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感想など何でも掲示板

1nishiyan:2022/03/24(木) 11:50:50
地震のお見舞い
https://note.com/iwanaminote/n/n7a78210a96cd



2佐藤公則:2022/03/27(日) 09:02:17
Re: 地震のお見舞い
 地震についてのお見舞い、ありがとうございます。
 家の中の小物類で少し棚から落下したものなどありましたが、被害と言うほどの被害はありませんでした。なんとか持ちこたえてるなあ、そんな感じです。
 ただ余震、あるいは他の小さな地震は何度もあって、そのたびにヒヤリと肝を冷やす連続です。一瞬ですが、たぶんトラウマになっているんでしょうね。
 またあの大きな地震が来たらどうする。来たら来た時のこと。そう割り切っています。そんなこと管理とか予防とか意味ないとぼくなんかは思っています。人間以外の生き物はすんなり受け入れて生きているように見えます。パニックになるのが普通だと思います。

 それから二つの文章の紹介も、ありがとうございます。さっそく読んでみました。面白かったし、また歴史的な背景などについては全くの無知なので、参考にもなりました。

 この歳になってまたこんな世界を見るとは思いもしませんでした。今後の展開は全く読めませんが、しかし、まあ、おたがいに健康に留意しながらしっかり生活していく、そういう中で考えていけるだけは考えていきましょうと言うことになるかと思います。では、お体を大切にお過ごしください。これで失礼します。



3nishiyan:2022/04/04(月) 20:53:06
土詩(つちし)  #7
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000299M.jpg

土詩 #7

人とこの大地があるかぎり
潜在しても
土は無数のネットワークに在り続ける


※ここのところ、地震続きでちょっと気になります。
花はいつものように咲いていますが、あれやこれやで、落ち着いた春ではないですね。
そろそろ畑仕事が忙しくなりそうです。



4佐藤公則:2022/04/09(土) 14:59:43
Re: 土詩(つちし)  #7
 投稿ありがとうございます。

 今日は久々に20度越えの暖かな陽気。こちら宮城でも桜の開花の声がちらほら。ついでにコロナや戦争の終結の声も届いてくれるとよいのですが。
 地震も列島のあちこちで起こってますね。神戸淡路の大震災まであまり気にかけていなかった気がしますが、以降、大地震が頻発して気にかかるようになってきました。島国日本の宿命でしょうか。考えることもいっそう混沌としてきて、何はともあれふだんの生活をよりいっそう大事に、一瞬一瞬を超えていきたいと感じています。

 わたしは今、放課後デイサービスで臨時の職員をしていて、ふだんから子どもたちの黄色い声を聞いています。そしていつも思い出すのは、梁塵秘抄の一節です。

  遊びをせんとや生まれけん
  戯(たはぶ)れせんとや生まれけん
  遊ぶ子どもの声聞けば
  我が身さえこそゆるがるれ

 まあ、この歳になっても揺らぎまくっています、と言うことです。



5nishiyan:2022/05/21(土) 09:51:51
土詩 #8
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000301M.jpg

土詩(つちし)  #8

作物や植物が土から離脱しても
ほら向こうの山々やそこの隙間に
みどり根付いてると思うよ



※佐藤さんへ

こちらは、まだ肌寒い日々が続いています。
今年のスイカの植え付けは済ませましたが、
初めの頃は水やりなどで忙しくなりそうです。




6佐藤公則:2022/05/06(金) 09:32:46
Re: 土詩 #8
 「土詩 #8」の投稿ありがとうございます。

 昔吉本さんが四季派の詩人たちを批判する中で、最終的なところでは自然回帰、あるいは自然に逃げてしまうと言うような疑義を述べていました。これは安易な逃げ方だというニュアンスがあり、単純なわたしはそれはだめなんだと思い、遠ざかったという記憶があります。もっと違う言い方をすると、その時、「逃げるな」という吉本さんの声をわたしは聞いたと言うことだったと思います。
 最近、YouTubeで養老孟司さんの発言を聞いている中で、このごろの若者たちは人間関係に重く縛られていて、「自然」というもの、あるいは自然との関係がものすごく希薄だと言っていてとても印象的でした。つまり、それだと逃げ場がないよ、と言いたかったのだと思うのです。
 わたしは「逃げない」と言うことも大事にしたいし、同時に、どこにどんな風に逃げればよいかも考えておくことが必要で、「逃げる」ことも大事だなと考えてきました。
 人社会に疲れたら周縁の自然にちょっと後退して、そこから人社会を客観視してみる、そういう行き来が誰にでもあればいいよねと思います。

 nishiyanさんの畑仕事は、そうした意味からも貴重で羨ましく思えたりします。安藤昌益は万人に田畑を分配すべきと語っていましたが、自分たちの食い扶持はそれしかないとなれば、怠惰なわたしも必死にやるだろうなという気がします。

 ちょっととりとめもないことを書き流してしまいました。ゴールデンウィークの最中、遊び疲れで頭がぼーっとしているのでしょう。すみません、今日はこんなところで失礼します。
 よい作物の収穫となりますように。




7nishiyan:2022/06/11(土) 02:19:49
土詩 #9
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000303M.jpg

土詩 #9


遙か未来にんげんが
方舟に乗って地球を離脱するとき
土との別れが完了する

遙かな昔、水から上陸して
土になじんだように
今度は宇宙空間の何になじむのだろうか


※佐藤さんへ
露地栽培は、天候次第(あとそれに伴う気温や害虫の発生状況など)で、作物の出来が決まるところがありますから、昔の人は雨はとても切実だったろうと感じられます。晴天続きも雨続きも困りものです。苗がまだ幼いときは水やりなどよく世話をしないといけません。というわけで、畑に忙しい毎日です。





8佐藤 公則:2022/06/20(月) 09:20:24
Re: 土詩 #9
 「土詩 #9」の投稿ありがとうございます。

 表現されている内容についてはわたしも何度も脳裏に浮かべ、また反芻してきたことだなあと共感します。ただ最近は未来については予測ができないのであまり考えないし、どこかで思考停止させてしまいます。近未来ということだと現在と同じで、とにかく地球環境をロケットの機内やウエアー内に持ち込んで、それで当分やっていくことになるんだと思いますが。ただ先の脊椎動物の上陸に関しては、気の遠くなるほどの命の犠牲の上に成り立ったものだろうと思われますので、そう思うと本格的な宇宙進出というものは絶体絶命のピンチがない限りあり得ないかなという気もします。そこまではとりあえずのお遊びで、やはり地球環境を身にまとっての遊覧飛行にとどまるんだろうな、と。可能性はなくはないけど、宇宙人になりきるのは遥か先のことではないでしょうか。分からないですね。

 仙台近郊ということになりますが、このあたりでも最近は畑を借りて野菜作りをする、たぶん定年退職後の人たちが増えています。送迎車を走らせている間のちょっと見だけですが、たぶん指導してくれる人がいて、葉物、緑黄野菜が見事なできばえです。いつも車が4,5台止まっていますから、畑を何区画かにわけて貸し出しているものでしょう。寄り合って、互いに意見交換したり、教えてくれる人の話を聞いたりしながら進めてでもいるのだろうと思います。また互いに褒め合ったりしながらということもありましょう。それはそれでよい年の送りかたかなと感じます。ちょっと羨ましくもあります。
 nishiyanさんも手間暇かけて世話することはたいへんでしょうが、その分よい収穫期を迎えての喜びも大きいのでしょう。そんな収穫ができますように、遠い地からですが祈っております。では、今日はこの辺で失礼します。

 



9nishiyan:2022/07/06(水) 13:45:50
土詩 #10
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000305M.jpg

土詩 #10

稀薄な大気の遠出をしても
必ず帰ってくる
このしっとりみどり匂う手すり



※佐藤さんへ
前回のことにコメントしますと、普通の人間的な時間スケールを超えた超未来について考えることは、空想的にならざるを得ませんし、通常の生活時間からはほとんど無意味ですが、人の思考はそこまで行ってしまうことがありますね。これは逆行させれば、人が人以前であった陸棲や水棲の時期の像を尋ねることと対応しているように思われます。




10佐藤 公則:2022/07/07(木) 08:55:12
Re: 土詩 #10
 「土詩 #10」の投稿、ありがとうございます。

 コメントの方へのコメントということで言えば、仰っていることの意味はよく分かります。そしてその通りだろうなと思います。ただ命を落としかねない上陸の動機、きっかけってどういうものだったのか。実際に想像を超える犠牲を伴いながらのそれだったのでしょうから、もう上陸するしかないという衝迫はどこにあったのかと考えてしまいます。そして現在の人間世界および地球環境において、その兆候はどこに想定できるんだろうか。それがぼくにはまだちょっとよく分からないというところなんです。

 「土詩」では、どこまでも遠出することが出来る意識と、身体感覚が捉える近場との対比が謳われていると読みました。また、詩の中では意識の働きと感覚の働きとは同じ比重で同等であるよという作者の声も聞こえるように感じました。これも、その通りなのだろうと思いますし、このことはよくよくわきまえておくべきであると教えられているようにも思います。

 さて、ブログの方ではスイカの写真も載せられていましたね。今年は出来がよかったとか。何よりです。
 このあたりでは山形県の尾花沢のスイカがブランドで、昔はよく車で売りに来ていました。あの頃は大きなものでも結構安かったように記憶しています。買ったスイカは井戸につるして冷やしてから食べてました。今はちょっと大きなものでもスーパーなどでは結構な値段がついています。

 ぼくの住まいは小規模な団地の中にありますが、団地だと夏の風物詩は壊滅してしまいましたね。ちょっと寂しくはあります。

 今日はこれで失礼します。nishiyanさんの活動からいつも刺激をもらってます。今後ともよろしくお願いします。




11teacup.運営:2017/02/09(木) 21:56:42
掲示板が完成しました
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/AE5A2.gif



12佐藤公則(管理者):2017/02/10(金) 00:32:31
掲示板復帰しました
しばらく前から掲示板が使用できなくなっていました。このホームページを立ち上げた最初こそ、わずかですが利用してもらっていたのですが、ここ数年ほとんど利用者が無く、どうせ使われないからとそのままにしていました。最近、知り合いの人から使えない旨を指摘され、再度無料のレンタル掲示板を新たに設置しました。どうぞ気軽に投稿していただければと思います。活用してもらえるかとか、以前に変ないたずら、嫌がらせみたいな事があったりとか不安なところもありますが、よろしくお願いします。



13nishiyan:2017/02/15(水) 15:02:23
お元気ですか
 カゼをひかれたようですが、もう治りましたか。

ところで、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節(「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」というように「ヒドリ」と書いてある)を巡って「ヒドリ(日取り)」か「ヒデリ(日照り)」か、あるいはまた「ヒトリ」かという論争があるのを初めて知りました。

 わたしなら、「ヒドリ」が「ヒデリ(日照り)」ではないとしても、何らかのよくないことを指示している位で済ませます。つまり、「ヒドリ」が「ヒデリ」か「ヒドリ」か、あるいはまた「ヒトリ」かということの検討・考察を無意味とは思いませんが、深入りする気はありません。

 「雨ニモマケズ」のWikipediaに、「ヒデリ」か「ヒドリ」かという項目が設けられてまとめが載っています。 (諫早より)



14佐藤公則(管理者):2017/02/15(水) 22:43:36
Re: お元気ですか
>  カゼをひかれたようですが、もう治りましたか。

ご心配いただきありがとうございます。まだ咳がちょっと酷いときがありますが、一応のピークは過ぎたように思います。

> ところで、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節(「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」というように「ヒドリ」と書いてある)を巡って「ヒドリ(日取り)」か「ヒデリ(日照り)」か、あるいはまた「ヒトリ」かという論争があるのを初めて知りました。
>
>  わたしなら、「ヒドリ」が「ヒデリ(日照り)」ではないとしても、何らかのよくないことを指示している位で済ませます。つまり、「ヒドリ」が「ヒデリ」か「ヒドリ」か、あるいはまた「ヒトリ」かということの検討・考察を無意味とは思いませんが、深入りする気はありません。
>

 ご指摘の点はぼくも同様です。子どものころから「ヒデリ(日照り)」一辺倒で暗唱していましたから、それ以外では考えられないですね。今ですと、仮に「ヒドリ」を定説とすることになったとして、「雨ニモマケズ」一篇の受容の仕方にあまり影響を受けないような気がします。と言うか、ある意味では全く別の詩になってしまいますし、新たにその詩に向き合うというそのこと自体に真剣にはなり得ない気がします。

 早速の掲示板のご利用ありがとうございます。この返事がどういう具合に表示されるかを含め、ちょっと慣れないところでやっておりますので不手際があったらごめん下さい。今日はこんなところで。



15nishiyan:2017/02/17(金) 13:59:44
先日の件
先日の宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節、「ヒデリ」か「ヒドリ」か問題に触れた文章を書いてUPしました。「日々いろいろ―表現の渦中の言葉の揺らぎ」です。



16佐藤公則(管理者):2017/02/18(土) 10:46:32
Re: 先日の件
http://blog.goo.ne.jp/okdream01/d/20170217



17nishiyan:2017/02/18(土) 16:33:20
詩について
佐藤さんの「詩というのは、自分の方言行為だと考えると何かやりやすい気がしてきます」という言葉、あ、いいねと思いました。それに関連させれば、言葉は、絶えず遙かな、と同時に、この今に、肌触りにも似た言葉の〈真〉を浮上させたいのではないかという気がします。それはたぶん個人的でひそかな私的なモチーフだと思います。もちろん、他方にはこの現実の深部をひとつの批評性を装備して貫こうということもありますが。詩は手で書くみたいなことをたぶん吉本さんは言っていると思います。ひとりの全存在の触手としての手なんでしょうね。わたしの短歌味体、最近は書くことがなくても書くみたいになっています。焦りはありません。



18佐藤公則(管理者):2017/02/19(日) 01:37:30
Re: 詩について
 掲示板の文章と、ブログの方の「言葉」についての考察とをいっしょに読んでいたら、なにか難しくなってしまって、即座に反応しきれませんでした。ブログに引用された吉本さんの発言、それに対するnishiyanさんの解説、大筋では理解できます。ただ自分のなかで実感的に処理しきれないところがあります。

 ちょっと初歩的なところで伺いたいのですが、ブログに引用された吉本さんの「表現された言葉」と言う場合の「表現」についてですが、ここでは「口から発した」というくらいの意味あいで言っている「表現」ということでしょうか。それとも「文学表現」という場合の「表現」でしょうか。あるいは、両者を混合した、「表現」全体を含んだものとして述べられていると理解すべきところでしょうか。ぼくには、ここの発言は「文学表現」等の次元を含まない「表現」のような気がするのです。差し支えなければ、そのへんのところからちょっと教えていただけたらなと思っています。






19nishiyan:2017/02/19(日) 13:39:12
RE言葉について
 結論から言えば、吉本さんの「表現された言葉」と言う場合の「表現」は、言葉の関わるあらゆる人間的な表現を指しているとわたしは理解しています。そして、そのことは太古の言葉の初源も現在の言葉も同一の構造であると考えられていると思います。

 言葉というとき、わたしたちは一般的には無意識にも現在的な言葉の有り様から反応・判断します。このことは言葉ということに限らずどんな対象についても同様だと思います。

言葉の匂いを持つ叫びなどの表出・表現→次第に整序されていく話し言葉→文字の成立による書き言葉の発生、話し言葉と書き言葉という二重化。

 わたしたちは、その言葉の段階的な推移で今のところ見通せるの段階の最後の段階から一般には言葉というものを捉えていますが、発生期の構造は形を変えていても現在でも反復されていると思います。つまり、心の波立ち→(叫び含めた)言葉への表現→反作用としての自己に返ってくる波立ち、という構造は遙か太古より反復されてきた同一性だと思います。

 言葉の発生期から言葉を踏み固めてきて文字の成立を経てきた現在では、文学的な表現と(生活世界の)話し言葉との表現とは違いはあると思います。両者とも吉本さんの捉える言葉の表現の基本構造としては同一でも、文学的な表現は主に書き言葉として降り積もった文学表現の歴史的な現在を、話し言葉の表現は降り積もった生活世界の表現の歴史的な現在を、それぞれ媒介(呼び寄せ、参照、批評)しているという違いはあると思います。

 ちょっと考え込んで書いてみました。天気が良すぎるので、そらまめの草取りにでもでようかなと思っています。



20佐藤公則(管理者):2017/02/19(日) 21:51:59
Re: RE言葉について
 考え込ませたようでスミマセンでした。おかげでブログの方の文章の意がすっきりしまして開けた感じがしました。ありがとうございました。

 nishiyanさんの地方はこちらに比べて気温が高く、今の時期で、植えたそら豆の草取りをしなければならないんですね。このあたりではあまりそら豆を栽培する話も聞きませんが、時期的には2月3月が種植えのようです。畑にも川土手にも、雑草といっても枯れた色合いが残るまでのもので、大地が緑かかってくるのはもう少し先のことです。天気が晴れていても気温は2度3度、日中も風はまだ冷たい日が多いです。時折10度を超える日があり、落差の大きさに体も戸惑います。
 上手に育てて、好みに調理して食すというのは何よりでしょうね。よい出来映えに育つようにお祈りします。



21nishiyan:2017/02/20(月) 11:03:17
ああそうだった
ああ、そうだった。文学の表現で、都に住んでいないのに都風(文化中央の規範)の雨の降り方の描写を規範として模倣しても、本当はこの列島のその地その地の微妙な雨の降り方の違いがあると柳田国男は書き留めていました。また、同じ行事を行う春でも寒暖や風景が違うとも言っていましたね。空間的にも時間的にも(他人や他の地域や過去に対して)わたしに限らず人はどうしても自己本位の視線になってしまいますね。つい、そのことを失念していました。もらった種を蒔いて2年目の菜の花が今満開です。この菜の花は食べられるということで、もう何度も収穫しました。ソラマメは、こちらでは11月から12月にかけて種を蒔き、5月から6月ごろの収穫になります。



22佐藤公則(管理者):2017/02/20(月) 15:35:10
Re: ああそうだった
 一つ質問させてください。これまでだれにも尋ねたことはないのですが、農産物の生産者、作物を栽培し、収穫する人たちにとって、収穫するまでがメインでしょうか、それとも収穫以後に自分で実際に食するというところがメインでしょうか。
 動機的には、あれをあんなふうに調理したらうまかろうなどの発想から、この種をまこうというのが純なところかと思います。さらに、こんなふうに育てたらもっとうまくなる、と進んでいくのかと。ぼくは食す方の専門なのでこんなふうに思いますが、農業の専門家に限らず、趣味で栽培に向かう人たちも初発の動機はどうなんでしょう。nishiyanさんはどうでしょう。
 しょうもない質問なので、本当にヒマでどうしようもないというようなときがあればそういうときにお答えいただければ結構ですのでお願いします。



23nishiyan:2017/02/21(火) 14:37:06
お尋ねの件
 大まかには二つに分かれると思います。仕事として農業をやっている人は、育てるものは先々商品となるものだから、例えば野菜の見た目(よくきれいに育てられてるなと、スーパーで大ネギのすばらしさには感心します)など意識するはずです。そのための施肥や消毒や支えなどの手当をされるでしょう。仕事だから、きれいで立派に見えるものは商品となり、自宅で食するのは二級品みたいなものになるのではないでしょうか。つまり、栽培−収穫までが仕事として主要な関心になるように思います。

 一方、わたしのように趣味みたいに作物を育てている人は、佐藤さんが指摘されたように、作物の選択−栽培−収穫−食べるという全過程が念頭にあると思います。専業の人は、作物の選択は好みではなく商品ということを意識したものになるでしょうが、わたしたちは売り物にはしないので、食べたいものや育てやすいものなどを栽培し、見た目もあまり気にしません。そして、専業の人と比べて趣味みたいなものだから動機を含めて個の物語性のようなものが専業の人よりは強いのかもしれません。

 しかし、作物を育てたり、収穫したものを食べるなどの中で味わう、柳田国男が指摘した農の感動のようなものは、両者ともあると思います。あと、一般には作物は一年に一回の実験ということになりますが、両者とも作物を「よく見聞きする」のは普通のことだと思います。つまり、悪ければどこがまずかったのかなと来年に生かそうとすることになります。実際は、いろいろな要素が関係しているようで難しいのですが。こんなもので返答になっているでしょうか。



24佐藤公則(管理者):2017/02/21(火) 22:28:55
Re: お尋ねの件
 ありがとうございました。

 ぼくは潜在意識みたいなところを遡って行ったときに、縄文の狩猟採集や漁労の博打性、計画性のなさみたいなところが割とぴんとくるのです。その日狩猟に出かけて、たくさんの獲物にありついた、あるいは空振りで手ぶらで帰ることになった。そういう恵みにありつけるか否かが日によって違うほうが楽しく感じられます。一方、農業というのは従事する人の努力次第というところがあります。毎日コツコツ努力することも必要です。
 つまり、後者についてぼくはちょっと分かりづらいところがあります。狩猟に出るときはイメージがあり、夢があると思います。わくわく感もあると思います。
 柳田国男を引いて、「農の感動」ということをnishiyanさんは言っておられますが、その部分がちょっとぼくには分かりにくいんです。実感的な部分で分かりにくいんです。
 それから、少し前から農が小さなブームになっていまに続いてきていると思いますが、あれこれ含めて考えて、みんなに持たれている農の魅力の本源は何なのだろうかというのが先の質問の根底にありました。ぼくがテレビなどを通してみたかぎりでは、定年後に農業をはじめた人の中で、農産物の生育過程に携わること自体を重要視しているタイプと、特定の種にこだわってこれを収穫し、それを食し味わうことに重点を置いたタイプとあるように感じられました。印象を拡大していくと、そんなふうに分けられるような気がしたのです。農の起源としては後者のタイプが近いだろうと思います。これは狩猟採集の側に立っても、なんとなく理解できるところがあります。ところが前者となると、一次的な食の欲望から離れて、いわば高次な捉え方がなされている。どうもこのあたりから謎が深まって・・・・。



25nishiyan:2017/02/22(水) 14:53:32
「農の感動」について
 柳田国男の「農の感動」というのは、簡単なことで、農作業をしててもあるいはふと手を休めて風を感じていてもあるいはまたやっと収穫できたときとか、ああいいなとかうれしいなとか感じる、そんな感動のことです。それは人間的な活動の根っこのようなところから湧いてくるものだと思います。もちろん、これには失敗したとかうまくいかなかったとかの逆の場合もあるでしょう。

 「農の感動」ということは、農に限らず他の仕事でも同様だし、さらにはこの世界で人が生きているということから来る普遍的なものということができます。どんな仕事でも、さまざまな動機の違いから下っていって、その人の意識や心の中心の方を抽出してみたらそれは普遍的なものとして浮上してくると思います。(これは仕事との相性が悪い人の場合はその感動はないかもしれませんが。)しかし、農や経済や労働を専門的に論じる者で、そこまで触れる者は少ないような気がします。つまり、農に従事する人々の内側に触れることができる柳田国男の言葉はすごいなと思っています。



26佐藤公則(管理者):2017/02/23(木) 08:39:33
Re: 「農の感動」について
 こちらの問いがしょうもないために、世話をやかせてしまってスミマセン。

 まず作物を収穫しようということがあって農事のさまざまな段階を経ていくときに、いろいろ感動することがあるんだよということですね。
 種を蒔いて芽が出た。茎が伸び葉が育ち花が開いた。やがて実がなり、収穫が近づいてくる。今では当たり前のことだけれども、当事者となればそのいちいちの体験、出会いに、またいちいち心が動かされることがあるということだと思います。
 田畑を有しているひとは、次の年も当然のように作物を植え付け、収穫することをくりかえすことになる。そして、たしかにここまでのところではぼくの疑問が入り込む余地は皆無だと思います。

 その上で、なお考えますと、この「農の感動」というものはあくまでも農事の上からは二次的な産物というところで、メインにはなり得ないことのように思うのです。ところが、最近かすかに感じるのですが、あたかもこの二次的な産物をメインとして農事をはじめようとするひとが出てきた、あるいはそういう風潮が感じられる気がします。これはぼくの勝手なイメージで、あてになりません。あてにならないので勝手に自分で考える以外にないのですが、この一種静かな農のブームは、現代人の植物的な生命過程への回帰願望みたいなものかもしれないと考えたりしています。でも、よくわからないんです。若い人から定年退職後のひとまで、世の流れに逆行するごとく農に向かう、その衝動に底流するもの、あるいは渇望の本体が。



27nishiyan:2017/02/23(木) 13:54:26
RE「農の感動」について
 確かに、「『農の感動』というものはあくまでも農事の上からは二次的な産物」に見えるかもしれませんが、従事し活動する人の深層の動機や動因になり得るような気がします。どんな仕事でも、始まりのきっかけにはいろんな偶然が大きく働いているようにも見えますが、その後その仕事を持続する動因としては、身に付いた日々の習慣的な自然性とともに家族の経済を支えるとか自分の性に合っているとかいろんな層の動機群が考えられるように思います。しかし、人の行動を深く根本的に左右するのは、深層にある動機だという気がします。「農の感動」に類するような負の感動も想定できるように思います。わたしが学校の教員を辞めたのもそんな動因からだったような気がします。

 少子化とか盛んに問題化してあれこれ言われていますが、これもその現象として湧き上がってくる動因を人の動機群や人の生活というものをきちんと探査することが根本的な捉え方に通じるような気がします。行政担当は、あの太宰治の「かくめい」という言葉のように、人の本心の深刻さに直面しようとせずに数字片手に周囲を大変大変とうろつき回っていて、けっして根本的な解決の道筋には至れないような気がします。つまり、仕事しているふりにしかならないでしょう。そして、ほったらかしのような状態で、負が膨らみ過ぎてどうしようもなくなったらさらに慌てふためくのでしょうか。
 こんな風に、その深層の動因はいろんな分野に当てはめて考えることができそうに思います。

 深層の動機は、家族の生活をほったらかしにできないなど様々な他の動機との兼ね合いで、なかなか表面化しにくいのでしょうが、その人の生存の感覚を押し潰すような事態になったら発動するような気がします。つまり、我慢に我慢を重ねてようやく出て来るようなものかもしれません。また、「あたかもこの二次的な産物をメインとして農事をはじめようとするひとが出てきた、あるいはそういう風潮が感じられる気がします。」と述べられていることは、わたしはその具体的な状況がよくわかりませんが、飢え死にはしないさなどの深層の動機を中心に絞り込めるような発動しやすい状況があるのかもしれませんね。



28佐藤公則(管理者):2017/02/24(金) 11:17:09
nishiyanさんへ
 ぼくの問いは表層の薄っぺらいところでの思い込みからなっていて、手と足と口などからする従来までの農業にたいして、昨今は頭でする農業という形が見られるようになったという仮説から出ていたように思います。要するに生業の農業に対する趣味の農業ですね。この趣味の農業が小さなブームのように広がっている。これは本業じゃないから頭でやっているんだととらえてみたわけです。一昔前だと盆栽になるんじゃないかとも考えたわけです。
 nishiyanさんはそれに対して農の根本のところから説かれていて、たぶんぼくの仮説とか疑問を呈した言葉自体が意味をなさない、的を射ていないと教えてくれているように思いました。ぼくも自分の思い込みに対して確信がないので、「頭でする農業」という仮説自体を考え直してみようと思います。
 雑な考えや表現にも関わらず、わざわざこちらの意とするところまで出向いて推し量り、さらに丁寧にお答えいただき感謝するばかりです。ありがとうございました。



29佐藤公則(管理者):2017/03/08(水) 22:09:55

笑み交わす
現在(いま)を背負った
独歩旅

http://



30佐藤公則(管理者):2017/03/08(水) 22:53:39

                                                                              大勢のスパイダーマン現れて
絆の糸で息の根ふさぐ




31nishiyan:2017/03/09(木) 14:58:10
詩の紹介
https://www.facebook.com/



32佐藤公則(管理者):2017/03/09(木) 17:19:09
nishiyanさんへ
 投稿ありがとうございます。さっそくブックマークしてみました。やっぱり山本さんもnishiyanさんも、表現の中に職人技のような安定感が感じられます。読んだときにすっと安心して表現の世界に引き込まれるというか、そういう技というものをもっているような気がします。
 話は変わりますが、この間までこの掲示板でnishiyanさんとやりとりをしながら、掲示板の使い方はいろいろありそうだなと思ってきました。つまり、皆さんに開放して自由に使ってもらってもいいのじゃないかなどと。そうした意味で、もしnishiyanさんもアイデアが浮かぶようでしたら、それにそって自由にこの場をご活用下さい。今日はこんなところで失礼します。



33佐藤公則(管理者):2017/03/10(金) 17:49:42
無題
 文字読めば即座に眠る特技持つ
 妻の保てる距離の不可思議



34佐藤公則(管理者):2017/03/11(土) 11:09:14
無題
 今この一瞬
 どのように世界を切り取るか
 ぼくの顕微鏡では
 子どもはより感覚的に
 成人はより思念的に
 そして高齢者は思念を感覚に同時翻訳して
 把握しようと奮闘しているかに見える



35佐藤公則(管理者):2017/03/12(日) 15:08:36
無題
 「考」脱ぐと「貧相」が見え
 ありのままには映さぬ視覚
 



36佐藤公則(管理者):2017/03/15(水) 02:11:55
超老
 孫に笑む
 老いの視線の
 彼方越し



37佐藤公則(管理者):2017/03/15(水) 02:19:24
終活
 終活と言えば聞こえはいいけれど
 思いばかりで遣れぬのがいい



38佐藤公則(管理者):2017/03/16(木) 11:06:51
春といえば花
 あずかった
 こころをせおう
 西行の旅



39nishiyan:2017/03/16(木) 12:29:41
武田邦彦といえば
武田邦彦は、原発事故時少しブログをのぞいていましたが、音声やら面倒なことをし始めて読むのを止めました。その森友関係への沈黙は、テレビ関係の忖度・配慮があるのでしょうか。現在のところ俗受けしない本質的なことをいう人はマスコミでは干されるでしょうからね。



40nishiyan:2017/03/16(木) 17:49:54
ぼくもです
ブログにコメントいただきました。ありがとうございます。白川静の紹介していた孫文の言葉にぼくもびっくりしました。時が経つといろんなことが忘れられていくのですね。
「国家についての断片的な考察 」読みました。「素朴な疑問」は大切だと思います。遙か太古の感受や発想の型は現在にも何らかの形で残留していると思えますから。



41佐藤公則(管理者):2017/03/16(木) 21:43:18
nishiyanさんへ
コメントいただきありがとうございます。今日のブログを拝見すると、Twitterですか、そちらでの活動もけっこうやられていて、というか、そちらを主戦場に活動されているのかなという気がしましたが…。もしそうだとしたら、大変そうだなと…。ぼくはからっきしでよく分からないし、ごちゃごちゃしそうです。以前何かの必要があってfacebook(?)に登録しましたがそれっきりで、ずっと敬遠しています。頻繁にやりとりしなければいけない世界かな、という気がしますが。時間があるときでけっこうですが、もしメリットのようなものがあればお教え下さい。



42nishiyan:2017/03/18(土) 02:06:06
SNSについて
 どこかで吉本さんが、自分の心や意識が状況(社会)に対して外向きに出て来ているようでもほんとはそれは内向きである・・・・みたいなことを『ハイ・イメージ論』の考察の頃だったかよく覚えていないですが、書かれていました、あるいは語られていました。当時は何を言っているのか実感として全然わからなかったことがあります。たぶん、今のわたしの状況もそんな言葉が湧いてきそうな感じがします。ほんとに実感を得るには「現場」に立ってみないとわからないなと思います。

 にぎやかなツイッターというSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)という仮想世界に浸かっていますが、物珍しい面白さや楽しさもあります。絵画や詩や舞踊や・・・等々いろんな分野の人の言葉や表現に出会う機会があります。もちろん、「ネトウヨ」諸君の言葉も見かけます。

 一方、仮想世界ゆえの孤独のようなものもあるのかもしれません。振り返ってみるとツイッターなどのSNSの世界は奇妙な感じがします。言葉(文字)や画像や動画などが表現の媒体になっています。そこで互いに交わされるのは一次的な自然の肌感覚の出会いや眼差しではないですね。しかも、自宅からだけでなく外出先からもスマホなどから接続できるようです。おそらく、このような仮想世界との付き合いはSNSをやっていなくても、例えば銀行の現金出し入れなどの有り様とリンクされている、万人に同質のものかもしれません。これもまた、みんなが徐々に慣れを積み重ねていって気づいた時にはこんな所まで来ていたのかということになりそうです。

 最近、仕事中にスマホを見ていたなどが時々ニュースで出て来たりしますね。ずいぶん社会の風景が変わってきたのでしょうね。これが先々どうなるのかは十分にイメージできませんが、どんどん高度化を遂げていくことだけは誰もが認めるでしょう。こんな所で良いでしょうか、何かありましたら大したことは言えないと思いますが、遠慮なく聞いて下さい。



43佐藤公則(管理者):2017/03/18(土) 10:27:52
またまた質問させていただきます
ありがとうございます。ツイッターなどをチラ見しますと、いろいろなひとのコメントが交錯しているように見えます。たとえば自分が何かを発言したとして、たくさんのコメントが寄せられると、それに対していちいち対応するということになるのでしょうか。もしそうなら、それだけで相当のエネルギーを消耗しそうな気がしてしまいます。自分はとてもそんな元気は無いと思うし、すぐに爆死してしまいそうです。そういうものでもないのでしょうか。少し前にnishiyanさんのブログで、返答の部分みたいな文章を読んで、それはちょっと大変な世界が展開されていると思ったのです。



44nishiyan:2017/03/19(日) 00:44:20
Re SNSについて
ここ最近、いくつものやり取りをしてしまいましたがこれは滅多にないことで、普段は自分のツィター画面に流れて来るツイート(コメントや画像)で、気に入ったものなどを再び他の人への紹介も込めてツイート(「つぶやく」)するのをRT(リツイート)と言いますが、そのRTをしたり、気に入ったものや備忘のための資料などがあれば「いいね」ボタンを押して保存する、といったことです。また、自分の歌やブログの文章の紹介もツイートします。

 見知らぬ者同士で、互いに相手の姿形雰囲気もわからずに急接近して語り合うことになりますから、いろいろあり得るでしょうね。体験を互いに積み重ねて何らかの良い形を模索していくしかないと思います。

 しかし、この仮想世界が良い点でも良くない点でも従来の不可能を可能にしていることは間違いないと思います。



45佐藤公則(管理者):2017/03/19(日) 10:26:15
Re: Re SNSについて
 いやあ、なんとなく分かってきました。nishiyanさんは以前ホームページも公開されていましたが、移動後は拝見できなくなってしまいました。そちらは封鎖されたのでしょうか。継続されているとすると、3つの更新の掛け持ちということになり、やはりエネルギーの消費量が半端ないと思ってしまいます。
 どうしてこういうことをお聞きするかというと、もしも3つの表現の場があるとして、全体像を見る場合にどこに注目するのがいいのだろうかと考えるからです。どこが主戦場でいちばん力が注がれているのはどこか、それが知りたいなと思います。これまではブログだけに注目して、だいたいの作品はここで見ることができるのだろうと考えてきました。でも最近はツイッター上のことが転載されていたりして、もしかすると表現を3つの場に分散して発表しているのかなという気もしているのです。そこの所をちょっとお伺いできればなと思いました。 



46nishiyan:2017/03/19(日) 13:28:49
ブログ等
http://www001.upp.so-net.ne.jp/kotoumi/



47佐藤公則(管理者):2017/03/19(日) 21:17:56
「言葉の海」懐かしいです
 ありがとうございます。「言葉の海」、久しぶりです。こちらを見ると、懐かしくもあり、しっかり整理されていて、トータル的に見やすいトップページになっている気がしました。ただ、最近の表現は同時掲載とありましたし、だいたいはブログで見られるということで、これからも更新が分かりやすいブログ中心に拝見していきたいと思います。



48nishiyan:2017/03/25(土) 11:08:19
指示性ということについて
 今日の作品は、一言も作品中に「母」はありませんが、前の作品との関わりから推量して老いた母と「わたし」の関わりの場が描かれているのではないかと思いました。表現された作品は、まずはその作品そのものを読むのが原則でしょうが、作者固有のものが具体性も引き連れて表現されますから、作者のことや他の作品も読まないと深読みは難しいなと思っています。

 わたしも表現する時どこまで指示性(説明描写)を尽くせばいいかなと思い悩むことがあります。もちろん、意味不明(指示性が希薄)でも自己表出性(あるものを外に放出したい欲求)の高い表現を目ざすことはできると思いますが、この場合作品が概念の枯れ林にならないようにするには、内臓感覚による生命感を込めるのが必須ではないかと思っています。

 短歌味体では、昔の「詞書き」のように註をつけて指示性を補う、表現の場を明示するということをすることがあります。



49佐藤公則(管理者):2017/03/26(日) 09:50:05
投稿ありがとうございます
 昨日の投稿では2つのご指摘をいただいたように思います。手っ取り早く言うと、1つは1個の作品それ自体として自立できなければダメなんだということ。もうひとつは、ぼくの作品が概念過多で生命観に乏しいものになっている、というように受け取れました。日頃からそういう短所、欠点は感じているところなので、言われているところはよく分かるような気がします。また克服したいと思っていても、なかなかできないでいるというのが実際です。一人で自己満足的にやっていると、こういうところから抜け出ることは難しいことだと感じています。
 2つめの自己表出、指示表出からいうと、nishiyanさんの「短歌味体」を主とする表現は、とても意図的、意識的な表現をされているんだなという気がしています。擬音やあわわことば的表現、あるいは解体の表現、表現の解体みたいなところを意識なさって書かれていると見てきました。ぼくなんかはそういうところは、つまり文学的な先端のところの問題意識のように思えて、専門的で高度なんだと感じます。及びがたいんですが、勉強になり、少しでも参考にしたり、取り入れられるところは取り入れたいと思いながら見させてもらっています。
 ところで、最近は毎日の表現を続けていますが、面白い、楽しいことを目標としているのに、実際に書こうとすると逆方向にばかり向かって行き、此処でも何かしら自分の限界みたいなものを感じてしまいます。こんなの読んだって面白くないようなあと、自分でも思うようなものしか書けません。もう少し、抗いを続けてみるつもりですが、そういう境地もなかなか難しいものですね。どうしても肩肘張った窮屈なスタイルになってしまいます。nishiyanさんの表現には、そういうところでもちょっと肩の力を抜くということができているような気がして、少し羨ましく感じています。これからも見させていただきますので、どうぞよろしくお願いします。



50nishiyan:2017/03/26(日) 11:41:24
表現のこと
「ぼくの作品が概念過多で生命観に乏しいものになっている、というように受け取れました。」ということですが、確かに今までにそれを感じたことはあります。わたしも詩を書き始めの頃はそうでしたし、いまもどこかにそれは残留しているかもしれません。佐藤さんが、今の詩を書き出されたとき(2017/02/05の詩)、おっ、いいなと思った覚えがあります。具体的なものに関わるイメージの表現だったからです。

 今回の「作品が概念の枯れ林にならないようにするには」というのは、一般的にかつ自戒をこめたものとして表現しています。

 ところで、音楽でもダンスでも詩でも初めは憂さ晴らしや解放感や楽しみがあるのでしょうが、突き詰めていくときつくなりますね。もちろん、解放感はなくなることはないと思いますが。それでも人は突き進みますね。そして、苦しみながらも万人にとってかつ自分にとっての生命感の放出や感受を目ざしているように思います。(もちろん、万人ではなく内閉する個の世界への固執ということもあり得ます。)



51佐藤公則(管理者):2017/03/27(月) 00:13:14
積年の悩みです
 具象・具体の部分は意識的にやらないとできないですね。本当はたぶん、それを持ってくるのは自分の本意ではない気がします。その方が伝わりやすいから持ってくるということを努力してやっているのだと思います。言い方を変えると、自分には才能が無いし、合わないことを知っていてやっているんだと思います。積年の悩みですね。
 どうしてそうなんでしょうか。本音を言うと、視覚聴覚などを通した表現に興味関心が持てないのです。現実生活的具象性というものを実感できないところもあります。そしてそれに代わって観念にわいてくる言葉というものが、超越性を帯びて酷く現実的な重みを持って感じられてしまうのです。一種の転倒なんだと思いますが、何か資質としてもう与えられてしまっているというようにいまは受け取っています。こういうところも含めて、まあぼちぼち歩みを進めていくほか無いなあと思っているところです。



52佐藤公則(管理者):2017/03/27(月) 12:37:55
27日の作を別に
古稀数え
三日を伸ばす
無精ひげ






53nishiyan:2017/03/27(月) 14:04:57
表現問題はさておき
「あとがき」のようなもの読みました。「障害」の考察、お疲れさんです。わたしも一年くらいかけて少しずつ「物語」の考察をしたことがあります。そのことは自分なりの考えや表現の力の源泉になるのではないかと思っています。佐藤さんもそのことを感じておられるのではないかと思います。ふたりとも、吉本さんが『言語にとって美とはなにか』を仕上げた後に「勝利だよ」と思ったという言葉には遠く及ばないと思いますが。ほんとに「手を動かす」ことを持続していくことが大事だと思っています。



54佐藤公則(管理者):2017/03/27(月) 21:49:03
お薦めの文学書はありますか
 投稿ありがとうございます。いやあ、おっしゃるとおり遠く及ばないどころか、ぼくの場合はいつも「超えられない、超えられない」という呟きになってしまいます。それは、普通の人の考えや、仮想の読者の考えを超えられないという意味あいでの呟きですが、時々はもう少しじゃないかと思うときもあります。
 ところで、nishiyanさんのブログでは小説批評もよくされているようにお見かけします。ぼくはあまり読書をしなくなった上に、小説の類いはからっきしになってしまいました。2週間に一度くらいの割合で図書館に行っていますが、本を借りても吉本さん以外のものは途中で投げ出してしまうことが多いんです。これは読んだ方がいいよと、もしおすすめの文学書がありましたら教えて下さい。



55nishiyan:2017/03/28(火) 11:15:52
お薦めは
 今、村上春樹の作品の読書日記をやっていますが、これは一年ほど物語作品への入り方を自分なりに考えたましたが、(本当に考えたの?)という自問に答えるために書いています。つまり、具体的な作品の批評にちゃんと応用できるかな?ということです。それと、読み終わってのまとめた批評ではなく、作品を読みながらのメモもおもしろいかなと思っています。

 小説はそんなに読んでいません。(それにしても小説家の数は大層なものではないでしょうか。)よく読むのは、この村上春樹や吉本ばななや町田康くらいですかね。町田康のは一般に楽しく読めます。好き嫌いあるかもしれませんが、独特の語り調のもてなしが良いです。シリアスな『告白』のような作品もあります。猫もの犬ものの随筆とも物語ともつかない作品もあります。どれでもいいから一冊読まれて気晴らし以上であればお薦めだと思います。



56佐藤公則(管理者):2017/03/28(火) 14:30:45
ありがとうございます
 午前中、用事のついでに図書館に行き、nishiyanさんの文中に見られた白川静さんのものを2冊借りてきました。「文字講話1」に、「文字以前」のタイトルを見つけて興味を持ちました。また気楽に読めるかと思い、対談ものを一冊。掲示板は帰ってきて見たものですから、お薦めの町田康は次回にしようと思っています。

 白川さんて、名前だけは知っていましたが、コツコツ文字の研究に打ち込んでいるイメージで、どうしてそんな人の名前が多くの知識人の口から飛び出すのか分かりませんでした。ま、そのへんの匂いがかげたらと思っています。



57nishiyan:2017/03/29(水) 00:20:04
白川静の迫力
白川静の「文字講話」は、松本孝幸さんの「読書倶楽部通信」の紹介で知り、読んでみようかとなりました。今までに何冊か読んでいますが、「文字講話」には長い研究と洞察のもたらした力の凄みのようなものを強く感じました。漢字などの細かな説明は少し流し読みしながら?と?は割とすらすら読みました。『文字講話?』を停滞気味で少しずつ今読んでいます。?か?だったか文章に少し出て来ますが、本場中国の学者がはっきりさせ得なかったこととか、間違っていた解釈を、はっきりさせたとか、いろんな功績もあるようですね。

 あと、誰かの文章で偶然知ったのですが、「(特別寄稿)皇室は遙かなる東洋の叡智」(「文藝春秋」2005年4月号 白川静9ページ分)という文章もあります。もう最晩年の文章です。もし、図書館にバックナンバーが保存されていたら読まれたら良いかと思います。自らの積み重ねた学と見識からの静かな文章になっています。



58佐藤公則(管理者):2017/03/29(水) 11:16:01
探してみます
 ありがとうございます。次回、図書館で探してみます。
 まだ、白川さんの本の数ページを読んだだけですが、自分の「知」の姿勢やスタイルをこっぴどくやっつけられる気分になりますね。同時に安藤昌益のことば(「知」の否定?)が浮かんできて、引き裂かれそうな気がしてしまいます。ホントはこれを、同じことを言っていると考えるべきだというのはなんとなく感覚的につかめるのですが、じゃあどのようにというと具体的には思いつきません。読みながら追々考えていこうと思います。



59nishiyan:2017/04/24(月) 11:09:59
白川静について
白川静「皇室は遥かなる東洋の叡知」は図書館になかったのかな、と思っていましたが、あったんですね。佐藤さんのは的確な批評だったと思います。

遺伝子考古学(と仮に呼べば)がもっと微細な人の移動や交わりを明らかにできれば不明のもやが晴れてすっきりしますけどね。それ以外の人文系の総力を使ってきても現状まだまだあいまいさがたくさん残っているようですから。

〈大王〉〈天皇〉などそれ以前もいろいろ呼称があったかもしれませんが、要するにどっかから来て横合いから社会の上に乗っかれるシステム(吉本さんの言う「グラフト国家」)とそれを許容してしまう社会の中の住民の意識の問題であり、これはこの列島におけるアフリカ的な段階からの相当根深いもののように思われます。また、現在もそのシステムは継続稼働中ですね。乗っかってるのは、アメリカの影−政権−官僚層−アメリカ帰りの取り巻き知識層などでしょうか。



60佐藤公則(管理者):2017/04/24(月) 13:19:51
Re: 白川静について
 白川さんと町田さんの本を見つけて、とりあえず読んでからご返事しようと思っていました。白川さんのを読んでたら、感想を書いてからと思い、公開後、さらにメールかこの場での返信にしようかと迷っているところでした。
 町田さんのものは、数ページ読んでまだ先に進んでいません。こういう読みの流れだと最後までたどり着くかなと心配です。書名は「どつぼ超然」です。
 純粋(?)に読書する、読書を楽しむというのはどうもぼくには難しくなったような気がします。現在社会ですと、やっぱりテレビにいくとかネットの動画配信に流れるとか、そちらの方が安易に楽しめるからそうなるんだろうなと言う気がします。こんな状況で読者を引きつける作品というのを書ける人って、そんなにいないんだろうなとも思います。ぼくは一般生活者の立場でそう思いますが、でも、相変わらず文芸愛好者という存在は存在しているようにも見えますし、そこのところはいったいどうなっているのだろうかといつも疑問です。それでぼくは国民の大多数、いわゆる大衆的な存在にとっての文学の存在意義っていうのは、終わっているのかなって時々思います。ぼくの住む、地方で、しかも町の書店みたいなところでは、文芸書のスペースは本当に縮小されてしまって、見る影もないって感じです。
 地方の町では、詩や小説の研究会みたいなものはあまり耳にしませんが、短歌の同好会、研究会は時々目や耳に触れ、あちこちで継続されている様子です。これはずいぶん息が長く、細々とかもしれませんが、これからも続いていきそうな気がします。実際に真似事でやっていますと、日本語にまた日本人の感性になじむ形かなと思います。そういう研究会に入っている人などは、逆にテレビのドラマやお笑いなどは物足りないのでしょうね。…ちょっと長くなりました。今日はこれで。



61nishiyan:2017/04/25(火) 12:22:43
文学の現状について
例えば近代においてだと思いますが、文学とは暗いもの、暗さや深さや生真面目さのイメージを価値とする傾向を持っていました。それがある時期、高度経済成長期頃からでしょうか、楽しいことや軽いことがその暗さや深刻さに代わって登場してきました。今ではそれが普通になっています。これはそれ以前に比して社会が豊かさや余裕を持ったためだと思います。

もともと、文学(芸術)は、読者(観客)の側から見れば、もてなし楽しませるという要素と感じ考えるきっかけを提供してくれるという要素とを併せ持っているように思います。文学も映画もそのどちらに力点を置くかで、エンターテインメントの作品や純文学の作品となっていたのでしょう。

そのいずれかの点で、読者を引き付けることが出来なければ、書き続けられていったとしても商売としては衰退していくほかないのでしょうね。ぼくらは単なる読者ですから、小説が滅びようが構わないと思いますが、たとえ滅びてもそれに代わる人間的な表出や表現が止むことはないのは確かだと思います。

今、村上春樹の『1Q84』(2009年)をやっと読み終えて、最近出た『騎士団長殺し』を読み始めています。今度は若い画家が主人公のようで、「騎士団長殺し」という他人の絵が作品に大きく影を差しています。『1Q84』もそうでしたが、いろんな謎や仕掛けが周到に物語世界の流れに設置されていて、読者を物語世界に引き込みます。これらはエンターテインメントの要素に当たると思います。まだ、出だしで作品の生真面目なモチーフの流れは見えていません。

漱石の時代の読者規模を想定してみると、当てずっぽうの推測に過ぎませんが、まだ今で言う大多数の普通の人々にまでは届いていなかったような気がします。つまり、地方であれば生活や経済力に余裕のある地主層くらいまでではなかったかと思います。そこからすると、作者の数も読者の層や数も大きく拡大してきたのだろうと思います。ただ、川端康成の頃とは違って、作家専門では食っていけない時代にはなっていますね。現在は、他の諸問題と同様に文学もいろんな問題を抱えたある飽和点に到っているような感じがします。



62佐藤公則(管理者):2017/04/26(水) 15:04:24
Re: 文学の現状について
 ぼくなんかが漠然と考え思っていることを、整理してまとめて言ってもらったという気がします。nishiyanさんのおっしゃるとおりだと思います。「飽和点に到っている」というところで噴出してきたいろいろな問題点ということですね。いろんな分野・領域を眺めても同様のことが起こっていると考えると、なんとなくすっきり見える気がします。ただ飽和点の内実というとぼくはまだあまり分かっていなくて、よく観察し、腑分けしてみないとなと思います。

 だいぶ前に明治のころの詩を、ちらりと言う程度に読んだことがあるのですが、何と言うか、熱気みたいなものをすごく感じました。ヨーロッパの詩を学び取る、自分のものにするという意気込みみたいなものです。その時に、これは当時の学者たちのヨーロッパ知に対する姿勢や意気込みに共通するように思えました。ぼくの勘では、戦前から戦後にまで続き、そのあたりである程度納められるところは納められるまでに到ったという気がしています。欧米人の考え方の深層にやっと手が届いたんじゃないかなと思うのです。そこからnishiyanさんのいう飽和点まで一気に進んで、現在は、はてさて、というところに差し掛かっているのかなと言う気がします。
 これ以上のことはぼくなんかには分からないところで、また手が届かないところでもありますね。政治の迷走なんかを目の当たりにしても、一事が万事で、他の領域・分野でも同様の状態を呈しているんだろうと思います。どう言えばいいんでしょうか、ぼくなんかは生きていくのに自己諒解をしつつというところを欲しているのでこんなことまで考えてしまいますが、つまるところ世界認識、把握の問題で、現実がどうなっていくかはあずかり知らぬことのように思っているのかもしれません。ただ、営為、やりたいことをやるだけですね。変な締めになったかもしれませんが、今日はこれで。



63nishiyan:2017/04/28(金) 14:41:33
できれば感想を聞かせて下さい
 今までと生活時間がずれていて仕事はどうでしょうか。大変さもあるだろうと推察します。ところで、山本哲士が「今村復興大臣の「失言」という本音のシニフィアン:主語制シニフィアンと客観へのシニフィエの共謀」(2017.04.28)という文章をブログに書いています。

 山本哲士は、「吉本主義者」という言葉をずいぶん前に振り回している文章を目にしたことがあり、あ、これはダメだと思った覚えがあります。自分は「吉本主義者」だという人も居てそれは別に構わないと思いますが、他人をそう呼ぶ時点でその思想の程度が測れると思いました。それで、『心的現象論本論』も買わずにいたのですが、吉本さんが姪について触れたその「あとがき」をどうしても読みたくて先日、古本を買ってしまいました。佐藤さんが先だって山本哲士を少し評価するようなことを書かれた時、こうした事情から、また中身を読んでいないことから、うーんどうだろうと感じましたが黙っていました。

 わたしはこの文章はもう無惨なものだ思います。わたしにはよくわからない「シニフィアン」や「シニフィエ」や「主語制」と言った言葉を振り回していますが、まったく何を言っているのかわかりません。故郷でのイエスの演説を見聞きする民衆の一人のような気分です。この件は、わかりやすい言葉でわかりやすく述べることはできそうに思います。山本哲士はなぜわかりやすい言葉を志向しないのか、わたしたちの生活世界に向かって言葉が閉じているからではないかという疑念を持っています。この文章やその前の少し内省的な文章(「知識人なんていない、ただひたすらわたしは「考えている」のみ。」2017.04.22)に対する佐藤さんの感想を聞いてみたくて書き込みました。




64佐藤公則(管理者):2017/04/29(土) 09:32:17
Re: できれば感想を聞かせて下さい
 仕事の方はひととおり覚えることができたという段階で、俯瞰して考えられるようになりました。基本的には単純で、建物各棟の戸締まり、施錠を確認することです。私学の高校と大学が敷地内に併設されていて数が多く、繰り返しが勝負になります。
 どの仕事もそうなんですが、他の人は本当に律儀で、反対にぼくはルーズなところがあってそれとの格闘が仕事継続の中心かなと思っています。つまり、外からも確認し、内側からも確認することを教わるわけですけど、石橋を叩いて渡るみたいなことが警備の仕事だとしてみんなやるわけです。ぼくはそういうところは少しルーズなところがあるなと、反省的に言えばそういうことになります。でも単純ですから、また嫌いな運動にもなると考えて、しばらくはっやっていきます。夜の勤務のリズムはまだつかめていません。

 さて、山本哲士の文章の件ですが、ぼくは昔の山本の文章はもう少し分かりやすかったと考えています。主に学校論、教育論を展開していたあたりの文章ですが。当時は、分かってもらおうという気持ちがあって、言葉を選んだり書いたりしていたと思います。最近はあまり読んでもいないのですが、どちらかというと他者に理解してもらうことをあきらめたような文章、書き方になっているとおもいます。それで、少し前に吉本さんの仕事をまとめて評価するような本があって読んだんですが、「吉本隆明と『共同幻想論』」でしたかね、どこか息せき切って論じているような面が感じられ、評論や批評の本として高い評価はできないけれども山本ならではの視点を貫いて読み解こうとしているとは思いました。つまり言葉遣い、文章のわかりにくさもあって、今もまだ評価としては保留の状態にあります。
 ぼくなんかはホントは分からないことなんですが、山本は世界の思想的な現状の最先端を、言語の垣根を越えてとらえ、自分もその最先端を走ろうとしているんじゃないかと思います。そこには山本だけが見えている風景があるんだろうとは思います。見えているように突っ走っているなという気がします。ぼくはそれで、実際の彼の最近のブログなどの文章は、雑で、しかも理解を拒否するみたいな書き方をして、なんだコイツ、と思わないでもないのですが、こちらから少し山本のほうに近寄っていくようにして、それで少し言っていることの片鱗だけは感じ取るというような読み方をしています。理解しているわけではない、そうだそうだと思いながら読んでいるわけでもありません。でも、少しだけ、山本がどういうところにこだわっているのかが分かる気がするところもあるのです。全貌はちょっととらえきれないので何とも言えませんが、ある意味でかなり核心部分を考え、詰めるように思考しているなと思うのです。nishiyanさんの評価だとかなりボロカスになりそうですが、もちろんその原因は山本の文章にもある気がします。確かにそう読まれる可能性を含んでもいると思います。ただ、山本がやっていることは孤軍奮闘の部分があり、誰もやらないという孤独性もあると思います。シニフィアンやシニフィエといい、分かりにくい言葉を多用するのは、おそらくは邦訳しきれないという、かなり外国ものに通暁してきた過去の経験から出てくるものでしょう。吉本さんをどのように評価するかということで、今のところ山本ほど世界水準に置いて突出した存在として吉本さんを高評価する存在はほかに見えません。埋もれさせたくないという意志は明瞭です。そこはぼくには分からないところですし、何ともいいようがないところなのです。
 元に戻りますが、山本のブログの文章は酷いというのはぼくも実感しています。ただその酷さは、言い得ないところを言おうとしているためなのだと半分好意的に受けとめて読んでいます。例に挙げられた二つの文章はことに酷いことになっていると思わないでもありませんが、かすかにですがぼくには分かる部分もあります。乱暴な言い方ですが、山本は誰も考えている奴はいねえよと言いたいのだと思います。考えていると思い込んでいる奴ばかりだと。別の言い方をすると、システムから言わせられている、そのように考えさせられている、ということになるでしょうか。
 主語性様式といい、述語性様式といい、これを解説するのは大変面倒くさいし、またぼくにもはっきりと理解されているわけではありません。今のところは漠然とですが、便宜的に言語のヨーロッパ様式、日本様式くらいに区別してとらえています。

> この件は、わかりやすい言葉でわかりやすく述べることはできそうに思います。山本哲士はなぜわかりやすい言葉を志向しないのか、わたしたちの生活世界に向かって言葉が閉じているからではないかという疑念を持っています。

 山本がnishiyanさんの言うところを志向していないことは確かだと思います。そういうところを捨てているんじゃないかなという気もします。あるいはあきらめているというか。ただ、ぼくには判断がつきません。
 以前に、晩年の吉本さんが糸井さんとの対談めいたところで、山本と思われるような人物にたいして批判めいた言辞をしているところがありました。それが山本のことかははっきりとは言っていないのですが、多分そうだったと思います。それはつまり、山本の半分世界に目を向け、世界に出ていこうとする姿勢についてだったと思います。危険な言い方をすれば山本には野心があり、マルクスたらんとする願望があって、そういう部分を批判していたんだろうと思います。そこで自分の身体出処の重きを置くところが違ってきます。ぼくも山本の全的な姿勢については、どうかなと思うところはあるのです。ですが知的生産の部分では無視できないところがあると思っています。

 長々とまたうまく言えませんが、だいたいはこんなところでしょうか。また何か思いついたことがあれば発信してみます。今日はこれで。










65nishiyan:2017/04/29(土) 14:37:58
Re: ありがとうございます
 ていねいな捉え方だと思います。ありがとうございます。
 現在の内田樹でも山本哲士でもわたしたちと違って知の世界の具体的な前線に出ていますね。その点からの言葉なんですが、もちろんわたしたちと比べものにならない位に知の世界を走行してきたということもすぐれた仕事も成してきたということも認めるのですが、今回の文章は台無しじゃないかと思ったので佐藤さんの感想を聞いてみようと思いました。佐藤さんの評価はいくらか好意的すぎるかなと思いましたが、もちろんそれはわたしの山本哲士に対する直感的なイメージにすぎません。ともかく注視続けるに値する存在とは思っています。

 ところで、内田樹が、「私が天皇主義者になったわけ」(『月刊日本』2017年5月号)という文章を載せているらしいです。まだ読んでいませんが、「歩く浄土163」に一部引用されているようです。この文章を書いている森崎茂は、遠い昔、博多での吉本さんの講演会で知ったのですが、面識は全くありません。ネットで偶然みつけて、絶えず疑問符を付けながら読んでいます。キーワードが何かはわかるようになりましたが、言っていることがよくわからないんです。ただ、ものごとをしっかり考え続けてきたんだなという感触は伝わってきます。

 (http:guan.jp/) (Guan 森崎茂公式サイト)
歩く浄土162:情況論49−外延知と内包知2:天皇制をめぐって−内田樹の転向1
歩く浄土163:情況論50−外延知と内包知3:天皇制をめぐって−内田樹の転向2
 ※この掲示板へのリンクにならないようにurlから「http:」の後の「//」を外しています。



66佐藤公則(管理者):2017/04/30(日) 16:28:14
nishiyanさんへ
 森崎さんという方のサイトへ飛び、示されていた文章をざっと読んでみました。その上での感想ということでいいますと、とても真摯に考えられ、書かれている文章だなと思いました。つまり自分よりもよく思索し、探索されている方だという印象を持ちました。もっと言うとよりプロ的という感じです。
 書かれていることの中身でいうと、内田さんのことといい、天皇制のことといい、あるいは中村哲さんのことでもいいけれども、森崎さんの言いたいことの中心からいえば、そんなに力を込め、時間をかけて言うまでもないのではないかという思いを持ちました。内容的には同感ですが、そんなに時間をかけることじゃないという思いです。こんな言い方はちょっと生意気で撤回すべきかもしれないですが、時間がないところなのでこんな言い方で失礼します。とりあえず、率直なところを言いますとこんな思いを持ったということです。



67佐藤公則(管理者):2017/05/08(月) 08:59:47
老人ホームの題で
借りてきた
猫を装う
老いの群れ



68nishiyan:2017/05/21(日) 12:11:46
山本哲士のインタビュー
山本哲士のインタビューのようなものを見つけました。今までのいろんな喋りが謎解きのように割とわかりやすく語られています。また、相変わらず「吉本主義者」なる馬鹿な言葉を二回も使っています。なんかこの人の言葉や思考には、吉本さんがたぶん重視した「実感」があんまり感じられません。そこがまずいなとわたしは思っています。吉本さんの言葉や論理は、日常の生活経験のなかで誰もが感じそうな「実感」につながっていると思います。


読書人紙面掲載特集 2017年5月18日
山本哲士著『吉本隆明と『共同幻想論』』(晶文社)公開トークイベントの「抄録」
http:  dokushojin.com/article.html?i=1351
(※リンク外しのために「http:」の後の「//」を抜いています)



69佐藤公則(管理者):2017/05/22(月) 20:11:35
ありがとうございます。
 インタビュー記事の紹介、ありがとうございます。さっそく読んでみました。おっしゃるとおり全体像が浮かんでくるような話の構成で、わりと分かりやすく編集されていたように思います。
 そうですね。nishiyanさんが言うように、山本哲士に関していえば生活実感というものが話や文章の中には感じられませんね。そういうところはこの人はホントに出さない人なんだなと思います。それで、ぼくとしてはそういうところに関係なくこの人の文章を読んできました。主にイリイチを論じているころから読んできたのですが、どう言えばいいでしょうか、一途に知や思想の探究に努めるあまり、その他は全部捨象したというか、犠牲にしてかまわないと考えているんじゃないかという印象を持ってきました。そうじゃないとあそこまでいろんな思想家の言説を読み込めないだろうという気がしました。そういう意味ではちょっと日本では見られない希有な人かなという感じです。書物の世界が生活世界のような人です。
 nishiyanさんは、「吉本主義者」ということばを口にする山本哲士が嫌いだということですが、ぼくとしてはその言葉はあまり届いてこないし、感情の針も動かないです。だいたいが「吉本主義者」と呼ばれる人たちがどういうものか、またそういう人との接点も皆無です。たぶん山本さんには特定のイメージがあるのだと思いますが、nishiyanさんもぼくも、その埒外ではないでしょうか。ほかにもたくさんの吉本さん好きがいるようですが、どういう人が該当するのかぼくには分かりません。分からないので、関係ないなと、それだけです。
 この人でびっくりすることは、詩を書いているんだということでした。どこかで、詩集を出しているんだと聞きました。別に読んでみたい気もしないのでそのままにしていますが、へえーと思いました。ぼくとしては、山本哲士に関しては、理論的な真摯さや、世界思想の最前線に挑んでいるところに注目しているので、それ以外には興味を持っていません。ただし、理論に関しては一流じゃないのかなと考えています。まあホントは分からないんですけど、自分の中だけの基準、判断ではそういうことになっています。



70nishiyan:2017/05/23(火) 14:49:11
データベースのようなものUPしました
山本哲士に少しこだわったのは、彼が吉本さんの思想を受け継ぐとはっきりと述べているからなのです。誰が言い出したか知らないけど「吉本主義者」、これを自称する人を一人二人ネットを通じて見知っていますが、それはそれでいいと思います。しかし、それを他人に対して投げかけるのは「党派性」の匂いがする、あるいはその萌芽のような気がするからなのです。わたしにとっては、その一事で彼の全著作の芯の部分を測れるのではないかと思うくらいです。

山本哲士は、ウィキペディアで確認したらやっぱり最初は教育が専門だったようですね。吉本さんの教育についての具体性を帯びた考えやイメージは浮かびますが、若い頃読んだイリイチを介した山本哲士と吉本さんの対談集では、彼の教育についてのイメージがどんなだったか思い出せません。そこから国家論など違う道を歩いてきたようですね。佐藤さんが子どもにとっての教育ということの本質に触れて近現代にしぼって取り組まれましたが、もう無理でしょうけど山本哲士にはこの日本の教育を太古から現在まで柳田国男などを潜り抜けてぶっ通してくれたらなあと思うこともあります。

ところで、わたしが昔表現の荷を下ろして表現世界から撤退していた時期に、吉本さんの本は読み続けていたんですが、以下に紹介するホームページに書いているように、「写経」のように本から書き抜いたものがあります。まだリンク切れとか多いけど、誰かの何らかの参考にでもなればとUPしてみました。

FC2無料ホームページ
http:  dbyoshimoto.web.fc2.com/
(※リンク外しのために「http:」の後の「//」を抜いています)



71佐藤公則(管理者):2017/05/24(水) 15:21:54
(無題)
 ありがとうございます。山本哲士のことは別にして、「吉本隆明を読む」の試みは貴重なものだと思います。早速いくつかの項目を拝見させていただきましたが、目にしていないものもありました。これからも時々参考に拝見させていただこうと思っています。それにしても本当に「写経」のようですね。ぼくも、一度、「全詩集」を丸ごと写してやろうかと考えたことがあったのですが、はじめる前に断念したという経験を持っています。少しばかりnishiyanさんの試みの経緯を推量できる気がします。これから、さらにリンク切れを張り直す作業も継続されていこうということのようですから、是非がんばってやりきっていただきたいと思います。

 ところで、山本哲士に「党派性」の匂いを感じるということですが、そういうところはあるのかもしれませんね。実際にYouTubeで展開している勉強会みたいな集まりの中で話しているようすなどを見ると、そういう傾向がないこともないのでしょう。しかし、「党派性」というと、ぼくには全体が党派的に見えるものですから、言い出せばきりがないという感じで、要するに自分が何かに寄っかからなければそれでいいと済ましてしまいます。そういうものと絡む場所にもいませんし、絡まれる場所にももちろんいないものですから、あまり気にしていませんでした。もちろん著述の中に「党派性」の匂いが感じ取られれば別ですが、今のところ山本が言う「吉本主義者」の言葉も、ある種苛つきの表現だろうなという感じで聞き流してきました。ぼくはまあそういう感じです。今日はこれで失礼します。




72佐藤公則(管理者):2017/05/27(土) 15:39:19
苦肉の「句」の続き
新緑の
濡れて明け初む
街の音



73nishiyan:2017/05/29(月) 14:40:47
データベースについて
リンク切れが、全部つながってしまったようです。「言葉の吉本隆明??」を自分でも時々利用してきました。少しでも他の人々にも役立ってくれればいいなと思っています。「言葉の吉本隆明?」だけは、これ大事だなと思い付いたら追加していこうかと考えています。二つ追加しました。

佐藤さんの詩を読んで考えたことですが、追い詰められると、個人でも集団でも殺気立ってきますね。どんなに心優しそうな人でも人を殺してしまうこともあるだろうし。この荒れ果てた状況の中、難しいですが、自分の中に人間や人間世界のあらゆることを包み込みつつ、ゆったりとした心を持つことが大切だねと思っています。



74佐藤公則(管理者):2017/05/31(水) 16:12:36
投稿、ありがとうございます
 データーベースの追加、ご苦労様です。そしてありがとうございます。何かの時には大いに活用させていただこうと思いますし、ほかの人たちにも何かの形できっと役立つことと思います。また、かねてからこのような試みを個人的にしている人はたくさん隠れているんじゃないかと思ってきました。もちろん少しずつやり方は違うでしょうが、大きな一つの「吉本館」でも出来上がれば面白いでしょうね。これはちょっと言ってみただけです。

 後半部分はぼくの詩を読んで考えたことを言ってくれていましたが、nishiyanさんの思いについては同感です。でも、あいかわらず均衡が破れてゆったりした心を持続できないこともしばしばです。ぼくには年齢相応の成熟なんかやってこないんじゃないかと思うくらいです。心がけてはいるんですがね。なかなかです。



75NISHIYAN:2017/06/10(土) 13:06:22
感想
本日の内田樹に関すること、わたしもそう思います。教育に関してそんなことは昔から内田は言っていますが、この状況に追い詰められた内田の切迫感から少し言葉の怪しさを加速しているような気がします。ひとりひとりの具体はどこにいるんだ?という思いが湧きます。

ともかく、戦後の知識人問題や大衆と知識人などなどの論争や批評が、現在にまったく受け継がれていないように見えるのはうんざりします。

昔、吉本さんが自分のなした大きな(だったか?)ことは、子どもを育てたこととかどこかで語られていたとき、若いわたしはちょっとうーん、と疑問に思いましたが、吉本さんは無用な謙遜などされないから、これは本気だったのでしょう。つまり、逆に言うと一般には知識も生活思想も現代的な衣装を身に着けていてもまだまだ未開性を引きずっていますね。



76佐藤公則(管理者):2017/06/11(日) 09:45:24
Re: 感想
 感想いただきましてありがとうございます。

 ぼくも、子育てというのは生涯における大事件だったという気がしますね。渦中でとても考えさせられましたし、うまくできたかどうかは分かりませんが、全身全霊をかけてきたんじゃないかと思います。つまり、そこで自己が全存在的に問われるように思われ、現在もまた問われ続けているという気がしています。だから、自分の生涯を通して大事なことは、子育てのほかには2つ3つくらいだと思っています。

 内田さんや、ぼくにとっては武田邦彦さんなんかもそうなんですが、とてもいいことをいってくれているなあとか、鋭い洞察だなあと感心するところも多いのですが、この人たちは失点も多いですよね。何でそんなことをいうの、とか、そこは言わなきゃいいのにと思うようなことを言ったりもします。
 吉本さんという人は、よくよく考えると本当に失点が少ない人だと思います。どんなことに言及していても、きちんとヒットを打って出塁する人という感じです。凡打や三振がありません。ぼくはそんなふうに受けとめてきたと思います。
 偏狭なぼくの視野の中で、吉本さんほど失点が少なく出塁を重ねてきた人というのは見当たりません。唯一無二の人という感じです。
 ただ一つだけ、これは吉本さんに対してと言うよりも東京人に対しての偏見なのですが、「宵越しの金は持たない」などの豪快なことを言いふらしながら、実際には自分の生活はチマチマと守っているところがあって、そこがどうも信用できないと思うところがあります。東北人の文学者、たとえば太宰や宮沢賢治や、石川啄木などを見ると、東京人の言説を丸呑みして、そのあげく、生活を破綻させてしまうほど打ち込んじゃうというところがあったように思います。東京人は同じようなことを言っても、生活だけはきちんと破綻させないように収支をつけるんです。東北人は言ったことに対して過激に打ち込んじゃいます。そこは東北人の「初心さ」と言ってもいいと思いますが、東北人からすれば東京人の「したたかさ」とも感じられるところです。ぼくは一点だけ、吉本さんにもその東京人の資質はあったんじゃないかなと、つまり差異というものをわずかに感じ取る部分ではあります。ここはこれまで公言してこなかった部分で、もしかするとはじめてかも知れませんが、ちょっとだけ触れてみました。




77nishiyan:2017/06/13(火) 12:53:24
Re 感想について
「宵越しの金は持たない」では生活が成り立たないでしょうから、実際は二重底になっているのでしょうね。つまり、その感性はよく解釈するなら対人的・対外的な振る舞いの願望の美とでもいうのでしょうか。吉本さんは、自己欺瞞や作為を日常生活レベルまで詰めてきた人ですから、わたしはそんなところはないと思います。東京の自分の住む地域というものに対する受容と拒絶の劇も当然あったものと思いますが。また、現在では個々人が背負って来る地域性が均質化されていますから、その地域性の強度は近代ほどではなくなっているように思います。現在では、個々人の背負ってくるそれぞれの家族性が問題になってくるように思います。この件に、直接関係するかどうか分かりませんが、

 「言葉の吉本隆明?」に、新規項目434「味つけ」を新たに追加しました。



78佐藤公則(管理者):2017/06/16(金) 11:26:32
再び「東京人」のこと
 根っからの山育ちのぼくは、「東京の人」は派手な先進文化や生活に囲まれているものと思っていました。大学で東京に出て実際に「東京生まれの人」と付き合うことになり、その時に「東京の人」は思っていたよりも「堅実な生活」を送っていることに驚きました。若者のファッション誌や先進文化に踊らされ、またその担い手となっているのは、意外にも地方出身者の我々ではないのかとその時考えました。これはぼくの単なる思い込みで、その時の印象がずっと抜けきらないでいます。
 考えてみれば、地方出身者及び地方の生活者の生活が堅実ではないとは言えないわけで、ぼくの印象はいい加減なものだと言えば言えそうに思えます。ただどうもぼくら地方出身者には東京人の冷静さに比較してウルトラな部分があるのじゃないかなと、まだ何となくそう思っているところは残っている気がします。
 ぼくは吉本さんに関してはよく分かってはいないのですが、文学的、思想的、あるいは生活上においても破綻がなく、欠点がない人だなあと映って見えます。もちろん表層からしかうかがえないのですが。で、どちらかというと自分は欠点だらけの人間ですから欠点のある人を見てほっとするというところがあります。太宰や宮沢や石川は、共通して生活上の不如意と言いますか、うまくやれないところがあったようにみえます。いずれも生活に比して自分の文学的な格闘を優先させてしまったという印象です。時代的社会的状況のせいかもしれませんが、ぼくはこれをたいした根拠もなく勝手に東北人に結びつけようとしているわけです。さらに縄文人、いわゆる狩猟人の「血」にまで遡ってみるということを直感的なところで考えているのです。もちろんこんなことはぼくの個人的なロマンというだけのことで、たいした意味も何もありませんし、強く主張するわけでもありません。前回も今回も、いってみれば言葉に表出すべきではない部分を出しているのかも知れないので、まあ軽く受け流してもらえればと思います。 



79佐藤公則(管理者):2017/06/27(火) 22:33:06
自虐ネタになりますが
眠い目をこすりながらの
毎日詩
日ごとに軽くまた薄っぺらく

※「毎日詩」の用語は、山本育夫さんという詩人のブログのタイトルにあったものを、そのままお借りしています。山本育夫さんの詩は facebookから見られると思います。



80nishiyan:2017/07/04(火) 23:33:47
更新の情報です
データベース「吉本隆明を読む」・更新の情報

「言葉の吉本隆明?」に、新規項目437「内部の論理化1」を新たに追加しました。(2017.7.4)


買った吉本隆明全集のこのテーマ関連を読んでいます。何十年も前読んで以来の再読。まだ十分に言葉が生きてると感じます。

http://dbyoshimoto.web.fc2.com/



81佐藤公則(管理者):2017/07/06(木) 16:13:40
Re: 更新の情報です
> データベース「吉本隆明を読む」・更新の情報

ありがとうございます。早速読んでみます。



82佐藤公則(管理者):2017/07/06(木) 16:17:37
ぼくら(老人)の前に道はない
モデルなき
時代の苦渋
駆け抜ける



83佐藤公則(管理者):2017/07/17(月) 14:54:18
今日の2作目の変形
挫折なき若者文化
それとして
真なるものに蹉跌いま猶



84佐藤公則(管理者):2017/07/17(月) 15:31:00
さらに変形
衰退も消失もする
おのずから
超える優位を猶優れねば



85佐藤公則(管理者):2017/07/21(金) 22:25:19
7/21の作を別に
寂寥も
溶かさぬ酷暑
にただ病む




86nishiyan:2017/07/22(土) 14:20:10
案内します
おもしろかったので、ご存じでなければと思い以下に案内します。


★「石川九楊の『書』だ。」対談
(1)から(8)、やっと「読んで」しまった。

石川九楊の今までの書(言葉)論が、初心者にもわかりやすく説かれている。わたしのような文字(言葉)のとても下手でまずい文字しか書けない文字(言葉)の「悪人」(親鸞)、文字(言葉)界のはずれにいる者にも、説得性を持つわかりやすさを持っている。

ただ、横着に言えば、わたしは、文字以前もありたぶん文字以後もあるよなあ、という人類の大きな時間の尺度をつい思い浮かべてしまう。つまり、読めればいいやとついつい文字(言葉)を心ここにあらずのようにいいかげんに扱ってしまう。今ではパソコンで、書字の過程は内在化されてしまっている。つまり、外部からうかがえないようになってしまった。

http://www.1101.com/kyuyoh/2017-07-12.html



87佐藤公則(管理者):2017/07/23(日) 14:44:29
Re: 案内します
> おもしろかったので、ご存じでなければと思い以下に案内します。
>
>
> ★「石川九楊の『書』だ。」対談
> (1)から(8)、やっと「読んで」しまった。
>

 紹介ありがとうございます。
??石川九楊の対談読みました。以前に新書版の何かを読んだことがありましたが、その時にはピンと来なくて、それっきりで読んだことがありません。今回の対談は分かりやすかったですね。筆致から時間や勢いが感じ取れるというあたりが一番ピンと来たことでした。

 日本も日本語もこれからさまざまに変わりゆくことは必至だと思います。



88佐藤公則(管理者):2017/07/27(木) 14:24:50
7/27の2作目を別に
「いまここ」に小石のごとく在るだけで
一歩の着地惑わせたかも



89佐藤公則(管理者):2017/08/11(金) 21:54:25
8/11の別作
夕食(ゆうげ)後の
睡魔を跨ぐ
音花火



90佐藤公則(管理者):2017/08/12(土) 11:49:54
8/11をもうひとつ
夕食(ゆうげ)後の
静寂(しじま)に開く
音花火



91佐藤公則(管理者):2017/08/19(土) 16:37:22
8/19を別に
叶うなら母音を捨てて生き直し
金切り声でがなり立てたい






92佐藤公則:2017/09/10(日) 16:04:21
9/10の別作
向日葵も
秋桜も咲く
田舎道




93佐藤公則:2017/09/12(火) 18:51:09
9/12にもうひとつ
「さいなら」と
掛け合う子らの
秋夕焼



94nishiyan:2017/09/26(火) 12:36:45
データベースの更新情報です
データベース「吉本隆明を読む」・更新の情報・

「言葉の吉本隆明?」に、新規項目453「危うい社会状況での対処法」を新たに追加しました。(2017.9.26)

 ※ 吉本さんは、現在的な悪状況を10年以上も前に探知しています。

#吉本隆明
#データベース・吉本隆明を読む

http://dbyoshimoto.web.fc2.com/



95佐藤公則:2017/09/26(火) 16:08:50
ありがとうございます
データ情報更新のお知らせありがとうございます。早速拝見させてもらいました。吉本さんの言葉、それにnishiyanの感想、共にためになり、鼓舞されるものでした。ぼくもそれに倣うつもりでいます。



96nishiyan:2017/10/29(日) 00:52:51
Tシャツ詩20171028
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000087M.jpg

Tシャツ詩を作ってみました。



97nishiyan:2017/10/29(日) 11:29:25
Tシャツ詩20171029
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000088M.jpg

いくつか作ってみようかと思っています。(バーチャルとして)



98佐藤公則:2017/10/29(日) 15:03:33
(無題)
これ、なんかよく分からないけど、いいですね。(^_^)
新しいジャンルとして確立される可能性があるんじゃないですか。
面白いです。



99nishiyan:2017/10/29(日) 20:00:36
Tシャツ詩について
運動クラブの子どものスポーツ着の背中などに、何やら格言めいた言葉や鼓舞するような言葉が書いてあるのを前から気になっていました。さらに先日、よしもとばななさんの小説の挿絵を描かれたことがある奈良美智さんが、Tシャツに自分の絵を印刷したのを近々売りに出すということで、見本版の画像をツイッターにUPされていました。それに短歌Tシャツというのはあるらしいです。というわけで、Tシャツ詩もよさそうだなと思っていくつか作ろうと思っています。着て歩くというTシャツというものの強い制限がありますが、かえって気楽な面白みを感じてしまいました。



100nishiyan:2017/10/30(月) 12:02:26
Tシャツ詩
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000091M.jpg

Tシャツ詩2017.10.30



101nishiyan:2017/10/31(火) 11:15:02
Tシャツ詩
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000092M.jpg

Tシャツ詩2017.10.31



102佐藤公則:2017/10/31(火) 16:33:58
nishiyanさんへ
特許を申請したり、実際に作って販売するという手もありそうですね。
短歌Tシャツがあるなら、「Tシャツ詩」にして、詩集にもしちゃうとか。
半分冗談で、半分はまじめにそんなことを思います。
売れるかどうかは分かりません。(^_^)



103nishiyan:2017/11/10(金) 02:12:30
Tシャツ詩
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000094M.jpg

Tシャツ詩2017.11.01


(佐藤さんへ)
出版関係の人や物書きで食べている人は、必死でしょうが、その面からはわたしのはお遊びになります。しかし、お遊びといっても、表現の過程ではまじめに必死にやっています。どんな場所でも、表現上で自分を殺したり抑圧したりすることなく、言いかえると、社会に漂う類型化したマスイメージに流したり迎合したりすることなくやろうとしているつもりなんですが。生真面目に語るとそういうことになります。




104佐藤公則:2017/11/11(土) 05:32:03
nishiyanさんへ
コメントを読むと、わたしがお遊びとして揶揄しているように受け取られたと感じますが、そういうつもりではないです。深く考えたわけではありませんが、歌の発生当初の人々からすると文字に詠まれたり、さらに定型化したり、あるいは旅をし、火鉢を抱えて歌を詠むことは想像も出来なかったと思います。また近世にかけて歌がるたのような形で再び大衆化するということも考えられなかったことです。そうした変遷を考えますと、これからもそうした予想外の変遷があるんだろうなと単純に思います。今ならば斬新か、斬新すぎる発想と思われるものが、いつかフォーマルになってしまうということも全くあり得ないことではないかも知れないという気もします。表出の仕方としても、どんな媒体でということも、いろんな枝分かれが想像されるので、いずれにせよいろいろな試みは貴重なものではないかとわたしは思っています。またわたし自身はなかなか柔軟な発想というものが取れないので、他の人のそうしたアイディアには余計に感心してしまうところがあります。



105nishiyan:2017/11/20(月) 00:56:47
佐藤さんへ
うーん、顔を突き合わせない電子会話はむずかしいですね。佐藤さんの話はそのまま理解しています。確かに、佐藤さんの投げた言葉をよけたように見えますが、そして実質よけたことになりますが、そのまま話を返せば「ええ、そうですね」くらいの笑い話で終わるものですから、「生真面目に語」ってみたというわけです。わたしは「親父ギャグ」も好きで、遊び心の余裕もあるつもりですが、この「Tシャツ詩」がそんな軽いものと見なされて結構なんですが、わたしの舞台裏としてはそんな「生真面目」さもありますよ、ということで特に佐藤さんには語ったという次第です。自分では実際に作る気はないですけど、著作権なんか主張する気はないから、気に入って作ってみたいという人が出たらとてもうれしいなと思います。
ああ、それから言い忘れていました。そんなにたくさんは作れないと思いますが、「Tシャツ詩」で、佐藤さんの掲示板をお借りします。



106nishiyan:2017/11/21(火) 01:41:18
Tシャツ詩
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000097M.jpg

Tシャツ詩2017.11.02
#6




107佐藤公則:2017/11/30(木) 00:27:58
nishiyannさんへ
ああ、そういうことですね。分かりました。それからこの掲示板のご利用のこと、どうぞどうぞです。
それにしても「Tシャツ詩」、面白い狙いですよね。ぼくにはまだちょっと難しい気がします。いやなんですけど、ぼくが書くと何か堅苦しくなって「Tシャツ」のニュアンスが出ない。nishiyanさんのやろうとしていることはよく分かって、ぼくもそんなふうにやってみたいと思うけどまだ力不足ですね。続編を楽しみにしています。



108nishiyan:2017/12/01(金) 04:49:44
Tシャツ詩2017.11.03
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000099M.jpg

Tシャツ詩2017.11.03

#7

(佐藤さんへ)
はい。ちから加減を微妙に、気楽に、がんばってみます。これは自分自身もたのしむ詩だろうなと感じています。



109nishiyan:2017/11/05(日) 02:08:08
Tシャツ詩20171105
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000100M.jpg

Tシャツ詩20171105

#8




110nishiyan:2017/11/08(水) 10:57:18
Tシャツ詩 #9
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000101M.jpg

Tシャツ詩 #9


若い命は
危うくて
呑貪呑 貪呑貪 突き進む




111nishiyan:2017/11/08(水) 11:22:37
Tシャツ詩 #10
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000102M.jpg

Tシャツ詩 #10




112nishiyan:2017/11/09(木) 10:51:34
Tシャツ詩 #11
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000103M.jpg

Tシャツ詩 #11



113nishiyan:2017/11/10(金) 12:48:37
Tシャツ詩
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000104M.jpg

Tシャツ詩

#12



114nishiyan:2017/11/12(日) 11:30:02
Tシャツ詩
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000105M.jpg

Tシャツ詩

#13

「違うだろう!」
子どもの肌に
言葉の飛沫の刺さる



115nishiyan:2017/11/14(火) 00:59:01
Tシャツ詩 #14
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000106M.jpg

Tシャツ詩

#14

(はああああ)
秋 ねこのように
背伸びする欠伸する



116佐藤公則:2017/11/14(火) 16:21:52
Re: Tシャツ詩 #14
 いいですねぇ。ぼくも猫さんの真似をしなくちゃと思います。



117nishiyan:2017/11/15(水) 10:54:21
Tシャツ詩 #15
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000108M.jpg

Tシャツ詩

#15

どんな眼差しも
心の窓を開けて
やって来る


※佐藤さんへ
コメント、どうも。



118nishiyan:2017/11/17(金) 00:53:18
Tシャツ詩 #16
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000109M.jpg

Tシャツ詩

#16

(ガラ ガラン)
ちょっときつい眼差しは
びくっと受け止めらる



119nishiyan:2017/11/18(土) 00:00:53
Tシャツ詩 #17
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000110M.jpg

Tシャツ詩

#17

ひとつの眼差しにも
この地の 遙かな果てより
生い繁って来た樹木の今よ



120nishiyan:2017/11/18(土) 11:18:26
Tシャツ詩 #18
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000111M.jpg

Tシャツ詩

#18

歯痛のきみは
ひとり
暗いトンネルの中



121nishiyan:2017/11/19(日) 20:19:00
Tシャツ詩 #20
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000112M.jpg

Tシャツ詩

#20

ひとり生まれ
葉揺れくり返し
ひとり静かに散ってゆくのか

#Tシャツ詩



122nishiyan:2017/11/19(日) 20:44:57
Tシャツ詩 #19
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000113M.jpg

Tシャツ詩

#19

大空の青ばかりでなく
木の葉一枚にも
心にぎわう病み上がり


※ #19をとばしていました。



123nishiyan:2017/11/21(火) 01:07:44
Tシャツ詩 #21
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000114M.jpg

Tシャツ詩#21

ああ なんと
これは・・・
『猿の惑星』

註.また映画『猿の惑星』があっているらしい。ずいぶん昔にテレビで観た。その種の驚きについて。



124佐藤公則:2017/11/21(火) 14:01:27
nishiyanさんへ
質問です。
これ(Tシャツ詩)はウィンドウズ付属の「ペイント」でも出来そうですが、どんなソフトを使って制作しているのでしょうか。ずっと気になっていたので、もし教えていただけたらお願いします。



125nishiyan:2017/11/22(水) 13:13:06
Tシャツ詩#22
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000116M.jpg

Tシャツ詩

#22

うん? なんと
軍事オタクらのそこを流れる
「大日本オタク帝國憲法」



126nishiyan:2017/11/22(水) 13:36:51
画像への製作について
 佐藤さんへ

はい、ウィンドウズ付属の「ペイント」を使っています。

1.まず、Tシャツの画像はネットからひろってきたものです。
(サイズが大きすぎたら、フリーソフトの「リサイズ超簡単!Pro」で小さくしたりします。たぶん、これでそのTシャツの画像は小さくしたと思います。)

2.その後の過程を具体的に言うと、

・そのTシャツの画像をウィンドウズ付属の「ペイント」で読み込みます。

・読み込んだ画像の右側を伸ばして空けます。その右側の空いたところで「ペイント」の「テキスト」(「A」の印)に別の所から作品を貼り付けます。書体や文字のサイズは、その「テキスト」のところで変更します。

・そのできたテキストを「選択」で囲み、「回転」を使って「右へ90°回転」します。それを「選択」の中の一番下にある「透明の選択」をして、Tシャツに持っていって適当な場所に貼り付けます。

・右に引き延ばして空けていた部分を元に縮めて、ファイル名をつけて「JPEG画像」で保存してできあがりです。

と、こういった次第です。画像ソフトはいろいろあるようですが、わたしはこのシンプルな「ペイント」を愛用しています。





127佐藤公則:2017/11/22(水) 15:45:17
Re: 画像への製作について
丁寧に教えていただきありがとうございます。



128nishiyan:2017/11/23(木) 10:39:48
Tシャツ詩#23
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000119M.jpg

Tシャツ詩

#23

(からん ころ からん ころ)
時代とともに
なじみの音消え また新た



129nishiyan:2017/11/25(土) 12:19:24
Tシャツ詩#24
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000120M.jpg

Tシャツ詩

#24

ちがった世代、ちがう土地
ふたり出会えば
内で言葉ちぐはぐ奏でる




130nishiyan:2017/11/26(日) 23:10:59
Tシャツ詩#25
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000121M.jpg

Tシャツ詩

#25

髪の色も言葉も違っても
ふたり出会えば
言葉以前の流れ合う



131佐藤公則:2017/11/27(月) 14:58:11
26日の句を別に
霜降りて白菜の葉は青々と

※いずれにしてもたいした句にはなり得ませんね。見えたまんまです。



132nishiyan:2017/11/28(火) 00:48:02
Tシャツ詩#26
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000123M.jpg

Tシャツ詩

#26

ばしっと受けとめた
ボールの感触
人と人とのあわいに流れる



133nishiyan:2017/11/29(水) 12:57:06
Tシャツ詩#27
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000124M.jpg

Tシャツ詩

#27

これでもそれでも
あれでもなくって
ええっと みどりの葉裏の
あれみたいな



134nishiyan:2017/12/11(月) 02:30:48
Tシャツ詩#28
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000125M.jpg

Tシャツ詩

#28

・・●・・●・・・・・・●
●・●・・・(●)・・●
・・・・((・))・・・・・・★




135nishiyan:2017/12/21(木) 01:31:13
Tシャツ詩#29
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000126M.jpg

Tシャツ詩

#29

ほんとうは(誰もが知ってる)
規則の境界のずっと向こう
子どもらが跳びはね悩む



136nishiyan:2017/12/04(月) 00:05:45
Tシャツ詩#30
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000127M.jpg

Tシャツ詩

#30

ほんとうの味方はね
やわらかい眼差しと言葉とを
ずしりと隠し持っている人さ


※ 「Tシャツ詩」は、ここらでおしまいにします。




137佐藤公則:2017/12/04(月) 14:55:06
nishiyanさんへ
ここらでおしまい、とあってちょっと残念です。毎日読むのを楽しみにしていたんですが・・・。ここまでの掲示板の活用ありがとうございました。また何かありましたらご活用ください。



138nishiyan:2017/12/04(月) 15:12:53
はい。
はい。また近々お世話になります。



139nishiyan:2017/12/05(火) 10:34:14
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000130M.jpg

唐突ですが、わたしが若い頃、「ひも作り」で作ったもっとも大きい焼き物の傘立てです。上部の口径は約20?、高さは約47?です。焼き物を習いつついっしょに作っていた同僚の方に焼いてもらいました。傘立てを作ろうとして作ったのではありませんが、用途としては飾りか傘立てでしょう。



140佐藤公則:2017/12/05(火) 16:15:34
Re: (無題)
ぼくも徳利を作ったことがありますが、家では一輪挿しとして使われ、そのうちに物置の奥に消えてしまいました。nishiyanさんの作品ほど本格的なものではありませんでしたが。



141nishiyan:2017/12/06(水) 00:32:33
傘立て詩#1
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000132M.jpg

傘立て詩

#1

雨の日の町内会の寄り合いに
開いて 閉じた
傘がない ない ない ないなあ


(佐藤さんへ)
 勤めていた私立高校に窯がありまして、陶芸が週一回ある「ゼミ」という授業にも組み入れられ、また陶芸クラブもありました。指導している人が体育の先生でしたが、繊細な、いい人でした。放課後居残りして習いつついっしょに作っていました。三年間位だったと思います。だから、そんなには作っていないのです。
 「傘立て詩」、またよろしくお願いします。これは、少しゆっくりやります。





142佐藤公則:2017/12/06(水) 12:41:30
Re: 傘立て詩#1
こういうことでしたか。「傘立て詩」とは予想も出来ませんでした。
ちなみにぼくの傘は町内会にはまだデビューを果たしていません。特に敬遠しているということもないのですが・・・。



143nishiyan:2017/12/09(土) 11:52:56
傘立て詩#2
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000134M.jpg

傘立て詩#2

若い頃傘貸すように
貸した本
今や借り主もおぼろ



144nishiyan:2017/12/14(木) 01:47:35
傘立て詩#3
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000135M.jpg

傘立て詩

#3

じっと立つ電柱のように
風になびいている
物静かな人もいるさ



145nishiyan:2017/12/14(木) 15:18:29
UPしました
(わたしがネット上で呼びかけを開始した「消費を控える活動」のしめくくり)
という文章をブログなどにUPしました。読んでいただければ、と思います。



146佐藤公則:2017/12/15(金) 00:40:56
nishiyanさんへ
読ませていただきました。nishiyanさんの文章はそれ自体としては立派に総括されている文章じゃないかなという感想を持ちました。当初からぼくはnishiyanさんのやろうとしていること、つまり吉本さんが言っていた生活者の消費力の自己コントロールの実践化を、どのような形でどのように広めることが出来るのかについて興味関心を持ち注視してきました。たぶんその折に、ぼくなりに、今が実践の時期なのだろうかというような懸念も独り言のように呟いた記憶があります。けれども、そういうことよりも、吉本さんを読む多くの人たちが躊躇したりまともに検討しようともしない中で、ひとり果敢に挑戦しようとする人がいることに驚くと共に、結果がどうであれ、それに最初に取りかかったnishiyanの功績をぼくは高く評価したいと思っています。こういうことはやはり誰かがやっておかなければならなかったことです。nishiyanさんがそれをやってくれたおかげで、nishiyanさんにも、周囲のぼくらにも、課題なり何なりがまた見えるようになったと思います。ぼくなんかはもう少し分からないと動きようがないように感じ、また分からないことが多くてどうしようもないのです。まだまだ後ろ姿を追わせていただくことになると思います。活動は休止しても考察は続けるということですので、それを期待しております。ぼくも有効性ということは疑っていませんし、可能性を今後も探り続けたいと考えています。



147nishiyan:2017/12/16(土) 01:35:05
傘立て詩#4
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000138M.jpg

傘立て詩

#4

動いていない
と見えるもの
内に微動しているよ


佐藤さんへ
 読んでもらい、感想もいただきありがとうございます。やってみないとわからない見えてこないということがありますね。たいしたことはできませんでしたが、素人ながらいい経験をしました。
 それに新たなことをやることは、どんな分野でも少数で孤独なことを避けられないですね。今では「ベーシックインカム」という言葉もずいぶん広まってきましたが、それでも社会のAI度が格段に上がって雇用などが問題化しないと本格的に検討を迫られるという風にはならないのでしょうね。物事には時季ということもあるように見えます。




148佐藤公則:2017/12/17(日) 11:46:25
nishiyanさんのコメントを読んで
最近のデータでは、世帯年収で500万以下が6割、1000万以上が1割、また300万以下が全体の3割程度だという結果が出ています。きちんと調べていないのでこのようなデータの信憑性がどうかという問題はありますが、いずれにしても景気のよい家庭は少ない気がします。つまり多くの家庭は収入のほとんどを必要経費に廻さざるを得ない状態だという気がします。選択消費できる余裕がない状況にあるのではないでしょうか。吉本さんが生活者の経済的な力を指摘した頃とはずいぶんと状況が違ってきているという気がします。この辺をnishiyanさんがどう考えているのか、あるいは本当はどうとらえるべきか、教えていただければありがたいです。(こういう捉え方にぼくは自信がないのです。)



149nishiyan:2017/12/17(日) 15:58:39
佐藤さんへ 1/2
 確かにわたしたちの経済状況が悪化してきています。大多数が実感としてあると思います。それは失政や意図的な悪政というほかないものによって引き起こされているはずですが、わたしたちは社会の具体的な場で具体的に生活防衛するほかありません。

 ほんとうはわたしたち生活者が政権を蹴り落とすくらいの政治性を発揮すべきだと思いますが、政党や政治の液状化現象でわたしたちの〈代理〉がよく見えないという政治の状況もあるように思います。

 わたしも「吉本さんが生活者の経済的な力を指摘した頃とはずいぶんと状況が違ってきているという気が」しました。だからあんまり「選択消費」を前面に出すことはしなかったと思います。しかし、いずれにしても二昔前の身近なもので間に合わせという自給的な生活は払底されてしまって、現在は、お金を出して消費して物やサービスを購入するしかない高度消費社会になってしまいました。逆に言えば、広告あふれる社会になってしまっているように、企業は商品やサービスを買ってもらえないと存立できないことになります。知らぬ間にこういう社会になってしまいました。わたしたちはまだ一昔前の自給性の名残を持った、高度経済成長以前の社会を見知っていますから、こういう社会は少し驚きがあります。しかし、現在の子どもたちはもはやそれが自然、当然となっているはずです。

こういう相互関係では、家計の状況が悪化して現在は自らの身を切るように家計消費の必需消費が抑えられていると思いますが、消費を控えることは有意味だと思っています。その消費を控えることを意識的なものに転位させることができれば、政権や政治はさらに恐れおののくと思います。安倍晋三が選挙前だったか「ていねいに・・説明・・」とか口先だけを言っていましたが、これは公衆にさらされていることからの恐れからきているはずです。

 わたしたち生活者がまとまって何か表現するということ、つまり生活者の政治性の表現は、選挙以外には思い当たるものがほとんどありません。わたしたちの経済状況が逼迫してきている状況で、政治がその悪影響を読み取り内省した行動を取らない限り、わたしたちの日々の具体的な行動による政治的な表現は、必要だと思っています。(しかし、その行動の現実化はむずかしそうです。) 「消費を控える」ということは、現在の高度消費社会の生活者と企業等との相互関係が押し出してきた表現や行動のイメージを本質とするものであって、家計状況の良し悪しとはとりあえず直接は関わらないと考えています。ただ、具体的に表現する場合の威力の差はあると思います。

 こうしたこととは別に、わたしたち生活者の経済状況や現在に至る推移をたどることは必要だと思っています。何回か訪れたことがありますが、政府の資料は、ていねいなんだけど、煩雑でわかりにくく見にくいです。以下、主なところを取り出してみました。(続く)



150nishiyan:2017/12/17(日) 16:02:19
佐藤さんへ 2/2
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa03/2-1.html



151佐藤公則:2017/12/18(月) 14:45:12
nishiyanさんへ
 丁寧に教えていただきましてありがとうございます。
 データの方ですが、書かれたアドレスに飛んで確認しました。ぼくの元になっているのはネットで見かけられるもので、金融や経済を専門とする人が国税庁の調査を使ってグラフ化したもののようです。少し内容が違っているようですがよく分からないです。

>「消費を控える」ということは、現在の高度消費社会の生活者と企業等との相互関係が押し出してきた表現や行動の イメージを本質とするものであって、家計状況の良し悪しとはとりあえず直接は関わらないと考えています。

 最初のコメントに書かれていますが、要するに「イメージが本質なんだよ」ということをおっしゃっているんですよね。ここらがどうもよく分からなくて、たとえばぼくの感覚ですと、貧しくて控えるほどの消費なんかしていないよということになってしまいます。つまり消費を控えるというイメージをつくりがたいように感じるのです。
 もしかすると、ここは認識だけの問題になるのでしょうか。つまり消費を控えることで経済を縮小させることが出来、ぼくたちは政府をリコールできることを知るだけでいいんだと。多くの生活者がそのことに気づき、自覚するようになれば、先ずはいいんだということなのでしょうか。お手数なので返事はいりませんが、こういうことをずっと考えてきているのです。で、よく分からないんです。まだ自分の中できちんと答えを見つけ出せていないんです。



152nishiyan:2017/12/19(火) 14:07:43
傘立て詩#5
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000143M.jpg

傘立て詩

#5

「なめとっとや?!」
(なめてはいないけど)
「わたしは・そう・思います」



153nishiyan:2017/12/19(火) 14:13:23
返信2017.12.19
 いえいえ、別に「お手数」ではないです。お互い知恵を絞り合う方が有益だと思います。わたしはこの現在の社会の段階、その構成にまだまだ通じてはいませんので、対話で見えてくることもあると思います。そしてそのとき、ささいに見える疑問は大切だと思います。

 先にわたしは、「『消費を控える』ということは、現在の高度消費社会の生活者と企業等との相互関係が押し出してきた表現や行動のイメージを本質とするものであって、家計状況の良し悪しとはとりあえず直接は関わらないと考えています。ただ、具体的に表現する場合の威力の差はあると思います。」と書いています。この「イメージ」という言葉を使った箇所で、これは別の言葉がいいかなと思い迷ったことがあります。その「イメージ」は、(関係や構成の像)あるいは(有り様)という意味で使っています。もう一度、たどり直してみます。

1.おそらく江戸期までは、この列島社会は農業が中心の社会で、どうしても必要な鉄材の農具やお盆や正月に必要な品々は行商や町に出かけて買っていたものと思います。つまり、太古の話ではなく、江戸期そしてその名残として近代の高度経済成長期以前までは、自分の小さい頃の見聞きした実感を交えてその自給的生活が主流だったと考えています。こういう農業中心の産業社会、経済社会では、柳田国男の言葉(註.1 以前わたしが「沈黙の在所」6の詩に引用した言葉)のように消費する者は現在以上に買い控えることができます。町人や武士がいたとしても主流は多数を占める農民のであり、その「家計消費」の中心が自給性にあるからです。しかし、自給できないものを買い控えたとしても、現在のように社会的な威力としては発現しません。

2.高度経済成長期以後の大きく変質してしまった産業社会、経済社会については、天然水が販売され始めた1970年代だったと思いますが、それを潮目として高度消費社会に突入してきたと吉本さんがていねいに分析されていたと思います。上の1.の文脈でその社会内のイメージ(関係や構成の像)で言うと、高度経済成長期の生み出しものや波及させたことの促しによって産業社会がサービス産業の方にシフトしてしまい、自給性の生活が払底されてきたということだと思います。このことは、一面では、わたしたち生活者は誰でもお金を稼いでそのお金を使って生活に必要とするものを〈消費〉せざるを得ない状況に置かれてしまったということになります。こういう家計消費がGNPの過半を占めるような社会では、わたしたち生活者の側から見れば、「消費」しないと生活できません。そして、所得の低下や物価上昇など経済社会や政治から波及してくるものに対しては、生活者は当然のこととして消費を抑えるなど少し身構えて対処するはずです。この生活者の自然な行動が総和として表現されるとき、社会の経済の現状を大きく揺さぶりますから、政治担当者などはうろたえるほかありません。・・・フライデーなどいろんな消費喚起政策をひねりだしているようですが、ほんとうに生活者のための政治経済政策を取らないかぎり現状のような主流は変わらないと思います。

 つまり、現在は、1.の世界ではなく2.のような社会になってしまったということで、生活者の悪政などに対する無意識的な防御という自然な行動自体が、無意識的な政権や政治批判になり得るし、その力として表現されてしまう社会段階になっているというふうに考えています。これは以前述べたことがありますが、わたしたち生活者は、知らない間に大きな力(経済的な権力)を持たされてしまった社会段階に生きているということになると思います。わたしの行動提起は、生活者のその自然な行動を意識的なものに転位させたいなという試みでした。

 付記
 佐藤さんのこだわりというか疑問は、「たとえばぼくの感覚ですと、貧しくて控えるほどの消費なんかしていないよということになってしまいます。つまり消費を控えるというイメージをつくりがたいように感じるのです。」というところ、具体性や実感にあるのでしょうか。

 上に述べたのは、現在の生活者と店や企業との関係、つまり社会内の関係が変貌してしまったということです。もちろん、半世紀前から、サラリーマンの家に育って現在みたいな消費中心の生活になじんできた人は、昔も今も消費は変わらないじゃないかという実感を持つかもしれませんが、社会の重心や構成として見たら大きく変わってしまったということ。そして、中流意識が9割という状況から現在のような「不況」意識に落ち込んできたわけですが、その社会内の関係の本質が変わるわけではありません。選択消費も落ちているでしょうが必需消費も抑えられているのが現状でしょう。つまり、わたしたちは自然に(のように)家計消費を変動させてきています。消費を控えてもきています。しかし、わたしたちは日々消費をせざるを得ません。この両者の関係にはある臨界点があるような気がします。つまり、わたしたち生活者は唯々諾々と堪え忍ぶばかりではないと思います。また家計消費が過半の経済力を持ってしまっているのだから、放っていても、この政治経済担当層とわたしたち生活者との見えないところでの押したり引いたりのせめぎ合いが、政権は倒せないとしても現在の流れを変動させていくのは確かだと思っています。

 今回は、とりあえずこんなところで終わります。(12/19)


 (註.1)
 これに反して町が村に対抗しようとする気風は、かえって
それ以前に始まっている。いわゆる都鄙問題の根本の原因は、
何か必ず別にあったはずである。
 私の想像では、衣食住の材料を自分の手で作らぬというこ
と、すなわち土の生産から離れたという心細さが、人をにわ
かに不安にもまた鋭敏にもしたのではないかと思う。今でこ
そ交易はお互いの便利で、そちらがくれぬならこちらもやら
ぬと強いことが言えるが、品物によっては入用の程度にえら
い差があった。なくても辛抱できる、代わりがある、また待
ってもよいという商品を抱えて、一日も欠くべからざる食料
に換えようという者などが、悠長に相手を待っておられぬの
は知れている。ましてや彼等が農民の子であったとすれば、
小さな米櫃に白米を入れて、小買いの生活に安堵してはおり
にくい。
  (『都市と農村』 P350 柳田国男 ちくま文庫)

 柳田国男のこのシンプルな生活者と商との関係の構造の把握は、現在のように広告産業が華やかなイメージを振りまき誘惑し続ける続ける社会においても、不変だと思います。気に入った捉え方です。



154nishiyan:2017/12/20(水) 11:13:32
傘立て詩#6
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000145M.jpg

傘立て詩

#6

川原に小石がころがっている
ただそれだけなんだけど
その小石がひとつ心に落ちてきた



155佐藤公則:2017/12/21(木) 15:43:24
Re: 返信2017.12.19
 前回の文章を読んでだいぶ理解が進みました。「自給性の生活が払底されてきた」という言葉で、シフトした生活者の位置と経済社会における潜在力の増大がよりはっきりと見えてくる気がします。変化については理解していましたが、ぼくはそこからの観点が薄かったかなと思います。全体としての認識は同じかと思いますが、nishiyanさんの文章はよく整理されていて、ぼくなんかが漠然と考えているところを分かりやすく表現してくれていると思います。
 で、nishiyanさんは、「わたしの行動提起は、生活者のその自然な行動を意識的なものに転位させたい」と眼目を述べていらっしゃいます。いわば無意識的な有り様を意識的なものにさせたいということですね。ここも、分からなくはないです。ただ、ここのところを意識するということは関係性とか、経済社会構成を理解するという意味になるかと思います。すると、そこでは啓蒙的にやっていくほかないということになりそうです。
 ただ、このように考えてきますと、「消費を控える」という具体的な行動の指針の言葉と、どう関わってくるかということがよく分からないのです。もっと具体的にいうと、理解のところですましておけばいいじゃないのかということなんです。今の段階ではそこのところでいいんじゃないのかと。
 そこから次の段階として、現政権を批判する際の手段としての経済力の行使、つまり消費の抑制という形で展開することが可能になるということが出てきます。ここのところもよく分からないんですね。現在のように経済のパイが縮んだところで、どれほどの効果が認められるかということです。当分のところ歴代の政権は経済不況に汲々としてきました。生活者層もまた自衛的になることを余儀なくされてきています。消費の抑制を余儀なくされてきたという実際があるように思います。こういう状況下では「消費を控える」という行動の指針は、それほどの効果が持てないのではないのかというのが、ぼくなんかの理解の仕方です。 どんな政権も、生活者が行動を起こす前に、すでに汲々とせざるを得ない状況にあるわけです。そしてどの政権も打開など出来ないというのが先見的だとぼくは思っています。安倍政権は旧来通りの政権の内で、最後の政権といってもいいような、がむしゃらな打開策を講じている気がします。ぼくはだめだと思っていますが、いわゆる悪あがきなんだと思います。もちろんこの悪あがきさえほかの政権ではやれませんでしたから、ある意味では考えられることは考えつくしてやっているように見えます。何もやらないことにくらべるとやっているように見えてしまいます。それがおそらくは支持率が低下しない理由かと思います。支持といっても消極的な支持なのでしょう。しかし、経済効果は一部の領域、分野にしか波及されないようですから、早晩、退かざるを得なくなることは目に見えているという気はします。悪あがきにも限度はあります。
 少し論点がずれたので元に戻しますと、現在の状況下で、「消費を控える」呼びかけはやはり難しいことのように思えてなりません。じゃあ、いつなら遣れるんだというと、分かりません。吉本さんの分析に対し、理解と共感は持つのですが、実効性の問題として考えると、腰が引けます。これまで為されたことがないことですから、誰がどのように、どんなときにやればいいのかさえよく分からないのです。そこのところでnishiyanさんの言動に注目してきました。何かまた考えがあれば教えてください。



156nishiyan:2017/12/22(金) 13:42:21
傘立て詩#7
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000147M.jpg

傘立て詩

#7

沈黙に
道があり街があり
ひとりぶらついている


佐藤さんへ
前回のぼくの文章は、手を入れてこの間の「しめくくり」の続編としてブログなどに載せようかと思っています。佐藤さんのいろいろな指摘、ゆっくりじっくり考えていきたいと思っています。しめくくりした今は、ちょとほっとしている状態です。いろいろやろうとしていることが詰まっていますが、できるだけ張り詰め過ぎずにやろうと思います。この件で(この件以外でも良いですが)、何か思いついたら互いに意見交換しましょう。



157佐藤公則:2017/12/24(日) 02:26:56
nishiyanさんへ
はい、そうします。今後ともよろしく。



158nishiyan:2017/12/24(日) 12:26:20
傘立て詩#8
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000149M.jpg

傘立て詩

#8

沈黙の街に
天候も季節もあり
秋雨の中傘さし渡る



159nishiyan:2017/12/28(木) 00:08:49
傘立て詩#9
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000150M.jpg

傘立て詩

#9

目を合わせずに
黙っていて
通じ合う
通路の時代があった


註.近代以前、世界は狭く、この列島では、互いにあまり
目を合わせず、寡黙が普通であった。柳田国男もそう記している




160nishiyan:2018/01/11(木) 02:15:38
今年もよろしく
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000151M.jpg

 こちらから、新年のあいさつをさせてもらいます。

 吉本さんは、「生涯現役」と言われましたが、どんな姿形、
どんなに何もしていないように見えても、この人間界に生きて
いる限りは、万人が「生涯現役」であろうと思っています。
 今年もよろしく。



161佐藤公則:2018/01/11(木) 03:02:33
Re: 今年もよろしく
おめでとうございます。
昨年もいろいろ教わることが多く、お世話になりました。今年もよろしくお願いします。
こちらは今し方アップしたところで、nishiyanさんにはこれからメールを差し上げようとしていたところでした。
今日の作品は新年らしくていいですね。重くもなく、軽すぎもせず、いいくらいの意気込みのようなものが感じ取れます。テンションとしてはそういうところで数年間休まず書き続けてこられていますので、スタスタと確かな足取りで歩み行く後ろ姿もはっきりと見えてきます。これからも期待しています。刺激を受け取ってぼくもがんばらせてもらいます。



162nishiyan:2018/01/21(日) 02:41:10
傘立て詩#10
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000153M.jpg

傘立て詩

#10

沈黙の
通路に花の咲き
互いに匂い立つ かすか




163nishiyan:2018/01/06(土) 15:12:21
傘立て詩#11
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000154M.jpg

傘立て詩

#11

前後上下に内なる目を向けつつ
ち・ん・も・く・ば・へ
沈黙場から浮上するイメージ群
きらめき上る




164nishiyan:2018/01/10(水) 01:33:43
傘立て詩#12
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000155M.jpg

傘立て詩

#12

沈黙場
在ること自体に
わたしも 世界も 生きて揺らぎ在る




165nishiyan:2018/01/14(日) 13:28:39
傘立て詩#13
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000156M.jpg

傘立て詩

#13

黙っていたらわからない
というわけでもない
ちゃんと伝わり来る滴がある




166nishiyan:2018/01/18(木) 01:57:28
傘立て詩#14
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000157M.jpg

傘立て詩

#14

「ここ置いときますね」
「ああ はい」
「どうもねー」




167nishiyan:2018/01/22(月) 01:40:10
傘立て詩#15
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000158M.jpg

傘立て詩

#15

昭和の古い家並みに
草も生え
傘立ても静かに眠っている




168nishiyan:2018/01/27(土) 00:23:58
傘立て詩#16
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000159M.jpg

傘立て詩

#16

眠りの内に
ぶつぶつ泡上るも
時は容赦なく掃き去っていく




169nishiyan:2018/01/30(火) 01:41:29
傘立て詩#17
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000160M.jpg

傘立て詩

#17

「明日は 必ず
行きますから」




170nishiyan:2018/02/10(土) 02:00:19
傘立て詩#18
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000161M.jpg

傘立て詩

#18

(千日も 行けなかった
けど あ し た
は かならず 行きますから)




171nishiyan:2018/03/03(土) 05:39:07
傘立て詩#19
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000162M.jpg

傘立て詩

#19

言葉は地面に腰下ろし
子どもらの遊び回る
動線を追ってゆく



172nishiyan:2018/02/07(水) 00:10:54
傘立て詩#20
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000163M.jpg

傘立て詩

#20

遙か昔の
(さあ 泉よ湧け!)
の思い込め傘立てることもある


佐藤さんへ
作歌というか詩的表現、お疲れさんでした。こちら数日来風邪気味で昼間は寝込んでいました。たいぶよくなりましたが、もう少しかかりそうです。こちら以上に寒そうですから、佐藤さんもお気をつけください。



173nishiyan:2018/02/10(土) 01:25:07
傘立て詩#21
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000164M.jpg

傘立て詩

#21

小さいことに見えるけど
ある日小石見て
縋(すが)り願い祈ることはあるさ




174nishiyan:2018/02/23(金) 13:35:02
佐藤さんへ
 急な中断で奇妙に思われたかもしれません。病に倒れました。今日、2月23日退院しました。詳しくは、今からUPするブログの「お知らせ―読者のみなさんへ」に少し詳しく書いていますので、そちらを見てください。退院したら、またやります、再開します。



175nishiyan:2018/02/25(日) 09:16:30
傘立て詩#22
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000166M.jpg

傘立て詩

#22

小石を投げてみる
水面が びわわん びおおん
ふるえ降りてくる



176佐藤公則:2018/02/25(日) 10:12:19
Re: 佐藤さんへ
今、nishiyanさんのブログの方にコメントを書き込んだところです。同じ時期にぼくも「肺炎」を患い、寝込んでいました。現在はすっかり回復しましたが、急に「死」というものが接近し、まだ近辺をうろうろしている感じです。それで、すっかり落ち着いたという感じもならなければ、日常に完全に帰還出来たというようでもありません。何か、少しの透き間を感じます。たぶん時間だけの問題で何の現実的な不安もありませんが、とりあえず、身のうちから何かを始めようという気がわき出るのを待とうという気でいます。しばらくはだらだらやらせてもらいます。それではまた。



177nishiyan:2018/02/25(日) 10:25:57
それはお大事に
そうでしたか、お互い歳取ったものですね。つまり、病にかかりやすくなってきましたね。わたしは、二十代初めに盲腸炎だったかで、一度病院にかかったきりで、その後ほとんど病院とは無縁でした。わたしの場合は、長年積もり積もったものかもしれません。わたしも少し養生していますが、佐藤さんもお大事に。



178nishiyan:2018/03/04(日) 23:34:37
傘立て詩#23
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000169M.jpg

傘立て詩

#23


窓の外から 口だけ動かし
(あそぼー!)
窓の内から 口だけ動かし
(今日はあそばれん!)




179nishiyan:2018/03/08(木) 14:51:00
傘立て詩#24
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000170M.jpg

傘立て詩

#24


出会えない
言葉は乾いて
アスファルトに倒れる



180nishiyan:2018/03/18(日) 11:36:49
傘立て詩#25
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000171M.jpg

傘立て詩

#25


すれ違う
二つの通路交差して
言葉の深みふるえ合う



181nishiyan:2018/03/25(日) 10:47:07
傘立て詩#26
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000172M.jpg

傘立て詩

#26

偶然に出会った
道端の言葉から
みどりの滴深みに滲む




182nishiyan:2018/04/21(土) 00:49:44
傘立て詩#27
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000173M.jpg

傘立て詩

#27

ありありと
深々(しんしん)に
流れ続ける下水(したみず)



183nishiyan:2018/04/09(月) 01:40:38
傘立て詩#28
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000174M.jpg

傘立て詩

#28

若葉が揺れる
日差しに映える
わが夏、今年も、また




184nishiyan:2018/04/15(日) 01:30:37
傘立て詩#29
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000175M.jpg

傘立て詩

#29

〈しみじみ〉が砂漠化した現在でも
背中から ふいと苦難の
物語始まり吹き荒れ終わり、身に染む




185nishiyan:2018/04/21(土) 13:42:03
傘立て詩#30
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000176M.jpg

傘立て詩

#30

誰にでも どんな所にも いつでも
ある ということは
目立たなくても
た・い・せ・つだろうな


※「傘立て詩」は、これにておしまいです。




186nishiyan:2018/04/28(土) 03:11:12
木詩#1
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000177M.jpg

木詩

#1

昔という石を 踏んでみる
と どこからか
少し古びた時間が流れ出す



187nishiyan:2018/05/21(月) 03:01:47
木詩#2
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000178M.jpg

木詩

#2

いつ頃からか 昔は
自宅には柿や桃など
植えてあったものだが
飢餓線上への配慮の道は今・・・




188nishiyan:2018/05/12(土) 01:06:02
木詩 #3
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000179M.jpg

木詩
#3

知らない間に 風景は
顔を変える
それでも遙か太古より
人は同じ人の道歩むか



189nishiyan:2018/05/21(月) 14:05:21
木詩#4
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000180M.jpg

木詩

#4

景色には 消えたり生まれたり
いろんな事情の降り積った
時間の層がある



190nishiyan:2018/05/30(水) 15:26:46
木詩 #5
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000181M.jpg

木詩

#5

木肌に耳
当てた気分で
静かに木の側に立つ



191nishiyan:2018/06/08(金) 14:03:11
木詩 #6
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000182M.jpg

木詩

#6

この木の内を
流れる樹液の音色(おんしょく)
なぜきみにわかるのか



192nishiyan:2018/06/17(日) 12:06:55
木詩#7
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000183M.jpg

木詩

#7

空想ではなく
わかりそうなのは
〈共に在る〉からか



193nishiyan:2018/06/23(土) 17:52:23
木詩 #8
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000184M.jpg

木詩
#8

わたしの内臓に
微かに共鳴している
ひとつの流れ



194nishiyan:2018/07/13(金) 10:30:15
木詩 #9
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000185M.jpg

木詩

#9

自分の前世のような
遙かな 朧(おぼろ)の
いのちの始まりの時よ



195nishiyan:2018/09/05(水) 15:29:09
木詩 #10
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000186M.jpg

木詩#10

心 木の流れに触れ
木の夢のような 判読できない
場所にうとうと眠る



196nishiyan:2018/09/23(日) 13:15:21
木詩 #11
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000187M.jpg

木詩

#11

ここはどこ
わからない
ただ〈木〉を志向する




197nishiyan:2018/10/08(月) 14:44:24
木詩 #12
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000188M.jpg

木詩

#12

葉を刻み肉を煮ても
時には おおーい
とあらゆるものに呼びかける



198nishiyan:2018/10/22(月) 12:50:18
木詩 #13
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000189M.jpg

木詩

#13

(おーい おおおーい)
返答が欲しいのじゃない
ただ同じこの大気を呼吸してると思ってさ



199nishiyan:2018/11/04(日) 12:49:44
木詩 #14
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000190M.jpg

木詩

#14

簡単に手をつなぎ合う
なんか嘘っぽい
だから湿っぽい葉の軒先にいる




200nishiyan:2018/11/09(金) 10:53:26
木詩 #15
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000191M.jpg

木詩

#15

そんなにきづなったり
つなぎあったり
取り立てて言わなくっても
内にそれぞれさ・・・


※木詩は、これでおしまいです。





201nishiyan:2018/11/10(土) 00:24:25
空詩 #1
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000192M.jpg

空詩 #1

つらいことがあっても
時には (そらあああ!)
心開け放つこともあるさ



202nishiyan:2018/11/11(日) 11:34:00
空詩 #2
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000193M.jpg

空詩 #2

(そらあ!)と心大開の流れに
そらそら やっぱりねとか
水濁らしたりして欲しくないんだ



203nishiyan:2018/11/23(金) 12:25:15
空詩 #3
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000195M.jpg

空詩

#3

ジャックでなくても
そ ら し ど
音の飛び石踏んで
大空へ



204nishiyan:2018/11/26(月) 01:30:30
空詩 #4
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000196M.jpg

空詩

#4

ぬるくそらしたい
わけじゃない
ただ真っ直ぐに
大空の渦中へ



205nishiyan:2018/12/11(火) 01:40:27
空詩 #5
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000197M.jpg

空詩

#5

罠を仕掛け鳥を捕まえたい
と思ったのは
小さい頃の大空への思いだったか




206nishiyan:2018/12/08(土) 13:20:35
空詩 #6
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000198M.jpg

空詩

#6

例えば 「そらどうしたことか」
何気ない言葉の中にも
空が映っているよ



207nishiyan:2018/12/16(日) 12:22:45
空詩 #7
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000199M.jpg

空詩

#7

(ええっとね)
思い巡り巡って
大空を見る



208nishiyan:2018/12/23(日) 02:05:04
空詩 #8
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000200M.jpg

空詩

#8

ひさしぶりに大空の
薄水色のドア開ける
(ごきげんいかがですか)



209nishiyan:2019/01/11(金) 03:33:44
謹賀新年
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000201M.jpg

「空詩」、一度発表したものの改訂版です。

#2019元旦



210nishiyan:2019/01/04(金) 14:42:50
空詩 #9
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000202M.jpg

空詩

#9

おんなじ青空でも
今日の この
青空が目に滲みるなあ



211nishiyan:2019/01/12(土) 12:07:14
空詩 #10
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000203M.jpg

空詩 #10

曇り空雨空晴れ空ばかりに
染まり馴染んでしまった
ただ大空が欲しかった



212nishiyan:2019/02/11(月) 02:15:44
空詩 #11
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000204M.jpg

空詩 #11

大空には手が届かない?
きみの言葉の
裏地は空色だよ



213nishiyan:2019/02/25(月) 12:46:54
空詩 #12
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000205M.jpg

空詩

#12

今 この 空は
その空が
あの空が
つながっているね 空も



214nishiyan:2019/03/09(土) 01:03:19
空詩 #13
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000206M.jpg

空詩

#13

「今 この 空は」というのは
いま・この、じゃないよね
言葉の舟はね、そんな風に水を分け進むんだよ



215nishiyan:2019/03/22(金) 01:35:26
空詩 #14
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000207M.jpg

空詩 #14

いま・この・手のひらの空を触媒に
あの空 その空 どの空と
空巡りができるんだ 言葉の舟は



216nishiyan:2019/04/10(水) 01:58:48
空詩 #15
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000208M.jpg

空詩

#15

この大空から 青いひと滴
いつか きっと
きみのハートに落ちる



217nishiyan:2019/04/22(月) 00:40:25
空詩 #16
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000209M.jpg

空詩

#16

人工衛星画像の
見えない
一点一点に 青の滴の



218nishiyan:2019/05/10(金) 23:42:10
空詩 #17
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000210M.jpg

空詩 #17

水面に
落ちた一滴は
波紋に乗り 青広がる



219nishiyan:2019/06/21(金) 01:14:35
空詩 #18
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000211M.jpg

空詩

#18

小刻みに
微小青、ふるえてる
次々に手渡してゆく青




220nishiyan:2019/06/28(金) 02:07:37
空詩 #19
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000212M.jpg

空詩

#19

しぶしぶと
青を受け取り
染まりゆく微小赤もいる



221nishiyan:2019/07/31(水) 00:48:52
空詩 #20
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000213M.jpg

空詩

#20

底は黄色のまま
頭だけ青の
微小黄もいる




222nishiyan:2019/07/11(木) 11:55:16
空詩 #21
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000214M.jpg

空詩

#21

上からは一面の青
中ではカラフルな微子たち
ダンスダンスダンス




223nishiyan:2019/08/10(土) 11:07:45
空詩#22
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000215M.jpg

空詩

#22

一面の青 避けられない海
微子たち日々カラフルに泳ぐ
したたる滴の 微 微妙さよ



224nishiyan:2019/09/21(土) 03:27:17
空詩 #23
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000216M.jpg

空詩 #23

泳ぎ疲れて
青を嘔吐する
さびしい日もある




225nishiyan:2019/09/22(日) 13:50:08
空詩 #24
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000217M.jpg

空詩 #24

落ち込んでも
また朝日に
泳ぎ出すさ たぶんきみも



226nishiyan:2019/10/07(月) 13:13:40
空詩 #25
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000218M.jpg

空詩 #25

もうこれは底なし沼か
と身震いする
きみの足は きみの体は でも抗っているよ



227nishiyan:2019/10/25(金) 20:38:32
空詩 #26
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000219M.jpg

空詩

#26

春の空 夏空 秋空
冬の空
ひとつの音楽を奏でゆく



228nishiyan:2019/12/01(日) 01:51:36
空詩 #27
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000220M.jpg

空詩 #27

見つめてると
大空の無言に
青の通路が開く




229nishiyan:2019/12/09(月) 12:48:23
空詩 #28
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000221M.jpg

空詩

#28

青い空がまた季節を縫って来た
外から諸データは語るのだろうが
心の肌は沈黙の内にまた語る




230nishiyan:2019/12/28(土) 14:04:54
空詩 #29
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000222M.jpg

空詩

#29

空の青い布切れが
目を過(よぎ)ると
小さく心泡立つ青い時間




231nishiyan:2020/01/11(土) 05:50:36
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000223M.jpg

新年おめでとうございます。

(お元気でお過ごしでしょうか)



232佐藤:2020/01/04(土) 15:32:52
nishiyanさんへ
明けましておめでとうございます

ご無沙汰しています。元気なのですが、生活に没頭するというか、生き物たちの世界への入り口を探しているというか、それやこれやでとにかく表現することに向かえません。まだしばらくはこんな調子かもしれません。nishiyanさんのブログは欠かさず見るようにしています。ブログの方にコメント欄がなかったので、こちらで挨拶させていただきました。今日はこの辺で。




233nishiyan:2020/01/08(水) 11:39:23
空詩 #30
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000225M.jpg

空詩

#30

今日もサムザムザザムしてるけど
もがき過ぎたら
鳴子が響くよ 世界線 空は青



234nishiyan:2020/02/20(木) 02:49:58
空詩 #31
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000226M.jpg

空詩 #31

空の時間の階段を下る
青の中
見慣れた時間の表情が見える



235nishiyan:2020/03/12(木) 11:41:36
空詩 #32
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000227M.jpg

空詩

#32

人間が無意識に
空の青に塗り重ねてきたもの
有明の月が出てる



236nishiyan:2020/04/11(土) 02:39:15
空詩 #33
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000228M.jpg

空詩

#33

いいんだよ 空の色も
自由にぬっていいんだよ
(って言われてもなあ 空の・色かあ)


※佐藤さん、再開されましたね。
 数日前に気づきました。よかった。




237佐藤公則:2020/04/11(土) 16:28:40
Re: 空詩 #33
死んだふりが続かなかっただけです。たぶん。

nishiyanさんのブログ拝見してますが、薄まることなく、着実にレベルが上がっているなあと感じます。今後も期待しています。



238nishiyan:2020/05/17(日) 10:56:45
空詩 #34
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000230M.jpg

空詩 #34

空を見つめては
色色思い悩んでるうちに
青の深みにはまってしまった




239佐藤公則:2020/05/18(月) 13:09:40
Re: 空詩 #34
 nishiyanさん、投稿ありがとうございます。



240nishiyan:2020/06/14(日) 11:57:03
空詩 #35
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000232M.jpg

空詩 #35

しまった閉まった
と嘆くこともあったけど 今はもう
青と思い定めて歩くのさ


※「自然真営道 安藤昌益」、難解の道を手ぶらで―といっても、今までの思考の積み重ねの上に―よく歩かれている様子が伝わってきます。



241佐藤公則:2020/06/16(火) 11:12:42
nishiyanさんへ
> ※「自然真営道 安藤昌益」、難解の道を手ぶらで―といっても、今までの思考の積み重ねの上に―よく歩かれている様子が伝わってきます。

 いやいやありがたいですね。こんな声がけしてもらって、本当にうれしいです。また、投稿に感謝です。
 安藤についての文章は、ただ、まだメモのようなものですからね。この先どうなるか分からんでやってます。
 それより最近のnishiyanさんの詩境、その深さが増して、感心しきりに読まさせてもらってますよ。読む力量が浅いものだから、うまくは言い尽くせませんが、でも感じ取ることはできています。
 梅雨に入り、また急に暑くなったりと気候の変化に体を合わせることが難しい折、どうぞ体調を気遣いながらお励みください。



242nishiyan:2020/07/04(土) 10:41:19
空詩 #36
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000234M.jpg

空詩 #36

青滲(し)みてぼくだけを見てる
って思うこともある
空はたぶんいつも誰でも見てるよ



(佐藤さんへ)

※いつも読んでくださってありがとうございます。コメントもまた。



243佐藤公則:2020/07/06(月) 19:12:09
投稿ありがとうございます
投稿ありがとうございます。

九州の特に南部は大雨で大変そうですね。

こちらは梅雨っぽく小雨が続いていますが、それでも仕事的には
傘を差しての巡回で、校内、館内の出入りにも気をつかうので大
変です。
これが大粒の雨降りとなったら、もうお手上げです。

それにしても年々自然災害の規模は大きくなってきていますね。
コロナのこともあるし、いろんな意味で混沌として先が見えにく
くなってきたと感じます。

そうそう、いつかの詩句の中に一ヶ月おきの通院という言葉を見
た気がします。どうぞお体を大切になさってください。
そう言いながら、同時に、書き続けてほしいとも思っています。

今日はこれで。これからもよろしくお願いします。



244nishiyan:2020/07/12(日) 02:21:17
お知らせ
https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/index.html



245佐藤公則:2020/07/15(水) 00:30:26
確認しました。
 nishiyanさん「お知らせ」ありがとうございます。

 講演は聴いたことがありました。著作の方は記憶がなく、さっそく図書館で目を通してみました。多くは抜粋で、感想めいたものが少し書いてありました。たぶん、ぼくは読んでなかったと思います。読みながらふと、同じ所に目が向いているなと感じました。でも、家に帰ったら、何だったかなあと忘れてしまいました。吉本さんは1点に絞っていく感じでしたが、こちらは絞りきれないので、いくつかが気にかかり、そのうちのどれかですが思い出せません。近いうちにまた図書館に行くので、その時にのぞいてみようかと思っています。 講演についてもちょっと記憶が薄くなっています。こちらもまたいつか聞き直してみます。
 『良演哲論』まで行くのに、まだまだかかりそうですが、手にしている全集の後半部にあるので、楽しみではあるのです。前にペラぺらっと読んで、密度の濃い内容と感じています。

 雨の影響がないというのでよかったです。今日はこれで失礼します。

        7/15 佐藤



246nishiyan:2020/08/31(月) 02:36:29
空詩 #37
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000238M.jpg

空詩


#37

放った言葉の〈青〉に入る
人の気配とともに
時間の海が満ちてくる




247佐藤公則:2020/08/07(金) 16:00:28
Re: 空詩 #37
 nishiyanさんへ

 投稿ありがとうございました。



248nishiyan:2020/10/01(木) 01:24:13
空詩 #38
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000240M.jpg

空詩 #38

視線を更に深く沈めると
まだ生き物もいない (イキモノイナイ うん?)
荒々しい大地ばかりが煙っている



佐藤さんへ
仕事かわられるようで、大変ですね。こちらは大型台風が近づいていて少し心配しています。自然の所業は今の所避けようがありません。コロナの折、お元気で。ではまた。




249佐藤公則:2020/09/04(金) 12:27:14
Re: 空詩 #38
 nishiyanさんへ

 投稿ありがとうございます。

 ブログの短詩も5年を経過したとか、よくやっていますね。敬服します。日常的になったといいますから、これからも継続していただける者と期待しています。それからデータベースの方もよく頑張っていらっしゃいますよね。こちらもいっそうの充実を期待しています。

 ぼくの方は新しい仕事についてあと一週間で一ヶ月になります。昼の五時間なので前よりは少し楽です。とはいっても歳が歳だからか、思ったよりも疲れは感じます。やる前はずいぶん楽に違いないと考えていたのに、やってみないと分からないものですね。でも。当分続けてやっていきたいと思っています。無理せずに、またあまり手を抜こうとはせずに、です。ではまた、今日はこれで失礼します。

   2020/9/4  佐藤公則 



250nishiyan:2020/10/21(水) 02:11:54
空詩 #39
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000242M.jpg

空詩 #39

言葉の内は
全ては染み出さないから
半透膜の水脈をオレオレ詐欺も通ってる



※ 佐藤さんへ
新しい仕事が前より少し楽で良かったですね。



251佐藤公則:2020/10/08(木) 11:53:27
Re: 空詩 #39
> ※ 佐藤さんへ
> 新しい仕事が前より少し楽で良かったですね。

 13時間の拘束から5時間だけになりましたのでね、気持ちの上ではずいぶん肩の荷を下ろした感じです。
でもまだ出勤前と仕事が終わってからの時間の使い方がうまく使いこなせていないです。3ヶ月くらいでパターン化できたらいいと思っているのですが。

 さて、このところ宮城は一気に気温が下がって寒くなりました。毎日何を着るかに迷います。台風情報も頻繁で、秋だといえばその通りですが、スカッとした秋晴れが少なくどんよりと雲の多い日が続いています。これから西の方は台風の直撃が心配されますね。雨量が多くすぐに自然災害に発展しがちな昨今、十分な対策と、個々においては早めの非難などが大事に思えます。あらためて大きな被害がもたらされないことを祈りたいと思います。

    2020/10/8  宮城 佐藤公則



252nishiyan:2020/11/14(土) 11:40:33
空詩 #40
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000244M.jpg

空詩 #40

青の底には青だけがある?
暗くて
よく見分けられない
色色ありそうな気配する



253佐藤公則:2020/11/17(火) 10:50:37
Re: 空詩 #40
nishiyanさん、投稿ありがとうございます。

安藤昌益については少し整理したものを書いて終わりにしようと思っていましたが、なかなか着手できません。

安藤は聖人、釈迦の考えたこと、つまりはその哲学や思想を全否定しました。文字、学問もそうです。歴史的にはその影響下にあると見做される後代のそれらすべては当然の如く否定の対象となります。では、否定の対象にならないものは何かというと、聖人以前に存在した漠然とした哲学以前の哲学、思想以前の思想というようなものだと思います。そして、そこまで遡ることが大事なのだと指摘しているように思えます。安藤は、学ばず、習わず、師を持たずということで、自分は影響下にないことを強調しています。
これを読み、理解しようとする私が、善悪の問題をはじめとしてどっぷりと先聖らの影響下にあるならば、安藤はその外にあるわけですから理解不能になって当たり前です。理解したつもりになっても、あくまでつもりにしか過ぎないのでしょう。

強いていえば、こういうところが気になってぐだぐだ停滞しているのです。問題はもっと多岐にわたって存在しますが、こうなるともうまとめとしての物言いは困難かもしれないですね。
相変わらず詰めの甘さを残して終えることになるかもしれません。それはそれで仕方ないのですが、まあ期限といってないのでもう少しジタバタしてみます。
今日のところはこれで失礼します。



254nishiyan:2020/12/05(土) 12:08:37
お疲れさんです
佐藤さんへ


 今回は、はやく佐藤さんのこのコメントを目にしていましたが、以下のような次第で応答が遅くなりました。
 毎回、興味深く読んでいましたが、余裕がない時に引用されてる安藤昌益の漢字カタカナ交じり文につまづいて、現在まで20回ほどため込んでいました。前書きは読んで、ファイルに毎回コピーしていました。きのうやっとまとめて読み終えました。

 まだ書かれるのかわかりませんが、ほんとうにお疲れさんでした。おかげでこちらは安藤昌益の言葉に少し慣れました。言葉に今を生きる佐藤さんの息づかいのようなものが感じられました。

 宮沢賢治が影響を受けたというウィリアム・モリスの『ユートピアだより』を最近読みました。作品の中身は別にして、その結末によると夢の中で別世界(理想の未来社会)に〈わたし〉は迷い込んでいたという話で、『銀河鉄道の夜』の物語の世界の枠の作りと似ています。その別世界を、ひと言で言えば、同じイギリスという世界でありながら人々は煤煙がある苛酷な荒んだ日々の生活とは別の、割りと平等のようで、穏やかで楽しみながら日々労働しています。お金を出して物を買ったりサービスを受けるということもないようです。ただ、機械化しはじめていた社会からは少し後戻りしたような手作業的なものを重視する様子が見られます。ここの部分は、未来社会のわたしたちの現実からすれば、それは牧歌的すぎる「理想の未来社会」のイメージということになりそうです。すなわち、モリスが読みを誤った個所だと思われます。高度な機械化やAI化、自然のさらなる人工化は、良い悪いを超えた人間の本性に沿った必然のように見えます。

 安藤昌益の理想の社会のイメージも未来社会に生きるわたしたちによって判定されるのだと思います。どこがまだ生きていてどこはだめだという風に。今や、耕作や農業中心社会ではなくて、消費やサービス業中心の社会になっています。安藤昌益の理想の社会のイメージが、現在の社会を全否定するのではなくてすべてをすくい取る形で今なお生きているとするならば、現在の形に変換して考え検討されなくてはならないだろうなと思われます。
 取りあえず、感想まで。お疲れさんでした。


追記
以前以下のことを、メールしようかと思っていました。

「【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?」(2020/06/25)の文章の末尾、

そして安藤は、「これが真だよ」と言いたかったに違いないが、仮にこれが真だとして、現在社会において「真」が私語と化していない証拠はどこにも見当たらない。

 この「私語」は、「死語」ではないでしょうか。(「私語」でも意味が通じるかなという気もしますが)

      2020年12月5日                西村和俊



255nishiyan:2020/12/09(水) 12:22:59
空詩 #41
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000247M.jpg

空詩


#41

眺められた青空は
言葉の青い水路
をちろちろと生動し流れていく



256nishiyan:2021/01/11(月) 02:42:28
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000248M.jpg

 謹賀新年

 [言葉の街から] 新年シリーズ

コロナ禍の下でもわたしはあんまり出歩かないので、そんなに生活は変わりません。
お元気ですか。今年もよろしく。



257佐藤公則:2021/01/20(水) 08:10:37
本年もよろしくお願いします
nishiyanさんへ

新年明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします

更新もせず、ホームページを開くことからも遠ざかっていたので投稿にも気づかずにいました。
実は、安藤昌益のまとめの記述をあれこれ考えあぐねて2週間ほどだらだら過ごしていた時に、家の階段を踏み外して玄関のたたきに思い切り背中と腰を打ち付けて救急病院に運ばれる羽目になり、そこからずっと自宅で療養していました。だいぶよくなって家の中でうろうろしたり、車の運転をして買い物に行くくらいには回復しています。ただ立ったり座ったり同じ姿勢でいることはつらく、ゴロゴロ寝転んでテレビを見ていることが多いです。
nishiyanさんのブログを読んだり、バラエティー動画を見たり、パソコンもよく開くのですが、安藤昌益の続きは何度か思いついては書いては消すの繰り返しはしましたが、ちょっと継続して書き続けることはできないでいます。長く座っていると腰が固まっちゃって。
それやこれやで掲示板も見ず、返答もせず、記事の更新もしないでしまいました。申し訳ないです。

病院でもらった鎮痛剤などがなくなり、緩やかになったものの朝の起きがけの痛み、しこりは一進一退で、違和感がなくなるまでに回復するのはどれくらいかかるのだろうと気がかりです。今はもう自分の身体の治癒力に賭けるだけです。

ちょっと苦しくなってきましたのでこれくらいにします。
安藤昌益はもう一回くらいは書くつもりでいます。
自分のことばかりになってすみません。ではまた。

  2021/01/02   佐藤公則




258nishiyan:2021/01/31(日) 01:47:44
お大事に
佐藤さんへ

 ふと、どうかされたのかなと思ったりしていました。大事なさそうで安心しました。ケガや病気もですが、農作業に出た後の疲れもとれるのに1週間以上かかることがあります。お互いにもう日常の立ち居振る舞いに少し配慮が要る歳になりましたね。
 今年もよろしくお願いします。

               1月3日      西村 和俊




259nishiyan:2021/01/14(木) 11:38:22
空詩 #42
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000251M.jpg

空詩 #42

夕焼けは赤みがあるけど
数十億年前には真っ赤な空
があったかもと想像の暗い丘向こうを見る



260佐藤公則:2021/01/17(日) 11:58:55
nishiyanさんへ
 nishiyanさんへ

 今回も投稿ありがとうございます。

 nishiyanさんの詩的営為の持続にはいつも頭の下がる思いがします。また同じ世代にあってnishiyanさんのような人がいることに勇気をもらえます。
 最近のnishiyanさんの表現の中には、よく出てくる言葉の中に重層する凄みのようなものを感じるようになりました。継続ってこういうことかと思い、ぼくもまねしたいと思うところがありますが、なかなかそうはいかなくて悲観します。句読点の詩人?高橋さんの別の展開を垣間見ているような気になったりしています。安藤昌益の記述をしながらぼくにもそういうところが出てくればいいなと思うのですが、遠ざかってばかりです。

 少し前、安藤昌益についてのコメントを頂戴しましたが、nishiyanさんが指摘されたことはぼくも全く同様に考えています。つまり、「人間の本性に沿った必然」というような部分についてです。ただ少し懐疑的なところはあります。例えば自然の人工化ですが、この自然には当然人間も含まれます。人間の人工化はまさしく歴史が歩んできたところでもありますが、最終的にそういう指向性に人間は果たして耐えきれるのかという疑念が生じます。パニックが生じると思います。でもまたそのまま突き進んでいくんだろうなと思います。冗談めかしていえば、新人類の誕生ということになるのかもしれません。ただそうであったとして牧歌的な理想社会のイメージを手放しているか、手放さないでいるかでずいぶん違うところは出てくるような気がするのです。いずれにしても、このことは今も、そしてこれからも検討が必要と感じているところです。
 それから「死語」と「私語」について指摘がありました。読み返すと、そうとられるほどに曖昧な前後の文章だったと思います。たぶんですが、普遍的な真というものも一人一人の中では個別的な色合いを帯び、普遍的な真なんて存在し得ないという、そういうちゃちなことを飾った言い回しで言いたかったのだと思います。で、それを「私語」という文字で表そうとしたのではないかと思います。まあ私的な使われ方しかできないというような、あるいはそういう受け止められ方しかできないというような、そんな幼稚なことを考えていたと思います。また「私語」と「死語」を故意に掛けていたかもしれないです。こういうところは他者から指摘されることなどありませんでしたから、安易に、そして適当にやってきています。そうした意味でも丁寧に読みまた指摘していただいてありがとうございます。

 それでは今日のところはこの辺で。寒さの折お体に気をつけてお過ごしください。

     2021/1/17  宮城 佐藤公則 



261nishiyan:2021/02/13(土) 13:07:25
空詩 #43
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000253M.jpg

空詩

#43

大空が〈あおぞら〉とは限らない
という気づきは
子どもの小さな覚醒か




まだ寒さは続きそうですね。最近は、たまに畑に出て菜の花を収穫しています。早く暖かくなれば良いなと思っています。素人のわたしはよくわかりませんが、コロナも早く消えてくれればいいですね。佐藤さんもお大事に。



262佐藤公則:2021/02/16(火) 09:08:15
Re: 空詩 #43
 投稿ありがとうございます。

 日差しはだいぶ春めいて感じられるようになりましたが、やはりまだ2月半ばということもあって今日、明日はまた雪が降る予報になっています。諫早ではもう菜の花の収穫なんだとか、この辺では4月〜5月上旬ですからずいぶん違うものですね。でも春の気配は日ごとに増してくる気がして、いっそう待ち遠しさが募るようです。例年ですとこの辺は3月にドカ雪が降って、それを機に冬の寒さは収束します。いずれにしても、早く暖かくなってほしいです。
 コロナについては、いずれ巡り巡ってくると考えています。一昨年か一昨昨年に軽い肺炎にかかり、息苦しかったことを思い出します。その時は風邪のひどい状態と思っていて、いずれ治ると思っていました。これはちょっとふつうの風邪ではないと思い直したのは少したってからです。気づきはいつも、そんなふうに遅れてやってくるものですよね。
 感染は防げないと思っているので、いずれその時のために、体力、抵抗力はつけておきたいなと考えています。急に自分は変えられないですからあとはふだん通りの自分でいるだけです。無防備かもしれませんがそういう過ごし方をしてきましたから・・・。

 ところでnishiyanさんもその後の体調はいかがですか。ブログほかの記事等も盛んに書かれていて、心身ともに充実した毎日のように覗われますが、どうぞ無理をなさらない程度に執筆にお努めください。
 今日はこれで失礼します。



263nishiyan:2021/03/13(土) 15:38:41
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000255M.jpg

空詩 #44

ある〈気〉のようなものが
封じ込められ 織り成され
下りてくる〈青〉という一瞬の言葉



(佐藤さんへ)
先だっての少し大きな地震は、大丈夫そうかなと思いお見舞いのあいさつはしませんでした。こちらは元気ですが、抱えている批評のようなものが、なかなか先が見えなくて難渋しています。



264佐藤公則:2021/03/14(日) 11:46:34
Re: (無題)
 nishiyanさん、投稿ありがとうございます。

 過日の地震はマグニチュード6.5くらいでしたか。3.11の時の7.5に比べるとたいしたことはなかったです。でも、一瞬、もしかしてという思いに駆られました。
 子どもの頃は、あまり地震に関心がなかったですね。時折大きな揺れは体験しても、あまり身近なところでの被害はありませんでした。また他の都道府県に関心がなかったので、地震の揺れはたまに起きるものという印象でした。この頃は違いますね。リアルタイムで全国の地震情報がテレビなどで報じられ、本当に日本は地震の多い国だと実感されます。「地震、雷、火事、親父」と言われてきたことが、大げさでも何でもないし、笑い話のネタでもないとこの歳になってわかりました。

 ところで、抱えている批評的な文章の先が見えず難渋していると仰っていますが、一読者としては、意欲的にいろんな方向に放射状的に展開されているなあと思ってきましたし、難渋しているようには見えないですけれどもね。
 先が見えないという点では、ぼくなんかは時代的なものもあるのかなという気はしますね。ちょっと不透明で、着地点、落とし所が本当にわからなくなってきました。全体の状況を捉えきれなくなってきているようにもぼくは思っています。こういう錯綜した状況下では、本当はもっと身を入れて状況にコミットしていかないと振り落とされるとと思うのですが、もういろんなことが面倒になって、挙げ句の果ては、「もういいかな」、と。そうでなければ河原の石積みに徹する、ということですが、こちらもきっと中途半端になりそうですし、本当にもうわかんないことだらけです。
 少し前ですが、山本哲士が「現在の日本において大衆は消滅して存在しない」なんて言ってましてね、それで、そう言い切られると弱っちゃうなと感じました。向かっていく対象がなくなった気がしましてね。空白になりました。言ってしまえば安藤昌益とは逆行の極致に今の日本はある。安藤を考えることは無意味になるんじゃないかと、そういう気がしました。
 こういう意味合いなら、「先が見えない」との言葉に共感できますが、nishiyanさんの言っていることとは別かなという気もします。まあ時間があり、言ってもよいことでしたら、その辺のこと(nishiyanさんの「先が見えない」との言葉について)、教えていただけたらなと思います。

     2021/03/14 佐藤公則



265nishiyan:2021/03/18(木) 11:25:02
Re: 先が見えない
佐藤さんへ


先だっての「先が見えない」ということは、状況的なもののことではなく、例えば自己表出と指示表出などわたしが取り組んでいる課題の扱いが難しすぎてちょっといろんな壁にぶつかっているような感じがしているということなのです。もちろん、わたしの探索している場面を深く取れば、現在の「先が見えない」状況ともつながっているのかもしれませんが、とりあえずは、わたしの具体的な場面の問題なんです。少しずつ足場でも築きながら行けるとこまでいくつもりです。

昔テレビなどで見かけたインディアンの古老は、この世界の有り様を深く感じ取って、腰を据えてそれに沿った生き方をしているというイメージを受け取ったことがあります。もちろん、これは現在の方からのイメージも加わっているかもしれませんが、インディアンの残された言葉などから再構成したものではあるのでしょう。それからすると、近・現代は、絶えずこの世界の有り様とその渦中の自分の有り様を追究するという形になってしまっているように思います。これは一面避けられない必然性があるのでしょうが、その大きな浮力の働く中でも腰を据えて生きるということも人の有り様としてまた捨てがたい必然性を持っているように感じられます。
     2021.3.18



266佐藤公則:2021/03/19(金) 12:28:16
Re: 先が見えない
 nishiyanさんへ

 そういえばnishiyanさんはブログの「メモ」で自己表出、指示表出の記述を続けていましたね。最近では「品詞図」の変遷というか違いについて、詳しく調べて探求なさっていました。一人の読み手としては、これが確定されたらすごいことだと思っていましたし、確定するところまでいってほしいと思っていました。いや、今もそう思っています。ここまでの調査、探求もすでにすごいことだと思うのですが、でも、大変で難しいだろうなあと思います。ぼくなどは不得意ですぐに音をあげてしまうに違いないのですが、
そういうところで本当に丹念に進めていると感心します。きっと課題を掘り下げていく際に必要な一つでもあるのでしょうね。
 これからもこのようなじっくりと腰を据えての追求、そして記述世界を、遠くからですが期待し応援していますので頑張ってください。よき成果を心から願っています。

 蛇足ですが、現行の品詞区分について教えてください。どうも、明治期に、西洋の文法学をもってきて無理矢理日本語をそれに当てはめて作られたものじゃないかという気がして仕方ありません。今もその延長にありはしないでしょうか。本来は体系的に異なる言語で、日本語独自の文法学が構築されていかなければならない気がします。また、このことに関連する吉本さんの言及した記述のようなものはどこかにあるでしょうか。

 時間がないのでこれで終わります。後半とってつけたような疑問を投げかけてしまいましたが、記憶になかったら結構ですので読み流してください。


    2021/3/19 佐藤公則



267nishiyan:2021/03/22(月) 12:39:13
Re:
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kudohiro/gakusi.html



268佐藤公則:2021/03/24(水) 12:34:26
Re:
 nishiyanさんへ

 丁寧に教えていただきありがとうございます。

 ぼくは子どもの頃国語の勉強が好きで、標準語も割に早くから馴染んでいった気がします。社会人になる頃には堪能になっていて、東北の片田舎の出身なのに全く「なまり」がないねとよく言われていました。ある時、ものすごい喪失感に襲われました。どう言ったらいいのか、大げさに言えば異国の地で異言語を使って生活する自分がいました。幼少時の言語にまつわる自分の生活感覚がすっかり抜け落ちて、心に空白が生じました。これは何をもってしても埋められないもので、要するに心をピタッと表現できる言葉というものは、自分には永久に失われたんだという気がしました。
 それをもたらした標準語の文法など、異言語のさらにまた遠い国の言語体系をもって当てはめた借り物のようでどうでもよいとしか思えませんでした。
 やるんだったら、自分の母語とも言える一方言について納得できるようにやってみてくれと言いたいですが、今の文法学の体系では無理だと思います。まあわかりませんけど。

 山本哲士が「述語制としての日本語」みたいなことを言い出していて、少し気になって松下大三郎の「改撰標準日本文法」をチラ見してみたのです。総論の中で言語の捉え方の記述に面白いと思えるところがありました。はっきり覚えていませんが、言葉と心と文字との関わりを記述した部分で、そういう考察の下で行われる言語学、文法学であれば割と親しめるかなという気がしました。また、松下のそうした基礎的部分の考察の記述は、吉本さんの言語学的考察の記述との接点がありそうだと思いました。それで、珍しくも感じました。でもそれは学者さんがやってくれればいいことです。ぼくには手に負えない世界なので、早々に退散しました。

 好き勝手なことをいいましたが、時間がなくなったのでこれで終わります。

 2021/3/24 佐藤





269nishiyan:2021/04/10(土) 01:13:56
空詩 #45
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000261M.jpg

空詩 #45

〈青〉という言葉を
〈ao〉とつぶやき記す時
大空のイメージ布の温もりがのど元を過ぎる




270佐藤公則:2021/04/12(月) 12:08:02
Re: 空詩 #45
 投稿ありがとうございます。

 春らしいよい天気が続き、このあたりも桜の満開をちょっと過ぎた頃となります。
 気分もずいぶん開放された感じになりました。

 nishiyanさんは相変わらず精力的に書き続けられていて、詩から文明や文芸の批評まで興味深く拝見させて貰っています。
 炎の火柱が太いなあと羨ましく感じます。ご自愛為されながら書き続けていただきたいと期待しています。



271nishiyan:2021/05/12(水) 15:04:50
空詩 #46
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000263M.jpg

空詩 #46


不穏なアブナイ空の時もある
でも今 ここでは
両手をゆったり広げてもいいんだよ




272佐藤公則:2021/05/20(木) 11:14:37
Re: 空詩 #46
 遅くなりましたが、投稿ありがとうございました。

 先日わたしにもワクチン接種のお知らせが来ました。高齢者の仲間入りをしたんだと実感します。

 今後ともよろしくお願いします。



273nishiyan:2021/06/11(金) 02:31:51
空詩 #47
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000265M.jpg

空詩 #47

大空にもなじんでいる
まだ〈大空〉を考えない頃の
〈にんげん〉に出会いたいな



佐藤さんへ

最近は、畑仕事で忙しくしています。
わたしの方は、ワクチンの知らせはまだです。





274佐藤公則:2021/06/03(木) 23:53:41
Re: 空詩 #47
 nishiyanさんへ

 投稿ありがとうございます

 刺激を貰っています。今日のアップにもつながっています。
 仕事が変わり、腰を痛めることなどが重なって、1日のサイクルがまだしっくりしません。
 焦っても仕方がないのでゆっくりと行きます。



275nishiyan:2021/07/31(土) 02:39:38
空詩 #48
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000267M.jpg

空詩 #48

赤ちゃんの目に映る
大空の青
母に溶けて映っているか


※ 佐藤さんへ

 今年の天候は、今までのところ、スイカには例年になく良さそうです。
雨が続きすぎず、青天もひどすぎずで、スイカのできも良いようです。
 吉本さんによれば、老いは急激に訪れると言われていましたから、
お互い、石橋を・・・になりすぎず、少しは気をつけてゆったりいきましょう。




276佐藤公則:2021/07/04(日) 09:08:23
Re: 空詩 #48
 nishiyanさんへ

 投稿、ありがとうございます。

 「母に溶けて映っているか」のフレーズ、気に入りました。

 毎年作られているスイカのできが良さそうで、いいですね。自分が作ったものを、ちょうどよい時期に収穫して食べられるって、贅沢で羨ましく思います。
 小学校の教員時代に、米作り、イチゴや芋やラディッシュや、ほかに花を育てる体験学習をしたりしていましたが、ワイワイやるだけで過ぎていましたね。食べ物については生涯、人任せで過ぎてきました。
 生きることの根本を考えたら、そうであってはいけなかった気がしますが、今となってはどうしようもないことです。

 子どもの送迎の仕事で最近近所の団地を回っていますが、歩いている人、ジョギングしている人をよく見かけます。あまりにも多いので、それで運転にも気を遣うことになるので、内心に「そんなに長生きしたいのか」と悪態をつくこともしばしばです。60を過ぎたくらいに、本気で部活みたいな運動をすればある程度若返ると思いました。また本気でやる気になればできる気がしました。でも、やりたくないほうが勝って、老いを受け入れたほうが楽でいいやと思いました。いまはその延長で、体も頭も楽することばかり望んでいるようです。総じて、「なんだかなあ」の気分でいることが多いです。
 畑に出向くこともあり、nishiyanさんのほうがたぶんぼくよりも健康で若いんだと思います。ワクチンも接種したし、ぼくも健康でいられるように頑張ろうと思います。それでは、今日はこの辺で失礼します。

 宮城から 佐藤公則



277nishiyan:2021/08/21(土) 15:33:53
空詩 #49
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000269M.jpg

空詩 #49

みんなに混じりエッジばかり
歩いてきた
足はセンターの方を感じているけどね



※佐藤さんへ
 地方でコロナの感染者も少なく少しのんびり構えていたのが、コロナが蔓延して、少し身構えなくっちゃかなと思い始めています。わたしの日々の行動は、コロナ前とほとんど変わらずスーパーか畑かくらいであまり出歩かないんですけど。やっとスイカの収穫が終わりました。後半は、長雨にたたられました。あとはさつまいもの世話・草取りがあります。
 お互い仕事がありますから、コロナには罹らないようにしたいものですね。(といっても、難しそうですね。)



278佐藤公則:2021/10/01(金) 00:45:27
Re: 空詩 #49
nishiyanさんへ

 投稿ありがとうございます。近頃サボって、見ていなかったものですから、ずいぶんお礼が遅くなってしまいました。すみません。
 nishiyanさんの方はコンスタントにアップされていて欠かさず見ていたと思っていたのですが、21日に「空詩」が掲載されていたのは見逃していたようです。それで、こちらの掲示板への投稿も気づかないでいました。

 ここしばらくは読むも書くもしないで、あるいはできないで、漫然と考えてばかりです。よくGyaO!で海外ドラマを見たり、爆笑問題の太田の動画や、養老孟司さんの動画を見たりして時間つぶしをしていることが多いです。昔、大衆小説や推理小説、それから漫画などを読んで暇つぶしをしていた頃を思い出します。領域は変わったけれど、同じことを繰り返しているんだなあと。

 ところで、スイカの収穫、少し長雨にたたられたとか。ちょっと残念というところでしょうか。少し前にとても甘いスイカを食べておいしかったので、収穫したばかりのみずみずしい新鮮なスイカはどんなだろうと想像が膨らみました。農作物の収穫までの手間ひまはちょっと気が遠くなるようです。

 コロナに関してはなぜかはじめから罹るものだと覚悟していたところがあります。風邪やインフルエンザにさえ何度も罹っていますし、肺炎やそのほかのちょっとした病気や怪我もありますから、回り回って必ず来ると思っています。運がよければ軽い症状ですむかもしれないし、運が悪ければ死ぬことになるのでしょう。で、事前にできることは手洗い、マスク、消毒、除菌などの類いでしょう。それからワクチン接種。これらはごくふつうの対処と言っていいと思いますが、まあこれを普通にやるだけです。それから少し考えていることは、できるだけ体調を整えておこうということです。最後の頼み綱は、どうしても身体的な抵抗力なんだとわたしは考えています。これをできるだけ最善の形で維持する。これが自分の臨戦態勢ですが、コロナがこれを超えてきたら仕方がないです。nishiyanさんが言うように、わたしも普段はコロナ前の生活と変わりありません。元々が自粛生活みたいなものでしたから、変わりようがありません。そしてこれからも、というところです。

 では、今日はこれくらいのところで失礼します。サツマイモの収穫にむけて、よい天候が続くことを願っています。




279nishiyan:2021/09/19(日) 11:52:22
空詩 #50
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000271M.jpg

空詩 #50

そのズレの中に言葉では触れがたい
ぼくの固有値が
横たわっているんだろうな


※ 佐藤さんへ
近年は、天候が不安定でたぶん多数の者が災害に対する不安を持つようになったと思います。今年も梅雨明け後に激しい雨続きでした。温暖化・寒冷化のように数百年規模のこの地球の周期的な振る舞いのことはまだよくわかっていませんね。それがもう少し解明されていけば、少しは不安もやわらぐのかもしれません。縄文期の人々は、海進、海退などの大きな大地の変動にも大いに驚き右往左往しながらも適応してきたのでしょう。そういう過去もあるし、今後も大規模の大地の変動は十分あり得ると思うべきなのでしょう。

こんなこと思いもしなかったコロナ禍ではありますが、もうそろそろ秋です。すばやく通り過ぎずに少しはおだやかな気分をもたらしてくれたらいいなと思っています。ではまた。



280佐藤公則:2021/09/21(火) 10:49:01
Re: 空詩 #50
 nishiyanさんへ

 投稿ありがとうございます。
 筆が滞ってなかなか更新できずにいますが、これからもよろしくお願いします。

 高度成長期から安定期、また停滞期から後退期へと変遷する中で、様々な天災また人災も経験しました。印象的には経済が下降に向かい始めて、これに追い打ちをかけるように節々に天災に見舞われたという感じです。
 大きく考えれば僕ら世代は敗戦期の物不足や餓えのような経験はしないまでも、繁栄から貧困までの変動の渦中を生き、今日ではこれは「斜陽」の世界ではないかと感じるくらいです。

 コロナもわたしたちの社会を分断するくらいの勢いを潜在させているようです。個々人は最終的には自らの考えで対処するほかな く、自分以外、また社会の総体がどう進んでいくのかの予測が立ちません。とりあえず自分の身は自分で守るという覚悟、それでアウトなら仕方がないということになりそうです。政府の対応、医師会や関係機関の対応など、あてにできるものではないと疑ってかかる方が無難です。現に多くの生活者たちはそう考えていて、だから他の先進国よりも感染者が少なめなのだと思います。首をすくめて時をやり過ごす。そういう対処法が身に染みているのかもしれません。わたしはこういうところに日本人らしい自立の姿が一瞬垣間見られるという気がします。

 台風が過ぎ、宮城は昨日今日と秋晴れのよい天気です。気分も晴れ上がり、今日も朝から洗濯三昧です。
 一喜一憂を小さく刻んで毎日を送っています。こういう日は、膝や腰の痛みも薄らいで、日当たりにたたずむ猫のようになります。
 本当に、せめてこんな秋日和が続いてくれればいいなあと思います。では、今日はこれで失礼します。




281nishiyan:2021/10/11(月) 02:35:41
空詩 #51
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000273M.jpg

空詩 #51

ほら 足元まで
日が差しているよ
(また新しい朝だね)



※佐藤さんへ
前回の発言、僕もそうだと思います。
また、「本当に、せめてこんな秋日和が続いてくれればいいなあと思います。」もまたそう思っています。
10数年使っていたデジカメが急に壊れてしまったので、買い換えました。今回の空の写真は、新しいデジカメで撮りました。もうそろそろ「空詩」は締めて次に移ろうかなと思っています。





282佐藤公則:2021/10/21(木) 00:06:13
Re: 空詩 #51
??nishiyanさんへ

 「空詩」の投稿ありがとうございます。
 次に移る構想をお持ちのようですが、以後もご利用いただければ幸いです。
 「Tシャツ詩」から始まったシリーズ、一挙にまとめたら形になりそうですね。

 こちら宮城は台風一過の秋晴れで、やや風が強いのですがそれさえも心地よいほどです。
 もうすぐ新米も出回るころで、まあ毎年のことですが楽しみです。お米だけでおいしく、
 かみしめた時のなんとも言えない気持ちに、農民の末裔の血だなどと勝手な思い込みで
 悦に入ったりします。
 nishiyanさんはスイカのあとサツマイモを植えたりしていましたかね。収穫の秋、心な
 しか内臓の喜ぶ声が聞こえそうに思えます。よい出来になりますように。
 今日はこれで失礼します。

   佐藤




283nishiyan:2021/10/20(水) 11:39:10
お知らせ
http://jidoubunka.com/



284佐藤公則:2021/10/22(金) 11:08:11
Re: お知らせ
>   nishiyanさんへ
>
> ここ数年の天候は、いきなり暑くなったり寒くなったりで、いきなりということが特徴的です。また日によって寒暖の波がえげつないです。
> 昨日暖かかったのに今日は急に寒いとか、体が対応するのに四苦八苦しそうです。
> さて宮城の方の収穫の秋は、まず?ひとめぼれ?の新米と言うことになりますが、まだ食せていません。古米がまだ残っているのでこれを消化してからということになります。結構な新米好きなので、この時期に食べられないのがとても残念です。
>
> 村瀬学さんのHP情報、ありがとうございます。早速ちらとだけ拝見しました。『生命詩文集』ですか、オリジナルな発想と、時間をかけ具現化していく真摯さ、また集中度を保持して詩文化、言語化する際の馬力といいますか力量といいますか、すごいね、及びがたいね、とまず思います。わたしもこれから少しずつ読み進めていきたいと考えています。教えていただきありがとうございます。
>
>  とりあえずお礼申し上げます。ではまた。



285nishiyan:2021/10/24(日) 11:49:33
何かあったら教えてください
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12637707.html



286佐藤公則:2021/10/24(日) 13:38:15
Re: 何かあったら教えてください
  nishiyanさんへ

 おたずねの「円方体」(2×2×2)については、全く思い当たることがありませんね。
 もちろん小学校の教科書にもありませんでした。
 ()の数式はどうみても、たて×横×高さ、にしか思えませんし、そうすると1辺が2の立方体しか思いつきません。そしてnishiyanさんが言うように1の倍増としての2の表記かなとごく常識的に考えます。
 で、「円方体」については、ぼくなどはすぐに誤植と見做して先に進んでしまいます。吉本さんの岡井隆の『神の仕事場』への評は、同じか別なかたちでか読んだ記憶があり、感心して読んだという記憶もあるのですが、「円方体」の文字は記憶にないですね。読んでないのか、記憶にないのか、です。

  nishiyanさんにはいつも教えてもらってばかりで、こういうときに役に立ちたいのですが、残念ながら役に立てそうもありません。
 なにか見つけたり探し出せたらご一報します。とりあえずご報告まで。



287nishiyan:2021/10/24(日) 22:03:35
ありがとうございました
 佐藤さんへ

 そうですよね。小学校の図形にもないですよね。学校の教科書の類いは、ほとんど誤植はないですが、一般の本にはありますね。たぶん、誤植だろうとは思っているんですが。
 ありがとうございました。




288nishiyan:2021/10/25(月) 15:29:05
わかったような気がします
 佐藤さんへ

詳しくは、前回のURLの「教えてgoo」を見てください。ちょっといじっていたら、質問時のアカウントで入れなくなったのでNo.6の回答者でコメントしています。結論的には、

No.5の回答者: r_umaniamnvi_the_5th さんの3つの引用のなかの2つ目と3つ目に「円方体」という言葉があり、3つめには上部が円で下部が方体のガラスビンの写真があります。これは「前方後円墳」みたいなネーミングだろうと思います。

です。そういう図形というか、立体のことは想像しませんでした。



289佐藤公則:2021/10/27(水) 08:22:09
Re: わかったような気がします
  nishiyanさんへ

 「円方体」について、ひとまず、上部が円で下部が方体といった形態をイメージすればよいわけですね。

 写真のガラス瓶以外にもどこかでお目にかかっているような気がしますが、そういう形状を「円方体」と呼ぶこと、あるいはそうした名称があることなど、普段気にもとめないことで、ちょっと虚を突かれた感じがします。言葉のプロの、言葉へのアンテナの張り方は尋常じゃないんですね。普段使いじゃない言葉にどうやって出会うかと言えば、やはりいろんな分野領域の書籍に目を通してと言うことになりましょうし、実際に文章表記に使うというのもその言葉が自分のものになっているからなんでしょうね。本物の批評家の、目配り、気配りのすごさの一端を垣間見る気がします。

 いずれにしても少し疑問が解けた感じになってよかったですね。こちらもこのことについて知ることが出来、ちょっと新鮮な気持ちを味わいました。ありがとうございます。ではまた。



290nishiyan:2021/11/11(木) 02:16:55
土詩 #1
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000283M.jpg

土詩(つちし)  #1

小さい頃は裸足(はだし)になって
土に触れた
あちちやびちゃびちゃひんやりの表情がある


※ 空詩が終わり、土詩をはじめます。



291佐藤公則:2021/11/20(土) 09:47:17
Re: 土詩 #1
  nishiyanさんへ

 投稿ありがとうございます。
 「土詩」のはじまり、楽しみです。



292nishiyan:2021/12/08(水) 11:37:16
土詩(つちし)  #2
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000285M.jpg

土詩(つちし)  #2

雨降ると大変ではあった
でこぼこのぬかるみを
楽しげに小さな長靴は行く




293佐藤公則:2021/12/08(水) 22:51:07
Re: 土詩(つちし)  #2
 投稿ありがとうございます。

 子どもの頃、歩きにくいでこぼこのぬかるみでも、遊びや戯れに変えることが出来ていたように思います。
 今だって日々でこぼこのぬかるみを歩いていると言っていいのでしょうが、これを楽しんでいけているかというと疑問符がつきます。これは一つ童心に返り楽しんでみようじゃないかと、この詩を読んで思いました。こころに風が吹き込んできたような気持ちになります。



294nishiyan:2022/01/11(火) 04:59:43
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000287M.jpg

 謹賀新年

 [言葉の街から] 新年シリーズ


今年もよろしくお願いします。




295佐藤公則:2022/01/11(火) 09:10:00
Re: (無題)
 明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いします。

 年賀仕様で投稿していただいたのですね。
 最近自分のHPはあまり開かなくなってしまったので遅くなりました。
 いつもありがとうございます。



296nishiyan:2022/01/12(水) 11:41:46
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000289M.jpg

土詩(つちし)  #3

今はもう土から遠離り
離ればなれに
世界はある?




297nishiyan:2022/01/12(水) 11:44:18
土詩 #4
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000290M.jpg

土詩(つちし)  #4

アスファルトの下に
土はある
あることはある 土とアスファルトと


※今回は2つUPします。



298佐藤公則:2022/01/12(水) 21:55:10
Re: 土詩 #4
 土詩2篇の投稿ありがとうございます。



299nishiyan:2022/03/03(木) 09:44:25
土詩(つちし)  #5
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000292M.jpg

土詩 #5

長らくの土の感触が
新たなレイヤの下に
埋もれてゆくよ そうして今は



※佐藤さんへ
また、コロナが、しかも急激に蔓延してきましたね。
お元気ですか。こちらはコロナ以前とほぼ同じく
過ごしています。寒さと農閑期のため前ほどは畑に出ません。
菜の花の収穫とソラマメの草取りなどで時々出かけます。



300佐藤公則:2022/02/05(土) 11:17:54
Re: 土詩(つちし)  #5
 「土詩#5」投稿ありがとうございます。

 こちらもコロナ前と変わらぬ生活です。
 一時はずいぶん縮小していましたが、またまた増加で、宮城
 では過去最多を更新していきそうな勢いです。今回は特に仕
 事先と関連する小学校の休校もあり、低年齢化が進んでいる
 ように思います。普通の生活を継続していれば、そのうち巡
 り巡って、否応なしに感染することになると考えます。でき
 る範囲で自衛を心がけ、あとはなるようになるとしか言えな
 いと思っています。戦争時の逆説ではありませんが、考えて
 みると震災後からコロナ禍のこんにちまで、明るく健康的な
 生活をし得ているような気がします。その分思索などは浅く
 停滞しがちなっているかも知れません。

 nishiyanさんは毎日詩8年目に突入とか。よく継続されてい
 ますね。感心しながら読ませてもらっています。また、いつ
 も意欲や刺激を喚起されます。10年が一つの目標でしょう
 から、とりあえずあと2年、足取り軽くそして確かな歩みが
 続きますよう心から応援しています。

 寒さの折、またコロナ禍の折り、ご自愛なされますよう宮城
 よりお祈り申し上げます。ではまた。



301nishiyan:2022/03/04(金) 13:12:07
土詩 #6
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000294M.jpg

土詩(つちし)  #6

土がなくても植物は育つようになった
土がなくても・・・
どこかがガラガラ崩れ再編成されていく気配



※ 佐藤さんの詩も、昔と比較検討まではしていませんが、以前とは少し変わってきた
ような印象を持っています。
 わたしのように、あまり構えず、つたなさを気にもせず、やって欲しいです。
 宮沢賢治も当時のいわゆる「詩」が念頭の隅にあったでしょうが、割りと自由自在に
表現したのではないかと思います。
 こちらはもう少しずつあったかくなっていくかなという頃です。相変わらず世界には
戦火が上がっていますが、住民を巻き込む愚かなことが早く終わればいいなと思っています。
 山本哲士のブログに行ってみました。しかし、まだ一回分しかん読んでいません。
 お互い歳ですから、体もお大事に。



302佐藤公則:2022/03/06(日) 12:04:02
Re: 土詩 #6
 投稿ありがとうございます。

 またいつも見ていただいて、これもありがたく思っています。
 コメントを読み、返答をと思いますが、後日ということにさせてもらいます。
 とりあえず、御礼まで。



303佐藤公則:2022/03/07(月) 09:54:23
nishiyanさんへ
 nishiyanさんへ

??土詩(つちし) #6とコメントの投稿ありがとうございました。

??ぼくの詩(もどき)について、
 ? 以前と少し変わってきたこと、
??? 「あまり構えず、つたなさを気にもせず、やって欲しい」
??という指摘、意見がありました。
??前提として、しばらく書かなかったとか、書けなかったとかいう時期があって、これは体力の衰えから来るものか、気力の問題か分かりませんが、とにかくなんかやり方を変えないといけないと思いました。それで今は無理矢理詩形式に持ち込んでという段階で、「てならいのうた」として掲載しています。自分としてはあまりひねくり回さず、さっと1篇の形にしてしまおうという手抜きや省エネの発想があるのですが、時々スケベ心が出て、気取っているところがあるのかも知れません。
 いくつか書きましたけど、割にスムーズに進むのでしばらくこんなやり方で行こうかと思っていました。長い時間同じ姿勢でいられないとか、集中できないとかの現実があり、軽く簡単に済ますリハビリという位置づけ。あるいはもうこれを常態にしてもいいのかなという考えも出てきています。もっと言いますと、矢が尽きての後退戦の意味合いもあるかと思います。そういうことは少し意識しています。

 もう一つはロシアとウクライナの戦闘についても触れていました。ぼくも早く終わることを願っていますが、生活者の立場としてはあくまでもよそ事になってしまいます。当事者の切迫感など持ちようがありません。
 ただこれを思想的観点から見ようとすれば、いろんな見方ができるんだろうなと思います。吉本さんがいなくなった今、視野の深さや広さから言って山本哲士の認知また解釈などが参考になるかなと考えています。山本さんの文章は、いろんな難点もあって読み取りにくいところもありますが、関係的な捉え方、構造的な把握といったところは本質をおさえていると映ります。もちろんこちらは大雑把にしか受け取れない訳ですが、世界が国家を単位として成立している現在、これを超えたり縮退する視野で捉えているのは山本だけで、あとはみな国家に入り込んだ議論が多く、不毛な気がします。いずれにしても、まだ本気で考えているわけではないのでこれくらいにしておきます。

 最後にnishiyanさんのブログの詩から文章全般の感想も述べておきたいと思います。ほとんど欠かさず、でも精査して読んでいると言うことでもないのですが、最近の印象は深みと軽み、特に表現に深みが増してきているなあと感じています。厚みも増してますね。短詩形で、文字数がそんなに変わらないわけですが、言葉のチョイス、転換、転回の仕方などによって、そんなふうに感じさせられているような気がしています。こういうのはとても羨ましいです。

 まだまだ寒さも残っています。どうぞご自愛くださって、また表現の継続が進むことを願っております。今日はこれで失礼します。





304nishiyan:2022/03/24(木) 11:50:50
地震のお見舞い
https://note.com/iwanaminote/n/n7a78210a96cd



305佐藤公則:2022/03/27(日) 09:02:17
Re: 地震のお見舞い
 地震についてのお見舞い、ありがとうございます。
 家の中の小物類で少し棚から落下したものなどありましたが、被害と言うほどの被害はありませんでした。なんとか持ちこたえてるなあ、そんな感じです。
 ただ余震、あるいは他の小さな地震は何度もあって、そのたびにヒヤリと肝を冷やす連続です。一瞬ですが、たぶんトラウマになっているんでしょうね。
 またあの大きな地震が来たらどうする。来たら来た時のこと。そう割り切っています。そんなこと管理とか予防とか意味ないとぼくなんかは思っています。人間以外の生き物はすんなり受け入れて生きているように見えます。パニックになるのが普通だと思います。

 それから二つの文章の紹介も、ありがとうございます。さっそく読んでみました。面白かったし、また歴史的な背景などについては全くの無知なので、参考にもなりました。

 この歳になってまたこんな世界を見るとは思いもしませんでした。今後の展開は全く読めませんが、しかし、まあ、おたがいに健康に留意しながらしっかり生活していく、そういう中で考えていけるだけは考えていきましょうと言うことになるかと思います。では、お体を大切にお過ごしください。これで失礼します。



306nishiyan:2022/04/04(月) 20:53:06
土詩(つちし)  #7
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000299M.jpg

土詩 #7

人とこの大地があるかぎり
潜在しても
土は無数のネットワークに在り続ける


※ここのところ、地震続きでちょっと気になります。
花はいつものように咲いていますが、あれやこれやで、落ち着いた春ではないですね。
そろそろ畑仕事が忙しくなりそうです。



307佐藤公則:2022/04/09(土) 14:59:43
Re: 土詩(つちし)  #7
 投稿ありがとうございます。

 今日は久々に20度越えの暖かな陽気。こちら宮城でも桜の開花の声がちらほら。ついでにコロナや戦争の終結の声も届いてくれるとよいのですが。
 地震も列島のあちこちで起こってますね。神戸淡路の大震災まであまり気にかけていなかった気がしますが、以降、大地震が頻発して気にかかるようになってきました。島国日本の宿命でしょうか。考えることもいっそう混沌としてきて、何はともあれふだんの生活をよりいっそう大事に、一瞬一瞬を超えていきたいと感じています。

 わたしは今、放課後デイサービスで臨時の職員をしていて、ふだんから子どもたちの黄色い声を聞いています。そしていつも思い出すのは、梁塵秘抄の一節です。

  遊びをせんとや生まれけん
  戯(たはぶ)れせんとや生まれけん
  遊ぶ子どもの声聞けば
  我が身さえこそゆるがるれ

 まあ、この歳になっても揺らぎまくっています、と言うことです。



308nishiyan:2022/05/21(土) 09:51:51
土詩 #8
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000301M.jpg

土詩(つちし)  #8

作物や植物が土から離脱しても
ほら向こうの山々やそこの隙間に
みどり根付いてると思うよ



※佐藤さんへ

こちらは、まだ肌寒い日々が続いています。
今年のスイカの植え付けは済ませましたが、
初めの頃は水やりなどで忙しくなりそうです。




309佐藤公則:2022/05/06(金) 09:32:46
Re: 土詩 #8
 「土詩 #8」の投稿ありがとうございます。

 昔吉本さんが四季派の詩人たちを批判する中で、最終的なところでは自然回帰、あるいは自然に逃げてしまうと言うような疑義を述べていました。これは安易な逃げ方だというニュアンスがあり、単純なわたしはそれはだめなんだと思い、遠ざかったという記憶があります。もっと違う言い方をすると、その時、「逃げるな」という吉本さんの声をわたしは聞いたと言うことだったと思います。
 最近、YouTubeで養老孟司さんの発言を聞いている中で、このごろの若者たちは人間関係に重く縛られていて、「自然」というもの、あるいは自然との関係がものすごく希薄だと言っていてとても印象的でした。つまり、それだと逃げ場がないよ、と言いたかったのだと思うのです。
 わたしは「逃げない」と言うことも大事にしたいし、同時に、どこにどんな風に逃げればよいかも考えておくことが必要で、「逃げる」ことも大事だなと考えてきました。
 人社会に疲れたら周縁の自然にちょっと後退して、そこから人社会を客観視してみる、そういう行き来が誰にでもあればいいよねと思います。

 nishiyanさんの畑仕事は、そうした意味からも貴重で羨ましく思えたりします。安藤昌益は万人に田畑を分配すべきと語っていましたが、自分たちの食い扶持はそれしかないとなれば、怠惰なわたしも必死にやるだろうなという気がします。

 ちょっととりとめもないことを書き流してしまいました。ゴールデンウィークの最中、遊び疲れで頭がぼーっとしているのでしょう。すみません、今日はこんなところで失礼します。
 よい作物の収穫となりますように。




310nishiyan:2022/06/11(土) 02:19:49
土詩 #9
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000303M.jpg

土詩 #9


遙か未来にんげんが
方舟に乗って地球を離脱するとき
土との別れが完了する

遙かな昔、水から上陸して
土になじんだように
今度は宇宙空間の何になじむのだろうか


※佐藤さんへ
露地栽培は、天候次第(あとそれに伴う気温や害虫の発生状況など)で、作物の出来が決まるところがありますから、昔の人は雨はとても切実だったろうと感じられます。晴天続きも雨続きも困りものです。苗がまだ幼いときは水やりなどよく世話をしないといけません。というわけで、畑に忙しい毎日です。





311佐藤 公則:2022/06/20(月) 09:20:24
Re: 土詩 #9
 「土詩 #9」の投稿ありがとうございます。

 表現されている内容についてはわたしも何度も脳裏に浮かべ、また反芻してきたことだなあと共感します。ただ最近は未来については予測ができないのであまり考えないし、どこかで思考停止させてしまいます。近未来ということだと現在と同じで、とにかく地球環境をロケットの機内やウエアー内に持ち込んで、それで当分やっていくことになるんだと思いますが。ただ先の脊椎動物の上陸に関しては、気の遠くなるほどの命の犠牲の上に成り立ったものだろうと思われますので、そう思うと本格的な宇宙進出というものは絶体絶命のピンチがない限りあり得ないかなという気もします。そこまではとりあえずのお遊びで、やはり地球環境を身にまとっての遊覧飛行にとどまるんだろうな、と。可能性はなくはないけど、宇宙人になりきるのは遥か先のことではないでしょうか。分からないですね。

 仙台近郊ということになりますが、このあたりでも最近は畑を借りて野菜作りをする、たぶん定年退職後の人たちが増えています。送迎車を走らせている間のちょっと見だけですが、たぶん指導してくれる人がいて、葉物、緑黄野菜が見事なできばえです。いつも車が4,5台止まっていますから、畑を何区画かにわけて貸し出しているものでしょう。寄り合って、互いに意見交換したり、教えてくれる人の話を聞いたりしながら進めてでもいるのだろうと思います。また互いに褒め合ったりしながらということもありましょう。それはそれでよい年の送りかたかなと感じます。ちょっと羨ましくもあります。
 nishiyanさんも手間暇かけて世話することはたいへんでしょうが、その分よい収穫期を迎えての喜びも大きいのでしょう。そんな収穫ができますように、遠い地からですが祈っております。では、今日はこの辺で失礼します。

 



312nishiyan:2022/07/06(水) 13:45:50
土詩 #10
https://img.shitaraba.net/migrate1/6900.regist/0000305M.jpg

土詩 #10

稀薄な大気の遠出をしても
必ず帰ってくる
このしっとりみどり匂う手すり



※佐藤さんへ
前回のことにコメントしますと、普通の人間的な時間スケールを超えた超未来について考えることは、空想的にならざるを得ませんし、通常の生活時間からはほとんど無意味ですが、人の思考はそこまで行ってしまうことがありますね。これは逆行させれば、人が人以前であった陸棲や水棲の時期の像を尋ねることと対応しているように思われます。




313佐藤 公則:2022/07/07(木) 08:55:12
Re: 土詩 #10
 「土詩 #10」の投稿、ありがとうございます。

 コメントの方へのコメントということで言えば、仰っていることの意味はよく分かります。そしてその通りだろうなと思います。ただ命を落としかねない上陸の動機、きっかけってどういうものだったのか。実際に想像を超える犠牲を伴いながらのそれだったのでしょうから、もう上陸するしかないという衝迫はどこにあったのかと考えてしまいます。そして現在の人間世界および地球環境において、その兆候はどこに想定できるんだろうか。それがぼくにはまだちょっとよく分からないというところなんです。

 「土詩」では、どこまでも遠出することが出来る意識と、身体感覚が捉える近場との対比が謳われていると読みました。また、詩の中では意識の働きと感覚の働きとは同じ比重で同等であるよという作者の声も聞こえるように感じました。これも、その通りなのだろうと思いますし、このことはよくよくわきまえておくべきであると教えられているようにも思います。

 さて、ブログの方ではスイカの写真も載せられていましたね。今年は出来がよかったとか。何よりです。
 このあたりでは山形県の尾花沢のスイカがブランドで、昔はよく車で売りに来ていました。あの頃は大きなものでも結構安かったように記憶しています。買ったスイカは井戸につるして冷やしてから食べてました。今はちょっと大きなものでもスーパーなどでは結構な値段がついています。

 ぼくの住まいは小規模な団地の中にありますが、団地だと夏の風物詩は壊滅してしまいましたね。ちょっと寂しくはあります。

 今日はこれで失礼します。nishiyanさんの活動からいつも刺激をもらってます。今後ともよろしくお願いします。




314nishiyan:2022/12/05(月) 20:45:33
https://i.postimg.cc/kGQ3Wrbt/tuchisi-15.jpg


土詩 #15
 
土の匂いがしてもしなくても
もうこの道を
進んで行くんだ(わかっているさ)

315nishiyan:2024/01/03(水) 13:35:17
https://i.postimg.cc/5N0mjmz8/tuchisi-28.jpg


土詩 #28

昔より土の中がだいぶん見える
ようになっても まだまだ
わからないことがあり 日々付き合う


佐藤さんへ

新年おめでとうございます。
今年もがんばってみましょうか。


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