したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

利水・治水スレ

1とはずがたり:2007/11/05(月) 00:45:52
ダム・堰堤・運河・暗渠etc
公共事業に占めるダムなどの費用は非常にでかいものがある。専用スレで研究・観察。

行革スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1038805069/?KEYWORD=%A5%C0%A5%E0
土建スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1105074193/?KEYWORD=%A5%C0%A5%E0
ダムサイト
http://damsite.m78.com/top.html
ダム便覧
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/TopIndex.html
ダムマップ
http://www.dammaps.jp/

1258とはずがたり:2016/12/26(月) 19:32:37
水力発電所の稼働率に関する私の疑問(>>866-872当たりで調査)が氷解したかも知れない。

>日本全国にダムがあっても、それが十分に活用されてはいない。膨大な潜在的エネルギーが利用されることのないまま眠っている。実は、今の日本のダム湖には、水が半分程度しか貯まっていないのだ。

>それは、法律のルールで決まっているからだ。
>日本のダム造りのベースとなるルールのひとつに、「特定多目的ダム法」という法律がある。これには主に2つの目的が記されている。それは、「利水」と「治水」の2つであり、ひとつのダムで両方の目的を果たそうというのが多目的ダムだ。
>矛盾した2つの目的があるため、両者の折衷案として、ある程度の水は貯めるものの、ある程度は空にしておくしかない。…利水の面から見れば非効率だ。特に、発電にとっては、ダム湖をわざわざ空けておくなんて、電力を捨てるようなものだから、「もったいない」としかいいようがない。

>しかし実は、治水という意味からも、今のダム運用はあまり効率的ではない。はっきりいって“時代遅れ”なのだ。

>現実的には、台風が最接近する3日ほど前に予備放流すれば、十分に洪水に対処できる。3日前ならば川の流域に大雨は降っておらず、川はまだ増水していない。ダムの水を放流しても安全だ。
>日本の川は急流だし、海までの距離が短い。水源地のダムから予備放流された水は、ほとんどの場合、その日のうちに海に達する。海までの距離の長い利根川でも、放流の翌日には銚子から太平洋に至るし、東京の多摩川などは朝に放流すれば夕方にはもう海へ行ってしまう。
>つまり、大雨の心配のない時期は、ダム湖の水位を満水近くまで高くしておいても大丈夫なのだ。これなら、大きな水のエネルギーを電力に換え続けることができる。
>理由は、多目的ダム法の古さにある。この法律は昭和39年(1964年)に制定されて以来、根本的には一度も改正されていないから、50年前の社会事情に合わせたルールとなっている。信じ難い話かもしれないが、気象衛星も打ち上げられていなかった50年以上も前の法律が、21世紀の今でもダムの運用を縛っているのだ。
>つまり、天気予報の精度が今に比べて格段に低かった時代に合わせたルールを、半世紀たった今でもまだ守っているのである。

21世紀の日本は「ダム」によって救われる!
「歴史地形本」ベストセラー著者が断言
http://toyokeizai.net/articles/-/129147
竹村 公太郎 :元国土交通省河川局長 2016年08月19日

水力発電というと、一時代前の開発しつくされた電力源というイメージが強いだろう。確かに、今後、新規の巨大ダムが建設される見込みはなく、水力発電の総発電量に占める割合は10%足らずにすぎない。
しかし、国土交通省で数々のダム建設に携わってきた竹村公太郎氏(元同省河川局長)によると、既存ダムの活用で、新規の巨大電力を生み出すことが可能であるという。既存ダムの潜在能力を発揮させれば、現在の2〜3倍の水力発電量を確保することができるというのだ。
資源安で危機感は薄らいでいるものの、歴史的に見ればエネルギー問題がつねに日本の国運を左右してきた。今後は、二酸化炭素排出量削減の必要もあり、化石エネルギーへの依存を見直していかざるをえない。3.11以来、原発稼動には高いハードルが横たわっている。そうした中、安定したエネルギー源として水力発電量の比率を高めることの意義は大きい。
日本のエネルギー問題解決のカギを握る「純国産」再生エネルギーの隠れた可能性について、このたび『水力発電が日本を救う』を上梓した竹村氏が解説する。

巨大ダムを増やす時代ではない

水力発電を見直そうなどと言うと、こんな誤解をする人もいるかもしれない。
「ダムを増やす話なのかな」
しかし、それはまったく見当違いだ。
巨大ダムを増やすことなどいっさい考えていない。というより、もう造れないといったほうが正しい。もう日本では巨大ダムは増やせないのだ。

巨大ダムは確かに、水力エネルギーにしても治水にしても、効果は大きい。しかし、その巨大ダム建設の犠牲も大きい。

近代以降、昭和の高度成長期にかけ、山村地域の300〜400戸の家々を水没させて、巨大ダムを造ってきた。一部の人々の犠牲の上に繁栄を築くという、近代化の過程で行ってきたこのやり方は、現代にあってはもはや時代に合わない。

実は私は、日本でダムの新設をやめようとした張本人だった。かつて国交省の開発課長や河川局長だったとき、「もう緊急性がなく不必要なダムは造らない」と言い出した。多分、ほかの人が「ダムをやめる」などと言えば、大騒ぎになっていたと思う。だが、ダムをやめようとしているのが、ダムを愛している“ダム屋”の長(おさ)である私だったから、先輩のダム屋のメンバーも「竹村が言うのでは仕方がない」と協力してくれた。

1259とはずがたり:2016/12/26(月) 19:32:49

今の日本に、巨大なダムは造れないことは、私は誰よりもよく知っている。

「ダムが増えないのに、水力発電が増やせるわけがないだろう」
こう考える人が多いはずだ。だが、日本のダムの実態を理解していくと、そうでないことが分かっていく。

ダムの専門技術者として断言する。
「ダムが増やせなくても、水力発電量を今の2倍、3倍に増やすことができる」
信じてもらえないが、これは事実なのだ。

純国産でまったく温室効果ガスを発生しない電力を、毎年、金額に直して2兆円から3兆円分も増加させることができる。そして、この豊かな電力量が半永久的に継続する。

まるで夢のように聞こえるかもしれないが、現実に可能な話だ。その根拠を一言で答えれば、こうなる。

「日本のダムの力は十分に発揮されていない」

日本全国にダムがあっても、それが十分に活用されてはいない。膨大な潜在的エネルギーが利用されることのないまま眠っている。実は、今の日本のダム湖には、水が半分程度しか貯まっていないのだ。

日本のダムは水を半分しか貯めていない

ダムと聞けば、ほとんどの方が、コンクリートの巨大な壁の上端近くまで、水が豊かにたたえられているダム湖をイメージされるだろう。

だが、現実は違う。多くのダム湖の水は半分くらいしか貯まっていない。

雨不足のせいではない。雨が比較的多い時期でも、ダム湖は満水近くまで水位が上がることはない。

位置エネルギーを利用する水力発電にとっては、ダム湖の水は水位が高いほどいい。水量も多いほどエネルギーは大きくなる。それなのに、わざわざ水を貯めないのは理屈に合わない。みすみす、発電能力を下げているようなものだ。

見方を変えれば、こうも言える。もし、現在、空にしているダム容量を満水にすれば、もう1個の別のダムを造ったのと同じ貯水量の増加となる。つまり、簡単に、ダムを新しく1個造るのと同じ効果が生まれる。

なのに、現実は、ダム湖の水を満水に貯めていない。なぜ、こんなことをするのか。

それは、法律のルールで決まっているからだ。

日本のダム造りのベースとなるルールのひとつに、「特定多目的ダム法」という法律がある。これには主に2つの目的が記されている。それは、「利水」と「治水」の2つであり、ひとつのダムで両方の目的を果たそうというのが多目的ダムだ。

ところが、2つの目的があるゆえに、多目的ダムの運用には奇妙なやり方が求められてしまう。

矛盾した2つの目的があるため、両者の折衷案として、ある程度の水は貯めるものの、ある程度は空にしておくしかない。ダムの目的の半分が治水なのだから、空にしておくのはやむをえない。だが、利水の面から見れば非効率だ。特に、発電にとっては、ダム湖をわざわざ空けておくなんて、電力を捨てるようなものだから、「もったいない」としかいいようがない。

それでも、洪水を予防するのに、ダムを空けておくのは仕方がないと言える。電力のために、川の下流域を洪水にさらすリスクは冒せないからだ。

しかし実は、治水という意味からも、今のダム運用はあまり効率的ではない。はっきりいって“時代遅れ”なのだ。

1260とはずがたり:2016/12/26(月) 19:33:07
>>1258-1260
もっと水を貯めても危険はないのに…

大雨による洪水を防ぐために、普段からダムを空けておく。これが現在のダムによる治水のやり方であるが、疑問を持つ方もおられるかもしれない。

「つねに空けておく必要はないだろう。大雨が来るのがわかってから減らせばいいじゃないか」

確かにそのとおり。そう考えるのが普通だ。

たとえば、台風に備えるとしよう。気象予報によって1週間前には台風が来ることはわかる。予報を見て、ダムが台風の進路に入ってからダムの水位を落とせばいい。

洪水の危険に備えてダムの水を減らすことを予備放流と呼ぶが、これはタイミングが重要だ。大雨によって増水中に予備放流などしてはいけない。さらに水かさが増して、洪水の危険を大きくしてしまうからだ。

現実的には、台風が最接近する3日ほど前に予備放流すれば、十分に洪水に対処できる。3日前ならば川の流域に大雨は降っておらず、川はまだ増水していない。ダムの水を放流しても安全だ。

日本の川は急流だし、海までの距離が短い。水源地のダムから予備放流された水は、ほとんどの場合、その日のうちに海に達する。海までの距離の長い利根川でも、放流の翌日には銚子から太平洋に至るし、東京の多摩川などは朝に放流すれば夕方にはもう海へ行ってしまう。

ちなみに、まだ川が増水していない晴天のときにダムの予備放流を行うと、河川敷で人が流される心配があるから、予備放流は危険だという意見がある。だが、これは単に対策の不徹底が原因だ。下流への警報を十分に発することや、避難手段を講じておけば防げる。

このように、台風が接近してからダムの予備放流をすれば、治水のためのダム容量を空けることが可能だし、そうすることで、大雨を受け止めるダムの容量は確保できる。洪水予防のためであっても、普段からダムを大きく空けておく必要はない。台風などの大雨が来る直前にダムを空ければ、十分に洪水は防げる。

つまり、大雨の心配のない時期は、ダム湖の水位を満水近くまで高くしておいても大丈夫なのだ。これなら、大きな水のエネルギーを電力に換え続けることができる。

半世紀前の法律で運用される多目的ダム

では、なぜ、そうしないのか。

理由は、多目的ダム法の古さにある。この法律は昭和39年(1964年)に制定されて以来、根本的には一度も改正されていないから、50年前の社会事情に合わせたルールとなっている。信じ難い話かもしれないが、気象衛星も打ち上げられていなかった50年以上も前の法律が、21世紀の今でもダムの運用を縛っているのだ。

つまり、天気予報の精度が今に比べて格段に低かった時代に合わせたルールを、半世紀たった今でもまだ守っているのである。

昭和30年代なら、治水のためダムの容量を大きく空けておく必要があった。だが、21世紀の現代の技術水準からみれば、ダムの能力を十分に発揮させていない。

かつてのダム運用が、現在では合理的ではない。不合理なところだらけだが、この変化をもたらしたのは半世紀の間に起こった技術革新だ。

ことに、気象予報技術の進歩が大きい。気象衛星や気象レーダーで天候についての情報を集め、スーパーコンピュータで計算して予測する。こうした科学技術が蓄積されたおかげで、高い精度で予報が出せるようになった。

科学技術の進歩により、多目的ダムの2つの目的である治水と利水の矛盾を、限りなく小さくすることが可能になっている。技術の進歩が、ダムの運用を新しく変わらせてくれる時代になったのだ。

しかし、法律とそれに関連するルールは昔のままである。せっかくの技術の進歩を生かすことができていない。半世紀前の法律をそのままにして、時代の進歩を無視しているのだ。

これからは国民も、治水が担当の役人も、日本の未来を見据えて、ダムの潜在的な能力を生かすことの重要性を考えなくてはならない。

1261とはずがたり:2016/12/26(月) 19:36:06

>ダムの高さを上げれば、ダム湖の水をたくさん貯められ、高さも稼げる。水力発電力を増加させることができるわけだ。100mから110mに上げるのだから、高さ的にはたった10%の違いである。ところが、この10%がバカにならない。実は、電力で考えると、単純計算でも発電量は約70%も増えるからだ。

>現在、日本の総電力供給量に対する水力発電の割合は8%ほどだ。私は日本のダムの潜在的な発電能力を引き出せば、30%まで可能だと試算をしている。

ダムは永久にエネルギーを生む「夢の装置」だ
新規建設なしで年間2兆円分、電力を増やせる
http://toyokeizai.net/articles/-/129153
竹村 公太郎 :元国土交通省河川局長 2016年08月25日

ダムは半永久的に壊れない

私は、ダムは、半永久的にエネルギーを与えてくれる、とてつもない装置だと思っている。

その大前提として、「ダムは壊れない」という事実がある。

あの東日本大震災のとき、東北の広い地域で震度7や6強を観測した際、農業用の貯水池は破損したが、本体が壊れたダムはなかった。日本は地震国であり、明治以降にも頻繁に大きな震災が起こっているにもかかわらず、全国の何千というダムには、ダム本体が壊れた例はない。

私のようなダムの専門技術者にとって、地震でもビクともしないダムの堅固さは当たり前なのだが、一般の方には理解されていない。ダムの真価を知ってもらうには、このダムの安全性を理解していただく必要がある。なぜなら、ダムが壊れないということは、半永久的に電力を生み続けられるということを意味するからだ。

ダムが壊れないといっても信じてもらえないのは、ダムをビルなどと同様に考えている人が多いからだ。だが、ダムは事情が異なる。コンクリートダムは、ビルなどの構造物とは同じではない。

ダムが壊れない3つの理由

それには、3つの理由がある。

・ダムが壊れない理由①?コンクリートに鉄筋がない

ひとつ目の理由は、ダムとビルとでは、コンクリートに根本的な違いがあることだ。多くの人がテレビ報道などで、ビルが崩壊する光景を目にしているから、「コンクリートはいつか壊れる」というイメージがある。だから、コンクリートダムもいずれは壊れると思われるのは仕方がないかもしれないが、それは誤りなのだ。

というのも、ビルなどのコンクリートと、ダムのコンクリートには、非常に大きな違いがあるからだ。

そのひとつは、ダムのコンクリートには鉄筋がないことだ。ビルの建築現場では、コンクリートの壁や柱の中を鉄の棒が通っている。あれが鉄筋だ。薄い壁の構造物を強くするには鉄筋が必要となる。だから、鉄筋があったほうが丈夫だと思うかもしれない。

しかし、必ずしもそうとはいえない。むしろ、ビルなどのコンクリートが長持ちしない原因こそ、鉄筋なのだ。なぜなら、鉄はさびるからだ。コンクリートに小さなひび割れでもあれば、中に水が浸入していき、鉄筋がさびてしまう。そして時間が経つと、ビルのコンクリートは、鉄筋のさびのせいで劣化して弱くなってしまう。

ところが、ダムのコンクリートには、そもそもまったく鉄筋がない。セメントと砂と石だけでできている。だから、ダムの壁はどれだけ年月が経とうが、内部がさびてもろくなることはない。鉄筋のないダムのコンクリートは、何百年経とうが劣化して弱くなることがなく、丈夫さを保ち続ける。

実は、鉄筋の入っていないコンクリートは、天然の岩と同じなのである。コンクリートに使われるセメントは、要するに石灰岩だ。石灰岩と砂と石とが固まっているのがコンクリートであり、成分は凝灰岩(ぎょうかいがん)という天然の岩と同じである。つまり、鉄筋のないコンクリートは、天然の岩盤とほぼ同じなのだ。

凝灰岩は年を経るにつれて堅く強固になっていくという性質がある。同じようにダムのコンクリートは、100年、200年、300年と強固になり続けていく。

1262とはずがたり:2016/12/26(月) 19:36:27

・ダムが壊れない理由②?基礎が岩盤と一体化している

ダムが壊れない理由の2つ目は、基礎部分にある。

近年、マンションの杭(くい)が、岩盤に達していないと発覚して社会問題となった。マンションでは、柔らかい地層の下の固い基盤にまで、決まった数だけ杭を打ちこんで、その杭の上に建物を建てなければならない。

ところが、ダムの場合はもっと徹底している。たとえば、渓谷にダムを建設するときには、渓流の表面の岩をすべて除去しなければならない。なぜなら、表面の岩は、水などによって風化していてもろいからだ。

もろい表面の岩を取り除く膨大な掘削工事を続け、頑丈な岩盤を表に出す。そして、その岩盤の上に直接コンクリートを打ちこんで、ダムをその上に作っていく。つまり、ダムの基礎は、杭などで支えるどころか、岩盤と一体化させてしまうのだ。このことも、ダムが壊れない理由のひとつなのだ。

壁の厚みもケタ違い

・ダムが壊れない理由③?壁の厚さは100m

ダムの強固さについての3つ目の理由は、壁のコンクリートの厚みがビルとはケタ違いだということだ。

ダムの壁の断面を見ると、高さと底辺がほぼ同じ長さの三角形になっている。ダムの下部では、コンクリートの厚みはダムの高さと大体同じだ。

たとえば、高さが100mのダムがあったとしよう。すると、このダムのコンクリートの厚みは、一番厚い最下部では100mにも達する。100〜200mのコンクリートの塊というのは、人間の作ったものとしては最大級の大きさであり、あのピラミッドにも匹敵する。人工物というより天然の山といったほうがいい規模だ。

私たち日本のダム技術者は、昔から机上の計算を過信しなかった。万が一の天災でも耐えられるように十分すぎる安全値をとった結果、高さと厚みがほぼ同じという、頑丈すぎるほどの構造になっている。

以上のように、次の3つの理由で、日本のダムは壊れない、半永久的に使えるといえるのだ。

1.コンクリートダムには鉄筋がない。
2.堅い地層に直接コンクリートを打って基礎にしている。
3.壁の厚みが極めて厚く巨大な山となっている。

永久に使えるというと、次のような反論が出される。

「ダムが長持ちしても、ダム湖が砂で埋まれば使えないだろう」

これは事実だ。確かにダム湖には、雨と一緒に周囲の山から土砂が流れ込んでくる。そのため、ダムにはだんだんと土砂が堆積していくこととなる。

だが、少しだけ誤解がある。ダムに砂が堆積しやすいのは、高度成長期に盛んに造られた電力ダムである。電力ダムの場合、ダムから土砂を排出する穴が用意されていない。理由は土砂が底に溜まっていてもあまり関係がないからだ。ダムのかなり上のほうまで土砂があっても、水位は高くなるので、水の位置エネルギーが確保できる。発電に問題がないのだ。

一方、電力ダムとは違って多目的ダムの場合、土砂が堆積しにくくなっている。大雨が降るたびに、ダム湖の外へ洪水を放流する際に、一緒に土砂を排出してしまうからだ。

多目的ダムには治水という目的もあるので、水を下流に放流するための「洪水吐(こうずいはき)」という特別な穴が用意されている。この洪水吐から大量の水を排出するとき、同時に、ダム湖の土砂が大量に外へ出ていくのだ。だから、多目的ダムでは土砂は堆積しにくい。さらに多目的ダムは、100年間の土砂が堆積してもいいように計画されている。

しかし、100年、200年、300年と経過すれば砂は堆積してしまう。この場合は、土砂を取り除く必要があるのだが、これは簡単に解決する。

1263とはずがたり:2016/12/26(月) 19:37:15
土砂を浚渫(しゅんせつ)したり、ダム湖の底の土砂にパイプを突っ込んで水圧を使って外へ出したり、あるいは土砂吐けのゲートやトンネルを新しく造ったりと、さまざまなやり方がある。どれも、新しくダムを作るのに比べると、簡単な工事だし、費用もケタ違いに安い。このように、多目的ダムは土砂でダム湖が埋まる心配はないし、電力ダムの場合でも、土砂の堆積は解決できる。だから、ダム湖に流れ込む土砂が、ダムの寿命を縮めることはない。

水を貯めたままダムに穴を開ける

日本全国の川に、すでにダムが存在している。一級河川には国が作ったダム、二級河川には都道府県の作ったダムがある。そして、これまで述べてきたように、半永久的に使うことができる。

ところが、その潜在的な電力はあまり開発されていないのが現実だ。多目的ダムの場合、法律などの問題があることは前回>>1258-1260述べたが、現実には、潜在的な発電能力の半分も使われていない。それどころか、発電設備のないダムも多い。非常にもったいない話だ。発電をしないダムには、水を水路に導く穴が開いていない。つまり、発電していないダムで新たに発電しようとすれば、ダムに穴を開ける必要がある。ほとんどの方が、こう考えてしまうだろう。

「ダムのコンクリートに穴を開けるなんてできない。できたとしても大工事だろう。コストもかかるに違いない」

ところが、実際には違う。私たちダム専門技術者にしてみれば、ダムに穴を開けるのは可能なのだ。事実、九州にある鶴田ダムでは、この工事を行っている最中だ。発電設備のないダムを発電用に改修する工事は可能だ。そして、これにより新たな水力発電ができる。

前回>>1258-1260、多目的ダムは運用を変えて、ダム湖の水量を増やせば発電力が格段に増すという話をしたが、もうひとつ、ダムを活用できる方法がある。ダムの「カサ上げ」と呼ばれる方法だ。このカサ上げも、水力発電の潜在的な力を引き出す重要な手段である。

では、カサ上げとは何か。

簡単に言ってしまえば、ダムを高くすることである。たとえば、高さが100mのダムがあるとする。もし、このダムをあと10m高くすれば、それだけ多くの水が貯められるし、水位も10m上がる。ダムが高くなれば、ダム湖の容量を大きくするし、湖水の水位も高くなる。これが発電力の増加につながる。水力発電では、ダム湖の水は量が多いほど効率がよくなるし、ダム湖の水位も高いほうがよいのが原則だ。それは、水の位置エネルギーが、その水量と高さに比例するからだ。

ダムの高さを上げれば、ダム湖の水をたくさん貯められ、高さも稼げる。水力発電力を増加させることができるわけだ。100mから110mに上げるのだから、高さ的にはたった10%の違いである。ところが、この10%がバカにならない。実は、電力で考えると、単純計算でも発電量は約70%も増えるからだ。

たった10%のカサ上げで電力が倍になるわけ

意外かもしれないが、簡単な理屈だ。ダム湖というのは大きな容器に水が入っているのと同じだ。仮に、この器がシャンパングラスと同じ形だとしよう。あのグラスは円すい形であるが、円すい形の容器の場合、高さが10%増えると、容積は約33%増える。

次に、水の高さを考えると、新しく貯まる水の高さの平均は、今まで貯まっていた水の高さの平均の約2倍になる。そして、高さが上がった分だけ、発電量は増えるのだから、発電量も2倍という計算だ。以上で、電力の増加量を計算すると、次の式になる。

0.33×2=0.66

つまり、発電量は66%増えることになる。こうした結果になるのは、シャンパングラスの場合、容器の底のほうほど狭くなっていて、上に行くほど広い形をしているからだ。

実際のダム湖は、シャンパングラスのような単純な形をしてはいないが、底のほうほど面積が狭く、上のほうほど面積が広いという意味では同じであり、原則的にこの計算と同様の結果になる。さらに、実際のダムの場合、いちばん下の部分はまったく発電には使えない。土砂を貯める部分となっているからだ。それで、現実的には、100mのダムの高さを10mカサ上げすると、発電能力はほぼ倍増することになる。

つまり、たった10%のカサ上げは、発電量でいえば、ダムをもう1つ造るのと同じことになるのだ。このように、たった10%でも、ダムのカサ上げの効果は思ったよりも大きい。

1264とはずがたり:2016/12/26(月) 19:37:46

実際のカサ上げの例として、北海道の夕張シューパロダムをご紹介する。このダムはもともとダムの高さが67.5mだった。それを43.1mカサ上げして、高さを110.6mにする工事を進めている。これによって貯水容量は、8700万立方メートルから4億2700万立方メートルに増える。つまり、ダムの高さを約1.5倍にすることで、貯められる水が、なんと5倍近くにまで増えるのである。このように、ダムをカサ上げすることで、意外なほどに貯められる水は増えるし、発電能力も激増するのだ。

現在、日本の総電力供給量に対する水力発電の割合は8%ほどだ。私は日本のダムの潜在的な発電能力を引き出せば、30%まで可能だと試算をしている。これまで述べてきたように、方策は3つある。

第1に、多目的ダムの運用を変更すること。河川法や多目的ダム法を改正して、古い運用法を変えれば、ダムの空き容量を発電に活用できる。

第2に、既存のダムをカサ上げすること。これによって、新規ダム建設の3分の1以下のコストで、既存の発電ダムの能力を倍近くに増大できる。

第3に、現在は発電に使われていないダムに発電させること。このうち中小規模のダムについては後で述べる。

一般には、水力発電はもはや拡大の余地がない、あるいは、水力発電の拡大には巨大ダムの新規建設が必要で環境破壊を避けられない、というイメージのようだが、事実は違うことを説明してきた。巨大ダムの新設はもう必要ない。莫大な公共投資も必要ない。環境破壊も巨額の税金の投入もなしで、水力発電は何倍にも増やせるのだ。

中小水力発電の具体的なイメージ

すでに述べたように、日本には非常に多くのダムがある。大きなものでは、国が直轄している多目的ダムから、都道府県が管轄している小さな砂防ダムまでさまざまだ。そのどのダムについても、水力発電に利用できる。

ダムが大きければ発電量が大きくなるし効率も良くなるが、小さいダムでも発電は可能である。ダムの高さが10mクラスの小さな砂防ダムでも発電は可能で、100k〜300kWほどの電力は簡単に得られる。

たとえば200kwというと小さすぎると思われるだろうが、実際にはバカにならない。なぜなら、砂防ダムの場合、ひとつの渓流でいくつも存在しているからだ。仮にひとつの渓流に5つの砂防ダムがあれば、そのすべてで発電できる。200kwだとすると5つで1000kwになる。

さらに、ひとつの川には、いくつもの渓流が支流として存在する。支流すべての砂防ダムの数を合計すれば数十になることも珍しくなく、そのすべてのダムを発電に利用すれば、何千kwにもなる。この発電を、過疎に悩む水源地域の活性化に生かすこともできる。

こうした状況が日本中の川で存在しているわけで、一つひとつの川のダムの発電量が数千kwでも、日本全国で見れば膨大な電力となる。日本には多数のダムがあり、全国で新たに中小水力発電に利用できる箇所は、調査によってさまざまな数字を挙げているが、どれも数千のケタに上る。たとえば、2011年に環境省が行った調査では、出力3万kW未満の水力発電を新たに開発可能な場所は2万カ所以上あり、そのすべてを開発すると、総電力は1400万kWに上ると試算されている。

中小水力発電の潜在力は非常に大きいのだ。

1265とはずがたり:2016/12/26(月) 19:38:15
>>1261-1265
日本に1年間に降る雨や雪の位置エネルギーを、すべて水力発電で電力に変換すると、7176億kWhになると試算されている。今の日本で1年間に発電されている電力量は約1兆kWhだから、もし水力を完全に開発できれば、電力需要の70%ほどをまかなえる計算だ。

少なくとも200兆円分の富が増える

実際には、すべての降水の位置エネルギーを電力量に変換するのは不可能で、これはあくまで理論値だ。現在の水力発電の電力量は900億kWh強であり、理論値には程遠い。現実にどこまでの開発が可能かは、技術と経済の状況次第となる。少なくとも、運用変更とカサ上げは今すぐにでも実現可能である。全国のダムについて試算してみると、運用変更とカサ上げだけで、343億kWhの電力量を増やせると試算される。

さらに、現在のところ発電に利用されていない中小ダムを開発することは、技術的には何ら問題ないし、再生可能エネルギーの固定買取制度のおかげで、経済的にも好条件となっている。

中小水力発電については、開発可能地点の試算が調査によって違っていて定説はないが、少なくとも1000億kWhほどの電力量が増やせるといわれている。運用変更とカサ上げで約350億kWh、これに1000億kWhの電力量を加えれば、1350億kWhの増加となる。

すると、水力全体で2200億kWh以上となり、日本全体の電力需要の20%を超える。これだけの純国産電力を安定的に得られる意味は非常に大きい。といっても、kWhなどという単位でご説明しても、直感的にピンとこないと思う。電力を金額に直したらどうなるか。仮に、水力発電の電力量が現在より1000億kwhだけ増加したとする。

将来の電力料金がいくらになるかは予想できないので、現在の料金で考えよう。家庭用電力料金では、平均して1kWhあたり20円だとすると、1000億kWhの電力料金は、年間約2兆円分に当たる。

つまり、少なく見積もっても、純国産のエネルギーが毎年2兆円分も増加するわけだ。

しかも、発電に最も重要で巨大な投資を要するダムは、半永久的に使える。仮に100年しか使えなかったとしても、年に1000億kWhの電力量の増加は、100年分で200兆円分の電力を余計に産んでくれる計算になる。

つまり、ダムとは、この先の日本に、200兆円を超える富を増やしてくれる巨大遺産なのだ。この遺産を徹底的に活用すべきである。このような議論を展開するのは、日本の100年後、200年後の将来を考えるからだ。子孫たちがダムという遺産に感謝する時代が必ず来る。

未来のためにも、今生きている人間が、ダムという遺産を存分に活用するための道筋を作っておくべきだ。これが、ダムを建設してきた先人たちの強い思いなのである。

1266とはずがたり:2016/12/26(月) 19:42:51
日本のエネルギー問題は「地形」で解ける
ダムは先人の犠牲の上に立つ「人工の油田」だ
http://toyokeizai.net/articles/-/129155?utm_source=goo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=related
竹村 公太郎 :元国土交通省河川局長 2016年09月01日

日本のダムは「大油田」

私は、長年ダムに関わってきた「ダム屋」である。だからだろう、いつも、ダムを見るたびにこう思う。もったいない、と。

ダム屋の目からは、ダムに貯められた雨水は石油に等しいもの、ダム湖は国産の油田のように見える。しかも、このエネルギー資源は、ダム湖に雨が貯まれば貯まるほど増え、まるで魔法のように枯れることがない。この感覚は、ダム屋以外の方にはちょっと理解しがたいかもしれない。

ただし、雨ならば何でも石油と同じわけではない。高い山、大量の雨、そして川をせき止めるダム。この3つがそろったときにだけ、水は石油になる。なかなか、3つの条件はそろわない。ところが、現在の日本には3つがそろっている。この日本に暮らす私たちは非常に幸運なのである。それなのに、前回、前々回>>1258-1265で述べてきたように、ダムに水を貯めないという現実がある。

もっともっと貯めればいいのに……。日本はエネルギーを求めているのに、このダムに、なぜ、もっと水を貯めないのだ。石油にも等しいエネルギー源となるダム湖の水を、満々とたたえないのか……。それで、私はもったいない、と嘆いてしまうのだ。

私と同様、日本の山に降る雨が莫大なエネルギー資源となると見抜いていた人がいる。今から1世紀以上前の明治31年(1898年)、来日した米国のグラハム・ベルである。ベルはこういっていた。

「日本の豊かな水資源はエネルギーになる」

ベルといえば、電話の発明で知られる科学者だが、実は、地質学者でもあった。来日した頃は米国の地質学会の会長であり、一流の科学雑誌である『ナショナル ジオグラフィック』の編集責任者だった。ベルは、地質学の知見が深かったから、日本には石炭や石油などの埋蔵化石燃料資源が乏しいことはわかっていたのではないだろうか。それなのに、なぜ、「エネルギーが豊富だ」と言ったのか。

それは、彼が日本を実際に訪れ、風土をじかに見たからだ。日本にやってきたベルは、山の多い国土と雨の多い気候であることを確認した。そこでこう結論したのである。

「日本は雨が多い。この雨が豊富なエネルギーをもたらす」と。

アジアモンスーンの北限

当時のベルの発言を、『ナショナル ジオグラフィック』からご紹介しよう。「日本を訪れて気がついたのは、川が多く、水資源に恵まれているということだ。この豊富な水資源を利用して、電気をエネルギー源とした経済発展が可能だろう。電気で自動車を動かす、蒸気機関を電気で置き換え、生産活動を電気で行うことも可能かもしれない。日本は恵まれた環境を利用して、将来さらに大きな成長を遂げる可能性がある」

つまりベルは、日本が水力発電に適していることを見抜いていたのだ。

地理学の専門家だった彼が注目したのは、まず、気候だった。日本は地球の気候帯から見ると、アジアモンスーン地帯の北限に位置する。モンスーンとは季節風のことだが、アジアの季節風帯は非常に長く伸びており、はるかインド洋から続いている。帯状の地域には、低気圧が非常に発生しやすく、雨が多いという特徴があり、その北端に当たる日本もまた、多雨地域であることをベルは知っていた。

さらに、日本の周囲が海であることも、多雨をもたらす。海に囲まれているということは、どの方向から風が吹いても、大きな雨が降るからだ。夏には太平洋側から台風や低気圧がやって来て、海からの雲を伴い、大きな雨を降らせる。冬にはシベリアから北風が来るが、この北風は日本海を通り、大量の水蒸気を含む。そして、日本の山に風がぶつかったときに冷たい雨や雪となる。冬に日本海側に降る雪は、そのまま水の貯蔵庫なのである。このように、海に囲まれているという地理的な条件も、多雨をもたらすわけだ。

アジアモンスーンの北限にあり、さらに、海に囲まれている。この2つの条件のおかげで、日本は非常に雨に恵まれている。ほとんど同じ緯度にあっても、ユーラシア大陸の国々では、日本のように降水量は多くない。つまり、日本列島は、特別に幸運な列島だと言える。

ベルは地理学の専門家だったからこそ、日本の恵まれた気象条件を指摘したのである。

1267とはずがたり:2016/12/26(月) 19:43:11
火力、水力、太陽光、風力など、現代社会ではさまざまなエネルギー源を利用しているが、どれも太陽エネルギーを元にしているという意味では共通している。だが、エネルギーの種類によって、使い勝手の良し悪しはかなり違う。雨のエネルギーの場合、基本的にあまり使い勝手はよくない。雨のエネルギーには、太陽光や風力など、ほかの再生可能エネルギーと共通した弱点があるからだ。

それは、エネルギーが薄いことである。石油や石炭、天然ガスなどの化石燃料は、少量を燃やすだけで大きなエネルギーが得られるので大変に使い勝手がよい。また、資源のある場所の地面を掘るだけで簡単に手に入れられるし、遠方に運ぶのにも便利だ。化石燃料がこんなに使いやすい理由は、エネルギーの密度が高いからである。小さな体積に大きなエネルギーが蓄えられている。化石燃料はエネルギーが濃いので使いやすいわけだ。

だが、太陽光や風力になると、使い勝手がガクンと下がる。たとえば、太陽光発電によって石油や石炭と同じだけの電力を得ようとすれば、広大な面積に太陽光発電パネルを敷き詰めなければならなくなる。太陽のエネルギーの絶対量は非常に大きいが、単位面積当たりのエネルギーが小さい。つまり、薄いエネルギーなのだ。その太陽のエネルギーに由来する光や風というエネルギー源もまた、圧倒的に単位面積当たりのエネルギーの密度が低く、薄いのである。

雨のエネルギーにも、同じ弱点がある。エネルギーの密度が非常に低く、一つひとつの雨粒のエネルギーはとても小さい。たった1滴の雨では、ほとんど人間の役には立たない。役立つ形にするためには、雨の粒を莫大な数だけ集める必要がある。つまり、エネルギーを集中して濃くする工夫がないと、雨はエネルギーとして使いものにならない。効率よくエネルギーを集めるためには、より高い位置で、より多くの雨を集めるほど有利になる。だが、そんな装置を人間の手で作ろうとすれば大変な手間と知恵が必要になるし、装置を用意するのにエネルギーも必要となってくる。

ところが、日本の場合、これを「地形」が解決してくれるのだ。

山は雨のエネルギーを集める装置

密度の低いエネルギーを利用するには、集中させる工夫が必要である。太陽光発電の場合なら、太陽光パネルをどれだけ広く設置できるかが重要だし、風力発電なら、より風の強いポイントにより多くの風車を設置せねばならない。

ところが、雨のエネルギーでは、幸いなことに、ある自然条件がエネルギーの集中を手助けしてくれる。

その自然条件とは、山である。

たとえば、東京23区にいくら大量の雨が降ったところで、海抜が低すぎてエネルギーにならない。ところが、山に降った雨は自然と谷へと集まってくる。関東の場合なら、神奈川県の丹沢山地や東京都の奥多摩に降る雨は谷に集まり、相模川や多摩川の水となって流れ落ちる。水源地域の谷には大量の雨が自然に集められていく。しかも、水源地域は海抜が高い。谷に集まった水の位置エネルギーは非常に大きい。

このように、日本の山岳地帯は、アジアモンスーンによる大量の雨を、エネルギーの大きい位置で効率よく集めてくれる装置となっている。明治期に来日したベルが「日本はエネルギーが豊かだ」と言ったとき、彼が多雨と共に注目していたのは、日本の山だった。日本列島を平均すると、約7割が山なのだが、この地形が、雨をエネルギーに換えるのに有利な条件となる。

多雨と山岳地帯。

こうした日本の気象と地形という地理条件を確かめたからこそ、グラハム・ベルは「日本には豊富なエネルギーがある」と断言したのだ。

1268とはずがたり:2016/12/26(月) 19:43:25

大きな位置エネルギーと大量の水を同時に集める装置

多雨と山岳地帯。この2つは自然が与えてくれた利点である。だが、このままでは雨のエネルギーは効率よく電力に換わらない。位置エネルギーを電力に換えるときには、川の高低差が大きいほど効率がいいし、水の量が多いほど効率が良くなる。

ところが、自然のままの川には、高低差があり、水の量が多いという2つの条件を、同時に満たすエリアがないのだ。山に降る雨は、山間の谷へと流れ込む。その一つひとつは細い渓流に過ぎず、それらが集まって次第に大きな川になり、山岳地帯から平野部へと流れ落ちていく。山岳地帯を流れているときには、流域の高低差が大きいが、流れる水の量が少ない。もし、山岳部の川の位置エネルギーを満遍なく電力に換えようとすれば、多数ある渓流のすべてに、いくつも小さな発電施設を設ける必要がある。

逆に、平野部を流れるときは、川の水量は多いが、高低差は小さい。落差が大きい渓流部を流れ落ちてしまった後では、ほとんどの位置エネルギーは失われているからだ。発電施設は少なくて済むが、肝心のエネルギーが減っており、発電力が落ちてしまう。

つまり、自然に流れている川では、水の位置エネルギーと水の量を効率よく電力に換えることができない。

もうひとつ、川の水には問題がある。川の水は年間を通して同じ水量で流れてくれない。雨が降るときと日照りが続くときとでは、川の水量はまったく異なる。自然の川の水の流れは、時系列で見るとバランスが悪く秩序がない。つまりエントロピーが大きいのだ。

ところが、山岳地帯にダムがあると、状況が一変する。

ダムにせき止められて、いくつもの渓流を流れてきた水が1カ所に集まることになる。大量の水が渓谷の大きな落差で勢いよく落下する。ダムにより、1カ所に水の位置エネルギーを集中できる。

さらに時間的変化が大きく秩序のない水の流れは、ダムに着いた瞬間におとなしくなり、静かに秩序をもって貯まっていく。つまり、ダムさえあれば、大きな位置エネルギーと、大量な水の量と、エントロピーの小さい使い勝手のよさを得ることができるのだ。

日本の近代産業の遺産

ダムがあってこそ、日本はエネルギー資源大国となれる。

実は、雨が多くて山が多いという地理的な条件だけならば、日本だけが該当するわけではない。たとえば、インドネシアには山が多いし熱帯性の雨も非常に多い。また、温帯でもカナダなどには、山岳地帯で豊富な雨の降る地域がある。基本的には、これらの国でも水力発電は有効だといえる。

ただし、雨の多い山岳地帯という自然条件だけでは、水力発電を効率よく行えるわけではない。そこにダムという人工の構造物を造る努力をしなければならない。

山、雨、そしてダム。

日本はこの3つの条件を満たしている。その日本は、水力のエネルギーに非常に恵まれていることを、私たちはもっと自覚してもいいだろう。

なぜなら、ダムは非常に大きな対価を払って獲得した物であり、しかも、これからの時代にはなかなか手に入らないものだからだ。川の水源部にダムを作ると、谷には膨大な水が貯まる。それまで渓谷だった場所が湖になり、すべてが水没する。森が水没し生態系が変わってしまう。そこに住んでいた人々の生活も沈む。村の長い歴史が家屋もろとも水の底に沈み、住んでいた人々の大切な思い出も消えてしまう。

こうした巨大な破壊と引き換えに、電気エネルギーを得るという仕組みがダムである。かつての急激な近代化の過程では、巨大ダム開発がいかに多くの人々に犠牲を強いたのかを現在ほど強く認識していなかった。そのため、こうしたいわばハイリスク・ハイリターンの開発が可能だった。

しかし現代では、多くの人々の犠牲を前提にした巨大ダム、自然環境に大きなインパクトを与える巨大ダムを造るのは難しい。世界的にも同じことが言えるであろう。

だからこそ、過去の大きな遺産として全国いたるところにダムを持っている日本は、水力エネルギーという意味では、例外といっていいほど恵まれた国だと思うのである。

1269とはずがたり:2016/12/26(月) 19:44:02
>>1266-1269
だが、この財産は決して、ただの幸運ではないのだ。私たちの先人が、すでに大きな犠牲を払ってくれていたからこそ、こうした巨大なエネルギー資産がある。この資産は、前回述べたように>>1261-1262、半永久的に使用することができる。だからこそ、この遺産を無駄にするのは「もったいない」と私には思われてならないのだ。

日本全国がダムの恩恵を受けられる

日本列島はとても狭い。しかも、その7割が山地で、日本列島の真ん中には脊梁山脈がずっと走っている。平野部はわずか3割に過ぎず、そこは洪水の恐れのある湿地帯となっている。日本人は洪水と戦いながら、住宅地、農地や工業用地などの土地を確保するのにも大変に苦労してきた。

だが、視点を水力エネルギーという面に移して、同じ日本列島を眺めてみると、まったく違う風景が見えてくる。日本列島を縦断している脊梁山脈は、その両脇にあたる日本海側にも太平洋側にもほぼ平等に川を流す結果となっている。そして、その川の流域には狭い沖積平野があり、ほぼすべてに都市が形成されている。そして、川には、近代から高度成長期を中心に建設されてきたダムが、これも全国的にほぼまんべんなく存在している。

つまり、日本全国のすべての都市には川が流れており、しかも、上流にダムを備えていることになるのだ。言い換えれば、このダムのすべてを水力発電に生かすことで、水力の恩恵を、日本全国各地が公平に満遍なく受けることが可能となっているのだ。日本列島は水のエネルギー列島である、と言い切れる理由がここにある。

日本列島は水のエネルギー列島と言いながら、その制約もある。全国に多数ある水力発電所のほとんどは、それほど巨大なものではなく、規模が中小である。もちろんこの中小水力発電所では、東京や大阪など巨大都市の電力需要を賄えきれない。大都市を維持していくためには、どうしても発電出力の大きい発電所が必要となる。

つまり、東京や大阪、名古屋などの大都市圏は、水力発電だけでは無理がある。かつてのように再び、黒部ダム級の巨大ダムを建設して大都市圏に電力を送るという手法は、これまで述べてきたように無理である。大都市は火力発電などほかの電力供給に支えられていかざるをえない。

しかし、全国各地の中小都市に向けた電力としては、水力発電はうってつけだ。電力需要が小さいので、その都市を流れる川のダムからの電力でかなりの部分が賄えてしまう。また、地元の川で生まれる電力なので、送電距離が短くなり送電のロスが少ない。しかも水力発電は、24時間安定して発電していくことが可能である。いま話題の水素エネルギー、燃料電池などと組み合わせていくことも容易である。

これからの時代、地方の都市は、川の水力による電力を中心として、風力や太陽光、地熱など、その都市に合った再生可能型の電力を活かす道を模索することになるであろう。

世界的にも人類文明のエネルギーは、再生可能エネルギーへとシフトしてゆく。全国に山があり川があり、そしてダムがあるゆえに、無限に国産エネルギーの水力電力をタダで確保できる幸福を、50年後、100年後の日本人たちは、必ず、感じることとなる。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板