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1 : 掲示板が新しくなりました。(163) / 2 : 感想など何でも掲示板(316)
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1 掲示板が新しくなりました。 (Res:163)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1佐藤 公則 :2022/08/01(月) 22:51:36
今日、8月1日より掲示板が新しくなりました。
これまでの書き込みをすべて持ち込んでの移動です。
少し勝手が違いますが、ご容赦願います。
不便をおかけしますが、今後もよろしくお願いします。

157nishiyan :2025/06/04(水) 11:44:28
https://i.postimg.cc/gkQCMLTB/mizusi015.jpg


水詩(みずし)  #15
 
地面に杖を差さない
神の言葉にすがらない
今や水はどこにでも流れ出す
(ほらネット空間にも流れている)
 
註.画像は、ネットの水のフリー素材より。


158佐藤公則 :2025/06/04(水) 16:51:05
nishiyanさんへ

 「水詩(みずし)#15」の投稿ありがとうございます。
 東北宮城は今日からグンと気温が上がりそうです。お互いに気をつけていきましょう。
 それから、野球の長嶋茂雄さんが亡くなりましたね。子どもの頃はファンでした。当たり前のことですが、
 そういう人たちが次々と亡くなっていきますね。そんなに願ってもないですが、いつまでも健康でいましょう。


159nishiyan :2025/06/18(水) 21:20:34
 佐藤さんへ

佐藤さんの三木成夫らへのとまどいが何なのか、ぼくには興味深く思われたので、先のやりとりになりましたが、ぼくの一区切りとしてもう一回書いてみます。
 
ぼくの『吉本さんのおくりもの』の「20.ぜひこれだけは ―吉本さんの語った言葉から」に五十代の時の吉本さんの講演の質疑応答時の言葉を引用しています。引用の1.番目です。( ht★tps://ameblo.jp/okdream01/entry-12725622126.html ) この吉本さんの言葉に出会った時、ちょっと意外な印象を持ちました。いつもの論理的な吉本さんじゃないなあという印象でした。しかし、晩年の、お猿さんから分かれてきた時から人間をちゃんと捉えないと、ある人間的な問題を解く場合に間違うような気がするという吉本さんの言葉とも関連しているように、最近のぼくは思っています。人間は外界の変化に対応する柔軟性は持っていると思いますが、本質的な根っこの部分はあんまり変わらないのじゃないかと思っています。

そうは言っても、大ざっぱな理解ですが、生命体の発生から水棲段階へそして上陸して陸棲段階、そこからまた人間へと、途方もない時間の中で、大変動をいくつも潜り抜けてきています。そのことは原初の〈人間〉にも刻印されているはずですし、吉本さんの『母型論』によれば赤ちゃんが胎内生活での母からの刻印を受けてこの世界を歩き出すように、刻印された人間の道を歩いて行くのじゃないかなと、ぼくは漠然と思っています。その受けた刻印は、途方もない時間の中での生命体としての刻印と、人間になった以降の誕生時の刻印と二重に考えられるのじゃないかと思いますが、現在の段階では、後者(これがお猿さん以降に対応するのかなと見ています。)を主要なものと考えれば良さそうに思います。

そこで、人間の根っこの本質的な有り様を繰り込みながら、この世界の動向や自分の進路を見定めれるほかないのじゃないかと思っています。これと関連して、ぼくの人間認識の根幹のようなものを挙げてみると以下のようになります。


160nishiyan :2025/06/18(水) 21:21:57
1.人間は動植物と同じく自然に日々を生きるという、生の無意識性のようなものを持っているのではないかと思っています。
2.動植物と大きく違うのは、突き詰めて、内省する、頭で考える―感じ考え判断するようなことは動植物にもありそうに思いますが―ことばの人であるということだと思います。
3.人の大事なものは、心臓辺りにあった歴史の段階から、近代以降現在では脳に中心があるようになってきています。こうした状況は避けられないものだと考えています。もちろん、脳中心、脳化社会はさらに高度化していくと思いますが、脳と心との折り合いや調和の問題は、人類が生き延びている限り、人類史的な課題として何度か俎上にのるはずです。そうして、軌道修正などしながら進むだろうと考えています。そのことは、人間以前の大変動の経験とも連続性を持っているような気がします。
 
最初の吉本さんの言葉に戻ると、吉本さんの「人間とは、そういうものなんだよ、」や「つまり役に立たんことを、あるいは本当の意味で誰が聞いてくれるわけでもないし、誰がそれを信じてくれるわけでもないし、どこに同志がいるわけでもないし、だけど死ぬまでは一歩でも先へすすんでという、・・・・・・ものすごく人間は悲しいねえーという感じがぼくはしますね。人間とは、そういう存在じゃないんでしょうか。そういう存在じゃないんだろうかということが、親鸞に「唯信鈔文意」とか「自力他力事」とかを書き写しちゃ弟子たちに送るみたいなことをさせたモチーフじゃないでしょうか。それがぼくの理解です。」の言葉は、この世界での人間の有り様に深く触れているような気がします。つまり、わたしたちがそれぞれどう思いどう考えどう振る舞おうと自由だけど、それを超えたところでいわば〈関係の絶対性〉のようにわたしたち人間存在を深く規定しているものとして、人間はそうできている、という吉本さんの言葉はあるように思います。
 
もちろん、一方には人間がこの世界で生きる意味や目的というものを考えるような言葉も存在してきたし今も存在しているわけですが、それらはほんとうの有り様からすれば作り物めいているように思います。人はどんな考えを思いつくのも自由だし、実際そんな自由さからの考えや言葉も世の中にありふれています。しかし、人間本質の有り様を潜り抜けた言葉じゃないと、人類史レベルでのほんとうに生きている言葉にはなれないのじゃないかと思っています。
 
ぼくがよくわかっていない部分もあって、すっきりとしたわかりやすい文章になっていないと思いますが、取りあえずぼくの方からのひとつの締めくくりとしたいと思い書いてみました。
佐藤さんの更新と近況の「2025年6月12日」の最後の二段落は上に引用した吉本さんの言葉とも響き合うのではないかと思います。


161佐藤公則 :2025/06/19(木) 11:27:27
nishiyanさんへ

 丁寧にお話していただき、ありがとうございます。深い内容ですが、ぼくにも分かるような書き方をしてくださって助かります。
 一読しての反応ですが、やっぱり似たような所を考えていらっしゃるなあと思いました。
 今回のお話の2番目の2として、「ことばの人」というnishiyanさんの表現がありました。この表現をお借りして言えば、前にも述べたぼくの躊躇や停滞というものは、ことばを
信じる人か信じない人かの一点に尽きるという気がしました。自省的に言うと、いつもそこで立ち止まっちゃうなあと言う気がしています。
 信じるも何もすでに持っちゃっていますから、意味のない問いであり反省ですが、でも引っかかってしまいます。普通一般には信じるより仕方ないことでしょうし、ちょっとまあ
おかしなこだわりと言えばおかしなこだわりなのだと思います。でもなんか、疑問符です。
 たぶんこれは自分以外にはどうでもよい問題で、意味ない問題だと思います。ただ自分では、いつか自分の中で決着をつけなければいけない思っていて、手放せない問
題と言うようには考えているところです。
 こうした自分の考えの点でも刺激を受け取ることが出来るお話でした。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
 また何かのご意見やご指摘などいただければ幸いです。今日の所はこれで失礼いたします。


162nishiyan :2025/07/03(木) 11:46:04
https://i.postimg.cc/SQvz77HJ/mizusi0016.jpg


水詩(みずし)  #16
 
水は人の命に関わる切実さがあり
人の身の内も流れ巡っている
人世界で荷を解(ほど)いた水は
水の神 禊(みそ)ぎ 水に流す 水割り 水遊び・・・
 

註.画像は、ネットの水のフリー素材より。


163佐藤公則 :2025/07/03(木) 12:09:59
 「水詩(みずし) #16」の投稿ありがとうございます。

 今年は梅雨がないような天候で、一足飛びに夏が来ている感じです。
 蒸し暑くもあり、体温調整、こまめな水分補給など気をつけたいところです。
 nishiyanさんも今夏も乗り越えるべくご自愛ください。
 では、失礼いたします。


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2 感想など何でも掲示板 (Res:316)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1nishiyan :2022/03/24(木) 11:50:50
地震のお見舞い
https://note.com/iwanaminote/n/n7a78210a96cd



309佐藤公則 :2022/05/06(金) 09:32:46
Re: 土詩 #8
 「土詩 #8」の投稿ありがとうございます。

 昔吉本さんが四季派の詩人たちを批判する中で、最終的なところでは自然回帰、あるいは自然に逃げてしまうと言うような疑義を述べていました。これは安易な逃げ方だというニュアンスがあり、単純なわたしはそれはだめなんだと思い、遠ざかったという記憶があります。もっと違う言い方をすると、その時、「逃げるな」という吉本さんの声をわたしは聞いたと言うことだったと思います。
 最近、YouTubeで養老孟司さんの発言を聞いている中で、このごろの若者たちは人間関係に重く縛られていて、「自然」というもの、あるいは自然との関係がものすごく希薄だと言っていてとても印象的でした。つまり、それだと逃げ場がないよ、と言いたかったのだと思うのです。
 わたしは「逃げない」と言うことも大事にしたいし、同時に、どこにどんな風に逃げればよいかも考えておくことが必要で、「逃げる」ことも大事だなと考えてきました。
 人社会に疲れたら周縁の自然にちょっと後退して、そこから人社会を客観視してみる、そういう行き来が誰にでもあればいいよねと思います。

 nishiyanさんの畑仕事は、そうした意味からも貴重で羨ましく思えたりします。安藤昌益は万人に田畑を分配すべきと語っていましたが、自分たちの食い扶持はそれしかないとなれば、怠惰なわたしも必死にやるだろうなという気がします。

 ちょっととりとめもないことを書き流してしまいました。ゴールデンウィークの最中、遊び疲れで頭がぼーっとしているのでしょう。すみません、今日はこんなところで失礼します。
 よい作物の収穫となりますように。





310nishiyan :2022/06/11(土) 02:19:49
土詩 #9
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000303M.jpg

土詩 #9


遙か未来にんげんが
方舟に乗って地球を離脱するとき
土との別れが完了する

遙かな昔、水から上陸して
土になじんだように
今度は宇宙空間の何になじむのだろうか


(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


311佐藤 公則 :2022/06/20(月) 09:20:24
Re: 土詩 #9
 「土詩 #9」の投稿ありがとうございます。

 表現されている内容についてはわたしも何度も脳裏に浮かべ、また反芻してきたことだなあと共感します。ただ最近は未来については予測ができないのであまり考えないし、どこかで思考停止させてしまいます。近未来ということだと現在と同じで、とにかく地球環境をロケットの機内やウエアー内に持ち込んで、それで当分やっていくことになるんだと思いますが。ただ先の脊椎動物の上陸に関しては、気の遠くなるほどの命の犠牲の上に成り立ったものだろうと思われますので、そう思うと本格的な宇宙進出というものは絶体絶命のピンチがない限りあり得ないかなという気もします。そこまではとりあえずのお遊びで、やはり地球環境を身にまとっての遊覧飛行にとどまるんだろうな、と。可能性はなくはないけど、宇宙人になりきるのは遥か先のことではないでしょうか。分からないですね。

 仙台近郊ということになりますが、このあたりでも最近は畑を借りて野菜作りをする、たぶん定年退職後の人たちが増えています。送迎車を走らせている間のちょっと見だけですが、たぶん指導してくれる人がいて、葉物、緑黄野菜が見事なできばえです。いつも車が4,5台止まっていますから、畑を何区画かにわけて貸し出しているものでしょう。寄り合って、互いに意見交換したり、教えてくれる人の話を聞いたりしながら進めてでもいるのだろうと思います。また互いに褒め合ったりしながらということもありましょう。それはそれでよい年の送りかたかなと感じます。ちょっと羨ましくもあります。
 nishiyanさんも手間暇かけて世話することはたいへんでしょうが、その分よい収穫期を迎えての喜びも大きいのでしょう。そんな収穫ができますように、遠い地からですが祈っております。では、今日はこの辺で失礼します。

 




312nishiyan :2022/07/06(水) 13:45:50
土詩 #10
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000305M.jpg

土詩 #10

稀薄な大気の遠出をしても
必ず帰ってくる
このしっとりみどり匂う手すり



※佐藤さんへ
前回のことにコメントしますと、普通の人間的な時間スケールを超えた超未来について考えることは、空想的にならざるを得ませんし、通常の生活時間からはほとんど無意味ですが、人の思考はそこまで行ってしまうことがありますね。これは逆行させれば、人が人以前であった陸棲や水棲の時期の像を尋ねることと対応しているように思われます。





313佐藤 公則 :2022/07/07(木) 08:55:12
Re: 土詩 #10
 「土詩 #10」の投稿、ありがとうございます。

 コメントの方へのコメントということで言えば、仰っていることの意味はよく分かります。そしてその通りだろうなと思います。ただ命を落としかねない上陸の動機、きっかけってどういうものだったのか。実際に想像を超える犠牲を伴いながらのそれだったのでしょうから、もう上陸するしかないという衝迫はどこにあったのかと考えてしまいます。そして現在の人間世界および地球環境において、その兆候はどこに想定できるんだろうか。それがぼくにはまだちょっとよく分からないというところなんです。

 「土詩」では、どこまでも遠出することが出来る意識と、身体感覚が捉える近場との対比が謳われていると読みました。また、詩の中では意識の働きと感覚の働きとは同じ比重で同等であるよという作者の声も聞こえるように感じました。これも、その通りなのだろうと思いますし、このことはよくよくわきまえておくべきであると教えられているようにも思います。

 さて、ブログの方ではスイカの写真も載せられていましたね。今年は出来がよかったとか。何よりです。
 このあたりでは山形県の尾花沢のスイカがブランドで、昔はよく車で売りに来ていました。あの頃は大きなものでも結構安かったように記憶しています。買ったスイカは井戸につるして冷やしてから食べてました。今はちょっと大きなものでもスーパーなどでは結構な値段がついています。

 ぼくの住まいは小規模な団地の中にありますが、団地だと夏の風物詩は壊滅してしまいましたね。ちょっと寂しくはあります。

 今日はこれで失礼します。nishiyanさんの活動からいつも刺激をもらってます。今後ともよろしくお願いします。





314nishiyan :2022/12/05(月) 20:45:33
https://i.postimg.cc/kGQ3Wrbt/tuchisi-15.jpg


土詩 #15
 
土の匂いがしてもしなくても
もうこの道を
進んで行くんだ(わかっているさ)


315nishiyan :2024/01/03(水) 13:35:17
https://i.postimg.cc/5N0mjmz8/tuchisi-28.jpg


土詩 #28

昔より土の中がだいぶん見える
ようになっても まだまだ
わからないことがあり 日々付き合う


佐藤さんへ

新年おめでとうございます。
今年もがんばってみましょうか。


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