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古代史掲示板

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1 : 邪馬台国九州説(4) / 2 : 【国宝】中平銘鉄刀と卑弥呼の系図(4) / 3 : 謎の豪族「蘇我」(1) / 4 : 高天原にある卑弥呼の墓(3) / 5 : 邪馬台国畿内(纏向)説(3)
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1 邪馬台国九州説 (Res:4)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1名無しさん :2022/04/28(木) 13:47:01
邪馬台国九州説のスレです。

2名無しさん :2022/04/28(木) 13:49:04
九州でも福岡説への基本的な疑問だが、
海の向こうに異民族がいる、そんな危なっかしい所に女王がいるものだろうか。

女王がいたのは奥津城ではないのか。


3名無しさん :2022/04/28(木) 14:05:21
九州には卑弥呼の墓の候補がない。

径百余歩は約150mの円墳またはだ円墳。
墳墓でなくとも自然丘陵。

九州にはない。


4名無しさん :2022/05/18(水) 20:37:14
伊都国についてですが、私がずっと気になっているのが、平原遺跡・曽根遺跡群の「曽根」という名称です。
これはほぼ物部と言い切ってよいのではないかと思っています。

庄内式土器の名称元である大阪府豊中市庄内に曽根という地名、また穂積という物部系地名があります。
そして大阪府南部の池上曽根遺跡にある曽禰(曽根)神社の配神が二田物部神であることは当地で確認しています。
また近くに二田物部の根拠、泉大津市二田があります。
大阪の北部・南部にある両地に、やがて纏向古墳群に通じる前方後円型周溝墓も出ているようです。

また平原1号墳墓出土の大型内行花文鏡と皇室に伝わる三種の神器の一つ「八咫鏡」の類似性・共通性が言われていますが、
八咫鏡は崇神天皇が宮中から放逐したというわけですから、宮中とは纏向の磯城瑞籬宮であり、
その崇神の母君が物部のイカガノシコメであること、これは看過できないと思っております。

平原遺跡=曽根=巨大鏡祭器=筑紫物部ではないでしょうか


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2 【国宝】中平銘鉄刀と卑弥呼の系図 (Res:4)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1名無しさん :2022/04/28(木) 14:39:29
金関 恕氏が発見した国宝・中平銘鉄刀(東大寺山古墳出土)。
その鉄刀の主、和邇氏とヒミコは繋がるのか。

繋がります。
和邇氏はトヨから始まります。

    事代主
     ┣━━━━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃           ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津媛━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主            孝昭
     ┃             ┃
    阿田賀田須       天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命
                 ┣━━━━━━━┓
               彦国姥津命    姥津媛(開化天皇妃)
   ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
 伊富都久命          彦国葺命   小篠命    乙国葺命
  ┏━━━━━━┳━━━━━━━┫   【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
 彦忍人命   建耶須禰命    大口納命        【飯高氏祖】
(武社国造)    ┃       ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
       八千宿禰命  難波根子武振熊命   彦汝命     真侶古命
      (吉備穴国造)  【和邇氏祖】  【葦占氏祖】  (額田国造)


邪馬台国の都はヒメ踏鞴やトヨ津が住んだ葛城、奈良県御所市。
魏志倭人伝の女王国とは葛城王朝でした。

神武東征紀とは、実際には女王国であった史実を隠ぺいするための大袈裟な記述であった事が分かります。

2名無しさん :2022/04/28(木) 18:37:58
>>1の系図は、

最下段から孝昭天皇までが、富士宮市富士山本宮浅間大社所蔵「和邇氏系図」
天足彦国押人命から事代主までが日本書紀
左端。事代主から降って阿阿賀田須までが先代旧事本紀・巻第四「地祇本紀」


トヨの3世代前に卑弥呼(Bei mei hu)、比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、
つまりヒメ后、ヒメ(踏鞴五十鈴)后がいる。


3名無しさん :2022/05/04(水) 22:48:30

この系図の卑弥呼、隠さなければならない。

なぜならこの卑弥呼から約100年前(5世代前)に後漢書東夷伝に出てくる倭国王帥升が、
誰なのか分かってしまうからである。

AD107年、わざわざ海を渡り、生口160人を献じ、後漢皇帝・安帝への謁見要請をした倭国王がいる。
謁見要請とは土下座である。

日本の古代王で海を渡った人物、そして帥升(shuai sheng)という発音に最も近い人物、
そして神武の5世代前、それはスサノオしかいない。

日本の歴史の曙が、スサノオの中国皇帝への土下座から始まる。
こんな屈辱的事実を未来永劫、残すわけにはいかない。

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4名無しさん :2022/05/07(土) 12:55:39
424日本@名無史さん2021/09/08(水) 19:27:45.03>>427
   スサノオ(帥升AD107年)━━アマテラス
     ┃               ┃
     ┃             オシホミミ
     ┃               ┃
   オオナムチ           ニニギ
     ┃                  ┃
     ┃                  ホオリ
     ┃                     ┃
    事代主                    フキアエズ
     ┣━━━━━━━━━━━━┓        ┃
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃           ┃
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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3 謎の豪族「蘇我」 (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 3
1名無しさん :2022/05/05(木) 19:11:00
6世紀ころから突然現れ、権勢をふるった蘇我氏とは何者か。

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4 高天原にある卑弥呼の墓 (Res:3)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 4
1名無しさん :2022/04/28(木) 18:44:02
魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓が高天原にあった。

高天原最有力地・奈良県御所市高天の日本最古の神社・高天彦神社の境内に、
径百余歩(約150m)の塚があり、魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。


卑弥呼(Bei mei hu)とは比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、つまりヒメ后である。

⑩崇神(310年頃 318年没)
⑨開化
     ⑧孝元
          ⑦孝霊
トヨ津媛          ⑥孝安 ⑤孝昭
トヨ津媛      (250年頃) ④懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后        ③安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后       ②綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) ①神武

ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も鴨族。
鴨の語源はカミ。
鴨族の聖地が高天原。

ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も高天原の神々であった。

2名無しさん :2022/04/28(木) 19:00:49
画像(h抜き)

ttps://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111.jpg


3名無しさん :2022/04/30(土) 08:15:06
殉葬奴婢百余人について、日本の古代史界は見解を出せていない。

殉葬という習慣が考古学的にも確認されていないからである。

しかし、魏志倭人伝にはそう書かれている。

実際にはどうなのかは分からない。

ならばとりあえず、崇神以前に奴婢、あるいは奴婢になったであろう集団の、
大量誅殺のような記事はないか。

ある。
日本書紀にある。

それは神武東征記紀での大和先住民・土蜘蛛の誅殺である。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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5 邪馬台国畿内(纏向)説 (Res:3)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 5
1名無しさん :2022/04/28(木) 12:35:50
邪馬台国畿内説の王道というべき、大和纏向説のスレです。

複数の学者が支持しているようですが、はたして箸墓古墳は卑弥呼の墓なのか。

ゆっくりと議論を進めてくだされば幸いです。

2名無しさん :2022/04/28(木) 13:39:30
纏向説者の「要旨」です

 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。

 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。

 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
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3名無しさん :2022/04/28(木) 13:45:18
>>2の要旨に反論しておきます。

> 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。

なぜ纒向遺跡の発掘状況等から各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性と考えられるのかが分からない。
箸墓古墳がモモソヒメの墓という日本書紀の記述がベースにあるのだろうが、
それなら被葬者をモモソヒメとすればよい。

しかし彼女は4世紀の崇神の時代まで生きている。
その時点で247あるいは248年に死んだ卑弥呼ではない。


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