Re SNSについて
ここ最近、いくつものやり取りをしてしまいましたがこれは滅多にないことで、普段は自分のツィター画面に流れて来るツイート(コメントや画像)で、気に入ったものなどを再び他の人への紹介も込めてツイート(「つぶやく」)するのをRT(リツイート)と言いますが、そのRTをしたり、気に入ったものや備忘のための資料などがあれば「いいね」ボタンを押して保存する、といったことです。また、自分の歌やブログの文章の紹介もツイートします。
Re: Re SNSについて
いやあ、なんとなく分かってきました。nishiyanさんは以前ホームページも公開されていましたが、移動後は拝見できなくなってしまいました。そちらは封鎖されたのでしょうか。継続されているとすると、3つの更新の掛け持ちということになり、やはりエネルギーの消費量が半端ないと思ってしまいます。
どうしてこういうことをお聞きするかというと、もしも3つの表現の場があるとして、全体像を見る場合にどこに注目するのがいいのだろうかと考えるからです。どこが主戦場でいちばん力が注がれているのはどこか、それが知りたいなと思います。これまではブログだけに注目して、だいたいの作品はここで見ることができるのだろうと考えてきました。でも最近はツイッター上のことが転載されていたりして、もしかすると表現を3つの場に分散して発表しているのかなという気もしているのです。そこの所をちょっとお伺いできればなと思いました。
Re 感想について
「宵越しの金は持たない」では生活が成り立たないでしょうから、実際は二重底になっているのでしょうね。つまり、その感性はよく解釈するなら対人的・対外的な振る舞いの願望の美とでもいうのでしょうか。吉本さんは、自己欺瞞や作為を日常生活レベルまで詰めてきた人ですから、わたしはそんなところはないと思います。東京の自分の住む地域というものに対する受容と拒絶の劇も当然あったものと思いますが。また、現在では個々人が背負って来る地域性が均質化されていますから、その地域性の強度は近代ほどではなくなっているように思います。現在では、個々人の背負ってくるそれぞれの家族性が問題になってくるように思います。この件に、直接関係するかどうか分かりませんが、