脅威になりえないから遠慮なく褒められるって話なら
カンブロンヌは1840年代まで生きていたので小栗上野介とは違うかと
もっとも彼はジェラールやクローゼルと違って政治的な活動をすることはなく
静かに余生を送ったそうだけど

なおアングレーム公がカンブロンヌに会って称賛したのは1819年のことだが
それから10年ちょっとでブルボン王朝が転覆するなんて当時は夢にも思わなかっただろうな

126名無しさん:2024/05/19(日) 02:28:30 ID:wbQrqtuk
アングレーム公は1823年のスペイン出兵で総司令官を務めたんだが
これは遠征というより遠足みたいなもの、それなのにナポレオンですら敗れた
イベリア半島で勝利した軍事的天才と取り巻きが持ち上げまくったものだから
本人もすっかり天狗になってしまったなどとマルモンの回顧録にある
ちなみにアングレーム公の茶坊主として名指しされているのがシャトーブリアン

判断をマルモンに丸投げしたジョゼフとは違う意味で
アングレーム公にも問題があったんだろう
ただマルモンが肝心なところでイモを引くやつなのは確かで
そこは上司との相性が悪かったでは済まされないと思う

127名無しさん:2024/05/19(日) 05:00:54 ID:RK5.oFVU
>>126
シャトーブリアンも、正統王朝派ながら、当時の指導部から干されると自由主義的発言
したとしるされてるから、自分本位の人物だったろうね

128名無しさん:2024/05/19(日) 13:09:50 ID:RK5.oFVU
次回の44ページでどこまで描いてくれるか? だな

さすがに、今回も出たマルモンに出番なし、ということだけはないと思うが
七月革命までは、九分九厘やるだろう

129名無しさん:2024/05/19(日) 13:35:41 ID:W3sR2Xt6
大まかな流れはセントヘレナ覚え書がバズってナポレオン人気復活
→やっぱブルボン王政っておかしくね?って流れが出来て七月革命?
その合間でダヴーやローマ王、タイユランが思い思いのナポレオン評価をしながら退場、かな?
マルモンは最終回(たぶん皇帝帰還)の方で出番がありそう

130名無しさん:2024/05/19(日) 19:32:04 ID:yhBTTu.A
帰還の式典ではスルトやベルトランも出るのかな
グルーシーやウディノやマクドナルドもいたみたいだし

131名無しさん:2024/05/20(月) 00:57:40 ID:G9ZXdP1w
>>130
ベルトランはアウステルリッツの剣を奉納する役目なので当然出席なんだけど
マクドナルドは遺骸の帰還の直前に死去したので参加できなかった模様
存命の元帥はヴィクトールとマルモン以外全員が来てたそうです


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