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2020/2/9(日)同情と共感

1久保史章:2020/01/11(土) 19:21:18
同情や共感という言葉は日常生活でもしばしば使われるが、その意味はかなりあいまいに用いられている気がする。
「同情するとはどういうことか」「共感の場合とどう違うか」といった問題について詳しく考察している専門書は、哲学でも心理学でも少ないように思う。
今回は同情と共感について、それがどういう意味かを検討し、併せて他者理解の問題についても考察を深めていきたい。

参考文献
『身の構造』 市川浩 講談社学術文庫
『表情』 廣松渉 弘文堂
『生きられた<私>をもとめて』 田中彰吾 北大路書房

2則天去私:2020/01/12(日) 09:01:02
>>1こんにちは。
個人的には、同情は哀れみというかネガティブで、共感はポジティブで明るいイメージがあります。

3かわべ:2020/01/14(火) 16:53:23
「身(み)の構造」なつかしいですねー。30年前には、現象学的身体論がよく流行っていました。市川氏自身は鬼籍に入られたと思いますが。

4夫正彦:2020/01/16(木) 13:13:11
会議室の部屋番号がわかれば教えていただけないでしょうか。

5ウラサキ:2020/01/16(木) 16:40:22
夫さん、
第4会議室です。

6夫正彦:2020/02/08(土) 13:20:32
1名メールより参加申し込みありました。
ハンドルネームtakumaさんとおっしゃる方です。
よろしくお願いします。

7おぐす:2020/02/09(日) 21:13:10
久保さん、今日はありがとうございました。
おっしゃるように「同情」と「共感」の共通する部分と異なる領域は確とせず、追求すればするほどむずかしいですね。
ちなみに「同情」は近代以前から使われており、近代では漱石、鴎外も用いています。「同情」の用例として以下のようなものも
あったので幾つか記しておきます。

「アインシュタインに対する同情者は遠方から電報をよこしたりした。その後科学者大会のあった時、特にその中の一日を相対論
の論評にあてがった」(寺田寅彦)
「帰ってきて私はまず、新しい運動に同情を持っていない人の意外に多いのを見て驚いた」(石川啄木)
「私は私たちの心持ちに同情のない要求にすぐ従おうとは思いませんが、しかしなお自分をどうにかしなければならない事を切に
感じます」(和辻哲郎)
「この身に親しいインティメイトな感じが倫理学への愛と同情と研究の恒心とを保証するものなのである」(倉田百三)

「共感」の方は倫理学や美学におけるempathy等の訳語がルーツではないかと推察しますが、昭和、特に戦後になって文学者等にも
用いられています。ただ現在の状況は、やはり臨床心理学の分野から世間一般的なカウンセリング用語として、又さらに多方面に
広く流布したのが大きいのではないかと思います。
いずれも素人の推察の域なので誤りがあれはご海容下さい。

今日の小ネタの大森荘蔵とガブリエル、ものさしの恍惚と不安も小ネタとは言えないほど興味深い内容でした。ありがとうございました。

8ウラサキ:2020/02/11(火) 08:15:09
当日、会の場で私が「同情は sympathy、共感は compassion と英訳する」と発言し、
オオサコさんから、「じゃ、empathy はどうなるのですか?」と質問があり、私が返答に窮する場面がありましたが、
その後、辞書や職場の同僚に確認したところやはり「同情」はsympath、「共感」はempathy と訳し、compassion は「憐れみ」位に訳すのが適切だと思います。
英語教師としてお恥ずかしい早とちり、この場で謝罪し、訂正させていただきます。

9ウラサキ:2020/02/11(火) 09:44:48
3行目 sympath → sympathy です(_ _;)

10名無しさん:2020/05/15(金) 22:34:24
そうですね。


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