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日蓮聖人の本尊観
35
:
顕正居士
:2002/07/31(水) 11:44
早坂鳳城師の河口慧海批判
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho31/s31_170.htm
慧海の「日蓮宗の本尊論批判」に対する批判である。早坂師が引用する慧海の
文章は小生には妥当にみえる。
1-この宗の本尊について一定して確定する事は不可能である
2-宗祖は内心には釈尊を本尊とせられたように見える
3-題目を唱ふることは、久遠塵點劫古昔の釈迦牟尼佛を念ずることとなるので
あって、妙法蓮華経と言う題目が即ち根本的釈尊の名であると言うのである
しかし
4-南無妙法蓮華経とは、その法本尊に礼拝帰命することとしているが、この
主張は経典そのものと、妙法そのものとを混同している
5-経典の題目を以って、本佛とも本尊ともすることの出来ないことは、あたか
も薬の効能書の見出しを以って、薬と同一視出来ない事と同じことである
6-久遠の佛を特に尊いものとして、本尊とすることの無意義なことは判然と
したであろう
早坂師の批判はほぼ的を得ていない。たとえば、
「日本という言葉の中に、日本六十余洲もしくは、四十八都道府県の全てが
含まれるが如くである」
日本という言葉の中に包摂されるのは、六十余洲の名前であって内容でない。
妙法蓮華経の場合はさらにあてはまらない。法華経に仏教のあらゆる法の名が
出ているわけでない。
甲も是、甲にあらざるも是、故に甲あるいは非甲なりというは非の論理間違い
であるが。慧海に対して「久末一双不知の論。法華経経意不知の論。久遠弁別
不知の論」をいう無学にはあきれた。
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