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習志野原の掲示板2022-2
329
:
エル・アルコン
:2024/10/29(火) 19:37:15
京成のイフとしては、千葉方面へのルートを行徳経由とした場合でしょうかね。帝釈天をにらんで高砂経由は官道としての佐倉道と重なりますが、何とも遠回りということで、江戸時代の成田詣のルートを踏まえて押上からいきなり東南に向かい、篠崎あたりで江戸川を渡ると。
総武鉄道に十分競争力のあるルートで開業、というアドバンテージと思いきや、1917年に発生した「大正6年の大津波」(高潮)で壊滅的な被害を受けて再起不能、という歴史になった可能性が強いです。高潮が市川駅の南口まで洗ったという大水害により、東葛人車軌道もとどめを刺されましたし、行徳塩田も壊滅しています。(その後再建するも1947年のカスリン台風では被害を免れたが1949年のキティ台風での高潮でとどめを刺され、1969年の東西線開通まで蓮田と若干の畑だった)
ただ鉄道は水害に対しては案外抵抗力があるようで、カスリン台風で利根川決壊により荒川、江戸川間を水没させた氾濫流に正対する格好の東武野田線、常磐線、京成線、総武線とも越流レベルで済んだようですが、大津波と形容される高潮だとどうだったか。
もっとも明治末の段階で荒川放水路計画があり、大正年間には江戸川放水路の計画が具体化していたはずで(1919年竣工)、両放水路の建設がまともに影響する行徳ルートはさすがになかったでしょう。史実では荒川放水路だけは不可避でしたが、ルートを若干変更して架橋しています。
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