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[ナポレオン覇道進撃]長谷川哲也 66 [オカルトマキアート]

131名無しさん:2024/05/20(月) 00:57:40 ID:G9ZXdP1w
>>130
ベルトランはアウステルリッツの剣を奉納する役目なので当然出席なんだけど
マクドナルドは遺骸の帰還の直前に死去したので参加できなかった模様
存命の元帥はヴィクトールとマルモン以外全員が来てたそうです

132名無しさん:2024/05/21(火) 00:20:14 ID:6KSq.9hE
前々スレにあった没年の一覧を転載
ついでに前スレへのリンクも貼りたかったがNGになるのな

スタール夫人 1817
ヴァレフスカ 1817
ブリュッヘル 1819

フーシェ 1820
ナポレオン 1821
ダヴー 1823
カルノー 1823
ウジェーヌ 1824
ポリーヌ 1825
アレクサンドル 1825

ライヒシュタット公 1832
レティツィア 1836
オルタンス 1837
タレーラン 1838
カロリーヌ 1839

ベルナドット 1844
ジョゼフ 1844
マリールイーゼ 1847

スルト 1851
マルモン 1852
ウェリントン 1852
メッテルニヒ 1859

デジレ 1860
ジョミニ 1869

133名無しさん:2024/05/21(火) 15:35:21 ID:TDVh8yK2
>>132

モンセ― 1842

ベルトラン 1844

ウディノ 1847
グルーシー 1847

マリーテレーズ 1851

134名無しさん:2024/05/21(火) 18:47:56 ID:TDVh8yK2
>>132-133

第二帝政初期が最終盤だと、すっぽりおさまる
メッテルニヒも2月革命で失脚

ジョミニやフラオ、マルシャンの長寿は無視と

135名無しさん:2024/05/22(水) 00:02:57 ID:/G/V1RH.
1812年の大陸軍公報第29号
https://www.napoleon-series.org/research/government/c_bulletin.html

デュロックが大元帥と呼ばれている。してみると宮廷大元帥をそう略して
肩書きに使う慣例は当時から公的にもあったってことだろうか

それだと元帥の上位互換みたいに聞こえて紛らわしいんじゃないかと思ったが
ネイはエルヒンゲン公、ベルティエはヌーシャテル大公というように元帥号ではなく
爵位で呼ばれているので、デュロックより格下という印象にはならない模様

136名無しさん:2024/05/22(水) 00:03:21 ID:/G/V1RH.
ちなみにデュロックもフリウリ公なのだが、彼は大元帥と呼ばれるのね
同様にコランクールもヴィチェンツァ公ではなく馬事総監です
どうやら宮中で高位の役職にある場合はそっちが優先されるらしいんだが
つまり覇道進撃におけるナポレオン臨終の場面で
ベルトランが「大元帥」と呼ばれているのは正しいっぽい

137名無しさん:2024/05/25(土) 05:29:20 ID:1teDHYH6
>>136
ナポレオン時代にしかなかった官職名がやたらと目立ちますね
馬事総監は軍事部門での軍馬関係の長官とわかるので、まだいい

タレーランの就いていた大選挙人なんて、どういった職務内容だったのか
説明がないとわけがわからない
ヴェネツィア共和国の官職でも参考にしたんだろうか?

国務院(コンセイユ・デタ)みたいに、現存していてそれなりに有名だと
検索すれば、どういう官庁なのかすぐわかるが
「国務会議」「国家評議会」なる翻訳だと
内閣のことか旧共産主義国の元首機関と誤認しやすい

138名無しさん:2024/05/25(土) 05:46:01 ID:1teDHYH6
イギリスにも「大法官」(chanceler)というわかりにくい官職が存在した
が、21世紀になって廃止
貴族院議長と最高裁判所、憲法問題省(?)に分割された

現代だと、エリート官僚養成校のENAの廃止と、国立公務学院(INSP)設立
要は、政治家とエリート官僚の子弟ばかり入学していたのを
フランスの学生から幅広く採用して、育成コースも多岐に分けるらしい
が、なぜ廃止と設立をせずに、改革でダメか不明

139名無しさん:2024/05/25(土) 08:03:32 ID:1teDHYH6
>>136
「大長官」の訳だと様にならないから「大元帥」なんでしょうね

モントロンを「元帥」と誤訳する弊害に比べれば
大忠臣ベルトランを持ち上げる表現に問題は少ない

140名無しさん:2024/05/25(土) 23:47:21 ID:YPOzZ6rI
セントヘレナ行の艦上でナポレオンの食事の作法が英国側をドン引きさせたという逸話
覇道進撃でも描かれているけど、出典はラス・カーズのセントヘレナ回想録
ただしラス・カーズによると、艦隊司令官コックバーン少将の相手をしたのはベルトラン夫人

立腹しているコックバーンに向かって夫人は「あの方はかつて世界に覇を唱え
王侯たちもその食卓に同席しようと競い合ったのだということをお忘れなく」と言い放ち
納得した提督はその後ナポレオンに合わせて早食いするようになったそうな

141名無しさん:2024/05/25(土) 23:47:49 ID:YPOzZ6rI
これだけ読むとスカッと系エピソードのようにも見えるんだけど
たぶんベルトラン夫人の言葉は「かつて」といっているのがミソなんだろう
ナポレオンがもはや皇帝でないことを無礼にならない範囲内でわからせるのがコックバーンの仕事なんで
「元皇帝」にふさわしい敬意を払えと要求される限り応じるのは難しくないし
ベルトラン夫人も強気に出ることができたんじゃないだろうか

一方ベルトランが求めているのはナポレオンを「皇帝」として遇することなんで折り合いはつかないし
覇道進撃は彼の苦労を描いていて含蓄のある改変だと思った

142名無しさん:2024/05/26(日) 05:36:28 ID:fV6eHTM2
>>141
ベルトランは
最終盤で一気に出番の多い軍人になりましたね

大陸軍時報見ても、モントロンはもちろんのこと、グールコーも軽く扱われている
なんのかんのでベルトラン夫妻の扱いが一番大きい

143名無しさん:2024/05/26(日) 05:44:02 ID:fV6eHTM2
>>140-141
コックバーンって、ハドソン・ロウ総督の前任者では?
この人は、要領よくてスマートだったみたいですね


当時の欧州、共通語はフランス語で、英語は違ったろうから
ビクトルみたいに亡命者が船乗りとして働くこともできなくはなかったかな?

144名無しさん:2024/05/26(日) 06:02:10 ID:fV6eHTM2
>>138

日本のリーディング大学院なるもの、松下政経塾の大学版と思いきや
学際的な学問分野の研究者育成の、博士課程後期コースみたいね

まあ、日本の大学で実学的な人材育成コースがどのくらい成功するか怪しい
北欧では学部段階でも、そうしたコースに大学組織が再編成されてるらしいけど

日本でエリート官僚育成コースつくるなら、税務大学校みたいな大学とは別組織
にしないとだめだろうね

フランスは、大革命以降、ずっと大学とは別にグランゼコールを設立しつづけてきた国
ではある。グランゼコールで「大学の自治」は保障されていなかったりする?

145名無しさん:2024/05/26(日) 23:10:34 ID:lVEr1rug
>>143
おっしゃるとおり、ロウが来るまでセントヘレナの臨時総督をやってた人です
ただし本業は喜望峰艦隊司令官で、この艦隊の隷下にあるセントヘレナ戦隊というのが
ナポレオンを実力で奪還しようとする動きがあったとき迎撃する役目を担ってたんですね

コックバーンが離任すると、それまで兼任だった総督と艦隊司令官は陸軍と海軍に分割され
総督はロウが、喜望峰艦隊司令官はパルトニー・マルコム少将が引き継ぐことに
マルコムも覇道進撃には未登場ですが、ナポレオンとの関係はおおむね良好だった模様

後にコックバーンは元帥、マルコムは大将までそれぞれ栄達し
セントヘレナ以降まったく昇進できなかったロウとは対照的です
セントヘレナ総督としてロウの手際がまずかったのは事実としても
海軍に比べると立場的に貧乏くじを引かされていた感もあるのよね

146名無しさん:2024/05/28(火) 06:48:30 ID:4eKcyx9E
>>145
植民地帝国で英国人以外の外国人や異民族入れてようやく陸軍を維持させてきた英国
ウェリントンも「セポイ(インド人傭兵)の大佐」からキャリア築いた
その後も、グルカ兵やシーク教徒の兵士を抱えていた英国陸軍

この時代には、基本的に陸軍将校の立場は海軍将校より低かったのかも

147名無しさん:2024/05/28(火) 15:07:32 ID:BCUFy1jg
単純に、艦隊司令官と、中継地とはいえ離島の総督じゃ地位が比較にならないってだけでは
コックバーンはロウ着任までの臨時代理らしいし

英wikiみたらコックバーンおじさん、その後、下院議員、第一海軍卿(軍令部長)、海軍元帥と
ロウが夢見た退任後の栄光ロード歩んでるんだな
逆だったかもしれねぇ……

148名無しさん:2024/05/28(火) 16:47:47 ID:BukVE.zM
ロウ総督ってセントヘレナ着任前からあんまり評価は高くなかったんだろうか

149名無しさん:2024/05/28(火) 22:58:16 ID:kP.TuKF6
>>148
覇道進撃23巻164ページの大陸軍戦報に曰く、ナポレオンとの決戦のためベルギーに
集結した英連合軍の総司令官となったウェリントン公は「配属されていた個人スタッフである
ハドソン・ロー(後のセントヘレナ総督)が気に入らず、主計長をデ・ランシー大佐に変更している」

ローはオランダで主計総監をやってたから、ウェリントンはその実績を見て評価したんですかね
なおデ・ランシーはワーテルローでの戦傷が元で1週間後に死去しました

150名無しさん:2024/05/29(水) 00:13:37 ID:148MR602
>>147
そういえば前々回「この仕事を無事に終えれば昇進できるはずだ」と
思いっきりフラグを立ててましたっけロウ総督

セントヘレナから帰った後のロウはセイロン駐留部隊の司令官になったんだけど
前任も後任もセイロン総督を兼任してるのに彼だけ任命されてないので
セントヘレナの評価が響いて、政務は任せられないと思われたんじゃないかと勘ぐっちゃう

151名無しさん:2024/05/29(水) 00:42:49 ID:Rs.VZ.S2
ハドソン・ローの経歴で特徴的なのは彼がフランス革命戦争中にコルシカ独立勢力と協力して戦ってたこと
これは色々な意味を持つ

まずコルシカ独立勢力とナポレオンは仲が悪いということ
これはセントヘレナでナポレオンを彼に見張らせる仕事をするにあたってはプラスに作用する

次に戦後の王政復古体制においてコルシカ独立派は邪魔であるということ
イギリスがコルシカ独立勢力を支援していたのは
単にフランスとイギリスが対立していたからであるので
英仏関係が改善した戦後に手を出す価値はない
この点においてはハドソン・ローは政治的に使い辛い人材になってしまった

彼が政治的権力を増やしてもしもコルシカ独立勢力を支援すると言い出したら
極端なことを言えばせっかく改善された英仏関係破綻のきっかけになる

実際に彼にそういうことをする気があったかはこの際重要ではなく
この場合は彼が出世し続けた場合にフランス王国がどう思うか、コルシカ独立勢力がどう思うか、ということになる

152名無しさん:2024/05/29(水) 21:23:00 ID:6HGskz3c
>>151

利用してポイ捨て
列強が祖国なき民族を利用するよくある手口ですね

他方で、個人レベルだと腐れ縁のように、その勢力とのつきあいが
その後の人生にも影響する
アラビアのロレンスもそうだったのかな?

コルシカ独立勢力の中から、ロシアの外交官になった人もいましたね?

153名無しさん:2024/05/30(木) 02:31:33 ID:qSlTusaI
>>142
ベルトランはアウステルリッツで皇帝副官を務めていたし
通説によれば、イエナではランヌと一緒にネイを救援しに行ったそうだけど
どれもわざわざ描くには微妙なんで、作中ではヴァグラムくらいしか出番がなかったよね
それを埋め合わせるかのごとくセントヘレナじゃ出ずっぱりですわ

154名無しさん:2024/05/30(木) 02:31:58 ID:qSlTusaI
といってもベルトランに同行していた家族は登場しないんだけど
彼の息子や娘はプロパガンダ上そこそこ重要な役回りだと思う
皇帝の恩徳を強調するには子供を出しておくに限るってわけで
ナポレオンの臨終を描いたものとしてボナパルト派の公式絵みたいになってるスチューベンの作品にも
さらに美化されたヴェルネの絵にもベルトラン家のロリショタどもが描いてあります

逆に考えると、アルテュールなんか出しちゃったらナポレオン神話の追認になりかねないので
覇道進撃がその辺を割愛したのは正しいんじゃないかという気もする

155名無しさん:2024/05/31(金) 00:05:43 ID:y8MVS5ZQ
最新号

1823年セントヘレナ回顧録出版  人々に広まる

元近衛兵の爺さんは居酒屋で人気者

ダヴー市長 この年に死去

マルボは孫たちに昔語り

ウディノ

タレーラン
「現実はどうあれ、君は革命の理想を体現した英雄になれた」
七月革命は、政権交代のプロデュースとして語句のみ
1838年死去
遺言で「ボナパルトの名を持つ人の援助にはできる限り応じるように」

ビクトル 皇帝からのグラサンの話を仲間にする

1840年 ナポレオン パリ帰還 棺にベルトラン
爺さんばかりの、4人の元帥 古参近衛兵  ビクトル ルスタム お出迎え
「大陸軍は地上最強」
※ スルト元帥、 ビクトリア女王の戴冠式でウェリントンとおどける
英仏友好親善
一方で、ウェリントンが今や自分が老害といわれてるという陰口も
「成功体験は怖い 現状を最良と思い込む」

「どんな男も老いれば衰える だが、神は違う」
ナポレオン 伝説から神話へ

156名無しさん:2024/05/31(金) 00:11:36 ID:D3xXbTGM
皇帝帰還までやったのか
となると最終話はナポレオン3世までか
それともエンドロール的に登場キャラの最期を1コマずつ紹介するのかな

157名無しさん:2024/05/31(金) 00:19:52 ID:y8MVS5ZQ
>>155

文人たち

れかみえ夫人といるシャトーブリアン
「彼は生きて世界を失い、死んで世界を手に入れた」

ユゴー 「あなたは神」
デュマ 「冒険だ 歴史だ フランスだ」
バルザック 「ナポレオンが剣でしたことを、おれはペンで成し遂げる」


作られる伝説


ラスカーズに200万フラン 40億円の版権料

オーストリア
フランツ皇帝、孫への悪影響心配
ナポレオンの息子 「御父さん素晴らしいです」

158名無しさん:2024/05/31(金) 06:13:56 ID:Qc0kTJjM
当時の200万フランが現在の邦貨にして40億円相当だから
マルモンが甜菜糖でこさえた50万フランの借金は10億円か
ナポレオンも罪な男だ

159名無しさん:2024/05/31(金) 11:55:28 ID:L2ghlv2M
マルモンは出てないのか…やっぱり最終話で出るのかな?

160名無しさん:2024/05/31(金) 17:46:27 ID:y8MVS5ZQ
>>158-159
今回
七月革命とナポレオンの息子をまともに取り上げなかったからなあ
さわり程度

1840年の時点では、ローマ王=ライヒシュタット公爵はすでに故人
そして、皇帝の遺体のパリ帰還のお出迎えに
マルモンとヴィクトール元帥は出席していない

161名無しさん:2024/05/31(金) 17:59:45 ID:y8MVS5ZQ
>>156
いうて、これまでの回で、最期に触れたキャラもそこそこいるからね
残りの登場キャラで最期に触れる意味のあるのがどのくらい残っているやら
ボナパルト一族だとポーリーヌとレティツィアくらいか
元帥たちだと、スルト、マルモン
ほかは、ベルトラン



途中から出番なしキャラの最期に触れてくれるかも、微妙なところ
カルノー(百日天下でちょっとだけ出た)、ウージューヌ、オルタンス
外国勢だと、シドニー・スミス
取りあげそうにもない気がする

162名無しさん:2024/06/01(土) 05:31:09 ID:H12VmZTU
>>155-159

今回で、ナポレオン伝説・神話の影響の光の部分をやったから
最終回では、影の部分をとりあげるのかも
それと、七月革命についてももう少しやりそう
マルモン、ナポレオン2世について描かないといけないので


第二帝政への道にも、ちらりと触れるかもね

163名無しさん:2024/06/01(土) 06:01:17 ID:mCOIcGdo
200万フランといえば、ナポレオンが遺言でモントロンに与えたのと同じ金額やね
マルモンがモントロンの代わりにセントヘレナへ行き
皇帝から200万フランを相続する歴史もありえたんだろうか

164名無しさん:2024/06/01(土) 07:06:57 ID:H12VmZTU
>>163
それだけの金銭をすぐに費消してしまって、なおかつ債権者逃れて英国に亡命
英国ではなぜか借金できて、しかも返済もせずにすんだ

まあ、ルイ・ナポレオンも、母オルタンスの遺産をすぐに費消しているし
この時代には、レミゼラブルに出てくる極貧がいるかと思えば
ばかげた浪費と借金をしても人生やっていけた者もいるという

165名無しさん:2024/06/01(土) 07:51:42 ID:H12VmZTU
>>109-117
大陸軍時報によれば、ナポレオンのネイに対する悪態と、義弟ミュラ処刑への反応
を後世に伝えたのは、英国人(?)オメーラ氏のようですね

その後も、オメーラ氏とは楽しく会話ができたらしい

軍医の息子で教育も受けられたハドソン・ロウが「労働者階級の出」という記述は
ちょっとわからないな。低くても「中の下」くらいだと思う

イギリスといえば、エリザベス女王の時代からスパイ組織があったというのに
ロウ総督のスパイ行為奨励で
名誉を欲するイギリス軍将校の反感を買ったというのも
ブラウン神父作者のチェスタートンみたいだな

166名無しさん:2024/06/01(土) 08:06:39 ID:H12VmZTU
セントヘレナ生活の後半では100キロ超えしたこともあったナポレオンが
初期には小食で1日2回だったというのも意外
エスプレッソ
イタリア発祥だろうに、フランスでも普及していたのかな?

本作の方で、セントヘレナ生活を大幅カットしたのは 正解っぽい
情報量はあって、さまざまなことがいわれてるが
よほどのナポレオン好きでない限り、取捨選択して考察する気になれそうもない

167名無しさん:2024/06/01(土) 08:14:36 ID:H12VmZTU
>>158-163
特別に浪費もせず、部下の世話で金を費やしもしなかったっぽいマルモンが
居城を手放して多額の借金抱えたとか

ほんと人望も運にも恵まれない人だなあ

世間的には、パリでの連合軍に対する降伏と、部下たちのした軍団の投降
が、「裏切者」の汚名を広げたきっかけかもしれないが

ついていったボスから離反したら、うまく世渡りできないタイプだったのでしょう

168名無しさん:2024/06/02(日) 02:35:16 ID:rjPPuAPY
>>165
オメーラ医師の手記は1822年に出版されたので現在はパブリックドメイン
インターネットアーカイブなんかで無料公開されてるね

上巻
https://archive.org/details/b29340470_0001

下巻
https://archive.org/details/b29340470_0002

ネイとミュラの処刑について書かれているのは上巻の23〜24ページ
「ネイは比類なき勇士だった。だが狂人でもあった」と皇帝は語ったそうです

169名無しさん:2024/06/02(日) 14:22:00 ID:5VTTG47g
>>168
1822年出版って、ラスカーズのセントヘレナの手記より先に出版されたんですね?
ライヒシュタット公爵は知らなかったのですか?


そちらの方が、ほかの元帥たちへの悪口もいってそう
ラスカーズの前ではクールな英雄気取りの言動しかしていなかったというのに
外国人には本音を語っていたとは

170名無しさん:2024/06/02(日) 15:26:00 ID:LpfqEzUY
終盤も駆け足にならず
ワーテルローの後も本人の死前後も丁寧にやったね
これはまとめて見直したら評価上がりそう

171名無しさん:2024/06/02(日) 19:25:40 ID:5VTTG47g
タレーラン「私はあと200年くらいは悪役かな」

タレーラン公爵家は、今世紀の00年代に断絶した

甥に公爵の爵位を継がせたことや、義理の姪を愛人にしていたことは触れずじまい

スウェーデンについては触れずじまいだな
フランスにルーツあろうが、もう外国の王家、外国の貴族のオトラント公爵家

172名無しさん:2024/06/02(日) 19:40:13 ID:5VTTG47g
ビクトルについては
ワーテルロー後は、商船の乗組員して
いつの間にやらフランスに戻っていた
という流れだな

木彫りの勲章のポン氏も、フランスに戻っている

ブルボン家もオルレアン家もまったく登場しなかった今回

173名無しさん:2024/06/02(日) 20:00:57 ID:qz.5h1pc
>>171
息子のフラオーは公爵家を継ぐ資格が無かったんですかね?

174名無しさん:2024/06/02(日) 20:14:28 ID:RaCx0Tx6
そりゃ正式にはフラオーはフラオー伯爵の息子だし
ヴァレフスキの旦那がアレクサンドルを認知して正式な息子にしたように
明らかに自分の子じゃなくても名誉のために夫が子どもを認知することはある

175名無しさん:2024/06/03(月) 00:17:53 ID:TV04tHiQ
数日遅れの電子版読んだがエジプト遠征後に飯屋開いたあの店主も再登場か
なつかしい

176名無しさん:2024/06/03(月) 00:54:00 ID:s78kvsiA
>>169
オメーラ医師の手記でマルモンへの言及があるのは下巻の157〜158ページ
ナポレオン曰く「後世の人々はマルモンをおぞましき存在として語り継ぐだろうが
その所業は彼自身が許せまい」

こっちのほうがラス・カーズの回想録よりは怒りを表に出しているけど
とはいえ恨み言ではなく人物評という体裁をとっているあたり
やっぱりクールな英雄像を保とうという意図を感じるんすよね
たぶんオメーラ医師が公表することまで計算に入れて自己を演出してたのでは

177名無しさん:2024/06/03(月) 00:59:36 ID:s78kvsiA
ところでナポレオンはマルモンを許すと遺言してるんだけど
そのこととマルモンは後の世まで忌み嫌われるだろうという予想は実は矛盾してないと思う

俺は許すけどなーフランス人民はどうかなー
つれーわー徳の高い皇帝はつれーわー

178名無しさん:2024/06/03(月) 16:11:46 ID:RRpwJYCM
パリ凱旋のところのビクトルの隣、レザか
前半の語り部ブーリエンヌと中盤の語り部コランクールおじさんはどっかに出てるのかな

179名無しさん:2024/06/03(月) 17:03:56 ID:fmGbxB5g
>>178
どっちも、1840年より前に死亡しました
ブーリエンヌは、七月革命後に破産、精神病院で死亡
コランクールは、七月革命より前に死亡

前者の運命については本作では第一次復古王政までが最後の描写

180名無しさん:2024/06/03(月) 17:59:13 ID:fmGbxB5g
兄弟たちを王侯に取り立てたことは、セントヘレナのナポレオンも
「バカなことをした」
と述べている

「革命の理想を体現した英雄」のイメージに抵触するものな

おまけに、皇帝の忠臣と呼ばれる者でも、母レティツィアとポーリーヌ以外の
ナポレオンの兄弟姉妹を、心底では敬愛していなかった
このことを、皇帝も気づいていたのだろう

もしも1840年にルイ・ナポレオンがフランス国内でしょぼい反乱起こしてなければ
ボナパルト家はフランスに帰還できたんだろうか?

181名無しさん:2024/06/04(火) 01:19:28 ID:hdYBNsXQ
>>171
ジャック・F・バーナードのタレイラン伝によると
晩年の彼は後世の悪評を懸念するあまり鬱病になっていたそうで
「あと200年くらいは悪役かな、あ〜あ」という台詞もそれを踏まえてるんだろう
タレイランをそこまで追い詰めたのはナポレオンだけってことで

しかしフーシェの末路が(サン=ジュストによる斬首が救済に見えてしまうほど)
悲惨だったのに比べると、タレイランは威厳を保った描写だった
まあタレイランとフーシェじゃ最初から格が違うか

182名無しさん:2024/06/04(火) 05:08:35 ID:ZyZD4uDE
後世ではタレイランはナポレオンの覇業を邪魔した最大の裏切者という評価だからな
しかし皮肉にも軍事力が弱体化し無様な敗北を繰り返したフランスが未だに大国扱いされてるのはまさにタレイラン式の勢力均衡があってこそ

183名無しさん:2024/06/04(火) 05:12:06 ID:mR6GoDw2
>>132-133

コランクール 1827

184名無しさん:2024/06/04(火) 05:22:40 ID:mR6GoDw2
>>182-183

フランスが中華思想一辺倒で動いて、現実の国際関係でやっていけてはいない

愛国の怪盗紳士ルパンも、『金三角』でドイツ側のイタリアを寝返らせる
資金獲得を画策していたわけで
ちゃんとフランス一国でドイツに勝てないことを自覚していた

ナポレオンは、アレキサンダー大王にかわる誇大妄想狂の代名詞にもなった
その当人が、幼少のころ、アレキサンダー大王にあこがれたんだから
子供のころの夢を実現させたといえる

185名無しさん:2024/06/04(火) 05:30:26 ID:mR6GoDw2
>>181-182
もう21世紀にもなれば、日本での著作でも、フランス革命、ナポレオンよりも
リシュリュー、タレーラン、ドゴールを称賛しないとな

まあ、20世紀後半の世界史の教科書ですら、恐怖政治
大陸封鎖令、ロシア遠征以降の没落
というマイナスの側面をちゃんと出せてるのが
英国の歴史記述よりも好印象ではあったが

186名無しさん:2024/06/04(火) 05:34:29 ID:mR6GoDw2
>>181


そういや、フーシェは、後世の自分の評価なんて気にしたことあったのかな?

187名無しさん:2024/06/04(火) 06:19:33 ID:ZyZD4uDE
>>184
そんな姑息な手段を取らねばならないって所にナポレオンの覇業が成功していればって屈折もあるんだよな

十年近く前にもナポレオンはEUの原点だなどという本音が出てたりもしてたし

188名無しさん:2024/06/04(火) 06:25:30 ID:ZyZD4uDE
日本でも秀吉の朝鮮出兵が絶対的な悪行愚行になったのは昭和敗戦以降でそれ以前はむしろ最大の評価点ですらあった
それこそ秀吉がもう少し長生き出来ていたら明まで征服出来てたに違いないって

189名無しさん:2024/06/04(火) 07:59:06 ID:W8vLF..w
追加の徴兵が困難になっているという時点で今のウクライナはフランス戦役を思わせている

190名無しさん:2024/06/04(火) 11:49:35 ID:mR6GoDw2
>>188
ヌルハチ以降の満州族の歴代君主なみの力量、技量があったか?
気になる

日露戦争の後でも、旧満州の群雄の中から張作霖を見出して
彼を支援することで、なんとかうまくやってきたわけで

大日本帝国の軍人と官僚主導でで切り回そうとした満州国の運営が
実態として、どれくらいうまくいったか?
だと思う

191名無しさん:2024/06/04(火) 11:57:50 ID:mR6GoDw2
>>189
ますます外国人傭兵と無人兵器に頼らざるを得なくなるね

まあ、トランプや共和党も、米国のウクライナ支援に同意したし
ドイツなど欧州の国々や日本も援助はしているので、当分は持ちこたえると
思いたい

にしても、ウクライナ人でさっさと国外に逃亡している連中に対しては
非難すべきか、生き残りに長けているとみるべきか
迷うところ
敗戦となったら、逃げられるところまで逃げた方がいいのは
前の大戦直後の日本人でも同じことだったわけで

九州から名古屋に貨物列車に乗って逃げた人々が相当数いたのに
旧満州や朝鮮半島北部だと、のほほんとソ連軍侵攻まで居座っていた人が
多かったんだよな

192名無しさん:2024/06/04(火) 12:17:24 ID:mR6GoDw2
>>187
そもそも、敗戦国ドイツはもちろんのこと
フランスでも英語教育に力を入れてるのが現状だけどね
フランス語の国粋主義は諦めた
アフリカの旧植民地諸国でも、自立意識が生まれているわ
中露の影が忍び寄るわ


今ではドイツもフランスも、わりと本気でイスラム化の心配した方がいいかもという
イスラム移民とその子孫が人口の過半数に迫る日が近いといわれてる
イスラムには、中国やロシアも、脅威を感じているというくらい
DNAでも飲酒でも飯でも、わりと欧米よりのトルコでさえ、あの有様

日本にしても、中東の人間入れるくらいなら、中国人やベトナム人、東南アジアの
人間に浸透された方が、まだましな未来では?

193名無しさん:2024/06/04(火) 12:25:08 ID:myd7Abe.
アラブ人が人口増で世界を支配するならそれは自然な流れで特別な問題はない
それまでの固有文化は破壊されるかもしれないがそれは今までの歴史の中でもいくらでもあることだった

この時代に住む我々が自分達の文化を破壊されることを恐れてるのはその時代に産まれた愛着からだが
数百年後には誰も気にしないだろう

194名無しさん:2024/06/04(火) 19:55:28 ID:mR6GoDw2
>>145-152
ア戦争のとき
イギリス軍の指揮下にあったオーストラリア軍の将校モラントが
捕虜2名とドイツ人宣教師を殺したかどで
ドイツの参戦を防ぐ目的で、イギリス政府に責任を押し付けられて
「イギリス軍の軍法会議で」銃殺刑になった

オーストラリア映画 英雄モラント/傷だらけの戦士

この一件のせいで、オーストラリア軍の参戦の際には、イギリス軍の軍法会議で
裁かれることがないという釈明を、わざわざしなくてはならなかったという

向こうも、上層部の尻ぬぐいと他国との外交関係で、下の指揮官に詰め腹切らせたわけだ
決して、太平洋戦争直後の旧日本軍将校処刑だけではない

195名無しさん:2024/06/04(火) 19:58:34 ID:mR6GoDw2
>>194
南アフリカでのボーア戦争のときね

コナン・ドイルは従軍して勲章もらったようだが
ゲリラ戦のせいもあって民間人捕虜を多数収容所に入れたり
捕虜を虐殺したりと、だいぶろくでもない戦争だったようだ

196名無しさん:2024/06/04(火) 20:05:43 ID:mR6GoDw2
>>192-193
たしかに、アッバース朝イスラム帝国が、トルコ系白人奴隷戦士を大量に
入れた挙句、彼らに支配層の地位を乗っ取られたりもしている

中世、近世と敵対して交戦もしてきた異教徒を、大勢移民として入国
させる欧州諸国も、わけわからんよな

それでいて、国内では、同性愛者どころか
自称男性や自称女性も男性、女性と認めろ
とかを認めて、欧米の外の国にも押し付けられないか、と動いている
イスラム教徒が認めるとは到底思えないことだ

197名無しさん:2024/06/04(火) 20:24:01 ID:mR6GoDw2
>>196
アラブ人に対抗させる意味で、黒人を入れるというのもあるのかな?
黒人は主流化には失敗してきたものな、エジプトでもだめだった

アメリカ合衆国にしても、イタリア系のアメリカン・マフィアにとってかわるの
は、黒人ギャングでは無理で(白人相手の商売が難しい)、ラテンアメリカ系
の方が可能性がありそうなんだと
暴力性では黒人の方が目立つともいうが、ラティーノ(古くはヒスパニック)
の方が、アメリカの白人社会に浸透しやすいし、数でもいくらでも供給可能
昔、メキシコからカリフォルニアやテキサスを奪ったが
今や自国がラテンアメリカ化しようとしている


民主党左派が今やってる不法移民の際限ない受け入れで
略奪にもあってえらいことになってる
ギャングの方は、メキシコ人、中米諸国の人間にかわって
ベネズエラ人が一番危ないらしい

198名無しさん:2024/06/05(水) 00:18:06 ID:FReIZ5Gc
「これでやっと死ねるなあ」と元帥たちが呟く場面
あれ史実ではモンセーの言葉なんだけど
(正確には式典後に「さあ家に帰ろう、いまこそ死ぬときだ」と発言した)
彼だけ描かれていないというね。仕方ないとはいえ影が薄いよな

でも一番その台詞が似合うのはグルーシーだと思う
四半世紀も己を責め続けたであろう彼が皇帝の帰還で楽になれたならいいな

199名無しさん:2024/06/05(水) 00:46:34 ID:QDdNaY.s
死ねば何もかも帳消しなんて無責任に考えるのは実に日本人的だな
グルーシーみたいな人間がそういう考えを持つ筈がないだろ
元帥号も貴族号も回復されてて様々な場所に名前が残ってて子孫もいる
死ぬ程度でこれでやっと楽になるなんてありえん

人間の生前の行いは本人が死んでも永久に人間の記録と歴史に残る
少なくとも人類が絶滅するか大きな変化や極めて長い時間の経過による記録の劣化などがない限りはな

死んだらあとは知らんなんてそんな考えがまかり通るなら貴族制度なんて成り立たないんだよ
だから日本ではすぐに無くなってる

200名無しさん:2024/06/05(水) 03:24:16 ID:QM13Xj4I
>>198-199
グルーシーのワーテルローの戦いでの敗戦責任はさておき


皇帝ナポレオンの遺体がパリに帰還しないのは
死ぬに死ねないくらい心残りという意識はあったんだろうね

これも、シャルル10世やナポレオン3世の遺体が、現在もなおフランス国外のまま
なのと比較すると
皇帝ナポレオン1世に限ってフランス、パリに戻らないといけない
という意識が特別に働いた気がする

201名無しさん:2024/06/05(水) 17:43:37 ID:QM13Xj4I
>>200
2024年現在
ナポレオン3世やシャルル10世の遺体をフランスに送って埋葬しなおしても
大した話題にはならないかもだが

今世紀に入って、大デュマを、旧友ユゴーの眠るパンテオンに埋葬しなおした
ことほどにも、騒がれそうもない

202名無しさん:2024/06/06(木) 00:39:03 ID:vGJdeKJ6
皇帝の帰還を出迎えた四元帥の中でもっとも影が薄かったモンセー
彼はネイの処刑に反対して逮捕されたという逸話があるんだけど
ネイとかぶるからか、覇道進撃では省かれていた

というかモンセーは百日天下の間はナポレオンのために戦おうとせず静観していたのに
戦後になってから、すべてを失う覚悟でネイを庇っているんで
ちょっと不思議な感じがする

203名無しさん:2024/06/06(木) 00:43:54 ID:vGJdeKJ6
すまん間違えた
×ネイとかぶるからか→○ダヴーとかぶるからか

204名無しさん:2024/06/06(木) 04:00:09 ID:0qWGw7Ic
>>200
まあ当時としてルイフィリップの人気取り政策の一環だったらしいが

結局は二月革命の阻止に役立たず。

205名無しさん:2024/06/06(木) 21:06:19 ID:qgmxx99o
>>204

そのとき、その場の歴代政権のしてきたことの積み重ねが
後世の観光客的視点では、歴史建造物の蓄積に見えてしまう不思議


当時は鉄骨の不細工な建造物のようにいわれたエッフェル塔も
ルーブル美術館の前のガラスのピラミッドも
すっかり定着するくらいだから

廃兵院の地下の墓所の廟堂くらい、驚くほどのものじゃないかもだが

206名無しさん:2024/06/06(木) 21:12:24 ID:qgmxx99o
>>198-199
自分のしたことが死後に免責されるかはさておき

敗戦の後始末とその後の名誉回復について
仕えた旧主の皇帝が、いつまでもこの世の果てみたいな孤島に眠っているのが
いたたまれなかったのだろう

前回のベルトランの悲痛な叫びの心境は、相当数の皇帝派の人間の気持ち
だったということ

207名無しさん:2024/06/06(木) 21:17:17 ID:qgmxx99o
>>204-205
西洋人のすることにしては、「議論と計画」をして
時間をかけて理路整然と合理的に築いたものではなく
ゆきあたりばったりなんだよな

最近の日本の政治のすることみたいに

なのに、そこまで雑然とした印象でないのが不思議

208名無しさん:2024/06/06(木) 21:24:20 ID:0qWGw7Ic
今日はノルマンディー作戦八十周年

実質的にフランス抜きの解放作戦

209名無しさん:2024/06/07(金) 01:26:56 ID:3Eb5goMY
>>205
マルシャンの前にナポレオンの首席近侍を勤めたコンスタンの回顧録によると
デュロックが戦死したとき、彼を廃兵院に葬るようナポレオンが指示したとのこと
この命令はなかなか実行されず、結局ナポレオンの遺骸の帰還が先になったんだが
1847年にベルトランが廃兵院に埋葬されたとき、デュロックも併せて移されたそうだ

だから廃兵院が皇帝の墓所になったのは場当たり的な判断の産物なんだけど
なんとなく落ち着くべきところに落ち着いた感はあるのよね

210名無しさん:2024/06/08(土) 23:54:44 ID:ZLSjvVpM
デュロックを讃えて廃兵院に埋葬せよと命じたナポレオンが
先にそこで彼を待つことになったというのは話ができすぎてる感があるが
コンスタンの回顧録が出版されたのは1830年なので
遺骸の帰還の後で話を作ったってわけじゃないんだよな

211名無しさん:2024/06/09(日) 00:04:04 ID:T20uFtiw
廃兵院の現在ナポレオンとその一派の間みたいになってる場所は
オルレアン朝の時に巨額を投じて作られてるのでナポレオンの時代にそういう風になると想像されてたかどうかもわからんな
帝国の中止になった事業は数多くあるからその時にもう改築をする予定だった可能性も高いけど

212名無しさん:2024/06/09(日) 03:38:18 ID:UdGx9rSA

>>208
これで、フランス戦勝国で常任理事国ってのが
ドゴールのおかげだよな


敗戦国といわずとも、オランダやベルギー並みの扱いで当然なのに

213名無しさん:2024/06/09(日) 03:49:29 ID:yk5yu43c
アメリカとイギリスは1940年に戦争の準備を何もできておらずほとんどフランス一国に全てを任せた負い目がある
ドイツ軍が150個師団集めてた時にフランス軍は100個師団を集めてたが
イギリスが集めたのは10個師団でアメリカは兵器の支援だけをしてた

第一次世界大戦末期にイギリスは西部戦線に80個師団集めてた事を考えると
イギリスは20年前に何が必要だったかもまともに覚えてない国であるか
犠牲を全てフランスに押し付けて自国の戦死者を増やさないことしか考えてない国だったかの二択になる

もしもイギリスが徴兵制を維持してて1940年にフランス軍の半分の50個師団でも集められていたらベルギーの20個師団と合わせドイツ軍に対して170個師団の圧倒的な軍事力を揃えられたら
ドクトリン的に劣っていたり作戦ミスをしたとしても数でそれをカバーできたかもしれなかった

214名無しさん:2024/06/09(日) 03:49:57 ID:UdGx9rSA
>>211
七月王政の当時、フランスは大して植民地持っていなかったし
ようやく1789年の経済水準に戻ったブルボン王政の次の時代
産業革命も初期段階で
そんなに豊かな国ではなかったんだよな

巨額の工事費用は、どこかでいわれたように、大量の国債発行で賄ったんだろうか?

215名無しさん:2024/06/09(日) 03:59:57 ID:UdGx9rSA
>>202-203
地味に骨のある人だよな
ただ、ナポレオン時代のように「臆病者と呼ばれるのが死ぬよりつらい」
なら、これくらいしろ、という気もする

>>212-213
準備不足は、フランス軍部も思っていたというが
イギリスやアメリカはそれ以上にひどかったんですね

アメリカ海軍にしても、せめて国力相応の軍備してるだけでも
日本に勝機ありの幻想の余地はなかったという声がある

216名無しさん:2024/06/09(日) 04:27:49 ID:UdGx9rSA
>>202
ナポレオンのために戦わなかったのは
百日天下がボナパルトの無責任な冒険で、最終的にフランスにマイナス
とわかっていたからでしょ

元帥たちは、既得権益のためもあるが、大衆や下の将兵よりかは
フランスの国力や国際情勢をわかっていたということ

217名無しさん:2024/06/09(日) 04:45:12 ID:yk5yu43c
百日天下の時のモンセーは普通にナポレオンの味方になったけど
年齢の問題で前線には使われなかっただけというのが通説
ナポレオンから政治的に信頼されなかったという可能性はあるが
モンセー自身が任務を拒否していたという話は聞かない

218名無しさん:2024/06/09(日) 05:07:49 ID:UdGx9rSA
>>217
ナポレオンのパリ帰還後にナポレオン支持表明して
戦線で登用されず

も元帥たちに目立ったパターンでしたね

モルティエ元帥も、ワーテルロー前夜に、病気を理由に脱落していたっけ

そうした元帥の多くも、ネイと違って、ルイ18世復帰後赦されている

219名無しさん:2024/06/09(日) 06:16:34 ID:IF45qCck
>>217
ワーテルローの戦いの時、モンセーは60歳か。若くはないな
もっとも1823年のスペイン出兵では第4軍団長を務めているんだが
この遠征はマルモンにいわせれば遠足みたいなものだったそうなので
ワーテルローと同列にはできないかもしれん

220名無しさん:2024/06/09(日) 06:25:43 ID:IF45qCck
モンセーは王政復帰で貴族院議員に任命されるも
百日天下の後でその地位を一時的に失っているので
間違いなくナポレオンに与していたとブルボン王家からは見なされたんだろう
軍人としての称号までは取り上げられなかったので、オージュローよりは処分が軽いか

しかしネイを裁く軍法会議の議長への就任を拒否して元帥号まで剥奪され、逮捕されることに
この時にモンセーが述べた「私の生命も財産も国家のものであり、国王陛下のものです
しかしながら私の名誉は私自身のものであります」はなかなか格好いいと思う

221名無しさん:2024/06/09(日) 16:05:32 ID:UdGx9rSA
>>219-220

1840年の時点で、モンセーは85歳
1823年の時点では68歳

1840時点で
マクドナル 74歳で死去
グルーシー 74歳
ウディノ  73歳
スルト   71歳

カンブロンヌ70歳

見事に爺さんばかり
マッセナ死去の59歳やら60歳どころではない

二月革命より後に生き延びていたのも、スルトくらい

222名無しさん:2024/06/09(日) 16:26:41 ID:UdGx9rSA
>>219-220

1840年時点で
ベルトラン 67歳

70歳に達していないだけで若く感じる

223名無しさん:2024/06/09(日) 16:43:04 ID:UdGx9rSA
>>219-220
ついでに 1840年時点で
マルモン 66歳

一方、当時現役の文豪たちは
バルザック 41歳
大デュマ  38歳
ユゴー   38歳

他方で
シャトーブリアン 72歳

224名無しさん:2024/06/10(月) 08:41:10 ID:7./9gAtw
>>211
廃兵院に名将を埋葬するってのはナポレオンが始めたことだそうで
1800年のテュレンヌに端を発し、ヴォーバンがそれに続いたんだけど
じゃあ英霊をそこに集めるつもりだったのかというと
ランヌとかはパンテオンにいるし、よくわからんね

なお覇道進撃の登場人物ではベシェールやエブレも廃兵院に葬られている模様

225名無しさん:2024/06/11(火) 07:50:53 ID:9LLC.nHY
最新号、ライヒシュタット公が木の枝に座ってセントヘレナ回想録を読む場面は解放感があり
ナポレオンの子であるがゆえに制約が多かったであろう彼にとって貴重な一時という印象だった

ベルトランはナポレオン遺言に従ってアウステルリッツの剣を公に渡そうとするも
オーストリア政府に阻まれて果たせなかったというが
偉大な皇帝の忘れ形見として担ぎ出そうとする者たちがいる上
本人も父親を敬慕しているとあってはメッテルニヒも神経を尖らせるか
そこでマルモンが協力して剣を届けたとなれば胸熱なんだが、そうはならなかったんだよ

226名無しさん:2024/06/11(火) 12:59:27 ID:u2/JWodA
>>225
マルモンは亡命より前からオーストリアからの年金で食いつないでいたから

227名無しさん:2024/06/11(火) 23:42:12 ID:u2/JWodA
>>225
1848年に
老いたメッテルニヒが窓から突き落とされるシーンも出てくるんだろうか?


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