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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

412修都:2023/07/02(日) 17:33:46 ID:Iwso9WKY
池田嘉郎「ソヴィエト社会主義の成立とその国際的文脈」
1873年、ヨーロッパと北アメリカは長い不況に入った→社会主義者は資本主義の最後が間近であると受け取った→しかし、1896年に好景気
1889年、ヨーロッパの社会主義政党を中心にした社会主義インターナショナル(第二インター)結成→第一次世界大戦が始まると社会主義政党も戦時予算を受け入れたので崩壊
ドイツ社会民主党内の右派には、戦時統制経済を国会社会主義とみなすものもいた。レーニンも戦時統制経済がある程度確立されたロシアで、社会主義に移行することは可能と認識した
1917年、二月革命が起こるとレーニンはドイツから帰国→10月25日、十月革命→平和に関する布告を採択→イギリス・フランス・ドイツ労働者の応答もなかったことはレーニンの期待を裏切った
→ドイツ側同盟国のみとブレスト・リトフスク講和条約
1918年、ロシア社会主義ソヴィエト共和国という国名が打ち出される。モスクワに首都移転。党名はロシア社会民主労働党からロシア共産党に→民主主義自体を見直している
5月、チェコスロヴァキア軍団が反乱→軍団の救出を名目に連合国も軍事干渉
6月、重要工場企業の全面的国有化
1919年、モスクワで第三インターナショナル(コミンテルン)創立大会→西方では革命の展望が開けなかったが、シベリア・極東ではソヴィエト化の展望
トロツキーは軍隊を労働軍に改組、労働義務制と組み合わせた→レーニンは、トロツキーを抑える。農村では穀物徴発に対する放棄があいつぐ→食糧税へ転換。残った穀物は市場で取引できる
1922年、ソヴィエト社会主義共和国連邦結成。レーニンはこの年から政治活動から遠ざかり、1924年死去した
トロツキーの永続革命論に対して、スターリンは一国社会主義論を打ち出した→実際にはトロツキーの構想とあまり異ならない
トロツキーは農産品を輸出し、工業機械を輸入することを主張→要職を追われる。スターリンは1928年、強制的に穀物を供出させる→農業集団化への展開
→農村は飢餓に苦しむが、穀物を輸出して工業化の原資獲得→トロツキー派の多くが支持
1937年・38年、157万5259人が逮捕され、68万1692人が銃殺判決。ただ、ソ連体制が、総力戦を耐え抜いたこともたしか
第二次世界大戦後、ソ連は帝国主義廃絶・世界社会主義革命という第一次世界大戦時の課題に回帰する


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