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仏が迹、衆生が本。仏は本、衆生が迹。自由に論議いたしましょう

1沖浦克治:2009/08/18(火) 19:37:59 ID:AJ3hr85o0
 どうも最近、眺め人さん方が、人本仏迹論だと、私を責めますね。
 少し対話致しましょうか。
 但し、礼儀作法を弁え、自己紹介をきちんとする事が条件です。
 
 質問を沢山並べないのと、質問返しは原則禁止ですが、例外はあります。
 その判定は私が致しますね。

 私の掲示板ですのでね。
 それと、この機会にアクセス禁止を全て解除したします。
 クシだけは禁止致します。

 では、どうぞ。

111黒川和雄@法華講:2013/06/06(木) 21:15:25 ID:???0
ほ、ほう、では確認いたしますが、
大聖人は末法の本仏ではなく、日蓮菩薩ということでしょうか??
これは重大な発言ですね。

112黒川和雄@法華講:2013/06/06(木) 21:17:23 ID:???0
では、なぜ貴殿は総別の二義を持ち出し、

自分の主張を正当化するのか? これの回答もお願いします。

では、

113沖浦克治:2013/06/06(木) 21:31:37 ID:U7nVm6lA0
黒川さん、デタラメはいけませんね・

 大聖人ご本仏は私が定める所です。

 日蓮菩薩などと一度も言いませんよ。

 総別の二義は、貴方が持ちだしたのです。

 私はどっちでもいいですよ、そういうことは。

114黒川和雄@法華講:2013/06/06(木) 23:45:25 ID:???0
※大聖人は上行菩薩のお立場です。釈迦本仏です。

再度確認です。上、どういう意味ですか?
貴殿、釈迦本仏ですと言っておりますね。どういう意味ですか?

115沖浦克治:2013/06/07(金) 05:44:59 ID:U7nVm6lA0
黒川さん、おはようございます。

 曾谷殿御返事は、曽谷さんが、釈文不読などと言い出した事に対しての指導です。
 大聖人はこの時ご自分が御本仏だとは言われておられません。
 更には、上行菩薩ですらなく、その遣いですら無いとお書きです。

 『然るに上行菩薩等末法の始の五百年に出生して此の境智の二法たる五字を弘めさせ給うべしと見えたり経文赫赫たり明明たり誰か是を論ぜん、日蓮は其の人にも非ず又御使にもあらざれども先序分にあらあら弘め候なり、』
 (曾谷殿御返事)

 序文にだいたい広めただけだ。

 こう言う書き方ですので、この時点でこれを読んで、大聖人が御本仏とわかる人はいませんね。
 当然文意では、釈迦本仏です。
 大聖人御本仏はもっと後世にならないと出て来ませんし、創価学会が出現しなければ誰もわからなかったでしょう。
 戸田先生のお陰で、大聖人御本仏が全国に広まりました。

 700年かかっていますね。 
 当然、鎌倉時代に大聖人が御本仏などは誰も知りません。
 私共は、現在の立場で、振り返ってわかるだけです。

116沖浦克治:2013/06/07(金) 06:45:48 ID:U7nVm6lA0
黒川さん

 少し補足しますが、この引用の御文から大聖人御本仏は出てまいりません。
 最高に拡大解釈して、上行菩薩再誕までです。

 大聖人がストレートにご自身が本仏だと書いている所がありますか?

 あるなら、引用して下さい。
 学びたいですから。

117沖浦克治:2013/06/08(土) 21:28:03 ID:lHNUoBrE0
 五百塵点劫について私感を述べます。

 他の板でご質問を頂きましたが、その方はそう言う話題を対話可能な方ではありません。
 ですので、無視してもいいのですが、いい機会ですし、非常に大事な事でもあります。
 久遠実成とも呼ばれる長遠の過去の出来事して法華経如来寿量品第十六で説かれています。
 法華経以前、釈迦はインドで生まれ、弟子たちともインドで出会い、化導をした、と説かれています。
 迹門では大きく変わって、化城喩品第七で

 釈迦は三千塵点劫と言う昔に、大通智勝仏と言う仏の十六番目の王子として生まれ、化導をし衆生を結縁をし、その時の縁でインドに共に生まれ、釈迦はインドで成仏をしその時の衆生をインドで又弟子としている。

 と説きました。
 これまでのこの世だけの結縁を否定したのです。
 ですが、釈迦はこの時点ではやはりインドで始めて仏に成ったと言う立場を変えていません。
 如来寿量品では、これを否定、
 
 自分は五百塵点劫と言う極めて遠い昔に成仏し、それ以来娑婆世界で説法教化し、弟子たちを化導し続けて来た。

 この様に説いたのです。
 ですので、菩提樹の下で釈迦が悟ったとされる内容は、

 今仏に成った。ではなくて、

 元々仏だったと思いだしたのです。
 この元々が久遠実成と呼ばれる五百塵点劫です。

 大聖人はこれに対して久遠元初と呼ばれる時、既に仏であったと説かれました。
 この久遠元初を、久遠五百塵点そのかみ、とも呼びます。
 そして、注目すべきは、その久遠元初で既に、一切衆生がご自分と同じく仏であったと説かれた事です。

 『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、』
 (船守弥三郎許御書)

 この思想が大聖人仏法の真髄とも思えます。
 これ以前は、仏も神も、人ではなく人を越えた超絶の存在であって、人はその存在を信じ認められた時だけ、極楽や天国へ行けるとされていました。
 所が大聖人は、

 そうではない!
 お前たちは元々自分と全く寸分たがわない仏なんだ!!

 と言われたのです。
 凄い事ですね。

118沖浦克治:2013/06/08(土) 21:47:51 ID:lHNUoBrE0
 続きです。

 『釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき、後に化他の為に世世番番に出世成道し在在処処に八相作仏し王宮に誕生し樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知らしめ四十余年に方便教を儲け衆生を誘引す、』
 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 ここは、釈迦が凡夫であった、久遠元初に成仏していた久遠の本仏が五百塵点に迹仏の姿として顕れ、三世にわたって衆生を化導して行く働きの面を三世諸仏と言われ、三世は時間的な広がりを、諸仏は空間的なそれを言われたとも拝せます。
 更に池田先生は、

 『五百塵点劫とか、三千塵天劫とか、別に我々には関係ないのです。
 今が久遠元初なんです。
 久遠即末法と言うでしょう。
 ですから、我々には関係ありません。』(趣意)

 五百塵点劫、三千塵点劫などと言っても所詮は釈迦仏法の説明です。
 大聖人はそのはるかに上のお立場です。
 当然私共もそう言う事は関係無くてかまいません。

 『第廿三 久遠の事
 御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさずつくろわずもとの侭と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の侭なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云。』
 (御義口伝巻下)

 この久遠実成は久遠元初のことで、無作と仰せです。

 無作。

 非常に大事な事ですね。

119沖浦克治:2013/06/08(土) 22:10:30 ID:lHNUoBrE0
続きです。

 『第一妙法蓮華経随喜功徳の事
 御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり、事とは五百麈点の事顕本に随順するなり理とは理顕本に随うなり所詮寿量品の内証に随順するを随とは云うなり、然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり、然る間随とは法に約し喜とは人に約するなり、人とは五百塵点の古仏たる釈尊法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり、』
 (御義口伝巻下)

 無作三身ですが、そのままで仏だと拝せます。
 信心し、戦い唱題をして行くうちに、自然の内に本来の仏の境涯になってしまう。
 以前先生が言われました。

 『諸君たちは何があっても創価学会の信心を貫きなさい。
 そうすると、60歳ぐらいで自然に天職とも言う人生に入ります。
 なろうとしなくても勝手にそうなっちゃう。
 無作と言うんです。』(趣意)

 私共にとって久遠元初とはこう言うことなんだと思います。
 自然にそうなる。
 ですので、背伸びする必要もありませんし、あの人の様になりたいと思う必要もありません。
 キチンと信心していると自然に久遠元初の仏の姿を減じる。
 人間革命、と言う行為を通じてそうなるのです。
 境涯革命です。
 自然になるのですから、普通にしていればいい。

 NETでハンネで異なる人格を演じるなどは、愚の骨頂です。
 そんなものは、無作ではあり得ません。

120沖浦克治:2013/06/08(土) 22:11:58 ID:lHNUoBrE0
では、今夜はこのあたりで終わりますね。

121沖浦克治:2013/06/09(日) 21:49:18 ID:lHNUoBrE0
 久遠実成が何故寿量品の肝心なのか?

 池田先生が言われました。

 『釈迦は久遠実成で成仏したのだから、インドで生まれた時には既に仏です。
 19歳で出家して30歳で成道した。
 所が30歳以前も仏です。
 久遠実成で仏ですから。
 では、30以前と以後で全く差がないのか? 
 あるんです。
 30までは自分が仏であることを忘れていた。
 30で思い出した。
 これだけの差なんです。』(趣意)

 先生が講義された内容ですが、するとこの時あらゆる人に成仏の可能性が現実になります。

 釈迦は仏であることを忘れていた。
 だから自分もそうかも知れない。

 然しながら釈迦は、久遠実成で自分がどうやって成仏したのかは明かしません。

 我本行菩薩道。と説いていますが、菩薩の行の内容は明かしません。
 ですので、この点は生命の起源と似ています。

 地球の生命はどうやって誕生したか?

 近年宇宙から生命の種が飛来したとの説があります。
 これが正しいとして、この説では地球の生命の起源は説明が出来ますが、その地球に飛来した生命の元がどう言う風に生まれたのか?
 これは説明出来ません。
 ですので、この説では、地球と言う限られた環境に於ける生命の起源は開かせますが、生命そのものの起源は明かせません。

 如来寿量品で久遠実成を明かしますが、ではどうやって釈迦が仏に成ったのか?
 この点は明かしていません。
 菩薩の修業をしてと書かれてありますが、その修業の具体的な内容には触れていません。
 
 大聖人はここを説かれました。

 『第廿三 久遠の事
 御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさずつくろわずもとの侭と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の侭なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云。』
 (御義口伝巻下)

 この久遠実成は久遠元初のことで、無作と仰せです。
 元々生命は仏なんだ。
 何もしなくてもそのママで仏なんだ。

 簡単に言うとこう言うことです。 
 生命の起源もそうですね。
 仏法では、

 宇宙がそのまま生命だから、そう言う起源が云々ではなく、元々宇宙ができた時からそれが生命そのものなんだ。
 
 このように説きます。
 戸田先生が悟達なさいますでしょう。

 『仏とは生命なんだ!!』(趣意)

 大聖人は仰せです。

 お前たちがそのままで、この宇宙ができた久遠元初と言う時既に仏であって、この宇宙ではそう言う事になっているのだ。

 『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、』
 (船守弥三郎許御書)

 仏法ではこう言う事になっています。

122スタ:2013/06/21(金) 21:13:02 ID:???0
こんばんは。今更自己紹介をする必要もないでしょう。

貴方がアク禁解除するならお手合わせ願いたい。

返信お願いネ(^◇^)

123太ちゃん:2013/06/21(金) 21:30:07 ID:???0
スタさんもネット歴が長くなっているけれど、『自己紹介』は利用者の記帳みたいなものですから簡単にでもやっておいた方がいいですよ。

というか、MSN以来で懐かしいですよ(^^)

お元気そうでなによりです。

124沖浦克治:2013/06/22(土) 05:54:49 ID:lHNUoBrE0
 スタさん、おはようございます。

 自己紹介がキチンと出来ない人は、来なくていいのですよ。

125沖浦克治:2013/06/22(土) 05:55:30 ID:lHNUoBrE0
 それと、スタさん、アク禁なのですか?

127沖浦克冶:2013/06/23(日) 06:35:09 ID:iTPO2GuA0
 先ず自己紹介をして下さい。
 
 それがルールの板です。

 とりあえずスタさんの投稿は削除いたします。

 自己紹介なしで、次に書き込むと、私がアク禁に致します。

129スタ:2013/06/24(月) 21:46:32 ID:???0
よろしいのか、たずねておるのだよ。

138沖浦克治:2013/06/25(火) 22:59:33 ID:lHNUoBrE0
 スタさん、アクセスをお断り致します。

139沖浦克治:2013/06/26(水) 05:45:28 ID:lHNUoBrE0
我即宇宙と言う概念があります。

 『弘決の六に云く「此の身の中に具さに天地に倣うことを知る』
 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 『然るに此の金剛不壊の身を以て生滅無常の身なりと思う僻思は譬えば荘周が夢の蝶の如しと釈し給えるなり』

 『今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性五智の如来の種子と説けり是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり本覚の如来なり是を十如是と云う此を唯仏与仏乃能究尽と云う、不退の菩薩と極果の二乗と少分も知らざる法門なり然るを円頓の凡夫は初心より之を知る故に即身成仏するなり金剛不壊の体なり、』

 明快に説かれてあります。

 私共一切衆生の命こそが、南無妙法蓮華経だ!!

 寛師はここを迷ったのです。
 習い損ないと呼ぶ所以です。

140沖浦克治:2013/06/26(水) 07:32:06 ID:lHNUoBrE0
富士ボーで、愚かな論争が続いていますね。

 法華講の方、自称創価学会員の方、双方ともに御書が読めません。 
 更には、法華講員の方が、創価学会の開祖戸田先生のご指導が読めないのは仕方ないですが、自称創価の方が全く読めない。
 似非創価である所以です。

 口決相承について、極めて低レベルの議論がなされています。
 
 『此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、』
 (三大秘法禀承事)

 同じ事を戸田先生が御書講義で述べられておられます。

 『この時私も大聖人と一緒にいたんです。
 貴方方もいたんですよ。
 いなかったら、冗談じゃない。
 ここで戸田の講義なんか聞いていません。』(趣意)

 音源を持っております。
 私共は、久遠で大聖人、戸田先生、と共に口決相承を受けています。
 今更、誰が受けたの受けないの?
 アホらしい!

141けんじ ◆BDu0.rUntI:2013/07/28(日) 16:37:33 ID:1kMhMBfY0
どなたか、唯授一人の血脈について教えて頂けませんか。

142沖浦 克治:2013/07/28(日) 16:45:31 ID:lHNUoBrE0
 けんじさん、今日は

 そういうものはございません。
 創価学会は大聖人から興師への唯授一人の血脈は認めておりますが、あれは暫くの間の方便でしょう。
 唯授一人で本当に仏法が伝わるなら、極端な密教になります。

 それは仏法ではありません。
 御書には、一切衆生は等しく唯我一人の当体だとあります。
 
 『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、』
 (船守弥三郎許御書)

 ですので、師から一人だけの弟子に仏法の極意が伝わると言う思想は、邪義です。

143けんじ:2013/07/29(月) 01:55:54 ID:bDkxg.jAO
沖浦さん、今晩は

御書で、「本尊並びに血脈の大事は唯授一人の血脈なり」と有りますが、これは後世の人が付け加えたものだそうですね。

本来の仏法に反する思想なんですね。

144沖浦克治:2013/07/29(月) 06:58:56 ID:lHNUoBrE0
けんじさん、おはようございます。

 富士宗学要集で、堀上人がその部分は後世の偽作だとお認めです。

 又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし秘すべし、伝ふべし。
 法華本門宗血脈相承畢ぬ 
 弘安五〈太歳壬午〉十月十一日  日蓮花押

 編者の曰く日時上人(本山五世)日辰上人(要山永禄三年写)日我上人房山元亀三年比)等古写本(巻頭に其各写真を掲く)によってこれを写し一校を加へ後可と見ゆるぶんには一線を引く、而して各本について識の明らかなるは辰師本(日尊自筆の本にて写すとあり)とす、以下の無数の写本ありと云へども多くは三本を出でざれば校正用に足らざるなり。

145沖浦克治:2013/07/29(月) 07:05:45 ID:lHNUoBrE0
 唯授一人は産湯相承事にもありますが、これは所詮は興師の昨ですので、全ての大聖人門下にはどう言う影響もありません。
 大石寺近辺の脆弱な内部規定に過ぎないのです。

 後世の誰かが、それを知っていてごまかしに最後に日付と大聖人のご署名を偽作しています。
 堀さんがあっさりと、それを偽作だとして公開されました。

 聖人の言く、此の相承は日蓮嫡嫡一人の口決唯授一人の秘伝なり、神妙神妙とのたまいて留め畢ぬ。
 弘安五年可壬午十月八日       日蓮在御判

 
 編者曰く房州妙本寺日山我師門下写本等に依つて之を写し一校を加へ延書となす、書末年月御名判に二線を引きたる一行は後人の偽托なるが故なり。

146沖浦克治:2013/07/29(月) 07:07:47 ID:lHNUoBrE0
 唯授一人なんて、仏法にある道理がありません。

 私がそう書くと、

 沖浦は興師を否定する!!

 などと浮かれ騒ぐ人がいますが、愚かですね。
 少しでも仏法を理解するなら、そう言う思想は出て来ません。
 私が云々ではなく、仏法にはそう言う考え方がありません。

147けんじ:2013/07/29(月) 19:24:07 ID:bDkxg.jAO
学会の御本尊様に授与書きがどうこうだから、と言う人もいますが、この点についてどなたか

148X-PRO-Z:2013/07/29(月) 19:39:17 ID:???0
よその 宗派のことです

149太ちゃん:2013/07/30(火) 00:41:10 ID:???0
>>147

授与書き?

なにそれ?(爆)

宗門の板曼荼羅には「授与書き」なんてありましたっけ??

「字」には書いた人によって「微妙な違い」が出るものです。『あ』と書いた文字の他に『い』と付け加えても『あ』と書いた字は『あ』のまま変わるわけではありません(当然ですが)。

曼荼羅を書いた人の『生命』を我々が共鳴する効果のためのものを、「授与書き」などあっても無くとも曼荼羅の字が変わるわけではないですよ。

つまり「あっても無くともどっちでもいいもの」=「無意味なもの」なんですよf^^;

『授与書き』がどういうものか知らないけれど、もし曼荼羅に直接書いてるなら『誹法』にならんのか?f--;

150立ち上がろう ◆TJ9qoWuqvA:2013/08/14(水) 20:07:41 ID:DSsw2N8U0
人は生まれながらにして様々な差別がありますが、このことについて仏法ではどのように説かれているのでしょうか?
顔立ちの端正な方は、過去世で仏道修行に真剣に取り組んだ人と説かれていると聞いたのですが。

151立ち上がろう ◆TJ9qoWuqvA:2013/08/14(水) 20:09:48 ID:DSsw2N8U0
きちんと仏道修行にはげみ、道徳的に良い行いをした人が来世での幸せが約束されると思って良いのでしょうか?
生まれる時期、国、家庭などはどのように決まるのでしょうか?気になります。

152立ち上がろう ◆TJ9qoWuqvA:2013/08/14(水) 20:12:04 ID:DSsw2N8U0
>「授与書き」などあっても無くとも曼荼羅の字が変わるわけではないですよ。
これはそのとおりですね。宗門がかつて学会に下付していたご本尊様にも授与書きはありませんでした。

153立ち上がろう:2013/08/14(水) 20:17:51 ID:DSsw2N8U0
来世に悲惨な状態で生まれたらと思うと怖いですね。

154大いなる人間 ◆ihElqIETAs:2013/08/17(土) 17:17:36 ID:s7GC9YSk0
善根についてお伺いしたいのですが、どなたかよろしくお願いします。

155大いなる人間 ◆ihElqIETAs:2013/08/17(土) 20:30:31 ID:s7GC9YSk0
慈悲と愛の違いをどなたか教えていただけませんか?

156けんじ:2013/08/20(火) 00:34:46 ID:bDkxg.jAO
自分の周りに集まる人というのは、自分に似た人が集まると聞いたのですが、やはりそうなのですかね。

157けんじ:2013/08/20(火) 22:29:17 ID:bDkxg.jAO
先生はここ数年、同時中継に出られない。今後は出られないのでしょうかね。


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