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習志野原の掲示板2022-2
1
:
エル・アルコン
:2024/05/01(水) 12:31:34
1が1000になったら移行しましょう。
699
:
エル・アルコン
:2025/05/07(水) 21:16:03
近隣公園を削っての十字路化は可能ですが、そうすると近隣公園が事実上なくなります。屈曲や急カーブを排するとなると、東側の児童用遊具の広場も、西側のストレッチ器具が置いてある広場もなくなりますから。残るは野球場とテニスコートだけで、木々も大半が伐採でしょう。近所では北習志野第3号公園が房総半島台風の暴風で木々の多くがなぎ倒されており、森林の確保という意味でも難しいです。
どうしても十字路化というのであれば、習志野台側からの突き当たりとなる高根台中学校と西隣の西集会所、西ショッピングセンターをぶち抜く格好で建設するほうがいいでしょう。上記3施設は1960年代前半建設の築60年選手で老朽化も激しく、現道側に移転して集会所は中学校の体育館と併設(大穴中と海老ヶ作公民館のような感じ)、そして西ショッピングセンターも改築したほうが良いでしょう。高根台中は公式には避難所になっていますが、東日本大震災の時に耐震性の問題があり避難所としては適さないという話があったと子供さんを通わせていた保護者に聞いたことがありましたから。
700
:
エル・アルコン
:2025/05/07(水) 21:16:47
確かに京成は「○○線」という案内はあまりしませんね。「○○方面」ということが多い気がします。
「本線」もSA線開業時に大々的に案内されるようになった表現で、そもそも「上野線+空港線」でしたから。
とはいえ松戸線は出自が大きく違うわけで、そこで「京成電鉄」と一緒くたになってしまうと悲しいですね。
当たり前と言われればそれまでですが、電車とバスの塗装以外、あらゆる新京成カラーが1夜にして消えたわけで、そこまで徹底するかという感じです。別に残してもいいじゃんとしか言いようがない電車型自販機も併合を前に消えましたし、変わったところでは自販機そのものが消えたところもあります。
ところが新京成時代の鳥居型駅名標が残っているわけで、閉鎖された8連用空間の習志野のほか、前原のそれも残っています。前原はギリギリ6連エリアに建っているのでしげしげとみることができますね。(古いデザインの「鳥居」というと、阪神電車の甲子園(降車ホーム)と住吉も長く残っていましたが、住吉は新デザインになって継続しています)
701
:
トロッピー
:2025/05/08(木) 01:43:53
流動と習04の経路を考えると理想は確かにショッピングセンター側を潰して成田街道・実籾方面へ繋ぐ方と直線化する方が向いてそうですね。
中学はいっそ第一小跡が使えればその方がよさそうな気がしますが、残念ながらすでに後継の用途で使っているようですし。
ところで中学といえば、確か去年あたりから市立のはジェンダーレス化の流れが押し寄せ制服ごと改定されたようですが、高校はそれをせずに対応したために、「実物」に遭遇するとえらい不格好です。
京成の鳥居型駅名標はちょくちょく残っていたような印象がありますが、新デザインになることもなく放置とか場合によっては撤去されていた気がするので前者を踏襲するとかなんでしょうかね。
といっても鳥居型は旧新京成のは丸ゴシックの活字なのに対し、元からの京成のは手書き感があった気がします。
>>697
を読み返していたら地下水と書いていましたが、下水の間違いでした。
702
:
エル・アルコン
:2025/05/08(木) 21:22:00
京成の「鳥居」は1987年の4駅改称が決定したことを機に丸ゴシ化していますが、4駅(葛飾、センター競馬場前、国鉄千葉駅前、京成千葉(現千葉中央))は最後まで旧タイプの「墨痕鮮やかな」書体でした。葛や葉の草冠の真ん中が空いている旧字体チックな筆致でしたね。ちなみに鳥居の下部の広告はノーシンでした。阪神は産経新聞でしたね。なお東成田の未使用ホームにある「成田空港」の電照駅名標の広告は千葉銀行でした。
703
:
エル・アルコン
:2025/05/08(木) 21:22:41
高根台は第一〜第三まで3つ小学校がありましたが、第一が団地の高齢化と建て替えで複式学級になる規模にまで小さくなり、廃校になった結果、第二と第三しかない状態です。いっそ第三に集約し、中学は第二に移転すればいいんですけどね。第二も1学年で複数の学級ができるかどうかという規模でしたし。若い世代が多い団地から戸建てやマンションになったエリア(怪獣公園の周辺)やアートヒルは第三が近いですし。
もともと「船橋市」の小学校としては最奥だった高根小と三咲小(二和向台駅脇)があり、1961年に高根台第一が分離、1962年に第二が出来て、1972年に第三を分離となっています。
1971年に大穴小、さらにそこから1977年に大穴北小と分離しています。第二小からは1968年に古和釜小が分離しているため、相当な広域の母体だった第一ですが、2007年に消えました。なお「古和釜小」はもともと古和釜十字路付近に豊富小の分校として存在しましたが、1968年に廃校となり、同時にいまの松が丘が独立し第二からの分離の形で古和釜小が出来ています。(豊富小には分校がいくつかあり、今の小室交差点バス停は「分校入口」だった)
このエリアは旧八栄村(東葛飾郡)、旧豊富村、旧二宮町(いずれも千葉郡)の接点で、高根(二和、三咲)は八栄、大穴、古和釜(松が丘)、坪井は豊富、習志野原、飯山満は二宮となっており(七林は八栄の飛地)、1950年代の合併後は旧境を跨いで学区が再編されています。
704
:
トロッピー
:2025/05/09(金) 03:04:51
三咲といえば、二和向台の近所にある三咲小と三咲郵便局って今の感覚だと釈然としない感がありますが、まあ過去の経緯といったところなんでしょうかね。
三咲といえる三咲にある郵便局は三咲東ですし、所在地的には大穴北でも裏門側はほぼ三咲な大穴北小も考えようによっては捩れと取れなくもないです。
かと言ってどれも場所トレードしてどうにかできるような場所もないですし、現状維持以外での現実的な解決法は名前だけどうにかするってところでしょうか。
705
:
トロッピー
:2025/05/09(金) 03:12:08
くぬぎ山で「京成色」化されつつある8800とN800ですが、8800について下馬評では側面は赤電や3400みたいな帯になると思われていたのが、まさかの3000のような細帯になるようです。
オリジナルの茶帯の太さが細かったのを意識した可能性もありますが、フィルムを貼るタイプのようなので単純にコスト面という可能性も無きにしも非ずかもでしょうけど。
ネット上の反応も非難轟々に近しい感じでしたが、直後に東急の塗装変更の話題が出ると流石にそっちよりはマシと一部では手のひらを返すのも現れてはいましたが。
706
:
エル・アルコン
:2025/05/09(金) 20:26:04
船橋市の本下水は絶望的になるくらい整備が遅れていますからね。三咲は整備予定のままですし。ただ人口ベースではカバー率が9割を超えたことにはなっています。とはいえ5割を超えたのが2006年と遅く、平成元年で23%とこれは少なすぎます。まあ市の公式で「少しずつ拡大」と開き直っていますから仕方がないんでしょう。
新京成の外側は高根台、習志野台の団地と大穴南くらいという時代が長かったです。逆に内側は高根台でも7丁目とか西習志野とかまさかのエリアで整備が今世紀になってから、いや、2010年代というケースが少なくないです。
昔から大穴南在住の知人に聞くと、1970年頃の戸建て住宅街の開発時には都市ガスと簡易水道(自治会単位で井戸水を水道として供給)、浄化槽という組み合わせで、1980年前後に県営水道が入り、下水道は1990年代だったはずと言っていました。まあ都市ガスが当初からあっただけマシで、周囲ではプロパンしかない地域も少なくなかったはずですし、水洗トイレだっただけでも幸せだったと言っていましたね。
別の知人の話だと、住宅地の顔をしているエリアに整備されたマンションが地下に浄化槽を持っているというケースも少なくないそうです。
707
:
エル・アルコン
:2025/05/09(金) 20:26:37
新金線の旅客化問題でBRT化のプランもあるそうです。
これ、意外と面白いわけで、環七との交点にジャンクションを設ければ、シャトルセブンの高度化が図れます。またリムジンバスもさらに便利な系統になります。
環七から新小岩駅までの専用道を確保できますから、葛西、一之江から新小岩という速達系統が生まれますし、羽田リムジンも小岩でなく新小岩としたほうが速く乗り継げますしバックグラウンドも広がります。(小岩もそっちのほうが速い)
亀有系統もBRT経由金町としたほうが速いでしょうね。亀有固有の需要が多ければ亀有ですが、常磐線沿線に需要が広がっているのであれば金町でしょう。
708
:
エル・アルコン
:2025/05/09(金) 21:12:25
二和にある三咲小の件ですが、あの位置がかつては三咲に属していた、というのではなく三咲にあった三咲小が戦後移転してきたようです。八栄村時代からの三咲小があった位置はどう探しても出てこないんですよ。戦時中は工兵と山砲の連隊が置かれて三咲国民学校は三咲神社と星影神社に分かれていたそうです。戦後お役御免となった軍の無線局跡に引っ越したのが今の位置だそうです。図書館に行かないと無理ですね。
ついでにいうと、r57がクランク状になっているあたり、r288も含めて明治中期には桜並木があったそうで、「三咲桜」として東京から観桜客が押し寄せたそうです。
今につながる桜の名所である御滝公園は新京成の観光名所として売り出していましたが、ピクの2020年7月号の「人を乗せた貨車」という江原光昭氏の記事だと、初富どまりだった1950年代前半、桜のシーズンに薬園台-三咲間を増発(延長)するために、三咲-初富を折り返し運転とし、工事用に確保していたSLが牽引する有蓋無蓋の貨車を使った臨時列車の設定があったそうです。
1977年に刊行された30年史に記載がわずかながらあるそうですが、これは図書館にあったはずで、実際を見てみたいですね。
709
:
三咲小卒業生
:2025/05/09(金) 23:21:38
>>708
いつも読ませていただいております。
手元に三咲小学校百十周年記念誌がありましたので読んでみました。
八栄村時代の校舎ですが、「明治33年に」「二和88番地に校舎を作り」という記述がありました。現在の地図では二和東2丁目9番の周辺になるのかと思います。校名は八栄第二尋常小学校だったそうです。その後明治44年に道を挟んで向かい側の三咲358番地に移転したようです。現在の地図では三咲1丁目11番周辺でしょうか。
710
:
エル・アルコン
:2025/05/10(土) 16:23:38
三咲小卒業生さん、ありがとうございます。
三咲駅西側の十字路の南方(滝不動方)ということですね。
1944年や1947年の航空写真だと通りの東側(三咲1丁目側)にはそれらしき土地が見えますが、一方でここに工兵や山砲の連隊があって、学校自体は星影神社と三咲神社に仮住まいしたとあるわけで、連隊が駐屯するには狭すぎるので、ごく一部なんでしょうね。(連隊は大隊-中隊-小隊の編成の複合体) 大久保の軍用地で騎兵連隊2個分ですし、津田沼の千葉工大も鉄道連隊1個分ですから、それくらいの土地がいります。
もともと二和にあって、校名も村名から八栄で、その時期に三咲に移転して、国民学校になった際に三咲を名乗り、戦後二和の現在地に移転ということですから、複雑ですね。
ちなみに新学制になって1947年に高根小と三咲小に中学校を併設し、1949年にそれを統合して御滝中が発足したそうです。
高根台中は1961年ですからそれまでは御滝中の学区だったんでしょうね。そして古和釜中は高根台中からの分離ですが、1954年までは古和釜や大穴は豊富村だったので1947年に発足して1954年に船橋市立になった豊富中のエリアのはずです。
大穴中も古和釜中からの分離なので、いったん豊富村エリアに御滝中の学区が広がり、分離していったのでしょうか。
小学校は前にも言った通り古和釜は豊富小の分校の管轄でしたが、1968年の古和釜小発足時には高根台第一、第二と豊富から移管とあり、1961年の高根台第一、62年の第二の学区にいったんなっています。古和釜小は1971年発足の大穴小の学区も含んでいますが、1954年の豊富村合併と1961年の高根台街びらきの間を挟む学区の変遷はけっこう行ったり来たりがあったのでしょう。
711
:
エル・アルコン
:2025/05/11(日) 13:13:41
5分繰り下がった朝の津田沼リムジン2便ですが、京成津田沼で20人程度の乗車で半分以上が京成本線からの乗客でした。
5分繰り下がったことでEV経由でも余裕あるアクセスとなっており使えるようになりましたが、羽田2タミ到着は6時前と影響はほぼない感じでした。ただ並行するR357は塩浜で千鳥町立体までの渋滞で、高速も6時台に高谷手前と葛西手前で事故渋滞が発生と、交通量が加速度的に増える時間帯だけにリスクは高まっています。今回の道中も主だった信号のほとんどで信号待ちがなかったことも大きく、2タミ6時ちょうどは覚悟しないといけないでしょうね。
気になったのはせっかく「必殺仕訳人」を投入しながらダメダメだったこと。おそらく新人(新配属)の教育も兼ねているんでしょうが、松戸線始発が到着して列が形成されたら荷物の受付と予約の確認を始めないとスムーズな乗車にならないのに動かなかったこと。本線始発が来てから始めていましたが、2人とも荷物と予約確認の真っ最中にリムジンが到着してしまいました。個人情報保護法絡みで「お名前よろしいでしょうか」と聞くのも現場に即しておらず、「予約番号とお名前お願いします」とすればサクサク進むのですが(過去の仕訳人はこうしていた)、伝承がされていません。さらにバスのドアが開いているのに「ご予約の方からご乗車ください」と言わないから先頭の人が動かず(慣れた人ほど運転手が降りてこないからまだ乗れないと思う)、少し経って運転手が降りてきて乗車させるように促していましたが、正直いって手際がよくないです。荷物もバス横の位置に集めていないからどこに置けばいいかわからずそれらしい位置に置き去りとなり、ターミナル別のタグはあるとはいえ、積み込みの手順も悪くなります。
それでも定刻の5時20分には余裕をもって客扱いを終えていましたが、荷物が少なかったという「特殊事情」でしょう。
次発の35分発を待つ人はほとんどおらず、間際にイチかバチかで駆け込んで、という客がいなくなったのも大きいですね。
間際組と次発待機組の合計よりも今回のほうが多く見受けられたことから、ダイヤ改正で「戻った」という感じですね。
712
:
エル・アルコン
:2025/05/11(日) 13:14:18
芝山から松が丘のバス通りも船22の廃止でエビス通りと公園前の間のバス路線が途切れました。
ここは宮本町古和釜町線という都計道でもあるんですが、まだ事業期間が4年くらいあるとはいえ、ほぼ完成形が見えてきました。何ヶ所か路側帯と歩道が取れない未完成の場所があるものの、走行環境としては影響が少ないですから。
で、この通り、妙に葬儀屋が多いんですよね。芝山団地から高根木戸駅までの間に5社6軒。ちょっと入ったところにもさらにあるわけですが、高齢化が進むエリアとはいえあんまりな感じです。知人が以前高根木戸駅周辺は妙に床屋が多いと言っていましたが、今も結構あるとはいえ、時代は床屋から葬儀屋という感じで、高齢化で散髪の頻度が低下し、さらに人生の終焉を迎えるケースが多くなったということでしょう。このエリアの町内会では敬老会のお祝いの対象がどんどん繰り下がっていると聞いたことがありますが、もうあとは後期高齢者になって初めて祝ってもらえるという感じです。
葬儀屋もNIMBYとは言いませんし必要なものですが、家族葬をうたう小規模施設が多数、というのも葬儀屋が多いという印象につながっています。それでいて火葬場は公営(都内は民営のようですが)で船橋市だと馬込斎場になるため、「空き待ち」が深刻なようです。タイだと寺が火葬場も持っているので心配はないようですが、さすがに火葬場となるとNIMBYどころじゃない反発になるんでしょうね。とはいえ高根木戸も今回びっくりしたんですが、「駅前葬儀場」なわけで、バス通り側にダイレクトに出入りする動線になっているのもどうなのか。バッファーとなるエリアがないようで、そのまま人通りも多い歩道と交差してバス通りに乗り出すわけですから。
713
:
エル・アルコン
:2025/05/11(日) 13:15:43
旧新京成バスですが、習04がほとんど使い物にならないというか、北習志野からだと18時台終バスという現状にびっくりです。夕方に緑枠、つまり最終1本前の表示を出したバスを見て時刻表を確認して驚いたわけで、確かに高根公団、高根木戸、北習志野の徒歩圏ではありますが、特に北習志野ベースで見たら東葉線から電車でなくバスで、という需要があるはずで、運転手不足で歩けなくはない路線を犠牲にしているのかもしれませんが、需要に背を向けた格好です。
まあ旧新京成バスは高度成長期の気分で運行しているきらいがあり、団地などの路線をコミュニティ路線風に再編するでもなく、次第にニーズと乖離してきた感じでしたが、それが加速していますね。まあ公園前までは古和釜線があるから東集会所前、七号通り、五号通り、診療所前の4停留所が単独停留所であり、ならば見捨てるか、という感じなんでしょう。他社、他都市ではもっと団地や住宅地の中を走る路線になっているわけで、滅びるべくして滅ぶ途上という感じです。
あとはセントラルとして船橋に入る芝山北習線(旧豊富線)ですが、北習志野発の船23がひどく、平日18時台、休日17時台が事実上の最終です。そのあと平日は2時間半、休日は1時間半あとに終バスが出ますが、これでは使えません。
なお船23は船橋発は平日休日ともにありますが、船橋行きは平日こそありますが、休日は9時台が最後であとは全部東船橋行きです。16時台に1本だけ船橋行きはありますが、こんな上下の区間が非対称なダイヤで誰が使うのか、という話です。
714
:
エル・アルコン
:2025/05/12(月) 21:11:29
1954年の豊富村合併前は大穴、古和釜、坪井以北は豊富村なので豊富小の学区のはずです。
豊富小の沿革を見ると、1968年に古和釜分校が廃止され、1974年に八木が谷が外れたとあります。豊富中の学区もその時期に変更されており、1968年に大穴、古和釜、坪井が学区から外れたとあり、八木が谷も1976年に外れています。
八木が谷があまりにも遅すぎますが、八木が谷小の沿革を見ると1973年に三咲小からの分離で発足(1976年までは三咲小併設)、1977年に八木が谷北小を分離とあるので、早い段階で八木が谷の西部は三咲小の学区になり、残る部分が1974年に移管でしょうか。あるいは三咲小の分離と同じタイミングでしょうか。(三咲小の沿革は明らかな誤りが散見されるので)
1968年の豊富小からの分離は同年発足の古和釜小で、その後1971年に大穴小、1975年に坪井小が分離しています。高根台第一小の発足は1961年ですから、大穴小が高根台第一小からの分離であれば1961年に豊富小から高根台第一小への移管になるので豊富小の沿革に書いてあるはずで、だとすると大穴地区は全域がいったん古和釜小で受けたことになります。大穴小の学区は全部が古和釜中だったことも考えると古和釜小の学区だったという方が話が通りますが、大穴南の人に高根台からの分離だったという話を聞いたことがあり、そこはどうだったのか。古和釜小の沿革を見ると1971年の移管は161名とあり、今の大穴南の当時の人口を考えると少なすぎますし。(大穴小は発足時に1学年4〜5クラスはあった)
そして中学校がややこしく、1961年に高根台中が発足し、1968年に古和釜地区が豊富中から移管され、1972年に古和釜中が分離しており、こちらは豊富→高根台→古和釜→大穴という流れです。
なお高根台中は御滝中からの分離のはずで(高等小の関係から新学制発足時に三咲小、高根小に中学校を併設後、合併して御滝中が発足)、学区がかなり広いですが、長らく北部エリアは古和釜、豊富しかない状態が続き、八木が谷とかバス(今の船09など)で御滝中に通学していました。
ちなみに習志野原エリアは旧二宮町なので、二宮中から習志野台中が分離し、二宮小から薬円台小が分離し、そこから習志野台第一小、第二小と分離しています。(習志野台、西習志野のほか前原、飯山満、芝山は旧二宮町)
715
:
エル・アルコン
:2025/05/12(月) 21:12:08
習04の早じまいダイヤの件ですが、一方で操車場との出入庫便と思われていた高02が案外と本数を確保しています。
松が丘地区からは船22の廃止で高根木戸に出られなくなった反面、高根公団に出られるようになったため、徳洲会病院へのアクセスのほか、商業施設としてはカスミとリブレ京成が商圏になった格好です。
一方で割を食ったのが高根木戸のイオンですが、廃止が決まってから下り側に上屋とベンチが新設されたように松が丘方面との利用は少なからずあったわけで、電車乗り換えもさることながら高根木戸イオンの重要な商圏でした。
イオンが合理化を発表するたびに近隣住民が気をもむというのが恒例行事になっていますが、今回のバス路線変更が決定打になる可能性が高いですね。京成的には系列のリブレ京成の方が可愛いですし。
ただ高根公団のスーパーは食品スーパーなので、衣料品など日用品も扱う高根木戸イオンがなくなると津田沼まで行くか、最短でも北習志野のダブル西友になるので、地味に不便になります。なんだかんだと言ってこまごまとした日用品や衣料品が入用になった際に身近なところで手に入るというのは大きいですから。
あと、新高根や芝山からのアクセスという意味では高根木戸イオンの重要な商圏であり、高齢者が多く、また道路事情もあり、クルマでの行き来のメリットが少ないだけに、バスで直接行けない飯山満のマミーマートしかなくなると不便です。
新高根のマルエツが残っていればまた違っていたんでしょうが。
そう考えると、松が丘にもう少しスーパーがあればと思いますね。バス通りから入ったところのマルエツとバス通りのコープくらいで、古和釜側に大きめの食品スーパーがあればけっこう流行りそうなんですが。
その意味では北部は商業不毛ですね。CNT中央や白井、そして緑が丘や坪井で事足りるのでしょうが、道路事情もあり地味に不便です。
716
:
エル・アルコン
:2025/05/12(月) 21:13:06
8800系の「新塗装」をネットで見ましたが、3400系とグレーの部分は同じとはいえ、赤帯が細く(それでも青帯よりは太い)、だいぶ印象が違いますね。新3000系と同じと言われればそれまでですが、新3000系の登場時に感じた「弱さ」をここでも感じました。京成色になるとはアナウンスされていましたが、そもそも普段京成色を見ていない沿線住民も多いわけで(特に松戸口)、ジェントルピンクからの変更は必要以上の反発を呼びそうです。京成色を知っている人も京成色になることを「歓迎」はしていませんでしたから。
なおN800系が登場時の塗装になったり、8800系が茶帯の旧塗装、京成直通開始時の塗装になっていますが、8900系のリバイバルは無いんですかね。赤帯とピンク帯の2種類となればうれしいのですが。
バスは東京も含めての4社の新塗装が再編告知のポスターに出ていましたが、統一感を出すためか「色違い」の域であり、悪くはないんですが地味ですね。共通利用ができないのであれば、識別しやすく大胆に色を変えてほしかったですね。
新京成の「股裂き」とレインボーのセントラル化でウェストとセントラルは両社並行区間が目立つだけに。
あとセントラル(海浜)とイースト(シティ)も臨海部で重なっていますし、KBSと市川営業所は重なりがほぼないですが、ウェストのエリアにKBSの柏井線が深く入り込む格好はレインボーの白井線のような状況です。
統一感と京成色の強化であれば、法人格を分ける必要があったの?という話です。間接部門のコスト増が不可避ですし。
717
:
八千代台民
:2025/05/12(月) 22:15:22
津田沼リムジンのレポートありがとうございます。5時20分発だと余裕ありますね。
ただ間合い4時間確保の為なのかわかりませんが宗吾初電は元に戻してほしいです。
松戸線は間合い4時間なんて意識してないですし。利用者多い津田沼〜佐倉だけでも従来通りの初電、終電かせめて
北総と同レベルでないとどんどん高齢化で衰退していきます。
718
:
エル・アルコン
:2025/05/13(火) 21:20:51
やたら下総松崎の建て替えがニュースになっていますが、昔からのいかにも「駅」という建屋から、停留所然とした「雨風しのぐ程度」のものになるわけで、発表をそのまま記事にしているのがありありですね。
JRWでも紀勢線初島駅が3Dプリンターで製作というのがニュースになったけど、あれも素寒貧な出来上がりだし。
719
:
エル・アルコン
:2025/05/13(火) 21:21:31
個人的には5時15分発に戻すというか、10分発でもいいんですが(苦笑)
6時15分頃の便に乗れればコスト面がかなり違ってきますから。
まあ京成本線の利用を考えると、京成本線ダイヤが現状という前提で5時20分は止むなしですが、であれば京成津田沼発車を厳守するように手際よく客扱いをしてほしいですね。あとは高速での走りをきびきびと。第二走行車線をベースに、追越車線も活用する運転手だと満足いく時間に着きますが、そうでないと5時15分発の時代で6時近いとか、ここは高速の道路事情に大差がないだけに(渋滞は無い)、運転手の能力がはっきり出る部分です。
松戸線からだと3本目が5時35分になったことで松戸線2本目(京成津田沼5時23分着)からの乗り継ぎが現実的になっているのは大きいです。ただしこのあと4本目、5本目への接続が10分未満という部分が残念ですが、軽装なら何とかなる感じです。
そういえば始発に乗った際、なぜか北習志野の東葉線階段前となるドアのところに多くの人が立ってました。
北習志野4時52分着で乗り継ぎは5時3分の三鷹行きですから寸秒を争うような接続でもないはずで、なんでそこまでして立ってたんでしょうね。
720
:
トロッピー
:2025/05/14(水) 17:36:33
エリアの食い込みは未来永劫このままというのも考えづらいので、おそらくは京成バスの分割再編時かその前後、遅くても数年以内にはその辺の整理もするんじゃないかとは思います。
臨海部や柏井線は路線単位が適している考えられる一方、白井車庫はやはり車庫単位の移管が適していそうです。ですが桐畑が絡む路線に関しては市川移管もありかって気もしますし、そのついでにファイターズタウンと絡めるようにするのもよさそうです。
ttps://www.asahi.com/articles/AST3Y52S6T3YUDCB00MM.html
ところで、この記事によると塗装はコスト面とはしていますが、その一方でラッピングでの復刻も示唆されてはいるようです。
それでも赤電・青電色の前例を考えれば鋼製車に関しては塗装をする可能性もなくはなさそうですが、穿った見方をすれば8900以降のステンレス世代に、下手すれば元新京成車でない京成車にクリーム色に茶帯のラッピング復刻というのもありえます。それこそ、8連で「穴」に入れるのにすら(まあそれはそれで見てみたいのでかまいませんが)。
721
:
トロッピー
:2025/05/14(水) 20:23:49
新京成のアドレスを入れると今まで鉄道関連とバス関連とコンビニ関連でそれぞれへのリンクがありましたが、いつのまにか京成電鉄へのリダイレクトに変更されたようです。
ですが京成のサイトからはバスやコンビニのサイトへと辿るのは簡単な作りではないので、後者はともかく前者に関してはいささか不親切さを感じます。
722
:
トロッピー
:2025/05/14(水) 21:48:21
8900の帯は初代の青紫+ピンクと2代目というか初代の青紫+紅色というのがありますが、これネット上の反応を見る限りもし片方だけだと荒れそうだなというのを感じはありますね。
まあそれを回避するというのは多分なさそうですが、実態としてはステンレス車の場合塗装というよりフィルム、というイメージがある割に先頭車の顔が鋼製だったりFRP製だったりする(京成系は前者)ので意外と塗装の必要もあるからというのもありそうです。
まあ帯自体はフィルムでも下地色については塗装なので、N800は復刻色でも顔は3000などと同じ銀色なのに対し、8900は白いのでそのために白い塗料を用意をしたくないのでしょう。8900も京成色になればおそらく顔も銀色でしょうから。
723
:
エル・アルコン
:2025/05/15(木) 21:00:21
新京成が京成カラーをまとうのは仕方がないとしても、リバイバルで「ウソ電」はどうなんでしょうね。
JRなんかは割り切って185系に80系とかE531系に401系とか撮り鉄が喜べばそれでいいというようなレベルになっていますが、赤電に青電カラーというのはギリギリセーフ(旧3000系は青電塗装で登場)でしたが、京成車に新京成カラーはさすがにダメでしょう。まあ新AE系にトリコロールや茶系塗装をしないか心配ですが。
ウソ電の走りとしては、1999年の総武快速線、横須賀線からの113系撤退時にサロに緑帯を「復活」させた編成の登場ですかね。当該は等級帯廃止後に帯無しで新製されたサロでした。
724
:
エル・アルコン
:2025/05/15(木) 21:01:01
京成バスが合流するとさらに厄介ですね。レインボー白井車庫のほか、KBSも船橋ベースなのでセントラルよりもウェストのほうがいいんですが。京成バスも市川営業所(柏井)がウェストですからファイターズタウン線がウェストになる方向ですし。そもそも船橋新京成(習志野)とKBS、レインボーはウェストでよかったのでは。あるいはセントラルとイーストを合わせた東西2社のみでも。千葉は東西2社、あと東京と茨城という地域分社です。(それと独立王国の小湊)
なお一般的に検索で旧社名を入力して返された検索結果にアクセスしますが、バスは旧社名で出てきて、クリックすると京成バス千葉セントラル船橋営業所(KBS)のように簡便的に変更された各社サイトが出てきます。新京成はバスページの鏡がそのまま振り分け用に残ってますね。
ドッグランはそのまま京成ドッグランに飛び、電車も京成のトップに飛びます。
関鉄は茨城ホールディングにぶらさがりますが従来通り。ただしこれまで吸収されたという社告は掲載していたがそれ以外の情報は残っていたパープルとグリーンの共通サイトは社告だけになりました。(時刻表等は関鉄サイト内)
しぶとく合併社告のページを残しているのを見ると、京成の再編もそうあるべきでしょうね。
725
:
トロッピー
:2025/05/17(土) 00:55:51
船橋新京成を股裂にするならレインボーもやるべきだったとしか思えないですが、事実上の営業所でありながら格の上では車庫でしかなかったのが痛手だったんでしょうかね。
船尾は船橋だったので現在の新都心なのでセントラルでもいいのですが、それで言えば白井は松戸だったのでやはりウエストでしょう。ただ付け替えるとしても元鞘の現京成松戸よりはエリア的には鎌ヶ谷が適していそうですが。
3700以前のグループ共通化前の形式のに「新京成の復刻」をすればウソ電以前のコスプレレベルですが、3000や3100だとグループ共通世代ですから8900以前のならともかくまあN800や80000の復刻であれば許容範囲でしょう。
もっとも復刻するとしても8900以降の塗装より8800以前のそれの方が扱い上も目玉になりそうではありますが。
726
:
エル・アルコン
:2025/05/17(土) 13:37:00
京成バス再編でも会社境界になった船橋ですが、二宮町、豊富村が千葉郡でそれ以外の旧船橋市が東葛飾郡と郡境も市内を走る格好です。隣の八千代は千葉郡ですが、東側の阿蘇村は印旛郡で、市内に郡境が走ります。勝田台駅のすぐ近くに佐倉との市境がありますが、印旛郡としてみれば地続きという感じなんでしょう。
これらはかつての下総国でしたが、郡も旧国も入り乱れて、というと広島県東部ですね。いまの三原市がそれで、備後国に属する御調郡のエリアは三原駅から至近の山陽線の頼兼トンネル、呉線の沼田川橋梁までであり、それ以遠は安芸国に属する豊田郡でした。当初は東側が豊田郡、西側が賀茂郡でしたが、1956年に大規模なトレードが発生し、北側を賀茂郡、南側を豊田郡になる格好で再編されました。約半世紀後の平成の大合併で本土側の両郡は三原市と東広島市になり、賀茂郡は消滅、豊田郡も島嶼部の大崎上島町だけになるという大胆な再編になりましたが、三原市は御調郡をベースに、豊田郡と賀茂郡にわたる国境と郡境の市になっています。端っこがかすめている、というのではない状態で2国3郡での構成は珍しいのではないでしょうか。(政令市レベルだと横浜と大阪、神戸が2国4郡。千葉市も2国2郡だが旧山武郡(上総国)土気町のみ)
727
:
エル・アルコン
:2025/05/17(土) 14:39:08
新都心や長沼ベースのセントラルですから、KBSと船橋新京成(習志野)、レインボーはエリア自体が独立していて、それがウェスト側に重なっています。いっそベイシティ、トランジット、船橋新京成、レインボーでウェスト、京成バスの市川、松戸と松戸新京成でノース、とでも分ければよかったか。将来小湊と九十九里、中央でサウスとし、東南西北中を揃えると。
728
:
トロッピー
:2025/05/17(土) 18:37:04
某wikiのバスHDの記事にある変遷の図がまあまあよくできてるなと思って色々覗いてみたら、旧千葉中央の一時期と東洋バスGって同じ親玉だったことがあったみたいです。
旧千葉中央はそこから現小湊のバスの前身への戦時統合を回避、現東都G(都区内のベージュ色車体のタクシー会社、マロウドホテルの親会社)を経て京成G入りしたとのことでした。
もっとも、記述からは同時期に両方持っていたかまではわからずじまいでしたが。ただその経緯故、エリアへの食い込み方も段違いというのもありビートラ系や東武系以上に京成系になっていないのが惜しまれます。
729
:
エル・アルコン
:2025/05/17(土) 21:44:29
中央バスはなかなか独特ですからね。京成入りも戦時統合ではなく、東都からの譲渡ですし。
八千代の東洋との関係は同じオーナーですが、地域性よりもオーナーの意向で各地に路線という黎明期のスタイルでの展開ですね。最大の交通集団であった西武や東急もそういうところがありました。社名が同時期にどちらも「東洋」というのは、経営統合を考えていたのでしょうか。
県内の戦時統合は東武が総武鉄道、京成が小湊鉄道、というような大手による統合は別として、中小の統合はあまりうまくいっていないというか、資本が十分でなかったんでしょうね。小湊系だった袖ケ浦自動車を中心とした統合にしても、個人経営のバス会社が混じっており、相当小規模な事業者が戦時中まで残っていたわけです。しかも戦時中もかなり遅かったですし。
八千代の東洋は阪東と同時期なんですね。北総台地のアクセスとして阪東が我孫子線方面を選び、東洋は京成線を選んだ格好です。干拓前の印旛沼に架橋できずに対岸の佐倉市域にはアクセスできず、新川が流入するところまで行って大和田に向かうという歴史があります。(印旛沼から花見川への流路完成は1960年代後半。江戸後期の老中水野忠邦による工事があと一歩のところで失脚失敗となって120年余りのあとです)
このオーナーは長柄村長からの政界入りであり、地元の篤志家、という感じなんでしょうね。誉田から長柄、茂原への路線が振り出しで、移転前の本千葉(現千葉中央)に乗り入れて大網街道を地盤にしていますが、長柄、茂原は茂原街道経由の小湊の地盤でした。潤井戸などにも進出していますが、メインの動線とはずれていますからね。
730
:
八千代台民
:2025/05/18(日) 08:08:09
金曜の東西線勝田台終に久々に乗りました。
浅草線終電1本前、コロナ前の通特佐倉スジからの乗り換えでしたが、浦安までは朝ラッシュなみの混雑で西船橋には5分弱遅れ。
15年くらい前は、東陽町以東は同じ終電で遅れは酷かったですね。
浅草線も新橋〜日本橋ドア閉め再開閉を繰り返し、コロナ前に近い状況です。
東葉線に入っても5両目に乗っているせいか、北習でてもほぼ空席なく緑が丘で空席が出てきた混雑でした。
金曜ということもあり終電目掛けて帰る層もいるわけで、金曜くらい通特佐倉あってもいいのではと思いました。
もちろん八千代中央から八千代台まで歩きました(爆笑)
それにしても深夜のタクシー台数だいぶ減りました。
731
:
エル・アルコン
:2025/05/18(日) 19:19:14
深夜帯は深夜急行の廃止もあり、酔って立ち往生という危険な状況になりますね。
酔客に配慮する必要はない、現場の人が深夜勤を強いられてかわいそう、というようなネットあるあるの勇ましい声も出るんでしょうが、夜の街の復調こそが景気回復を実感させるものです。確か政府もタクシードライバーにヒアリングして景気動向をチェックしているはずで、運転手がお茶を挽いているようでは景気も何もあったもんじゃありません。アプリで呼ぶことへのシフトはあるかもしれませんが、時間が読めず時間指定だと結構な手数料が必要と、しきりに宣伝していますが、その実はそれしかタクシーを使う手段がなくなれば、極力使わないようにするシフトが深度化するだけでしょう。
公共交通が衰退し、タクシーも高くて捕まらない(それが空港や新幹線駅でも)、という状況下でレンタカーシフトが進んでいるようです。このところレンタカーの予約が取れないというまさかの事態も増えてきています。イベントがあるでもない平日とか、ビジネス需要がシフトしているのか。安全衛生としては自分で運転するというのは極力回避したいですが、タクシーがつかまらない、アプリで呼ぶとコストが半端ない、となるとレンタカーもやむなしという会社が増えたか。
732
:
トロッピー
:2025/05/19(月) 17:24:32
夜の街はそっちの利用者より従業員の方がタクシーには嫌われているというのも実はあったりしますが(利用者は場所さえ選べば客層はコントロールできるものの、従業員は押し並べて客層が低い)、それでも他に行くところがないとやはり空車が押し寄せてきますね。
アプリは即時配車の利用率はそれなりに高くなっているようですが、予約はそこまで普及している印象はないですね。即時と異なり行灯が選べないとか、決済方法の融通がききにくいというのもありそうですが。
もっとも、アプリは電話呼びの無線比で迎車料金がやや高めだったりするほか、予約の場合予約料がアプリ会社に全部持っていかれる構造だったりと、これらの構造ゆえにドライバーサイドでは必ずしも手放しでは歓迎されていないというのもあったりします。
733
:
エル・アルコン
:2025/05/19(月) 21:53:53
東京臨海部の貨物線に関するプレジデントの転載記事がYahooに出てました。
越中島貨物駅から深川線、晴海線と伸びる東京都所有の貨物線の話ですが、そこに興味深い記載が。
1957年の朝日新聞に豊洲から晴海(月島)、築地を通り汐留から新橋までの新線計画が出ていたそうです。
貨物船中心の晴海埠頭の旅客船入港も視野に入れた旅客化も計画とあります。ちなみに小名木川線(越中島支線)は新金線ともども総武線の支線ですが、記事では常磐線の引込線とあり、常磐線から総武線や臨海部を結ぶ貨物線と一般には認識されていたようです。
また同年の東商の機関誌には晴海通りの晴海地区にビル街を設け、国鉄が汐留に抜ける貨物線を計画し用地買収もとあるようです。深川線から晴海橋梁を経て晴海埠頭までの貨物線が開通したのは翌1958年。東京都による整備ですが、あとは隅田川から東京湾になるあたりを越えるだけという感じになっています。
その「月島線」の整備機運で出てきたのが千葉県で、1958年の読売新聞に当時の千葉県がまとめた「新臨海鉄道計画」で深川線から分岐し、行徳経由で船橋で総武線と接続し京葉地域との利便性を図ることが提案され、のちに県知事になる友納副知事が定例会見で、月島線は国鉄が1958年に着工し、千葉県も今の京葉臨海鉄道区間を1959年に着工し、引き続き行徳線と京葉海岸線を手掛けたいという内容を報じたそうです。
有名な京成の黒歴史である東陽町-千葉寺間の湾岸新線が公表されたのは1967年刊行の55年史で、そこでは免許申請中とあります。しかしそれに先立つこと9年、千葉県が豊洲付近を起点とした「行徳線」「京葉海岸線」を計画し、国鉄の手による月島線などを経て新橋(汐留)に至る目論見があったようです。
734
:
エル・アルコン
:2025/05/19(月) 22:22:14
なお歴史としては1960年頃には大井埠頭起点の京葉線の原型となる計画があり、東京外環状線計画に組み込まれています。
京葉線は1975年に蘇我口から開業しており(当初は当時の川鉄専用線経由)、1980年代前半には東京港トンネルに相当する区間が完成しています。1986年に西船橋-千葉みなとの旅客営業、1988年に新木場-西船橋、南船橋の旅客営業開始を経て1990年の東京駅開業に至ります。
京成の計画はともかくとして、国鉄や千葉県による貨物線計画が1950年代からあり、1960年頃には一体化して国鉄の東京外環状線計画(武蔵野、小金、京葉線)となり、1970年代に西船橋以西(以北)が断続的に開通しています。
なおwiki情報だと1957年に西武線から常磐線の区間が建設決定し、1964年に公団D線として指定されています。
そうなると戦後は絶え間なく国鉄の新線計画が見え隠れした格好で、相当遅くまで貨物線計画だったとは言え、京成がほぼ完全並行する湾岸新線はどういう勝機があって申請されたのか。それは巷間言われる通り同時期のオリエンタルランド開発を巡る京成社長、千葉県知事と三井不動産社長の丁々発止が影響しているのでしょうが。TDRの開業は1984年ですから、歴史のように見える京葉線前史から見たら一続きのような時期ですし。
735
:
名無しさん
:2025/05/19(月) 22:30:28
>>728
東洋バスの設立についてですが、国立公文書館デジタルアーカイブで「東洋バス株式会社申請一般乗合旅客自動車運送事業の経営(新規)免許について」という昭和23年の旧運輸省の文書がネットで閲覧できるようになっています。この文書は大変興味深いので識者の皆様にも是非見ていただきたいのですが、この文書には「何れも地元の有力者」という「発起人九名」の氏名がありますが、某wikiにある元国会議員の氏名は無さそうです。むしろ、初代の公選千葉県知事が関わっていると書かれています。このあたり、某wikiは出典が無く検証が困難で、単に東洋バスと東洋交通の混同ではないかと思ってしまうのですが、どうなのでしょうか。
736
:
フェイト
:2025/05/20(火) 17:07:00
道路公社の道路大好き。道路事情最悪な場所に救世主的に公社の道路があるケースが多くてお金払ってでも使いたくなるケースが多いですね。
しかも、償還後キッチリ無料化してくれるから良心的だと思う。
また、そういった不便な箇所以外に、重要高速自動車国道や国道の未開通区間に割って入るように開通してる公社の道路が
入り乱れ感を醸し出していて面白い。例えば山陽道の未開通区間は、
緑看板の国道2号、公社の山口宇部道路が存在してるのでかえって山陽道未開通区間を推進しずらくなってるのかな?
伊豆縦貫も、本来の東駿河湾延伸区間を差し置いて伊豆中央道、修繕寺道路が暫定から本路線になりそうなのも面白い
737
:
エル・アルコン
:2025/05/20(火) 21:19:25
東洋バスに関する貴重な情報ありがとうございます。
公文書館アーカイブを見ました。1948年の東洋バス免許交付ですね。国鉄幕張駅から宗像村吉田までの路線。3年後に岩戸までの延伸が申請されていますね。
申請者(発起人代表)は千葉市内の遠山七郎氏ですが、もともとの代表は川口為之助氏とあります。
1947年の第1回千葉県知事選に出馬、当選して民選初代知事となったことで発起人から外れたそうです。千葉開発株式会社の姉妹会社として設立されたとあり、また元知事は上志津出身で北総台地の開発にも尽力とあることから、旧印旛村エリアに縁があるエリアの有力者でした。知事在任の最終年には川鉄千葉の計画申請がなされており、千葉県発展の基礎を築いた政治家といえます。奇しくも上で触れた友納知事が「中興の祖」「開発大明神」と言われて京葉臨海工業地帯などを次々実現させていますが、そうした千葉県の戦後の出発点でした。ちなみに遠山氏は千葉合同無尽、のちの千葉相銀から京葉銀になる金融機関の専務取締役でした。
なお川鉄千葉の水利は印旛沼であり臼井に取水口があります。東洋バスを設立した理由でもある印旛村エリアの交通を妨げていた印旛沼は農林省主導で干拓を進めていたため、水利を必要とする工業化を司る通産省との間で綱引きがあったようです。水野忠邦から戦時中の利根川増補(利根川放水路計画)まで頓挫していたおかげで水利が確保されていたという偶然もあります。
これは運輸省の公文書ですから間違いがあろうはずもなく、Wikiにある木島氏設立は誤りですね。
また最初の路線を大和田-岩戸としていますが、幕張-吉田であり、ルートや経由地も付図に明記されておりはっきりしています。岩戸延伸はヤミ開業をしていない限り変更許可が下りた1951年です(1950年申請)。これも免許交付と延伸許可の関係がはっきりしており、Wikiにある記載は誤りで、そこで一説扱いの印旛村関係のネット資料のほうが正しいです。
(続く)
738
:
エル・アルコン
:2025/05/20(火) 21:20:33
(承前)
ルートは幕張から今のr57〜r262で北上し(当然大踏切時代の旧道)、八千代台駅のところからR296までは旧道に入り、新川を渡った下市場から北上しています。当時新川は水野忠邦の工事が頓挫して以降横戸、花島を経ての花見川との接続は未完成で、上流はこてはし台の東側になります。そこから阿蘇局(阿蘇村の中心。米本集落)に向かってはR16に埋没した道路とその西側に現れる旧道経由。さらに下宿から今の東京成徳大経由で保品を経て阿蘇橋(阿宗橋)を渡ってすぐの宗像村吉田が終点となります。(Wikiでは下宿から保品を直結する道がないとありますが、添付の参謀本部地図(地理院地図)には道路が記載され、路線が通ることが明記されています)
地図には阿蘇橋は描かれていませんが、橋がなければバスは走れないため、1948年までのタイミングで架橋されたのでしょう。地図は参謀本部版の応急修正のはずですし(大久保や習志野に兵舎が見える)。路線が吉田で終わっているのは、地図ではそこから岩戸までの道路がどうも谷津田を越えるところで自動車交通未整備のようでもあり、その整備を待っての岩戸延伸ではないでしょうか。道があれば宗像村の中心である岩戸まで最初から運行するでしょうし。なお阿蘇橋のところには敗戦後まもなく同地に駐屯していた陸軍部隊により木橋が架橋されたそうで、バスはそれを通ったのか、コンクリートなどの永久橋が架けられたのか。
なお阪東バスの開業は1949年であり、宗像村関係では木下から大廻経由岩戸方面の路線があります。六合方面との連絡を考えても東洋が岩戸まで走らせない意味は無く、逆に東洋が宗像、六合の入口である吉田で止まるのであれば阪東が吉田までで開業していたでしょう。木下-大廻-岩戸線につき戦時中に京成が個人経営路線を買収した模様ですが、戦時中でもあり燃料規制の中で京成が運行した実績があるかは不明です。阪東が岩戸から印旛沼に近い師戸までの路線を開業させたのは1951年のようで、その時点で宗像以北は阪東になっています。なお阪東は1958年に東武の傘下に入っていますが、印旛郡北部をブルーオーシャンとみたのか。逆に京成はライバルに楔を打ち込まれた格好になっていますが、その後の展開を見るに東武(阪東)に任せてもやむなしという認識のエリアだったようです。
(続く)
739
:
エル・アルコン
:2025/05/20(火) 21:21:32
(承前)
阿蘇橋が戦後すぐの開通として、瀬戸から佐倉へ抜ける印旛大橋が1958年(干拓完成で廃橋)、岩戸から臼井に抜ける船戸大橋が1963年の開通ですから、戦前の京成は船戸大橋の開通を想定していたのでしょうか。この位置は印旛大橋の位置と違い新川の「河口」でもあり幅は狭めですから架橋位置としては適地です。そして京成は千葉から臼井を経て印旛沼畔までの路線も運行していましたから。なお阿蘇橋経由を京成が考えていたとしたら当然免許を取得しているでしょうから東洋の免許は普通に考えて下りないと考えたら、逆説的に京成の阿蘇橋経由は無いといえます。
船戸大橋開通後は阪東が師戸以北、京成が岩戸以南と分け合っていましたが(師戸ー岩戸間は重複)、時代が下がると臼井まで阪東になっています。Wiki情報だと1949年の阪東創業当時に木下から瀬戸経由佐倉までの路線が開通とあります。このルートでの印旛沼への架橋は上記の通り1958年の印旛大橋まで待たないといけないはずで、渡船連絡だったのか、あるいは簡便的な橋が架かっていたのか。ただこの位置は干拓前の印旛沼本体で距離があるので、木橋などでの対応はあまり考えられません。
あと気になるのは阪東が佐倉線から撤退したのが1994年とされていますが、都市交通(→なの花交通)が六合路線を開始したのが1997年とあり、この3年間はどうカバーしていたのか。1994年は日医大病院の開院時期でもあり、送迎バスで代替だったか。2000年の印旛日本医大駅開業で「イーバス」が整備されるまで送迎バスはけっこう高頻度で運行されていましたし。
ちなみに東洋バスは一時期岩戸から北上し印旛中学校まで延びていました。さらに印旛日本医大駅まで乗り入れましたが、岩戸までの短縮を経て、阿宗橋(阿蘇橋改め)止めとなり印西市域への乗り入れは終了しています。(宗像村+六合村→印旛村+本埜村→印西市)
余談ですが、東洋バスは下宿からr4を経て神崎橋から船穂、武西、谷田、神々廻を通り白井中学校への路線もありました。これらの路線は大和田駅始発で運行され、のちに勝田台駅始発になっています。米本、小池経由小室駅行きもあり、勝田台から千葉ニュータウン方面(残念なことにCNT中央と印西牧の原にはアクセスしてない)へ路線を持っていた時代がありました。
740
:
エル・アルコン
:2025/05/21(水) 16:05:15
京成公式が押上-成田空港間の有料特急を2028年度目途に運行開始と爆弾発言です。
都交や京急とは書いていませんが、直通前提でしょう。そうなると3200系の有料バージョンでしょうね。
京急の1890系とパラレルな存在で成羽直通特急なのか。ただSA線経由となると線路容量が厳しいのでどうするか。アク特が20分ヘッドまで枠があるはずなので、新しい特急が40分ヘッドで入るか。アク特置き換えだと本線が事実上快速だけなので無料列車がさらに悪化となり、エコノミー派はバス一択になってしまいます。
741
:
エル・アルコン
:2025/05/21(水) 17:33:05
本線経由で「シティライナー」復活であれば嬉しいんですけどね。
本線からの空港輸送は事実上津田沼から各駅停車ですし。松戸線沿線だと新鎌ヶ谷からSA線が使えますが、成田山など成田市内へも40分ヘッドの快特だけとか不便ですし。
エコノミー派がバス一択としましたが、県内だとそうもいかないわけで、津田沼以東各駅の快速一択じゃあ厳しすぎます。
このあたり、幕張地区のリムジンを一部津田沼に振り向けてくれないですかね。検見川浜、稲毛海岸の方々は海浜幕張にご足労頂くということで。香澄交差点からR357で中瀬交差点を経て海浜幕張駅へ。あるいはベイタウンやホテル経由でも構いません。ただ現行で幕張から1200円だから津田沼は1300円として海浜幕張から終点の1ビルまで45分ですから津田沼だと1時間でしょうか。そうなると電車で京成津田沼から695円(ただし快速だと小一時間)、新鎌ヶ谷からアク特922円、SLで1722円(ただし28分)との微妙なコスパがありますが。
SA線経由だとSLとの速度、アコモの差が出てきますよね。160㎞走行の全車有料車とするのか、一般車併結の120㎞運転とするのか。アク特併結で20分ヘッドが落としどころでしょうが、一般車4両だと激混みでしょうね。スーツケースも散乱する阿鼻叫喚で。都交、京急の営業政策や料金設定もあるわけで、車両よりも制度設計がネックな気がします。
742
:
エル・アルコン
:2025/05/21(水) 18:20:27
具体的な話が中期計画第二期(D2)で出てますね。
「押上特急」は押上をベースにするという位置づけですが、あの設備で折り返し(or八広まで引き上げ)と整備は非現実的でしょう。そして中期第三期(D3)では新型SLを長編成で検討としていますが、10連対応は可能なのか。SA線の複線化がメニューに上がっていますから、長編成化よりもフリークェンシーの向上のほうが利便性が高いはずですけどね。SA線経由全線にわたり10連運行対応が必要になるだけに(空港-成田-宗吾も)、またイブモニ対応もありますから。
あるいは「押上特急」で瀬踏みして、新型SLは6+4の分割として押上方面行きの新設とか。(イブモニは6連か4+4)
高砂の改良は車庫移転と連立化が見えてきたのか。高砂-江戸川の連立とありますし。あとは地域開発として、新鎌ヶ谷の県営鉄道用地活用、新津田沼の旧ヨーカドーのイオンとの再開発が上がっていますが、イオンとは包括的に不動産で手を組むようです。物件は京成、運営はイオンとなるため、京成が資産にかかるリスクを負いますが。リブレ京成とイオンの連携とありますから、リブレがMAXVALUEになるのか。いや、コーヨーやマルナカ、カスミのような独立系イオングループで終わるのか。
なお新3200系が90両投入とあります。初代3200系が「開運号」用を含めて88両ですから奇しくも同程度。こうなると3700系も相当数置き換えになりますね。追加次第というか、おそらく運用が縮小する分もあるでしょうから、新3200系の追加増備で新3000系以降に統一されそうです。まあそれが2030年ごろとなれば、新3000系の第1陣が2003年ですから結構な経年になりますが。
743
:
エル・アルコン
:2025/05/21(水) 18:28:26
あっ、松戸線車両を忘れていました。
3100系オリジナル(=80000系)は作らないとなると、松戸線の8800系、8900系は何で置き換えるのか。
乗り入れ制限を解除して運用を効率化しても現行の両系列の運用は捻出できないわけで、かといって新3200系からの玉突きでは3500系、3600系、3400系ですからあんまりです。8800系は鋼製で40年近く、8900系もSUSですが30年越えですから、2030年をゴールにした長期計画での絵図面はどうなっているのか。
赤電の先例に倣い、貫通編成の新3300系を出して松戸線と北総、CNT鉄道(ただし独自形式)を置き換えるかですね。新3200系はギミックの関係で自重がギリギリでサービスやアコモにしわ寄せがきていますし、高コストですから。
744
:
八千代台民
:2025/05/21(水) 21:35:32
中期計画みました。
押上特急びっくりですが、確かに朝ラッシュ終わりかけの空港発の特急に乗ると、
スーツケースが多く浅草くらいまでインバウンド客がよく乗ってます。同じく日中快速乗ると浅草まで乗り通すんですよね。
需要はありそうです。日本着いてまず浅草なんですね。寺なら成田山でも良いのにと思ったり。
押上特急出来ると、本線も毎時3本から2本へ減らされそうですね。
本線に対する施策はほぼない中期計画ですね。
先日八千代市長選があり、東葉値下げと京成沿線活性化候補者がうたってましたが
東葉は通学定期値下げはいいますが、京成については皆具体案無いですし、ダイヤがこの5年で劣化したのも気づいてなさそうです。
745
:
八千代台民
:2025/05/21(水) 21:45:36
確か東葉開通前まで勝田台→小室行きのバスありましたね。米本団地経由
北口からも津田沼駅行きの京成バス乗ったことあります。
岩戸ってどこだろって子どものときずっと疑問に思ってました。京成の東中山行きも同じくらい疑問でした。
90年より前と思いますが、千葉駅から勝田台までもバスあったような記憶があります。
746
:
トロッピー
:2025/05/22(木) 02:42:46
京成系は千葉県内の水戸街道側というか常磐線側というか、タクシーの区域でいうところの東葛交通圏は比較的手薄なイメージがあります。
タクシーであればほぼ全域に近しい分布(野田配置でありながら帰庫地流山扱いのタクシーウエストは元をたどれば旧朝日枠)ですが、バスは流山や柏には足を伸ばす程度でほとんど松戸市内、鉄道に至っては旧新京成である松戸線のみで当然松戸市内のみといった具合ですし。
流石に完全に規格が異なっている今となっては野田線の旧船橋線区間は仮に今更返されても困りますが、バスに関しては東武でイーストをセントラルに編入してまで手元に残すぐらいであればいっそ阪東や茨急と共に京成に手放してくれた方が良さそうな気さえしましたね。
747
:
トロッピー
:2025/05/22(木) 03:40:40
3200の新造分は3500・3600・3400の代替分に対して多すぎるという計算は、8800の未更新編成と8900の分を加味すると辻褄が合うと言われていますね。
ただ例のギミック的に松戸線に直接入れる意味はないという見方もあるので、3000の6連を捻出したうえで玉突きさせるのもやはり有力視されています。
過去のメディアに対する回答として旧新京成車を3200で代替する趣旨の発言がありましたが、直接代替ではなく玉突き代替でもそれに背いてはいないでしょう。
3700の6連(3828・3838)が虎の子なのでこっちを混ぜ込んでくる可能性ならなくもなさそうですが、流石に3500・3600・3400は今更回してくることはないでしょう。
ちなみに3500を代替する以上は芝山が影響を受けるわけですが、こちらこそ後継問題が出てきます。もっとも、芝山籍でも運用上は京成扱いになりますし、乱れた時のうっかり直通を防ぐ観点とかでも3200から一本捻出するのでしょう。
北総やNT向けが3100ベースをすっ飛ばしてはいますが、3200のギミックの一部でもある「令和の6M構成」をベースに8連固定も高コストすぎますし、最適解が難しいですね。
もっとも新京成をどうにかした以上は北総やNTも何かしらの形でどうにかされてもおかしくはないですが。完全子会社のNTはとのかく、三セクとなっている北総がネックですけども、上下分離の下にさせるのが関の山でしょうかね。
もし京成に車両の保有を一本化させ、若返らせてかつ虎の子の整理もする、となれば80000(中間車増車)と7300・9100(中間車減車)というウルトラCができなくもなさそうですが。
ちなみに色違い並べツアーが出てきている8800ですが、先に入場したN800より先に出てきそうな感じです。N800や80000に関しては機器類の差異を減らす改修が含まれている可能性もあるかもしれないです。
押上特急は都交が消極的であろうことも理由に含まれそうな気はしますね。
かつてのAE100にしろ穴向こうの2100にしろ先頭車が微妙に長いことがネックの一つではあったようですが、かといって一般車ベースでLCカー化したとしてもクロス状態での運用を認めるかは未知数ですし。
押上特急をスカイライナーと称していない一方で当該ページのイメージイラストを見る限りは少なくとも車体は一般車ベースではなさそうに見えます。
748
:
エル・アルコン
:2025/05/22(木) 20:37:18
松戸線8800系、8900系のうち千葉線直通対応の8800系だけ置き換えというのもセコい話ですし、徒に車種を増やすだけでしょう。玉突きで新3000系をくぬぎ山へ、というのはN800系との共通性を考えるとあり得ますね。ただ新車直接投入がなくなる予兆かもしれませんが。
3700系世代の転属はどうでしょう。松戸線を掃き溜めにする気ならあり得ますが、新3000系の転属で置き換えて、80000系との2本立てにするほうが理に適っています。芝山車はそもそも新ターミナルの整備であのエリアがどうなるかによっては路線の存続意義すらなくなるでしょう。
749
:
エル・アルコン
:2025/05/22(木) 20:39:19
東武の縄張りですが、歴史的経緯がありますからね。陸上交通事業調整法(実は現行法)、国家総動員法、陸運統制令に基づく戦時統合の結果ですから。「習志野原」から印旛沼、という存在が東葛と京葉を分けていましたら、当時の線引きはそれなりに合理的でした。東武(総武)が船橋に達していましたが、黎明期の新京成バスが柏駅まで入ったり、京成バスも流山から野田まで行っていたのは、ある意味東武の「越境」に対する「補償」かもしれません。
我孫子線沿線では印旛郡になる木下では白井方面、船尾方面のバスが京成に吸収されていますが、戦後の阪東は木下から小林経由で設立されて東武系になったというのは面白い現象です。印旛沼の東岸になる松崎、甚兵衛までは成田から千葉交通が来ており、東葛飾郡だった布佐以西を固めた阪東が「飛び地」を持った格好ですから。
東武バス(旧イースト)の大半は総武鉄道のバス部門でもあり、東武吸収後に沼南から鎌ヶ谷まで進出したのが最大版図でしょうか。松戸から五香、六実、藤ヶ谷経由白井は戦前からの京成の基幹路線ですが、松戸市(当時は新京成開業前)は京成という縄張りのおかげでしょう。藤ヶ谷(沼南)が微妙で、柏からの東武の縄張りですが京成が堂々と縦貫しています。東武が鎌ヶ谷や折立(富塚)まで行けたのはこのあたりのギブアンドテイクでしょうか。レインボーがアリオまで行くようになったのはその縄張りを久々に破った格好です。(レインボーに引き継がれたローカル路線にエリア境界となる名内橋までの路線があった)
東武も埼玉県や茨城県側とは限定的というか別会社での乗り入れというケースが大半ですが、京成グループ入りとなるとエリアまるごととなるので統合によるシナジー効果などのメリットは無さそうです。藤ヶ谷や手賀方面を旧レインボーにするくらいですかね。規模的に「千葉ノース」と出来るくらいでしょうか。
750
:
エル・アルコン
:2025/05/22(木) 20:39:55
八千代を巡る京成バスは実は奥深いですからね。戦前からの旧レインボー神崎線があった反面、大和田は東洋が押さえ、結局八千代市よりも軌道系交通不便地域であった千葉市の現花見川区域をどうカバーするかと悩んだ結果の路線網がありました。いわゆる千葉三線(津田沼-畑町―千葉、津田沼-広尾十字路-千葉、津田沼-長沼-四街道)があり、それらが八千代方面に伸びる格好で前2者は八千代台、後者が勝田台に至っていました。モノレール開業でスポーツセンター発着になったり、内陸バスになったりとしましたが、生き残っているのは勝田台方面だけです。
高校生の頃、津田沼から長沼経由草野車庫に乗ったことがありますね。東金御成街道経由で長沼からR16とド幹線ですが(大久保付近で脇に入るが)、実籾あたりからは閑散としていました。これらの千葉でのターミナルは京成千葉(現千葉中央)の西口高架下で、東口(表側)の高架下は小湊や京成の東金方面のターミナルとして三宮の神姫のようににぎわっていましたが、西口は閑散としていました。
この中で異色なのが萱田線で、広尾十字路から大和田、萱田を経て睦中学校、八千代西高校へ至る路線。一時期は緑が丘のすぐ北まで来ていたようで、そこからくねくねとした経路で最後は京成千葉と、一度乗っておけばよかったルートです。
当初は旧大和田町の外れまでの運行で、旧睦村域に路線が伸び、昭和後期には草野車庫で分断、その後スポーツセンター乗り入れと盛り返しましたが東葉開業で八千代中央以遠が廃止、以南も1999年で廃止ということで、平成初頭まで生き残っていました。
一方の成田街道は早い段階で衰退したようで、最後は勝田台行きとして残りましたが、昭和後期には消えています。
まあ八千代台であれば津田沼から三山、日鉄溶接経由の便が多く走り、東電、花見川団地経由の系統もありますから、成田街道沿いに限定される路線は人気がなかったんでしょうね。新木戸までは新京成、京成があり、そこから東洋のエリアですし。
751
:
エル・アルコン@管理人
:2025/05/22(木) 22:54:56
投稿規制について一部変えております。
752
:
トロッピー
:2025/05/23(金) 00:18:01
松戸線が掃き溜めと化すか、は京成のスタンスがまだ読み切れていない以上、結論はまだ出ないですね。
一応効率化すれば所要編成は減らせるとはされていますが、これが本線との一体化なのか、それとも一部で噂のある千葉・千原線系統のみの一体化(本線系他線との分離)なのか。
あとは北千葉道路のくぬぎ山の抜け方や検査機能の宗吾集約があるかどうかもありそうですが、くぬぎ山の車庫の縮小とかがあれば本数を減らさざるを得ないもなくはないでしょうから。
753
:
エル・アルコン
:2025/05/23(金) 20:49:22
松戸線の車両問題でくぬぎ山の用地問題は確かにありますね。留置線ではなく工場部分が外環用地にかかっているわけで、それは微修正が可能とはいえ、レイアウト変更を伴わなくても工事期間中の仮線とか影響は不可避です。
高砂連立で高砂車庫をどうするか。中期では宗吾の強化が謳われていますから宗吾に集中となると、くぬぎ山だけは残すという意味も薄れます。北総の印旛車両基地も中途半端ですが、全検は宗吾で実施しており、くぬぎ山も同レベルに縮小するかもしれませんね。ただくぬぎ山があるから現行の早い始発と遅い終電が実現しているわけで、無くなるということは無いでしょう。
効率化という意味では労組会館とゴミ捨て場を移転して単線区間の極小化と複線での千葉線直通が可能と思われるので、松戸線と千葉線を終日直通運用として分離するということは考えられます。1974年の暗黒ダイヤ改正まで、津田沼での緩急接続と千葉線接続を成立させるには、片方向3個列車が必要なのに1面2線なので、いったん引き上げ線に入る「車両交換」と称する運用がありました。千葉線の存在はダイヤの制約になることを考えると完全分離したほうが良いでしょうね。本線の緩急接続駅と再定義すれば、八千代台方面への速達列車が前提の話になりますから本線にとっても悪くないでしょうし。
(千葉線直通普通に本線快速が追いついて相互接続後、両列車とも各駅停車で出ていく、という非常に後ろ向きダイヤなら本線、千葉線、緩急接続が成立する)
754
:
エル・アルコン
:2025/05/23(金) 20:49:55
ウェブ版東洋経済の記事がポータルに出ていましたが、柿岡の地磁気観測所と常磐線の交流電化という有名な話です。
大手町に合った観測所が「人里離れた電気と無縁な」柿岡に移転したというのに15年程度で直流電化による電車計画に悩んだというところで出てきたのが一部方面では有名な「筑波高速度電気鉄道」だったそうです。
鉄道省は許可を出したが気象庁は猛反発、財界も観測所移転を進言する状態でしたが、30km圏内は直流電化は不可という内規がこの時固まったそうです。当時は大手町からの移転から15年程度でしたから移転も選択肢でしたが、今は100年以上の年月が経って観測の連続性の問題が生じ(移転すると前のデータが参考扱いになる)、柿岡ありきの対応になっています。
内房線沿線にも国土地理院所管の地磁気観測所がありますが、気象庁のように国際的なデータ観測網でないこともあり、房総西線の館山電化時には特殊な対応で影響範囲を極小化してクリアしています。それであれば直流電化や直流化は可能ですが、コスト問題があり常総線は電化を諦め、TXは守谷以遠を交流電化にしています。
筑波高速度電気鉄道が実体があり着工に至るレベルであれば柿岡からの移転があったかもしれませんし、そうなっていれば常磐線方面の発展は大きく変わっていたでしょう。デッドセクションは草野-四ツ倉か小高-原ノ町だったでしょうね。
そして京成はこの免許を使っての上野延伸が出来なかったわけで、良くて千住付近から相互乗り入れ、悪くて押上ルートでの都心到達の模索が続く、となっていたでしょう。あるいは湾岸新線がもっと切迫したものとして計画され、それが基幹ルートになっていたかもしれません。
755
:
名無しさん
:2025/05/23(金) 20:50:46
津田沼モリシア(旧サンペデック)の再開発でデベロッパーが事業を一時中断すると発表しています。
テクニカルな問題ではなく事業の前提に疑義が生じたとする趣旨で長期化もあり得るため、閉鎖したモリシアの一部再開も考えているというまさかの事態です。
閉鎖されて寂しげな姿をさらしていますが、パルコのように解体にすら至らなければ南口に廃墟というあり得ない事態になるわけで、「津田沼戦争」で名を馳せた商業都市が信じられない転落です。
都心回帰とはいえ、総武緩行線、総武快速線にメトロ東西線が乗り入れ、少し離れていますが京成もあるという津田沼の、しかも駅前のポテンシャルは疑いのないところですが、資機材や人件費の高騰が厳しいとはいえ、そうした事業費サイドのエスカレーションを販売やオペレーションサイドで回収できないのか。都心のマンションの高騰はまさにその転嫁の結果ですよね。リセールバリューの期待値も大きいですが、そこは水物ですから。
そう考えると、都内でも中野サンプラザの再開発が迷走していますが、近郊とは言え津田沼ですら足元の物価上昇を適切に転嫁しての開発(回収)ができないという結論なわけで、それが誰もが知る大手ですらという県内の発展という意味では絶望的な出来事といえます。
756
:
エル・アルコン
:2025/05/23(金) 20:51:38
755だけ名前が消えました。アクセス設定もそうですが、なんで途中で変わるのか・・・
757
:
八千代台民
:2025/05/24(土) 19:01:01
某予備校へ行ったので、モリシアといいますか旧ダイエーにはよくお世話になりました。
再開発中断寂しいですね。船橋も西武跡地再開発始まるのに時間かかりましたね。
それにしてもパルコもないですしJR津田沼駅前が寂しいです。
ただ東武船橋を見ると、ここ10年でテナント化が大きく進みましたね。
先日の八千代市長選で京成沿線活性化をどの候補者も政策にあげてましたが、
津田沼でさえこの状況なので厳しいですね。京成が頑張ってダイヤ面で工夫してほしいです。
758
:
エル・アルコン
:2025/05/24(土) 21:14:35
まあ東洋バスと東洋交通というのも同一県内というか市内で紛らわしかったですね。
中国山地のエリアで備北バス(岡山)と備北交通(広島)とか、淡路島と神戸市内にみなと観光(全く別法人)とか今でもあるとはいえ。
中央バスのほうの「木島」は「島」で、東洋バスの現社長の木嶋は「嶋」なんですけどね。Wikiの中央バスの項目にはしきりに「嶋」が現れているあたり、混同しているのかもしれません。
東洋交通はいったん東都自動車傘下になって京成入りしたという話になっていますが、東都の会社沿革には一切出てこないんですよね。有名な政商絡みなんで黒歴史かもしれませんが、逆に有名であっておかしくないので。
なお日の丸が都自動車を取り込んだのを縁に茂原に地盤を持っていますが、房総は地味に魅力なんですかね。あとは日の丸が京成タクシーを取り込み、帝都に譲渡とか、タクシーまで見るとなかなか複雑です。
759
:
エル・アルコン
:2025/05/24(土) 21:15:13
川口元知事を担ぎ、またオリエンタルランドで共闘した三井不動産の江戸社長と友納知事の旧制高校時代の同窓だった赤城議員が属していた川島派のトップが行徳出身の川島正次郎です。成田空港が富里で紛糾した後三里塚に決めたその人という扱いです。
政治家というより権謀術数に長けた寝業師でしたが、ついたあだ名が「おとぼけの正次郎」という塩梅でした。
これで思い出すのが元祖「選挙ゴロ」というべき人物ですが、選挙運動への制約や泡沫候補の排除の原因といえる1963年の総選挙でいわゆる「背番号候補」を次々立候補させています。そこで「おとぼけ正二郎」なる候補者を立てようとして当てこすりだけの通名はアカンと却下されたというエピソードがありますが、なんともユニークなあだ名です。なんでも本人が「ほとけの正次郎」だろ、と混ぜ返したという話もあるわけで、まさに「おとぼけ」です。しかも自分をあてこすった候補者を擁立しようとした選挙ゴロに政治資金を提供して傘下の右翼団体に反共活動をさせていたとか、昭和中期らしい話です。
まあ当時の選挙ゴロも川島もプロレスですから、足元の選挙ゴロの行動に比べたらかわいいものです。
760
:
エル・アルコン
:2025/05/24(土) 21:17:51
「押上特急」はイメージ図を見るに西武40000系か小田急60000系かそれとも折衷型かという感じです。
都交直通がないとなると押上折り返しですが、現状副本線は40分に1本のアク特とH特の緩急接続のみなので40分ヘッドで入れることは可能です。ただしそれをするとアク特の20分ヘッド化は将来に向けて断念ですからね。一部指定席だと丸く収まるとはいえ、そうなると余計に押上折り返しが意味不明というか利用者不在の批判になります。
まあ首都圏各社がクロスシートならカネをとれるという悪弊に染まって久しいですが、押上特急がL/Cであれば京成よ、お前もか、という感じになってしまいます。関西の有料サービスがアコモにも気を遣うというか、アコモをウリにしているのを見ると、椅子が前向きになれば追加料金、という首都圏スタイルは阿漕ですし、利用者も飼い慣らされてどうするという感じです。
関西では京阪「プレミアムカー」に続き阪急も「プライベース」が登場しましたが、料金500円に対する満足度は高いですね。京阪はもともと8000系の完成度が高いところにダブルデッカーがあり、さらに「プレミアムカー」とアコモは独走状態です。JRもAシートはそれなりに吟味はしていますが定価840円の時点で見劣りしますし、のれんで区切っただけの「うれしート」に至っては話になりませんが、「うれしート」は指定席扱いで閑散期料金があるので需要が高い通勤時に思わぬディスカウントになります。一方で阪神の「らくやんライナー」は200円でも黒歴史でしたが、2027年登場の新3000系に有料車座席導入がアナウンスされており、これは「プライベース」と競合するだけに期待できます。
761
:
トロッピー
:2025/05/24(土) 21:20:36
都内の再開発の迷走といえば五反田のTOCもそうで、建て替えから一転存続して営業も再開していますね。
東急バスが送迎バスを出していましたが、再開の煽りで専属専用車でない車両を専用車化しています。
もっとも、TOCの場合は駅前というには無理があるレベルに駅から離れていますが、それでも第二京浜と中原街道の分岐点といえる位置にあり廃墟化すれば否応無く衆目に晒される場所です。
近くの旧ゆうぽうと跡がJPビルとして建て替えられていますが、大崎広小路の駅前というのもありこっちも中断していたら目も当てられなかったでしょうね。
762
:
エル・アルコン
:2025/05/25(日) 13:48:35
大崎があれだけ大化けしたというのに五反田が乗り遅れた格好ですね。
いっそ大崎から山手通り、第二京浜という感じでシャトルバスを運行して、ビル群や立正大をカバーするようにしたら流行るかも。五反田は駅周辺のごみごみとした飲食店街が魅力で、おしゃれすぎる大崎ではなく夜は五反田、という大崎界隈の勤め人も多いですけどね。まあ以前駅の西側で大企業が引っ掛かった地面師の事件があったくらい魑魅魍魎もいるようですが。
763
:
リリカルゆかりん
:2025/05/25(日) 23:46:13
ここ最近アクセス規制で書き込みできず話題に乗り遅れてしまった感がありますが
管理人様のご対応に感謝いたします。
再開発の迷走例である中野サンプラザですが建て替えにこだわる必要があったのか。
築年数50年超とはいえ閉鎖直前にイベント参加で訪れた際は施設の老朽化や陳腐化はほとんど感じられず
改修して活用で問題なかったように思えます。このまま計画が宙に浮けば駅前に巨大な廃墟が聳えるという
非常にまずい状況に陥りかねず、中野区が再開発を急ぐべきは木密地域の方であった筈です。
そしてZOZOマリンスタジアムを閉鎖し新球場を現メッセ駐車場に建設という計画がぶち上げられましたが
こちらも現球場の改修では不都合があるのか。駅から中途半端に遠いのは事実であり新球場は
メッセ西側の駐車場に予定されていますが、幕張豊砂まで10分以上かかりそうでそこまで利便性が向上するとも思えません。
交通の問題と言うのであれば海浜幕張からZOZOマリンまでの屋根付き動く歩道の整備がベストであり
駅のペデストリアンデッキからアパホテルまで人工地盤の歩行者専用動線がありながら
球場まで僅かに届いていないという残念な点の改良を含めて実施しても新球場建設や
国際大通りへの軌道交通機関導入よりは格段に安く済む筈ですし、動く歩道は瞬間風速的な多客需要では
非常に威力を発揮します。現状ではこのような催事対応で比較的長い距離の導入例がなく、何からの形で施設があっても
事故防止の名目で多客時に運行停止としてしまうケースがありますが、平面を動く以上
斜面を動くESより本質的には安全な筈であり、昇降部での転倒を検知して非常停止させる技術は確立していますから
多客時こそ活用すべきなのは明らかです。
短時間に利用が集中する施設でない例での導入例としては神戸医療センター(各種医療施設が集積している)から
市民広場駅までのものがありましたが、ポートライナーの空港延伸線開業時に医療センターの前に新駅ができて
無用の長物化し撤去されてしまいました。千葉市であれば大森台駅から仁戸名緑地の地下を通って
がんセンター等の医療施設群までというような導入は考えられ、周辺住民にも活用してもらうことで
定時性に難がある大網街道のバス路線から千原線利用へのシフトを促すといったことは考えてよいでしょう。
現状の大森台はバリアフリー対応されていないなど、京成が鬼っ子であった千原線にはいかに経費をかけたくないかを
具現化したような状況ですが。
764
:
八千代台民
:2025/05/26(月) 20:29:27
年1〜2回ロッテの試合を観に行きますが、去年から帰りのバスの終了制限が厳しくなってきます。
延長等で遅くなっても試合終了後30分は運転とかでしたが、今や試合がやっていても22時10分で幕張本郷行きのバスは乗車受付終了です。
22時超えることはめったにありませんが、運転手不足の余波の影響受けてます。
先週金曜ですが夜都内に用があり在宅から渋々出たのですが、たまたま船橋でしおさい東京行きが発車するタイミングで
7〜8割は席埋まってました。客層もビジネス客が多く需要はあるんですね。
やはり銚子まで高速ないのが大きいのか、鉄道が選択肢として残りますね。
765
:
エル・アルコン
:2025/05/26(月) 21:04:13
中野サンプラザもさすがに築50年超ですからね。耐震性は大丈夫そうですが、一方で東日本大震災を経ているわけで、「2回目」はどうなのか。以前神戸で住んでいた住居には震災で出来たクラックがあり、次はヤバいと言われていて、結局建て替えで追い出されましたが、耐震性の評価における「2回目」以降はどう評価しているのか。
中野サンプラザの問題はユニークな形状が高いランドマーク性を持つ反面、フロア構成がホールなど専門性の高いものを含むため潰しが効かないわけで、生産性が低いという問題もあります。津田沼モリシアも習志野文化ホールがある中央棟が活かしきれなかったわけですし。
マリンスタジアムは経年劣化というか、一般的な経年よりも短サイクルで劣化してしまう立地条件が大きいでしょう。
鋼製、コンクリートのどちらも塩害が天敵であり、試合を左右するような海風が吹き荒れるということは当然塩分が細かい飛沫となって球場を蝕んでいます。ただ建て替え場所がメッセ駐車場というのがいいかというと別問題で、出来るかどうかは別として、仮設球場を建てて、現在地に新球場を建てるというほうが良いでしょう。あの立地は「マリーンズ」の愛称と一心同体の関係ですからね。唯一の海辺の球場というのはやはりセールスポイントです。
766
:
エル・アルコン
:2025/05/26(月) 21:04:43
なおラストワンマイルのアクセス手段ですが、動く歩道は悪手でしょう。大規模イベントにおける定石としてのバッファ空間としても機能しているわけですが、輸送量、輸送力が硬直化する動く歩道だとバッファ空間が海浜幕張駅前に限定されてしまいます。あとは海辺という特殊事情もありますが、屋外での運用におけるメンテナンスの問題。ポーアイの動く歩道も停止しているケースが多いうえに、運転中のものも最末期は軋み音と細かい振動がかなり大きかったわけで、人工島(ポーアイ二期)の中央部で塩害リスクは比較的低いとはいえ、無視できないうえに風雨によるダメージは屋外の宿命です。
開放感とは相反しますが、海浜大通りのところの交差点からマリンスタジアム前に向けて一面の人工地盤からスロープとして、海浜幕張駅方面からの流動を大きく受けるようにすればかなりかわるでしょうね。
メッセ駐車場は幕張豊砂徒歩圏とはいえ、幕張本郷方面をどうするのか。仮設暫定ならまだしも、本設で恒久化となるとどうか。イオンなどの駐車場が「イベント開催時は当店利用者以外は特別料金」となるのでしょうが、モールという性格上、スタジアムとモールの利用が両立するわけで、モールだけの利用を排除できませんから、「当店利用で優遇」で野球観戦客が埋め尽くすリスクを排除できません。甲子園球場の横にあるヨーカドー甲子園店では試合中に駐車券操作をすることで特別料金対象を解除できますが、そういう複雑なシステム導入は利用者へのしわ寄せでもありますし。
767
:
エル・アルコン
:2025/05/26(月) 21:05:30
海老川新駅の着工式がありましたが、バス路線の再編はどうなるんでしょうね。医療センターの移設も伴いますから医療センター線の存在意義が大幅に減りますが、一方で海老川新駅発着への短縮は、東船橋駅発着に短縮して利用と利便性を負いに損なった故事から何も学んでいないわけです。ただ医療センターから市内各地という意味では医療センター駅から各地の路線需要が増えますから、これまでなかったうえに廃止短縮された豊富線(芝山北習線)の設定とかも必須でしょう。
鉄道にしても、市内の流動を考えて北習志野駅での相互接続の意義が高まるわけで、10分ヘッドの松戸線と15分ヘッドの東葉線をどう組むか。午前と午後でメイン流動が逆になるはずなので、ダイヤパターンを平行移動させるとかのテクニックが必要でしょうね。
医療センターには関係ないですが、深夜帯には敢えて長時間停車して全方向の接続を取るというような京都市交の「シンデレラクロス」的なダイヤも。
768
:
トロッピー
:2025/05/27(火) 14:38:14
そういえばロッテ(とヤクルト)は球場が新しくなりますが、他球団で熱中症問題が出ているらしいにもかかわらず新球場に屋根はないらしいですね。
まあつけるとしてもドームよりは開閉式屋根とかのがよさそうですが。幕張のはコスト面が主な理由だそうですが、花火が名物だからというのもあるんでしょうかね?
球場ついでですが、二軍のねじれはロッテ側は君津が移転先となったことで片方は解消の見通しですが、ハムの方は報道こそあっても球団側は否定しているみたいですけども。
769
:
トロッピー
:2025/05/27(火) 17:53:56
旧医療センター線はどうなんでしょうね。新医療センター自体は経路上にありますが、新駅ができるとなると位置的に経由させた方がよさそうに見えますし。
r288を走らせ続けるよりは所要時間の短い経路という立ち位置はあった気がするので、この経路自体の廃止はない気はしますが。
770
:
エル・アルコン
:2025/05/27(火) 21:23:37
日ハム二軍は一種の保険でしょう。エスコンが当たったのでリスクは下がりましたが、集客力のある首都圏をマーケットにする大義名分は手放さないでしょう。きつねダンスという集客ツールを鎌ヶ谷で披露していますしね。
猛暑日が当たり前になった昨今、オープンエアの球場は厳しいのは確かです。昔のようにナイターがメインという時代でもないようで、平日でもデーゲームのほうが集客できる、という判断も出てきていますから。とはいえオープンエアの良さは確実にあるわけで、マリーンズの特徴として継続してほしいアイテムです。
771
:
エル・アルコン
:2025/05/27(火) 21:24:09
(旧)医療センター線は速達性、定時性があるはずとはいえ、船橋から津田沼を経由しないで短絡する、というメリットが時間も値段も失われており、2wayを維持するだけの需要があるかというとそれも微妙です。
グリーンハイツ線と、経路変更がありそうな芝山北習線で需要をカバーし、金杉台線、小室線は夏見線を立て替えて本数を確保して(旧)医療センター線を減らすか。門前薬局のほか、門前クリニックもありますが、それが需要にどの程度つながるか次第でしょう。あるいは船20の設定で見えてきたように、循環系統の新設があるかもしれませんね。あまり足の長い乗客が乗らなくなったという感じもしますから。
バスは商売っ気がないというか、基本的に往年の路線を使っていますよね。沿線(沿道)や流動といったニーズの変化は安明らかに発生していますが、それについて行っている感じがしません。ところで数少ない「変化」であるイオンモール船橋の有料送迎バスですが、令和に入り千葉シーサイドが担当していた金杉台ルートが京成バス千葉ウェスト(旧船橋新京成鎌ヶ谷)になっていますが、それを足掛かりに夏見バイパス経由を作るといった展開をするでもないわけです。バス停の位置や名前も揃える気がないという謎状態ですし。
772
:
エル・アルコン
:2025/05/27(火) 21:24:49
09系礼賛の記事が出ていましたが、「走ルンです」と言われているけどいい電車なんだよ、といくら主張しても、なぜそう言われるようになったか、ヲタの戯言で終わらずに人口に膾炙したかが書かれていません。
寿命半分とか言われましたが、実際に車両が早期に劣化したからこそ「走ルンです」の蔑称が定着したわけです。
歪み、ズレ、今までの電車では相当な経年車にならない限り発生しなかった劣化が発生してしまい、「寿命半分」を証明した格好になりました。
その後のE217系でも類似の事象が発生しましたが、E231系、E233系と「決定版」になることで209系の持つ問題点は解消されています。長寿のはずのSUS車でありながら、転属できたのは房総ローカルでそれも全体の3割強と、大多数は17年で廃車になっています。初期のSUS車が半世紀以上経っても問題なく走っているのに対し、必要な強度を確保できればその分板厚を薄くできる、ということで歪みやすい躯体になったのでしょうか。インドネシアを含めて転属先がなかったという事実が何を物語るかです。
同様の問題が顕在化していたE217系はそれでも25年から30年は持ったわけで、インドネシアでの政治問題がなければインドネシアで第二の人生を送っていたはずでした。その意味では通常の車両とは全く逆のコンセプトで攻め切った209系は、過ぎたるは及ばざるがごとしのことわざを地で行ったわけで、しかしE231系以降の「決定版」に大きなデータを残しました。
せめてもの慰めは躯体を「決定版」使用で新製された500番台の存在でしょうね。103系のトラブル続出でE231系が確立する直前に在来車の延長線で登場したという仇花のような系列ですが、登場から四半世紀を経てまだまだ活躍しています。
773
:
トロッピー
:2025/05/28(水) 06:26:08
ロッテとヤクルトは奇しくも二軍がどちらも埼玉から転出するのが決まっていますが、施設老朽化の他に保護権の関係から埼玉にあるが故に主催試合が西武の許諾が必要という事情の解消もあるらしいとか。
同じ理由で日ハムもロッテの許諾が必要というのもあるようですが、同じ理由でプロモーションもそこまで大々的には行えないという聞いたことはあります。が、それを差し引いても首都圏のメリットはあるって判断なんでしょうね。
まあ他球団の一軍と被らずかつ首都圏という条件だとほぼ北関東だけですし‥‥
経路の見直しなどのような抜本改正に踏み込むかどうかは良くも悪くも運営体勢が変わった今こそやりどきな感じもしますが、どうなんでしょうね。
松戸は縁がほとんどなかったのでイメージもあまりありませんが、鎌ヶ谷や習志野はあまり“寄り道”のない路線設定のイメージがあります。ゆえにむしろ夏見線をバイパスに振り替えてみるとかはあってもよさそうな気もしますね。
ちなみに、バスのウエストは元のベイシティとトランジットを含む影響からかOLCの出資分があるようですが、一方でリゾートキャブを取り込んだタクシーのセントラルにはそれはないようです。
209以降今に至るまで続く走ルンですシリーズですが、元祖の209が順当に数を減らした一方で地方線区向けの形式(E127・701)は元祖に近いはずの構造ながらほとんど未だ健在ですが、機器更新こそしていてもやはりと言いますかガワは見事なまでのくたびれっぷりですね。
もっとも、悲惨なのは東急製より川崎製の方で、そもそもが姉妹形式であるりんかいの70-000は言うに及ばず、工法の同じ都交の6300もベコベコ具合は瓜二つです。
774
:
エル・アルコン
:2025/05/28(水) 20:44:13
ロッテは浦和から君津に移転しますが、日ハムの鎌ヶ谷を活用できないんですかね。
千葉県はロッテの保護地域とはいえ、球団1つだけでどうこうとはならないわけで、二軍球場としては知名度が高い鎌ヶ谷に相乗りすることで営業面でのプラスもあるでしょうに。逆に日ハムは首都圏のメリットを知り尽くしているわけで、他に例がない後楽園、東京ドームのダブルフランチャイズを長年守り続けましたよね。札幌というブルーオーシャンが確実になるまで。千葉で熱狂的な知名度があるロッテと組むことで、一軍並みの集客力を期待できるケースもあるでしょう。
その意味では二軍をコンテンツにするケースは増えていますよね。二軍を「独立」させるまでは難しいようで、TBS時代の横浜が失敗していますが、阪神が二軍の拠点球場を鳴尾浜から阪神大物駅すぐのSGLスタジアムに移転して集客力を意識した方向性を打ち出しています。(オリックスが完全に逃げたグリーンスタジアム神戸への移転案もありましたが、神戸市が相変わらずダメダメで尼崎市に持ってかれてます)
775
:
エル・アルコン
:2025/05/28(水) 20:44:51
旧船橋新京成バスの系統新設に対する鈍さが利用を減らしている面が強いです。船橋市の交通不便地域対応での路線をいくつか運行しているのに、そこから何も学んでいないですからね。路線の設定、運行とか、どうすれば流行ってどうしてはダメなのかデータが蓄積されているのに。過去四半世紀で「新規」といえるのは先般の豊富北経由くらいで、あとは入出庫兼用の高根公団駅-古和釜十字路くらい。廃止された深夜急行は珍しくアグレッシブでしたが。新鎌ヶ谷関係を一時期整備しましたが結局消えています。道路事情は確かに悪いですが、クルマも基本は同じ条件ですからね。抜け道すら満足に無いのが千葉県北西部ですから、バスだけが苦戦する理由はありません。
夏見バイパスを無視し続けるのもそうですし、豊富エリアの工夫がなく需要地を無視する直行ルートの存在とか、松が丘エリアから高根木戸、船橋方面への需要の切り捨てにしても44年前の東船橋駅開業時に船橋駅直通を全滅(激減)させたことの繰り返しです。習04と高01の直通化も全く考えていませんよね。北習志野駅をターミナルにすればこれまでバスに乗るという発想もなかったアートヒルのエリアに訴求するのに。船22を廃止して船23にした件も、回り込んで北習志野駅に出るのなら、新高根から高根公団駅に出たほうが需要があるでしょう。スーパーが2軒、徳洲会病院もあるし。
776
:
エル・アルコン
:2025/05/28(水) 20:45:32
E127系も新潟支社は総てE129系になってますよね。浜川崎支線組は周辺総てが4扉車なので早晩E131系化でしょう。一方トキめきの主力ですが、こちらもしな鉄のように置き換えが迫るんでしょう。しな鉄がE129系の自社バージョンですから、トキめきもE129系ならしな鉄も含めた相互乗り入れが視野に入ります。
長野支社は全車健在ですが、篠ノ井線と大糸線穂高以南は輸送力不足だし、211系同様減車のうえE231系の付属編成をメインに、大糸線北部はE129系でしょうか。総てE129系で4連も投入すればベストですが、インドネシアの中古禁止からE231系以降の転用先確保が必須ですから。中央東線や高崎地区の211系置き換えだけでは相当数の余剰が出ます。205系だけで800両の受け皿だったインドネシアというマーケットが消えたのは痛すぎます。
701系もそろそろ、という車齢ですが、仙台地区のE721系が広まりませんね。標準軌用もあるわけですが、719系というもっと古参もいますから。E721系をE235系世代にアップデートした新系列車を考えているのか、あるいは奥羽線のような気動車化を検討していて置き換え計画がまとまらないのか。電車走行を削減して、電路系のコストをJR貨物により多く持たせようとしているかもしれませんね。これでJR貨物が対抗してDF200牽引を持ち出したら笑えますけどね。
躯体の歪みは川車(当時は川重)の2シートに有意に発生していた感じがありますね。見えない妻面にビートを入れて強度を確保とかしてましたが、換気問題による側窓の開閉式改造も強度確保(側板の撓み)に影響している気がします。
この工法が他社に波及せず、当の川車も工法を変えていますからね。これと日立Aトレインの側扉脇の握り棒のデザイン変更(掴めない→掴めるへの変更)は「行き過ぎ」の典型例です。
777
:
トロッピー
:2025/05/29(木) 10:34:12
あと鎌ヶ谷は鎌ヶ谷でアクセスの貧弱さ(コルトン→ガナーズの規格の貧弱さもさることながら、Fsの系統記号を設定したりポールに装飾したりしてタイアップのある割に京成がやる気ない)も課題はありそうです。
そもそも新京成以外の京成系も路線の大再編のイメージがあまりないのですが、まあトップをすげかえたり、再編後の営業所間で中間の背広組をガラポンしたりしたところでその辺が変わる可能性は低いんでしょうね。
地方向けのストレート車体世代の大半は川崎2シート車体が比率的に高かった気がしますが、一方で房総に209を寄せ集めた時に優先的に弾いて淘汰されたのは初期の空気式ドアエンジン車で、次いで川崎製だったような。
まあそれで若返らせても東急製側も相応にへたってはきていますから、E131化されない区間用もE231か何かを回すのでしょうけども、どうなんでしょうね。ワンマン区間拡大でE131化の線もありますが、最大でも6連までという制約があり、減車も懸念されます。
そういえばこれはJRに限らず気動車全体の問題ですが、建機類ですらある程度の規制があるとされているのに、気動車はエンジンにはまったくないそうで、カミンズは本国では型落ち、コマツのもKL-相当程度らしいですね。
778
:
トロッピー
:2025/05/29(木) 17:49:42
今月からの新ご当地ナンバーで江戸川がありますが、これに稲毛出身の某タレントが苦言を呈したところから始まって、やれ分断だのどうのと飛躍した評論というかコラムがありましたが、まあ実態は船橋市川と同期の江東葛飾への便乗でしょう。
くだんのコラムに対するコメントでは江戸川は歴史的には足立より葛飾だからというのがありましたが、そこまで深く考えているのは区サイドにはいない気がします。
船橋はいわゆる習志野原だから陸運局が船橋市習志野にあって習志野、というのがが釈然としない、のとは似て非なる感覚と思われますし、「歴史的葛飾」が理由であれば葛飾ができる時に相乗りしそうですし。
文中で触れられていた「足立のイメージが悪い」は確かにありそうですが。習志野はナンバーのイメージこそよくなくても習志野原に含まれる地域全体のイメージまでも悪いとまではいきませんが、足立は正直どちらもよくないですから。
なお文中では残される墨田・台東・荒川について「機運がない」とのことでしたが、少なくとも墨田についてはQ&Aにて「登録台数が足りない」と回答しており、これについても決して機運がないわけではないとツッコミがありました。
外部反応には「3区で『隅田川』でいいんじゃないか」という趣旨のものもありましたね。
779
:
リリカルゆかりん
:2025/05/30(金) 12:17:12
アクセス規制に巻き込まれ少し乗り遅れてしまいましたGWに宇都宮のイベントに参加しその際にLRTの状況も観察してきました。
3日の3622Eラピッドで向かい、新幹線が軒並み満席の連休初日朝とあってはこちらから溢れた行楽客が流れ込んで混雑するかと予想を立て
04年春、本当の意味での東武快速が健在だった最後のGWに鬼怒川に行った際は
特急が当然満席でしたので快速を利用しましたが浅草で満席、北千住乗車組は全く着席できず人いきれを延々と下今市まで載せていったと記憶しており
ラピッドがどのような状況か、600ポイントで買えるロザを奢ろうか迷いましたが混んでいても
後続の普通は空いているだろうという可能性に賭けました。
千葉方面から通算扱なら迷わずロザにするところでJREポイント交換に限っては乗り換え1回に限り可としてくれればと思います。
賭け自体は的中で東京では1ボックスを占拠でき、上野での動きが少ないことに衝撃を受けましたが赤羽と大宮で大量の乗車があり立客も相当数出ます。
しかし久喜で追い抜いた1530Eはガラガラであり宇都宮で12分差でしかないので結局は快速への狙い乗車が多かったのか、
そうであれば鉄道利用の行楽需要も高が知れていると感じます。
ただし宇都宮での日光線接続は時間が短く駅のアナウンスが催促し走る客も20人程度、東武特急が満席であれば
立席利用は不可なのでないのと同じであり、東武快速亡き今その場合はJR日光線利用が東武一般列車に勝りますので
そうした利用はあるのか、しかしそうであるとすれば20人はあまりに寂しい数字です。
イベントの時間まで余裕があるのでLRT乗り場に行きますと丁度グリーンスタジアム行の臨時快速が出るところ、
せっかくなので快速を体験してみようと衝動乗りします。乗り場係員が快速であることをしつこく連呼していますが、
見送る客は少なく停車駅が認識されすっかり根付いたのか。座席が7割程度埋まる乗車率で出発、スピードは遅く停留所をゆっくり通過していくのでやはり軌道では急行運転の速達性は限定的と感じます。過去に急行運転が行われた例は多くありますがいずれも速達サービスではなく運航効率化を目的とした混雑時の一部停留所休止というのが適切です。
ベルモールの開店時刻に当たることもあり半数弱が下車し残りは部活動の大会があるグリーンスタジアムまでの乗車が大半で快速運転そのものや停車駅は理に適っていますがLRTは遅いと感じさせない心理的な効果はあるにしてもスピードはもう少し頑張りが欲しいと感じます。一方で帰途の普通便は運賃やフリークエンシーといった面で地方都市での公共交通では及第点以上といえるため、
短区間の利用も多くすっかり根付いた感じであり、同様に信用乗車方式も定着しています。
現金払い客は一定数いて停留場に乗車証明書発行機が置かれていました(宇都宮駅にはありませんが、ここからであれば最高運賃なので不要という始発地で整理券を発行しないバスと同じ考え方でしょうか)
ただ運転士の負荷軽減を考えるのであれば証明書ではなく紙の乗車券の券売機を設置して正しい区間を買うかは信用乗車としてもよいと感じます。
帰途はイベント会場のオリオンスクエア至近である東武駅から東武で行きましたが
株主優待券1枚で船橋まで行ける利点はあるもののやはり時間がかかりすぎます。リバティ編成を活用して昔の国鉄に多かった
多層建て特急を運転してくれたら宇都宮〜船橋の特急などが実現しそうですが難しいでしょうか。
さすがに宇都宮から千葉県内への利用は多くないでしょうが、宇都宮発の浅草編成と日光発の船橋編成、それに田島発の浅草編成を
栃木だけ9連対応にできれば可能であり、あとは車内で座席移動して特急料金通算ルールをと妄想してしまいました。
780
:
エル・アルコン
:2025/05/30(金) 20:19:10
ご当地ナンバーは百害あって一利なし、即刻廃止すべき愚かな施策です。記載事項や体裁を微修正して、新デザインに変更のうえ再交付という洗い替え、棚卸をすればいいんですよ。地名部分は都道府県のみ47種類。陸運局も都道府県名です。
種別分類は3桁あれば払出時の枯渇はありえません。デザインはシンプル。見栄えが悪い、恥ずかしいからと言って軽が黄色は嫌というようなわがままは徹底排除です。記念ナンバーやご当地ナンバーで黄色に加え、業務用の緑ナンバーもわかりづらくなっており、IDという本来の目的損なう愚行の果ての状態です。
国民サイドとしても、事故などの目撃情報が不正確になるリスクがあるわけです。お絵描き状態でナンバーが見づらい、細分化された地名も土地勘がないと記憶に残りません。都道府県ならさすがに認識率は上がりますから。
枠で黄色や緑を表わして、というようですが、そこを発行時期のサインとし、一定年数が経過したら同じ番号を払い出せる、あるいは洗い替え、棚卸を行う基準として、天ぷらナンバーに代表される不正を防ぎます。
これも登録時にマイナンバーを使えば自動ですからね。居住と無関係の「本籍地」を排除し住所情報は住民票住所に一本化すれば、課税情報もそうですし、一部課税情報にもなる自動車の所有情報(兼自動車諸税の請求情報)も連動します。
軽自動車、原付などの制度も統一させていく必要亜があります。特に原付はなんで基礎自治体に任せているのか。登録自治体内でしか運転不可ならまだしも。国家レベルでの登録が必須です。ここをしっかりすることで電動キックボードなどいかがわしい乗り物の管理や規制も徹底できます。
781
:
エル・アルコン
:2025/05/30(金) 20:19:52
ファイターズタウンはアクセスルートの分散でしょうね。
京成的には嫌でしょうが東武鎌ヶ谷がメインで、渋滞を考えると北総大町。あとはJR市川大野、船橋法典ですね。
距離は長くなりますが、東葉海老川新駅から現医療センター、運動公園、啓明高校、桐畑経由も考えられます。
主要駅アクセスはガナーズや木下街道が絡むので、定時性の問題もあり難しいでしょうね。
北初富から新鎌ヶ谷というルートが各社丸く収まるし分かりやすさという意味でもいいんですが、北初富の十字路がどうしようもないですからね。東武鎌ヶ谷ルートを新鎌ヶ谷まで持っていく手もありますが、船取線が厳しいです。
「走ルンです」は状態のいい車両だけ、という結果なんですね。E217系も2シート工法車を中心にベコベコ組がありましたから、400両弱の輸出予定だった数字も実はフルだったんでしょう。赤道直下での第二の人生を見たかったですけどね。
エリア関係では東葉1000系の輸出話で商社が現地政府との間で贈収賄のスキャンダルを起こしてしまい、一部を除き不調に終わっていますが
782
:
エル・アルコン
:2025/05/30(金) 20:20:54
五香たかねが復活します。
従来からの中山ゆかりとコラボが発表されています。公式に「京成電鉄の制服に着替えた五香たかね」とあり、新規採用扱いなのか転籍なのか、いずれにしても復活です。
五香たかねは五香駅勤務という設定ですね。由来に五香のほか高根公団と高根木戸としており、高根木戸のみならず高根公団にも復活、進出するのか。実家が鎌ヶ谷の梨農家で鎌ヶ谷大仏に慣れ親しんでいる、という設定はなんとなくあるあるですが、駅員が極小化しているなかでの駅務掛の設定はだんだん厳しくなりそう。
神戸市に引き取られた旧北神急行の北神弓子などに次いでの「移籍」ですが、南海泉北線は「せんぼくん」は継続したものの、鉄道むすめの和泉こうみはどうなっているんでしょうね。鉄道むすめの公式では五香たかねが京成電鉄として京成の制服で出ていますが、和泉こうみは泉北高速鉄道として出ていて、注釈で4月から南海泉北線、この制服は現在ありません、となっており、過去の人扱いですから。
783
:
トロッピー
:2025/05/30(金) 23:33:27
地域名がどうのこうの、という視点であればそもそもそれすら全部番号にするというのも手ではありますね。いっそ平仮名すらなくし国際用との一本化でもよさそうですが。
抵触対策であればそもそもの制度を車両に対する紐付けから所有者に対する紐付け(乗り換えであれば番号を継承)に変えるという手もありじゃないかとは思います。
そもそも軽が分類上5(乗用)や4(貨物)に内包されているのがおかしいわけで、三輪用でなくした時点で7(乗用)や6(貨物)を軽用にしていればそもそも色で区別する必要すらなかったはずです。
さらにいえば軽四の高速料金を二輪相当に優遇しているのも正直意味不明です。例の色問題では高速の料金所が区別しにくいからとクレーム入れた結果枠がついたとも言われていますが、その必要がなくなればいいわけで。
784
:
トロッピー
:2025/05/31(土) 01:36:07
新京成のキャラは元から合併前の段階で「現行の制服では」と言われていたので、絵師サイドによるティザーもありましたが、無事公式発表されて引き継ぎが確定した格好です。
元からの京成のキャラも当初は駅員だった気がしますが、いつのまにか運転士になってますね。
いずれ北総を、となれば前に詰めて元新京成を車掌に上げて北総のを京成の駅員にする、とかでしょうね。
旧泉北の方もいずれは引き継がれて出てくるとは思いますが、まあ旧新京成のと違って事前にどうするとも出てはなかったはずですから、さてどうなるか。
ちなみに車体色が初っ端から変えられた旧新京成と社名表記を変えてとりあえずそのままな旧泉北という対比のされ方もされることもありますが、単に検査と被ったかそうでないかってところでしょうね。
駅名標では新京成のような過渡期仕様すらなかったわけで、検査周期がくればあっさり色が変わるのはおそらく一緒でしょう。もっとも、元新京成もそうですが、効率化を図れば所要編成数は減らせるそうですが。
ところで、鉄道むすめは変わったところでNewDaysの販売員のキャラがいたりもしますが、運営元が再編された今も旧社名表記かつオレンジ色の旧制服のまま変わってない、なんてのもありますね。
785
:
エル・アルコン
:2025/06/01(日) 11:33:37
結局「(小)旅行」という概念すら消えつつあるかもしれません。本来はそういう「クセ」をつけるように誘発してそれを維持する努力が必要ですが、交通事業者、そして観光地にもそういう「汗をかく」習慣がなくなっています。富裕層やインバウンドというわかりやすくまとまった支払いをする客を向いた商売に慣れてしまったんでしょうね。
東武の「リバティ」の活用も野田線(柏、船橋方面)に「日光・鬼怒川は遠くないよ」という誘発をする気がないんでしょう。文字通り機械的なんでしょうが、券売機で西若松まで買える、運賃案内に出ている、という「売り込み」に魂が入っていません。まあエコノミー派は栗橋乗り換えなんでしょう。そして朝の2本の急行で十分と。栗橋からだと1時間ちょっとですから通勤車でも気にしないと。どうせ車窓など見ないでブラインド降ろしてスマホとにらめっこですし。
宇都宮のLRTは輸送力増強を本気で考えるべきでしょう。設備の改装が大変ですが、ワンサイズアップの5車体連接車の導入とか。あとは質実剛健として食パンタイプのデザインにしてキャパを少しでも増やすとか。HRTでも成立し得たレベルですから。そういう意味では金沢の北鉄両線の接続話も、やるならLRTでの直通ではなくHRTでの「地下鉄」です。
**
786
:
エル・アルコン
:2025/06/01(日) 11:45:21
ナンバーを全部数字にするとIDとしての視認性が著しく低下します。今のメイン4桁はよくできていますし、地名との組み合わせがわかりやすい地名ということで機能すれば覚えやすいです。6〜8桁の数字よりも2〜4文字の地名に4桁の数字のほうが記憶に残ります。都道府県に収斂させるチャンスだった際に、希望ナンバー制というご当地ナンバーに先立つ愚行を導入していますが、これにより本来は同時期に払い出されることが少ない同じ4桁番号が氾濫するというIDとしては致命的な事態になっています。五輪など国際イベントで投入されるバスや公用車にイベント開催の西暦が同じ4桁ナンバーで付けられていますが、好意的にメディアも報じていますね。愚かしいことこの上ありません。
そうした視認性の一つが「色」であり、運送における資格問題となる二種免許を示す緑ナンバーとともに、通行料金のみならず、税金や車庫証明などの法律上の区分(あと安全基準も)がある「軽自動車」というジャンルを残すのであれば、黄色ナンバーで区分することは合理的です。なお百の位は希望ナンバー制がなければ問題なかったのですが、普通乗用車に5と7のほか、6を充当すればまず枯渇は無いでしょう。
787
:
エル・アルコン
:2025/06/01(日) 11:52:48
京成は運転士と車掌でコンビを組みようですから、ここで男性キャラ(三陸鉄道の「鉄道ダンシ」みたいなシリーズ)があれば、いろいろと話が膨らませて話題を作れますけどね。
ところでこのシリーズ、京阪以外の関西私鉄がないですね。東京の企業だからといういけずじゃないとは思いますが。
まあ関西でも京阪は「現物」での「おけいはん」という隠し玉がありますから別格ですが。
788
:
エル・アルコン
:2025/06/03(火) 20:59:54
船橋市を「住みたい街」上位と持ち上げておいてインフラが貧困と叩き落す記事がありましたが、まあ話半分ですね。
そもそも上位になった理由が割安というお得感に過ぎず、それこそインフラや各種環境を理由とした選択ではありません。
戸建てが三咲駅徒歩15分圏内で4LDK2890万円というのは船橋でも安いほうですが、現状は記事が指摘するような弊害もあり、「安かろう・・・」が否めません。
道路インフラの貧困はその通りですし、バスの問題は道路事情以外は結局(旧)船橋新京成のやる気に帰結しますよね。ただ船橋市も知恵を出すこともなく現状追認です。
一方医療インフラについては、市内の医師がほかの6割と言いますが、周辺を見たら広域で競合する医療施設を誘致して共倒れになるくらいなら、というところでしょう。「市内」は医療センターとセコメディックくらいですが、セコメディックを含めて北総線沿線に大きな医療施設が並んでいるわけで、市外も含めたインフラで見るべきでしょう。
なお船橋市は今後、8階建て以上のマンションの多くを既存不適格にしてしまったツケを払うことになります。
誰かがスピンアウトしないと成立しない建て替えがそもそも可能かどうか。増床で負担軽減どころか、既存住民全員分の個数が確保できませんから。築年数が経過するとリセールバリューにも影響しますからね。都心回帰は止まらないなかで真っ当な買い手がつくのか。割安だけが取り柄では住民の質が悪化して急速なスラム化が不可避です。
高度成長期の公団住宅も建て替えではなく補修でお茶を濁しており、これらも築60年前後であり将来はどうなるのか。
その直後の世代になるミニ開発の住宅群も今後は「負動産」ですし。その意味では賃貸で住むにはいい街ですが、資産としては微妙な街です。
789
:
エル・アルコン
:2025/06/03(火) 21:00:49
今夏も青春18は「夏の乗り放題」ですね。機械的な期間設定ではなく利用開始を7月19日(土)にして3連休をカバーするようにしたのはいいんですが、終了日を1日繰り上げて9月9日(火)までというのも何という杓子定規か。9月の平日1日でどれだけ使われるかくらいわかりそうなものですけどね。週末に絡む利用という意味では、7月18日(金)から9月8日(月)としたほうが同じ日数でも使い勝手が飛躍的に上がったんですが。
こうしてみると北東パスが俄然輝くわけで、7月1日から9月30日までで、青い森、IGR、北越急行にも乗れて、新青森-新函館北斗間は特定特急券を別購入で利用可能と、青春18が連続有効になったことで同じ方面で使い終わるケースが多くなることを考えると、3日間10000円の青春18と7日間11530円の北東パスはバグを起こしている感じです。
7日間だと週末2回は不可能ですが、お盆期間など休日が多い時期、あるいは有休取得を前提にしたら、2日間を2回という使い方でもいいわけで(間の3日間は初乗りでも使えばその分得になる)、旧青春18を4日分使うのと比較しても2000円も差がない(しかも一部三セクや北海道新幹線ワープでお釣りがくる)という結果になります。
JRCですら「乗り鉄☆たびきっぷ」があるというのに、ポイントでお得というまやかししかできないJRWは全く食指が動きません。まあ万博協賛で関西圏の期間限定商品には見るべきものがありますが、ICOCA還元型などデジタルチケットが多く、また山陰方面のようにインバウンドには大幅割引かつ広域フリーなのに、日本人にはエリアは狭く普通列車のみとふざけた対応が露骨です。
790
:
エル・アルコン
:2025/06/03(火) 21:01:22
東京BRTのデジタルチケットの案内で、国内外のオンラインエージェント向け、というところに「OTA向け」とあります。もちろんOnline Travel Agentの略ですが、「国内外オタ向け」に見えてしまいます(爆)
791
:
トロッピー
:2025/06/03(火) 21:34:04
海外渡航用とも言われる国際ナンバーだと地名が当然アルファベット(千葉絡みだと習志野がCBN、船橋がCBFなど、都道府県2文字+地域名1文字)だったりしますが、まあ現状維持にしろ都道府県に整理するにしろ漢字や平仮名の代わりにアルファベット化はありじゃないか感はありますがね。
現状金属板ですが、ICタグか何かを仕込んだプラスチック板とかに移行すれば封印を廃することもできそうですが。もっとも封印が不正対策という割に登録車でもネジのうち一本だけですし、軽や二輪にははなからありませんから、新たに設定するよりはなくても防犯が成り立つようにした方が得策でしょう。
軽というジャンルはメーカー的には売れ筋でしょうが、世界的にはガラパゴスの典型例でもあり、将来的にはなくなるべきジャンルです。原付一種が二種の出力を抑制させたものに変わりましたが、境目やかかる規制含め原付全般に見直しは必要でしょう。
軽四ですら統一的な基準がある番号の付け方ですが、原付類は桁数も四桁以外に五桁や三桁があったり、平仮名に至っては自治体ごとに互換性すらない有り様です。
その辺の是正含め、陸運局に一本化は賛成です。ついでに以前移行を断念したと言われる寸法比1:5の「欧板」は希望者に払い出していいとは思いますが。
792
:
八千代台民
:2025/06/03(火) 21:51:21
ららぽーとが北館の一部が秋に建て替え完了、手前のビビットもららぽーとの仲間入りするようです。
さらに渋滞がひどくなりそうです。競馬場工事のときに道路拡張して欲しかった。
ららアリーナ、競馬場もあるのに船橋競馬場駅前やバス乗り場も
昔のままですね。京成や船橋市も整備する気はないでしょうけど、駅からの歩道も広くないですし連休中とか歩きづらいです。
793
:
トロッピー
:2025/06/03(火) 22:52:46
>>791
を書いてて思い出しましたが、以前原付二種に国際ナンバーもつけた個体に遭遇したことがありまして、見たら「CBN」(習志野)と数字だけ、といった感じでした。遭遇したのは首都圏どころか関東ですらありませんでしたが。
船橋は医療センターとセコメディック以外にも北習志野の花輪とか、高根公団の徳洲会、新船橋の船橋総合、海神の船橋中央と総合病院はそれなりにあるイメージですが、逆に中小のクリニックに乏しいような印象です。
まあリストか何かで見た時に一応それなりにあるにはあった気もしますが、一方で街中で見る印象もないです。単に目立たないだけかもですが。
794
:
エル・アルコン
:2025/06/04(水) 20:45:01
スカイライナーに関する記事が出てましたが、宗吾の増設がSL9連化対応とあるそうで、まさかの9連化のようです。
ただ中間駅、特に出発信号機がある駅が9連に対応しているかですね。そう考えると対応はSA線経由に限定し、本線経由のイブモニは「押上特急」で対応でしょうか。本当は6+3でイブモニにも対応、また需要が多くない時間は6連というフレキシビリティが欲しいですが。
「押上特急」は都交乗り入れは考えていないとありましたが、まあ「公式回答」でしょう。
ただ差別化が難しいわけで、湯川以遠の複線化が実現すれば今でもアク特の最速は50分ですから同等の所要でしょう。SLでも40分程度。「押上特急」は160㎞運転をしないという話であれば特急料金を取るに足る差がつくのか。スーツケース対応やアコモ重視の「指定席」に過ぎない存在になってしまうでしょうね。SLを全部日暮里-2ビルを基本無停車にして「押上特急」が中間駅対応というのが美しい姿ですが、中間駅需要を拾うとなると日医大と湯川くらいしか差がつけられません。東松戸の武蔵野線乗り換えは無視できませんし、CNT中央も需要の発地としてあるでしょう。その意味では「一部指定席」がベストにも見えるんですけどね。
795
:
エル・アルコン
:2025/06/04(水) 20:45:45
国際ナンバーですか。日本で見ないので恥ずかしながら知りませんでした。地名とひらがながアルファベット化ということですが、ナンバーが自作(私製)とあるのは本当なんでしょうか。国際免許証は免許センターで発行されるように公的機関が発行するんじゃないんでしょうか。先方の国で走行するのですから私製はあり得ないと思うんですが。
ひらがなをアルファベット1〜2字というのは発生時に共通しますからいいんですが、地名が判じ物ですね。これこそ都道府県47種類に統一すれば2文字でこなせるはずなのに、3文字の存在とかカオスです。ここが2文字なら国内もアルファベット化がわかりやすく可能になるんですけどね。
まあ地名やひらがなは残してもいいでしょう。中国では漢字一文字で省か直轄地を示しますが、ダブりが発生しないように古来の地方名を使うケースもあります。日本では都道府県名のほうがわかりやすいですが、中国だとその一文字で誰もがわかる、ということも多いため、そっちになってるんでしょうね。(上海市は「沪」。北京-上海の鉄道は京沪線、京沪高速鉄道となる)日本でも旧国名を活用してダブりを解消すれば1文字化も可能でしょう。(福島福井福岡のダブりは福井が「越」、福岡が「博」とか)
796
:
エル・アルコン
:2025/06/04(水) 20:46:15
ららぽーと界隈は交通を考えずに話を進めたんでしょうね。競馬場用地もまず若松の左折レーン設置と右折レーン2車線化とか抜本的対応につながるのですが申し訳程度の左折レーンだけです。西行きの浜町2丁目右折レーン(ららぽへの右折)も本線まで伸びるクルマで本線が塞がり、若松南北方向に影響とひどいです。
船橋競馬場駅も旧駅を利用したバス乗り場をもう少し改修できないのか。というか、それこそポーアイじゃないですが動く歩道を整備できないか。京葉道交差部が面倒ですが。あるいは若松の処理能力を極大化して(南北方向のアンダー設置や右左折レーンの拡張)、船橋競馬場駅から浜町2丁目を経て湾岸道路南側までの区間でLRTかBRTを設置して大量輸送を図る。
沿道施設の協賛で無料運行として水平エレベーターにすればいいんですよ。無料なら少し歩いても文句は出ないでしょう。
797
:
トロッピー
:2025/06/05(木) 01:53:28
国際ナンバーの自作例は定かではありませんが、JAFに頼むと一時渡航用の書類とともに入手可能らしいですね。
(基本は国内用と同じ2:3サイズですが、欧州用と同じと思しき1:5サイズの例もあるにはあるようですが、これがそこから入手できるものなのかは不明です)
ただ、米韓は一時渡航であれば国内用での乗り入れが相互に可能だとかで、韓国のハングル入りナンバーがそのまま走っているのを見たことがあります。
韓国は地域対立が尋常じゃないとかで事業用登録以外から地域表示が消えたナンバーだったりしますが。
なお韓国は1:5サイズへの移行をしましたが、主にそれがはまらない車両向けには従来サイズのものを払い出しているそうです。
中国のは本土がほぼ全土で似たシステムのようですが、意外と省ごとに細かい違いがあるらしいですね。
あとは香港とマカオはイギリスとポルトガル準拠の別システムで、越境には越境先のナンバーも必要と複雑なようです。
798
:
トロッピー
:2025/06/05(木) 02:06:16
そういえば、旧新京成バスのバスロケサイトの時刻表として西船橋駅が入っており、鎌ヶ谷大仏行きが選択可能になっているのが白井車庫ないし白井線移管のフラグではないかと話題になっているようです。
同じく廃止されたはずの八千代緑が丘駅も検索すると出てくるので廃止された深夜急行の残滓かとも思ったのですが、こちらは津田沼駅しか候補がないので残滓よりは神崎線の区間便か八千代緑が丘以南の持ち替えの線もあるかもですが。
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